・ スコミーゴ村 雪景色 

今月19日の土曜、前日からの予報通り、起きると、外は真っ白の雪景色!
おまけに降り続いており、大変な冷え込みでした。

雪景色にはちょいちょいなるものの、隣のオリアーノ村はまるで見えない程の
曇り空で、なかなかこれ程の雪景色、冷え込みは珍しく、
早速に雪遊びをする子供達の姿も、この親子のみでした。

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とにかく静か! これ程シーンとした雪景色は、長野の子供時代以来かも。

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テラスのテントを上げて。

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翌日曜は快晴のお天気となり、雨樋を伝わり、屋根の雪が解ける水音が賑やか。
冷え込みは強いものの、午後堪らずに、村内巡りに出かけました。

隣のオリアーノ村との境に広がる葡萄畑。 昔はトウモロコシの畑だったのが、
近頃はどんどん葡萄畑に変わって行きます。

小さい猫じゃらしの先に、ちょっと残った雪。 見えるかな?

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スズシロですっけ? 野草が、皆同じ方向に首を垂れていましたが・・?!

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奥の民家に続く小道。

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トウモロコシ畑の残りと、雪の白で、良く分かる奥の木の枝ぶり。

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丘の起伏に沿う、葡萄畑の畝。

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ここの畑は既に剪定済み。 枝を短く切られ、下向きに結わえられ、春を待ちます。

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手前の畑の向こうに低い谷があり、奥にコンドミニオが2棟並びますが、
一番奥の階段状のに、我が家があります。

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高い山の向こう側に、ベッルーノの町。



道脇の駐車場を囲う木の柵。 解け落ちる水が、小さな氷柱を。

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西隣のオリアーノ村の眺め。 教会の、傾いた鐘楼。

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陽の光の明るさに騙され、帽子をせずに出かけましたが、家を出るなり、
耳がジンジンとするほどの冷え込み。

車も殆ど通らぬ、雪の半解け道。 家の陰などはまるで凍っていますが、
そろそろと谷の道を下りつつ、吹き付けたような雪の美しさに見とれました。

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谷の底に斜めに差し込む午後の光。 枯れ草の細い筋が金色に。

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残された柿の実に積もる雪。

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ドアの前で、重なっている猫ちゃん。 思わず吹き出しましたが、いやぁ、寒かった!
分かる、分かる、あんた達の気持ち!

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我がコンドミニオに近い村外れから見る、東のコッレ・ウンベルト村。

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ヴェネト平野の北の端、ベッルーノとの間に屏風のように立つ、ネヴェガルの山々。
あの山のお陰で、こちら側は雪も少なく、冷え込みもずいぶん違うとか。

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上のネヴェガルの山の麓、ヴェネト平野の北の端の町、ヴィットリオ・ヴェネト。

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この町は、第一次大戦の戦勝記念でふたつの町が1つになりましたが、
手前に広がるのがチェーネダ・Cenedaの町。
山の上に古い城の塔が見えますが、その右手前は司教館。

もう1つのセッラヴァッレ・Serravalleは、チェーネダの山裾を回り、
奥に細長く続きます。 右山腹に見えるのが、サンタ・アウグスタの聖所。

こうして次々と山裾を巡りながら峠を越し、ベッルーノ、コルティナ・ダンペッツォ、
そしてオーストリアに。


***
ブログご訪問、有難うございます!

クリスマス、お正月とあれこれレッスンのお休みが続き、学生やお勤めの人が
お休みを喜ぶのと似た気分になり、
折角の雪景色の写真もご覧いただきたく、急遽アップを。

山の方はその後もう一度雪が来て真っ白になりましたが、その後は雨続きで、
何と今は山も、まるで雪がありません! となると、やはり見ていただきませんとね。
年明けは、またお休みに相応しい話題をと考えていますが、さて、どうなりますか。

お正月準備で忙しい女性の方々、ご苦労様です!
皆様、お体にお気をつけて
良いお年をお迎え下さ~い!!
             
     
*****

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・ n.2 ブリジゲッラ ・ 中世の要塞と美しい村と

 引き続き、有難うございます! 「イタリアで一番美しい村々」にも
選ばれているブリジゲッラ・Brisighella. 
エミリア・ロマーニャ州のファエンツァ・faenzaから12Kほど南に位置する、
歴史ある美しい小さな町のご案内を続けます。

要塞の上空を、ブゥイ~ンと小さな可愛いプロペラ機が。

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要塞から時計塔には、要塞の裏側からぐるっと谷を回り、こちらの谷の先っちょに。
逆光に、要塞の位置する岩場が良く分かります。

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こちらも逆光に浮かぶ時計塔の岩場。
この時計塔は13世紀に、町で一番古い防御の砦として造られ、16世紀に再建の後も
破壊修復が繰り返され、現在見る形は19世紀の物と。

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こうして見ると確かに下の土台壁は古いですが、塔の壁は新しいですね。
     
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そしてこの岩肌を、ご注目おき願います!



時計塔は町に迫った岩場のすぐ上にあり、景観の迫力は要塞に勝ります!
ね、凄いでしょう?!
時計塔は建物内には入れませんが、敷地内には自由に入れ、景観を楽しめます。

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要塞の位置よりも東になるので、中心広場、教会もこういう角度、ほぼ裏側に。

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余りにも町が近く、自分を覗き趣味者にも感じるほどで・・!

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町の歴史は古いものの建物が小綺麗で、ウンブリアの小さな古い町の雰囲気とは違い、
朽ちていない、とでも表現出来ましょうか。



先ほどご覧いただいた岩肌も、どこもかしこもこんな様子。
薄く脆そうな小片の重なりのようにも見え、薄いグレイ色でピカピカ光るのです。
太古の化石なのかなぁ? と科学はまるでトンチンカン、それでも1枚写しました。
       
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一旦急傾斜の石段を町に下りますが、鄙びた感じもあり、悪くありません。

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ティーリ・tigliと呼ぶシナの木が公園を埋め、黄色の葉が落ちかけで大変美しく。

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町の地図。 下側赤丸の位置に公園があり、左上に要塞、右上に時計塔、
その下の色の濃い建物群、ここに後ほどご案内を。

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地図の公園のすぐ前にあるこのトラットリーア、ラ・カゼッタ・La Casettaが
タクシー運転手殿のお勧めで、

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その通りに美味しく、値段もお高くなく。 私は、カジキマグロのグリルを頂きましたが、
外側を炙って中は半生の鰹のたたき風、生トマトのソースがかかり、
ああ、日本の味みたいでしたぁ!



再び、先ほどの時計塔の下の建物群に。
朝、あの先に「アージノの通り・ロバの通り」があるんだよと運転手君が教えてくれ、
何かも知らぬままインフォメーションでパンフレットを貰おうとこの通りにやって来たのですね。

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時計塔から下る石段は、今見えるオレンジの建物の手前、白い細い建物の1階の
アーチに出て来るのですが、お腹を空かせ後も見ずに、町の下に行ったと言う訳で・・!
       
今この右側に見える建物、テントは・・
 


この様で、右側にバールがあり、その左にドアが見えますね。 そのドアに・・

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この標識。 ナルディ邸 (15世紀)

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ここで有名な傭兵隊長 
ディオニージオ・ディ・ナルド・Dionisio di Naldo が生まれる。
父親はジョヴァンニ・ディ・ナルド・Giovenni di Naldo
1400年代半ばに、一家がこの家に居を定めたものである。
(公証人Ser Antonio Rondinini の1504年の書類による)
      
早とちりの私は、一瞬ナルドとナルニ(かのガッタメラータ)がごっちゃに・・ ??!!
が、これがまた大変興味深い傭兵隊長である事を知りました。

ディオニージオ・ディ・ナルド(1464-1510) リジゲッラの町のあるラモーネの谷一帯は
運頼みの傭兵達の出身地、その勇気と残忍さで知られ、その頭とみなされるのが、
このディオニージオ。

Dionisio と記したり、Dionigiとあったり、Naldo Naldiと様々に記載されますが、
女傑の名を欲しいままにしたカテリーナ・スフォルツァの下、彼は石弓隊の隊長として
チェーザレ・ボルジャの侵攻の際にイーモラの砦の守備に当りますが(1499)
フォルリの城も落ち、カテリーナがチェーザレに捕らわれた後は、チェーザレに仕えます。

どうやらこの後、このラモーネの谷に幾つもある砦を支配する領主的存在でもあった様子。
              
後1501年、ファエンツァのアストルジョ3世はチェーザレに陥落の後、ローマに同伴の後殺害。
       
後、弟のアストルジョ4世(アストルジョ3世の父ガレオット・Galeottoと愛人の
カッサンドラ・パヴォーニ・Cassandra Pavoniの子)がファエンツァの領主に
法王より選ばれた際、ディオニージオも土地の民もそれが気に入らず、
この地をヴェネツィア共和国に差し出すという仕様も。

セレニッシマに仕えるようになると、その働きぶりの見事さに45才で病死すると、
「祖国の父」という称号の元、ヴェネツィアのパンテオンともいう
SS.ジョヴァンニ・エ・パオロ教会に葬られた人物なのですと。


カテリーナ・スフォルツァのイーモラの町も、略奪を恐れた住民達が先に町の門を
開いたそうで、この様な逸話は、カテリーナが住民に愛されていなかった証拠ですが、
ディオニージオは、自分自身をつぎ込む様に最後まで彼女に忠誠を、
チェーザレにも最後まで忠実に仕えたそう。

単に「金で働く傭兵隊長」という言葉では表せない、主に対する服従、軍中での役割を
わきまえた上での十分な働きで、知るうちに、大変男気に満ちた素晴らしい男であると。
マッキャヴェッリにも、歴史家のグイッチャルディーニにも彼は評価されているとの事。
ナルド一族の他の男達も、それぞれにその働きで歴史に名が残ります。

ボツボツと分かって来たマンフレディ家の諸々の事柄も、人間臭い、でも傍からには
興味深いもので、そんなこんな、この一帯の歴史はリミニのマラテスタ家も含め、
興味深い事がたくさん埋もれている様子。
ファエンツアについても、も少し分かって後ご紹介を。
       
       

縦割りに色とりどりに塗られた建物、2階部分には同じように半月のアーチが続き、
手前の白い建物のアーチ、時計塔にも続く石段の始まりでもありますが、
入り口に「古いロバの通り、村」と矢印があり・・

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アーチを入ると、更にこの矢印が右の階段を指し示し、

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「村の道、またはロバの道」
狭い土地に防御の堡塁、住居の集落、高架の道を可能にする様、
多分14世紀に造られたもの。 結果として、この堡塁でブリジゲッラの有名な傭兵達は
1467年に侵攻してきたウルビーノ公爵フェデリコ・ダ・モンテフェルトゥロ・
Federico da Montefeltroの軍を防ぐ事に成功した。
「ロバの通り」と言う名の由来は、村の上にあるジェッソ・石膏の採掘場から、
ロバの背に乗せてここに運び込んだ事による。

この小さな村の標識に、ウルビーノ公フェデリコ・ダ・モンテフェルトゥロの名を見出し、
しかも、傭兵達が防御に成功した?! おお!! 血が沸くではないですかぁ?!
ウルビーノ公は自領の統治のみならず、教皇側の傭兵隊長で、1462年にピオ2世の
依頼でリミニのマラテスタ家と戦って勝ち、リミニの代理職を与えられていますが、
1467年の戦闘は、それに付随したものだったのでしょう。
       
        

こういう具合に階段を上がると、半月アーチの階に続き、
訪問グループがガイドの説明を聞いています。

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こちらの土地のガイドの説明は大変詳細で、ウンブリアの美術館などで、
一緒に聞いても良いですか?と加えてもらった事もあるのですが、
ここはちょっと場所も狭く遠慮し・・


床の波打つ様子が面白いものの、後でまた来ようと退散。

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建物の様子をどうぞ。
上でご覧頂いたのは S の部分で、要塞から見えたジェッソの採掘場から
ロバの背に荷を乗せ、時計塔の岩の坂道 X のヴォルタリーナ通リを下って来て、
W の建物の東端に直接繋がる架け橋を渡り、この S のロバの通りに入って来ます。
そしてこの部分は、防御の堡塁でもありました。  

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で、扉の中がロバたちの家畜小屋 R
奥の階段を上がると Q の住居部分、台所と居間で、
最上階 P は寝室で、家畜小屋からの暖かい空気を上げ蓋により通していたそう。

住人は採掘場で働く荷馬車挽きなどとありますが、
非常時には兵士としても働く荒くれ男だったのでしょう。

1階部分 T, U は、馬小屋、物置、干し草置き場
地下 Z は、ワイン貯蔵庫や物置。



ホラ、建物の中を通る通りといっても長いのですよ。 建物の継ぎ目に当るのか、
結構波打ちカーヴし、肉眼ではこんなに明るくないのです。

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写真右側の扉内が、かってのロバ君たちの小屋でしたが、今は物置に利用され、
前の道から見る上階の窓の様子では上の階はやはり住居になっている様子。
   
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ここが建物の一番東端。 

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現在はロバ用の架け橋はなく、

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この様に人間用の狭い石段のみで、時計塔がこの様に聳えます。
そうですね、あの急坂はロバ君でないと。



建物群の前がマルコーニ広場・Piazza Marconi.
かっての馬小屋、道具置き場等は、現在は手仕事職人の工房や、土地の産物店に。

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その1軒に興味深い店を 。昔ながらの、布に手作業で柄印刷をする店で、
店の前でこのシニョーラがして見せています。

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手に持っている木型(梨の木だそう)に、赤茶・鉄さび色や、ブルーの自然色を塗り、
布に伏せ、上から手前に見える槌で叩き、染め付けます。

布は羊毛と綿との混紡で、染めた後に色止めをする、その媒染材の違いで、
ブルーの方が少しお高く、といっても、50センチ四方の布で15エウロ位だったと。
伝統の素朴な柄が楽しくて、赤錆色とブルーを求めました。



店の前にあった写真ですが、そうなのですね、上から染めの木型を叩く槌は、
大きな頭を上にして叩くのです。バランスを取る為だそう。

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店はこのブリジゲッラにありますが、工房は近くの村だそうで、
本職の職人達は、土日に来て実演を見せてくれるそう。


町のインフォメーションは建物の一番奥にあり、町のパンフレットをと言うと、どかっと!
この綺麗な町の繁栄の元は何?と訊ねましたら、ジェッソですよ、との答え。
      
そうなのですね、今までご説明した全てが、この日の最後の総括で分かった事なのでした。
あのピカピカ光る岩肌はジェッソの元で、精製、という言葉が正しいのかどうか、
あのグレイの岩が、細かい白い粉のジェッソとなるのだそう。
黒板に書くチョークや石膏像もそうですが、建物内の彫り装飾はすべてジェッソですね。
なるほど! と思った事でした。

勿論現在はオリーヴ油、ワイン、サラーメ類など美味でも有名のようですが、
村の繁栄はジェッソから、と。


写真一番手前がインフォメーションで、向こうで先程のグループが土地のワインを味見中。
奥に見える建物は現市役所ですが、この田舎にしたら立派でしょう?!

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ブリジゲッラのコムーネのサイトは
http://www.comune.brisighella.ra.it
    
       

晩秋の日暮れは早く、夕日に山上の要塞が聳えます。

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最後にこの可愛い「ロバに注意」札を。

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大変美しい、歴史のある、美味しい、小さな町でした。
どうぞお出かけを、お勧めです!!


◆*◆*◆
ブログご訪問、有難うございます!

とうとう今年の最後となりました。
我が村も雪に埋もれ、零下5度から10度に冷え込み、
コンドミニオの上階は、水道管が凍結したそう!
週2のプールに行くのも億劫でしたが、凍結の坂道をそろそろと下り、
まぁ一般道に出ると、砂も撒かれ交通量もあり大丈夫。
で、プールに行ったら、水の中のほうが暖かだったのです! あはは。
       
4日間ほど真っ白でしたが、アフリカからのシロッコが入り込み、
一昨夜からこの辺りは大雨となり、雪が全部消えましたが、
北に見える山々は真っ白となりました。
先日心づくしの日本食やヒートテックの下着も届き、
ぬくぬくと、美味しく、年が越せそうです。
       
今年1年、本当に有難うございました!!
来年もよろしくお願いいたします!
       
皆様も、どうぞ良いお年をお迎え下さい!!

 
*****

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・ n.1 ブリジゲッラ ・ 中世の要塞と美しい町と

 「イタリアで一番美しい村々」にも選ばれているブリジゲッラ・Brisighella
のご案内ですが、まさにその名に恥じない、美しく小さな町で歴史もギッシリで、
長くなり2回に分けました。 ごゆっくりどうぞ!

写真は町のパンフレットから、有名な山上の要塞と時計塔。

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ブリジゲッラはどこにあるか、地図をどうぞ。
ボローニャ・Bolognaから東ファエンツァ・Faenza に。

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この辺りイーモラ・Imola、フォルリ・Forlìと歴史好きな方はよくご存じの地名が並び、
ボローニャ ~ ファエンツァ 57K程 電車の便も勿論あり、
ラヴェンナ・Ravenna ~フィレンツェ間の支線もファエンツァ、ブリジゲッラを通ります。 



こちらが細部で、電車の細い線も見え、
ファエンツァ ~ ブリジゲッラ間は12k、 ブリジゲッラ ~ ラヴェンナ42K
ブリジゲッラ ~ フィレンツェ 88k

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電車だと、ファエンツァからブリジゲッラまで10分間ですが、便が少なく約2時間に1本。
我々はファエンツァからタクシーで行き、約15分、戻りも電話で呼び来て貰いました。
大変美しい町で、ホテルも美味しいレストランもありますので、
フィレンツェ、ラヴェンナ、ボローニャ辺りからゆったりのお出かけをお勧めです。



町の北西部の山頂に君臨する要塞。

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直接タクシーで九十九折の道を、要塞の駐車場まで行って貰いました。



要塞の裏に駐車場があり、切符を買い、この脇の坂道を辿り要塞前に。

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これは、要塞の形を見て頂こうと、後にご案内の時計塔からの眺め。
要塞・ロッカの名は、ロッカ・マンフレディアーナ・エ・ヴェネツィアーナ・
La Rocca Manfrediana e Veneziana と言い、
右の低い方が古く、マンフレディアーナで、左の高い方が後からのヴェネツィアーナで、
ご覧のように岩の山上に。

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脇の細い道を辿って、要塞の入り口に。
ヴェネツィアーナの塔の足元部分の、前庭の古い井戸と入り口。
腰を下ろしている女性は切符管理の方。

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上から見下ろすブリジゲッラの町。
晩秋の快晴の日で、何とも美しい眺めを堪能! 
シナの並木の葉が黄色く落葉しかけ、こじんまりの町が埋もれています。
       
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お天気にも恵まれたせいか、ふっと「桃源郷」という言葉も頭を掠めました。



町の中心広場を望み、教会の正面壁、取り囲む家並。

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町の北側に山並みが続き、町は細く流れ、街道は南西に向かいます。
奥に見える山々を越えて行くと、フィレンツェに。

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ファエンツァからの風景も大変美しく、いつかこの道をフィレンツェに行って見たいもの!
       


友人達は早速に前庭からスケッチを始め、私は要塞見学に。
先ほど見えた入り口扉を入った所、見上げる高さの塔の壁。

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入り口の壁、上部に切れ込みが見え、前に跳ね橋があった様子ですね。

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入り口内2重の壁に挟まれた部分。 石の並べ方で、何とも面白い模様に。
右の石桶は、馬の水遣り用でしょうか?

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要塞の塔の見学は、この左側にある古い小さいマンフレディアーナの塔からですが、
まずは中庭に。

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周囲を高い壁に囲まれてこの中庭。
かってはここに厩舎があり、兵士達の生活する小屋が並んでいたそう。

奥にアーチの入り口が見えますが、



こんな様に、要塞裏側の半地下部分。 こういうのはどうも苦手ですぐ表に、・・深呼吸。

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後ろ側から眺める2つの塔。 違いが良く分かります。

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入り口部分に戻り、塔の螺旋階段を登ります。
煉瓦造りのいかにも古い塔で、14世紀、各階が覗ける様になっていますが、
狭い階段と、広くはない空間です。

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天井部分も、こんな風に煉瓦で。

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2つの塔を繋ぐ細い通路部分に出ますが、かってこの部分は跳ね橋で繋がっていたと。

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この小さい古い塔の名が、マンフレディアーナ・マンフレディーの、というのも
当時のブリジゲッラは14世紀初頭から、ファエンツァ領主のマンフレディ家・Manfredi
の下にあり、最後の当主アストルジョ3世・Astorgio、塩野七生さんの言われる
アストール・Astorreが、チェーザレ・ボルジャの軍に1501年に陥落、
後にヴェネツィア共和国領となり、大きな方の塔が16世紀に出来た、次第。



要塞のある地に相応しく、まさに絶景!
こちらは北のファエンツァを望み、多分、奥に白く見える部分がそうですね。

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ブリジゲッラにあるこの細長い谷はラモーネの谷・Valle del Lamoneと言い、
向こうの山に、トスカーナで見たあの白い岩が剥きだしに。

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太古の昔は海の底だった、というあのトスカーナのクレーターと繋がるのですね。



町の南部分は、晩秋の彩りのうちに、緩やかな谷の山に続いて行きます。

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この辺り一帯、オリーヴオイル、ワイン、農産物、サラーメ類など、美味で有名。
色づく畑は葡萄畑。

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来る時のタクシー、オベンツ!、の運転手、お腹でっぷりの話好きのシニョーレが、
ロマーニャの自慢話をしっかりと。

うっかりと、そうですね、エミーリア・ロマーニャは美味しい物で有名ですね、と言ったら、
エミーリアとロマーニャはまるで違うのだ、エミーリアの詰め物パスタなどこんなに小さく、と
指で小さな丸を作って見せ・・! 
それに比べ、ロマーニャのリコッタと茸の入ったのなど、ウ~~ム!と言う具合。

あそこでお昼を食べなさい、美味しくて値段も安いから、とお勧めを。
は~い、美味しかったで~す!!  これは後ほど。



この要塞は、中世の戦術的要塞の形をよく残しているそうで、中は一体どうなのかを。
まず右のマンフレディアーナの塔はご覧のように大変シンプルです。

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半地下部分 K は、武器庫・物置、他の階 J は、兵士の駐屯用。
大きな塔に繋がる部分は当時は跳ね橋 Hで、暖炉のある隊長の部屋 D に繋がります。

実際には見学できずでしたが、この隊長の部屋の下に E 食料貯蔵、武器庫、物置があり、
これは外部と狭い急な階段で直接繋がり、もう一つ下の階 F は水貯蔵で、
上階の床に開けた穴で繋がっていたそう。
  


見学は一旦古い小さな塔の、上の J まで見た後、渡り橋 Hで 大きな新しい塔に移り、
古い塔と跳ね橋で繋がる隊長の部屋。 小さな塔にしてはかなりの広さ。

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町の様子も見れるよう窓が開き、流しの設備もあり、左に黒く見える窓は現在網で
覆われていますが釣瓶があり、水貯蔵庫に繋がっている様子。

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壁の厚みにご注目を。 そしてこの繰り込み部分は個室、トイレかなぁ?!

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この上の階 C は台所の様で、井戸の釣瓶もあり、パン焼き用の竃も。



そしてこれが高い塔の最上階の見張り所 A で、ぐるっと360度の眺め。
で、この真ん中部分 B に扉があったかどうか覚えがないのですが、
図によると、この真ん中部分は牢獄兼拷問所だったと!

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上から見下ろす古い塔。 見晴らしは最高ですが、金網があり・・。

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古い塔の屋根瓦。 苔むして、良い色に。 鳩が6羽、見えますか?

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要塞から見る時計塔。 岩場の突き出した場所で、町からは直に見上げる形。

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要塞の北西に当る山頂に白い発掘場が見え、最初は単なる石切り場かと思ったものの、
これがブリジゲッラの町に繁栄を齎したジェッソ・石膏、白墨の採掘場で、
1980年代の半ばまで運営されていたそう。

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同時に550万年前の各種地上動物の背骨が発掘され、現在は開いた博物館として
公開されているそう。

この山頂のジェッソ採掘場から町までロバの背に乗せ運んだそうですが、
それに関し大変面白い建物が町にありました! 後ほど。
左に見える教会は、聖所モンティチーノ・Santuario del Monticino.



ほぼ同じ場所を先にご覧頂いていますが、塔のこの高さから見下ろす町、
守備隊長の気分でどうぞ。

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螺旋階段を少し下り、城壁の上部分に出て来ます。

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見下ろす中庭部分。 2つの塔が並ぶ前面部分が狭く、
中庭奥部分が広くなっていますが、立地条件によるものでしょう。

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ぐるっと城壁部分を巡り、古い塔の最上階部分に入ります。
左先に見える時計塔には、要塞の裏側からぐるっと谷を回り行き着きますが、
町からだと急傾斜の石段がどちらにも接続を。

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古い塔内の石段部分。 石の磨り減り具わい、600年を経ているのです、凄いです。
そして石にも層があるのを目の当たりに。

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古い塔の最上階はご覧のように修復され・・、そうかと納得、螺旋階段を下ります。

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要塞の開館時間  
4月~9月  土・日・祭日前・祭日 10時~12時半 15時~19時半
10月~3月 土・祭日前 14時~17時  日・祭日 10時~12時 14時~17時
閉館 元旦 クリスマス   
サイト http://www.romagnamania.com/2017/06/rocca-di-brisighella-o-manfrediana.html

小さな町ブリジゲッラですが、歴史がぎゅっと詰まった美しい町、興味深い町で、
しっかりご案内しようと長くなりました。
  
ここで一旦お終いにし、次回のn.2に進みます。
    
 
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・ n.2  夏の思い出 ・ 山の家、庶民の避暑地

引き続き、有難うございます!
トレンティーノ・アルト・アディジェ州のヴェネト庶民が良く出かける
避暑地シロール・Sirorと、フィエラ・ディ・プリミエーロ・
Fiera di Primiero近辺の様子をご覧頂いています。

これは町のパンフレットからで、秋口になり、春から山の放牧地に
行っていた牛や羊達が村に戻って来る、そのお祭りの写真。
 
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今年も9月の末の日曜に予定されていましたが、
一度見た長男の話によると、とにかく延々と続くのだとか!

写真に見える男性の姿、短めのズボンに頑丈で重そうな靴。
いかにも山で暮らす、素朴な人々の姿ですね。



飾り付けられた牛君。 花ではなく栗や葡萄、リンゴ、赤くなった
木の実などで、何とも可愛らしいというか・・!

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里に戻り、冬の雪の日を小屋の中で過ごし、春にまた山に戻ります。



地図をどうぞ。 
右上、赤い印を付けたベッルーノ・Belluno、我がコネリアーノからだと
北に50K程の位置ですが、
左に谷を下って来てフェルトゥレ・Feltreで、ここから北に。

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紫の線がヴェネトとトレンティーノ・アルト・アディジェの州境です。
コネリアーノからだと車で2時間弱、
距離は通る道により異なりますが、約100K程でしょうか。

ベッルーノのご案内は
       
フェルトゥレのご案内は
       
VIPご用達 コルティナ・ダンペッツォは
      


こちらで細部を。

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フィエラ・ディ・プリミエーロが国道の分岐点にあり、かなり大きな町で、
シロールから、トナディーコ・Tonadico、トランザックワ・Transacquaと、
ぐるっとゆっくりと散歩して戻ると3、4時間でしょうか。

こういった日常散歩の他に、この地図にはない、あちこちの村の各種催しに
村の産物を食べに出かけたり、車やバスで少し遠出して高い山に登ったり、
が、夏の山での過ごし方です。



2日間とも午後少し涼しくなっての散歩に出かけ、
海抜765mのシロールから、少し低い隣のトナディーコの村に。

これはトナディーコ村の高所にあるサン・ヴィットーレ教会。

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11世紀に遡る古い教会との事ですが、最近修復され4層にも描き重ねた
中世のフレスコ画が発見されたそう。
今回は行きませんでしたが、またチャンスを見て。



緩やかな傾斜地に点在する、と言ってもこうして写すとかなりの数の小屋
(農機具置き場や納屋)が見えますが、その間を縫って緩やかにカーヴする
小道が続き、奥に広がるのが、トナディーコの村。

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ご覧のようにゆっくりの傾斜道で、
小さな小屋やら大きな造りの家やらが、ポツポツと。
 
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トナーディコ村の方が少し人口が多く1500人程で、
歴史的文化的にもこちらが古く、勝る様子。

村の写真は今回余り撮りませんでしたが、興味深い建物の並びを
かなり見ましたし、シロール共に、スケッチ・写真題材に事欠きません!

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こんな旧い門があり・・、

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中は、現在市役所となっているスコーポリ邸・Scopoli.
元は1000年頃に穀類倉庫の目的で建てられたようですが、
15世紀にスコーポリ家の住居に。
   
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スコーポリ家というのは、マントヴァ出身の様ですが、
この地で公証人、代理人、長官などを輩出し、13~18世紀にかけ繁栄し、
この建物も拡張、内部をフレスコ画で飾り、礼拝堂もあるそうですが、
家系は19世紀初頭に消滅。



建物の正面には少しのフレスコ画が残り、2階の2つ並ぶ窓の円柱は
なんと木製! 現市役所とはいえ、入り口扉がまるで倉庫風!

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はい、またまたトイレ、で~す!  ははは。

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村を抜けて来ると川沿いの道に出て、北の山への風景が開けます。

村から見える、カステル・ピエトラ・Castel Pietra.       
11世紀初頭に建設され、フェルトゥレの司教領の北の守護に、
15世紀にはハプスブルグ家に対抗する封建領主の住居となり、
17世紀後半の大火事に至るまで、居城だった様子。

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いかにも中世の山城の様子ですが、見物できるらしい、とのセルジョの話。
来年を楽しみに。



シロールの村は余りにも山に近く高い山が見えませんが、
こうして少し下ると、奥の高山が顔を見せます。

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トナディーコからフィエラ・ディ・プリミエーロに下ります。
川沿いに続く散歩道を行くと、いかにもレトロ調の建物が。

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こちらはグンと大きな、由緒ありげな建物。
広い芝の庭に囲まれ涼しげです。

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町外れの公園。 木々が涼しい陰を作り、人々がゆっくりと寛いでいます。

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もう一つの公園には子供達の遊園地が広がり、傍らには踊リのフロアと
音楽とバールがあり、たくさんの中年以降カップルが、昼間もワルツをね。
これも、それも、夏の避暑地の楽しみ方。



上の公園の傍らには薔薇園があり、暑い盛りに咲いている薔薇たち!

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フィエラの町の教会と、市の塔。 町の賑わいが少し見えますね。
   
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町の屋根越しに見える、ドロミーティの山。

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上の写真の教会と市の塔周辺がいわば中心で、車も入らず、
バールの席が並び、のんびりと人々が行きかい賑わっています。

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ジェラートを舐めたり、ちょっとした買い物をしたり、まさに庶民の避暑地で、
コルティナ辺りとはまるで雰囲気が違い、気楽です。



翌日の午後は、やって来た長男夫婦も一緒に少し遠征を。
シロール ~ トナディーコ ~ トランザックワ ~ フィエラ ~ 
トナディーコ ~ シロールの行程。

長男のパオロは大体が大袈裟に言う奴で、いかにも大遠征風でしたが、
何の事はない、ホンの散歩でした!

これは、少し高所からのトランザックワ辺りの眺め。
     
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トナディーコから川を渡り、坂道を少し。 少し鄙びた村の印象。

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トランザックワ、興味あるモチーフには事欠きません。

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これなど、何に使うのか・・? でも、面白く美しい!

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上の石の壁と、下の薪の蓄えとが、そっくりの色合いと材質感で!
2つ並んだ車輪がモダンアート風。

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フィエラから発車の、観光電車がこの上の道にも。
ホラ、乗っているのは皆大人でしょう?!
ゆっくり散歩の間に、2度ほど回って来ましたね。

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丘の高い位置を道が通るので、谷の向こうの村が良く見えますが、
これは丸太を組んだ小屋。 なんとなしに正倉院を思い出し・・。

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ロバ君がいて、

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セルジョの孫のサミーラと、シロールのお祖母ちゃんちに来ていた
ニコラが大喜び。

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フィエラの町の南西にあるゴシック様式の美しい教会、
サンタ・マリア・アッスンタ・S.M.Assunta.

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右隣に見える建物も歴史ある様子ですが、今回はどちらにも行かず。



山手に広がる森の手前には、お馬さんたちや、のんびりの牛の姿も。

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そう、この高さまで道が続き、ゆっくり下って戻れる、散歩に最適コース。

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ぐるりと見回す、周囲の山並み。

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ゆっくりと下りながら、時に道端のベンチで休み、おやつを食べたり。

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フィエラ迄下って来た所。 違う谷を下ってくる川筋が2本、
フィエラ辺りですぐ隣同志になりますが、屋根つきの細い橋が一つ。

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山の日暮れは早く、肌寒いほどになり、 あちこちと火の点き始めた
トナディーコの横を通り、緩やかな坂道をシロールに。

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3日目のお昼前にシロールを出発、ベッルーノの中世の山城、
ズメッレ・Zumelleを見て家に戻りました。
これはフェルトゥレの手前、ラモン・Lamon辺り。

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山は涼しかったです!
海抜が760mとそう高くないので、日中も25度前後ですが、
夜は寒いほどで、何よりものんびりと過ごせます。

セルジョの家の台所にアーチ型の刳り貫きがあり
そこに来年、滞在方々絵を描く約束が出来ました。
という事で、少しずつイタリア式避暑にも慣らされそうです!
      
◆*◆*◆

ブログご訪問、有難うございます!
12月は誕生月、ブログを始めて4年過ぎました。 早いものです。

絵を描く者の目から見て、有名地ではなくとも
描ける場所の情報提供を、と始めたブログとメルマガでした。
メルマガは時間が取れなくなり既に廃刊し、

時にブログ更新に追われる時もあるのですが、
自分の旅行の整理にもなり、やめずに頑張らなくては、と思っています。

と、ブログを続ける事で、新しく知る事が大変多く楽しみになり、
ブログを通じての、新しいお友達もでき、
これも大変ありがたい、嬉しい事です!

5年目にかかります。
今後とも、皆様 どうぞよろしくお願いいたします!!

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・ n.1  夏の思い出 ・ 山の家、庶民の避暑地 

今日は夏の日の思い出、2日半ほど出かけた山の家と周辺の様子、
ドロミーティ山麓にある小さな村の様子と生活を、

VIPの避暑地で有名なコルティナ・ダンペッツォなどとは違い、
イタリアの一般庶民の避暑のご紹介にもなるかと、
これでもか! という程のたくさんの写真で、ははは、ご覧に。 
お茶など入れて、ごゆっくりどうぞ!!

昨年の秋、次男のセルジョ夫婦が山に家を買いました。
いえぇ、豪華な山荘などではなく古い小さな家を買い、長男とこの春、
床を張替え、壁を塗り、調度を入れ替えての一段落が済み、
泊まれるから見にお出で、とお誘いを受け、
8月の末に出かけて来た、という訳です。

後ほど地図をご覧頂きますが、トレンティーノ・アルト・アディジェ州の
シロール・Siror という人口1300人程の小さな村で、
ドロミーティ山脈の麓に繋がる素敵な場所です。

シロールから北に15K程には、スキー場で有名な
サン・マルティーノ・ディ・カストゥロッツァ・San Martino di Castrozza
があります。

家は、細い路地を入って行った突き当たり、今見える正面2階の
薄緑の鎧戸、玄関、その右の小さな窓がこちらから見える部分。

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家の前の半地下部分、1階のお家はここから階段を、
2階のセルジョの家、そして3階のお家には手前右に見える
少しの傾斜を行き、階段を上ります。

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上の写真の右側部分。下のお家の物置になっていますが、
昔は家畜小屋でもあったでしょう。

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階段は、最初にご覧頂いてお分かりのように木製でかなり古く、
家は空き家でしたから、セルジョの家の玄関前はかなり汚れていた様子。

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で、つい何日か前にブラシとクレンザーで磨き上げ、
ご覧のように素晴らしい木目! 疲れたぁ!と言いつつ満足の表情で。



こちらは家の裏側から。
かなり大きな家で、都合5家族か6家族が住んでいます。

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セルジョの家の部分は、左から2列目の薄緑の窓で、
ここが台所・居間部分で、右の木に半分隠れているのがトイレ・バス、
寝室は大きなのが2部屋と(窓は右側の壁に開き)
シングルの小部屋(表から見えた小さな窓)
玄関を入った入り口部がかなり広く、大きな衣装ダンスも置けます。

右の壁部分の半地下に物置があり、小さな家庭菜園用の土地も
家の右側に、そして大きな広い屋根裏部分も含まれており、

これをセルジョは、確か10万エウロ程で購入したと聞きました。
周旋家を通さず、インターネットで直接の売買だったと。



家の前の小さな広場、隣のお家の前に家庭菜園の収穫物が。

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セルジョ夫婦はこの夏の休暇に出かけたのが最初で、家庭菜園までは
してませんが、食べるのに困るほど、近所のお家から野菜が届くのだそう!

頂き物だというトマトを食べましたが、スーパーの野菜となんと味の違う!!
イタリアの野菜は美味しい、と思ってましたが、それでもなお、この味の差。



近くの家庭菜園、各家ごとの部分がしっかり利用されています。

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果樹もたわわ。

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隙間にはお花もいっぱいで、平凡な花も美しく。

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お隣のコンドミニオはまだ新しいですが、窓辺にこんなのが。
エルメッリーノ・ermellino、日本語では蝦夷イタチ、オコジョと。

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そして軒下には、この見事な角!

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シロールの南にあるフィエラ・ディ・プリミエーロ・Fiera di Primieroは
ヴェネト庶民の避暑地として有名で、2,3度彼等と来た事がありましたが、
シロールは初めてなので、すぐにセルジョが案内を。

こんな小さな村のご案内をするのも、何とも面白い、興味深い
古い造りの山の家が多く、スケッチに最適! と思う場所がいっぱいで、
大いにしっかりご覧頂きたく・・! 

納屋というか、藁や材木の貯蔵所があり、家畜小屋が下にある造りで、
人々は上の階に住んでいたのですね。

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村外れの木造のキリスト像。 屋根は新しいですが、
像自体は何世紀も経たもの。

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キリスト像の少し上に洗濯場が。
今は殆ど使われていない様ですが、お喋りがはずんだ場所でしょうねぇ。

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洗濯場から山に続く道筋に見事な家。 家畜小屋、住居部分、
そして藁置き場と、かっての山の人々の生活の様子が目に見えるよう。

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皆さんは山の家というと、山の中の一軒家とか、またドロミーティの麓というと、
傾斜した草地の農家、とか想像されませんでしたか?
残念でしたぁ! ははは。

勿論そういうお家もありますが、村となるとかなり密集して家があり、
道が狭く、軒を接していて、そう、町と同じ日常生活があるのです。
平地の村と同じに、こんな泉がしっかり残り、
ただ、少し鄙びて道が傾斜していて・・、

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そして空気が澄み、涼しく、周囲に高い山がある、という大きな違いがね!



と、こんな風に薪の確保が、必須条件!!

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修復されて綺麗なお家ですが、やはり薪が積み上げてありますね。

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セルジョの家も新しいストーブに換え、この冬はゆっくりと試すそう。
壁の中を暖房管が通るので、新しいストーブは最初から最大に燃やさず、
徐々に慣らすのだそう。
       


村の通りの様子。 こんな風に右に3階のコンドミニオ、
左は菜園、その手前に2家族用の家、
突き当たりの大きな家も改築され、2,3家族用ですね。

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上の写真の菜園の手前の家。 石造りの古い家ですが、
1階と2階の2家族用。 石壁が大変美しい。

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村の中心広場にあるホテル。こういうホテルは3食込みのペンション式、
年配庶民向けの避暑用で、1泊50エウロもしない、と聞いたような。

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可愛い造りですが、分かります? 家を縦に半分に分け、
2階と3階をそれぞれに利用するコンドミニオです。

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シロールの村の教会で、すぐ右横に小さな墓地。
いかにも北の匂いのする教会の屋根、鐘楼で・・、

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ホラ、ご覧のように屋根が木の板で葺かれているのです。
上手く見えるかな?

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内陣には、やはり北の香りを持つ木造彩色の祭壇がありました。

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教会の横を北に向かう国道が通り、向こうの谷に少し村が広がり。

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新しいコンドミニオのようですが、やはり薪の蓄えが見え、菜園、
そして納屋兼作業所。 ぽつんと離れて、ワンちゃん用!

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古い村の信仰を物語るフレスコ画があちこちに残りますが、
シロールの隣村の守護聖人でもある聖セバスティアーノが多いような。
それにしても、この壁画は素晴らしい!

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こちらは、大きなコンドミニオの壁のキリスト像。 これも古そう!

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かっては確かに、貧しい素朴な山村だったのでしょう。
今は新しい造りのコンドミニオもあり、修復されて美しくなった家もあり、
が、まだいかにも、の面影を残す家、納屋がたくさんあり、
絵心が刺激されます!

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イタリアにスケッチ旅行を! とお考えの方、
勿論有名な土地もたくさん紹介されていますが、
多分日本には名も知られていないこんな小さな村、我が家の周囲にも

たくさんある小さな村、どこにでも、素敵な珠玉の村がありま~す!
観光地化されていない、生活の匂いのする小さな素敵な村が       
まだまだ、たくさん残っていま~す!
お出かけ下さい、命の洗濯をかねて!!



村の目抜き通り沿いにある泉。 
特別な彫りもありませんが、でも、素敵でしょう?!

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泉に広がる波紋。 鉢の花が落ちて、揺れています。

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古いまま使われて。 こういう壁、描きたくなりません?!

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この石壁! 中は納屋と思うのですが、さりげない花鉢が。

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こちらも納屋、木造倉庫と思うのですが、外の石壁と木の扉が面白く。
右端に薪の貯蔵が見えますが・・、

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この角を曲がると細い路地が通り、そしてほら、突き出した家の部分、
あそこはかってのトイレ部分ですね。最近この手の話題がしばしばで・・!

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壁に穴が開けられ、ははは、
下に桶でも置いただろう切り込み部分がね、ははは。



はい、お口 お色直しに・・!

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国道筋からシロールの村に曲がっての、上り坂の角にあるこの建物。

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使われているのか、いないのか、それにこの扉のいろいろ!
興味をそそられますねぇ。



この眺めは、下の隣村から川沿いに戻って来る所。

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少し夕闇迫る中を戻りながら、セルジョが聞き込んだ同じコンドミニオの
の噂話、未亡人になったと思ったら、即、上の階の寡と住みだしたとか・・、
こういう楽しい話を延々と・・、良いですねぇ!



朝の村外れ。 曲がった道が、草原の奥まで続いて行きます。

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やはり家庭菜園が広がり、せっせと世話をする人々の姿が見え、
インゲン豆も色づき始め。

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細い小川沿いの道を、お母さんとボクが山に向かって。
この姿は村の人ではないですね。
彼らにとっても、夏の良き日の思い出に。

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平凡な、イタリアの山村の風景ですが、大変新鮮で楽しかったので、
皆さんにも普通のイタリア庶民の避暑の様子を見て頂こうと、
写真をたくさん!

翌日は長男夫婦もやって来て、近くの村をぐるっと回る散歩もしたので、
シロールの n.2 もご覧下さいね。


*****

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・ イタ猫、イタ犬 ・ 夏から秋、あちこちいろいろ 

今日は久し振りの、猫日、犬日。
夏から晩秋にかけての、あちこち様々な猫ちゃん、ワン君をどうぞ!

・ ヴィンチ村にて

トスカーナはレオナルド・ダ・ヴィンチ生誕のヴィンチ村訪問では、
お城の博物館が休館中で、横の路地に入って行くと、古い中世を
偲ばせる家々が並び、小さなテラスの庭にお年のシニョーラとこの猫ちゃん。

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2人でのんびりと良い雰囲気で、一緒にと思ったのですが、
シニョーラは遠慮され・・。
丸く艶々で、白い部分が真っ白!
いかにも大事にされている様子の猫ちゃんでした。



・ シロール 

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夏の思い出をご覧頂いた、ドロミーティはシロールの、
牛小屋のガードマン君。
かなり大きく、吠えながら走り出しては来ましたが、
こうして見ると、余り怖い顔ではないですねぇ。



ベランダの垣根と梯子の間、ゆっくりと横たわり、写すこちらを薄目で。

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OK 撮ったよ! と言うと、スッと目が閉じて。




市役所前の広場で。 カメラを向けられたのが初めてなのか、
ホラ、前足が少し浮いて、驚きの目!

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息子のコンドミニオの下のお家の猫ちゃん。
真っ白で、可愛くて、人懐こくて。

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家の2階から見下ろす、まだ若い猫ちゃん。
驚きの、点になりかけの目と、ぽかっと開きそうな口、ははは。

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・ フィエラ・ディ・プリミエーロ  

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ヴェネト庶民がたくさん出かける避暑地、フィエラの町のバールの前。
そろそろ夕暮れも近く、我々には少し肌寒い位なのに、
さすがワン君、まだはぁはぁと。



川沿いの散歩道。 ちょっとしたお屋敷が続き、垣根の隙間から
覗くと、向こうもこちらを見つめています。

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怖い顔ですが、吠えるぞ! という目でもなく・・。
 


・ トナーディコにて

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ドイツからの避暑の方と、ワン君と。 これが素晴らしい毛並みで、
茶でもグレイでもない、大変素敵な色。 上手く色が出ず残念!

イタリア語で訊ね、ドイツ語でのお返事で、
分かったような、分からないような・・!



・ ヴェネツィアにて

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ヴァポレット・水上バスに乗っているワンちゃん。 飼い主の膝の上から
じっと外を眺め、射し込む陽の光に気持ちよさそう。
ヴァポレットに乗り慣れているのか、まるで動じず、
ただただ外の景色を楽しんでいましたね。



アントニオ・ヴィヴァルディが洗礼を受けたという、サン・ジョヴァンニ・
イン・ブラーゴラ教会のある、(長いので略して)ブラゴーラ広場で、
ご主人の戻りを待つ黒いワン君。

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なぜ写したか分かります? 彼がたら~っと2筋も涎をたらすのが、
ははは、遠くからでも、しっかり見えたからで~す。



・ ムラーノ島  

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ムラーノ島のヴァポレット停留所に向かう通り、小路から出てきた
黒猫ちゃんがひらりと係留中のボートに飛び移り、
お!と見たら、片耳の先がちぎられています。
     

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こんなに丸く大きな、強そうな黒猫ちゃんなのに、と思う間もなく・・、

誰かが呼ぶ声に振り返り・・、 さぁ、さぁ、お家に行こう!と言われ、
にゃ、にゃ、とそれはもう嬉しそうな声で応えつつ、
尻尾を立てて小走りに従い、小路の奥に。

う~ん、お家の人が戻るのを待っていたのかぁ。
あの甘~い鳴き声、可愛かったなぁ!


    
ムラーノ島の奥の素晴らしく美しい教会デイ・サンティ・マリーア・エ・
ドナート聖堂の後陣周囲に広がる広場で、誰のお供か、
ひとりぽつんのワンちゃん。
 
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遊んで欲しいかい?!



・ ヴェネツィア  

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サンタ・マリーア・フォルモーザ教会広場のエディーコラ前で、
ちょっとした騒ぎが巻き起こり、笑いましたぁ!

散歩にやって来たシェパード君のご主人、シニョーラが
ホラ、だれだれちゃんに挨拶しなさい! と言い、
それに応え、エディーコラの中からこのワンちゃんが顔を出すわ、
シェパード君は吠えて飛び上がるわ、
売り物の雑誌類に爪をかけないかと、
見ているこちらは吹き出しながらも、はらはら!
何とも平和な、ヴェネツィアの広場なのでした。



こちらも同じサンタ・マリーア・フォルモーザ広場。

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のそのそと大きなお年のワン君がやって来て、蛇口からのお水をぺろぺろ。
あ、もう一度飲んで!写したいから、と見ていると、
  何か用か、お前?  とばかりに振り返り、       
  あの、もう一度飲む所をお願いします! 
  ・・俺はもう飲んだぜ。
と、またのそのそと去って行き、可愛くないねぇ。



・ ブオン・ナターレ!

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昨年のクリスマス前、ゆんぴょさんから、にゃ~こそっくりの
クリスマス・カードを頂き、ブログで使わせて貰お!と思いつつ、
インターネット接続が出来ない状態となり・・、

今漸く、は~い、皆さん、良いクリスマスを!
ブオン・ナターレ・ア・トゥッティ!!


◆*◆*◆

昨日大変嬉しいメールを頂きましたので、皆さんにもご紹介を!

暫く前、コメント欄にソンチーノのスフォルツァ家の要塞に関連し
スフォルツァ家はまだ存在しているのか、とご質問を受けました。 
ざっとサイトを見て、まだ居られるようですよ、とお返事したのですが、
このFさんは、その後ずっと突っ込んで調べられ、
なんと、ご丁寧にお知らせ下さったのです。

歴史に登場の名家が、何世紀の後もまだ存在しているかどうか、
平常は気にかける事もなく済んでいますが、
スフォルツァ家は現在も、スフォルツァ・チェザリーニ家としてローマに現存、
宮殿のサイトも知らせて頂きました。

Palazzo Sforza Cesarini
http://www.palazzosforzacesarini.it

で、このサイトにあるスフォルツァの家系の説明から、
始祖はムーツィオ・アッテンドロ・Nuzio Attendoloで、
その庶子のフランチェスコ・Francescoから
正式にスフォルツァを名乗った事、他の息子達の分家ぶりなど、
あれこれ知り楽しみました。

このフランチェスコが、ビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ・Bianca Maria
Viscontiと結婚、雇われの傭兵隊長からヴィスコンティ家の婿の立場に
食い込んだのですね。

一族の内には、2世紀前よりトレントに移り住みワイン醸造に携わり、
現在スプマンテのD.O.Cを製造している一家も。
       
Cesarini Sforza Spumanti
http://cesarinisforza.com

スフォルツァ(力を振り絞る、強制的な、とでも)という姓については、
以前から変わった姓だと思いつつ調べもしませんでしたが、
力もあり、思い込んだらどこまでも、と言う性格や行いから
始祖のムーツィオの仇名でもあったとか。

ラヴェンナ近く出身の傭兵隊長から、ミラノ公に、そして現在も
ローマにお住まいの公爵と。

コメントの短いやり取りから、調べて知らせてくださったF様、
重ねてお礼を申し上げます!

知らない事ばかりなので、知らせて頂いた事で興味が芽生え
今日もまたあれこれ読み楽しみました。
自分の興味から調べ辿るのは、本当に楽しいので!

n.1 ソンチーノ ・ 中世の要塞と、ユダヤ人の印刷所
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464088820.html

n.2 ソンチーノ ・ 中世の要塞と、ユダヤ人の印刷所
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464089153.html

ボルゲットのヴィスコンティの要塞 ボルゲット ・ ミンチョ河畔の、桃源郷
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417373.html
       
      
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・ ヴェネツィア ・ 黄昏から夜に

先日「フィレンツェ ・ 黄昏から夜に」と題してご案内しましたので、
今回は「ヴェネツィア ・ 黄昏から夜に」をご覧頂きますね。

この日お天気は良かったのですが朝から霧がかかり、駅から大運河をヴァポレットで
サン・マルコに戻ってきた時は日没後で、
サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ教会背後の空が、ほんのりピンクに。

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「フィレンツェ・黄昏から夜に」は、こちらに。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463018008.html      



サン・ジョルジョ・マッジョーレも薄い霧の中、明かりが点き始め、月も中空に。

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S.M.デッラ・サルーテ教会の東、ドガーナの先っちょ。 三角に尖った先に、
ヴィエンナーレ見物の人々の姿が見え、蛙を手に吊るした少年の彫像もうっすらと。
奥には、ジュウデッカ島のレデントーレ教会が浮かび上がります。

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ほのかに浮かぶデッラ・サルーテ聖堂が美しく、上手く写せる場所を探しうろうろと。

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サン・ジョルジョに点る灯の数も多くなり、その右奥にも灯が見え始めます。
はい、リド島の明かり。

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サン・マルコ広場はまだまだたくさんの人で、明かりの点いたドゥカーレ宮がとても美しく。

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2階内部の回廊部分も、よく見えます。
14世紀からの建設と言うのに、要塞感がまるでない、ヴェネツィアの宮殿。

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ピンクと白の石の色、レース飾りのような彫り、風の吹き抜ける回廊。
やはり、オリエントの香り。



こちらは、海に開ける小広場の方。 この開放感!

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ヴェネツィアの守護聖人サン・マルコのシンボル、そしてヴェネツィア共和国のシンボル
ともなった翼を持つライオン君。 月に吠えるの図。 

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霧で少しぼんやりと。 灯が明るくなり始め、時計塔の上の2人のムーア人も浮かび。

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サン・マルコの大聖堂にも照明が。

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鐘楼には何時まで上がれるんだったっけ? と見上げると、まだ人影が見え、では!
確か、この時6時前頃だったような・・。
  
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鐘楼の上から、ヴェネツィア本島の北西を。

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左上に明るく光るのが多分ローマ広場辺りで、真ん中斜めに延びる光の線が、
本土とを繋ぐリベルタ橋・ponte della Libertà.



サン・マルコ広場。 人出が減り、白い石の模様も良く見えます。

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広場の南側の、カフェ・フロリアーン。
どうしたんだろ? 昼間もまるで客の姿を見ませんでしたが・・。 寒いから?

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広場の西側、コッレール博物館。 ヴェネツィアの美術、博物館巡りも再開したいもの。
       
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広場の北側、旧政庁の建物。 店の明かりがこぼれ、回廊の白い石の模様も見え。

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時計塔の上、鐘つきムーア人の彫像。

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昼間に下から見ると青銅色にしか見えないのが、お尻が白く見えるのを発見!
ウム、きわどい衣装だなぁ。



サン・マルコ聖堂の丸屋根。

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こうして改めてみると、やはりオリエント、ビザンティンの形ですね。



手前右、白く浮かぶのはサン・ザッカリーア・San Zaccaria教会。

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左奥に見える手前は、サン・ニコロ・デイ・グレーチ・San Nicolò dei Greci教会
ですが、その右奥の鐘楼がどこのか分かりません。

追記:粘り勝ちで、はは、見つけましたぞ。サンタントニン・Sant'Antonin教会で~す。
   2018.12.20



小広場の先を見下ろして。 人出が少し減り・・。

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スキアヴォーニ河岸・Riva della Schiavoni. 湾曲し伸びる形が美しい。

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サン・ジョルジョ島の東の航路にも赤い灯が点り、奥に水平に延びる灯りは、リド島。

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サン・ジョルジョ・マッジョーレ島と教会・San Giorgio Maggiore.
まだまだたくさんの船が往き来していますが、夜の運河が暗いのに、いつも驚きます。



ドガーナの先端と、デッラ・サルーテ教会。 ジュウデッカ島・Giudeccaの灯が背後に。

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鐘楼から降りる前に、鐘の写真を一枚。

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鐘楼のエレベーターを降りると、ぐるっと歩かされ、広場のカフェ・クワードリの前辺りに。

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正面左がカフェ・クワードリで、右にも新しいカフェのテラス席が出来、生演奏があります。
こちら側ふたつにはお客がいるのですが、向かい側のカフェ・フロリアーンは
生演奏が始まったと言うのに、お客の姿が見えず、・・気にかかるやん。



左側の囲いが、鐘楼の近くを覆っているので、何か修復中なのかも。
人出が少なくなっているので、地面にカメラを置き、適当に角度をつけシャッターを。
はい、その3枚のうちの1枚。

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空の色がすっかり濃くなり。

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宿に戻る道を辿りますが、サン・マルコの裏辺りの道はまだ明るく。

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友人達との相宿は、サンタ・マリーア・フォルモーザ教会・S.M.Formozaと、
サン・ロレンツォ教会・S.Lorenzoのちょうど半ば辺りで、寝室4つ、お風呂2つ、
台所、居間付きで、一日確か200エウロだったと。
中心に近く、大変便利で良かったです。



レストランの席も、そろそろ埋まり始める時間、カメリエーレが人待ち顔で。

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宿から運河沿いに(Rio di S.Severo)南に来た所、この橋を渡り、突き当りを
右に行くと、サンタ・マリーア・フォルモーザ教会前に。
肉眼では、こんなに明るくはないのですが。

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一夕、皆で近くのレストランに。 通りの脇の小さな広場の奥に小さな井戸。

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運河に開く小路。 道を覚えぬ内は、運河に突き当たって引き返す羽目にもね!

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サン・セヴェーロ運河。 あの橋を左に渡り、出る道を右に行くとサンタ・マリーア・
フォルモーザ教会に。 夜は運河も道も暗いですが、ヴェネツィアは安全な街。

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右道奥突き当りを右に曲がると・・



突き当りの建物の入り口上に、聖母子と2聖人と、加護を願う人の姿。

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ここを右に曲がり、またすぐ左に曲がると、天井の高い古い建物の3階に、
はぁはぁ・・少し息切れしますが、宿がありましたぁ。
お休みなさい!

◆*◆*◆

ブログご訪問、有難うございます!

我がPCのインターネット接続はダイアルアップですが、遅いながらもまぁ順調に動いてくれ、
月に税込み12エウロで使い放題なら文句は言えない、と思っていましたら、なんと・・、
つい先日から、接続しても息絶え絶えで、サイトに行く着く前に絶息、行き倒れ、
という状態になり、メールも開けず、自分のブログにも届かず・・!
     
イタリア・テレコムに電話しましたら、ADSLでないならそれは標準、とのつれない言葉。
ADSLを申し込んで既に1年近く、そのまま放置されているのにぃ!

テな事で、今回の記事が更新出来るのかどうか気がかりでしたが、
これが読んで頂けるのはアップできた証拠でございます。 という事で、

次回が遅れましても、元気で~す、というご挨拶を先に申し上げておきますぅ!!
遥かなるイタリアより、  かしこ。

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