・ オデルツォ ・ 3000年前、既にヴェネトの中心地 

今日は我がコネリアーノから南西に25キロほど、いわばヴェネト平野の中心
近くに位置し、3000年に近い歴史をもつ オデルツォ・Oderzoのご案内を。

ピアーヴェ・Piaveとリヴェンツァ・Livenzaの2本の河に挟まれた、
この平野の中心地に鉄器時代より移殖が始まり、キリスト生誕1000年前に
既にこの一帯地域で一番豊かな中心地であり、
ローマ期には、ジェノヴァとアクイレイアを結ぶポストゥミア街道がここを通り、
町の一層大きな発展に繋がりました。

ローマ期のこの町の名は、オピテルジウム・Opitergiumといい、
今もこの町の住民の形容詞は、オピテルジーニと言うのだそう。

これは上空からの眺めで、真ん中に白く見えるのが町の中心にある
ヴィットリオ・エマヌエレ広場で、広場左下にドゥオモ、そして鐘楼。
      
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広場の下側真ん中にアーチが見えますが、かってここに行政庁のあった
トレッジン・il Torresinと呼ばれる建物で、広場からこの南に続く通りの
一帯が現在の町の、一番賑やかな商店街。

ローマ期の町の中心は鐘楼の見える左側から上方にかけてで、
フォーロなどの遺跡が現在も見る事ができます。

写真の上方が北で、コネリアーノからは一旦町の東を通りすぎ西に曲がり、
深い木陰の道を抜け、橋を渡り、広場の上右をかすめる道に出てきます。



上の写真の右端に見える緑の部分、道がカーブしている手前が
モンティカーノ川を渡る橋で、道のカーヴに沿い、こんな像が立ち並びます。

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この橋を渡ると一番の中心地なので、かなり優雅なイメージを受けます。



道路地図をどうぞ。 オレンジの線が高速で、A4の南にヴェネツィア・メストレ、
そしてA27で北に向かいトゥレヴィーゾ、一番北に、コネリアーノで、
東側中程の緑の旗の立っているのが、オデルツォ・Oderzo。

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かってのローマ期の街道はパドヴァから、現在のメストレをかすめて海側を通り、
東のアクイレイアに繋がっており、アクイレイアから、オデルツォ、トゥレヴィーゾ、
ヴィチェンツァ、ヴェローナと、少し内陸を西に連絡していました。
       
そしてトゥレヴィーゾからほぼ真っ直ぐ南に下った所の海に近くに、以前
アクイレイアと共にご紹介したアルティーノ・Altinoがありました。



今回行ったのは7月最初の暑い暑い土曜日で、広場はオペラ公演準備の
真っ最中でした。 そう、オデルツォは夏の野外オペラでも有名なのです。

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すぐ何日後かに迫ったヴェルディのオペラ「イル・トロヴァトーレ」初日の為、
洞窟のようなお城のような大装置が備えられ・・。
教会に入るにも、後ろの塔の下を抜けるにも、ぐるっと横を回って細い通路を。

右に見える正面が簡素で、上に小塔3本が見えるのがドゥオモですが、
内部は町の繁栄を受け、多くの絵画作品やフレスコ画があります。

正面の塔のある建物がトレッジンで、かっての行政庁、現在は銀行ですが、
建物は20世紀初頭に、ゴシック風に建て直された物との事。



ここの鐘楼も少し傾いており、塔の上の天使像が回るそうです。

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町の中心東側を流れるモンティカーノ川は2つに分けられ、一方はこの様に
町の中心を横切っていきます。

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この川は南に下り海に注ぎますが、ヴェネト一帯の他の中心地と同様、
このオデルツォの町も河の港として大いに栄えたという事で、
こういう細い流れも家々から直接に物資の運搬が出来るようにも考えられ、
大いに利用されたのでしょう。



こんな家から流れへの階段は、私が育った長野で見た思い出にも繋がります。

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トレッジンの下の門をくぐり町の南側、町の一番賑やかな古くて美しい
マルティーニ通りには、両脇にポルティコが続き、ずらっと駐車。

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広場の南の門トレッジンは通り抜けれませんので、すぐ近くまで入ってくる車は
少なめですが、ポルティコの下はやはり大勢の人々が行きつ戻りつ。
       


マルティーニ通りには、フレスコ画装飾されたゴシック様式の古い建物が、
びっしりと並んで続きます。

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狭い間口で奥に細長い敷地様式を、ロット・ゴシックと呼ぶと今回知りました。
建物の奥まで、裏庭から菜園まで至るこの細長い敷地式は、
中世の町並みに良く見られるそうです。



中でも美しいこの建物、白いテントに全て白い花の鉢植えで、清楚に清々しく。

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細部をどうぞ。かっては全壁この様なフレスコ画で埋められていたのでしょう。
ご想像下さい、狭い道の両脇にびっしりとこんな建物が並んでいるのです。
 
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ローマ期の繁栄もですが、一旦蛮族の襲撃で衰退した町が中世に復興、
そしてヴェネツィア共和国の下で、更に繁栄したその名残がここに見えます。



フレスコ画を描いた画家達の名を見ると、ポンポーニオ・アマルテオなど、
ヴェネトからフリウリにかけて活躍した、かなり有名作家の名も見出せます。
そういった画家に払える、資力があった町という事なのでしょう。

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この人物像なども、単純ながら見事な流れの線と思います。



通りの向かい側も同様に、フレスコ画装飾の建物とポルティコが続き、
奥に明かりが見える通り店が賑やかに営業し、中世と現代が混在です。

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マルティーニ通りと、西に向かうガリバルディ通りの交差点に、こんな装飾の建物。
縁取りが花柄、中は幾何学模様で、可愛いパッチワーク風ですね。

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建物の壁面もポルティコも修復され、すっきりとした町になりつつありますが、
ポルティコの隙間、木組みの間にたくさんの燕の巣があり、あちこちで鳴き声が。

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この子もようやっと巣立ちした所で、ポルティコに渡した柱に捕まり、
飛び立つ心の準備中!



今回の訪問目的は、この市博物館で、ローマ期のモザイクを見る事で、町は
何回か訪門してますが、まだここの床モザイクは見ておらず、憧れていました。

市立考古博物館は、ガリバルディ通りをずっと西に行った、ご覧の様に
広大な庭園を有した、素晴らしい場所にありました。

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Museo Civico Archeologico "Eno Bellis"       
Via Garibaldi 63 
開館時間 6月-9月 火、木、金、土 9時ー12時 14時半-18時
          日曜と祭日 16時-19時 
     10月-5月 平日開館は上と同じ 日曜祭日 15時ー18時
休館 月曜、1月1日、1月16日、復活祭、5月1日、8月15日、12月25,26日
かなりややこしいので、ご訪問前にはこちらサイトでお確かめを。
http://www.archeoveneto.it/portale/wp-content/filemaker/stampa_scheda_estesa.php?recid=129
すぐお隣に絵画館もあります。



内部の収蔵品を絵葉書、ガイドブックからどうぞ。

一連の有名な床モザイクの一部。 これらは6世紀の建物にあったモザイクで
ご覧のように大変精巧な物。
色は茶形で纏められ、動物の表現が躍動感に溢れていて驚きました。

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上の犬の下にROMANUS・ロマーヌスと見えますが、この犬の名前なのだそう。
ご主人に大変に愛されたワン君、優秀な狩猟犬だったのでしょう。



この顔の表情も! 量感溢れる額、頬、髪の流れ、素晴らしい!!

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このモザイクが長年憧れていた「狩」。猪の毛並みの表現、狩猟犬の姿、
槍の穂先の鋭さ。 モザイク作者のレベルの高さを感じます。

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これも大変面白く、当時の生活状態が偲べます。 家鴨や鶏の飼育状態、
そして右端、切れていますが、井戸から水を汲んでいます。

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ロマーヌスの犬以外の3場面は、皆、同一部屋分のモザイクの図柄で、
大きく、横幅が5~6Mもあった様な。
       
今までに見た部屋床モザイクは、つまり部屋は皆小さかったので、
この部屋の大きさにも驚きました。

そしてモザイクに使われている破片が意外と薄いのにも、驚きました。
5mmほどでしょうか。 近くで見れると、意外な発見がありますね。



こちらはローマ期のお墓の飾り。 似たような物はアルティーノでもかなりの数を
見ましたが、今回見た物は少し変わっていました。
今までは兄弟などの男性像でしたが、今回は夫婦像が多かったのです。

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そしてこの写真は残念な事に違いますが、殆どが、手を繋いでいたのです。
二人の前で、両方から右手を差し伸べ握手する形で表現されていて、
永遠の愛を誓う形のように見え、少し感動しました。



市考古博物館を出て町の中心広場に戻るのに、少し手前で、左に、
マッツィーニ通りに折れ、そして少し行くと、現在の建物の下に残された
ローマ期の家の床モザイクが見れます。
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発掘された床の上に、全体に橋を渡す感じで床が覗け、建物が上にあります。
紀元前1世紀の物だそうで、
台所部分に当るのか、奥には井戸と思える掘り抜きの、丸石柱も見えました。
              
すぐ近くには、フォーロの基礎部分も保存されており、ここも同じく建物の
地下部分を高床式にして覗いたり、多分、時には中に入れる様にもなっており、
こういう町中の保存方式としては、よいアイディアだ、と思った事でした。



再び中心広場に戻る為、トレッジンの裏側から写真を撮っていましたら、
右下に写っているグループが通りかかり、

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男性の1人が、「このヴェネトは、どこに行っても美しいでしょう?
こうして回って歩くの、素敵じゃない?」と尋ね、女性達が、「ええ、本当に!」
と答えるのが聞こえ、   
      
私は一瞬、「オ! ブログでヴェネト紹介をしている仲間?!」と思い、
一人で笑いました!!  あはは。



中心広場、ドゥオモに向きあう大きな オットボーニ・サッコマーニ邸の壁画。
この壁画はポンポーニオ・アマルテオの手になるそうで、大変興味深い物。
       
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この広い広場が日曜の午前、ドゥオモのミサが終わった頃人々で一杯になり、
あちこちのバールのテラス席が埋まります。 そして暫くしお昼前になると、
がらんと人っ子一人いなくなる、イタリアの地方の小さな町。
あの感じが大変好き!



最初にご紹介した橋脇の女性像ですが、こうして見る町の向こうは、
川が緩やかに流れているだけ。

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では、私も家に戻りお昼ご飯に。

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・ イタリアの 秋の色と味は

こちら北イタリアはかなり涼しくなって、日中も30度を越えない日が
多くなっていますが、ニュースでは中部から南イタリアは猛暑の様子!
そして日本もまだまだ暑そうですが、

今日は季節を少し先取りし、「イタリアの秋の色と味」を
旅行雑誌 WEEKEND & VIAGGI の写真でご案内です。

・茸採り

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秋、というと、やはり茸!
勿論日本でも秋の味覚ですが、こちらでは法律により、
茸を採集して売るには確か許可証が必要だったと。
       
写真の籠に中に見えるプックリの茸は「ポルチーニ」ですね。
おお、生の美味しいのを食ってみたいもの!!



・タルトゥーフォの採集は

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茸の王様「タルトゥーフォ・トリフ」の採集には、この様に、
それ用に訓練されたワン君と一緒に。
ですから、こうしたワン君もお値段が張ります!

タルトゥーフォの採集許可証は必須で、
14歳以上で、最初の免許には試験があり、
5年ごとの切り替え、1年に約100エウロ前後の税金を。



・タルトゥーフォのお値段は

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このシニョーレは難しい顔で秤に掛けていますが、
それもその筈、タルトゥーフォのお値段は、
黒が、もし200-250エウロ・キロとすると、
白は、400エウロ・キロ だそう! 倍の値段ですね。



・タルトゥーフォ 

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はい、こちらが、そのお高いタルトゥーフォ。
上が「白」で、なんと1キロ1500エウロと読めますが、
上の説明とえらい違い!!
       
この辺が、私には分りかねます。
特別に素晴らしい白タルトゥーフォで、この値段なのか、
それとも上の説明は単なる例えなのか・・!
相場をご存知の方、お教え願います。

白の美味しい食べ方は、肉でも、魚でもカルパッチョによく、
ええとつまり、上から薄片にしてかける事ですね。
一方、黒はソースに入れるのが最高と。
これも、喰ってみた事の無い私には、なんとも。 ク・ヤ・チ・イ!



・ガルダ・トレンティーノ・9月

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ガルダ湖のトレント側で、ほぼ9月いっぱい開かれる催し、
クーラ・デルウーヴァ・Cura dell'uva,
またはドイツ語で、Traubenkur。  どう発音する?
かっての伝統と味を再発見し、自分自身のリラックスをも、
自然の方法で行おう、という趣旨のよう。

ホテルでは、各人にあった療法も指導、
土地の料理とワイン、時代物の馬車での散歩、
中央ヨーロッパのダンスの夕べ 等などと。



・ガルダ湖西部、 バゴリーノ 1 

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ガルダ湖西の山岳地には幾つもの谷があり、土地特有の
古い味の伝統が、今もかってのままに伝えられている様子。
これはその1つ、バゴリーノ・Bagolinoに伝わる、
バゴッス・Bagossというチーズ。

もはや伝説とも言えるチーズで、ここバゴリーノでのみ伝統に従い作られ、
飼料に含まれる独特の香草が入った濃厚な、時に辛い味のチーズだそう。



・ガルダ湖西部、 バゴリーノ 2

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バゴッス・チーズの販売所。
       
9月中旬から11月半ばにかけて幾軒かのレストランが、
バゴリーノの位置するヴァル・サッビアの土地の味をテーマにした
夜定食を味あわせてくれるとの事。
     
     

・マントヴァ   9月初めから12月初めまで

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カボチャ祭り!
マントヴァ周辺はカボチャが名産品で、周辺のアグリトゥリズモや、
農場において、スコルパッチャーテ・ディ・ズッカ・・カボチャで満腹
という催しが行われます。

ただ食べるだけでなく、料理教室や良く知る為の講演会などなど。
実際、カボチャの効用はよく言われますが、ガン予防にも効くそう!
はい、しっかり食べて、元気で長生きね。



・マントヴァ周辺  1

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ガルダ湖に発し、マントヴァの街の北側で大きな湖ともなるミンチョ河は、
少し南西にくだりポー河と合流、東に流れアドリア海に注ぎます。
水と、霧で有名なマントヴァですが、

写真はポー河が氾濫、土手下のポプラの林が水に浸かっている様子で、
秋によく起こるのだそう。



・マントヴァ周辺  2

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説明には、土手下、ポプラ並木の羊の群れ、と。
如何にも、秋の色、雰囲気が漂いますね。



・マントヴァ周辺  3

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ポー河での釣りだけでなく、たくさんの運河が周囲を流れ、
特に秋には釣りが盛んだそう。
釣れる魚は、ティンカ・ヨーロッパ産の鯉科、
カルパ・鯉、 ガンべリ・ダックワ・ドルチェ・淡水の海老、など。



・マントヴァ周辺  4

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秋の空はもはや深い霧に覆われ、太陽は引き裂かれそう。
奥には農家が見えます。



・マントヴァ周辺  5

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マントヴァ産のサラーミの数々、貯蔵庫に吊るされ、熟成されます。

イタリア語でのサラーメ(ミ)は、日本語のサラミソーセージと違い、
何種類もの種類を含めての総称です。



・マントヴァ周辺  6

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今、「ポレンタ」の出来上がり!
      
この炉の炎、高く上がる赤い色。 天井から下がる手作りのサラーミ。
そして老夫婦。 懐かしく、そして、胸にしみる想い。



・マントヴァ周辺  7

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パルミッジャーノ・チーズの熟成。
そして、手作りのカボチャのトルテッリーニ。



・モンテ・ローザの麓   ヴァルセージア   

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スイス国境に近い、ピエモンテ州のヴァルセージアの谷。
写真は、ヴァルセジーアの高所アルペッジョ・Alpeggio.

アルペッジョというのは夏季の高地放牧地の事で、今 すっかり秋の色。
そう、この柔らかい彩が、イタリアの黄葉の色。
夏ここで放牧された家畜は、雪が来る前に、下の村の家畜小屋に戻ります。



・フリウリの色、味  1

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ニッコリと豚ちゃんの腿を抱える、でっぷりのシニョーレ。
食道楽のフリウリでは、何軒ものレストランが豚肉製品の、
これにはサン・ダニエレの生ハム、サウリスの燻製の生ハムも含まれますが、
   
フリウリ伝統の味を味あわせてくれるとの事。
勿論お供は、白ワインの辛口トカイ! これも、フリウリの定番。



・フリウリの色、味  2

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葡萄畑の秋の色。 フリウリの土地の傾斜に対し
平行に栽培されている葡萄畑。



・フリウリの色、味  3

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殆ど、スロヴェニア国境に近い「コッリオ」の地域のワイン貯蔵庫。
ロッカ・ベルナルダ・Rocca Bernardaというお城の、
味の洗練さを増す為の貯蔵庫と。



・秋の味の王、タルトゥーフォ

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最後は、もう1度タルトゥーフォで。
ウンブリアはペルージャの近郊ヴァルトピーナ・Valtopinaで、
11月の中下旬に、お祭り市と、幾軒かのレストランで、
タルトゥッフォを使った料理が食べられるとの事。
ええ、これはやはり一度は食べてみん事にはね!
     
食欲の秋も間近。  皆さん、ボナアッペッティート!!


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・ 2000年の歴史 ・ カステル・ブランド・Castel Brando

今日は我が家からも近く、ヴェネト平野の北の守りとも言うべき位置にあり、
2000年に近い歴史を持つカステル・ブランド・ブランド城のご紹介を。

ここは現在4つ星ホテルとして、音楽会、講演会も開かれる大会場も持ち、
内部に4つの博物館、リラックス施設もある、見事に蘇った山の上の中世のお城で、
先月の末、ガイドに連れられ見物して来た様子をどうぞ。

これがそうですが、手前左側白い四角い部分は、18世紀の建て増し部分で、
右側が15世紀の古いお城部分。

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この写真では分りませんが、すぐ下を県道が走り、そこから見えるお城の高さ、
見事さにはいつも見惚れます。



地図をどうぞ。
お城のある村は、チゾン・ディ・ヴァルマリーノ・Cison di Valmarinoで、
ヴィットリオ・ヴェネト・Vittorio Venetoから西に15キロほど。

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すぐ西には以前ご紹介した、中世ロマネスクの修道院があるフォッリーナ・Follina 
そしてその西ヴァルドッビアーデネ・Valdobbiadeneまでが、
これもご紹介ずみの「白ワインの道」です。



お城の図。 この城の築かれている山頂は平らではなく、北側、向かって右が高く、
左の南側にかけて傾斜しており、同じ高さに南の増設部分を築く為の競り上げ部が。
1.下の村の駐車場から、ケーブルカーがお城まで、運んでくれ
2.ここがケーブルカーのお城の駅。400Mの高さ

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3.2つある塔、そして外の城壁、内側の城壁ともに11世紀から13世紀にかけての物で、
  当時は、ヴィットリオ・ヴェネト、セラヴァッレのダ・カミーノ一族の領有でした
10.南の建物のこの位置に、ガイド付き案内の申込所があります。
   土曜、日耀の、10時、12時、14時で、1間以上の、しっかりの見物時間!
9.ホテルの入口。 ガイド付き見学者は一段下の外壁部分に下りて、
6.の古い馬車などを見ながら、
         
7.城の古い部分、7~8世紀の基礎部の塔の中の階段を上がり、9の入口内に出ます。



下の駐車場からケーブルカーを。 今、真ん中辺りに、箱型の車両が見えます。

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城の外庭から、下のチゾン・ディ・ヴァルマリーノの村を見下ろします。
なにせ400Mの高さからですから、絶景と言うか、箱庭風の眺めと言うか!

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何も知らなかった昔、この村を通りつつ、どこか違う、と感じた物でしたが、
違う筈で、この村は何世紀にもわたり、ブランドリーノ伯爵家のお膝元だった訳で。



上の写真の、南側に伸びた村の部分で、

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ここよりもっと外側に広がる部分は、きちんと道が四角く通り、同じ大きさの
区画に整備された住宅地で、綺麗ですが、味がなく、こんな方が魅力的です。



村の南側を東西に県道が走りぬける、その南の眺め。
田畑が広がり、なだらかな丘陵が続きます。

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夜は、城全体が照明されますが、お祭り時には、篝火も焚かれる様で。

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15世紀の城館部ですが、内部は残念な事に19世紀の火事で多くが消滅と。
が、現在は大広間として使用されています。

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お城の地図3の、奥の塔の部分。 ガイア・ダ・カミーノの塔と名付けられた
11~12世紀の物

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ガイア・ダ・カミーノ・Gaia da Caminoは、ダンテの神曲にも登場する女性で、
ポルト・ブッフォレのご紹介の際、嫁ぎ先の町の、住居跡をご紹介しました。

ポルト・ブッフォレのご案内は



ガイド付きの案内で、現在ホテルになっている城館内も見物できます。
       
城館部分、脇の塔から入ると、7世紀から9世紀の、こんな石組みの部分があり、
兵士たちの見張り所 兼、駐屯所だった場所。

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狭い塔内部の、螺旋階段を上り、上階の現在のホテル入口に出て、
左がフロント部分になっていますが、このロビーはかってここは馬車置き場であり、
直接に客人の馬車が入り、右の階段前に止まったのだそう。

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この階段の壁には武器が飾られ、広い大階段が70段ほど真っ直ぐに上に続きます。
重要な客人は、城主の伯爵が下まで迎え、そうでない場合は、上で待っていたのだそう!
    
我々も上がりましたが、もし上で待たれていたら、ものすごい重圧感でしたろう。
それをも計算に入れた階段というか、いやはや。

そしてこの階段を上まで上がると、古い城館の広間に続き、そのままの高さで、
部屋が南側の新しい部分に繋がるのです。 設計者の素晴らしい頭脳と言うか!

ロビーの階段奥の壁に、交差する槍の間に入り口の窪みがありますが、分りますか、
あの入口から城の地下部分の、現在の武器博物館を見学できます。



これはこのチゾンの村のお祭りの写真ですが、城の武器博物館にも、この様な
かっての鎧、兜などの複製品があり、ここに見える細かい網目の防具もあり、
ガイドの女性が触らせてくれましたが、その重い事、重い事!
       
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が、こんな防具も石弓、鉄砲の発明の前にはまるで役に立たなく、着用しなくなり、
美々しい武具も、単なる祭事の為、威勢の誇示用となったのだそう。



これは古い城館の大広間ですが、多分、中世風の大宴会の際には、
こんな衣装の女性が、花を添えてくれるのでしょう。

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左は、古い城館内にあった牢獄部分。 ヨーロッパの他の城の牢獄よりも、
遅い時代の物なので、かなり人間的であると、これはガイドの女性の言葉。

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ついでに付け加えますと、この城は15世紀にヴェネツィア共和国の元に入り、
ブランドリーニ伯爵に与えられた物ですが、
ヴェネツィア共和国の方針として、なるべくは強制労働の罪にし、ガレー船を
漕がす方向に持っていったのだそう。

死罪となった場合、身分ある人間は斬首、そうでない者は絞首刑で、
その違いは斬首の方が苦しみが少ない、と言う理由からとの由。
右の写真は、裁判博物館の物と思いますが見学せずでした。



先ほどの大階段の脇にあった、城主の鎧。
見事な物で、浅浮き彫りの模様が施され、黒い色が鋳れ込まれていました。

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元々のお城はローマ期に街道の見張り所として出来、中世に至り城館となりましたが、
こういった床細工は、いつの物か、古い物が残っています。

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城は、大変数奇な運命を辿り、第2次大戦時には病院として使用され、
解放後に、城の子孫が修復にかかったものの資金が続かずに断念、宗教関係の
施設となったりで、

この地方の起業家が買い取り修復、ホテルとして、文化事業のセンターとしては、
ついこの5年ほど前からなのだそう。
       


古い城館大広間の、暖炉のタイル。 オリジナルだそうで、絵柄がヴェネツィア風景。

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古い城館大広間の壁、上部にずらりと並ぶ紋章で、一族の縁組による各貴族の紋章。
確か左半分が、花婿の家柄で、右が花嫁の家の紋章だったと。

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上に赤い3つ輪のリボン、下半分が赤白の斜め縞は、ここブランドリーニ伯爵家の紋で、
赤いリボンはかのガッタメラータ将軍の紋で、なぜなら彼は、初代のブランドリーニと
同じ傭兵の同僚として働き、2人で城と領土を受けたものの、後にガッタメラータが
相続を遺棄し、ブランドリーニ家がこの城の唯一の持ち主となったのだそう。

パドヴァの、サン・タントーニオ教会の前にあるドナテッロの
ガッタメラータ将軍騎馬像の、彼の印が、こんな所にも!

ガッタメラータ将軍騎馬像のあるパドヴァは、グロリオーザさんのご案内で。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462329045.html



傾斜地を利用して作られた、天然の要害でもあるこのお城ですが、
中庭も、こんな傾斜で成り立っています。

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この方がガイドをしてくれました。 少しまろやかに、色白の美人。
そして何にも増して、素晴らしく見事なガイドだったのですね。
留まることなく、きちんと説明してくれ、大変な勉強振りが偲ばれました。

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長い薄物に銀色のサンダル。あなたはとても美しい、撮っても良いですか、
と尋ねると、ぽっと照れてOKをくれたのですが、残念、素敵な目が写らず。



ちょうど今頃のようですが、村全体で、かってを偲ぶ古い仕事や、
古い農作業を再現してみせるお祭りが行われる様子。

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そして、こんな風にお城の歴史の再現も。
こういうのは、完全にご本人が楽しんでいるのでしょうねぇ?!

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現在の4つ星ホテルの、部屋の模様。 http://www.castelbrando.it

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満月と古城と。

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・ シエナのパリオ ・ 8月16日 TV実況編 

今日はこの16日に行われました シエナのパリオの実況編を。

昨年も、そしてこの7月にも実況編をご覧頂きましたが、毎度の事ながら
やはり大変面白く、馬の美しさにも魅了され、またもや、アップです!
新しい話題も少し含め、お楽しみ下さいね。

競馬の行われる、シエナの街の中心、カンポ広場。
いつもは石畳と煉瓦の敷き詰められた広場ですが、この競馬の為、
周囲のコースに土が入れられ、朝、まだ薄暗いうちから、練習が行われます。

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カンポ広場は、かなりの傾斜と急カーヴにも囲まれていますが、
市外にこの状態を再現したコースがあり、いつもはそこで練習との事。 



覚えておいででしょうか? 今年7月2日のパリオは、最後ご覧の様に接戦で、
優勝者の決定が、オーカ、ニッキオ、オーカと2,3転しましたが、
結局はこの写真の通り、オーカが勝者となったのでした。

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はい、こちらが7月の勝者たち、グレイの牝馬、フェードラ・サウラと、 
騎手のジュゼッペ・ゼッデ。 彼はまだ22歳の若さ。

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Maniscalco・マニスカルコ・蹄鉄師という、新しい言葉を覚えました。
馬の歴史と共に存在しているこの仕事師、イタリアではまだまだ健在です。
彼の名は、フランチェスコ・コンジュゥ。
上の騎手の名も、彼の名も、サルデーニャ風と思うのは、違っているかな?
   
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それはともかく、蹄鉄の先がちょっと上を向いている事にご注目を。



これが、パリオの馬用の蹄鉄ですが、片方の先だけが、ちょっと曲がっています。
カンポ広場の傾斜に対応してのこの形、なのだそうです。
肝心の写真が良くなく、すんません。

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突然ですが、美人をどうぞ! この写真も少しブレ気味ですが、ご容赦、
美人である事は、明々白々。 何の関連だったんだろ? へへ。

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これより実況。 カンポ広場に面した、市庁舎の窓に各コントラーダ・地区の
旗が翻ります。 所でこの壁にも、メディチの6つ玉の紋章がある事に、
今回気が付きました。

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各コントラーダの時代衣装の行進の最後に、この真っ白で素晴らしく大きな
キアニーナ種の牛4頭に引かれた牛車が続き、その上に今回の「パリオ」が。

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パリオというのは、優勝チームに与えられる旗の事で、
毎回、絹の布にマリア像の手描きです。



パリオの掲げられる旗竿ですが、一番上にこのお皿があり、白と黒の布が。
お皿の由来も聞きましたが、例によって、右から左に通り抜け!
白と黒は、シエナの街のシンボル色。
 
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長時間にわたる、時代衣装の行進もすみ、
今は、旗振りのみが残り、最後の仕上げの旗振りを。

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珍しいアングルを、との説明付きで映った審判席。
ご覧の様に、スタート、ゴール地点に近い建物の間に渡された廊下で、
ここに審判長やら、市長やらが詰めます。

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広場は既に満員の人、人、人で、緊張が漂い始めます。



広場を囲む、建物の上からの映像。
競馬のコースのみが白く開け、今、市庁舎の前に4人の警察官が立ち、
いよいよの開始を待ちます。

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市庁舎の横、内庭の闇の中から、主役の馬と騎手達が登場。
両脇に立つ警察官より、ムチ代わりの雄牛の神経を干した物を受け取り、
スタート地点に向かいます。

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各コントラーダを代表して走る馬と騎手は、毎回籤で決まります。
左の緑と赤はドラーゴで、このグレイの馬が7月にオーカで勝ったフェードラ・サウラ。
彼女は今回も大活躍しましたが、順次ご覧下さいね。

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今回の参加は、スタート位置内側から、1.ジラッファ・キリン 
2.キオッチョラ・カタツムリ  3.レオコルノ・一角獣   4.ブルーコ・青虫
5.オンダ・波   6.イーストゥリチェ・針鼠  7.モントーネ・雄羊  
8.チヴェッタ・梟  9.ルーパ・雌狼
そして、スタートを決める最後の籤は、10.ドラーゴ・竜 



今回の特色は、例によって多少のスタート・ロープ内での騒ぎはあったものの、
一体に静かで、こんな風に見事に鎮まって、ドラーゴの駆け込みを待つ瞬間も。

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スターター、モッシコーネと言いますが、に、順に名前を呼ばれ、ロープ内に。
気の強い馬がいると、上手く並ばずもめる元なのですが、今回はかなり穏やか。



スタート・ロープ内が騒がしくなると、スターターの指図によって、一旦、ロープの
外に出て、ぐるぐると歩き回り鎮まり、また入り直します。
多い時は、2度、3度と指図されますが、今回は一回のみ。
  
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手前から、レオコルノ、ジラッファ、モントーネ、そして、キオッチョラ。

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こちらは左から、イーストゥリチェ、オンダ、ドラーゴ、背中半分は、ルーパです。

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今、ドラーゴが駆け込み、スタート! 今回はフライイングもなく綺麗にスタート!
2番目に位置していたキオッチョラが一歩先んじている様子。

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広場の上の辺は、扇の上の形のように緩やかなカーヴを描く、ほぼ直線。
赤と黄色のキオッチョラが先頭、そして、赤と白のジラッファ、
白とオレンジのレオコルノと続きます。

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1周目の最初の難関、サン・マルティーノのカーヴ。
ここでまず、一番外側を走っていたドラーゴの騎手が、曲がり切れずに落馬!

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このカーヴは下り坂の上にほぼ90度の角度があるので、こうしてマットが
張り詰められてますが、今回も、ドラーゴのほかに2頭が衝突した模様。

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そして、このカーヴが、今回の勝敗を決めました!
ここで内側に着けていたレオコルノが綺麗に抜けて、先頭に立ちました。

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そして少し見え難いですが、すぐ後に騎手無しのグレイの裸馬フェードラ・サウラ 
が続いています。 7月の勝ち馬、フェードラなのです!



これは、サン・マルティーノの反対側のカーヴ位置。 フェードラが頑張って
2位に続いています!
馬は、各地区の色印を額に着けていますから、例え無騎手でも着順は
認められます。 応援しました!!

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広場を3周する最後のカーヴまで頑張りましたが、落馬しかけた騎手が
隣の彼女の上に落ちかけるというハプニングもあり、彼女は3位に!



先頭に立ったレオコルノは強かった! 馬はブレント、騎手はスコンピーリオ。
馬のブレントは、強いという定評がありながら今まで、勝った事が無く、
不運な馬といわれていた由。 が、見事に走りました!
騎手が、ムチを入れる必要もない位、人馬一体となって、走り切りました!

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勝ったぁ!!  やったぁ !! 2位に着けているのは、ジラッファ。

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ゴールに入るかどうかのうちに、既に人々がなだれ込んで来ます! 

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嬉しくて、馬に抱きつき、キスする人々!

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勝った騎手、スコンピーリオ。 パリオの本戦には、今回初挑戦で、初勝利の
嬉しい笑顔。 彼も、若いですね。

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勝ち馬の周囲では、老いも若きもあちこちで抱き合って喜び、記念の写真を!

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シエナのパリオの特異な点の一つ、パリオに出場する馬は騎手と共に
その地区の教会で、勝ちて帰れと祝福を受け、出かけます。
教会の中に馬が入る、というのは、ヴァティカンの特別な許可の下だそうで。
      
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そして今、勝ったレオコルノの地区の人々は、ドゥオモの中に集まり、
優勝旗パリオと、勝者の馬と騎手の到着を、待っているのです。
そして一緒にマリアに捧げる歌を歌い、祝福を受けるのだそうです。
ドゥオモ内いっぱいの人々の間に、レオコルノの、オレンジと白の旗が揺れます。



祭壇のマリア像の周囲を、パリオに参加の地区の旗が取り囲んでいます。
シエナの人々にとっての、パリオの持つ意味が伝わります。

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広場から、ドゥオモを眺めています。 そう、真ん中に見える建物の隙間、
あそこに審判席の渡り廊下があり、あの下を潜り抜け坂道を少し登っていくと、
ドゥオモの横に出るのですが、

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パリオの旗は人々の歓迎の中でもみくちゃになっているのか、
なかなか到着しませんで、TV中継時間切れ、となりました!

右下手前に平たいお皿が見えますが、もう少しして日が暮れると灯が点され、
広場は、建物のこのあちこちの火と、篝火のみで、中世の夜を再現します。



あんなに人々でぎっしり詰まっていた広場も、かなり空いてきました。
これから皆で食事に出かけ、ワイワイと、また熱中する事でしょう!

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これが中継担当の3人で、もう1人年配の男性がインタヴューを担当。
真ん中は、シエナ女性でもあるスザンナちゃん。
「では、皆さん、2008年、7月2日にお会いいたしましょう!」と。

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はぁい、元気で、またお会いいたしましょう!!


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・ ベルギーの2つの街 ・ アントワープ ・ ブリュッセル 

今日は月1ゲストのグロリオーザさんの写真でベルギーの2つの街、
アントワープ・Antwerpenとブリュッセル・Bruxellesのご案内を。

フランスの北に位置しオランダとに挟まれ、
首都ブリュッセルはまたヨーロッパ共同体のEC本部が置かれている
事でも有名ですね。では、ごゆっくりどうぞ。
*****

フランドルへの旅も今回が最終回、
ベルギーの、ルーベンスの街でもあるアントワープと、
首都ブリュッセルを巡ります。

まずはアントワープから。
メインストリートの入口にステーン城という、中世の要塞の
一部がそびえていますが、今は国立海洋博物館になっています。

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中心部に歩いていくと、市庁舎前の広場に出ます。
中央に建つのは「ブラボーの噴水」。 古代ローマの兵士で、
巨人の手(ant)を切り取って投げた(werpen)という伝説から、
アントワープの名が由来しているとのことです。

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市庁舎からすぐのところに、ノートルダム大聖堂がそびえています。
こちらの広場には「ルーベンスの像」が堂々と建てられています。

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大聖堂の中に入って見ましょう。 清々しい白がとても印象的。
建物完成は1520年。フランドル地方で最も大きいゴシック教会。

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この教会には沢山の絵画が飾られていますが、最も有名なのは
ルーベンスの作品です。
日本人には「フランダースの犬」で、ネロ少年が最後にここに辿り着き、
ルーベンスの絵を見る場面が有名ですね。

まずは主祭壇に掲げられた「聖母被昇天」。
ヴェネツィア・フラーリ教会の、テツィアーノ作品と違って、
こちらの聖母は、とても派手やかですね。

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向かって左手にある「キリストの昇架」。 これはもともと別の教会の
ために描かれたのですが、19世紀になってここに移されました。

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「昇架」と対をなすように、右にあるのが「キリストの降架」。
劇的表現が十八番の、ルーベンスの面目躍如といった作品です。

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大聖堂を出たら、ちょうど昼時で、広場のレストランは大盛況。
イタリアンはもちろん、寿司を食べている人もいました。

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ここからブリュッセルに入ります。

知名度NO1の「小便小僧」。 彼は世界一の衣装持ち人形と
言われていますが、この日は裸でした。
聞いてはいましたが、想像以上に小さい像でした。

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それに比べて、大きな像も近くにあります。
「セルクラースの像」という、14世紀に英雄的な行為で街を
守った人で、彼に触れると幸せになるといわれています。
体中触られて、ヴェローナのジュリエッタの胸の様に、ピカピカです。

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中心部にある、ギャルリー・サン・チュベールはショッピングアーケード。
ゴディバなどチョコの名店を始め、さまざまな店が並び、
一日中賑わっていました。

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大道芸人のショーをテレビが取材していました。

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「グランプラス」の様子です。 ここを「世界で最も美しい広場」と
称えたヴィクトル・ユーゴーは、この広場に面した家に住み、
広場を眺めながら、作品を書いたといいます。

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一旦ホテルで休んだ後、夕方に再び広場に戻りました。
続々と人が詰めかけ、食事や散歩を楽しんでいます。
背景の高い建物は「王の家」。 今は市立博物館です。

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向かい側の市庁舎。 塔のライトアップが印象的です。

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広場はとても広く、1枚の写真にはなかなか納まりません。

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王の家。 日没後約20分ほど、
ライトアップの光が輝きを増してきました。

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この後近くのレストランで、ムール貝の白ワイン蒸し、ワーテルゾーイ、
ビールという、典型的なベルギー料理を楽しみました。

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オランダに比べて、ベルギーの料理は結構レベルが高かった。
ここのレストランは、アールヌーボーのインテリアでした。



翌日訪れた楽器博物館。 ここも1898年完成の、
アールヌーボー建築で、窓枠に楽譜が描かれていました。

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次に入ったのが王立美術館。 先ごろ東京でも、同美術館展が
開かれていましたが、ここの所蔵作品はブリューゲルから
マグリットまで幅広い内容でした。

これはそのうちの一点、ブリューゲルの「ベツレヘムの戸籍調査」

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新しいほうの作品、ダビット作「マラーの死」。
ダビットは、フランスからベルギーに亡命していたんですね。

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美術館を出て散歩していたら、道端でこんな胸像を見つけました。
もしや、と思って調べてみたら、やはり「ポール・クローデル」
彼はカミーユ・クローデルの弟でした。
    
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ロダンとの愛の葛藤の末に心の病を患い、精神病院で孤独の
死を迎えたカミーユについては、特別の思いを持っていますが、

弟のポールもフランスを代表する詩人、外交官でもありました。
彼は駐日フランス大使として、日本に駐在したこともありますが、
外交官としての最後の赴任地は、ベルギーでした。
旅の終わりに、思いがけない出会いとなりました。

**

如何でしたか、グロリオーザさんの、アントワープと、
ブリュッセルのご案内は?

先回のブルージュと共に、大変美しく、食事も美味しい様子で、
旅行意欲がそそられますね。

街のご案内とは外れますが、すこし。
最初にもちょっと触れましたが、EC本部のあるブリュッセル、
ここの映像は、こちらのTVニュースでいつも見ますが、

「ヨーロッパ共同体」の思想の根本は、
青山光子、クーデンホーフ・カレルギ伯爵夫人を母に持つ、
次男のリヒャルトが、提唱した物といいます。
100年前にヨーロッパに渡り、様々な偏見の中で健闘し、
皆の尊敬を勝ち得た日本女性の事は皆さんもご存知でしょう。
彼女のお墓は、ウィーンにあるとの事。
       
イタリアにも、明治政府に招かれ、彫刻を教えに来たラグーザと
結婚した、ラグーザ・玉 という女性画家が、
明治の日本から渡伊し、活躍しました。

そしてまた、ヴェネツィアのサン・ミケーレ島の墓地には、
緒方洪庵の子息の惟直が、明治政府の視察団に同行、
ヴェネツィアに残り、現ヴェネツィア大学の前身の
高等商業高校で日本語を教えていたのが、
わずか23歳の若さで客死、ここに埋葬されているとの事。

当時の日本から離れ、遥か彼方の国で生き、活躍した人びとの、
望郷の念を思うと、胸に迫ります。
機会があったら、是非お墓参りを、と思います。

人々の、その生き様が、深く心にしみこんだこのお盆でした。

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・ 特番 ・ にゃ~こ の盆踊り !

お盆休みの日本では、ご先祖様へのご供養も兼ねての盆踊りが
各地で始まったでしょうか?

先日より、にゃ~こと、ママのゆんぴょさんに「にゃ~この盆踊り」を
お願いし、快く引き受けて頂きました。

ご覧下さい!!  にゃ~こ の活躍ぶりを!!
盆踊りの、太鼓のリズムと手拍子で、応援願います!
コメントは、ママのゆんぴょさん。

・ 丸く輪になり
      
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年に一度の盆踊り! 何年も前、いやずっと昔からから続いてきた盆踊り。
日頃の特訓の成果をお見せする時がやってきました!



・ くの字になって

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まーるくなって、平和や健康を祈りつつ、
くの字になって、様々な出会いや別れへも思いを馳せて。



・ みんな一緒に

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お腹周りのダイエットも兼ねて、豚のビグリンと一緒に踊ります。
ダイエットとはいえ、まず健康第一! 元気が大事!
猫踊りで、世の中が平和であリ続けますように!!

ゆんぴょさんのブログはこちら
日々の足あと  https://kanakana40.at.webry.info/


あはは、皆さん、如何でしたか、 にゃ~こ の盆踊り は?!
大笑いして、暑気払いになりましたでしょうか?!
秋風の立つまで、もう少し! 体調にお気をつけて!!


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・ ガルダ湖畔 ・ G ・ダヌンツィオの家、 そして サロ 

この初夏に、ガルダ湖西岸のサロ・Salòに寄った時、偶然に湖岸で
ガスパロ・ダ・サロ・Gaspalo da Salòの銅像に出会いました。
彼はヴァイオリンの発明者として知られていますが、その銅像に出会った事が、
次の出会いを生みました。

で、詩人ガブリエーレ・ダヌンツィオが人生の最後を過ごした家、サロの北にある
ガルドーネ・リヴィエーラにある博物館にするすると引き寄せられ、魅せられ、
イル・ヴィットリアーレ・デッリ・イタリアーニ・Il Vittoriale degli Italiani
と名づけられた博物館を今回ご案内いたします。 少し力不足ですが、ご容赦を。

サロの現在は、洒落て落ち着いたヴァカンス地ですが、  絵葉書

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かっては、ヴェネツィア共和国の与えた自治権の元、36のコムーネが集まった
「素晴らしい祖国」の首都が置かれた場所であり、
第2次大戦終戦間際には、ムッソリーニが「サロ共和国」を置いた場所。
が、その歴史を感じさせるのは、ほんの少しです。



ガスパロ・ダ・サロの銅像。

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この銅像はまだ新しく、その原型はコムーネの建物の中にある、大理石像と。
この像の繊細な美しさにも惹きつけられましたが、下に刻まれた詩にも、
大変惹き付けられたのですね。

ガスパロ・ダ・サロ
ヴァイオリンの発明者
1540~1609

胸を開き、ヴァイオリンを引き出そうとしているのか
心を入れるのに、ヴァイオリンを開いているのか、
自分にも分らない。
-ガヴリエーレ・ダヌンツィオ



ガヴリエーレ・ダヌンツィオ。これが彼。なんと素晴らしい美男で驚きました!

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彼の名にはあちこちで出会いますが、読んだ事もなく、殆ど知らずに過ごして来て、
今回は、かなり衝撃的な出会いになりました。

なぜこのサロの銅像に彼の詩があるのか、その疑問からあれこれ読み始め、
彼の家がすぐ隣町ガルドーネにあること、博物館になっているらしい事を知り、
次のチャンスに出かけました!



これはガルドーネ・リヴィエーラの象徴ともいう、グランド・ホテル・ガルドーネ。
湖に面したエレガントな部屋は、過ぎ去った良き時代の面影を偲ばせる、と
ガイドブックにあります。
       
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有名な客人には、ウィンストン・チャーチル、ウラディミール・ナボコフ、 
そしてガブリエレ・ダヌンツィオなどと。


ガルダ湖西岸のヴァカンス地の大半は、即背後に山が迫り、狭い土地に
細長く続きますが、(ガイドブック)

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ここガルドーネもそうで、湖岸の脇を狭い道が走り、少し余裕がある場所には
ホテルが立ち並び、通り抜けるのに緊張します。


     
サン・マルコの塔と呼ばれる船だまり。 (ガイドブック)

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現在はヴィットリアーレ博物館の所有で、広大な敷地の博物館から
わずか数百メートルの位置にあります。



イル・ヴィットリアーレの地図をどうぞ。

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イル・ヴィットリアーレ・デッリ・イタリアーニ、これはダヌンツィオ自身が付けた様で、
どう日本語に訳したらよいのか、思いつきません。

ヴィットリア・Vittoriaは勝利で、イル・ヴィットリアーレは勝利者と、グーグル翻訳
で出ましたが、イタリア人の勝利(勝利者)と言うには、少し抵抗が・・。
言葉の魔術、と言うのか、感覚としては分るのですが、さて。

地図でお分かりの様に広大な敷地、9ヘクタールに及ぶ、壁に囲まれた要塞。
建物の中の博物館、住居内部、庭園、と見所が多く、

地図番号2の切符売り場で、何と何を見る、と申請して切符を買います!
家は12の場所で、10人ずつにガイドが付いて見学が出来ます。
       


高く伸びた糸杉がアクセントをつけ、山に沿った高低差のある土地に、
敷地が広がっています。(ガイドブック)

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手前の階段状に見えるのは円形野外劇場で、真ん中に建物群、そして左奥に
白く見えるのが、彼ガブリエーレのお墓のある廟。



入口を入っていくと、右手に広がる円形劇場。 ご覧のように、ガルダ湖を望む
素晴らしい位置で、ガルダでは一番大きな円形劇場で、1500人が収容可能と。
訪れた日は蒸し暑く、おまけに薄曇で、見通しがよくなく残念。

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これが、プリオーリア・Prioriaと名付けられた住居部分の入口。
建物正面はご覧の様にダヌンツィオ自身が収集したたくさんの碑で飾られ、
アレッツォの行政庁を模した物とか。

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正面のテントの下で待ち、10人ずつガイドに連れられて見学します。

家自体の前の持ち主は、歴史美術研究家のドイツ人、ヘンリー・トーディ博士で、
その夫人は音楽家リストの姪にあたり、博士の何万冊もの蔵書をも含めて買取り、
建築家と共に、彼の好みのアール・デコ様式の装飾に改装、膨大な彼の収集品、
世界各地の芸術作品が家内部、庭園に溢れています。



ガヴリエーレ・ダヌンツィオ ・ Gabriele d'Annunzio (1863-1938)

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1863年3月12日、アドリア海沿岸に位置するぺスカーラに生まれ、 
16歳の時に最初の詩集を出版。
以後その生涯において、膨大な作品を生み出したと同時に、
彼の生き様、その英雄的な生涯が単なる詩人、作家という枠を超えています。
       
イタリアの独立戦争でもあった第1次大戦に参戦もし、軍の功労賞も受け、
こういった理由から、日本では余り評価されていないという事も教えて頂きました。

詩人、とこちらでは呼ばれていますが、ヴィスコンティの映画「イノセンス」は
彼の作品が原作との事。そういった事も今回調べていて知りました。

写真はヴィットリアーレに住み出した1921~1922年頃の、彼が58~59歳頃の物。
若い頃の写真では髪も髭も黒く、厳しい印象も受けますが、これは珍しく
優しい柔らかい印象で、
この家に、生涯最後の17年間を過ごしたのでした。



プリオーリア・住居内部をどうぞ。
建物内部見学は全て荷物をロッカーに預けてで、写真はガイドブックからです。
入口ドアを入った所。写真では広く見えますが、実際は2人並ぶと一杯で。

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真ん中の小円柱を境に左右にドアがあり、右のドアからの部屋は、政治家とか
借金取りとか(実際に大変多かったそうで)望まれないお客用の部屋に続き、
左のドアは少し下った場所にある部屋、友人達と会う広く気持ちのよい客間に。



1925年5月、この家を訪問したムッソリーニは、右の客間に通された後
2時間待たされたと。

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彼が、ムッソリーニの訪問前に部屋の鏡に書いた言葉。
 汝と共に、ナルチスの鏡を持ってきたか?
 これは鉛で覆われたガラス、もしくは仮面。
 お前の顔の仮面を真っ直ぐにしろ。
 だが、お前は鋼鉄にたち向かう
 ガラスである事を考えろ。
これを読んだムッソリーニは、笑みを浮かべたそう。
      


ザンブロッカ・Zambroccaと呼ばれるいわば彼の書斎の一つ。

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「ザンブロッカ」というのは、アルカイックの言語で、「部屋用の女」の意で、
お守り、的な動物をも指しているようです。

元々右目が不自由であった彼が、飛行機の危険な着水事故で左目をも傷つけ、
自身を、目利きの盲人と称し、この理由からも、家の内部は直射の光から
目を護る為大変に暗く、外から訪れる我々には、真っ暗に感じる程。

このテーブルで、1938年3月1日の夜脳出血に襲われ、亡くなったのでした。
この年のカーニヴァル最後の夜で、75歳。



家の内部に所狭しと、並べられた収集芸術作品、の一つ。

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これのオリジナルは、確かミケランジェロと思うのですが、この様にダヌンツィオによって、
下半身に素敵な布が巻かれ、彼の見解によると、脚が短すぎるから、との事。
確かに台座が隠れた方が、長く見えます!

一体に、収集品に全て彼流の手を加えるのが彼のやり方で、この像に限らず、
大抵の作品には彼のセンスが加えられ・・。



広く、ここだけは明るい大きな書斎。 オッフィチーナ・Officinaと名付けられ、
一般にオッフィチーナというと、修理工場のような物を指しますが、
ここは彼にとっての、脳のオッフィチーナだったのかも。

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他の部屋の蔵書と違って低く、すぐ引き出せるように収められ、ここにも
たくさんの像や絵が。

手前の机の右端にスカーフを被せられた物が見えますが、これは愛した女優
エレオノーラ・デゥーゼ・Eleonora Duseの像なんだそう。
部屋の中央奥に見える、翼を持つ女神像、あの下辺りにも彼女の横顔の
肖像画がありました。

彼女との愛は、彼にとって最高であったそうで、1984年にヴェネツィアで知り合い、
1904年まで続き、彼女はこのヴィットリアーレを訪問する事なく先に亡くなり、
それ以降この様に、彼女の像には、スカーフがかけられたのだそう。



エレオノーラ・ドゥーゼ。

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彼女の名は、ヴェネト平野北西部に位置するアーゾロと深く結びついており、
彼女の家、そしてお墓もこの典雅な町にあります。
このスケッチは、ヴィットリアーレにあった物とは違いますが、彼女の美しさが
よくお分かりと思います。

彼女との偉大な愛、とはいえ、彼の年譜を見ますと、ええ、次々と切れ間なく
美しい女性が登場し、年譜の中だけでも、奥様以外に8人を数えました!

エレオノーラ・ドゥーゼ、アーゾロの市立博物館



食堂、ケーリ・Cheliの部屋。

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ケーリというのは、テーブルの一番手前に乗っている大きな亀の名前で、
彼女は実際に庭園の池に住んでいたのが、食べすぎで消化不良を起こし死亡。
実際の彼女の甲羅に胴の手足をつけて貰い、こうして食堂のテーブルの上に。

美味しく食べるのはよいが、食べ過ぎないように、との戒めなんだそう。

彼自身は粗食で、晩年は人と会食するのを好まず、一人でザンブロッカの
テーブルで食べる事が多かったと。
晩年の彼は歯が少なくなり、見られる事も好まなかった、とあるのを読み、
少し胸にこみ上げる物がありました。
彼のように、己の才、行動、美貌に、絶大な自信を持っていたであろう男が、と。



バーニョ・ブルー・Bagno Blu.

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実際は、ブルーの色が黒く見えるほど暗く、そしてこの狭い空間に900もの品が
並べられ壁にかけられていますが、
彼の生前には、3000もの品で溢れていたそうで、ペルシャの物と見られるタイルや、
小物のブルーが大変美しく。



レッブローゾ・Lebbrozo・ライ病者の部屋、と名付けられた部屋で、
いわば、彼の死体安置所をイメージした部屋。

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彼にとってのライ病の定義は、中世において聖なるもの、神が天才に触れた印、
とみなし、瞑想の部屋でもあるこの部屋にその名をつけた様子です。

正面の奥に見える小さなベッドは、まさに象徴のようですが、左の木製像は
殉教者サン・セバスティーノで、正面の絵はサン・フランチェスコがライ病者を支え、
その顔はダヌンツィオの顔。

大変変わっていると思ったのは、金色の格子天井に所々嵌められている絵で、
女性の顔もあるのですが、足首からとかで、私には大変エロティックに。

左手前に見える小卓には3枚の女性の写真、彼が一番愛した女性、
母親、妹、そしてエレオノーラ・ドゥーゼの写真。
彼が亡くなった時には、実際この部屋に一夜安置されたとの事。




ヴィットリアーレの庭園  (ガイドブック)
最初サイトで、ここの様子を調べた時、この写真を見て意味が飲み込めず、
何か壮大な夢物語の様にも感じました。

大きな船が、うっそうとした林に埋もれている。 皆さん、信じられます?!

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大変に蒸し暑い日でへこたれていましたが、それでも、この船は見に行きました。

ええ、本当に、ありました! しかも、軍艦! プーリア・Pugliaという名の、
甲板に大砲を備えた軍艦が、庭園の傾斜に半ばはめ込まれた形で、
舳先をガルダ湖に向け、鎮座しているのです。

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1925年、海軍からダヌンツィオに贈られた物で、甲板からの眺めの壮大さは!!
如何にもダヌンツィオ好み、というか彼の様子を彷彿と想像させられました。



私は見ませんでしたが、庭園も広大で、泉や池もあり、   (絵葉書)
他の建物には、彼の使った飛行機とか、フィアットの車なども展示があるそう。

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入口付近の生垣にブーゲンビリア。

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彼は、この地に住み始めてすぐ、家をも土地をも全て国に贈呈する事に着手。
そうする事が、彼が住んだままに、この家、この地を維持する唯一の方法、
と知っていたからで、

彼の希望通り手付かずのままに残り、国の記念物として、年間20万人もが
訪れているそうで、

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これは彼のモットー、
Io ho quel che ho donato・イオ・オ・クエル・ケ・オ・ドナート
自分は持っているもの全て捧げた

「イル・ヴィットリアーレ・デッリ・イタリアーニ」の命名にしろ、さすが詩人というのか、
言葉に含める意味、表現、そして響きが、魔術的です。

百貨店「ラ・リナッシェンテ」の名も、ビスコットの「オーロ・サイワ」のメーカー名も、
「パレンテ・セルペンテ」・親戚・蛇という良く使われる言葉も、
全て彼の作った言葉、とガイドが教えてくれました。

彼の作品をまったく読んでいない私には、今回彼の家をご紹介するにも、
かなりの困難さを実感しました。
が、こんな興味深い博物館もあるよ、と知って頂きたい気持ちでご案内を。
チャンスがありましたら、ぜひお出かけ下さい!
       
   
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・ 夏を楽しむ、犬たち

先日行ったコルティナ・ダンペッツォでは、飼い主の避暑に同行の
ワン君達をたくさん見かけました。 観光地で今迄に出会った
ワン君達よりはるかに生き生きと、彼らは夏を楽しんでいましたね。

涼しいし、暑い中を引きずり回されないし、仲間がたくさんいるし、
彼らも快適なのでしょう。 ほんの少しですが、彼らの様子をどうぞ!

・ 避暑地での出会い

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コルティナの目抜き通り、散歩のご主人に、同行する彼らにも出会いが。
でもね、避暑地の恋は、短くて!



・ ゆっくり、のそのそ 
確かこの種のワンちゃんは、靴メーカーのシンボルになっていたと。
短い足でゆっくりと歩きます。 少し、食べ過ぎかも。

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上と同じ飼い主の。 こちらの方が年上なのか、もう少し肥満体。

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写真を撮るのを知ると、しっかり止まってくれたご主人達です。
    
   
       
・ お店の前で
コルティナの街の真ん中に、コープのお店があり、食料品のスーパーから、
土地の産品、本、雑誌、スーヴェニールも売っていて大変な賑わい。
で、買い物に来るご主人に連れて来られ、表で待っている彼ら。

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大きいワン君も、小さいワン君も、一心に入口を見つめ待っています。
素敵な色の、紐をつけて貰い。



・ ホテルのテラスの上  
先回ご紹介のテラスのワン君2人、こんな風に通りを見下ろしていて。

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時々テラスの先端まで行き、覗いています。 飼い主が戻るのを
待っていたのかもで、舌を鳴らして、こちらを向いて貰いました。

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自分の写真ながら、絵葉書みたいななぁ、と!
ドロミテの山をバックに、彼が決めて見せます。

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コルティナで見かけたワンちゃんたちの共通点は、それはどの子も
サラサラのきれいな毛並みを持っていること。
しっかりお風呂に入って、シャンプーを使い、磨き上げているのね!

ドロミーティのご案内



・ ボルゲットの大きなお屋敷の
ヴェローナ近郊ボルゲットの小さな町の真ん中に、塀で囲まれた
大きなお屋敷があり、彼はその庭の向こうに。
中庭が余りにも広く、お屋敷の様子が写らずに残念。
   
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由緒ある家柄の、由緒ある?ガードマン君。

ボルゲット ・ ミンチョ河畔の、桃源郷
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417373.html



・ ガルダ湖で
ガルダ湖北端リーヴァでの1枚。 このカップルは既に1度ご覧頂きましたが、
先回とは違う写真で、もう1度。

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こんなに生き生きとガルダ湖で遊ぶワン君、本当に2人とも楽しそう。

ガルダ湖 北端 ・ トルボレ、 リーヴァ・デル・ガルダ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463416779.html



・ サロで
こちらはガルダ湖西岸のサロ。 ドゥオモの前で、中に入ったご主人の
奥さんと娘さんを待つディック君。

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フランスからで、表でご主人と2人、必死の表情で、はぁはぁと。

サロ ・ Salò ・ ガルダ湖西岸のヴァカンス地
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465494430.html



・ スピリンベルゴで 
スピリンベルゴというフリウリの町、ロマネスクの素晴らしい教会があり、
ヴェネツィア共和国の名残を残す、素敵な小さな歴史ある町。
これは少し古い写真ですが、懐かしい思い出があるので。

細い小路の向こうに家の入口階段が見え、その前に彼が座っていて、
ア、犬がいる!と思ったとたん、スルスルと階段を下りるのが見え、
手前の塀の上、パッと身を乗り出したのですね。
こんな風に!

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ワ、吠えるのか?! と思ったら、吠えるどころか、大変に人懐こく、
別れる時には、こんなに身を乗り出して見送ってくれたのでした。
チャオ~!!

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スピリンベルゴ ・ フリウリ州の珠玉の町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/470578689.html


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・ 夏のドロミテ ・ コルティナ、ミズリーナ湖

夏本番! 
で、今日は皆さんへの暑中見舞いを兼ねまして、
つい先日行って来ましたドロミテ山系の、
コルティナ・ダンペッツォ・Cortina d'Ampezzo と、
その奥にあるミズリーナ湖・Lago di Misurina の
涼しい風景をご覧頂きますね。

大変な快晴に恵まれ、寒いほどの涼しさを満喫。
が、帰り道には、豪雨に見舞われつつ高速を戻るという・・!

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我が家からは高速でベッルーノまで、そこから国道51号を辿り、
約86キロほどで、コルティナ・ダンペッツォに着きます。
       
この風景はコルティナへ17,8キロほどの辺りで、
幾つもの小さい町、村を抜け、奥に向かいます。




朝方に雨が降ったらしく、道が濡れている所もありましたが、
どんどん晴れて、ご覧の通り!
日本人の目には、何時もこの白い岩山が新鮮!

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この辺りは既にコルティナに近づき、あと10キロほどの所でしょうか、
道が大きくカーヴし、新しい風景が広がるたびに、
わぉ! と車を寄せて・・!

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町の入口近く、左の谷の向こうにスキーのジャンプ台が見えます。       
51年前のオリンピックでの、猪谷選手の活躍が記憶に残る
コルティナですが、夏、冬の高級避暑地で、すでに大変な人。

コルティナは既に一度ご紹介済みなので、写真がダブらぬ様にし、

こちらは大変美しく修復された鐘楼。
一番上に、金色の鳥がいるのに、今回始めて気が付きました。

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町の中は大変な人で、ヴァカンスの真っ最中。
陽射しは強く、空気が澄み風が強く、大概の人は上着を着用。

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夏の高級避暑地の雰囲気ぷんぷんですが、
集まっている人の年齢層が高いので、落ち着いたイメージ。




中心の通りからも建物の隙間からも、こんな周囲の風景が。
これは南側の眺めで、奥に岩山が顔を覗かせ、手前の斜面には
住宅や別荘がちらほらと。
全体の眺めがやはりとても美しい。

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通りのあちこちに花壇があり、花鉢があり、大変色鮮やか。
花自体は特別な花でもないのに、色の取り合わせによるのか、
紫外線のせいなのか、目に沁みます!

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余りにも、色の取り合わせが可愛くて!
こんなチビの3輪車までがお洒落です。

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ホテルの屋根の隙間から、町の北に見える連峰を。

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町の真ん中にあるドゥオモと鐘楼。
覗いてみましたら、ミサの真っ最中で、たくさんの人が、お祈りを。    
避暑地を言えども変わらない、イタリアの素顔がありました。

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今回唯一の、猫ちゃん。
パン屋さんの看板で、下にティロルのパンが下がっていますが、
黒猫ちゃんは、どういう関係?

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下右に見えるウインドウは骨董屋さんで、パン屋は左奥。




広場、ホテルの前、白い大きな傘が広がり、
人々がバールで、ゆったりとお喋りを。

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こうして見ても、年配の人が多いでしょう?
若い人も見かけますが、ピシッと決めた人が多く、
一般庶民の雰囲気ではありませんね。




ホテルの建物は大体この様に、ティロルの木造りの大屋根風が多く、
木のテラスは、建物の色に合わせた花鉢で、溢れんばかり。

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このホテルの窓枠、鎧戸は、鮮やかな水色で、花は紫と白。
青い空に溶け込みそうです。



上と同じホテルのテラスに、このワン君2人。
通りを見下ろし、行ったり来たり。
舌を鳴らしてこちらを向いて貰ったので、今日はこれ1枚をご覧頂き、
次回のチャンスに、他のワンちゃん達の写真も。

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ここコルティナにはたくさんのワン君が集まり、楽しんでいましたよ!



コルティナから北東へ11キロほど、山道を行き、峠を越えた
標高1756Mにミズリーナ湖があります。
ちなみに、コルティナは標高が1210M。

すぐにまた素晴らしい眺望が開け、道脇に車を突っ込みます。
これは北側の眺め。

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こちらは南向き。 家畜用の干し草、良く乾いて美味しそう。

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道はかなりな勾配の上りで、すぐ下に谷底の家々が見えます。

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我が家周辺の、葡萄畑やトウモロコシ畑の広がりに慣れた目には、
草地と、林と、岩山、というのが新鮮。




登り道の向こう側、逆に下って来てバイクを止め、写真を撮っている
青年がいて、撮っていいか、と聞くと、ちゃんとポーズを!
ミラノ・ナンバーの赤い大型バイク。

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道はどんどん上り坂。
こんな岩山が、目の前に立ちはだかります。

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南の空を、クィーッと飛行機が。 気持ち良いだろうなぁ!!

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道脇の叢にこんな野草。
薄紫の小さい花で、花の長さが1~1,5cmほど。

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標高1809Mにある、トゥレ・クローチ峠を越すと下りの坂道が続き、
最後、少し上った所がここ。

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正面のホテルがよく見かける、ミズリーナ湖と一緒に写っているホテルで、
今は南側から。 草地では、馬や牛が、ゆっくりと草を食んで。



牛達がゆったりとしゃがみこみ、中には完全に横になっているのも!
名前を聞いたら、shinkaiと答えるかも! ははは。

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ミズリーナ湖に、はい、到着!

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お天気は快晴ですが風が強く肌寒く、お腹も減り、少し気がそぞろ。




先程のホテルを湖側から。

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逆光なのと、本当は湖の北端まで行って振り返らないと、
位置が決まりませんが、まぁ、お昼前なので、ご勘弁を。




湖の東側。
ぐるっと、湖の周囲に遊歩道が巡っているようで、
散歩を楽しむ人の姿が、ちらほらと見えます。

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水は本当に透明! 水深が深いところは、エメラルド色。

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岸辺にあるイスとテーブルには、カップルや、家族連れが。

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こちらは家族連れ。
子供は1人で楽しむ術を心得ていて、ナンというか・・、フム。
私の羨望がこもりそうな、なぁ!  あはは。

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ゆっくりとお昼を食べ、チーズを焼いたもの、ポレンタ、茸、
出てきましたら、なんとこんな雲が!

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まさに鳩というか、グライダーというか。
が、風が強いので、あっという間に流されて行きました。

帰りはアウロンツォに抜けて戻りましたが、途中から雲行きが怪しくなり、
ベッルーノから高速に入る頃には降り出して、大雨の中を走りました。
ええ、こうして私の車の運転実習も着々と、というわけ!


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