9月初旬にヴェネツィアに行った日、午後は、これも久し振りにトルチェッロ島に。

上はフォンダメンタ・ヌオーヴェ・Fondamenta Nuoveから出発したヴァポレット・
水上バスからの眺めで、すでに墓地の島サン・ミケーレ島を過ぎ、
サン・マルコの一際太い鐘楼、右側と、左に見える細いのは
サン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャ・S.Francesco della Vignaの鐘楼。
トルチェッロ島・Torcelloに行くのは少し面倒。 と言うのも直行便がなく、
ブラーノ島・Buranoまで行き、乗り換えてトルチェッロに渡らないといけません。
こんな風にブラーノから見えますが、残念、鐘楼の修復中で覆いがかかり。

ブラーノからは10分も掛からないと思うのですが、この乗り換えの面倒さが
案外時間に響きますから行かれる時は、余裕を見てお出かけ下さいね。
案外時間に響きますから行かれる時は、余裕を見てお出かけ下さいね。
フォンダメンタ・ヌオーヴェからブラーノまで約50分、ブラーノ・トルチェッロ間は
1時間に確か2便あったと。 行かれる方、お調べを。

写真は船着場で、何年か前にすっかり整備され、道も護岸工事が行われ、
建物も修復が進み、
菅敦子さんが描かれたような、以前の寂れた離れ小島のイメージはなくなりました。
運河沿いの道を、ヴァポレットでやって来た人々がぞろぞろと行きます。
今見えるお家も、以前はお年のシニョーレが猫ちゃんと住み、オペラ歌曲の
レコードをかけておられたのを覚えていますが、すっかり修復され、別の住人が。
レコードをかけておられたのを覚えていますが、すっかり修復され、別の住人が。

悪魔橋と呼ばれていますが、由来があるのか、ないのか、
単に手すりがないだけからかも。

このお家も大変綺麗に修復されましたが・・、あ~あ、この煙突の色!
なんでこうなるのん、という感じに・・。

上の家のお向かいも、ご覧の通り修復され、こちらはレストランに。
定食もあります、と客引きのシニョーレ。

広いお庭の席が気持ち良さそう・・。

小さな橋が運河を渡り、右手前には・・、

小さな水飲み場。

突き当りがこの広場と建物。 左の鐘楼つきの建物、そして正面奥に見える壁の
右にも建物があり、どちらも現在は博物館で、この右手奥に教会が2つ並びます。
右にも建物があり、どちらも現在は博物館で、この右手奥に教会が2つ並びます。

写真の樹の下の陰にある大きな石、見えますか?
「アッティラ王の玉座」と呼ばれていますが、アッティラならぬ可愛い女の子が2人。

トルチェッロ島はヴェネツィアの起こりと言われますが、それ以前に、本土側メストレの
東15キロ程に位置するアルティーノ・Artinoという町、
ここはアクイレイア・Aquileiaと共に紀元前から交通要所として、河の港として
大いに栄えたのですが、アッティラ王率いる蛮族の侵入で破壊され、
住民がこのトルチェッロ島に避難。
大いに栄えたのですが、アッティラ王率いる蛮族の侵入で破壊され、
住民がこのトルチェッロ島に避難。
7世紀にアルティーノの司教が聖遺物をこの島に移し、後にヴェネツィアに移った
という歴史があります。
以来、この島はずっとヴェネツィア共和国と共にあり、この「アッティラ王の玉座」と
呼ばれる物も、実際は、ヴェネツィアの行政官の使ったものという事で、
現在博物館になっている建物群も、かっての行政官庁等だったと。
アルティーノの河川の統治など、まさにヴェネツィアの前身とも言えるものだそうで、
町は破壊された後放置され、ずっと18世紀後半まで手付かずで、畑の下に眠っていたと。
ですから、ここの国立考古学博物館には素晴らしい物があり、
まるで知らずのまま訪れて、驚いた思い出があります。
n.2 アクイレイア と、 アルティーノ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462970554.html
呼ばれる物も、実際は、ヴェネツィアの行政官の使ったものという事で、
現在博物館になっている建物群も、かっての行政官庁等だったと。
アルティーノの河川の統治など、まさにヴェネツィアの前身とも言えるものだそうで、
町は破壊された後放置され、ずっと18世紀後半まで手付かずで、畑の下に眠っていたと。
ですから、ここの国立考古学博物館には素晴らしい物があり、
まるで知らずのまま訪れて、驚いた思い出があります。
n.2 アクイレイア と、 アルティーノ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462970554.html
アクイレイア ・ ローマについで栄え、そして衰退の町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462970421.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462970421.html
この広場をはさんであるのが、サンタ・フォスカ教会・Santa Fosca.

建造は11~12世紀との事で、中央部分が円形に見えますが、
周囲を囲む回廊部が5辺になり、内陣部も五角形で、初期キリスト教会の形だそう。
周囲を囲む回廊部が5辺になり、内陣部も五角形で、初期キリスト教会の形だそう。
内部も木組みの見えるどっしりと素朴な形で大変好きな教会です。
サンタ・フォスカ教会の回廊部分。

サンタ・フォスカ教会の回廊部の角が、聖堂サンタ・マリーア・アッスンタ・S.M.Assunta
の前面ポルティコに続きます。

こちらが聖堂正面からの眺めで、前面にかっての円形の洗礼堂の遺跡があります。

聖堂は7世紀前半に建てられた小さな教会が7世紀後半に司教座となり、拡張され、
9世紀に再度修復拡張。 現在の形は11世紀のヴェネト・ビザンティン様式で、
正面はアクイレイアの大聖堂に良く似ています。
9世紀に再度修復拡張。 現在の形は11世紀のヴェネト・ビザンティン様式で、
正面はアクイレイアの大聖堂に良く似ています。
イタリアに於けるビザンティンの文化については、政治も含めて殆ど知らず、要勉強。
洗礼堂の跡。 真ん中に円形の、多分浴槽跡でしょう。

サンタ・マリア・アッスンタ聖堂の前面のポルティコ。
かっての洗礼堂がまさに隣接しており、その部分の壁が中に入り込んでいます。
かっての洗礼堂がまさに隣接しており、その部分の壁が中に入り込んでいます。

ポルティコのほぼ中央右寄りに、アーチ入り口があり、奥左手が聖堂内部に続き、
いわば、教会側廊部から入る形、ですね。
いわば、教会側廊部から入る形、ですね。

内部写真は禁止ですので、サイトからの写真でご覧頂きますね。
内部は3廊式で、円柱は11世紀のコリント様式ですが、6世紀に遡るのもあるそうで、
ご覧のように素晴らしいモザイク画があります。
ご覧のように素晴らしいモザイク画があります。

内陣の司教席が7世紀の古い形と言うのですが、ちょっとした玉座で、大変興味深く、
サイトで写真を探し回りましたが見つからず、残念。 お出かけの際は、ご留意を。
上の写真の奥に見えたモザイク画の一部、「最後の審判」。

この聖堂、教会が、この夏「千年祭」という事でヴェネツィアの大司教様が行かれ、
ミサがあり、そのニュースを見て、久し振りにトルチェッロ島に行きたくなったのでした。
ミサがあり、そのニュースを見て、久し振りにトルチェッロ島に行きたくなったのでした。
千年祭のサイトには、モザイク画の詳細もあったのですが、消されていて残念。
こちらは聖母像。 以前撮った私の写真で。 ラヴェンナのモザイク画を思い出します。

こちらはサイトの写真で知ったもので、今でもこの様に、窓の覆いが石材だそう!

古い窓にアラバスターを薄く切り出してガラス代わりに使用しているのは良く見かけますが、
石の鎧戸は初めてです。
石の鎧戸は初めてです。
正面にはこの並びの窓は見つかりませんから、聖堂側面と思いますが、次回には是非。
はい、この様に東側の側面にも行き、すぐ脇のラグーナに浮かぶ観光船も見ましたが、
石の鎧戸には、お目にかからなかったような・・。

聖堂前から見るサンタ・フォスカ教会。 正面と同じ形が、こちらと向こうと3面。

聖堂の向かいに、洗礼堂の遺跡をはさみこのお家があり、隅がスーヴェニール店に。
いかにもあちこちから集めた様子の石像群があり、収集過程を想像すると、ははは、
なんとなく笑えて来ます。
なんとなく笑えて来ます。

すぐ隣がこの様に葡萄畑なのですが、ここにも、ご覧のように!

それはともかく、観光客溢れるヴェネツィアと比べいかにものんびりとした空気が漂い、
鄙びていて、大変良かったです。
鄙びていて、大変良かったです。
ご覧のように、宗教と行政関係の中心であったこの小広場には建物が4つと、聖堂と教会、
で、船着場から運河沿いにここに来る道筋には、全部で現在10軒ほどと。(見える数は)
で、船着場から運河沿いにここに来る道筋には、全部で現在10軒ほどと。(見える数は)
かって、アルティーノから蛮族に追われ避難してきた人々、多分アクイレイアからも、
本土側あちこちから、と思いますが、
ヴェネツィア建国を担った人々の数は一体どれほど? この小さな島にどれほどの人々が
住んだのか、ちょっと興味、疑問が沸いてきました。
水上バスはブラーノ島に着く前マッゾルボ・Mazzorboに停まりますが、
ここで降りられ、ちょっと道を引き返し木の小橋等の見える運河沿いを行き、
ヴェネトで一番古い鐘楼のある小教会を見たり、小さな島をぐるっと回ると、
ブラーノ島への橋があり、繋がっています。
ここで降りられ、ちょっと道を引き返し木の小橋等の見える運河沿いを行き、
ヴェネトで一番古い鐘楼のある小教会を見たり、小さな島をぐるっと回ると、
ブラーノ島への橋があり、繋がっています。
お時間が取れるようでしたら、こんな散策も宜しいかと、お勧めです。
最初にご覧いただいた小広場にある円柱上のマリア様。
と書きながら、何かの上に乗っている様子に気がつきましたが、さて何の上に?
いかにも素朴で、可愛い表情ですね。
いかにも素朴で、可愛い表情ですね。

博物館に上がる階段の壁には、石碑がたくさん掛けられていて・・、
ええ、次回には余裕を持って出かけ、博物館もゆっくり見たいものです。

子供たちが平気で上ったりして遊んでいますが・・。
イタリアですねぇ、1000年の歴史遺物ですぞ!

写真を撮っていると珍しげに見るので、撮っても良いか、と訊ねると、
しっかりポーズを取ってくれました。 うん、この子は美人になるね!
しっかりポーズを取ってくれました。 うん、この子は美人になるね!

という事で、またブラーノ島に戻りヴァポレットを乗り換え、ヴェネツィアに。

ヴェネツィアからの位置関係、地図をどうぞ。 島の形がいささか曖昧ですが・・。
アルティーノの位置は、トルチェッロの北西、本土側3~4K入り込んだ場所に。

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