・ アッシジ点描 ・ 朝の風景 

アッシジの朝の印象。 
それは、町の高台から見下ろす緑に霞む野と、その中を蛇行しながら
町に向かってくる道、
そして、古い石の小路に斜めに差し込む朝の陽。

今日は、そんな朝のアッシジをご覧ください。

暖冬のせいで、この春は一際緑が鮮やかでした。
既に耕された畑と、したたる緑の野と。

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古い中世からの壁が修復され新しく優しい色を貰い、古い石積みの
ままの壁に隣り合わせる、その小路に朝の陽が射し込みます。       

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アーチの形も、壁に残された石碑も、鋳鉄の飾りもそのままに、
こうしてまた、年を経ていきます。



山の手の道を辿り下っていくと、小路の隙間にコムーネ広場の噴水が
細く見えてきましたが、まだ影の中。
でも噴水の一番上の部分にだけね、朝陽が届いています。

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昼間は観光客でいっぱいの噴水の回りも、人待ち顔の男性が1人だけ。

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コムーネ広場の南に建つパラッツォ・プリオーリの壁の紋章も、街灯も、
斜めの陽射しに浮かび上がります。

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ローマ期の大円柱を正面に持つ、ミネルヴァ神殿の教会も朝のお掃除。
テブレ、ご容赦!
    
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町の西の端にあるサン・フランチェスコ聖堂も、朝日に輝きます。
すでに参拝客がぞくぞくと。

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聖堂前の下の広場にあるポルティコの窓から。
曲がりくねった道の向こうから、車がやってくるのが見えます。
それにしても、なんと美しい道!

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坂下の町、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリのドゥオモが緑の中に霞みます。
こちらの広場はまだ影の中。

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中世そのままの面影を残す古い石の壁に射す陽。
無骨な、また逆に、心に沁みいる懐かしさも感じさせる壁。

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重なる家並み。
屋根瓦も苔むし、色も様々、そして時に、瓦の列も蛇行して・・!

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町の東端、サンタ・キアーラ聖堂前から町の上のロッカ・要塞を。
朝日を受け、まさに町に君臨します。

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ロッカ・要塞に上る坂道から望む、サンタ・キアーラ聖堂。
清楚な、白とピンクの縞の聖堂が、朝の陽を受けています。

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フランチェスコが籠ったと言うスバシオ山の、エーレモ・デッレ・カルチェリに。
前庭の閉じられた井戸の上の花鉢。

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どこもかしこも薄暗く、時には真っ暗な建物の中、
この礼拝堂に、今漸く朝の陽が射し込んで。

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エーレモ・デッレ・カルチェリの手前に、展望が開けた場所があり、
そこからのアッシジの平野。
町よりもかなり東の位置から見る、南西の眺め。

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・ ウンブリア の猫たち  その2

今日は、猫日。 ウンブリアの猫ちゃん達を、どうぞ!

・ 皆さま・・!

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ブログご訪問、有難うございます!
日頃のご愛顧、shinkai共々、厚くお礼申し上げます。
イタリアにお越しの節は、どうぞアッシジにもお立ち寄り下さいませ。
私、こうして、お待ち申し上げております。  にゃん。



・ モンテファルコの猫

家の前、猫の額ほどの隙間になんとまぁ、たくさんの物が!
プラスティックとテラコッタの、大小さまざまの植木鉢、多肉植物、オリーヴの木、
サボテン、古木の切り株、貝殻、石ころ、水の入ったペットボトル、蛙の置物、
椅子・・、そして、この白猫ちゃん!

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・ スペッロの猫
坂道のお家の前、暑いほどの陽射しを避けひんやりと、まどろむ猫ちゃん2人。
奥の濃い色の方は、抱っこしたらどっしりと重たそうで、良いなぁ!

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・ ヴァッロ・ディ・ネーラの猫
教会の前の坂道を急ぎ足でおりて来て、え~ぃ!と声を掛けているのに、
知らん顔で、なおの事急ぎ足になって。 薄情猫め!

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・ スポレートの猫
先回は横目でちらりのシーンでしたが、今回は悩殺ポーズ!

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さすって~ぇ!  もっとぉ~!



・ グッビオの猫
高い所から不思議そうな目で見つめる、美人猫。
芙蓉の花にも似て、少し憂いのある顔で。

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・ サッコヴェーショの猫
殆ど村の中に人影が無く、出合ったのはお喋りができたお年寄り2人と、
少し警戒顔のこの猫ちゃんと。

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・ トゥレヴィの猫
傾斜のきつい山腹に広がるトゥレヴィの町。 坂道を下り、
なんとも古い小さな広場に行き当たり、
その素敵な空間の一隅に、この黒猫ちゃん。
      
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茶色のトーンの空間に、緑の鉢植えと共に、アクセントで。



・ スポレートの猫
町外れの古い教会の前のまだ若い野良ちゃん。 愛撫に大喜びで。

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・ カステルヴェッキオの猫
村はやっと10年前の地震災害の復興に取り掛かったばかり。
クレーンが唸り、石工の声が飛び。

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遠慮せずしっかりカーペットの上にお乗りよ、まだ石は冷たいもの。



・ アッシジの猫
なんとも鮮やかな美しい茶色で、それにハンサム君。

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アッシジの目抜き通りの人混みの中、いとも涼しげな印象で。



・ トゥレヴィの猫
先回は止まり木の猫ちゃんだけでしたが、今回はその足元の1人も。

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霧の濃い小雨のぱらつく朝でしたが、面白い場所を選ぶもの。

アッシジ ウンブリア州のご案内は


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・ プレーチ と サンテウティツィオ修道院 ・ 中世の外科学校を誇る

今日はウンブリアの東端、ヴァルネリーナ渓谷から少し南に入った所に位置する、
中世からヨーロッパ中に名声を知られたプレーチ外科学校で有名なプレーチ・
Preciと、その元となったサンテウティツィオ修道院・Santo Eutizio、
そして、プレーチ近郊の村のご案内です。

プレーチへは、スポレートからヴァルネリア渓谷を東に辿り、約60キロほど。
南のノルチャ・Norciaへの道に少し入り込んだ、標高596mに位置します。

12世紀頃に教皇の目を掠めてスポレートが自領を増やす為に、移殖を始めたのが
起こりのようで、町は小高い丘の上傾斜地にあります。

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このサンタ・マリーア教会の鐘楼の鐘と、私が泊まったホテルの宿の部屋が同じ高さ!
時刻の鐘と、ついでに少し高い鐘の音で、毎15分毎にチーン、チーンと。



丘の町の、更にまた高所に位置するホテル、アッリ・スカッキ・Agli Scacchiで、
傾斜地にある別棟の私の部屋へは渡り廊下で。

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品の良いプレーチの町の中でも、とりわけ上品な石組みでの壁で見事でした。

スカッキ一族・Scacchiは、フィレンツェのメディチ一族に繋がるとの事で、
一族からは有名な医者がたくさん輩出、フランスのルイ11世の侍医やら、
イギリスのエリザベス1世の手術医も。



山里の春にはまだ少し早く、咲き始めの桜が冷たい風にフルフルと。

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10年前の地震でかなりの被害を受けたようですが、この町は修復されておりました。
小路から見える壁は新しく味気ないですが、上からの屋根瓦の並びはやはり良い趣。

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町の外に広がる傾斜地に馬が2頭、見えますか?



教区教会サンタ・マリーアの内部礼拝堂で、修復作業が続けられていました。

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丁寧に石像に積もった埃を拭い、礼拝堂全部を洗うのに1ヶ月以上かかるとの事。
底冷えのする教会内での根気の要る仕事です。

フォリーニョの近く、モンテファルコのかっての教会内の美術館でも、若い女性二人が
もくもくと修復をしていました。
応急作業で詰められていた石膏を、カンカンと槌とノミで剥がしながらの作業で、
あの場所も大変冷え込む場所でした。

イタリアの膨大な美的財産をこうして護り続ける、表には出ない、
たくさんの若い人々がいるのですね。



教会横を下って行くと、このテラス状の広場にでて、右には住民の集いの為の建物が。
       
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広場で日向ぼっこをしていたシニョーラと少しお喋りをしました。
町には仕事がなく若い人は出ていく、生ハムのお祭りは人出があって楽しい事、
冬は冷えこむので薪をしっかり蓄え、家からは出ない事などなど。
       


こちらは北に見える村サッコヴェーショ・Saccovescio. シニョーラに村の名を
教えて貰った物で、プレーチよりも高い710mに位置します。
       
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サッコヴェーショとは土地の訛りで、袋・サッコが裏返った、という意味だそうで、
村の形からついた名の様子。



こちらは西に位置するカステルヴェッキオ・Castelvecchio. 地図にも載っておらず
標高も分りませんが、プレーチよりも少し高く600m少々でしょうか。
       
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手前右下に見える白い線の場所は鱒の養殖場。 このプレーチの下を流れるのは
テッシーナ川で、この先で、ネーラ川に合流します。
ヴァルネリーナを流れるネーラ川では、他に2箇所ほど養殖場を見かけましたし、
海老の養殖もあるようです。



少し霞んでいますが、これはカステルヴェッキオ村から見たプレーチの町。

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左側の町の稜線中程の鐘楼が見えるかな。 そこから3,4軒右がスカッキ邸。
プレーチの奥の、谷が開けている部分、方角から考え、サンテウティツィオ修道院へ、
そしてノルチャに続く道。



プレーチから南へ約3キロ、サンテウティツィオ修道院に向かいますが、
余りにも何もない素晴らしい青空だったので。

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この壮大な修道院の壁。 5世紀頃より建設され、13世紀始めにノルチャの元に
下るまで広大な領地を持ち、この辺り一帯の政治と経済の中心でした。

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病人の看護を規範とするベネデッティ派だったので、それがプレーチの外科学校の
元となり、宗教のみでなく薬学、細密画の学校もあり、
豊富な図書も文化に寄与したとの事。



修道院の見えるかなり下に車を止め、坂道を歩いて行きましたら、
横の草原にこんなブチ馬君が何頭か。

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馬よりは小さくポニーよりは大きく、なんと言う種類かな?
立ち止まって写真を撮っていましたら、何か用? とばかり近寄って来たのですが・・。



建物に沿った下の道を行き、ぐるっと戻る形で入口に。
 
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元々は岩山の洞穴に住んでいた修道士達が、5世紀頃より建設を始めたという事で、
教会は13世紀頃の建物。

ですが、ほとんど修復された部分の多い、新しい壁が目につきました。
手前右側はレストラン兼ホテルで、少し離れて子供用の遊園ピクニック場もあり、
いささか驚き!



岩山の上に聳える鐘楼。 17世紀。

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この下の岩の部分、修道院創設の頃は穴倉部分が、修道僧たちの
墓地になっていたとの事。



教会内部ですが、内陣後陣とも修復され新しく、余り味がありません。
椅子の形が少しおもしろく。

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教会の内・後陣部分が高くなっていて、脇の階段を下りるとクリプタ。



ここは写真で見えるよりももっと暗く、なかなか良い雰囲気。
2本の古い円柱もずんぐりと太く。
ただ掛けてある絵が本物のイコンでなく、めったやたらに新しさが目につき、
無い方が良いのに・・と。

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中庭部分から入口を見たところ。左側が教会で、入口の右側部分に、
この訪問時には閉じていた、外科学校に関する博物館が。

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13世紀の宗教会議で、修道僧が外科手術を行うのを禁止したのに関連し、
ここの修道僧達は持てる知識と医術を、近辺のプレーチの民に伝えました。

住民達は豚肉製品を作る、つまり屠殺に携わり、動物の内臓器官に通じており
医術を学ぶには問題がなく、大学で学んだのではない経験主義の外科医でしたが、
庶民たちには大変な信用があったと伝わります。
 
既に13世紀において泌尿器科の手術、膀胱結石の取り出し、ヘルニア切開術、
白内障の手術をする技術に達しており、
16世紀から18世紀にかけては去勢の手術にも通じ、
   
これが当時ヨーロッパを一斉風靡したボーイ・ソプラノを持つカストラート歌手の
輩出に貢献したという、悪評にも繋がります。 



帰りに門を出た所で、ふと向かい側の谷を振り仰ぎ驚きました。
この高さの谷の上に集落がありました! なんとまぁ!

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プレーチから4キロ、ロッカノルフィ・Roccanolfiの村への山道を行きます。
中世からの城があり、独特な防御の村と読み、行ってみましたが、

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10年前の地震からの復興工事が、この村では今始まったばかりでした。



村の家の何軒かには人が住み、復興もされている様子でしたが、
ほとんどが、住民が村を離れたそのままで、地震の爪痕深く。

この家も戸口から中の崩れた様子が見えましたが、それにしても、
中世のままの様な、狭い低い家の中でした。

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城の塔は村の上に見え、子供の声もするのですが、道はこうして崩れたまま。
住んでいる人はどの道を通るものやら、人影もなく、断念して引き返しました。

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それにしても、よくもこの塔が残ったもの!
   
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手前に見える家々は修復が済んでいますが、2台の大きなクレーンがずっと稼動中。
いつか村が蘇った時また訪れたいものです。



ロッカノルフィから更に山道を、ポッジョ・ディ・クローチェ・Poggio di Croceの村に。
ここは標高938mに位置します。

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下に新しい集落はありますが、これで全部! そして、この小さい村に教会が2つ。
写真一番左、屋根の上に小さい鐘楼のあるのが、村の教区教会サン・エディージョ。

城の塔の近くまで行きましたが、今は普通の民家の様で、塔のみが残されていました。



かなり長い庇が張り出した面白い形のサン・エディージョ教会・San Edigioで、
15世紀の物との事ですが、閉じられていて中は見れませんでした。

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これは、村の下の草原辺り、たまたま太陽と雲が面白い遊びを見せてくれました。
右下の辺り、羊君達がカラカラと草を食みつつ移動中。

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・◆・◆・
    
以前読み、この地に行ってみたい と思うきっかけとなった詩をご紹介しますね。

過去からの声 

巡礼よ  プレーチに歩を向け 近づいたなら 聞き耳をたてよ
岩また岩の谷を通る時 水の上 家畜小屋の中でささやくのを

決して消える事のない過去の話  本当のこと 無かったこと
もしお前がホップとイラクサの中で休むなら  聞きなさい 私がその声だ

感じ取った事を語ろう  人々の過去の話を  悲しい姫の話を  
世捨て人のことを  サラセン人のことを  今はもう消えてしまった事を

何百年も既に過ぎ去った 何百年もの間決して忘れられた事はなかった
聞いたことを語ろう   かって起こった事を

若い領主の王妃ノルファは 王とは遠く離れて住んでいた  不幸だった  
彼と離れたく 決して戻るつもり無く 別れた 
   
二度と彼の元には戻らぬよう 静寂の内に暮らすつもりで
館の内に閉じこもった  テラスからも見られぬように

誰からも二度と見られる事のないように  本当なんだ  不幸な王妃
そして 人々は囁いた  美しいノルファは砦にこもったと

柳とイラクサの間を風が通り 古い囁きを運んでいく  畑の声 過去の声 
かって起こった事をお前に語る

さて聞きなさい この新しい話を 
ベルフォルテの近く プリンチヴァッレ・ドーリアでは
軍馬にまたがる2千の武装した騎士を通過させた
 
黒い肌の幾人かのムーア人が  皆の中でも最も恐れられていたその彼らが
前に押し出され すべて殺された 
 
冷たい風が木の葉の間で息づく だが彼らは何も知らない どうやってあそこに 
彼らがやって来たのか 辺鄙なあの凍えた土地で 剣で殺されるなんて

お前も過去からの声を聞きなさい  巡礼の夜の歩みを導く 小さな星 輝く友よ
麝香草の花よ サンザシの花よ

もう一つ別の話を語りたい 2人の修道士が祈るためにやってきた 山の上 
静寂の中で  片方のエウティツィオが行ってしまうまでは

エウティツィオが行ってしまった後  フィオレンツォはとても寂しさを感じ
信仰と熱情をこめて祈った  神よ どうぞ良い仲間をお与えください

神は彼を満足させるべく 少し特別な仲間を与えた フィオレンツォは満足で 
幸せだった  その熊は 彼にはとても従順に見えた

そして彼は命じた 昼の内は家畜と一緒に草を食み 帰ってくるように
日暮れ前に 洞窟の中に

この評判はすばやく広がり 嫉妬に駆られた修道士たちは 熊を殺そうと考えた
殺した  そして 嫌がらせで殺した と言った

一日が暮れた 夜が過ぎそして無益にまた日が過ぎた  フィオレンツォは
何時間も待った そして殺した者を呪った 再び一人ぼっち 矢車草の花 

巡礼よ お前は既にあの土地から遠い  そしてお前の道のりは長い 
だが覚えておきなさい 既に知ったあの事を

過去からの声は忘れたりはしない  過去からの声は決して忘れたりはしない
我々の歴史の小さな話  


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・ ポルトブッフォレ ・ Portobuffolè 再訪

かっては町の中を川が流れ、川の港町として中世から大いに栄えた 
ポルトブッフォレの町。 
度重なる氾濫に悩まされ、遂に川の流れを変え、
今は眠っているかのようなこの町については、既にご案内しましたが、
先月、久し振りに再訪しました。

で、この小さな町にしては今回は話題が豊富で、写真が大変多くなりました!
が、ご辛抱の上、お付き合い下さいませませ。

通りの奥に市の塔が見え、その前にマッジョーレ広場が広がり、
この一帯が町の一番の中心地。

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通りの右の建物群の中程に壁に赤い布がかかっているのが見えますが、
ここが、ダンテの神曲にも登場のガイア・ダ・カミーノが住んだ家。

今回は、今は博物館になっている家が修復され、お披露目を前に、
まだ閉まっていたのをしっかり見る事ができましたので、後ほどご覧に!



この市の塔内部が、この地方の手工業、農業の道具等を展示した博物館に
なっていて、展示物もさることながら一度中を見たく、土曜に運転実習を兼ね、
開館時間に合わせ訪れました。

塔の上の飾りが大変優雅です。
四角い時計の右上に開いた、アーチ型の窓にご注目を!
       
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博物館に入るには、すぐ近所にある観光事務所に申し込み、入場料
確か3,5エウロだったかを払うと、ガイドつきで案内して貰えます。
時間も好きなだけ、少し離れた祈祷所までも案内つきで、申し訳ないほどの
料金と内容なのです。

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内部は、一辺が5mほどでしょうか。 下の建物の、屋根の位置から入り、
3層位までが展示場で、様々な道具類が種々雑多に並べられいて、
比較的新しい物が多く、内容としては、ウンブリアの、チッタ・ディ・カステッロの
民衆伝統博物館が、断然上と思いましたが、
案内して下さった女性とお喋りしながら、楽しく見れました。



ウンブリアの博物館と内容が重なる部分がありますので、ここで見かけた
新しい物をいくつかご紹介しますね。

これは蝦取りの籠で、かっては町の中を川が流れていたと言いましたが、
リヴェンツァ川といい、写真で見るとかなりの水量で、平野の中をゆったりと
流れており、川蝦が取れたようです。

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この辺り一帯今でも川蝦が有名で、近くの町の教会にある「最後の晩餐」
の古いフレスコ画の食卓には、川蝦が描かれているとか。



そしてまた、ヴェネト平野とフリウリ平野では養蚕業が盛んでした。
これは、桑の葉を切る為のものと。

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これは真ん中に電灯がつく様になっていて、目くらましをし、広がった傘の様な
網には鳥もち式のねばねばが塗りつけてあり、小鳥を獲ったのだそう。

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網の綱には小さな羽毛がまだ張り付いており、ちょっと哀れを催しました。



ヨチヨチ歩きの子供を入れて歩かせる、歩行補助器。 下の角々には
小さなコロがついていて、子供は倒れず動き回れるという仕組み。

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忙しい農家の親にも、子供にも、一石二鳥の歩行器だったでしょうね。



ガラスが割れているのをテープで止めていて、少し見えにくく済みません。

下の中心広場を見下ろしていますが、左上の白い建物が現在この町のドゥオモ
になっている、かっての、ユダヤ人のシナゴーガです。
薔薇窓の位置には、まだユダヤの星を示す、6つの角を持つ星が見えます。

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川を利用して物販輸送で大いに栄えたこの町には、多くのユダヤ人が住んでおり、
金融業に他の産業にも大いに関わっていたのが、
15世紀にイタリア人の子供が行方不明、死体が見つかった事件をきっかけに、
シナゴーガも閉鎖、ゲットーに閉じ込められるという事になりました。



こちらは町の北西方向で、町の外にはすぐ、ヴェネト平野が広がります。

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2枚目の市の塔の時計の右上に窓が見えましたが、かって死刑囚はあの窓、
あの穴から、時計の鳴るのを合図に下に突き落とされたのだそう。
塔の中を伝わって落ちる一番下は監獄。

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これがその穴で、下の鉄の柵の足元にも穴があり、鉄格子が嵌っていました。
ただし穴の半分は、壁を作って塞いでいる様で、今は到底落ちない程の
狭い穴となっていますが、それでも、やはりあったか! と・・!!



サンタ・テレーザ祈祷所。 町を一旦出て、少し歩いて祈祷所に。

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この祈祷所は、隣り合っているかってのヴェネツィア貴族の館、
ヴィッラ・サン・ジュスティニアン、現在は4星ホテルの、ヴィッラの祈祷所
だったもので、17世紀のこじんまりとした美しいもので、こちらが入り口。



内部はバロック様式で、私の苦手とする所ですが、美しく修復され、
だまし絵の聖人などもなかなかの物で、こちらは、床の飾り模様。

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窓には、この様にステンドグラスが。 やはり、ヴェネツィアのガラスでしょうね。
窓の外の緑を映し、大変爽やかでした。

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我々は入口の扉の鍵を開けて入り、するっと通り抜けて、裏の扉から出ました!

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扉が開いているのが見えますか? 閉めなくても良いのか、と聞くと、
案内の女性は、修理の人が入っているようだから、と。
祈祷所の上にある2つの小さな塔が、後ろ側からのほうが良く見えます。
       
そしてそこはもう、サン・ジュスティニアン・ホテルの前庭。



かってのヴェネツィア貴族の館が修復され、今は4星ホテルに、と書きましたが、
       
「ここにはフェリーニ(映画監督)も来たし、モンテッゼーモロ(現フェッラーリ会長)
も来るのよ」と彼女が話しながら歩き、そして目に入ったものがこれ!!

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これは、フェッラーリの、テスタ・ロッサとか言うやつでしょう?!
生垣の向こうにも、チラッと同じのが並んでいるのがお目に入りましょうか?!
写真では4台ですが、実はずらっと向こうまで!

モーター・ショウかと一瞬目を疑いましたが、ナンバープレートの国籍は D で、     
つまり、ドイツの方々がお越しになっていたようで。



こちらには、先頭の2台がシルバーでしたが、後には真っ赤なヤツが5台ほど、
そして角を曲がり、庭の向こうの道にはやはり5,6台真っ赤なのが、ずらっと・・!

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ヴェネトの田舎の、こんな小さな古い町のすぐ隣のホテルで、
こういう物にお目にかかるとは・・! 驚き入りましてござります。
       


帰った方が良いね、と案内の彼女が言い、我々はまたすぐ引き返し。

「ガイアの家」はやっと修復が済み、お披露目は何週間か後、という時でしたが、
見れるよ、と案内事務所の横の扉から中に入れてくれました。

こういう融通はイタリア独特の物! 私が興味を持っているのに対し、
彼女が好意を示してくれたのですね。 嬉しい事でした。

ドアの位置からの眺めです。 建物の表と裏を(東と西を)道に挟まれて、
それを細く横割りにしたような部屋が続きます。
       
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天井が低く、潜り抜ける部分はも一つ低く、殆どの壁全体にフレスコ画が施され。



建物自体は14世紀の背の高い3階建てで、現在の階段も備えられていますが、
当時は、梯子のような物で上に上がり、夜は防御目的から、上に引き上げていたと。

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この壁画は、若い闘士。 実際は足の下まであり、殆ど壁全部の高さで、
いわば等身大の人物像、という感じです。



左に、貴族の若き貴公子、召使が、頭に重たい本の包みを乗せて従い、
その後には実はワン君がいました。

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部屋の幅が狭く後ろに下がれず、同じ一枚には無理で、
ワン君の肝心の顔が削られていたので、こちらをご覧頂きますね。
     
       

最初、アダムとイヴかと思ったのですが、どうやらこの家の主人夫妻の、
ガイア(1270-1311)とその夫トルベルトとの事。

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ガイアは、ダンテの神曲煉獄編に詠われ、トレヴィーゾの領主ゲラルドの娘。
夫トルベルトは、ヴィットリオ・ヴェネトのチェーネダの伯爵で、いとこ同士で、
夫が、舅よりこの地の領主に叙され、1300年頃ここに移り住んだ様子。

詩人でもあった彼女はこの地に宮廷文化を持ちこみ、エレガントで快適な、
明るい城を作ったものの、1311年の夏に短い生涯をこの地で終えます。
夫トルベルトは名前のみで、生年没年も分かりませんでした。
     


暖炉がありました。 他の部屋には無かった様で、ここは彼らの愛の巣だったかも。

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小さな部屋の、小さな慎ましい暖炉。 まだ中世も前半の、貴族の生活です。



窓から、中心広場のロッジャが見えます。 この辺りは行政関連の建物が
あった場所で、右上に市の塔の時計も見えます。

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上の写真に見えるロッジャに、この大氾濫の写真が。
町を通り、繁栄をもたらしていたリヴェンツァ川の、1966年の大氾濫です。
       
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遂にこの時の氾濫が、川の流れを変える決定に繋がり、町の印象を
根本から変える事になった訳で、
博物館には、この氾濫の悲惨な写真がたくさん展示されていました。



町の通りは全てポルティコになっていて、細めの道が続きます。

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左奥に見える広場がゲットー広場で、右奥の建物が現在修復中でしたが、
ユダヤ人達の住んだゲットーの建物の様子。



町に行ったのは土曜の午前中ですが、ご覧のように、どの写真にも、
殆ど人影が、ありません。 わざと避けたのでは無いのです。
本当に、骨董市の日に偶然行き合わせた時だけ、町に人だかりがありました!

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この日、人声が賑やかだったのは、奥に見えるバール兼レストランのみで、
あとは、シーンと静まりかえって。



河の港で栄えた頃、ヴェネツィア共和国の境界地で、塩や穀類の取引や、
物品運搬が盛んだった頃の名残を示す、ドガーナ。
現在は、レストランとホテルを兼ねて。
       
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家に戻るつもりが遅くなったので、ここのポルティコの席でお昼を頂きました。
鄙びた建物を眺め、人通りの少ないのを幸いに、ゆっくりと1人を楽しみ。

車ですからワインは頼みませんでしたが、アペリティーヴォに冷えた白ワインが
細いグラスに運ばれてきたので・・・、へへ。



町の北の主要な門、フリウリ門。 南にあったトレヴィザーナ門は、
かって領有していたオーストリア軍が引き上げる際に破壊。

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この門のサン・マルコのライオン君を見て、思わず吹き出しました。
何回か見ているのに、気がつかなかったのです。下にアップを!



ヴェネト各地で見る、たくさんの翼を持つライオン君。 怖い顔をしたり、
泣きそうだったり、でもね、こんな風に舌を出すアッカンベー式は始めて!!
      
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おまけに手に持つ本にはフランス語で、人と市民の、権利と義務 と
書いてあるのだそう!



フリウリ門を東の方から。 確かに20世紀の半ばまで川が流れていた事が
偲ばれますね。 フリウリ門の脇に、水辺に下りる階段があるのが見えますね。
生活にも直結していた川なのでしょう。

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古い写真を見ると、川の水位は、現在の橋下のアーチがもっと円く見える程で、
このリヴェンツァ川がヴェネツィアまで、繋がっていたのでした。



中心広場まで戻ってくると、この車。 こういう古い名車が意味するのは結婚式!

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午前中教会で式を挙げ、披露宴が始まる迄の時間を、新婚カップルは
結婚アルバムの写真撮影に使うのですね。
この車はランチャ。 大きな花束が車に置かれ、結婚アルバム用のアクセサリー。



アルバム用の写真は、カメラ店のプロに依頼しますが、この時は、カメラマン2人、
ライト用の助手が1人と本格的で、撮っても良いとOKを貰い、私めも何枚か。

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カメラマンが、 はい、こちらを向いて、彼女の手にキスして、手をつないで、
あっちに向かって歩いて、はい、キスして、じゃぁ、こちらに向かって走ってきて、
なんぞと注文をつけ、2人はそれに従ってキスしたり・・!

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カメラマンに向かって、走ったり・・! はぁい、お幸せに!!


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・ デルフト ・ オランダ ・ 風車と、フェルメールと

今日は月一ゲストの、グロリオーザさんの登場で、
オランダの「デルフト・Delft」をご案内して頂きます。
風車、陶器、フェルメール、運河。コメントも彼、お楽しみ下さい。
*****

今回は、オランダの南西部にある小さな街デルフトです。
デンハーグから、市電で約20分の距離です。

1デルフトの風景P4087890_t_GF.jpg

陶器のデルフト焼で有名、というより、フェルメールの街と言ったほうが、
絵画好きの方にはしっくり来ると思います。
17世紀中盤に、この地で生涯を過ごした画家(1632~1675)ですが、
一時は忘れ去られ、約百年前にある評論家の再評価によって
蘇ったという伝説の画家です。

今も残る作品は30数点だけ。 子供は15人も残したそうですけど。
その中でも貴重な、風景画の代表作「デルフトの風景」。
この絵は実在の場所を忠実に描いたのではなく、
彼の頭の中で再構成したものといわれます。
       
これはハーグの、マウリッツハイス美術館前にある「デルフト風景」の
看板ですが、

2デルフト風景看板P1010129_t_GF.jpg

とても雰囲気の似た場所を見つけたのが上の写真で、街東側の東門付近に。



街の東門近くの家。 こんな家に住んでみたい。

2デルフト住宅P4087896_t_GF.jpg



旧教会近くには、フェルメールの絵の紹介板がありました。

5案内板P4087842_t_GF.jpg



塔がそびえるのが旧教会。  13世紀の建物です。

6旧教会P4087834_t_GF.jpg



その近くの運河。 とても落ち着いた、素敵な街です。

7運河P4087830_t_GF.jpg

8街並みP4087857_t_GF.jpg

こんな街に住めれば幸せだろうな。 街を出なかった
フェルメールの気持ちがわかるようです。



街の中心、マルクト広場。 建物は市庁舎。
赤い鎧戸が、とてもしゃれたアクセントになっています。

9マルクト広場P4087870_t_GF.jpg



ここにはカフェやレストランが沢山あり、朝訪れたので、店は開店前。
メニューを書き込むかわいい店員さんを1枚。

10開店前P4087865_t_GF.jpg



店のショウウインドウ。 日本の藍染のような感じでした。

11布の店P4087859_t_GF.jpg



こちらは新教会、といっても14世紀のもの。
毎正午には、カリヨンの音色が鐘楼から流れます。

12新教会P4087888_t_GF.jpg



新教会の内部。 訪れた日は、ちょうど復活祭当日。
ミサをやっていたので、異教徒ではありますが、
しばし聖歌の美しい調べを拝聴しました。

13復活祭ミサP4087874_t_GF.jpg



フェルメールの父親は「フライイング・フォックス・空飛ぶ狐」という宿を
やっていました。 その家を探したのですが、ついに見つからず断念。
デルフト焼の工房に向かいました。

その途中の小川。 夢のような静かな風景です。

14小川P4087898_t_GF.jpg



と思ったら、馬車が、猛スピードで走って行きました。

15馬車P4087905_t_GF.jpg



この日は休日とあって、若者たちはサイクリングでお出かけ。

16サイクリングP4087904_t_GF.jpg



デルフト工房。 デルフトブルーと呼ばれる、ブルーが印象的でした。
小川に映った空の青が、デルフトブルーを生み出したのかも。

17デルフト焼P4087906_t_GF.jpg



次に、キルテンダイクという所に向かいました。
これは何でしょう? もちろん、風車です。

18風車アップP4097961_t_GF.jpg



ここには18世紀の風車が残っており、風車の国オランダの中でも
ここが最大の風車集合地で、世界遺産にもなっています。

19風車順光P4097960_t_GF.jpg

風車は粉引き用、というのが私のイメージでしたが、
実際は、排水用としての用途が第一だったようです。
海より低い国 ならではですね。
最盛期には9000もの風車がありましたが、
産業革命によって、次第に役割は終わりを告げたようです。



イケメンカップルも、見物に来ていました。

21カップルP4097996_t_GF.jpg



夕陽に染まる風車を見たかったのですが、

23風車太陽P4097963_t_GF.jpg

24風車群P4097999_t_GF.jpg

時間がなくて、後ろ髪をビンビン引っ張られながらオランダを後にしました。
次回は、ベルギーに入ります。


如何でしたか、デルフトの風景は?
私もデルフト焼きの花瓶を1つ頂いた事があり、筆立てにして
使っていますが、日本の有田焼から伝わったという
藍の色、そして柄が、大変気に入っています。
今回の、店の藍染に似た布にも興味が惹かれました。

オランダ人の、身近な細かい物に対する愛着は、
案外、日本人とよく似ているのかもしれませんね。
       
次回は予告によると、ベルギーのご案内のようす。
どうぞ、お楽しみに!


・*・*・*・

再度ヴェローナに出かけ、昨日夕、一旦家に戻って来ました。
またまた日に焼け、黒光りしているような!

今回行った場所は、ソアーヴェ、クレモナ、バッサーノ・グラッパ、アーゾロ、
そして、詩人ガブリエレ・ダヌンツィオが、人生最後の17年を過ごしたという、
ガルダ湖の畔にある広大な公園の中の、豪奢な家などです。

上記の中ではクレモナを除き、いずれも再訪の地でしたが、
ご一緒した友人達が、その美しさを大変気に入ってくれたので、
私も、ご案内してよかったと、とても嬉しかったです。

ヴァイオリンのストラディヴァリで有名なクレモナ、ここは初めての訪問
でしたが、大変に落ち着いた、素敵な町で、
ストラディヴァリの博物館がありました。
型紙類や、木の板に Antonio という署名を見たときは、
やはり、すこし・・!

そういった詳細のご報告は、いずれまた。
お楽しみに!!

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・ ヴァッロ・ディ・ネーラ ・ 中世のまま、不思議な美しさ

今日は再びウンブリアに戻り、ヴァッロ・ディ・ネーラ・Vallo di Neraのご案内です。
スポレートからほんの12K、ヴァルネリーア渓谷のとばくちにある、なんとも不思議な、
中世の迷路が交差する村。 時を越え美しさを今に残す、素晴らしい村です。

ヴァッロ・ディ・ネーラはどこにあるか、最寄の国鉄駅はスポレート・Spoletoで、
そこからバスで12キロに。 アッシジからは45キロ。
      
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海抜は437m、 村の城壁内の人口150人!



村をぐるっと取り囲んだ古い城壁の下に車を止め、細い石畳の道を辿ります。
これが村の入り口。       

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村自体が小高い丘の上に位置し、どの小路も、上がって下って・・。

     
  
上の入口から、最初に出会う広場とサンタ・マリア教会。13世紀のフランチェスコ派教会。
素朴なロマネスク様式の、修復された白とピンクの石の美しい正面壁。

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ここの鐘楼の鐘は、いまだに手動で鳴らされるとの事!



広場の横の壁、窓の外に規則正しく打ち込まれた鉄の棒。 サテ・・、と考え気がつき、
多分、窪んだ位置に横棒を渡し、お祭りの日、窓の外に飾り布を垂らす為と。       
       
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風に閃めき、さぞや美しい光景でしょう。



広場のサンタ・マリア教会の向かい側の家。

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この小さな建物に、いくつ家の扉がありますか? 階段の上り口、そして上、 
その下窪んだ部分、建物の左横と、見えるだけで4つ、つまり4家族用です。
丘の斜面を最大限に利用してのすごい造りなのです。



このような細い石畳の道が、村の中を迷路のように上がって、下がって・・。

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掌に玉を持っているのは、ドア・ノッカー。 持ち上げてノック代わりに。

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この可愛い手を、今回ウンブリアのあちこちで見かけました。
私の絵の先生のお家にも昔あり、フランスから持ち帰った、と話されていましたが。



左の茶色のドア、右の建物の扉に続く渡り、そして、もぐりこむアーチ。
ひょっとしたら、渡りの向こう側に見えるアーチの下にも扉があるのかも。

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ガイドブックには、ブーキ・穴・ブーコの複と、説明が。
       


あちこち石畳を辿り、ブーキをくぐり、そして、ひょこっと小さな広場に。
椅子とテーブルが並んでいるこの場所は、見かけたこの村唯一の食料品店。

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カーシアの有名なザッフェラーノ・サフラン販売店の札があり、尋ねると売り切れで、
土地のオリーヴ・オイル一本と揚げ菓子を一つ。      

口に入れた途端、ちょうど店に入ってきたシニューラが「ボナ・アッペティート!」
ウプッとむせそうになりながら、「グラツィエ!」      
             


扉、そしてまた扉、高低差を利用しての家の数。 本当に感嘆するばかり!

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村の地図で中心部を見ると大体丸い形で、城壁内の東西が150mほど、
南北の一番長い場所で170mほどですが、一体何家族の家が?!



少し歩くと、道の隙間からこの様に周囲の山が。

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この村を訪れたのは4月10日。 城壁に沿った小さい葡萄畑に、
小さな葡萄の新芽がほころんで。 左下の赤い色は芥子の花。 

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細い石畳が、下がって上って・・。

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そしてまた小さな広場に、扉の数々。 石畳、そしてブーコ・穴・・。

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この通路というかポルティコは、村の入口の横に続き、要塞塔に接している部分。
左側に開口部があり、村の外が見える位置にベンチ。 夏の日の夕涼みが想像できます。

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「カーザ・デイ・ラッコンティ・語りの家」という博物館がありました。
ヴァルネリーア渓谷全てのコムーネの、祭りの歴史的記録保存博物館の様子。

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昔からの伝承を語り伝えていく、そんなお祭りもある様子。
一番下左は豚ちゃんの、お腹に白い帯のある「チンタ・セネーゼ」と。



村を囲む城壁は13世紀の物で、角に丸く張り出した塔がある、その内部。
鳩が二羽まるで語り合っているかのように。

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城壁に、村の東のヴァルネリーナの谷に向かい、この十字架が。

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谷の向かい側、山の上にも下にも村落が見えます。



城壁の外。 この古い村に、定住移殖が始まったのは、紀元前4~2世紀のローマ期の
ようですが、中世には、戦略的見地の重要性から、教皇とスポレートの争いの的にも。
一番人口が増えた15~16世紀にかけ、城壁の外にも村が作られたとの事。

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上の写真ともに、城壁外のいかにも素朴な家の形、屋根瓦の古さ。



村の守護聖人のサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会で、丘の一番高い位置に。
13世紀のロマネスク様式で、素朴な薔薇窓と鐘楼と。

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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ前の何メートル四方かの広場、隙間があり、
ピアッツァ・サン・ジョヴァンニ、の標識が。
       
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ヴェネツィアでは、ピアッツァと名乗るのは、サン・マルコ広場だけ、を思い出し、
思わず口元がほころびました。



ガイドブックにこの場所の写真があり、「特徴あるブーキの一つ」と。
んにゃ、もっと良い形、もっと凄いブーキが幾つもあるよん。

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建物の下を潜り抜ける ブーコ・穴の様子。

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陽が当たらない部分は、石畳の隙間に苔が生え、通り道の石畳は磨り減りピカピカ。



村を去るとき、戻り道のカーヴをいくつか過ぎ、丘の上の村を振り仰ぎ。
素敵な、美しい村でした!

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最後に村の写真を撮った足元に、野生のシクラメンの群生が。
     
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ヴァッロは、中世の夢、自然と文化の完全な融合の出会い。
過去を保存する石の暖かい雰囲気が、生き続ける命を示す数本の草に、隙間から
生えでる少しの場所を残し、トルコブルーの空と、取り囲む山の緑に溶けあう。

訪れる者に村は迷路の小路、小さなアーチ、張り出し、小さな窓、急な傾斜の
小さなロッジャ、などの、宝石箱を開いてみせる。

村の石の坂道を登る散歩を邪魔する車は無く、家庭電化の騒音も泉の水音もない。
ネーラ川に沿った丘の上に、家々は背を丸め次々と重なり、
石の扇の形をした城壁と、塔の中に閉じこもる。

小路は、この様な小さな村には想像できない程の驚くばかりの
ロマネスクの教会のある、小さな広場に続く。
       
と、こういった小さな、村々の紹介には   
I Borghi piu` belli d'Italia・イタリアで一番美しい村々
という本があり、「隠されたイタリアの魅力」という副題の通り、
あまり知られていない、でも本当に美しい、小さな村々を紹介しています。

サイトはこちらに。 http://www.borghitalia.it
訪問され、新しい美しい小さな村の発見を。       

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・ ウンブリア の犬たち

ウンブリアの猫ちゃん達とはかなりご縁があって、その1は既にご覧頂き、
その2も近いうちに、という程に写真が集まりましたが、

ワン君達は今回のみで、おまけにどうも、元気がイマイチ!
まぁ、まずはご覧頂きましょう。

◆ アッシジのチワワ
サン・フランチェスコ聖堂前で、チワワ君がシニョーラの背中から
こちらを見ていたのを写したかったのですがぁ、お願いしたらこの通り!

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私は、シニョーラよりも、チワワ君にニッコリして貰いたかったんだけどなぁ!



・ アッシジ  宿の前  
中に入ったご主人を待つラヴラドル君。大変、綺麗な毛並みのお尻で。
 
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前から、ハンサムなお顔を。 が、彼の注意は完全に中のご主人に。
     
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・ アッシジ  坂道の上
彼の家はどうやら右の石段の上らしく、下から見上げ妙な声で叫んでいて。

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声をかけるとこちらを見たものの、あの後、家に入れた貰えたのかなぁ。



・ アッシジ  要塞前
これは、わざと切ったのではありません! 誓って、本当です!
黒いワン君を写していたら、彼が急に後を嬉しそうに振り向き、つい、
そのままの構図でパシャッと。 ううっ。

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私のほうが残念ですぅ! 絶対、若い美人だと思うもの。
     
でもまぁ、彼だけの写真は真っ黒のシルエットのみで・・。



・ グッビオで
古いフィアットやランチャを見て、この町は古いものを大事に使うと、
感心しましたが、はぁ、このワン君も、かなりお年で・・。
 
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グッビオ ・ インジーノ山の麓、ローマ期からの町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462901650.html


       
・ ヴァッロ・ディ・ネーラで
石畳の迷路のような村の道を辿りつつ、子供の声がするので見ると、
テラスの隅から、小さいワン君がこちらを見ていて。

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ウ~ン、何で話しかけなかったんだろう?!



・ サン・ラッザロの元教会跡で
かってサン・フランチェスコ自身が、ライ病患者の元にやって来たという
サン・ラッザロの教会跡に寄りました。
かっての教会を、既に何代も前のお祖父ちゃんが買い取った、
というシニョーラが、中を見せてくれましたが、

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彼はその農家の何匹もの犬の内の1人で、ゆっくりとついて周り、
こうして落ち着いて。
が、家鴨達は凄かった! 首を伸ばし舌を出し、威嚇しまくったですよぉ。



・ プレーチの宿で
町とも言えない程小さなプレーチ。 村にしては品格があり、
宿も16世紀のもの。

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彼は仲間2,3人と居候を決め込んでいるらしく、前庭にあるバールや
レストラン近くで、長~く横になったり、うろついたり。
全犬がまるで人畜無害の超然たる様子で、
なんとなく、犬の老人ホーム的イメージで。

プレーチ と サンテウティツィオ修道院 ・ 中世の外科学校を誇る
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464307658.html



・ ヤーさん一家?!
トレヴィで見かけた猛犬注意札。
「犬に注意  主人にも  そして、家族全員にも」

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なんと、ヤクザ一家かいな?!
チラッと見せるカッターナイフが、怖いなぁ!!


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・ ボルゲット ・ ミンチョ河畔の、桃源郷

今日はヴェローナの南西25kmにある、ボルゲット・Borghettoのご案内を。
ガルダ湖の東南より流れ出すミンチョ河が約10km程下った位置に当たり、
ローマ期から、ミンチョ河の渡河地点として主要街道と繋がり、
河と共生してきた、大変に美しい村です。

14世紀末に、ミラノ大公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティが建設した、
要塞兼橋・堤防のポンテ・ヴィスコンテオ・Ponte Visconteoと呼ばれる橋。
村の側からは、この様に横幅部分が見えますが、実際の威容を後ほどご覧に。

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ミンチョ河がこの様に村の中心を滔々と流れ、川魚が泳いでいるのも見えます。
右端は、河に張り出したレストランのテラス席で、我々はここでお昼を。



家の軒に届きそうな程の大きな水車が、ゆっくりと回っていました。

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15世紀初頭にヴェネツィア共和国の元に入り、水車を利用しての穀類の粉挽き
の活性化、灌漑用水を作り、農産物の収穫の増加、とヴェネトの平和も享受。



水量豊かな河がゆったりと流れる様はなんとも言えず心地良く、こちらも心豊かに。
       
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真ん中部分に、小さな堰の滝があり、常に聞こえる水音。
穏やかで静かな、眺めです。



小さな教会前庭に接する、窓。 壁の色、緑の窓枠、白いレース飾り。
       
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中の島の形で、何軒かの建物が河に張り出し、細長い部分にレストランが。
食べる前から、美味しい予感がしません?!

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村のちょうど真ん中を河が流れ、鉢花が咲き乱れる古い木の橋が渡ります。

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かってはこの橋を境に、この小さい村がオーストリアとイタリアに分断された事も。
そんな歴史も全て飲み込み、今も変わらず、河は滔々と。



木の橋を渡った北側にある、アンティーカ・ロカンダ・ミンチョ・レストランと宿。
いかにも由緒ありげで、ガイドブックによると、既に13世紀頃から続いていて、
壁には、ナポレオン軍の弾が、今も食い込んだまま、と。

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ミンチョ河の渡河地点、旅人に常に美味しい料理と、一杯の美味しいワインと、
清潔なベッドを、提供してきた、この村なのですね。



道を挟んで、何本もの大きな樹の下に、このロカンダのテーブルが用意され。
白いテーブルクロスも、ワイングラスも、緑色に染まり。

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車で行くのは楽ですが、時につまらない、という想いも!
     


村の家も、常の田舎の家ではなく、どことなく優雅。

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この青いリボンは、男の子が生まれたしるし。 女の子だと、ピンクなのですね。
普通はリボンで作った花が飾られますが、これはなんとも大きく素晴らしい。



ぐるっと村を抜け、ヴィスコンティ橋の上の上がり、これは北側からの眺め。
なんという、壮大さ! 道が砦を2つ通り抜け、一直線に走り、
山の上のお城も、ちょうど真っ直ぐ上に繋がって見えます。

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長さ 650M  幅 25M  14世紀後半の建設。
ミラノ大公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(1351-1402)の壮大な野望そのもの!
彼はミラノから、ウンブリアのアッシジに至る広大な領土を持ち、支えたものの、
まだ若くしてペストで倒れ、夢が砕けたのでした。



これが村の中から見える、最初の写真の砦で、橋の真ん中にある砦部分。
横に長く、高さもあり、かなりの迫力で、上に上がれないのが残念。

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かなり高いので、村の様子も違って見え、この農家のような建物群も、
どこか常のイタリアの村とは雰囲気が違うのです。

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河の渡河地点として1000年に及ぶ歴史を持つこの村は、
どこか、コスモポリタン的なのかも。



河に張り出した中ノ島の眺めをこちらから。 三角に突き出た形も面白く。
河は右側で小さい滝となり、建物群の右に古い木の橋がかかります。

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こちらは橋の東側、村の外側。 ゆっくりと河は蛇行し、他にも何本も運河となって、
流れて行きますが、大変な水量。

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左下の浅瀬部分で、何匹もの川魚が産卵中、あちこちで、白い煙がぱっ、ぱっと。
こんな光景は、実際に初めて見ましたぁ!



やはり東側、村の外に広がる畑。 なんとも、ゆったりと穏やかな谷の風景。

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ぐるっと村を回った後、河に張り出したレストランのテラスでお昼を。

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テラスの下に集まる川魚・鱒。 これは少しパン屑を投げた後なので、
常に見える魚の数の倍ぐらい集まり・・。



お昼の後、山の上にお城に、細い急な坂道を教えてもらい、ふぅふぅと。
でもこの眺め! 素晴らしかった!

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右下部分に村の駐車場があり、並木道を通り中心部分に。
斜めに見える高い塀の中は、どうやら由緒ありげなお屋敷でした。



こちらが村の東半分と、ヴィスコンティ橋。
この山の上のお城と、真っ直ぐに繋がって見える橋。

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村から帰る前、橋の上をイエ~イ!と通り抜け、ぐるっと回り、もう一度イェ~イ!
皆さんだって、やりたくなるでしょう?! ははは。

毎年6月、第3火曜には、この橋の上に長~~いテーブルが用意され、
「愛の結び目」と呼ばれる、この地の名物トルテッリーニ・詰め物パスタを、
4000人もの人が、食べるのですって!
そして中世の衣装での行進や、旗振り競技、花火大会もね。



村を出て、またゆったりと平野の中を蛇行しつつ流れてゆく、ミンチョ河。

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やがてマントヴァに届き、大きな湖ともなるミンチョ河。
河が齎す大きな幸と、運び去る不幸の歴史と。 まさに桃源郷の趣のボルゲット村。



村の山越の反対側にはヴァレッジョの町。
       
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この教会が素敵だ、と眺めていると、先に来ていたシニョーラが話し掛けてきて、
教会の鐘楼が、25年ほど前、夜中に突然崩壊した事、死者はなかったが、
車がつぶれた事など話してくれました。

彼女はヴァレッジョで生まれ、子供の頃このお城跡に来て遊んだのだそう。
この美しい土地が自慢で、話さずには居れない様子が、大変心地良い物でした。
そうそう、書き忘れる所でした。 ボルゲットの村は、ヴァレッジョに含まれます。



ぐるっと回りヴァレッジョの町に。こちらも大変落ち着いた豊かなイメージの町。
   
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ナポレオン軍に踏みにじられ、第1次大戦では戦場となったこの地ですが、
どうやら、大変懐が深い町のようです。



レストラン「野兎」の看板。 

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この地はロンバルディアとヴェネトの文化を受け、商業交通の繁栄と共に
街道筋の通過点として、宿と厩舎、のシステムで、大いに栄えたのだそう。
現在でも、この大きさの町にしたら、異例ともいえる40軒のレストランがあるそう。

という、やはり、奥が深い桃源郷なのでした。


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