・ ミラノ・チェントロ ・ ドゥオモ広場

今日は月一ゲストのグロリオーザさんの写真と記事で、
ミラノのドゥオモとその広場のご案内を、
皆様よくご存じと思いますので、ゆっくり、写真をお楽しみ下さい。
**
      
今回はイタリア第二の都市・ミラノです。
ただ、あまりにも大きな都市ですので、紹介するのはピンポイントで
ドゥオモ周辺、特に屋上の風景を中心にご覧頂きます。

0トップドゥオモP9053961.jpg

旅行代理店「HIS」のパンフレットを見ると、
ドゥオモ紹介の見出しは「これが世界遺産ではない!」
という逆説的な表現を使っています。

確かに、世界最多級の世界遺産を抱えるイタリアの中でも代表的な
建築なのに、世界遺産に登録されていないのは意外な気がするほど、
壮大なゴシック建築です。




昼の外観です。
長い間続けられていた修復工事が、ようやく終盤に入り、
正面の覆いが取り外されました。

1ドゥオモP9043912.jpg

1386年、ミラノ領主ヴィスコンティ家によって
「ローマのサンピエトロ寺院に匹敵する大聖堂を」という目的で着工され、
完成は1887年、実に500年の歳月がかけられています。




正面のブロンズ製扉のうち、中央には、聖母マリアの生涯が
刻まれています。 これは受胎告知の場面ですね。

2ドゥオモP9053941.jpg



横から見ると、また大きさがわかります。
面積は、11700平方mだそうです。

3ドゥオモP9053933.jpg 



中部には、大きなステンドグラスもあります。

4ドゥオモP9043851.jpg



屋上に上りましょう。
階段を上っていると、あちこちに動物?の彫刻が飛び出していて
飽きさせません。

5ドゥオモP9043866.jpg



何といっても、目を引くのは彫刻群。
全体で2245体もの彫刻が飾られており、圧倒的な迫力です。

6ドゥオモP9043901.jpg



最高部には、マドンニーナと呼ばれる黄金の聖母マリア像が輝きます。
ここの高さは、108,5m あります。

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屋根の傾斜に沿って、繊細とさえいえる細工が施されています。
個人的には、この細工がとても面白かった。

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屋上部分は、とても広々と開放的。 尖塔は135本もあります。
  
9ドゥオモP9043898.jpg     
       


遠くを見れば、アルプス方面の山々が見えます。

9ドゥオモP9043898.jpg



屋上から見下ろす、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリーア入口です。
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そのガッレリア。 夕方になりライトアップされると、迫力満点です。

12ドゥオモP9053949.jpg



その内部。 ガラスの天井、光を反射する床も、なかなかのものです。
右側の建物はルイ・ヴィトンの店です。

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このガッレリアを通り抜けると、スカラ広場になります。
このときは、南米の彫刻家ボテロの、あの独特のふくよかな彫像が、
展示されていました。

14ドゥオモP9043917.jpg



しかし、この広場の主人公はダ・ヴィンチ像でしょう。

15ドゥオモP9043921.jpg



広場の名前の由来であるスカラ座。 
世界のオペラの殿堂ですが、外観はなんと言うこともない建物です。
残念ながら、中に入ったことはありません。

16ドゥオモP9043922.jpg



ドゥオモ広場に戻ります。
日没寸前の光が、ドゥオモの正面を赤く染めています。

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日が暮れてトワイライトタイム。 ライトアップされたドゥオモ、
シルエットで浮かび上がるエマヌエーレ2世の彫像、アズッロの空。
とても印象的でした。

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広場全体の夜景です。
つかの間の滞在でしたが、天候に恵まれて、美しい広場を堪能しました。

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・ 北のお客人 ・ そして、春の訪れ

今日はサルデーニャのご案内を用意していましたが、予定を急遽変えまして、
北のお客さん、羊君達の到来の様子を、そして隣のオリアーノ村の
春めいた様子を、ご覧頂きますね。

以前の羊の群れの到着は

昨日朝プールに出かける時、隣のオリアーノ村との境の草原に、羊達がやって来て
いるのを見かけました。 ああ、肝心な時にカメラが無い、と思いつつ出かけ、

戻ってきたら、なんとまだ居ります! ワ、ワ、と大急ぎで、カメラを取りに戻り・・。
全部で350頭の羊たち!

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朝見かけた時は、盛大に草を食べている姿でしたが、戻ってきた時は、
食後の一休み中、という様子。
今この時期になるとかなりの子羊達が誕生しており、あっち、こっちで
めぇ~、めぇ~と、聞こえます。

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やっと生まれたばかり、のような子もいて、立ち上がるにも脚がひょろ付き、
お母さんが助ける姿も見かけます。

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殆どの羊達は食後の一休み中でも、まだ黙々と食べ続ける一群もいて・・。

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彼等が牧羊犬で、今は隣の家との境目に繋がれ、余りに羊たちが入り込むと、
ピューと、羊飼いが口笛を吹き、すると、この3匹がパッといっせいに立ち上がり、
吠え、羊達は大慌てで元に戻ります。

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ほとんどが白色、イヤ、汚れて薄茶色になっている羊たちですが、
中には、こんな茶との斑や、全部茶色のも幾匹か。

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おかぁさ~ん、どこぉ~?!

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彼らは、トレント(南ティロル)から10月に出発、5月に戻る、8ヶ月間の遊牧生活。
右の彼は、直に70歳を迎える、この道45年のベテラン。

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自分たちの後は、こんなきつい仕事は誰もしないさ。
幸い、自分の女房は一つも文句を言わないから、こうして続けているけど。

シニョーラ、幾つかな?  40歳?  え、もっと、って、38歳?
おお!! 寿司食いねぇ、酒飲みねぇ!!



我がスコミーゴ村の標高は130M、 隣のオリアーノ村は151M。
コネリアーノの町に出かける時、この高さから眺めるヴェネト州、そして
フリウリ平野の地平線にいつも驚き、胸をときめかします。
    
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写真のこれで半分で、本当は180度見えます。
曇り空でハッキリしませんが、奥に見える白い部分はフリウリ平野の北、
アルプスに連なる、カルニアの山々。



こちらは、も少し北を眺め。 一番奥に、雪を被った峰が覗いていますが、
フリウリの高山。
 
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地平線をご覧下さい。 手前側に蛇行しているのは高速道路で、左へ4KM程奥の
ヴィットリオ・ヴェネト南から、いつもこの高速に入り、出かけて行きます。

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行く時は、「行ってきま~~す、お願いしま~~す!」
戻って来た時は、「お陰さまで、無事戻りましたぁ~、有難うございましたぁ~!」
と、叫ぶのでありますよ。 へへへ。 右に45KM先が、ヴェネツィアで~す。
       


細長く、南北に続くオリアーノの丘の上を道が通り、両脇に村が細く続きます。
そして、農家がかなり大きいのです、この村は。

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いつもスコミーゴ村からご覧頂いているオリアーノ村の教会、鐘楼です。
そして、教会のすぐ裏の畑はオリーヴ畑。

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この辺り、幾筋も北からの丘が流れているのが、お分かりでしょうか?
いつ見ても見とれる程の美しい丘が、幾つもあります。 右下の煙は野焼きの煙。

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丘の隙間に覗くのは、コネリアーノの町。

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オリーヴ畑の中にある木に咲く、白い花。

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オリアーノから我が家に戻る、いつもの道。 北境の山の雪は消えかけ・・。

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一番奥に並ぶ階段状のコンドミニオの右から2つ目の1階に我が家が。



畑作りの準備が始まっています。
昨日耕していましたが、今日はトウモロコシの皮を降ろしていますね。

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春の色、黄色。  連翹が、今、花盛り。

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この日曜、23日が復活祭、パスクワ。 お店の飾りを、一枚どうぞ。

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では皆様、復活祭おめでとう!!
Buona Pasqua a tutti !!
       

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・ n.2 ソンチーノ ・ 中世の要塞と、ユダヤ人の印刷所 

先回に続き、ソンチーノのご案内を。 スフォルツァ家の素晴らしい要塞の他に、
この町には有名な15世紀のユダヤ人の印刷所博物館があり、
今日はその博物館と町の様子など、
そして偶然に知った映画「レディ・ホーク」に使われた、もう一つのお城のご紹介を。

印刷博物館のこれが外観です。 午前中のみの開館なので、下見に行った
午後のこの時間には閉まっていましたが、細く高い家の姿はサイトでも
見ていましたので、道の遠くから見てもすぐ見分けられました。

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ご覧のように3階建てで、窓は尖ったアーチの片開き窓。
       
追記 訂正: こちらも当時と見学時間の変更がありました。
開館  11月~3月 火曜~金曜 10時~12時
          土・日・祭日 10時~13時 15時~18時
    4月~10月 火曜~金曜 10時~12時
          土・日・祭日 10時~13時  15時~19時
    いずれも月曜閉館
    入場料は 要塞と共通入場で 5エウロ  シニア 3,5エウロ 
サイトは http://www.prolocosoncino.it/Orari%20e%20Costi.php



博物館はムゼオ・デッラ・スタンパ・Museo della Stampaですが、
この家の前には、カーザ・デッリ・スタンパトーリ・Casa degli stampatori
印刷者たちの家・ソンチーノ、という標識が掲げられています。
       
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15世紀にドイツのスピーラ・Spiraと言う町、有名な大学の町ハイデルベルクの
西にあり、これは活版印刷を始めたグーテンベルグが生まれた町に近いそうですが、

その町を追放されたユダヤ人家族がこのソンチーノに住み印刷業を始め、
ここで、1488年4月、世界で最初のヘブライ語の聖書 完全版が印刷されました。
グーテンベルグの活版印刷の発明から、わずか30年内の事です。

印刷者の名はイスラエル・ナーサン・Israel Nathanと言い、薬業もしており、
一族は金融業だったとの事。

この博物館の管理人の説明によると、当時のミラノ大公スフォルツァ公の依頼で、
ソンチーノの要塞の為にお金を融資し、引き換えに、住み、印刷業をする許可を
得たという事で、彼の兄弟が既にソンチーノに居た様子ですが、

ドイツを追放された後、初めて受け入れてくれたこの町ソンチーノに感謝を捧げ、
出版物にSoncinoと名を入れ続けます。



管理の方が、実際に印刷する様子を実演しながら、説明してくれました。
      
鉛の版をまず油を浸した布で拭き清め、この油はオレンジの香りが、
そして、版にローラーでインクを載せます。

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一方こちら側の版に、紙を挟みこみます。 触ってみましたがかなりの厚さの紙。
       
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布切れを水車を回してほぐし、それで紙を作ったそうで、水車は要塞の近くにと。
確かに! 前日の夕方近くその水車を見かけ写真を撮りましたので、後程。



紙を挟んだ側を前に倒し、プレスの下に押し込みます。
そしてこの様に、プレス機のハンドルを手前に回しながら、印刷・プレスします。

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大変ユーモラスだったのは、この方が博物館の管理説明の方なのですが、
プレスのハンドルを7回手前に引いて印刷するのに、ワン、ツー、スリー、フォーと
ここだけイタリア語訛りの英語で!

7回というのにもそれなりの意味があり、7つの不思議とかありますね、
それに由来するのだそうで。



はい、出来上がり、刷り上がり。
これが、ソンチーノのこの家で、1488年4月22日、世界で最初に印刷された
完全版 ヘブライ語の聖書 最初のページ。

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ご存知のように、ヘブライ語は右から左へと読みます。



こちらは、博物館1階展示物の一部。 

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右側上の小さく区切った部分には、鉛の活字、そして木製の活字が収められ、
壁の真ん中の小さい紙、そして左の大きな紙には、ヘブライ語のアルファベット。

当時まだヘブライ語の辞書が無かったそうで、イスラエル・ナーサンは辞書も作り、
左の大きな紙は、その辞書の説明しているのですが、
分りやすいようにと、子供の図がその言葉の説明を補っているのです。
例えば、雫という言葉には、そのアルファベットの下に子供が口を開け雫を受る、
という様に。



こちらも1階にある手動の印刷機で、先に印刷して見せてくれた印刷機と共に、
この博物館には、19世紀の終わりから20世紀の初頭にかけての
手動の印刷機が展示されています。

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壁にかかっている図は、活字を作る職人、図柄の職人、など
かっての印刷に関する様々な仕事の様子。



2階の様子。 印刷員の一家とは、一体何人位いたのかと尋ねましたら、
印刷に関する全ての仕事をする一族、という意味で、十数人だったろうとの事。

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手振れご容赦、中世の家の内部をご想像下さい。



2階展示部分。 この木製手動印刷機は、15世紀の印刷機の複製。
この形の印刷機で、あの当時、画期的な印刷物が生み出されたのですね。

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3階まで上がって見下ろしました。 この辺り、15世紀当時はユダヤ人たちの
居住区でもあったそうで、近くにはユダヤ人墓地も、多分シナゴーグもあったろうと。

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ソンチーノに住み、ヘブライ語の聖書を世界で最初に出版したユダヤ人一家は、
僅か10年ほどで、カトリック教会の反対で他の町に移らざるを得ませんでした。

どこ、どこへ、と管理人が数え上げる町の名を聞くのも辛くなるほど次々と移住し、
最後は、コスタンティノープル、現イスタンブールにまで移住します。
印刷物に、ソンチーノの名を入れ続けながら。



この町はロンバルディア・ミラノ公領とヴェネツィア共和国の狭間にあり、
何度も振り動かされますが、最後はスペイン領、そしてオーストリア領となりながら、
衰退していきました。

城壁に囲まれた小さな町ですが、養蚕業も盛んな繁栄した町だった様子で、
要塞のすぐとなりに、大きなかっての製糸工場の跡があり修復中でした。

これは町の一番大きな教会サンタ・マリア・アッスンタ・Santa Maria Assunta.

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12世紀創設の、かってはクレモナ司教区の第一の教会だったと。
そう、このソンチーノの町は、ヴァイオリンで有名なクレモナの近くでもあります。



サン・ジャコモ教会の美しい回楼部分。 この教会の正面は、先回ご覧頂いた
コムーネ前の広場に隣りあってありますが、ゴシック様式に改装されています。

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サン・ジャコモ教会の鐘楼。 なんと珍しい事に7角形なのですね。

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印刷博物館の管理人が、小学生に聞くように、あの鐘楼は何角形か?と。
前日に既に見ておりましたから、へへ、七角形で~す!
いや正直に言いますと、七角形という言葉は覚えておりませんで、
指で7を示したのですが正解は正解! はは。
エッタゴナーレ・ettagonaleというそうです。



コムーネ前広場から南に走る、町一番の大通りコントラーダ・グランデ。
大きな建物、リバティー様式の建物なども並んでいますが、イマイチ馴染まずで・・。
 
こちらは古いポルティコが続く西側の一部。

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上の建物に続く西側の建物群。

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写真でご覧頂いてわかる様に、交通量が多くなく駐車も出来ますが、
なにせ道が狭いので、ほとんどが一方通行。
町の地理が飲み込めていない最初は、何所をどう行ったらどうなるのか分らず、
あっちへ行きこっちへ行き・・。 
遂に車の近くにいたシニョーレに、スクージ、町から出るにはどう行くのですか?!
       


この可愛い、愛国者的、自転車!

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町の城壁外にある、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会・
Santa Maria delle Grazie. 要塞の受付の女性も、印刷所管理の
シニョーレも、見に行くようにとお勧めで。

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15世紀末のルネッサンス様式で、正面はご覧のように変哲なく。



が内部は、ご覧の様にすべてフレスコ画で装飾されており、見事。
テーマは「最後の審判」との事ですが、実際は写真の様には明るくなく、
ガイドの説明があったらと思いました。

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こちらも城壁の外、要塞近くにある家。 あ、水車がある、何の水車だろう?
と、最初の夕方写した写真です。

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そばで見ると鉄の歯で、山奥の粉引きの水車とは違うとは想像したのですが、
印刷博物館のシニョーレが、布切れを潰し、紙を作っていたものと教えてくれ。



こちらは、上の水車の家にも程近く、要塞のすぐ近くにあり、かなりの水音が聞こえ、
家は廃屋となり、水車も回ってはいませんが、
写真にも見える水路を水が流れ、この傾斜地にもう一つ水車の家が。

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先回ご覧頂いた、スフォルツァの要塞。 夕霧に霞んで。

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ぐるっと町を囲む城壁の外に道が巡っています。

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なだらかにカーヴする並木道を行きましたが、1車線の細い道で、
道の向こうの先で既に一台、待っていてくれました。



ソンチーノの宿を探していて、昔ながらの養蚕をしているアグリトゥリズモ、
というのを見つけました。 長野育ちの私には、蚕というのは思い出深いもので、
電話して、シニョーラを尋ねました。

これは昨年の繭の一部。 ほんに細い透明な糸の一筋が、
意外に強い強さで指に触れ、軽い驚きを味わいました。

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彼女フランチェスカは大変喜んで、現在、昔ながらの養蚕をしているのは、
彼女1人の事、農薬の被害で蚕が死ぬ率が高く、おまけに大変繭が安い事、
などなど話してくれました。

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イタリアの養蚕業者と、日本の群馬の養蚕試験所とが姉妹提携しているそうで、
日本から視察に来られた方の名刺に出会いました!

またイタリアの養蚕はヴェネトが一番の中心である事も教えてもらい、
桑の葉を小さく切る鎌の器械や、アーゾロでの手織りの絹織物店の事など
いろいろ思い出す事があり、そう言えばと納得した事でした。
       
少し掘り下げて調べてみたい気持ちになりました。
       


所で、ちょっと話題が変わりますが、
ソンチーノの要塞は、映画「レディーホーク」に使われた事は先回ご紹介しましたが、
ははは、何度も「レディーホーク」の話が出て来ますが、済みませんですねぇ、
私めはあの映画が大好きでして、いや、映画は2流ですけど、あの中世風がね。

DVDで確かめ、悪の司教の館として使われた城が、何所の城なのか疑問でした。
が、なんと1週間も経たぬうちに偶然本屋で旅行雑誌の表紙の城を見て??!! 
            
パルマの南15キロにある、トッレキアーラ・Torrechiaraにある要塞と。
写真 Bell'Italia.

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そしてここは大変に有名な要塞である事も知りましたので、
少し雑誌の写真でご紹介を。

なんで有名なのか、つまり、15世紀のパルマの領主ピエール・マリア・ロッシと、
その隠れた愛人ビアンカ・ペッレグリーニとの、愛の巣だったと。
   

    
という事で、有名な「金の寝室」というのが、この写真。

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壁上部のフレスコ画に、騎士が貴婦人の前に跪いている図柄も見えますね。
もっと上部には、ビアンカが巡礼姿で、姓のペッレグリーニは巡礼の意味で、
彼の30もあったという城を、愛を求めて巡る図柄になっているのですと、 あ~あ!

「金の寝室」という呼び名は何所から来たか?
上の写真の暖炉周りの壁が、陶板装飾になっていますが、その細部がこちら。



真ん中にハートが2つ重なり! これがかっては、金色に塗られていたのだそう。

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彼らの後、城はスフォルツァの物にもなり、変遷の後現在は国の持ち物で修復され、
素晴らしいこのお城も、3エウロで見物できるそうですので、
はい、チャンスを捉えて、見に行こうと思っとりま~す。
           
という事で10年後に、漸くトッレキアーラの城を訪問した様子はこちらに。

n.1 トッレキアーラの城、パルマ ・ 美しく、守備堅固、そして愛の巣の
http://www.italiashiho.site/archives/20181110-1.html 
      
n.2 トッレキアーラの城、パルマ ・ 美しく、守備堅固、そして愛の巣の
http://www.italiashiho.site/archives/20181115-1.html


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・ n.1 ソンチーノ ・ 中世の大要塞と、ユダヤ人の印刷所

今日は、小さな村とも言えそうな、ソンチーノ・Soncinoのご紹介です。
  
中世のミラノ大公、スフォルツァ家の素晴らしい要塞・Rocca Sforzescaが残り、
また、15世紀のユダヤ人の印刷所であった家が、今博物館となっている、
思いがけない程の歴史を持つ、城壁に囲まれた町、です。

先週、霧の続く日に行ってきましたが、写真が多いので2週に分け
ご覧頂きます。  では、どうぞ!

なんとも素晴らしい威容を見せる大要塞で、ここは映画「レディホーク」にも
使われているのですね。 はい、先日DVDを見て、間違いない事を確認済です!

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こちらが一番の主要な正面の門ですが、ご覧の様にここだとそう大きくも見えず、

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平地の平城の様に見えますが、門に架かる橋は勿論跳ね橋で、
その下がぐっと深い空堀になっていて、外の堀には水が入っていたそう。

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この要塞は、月曜以外の午前中見物でき、印刷博物館との共通入場券で、
なんと、たったの3エウロ。 おまけにシニア料金もあり!
 
町に着いたのが午後で、要塞も閉まっていましたが、霧が少し晴れ、
薄日が射して来たので、下調べを兼ね、写真を撮りに出かけました。

追記、訂正
ロッカと印刷博物館の共通入場券は5エウロ、シニアは3,5エウロに
但しロッカのみの見学で、火・水・木・金の14時~16時だと3エウロ
開館 11月~3月 火曜~金曜 10時~12時 
         土曜、日曜、祭日 10時~12時半 14時半~17時
   4月~10月 火曜~金曜 10時~12時 14時~16時
         土曜、日曜、祭日 10時~12時半 14時半~19時
   いずれも月曜閉館
印刷博物館の開館時間は、ご案内の時に。
サイトはこちら http://www.prolocosoncino.it/Orari%20e%20Costi.php



こちら、要塞の北西部の外堀。

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映画「レディーホーク」では、この堀に水がたたえられ、手前左側の跳ね橋から
騎馬兵士が行き来していました。
今、跳ね橋は上げられていますが、翌朝見物時は跳ね橋が下ろされていて、
様子が偲ばれました。



上の写真に見える様に、外堀部分は緩やかな傾斜で降りれるので、
そろそろと行ってみました。

パッと見える感じとは大変な違いで、奥行きが広く、要塞の壁の高い事に威圧。
真ん中に低く見える半分切れた橋は、イザという時、隠れ跳ね橋が下りての
逃走用、と言うのを、翌日の場内見物で知りました。

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要塞全体の構造は、四角な中庭が2つ続き、それぞれを繋ぐ角に塔がある形で、
その4隅の塔は、上の写真に見える西端のみが円形です。

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こんな風に丸く、上部にテラコッタの聖母子像が納められています。



聖母子像。 残念な事に、キリスト像の頭部が欠けてしまって。

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外堀のすぐ北側を、川が流れます。
    
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この川が町の北側から東を囲んで流れ、要塞にも入り込み、
そして水車を回し、かってこの町は養蚕業も盛んでした。
     


要塞をぐるっと一回りしつつ、周囲に広がる野原、畑を眺めます。

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トラクターが動き、畑仕事の準備も進み、家の裏庭を通ると、
暇なワン君達が走りより・・。 春近し!



で、ソンチーノなる町はどこに?
私も1年前まで聞いた事もありませんでしたが、ガルダ湖畔の製紙業について
調べていて、偶然この町の存在を知りました。
でサイトで見ると、なんともの凄い要塞が在るではないですか?!
ソンチーノがちょうど、ヴェネツィア共和国とミラノのスフォルツァ領との境界にある為
築かれたのですね。
      
おまけに相前後して読んでいた本により、ソンチーノでエッツェリーノ・ロマーノ3世が
死んだ事を知り、行ってみたくて堪らなくなり、今回漸く訪れるチャンスが。

ヴェネツィアからだと、高速でパドヴァ、ビチェンツァ、ヴェローナ、そして
ブレーシャから南西に44kほど。 我が家からだと、総計275kほどの距離に。
地図北上のベルガモから E64(A4)を西に行くと、ミラノ。

10-05.JPG



ソンチーノから西に3kほどの、アグリツゥリズモ・コルテーゼ・Corteseに2泊しました。
http://www.allevamentodelcortese.it

追記 訂正:記事に書いているサイトをすべて点検しながら移していますが、
      今宿は無くレストランのみ、そして馬の飼育をしているのを確認。



ここは障害競走用の馬の飼育、教育をしているのですね。
初めてお馬ちゃんの鼻ずらを撫でさせて貰い、暖かい、柔らかい! 感激!
このお母さん馬は、私が柵に近よると、こんな風に早速近寄ってきました。

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このお馬ちゃんは3歳になったところで、横棒を渡る訓練を始めた所。
こんな風に地面に寝かせた横棒を横切るのが、右の最初の1本は楽に渡るのが、
この2本めの前でためらいます。

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教育係のお兄さんが、そばにも寄り、ホラと励ましてやると渡り、その繰り返し。
       
TV中継で見る、150センチとかの高さの横棒を見事に飛び越えるお馬さんも、
最初は、こんな訓練からなのですね。 4歳になると、飛び越える訓練が始まり、
日本の競馬のように、走るサラブレットとは馬の種類が違い、
遅く始める代わりに10歳15歳になっても、現役の競走馬なのだそう。



暫くすると少女たちが集まってきて、乗馬教室も始まりました。
2日間で6人見ましたが、いずれも少女のみ! イタリアの男の子はサッカーだけ?

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この少女はまだ幼く、10歳になっているかな?
この日の彼女は手綱を持たず鞍を持ち、時に言われて、片手を横に上げたりの
練習を。 右がここのご主人、フランコさん。



この少女は、なかなかの美少女。 
それに、こんな少女達が大きなお馬さんを御しているのは、素敵な眺めです!

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上の少女の後、4人一緒の練習が始まりました。
この彼女がどうやら一番の年長で、と言っても、13,4歳と思うのですが、
一番上手く慣れていました。 そして、彼女もなかなかの美少女。

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2棟ある厩舎には今18頭ほどいるそうで、窓から顔を出すのを、順番に
撫でさせて貰いました!
一頭撫でると、すっと目を細めてくれるのがいて、こういうのは、本当に嬉しい!!



このチビちゃんは、2週間半前に生まれたそうで、お母さんが神経質になり、
見せまいと、ひっきりなしに、前を行ったり来たり。
柵の位置が高く、隙間からやっと1枚。 チビちゃんの鼻先が切れてしまいましたぁ。

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馬達だけでなく、この農場には、家鴨、鴨、鶏、それも色々な種類がたくさん!
こんな、半身色分けの、ヤギ君も。

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こんな様子では、どちらがオスでメスかも分らず、小さいながら角も持っているので、
頭突きを食わされないように、とこちらは用心。
が、彼らのこの顔つきを見ると、これは何者? と向こうも思ったようで・・!

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それに、これは何?! 家鴨の大きな様でもあり、ガチョウの血も?!
そしてこの後の、白黒と、白茶黒班も何者? そしてこの2羽の関係は?!
      
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家鴨どもといったら、まったくうるさい奴らで、警戒警報の叫びを上げながら、
金網の向こうをついて回るのです。



翌朝は恐れていた通り、前日よりももっと深い霧の朝となりました。
宿のすぐ前の、小川沿いの道。

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視界は、どの位かな? 部屋の窓からは、まったく真っ白でしたね。



こちらが母屋で、大きな農家。 一泊朝食付きで、25エウロ。
私は夕食も頼み、ワイン1本づつ飲み、勿論部屋に持ち帰り、余り!
計70エウロ払いました。 安い!!
     
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下宿しているらしい若者男女1名づつとテーブルは別ながら、朝食と夕食を。
これが意外と楽しかった、と言うのも、彼のほうがゲイで、それで彼女は気軽に、
大いに喋るのですね。
話の内容までは追求せずでしたが、彼の如何にもゲイらしい、話しぶり、しぐさに
私は、大いに傍で楽しみました!



朝まず印刷博物館に行きましたが、ここのご案内は来週にし、
要塞の内部をご覧頂きますね。

これは要塞の正面入口、跳ね橋の下の部分。
この部分は空堀ですが、大変深く壁の傾斜は、直立に近く。

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入口を入った最初の中庭。 この右手に、先回ご覧頂いた跳ね橋に通じる、
門があります。

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この中庭が、映画「レディーホーク」に何度も登場していましたっけ。



上の写真に見える中央部から逆に、最初の中庭、入口部分を見た所。
この部分も、周囲の壁の上に通路が見えますが、現在は登れません。
   
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入口脇に見える、切符売り場の女性に尋ねました。
この要塞で、エッツェリーノ・ダ・ロマーノが死んだ、と読んだんですが・・。
彼女は、それは伝説の類で、実際はコムーネの建物で死んだのだと思う。  
コムーネに牢があったというから。

それに彼が死んだ年には、まだこの要塞はなかった、と、いとも明快な答えを。
まさに!!  

エッツェリーノは1259年に死に、この要塞は1473年に建設されたのでした!
誰だぁ、数字に弱い頭に、こういう嘘を吹き込んだのはぁ?!

エッツェリーノ・ダ・ロマーノ ・ Ezzelino da Romano III
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461059981.html

昨年、彼についての本を2冊、小説と、郷土史家の書いたものを読みました。
半伝説的人物にもなっており、おどろおどろしくもあり、なお魅かれる部分もあり・・、
       
       

こちらは2つある中庭の奥の中庭で、広く四角く広がり、左に井戸があります。
中庭の四隅に塔が立ち、見えるのは南西の塔で、
下の右に続くオレンジの建物は住居用だったそう。

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建物手前に見える階段から、周囲を囲む、壁の上に登る事ができます。



オレンジ色の住居用建物の、軒下。
裸身の男性像と、花柄、子供・天使? との組み合わせ。

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先ほどの階段を上がった上、南西の角の塔は礼拝堂に使用されていた様で、
消えかかった聖母像も見え、中央に、スフォルツァ家の紋章も見えます。
       
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両脇に、木の下に座る犬の姿、そしてその後に神々しい手が見えます。



鮮やかな色が残ります。 この犬の姿、そして神の手、木。

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周囲を囲む壁の上の道、2Mほどの幅は十分にあり、真っ直ぐに四角く
中庭を囲みます。 これは南西から北西の円形の塔に続く道。

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上の道の途中より、中庭への入口の門部分を。
全てが、煉瓦の積み重ねで、まさに圧倒される量感です。

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塔の上の道の隙間から。 彼らは、印刷博物館でも出あったベルガモの中学生。
引率の先生と総勢15,6人の小人数で、土地の女性ガイドが大変詳しく説明を。

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イタリアの、こういった土地のガイドは大変に熱心に詳しく説明してくれますが、
こういった制度は、余り日本には無いですよね。
相手が理解するかどうかよりも、それ以前の種まきの作業に似ている、
と思いますが、大切なチャンスを与えているのではないか、と思います。
       


北東角の塔と、奥の中庭への門。 塔の下に張り出した屋根が見えますが、
あそこから、地下に階段が付いていて、恐る恐る降りてみました。
暗い電球で、こういうのは余り好きでないのですが・・。

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ありがたい事に、牢ではなく、緊急時の逃走用の跳ね橋、今回最初の方の
堀の底に降りた時の写真に見えた、に続く地下道でした。



とにかく壁が厚く、その厚みを利用して何箇所か、出窓の様ににしているのを 
見かけました。 この出窓は、上の写真の塔の横に。

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要塞正面に見える由緒ありげな建物。
左に見える道は、要塞の正面の門から真っ直ぐに、町に続く道。

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西側の壁の上からの農家の眺め。 いかにも、中世の村の家、の面影。
向こうの畑は、すっかり霧に霞んで。

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南側の壁の上から、町中が見えます。 左の時計の塔がコムーネの塔で、
その左に丸く壁が見えるのが、コムーネの建物。

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要塞入口の女性が、このコムーネに牢があったというから、
多分エッツェリーノはそこで死んだのだろう、と教えてくれたので、
では、とコムーネに行き、受付の紳士に尋ねました。

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正面の建物の右手に、広場を囲む形で現在のコムーネの建物が続いていて、
受付のシニョーレは、私の質問にこう言いました。
今の建物は、改装されて大きくなり、牢もありません。 
当時は多分、隣の塔の下に牢があったのでしょう、と。

という事で最後は、塔の下に現在あるモダンなバールに行き、熱いココアを。
ゲーム機が並び、エッツェリーノの面影を偲ぶよしもなく・・。 でも、納得!

という事で、次回は、印刷博物館のご案内です。お楽しみに!


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