今日のご紹介は、イタリアの偉大な中世の詩人(1304~1374)
フランチェスコ・ペトラルカ・Francesco Petrarcaが人生の最後を
過ごした、「コッリ・エウガネイの真珠」と称されるアルカ・ペトラルカを。
フランチェスコ・ペトラルカ・Francesco Petrarcaが人生の最後を
過ごした、「コッリ・エウガネイの真珠」と称されるアルカ・ペトラルカを。

私はまだ訪れた事がありませんで、今日の写真と地図は
・I Borghi piu` belli d’Italia・・GAFFI
・BORGHI D'ITALIA・・MONDADORI からです。
・I Borghi piu` belli d’Italia・・GAFFI
・BORGHI D'ITALIA・・MONDADORI からです。
こちらのサイトもどうぞ。 http://www.arquapetrarca.com/
アルカ・ペトラルカは何処にあるか、地図をどうぞ。

パドヴァから南に24キロ、あちこちに温泉・テルメという地名も見える、
なだらかな風光明媚な丘陵地帯、コッリ・エウガネイに位置します。
国鉄のモンセーリチェが最寄の駅で、そこからバスかタクシーで9kです。
なだらかな風光明媚な丘陵地帯、コッリ・エウガネイに位置します。
国鉄のモンセーリチェが最寄の駅で、そこからバスかタクシーで9kです。
町の地図です。
右下から続く道が、町の下の駐車場からの道の様ですから、
この地図の流れに従ってご案内を。

ガイドブックの説明によると、
石造りの建物と、丸石舗装された道、中世の村の風景。

ペトラルカの泉・フォンターナ・デル・ペトラルカ、右側の線が見える位置。
この古い洗濯場・泉は、詩人が住む以前からあったそうですが、
毎朝彼が水を汲みに(飲みに?)寄ったので、その名がつけられたそう。

このような洗濯場は、古い町や村に今も残っており、かっての女性達の
社交場であったろうと。
井戸端会議なる言葉、既に死語なのでしょうか?
社交場であったろうと。
井戸端会議なる言葉、既に死語なのでしょうか?
泉の前の教会、サンタ・マリア・アッスンタの前庭にぺトラルカのお墓が。

彼自身は、当時の習慣に従い教会の柱廊に葬られる事を遺言したそうですが、
詩人の死後7年目にこのお墓に。
ヴェローナの赤い大理石の、箱舟の形との事。
詩人の死後7年目にこのお墓に。
ヴェローナの赤い大理石の、箱舟の形との事。
因みに地名のアルカ・Arqua`は箱船を意味し、19世紀に詩人の名が。
追記・・他の本を読んでいて気にかかり調べてみましたら、
アルカ とは箱舟の意味もありますが、
アルカ とは箱舟の意味もありますが、
まず第1に「棺」の意味である事を知り、ペトラルカが終の棲家に選んだ
一つの理由かも知れないなぁ、と思った事でした。
ペトラルカ広場。 写真奥の建物が、ヴェネツィア・ゴシック様式の
コンタリーニ邸と。 地図から見ると、手前側なのですが・・。
コンタリーニ邸と。 地図から見ると、手前側なのですが・・。

町の中心の通りローマ通り。 なんとまぁ、結構急な坂道ですね?!
お祭りの日には、この通りに土地の特産品の屋台が並び、
中世の大道芸も行われたりで、賑わうとの事です。

素晴らしいというヴィカーリのロッジャがあり、
その隣にあるサンティッシマ・トリニタ教会。
町の西奥、サン・マルコ広場に面しています。
その隣にあるサンティッシマ・トリニタ教会。
町の西奥、サン・マルコ広場に面しています。

サンティッシマ・トリニタ教会の内部で、
パルマ・イル・ジョーヴァネの祭壇画と思われます。
屋根が小屋風の特徴ある造りで、最近修復されたばかりとの事。

14世紀のイタリア至高の詩人の一人、と讃えられるペトラルカは、
彼の生涯の最後の4年間をこの緑に囲まれた家で過ごしました。

家は当時の慣習に従い、パドヴァの領主から贈られた物で、
詩人自身がこの様に記述しています。
監獄から逃げるように町を離れ、
人里はなれた小さな村に住む事を選んだ。
オリーヴとブドウ畑に囲まれた優雅な小さい家。
人里はなれた小さな村に住む事を選んだ。
オリーヴとブドウ畑に囲まれた優雅な小さい家。
そこで、まったくの平穏のうちに日をすごす。
動揺から、喧騒から、雑用から遠く、
読書を続けながら、書きながら。
動揺から、喧騒から、雑用から遠く、
読書を続けながら、書きながら。
現在博物館となっているこの家は、見物できます。
月曜日は休館ですが、年中無休、
2月~9月 9時~12時 15時~18時
10月~1月 9時~12時半 14時半~17時半
・入場料必要 (書いてありませんでした)
月曜日は休館ですが、年中無休、
2月~9月 9時~12時 15時~18時
10月~1月 9時~12時半 14時半~17時半
・入場料必要 (書いてありませんでした)
土地の名産・ジュッジョレ、ジュッジョレというのはナツメです。
この土地特産のブランディ漬け、リキュール漬け、シロップ漬けも
ある様で、10月にはジュッジョレにちなんだお祭りも。
この土地特産のブランディ漬け、リキュール漬け、シロップ漬けも
ある様で、10月にはジュッジョレにちなんだお祭りも。

この土地について、アドルフォ・カッレガーリという人、作家であり、
エウガネイの紹介や、国立エステ博物館の館長もされた方の様ですが、
1941年に書かれた文がありました。
アルカは、慎ましやかな、小高い丘の上に位置する。
平野にせり出す狭い谷の間に。
古い建物の間に大きな特徴がある。
他に何も加える事が無くても、訪れる価値があっただろう。
だが、その地でペトラルカは死んだ。
そしてこの死は、栄誉の輪光をこの小さな土地に贈った。
彼の記憶の聖なる引渡しである。
平野にせり出す狭い谷の間に。
古い建物の間に大きな特徴がある。
他に何も加える事が無くても、訪れる価値があっただろう。
だが、その地でペトラルカは死んだ。
そしてこの死は、栄誉の輪光をこの小さな土地に贈った。
彼の記憶の聖なる引渡しである。
他のいかなる場所も、彼のオリジナルの遺品を
この様には保存しなかった。
ほとんど損なわれていない・・
そのため、ここに彼の偉大な生きた精神を、存在を感じる。
風景が大変美しかったのも思い出される。
彼の詩の、甘美な憂愁に満ちた文体と一致して。
アルカ、目覚めている村・・
そこでは、飽く事なく平穏さを予感し、
そしてたどり着く事のない幸せの感情を呼吸する。
他にはない、精神的な風景。
この様には保存しなかった。
ほとんど損なわれていない・・
そのため、ここに彼の偉大な生きた精神を、存在を感じる。
風景が大変美しかったのも思い出される。
彼の詩の、甘美な憂愁に満ちた文体と一致して。
アルカ、目覚めている村・・
そこでは、飽く事なく平穏さを予感し、
そしてたどり着く事のない幸せの感情を呼吸する。
他にはない、精神的な風景。
訪れる価値ある土地のようですね。
*** ご案内 ***
この度友人のお一人より、ペトラルカについて書くので、
この記事にリンクをと、お知らせを頂きました。
これを最初にアップした際はまだ実際に訪れた事がなく、ガイドブックの
写真を使いましたが、
暫く後早春の村を訪れ、実際にペトラルカの家も見、写真も撮ったものの、
その後再アップする事無く、気にかかっておりました。
写真を使いましたが、
暫く後早春の村を訪れ、実際にペトラルカの家も見、写真も撮ったものの、
その後再アップする事無く、気にかかっておりました。
今回お知らせを良いチャンスに、ペトラルカの家の内部など、
写真を追加いたしました。
お楽しみいただけますように。
写真を追加いたしました。
お楽しみいただけますように。
村は(上の記事では、町と書いておりますが、村という印象で・・)、
丘の中腹に沿って広がり、村の下に大きな駐車場があります。
その坂道から見上げる家の並び。 素敵な村、という予感です。

「丘」と言ってもご覧のようにかなり高く、3月中旬、早春の色が漂います。

サンタ・マリア・アッスンタ教会前のペトラルカの棺。

教会前、ちょうど日曜朝のミサの済んだ時。
村の男達があちこちにかたまり、お喋りに余念なく。
日曜の朝にはあちこちから自転車の男達が、通りかかります。
村の男達があちこちにかたまり、お喋りに余念なく。
日曜の朝にはあちこちから自転車の男達が、通りかかります。

この時はまだ村も静かでしたが、その後何台も観光バスが到着し、
あっという間に賑やかに。
かなり急な坂道を行ったり来たり散策を楽しみました。
家の角から見守る聖人像。

坂道の傾斜の様子、分ります?!

古い家の壁に残るフレスコ画。

サンティッシマ・トリニタ教会、ヴィカーリのロッジャです。
(と書いたものの、何かよう知りませんで・・!)
(と書いたものの、何かよう知りませんで・・!)

追記:ヴィカーリというのは、管轄区域の(司教)代理者を指すので、
多分その人物が主催する集まり等が行われたロッジャかと・・。
ペロラルカの家、村の西外れに。

現在博物館になっている、家の入口にあるペトラルカの像。
孤高でいる事を好んだという、穏やかな表情。

内部展示は1階と2階で、1階部分には資料写真展示が主に。
パドヴァの領主から贈られた家という事で、部屋はかなり狭いです。

ここから2階の部屋。 ペトラルカ自身が家の改修にかなり熱中した様
ですが、彼の死後も、彼の意を汲んでの改修が続けられ今の姿と。

天井の格子、壁の壁画の様子など。

家の正面入口に見えているベランダ部分。

内部の造りは、真ん中部分に壁が通り、南側と北側に分かれ、
という感じで、北側の一角に、ガラスで仕切られ覗ける様に
なっている部分があり、多分これが、ペトラルカの衣装箪笥、書庫。

そして、椅子。 6世紀間が、一挙に縮まる思い。

南西の端の部屋、テラス際にあったもう一つの彼の像。
背も低く、年を取ったシニョーレで、親しみが持てます。
背も低く、年を取ったシニョーレで、親しみが持てます。

晩年の数年間をこの土地、この家で過ごす事を選んだペトラルカ。
窓から臨めるエウガネイの丘の緑。 村の時は、止まったままの様。
道なりにゆっくりと丘の道を辿り、上から眺める村の様子。
右下に丸く見える広場が、ペトラルカの棺のある教会前広場です。
右下に丸く見える広場が、ペトラルカの棺のある教会前広場です。

石畳の道が、石造りの古い家が続き、
時にこんな顔が、壁から見つめています。
時にこんな顔が、壁から見つめています。

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