ヴェネト州は7つの県に分かれ、我がコネリアーノはトゥレヴィーゾ県になり、
人口82000人程のトゥレヴィーゾが県庁所在地で、経済活動盛んで、
運河が縦横に街中を流れる大変美しく、賑やかな活気あふれる街。
人口82000人程のトゥレヴィーゾが県庁所在地で、経済活動盛んで、
運河が縦横に街中を流れる大変美しく、賑やかな活気あふれる街。
ブログを始めた当初にご紹介済みですが、再挑戦!
もうちょっと深く、広く(ホンマかな?)ご案内を。
街の地図は、最後にご覧頂きますね。
もうちょっと深く、広く(ホンマかな?)ご案内を。
街の地図は、最後にご覧頂きますね。
トゥレヴィーゾの国鉄駅を北に出て、中心街に向けて通りを渡ると、
まず市壁沿いの堀を渡り、大きな鋼鉄の球形彫刻が右手にあり、
先に進むと、この幅の広い河・橋に出合います。
まず市壁沿いの堀を渡り、大きな鋼鉄の球形彫刻が右手にあり、
先に進むと、この幅の広い河・橋に出合います。

この写真で言うと、橋右手奥にバス駅、駅が右手、街中心が左手に。
今回の写真は昨年4月上旬と中旬ですが、曇ったり晴れたりで、
空の色、街の色がずいぶん違うので、ご了解を。
空の色、街の色がずいぶん違うので、ご了解を。
「Treviso」を日本語では「トレヴィーゾ」と書き慣わすのは重々承知ですが、
そう発音するとまるで違うのですね、印象が。
そう発音するとまるで違うのですね、印象が。
ヴェネツィア・Veneziaを、ヴェネチアと書いたり、はたまたベネチアと言ったり、
ヴェニスというのは、英語ですよって、これはOKとしても、
と、ヴェローナ・Veronaを、ベローナと書けるか、の感覚の違いでしょうが、
Treviso県に住む人間として、トレヴィーゾは・・ムム。
ヴェニスというのは、英語ですよって、これはOKとしても、
と、ヴェローナ・Veronaを、ベローナと書けるか、の感覚の違いでしょうが、
Treviso県に住む人間として、トレヴィーゾは・・ムム。
今時Firenzeは、やはりフィレンツェと発音、お書きでしょう、皆さん?
フィレンチェ、はもはや少ないですよね。
という事で是非、ヴェネツィア、ヴェローナ、トゥレヴィーゾ、でお願い致します!
フィレンチェ、はもはや少ないですよね。
という事で是非、ヴェネツィア、ヴェローナ、トゥレヴィーゾ、でお願い致します!
上の橋からの、シーレ川・Sileの川鳥君。 足の水かきをご覧ください!
ずっと川鵜と思い込んでいたのですが、違うのを今回知り、名前を探しました!

「オオバン」という種で、この独特の足は、弁足と言うのだそうで、
目は赤茶色、あちこちで見かけます。
目は赤茶色、あちこちで見かけます。
で今回は、この河に沿って西の風景を少し。
先程のサン・マルティーノ橋のすぐ近くに、このカヌー小屋があり、・・
先程のサン・マルティーノ橋のすぐ近くに、このカヌー小屋があり、・・

こんな風に、すぅ~っと滑って行く姿が。

河の流れのある街の姿はどこも素晴らしいですが、橋から離れると護岸工事を
されていないので、なおの事、目に優しいですね。
このシーレ川の西はカステル・フランコ近くから、トゥレヴィーゾを通り抜け、
南東に下りヴェネツィアの干潟に流れこむ一帯はヴェネト州の自然公園です。
南東に下りヴェネツィアの干潟に流れこむ一帯はヴェネト州の自然公園です。
街を出はずれた辺りのシーレ川に沿い、一度歩いた事がありますが、
大変良い趣でした。 サイクリング道路としても、整備が整っている様子。
大変良い趣でした。 サイクリング道路としても、整備が整っている様子。
シーレ川の航行 その 1 と 2
http://www.italiashiho.site/archives/20180507-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20180512-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20180507-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20180512-1.html
トゥレヴィーゾの街は南側をシーレが流れ、北からボッテニーガ川・Botteniga
が流れ込み、この2本を利用した運河が街中を流れ、市壁に囲まれた外側の
堀を流れます。
が流れ込み、この2本を利用した運河が街中を流れ、市壁に囲まれた外側の
堀を流れます。
街の形は東西に長い長方形で市壁に囲まれ、それも殆ど完璧に残っていますが、
ここにもその一部が。

河沿いの道。 まだ春の寒い時期でしたが、乳母車の母子が時々通り。

雲が切れると、とたんに水鳥たちが賑やかに。
あちこちにいろんな種類を見かけますが、こちらは、ご存知イタ鴨。

最初の駅から来ての橋を渡り、街中に。近代的な建物に挟まり、
まだ健在な古い建物。 アーチの形から見て15世紀ぐらいでしょうか。

たまたま車が写っていませんが、かなりの通行量です、いつもは。
そして旧市街中心は、車制限地域で、ゆっくりと歩けます。
トゥレヴィーゾのご紹介は既にしていますので、写真が重ならぬように、
今回はドゥオーモの側面を。
今回はドゥオーモの側面を。

中心のシニョーリ広場・Piazza dei Signoriから、西に続くカルマッジョーレ通り
・via Calmaggioreが、ドゥオーモ広場とを繋ぎます。
街の大筋のご紹介は、こちらで。 トゥレヴィーゾ その 1 ~ 3
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460905895.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460906043.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460906156.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460905895.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460906043.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460906156.html
ドゥオーモの13世紀の鐘楼。

上部が急に小さく背が低くなっていますが、ヴェネツィアのサン・マルコの鐘楼
よりも高くならないように、という配慮だったとか!
上の鐘楼の足元、カルマッジョーレ通りですが、確かこの日は日曜で、
歩行者天国の様に。

ここに来るまでの通りの幅は狭く、両側に並ぶ店も重厚で、それもこの通りが
ローマ期のポストゥーミア街道の一部をなすと聞くと、なんとなしに納得!
ポストゥーミア街道・via Postumiaはジェノヴァから、ピアチェンツァ、ヴェローナ、
トゥレヴィーゾを通り、アクイレイアまで、約470kmの行程。
トゥレヴィーゾを通り、アクイレイアまで、約470kmの行程。
そして、アルティーノ・Altino(ヴェネツィアの北東)から北に向かう
クラウディア・アウグスタ街道が、このトゥレヴィーゾの街で交差していました。
いやぁ、ローマ人と言うのは、とりわけ大工事において本当に凄かったのですねぇ。
ホンマに、イタリア人のご先祖?!
アクイレイア、アルティーノについては、こちらを。
こちらは、サン・ジョヴァンニ洗礼堂。
右隣に並ぶドゥオーモの正面は、18世紀に改修されたネオクラッシック様式で、
違いが鮮やかです。

洗礼堂はいつもは閉っているのが、現代彫刻の展示があり開いていたので
内部を拝見。 すっきりと典雅。
内部を拝見。 すっきりと典雅。

ドゥオーモ前の石段から、広場の南を。
この建物、いつも目が行くのですが、なかなか良いでしょう?

トゥレヴィーゾは中世前期、既に農業の発展、そしてヴェネト平野の中心に位置
する事から商業の繁栄が著しく、街は大いに栄えていたといいます。
後にはヴェネツィア共和国の下で400年の平和を享受した歴史を持ちますから、
その繁栄ぶりが、よく残っています。
する事から商業の繁栄が著しく、街は大いに栄えていたといいます。
後にはヴェネツィア共和国の下で400年の平和を享受した歴史を持ちますから、
その繁栄ぶりが、よく残っています。
で、その左隣の壁の上の紋章が、由緒正しいでしょう?
それもその筈、こちらは、・・
それもその筈、こちらは、・・
僧服専門店、というか、かなりお偉い方の儀式用もウィンドウに見え、
勿論、祭具もあるのでしょうが。

これを見つつ友人と、「やはり、流行とかあるんだろうか?」
「うん、次はこういう色のこういう形、とかね」 ウム、不謹慎者は罰が当たるぞよ。
左手前には本屋さんもありますが、聖人とか、有難いお話の本がいっぱい!!
中心のシニョーリ広場の裏辺り、古い建物群が残り、ブラネッリ運河・Buranelli
が通り、魚市場の中之島・ペスケリーアがあり、古い食料品店があり・・、
大好きな一郭。

トゥレヴィーゾの街全体、徐々に古い建物が修復されつつありますが、
古いままの外観を保ちつつ、新しい活気に満ちています。
古いままの外観を保ちつつ、新しい活気に満ちています。
上の写真で車が見えていた通りの、運河脇の古い建物。
フレスコ画が少し残っているのが見えますか? この街で、たくさん見かけます。

昔むかしNHKでも放映された、ドキュメンタリーの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の番組
があり、イタリア国営放送RAIの素晴らしい作品でしたが、映像の中で
フィレンツェ、として映っていた風景、あれは、このトゥレヴィーゾだったのですよ。
があり、イタリア国営放送RAIの素晴らしい作品でしたが、映像の中で
フィレンツェ、として映っていた風景、あれは、このトゥレヴィーゾだったのですよ。
追記:DVDを購入し改めて見ましたら、フィレンツェではなく、ミラノの背景として、
運河が流れ、しっとりした街、として使われておりました。2018.10.31
運河が流れ、しっとりした街、として使われておりました。2018.10.31
細い運河の横道を入って行った所、ここの壁にもフレスコ画の装飾が少し残り。
真ん中上の出っ張りは、かっての煙突跡。 使われなくなって切られています。

ドゥオーモから南の聖ピオ広場・San Pio X、新しい建物に挟まれた古い建物。
トゥレヴィーゾの古い建物はゴシック様式の古さで、面白い趣をかもします。
トゥレヴィーゾの古い建物はゴシック様式の古さで、面白い趣をかもします。

ピオ広場からの小路で。
古い建物が洗われ、見事に修復され、素晴らしい煉瓦色。
古い建物が洗われ、見事に修復され、素晴らしい煉瓦色。

一度見たいものと望んでいたサン・ニコロ教会・San Nicolo`.
余りの大きさにフレームに入りきらず・・! なにせ、ドゥオーモよりも大きいと。

建設は14世紀初め、トゥレヴィーゾ出身のドメニコ会派の教皇ベネデット11世が
7万フィオリーニの大金を遺しての建設なんだそう。
トンマーゾ・ダ・モデナ・Tommaso da Modenaという14世紀の、優れた画家の
フレスコ画がこの教会にありますが、当時としては、ジオットに次ぐ何人かの内に入る
技量の持ち主と。
フレスコ画がこの教会にありますが、当時としては、ジオットに次ぐ何人かの内に入る
技量の持ち主と。
この円柱の「聖アニェーゼ」も彼の作品で、女性像が大変優しく豊満で、好きです。
作品は、ボローニャやモデナにもあるようですが、トゥレヴィーゾに傑作が多く残ります。
彼の描く女性像を、次回ご覧頂きますね。

こちらは巨大な壁画で、肩に子供を乗せた中世の優しい大男、聖クリストフォロ。

内陣脇にある、アゴスティーノ・オニーゴの墓碑。

素晴らしい墓碑でもありますが、有名なのは背後のフレスコ画がロレンツォ・ロット作
というのですが、疑わしいという説も聞きました。
こちらは聖具室にある壁画。 つい近年発見されたそうで、色が大変に鮮やか。

右の建物は、現在もシニョーリ広場にある14世紀の建物の形を映し、
おまけに、窓に見える女性は糸を紡いでいる、
つまり当時、トゥレヴィーゾで紡織が盛んであった事を語っているのだそう。
教会に隣接して神学校があり、その一室に、カピートロの部屋・
sala dei Capitoloと呼ばれる部屋があり、ここにトンマーゾ・ダ・モデナが
描いた40人のドメニコ会派の僧の肖像画があります。
sala dei Capitoloと呼ばれる部屋があり、ここにトンマーゾ・ダ・モデナが
描いた40人のドメニコ会派の僧の肖像画があります。

これは、大変に密度の高いフレスコ画で、法王冠を戴く者、司教帽の者、
一介の学僧、老いている者、そうでもない者、 40人すべての人物の名が
特定でき、そしてそれぞれが各人の癖を伝えているそうで、
トンマーゾは人物像を描くのに、その伝える所をよくよく聞き、まさに
写真肖像的に描いた様子です。
左側3人並びの一番右、少し分かり難いですが、この方、眼鏡をかけています。
眼鏡の人物が描かれた最初、と言われ、は、ウーゴ・ディ・プロヴェンツァ、
フランス人の様ですね。
眼鏡の人物が描かれた最初、と言われ、は、ウーゴ・ディ・プロヴェンツァ、
フランス人の様ですね。
昨年夏、ファブリアーノの紙の博物館を見学した時、15,6世紀の眼鏡を
見たことを思い出しました。 こちらに。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029550.html
見たことを思い出しました。 こちらに。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029550.html
「カピートロの部屋」というのは、この部屋で集会の前に聖書の1章(カピートロ)を
読み上げたから、に由来との事。
読み上げたから、に由来との事。
この部屋の見物は教会からでなく、南隣の神学校の入り口から、どうぞ
教会と、お隣の神学校の間にはこの回廊庭園が。
この4月上旬、白い桜でしたっけ、そして木蓮も咲き染め、清々しいお庭でした。

トゥレヴィーゾの街は商業の中心だけでなく、学校もたくさんあり、若者の姿も
大変多く、その意味でも活気に溢れます。 バス待ちの高校生。
大変多く、その意味でも活気に溢れます。 バス待ちの高校生。

街の地図をどうぞ。
地図の一番下の中央、赤丸2つの位置に国鉄駅があり、橋を渡り、Via Roma
を行き、Sile川に出ます。
この赤丸が、今回の最初の写真のサン・マルティーノ橋。
地図の一番下の中央、赤丸2つの位置に国鉄駅があり、橋を渡り、Via Roma
を行き、Sile川に出ます。
この赤丸が、今回の最初の写真のサン・マルティーノ橋。

横線を付けた部分、左半分ほどが今日ご紹介した部分で、
右に見えるSanta Caterina・サンタ・カテリーナ辺りは次回にご案内を。
右に見えるSanta Caterina・サンタ・カテリーナ辺りは次回にご案内を。
ヴェネツィアからは北に約30分、30km程。
観光客向けの街ではない、地元の活気に満ち、そして見所の多いトゥレヴィーゾ。
ヴェネツィアにお出での時はちょっと脚を延ばし、是非どうぞ!!
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