こちらはこの所、毎日暑い日が続いています。
テントを下ろし、雨戸を殆ど閉め、窓も閉めて薄暗くヒンヤリした中で、
ゴキブリみたいにちょろちょろと過ごしていますが、日曜には頑張って少し遠出を。
車の実習も欠かせませんし、日曜は道もあまり混雑しないので。
テントを下ろし、雨戸を殆ど閉め、窓も閉めて薄暗くヒンヤリした中で、
ゴキブリみたいにちょろちょろと過ごしていますが、日曜には頑張って少し遠出を。
車の実習も欠かせませんし、日曜は道もあまり混雑しないので。
今日は先日行って来ました ポルトグルアーロ・Portogruaroのご紹介です。
川の流れの美しい小さな町です。 どうぞ!
川の流れの美しい小さな町です。 どうぞ!
まず、ポルトグルアーロの位置からご覧下さい。ちょうど良い地図が見つからず、
ナヴィゲーターから拝借で、緑の旗が立っている所です。
ナヴィゲーターから拝借で、緑の旗が立っている所です。

私はConegliano・コネリアーノと、Vittorio Veneto・ヴィットリオ・ヴェネトの
中間に住んでいますから、南東のOderzo・オデルツォ経由で往き、
帰りは真っ直ぐ北に向かい、Udine・ウーディネからの道に出て戻りました。
どちらも、片道約60キロほど、車で約50分の行程です。
ポルトグルアーロとは「グルアーロ川の港」を意味し、以前ご紹介の「ポルトブッフォレ」
と同じですね。 町の古い中心を流れるグルアーロ川は南に下り、カオルレ・Caorle
という海辺の町の干潟に注ぎ、ここから西に65kmほどにヴェネツィアです。
と同じですね。 町の古い中心を流れるグルアーロ川は南に下り、カオルレ・Caorle
という海辺の町の干潟に注ぎ、ここから西に65kmほどにヴェネツィアです。

つまりヴェネト平野からフリウリ平野にかけての、物資荷物運搬の川の港、
そして交通の要所でもあったのですね。
この写真には写っておりませんが、小舟が係留されているのを幾つか見かけましたし、
かっては漁師たちもたくさんいたようです。
かっては漁師たちもたくさんいたようです。
古くから栄えた町の中心には13世紀頃の古い建物から、ヴェネツィア・ルネッサンス様式の
建物などがたくさん残り、建物の下のポルティコも続きます。
のんびりとした、日曜の朝の風景。

町の中心に向かう橋を渡っていましたら、向こうから白鳥の一家がゆっくり滑るように。
かなり大きくなったグレイの子が6つ続き、親は前後を固め。
かなり大きくなったグレイの子が6つ続き、親は前後を固め。

町の中心広場・ピアッツァ・レプッブリカから見える、一筋向こうのドゥオーモの鐘楼と、
手前の騎馬像は、戦没者の慰霊碑。
手前の騎馬像は、戦没者の慰霊碑。

鐘楼はご覧の通り、かなり傾いているので有名で、ヴェネトではもうひとつブラーノ島の
鐘楼もかなりの斜塔です。
レプッブリカ広場の奥に見える中世の建物、現在は市役所・コムーネで、
先程の騎馬像が前に。
先程の騎馬像が前に。

コムーネと広場の右に並ぶ建物群の間を抜けると、グルアーロ川の畔にある
ぺスケリーア・魚市場と呼ばれる、素敵な場所に出ます。
上の写真、コムーネに見える階段の脇と建物の前には、ローマ期の柱頭部と見られる
頭部が5つ、置かれていますが、鳩達は、恋の駆け引きに忙しく・・

コムーネの前を、金髪のマンマと濃い茶髪のボクが行きます。

ずっとずっと以前、まだまだPCも持たず、ラジオ・ジャパンを短波で聞いていた頃、
「ちゃぱつ」という言葉が出て、何かまるで見当がつかなかった事が!ははは。
ペスケリーア・魚市場と呼ばれるのは、かってここで魚市場が開かれていたとの事で、
古い絵葉書にもその様子が残っているそうで、海沿いの町カオルレとの繋がりですね。

日曜の朝とあって親子連れがたくさん集まり、鴨や、白鳥にエサをやっていますが、
女性達は既にすっかり夏姿。
上の写真の川上側。 この町のもう一つのシンボルといえる2つ並んだ水車小屋。
水車は今も動いてはいますが、実働せずで。
水車は今も動いてはいますが、実働せずで。

少し段差のある堰から落ちる水音。 そして、この広がりの美しさ。
心までが明るく軽くなる思い、の場所です。
そして、手前側。 この建物は15世紀のものだそうで、屋根上に小さな鐘楼と十字架が
見えますが、この建物の中心にPojana・ポヤーナと呼ばれる聖母への祈祷所が。

これが建物内部にある聖母の祈祷所。

初めて見た時、まさに日本の小さな祠を思い浮かべたものです。 そう思われません?
一度冬の夕方に訪れた時、たくさんの赤い蝋燭が点されており、
美しく、とても暖かく、みつめました。
祈祷所の周囲は通り抜けれる様になっており、すぐ後にはバールのテラスがあり、
たくさんの人がお喋りに余念無く。
たくさんの人がお喋りに余念無く。
祈祷所の横を抜けて、川上側から。 柳が、どっしりと枝を垂らし、水草が揺れ。

手前の突堤の先にいる、ライオン君、見えますか?
少しアップに。 手の下に、何を持っていたんだろう? 獲物の動物かな?

川水はかなり透明で、ホラ、ご覧の通り。

川上側を通り、ぺスケリーア向かい側の小道に出れます。
広場の感じ、祈祷所のある場所、お分かりでしょうか。

祈祷所に続くバールのテラス。

横を通りながら眺めましたが、ほとんどが年配の男性たちでしたね、ここは。
それにしても素敵な場所です。
それにしても素敵な場所です。
こちらの小道は、川向かいの建物の下になり、ノウゼンカツラの赤い花がたくさんで、
すっかり夏日和です。
すっかり夏日和です。

この町の繁栄の頂点は17世紀だったといいますが、通りに残るどっしりの大きな建物には
フレスコ画の名残が見られ、ポルティコの道が続き、繁栄した大きな町だったのが窺えます。

突き当りの道を右に行くと国鉄駅に出て、ヴェネツィアからトリエステ行きで1時間前後、
ええ、楽に来る事ができますよ。
鐘楼の脇、ドゥオモの脇を抜け、最初の中心広場の方に。
鐘楼横の広場の、バールのテラス。ここでもお喋りに熱中する人々。

鐘楼の傾き具合に、ご注目!
ドゥオモではちょうど日曜の朝のミサ中でパスし。 これは広場の向かい並びの建物群。
町の旧市街に当り、少し小さい目の古い建物群が続きます。
町の旧市街に当り、少し小さい目の古い建物群が続きます。

如何にも日曜の朝らしく、のんびりと、自転車が道の真ん中を走り、
あちらでもこちらでも、お喋りの輪が。
少し南に下り、振り返り。 この町には、椰子の木がたくさんあり、南国的な雰囲気で。
ヴェネトの町でも、これは珍しいような・・。

一旦市門を出ますが、もう少し古い町の部分が続きます。
15世紀の建物、という軒下に見えたフレスコ画の名残。 このポンペイの赤を思わせる
壁の色は、他の建物にもあり、この町に多く見られます。
壁の色は、他の建物にもあり、この町に多く見られます。

また市門の中に戻り、古い部分を辿ると、ポルティコの入口に、こんなライオンが。
右に見える子供の様な人物と共に、何かの逸話を現しているようですが。

町の旧部分を取り囲むように、外の通りには比較的新しい、ゴシック・ルネッサンス様式
の建物が続きますが、かっての華やかさを偲ばせる様なこの赤い色。

インフォメーションは閉まっていましたが、ウィンドウにあった町の行事写真を。
どうやら、8月15日の夜に行われる、ペスキエーラの聖母のお祭りの様。

こちらは、旗振り競技ですが、いつ行われるのかな?
旗振り競技は、大方のお祭りにいつも出て来るのが習わしですが・・。

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