・ ドゥブロヴニク ・Dubrovnik・ アドリア海の真珠

今日は月1ゲストのグロリオーザさんのご案内で、
アドリア海を挟みイタリアの向かいに位置するドゥブロヴニクの
ご紹介を、素晴らしい写真と、彼のコメントでどうぞ!     
***
    
この夏クロアチアの最南部に位置するドゥブロヴニク・Dubrovnik
に行ってきました。
「アドリア海の真珠」といわれるこの街は、世界遺産に登録の、
とても美しい場所でした。 輝かしい街を、どうぞご覧下さい。

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「地上の楽園を見たければ、ドゥブロヴニクにおいでなさい」
イギリスの劇作家バーナード・ショーがこう記したように、
旧市街のプラツァ大通りは、このように輝いていました。

撮影時間は午前5時過ぎ。 本当は夜に撮影しようとしたものの、
午前0時を過ぎても人通りが途絶えず、翌朝出直して
撮ったものです。
夏の、無人の大通りの写真は、珍しいはずです。



ドゥブロブニクへは、イタリアのバーリ・Bariという街から船で渡りました。
前日の夕方、乗船したフェリーを夕焼けが包んでいました。

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出航して約8時間後、クロアチアの大地が見え始めたところです。

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旧市街の全景。 城壁に囲まれているのがわかりますね。
一周約2キロ。 1時間あれば、ゆったりと周れます。

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城壁に昇ると、まず初めにプラツァ大通りが俯瞰できます。
メインストリートは観光客で一杯です。

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通りのアップ。 上の写真は順光で、前方に影ができているのに、
アップにすると、逆光のように影が手前側に出来ています。
光を受けた建物からの反射光で人影が、ピカピカにすり減った
大理石の路面に映っているのです。

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旧市街の脇はすぐ海。
海水浴の若者たちの前方を大型船が通っていきます。

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滞在中は連日快晴。 
洗濯物も万国旗のように広げられていました。

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旧市街を出るとすぐ、北側は急勾配の坂道になります。
とてもドラマチックな展開です。

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東側には、13~18世紀にかけて自由貿易の一大拠点として
栄えた旧港が開けます。 美しい海の色です。

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光の角度によって、その色はさまざまに変化します。

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大聖堂。 8月15日の夜には聖堂内のマリア様の額絵が担ぎ出され、
市内を一周しました。 この日は聖母被昇天の日でしたね。

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大通りに面した教会は聖ヴラホ教会。
ライトアップされて、一際目立っていました。

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大通りの賑わいは、まるで渋谷のセンター街のようでした。

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夜の小路。 後方に、城壁の要塞が見えます。

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帰り道、子猫と遊ぶ少女に会いました。

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その階段から望む、イグナチオ教会。

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イグナチオ教会の天井を飾るフレスコ画です。

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階段下の広場では、毎日朝市が開かれています。
ここで買った桃がうまかった。

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旧市街から少し離れたロブリエナッツ要塞。

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この街は16年前の1991年に、大きな不幸に見舞われています。
独立を宣言したクロアチアに対して、セルビア、ユーゴスラビア軍が
1日で2千発もの砲弾を撃ち込み、街の8割が破壊されました。

以後4年間にわたって戦争状態が続き、街は荒廃。
一時は、世界遺産の危機遺産リストに挙げられましたが、
市民の努力でここまで復興しました。
       
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旧市街に入るピレ門と反対側のプロチェ門には、この様に破壊された場所を
示す地図が掲示され、また、市内のスポンザ宮殿内には当時の写真、
犠牲になった人たちの顔写真がずらりと掲示されています。

私が泊まった宿の女主人も「クロアチアは小さな国だけれども、
とても大きな歴史を背負っているんですよ」
と、当時の生々しい話をしてくれました。



破壊の痕跡は至る所にありましたが、代表的なものの1つ、
背後の山の山頂にあった、ケーブルカーの跡です。
今はもちろん使われていませんが、
あの歴史を忘れまいと、痕跡はそのまま残されています。

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ロブリエナッツ要塞の入口に、ラテン語で文字が刻まれています。
意味は「あらゆる黄金をもってしても、自由を売るは正しからず」

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外交戦略によって自由を貫いてきたこの街の歴史を垣間見る気持ちでした。  
   
  
***

如何でしたか、グロリオーザさんご案内のドゥブロヴニクは?!
かってはユーゴスラヴィア連邦で、現在はクロアティアの、
アドリア海に沿って細長く伸びる南西部に位置します。

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この地図は、塩野七生さんの「海の都の物語」から拝借しましたが、
「ラグーザ」という下線を引いているのが、ドゥブロヴニクの事で、
その南西、イタリア側にバーリがあり、フェリーで8時間の航海だったそう。

かってのヴェネツィア共和国は、アドリア海沿岸のあちこちに、
寄港地を設け、ヴェネツィア湾 と呼ばれるほどの整備を調え、要塞を設け、
このドゥブロヴニクも「小さなヴェネツィア」の面影があるとか。

クロアティアにヴァカンスに出かけた息子夫婦が買って戻った観光ヴィデオには、
しっかり日本人グループが写っており、私を驚かせ、ガックリも! ははは。
皆さんも、どうぞ負けずにお出かけ下さ~い!!


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・ 憎い あんちくしょう達! ・ 猫ちゃん編 

暫く前の事ですが、「GATTI BASTARDI・ガッティ・バスタルディ」という
小振りの写真集を買いました。 MONDADORI出版社です。 

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直訳ですと「雑種猫」ともなりますが、登場の猫ちゃん達の様子が
余りに可笑しく可愛らしく、皆さんにもご紹介を。
が、タイトルは、その抵抗できない憎めなさから、敢えて
「憎い、あんちくしょう達!」と致しました。

名前、年齢と、そして家主たちの短いコメント付です。
どうぞ、お楽しみ下さい!!

・ ブレント ・ 14歳
 
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最近、繰り返し見る夢はなんですか? 言って見て下さい。



・ マリリン ・ 4歳

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じゃあ、手錠をかけてぇ、ねぇ~!



・ ラヴェルネ ・ 8歳

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見つけたぁ!



・ ラッフィーナ ・ 中年 ・ 趣味、ベリーダンス

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何も、私がデブと言う訳ではなく、私の骨が太いだけなのよ!



・ ワンダ ・ 3歳 ・ 趣味、ポルノ・ヴィデオ

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30分、100エウロでどう?

*この原文の意味が分らず、先生に尋ねました。
 Sono 100 per mezz'ora.  
 笑ったぁ!  OK、使い方を覚えたぞ!



・ ジェームス ・ 2歳    
 
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多分、プローザックのせいだよ。

*プローザック・Prozacというのは、エクスタシー剤ですって!



・ マンスフィールド ・ 2歳 ・ 趣味、折り紙

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エィ、お前が座っている時には、1度も写真を撮ったりしないだろう?!



・ ぺトゥロ ・ 12歳

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お前の血が欲しいぃ・・



・ ヒッチコック ・ 8歳 

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俺の親指は、内側に曲がるんだぜ、
それに、どう効果的に使うかも、知ってるぜ。

*親指が内側に曲がるのは、人類だけなんですって!
 私の先生は、賢い!!



・ アシャカ ・ 7歳 

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オムゥ・・・



・ アルマンド ・ 4歳 ・ 趣味、多年生植物の間にウンチする事

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ジュネーヴ条約違反で、控訴します。



・ ブレイク ・ 9歳

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臭いをかいで、そして僕が何をしたか、当ててみてぇ!



・ タッポ ・ 7歳

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これで分ったでしょう? 僕の名前が「タッポ・栓」というわけが。



・ クリーヴランド ・ 3歳

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撃たないで! 財布は、左のポケットの中にありますぅ。



・ ブレンダ ・ 4歳 

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ああ、これは、本当に気持ちがいい!


*彼等を見た皆さんの顔も、こんなかな?!
 憎い、あんちくしょう達のワンちゃん編もお楽しみに!


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・ 中世の城跡 ・ サン・サルヴァトーレ 

今日はヴェネトに戻り、我が町コネリアーノから南西に7キロほどにある中世のお城、
サン・サルヴァトーレ・San Salvatoreにご案内いたします。 
小高い山の上に威容を見せる中世のお城で、この春5月末に行ったもの。 
では、どうぞ!

サン・サルヴァトーレのお城はスセガーナ・Suseganaにあり、コネリアーノからだと
トレヴィーゾ行きのバスが国道をとおり、そこからかなりの坂道を上った所です。
 
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という事で、お城の前からの眺め、左側中程に車が続いて見えるのが国道筋。



畑は全て葡萄畑ですね。我がコネリアーノ一帯から北西にかけ、白葡萄酒で有名で、
勿論ヴェネト平野の東に続くフリウリの白ワインも有名ですけど!!

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なんとも素晴しい城壁、城門。 門の上に見える紋章と王冠は、城の持ち主がコンテ・
伯爵である事を現しますが、我々見学者はここから入れて貰えませんでした。

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でも昔一度、ここから中庭に入った事あり! 当時は門は開いていたのでした。



今回実は私のイタリア語の先生アンナリーザが教えている学校の生徒が見学するのに、
同行したのですね。 一般には公開していないので、この手で。

お城の下の道をずっと奥まで辿ると、お城が、こんな風に見え、そして林の中の坂道を
かなり歩いて上ります。
      
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九十九折の坂道をハァハァと上り、ガイドの女性に迎えられてやっと中庭に。
この場所で、お城の歴史、由来などを聞き、学生たちは逆に質問されたりして・・!

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このサン・サルヴァトーレのお城は、15世紀にコッラルト一族によって建てられ、
城壁内の広さとしてはイタリアで一番広い面積との事。

コッラルト一族の城としては、もう少し奥にある今は廃墟になっている城が本当は
本家筋のようですが、こちらのお城にはいまだに御子孫がお住まいで、
その区域には入れません。

塔に続く城壁が見え、小さいアーチが支えている部分と、大きなアーチの部分とあり、
小さいアーチの部分では、兵士が鉄砲を撃てる程の支え、つまり構造として古い部分。
その左の、アーチが大きく下までの支えが続いている部分、こちらは新しく、
この部分だと、小さめの大砲も撃つ事ができるそう。

右に見える木の奥にご一家の居住部があり、左に続く部分には教会や、昔からの
城壁内に住む職人達(今もそうなのかどうか)の住居があります。

コッラルトの城、ご一族についてはこちらに




坂の下からも見えた塔、実はこれは教会の鐘楼で、今見えている廃墟も教会跡です。
かって城主が馬車で事故をしたものの、奇跡的に怪我もせずに助かったのを感謝し
建てた物だそう。  

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右下に見える門をくぐり、奥に行きますが、ご丁寧に跳ね橋までついています。

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戻り道の際、ちょうどフルハウスの車がやって来たので、上手く通れるかどうか楽しみに
見つめましたが、ゆっくりと慎重に、通り抜けました。 残念。



跳ね橋を通り抜けた門の内部で止まり、ガイドさんが逆に城壁などにある穴は
何のためか知っているか、と質問。
       
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はい、こちらの城壁などに時に穴がありますね。 あれは、修理を要する時等に
材木を突っ込み足場を作るため、なのだそうです。
勉強になりますねぇ! これからいつも学生たちの見学について行こうかしらん。



これは、城壁の外に下がる跳ね橋の重し。

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跳ね橋を通り、ゆるゆると坂道を上ると正面奥にこんな新しい建物が。
   
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これは、このコッラルトの城主がヴェネツィア共和国の元に入って後、18世紀だったか
共和国のドージェになることを望み、田舎者では無いという事を見せる為に
建設した館なのだとか。
       


上の写真の右側に続いている城壁。 その中程に、こんなテラスに続く場所が。
両脇の緑はジャスミンです。

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お天気が大変変わりやすい日で、日が射すかと思うと突然大粒の雨が来たり。



で、この平野を見晴らす素晴しいテラスに、ローマ期小さな石棺があり、
テルトゥッラという女の子の名前が刻まれています。

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奥の城館を見学に。 中世の城を見たくて来たのが、新しい館のみでいささかがっくり。

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建物内の壁にはこういった武具の展示も少し。 これは素晴しい細工の胴当てですが、
中には鉄砲の穴の大きさにへっこんだ物もあり、そういうのは試し撃ちに使った物だとか。

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現在この新しい城館は、結婚式場にも使われているとかで、素晴しいシャンデリアも。

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建物の入口部分から。 前に見える教会の廃墟、そして以前あった古いお城の主塔も、
現在ありません。

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第一次大戦の際爆撃破壊されたとは読み、てっきり敵側の攻撃と思っていましが、
ではなく、敵側がここにというのでイタリア軍が爆撃したのだそうで、あ~あ!!
    


教会の廃墟、彫像群、一面に広がるヴェネト平野の眺望。 綺麗に手入れされた庭園。
見事に咲き乱れる花ばな。
なんとなく出来すぎた舞台装置のような・・!

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いつも国道筋から眺める中世の城の威容に是非中を見たいもの、と願っていましたが、
実際見てみるとまさに夢の跡なのでした!!



城館の裏庭から見た眺め。 こちらにも葡萄畑が広がります。

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そう言えばこのお城、城館で春に白ワインのお祭りがありますが、
素晴しい眺めで、、美味しい白ワインも一際美味しい事でしょうね!



これは先ほどのテラスから見た、コネリアーノ方面。
煙っていて見え難いですが、中央の山の上にコネリアーノのお城の塔が。

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左手前の大きな白い建物は、ヴェネトの庶民の生活、農作業、職人の仕事に関する
道具類などが展示された博物館で、ここも一度訪れたい物。

追記:「人間博物館」というこの博物館を後年訪問しましたが、コレクションは凄い物の
    整理が行き届かずのままで・・。  2019.1.2



右の建物が、このお城の持ち主の住居部分。

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後日談があります。 アンナリーザは、英語ドイツ語を教えているのですが、
この8月の最初の事、16歳の清楚な少女ジネーヴラに英会話を教えたそうです。

泳ぎにプールに行ったというので、うん、何処のプールに?
するともじもじしながら、「家のプールに」。
帰り道、同じ方向だからと車で送るのに、スセガーナというので、スセガーナのどこか、
と聞くと、「お城です」と小さい声で。

急いでいて、勧めてくれたのに中に入らなかったそうで、聞くほうも少し残念。
ご一家は何時もはヴェローナに住んでいて、夏の間だけこちらに来られるのだそう。
こんな話も、なんとなく夢物語みたいですね。
       
ここから西に行ったチゾンにある、カステル・ブランドのご案内
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462784366.html


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・ ヴェネツィア、 レガータ・ストーリカ ・ TV実況編

毎年9月第1日曜、ヴェネツィアのレガータ・ストーリカ・Regata storicaの日。

歴史に、このレガータ・競艇が登場するのは13世紀の様で、如何にも
アドリア海と地中海を我が物とする為に奮闘したヴェネツィア共和国ですね。
競艇の前に行われる「イル・コルテオ・ストーリコ・時代行列」と呼ばれる
各種様々の船の行進は、以前ご覧頂いたので、
今日は競艇に絞ってご覧頂きますね。
         
朝のうち曇り空でしたが、午後にはご覧の通り大変なお天気となり、
サン・マルコ広場も眩しいばかりに輝いています。
いつも、レガータ・ストーリカの日は良いお天気で、雨になったのは、
私が知る限り、たったの1度。

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レガータのコースは、明るい水色です。
スタートは、右端のヴェネツィア・ビエンナーレの会場前辺りで、
大運河を通り、国鉄サンタ・ルチア駅の先辺りで、ぐるっと折り返します。

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女性2人組みで漕ぐ競艇は距離が少し短く、大運河の真ん中に当る 
リアルト橋を過ぎてのカ・ドーロの前辺りで折り返します。



こちらが戻りのコース。 折り返しリアルト橋をくぐり、まっすぐ行った突き当たり、
「カ・フォスカリ・現ヴェネツィア大学」の前が終点で、距離は約8キロメートルと。

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これは今日この時間の潮の流れ。 マレア・カランテ、つまり引き潮に当り、
競艇のボートは、大運河に入るのが難しくなります。

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ビエンナーレ会場前から来て、如何に上手く大運河に入り込むか、
これがまぁ難関で、これが殆ど勝敗を決めます。

大運河に入ると、最短距離を取りますから殆ど全船一線となって進み、
次は、折り返しが上手く行くかどうか、この2点が勝負のしどころなのです。  
と、もう何度も見たshinkaiの解説!



競艇の始まる前に行われる、コルテオ・ストーリコ。
大運河をゆるゆると、たくさんの種々様々の船が、着飾った時代衣装の
人々を乗せ進む様は見事で、こちらの方が観光客には人気があると思います。

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その様子は、こちらでどうぞ。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461785677.html
如何にも、海と共に生きてきたヴェネツィアの面影が偲ばれます。



車の運転学校ならぬ、舟の漕ぎ方教習所とでも。
こうして、若者達が漕ぎ方を習っています。

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春先など日曜の朝ヴェネツィアの下町近辺を歩くと、お父さんと一緒に
小学低学年のボクが、「ホラ、漕げ、漕げ・ヴォーガ! ヴォーガ!」と叱咤されつつ、
頑張っているのを見かけます。 こうしてヴェネツィアの子供は育つのですね。



リアルト橋からの西突き当たり部分、競艇のゴール地点です。
左の建物が、カ・フォスカリ・フォスカリ邸、現在のヴェネツィア大学で、
奥中央に見えるのが貴賓席の桟敷、勝者の表彰やインタヴューはここで。

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時代行列を終えた様々な煌びやかな船が脇に並び、
競艇の通過、ゴールを待ちます。



貴賓席のこの方は、映画監督のスパイク・リー。「マルコムX」等の映画監督で、
次回の作品は、第2時大戦末期のイタリアに於けるナチの住民殺害 
がテーマとの事。

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ヴェネツィア大学本部、カ・フォスカリの上部テラス。
「カ」は、カーザ・家のヴェネト訛りで、今ヴェランダにたくさんの応援が。

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というのも、大学対抗で、8人漕ぎ+1人の舵取りという競艇も行われ、
今回見事カ・フォスカリが勝ちました。
とにかくヴェネツィアの場合、練習場所、そして各種競艇が多いので、
自然と力が入るようです。



競艇は、全部で4種行われ、この写真のように、
・18歳までの若者の参加によるレース、 そして
・女性2人組みによるレース  ・大型運搬船、男性6人が漕ぐレース
・短めゴンドラの男性2人のレース、これが最終キリのレース。

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競艇の色は、白、黄色、紫、水色、赤、緑、オレンジ、ピンク、茶と塗り分けられ、
漕ぎ人は、その色の帯を腰に締めています。



運河沿いの建物の窓から、ヴェランダから、この様に、見物、応援の人々が。
この日、運河沿いの建物のお家では、お客を迎えるのが恒例とか。

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写真が良くなく割愛しましたが、もう一つのお家の中の様子が素敵でした。
赤い皮のソファ、金色の鏡、時代物の家具。
お客人達はワイングラスを手に、ヴェランダから観戦なのです。



この窓、このヴェランダには、ヴェネツィア共和国元首に扮した方が。
この方は、もう何年もドージェ・doge・ヴェネツィア総督をされているとか。
ならば手前の女性は、キプロス女王カテリーナ・コルナーロ になった方かな?

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ヴェネツィアの大運河、この左に見える橋がアッカデミア橋。
運河の右の方に、サン・マルコ聖堂があり、アッカデミア橋から写真上に
入り込んでいった曲がり角辺りが、ゴールのあるカ・フォスカリです。

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やはり、ヴェネツィアは美しいでしょう?!



建物の窓から身を乗り出す女性と、奥にリアルト橋を配して。
RAIのカメラマンは、本当に眼が利きます!

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こちらは、カ・フォスカリ辺りを行く女性2人漕ぎの、レース。
既に、トップと2番艇の差がこんなに。

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リアルト橋辺りからの眺めは逆光になり、水が煌き、本当に美しい映像。
レースの細部よりも、こうした映像を重んじる、イタリアのジャーナリズム精神!

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このお2人が女性組の勝者。 この体の厚みを、ご覧下さい!

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後ろ・ポッパを漕ぐ女性、この方は、男性チャンピオンの娘さんであり、
現チャンピオンの奥さんなんですと。 伝統というか、すごい物です!!



カオリーネ・caolineというこの大型の舟は、4トンの重さがあり、6人漕ぎ。
荷物運搬に使われる舟で、幅が広く、荷を積み、勿論1人でも漕げるそう。
       
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運河脇には、この様に小舟を並べて応援の人々が大勢ですが、
これでも昔に比べると、少なくなったそうです。



今年の大型舟カオリーネの勝者は、茶色のブラーノ島のチーム。

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このインタヴューが面白かったのですね。
カオリーネの舟が、4トンもある重い物だと書きましたが、このインタヴュー前に
解説者が、これをもっと軽い物にするという話があるのだと、言っていました。

で、アナウンサーが大変重たいから、と話を向けると、
左の勝ったシニョーレは、いいや、大変軽いし、よく動くよ、と食い違い・・!!
所で、このRAI ヴェネツィアのアナウンサー君は、赤いジーンズご着用で、
下が見えないのが残念です!



お祭りの日にはヴェネツィアに限らず、窓やヴェランダに飾り布をかけ垂らします。
如何にも、お祭りの雰囲気が漂い、素敵です。
これは大変、手の込んだ刺繍レースの、サン・マルコのライオン君です。

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こちらは織り布のようですが、これもなかなか。

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ピエトロ・ロンギ・Pietro Longhiという18世紀の画家、ヴェネツィア生まれ、
アッカデミアの学長にもなり、ヴェネツィア貴族とのつながりも深く、
当時の貴族社会、ヴェネツィア庶民の風俗も描いた画家ですが、 

彼の絵に描かれた、当時の衣装の柄、スタイルを再現した展覧会があった事は
知っていましたが、番組の途中で、その幾つかの紹介もありました。

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紹介では、ピエトロ・ロンギと、劇作家カルロ・ゴルドーニとの繋がリにも
及びましたが、ゴルドーニは彼を相手にしなかったと。



衣装の復元をした会社の人の話では、ヴェネツィアには余り衣装類は
残っていないと言い、伝統的現物がないので、絵を参考にかと納得。

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日本伝統の着物の色と同じで、なんとも自然な深く味わいのある色と、
縫い取りの鮮やかさに見とれました。

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でも、今時、いつ着用するのでしょうね?
カーニヴァル用とすると、少し残念ですね。



この布の色、刺繍の色、大変素敵で、まさに、優雅!
実物を見たくなりました。
  
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ピエトロ・ロンギについては、以前に、彼の描いたアントニオ・ヴィヴァルディの
演奏画についてアップしております。
ヴィヴァルディ・A.Vivaldi と ピエトゥロ・ロンギ・P.Longhi
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461262801.html



レガータ・ストーリカの最終を飾るレースは、ゴンドリーニ・gondoliniと呼ばれる
短めのゴンドラですが、ここ数年大接戦で、大変盛り上がります。
       
ご覧下さい、前列左が赤の従兄弟のチーム、右側がオレンジのチームで、
どちらもチャンピオン同士の大接戦です。

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ゴール直前の模様。
往は一線で続き、折り返し地点で赤チーム(左)が上手く回れず、
後れを取ったものの追いつき、今殆どゴール直前の模様です。

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で、結局オレンジが逃げ切りましたが、ここ数年はこのライヴァル同士の接戦で、
今年も大変、力のこもったレースになりました。



今回の番外編をもう一つ、ブラーノ島のレースです。
ヴェネツィアはムラーノ島のガラスと、ブラーノ島のレースが大変有名ですが、
そのブラーノのレースです。

ブラーノ島に行かれた方、こうした風景をご覧になられたでしょう。
これがブラーノのレース編みをしている女性です。

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この写真が大変気に入って、ご覧頂きたく。
ブラーノのレースは、トンボロ・tomboloという丸いマクラを膝の上に置き、
そのマクラに図柄を貼り付け、それに従い、かがって行くレースです。

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この方法はトスカーナのアンギアーリでも見かけましたから、ヴェネツィアのみでは
無いのですがブラーノ島には、レース編みの学校もあり、
かっては大変高価な、貴重な品物でした。



こうして図柄にそって、縫い取りのようにして仕上げていきます。

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ブラーノ島にある学校、博物館を見た事があり、その時実際にして見せていた
シニョーラの話だと、1人が全部を仕上げるのではなく、
各部分を仕上げる人がいて、そういった7工程を経て全体が出来上がるのだと。
それにしても、大変な根気のいる仕事ですね。

レースをしている人々は、やはりというべきか若い人は見かけず、
年配の女性が殆どの様子です。



こちらは現在建設中の大運河にかかる第4の橋で、車の入るローマ広場と、
駅前を結びます。

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もう長年声ばかりあった第4の橋ですが、遂にこの夏こうして本体がかかり、
12月の完成を目指している、大変モダンな橋です。
ヴェネツィアご訪問の方、お楽しみに!

・追記です  
pescecrudoさんが、橋建設のヴィデオのURLを教えて下さいました。
https://www.youtube.com/watch?v=Y9iDEeQsxz8

真夜中の大運河をしずしずと運ばれて進む橋の中央部、とりわけ
リアルト橋の下をくぐる場面など、やはりちょっとした感激です。
お楽しみ下さい!



で、2007年度のヴェネツィア、レガータ・ストーリカの実況もお終いです。
夕暮れのヴェネツィアをどうぞ!!

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◆パヴァロッティ 追悼
ルチャーノ・パヴァロッティが、イタリア時間6日未明、逝去。

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彼の歌声を聞くと、何時も、イタリアの青空が広がり、丘の向こうまでも、
ずっと歩いて行けそうな、そんな思いを持たせて貰えていました。
イタリアへの夢と、イタリアの許容の大きさとをずっと与え、感じさせて貰え。

今、彼が居なくなっても、その大きさは同じ。
   何をしているか?!          
   生きています、 生きているのです!
「ラ・ボエーム」のこの歌詞のように、同じに、彼は生き続ける事でしょう。

同時代に生きれた事の感謝をいつまでも!       
      
 
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