・ n.2 ソンチーノ ・ 中世の要塞と、ユダヤ人の印刷所 

先回に続き、ソンチーノのご案内を。 スフォルツァ家の素晴らしい要塞の他に、
この町には有名な15世紀のユダヤ人の印刷所博物館があり、
今日はその博物館と町の様子など、
そして偶然に知った映画「レディ・ホーク」に使われた、もう一つのお城のご紹介を。

印刷博物館のこれが外観です。 午前中のみの開館なので、下見に行った
午後のこの時間には閉まっていましたが、細く高い家の姿はサイトでも
見ていましたので、道の遠くから見てもすぐ見分けられました。

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ご覧のように3階建てで、窓は尖ったアーチの片開き窓。
       
追記 訂正: こちらも当時と見学時間の変更がありました。
開館  11月~3月 火曜~金曜 10時~12時
          土・日・祭日 10時~13時 15時~18時
    4月~10月 火曜~金曜 10時~12時
          土・日・祭日 10時~13時  15時~19時
    いずれも月曜閉館
    入場料は 要塞と共通入場で 5エウロ  シニア 3,5エウロ 
サイトは http://www.prolocosoncino.it/Orari%20e%20Costi.php



博物館はムゼオ・デッラ・スタンパ・Museo della Stampaですが、
この家の前には、カーザ・デッリ・スタンパトーリ・Casa degli stampatori
印刷者たちの家・ソンチーノ、という標識が掲げられています。
       
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15世紀にドイツのスピーラ・Spiraと言う町、有名な大学の町ハイデルベルクの
西にあり、これは活版印刷を始めたグーテンベルグが生まれた町に近いそうですが、

その町を追放されたユダヤ人家族がこのソンチーノに住み印刷業を始め、
ここで、1488年4月、世界で最初のヘブライ語の聖書 完全版が印刷されました。
グーテンベルグの活版印刷の発明から、わずか30年内の事です。

印刷者の名はイスラエル・ナーサン・Israel Nathanと言い、薬業もしており、
一族は金融業だったとの事。

この博物館の管理人の説明によると、当時のミラノ大公スフォルツァ公の依頼で、
ソンチーノの要塞の為にお金を融資し、引き換えに、住み、印刷業をする許可を
得たという事で、彼の兄弟が既にソンチーノに居た様子ですが、

ドイツを追放された後、初めて受け入れてくれたこの町ソンチーノに感謝を捧げ、
出版物にSoncinoと名を入れ続けます。



管理の方が、実際に印刷する様子を実演しながら、説明してくれました。
      
鉛の版をまず油を浸した布で拭き清め、この油はオレンジの香りが、
そして、版にローラーでインクを載せます。

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一方こちら側の版に、紙を挟みこみます。 触ってみましたがかなりの厚さの紙。
       
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布切れを水車を回してほぐし、それで紙を作ったそうで、水車は要塞の近くにと。
確かに! 前日の夕方近くその水車を見かけ写真を撮りましたので、後程。



紙を挟んだ側を前に倒し、プレスの下に押し込みます。
そしてこの様に、プレス機のハンドルを手前に回しながら、印刷・プレスします。

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大変ユーモラスだったのは、この方が博物館の管理説明の方なのですが、
プレスのハンドルを7回手前に引いて印刷するのに、ワン、ツー、スリー、フォーと
ここだけイタリア語訛りの英語で!

7回というのにもそれなりの意味があり、7つの不思議とかありますね、
それに由来するのだそうで。



はい、出来上がり、刷り上がり。
これが、ソンチーノのこの家で、1488年4月22日、世界で最初に印刷された
完全版 ヘブライ語の聖書 最初のページ。

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ご存知のように、ヘブライ語は右から左へと読みます。



こちらは、博物館1階展示物の一部。 

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右側上の小さく区切った部分には、鉛の活字、そして木製の活字が収められ、
壁の真ん中の小さい紙、そして左の大きな紙には、ヘブライ語のアルファベット。

当時まだヘブライ語の辞書が無かったそうで、イスラエル・ナーサンは辞書も作り、
左の大きな紙は、その辞書の説明しているのですが、
分りやすいようにと、子供の図がその言葉の説明を補っているのです。
例えば、雫という言葉には、そのアルファベットの下に子供が口を開け雫を受る、
という様に。



こちらも1階にある手動の印刷機で、先に印刷して見せてくれた印刷機と共に、
この博物館には、19世紀の終わりから20世紀の初頭にかけての
手動の印刷機が展示されています。

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壁にかかっている図は、活字を作る職人、図柄の職人、など
かっての印刷に関する様々な仕事の様子。



2階の様子。 印刷員の一家とは、一体何人位いたのかと尋ねましたら、
印刷に関する全ての仕事をする一族、という意味で、十数人だったろうとの事。

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手振れご容赦、中世の家の内部をご想像下さい。



2階展示部分。 この木製手動印刷機は、15世紀の印刷機の複製。
この形の印刷機で、あの当時、画期的な印刷物が生み出されたのですね。

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3階まで上がって見下ろしました。 この辺り、15世紀当時はユダヤ人たちの
居住区でもあったそうで、近くにはユダヤ人墓地も、多分シナゴーグもあったろうと。

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ソンチーノに住み、ヘブライ語の聖書を世界で最初に出版したユダヤ人一家は、
僅か10年ほどで、カトリック教会の反対で他の町に移らざるを得ませんでした。

どこ、どこへ、と管理人が数え上げる町の名を聞くのも辛くなるほど次々と移住し、
最後は、コスタンティノープル、現イスタンブールにまで移住します。
印刷物に、ソンチーノの名を入れ続けながら。



この町はロンバルディア・ミラノ公領とヴェネツィア共和国の狭間にあり、
何度も振り動かされますが、最後はスペイン領、そしてオーストリア領となりながら、
衰退していきました。

城壁に囲まれた小さな町ですが、養蚕業も盛んな繁栄した町だった様子で、
要塞のすぐとなりに、大きなかっての製糸工場の跡があり修復中でした。

これは町の一番大きな教会サンタ・マリア・アッスンタ・Santa Maria Assunta.

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12世紀創設の、かってはクレモナ司教区の第一の教会だったと。
そう、このソンチーノの町は、ヴァイオリンで有名なクレモナの近くでもあります。



サン・ジャコモ教会の美しい回楼部分。 この教会の正面は、先回ご覧頂いた
コムーネ前の広場に隣りあってありますが、ゴシック様式に改装されています。

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サン・ジャコモ教会の鐘楼。 なんと珍しい事に7角形なのですね。

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印刷博物館の管理人が、小学生に聞くように、あの鐘楼は何角形か?と。
前日に既に見ておりましたから、へへ、七角形で~す!
いや正直に言いますと、七角形という言葉は覚えておりませんで、
指で7を示したのですが正解は正解! はは。
エッタゴナーレ・ettagonaleというそうです。



コムーネ前広場から南に走る、町一番の大通りコントラーダ・グランデ。
大きな建物、リバティー様式の建物なども並んでいますが、イマイチ馴染まずで・・。
 
こちらは古いポルティコが続く西側の一部。

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上の建物に続く西側の建物群。

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写真でご覧頂いてわかる様に、交通量が多くなく駐車も出来ますが、
なにせ道が狭いので、ほとんどが一方通行。
町の地理が飲み込めていない最初は、何所をどう行ったらどうなるのか分らず、
あっちへ行きこっちへ行き・・。 
遂に車の近くにいたシニョーレに、スクージ、町から出るにはどう行くのですか?!
       


この可愛い、愛国者的、自転車!

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町の城壁外にある、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会・
Santa Maria delle Grazie. 要塞の受付の女性も、印刷所管理の
シニョーレも、見に行くようにとお勧めで。

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15世紀末のルネッサンス様式で、正面はご覧のように変哲なく。



が内部は、ご覧の様にすべてフレスコ画で装飾されており、見事。
テーマは「最後の審判」との事ですが、実際は写真の様には明るくなく、
ガイドの説明があったらと思いました。

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こちらも城壁の外、要塞近くにある家。 あ、水車がある、何の水車だろう?
と、最初の夕方写した写真です。

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そばで見ると鉄の歯で、山奥の粉引きの水車とは違うとは想像したのですが、
印刷博物館のシニョーレが、布切れを潰し、紙を作っていたものと教えてくれ。



こちらは、上の水車の家にも程近く、要塞のすぐ近くにあり、かなりの水音が聞こえ、
家は廃屋となり、水車も回ってはいませんが、
写真にも見える水路を水が流れ、この傾斜地にもう一つ水車の家が。

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先回ご覧頂いた、スフォルツァの要塞。 夕霧に霞んで。

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ぐるっと町を囲む城壁の外に道が巡っています。

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なだらかにカーヴする並木道を行きましたが、1車線の細い道で、
道の向こうの先で既に一台、待っていてくれました。



ソンチーノの宿を探していて、昔ながらの養蚕をしているアグリトゥリズモ、
というのを見つけました。 長野育ちの私には、蚕というのは思い出深いもので、
電話して、シニョーラを尋ねました。

これは昨年の繭の一部。 ほんに細い透明な糸の一筋が、
意外に強い強さで指に触れ、軽い驚きを味わいました。

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彼女フランチェスカは大変喜んで、現在、昔ながらの養蚕をしているのは、
彼女1人の事、農薬の被害で蚕が死ぬ率が高く、おまけに大変繭が安い事、
などなど話してくれました。

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イタリアの養蚕業者と、日本の群馬の養蚕試験所とが姉妹提携しているそうで、
日本から視察に来られた方の名刺に出会いました!

またイタリアの養蚕はヴェネトが一番の中心である事も教えてもらい、
桑の葉を小さく切る鎌の器械や、アーゾロでの手織りの絹織物店の事など
いろいろ思い出す事があり、そう言えばと納得した事でした。
       
少し掘り下げて調べてみたい気持ちになりました。
       


所で、ちょっと話題が変わりますが、
ソンチーノの要塞は、映画「レディーホーク」に使われた事は先回ご紹介しましたが、
ははは、何度も「レディーホーク」の話が出て来ますが、済みませんですねぇ、
私めはあの映画が大好きでして、いや、映画は2流ですけど、あの中世風がね。

DVDで確かめ、悪の司教の館として使われた城が、何所の城なのか疑問でした。
が、なんと1週間も経たぬうちに偶然本屋で旅行雑誌の表紙の城を見て??!! 
            
パルマの南15キロにある、トッレキアーラ・Torrechiaraにある要塞と。
写真 Bell'Italia.

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そしてここは大変に有名な要塞である事も知りましたので、
少し雑誌の写真でご紹介を。

なんで有名なのか、つまり、15世紀のパルマの領主ピエール・マリア・ロッシと、
その隠れた愛人ビアンカ・ペッレグリーニとの、愛の巣だったと。
   

    
という事で、有名な「金の寝室」というのが、この写真。

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壁上部のフレスコ画に、騎士が貴婦人の前に跪いている図柄も見えますね。
もっと上部には、ビアンカが巡礼姿で、姓のペッレグリーニは巡礼の意味で、
彼の30もあったという城を、愛を求めて巡る図柄になっているのですと、 あ~あ!

「金の寝室」という呼び名は何所から来たか?
上の写真の暖炉周りの壁が、陶板装飾になっていますが、その細部がこちら。



真ん中にハートが2つ重なり! これがかっては、金色に塗られていたのだそう。

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彼らの後、城はスフォルツァの物にもなり、変遷の後現在は国の持ち物で修復され、
素晴らしいこのお城も、3エウロで見物できるそうですので、
はい、チャンスを捉えて、見に行こうと思っとりま~す。
           
という事で10年後に、漸くトッレキアーラの城を訪問した様子はこちらに。

n.1 トッレキアーラの城、パルマ ・ 美しく、守備堅固、そして愛の巣の
http://www.italiashiho.site/archives/20181110-1.html 
      
n.2 トッレキアーラの城、パルマ ・ 美しく、守備堅固、そして愛の巣の
http://www.italiashiho.site/archives/20181115-1.html


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