・ ヴェネトの奥には、まだ雪が ・ カンシーリオの森

最近は毎日、車の実習運転を日課にしていますが、昨日はお昼前に思い立って、
ヴィットリオ・ヴェネトの奥にある、カンシーリオの森と平原を見に行きました。

このカンシーリオの森の平野では、秋の月夜に鹿たちが一斉にランデヴーをすると、
森林警備隊の友達に誘われて見た人から聞いた事がありますが、
九十九折の道を辿って行くかなりの高所なので、運転練習にと思ったのですが、
サテどうなりましたか、・・どうぞ!

フレゴーナ・Fregona付近。 一番最後に地図をアップいたしますので、
後ほどお確かめ下さいね。  我が家からだと20km少々の地点。

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既にかなり登って来ていますが、標高350M程で、右に見えるカーヴの道が
登って来ている道です。



上の写真の左側の風景。 あいにくの曇り空で、靄も少しかかっていて残念ですが、
真ん中の丘の向こう下に広がるのが、ヴィットリオ・ヴェネト。 スコミーゴ村は
薄い色の丘が続く一番左端辺り。 一番上に霞む薄い色が、ヴェネト平野の地平線!

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ラ・クロゼッタ峠・la Crosetta. どんどん九十九折の坂道を登りますが、
道脇に雪が見える様になり、ありゃ!と内心少しビビリましたが、
まぁ、道は大丈夫そうなので、とうとう峠の上まで。
      
ご覧の通り、雪は残っていますが、木々には少し春の芽吹きの色らしきものが・・。

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パッソ・クロゼッタ・passo Crosettaと言うのが、クロゼッタ峠の意味ですが、
マイクロ・ソフトは、クロゼッタを黒雪駄と変換して見せてくれました!
雪を見たせいかな、ははは。 標高1127Mというのに、ご注目くださいね。

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手前に見える黄色と黒に塗り分けられた棒は、積雪を調べる為と運転教習書で
習いましたが、実際今日は、道の両脇にずらっと並んでいるのを初めて見ました。 
今迄は夏にしか来た事が無かったので。



上の写真に見える家のアップ。 この辺りから奥にある家々の屋根は、この様に
トタン葺きが多く、外から直接に2階の入口に階段がつきます。

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これはどちらも雪対策の為で、今年の様に今の時期にこの程度の雪は、
あり得ない事なのでしょうね。



ラ・クロゼッタから2,3kmで、このカンシーリオ・Cansiglioの平原に。
夏でもここまで来ると肌寒くなる程で、家族ずれで気楽にピクニックに来る場所
ですが、今日は誰の姿も見かけず。
周囲の森は国の管理下におかれ、森林警備隊が護っています。

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多分、秋に鹿達がランデヴーするのを観察するというのは、この平原と思いますが、
今日はお馬ちゃん達が何頭か。 そして、地面の小山の下にはモグラちゃん達が。

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平原の真ん中を道が走り、両側に森と平原が広がります。



素晴らしい森林でしょう?! モミ、ブナ、カラマツ、などの手付かずの森林で、
ヴェネツィア共和国時代には、「セレニッシマの櫂の森」と呼ばれていたそう。

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出かけて来た時、途中の道では曇り空だったのが、段々に晴れて大変好天気に。
地面には雪が残り、外に出ると寒いですが、北のドロミテに続く雪山が見え始めました。

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こんな風に真っ直ぐの道が平原の中を走り、所々に、レストランや、バール、
そして右に見えるのは小さな教会。

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これから10kmほど北の タンブレ・Tambreに向かいます。



タンブレに到着するにも、かなりの急な九十九折の道でゆるゆると下ったのですが、
サテそれからが・・!! すごかったぁ~!!  緊張しましたぁ~!!

一度この道はセルジョの車で通ったことがあり、その時も凄い道だと思ったのですが、
まさか今日自分が通ろうとは、思っていませんでしたぁ~!!

とはいえ、こんな風景を見れば、止まらずには・・。
多分、ドロミテの南にある2000M級の2つの峰と思うのですが、名前が特定できず。
若干、手ブレしていますが、ご容赦!

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こちらは、すぐ道に迫って見える山。 写真の感じから、遠くの山ではない事が
よくお分かりと思いますが、はぁ、凄い道でしたぁ~!!

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やっと九十九折の坂道を下り、サンタ・クローチェ湖まで辿り着きました。 ヤレヤレ!
右奥雲の上、山頂が見えるのが先ほどのドロミテの山です。
湖の水量が少なく、この夏が思いやられます。

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地図をどうぞ。 字が小さいですが、左下に我が村、スコミーゴ・Scomigo
ヴィットリオ・ヴェネトを通り、右上方にフレゴーナ・Fregona、そしてさらに
右上にラ・クロゼッタ・la Crosetta、峠の位置です。
       
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そして右上方へと斜線のある場所がカンシーリオの森で、殆ど真っ直ぐ右端上に
タンブレ・Tambreで、サンタ・クローチェ湖まで、左にくねくねと続く、大いに肝を
冷やした九十九折の道、見えますか?! まぁ、無事に戻ってきたので・・・ふぅ。



この道脇に止めているグレイの車が、私のパンダ。 山の写真に写っているのを
切り取ったので見えにくいですが、後ろの窓に P の字。

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プリンチピアンテ・初心者 の意味で、これを貼っていると、後続車が用心してくれる、
であろうと、という事になっています、はい。


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・ スポレート ・ 緑にうもれた、芸術と文化の古都

今日は、とぎれとぎれに続いているウンブリア紀行の第?!回目として、
スポレート・Spoletoのご案内を。

既に紀元前4世紀からの歴史を持ち、ローマ期、ロンゴバルド期、教皇領を経て、
今はウンブリアの美しさを世界に伝え、歴史あるこの古い町で毎年催される
フェスティヴァルも有名です。
    
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ガイドブック、旅行雑誌からの、記事と写真でご覧頂きますね。
UMBRIA・ANIMA VERDE  ・・DeAGOSTINI
TOURING ・UMBRIA  ・・touringclub italiano
ITALIA DEL CENTRO  ・・MONDADORI     
   


町の地図をどうぞ。 緑色は、右、ドゥオモ広場 N.8はドゥオモ、
真ん中の緑、メルカート広場、 左が、案内所のあるリベルタ広場

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5. アンフィテアトロ ローマの円形劇場 2世紀 
6. テアトロ・ロマーノ  1世紀
7. ドルーゾのアーチ  1世紀
9. サンテウフェミア教会 10世紀
13. ロッカ・城砦 14世紀

有名な「塔の橋」は、上の写真で右に見える水道橋で、地図13.のロッカの横、
城壁の外の道、T字状に右に延びる道がそれ。
町をぐるりと取り囲む黒い線が13世紀の市壁で、内側に見える点線の位置が
紀元前4世紀のローマ期の市壁です。



この素晴らしく美しいドゥオモ! 正面下5つのアーチの柱廊はルネッサンス期の物で、
その上階に、中央に大きな薔薇窓、左右に2つずつの小薔薇窓。
一番上の中央に13世紀のモザイク、そして3つの薔薇窓。

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上階部分に見える左右のアーチは各内部の側廊を現し、鐘楼は12世紀の物。
ドゥオーモの向きから考えると、午後の光に金色のビザンティン・モザイクが煌く筈!



ドゥオモ内部後陣には、15世紀のフィリッポ・リッピの最後の作品
「聖母マリアの生涯」がテーマの一連のフレスコ画があり、最近修復されたとの事。
これは「受胎告知」の場面。

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毎年6月の最後の週と、7月第2週に、このドゥオモ広場を中心に、ヨーロッパでも
最も重要な芸術の催しの一つとされる「フェスティヴァル・デイ・ドゥエ・モンディ」
が開催されます。

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まさにスポレートの名を世界に広めている催しで、音楽、舞踏、映画、文学、
絵画にわたり幅広く、「最高の、新しい物」が紹介されます。
芸術家達にとっては、このフェスティヴァルのポスターに名前が出る事が、
いわゆる一つの「到達点」となり、ここで成功を収める事で、次の仕事が選択できる、
というほどの、大きな力を持った催しなのだと。

上のドゥオモの写真をもう一度ご覧下さいね。 観客は星空の下、広場から
道の階段に腰を下ろしてコンサートを聴く、なんと素敵ではありませんか?!



こちらは演目の一つ、バレー。 どうやら「ロメオとジュリエッタ」の様。

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町の地図 6.のローマ期の劇場、テアトロ・ロマーノ。 こちらは町の南にあり、
もう一つ町の北側に、アンフィテアトロ・円形劇場があります。

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アンフィテアトロの近くの教会には1万体の殉教者達が葬られていて、どうやら
そこで虐殺されたものと考えられるとの事! 
ローマ人は、ローマのコロッセオのみならず、各地でたくさんの娯楽を
見出していた様ですね?!



町は下と上の古い町に分かれているようで、上の町の海抜は約400mあり、
石畳舗装された小路が続く素敵な通りのようです。

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これがどこの広場、または中庭の写真か分りません。中央にある井戸がいかにも
古く由緒ありげで、写真サイトを探し回りましたが、この素敵な井戸のある広場が
見つかりませんでした。 ご存知の方、お教えを。
      
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追記: これはアルボルノス要塞の内庭にある井戸と判明。



町の外の高台からの眺めの様子。 イタリアの古い町は高台に競りあがって
広がる町が多く、奥行きが深く見え大変素敵です。
特にウンブリアの町は丘の上、緑に埋もれて存在します。

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このローマ期に建造された橋は元々は水道橋で、高さが76M 長さが230M、
その後14世紀に橋に改造されたもので、歩いてわたる事ができ、
その入口は城砦入口の右側にあるとの事。

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サン・ピエトロ教会。 町の外れ、東南にある教会で、ロマネスク様式の
素晴らしい正面壁を持っており、特異な浮き彫りで装飾されている様子。
下にアップを。

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よく細部が見えませんが、向かって左側の浮き彫りは、ライオンと人間の戦いの
場面の様子。 上に書いた、アンフィテアトロでの殉教者達のエピソードかも。

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14世紀にこの地の枢機卿の要請で建造されたというこの大城塞、
ロッカ・アルボルノス・Albornoz. ローマ教皇の勢力をこの一帯に示す目的
だったそうで、当時のカトリック教会の勢力を良く示しています。

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ただいま準備中の展覧会の予告がありました。 ピントリッキオ展、
本名ベルナルディーノ・ディ・ベット。
ペルージャとスペッロの2箇所で、2007年12月から2008年6月迄、
半年以上先の予定です。 見たい!!

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スポレートにも彼の作品はあるようですが、ウンブリアの甘美な空気の様な、
この聖母子の姿を、ご覧かたがた、おいでませ、ウンブリアへ、イタリアへ!!


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・ 冬のヴェネツィア ・ 霧の日 

夏の日のヴェネツィアは、映画「ヴェニスに死す」にも、「旅情」にも、
「リトル・ロマンス」にも描かれ、旅行で立ち寄られた方も多い事と思います。
では、冬のヴェネツィアは? 
 
今日は、一味違うヴェネツィアを、グロリオーザさんの素敵な写真とコメントで、
ご案内いたします。  どうぞ!  
*****

今日は霧に包まれた、ヴェネツィアの冬の情景をお届けします。
私も、冬の季節にヴェネツィアに行ったのは初めてでしたが、
なかなか、晴れた日には恵まれませんでした。
ただ、曇り空は陰鬱ですが、霧は、とてもミステリアスな場面を演出してくれます。
特に、霧の晴れ間がすばらしいと実感しました。 それではどうぞご覧下さい。

サン・マルコ広場から、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島の教会方面を見ていました。
広場に着いた時は何も見えない状態でしたが、風で霧が少しずつ吹き払われ、

教会の鐘楼が先端部分だけ姿を現しました。 とても神秘的な瞬間でした。

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その少し前の、ドゥカーレ宮殿。 すぐ目の前なのに、こんな状態でした。

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ゴンドラはつながれたまま。 水しぶきで、風と波の強さがわかると思います。

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サン・マルコ広場の街灯と、運河の向こうに微かに見える教会のシルエットです。

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霧が少しずつ晴れてきて、ゴンドリエーレが舟を出し始めました。

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ゴンドラのアップ。 かなり陽の光が強くなっていました。

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逆光でとらえると、波が煌き、幻想的な絵になりました。

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別の日の光景で、ここはサント・ステーファノ広場。
メルカーティーノ・ナタリーツィオ(クリスマス市)の準備が、ほぼできていました。
上方の、教会鐘楼は霧の中。

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アカデミア橋付近から、サルーテ聖堂方面を見ています。
カナル・グランデの霞み具合が、なかなかでした。

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デッラ・サルーテ聖堂も、霞んでいます。

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スキアヴォーニ海岸通りで。
テラスレストランの照明がしゃれていたので、思わず一枚。

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サン・マルコ大聖堂の、レオーニ小広場側から鐘楼の頭だけ見えた所。

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夕暮れになり、広場のライオン像や鐘楼が、ぼんやりと霞んでいました。

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冬ならばこその風景です。 この時期にヴェネツィアに行かれたら、
是非しみじみと、こんな時間を体験して見て下さい。

***

如何でしたか、冬のヴェネツィアの散策は?
暖冬とはいえ、やはり冷え込む冬のヴェネツィア。 
バールで、香りの良い熱い赤ワイン・ ヴィン・ブルレを一杯やりながら、
憂愁のヴェネツィアに思いを馳せる、
それもまた、大人の楽しみ、でしょうか。


*****

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・ アルカ・ペトラルカ ・ 詩人の里 ・ 中世の町

今日のご紹介は、イタリアの偉大な中世の詩人(1304~1374) 
フランチェスコ・ペトラルカ・Francesco Petrarcaが人生の最後を
過ごした、「コッリ・エウガネイの真珠」と称されるアルカ・ペトラルカを。

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私はまだ訪れた事がありませんで、今日の写真と地図は
・I Borghi piu` belli d’Italia・・GAFFI
・BORGHI D'ITALIA・・MONDADORI からです。

こちらのサイトもどうぞ。 http://www.arquapetrarca.com/


アルカ・ペトラルカは何処にあるか、地図をどうぞ。

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パドヴァから南に24キロ、あちこちに温泉・テルメという地名も見える、
なだらかな風光明媚な丘陵地帯、コッリ・エウガネイに位置します。
 
国鉄のモンセーリチェが最寄の駅で、そこからバスかタクシーで9kです。



町の地図です。
右下から続く道が、町の下の駐車場からの道の様ですから、
この地図の流れに従ってご案内を。

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ガイドブックの説明によると、
石造りの建物と、丸石舗装された道、中世の村の風景。

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ペトラルカの泉・フォンターナ・デル・ペトラルカ、右側の線が見える位置。
この古い洗濯場・泉は、詩人が住む以前からあったそうですが、
毎朝彼が水を汲みに(飲みに?)寄ったので、その名がつけられたそう。

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このような洗濯場は、古い町や村に今も残っており、かっての女性達の
社交場であったろうと。
井戸端会議なる言葉、既に死語なのでしょうか?



泉の前の教会、サンタ・マリア・アッスンタの前庭にぺトラルカのお墓が。

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彼自身は、当時の習慣に従い教会の柱廊に葬られる事を遺言したそうですが、
詩人の死後7年目にこのお墓に。
ヴェローナの赤い大理石の、箱舟の形との事。

因みに地名のアルカ・Arqua`は箱船を意味し、19世紀に詩人の名が。 
追記・・他の本を読んでいて気にかかり調べてみましたら、
アルカ とは箱舟の意味もありますが、

まず第1に「棺」の意味である事を知り、ペトラルカが終の棲家に選んだ
一つの理由かも知れないなぁ、と思った事でした。



ペトラルカ広場。 写真奥の建物が、ヴェネツィア・ゴシック様式の
コンタリーニ邸と。 地図から見ると、手前側なのですが・・。

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町の中心の通りローマ通り。 なんとまぁ、結構急な坂道ですね?!
お祭りの日には、この通りに土地の特産品の屋台が並び、
中世の大道芸も行われたりで、賑わうとの事です。

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素晴らしいというヴィカーリのロッジャがあり、
その隣にあるサンティッシマ・トリニタ教会。
町の西奥、サン・マルコ広場に面しています。

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サンティッシマ・トリニタ教会の内部で、
パルマ・イル・ジョーヴァネの祭壇画と思われます。
屋根が小屋風の特徴ある造りで、最近修復されたばかりとの事。

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14世紀のイタリア至高の詩人の一人、と讃えられるペトラルカは、
彼の生涯の最後の4年間をこの緑に囲まれた家で過ごしました。

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家は当時の慣習に従い、パドヴァの領主から贈られた物で、
詩人自身がこの様に記述しています。

 監獄から逃げるように町を離れ、
 人里はなれた小さな村に住む事を選んだ。
 オリーヴとブドウ畑に囲まれた優雅な小さい家。
 そこで、まったくの平穏のうちに日をすごす。
 動揺から、喧騒から、雑用から遠く、
 読書を続けながら、書きながら。

現在博物館となっているこの家は、見物できます。
月曜日は休館ですが、年中無休、
2月~9月  9時~12時  15時~18時
10月~1月  9時~12時半  14時半~17時半
・入場料必要 (書いてありませんでした)


土地の名産・ジュッジョレ、ジュッジョレというのはナツメです。
この土地特産のブランディ漬け、リキュール漬け、シロップ漬けも
ある様で、10月にはジュッジョレにちなんだお祭りも。
     
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この土地について、アドルフォ・カッレガーリという人、作家であり、
エウガネイの紹介や、国立エステ博物館の館長もされた方の様ですが、
1941年に書かれた文がありました。

 アルカは、慎ましやかな、小高い丘の上に位置する。
 平野にせり出す狭い谷の間に。
 古い建物の間に大きな特徴がある。
 他に何も加える事が無くても、訪れる価値があっただろう。
 
 だが、その地でペトラルカは死んだ。
 そしてこの死は、栄誉の輪光をこの小さな土地に贈った。
 彼の記憶の聖なる引渡しである。
 他のいかなる場所も、彼のオリジナルの遺品を
 この様には保存しなかった。
 ほとんど損なわれていない・・
 
 そのため、ここに彼の偉大な生きた精神を、存在を感じる。
 風景が大変美しかったのも思い出される。
 彼の詩の、甘美な憂愁に満ちた文体と一致して。
 
 アルカ、目覚めている村・・
 そこでは、飽く事なく平穏さを予感し、
 そしてたどり着く事のない幸せの感情を呼吸する。
 他にはない、精神的な風景。

訪れる価値ある土地のようですね。


***  ご案内  *** 
この度友人のお一人より、ペトラルカについて書くので、
この記事にリンクをと、お知らせを頂きました。
これを最初にアップした際はまだ実際に訪れた事がなく、ガイドブックの
写真を使いましたが、
暫く後早春の村を訪れ、実際にペトラルカの家も見、写真も撮ったものの、
その後再アップする事無く、気にかかっておりました。

今回お知らせを良いチャンスに、ペトラルカの家の内部など、
写真を追加いたしました。
お楽しみいただけますように。


村は(上の記事では、町と書いておりますが、村という印象で・・)、
丘の中腹に沿って広がり、村の下に大きな駐車場があります。
その坂道から見上げる家の並び。 素敵な村、という予感です。

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「丘」と言ってもご覧のようにかなり高く、3月中旬、早春の色が漂います。

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サンタ・マリア・アッスンタ教会前のペトラルカの棺。

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教会前、ちょうど日曜朝のミサの済んだ時。
村の男達があちこちにかたまり、お喋りに余念なく。
日曜の朝にはあちこちから自転車の男達が、通りかかります。

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この時はまだ村も静かでしたが、その後何台も観光バスが到着し、
あっという間に賑やかに。



かなり急な坂道を行ったり来たり散策を楽しみました。
家の角から見守る聖人像。

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坂道の傾斜の様子、分ります?!

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古い家の壁に残るフレスコ画。

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サンティッシマ・トリニタ教会、ヴィカーリのロッジャです。
(と書いたものの、何かよう知りませんで・・!)

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追記:ヴィカーリというのは、管轄区域の(司教)代理者を指すので、
    多分その人物が主催する集まり等が行われたロッジャかと・・。



ペロラルカの家、村の西外れに。

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現在博物館になっている、家の入口にあるペトラルカの像。
孤高でいる事を好んだという、穏やかな表情。

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内部展示は1階と2階で、1階部分には資料写真展示が主に。
パドヴァの領主から贈られた家という事で、部屋はかなり狭いです。

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ここから2階の部屋。 ペトラルカ自身が家の改修にかなり熱中した様
ですが、彼の死後も、彼の意を汲んでの改修が続けられ今の姿と。

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天井の格子、壁の壁画の様子など。

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家の正面入口に見えているベランダ部分。

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内部の造りは、真ん中部分に壁が通り、南側と北側に分かれ、
という感じで、北側の一角に、ガラスで仕切られ覗ける様に
なっている部分があり、多分これが、ペトラルカの衣装箪笥、書庫。

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そして、椅子。 6世紀間が、一挙に縮まる思い。

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南西の端の部屋、テラス際にあったもう一つの彼の像。
背も低く、年を取ったシニョーレで、親しみが持てます。

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晩年の数年間をこの土地、この家で過ごす事を選んだペトラルカ。
窓から臨めるエウガネイの丘の緑。 村の時は、止まったままの様。



道なりにゆっくりと丘の道を辿り、上から眺める村の様子。
右下に丸く見える広場が、ペトラルカの棺のある教会前広場です。

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石畳の道が、石造りの古い家が続き、
時にこんな顔が、壁から見つめています。
    
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・ 野生のクリスマス・ローズは、お好き?

先日「霧のスコミーゴ村」をうろついた時、林の湧き水の傍で
野生のクリスマス・ローズを見つけ、ご覧頂きました
こちらでは結構あちこちで見かけるので、春を告げる緑、として
ご紹介しました。 が、

その後の情報で、この花が今日本では大変な人気で、
緑色は大変珍しいらしいと知り、ならば、先日のピンボケ写真では
申し訳なく、今朝、改めてカメラを持って行ってきました。

葡萄畑の奥の林の近く、湧き水の流れの傍らにたくさん、このように。

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花が少し盛りを過ぎ、種の袋が膨らみかけています。
雄蕊が落ち、葉のあちこちも誰かがかじっていて・・。

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手前の、首を曲げているのは枯葉の下にいたのです。
葉の重なりを持ち上げ、もう少しで外に出る所なので、少しお手伝いを。

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雄蕊の根元に蟻が見えます。
香りがあるのでしょうか? どなたかご存知の方、教えてください。

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注:チャンスがあって種を取り日本に送り、大事に育てて貰い、
  あちこちで咲き出したというお便りを頂きましたが、
  爽やかな香りがあるそうです。



こうしてみて見ると、同じ野生でも花びらの形が違う事に気が付きました。
これは、花びらの先が少しとがリ気味です。

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これも花びらが少し尖り加減。そして花びらが、普通の花の
花びらよりも、少し厚い感じもします。
雄蕊の付き方も少し違うようですが、これは成長過程の違いでしょうか?

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これは花びらが丸めで、柔らかな、優しい感じがしますね。
雄蕊の頭も少し大きめの様です。

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美しく咲いていた一株。 ほころびかけで大変素敵でした。

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花の緑色にもかなりの違いが見られますが、どうやら太陽光線の
当り具合も影響している様子。

これは大変濃い緑色ですが、かなり奥の日影の位置にあり、
花は開いていても、少し小さいような・・。

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これも美しく写せて満足です。
バカチョンカメラ(今でもこの言葉があるのかな?)の使い方を
少し覚えた感じの今朝。

10_GF.jpg



もうじき野生のプリムラも咲き出しますが、
今朝、蕾を一つつけているのを見つけました。

折角上の写真で、少し馬鹿チョンの使い方も覚えたか、と書いたのに、
が、肝心の蕾がピンボケ、薄い黄色の蕾の色も飛んでしまい・・。

11_GF.jpg

子供の頃、かなり夢中に読んだ「紅はこべ」。 フランス革命時の貴族の
命を救う冒険小説ですが、こちらでは「プリムラ・ローザ」というタイトル。
日本語に飢えて再読してみたら、なんとまぁ、呆れるくらいの、
2流小説でありましたぁ!



野生のクリスマス・ローズの写真をアップしましたら、
熱狂的なこの花のファンの方から、「種取をして」との、リクエスト。

ならばと、今朝スコップを持って行きましたが、厚く積もった枯葉の下、
モグラの穴だらけにも拘らず、根が絡みつき大変固く、スコップが曲がり、
やっとこの小さいのを、一株お持ち帰りできました。

12_GF.jpg

家のが根付けば良いですし、そうでなくても、時々覗きに行き、
種取を心がける事に致しましょう。
大願成就の暁には、お知らせいたしますです!!
注:その後お茶袋を送って頂き種取りに成功、
  あちこちで大事に育てて頂いているのは、上記の通りです。


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・ 野生のクリスマス・ローズは、お好き?

先日「霧のスコミーゴ村」をうろついた時、林の湧き水の傍で
野生のクリスマス・ローズを見つけ、ご覧頂きました
こちらでは結構あちこちで見かけるので、春を告げる緑、として
ご紹介しました。 が、

その後の情報で、この花が今日本では大変な人気で、
緑色は大変珍しいらしいと知り、ならば、先日のピンボケ写真では
申し訳なく、今朝、改めてカメラを持って行ってきました。

葡萄畑の奥の林の近く、湧き水の流れの傍らにたくさん、このように。

1_GF.jpg



花が少し盛りを過ぎ、種の袋が膨らみかけています。
雄蕊が落ち、葉のあちこちも誰かがかじっていて・・。

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手前の、首を曲げているのは枯葉の下にいたのです。
葉の重なりを持ち上げ、もう少しで外に出る所なので、少しお手伝いを。

3_GF.jpg



雄蕊の根元に蟻が見えます。
香りがあるのでしょうか? どなたかご存知の方、教えてください。

4_GF.jpg

注:チャンスがあって種を取り日本に送り、大事に育てて貰い、
  あちこちで咲き出したというお便りを頂きましたが、
  爽やかな香りがあるそうです。



こうしてみて見ると、同じ野生でも花びらの形が違う事に気が付きました。
これは、花びらの先が少しとがリ気味です。

5_GF.jpg



これも花びらが少し尖り加減。そして花びらが、普通の花の
花びらよりも、少し厚い感じもします。
雄蕊の付き方も少し違うようですが、これは成長過程の違いでしょうか?

6_GF.jpg



これは花びらが丸めで、柔らかな、優しい感じがしますね。
雄蕊の頭も少し大きめの様です。

7_GF.jpg



美しく咲いていた一株。 ほころびかけで大変素敵でした。

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花の緑色にもかなりの違いが見られますが、どうやら太陽光線の
当り具合も影響している様子。

これは大変濃い緑色ですが、かなり奥の日影の位置にあり、
花は開いていても、少し小さいような・・。

9_GF.jpg



これも美しく写せて満足です。
バカチョンカメラ(今でもこの言葉があるのかな?)の使い方を
少し覚えた感じの今朝。

10_GF.jpg



もうじき野生のプリムラも咲き出しますが、
今朝、蕾を一つつけているのを見つけました。

折角上の写真で、少し馬鹿チョンの使い方も覚えたか、と書いたのに、
が、肝心の蕾がピンボケ、薄い黄色の蕾の色も飛んでしまい・・。

11_GF.jpg

子供の頃、かなり夢中に読んだ「紅はこべ」。 フランス革命時の貴族の
命を救う冒険小説ですが、こちらでは「プリムラ・ローザ」というタイトル。
日本語に飢えて再読してみたら、なんとまぁ、呆れるくらいの、
2流小説でありましたぁ!



野生のクリスマス・ローズの写真をアップしましたら、
熱狂的なこの花のファンの方から、「種取をして」との、リクエスト。

ならばと、今朝スコップを持って行きましたが、厚く積もった枯葉の下、
モグラの穴だらけにも拘らず、根が絡みつき大変固く、スコップが曲がり、
やっとこの小さいのを、一株お持ち帰りできました。

12_GF.jpg

家のが根付けば良いですし、そうでなくても、時々覗きに行き、
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・ ムッジャ ・ Muggia ・ トリエステ湾の、小さな港町

冬の霧の風景を少し忘れるべく、今日は夏の陽射し輝く小さな港町のご紹介を。

トリエステからバスで約小1時間ぐるっと湾を回り込み、海を挟んで南側の
ちょうど正面辺りに、このムッジャがあります。

バス駅は町のはずれにあり、古い町の中心にはこの門をくぐっていきますが、
この上は家のテラス風になっていて、実際は写真のイメージとすこし違い。
 
1-12609_t_t_t_GF.jpg

イタ猫集まれ ・ ヴェネツィア、ムッジャ、グラード
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460919824.html

イタ猫 ・ ヴェネツィアの猫 ・ ムッジャの猫
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460918530.html



中心広場 ・ ピアッツァ・マルコーニ  絵葉書で
広場の東側を、13世紀建設、ヴェネツィア・ゴシック様式のドゥオモが占め、
北側に市役所の建物があるのをまずご覧頂き、

2-03321_t_t.jpg



ムッジャはイストリア半島の付け根に位置し、10世紀にはアクイレイアの司教領
となり、その後15世紀に、ヴェネツィア共和国の元に入りました。

こちらは現市役所で、町にはまさに、鄙びたヴェネツィアの面影が。

3-12936_t_t_t_GF.jpg



ヴェネツィア共和国領となると、欠かせないのが彼、聖マルコのシンボルである
翼を持つライオン君が壁に。 今もこうして、精一杯怖い顔をして見せて。

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広場の東にある13世紀のドゥオモ。 少し特異な形をし、素晴らしい薔薇窓が。  
太目の、尖った鐘楼は15世紀の物。

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このマルコーニ広場を中心に町の様々な催しが行われ、ムッジャのカーニヴァルも有名。



港風景  絵葉書で
マルコーニ広場の北にある、小さい内に入り込んだ港で、小型の漁船が舫っていて、
絵葉書の右上に見えるのがお城。

6-03413_t_t.jpg

イーストリアとの国境にある守備目的のお城で、14世紀にはトリエステ陣に
破壊された歴史もあるとの事。



市役所の横を抜ける小路を港の側から。 右の建物が現市役所で、
古い小さな漁港の周囲は建物に取り囲まれ、いかにも長閑な雰囲気が漂います。

7-214233_t_t_t_GF.jpg



上の写真を撮った位置からの、小さな港を挟んでの向かい側の建物。  
イメージもいささかレトロで、とても懐かしい感じ。

8-214322_t_t_t_GF.jpg



上の右側の建物の窓。 ペンキの剥げ落ちた窓の鎧戸と、ささやかに窓辺を飾る、
小さな花の鉢。 ヴェネツィアの赤、と呼ばれる壁の色、そして、街灯。

9-215549_t_t_t_GF.jpg

このイメージが、とても好きです。



内側の港の横を辿ると、外の開けた港に。 ここにはこんな小型の洒落たヨット、
そして少し大きな漁船、等など。

11-13512_t_t_t_GF.jpg



海を挟み、北にはトリエステの街が広がります。
一番西の端から、パノラマ風に連続写真を撮ってみると5枚におさまる長さで、
これはその3枚目。  ちょうどトリエステの中心部でしょうか。

12-13906_t_t_t_GF.jpg



ムッジャの町はすぐ背後に丘が迫り、町の小路は狭く、急な坂が続きます。
お城への道を辿り、あちこち曲がるうちに出合った小さな、素朴な教会。

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教会入口部分。 扉上の半円形に置かれた聖母子像と、上の素朴な薔薇窓が
大変素敵でした。 残念ながら、扉は閉じられていて。

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追記:この教会は、サン・フランチェスコ教会と言い、ロマネスクの古教会と
   いうのが分かりました。



町を見下ろす丘の上に古いお城があり、かっては町を市壁で囲んでいた、との事。
この物々しい城壁を見ると、国境の城の守備の意識が垣間見えるよう。

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現在このお城は個人の所有だそうで、どなたかが住んでいる様子が窺えました。

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お城のある高みから港が一望です。 この港は外側の広い方で、
奥に見える大きな船のドックはムッジャの町の外に。

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その奥の山腹に広がる所が、トリエステの街の東側部分。



こうして一日遊び、帰路の汽車の窓から眺める夕陽。
トリエステを出ると電車は高台を走り、何もない広い海が見渡せます。ブレご容赦。

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・ 冬のヴェネト ・ 霧の中のスコミーゴ村 ・ と、おまけ

先週末は、ヴェネト一帯大変霧の深い日が続きましたが、
土曜の朝、郵便局の帰り道で見た様子がなかなか素敵だったので、
カメラを持って戻り、
秋の日にご覧に入れた葡萄畑の奥の林への道を辿ってみました。
さて何が見つかりましたか、ご覧下さい。

いつもはこの背景に、隣のオリアーノ村の教会が見える筈なのですが、
ご覧のような霧の深さです。
初夏にたくさん並んでいた干し草の束も、今はこの一つだけに。
順調に牛達のお腹に収まり、これがなくなる頃には春が!

1-07.2.3 001_t_GF.jpg



道の傍らに廃屋が3つほどあり、これはそのうちの一番小さい家で、
煙突にびっしりと蔦が絡みつき、夏には緑に埋もれます。
左の小さい部分は、どうやら以前は、小さな家畜小屋だった様子。

2-07.2.3 004_t_GF.jpg



こちらはその隣の大きな農家です。
右に曲がりこんだ所に家の入り口がありますから、この見える暖炉の
煙突は居間のものでしょうね。 窓の鎧戸の緑色が目に沁みます。

3-07.2.3 010_t_GF.jpg



2軒の廃屋の間に入り込むと、この様にすぐ裏が谷。
ここにも霧が満ち裸木が枝を広げていました。

4-07.2.3 008_t_GF.jpg



晩秋に、始めて少し辿ってみた葡萄畑の横の道
この日は霧が深く、見咎められる恐れのないのを幸いに、
大胆に、はは、自転車を引きながら進みます。
       
草原に残る車の轍の跡。
いつもの冬にはこんなに緑が見られませんが。

5-07.2.3 017_t_GF.jpg



霧の中、奥に続く葡萄畑。
谷なりに、列がしないながら奥に向かいます。

6-07.2.3 024_t_GF.jpg



葡萄畑の奥、遠くにトラクターの様な音が響き、それに負けずに
喋りまくる大声が聞こえます。 でも、姿はまるで見えず。

そして林の端にこんな切り株を見つけました。
大きな木でウロがありますが、切り株は新しい物。
林はそんなに深くなく、奥が明るく谷に続きます。

7-07.2.3 028_t_GF.jpg



林の手前横は、ご覧の通り!
土が軟らかいのか、モグラ君たちが既に大活躍。
郵便局への道横でもモグラの痕跡を見かけましたが、
こんなにたくさんの跡は始めて!

8-07.2.3 030_t_GF.jpg

左に見える一列になった木の枝は柔らかく、
葡萄の枝の剪定後に、支えに結わえるのに使われます。
注:私は長い間、この木が桑の木であることを知らずにいました。
  そうなのです、かってのイタリアは日本同様、養蚕国だった名残です。



林の向こうで誰か仕事をしている音がし、ちらっと明るい色が見えるので
近づいてみて驚きました。
なんと、小川が流れているではありませんか?!

9-07.2.3 037_t_GF.jpg

水量は特別に多くありませんが、水はあくまで透明で、
石の小さな堰に、水音を立てているのが聞こえます。
こんな所に、と本当に驚きました。
ここがスコミーゴ村とオリアーノ村との境の、一番低い部分なのでしょう。




そして、水辺に近い辺り一面にご覧の通り、
野生のクリスマス・ローズがたくさん!
地面に散り敷く落ち葉の茶の上に、素晴らしい、春を次げる緑色。

10-07.2.3 038_t_GF.jpg

これが一番開いている花だったのですが、残念、ピントが地面に!
コンパクトカメラの使い方がどうも上手く行きません。
財布と相談の上、一日も早く一眼に移行出来ますように!



小川の向こうに、仕事道具の荷車をつけたトラクターが見え、
男性が一人、右に見える低木の茂みを刈っていました。
  
11-07.2.3 041_t_GF.jpg  
   
パシパシと乾いた音が響き、小川のせせらぎが水音を立て、
春に備えての仕事がてきぱきと・・、そんな感じを受けました。




葡萄畑の横を道に戻る途中、一つだけ咲いているタンポポを見つけました。
背も低く、花びらは霜枯れたように少し透き通って。
でも、やはり春を告げている様子。

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葡萄の剪定は、早い農家では12月以前に、遅い所でも1月には。
       
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さっぱりと、この様に枝を1本のみ残し、必ず下向きに結わえます。
枝がそれぞれ等間隔に、針金で支えられているのが見えますか?
      
春、この枝の節々から、新芽が上向きに芽生え始めます。
もうすぐ!!

ブーツと自転車の車輪を泥だらけに、ジーンズもブーツもびしょぬれにし、
かじかんだ両手と足先。 そして鼻の頭を赤くして、
でも大いに満足して家に戻りました。


・・ おまけ ・・

1月の末にヴェネツィア・メストレに行く用があり、街の中心広場に
こんなメリーゴーランドが回っているのを見かけました。
余りにも可愛く美しい本格的な物だったので、お目にかけますね。

華やかに、色もつやつや。 電飾で飾り立てられ、
お屋根のてっぺんにはちゃんと白いお馬ちゃんも。

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このメリーゴーランドは常設だそうで、乗るのに幾らか聞きそびれましたが、
夜にはもっと華やかな雰囲気になるのでしょう。
一番上の飾りの絵がすべてヴェネツィアの風景なのに、気が付かれました?

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・ n.2  トリエステ ・ 黄昏

今日は、グロリオーザさんの「国境の街トリエステ・n.2 トリエステ・黄昏」 
のご案内です。
いつもと一味違う彼のご案内で、ゆっくりと、黄昏のトリエステのご散策を。
***

さわやかに晴れ渡った午後だった。 私はホテルのチェックインを終えるとすぐ、
海に向かった。 ホテルから垣間見えた、海の切れ端。
それが、通りを1つ越えた途端に青いカーテンの様に、
ふんわりと私の目の前に広がった。

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アドリア海に突き出た1本の埠頭に踏み入る。
あと数時間で11月も終ろうというのに、コートどころか、セーターさえも
脱ぎたくなるような暖かさが港を包んでいる。

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「勇者の埠頭」には、老人夫婦、婦人のグループ、若者のカップル、
さまざまな人たちが、この埠頭を目指して集まってくる。
店があるわけではない、イベントが開かれるわけでもない。あるのは海だけ。
そんな場所に、世代を超えて続々と人が集まってくるのだ。

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モーロ・アウダーチェ。 「勇者の埠頭」と名付けられた場所に
集う人たちのまなざしは、その勇ましい名称とは裏腹に、慈しみに満ちている。

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まだ10代と思える、旅の途中の女性が、釣り糸を垂れていた老人に話しかけた。
「この海の向こうには、何があるんでしょうね」
「海の向こうかい? 向こうにあるのはイタリアだよ」

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トリエステは、イタリア。 しかし、異国の装いに彩られたイタリアだ。
シシーの銅像を街の玄関に据え、ウンベルト・サバが通ったという、
老舗のカフェ、サン・マルコの壁は、アールヌーボーで飾られている。
角の土産物店では、モーツァルト・チョコが主役だ。

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オーストリア領だった時は、内陸の国唯一の港湾都市として揺るぎない地位を
築いていた。 が、港だらけのイタリアに復帰したとたん、その存在価値は
辺境の一都市、というレベルにまで落ち込んでいった。

過去の歴史に対する強い郷愁と、ほのかにくすぶる憎悪。
今の、置かれた立場への、心のゆらぎ。
そんな、エトランゼとしてのイタリアが、ここに漂っているように思える。



青かった海が次第にオレンジ色に染められて行くにつれ、
人々は寡黙になっていく。

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視界の先にあるのは、アドリア海に沈み行く太陽。
潮騒のリズムに合わせて、きらめく光の粒が波頭に広がり、
黄昏の世界は急速に赤味を増して焼け付く。 何という色だろうか。
私の脳裏には一つの言葉しか浮かばなかった。 
「血の色の海」

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哀しいまでに美しい光の変化を常に見続けて生きる人は、
心に何を宿すのだろうか。

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すっかり日が沈み、宿に向かって歩くうちに、運河にぶつかった。
運河といっても、ヴェネツィアとは一味違った真っすぐに延びる運河だ。
その突き当たりに建つサン・ジョヴァンニ教会が、黄金の衣をまとって、
闇に浮かび上がっている。

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夜とは言ってもまだ8時を過ぎたばかりなのに、街路を歩く人の姿がとても少ない。
その分だけ、石畳を踏みしめる靴音が乾いて聞こえてくる気がする。
 
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風が出てきた。 それも急に勢いを増し、ボタンを外していたコートが、
引きちぎられるかの様に翻った。思いがけない衝撃に、ふらりとよろけそうになる。
夕方までの暖気はどこへ行ったのだろうか。 一足早く飾り付けられた、
クリスマス・イルミネーションが激しく揺れ、刺す様な冷たさが、街を吹きすぎる。
 
交差点で、信号待ちをしていた女性に声を掛けてみた。
「これがボーラという風でしょうか?」
冬のトリエステに吹き荒れるという、季節風の事を思い出したからだ。
女性はかすかに笑みを含んで、首を横に振った。

代わりに、ハンチングの良く似合う老紳士が答えてくれた。
「ボーラはね。こんなもんじゃあないよ。
ボーラが吹いたら、あんたなんかすぐ飛ばされてしまうよ」



「ボナ ノッテ」 別れ際の老紳士のしわがれ声が、風に乗って闇に舞った。

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追記:写真は、ヴィア・ダンテ・アリギエーレの路上にある
   詩人ウンベルト・サバの銅像です。 2018.9.20

***

如何でしたか、今日のグロリオーザさんの「黄昏のトリエステ」のご案内は?
海を前に、人はロマンチストになるのでしょうか?!
素晴らしい女性の横顔を見つめ、文学青年(だった?)の熱情が
迸り出たようですね。 ふむ!!

少しレトロな雰囲気の、カフェの様子も素敵ですね。
隅の席に座り、生クリームを浮かべたカフェなどゆっくりと味わってみたくなります。
「illy・イッリ」という美味しいカフェ・エスプレッソ、他のイタリアのカフェと一味違う、
このトリエステから生まれた、カフェが好きです。

統一広場の前に突き出す「勇者の埠頭」は、夕方になると、
散策の人々で溢れます。 クルリ、クルリと回る、灯台の灯りを見つめ、
埠頭の先から逆に振りあおぐ、トリエステの街。
これもまた、大変素敵な眺めでした。


*****

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