・ n.2 トーディ ・ 中世の栄華の面影をつたえ 

今回も引き続き、ウンブリアの南西部に位置するトーディ・Todiのご案内を。
ご覧の通り400mの丘の上、華と咲き誇った中世の面影を濃く残し、
ギッシリと密な町、それがトーディ。

これは町から南に下った場所、麦畑の中に残るトラクターの輪の跡、
赤く咲き乱れるポピーの花・・、ああ、ウンブリアの春! 

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町の中心ポポロ広場にドゥオーモの建設が始まったのは12世紀からですが、
以前ローマ期の建物があった場所だろうと。

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ドゥオーモの内部を少しご案内。 3廊式で、ご覧の通り素朴なイメージですが、
薔薇窓が大変美しく、その下に見える大壁画が目を引きます。

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ミケランジェロの「最後の審判」に大いに影響を受けたと見られるファエンツォーネ・
本名 Ferrau` da Faenzaの16世紀後半の物。
他にもかなり有名作家の絵もあった様なですが・・。



それ以上に興味を引かれたのが、この円柱の柱頭部分の彫り。
上の写真でご覧の様に円柱は細いのと太いのと交互にあり、その太い方の柱頭に
様々な聖人様達が居られるのが、なんとも微笑ましい中世式プロポーションで!

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ですがこのキリスト様は、さすが、という神々しさで、彩色されていた様子ですね。

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ドゥオーモや鐘楼は火事や地震の災害を受けた様ですが、その素晴らしさを
増したのは13世紀後半教皇ボニファーチョ8世・Bonifacio VIIIの下においてだそう。
彼はトーディの司教ピエトゥロ・カエターニ・Pietro Caetaniの甥にあたり、
若い頃トーディに住んでいたとも。 こういう権力関係の繋がりの影響は凄いですね。
       


ドゥオーモの右脇に鐘楼があり、その横道を奥に行くと後陣の裏側に行きますが、
ここにまた中世がしっかりと。

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柱の彫り飾りが見事! さまざまな動物、人の顔が見張りをし続け。

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これなども人の顔と思うのですが、ご先祖様に近いようでもありワクワクします。

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同じ道筋にあった窓の下の、神の手。 静謐なイメージを伝えます。

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この脇道に小さなタバッキ兼の本屋があり、ガイドブックを求めたら、年配のご主人が
「トーディを知るには、歩く事」と。 はぁい、脚が攣る程歩きましたです!



という事で、もう一度町の地図をどうぞ!
町の中心のポポロ広場・Piazza del Popolo周辺をご案内しましたが、

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次はサン・フォルトゥナート教会・San Fortunatoに。 南からの町の眺めに
聳えていたあの教会です。
ドゥオーモ向かい側にあるプリオーリ宮の右脇の道を行き右折。
       
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素晴らしい眺めでしょう?! サン・フォルトゥナートは、町の守護聖人でもあり、
教会は丘の高台に位置し、下からの石段がジグザグに。

建設は13世紀後半から14世紀にかけてですが、15世紀に再度続きを。
正面の未完のむき出し壁が良い趣をかもします。



正面の大扉を飾るアーチの層・15世紀が素晴らしく。

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左側部アップをどうぞ。 残念ながら天使の顔は削られていますが、大変優雅。
向かって右には聖母の像があるので、受胎告知でしょう。
夕方近く、既に閉っており、結局そのまま中は見ずじまいに。

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で、突然ですが、このパオロ・ウッチェッロ描くところのヤコポーネ・ダ・トーディ・
Jacopone da Todiの肖像を。

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というのも、このサン・フォルトゥナート教会地下に、彼のお墓があるとの事。
ヤコポーネ・ダ・トーディの名は聞いた事があるだけで、町に行ってもよく確かめもせず、
ブログに書く為に調べ始め、俄然興味を持ち、例に寄りあれこれ追いかける羽目に!

その元も、このプラート・Prato(フィレンツェの北西)のドゥオーモにあるという壁画を
サイトで見つけた事に始まりますが、絵から受ける印象通り、大変な人物。
ご覧になる皆さんも、アッシジのサン・フランチェスコと共通のイメージ、
つまり清貧、頑固、狂信的熱情などをお感じでしょう?

ヤコポーネ・ダ・トーディはその名の通りトーディ近郊出身(1236(1230)-13060).
裕福な貴族の生まれで、多分ボローニャ大学で学び公証人、貴族の娘と結婚し
世俗の生活を享受。 が程無く
舞踏会場の床が抜け落ちての唯一の死者が彼の妻、その上妻が密かに
豪華な衣類の下に、贖罪の為の鉤の付いた帯(荒布の肌着と記したのもあり)
を身に着けていた事を知り、一挙に懐疑に陥り、
持物を全て貧者に与え、自分は世捨て人同然の喜捨を受ける生活に。
こうして10年後、フランチェスコ会派の厳格派に並びます。

ラウディ・Laudaeと呼ばれる93篇からなる神への賛歌の詩は中世イタリアの
宗教的文学と見なされ、中にあの有名な「スターバト・マーテル」も含まれているそう。

妻の死に関する逸話は半ば伝説の様ですが、も一つ欠かせないのが
教皇ボニファーチョ8世との関わりで、
お互いの青年時代にこのトーディで知り合いであった事は間違いなく、皇帝派と
教皇派の争いの幾つかで、若き日のボニファーチョが投げつけられた石で
頭に怪我をした、という話も。

その発展か、後にボニファーチョ8世に敵対するコロンナ家出身の司教ピエトロ・コロンナ
に与し、まさに戦争に発展。 捕らえら破門され、有罪終身収監に。
が、ボニファーチョ自身がアナーニ事件で憤死する顛末となり、
最後の3年間は自由の身に、そしてクリスマスの日に亡くなったと。
       
まさにまさに激しい中世の男、知り始めると興味しんしんで、あれこれ読んだのでした。


教会前左右にあるライオン像。 既に目鼻も定かではないですが、何か獲物を抱え。

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高い位置にある サン・フォルトゥナート教会前から。
左手のこの建物も、素晴らしいでしょう?

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町中にはあれこれお土産物店が並び、やはりウンブリア名物の陶器が目立ちますが、
私は古い花柄織のクッションをひとつ。

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少し、町中の通りの様子をご覧頂きますが、中心のポポロ広場から、
またはサン・フォルトゥナート教会からはどちらに行っても下りの坂道!
威圧感を感じる程に、狭い小路の両脇に聳える高い壁。 

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そして中世の町、建物に特有のアーチの支え。 真ん中に見えるのは、どうやら
アーチの上下の建て増しで、きっと中に3階分ほどの部屋がありますね、これは。

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なんと呼ぶのか、イタリア語の先生アンナリーザに尋ねると、彼女も知らず
サイトで調べてくれ、結果は単に「アーチ」らしいと。

町で買って戻ったガイドブックにも、この支えの写真がずらっとあり、
それにはトラヴェルサ・Traversa・支えと。
ですが、その言葉で検索をかけるとまた少し違うようで、
今は使われなくなった建築様式ですし、元々名前もあやふやなのかも。



道も曲がりくねり、建物も出たり入ったり、支えの壁もアーチも、
自由自在に架け渡され。

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人通りも中心広場と目抜き通り以外では殆ど見かけず、ですが、ひとつも危ない
感触はありません。 住みやすい町の一つにも数えられているそうで、
偶に出合う人も、写真の邪魔にならぬよう気を配ってくれ、恐縮する事もあり。

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サン・フォルトゥナート教会から、中心方向に戻り南に下る一帯がとりわけ
古い中世の面影を残すそうですが、まさにその通りで、こんな坂道が縦横に。

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今、お歳を召したお洒落なシニョーラがゆっくりと下って行きます。



これはサン・フォルトゥナートから西に下った辺りだったと。
私の写真では特別に狭い小路はありませんが、ガイドブックには、人1人やっとの
石段道もあり、それには「猫や犬用サイズの道」との説明で笑いました。

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サン・フォルトゥナートから西への広い道、ヴィア・チュッフェッリ・Via Ciuffelli.
銅製品の店ですが、少し色が飛んでしまい残念。

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ヴィア・チュッフェッリを少し下ると、展望台風に開けた公園があり、
町のドゥオーモの奥から西側部分がこのように。

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この公園の下に広い駐車場があり、ケーブルカーが連絡していますが、
先に知っていたら、町の真ん中に陣取る事が出来、見物もしやすく、
食事の為に坂道を上り下りする事もなく、脚が攣る事もなく! ははは。

食事で思い出しましたが、コルソ・カヴールからポポロ広場に近い右手に
ピッツァ、レストラン・カヴール・Pizzeria Ristorante Cavourというのがあり、
Corso Cavour 21. Tel 075-8943730
       
ここで2回食べましたが、美味しかった!
茸のオムレツの美味しさが忘れられず、7月のウンブリア旅行でアックワスパルタ・
Acquaspartaに行き、少しがっかりの町で、Todi 18K とある道路標識を見て、
よしもう一度あれを食べようと走り、駐車場を探し回り、また必死の坂登り!
で、着いたら夏休みで閉めていて、力が抜けた記憶が。 はへぇ。

ポポロ広場周囲には他にも美味しそうな店がありましたが、どこも夕食の始まる
時間が遅く待ち切れず、試すチャンスがありませんでしたぁ。



公園の城壁の上、鳩が温かい石の上で膨らんで。 町が高いせいか風が結構強くて。

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公園のマロニエの花。

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下の平野を見下ろして。 こちらは町の北側。

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ドゥオーモから北に、そして東に下る坂!

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上の写真の坂道の途中から右に入って行くと、古い城壁の下の広場に。
この一帯如何にも古い家が並び、段差をつけ下に広がり、なんとも趣深く、
行ったり来たり、アーチをくぐりまた戻りし。      

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これが広場西の、どうやらエトルスク期の壁。 壁の上に道があり建物が並ぶ、
町の段差の様子がお分かりでしょうか。

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トーディの城壁は、エトルスク、ローマ、中世と3重に重なリ、外に広がります。



同じ広場の南角。 この高さ、この威圧感。

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中心のポポロ広場からコルソ・カヴールを下り、道の名がヴィア・ローマと変わり、
このカテーナ門・Porta Catena.

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ここから道の名がヴィア・マッテオッティ・Via Matteottiとなり、長~い坂道が
町の東下まで続きますが、この門の外すぐ左手に入り込むと、



多分ローマ期の城壁の外側の道にでて、先回ご覧頂いたアウレーア門外まで
続きますが、見上げる高さの家並が続き、左手柵の下にも家並。

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この城壁外の道から、最初入って来たアメリーナ門を。
門の外は新しい家並、新しい町で、門の中は中世。

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これは、サン・フォルトゥナート教会から南に下った所のリーべラ門・
Porta Libera辺りから南を眺め。

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町の南の門アメリーナを出た道は一旦下り、大きくカーヴを描きながら南の山に上り、
消えて行きます。そして、山の上にはどうやら塔の形が。

こんな道を見たら行ってみたくなりませんか? どんな村を通り、何処まで行くのか。
ええ、半日この道を辿りましたら、まさに中世そのままの村が幾つか。
チャンスを見て、またご案内いたしましょう。



トーディの町の坂下、西端にあるルネッサンス様式の教会サンタ・マリーア・デッラ・
コンソラツィオーネ・S.M.della Consolazione.
正式な記録は無いものの、ブラマンテの手も加わっていると言われます。

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南への道を辿る途中から、トーディの町を。
       
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まさに中世がギッシリと詰まり、今なおゆったりと息づく町、
素晴らしさは期待以上でしたが、上手くご案内できたでしょうか。
少し交通が不便ですが、是非お出かけください!


◆*◆*◆

ADSLの接続が遅れ、業を煮やし他の店に依頼、
遂に先週金曜より1年ぶりに現代社会復帰のshinkaiで~す!
やはり、早~い!! 写真の多い我がブログもするすると!
若いお兄ちゃんではありましたが腕は確かで、日本語表示の我がPCも
何の事なしするすると。 うむ、次回もここに頼む事にするべ!

お天気の良かった土曜にはジョルジョーネ展に。 今年が没後500年なのですね。
彼の生まれたカステルフランコの小さな町は、ジョルジョーネ展一色に染まり、
人出も多く賑やか。

絵以外にも記録文書や道具類の展示など大変興味深い展覧会で、
お昼のラディッキオのラザーニャも美味しく! 満足し、夕暮れぎりぎりに家に。
こちらも整理の後、ご紹介をと思っています。

カステルフランコの町 ・ ジョルジョーネ展
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462522712.html
   
 
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