・ カステルフランコの町 ・ ジョルジョーネ展

ヴェネツィア・アッカデミア美術館所蔵の名作ジョルジョーネの「テンペスタ」に、
4月上旬まで開催のジョルジョーネ展で、久し振りに出会いました。

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没後500年記念のこの展覧会は、生地カステルフランコ・Castelfrancoの、
彼の家とされている博物館での開催で、久し振りにこの町を訪問。
  
カステルフランコの、以前ご紹介の緑滴る町の様子はこちらで。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462521345.html     

この「テンペスタ」の絵の謎、そして人物のモデルについては



カステルフランコはどこにあるか、地図をどうぞ。
ヴェネツィアの北西に位置し、電車だとトゥレヴィーゾ・Treviso経由か、
またはパドヴァ・Padovaからも。

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地図をご覧頂くと、ヴェネト平野に於けるカステルフランコの位置が大変重要
だった事が良くお分かり頂けると思います。
トゥレヴィーゾから西に30k、パドヴァから北に40k、西のヴィチェンツァから35k、
ヴェネツィアからは北西に直線距離で45k。

でこの町の起こりは、12世紀の末にトゥレヴィーゾから、西のヴィチェンツァ、
南のパドヴァに対する砦としての移殖政策に由ります。

カステルフランコの「フランコ」は、移植民に対する税免除を意味し、
守備兵士の砦ではなく、商業農業の取引の場としても重要だったのですね。
税免除を意味する「カステルフランコ」という地名はあちこちにあり、
検索、地名探しには、カステルフランコ・ヴェネトと特定します。


古い町の中心部はご覧の様に城壁と堀に囲まれ、大きな橋はこの西側と、東、
北と3ヶ所にあり、今はこうして石の橋ですが、かっては跳ね橋だったと。

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上の写真の堀を渡っての門で、現在この左脇にインフォメーション。 ご覧の様に、
ジョルジョーネ展のポスター、垂れ幕があちこちに見え、町はジョルジョーネ展
一色なのでした。

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城壁内はほんとに小さく、先ほどの門を入るとすぐに東の門と市の塔が見え、
電飾の飾りは、クリスマス用のまま。

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左手中程の白いアーチの建物が市役所で、かっての執政官の建物跡に
19世紀に建て替えられたものと。



こちらが市役所の正面側、ドゥオーモの前から。
中世の町中にあると新しく見えますが、真ん中に18世紀の礼拝堂を内蔵。

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町の中心、城壁内部分の地図をどうぞ。
左下の門から入り、まっすぐに見えた市の塔 1、 市役所は真ん中 7
ドゥオーモ 16、 ジョルジョーネの家、博物館 17で、ここが今回の会場
2は、死者の塔・Torre dei morti.

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他にご案内する場所もついでに。
4 劇場 テアトロ・アッカデミコ、 12 国立音楽大学
13 トゥーツィオ・コスタンツォの家
ご覧の様に城壁はほぼ真四角で、一辺の長さが約230m、
現在残る塔は四隅の塔と、市の塔、死者の塔と6つですが、元は8塔あったと。



こちらがドゥオーモ、左奥のクリーム色の建物がジョルジョーネの家とされる博物館。
ドゥオーモはかってのロマネスクの教会の場所に18世紀に建設されたもので、
右の小路の奥に見えるのが死者の塔。

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ドゥオーモの右脇に細い階段が付いているのが分かりますか?教会内からも
抜けれますが、ここにコスタンツォの礼拝堂があり、
ジョルジョーネの素晴らしい祭壇画・Pala di Giorgioneが。



こちらがその祭壇画。 フラッシュなしで写真OKでしたが、ガラスが反射し、
これはサイトからの拝借。
大変美しい静謐な作品で、穏やかな明るい光に満ち、深い瞑想に誘われる感が。

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後でご紹介するテアトロ・アッカデミコで、懐かしいポスターに再会。
以前は、家博物館内に残るフレスコ画の清新さに魅かれていましたが、
これで見た聖母のまなざしに魅かれ、ジョルジョーネに興味を持つ切っ掛けでした。
  
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この作品は一度盗まれて戻り修復に、で長らく町に戻らなかったのですね。
その経緯をこちらに書いた事がありますので、どうぞ。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461060181.html      



祭壇画の下部分の左、若い兵士マッテーオ・コスタンツォ・Matteo Costanzo
が23歳の若さで亡くなり、父親のトゥーツィオ・Tuzioがジョルジョーネに
依頼したのが、この祭壇画と言われます。

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この鎧はマルタ騎士団員である事を示し、聖人の名が3名ほど挙げられますが、
顔は亡くなったマッテーオと言われ、憂愁に満ち、こちらを見つめます。

展覧会の最初の展示に、祭壇画の依頼者トゥーツィオ・コスタンツォについての
展示があり、彼とアーゾロの女領主カテリーナ・コルナーロとの関係についても
触れておりました。


例により、家に戻り調べ改めて知る事が多く、あれ、見なかった!というやつを・・。
       
これは トゥーツィオ・コスタンツォの住んだ家、地図13。

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彼はシチリアのメッシーナの生まれでマルタ騎士団に属し、父親ムーツィオ・Muzioは、
カテリーナの夫キプロス王ジャコモ2世に仕え、ジェノヴァ人追い払い功績で、副王に。

息子のトゥーツィオはキプロスには行ったものの、ヴェネツィア共和国の下で
傭兵隊長として働き、キプロス王が亡くなり、カテリーナが政治を執るようになると
ヴェネツィア政府は彼の影響力を恐れ、島に戻ることを許さず、遂にカテリーナが
キプロスをヴェネツィアに献上し、1489年にアーゾロに来る前に、
1475年彼もカステルフランコに。

血筋が良く武勲にも優れたトゥーツィオは、キプロスの縁もあり、アーゾロ領主となった
カテリーナのお気に入りとなり、二人の結びつきは深く、セレニッシマの10人委員会の
注意を引いた程と。

が、息子マッテーオの死に際しジョルジョーネに祭壇画を依頼、ドゥオーモに
コスタンツォ家の礼拝堂を作った事から、漸くこの地に落ち着いたと受け取られた、と。

アーゾロはカステルフランコからも近く、キプロス王家がらみの良家の傭兵隊長が
この町に住み、あの祭壇画を依頼した事を、大変興味深く感じました。
トゥーツィオの年齢が分からないのが残念ですが、カテリーナとはほぼ同年代と
考えて良いのではないかと。
       
アーゾロの領主カテリーナ・コルナーロについては、こちらに。
    

家の壁に見えるトゥーツィオ・コスタンツォの紋章。 祭壇画にもある紋章で、
ライオンの下に見えるのは肋骨を示し、両脇に、T と C とイニシャルが。

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昨年末の市会議に、市長からこの家の購入提議があった様で、ゴシック様式の
古い家で階段も急で狭く、床の強度にも問題があり、何に使うかも未定の
高い買い物はできない、と大論争になったという記事がサイトにありました。
さて、どうなりますか。
       


サイトで見つけたフレスコ画で、ジョルジョーネ展会場の建物に、つまり博物館にある
というのですが、昔見た時は気がつかず、今回も展示物で一杯で・・。

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カテリーナ・コルナーロはアーゾロから下ったアルティーヴォレに「バルコ」と呼ばれる
夏の住居、宮殿を造ったのですが、バルコの花壇に寛ぐカテリーナとトゥーツィオだそう。
奥に見えるのが、キプロスの宮殿を表していると。
カテリーナは多分右端なのでしょうが、トゥーツィオがこれでは良く分かりません。
うむ、ジョルジョーネ展が済んだらまた建物を見に行って来よう!

キプロス島をヴェネツィア共和国に引き渡す事については、彼女の実弟ジョルジョが
説得をした様子ですが、夏の宮殿バルコについても、ジョルジョ自身が見た事のある
ウルビーノのモンテフェルトゥロ公、パヴィアのジャン・ガレアッツォ公のバルコについての
情報を与え、それを上回る物をと進言したそう!

今は単に一棟のみが残るバルコですが、かなりの宮殿だった様子。
アルティーヴォレのバルコについても、上の記事リンクでご覧頂けます。

ジョルジョーネの静謐で神秘的な画風は、ヴェネツィア貴族からの依頼が多く、
公的な仕事は2件のみで、ドゥカーレ宮の聴聞室の油彩と、リアルト橋脇の
現郵便局、かってのドイツ商館の正面のフレスコ画のみで、

このフレスコ画の値段について、150ドゥカーティの請求に対し130しか
払われなかった様で、揉めた様子の書類展示があり、大変可笑しかった。

ドイツ商館のジョルジョーネの壁画については、こちらに。
       


お昼を食べ、町の散歩に。

城壁内には大きな建物が並びますが、中庭が覗ける大きな門の上に、
雰囲気のあるフレスコ画。

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市役所の横を入って来た所にあるテアトロ・アッカデミコ。
18世紀の建設で、こちら手前の入り口部分は後に増設した物と。

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テアトロ・アッカデミコのロビー。 なかなか素敵でしょう?

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舞台も小さく席数も少ない、が、美しく素晴らしい劇場。TVニュースで
よく見かける、イタリアの豊かな小さな町にある劇場です。

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左側はこの様に塞がれていますが、右側、東に当たるこの部分は大きな窓で、
講演会等に使われる時は、カーテンが開けられるのだそう。
たまたま小グループがガイド付きで来て、説明が聞こえ、儲けものでした。

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天井画。

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後方のボックス席。

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舞台の垂れ幕。 垂れ幕が下りているのをTVニュースで見ましたが、
天井と同じモチーフが真ん中に。

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ボックス席の様子。 人口3万人程の小さな町の劇場とは思えませんね。
如何にこの町が商業交易で豊かであったか、文化的にも高い水準を持っていた事も
偲ばせます。

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町はジョルジョーネ展一色に染まり、ここにはパンで作った名前。

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バールか、レストランか良く分かりませんが・・、

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ガラスに反射して見えるお庭は、


これです、地図の12。 個人住宅ではない様子なので、入ってみました。

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右手高台にこの建物が見え、ピアノの音が聞こえます。 何かと思いましたら、
かってのバルバレッラ邸・Barbarellaが現在国立の音楽大、
アゴスティーノ・ステッファーニ・Agostino Steffani に。

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広い空間の大樹に囲まれた音楽大学、なんとも優雅で、建物選択の
センスに感心しました。


細長い中庭の古い井戸、巻き上げ滑車が可愛い形。
向かいの建物も音大使用でしょうが、かっては使用人住居、作業場だったのかも。

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高台のお屋敷の流れですが、すぐ後ろが城壁。
城壁の高さは約17mで、厚さは1,7m、古い時代の造りで特別な基礎はなく、
16世紀の重火器使用になるとまるで脆く、16世紀初めのカンブライの戦時には
(これについてはまだ・・、ご容赦!)あちこちに損傷や陥落が出たとの事。

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ドゥオーモ前まで戻り、東の市の塔から城壁外に。
      
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これは市の塔の、例によりヴェネツィア共和国シンボルのサン・マルコの
ライオン君と15世紀末の時計。

カステルフランコの町は、パドヴァのダ・カッラーラ家、ヴェローナのスカーラ家
領有の変遷の後、14世紀からヴェネツィア共和国の下で4世紀間の平和を享受。
が、この門内天井部にはダ・カッラーラ家の輪の紋章が今も。



城壁を囲む堀の東南部分。 鐘楼の見える方に行くと、国鉄駅。

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堀を囲み歩道が巡りますが、彫像が立ち大変良い雰囲気。
堀の向こう城壁外にも散歩道があります。

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城壁外の北東角、ジョルジョーネ広場が西に広がります。 この辺り一帯、
かっては穀類と家畜市で繁栄した場所ですが、この日も市で大賑わい。

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正面に見える建物群が良い雰囲気でしょう?年代が古く素朴な建築様式の
3,4階がせいぜいで、空が広く見えます。



堀の北東角に、ジョルジョーネの彫像。

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堀を囲む東と北の建物群には、フレスコ画がかなり残っています。

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こんな感じで、フレスコ画のモチーフは神話が多く、人物、動物、植物と多彩。

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後ろの高いのが、ジョルジョーネ君。 お堀周辺の空気、お分かり頂けますね?

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城壁とお堀をぐるっと回って、駐車場に戻ります。

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◆おまけの予告宣伝を。
この2月26日から、6月2日まで、我がコネリアーノの町で
チーマ・ダ・コネリアーノ・Cima da Conegliano展が開催されます。

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我が町出身、15~16世紀にかけて活躍した画家で、写真は町のドゥオーモの
祭壇画。 ジョヴァンニ・べッリーニに師事した優しい画風が特徴です。
作品は約40点、ロンドン、ワシントンのナショナル・ギャラリー、
サン・ピエトロブルゴのエルミタージュ、ヴェネツィアのアッカデミア等など、
上等なのが集まります。

これを良い機会に、我がコネリアーノにお出かけ下さい、ませませ!!

我が町コネリアーノのご紹介は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461745312.html      
    
町のお祭り、ダーマ・カステッラーナは
       

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・ 寒い冬の日、 熱いラザーニャはいかが? 

先週トゥレヴィーゾから西に26k程、カステルフランコ・Castelfranco
開催中の、この町生まれのジョルジョーネ展を見に行き、
彼の家とされている、小さな博物館の中を行きつ戻りつ楽しみました。

お昼に遅い時間になったので、すぐ横にあるビストロに飛び込みましたら、
時間も遅く品切れもあり、おまけに肉を食べないと言いましたら、
盛り合わせの一皿に、ラディッキオ・ロッソのラザーニャとマッシュポテト、
それにラディッキオ・ロッソのグリルを持って来てくれ、
これが大変美味しく、こちらにも大いに満足という次第!

日本ではラザーニャというと、ひき肉とトマトのソースを挟むのが普通ですが、
冬野菜のラディッキオの、ちょっぴりのほろ苦さにホワイトソースのラザーニャは
まさに大人の味で、皆さんにもご紹介したくなりました。
久し振りの料理のページをどうぞ!


レシピご披露の前に、ラディッキオ各種の姿をどうぞ。
写真はいずれもサイトから拝借です。

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一口にラディッキオといってもかなりの種類があり、
とりわけこの北イタリア、ヴェネトが本場なのでしょう、

上がかの有名な、ピッと白い剣の様なトゥレヴィーゾ種、

そしてヴェローナ種、

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ルンゴまたはカステルフランコ種の名でも通り、

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丸い玉がキオッジャ種、

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最後がヴェネト、の各種です。

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ラザーニャにするには、高価なトゥレヴィーゾ種は少しもったいなく、
これだけで冬の美味しい一皿、グリル、マリネ、グラタン風、
サラダにもと、様々に頂きます。       
      

ラディッキオのラザーニャ・Lasagne al radicchioのレシピは
各種見つかりましたが、写真付きがなかなかなく、材料が日本では
手に入り難いかと思われるものはやめにして・・。

見つけたサイトは写真つき(小さいめですが我慢!)レシピが簡単、
美味しそうでしょう?!

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サイトはこちら・Mammafelice  http://www.mammafelice.it

材料
ラザーニャ用パスタ
ホワイト・ソース 1L半
ラディッキオ・ロッソ 3株
モッツァレッラ 1個
パルミッジャーノ

1.ラザーニャ用の板状パスタを茹で、キッチンペーパーで水切り、 
2.ラディッキオを洗い、葉に分け、少しずつ湯どうしする要領で1分ほど
  さっと茹で、笊で水切りを。これで苦みが消え柔らかくなるとの事。
3.1L半の牛乳でホワイトソースを作りますが、少し塩味に。
       
4.オーブン用の皿に、まずホワイトソースを薄く敷き、パスタを並べ、
  ホワイトソース、ラディッキオ、小さい角にしたモッツァレッラを散らし、
  パルミッジャーノもパラパラと。
この層を3~4層に重ね、180度のオーブンに約20分で出来上がりです。

以前自分で作っていた時は(近頃は横着者で!)その時に手元にある
ラディッキオ・ロッソを使い、
まず玉ねぎを刻みオリーヴ油で炒め、これも刻んだラディッキオを加え、
さっと炒め、赤ワイン、スープの素を加え煮込みます。

で、これをホワイトソースと共にラザーニャの層にして、3層ほど。
一番上には、モッツァレッラを散らすか、無ければ薄切りのチーズを
適当にちぎって散らし、パルミッジャーノを振りかけオーブンに。

ホワイトソースも、電子レンジで簡単に作ります。
バター50~60gを30秒ほどでチンと溶かし、小麦粉大S2を混ぜ、
牛乳1カップ半加えてのばし、電子レンジに1分半、1分半、30秒と入れながら、
その都度かき混ぜて作り、この量で充分だったと。
それに、市販品という手もありますよね?!

ご家族の人数によりますが、まぁ日本人家庭であれば、上のレシピの量は
かなり多量ではないかと思いますので、そのあたりは適当に!



ついでに美味しそうなホウレン草とリコッタ・チーズのラザーニャ・
Lasagne ricotta e spinaciを。

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リコッタ・チーズは日本にもありますよね? あっさり味のお豆腐みたいな
チーズで、お醤油をたらして食べたりも!

材料
ラザーニャ用パスタ
ホワイトソース市販品
リコッタ・チーズ1個
ホウレン草 冷凍食品の塊6~7個
モッツァレッラ1個
ペコリーノ・チーズ 粉

1.ラザーニャ用パスタを茹でておきます。
2.ホウレン草を塩を加えて湯でさっと茹で、しっかり絞り、
3.リコッタ・ソースとミキサーにかけ、塩味を整える。
4.上のラザーニャと同要領で、ホワイトソース、パスタ、ホワイトソース、
  ホウレン草+リコッタ、モッツァレッラ、粉チーズ、で3層ほどにし、
5. 180度のオーブンで20~25分。

モッツァレッラは使う前に、ちょっと絞ります。
ぺコリーノ・チーズとあるのも、パルミッジャーノの粉チーズで十分かと。

こちらの家庭では、ラザーニャを茹でずに乾いたままで使いますが、
水気が出て柔らかくなるとはいえ、端の方はやはり固いですから
茹でた方が良いと思います。

このラザーニャ2種、是非一度お試しを!
作るのも簡単、市販のホワイトソースでもOKですし、食べても胃に重くなく、
寒い冬の日にはぴったりのご馳走になります!



簡単、蛸のサラダ・Insalata focilissima di polpo 

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肉を食べない私は、旅行中に海の幸のサラダなどを見つけると
「にゃぁおぅ!」と言いたくなる程狂喜しますが、
蛸のサラダの簡単レシピも見つけました。
皆さん既にご存じでしょうが、イタリア風もどうぞ!

材料
先茹でした蛸の冷凍品
オリーヴ油、塩
パセリ
ニンニク

1.既に先茹でしてある蛸の冷凍を30分程茹で、笊にとり冷まします。
2.ジャガイモも茹で、冷まし、好みの大きさに切ります。
3、一緒にオリーヴ油、塩、パセリ、ニンニクを加えて混ぜ、出来上がり。
日本のスーパーでは、確か蛸の足の茹でたのも売っていましたよね。
あれを使うと簡単ですし、夏以外は室温程度のサラダも美味しいですよね。
       


も一つ簡単で美味しそうな、カボチャの一皿カボチャとゴルゴンゾーラ・
Zucca e gorgonzolaをどうぞ。

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ゴルゴンゾーラというのは青かびチーズです、手に入りますよね。
こちらでは辛口と甘口とあり、辛党の私でも、これは甘口が美味しい!

材料
カボチャ
ゴルゴンゾーラ・チーズ(できたら、甘口を)
オリーヴ油、塩

1.カボチャの皮、種を取り小口に切り、ボールに入れ少しのオリーヴ油と
  塩を振り、混ぜます。(カボチャ全体にうっすらと油が回る程度)
2.オーブン用の皿に入れ、180度で30~40分程度、
  柔らかくうっすらとキツネ色になる程度。
3.ゴルゴンゾーラを適当に切り、カボチャにのせ、まだ温かいオーブンに入れ、
  少しとける程度で出来上がりです。
       
日本のカボチャと違い、こちらの長いカボチャは水気が多く肉も薄く、
美味しさは格段に落ちますから、
これを日本のカボチャでしたら、さぞ美味しかろうと・・!
    


最後はやはりパスタ、ベーコンとトマト、ソーセージのパスタをどうぞ!

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ベーコンとトマト、ソーセージのパスタ・Pasta con pancetta,
pomodoro e salsicciaと長い名前ですが、こちらのサイトで。
http://www.gustoblog.it/post/5688/ricetta-facile-primo-pasta-con-pancetta-pomodoro-e-salsiccia 
      
材料
200gのパスタ
玉ねぎ小 半分
ソーセージ
ベーコン50g
オリーヴ油 ほんの少々
生クリーム 大スプーン1
トマト 大スプーン2
パセリ、白コショウ、塩

1.パスタを茹で始め、と同時にソースに取りかかります。
2.玉ねぎを薄切りにしオリーヴ油で炒め、それにソーセージを薄切りに
  したのを加え、うっすらとキツネ色になりかけたらベーコンも加えます。
3.これでしばらく煮込みますが、大体パスタも茹で上がりとなりますね。      
4.パスタを笊にあげ、ソースに加え、トマトと生クリームも加え2,3分。
5.仕上げにパセリのみじん切りと白コショウ、で出来上がり!

以上、冬を乗り切るための!暖かいレシピのご紹介でした。
簡単なのばかりです、是非お試しくださいね!!

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・ n.2 トーディ ・ 中世の栄華の面影をつたえ 

今回も引き続き、ウンブリアの南西部に位置するトーディ・Todiのご案内を。
ご覧の通り400mの丘の上、華と咲き誇った中世の面影を濃く残し、
ギッシリと密な町、それがトーディ。

これは町から南に下った場所、麦畑の中に残るトラクターの輪の跡、
赤く咲き乱れるポピーの花・・、ああ、ウンブリアの春! 

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町の中心ポポロ広場にドゥオーモの建設が始まったのは12世紀からですが、
以前ローマ期の建物があった場所だろうと。

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ドゥオーモの内部を少しご案内。 3廊式で、ご覧の通り素朴なイメージですが、
薔薇窓が大変美しく、その下に見える大壁画が目を引きます。

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ミケランジェロの「最後の審判」に大いに影響を受けたと見られるファエンツォーネ・
本名 Ferrau` da Faenzaの16世紀後半の物。
他にもかなり有名作家の絵もあった様なですが・・。



それ以上に興味を引かれたのが、この円柱の柱頭部分の彫り。
上の写真でご覧の様に円柱は細いのと太いのと交互にあり、その太い方の柱頭に
様々な聖人様達が居られるのが、なんとも微笑ましい中世式プロポーションで!

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ですがこのキリスト様は、さすが、という神々しさで、彩色されていた様子ですね。

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ドゥオーモや鐘楼は火事や地震の災害を受けた様ですが、その素晴らしさを
増したのは13世紀後半教皇ボニファーチョ8世・Bonifacio VIIIの下においてだそう。
彼はトーディの司教ピエトゥロ・カエターニ・Pietro Caetaniの甥にあたり、
若い頃トーディに住んでいたとも。 こういう権力関係の繋がりの影響は凄いですね。
       


ドゥオーモの右脇に鐘楼があり、その横道を奥に行くと後陣の裏側に行きますが、
ここにまた中世がしっかりと。

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柱の彫り飾りが見事! さまざまな動物、人の顔が見張りをし続け。

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これなども人の顔と思うのですが、ご先祖様に近いようでもありワクワクします。

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同じ道筋にあった窓の下の、神の手。 静謐なイメージを伝えます。

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この脇道に小さなタバッキ兼の本屋があり、ガイドブックを求めたら、年配のご主人が
「トーディを知るには、歩く事」と。 はぁい、脚が攣る程歩きましたです!



という事で、もう一度町の地図をどうぞ!
町の中心のポポロ広場・Piazza del Popolo周辺をご案内しましたが、

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次はサン・フォルトゥナート教会・San Fortunatoに。 南からの町の眺めに
聳えていたあの教会です。
ドゥオーモ向かい側にあるプリオーリ宮の右脇の道を行き右折。
       
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素晴らしい眺めでしょう?! サン・フォルトゥナートは、町の守護聖人でもあり、
教会は丘の高台に位置し、下からの石段がジグザグに。

建設は13世紀後半から14世紀にかけてですが、15世紀に再度続きを。
正面の未完のむき出し壁が良い趣をかもします。



正面の大扉を飾るアーチの層・15世紀が素晴らしく。

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左側部アップをどうぞ。 残念ながら天使の顔は削られていますが、大変優雅。
向かって右には聖母の像があるので、受胎告知でしょう。
夕方近く、既に閉っており、結局そのまま中は見ずじまいに。

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で、突然ですが、このパオロ・ウッチェッロ描くところのヤコポーネ・ダ・トーディ・
Jacopone da Todiの肖像を。

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というのも、このサン・フォルトゥナート教会地下に、彼のお墓があるとの事。
ヤコポーネ・ダ・トーディの名は聞いた事があるだけで、町に行ってもよく確かめもせず、
ブログに書く為に調べ始め、俄然興味を持ち、例に寄りあれこれ追いかける羽目に!

その元も、このプラート・Prato(フィレンツェの北西)のドゥオーモにあるという壁画を
サイトで見つけた事に始まりますが、絵から受ける印象通り、大変な人物。
ご覧になる皆さんも、アッシジのサン・フランチェスコと共通のイメージ、
つまり清貧、頑固、狂信的熱情などをお感じでしょう?

ヤコポーネ・ダ・トーディはその名の通りトーディ近郊出身(1236(1230)-13060).
裕福な貴族の生まれで、多分ボローニャ大学で学び公証人、貴族の娘と結婚し
世俗の生活を享受。 が程無く
舞踏会場の床が抜け落ちての唯一の死者が彼の妻、その上妻が密かに
豪華な衣類の下に、贖罪の為の鉤の付いた帯(荒布の肌着と記したのもあり)
を身に着けていた事を知り、一挙に懐疑に陥り、
持物を全て貧者に与え、自分は世捨て人同然の喜捨を受ける生活に。
こうして10年後、フランチェスコ会派の厳格派に並びます。

ラウディ・Laudaeと呼ばれる93篇からなる神への賛歌の詩は中世イタリアの
宗教的文学と見なされ、中にあの有名な「スターバト・マーテル」も含まれているそう。

妻の死に関する逸話は半ば伝説の様ですが、も一つ欠かせないのが
教皇ボニファーチョ8世との関わりで、
お互いの青年時代にこのトーディで知り合いであった事は間違いなく、皇帝派と
教皇派の争いの幾つかで、若き日のボニファーチョが投げつけられた石で
頭に怪我をした、という話も。

その発展か、後にボニファーチョ8世に敵対するコロンナ家出身の司教ピエトロ・コロンナ
に与し、まさに戦争に発展。 捕らえら破門され、有罪終身収監に。
が、ボニファーチョ自身がアナーニ事件で憤死する顛末となり、
最後の3年間は自由の身に、そしてクリスマスの日に亡くなったと。
       
まさにまさに激しい中世の男、知り始めると興味しんしんで、あれこれ読んだのでした。


教会前左右にあるライオン像。 既に目鼻も定かではないですが、何か獲物を抱え。

12-105.jpg



高い位置にある サン・フォルトゥナート教会前から。
左手のこの建物も、素晴らしいでしょう?

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町中にはあれこれお土産物店が並び、やはりウンブリア名物の陶器が目立ちますが、
私は古い花柄織のクッションをひとつ。

14-086.jpg



少し、町中の通りの様子をご覧頂きますが、中心のポポロ広場から、
またはサン・フォルトゥナート教会からはどちらに行っても下りの坂道!
威圧感を感じる程に、狭い小路の両脇に聳える高い壁。 

15-117.jpg



そして中世の町、建物に特有のアーチの支え。 真ん中に見えるのは、どうやら
アーチの上下の建て増しで、きっと中に3階分ほどの部屋がありますね、これは。

16-015.jpg

なんと呼ぶのか、イタリア語の先生アンナリーザに尋ねると、彼女も知らず
サイトで調べてくれ、結果は単に「アーチ」らしいと。

町で買って戻ったガイドブックにも、この支えの写真がずらっとあり、
それにはトラヴェルサ・Traversa・支えと。
ですが、その言葉で検索をかけるとまた少し違うようで、
今は使われなくなった建築様式ですし、元々名前もあやふやなのかも。



道も曲がりくねり、建物も出たり入ったり、支えの壁もアーチも、
自由自在に架け渡され。

17-010.jpg



人通りも中心広場と目抜き通り以外では殆ど見かけず、ですが、ひとつも危ない
感触はありません。 住みやすい町の一つにも数えられているそうで、
偶に出合う人も、写真の邪魔にならぬよう気を配ってくれ、恐縮する事もあり。

18-008.jpg



サン・フォルトゥナート教会から、中心方向に戻り南に下る一帯がとりわけ
古い中世の面影を残すそうですが、まさにその通りで、こんな坂道が縦横に。

19-112.jpg

今、お歳を召したお洒落なシニョーラがゆっくりと下って行きます。



これはサン・フォルトゥナートから西に下った辺りだったと。
私の写真では特別に狭い小路はありませんが、ガイドブックには、人1人やっとの
石段道もあり、それには「猫や犬用サイズの道」との説明で笑いました。

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サン・フォルトゥナートから西への広い道、ヴィア・チュッフェッリ・Via Ciuffelli.
銅製品の店ですが、少し色が飛んでしまい残念。

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ヴィア・チュッフェッリを少し下ると、展望台風に開けた公園があり、
町のドゥオーモの奥から西側部分がこのように。

22-031.jpg

この公園の下に広い駐車場があり、ケーブルカーが連絡していますが、
先に知っていたら、町の真ん中に陣取る事が出来、見物もしやすく、
食事の為に坂道を上り下りする事もなく、脚が攣る事もなく! ははは。

食事で思い出しましたが、コルソ・カヴールからポポロ広場に近い右手に
ピッツァ、レストラン・カヴール・Pizzeria Ristorante Cavourというのがあり、
Corso Cavour 21. Tel 075-8943730
       
ここで2回食べましたが、美味しかった!
茸のオムレツの美味しさが忘れられず、7月のウンブリア旅行でアックワスパルタ・
Acquaspartaに行き、少しがっかりの町で、Todi 18K とある道路標識を見て、
よしもう一度あれを食べようと走り、駐車場を探し回り、また必死の坂登り!
で、着いたら夏休みで閉めていて、力が抜けた記憶が。 はへぇ。

ポポロ広場周囲には他にも美味しそうな店がありましたが、どこも夕食の始まる
時間が遅く待ち切れず、試すチャンスがありませんでしたぁ。



公園の城壁の上、鳩が温かい石の上で膨らんで。 町が高いせいか風が結構強くて。

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公園のマロニエの花。

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下の平野を見下ろして。 こちらは町の北側。

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ドゥオーモから北に、そして東に下る坂!

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上の写真の坂道の途中から右に入って行くと、古い城壁の下の広場に。
この一帯如何にも古い家が並び、段差をつけ下に広がり、なんとも趣深く、
行ったり来たり、アーチをくぐりまた戻りし。      

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これが広場西の、どうやらエトルスク期の壁。 壁の上に道があり建物が並ぶ、
町の段差の様子がお分かりでしょうか。

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トーディの城壁は、エトルスク、ローマ、中世と3重に重なリ、外に広がります。



同じ広場の南角。 この高さ、この威圧感。

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中心のポポロ広場からコルソ・カヴールを下り、道の名がヴィア・ローマと変わり、
このカテーナ門・Porta Catena.

30-040.jpg

ここから道の名がヴィア・マッテオッティ・Via Matteottiとなり、長~い坂道が
町の東下まで続きますが、この門の外すぐ左手に入り込むと、



多分ローマ期の城壁の外側の道にでて、先回ご覧頂いたアウレーア門外まで
続きますが、見上げる高さの家並が続き、左手柵の下にも家並。

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この城壁外の道から、最初入って来たアメリーナ門を。
門の外は新しい家並、新しい町で、門の中は中世。

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これは、サン・フォルトゥナート教会から南に下った所のリーべラ門・
Porta Libera辺りから南を眺め。

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町の南の門アメリーナを出た道は一旦下り、大きくカーヴを描きながら南の山に上り、
消えて行きます。そして、山の上にはどうやら塔の形が。

こんな道を見たら行ってみたくなりませんか? どんな村を通り、何処まで行くのか。
ええ、半日この道を辿りましたら、まさに中世そのままの村が幾つか。
チャンスを見て、またご案内いたしましょう。



トーディの町の坂下、西端にあるルネッサンス様式の教会サンタ・マリーア・デッラ・
コンソラツィオーネ・S.M.della Consolazione.
正式な記録は無いものの、ブラマンテの手も加わっていると言われます。

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南への道を辿る途中から、トーディの町を。
       
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まさに中世がギッシリと詰まり、今なおゆったりと息づく町、
素晴らしさは期待以上でしたが、上手くご案内できたでしょうか。
少し交通が不便ですが、是非お出かけください!


◆*◆*◆

ADSLの接続が遅れ、業を煮やし他の店に依頼、
遂に先週金曜より1年ぶりに現代社会復帰のshinkaiで~す!
やはり、早~い!! 写真の多い我がブログもするすると!
若いお兄ちゃんではありましたが腕は確かで、日本語表示の我がPCも
何の事なしするすると。 うむ、次回もここに頼む事にするべ!

お天気の良かった土曜にはジョルジョーネ展に。 今年が没後500年なのですね。
彼の生まれたカステルフランコの小さな町は、ジョルジョーネ展一色に染まり、
人出も多く賑やか。

絵以外にも記録文書や道具類の展示など大変興味深い展覧会で、
お昼のラディッキオのラザーニャも美味しく! 満足し、夕暮れぎりぎりに家に。
こちらも整理の後、ご紹介をと思っています。

カステルフランコの町 ・ ジョルジョーネ展
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462522712.html
   
 
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・ n.1 トーディ ・ 中世の栄華の面影をつたえ 

今日のご案内は、ウンブリアの南西部に位置する トーディ・Todiを。
ご覧の通り400の丘の上、華と咲き誇った中世の面影を濃く残し、
ギッシリと密な町、それがトーディです。

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2年前に訪れた後、自分の中の消化不十分でご案内が遅れましたが、
お正月にトーディが舞台に使われた映画「華麗なる激情」、ミケランジェロと
ジュリオ2世の葛藤をご紹介しましたので、今回遂に。

上手くご案内を、と長くなり2回に分け、今日はその1を。
お茶など入れて、ごゆっくりご散歩をお楽しみ下さい。
  
          

トーディ・Todiの町はどこにあるか、
ローマ・ペルージャを結ぶ幹線上の、オルヴィエートから東に37kの位置に。

2-to2.jpg

町への行き方は、最寄の国鉄駅はペルージャ・Perugiaか、テルニ・Terniで、
そこからバス利用で、時刻案内のサイトを。
ペルージャ - トーディ 南へ45k
http://www.fsbusitalia.it/content/dam/fsbusitalia/documenti/umbria/orari/orariinvernali2019/extraurbani/012-Extra_Perugia_Ann_Bacino1.PDF
但しこれは冬時間の時刻表で、夏時間は5,6月ごろに出るものと。 2019.9

テルニ - トーディ 北へ43k
以前のサイトは見つからず、今回時刻表は見つからず。

ローマからはFLIXBUSの時刻表が見つかりました。 昼と夕の2便ある様子で、
このバスはかなりの都市間を連絡し、安い料金で利用できる様子です。 2019.9

オルヴィエート - トーディ   
https://www.rome2rio.com/it/map/Orvieto/Todi   2019.9

追記: バスの時刻表を探し回りました。 以前のアドレスはどれも見つからず、
    かなり事情が変わっている様で、新しく見つけたのも有効かどうか分からず
    の状態です。 もし行かれる方は一度サイトをお試しの上、検索願います。
    2019.9
   
    

トーディに行ったのは2008年の5月と7月初旬、3泊したのは5月で、
宿は町の南から続く急坂を下った場所でした。
Telで訊ねると、写真に見えるアメリーナ門・Porta Amerinaから50m程との事
でしたが500mはあり! しかも物凄い急坂!!

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おいおいご覧頂きますが、門から中心のポポロ広場までも喘ぐ程の急坂!
日頃プール体操で鍛えてはいるものの、3日間の滞在中4回往復しましたら、
脚が攣りましたぁ! 本当に!! 宿の取り方についても後ほどご助言を、はい。

見えている教会と鐘楼は、サン・フォルトゥナート・S.Fortunato.



アメリーナ門を通り、再び見上げる教会と鐘楼。 まずは中心広場まで参りましょう。
町の地図は最後にご覧を。

4-1-004.jpg



突き当たった道を右に。 そう、こんな坂道が続くのですよぉ!

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アウレーア門・Porta Aureaがあり、この左手から古い城壁の外の道に出て、
眺望を楽しむ事もOK。

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町の繁栄拡張に伴い何度か市壁が外に築かれ、古い市壁が町の中に残り、
いずれも圧倒的な存在感!



この狭い入り口階段は、多分両側の家の間を通り上階にある家に続くものと。

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トーディの町は元々エトルスクが起こりで、ローマのコムーネとして紀元前より
大いに繁栄。 ロンゴバルド期には一時衰退しますが、その後中世に入ると
自由都市として最大の繁栄期を迎えます。

1000年前後よりの商業交易、手工業の大繁栄は、14世紀に教皇領となると
次第に緩やかに退廃したと言われます。
       
人口も現在は2万人足らずですが、中世の最盛期にはその何倍もあったとか。
今に残る重々しい城壁、高い建物の壁はその歴史を物語ります。

封建領主としては、アルノルフィ・Arnolfi、モンテマルテ・Montemarte、
リ・アッティ・Gli Attiなど、教皇領になってからはマラテスタ・Malatesta、 
フランチェスコ・スフォルツァ・Francesco Sforza等が町に名を残します。

さて、この紋は何家だろ?

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坂道を上る途中、右に小さな広場と教会があり、外の壁にも聖母のフレスコ画
が見えますが、中にこの13世紀木製の素晴らしい聖母子。

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サンタ・マリーア・イン・カムッチャ・S.M.in Cammuccia教会といい、
ドメニコ会派の修道院であったそう。



やっとの思いで突き当たり迄行き、左折。 この道がここではヴィア・ローマ・
Via Roma、もう少し先でコルソ・カヴール・Corso Cavourと名を変え、
中心のポポロ広場・Piazza Popoloまで。

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この道がいわば目抜き通りで商店などが並びますが、見える門はマルツィア門・
Porta Marzia. 優雅な透かし彫りは、この町には少ないルネッサンス様式と。



門を過ぎて見える形。 優雅なテラスは、古くからのエトルスクの門の上に
後に付け加えたもの。

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コルソ・カヴールからの左手への道。 どの道も、坂道と階段道で、
幾重にもアーチが続きます。

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マルツィア門の手前から右手に下る町の東下部にメルカート・ヴェッキオ広場・
Piazza del Mercato Vecchioがあり、
そこにローマ期のニッキオーニ・Nicchioni・大壁龕、の遺跡。

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現在は駐車場と化していますが、ローマ期のフォーロ・Foro・集会場であり、
この写真ではよく見えませんが、アーチの上部分に様々な彫があり、
かっては町の崖部分の強化でもあり、そしてテラスでもあったろうと。

今は上に中世部分の建て増しと見える家が並びますが、広場からは見上げる
高さで、やはり大変な存在感。



トーディの町の海抜は400m、周囲の丘を見下ろす高さに位置します。
町の北から来て、丘の急坂を上るのに車のスピードを2~1に入れ替えないと、
上らなかった記憶が!

13-027.jpg



コルソ・カヴールに戻り、再び中心広場に向かいます。
これはチェジーアの泉・Fontana Cesia、またはデッラ・ルーア・della Ruaと。
壁の上は、町の中心広場の端に当ります。

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イェイ、遂にポポロ広場・Piazza del Popoloに到着。
正面奥に、美しい薔薇窓を持つドゥオーモ。

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ポポロ広場は長方形に広がり、奥にこのドゥオーモ、右側にカピターノ宮・
Palazzo del Capitano・執政長官庁と、ポポロ宮・Palazzo del Popolo・
いわば市民会議所が並びます。

広場の南にはドゥオーモと向き合う形でプリオーリ宮・Palazzo dei Priori・
行政官庁と、昔も今もまさに町の中心広場。



ドゥオーモ正面、下側部分。 建設が始まったのは7世紀、完成が9世紀。
ですがその後も手入れが続き、この石段は18世紀に造りかえられた物と。

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正面壁の上側、シンプルなロマネスク様式で美しい大きな薔薇窓・1515年が1つ。

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入り口、16世紀の木彫の大扉の部分。 両脇の彫り物デザインが素晴らしい。            

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入り口扉上のアーチ飾り部分。 キリストがギロッと睨み。

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石段の、若い女性2人。

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私も石段に腰を下ろし、広場のカッフェに憩う人々を。
中高年グループ、若い人たちとさまざま。

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カフェのある側の建物の壁に、中世の方々の顔があれこれ、今もそこにお出でで。

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名前が読め、どんな人だったのかを知る事ができたら・・!



ドゥオーモからのポポロ広場の感じが、お分かりでしょうか?
正面がドゥオーモに向かい合うプリオーリ宮、13世紀の建設で、右側が
14世紀前半に増設拡張、塔も14世紀後半に。

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修復された白く美しい姿で、3階部に見える青銅の「羽を広げた鷲」が
トーディのシンボル。

建物右の道には商店が並び、サン・フォルトゥナート教会に繋がります。
       
建物左に見える隙間が下からやって来たコルソ・カヴールで、その左の階段の奥の
建物がパラッツォ・デル・ポポロ、階段横手前の建物がパラッツォ・デル・カピターノ。

この階段の見える広場の部分が、ミケランジェロと、彼にシスティーナ礼拝堂の壁画を
描かせた教皇ジュリオ2世の衝突と友情を描いた映画「華麗なる激情」に
何度も登場しておりました。



右、パラッツォ・デル・ポポロ、左が、パラッツォ・デル・カピターノ。
この並びが、何とも言えず良い雰囲気!

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右のポポロ宮はコムーネ宮ともかっては呼ばれ、自由都市時代に市民集会が
ここで行われたといい、建設が1213年に始まり、この種の建物としてはイタリアでも
最も古い時代に属するひとつだそう。

現在は1階部分にインフォメーションがあり、建物右に見える空間はガリバルディ広場で、
こちら側に郵便局があります。

左のカピターノ宮、ここは一階奥のエレベータで上がると、市立美術館、
エトルスク・ロマーノ博物館が。 美術館はともかく、博物館が素晴らしかった記憶が。



カピターノ宮に3つ並ぶ優雅な美しい窓。 そして一つの窓がまた3連窓に。
円柱の上の飾りも細やかに。

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トーディの町を見たい、と思ったのは、中世に大きな繁栄を遂げ、人口も現在の
何倍もあった事、アッシジ近郊で前年に出会ったシニョーレが
「トーディに行きなさい。あそこは素晴らしい!」等など色々ありましたが、

何よりも、この素朴な大階段を実際に見たかった事が大きな原因でもあるのです。
階段以外の何物でもない、この豪快さ! 残念な事に、プラスティックの柵が付けられ。

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町に到着したのは日曜の午後で、カピターノ宮の上からコーラスが聞え、
たくさんの人々が詰めかけており、横から1枚美人を撮り退散。

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翌日は美術・博物館は閉館で、最後の火曜日に意気込んで行くと、
ガイドブックでは見れると書いてあるカピターノ宮は、市の会議場なので入れないと。
あのコーラスのあった部屋の壁画が見たかったのに、と美術館の受付で言うと、
下の事務所に行って訊ねてご覧なさい、と教えてくれ、その通り行くと、はいはい、と。
という事で、見せて頂けた美しい部屋。

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フレスコ画、14世紀の部分アップ。 サン・セバスティアーノがいて、上の紋章にも
ライオンらしきものが見え、黒い顔らしきものは、サルデーニャ島に関係あるのかな?
右側にあった磔刑図も素敵でしたが、略です。

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会議室の奥から、広場側の窓を。 3連の窓と広場の向こう側側の建物の屋根。
いかにも繁栄した町の面影が、ゆったりと。

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美術・博物館内は写真禁止でしたが、こういう部屋で写真を撮るなというのは、
これはもう、生殺し同然で、せめて一枚だけでも!と。

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正面の壁画は、これがトーディの町を囲み小さな砦、要塞、城館のあった地図で、
素晴らしく数多くあったのですね。
半日近所を巡りましたが、中にはヴェネトのかのエッツェリーノ・ダ・ロマーノに因む
イッツァリーニ・Izzaliniという小さな城砦の村もあり、またご覧頂きたいと。
      
エッツェリーノ・ダ・ロマーノ ・ Ezzelino da Romano III
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461059981.html



カピターノ宮の一階部分はロッジャになっていて、存在感ある大階段が横切ります。

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天井部分には、こんな煉瓦の交差アーチ。

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ポポロ広場から西に入り込む小路があり、細長い小さな広場に出て、
見かけた古い素朴な井戸。

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で、この広場の右手に小さな博物館の入り口があり、
なんと、ローマ期の地下井戸、貯水池なのです。 ちょうどポポロ広場の地下に
当るそうで、町にはもう一つ、西の部分に平行してあるのだそう。
雨水を貯め、井戸水にも利用する大規模なこの工事は紀元前1世紀のもので、
2つが同時に作られた模様。

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ポポロ広場のこの地下貯水池は1262年に、もう一つはつい最近1996年に発見
されたそうで、ちょうどポポロ宮やカピターノ宮の建設が行われた当時に発見され、
中世から有名だったと。

長さ48mが12のタンク、各7,7x3,35x6,7mに区切られ、満水だと2500立方の水が
貯水できるそうで、この貯水池から町の500の井戸、30の貯水池にも繋がる
大変な都市の基本計画に繋がるものなのでした。

ローマ人というのは、まったく凄かったですねぇ!! 今は貯水は干され、
こうして階段を下り見学できます。



町の地図をどうぞ!

36-816.jpg

今日は下に見えるアメリーナ門・Porta Amerinaから入り、突き辺りを右に、
Via Romaから左に上ったポポロ広場・Piazza del Popoloまでご案内を。
長い坂道、お疲れ様でしたぁ! また次回を、お楽しみに!

   
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・ ヴィットリオ・ヴェネト ・ 町と四季と 

今日はお隣のヴィットリオ・ヴェネト・Vittorio Venetoの町のご案内を、
昨年秋に手に入れました写真集からです。

予てから訪問したかった町の博物館見学で、内部が大変素晴らしく、
ガイドブックはと訊ねましたら、これは? とドンと厚い大版を取り出し、
アブルッツォの地震災害基金用に、最低10エウロからお分けしています、と。
ではと20エウロを払いましたら、修復出来たばかりの礼拝堂の見学もOKに。

肝心の博物館内の写真は無いのが残念ですが、歴史ある町の様子と、
町周辺の四季の様子をどうぞ!

Vittorio Veneto ・ Le ragioni di un antico orgoglio.
ヴィットリオ・ヴェネト・古い誇りの多くの理由 という写真集のタイトル。

こちらは町のパンフレットからで、フラミーニオ広場・piazza Flaminioで、
チェーネダ博物館・Museo del Cenedeseは、正面右端3連アーチの建物で、
ご覧のようにすぐ後に険しい岩肌の山が迫ります。

1-49.jpg



ヴィットリオ・ヴェネトの町は、地図は最後にご覧頂きますが、2つの隣り合った町、
南のチェーネダ・Cenedaと北のセッラヴァッレ・Serravalleが1866年に合併し、
時の国王ヴィットリオ・エマヌエレ2世の名を頂き、ヴィットリオとして発足。

後にヴェネトと付いたのは1923年の第1次大戦後、「大戦争」と今も呼ばれる
オーストリアからの独立を勝ち取り、新しくコムーネとなってからの事。

第1次大戦では北イタリア一帯が大激戦地帯となりましたが、
このヴィットリオ・ヴェネトの町の中心のポポロ広場にも戦没者の慰霊碑があり、
この写真では現ナポリターノ大統領が慰霊のローリエの輪を奉納中です。

2-01.jpg



最初の写真に見える、チェーネダ博物館、15世紀。

3-07.jpg

チェーネダとセッラヴァッレは、隣同士とは言え趣がずいぶん違い、この博物館も
いわばセッラヴァッレに含まれる大変美しいフラミーニオ広場に面し、
建物はコムニタ邸・Palazzo della Comunità、ヴェネツィア共和国時代には
執政長官の本拠でした。

ご覧のように大変に美しいフレスコ画と窓、テラス。  真ん中一番上には・・、



ご覧の通り、サン・マルコのライオン君で、浮き彫りに彩色されていた様子。

4-41.jpg

数年前修復が済み美しい姿ですが、内部2階の大きな政治集会の部屋は
まだ修復中で閉じていましたが、20エウロの寄付と好奇心に満ちた顔の前に
鍵を開けて見せてくれ、素晴らしかった!

天井の高い、紋章がずらりと描かれた大部屋で、修復が済んでの一般公開が
待たれます。

内部の博物館には絵画館も併設で、チェーネダ出身のロレンツォ・ダ・ポンテ・
Lorenzo Da Ponte、モーツァルトの3大オペラ、「フィガロの結婚」、
「ドン・ジョヴァンニ」、「コシ・ファン・トゥッテ」の作者の肖像画も。

彼はチェーネダのユダヤ人コムーネ出身で、父親のカトリックの婦人との再婚に伴い
一家が転宗、洗礼を施した当時の司教ダ・ポンテの姓を贈られ、彼はロレンツォ
という司教の名も受けます。

この司教は、チェーネダの準公爵の勢力を持つ最後の司教で、彼の没後は
ヴェネツィア共和国の直接の統治を。
       


パラッツォ・コムニタに隣接する、市の塔の時計部分。

5-26.jpg

この時計は15世紀末の物で、イタリアで最も古い時計の一つ、勿論現役。
ゴシック様式にアラブ数字で、24時間表示!



フラミーニオ広場を、博物館側から。

6-07.jpg

周囲をゴシック様式の建物が取り囲み、左手前がチェザーナ邸・Cesana、
かってはフレスコ画で装飾されていたそう。

右後にはドゥオーモ・Santa Maria Novaと鐘楼。 
一見質素に見えますが、内部には・・



ティツィアーノの祭壇画、栄光の聖母子像、1452年。

7-04.jpg

はい、この小さなセッラヴァッレの町はかっては商工業の中心地で大いに栄え、
大きな邸宅が目白押しに並びます。

北国からの街道が、谷間の括れ道を抜けるとこのセッラヴァッレで、
金属産業、とりわけ武器製造が盛んで、16世紀には1つの工場だけで、
1年間に各12000本の剣と火縄銃の生産が出来たとか。
       
その経済力で芸術家の滞在をもてなし、一見小さな町に多くの著名画家の作品、
ルーヴェンスなどもあるのだそう。



水の流れ水量も豊富なので、羊毛紡織業も盛んで、現在も工場が活動中。

8-54.jpg

これはフラミーニア広場の北東の端にある特徴あるガンディーニの家・
Casa Gandiniと呼ばれるセッラヴァッレの一番古い住居の一つだそう。
傾いだ感じが、趣深く。



お祭りの花火。 セッラヴァッレに因む聖女サンタ・アウグスタのお祭りの様。

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この礼拝堂を見せて頂けたのです。 フラミーニオ広場から少し南に行くと
時計塔の付いた市門があり、長らく修復中だったのですが、その下に
このサン・ロレンツォ教会、礼拝堂があり、こちらも修復され、
写真よりもっと色鮮やかな美しいフレスコ画に蘇っていて!
       
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内部全面フレスコ画で覆われ、15世紀、教会の名に因み、サン・ロレンツォの
逸話があれこれと。 何人かの画家の手になる様ですが、なかなかの出来。


セッラヴァッレの町に入る場所ですが、目抜き通りの裏側が見える場所。

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手前を流れるのがドゥオーモ前からのメスキオ川で、この一帯いかにも中世の趣で、
ここの眺めが大好きです。



上の写真の手前を右に入り込んで行くとこの通りで、重々しいゴシック様式の
建物が並びます。 突き当りを直角に折れ、ドゥオーモの横に出ます。

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一番上の写真の、正面に博物館の見える右手前で道が2本合流していて、
北からの街道が市門を通って来るのと、坂道を上り、セラヴァッレの古い城に
続く道とが合流します。



坂道を上っていくと、この写真のように古い建物、小路、そして、かってのゲットーも。
ローマ期からの移殖に始まる町ですが、古くから要塞化され、12~14世紀には
ダ・カミーノ・Da Camino一族の支配下に。

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ダ・カミーノ家は幾つもの家系があり、一時は広大な領土も治めた様ですが、
まだよく飲み込めておらず、ご説明は次回のチャンスに。



これはセッラヴァッレの上の町にあるサンタ・ジュスティアーナ教会・Santa Giustiana
のダ・カミーノ家最後の当主リッツァルド6世・Rizzardo VIの記念墓碑。 
男子の跡継ぎを残さずに死去で、ここにダ・カミーノ家は途絶えます。

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ヴィットリオ・ヴェネトの町は、トゥレヴィーゾ県内でも一番広範囲だそうで、
平野から山にかけて広がる眺め、風物がずいぶん違う様子で、
鄙びた田舎家の井戸の池もあり・・

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先日の雪ではこんな景色の再現も、と納得の眺め。 少し山側に入り込むと、
こんな古い家が幾つも。

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ヴィットリオ・ヴェネトの狭い山間を抜け、谷の道を辿り峠を越すとベッルーノで、
その谷間を、高速道路がうねりながら抜けて行きます。

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再度坂下に戻り、南にある現在の町の中心に向かいます。
フラミーノ広場からの目抜き通りには、かっての繁栄を示す大きな名のある
建物が並びますが、これは夏の夜祭の様子。

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石畳の狭い道が続きますが、並ぶ建物の窓やテラスはご覧の通り。

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夏の夜祭で見て頂いた右の建物が、ミヌッチ・デ・カルロ邸・
Palazzo Minucci De Carloで、博物館。 膨大なコレクションがあり、
一度見ましたが、呆れるほどの世界中からのコレクションで!

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ナポリターノ大統領の慰霊碑参拝の写真の上奥が公園で、ジェラートを
舐めながら憩う市民でいつも賑わい、国鉄の駅も一番奥に。

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中心広場周辺に新しい建物が並び、市役所、郵便局、バス駅等。
これは、カーニヴァルの山車。

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カーニヴァルの山車の行進には、紙吹雪がばら撒かれ、道はまさにこんな様子に。
チビちゃんは寒さを感じないのかな?

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ヴィットリオ・ヴェネトの町では、毎年国際合唱コンクールが行われるそうで、
こんな素敵な後姿の写真も。

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ラ・レンガ・La rengaと呼ぶ、カーニヴァル期間中の催しとでも。

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レンガと言うのは、アリンガ・ニシンを指し、ニシンとポレンタとポロ葱の、昔の貧しい
食事を偲び、レストランでも、ニシンを主にしたメニューが出るそう。



ニシン、ええ、美味しそう!

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子供の頃、長野で生ニシンの焼いたのを食べた覚えが。 昆布巻きの中の
固い身ではなく、柔らかい身の記憶があります。
今年のラ・レンガ、味見に行こうかな?



では、ヴィットリオ・ヴェネトの南部分。チェーネダに。
現在の町の中心広場から南に少し、そして西に坂道を行くと、
このジョヴァンニ・パオロ1世広場・Piazza Giovanni Paolo I に。

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先々代の教皇様ジョヴァンニ・パオロ1世は、この聖堂の司教様でしたが、
教皇選出の後、わずか1ヶ月で(謎の)ご逝去を。



山の上に、ロンゴバルド期のサン・マルティーノの城があり、
15世紀にチェーネダの司教伯爵の住居に。

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チェーネダの歴史もローマ期より変遷を辿りますが、10世紀半ばに司教伯爵
として広大な領土を持ち、14世紀初めにトゥレヴィーゾ領主のダ・カミーノに
一部領土を奪われるものの、ヴェネツィア共和国の下でもそのままの勢力を、
殆どセレニッシマ崩壊直前まで保ちました。



昔一度内部を拝見するチャンスがあり、この美しい部屋は良く覚えています。

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正面奥に見える紋章はパドヴァのカッラーラ家ですが、ここにあるというのは、
カミーノ一族の後にパドヴァのカッラーラ家が来たという事だろうと、想像を。



同じくジョヴァンニ・パオロ1世広場にある、ロッジャ・チェネデーゼ・
Loggia Cenedese. 16世紀の物で、現在は第一次大戦の博物館に。

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1階のロッジャには、16世紀のポンポーニオ・アマルテオのフレスコ画。

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こちらは少し離れた位置にある教会サンタ・マリーア・デル・メスキオ・
S.M del Meschioの大変美しい祭壇画。

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ベルガモ出身のアンドレア・プレヴィターリ・Andrea Previtaliの
傑作と言われる作品で、1514年作。



美しい四季の写真もありましたので、少しご覧に入れますね。

言わずもがな、春。

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夏の葡萄畑。

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そして、秋。

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もう一枚、美しい秋を!

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晩秋から初冬、霧の季節。

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雪の山道。 子犬が2匹。

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1月5日の夜の、パン・エ・ヴィン。 素朴なパンと、熱い香ばしいヴィンブルレが
振舞われるイタリア版のとんどで、煙の向きで今年の作物予想を。

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つい先日行われたばかりで、今は待春の想い!



地図をどうぞ。 少し見難いですが、このヴェネト周辺と、

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ヴィットリオ・ヴェネトの町、南がチェーネダ・Cenedaで、真ん中に国鉄駅・
Stazione F.S、公園、市役所があり、北にセッラヴァッレ・Serravalleが。

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・ 年初めのお休みは、お家で映画を!

皆様、新年明けましておめでとうございます!
今年もどうぞよろしくお願いいたしま~す!!

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良いお正月をお迎えの事と思います。
お家でゆっくりお寛ぎの方も多いと思いますので、
好きな映画、DVDのご紹介で、今年のブログ初めを。


カレンダー・ガールス
 ・2003年 英
 ・ナイジェル・コール監督 
 ・ヘレン・ミレン、ジュリー・ウォルターズ

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年初めに相応しいかどうか、ははは、「カレンダー・ガールズ」

若いピチピチ美人のカレンダーではなく、中年も半ばを過ぎた婦人会の
メンバーが、ヌードのカレンダーを作ります。

さて、何故に? 周囲の反応は? ちょっぴりの皮肉と、涙と、
女の友情と。  大人の心にはちょっぴり沁みます。



◆ シカゴ
 ・2002年 米
 ・ロブ・マーシャル監督 
 ・レネー・ゼルウィガー、リチャード・ギア、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ

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ミュージカル映画も好きですが、これは素晴らしい!
皆さん芸達者で、踊りのシーンが素敵です。
昔風の舞台構成も使いながら、テンポが速い。

ミュージカル映画がお好きな方、そうでもない方、お勧めです!



◆ フットルース
 ・1984年 米
 ・ハーバート・ロス監督
 ・ケヴィン・ベーコン、ロリー・シンガー

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音楽映画なら、この「フットルース」も持ってます。 映画の筋よりも、
中に使われている音楽が今聞いても懐かしく、心が弾みます。

最初のタイトル・バック・シーン、 テーマ音楽に乗って踊る若者達の
足元のシーンが続く、これだけを時に見たりして。 



◆ 野のユリ
 ・1963年 米
 ・ラルフ・ネルソン監督
 ・シドニー・ポワティエ、 リリーア・スカーラ

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秋に、フィレンツェのドゥオーモの後にある、聖書、聖人関係の有難い本が
多い本屋さんのウインドウに見つけ、・・まぁ、尼僧さんが出ますが、
再見し、新鮮な感動を再び! 

黒人の流れ者労働者が、東欧からのしたたかな尼僧長に上手く使われて、
古い教会の再建を、という面白くも素敵な映画です。
       
ご覧になられた事のないお若い方、是非どうぞ!
エーメン!
 


◆ 世界最速のインディアン
 ・2005年 米、ニュージーランド
 ・ロジャー・ドナルドソン監督
 ・アンソニー・ホプキンス
       
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プレゼントに頂いたのでタイトル写真なしですが、実話が元という、
バイクの世界記録に挑戦、実現するバートの素敵な話。

1920年型の古いバイクを改良するバート自身も、豊かではない
年金生活者。 でもね、心意気がかっこ良いのです!
その生きる姿勢に、励まされます!



◆ 最高の人生の見つけ方
 ・2007年 米
 ・ロブ・ライナー監督
 ・ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン

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暫く前のコカ・コーラのCM。 年配の男性がコーラを初めて飲み、
味に驚き目覚めます、 「今までした事の無い事をしよう!」
       
で、刺青をする、大型バイクでぶっ飛ばす、両脇に美女2人でベッドイン、
訪ねた家で「息子よ、俺が父親だ」と。 あはは。
大いに笑いましたが、このDVDを見て、そうか、これがオリジナルか、と。

日本語タイトルを探し、「最高の人生の見つけ方」と知りましたが、

こちらでは「決して遅すぎる事はない」
この言葉、良いでしょう? 本当に良く使われるのですよ!



◆ エリザベス: ゴールデン・エイジ
 ・2007年 米 
 ・シェカール・カプール監督
 ・ケイト・ブランシェット、ジェフリー・ラッシュ

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英国の繁栄を築いたエリザベス女王の映画は、この前作の「エリザベス」や
その他色々ありますがやはりこれが最高かも。

女王でありながらの女の辛さも、余りベタベタせず、
当時の英国の位置もかなり分かりやすかったような。



◆ イル・メスティエーレ・デッレ・アルミ
 ・2001年 伊
 ・エルマンノ・オルミ監督
 ・Hristo Jivkov、セルジョ・グランマーティコ

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これは日本公開がなかったのでしょうか? 残念です。
「木靴の樹」「酔いどれ天使の伝説」でも有名なエルマンノ・オルミの作品。

Il mestiere delle armi は、「戦いが仕事」とでも。
イマイチ良い日本語が浮かびませんが、
       
最後の傭兵隊長とも、「黒旗のジョヴァンニ」とも呼ばれる
ジョヴァンニ・デ・メディチ・Giovanni De'Medici、       
カテリーナ・スフォルツァの息子、トスカーナ大公コジモ1世の父、
の最後の戦闘、亡くなる様子を描いていますが、
カンヌ映画祭でも受賞9、という素晴らしい映画。

寒い雪景色のマントヴァ周辺のシーン、
戦闘状態が鉄砲や大砲に移り変わる時代の若い死。
フィレンツェのサン・ロレンツォ教会前の彼の彫像で、なんとなく中年男を
想像していましたのに、なんと27歳の死。

母のカテリーナも彼が幼い内に亡くなり、彼自身も7歳の息子を残しての死。
哀切極まりなく、当時の戦う男達に想いが行きました。



◆ 華麗なる激情
 ・1964年 米
 ・キャロル・リード監督
 ・チャールトン・ヘストン、レックス・ハリソン

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こちらでのタイトルが「苦悩と歓喜」で、ずっとそう思い込んでいましたが、
検索にまるで違うのがかかり・・、

ミケランジェロが、教皇ジュリオ2世と喧嘩腰でやり取りしながら、遂に
システーナ礼拝堂の天井画を完成させる模様が大変よく描かれています。

この大人物の2人が喧嘩しながらも相手を認めるのが、興味深く可笑しく、
ジュリオ2世役のレックス・ハリソンがとても良いのです。
歴史の本の中の教皇が、近しい人間に、男を感じます。

残念なのは、描かれたばかりの筈の天井画のシーンが、
以前の古い茶色がかった天井画で!
修復後の、あの鮮やかな素晴らしい色を見れる我々には残念至極。

ローマとして描かれている町は、ウンブリアのトーディ・Todiで、
中心広場が上手く使われています。
現在の町は修復され、映画の中よりも白くなっていますが!



◆ ブラザー・サン、シスター・ムーン
 ・1971年 伊・英
 ・フランコ・ゼフィッレッリ監督
 ・グラハム・フォークナー 、ジュディ・バウカー 

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イタリア国の守護聖人でもある、アッシジのサン・フランチェスコの物語で、
いささか綺麗過ぎる感はありますが、
まぁたくさんあるこの聖人映画のクラッシックとでも。
 
長い間探していましたが、アッシジで見つけました。
ヴィスコンティもそうですが、このゼッフィレッリが描くイタリアの風景は、
アメリカ映画のイタリアとは違い、本物の匂いがします。



◆ ブーべの恋人
 ・1963年 伊・仏
 ・ルイジ・コメンチーニ監督
 ・クラウディア・カルディナーレ、ジョージ・チャキリス

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我が青春の一齣でもある映画で、長い間探していましたが、
日本からのプレゼントが!
       
戦後の混乱期のイタリアで、殺人事件に巻き込まれた恋人ブーべが
17年の収監 という判決。

その長い期間を待てるかどうか、と他愛無い論議に私メも浸ったものでしたぁ。

映画の舞台にはトスカーナ周辺の田舎や、コッレ・ディ・ヴァル・デルザ・
Colle di Val d'Ersaが。
     
  

◆ アンネの日記
 ・1959年 米
 ・ジョージ・スティーヴンス監督
 ・ミリー・パーキンス、ジョセフ・シールドクラフト

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最近見つけたDVDで、余りにも懐かしい映画。
映画が公開された当時の日本では、まだナチスの強制収容所の話も
一般的でなく、映画の宣伝で知った中学の英語担任が、
訳しながら説明してくれたのが、私にとって初の知識でした。

そして、こちらに来て接するユダヤ人の話は、単に憎まれる金融業や
ナチの犠牲者の話のみならず、社会に溶け込んだ、深い文化と歴史の
積み重なりで、

もっともっと知りたい、の 私の原点にある映画です。



◆ カラー・パープル
 ・1985年 米
 ・スティーブン・スピルバーグ監督
 ・ダニー・グローバー、ウーピー・ゴールドバーグ

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アリス・ウォーカーの原作も素晴らしいですが、特に変える事なく、
上手くイメージ化していると思うアメリカ南部黒人姉妹の、
長い人生絵巻で。

う~ん、人生にはホント色々ありますね。
でも言葉にすると、そういう想いは霞んでしまいます。



◆ ビヴァリー・ヒルス、行ったり来たり
 ・製作年?  米
 ・ポール・マザースキー監督 
 ・ニック・ノルティ、ベティ・ミドラー、リチャード・ドレイファス
  
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クスッと笑える映画、ガハハと笑える映画が大好きで、
昔TVで見て以来、再会を待っていたDVDです。

ビヴァリー・ヒルズの邸宅のプールに自殺志願で入り込んだ宿無しが、
お金持ちのスノッブ一家に次第に欠かせぬ存在となり、
彼自身も再び浮浪者には戻れなく。

左右の目の色の違うワン君も、大いに笑わせてくれます。
    


◆ オールウェイズ
 ・製作年?  米
 ・スティーブン・スピルバーグ監督
 ・リチャード・ドレイファス、ホリー・ハンター、オードリー・ヘプバーン 

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リチャード・ドレイファスが好きなので、続けてこれを。

仕事中に事故死した森林消火隊のパイロットが、自分の恋人の行く末を
心配し・・、という半ばおとぎ話ですが、
仕事の過酷さや、新人訓練のシーンなど興味深く、

でも、何よりも何よりも、この映画のテーマソングに使われたプラターズの
「煙が目に沁みる」 心に沁みいる名曲ですねぇ!!



◆ クレールの刺繍
 ・2004年 仏
 ・エレオノール・フォーシェ監督
 ・ローラ・ネマルク、アリアンヌ・アスカリッド

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望まぬ妊娠をした女の子が、好きな刺繍の仕事を見つけ、
息子を亡くした刺繍師の女性も次第に彼女を受け入れ、
生まれてくる子を自分で育てる決心をし、新しい彼も。
       
淡々としたいかにもフランス映画らしい細やかな映画で、素晴らしい。
 
手仕事が好きな事もあり、映画の中で少しずつ出来上がる
素晴らしい刺繍の衣装にも、大いに目を奪われました。



◆ ステージ・ビューティー
 ・2004年 英・独・米
 ・リチャード・エール監督
 ・ビリー・クルップ、クレール・ダーンス、ルパート・エヴェレット

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邦題が分かりませんが、大変面白い映画。
17世紀後半、英国の舞台にはまだ女性の登場が許されず、女形が活躍。 
が、チャールス2世が女優を認め、大人気を誇った女形が没落、そして・・。

女形に扮する役者が凄い! 男優として試演をするものの女形が抜け切れず、
の場面など、役者だなぁ! と見とれます。
 
ルパート・エヴェレットの国王役も可笑しい。 一見をお勧めです!



◆ ダヌンツィオ

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これは、見せびらかしで~す!!
ヴェネツィアの屋台店で、向こうから呼ばれたようにして見つけた
2003年のDVDで、写真、映像、彼の声など。
       
お葬式、ムッソリーニによる国葬だったそう、の映像から始まり、
ガルダ湖半の彼の家、人生などを、多数の写真とともに。
は~い、中にはオール・ヌードの写真もあって! きゃはは。
大切にせねば!!

      
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