今日は先回のフレッチェ・トゥリコローリの演習の後訪れた、
マニアーゴ・Maniagoのご紹介ですが、
マニアーゴ・Maniagoのご紹介ですが、
ここは、ローマ期からすでに鍛冶の仕事が始まった刃物の町として有名な所です。
マニアーゴの町は、フレッチャ・トゥリコローリの基地リボルトから、北西に約45kほど。
タリアメント河・Tagliamentoを渡り、北に向かいます。

お天気の良さもあり、透明な水、実際はもう少し色が薄いエメラルド色と、
河原の白い砂が本当に綺麗でした。
北に向かうにつれ、あの奥に見える雪の山がどんどん近づき、
カメラを構えるのですが、道との角度が合わず残念!
カメラを構えるのですが、道との角度が合わず残念!
地図をどうぞ。 ほぼ真ん中に見えるコドゥロイポ・Codroipoの右のピンクの丸、
ここがフレッチャ・トゥリコローリの基地リボルトで、左上にマニアーゴが見えます。
ここがフレッチャ・トゥリコローリの基地リボルトで、左上にマニアーゴが見えます。

蛇足ですが、コドゥロイポから東へウーディネ・Udineの南に見える、カンポフォルミド・
Campoformido、ここはナポレオンが、ヴェネツィア共和国の取り扱いでオーストリアと
協定を結んだ、ヴェネトの人間にとっては、恨みの場所! はは。
地図の左端に見えるサチーレ・Sacileの近く、ここで最後に夕暮れを見て、
おやつを頂きました。 今日のブログの最後でどうぞ。
地図の左端に見えるサチーレ・Sacileの近く、ここで最後に夕暮れを見て、
おやつを頂きました。 今日のブログの最後でどうぞ。
サチーレ ・ Sacile ・ ヴェネツィア共和国の庭
町の中心に広い、広いイタリア広場があり、それを取り囲む店に早速刃物店を。
ショウウインドウの一つをどうぞ!

こういうナイフ刃物類は、見ているだけであちこちがヒリヒリ痛くなる感じで、
刃物の町のご紹介ですが、この写真1枚でご容赦を。
「イタリア、マニアーゴ、ナイフ」で検索をかけますと、ずらずらっと出ますから、
興味がおありの方は、そちらからどうぞ!
興味がおありの方は、そちらからどうぞ!
広場の真ん中に泉があり、その少し高い上から南東方面を。
鐘楼は、建物の隙間を入っていくとあるドゥオーモので、後ほどご紹介を。
鐘楼は、建物の隙間を入っていくとあるドゥオーモので、後ほどご紹介を。

こちらは、広場の北側の建物群。 サン・マルコのライオン君の壁画が見えますが、
アッティミス邸といい、17世紀のもので隣にロッジャ部分も見えます。
アッティミス邸といい、17世紀のもので隣にロッジャ部分も見えます。

が、現在は建物は外からのこの眺めだけで、ロッジャ下のアーチを入っていくと、
アーチをくぐるとこの眺め。 古いどっしりとした建物と、空間が広がります。

一番奥に門が小さく見えますが、あの奥には、
奥に向かって公園が広がり、その手前に馬場があり、白いお馬ちゃんが。

こちらが、その公園。 ずっと以前この町に来た時、ロッジャのも一つ向こうの
建物の中から見た覚えがあります。 なんとも広い空間で、素晴らしい眺め。

町並みは、かなり整備され美しくなった感じですが、全体は一つも変わらず。
アーチの下の右側の建物の奥側、壁面がこの赤色なのですね。
そこにあったかっての井戸、水槽です。
そこにあったかっての井戸、水槽です。

広場から参道を入って行った、ドゥオーモと呼ばれる町の主要な教会正面。

15世紀のフリウリ・後期ゴシック様式だそうですが、正面壁には8世紀の
かっての石碑の残りも使われているのが、認められます。
薔薇窓が美しく、鐘楼は、ドゥオーモの右手に。
内部は一廊式で、内陣奥に17世紀の、鍵盤も管も木製のオルガンがあり、
これは15世紀の作品ですが、真ん中の木製の聖母子は14世紀と。

現在こうしてみるマニアーゴの町は、フリウリ平野北西の、山の麓の小さな町ですが、
新石器時代からの住民がいたそうで、水があり、鉄があり、
ローマ期にはすでに、鍛冶の仕事が始まっていた様子。
ドゥオーモの参道から出てきた所から見る広場と、北の山並み。

来る途中で見えた奥の雪山は、手前の山に隠れて見えませんが、
このマニアーゴの町の背後にはフリウリ・ドロミーティの県公園が広がり、
自然保護地帯が、あちこちにあります。
このマニアーゴの町の背後にはフリウリ・ドロミーティの県公園が広がり、
自然保護地帯が、あちこちにあります。
中心広場の少し東にある刃物博物館に。 正式には、鍛冶と刃物の博物館と。
大きなやつから、小さいもの、古いものから、新しいデザインのもの、
大変な量の刃物類がありましたが!! ・・省略。
興味深くみた古い写真類をご紹介しますね。
大きなやつから、小さいもの、古いものから、新しいデザインのもの、
大変な量の刃物類がありましたが!! ・・省略。
興味深くみた古い写真類をご紹介しますね。

これは博物館入り口にあった写真で、1920年の物だそうで、町の人々ですが、
一番右下の女性、この方は、老人ホームにご存命だそうです!
ガイドの説明によると、鉄の抽出の最初の段階は大きな水車を回し、
その力で打ち付けるので大変な騒音で、町では出来ないそうですが、それが終わると、
今度は小さな作業工程なので、家の中でも出来、小さな工場がたくさんあったそう。
その力で打ち付けるので大変な騒音で、町では出来ないそうですが、それが終わると、
今度は小さな作業工程なので、家の中でも出来、小さな工場がたくさんあったそう。
ヴェネツィア共和国の元に15世紀に入り、武器製造でも栄えたようですが、
それが没落した後、近代になってゾリンゲンがこの町に一時工場を持ち、
それもこの町の名を有名にしたのだそうです。
それが没落した後、近代になってゾリンゲンがこの町に一時工場を持ち、
それもこの町の名を有名にしたのだそうです。
なんとも迫力のある顔立ち、というか、強面で、首から提げた台に、
いっぱい刃物類が立ち並び、道で出会ったりしたら、逃げたくなりそうですが・・!
こうして、かっては刃物類を売っていたのでしょうね。

コネリアーノの町は金曜、ヴィットリオ・ヴェネトは月曜、とちょっとした町には、
毎週市が立ちますが、必ず、刃物とぎの屋台もあるのですね。
台所の刃物だけでなく、農作業の道具類もで、まだまだ実生活に近い位置なのです。
毎週市が立ちますが、必ず、刃物とぎの屋台もあるのですね。
台所の刃物だけでなく、農作業の道具類もで、まだまだ実生活に近い位置なのです。
ガイドさんの説明では、「有名な4本指」と言う事でしたが、分かります?!
法律で決まっている、との事ですが、「心臓に届かない、4本指の長さ」と!
法律で決まっている、との事ですが、「心臓に届かない、4本指の長さ」と!

届かんかなぁ? 届くよねぇ! 背中に出ない長さ、ではないの?!
こんな様子で、かっての刃物店とか工場に、この箱が積み上げられていたのだそう。
弾薬箱で、頑丈で、刃物を入れてもこぼれ出る事なく、安全との事。

刃物だけでなく、ノミとか金槌など金物類すべて、石工の道具類も勿論製造し、
石工自身もイタリアのみならず、ヨーロッパ全体に働きに行っていたのだそう。

建物の石の装飾は、単なる人夫の仕事ではなく、一種の芸術的センスが
要求される仕事ですから、需要も大きく、賃金も高かったのだそう。
そういった、彼らの写真です。
という所で、博物館見学も終え、コネリアーノに向かいます。

この枯れた川はチェッリーナ川と思いますが、地図で見ても、フリウリ平野の途中で
消えています。 これよりも東にある川も、こういった半ば枯れた流れで、
消えています。 これよりも東にある川も、こういった半ば枯れた流れで、
昔地図で見た道を行くのに、道と言うよりも広い広い川床を適当に渡る道で、
たぶん、雨が多い時などは通行禁止になるのでしょうが、
たぶん、雨が多い時などは通行禁止になるのでしょうが、
途中に立て札があり、「戦車に注意」!! な、なに?! 一瞬読み違いかと。
どうやら広い広い無人の川原で、戦車の演習をしているようで・・。
どうやら広い広い無人の川原で、戦車の演習をしているようで・・。
靄のかかった写真になり残念ですが、こういう雪山が、ちょいちょい顔を出します。

バスの止まった所がこの風景で、サチーレ近く、と思われる場所です。

お向かいに見える農家。 もう夕暮れに近い逆光で、よく見えませんが、
なんとなく、出雲あたりの屋敷林を思い出し。

一行が入っていった大きな農家。 普段は使っていない家のようですが、
農機具は大きなのが納屋に揃っていて、かっては家畜小屋だったと思われる
大きな小屋もありました。
農機具は大きなのが納屋に揃っていて、かっては家畜小屋だったと思われる
大きな小屋もありました。

空軍関係のピクニックの際、以前にも寄った、とご一緒したシニョーラの話で。
私は初めてで、なにやら良く分からないものの、しっかりと修復された家で、
磨かれた梁には、いっぱい色々と下げられ、
フレッチャ・トゥリコローリの機体模型も、木靴も、銅鍋も。

大きな炉があり、火が盛大に燃えて暖かく、気持ちが良かったです。

丸パンを半分に割り、その中にチーズとハム類をはさんだおやつが、次々と用意され、
肉を食べない私めは、キュウリのピクルスとオリーヴ、チーズをしっかりはさんで、
飲み物は、ワインがプラスティックのコップでたっぷりと回され、運転の心配も無く
飛び入り参加ながら、しっかり頂きましたぁ。
奥に続く台所の壁に、たくさんの鍋が掛けられ、後の板壁との対比が面白く。
壁が斜めなのは、階段の横壁のせいです。
壁が斜めなのは、階段の横壁のせいです。

入ってすぐの部屋の壁にあったジェルラ・背負い籠。

高さは1mほどで、上の口の直径は約50cm。 壁についている側に肩紐が2本
つけられていて、リュックのように背中に背負います。
つけられていて、リュックのように背中に背負います。
このジェルラの素材は、細い枝か何かの様に見えますが、最近読んだ
マウロ・コローナの本では、ハシバミの木の細い薄い木片で、
底と上の口の縁にはカエデの木を使うのが、彼の住むエルトのジェルラだそう。
マウロ・コローナの本では、ハシバミの木の細い薄い木片で、
底と上の口の縁にはカエデの木を使うのが、彼の住むエルトのジェルラだそう。
エルトに住む作家、木彫家のマウロ・コローナについては、また改めてご紹介を。
ロンガローネの悲劇 ・ ダムの出水に飲み込まれた町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462861529.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462861529.html
前庭に懐かしいポンプがありました。 まえに四角い水槽があり、
水が雫を作っては、ポチャン、ポチャンと。 となると、やはり雫を待ちますねぇ。
見えるかな?
水が雫を作っては、ポチャン、ポチャンと。 となると、やはり雫を待ちますねぇ。
見えるかな?

少し靄がかかりながらも夕暮れが近づき、ご一行はまだ中で食べ飲み、お喋りで、
こちらは何とか、夕暮れの写真をと。 もわっと、色は良いと思うのですが・・、

この近辺、広い平野を良い事に、高圧電線の鉄塔が続き、電線もあちこち・・!
これは、まだ太陽が上に光っているのを入れないように、下の部分だけを。

見た目にも確かに赤い夕日でしたが、撮ったのを見ましたら、驚くほど赤く・・!

一日良い子で遊んだ、早春の夕暮れ。
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