・ マーリオ・リゴーニ・ステルンの世界 ・ Mario Rigoni Stern

今日はイタリア人作家 マーリオ・リゴーニ・ステルンのご紹介を。
私はつい先日まで彼の作品を読んだ事がありませんで、そういう名の作家が、
このヴェネトの北、アジアーゴ・Asiagoに住んでいるという事は、
この初夏にアルプス兵の全国集会がアジアーゴで開かれた時に書き、
読者のお一人からメールを頂き知りました。
  
それがこの11月に彼の本を贈って頂き、読むチャンスを得、そしてTVのニュースで
何度か出会うチャンスが、突然にやって来ました!
今日の写真は全てTVのニュースからで、ピンアマはご勘弁を。 

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夜のヴェネト州のニュースを見ていた時、「マーリオ・リゴーニ・ステルンが
アジアーゴを下り、マロスティカで自作を朗読する」というニュースがあり、 
なんとなくボ~ッと見ていて途中で!!と気がつき、写真を撮りました。

そして以前彼のニュースを教えてくれ、彼の作品に大変感動した、
と書いて下さった方に送りました。  
その時は、単に「彼を見ましたよ」という位の軽い気持ちだったのです。 
作品を読んだ事がありませんでしたので。

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「アジアーゴを下る」というニュースの表現は、アジアーゴがアルプスの麓の、
しかもオーストリアとの国境に近い事を示しているのですが、
マロスティカ市の要請で、彼の「レッテレ・ダモーレ・愛の手紙」という、
自然への賛歌を書いた作品を子供達に読んで聞かせた、というニュースでした。
  
マロスティカは、バッサーノ・デル・グラッパの西にあり、2年毎に生きた人間が
駒になる、チェスの試合でも有名な、市壁で囲まれた古い歴史ある町です。



上の2枚ともう1枚、彼の写真を送った所、大変に喜んで下さった様で、
なんと、ステルンの最新作の本を送ってくださいました!!
まさに海老で鯛を釣った感じで、恐縮しましたが、これが素晴らしい作品でした。 

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既に彼の作品は日本では「雪の中の軍曹」「テンレの物語」などが出版され、
お読みの方もたくさんおいでと思います。
この「雷鳥の森」は日本での出版は最新ですが、作品自体は40年前と
解説にあります。 
 
「戦争の記憶、森の静寂、野生の動物。 簡潔で力強い文体によるこの物語は、
今日の世界から失われつつある人生の深さと豊かさを描く。」
と帯にあり、読んで、まさに胸の奥を突かれる感覚を持ちました。

彼の住むアジアーゴの町はヴェネトの北奥、ヴェネツィアから北西に直線距離で
85キロほどで、ヴィチェンツァ県になります。 
美味しい「アジアーゴ」というチーズも有名ですが、ここはまたアルプス兵(山岳兵)が
最初に結成された場所でもあるのです。  
黒い羽が一本チロルハットについたアルプス兵は、第1次大戦ではオーストリアからの
独立を果たす原動力となり、また今現在もイラクに派遣され、働いています。



ここからの写真は、また別の日に放送された、彼のインターヴューの様子と共に
映ったアジアーゴの町の様子で、これは、町のドゥオモ。
 
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こちらは、町の中心広場にドゥオモの横にある市役所で、
建物群が比較的新しいのは、戦争で大変な破壊を受けたからだそう。

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2度の大戦を経験し、この一帯アジアーゴの奥の山の中には、現在でも
当時の塹壕が残り、その写真を見せてもらった事もあります。



これはまた別の日のニュースから。 カステルフランコの町で開かれた
児童向け文学の授賞式に、審査員長としてステルンが出席していたのです。

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これは町の劇場ですが、小さいながらも大変美しいのでご覧下さい。 
横一列に椅子が10ほど並ぶ、小さいけれど素敵な劇場がイタリアのあちこちに
あるようで、この町はまた、画家ジョルジョーネの生まれた町でもあります。



この日、審査員長で出席のステルン。 今年85歳。
出席していた子供達にせがまれサインをしている様子。

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これは彼の家の壁にかかる、アルプス兵の帽子。
既にあちこち破れていますが、この帽子をかぶって彼は戦争に行き、ロシアから敗走、
そしてオーストリアの捕虜収容所からの脱出と共にあった帽子なのでしょう。 

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「あの年、1945年に、生き残った者たちが帰ってきた。 
あたかも秋の夕暮れに羊が、牛が、山羊が、家畜小屋へと群れをなして、
あるいは一頭で帰ってくるように、
ドイツから、ロシアから、フランスから、バルカン諸国から、
戦争が連れ去り、生かしておいた者たちが帰ってきた。 
・・・わたしはオーストリアから徒歩でたどり着いた。 
おりしも山は春だった。」
『オーストラリアからの手紙』より



アルプスの麓に広がるアジアーゴの平野の様子。  
奥にひときわ大きく白い四角に見えるものは、戦没者の慰霊碑。

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ヴェネト一帯からフリウリ州にかけては第1次大戦中は大激戦地で、
アジアーゴからアルプスにかけても大変な戦死者が出ました。
そして、日本での戦没者への対応と、かなりの違いを感じます。



アジアーゴの風景。

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「いくつもの季節が過ぎた。渡り鳥たちは去ってはまた戻ってきた。
山ではモミがゆっくりと育っていった。 
・・・世界ではさまざまな事が起こった。 
・・・だが大地の上では、同じことが変わることなくくりかえされている。 
日が昇り、日が沈み、穀物が実り、雪が降る。
森のそばの小さな家の中も相変わらずだ。 
冬は木の桶を作り、夏は大地を耕し、木を伐リ、秋は猟に出る。 
ずっとずっと昔と同じように。
これから先もずっとずっと変わることなく。」  
『アルバとフランコ』より



彼のインタヴューがあったようで、ヴェネトの夜のニュース特集でその要約編を。 
85歳とはいえ大変お元気そうで、今世紀になって既に3冊の本が出版されたと。  
 
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インターヴューの様子。

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「犬に泣くことができるとしたら、なおも食い下がりながら
フランコは泣いていた、と私は思う。 
彼が立ち止まった場所には脚の傷の赤い血の跡が残り、
草の葉や森の低い枝は、涎で濡れていた。  
・・・ピエーロはウサギを切り開いた。 心臓と肝臓を取り出した。 
フランコの傍らに膝をつき、まだ生暖かい心臓と肝臓を切って、
切れ端を少しずつ口に入れてやった。
頭を撫でてから、黙ってハンカチで犬の目を拭き、脚の血を拭った。 
胸の奥底から何かが、口では言えない何かが、
人間に対してさえめったに抱くことのない想いが、こみ上げてくるのを感じた。」
『アルバとフランコ』より

朝から日暮れまで、大ウサギを追いかけ、遂にしとめる猟犬を描いた一節。  
衒いの無い、すっと心にしみ込んでくる・・。
動物との関わりに、胸が痛くなり涙がこぼれました。



如何にも、雪深い土地の山小屋風のお家。

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「ある晴れた冬の午後のことだった。 
暖炉の中でブナが赤々と燃え、冷気がガラスの表面に幻想的な模様を描き、
そのアラベスクを透かして、
すっぽりと雪をかぶった森と、岩場に降り注ぐ陽の光が見えた。」
『星月夜のキツネたち』より



書斎の様子。

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「わが友はビールの入った桶を手に戻って来た。 
その後、世界のあちこちを巡ってビールを飲んだけれど、
これにまさるものは誓ってなかったし、残念ながらこれからもないだろう。 
・・・ 列車が止まっているあいだ、彼もとどまった。 
わたしは桶に口をつけて彼のビールをあおり、
彼はわたしの煙草を吸いつづけた。 
ポーランドのこと、ドイツ兵のこと、自分の家族のこと、
どのようにしてビール作りに成功したか、
食料不足と飢えについて、
鞭打たれながら働くユダヤ人たちの存在について、
彼は語って聞かせた。」  
『ポーランドでの出会い』より



書斎で。

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「だがこの夜、ひとり眠らぬ者がいた。 
・・・生まれて初めて、貧しい者たちの運命に、
貧しい者たちに殺し合う事を強いる戦争というものに、
想いをめぐらせ、自問した。
『この汽車に乗っているおれたちのなかで、帰れるのはだれだろう。 
何人の同郷の人をおれたちは殺す事になるのだろう。 そして、なんのために』
同じ世界に生きているわれわれは、だれもがみな同郷の人なのに。」
『ポーランドでの出会い』より

多分これが、彼の世界の出発点なのでしょう。

追記:マーリオ・リゴーニ・ステルンは、この2年後の2008年6月16日87歳で
   亡くなりましたが、そのニュースは、近親者によるお葬式が済んだ後に
   報道されるという、如何にも人柄を語る有様だったのを記憶しています。

   本を送って頂き、彼の作品に触れるチャンスを得た事、そして同じヴェネト州
   という事で、彼の晩年の姿、様子を近しく知るチャンスがあった事は、
   私にとって大変嬉しい事でした。

   彼の真摯で、衒いのない率直な語り口は、こうしてほんの少し読み返すだけで、
   胸の中に熱い思いを呼び起こします。
   作品のみでなく、素晴らしい方だったろうと確信しています。 2018.12.5
    

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・ みんな、広場へ ・ ウンブリア紀行 3

今日は「トゥッティ・イン・ピアッツァ・みんな、広場へ」と題し、ウンブリアの
お祭りのご紹介で、勿論、槍の試合も、お神輿かつぎも、時代衣装の美女もいますが、
美味しい物、美しい物もあります。 いざいざ、まずは広場へ!!

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写真は、すべてDeAgostini出版と、specialeTOURINGからです。



ウンブリアの地図をどうぞ。
ご紹介する場所は、ナルニ・Narni  ベヴァーニャ・Bevagna ノルチャ・Norcia  
グッビオ・Gubbio フォリーニョ・Foligno そしてスペッロ・Spelloです。

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ベヴァーニャの中世風・「ガイーテの市」.  ベヴァーニャ・Bevagnaの町では、
毎年6月末の1週間、町のすべての人々が中世の生活に戻り、
当時の市のお祭りで賑わうのだそう。

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勿論特産の「タルトゥーフォ・トリフ」も売られているのが見えます。
台の上中央の籠に黒く見えるのがそれで、1キロ150エウロ(21000円程)と。  
悔しいけど、まだ食べた事がないので、なんとも・・・!



これがお祭り期間中の様子で、「中世の村に変身する」と。

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女性が長い衣装をつけるとなかなか良い、といつも思うのですが、如何?  
皆さん、のんびりと楽しそうです。 コンサートや、弓の競技も行われ、訪れる人々も
中世に戻って楽しめるそうです。



この女の子の写真に大変魅かれ、この雑誌のウンブリア特集を皆さんにも、と
思ったきっかけになりました。 愛おしいというか、あどけなさに胸が痛くなる程で。

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ノルチャ・Norciaは豚肉の加工食品で大変有名ですが、ここにはチーズ、サラーメ、
オリーヴ油、蜂蜜、そして豆類が見えます。

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ノルチャはまた18世紀まではイタリアの外科医の学校でも有名でしたし、
ウンブリアにおいてちょっと特殊な位置も占めている様で、機会を見つけてご紹介を。



これが有名なノルチャのタルトゥーフォ・ネーロ・黒トリフ。
といっても、私はまだ白も、黒も食べた事がないので、味をご説明できず残念!
中が、霜降りの様になっているのですね?!  フ~~ム。

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ノルチャのタルトゥーフォ・ネーロを使った、ストゥランゴッツィ・strangozzi.  
皆さん、美味しさを御想像ください!!

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グッビオのお祭り、「大ローソク競走」。 この有名なお祭りは高さが4mもある
巨大なローソクを担いで走り回り、山上のバジリカに奉納する為につづれ折りの
山道を登るのだそう。

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熱狂的なお祭りもまずは神聖なミサから始まり、これは大ローソクを梃子の要領で
起こしている所。 さぁ、広場の熱狂が始まります!



大ローソクは男たちの肩に担がれまず広場を3周し、そして町の狭い道を走るそう。 
3本ある大ローソクは、それぞれ天辺に町の守護神のサントゥバルド、サン・ジョルジョ、
サンタントニオの3聖人が鎮座し、揺すられ、衣を翻し走り回ります!!

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大ローソクのお祭りの他に、グッビオにはもう一つ有名なお祭りがあり、
それは中世からの武器、石弓の競技会。

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写真の様に固定し、水平に構えて歯車を使って広げるもので、その威力は物凄く、
一度TVで見て寒気を覚えた程で、騎士の甲冑など、紙のように軽~く射抜きます。



ナルニ・Narniの「輪の競技」は、建物の間に張られたロープに吊るされた輪を、
騎乗の騎士が槍で突き通す、というもので、14世紀から続いているそう。

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写真はこの競技に先立っての、時代衣装で行進の若き美人。
今日のブログの最初の写真も、このナルニの時代衣装の行進です。



フォリーニョ・Folignoのお祭り、クインターナ・Quintana.
クインターナ というのは槍の的の事で、この名を冠したお祭りは、あちこちにあり、 
いずれも騎乗の騎士が槍で的を突く、突き通すというもの。

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この写真でお分かりのように、輪の中を突き通す競技で、
上のナルニのお祭りもやはり輪の中を突き通す競技の様子。



こちらはお祭りに花を添える、時代衣装の美人。
17世紀の素晴らしい衣装だそうで、フォリーニョでもお祭りの熱狂は変わりませんね。

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カーシア・Casciaの「薔薇の祝福」のお祭り。 カーシアは、14~15世紀の聖女
リータ・Ritaの町で、若くして結婚、暴力的な夫が殺された後、息子たちが
復讐をするより死ぬ事を神に願ったそう。
  
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修道院に引きこもり40年、身体的な痛みを受ける事をも望み、
額にキリストの茨の冠の棘を受けたという聖女で、
その聖女リータの祭日に、善男善女が薔薇の花束を持って集まります。



スペッロ・Spelloの「インフィオラータ・Infiorataのお祭り」は、町中の通りに
図柄を花びらの色を利用して描く、というものですが、

これはお祭りに賑わいを添える吹奏楽バンドの面々。 女性もいますね。

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南フランスの海岸に続く紺碧海岸の街でも行われますし、ローマ近郊でも確か
あったと思いますが、ここスペッロのは大変大掛かりで、素晴らしいもので、
元々はキリスト教の祭日と結びついたお祭りです。



インフィオラータに使われる花びらは、全て自然の色、本物の花びらで、  
人工の色や作り物の花びらはなしで、今それぞれの家の戸口で花弁むしり。

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図柄に沿って手直しの最中。 既に出来上がった所を壊さぬよう細心の注意、
片脚で! 両膝にサポーターをつけているのを見て、ご苦労さんで~す!

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全部で70もの作品が作られるそうで、これがそのうちの最大級の作品と。  
場所が、広場と道の上ですから、見るのには不便だろうと思っていましたら、
やはり櫓が作られているので安心。

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花びらの作品で感心するのは、中間色の使い方が素晴らしい事。
絵の具なら簡単ですが、この色はどの花の花弁、と特定するのには、
花に関する大変な知識が要求されることでしょうね。



最初にこの写真を見たとき、書体の感じがすごいなぁ!と思いましたら、この作品が
2006年度の賞を獲得した、その一部分だそう。  なるほど、なるほど!!

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・ サンタ・マリーア・デッラ・サルーテの仮橋 ・ ヴェネツィア

11月21日は、ヴェネツィアのサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂のお祭りで、
参拝客の為に仮の橋が大運河に架けられます。

夏のレデントーレのお祭りには、長い平橋がジュデッカ島に架かりますが、
デッラ・サルーテの橋は、緩やかな弧を描き、いつもは渡しのゴンドラがある、
デッラ・ジーリオから架けられ、終日参拝客で賑わいます。

右の大きな丸屋根が、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂で、ペストが
ヴェネツィアにも猛威を振るった17世紀、その終焉を感謝して建設。

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夏のレデントーレの仮橋は、平橋で船の交通は一切遮断されますが、
こちらの仮橋は、下を水上バス・ヴァポレットや他の船も通れる様になっていて、
真ん中に船用の信号もついています。

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これは、サンタ・マリア・ジーリオ側からの眺め。
いつもはここに渡しのゴンドラがあるのですが、参拝客が多く到底まかない切れず、
かといってアッカデミア橋を渡ると、かなりの遠回りになるため、
この架け橋・ポンテ・ヴォティヴォが大いに利用されるというわけですが、写真が古く、
往復の人々の姿が見えますが、現在は行きのみの一方通行です。

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所で、ここの渡しのゴンドラがある映画の中に何回か出てきました。 
映画好きの方、お分かりですか?
そう、「旅情」です。 後ほど、この渡しのゴンドラもご覧頂きますね。



サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツィアの代表的な姿で、
サン・マルコ広場から斜め前に位置しますが、この写真は仮橋の上から。

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丸屋根の一番上に、マリア様が少し前かがみの姿勢でおられます。
真ん中に見える窓の周囲に張り出している、渦巻き模様の飾りが特徴ですが、
これで、この大きな丸屋根を支えているのだそう。

外観がいかにも大きく見えますが、教会の中はそんなに広くなく、
そして普通一般の四角い長い空間ではなく、丸い空間です。 
内部にはティツィアーノや、ティエポロの絵もあるそうですが、
このお祭りの日は大変な人込みで、とても鑑賞どころではありません。




これも橋の上からで、いつもはこの辺り観光客もそんなに多くは無いのですが、
この日ばかりはヴェネツィアの地元の善男善女で溢れかえり、
聖堂内は大変な人で、熱気でむんむん。 

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聖堂前広場には屋台も出て、寄進用のローソクなども売っていますし、
いかにもお祭りの雰囲気で賑やかで、聖堂の鐘はこの日は単に鳴るのではなく、
メロディを奏でます。 
日本の、縁日のお寺さんの感じを思い出します。 



上の写真奥に見える、ドガーナの屋根の上の女性像。
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の東への先は、ドガーナ・税関の尖った先で、
屋根の上にこのフォルトゥーナ像。

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3人の青銅の男性が金色の球を支え、その上に彼女がいて、
手に持つ風見に従い、くるりと向きを変えます。



ゴンドラの覆いは大体ブルーや緑色なのですが、珍しく赤い覆い布を見っけ、
これも仮橋の上から。 

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後ろのライオン君のいる建物は、大運河に沿っての、ヴェネツィアン・ガラスのお店。



これは仮橋の渡った位置からだと少し西になりますが、大運河側には丸い窓が
特徴の、ダリオ邸の裏側。

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手前に見える橋が少し変わっていて、向きを変え曲がりながら降りる、というか。  
ヴェネツィアには400以上もの橋があり、様々な形がある、そんな一つ。  



このような細い路地を、ぞろぞろとたくさんの参拝人が行きかいます。  
フト目を上げると、露地の奥に丸屋根が覆いかぶさるように。

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冬が近い11月下旬ですから、既に広場は影の中。
ヴァポレット・水上バスの切符売り場も、確か臨時に設置されていたと。  
奥に仮橋が半分見えます。

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終日参拝客が賑やかに行きかいます。 
 
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これはドガーナの先まで行き、折り返しての裏側の道からの聖堂の眺め。 

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この一帯はザッテレ・筏 と呼ばれる地区で、かってはここにヴェネトの奥から
材木を筏に組み、運んできた名残の名前で、今は船の倉庫などが。



ちょっと見え難くいですが、これがゴンドラの渡し、大きな2人漕ぎのゴンドラ。  
ヴェネツィアの大運河、逆S字に流れる大運河の4箇所に、渡しがあります。 
大運河にかかる橋は、駅前と、リアルト橋と、アッカデミアですから、
ちょうどその間を埋める形で、通行人の便を図ります。

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追記: 現在は駅前から西にある憲法橋が加わり、大運河の橋は4本。



日が暮れ明かりが灯る頃になっても、ひきも切らず参拝客が仮の橋を渡ります。 
デッラ・サルーテ聖堂は、ペストの終焉を感謝して建てられた聖堂ですが、
今もこうしてしっかり庶民の信仰の対象です。

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デッラ・サルーテの冬の夕暮れ。 夕暮れの空に、鳩が、鴎が飛び交い、
やがて、ねぐらに戻るのでしょう。 寒くなりました。  私も家に。

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・ イタリアの秋 ・ スコミーゴ村晩秋 

11月も半ばを過ぎ、すっかり秋が深まりました。
いつもご覧頂いているスコミーゴ村も、様子が変わりました。

この日曜に、お天気に誘われ村を一回りして来ましたので、
深まりゆく晩秋の、村の様子をお楽しみください。


スコミーゴ村と西隣のオリアーノ村の丘の間に谷があり、林が広がります。  
逆光のオリアーノ村に霞がかかり、色が見えにくいのがとても残念。  
イタリアの村の静かな秋の色。 穏やかな陽を浴びて、広がっています。

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春にご覧頂いた時は、この谷の道脇は萌えだす緑で滴るばかりでした。
そして今、この色!  この諧調の彩り!
それぞれの色がとても深く、美しく、この谷を埋めていました。 

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イタリアの木で紅葉するのは本当に少ないので、落ち葉の色もご覧の通り。  
ベージュ、黄色、オレンジ、茶色・・。

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谷の木に限らず、殆どの木にはヤドリギが巻きつき、茂っています。
いつも重たげに葉の垂れているこのヤドリギは、根元を切られたか
少し無残に枯れていました。  お陰で、元の木が大変涼しげに。

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すぐ隣の木に、こんな簪のような実が下がり揺れていました。
きっと、花も咲いた事でしょうに、気がつきませんでした。

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土地の持ち主だったお婆さんが亡くなり、家も空き家で何年も経ちますが、
この原と、家の前の柿の木がいつもたわわに実っています。 
もったいないと思いつつ・・。

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ちょうど正午。 スコミーゴとオリアーノの教会の鐘が聞こえて。  
そこで一句。

柿熟れて 鐘が鳴るなり スコミーゴ  ・・大盗作 痴保



初秋に、たわわの葡萄をご覧頂いた畑。 
早い葡萄畑は既に剪定を済ませ、木を植え替え準備の畑も見られますが、
ここはまだ、手入れを待っています。

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葡萄畑の横にあった、細いリンゴの木が切られ、実が落ちて。
細い幹の小さなリンゴ。  既に朽ちている実も。

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一番最初にご覧頂いた林です。  少し勇気を出し、
初めて上の写真の葡萄畑の横の道を入って行きました。
今は葡萄も既にないので、畑脇の道を行くのも気が楽です。 
 
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そして、その奥に広がる美しい風景に感動しました。



なだらかに起伏する道を入って行くと、手前に広がる葡萄畑の奥に
も一つ葡萄畑があり、  2つの畑の間に広がる野原と、
丘の起伏にしたがって広がる葡萄畑。 そして林。

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雑木林なのでしょう、木の形も様ざま、色づいている色もさまざま。
緩やかに広がり、奥のオリアーノの丘に続いていました。
 
次回には、また少し勇気を出して、もうちょっと奥に行ってみよう!  



広がっている草原の草は、時々刈リ取られ、こうして保存され、
冬の家畜の食料となる、用意万端! 

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ビニールで全部包んでしまうのと、手前の様に網状のビニールで包むのと、 
どちらが美味しい?! ちょっと尋ねてみたいものですね、牛たちに。



上奥に白く見えるのが、スコミーゴ村の教会の鐘楼ですが、四角くて、
お城の物見の塔のような形で、あまり好きではありません。
裸になった木と、黄葉している木々と。 

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ちょうど広くなった空の上、裸木の上を飛行機が通りました。
ああ、いいなぁ~!   私も飛んで行きたいなぁ!!

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我がコンドミニオのすぐそば、草原が広がる方に向き、ベンチがあります。  
今は葉が落ち木陰はありませんが、夏には、よくここで人が涼んでいます。  
ベンチの足もとを見て! ホラね、よく使われているでしょう?!
 
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突然ですが・・、これはイタリアの自動車学校の教科書です。  
はい、この9月の末から通い始め、昨日16日無事、理論の試験に
パスいたしました!  いぇい! 一丁上がり!!

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これからは実技に専念して、年内免許取得に励みます。
応援してくださった皆様、有難うございましたぁ!!

注:お陰様で、目出たく12月23日に免許を取得しました。
  聞く所によると、クリスマス前はとても優しくしてくれるとかで、
  ははは、そのせいか、私の運転実技は大変簡単に素早く済み、
  皆が、えっ、もう終わり?! と驚いたそうで、きゃはは。
  でもね、免許を取ったら勝ちよね!


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・ 山村の猫 ・ 平野の猫

今日は猫日!  写真を整理していると、忘れていた猫さん達が
ひょいと顔を見せてくれ、「おお、あんた元気だった?!」という様子になります。  
今日はイタリア北東部の、山村、平野に生きる猫さん達のご紹介を。

・ スコミーゴ村の住人

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10月の上旬でしたか、我が家のテラスのまん前で悠然と寝そべり、
身づくろいしていた素晴らしい黒君。
この頃はまだ野草が咲き、緑、黄色、黒、赤と見事な調和!

でも、この黒君の飼い主は赤い首輪を選んだのは良いですが、この長さ!  
「あんたもすぐ大きくなって、ちょうど良くなるから」という意味だろうか?!  
彼は既に十分、大人に見えるけどなぁ。



・ ロンガローネの猫

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ダムからの出水に飲み込まれたロンガローネの事は先月にお伝えしましたが、
この猫さんには対岸の寂れた村で出会いました。
 
2階のベランダから世間の様子をじっくりと見下ろしている様子。 
冬の雪の深さを思わせる、木のベランダです。

ロンガローネの悲劇 ・ ダムの出水に飲み込まれた町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462861529.html

ロンガローネ、 54年前のダム出水大災害のまとめを
http://www.italiashiho.site/archives/20170727-1.html



・ コンバイの猫  

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栗祭りの村コンバイの白い美人猫。 石造りの古い家の前庭にゆったりと。
  
右側には小型犬がいて、もう訪問者に嬉しいばかりで落ち着かずですが、
私はね、余り小型犬には興味がないのでゴメンね。



・ こちらもコンバイの猫 

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この猫さんはなんと、かっては鶏小屋だったらしき場所から覗いていて、
目が会って吹きだしました! 
 
こちらも大変綺麗な猫さんですが、まぁさか、キッキリキー(コケコッコー)
とは、鳴かないでしょうね?!
  
皆さんの目が、乱視になりませんように!!



・ コルディニャーノの猫  

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我が家から東へ、水辺の町サチーレに行く途中にあるコルディニャーノ。
町ともいえない道の分岐点のような場所ですが、大きな教会があり、
その裏手の、素敵な道に沿った家にいた猫さん。
 
余り美人でなく、緊張しきっていますが、なんと名前を聞いて驚かれますな。
彼女の名前は「ミーナ」というのですよ。  歌手のミーナと同じ名!
ティンタレッラ・ディ・ルーナ!



・ こちらもコルディニャーノの猫  

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これはイタ猫というより、純粋日本猫の感じがしません?!
たまちゃん、と呼ぶと、にゃ~んと返事をしそうです。
素朴な顔の三毛ちゃんで、前髪の生え際までしっかりと!



・ アーゾロの猫

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こちらはアーゾロの町の、古道具屋さんの前の道を登っていった場所、
家の扉の前を綺麗に掃除してもらって、ゆったりと寛いでいた猫さん。
かなりどっしりとして、抱っこしたら気持ちが良さそうな彼(たぶん)。


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・ コマッキオ ・ Comacchio ・ 鰻養殖の、小さなヴェネツィア 

今日は鰻の養殖で有名な、そして町中に運河が交差し「小さなヴェネツィア」
とも呼ばれる、コマッキオにご案内いたします。
先回ご紹介したボローニャと同じ、エミーリア・ロマーニャ州のアドリア海沿岸
にあり、ポー河の三角州に近く、干拓地が広がります。 
写真は10月中頃、 お楽しみ下さい。  

絵葉書で。 干潟が広がり、水鳥たちの天国となっているようで、
左上Garzetta・ガルゼッタ・コサギ 右上Beccaccino・ベッカッチーノ・ヤマシギ
左下Martin pescatore・マルティン・ペスカトーレ・カワセミ

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下真ん中Folaga(Foraghe)・フォラーガ・オオバン
右下Avocetta・アヴォチェッタ・ソリハシセイタカシギ
日本名が分ったのは下の2つのみで、お分かりの方、お教え願います。
と書きましたら、早速、日本特派員のたっちゃんより教えて頂き、追記です。



コマッキオには車で行くには、ヴェネツィア・メストレから一路南、混雑で悪名高い
ストラーダ・ロメアを下り、ヴィザンティン・モザイクと、ダンテのお墓で有名な
ラヴェンナより北に位置します。

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我々は電車でフェッラーラまで、そしてバスで一路東に。 往きは一直線でしたが、
帰りは連絡待ちで途中で一旦降り、寒い、暗い道端で待たされました。 
うむ、やはり免許を取らなくては!



バスが停まる国道(ストラーダ・ロメア)はすぐ海端を走っていて、そこからの眺め。

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右上、海の中に見える小屋のような物から網を張り出し漁をします。
ここでは一つしか見えませんが、奥の陸線に沿ってたくさん並んでいます。



これがコマッキオの有名な、トゥレポンティTreppontiという橋で、手前側が町の
中心に続きますが、手前、横、向こう側と3方面でこの名前と。 17世紀の物。 
       
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手前の運河に浮かぶ小舟の横に見える白い看板には、「周遊無料」と書いてあり、
町の有志たちが無料で、希望者には舟で運河をご案内してくれる、という事で、 
残念! この時は申し出ませんでしたぁ。



運河のある小さな町の様子をご覧頂きますね。 「小さなヴェネツィア」と言うには
鄙びすぎた感もありますが、絵やスケッチには最適と思います。

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ここはトゥレポンティのすぐ近くで、たまに住人の車が入ってくる事もあるのですが、
のんびりしています。

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この感じが、大変好みです。 運河が曲がり、水面に建物が映ります。

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手前の橋の上からの眺め。 町を運河が蛇行し交差し、少し重たい感じの橋が
架かっているのが、お分かりいただけると。

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ここには車が写っていますが、本当に人の姿が少ないのに気がつかれたと。  
夏の観光シーズンや日曜だともっとたくさんの人出でしょうが、
10月中旬、平日で、まったく閑散としていました。

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上でご覧頂いたのは、いわば町の古い一角、運河が交差している部分ですが、
こちらは中心部で運河は通っておらず、大きく教会と鐘楼、奥がアドリア海。

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この辺りはフェッラーラのエステ家の領土で、有名な鰻養殖もエステ家の
どなたかが考案されたとかで、この平野は干拓地です。



先ほどの、古い町の運河の一角に戻ります。 国道筋でバスを降り、
町中に入ると大体この辺りに出ます。 

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運河沿いに小さなお土産の屋台が見えますが、湿地帯の葦などを使っての
野鳥の形や、籠などを作って売っています。
 
野鳥の良い形がなくて、私はつい白鳥を買ったのですが、今でも少し悔しい。 
何で、コマッキオで白鳥なんぞ! と。



上の写真の奥に小さく見えていたのが、このレストランで、これからの季節には、
ぬくぬくと、素敵で美味しいでしょうね。  

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鰻は有名で、魚屋さんでも生きているのを売っていましたが、
「鰻は、なんてったって蒲焼よぅ!! トマト味なんか喰えるかい!」と、力みます。 
だってトマト味の鰻、想像できます?!
美味しい、とイタリア人は云いますが、信じられんなぉ!!
ああ、鰻の蒲焼、食いたい! 肝吸い。  ・・食べ物の話になると、つい、力が。



係留されている大きな舟は、かって運河を伝わり、河を遡り、アドリア海沿岸から
エミリア・ロマーニャ平野、そしてヴェネト、フリウリの平野一帯に、
物品運搬に使われていた船です。

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戦後の一時期までは、まだこういう船による運搬が盛んだったようで、少し急流の所は
馬が待っていて曳いたそうです。  夫婦、家族で乗り込み、生活しながらの、
かなり激しい労働生活だった様子。



上の運搬船で、Natale・クリスマス、という名が読み取れ、今は、こうして引退生活。

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これはトゥレポンティのすぐ近くの小さな橋。

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トゥレポンティの近くに、鰻の缶詰を売っているお店があり、その店の中には、
なんと、若きソフィア・ローレンのポスターがありました!
彼女の映画の中での役の様に、干潟での大変な労働の映画、豊満な太腿を
出した姿で、この鰻の缶詰を持っているのです。

後年の洗練されたエレガントさは無く、野性味豊かな彼女の顔。
懐かしいような、見たほうが少しうろたえるような、そんなポスターでした。



海に続く干潟の運河。 短い秋の日の夕暮れ近く、霧が出てきました。

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厚い雲の中から、ちょっと陽が射し込みました。

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奥に見える斜めに突き出す2本の棒は、今日最初に見て頂いた魚網の支え棒。



アドリア海沿岸地図の絵葉書で、コマッキオの位置を探すのに、苦労しそうな! 
が、一コマ、可愛いのが載っていますので、最後におまけにね。

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・ ボローニャ ・ Bologna ・ 美食と意外性の街

今日は月一度ご登場のグロリオーザさんのご案内で、ボローニャのご案内を。  
街は、ちょうどヴェネツィアとフィレンツェの中間辺り。 コメントも彼です。どうぞ!
今回は、美食と意外性の街「ボローニャ」の紹介です。
***

ボローニャは、フィレンツェ・トスカーナの北部、エミリア・ロマーニャ州の州都で、  
私はフィレンツェから電車で行きました。インターシティで約1時間。
  
この街を表現するのに、La città Grossa Dotta Rossa と言うそうです。 
太った、学識ある、赤い街ですね。 その理由も含めて紹介しましょう。

この街で、最も印象的だったのが、このサン・ドメニコ教会です。

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1770年にモーツアルトが訪れて、パイプオルガンを弾いたところだそうですが、
右奥にある礼拝堂はイエスのフレスコ画の美しさに加えて、祭壇にはミケランジェロの
彫刻もあり、荘厳な雰囲気。
  
この日は地元の中学生の団体が見学に来て、賛美歌を歌っており、
清らかな気持ちになりました。



中心部のマッジョーレ広場にあるサン・ペトローニオ聖堂。1390年に建設が
始まりましたが、政敵だったフィレンツェの、サンタマリア・デル・フィオーレ教会
以上のものを造ろうと、大規模な計画を立て、

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16世紀にはさらにローマで再建が始まったサン・ピエトロ大聖堂を超えようとし、
結局財政難で中断して、ファザードが未完成のままです。
       
ただし、あくまでも中断で、中止ではない ところがすごい。



同聖堂内部で、全体的に赤味がかった色調が、ほんのりと落ち着いた心に
させてくれる場所でした。
  
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前文のRossaは、街全体が赤い屋根や赤いポルティコ(街路の柱廊)で
占められている事と、70年代から80年代にかけて、この街はイタリア共産党の
支配下にあり、都市再建のリーダーになっていた事などが、「赤」のイメージで語られます。


外に出ると、広場に、ジャンボローニャ作の「ネプチューンの噴水」がありますが、  
私はネプチューンよりもその下にある、おっぱいから水を出している女性像に、
目が点になりました。

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ここが市民の待ち合わせ場所だそうです。



ボローニャの「世界一」はこのポルティコです。 街中にこうした柱廊が続いており、
全体で、42キロにもなるということです。

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従って、雨が降っても傘などは必要なし。 ある場所ではこのスペースを利用して、
リストランテが営業していました。 
    
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このポルティコのすぐ近くで、昼食を取りましたが、ここエミリア・ロマーニャ州は
美食でも有名です。 パルミジャーノや、パルマハムのパルマはすぐ近くですし、
ボロネーゼスパゲッティはここが本場です。
  
私はアンティパスト・ミストで肉を選択したら、ハムが山盛りになって出てきました。
これと、ひき肉が入ったそら豆のような形のパスタ「トルテッリーニ」で、腹がパンク寸前に。
うまかったけど苦しかった(料理の写真がなくてすみません)。
こんな食事をしていたら間違いなく、Grossaになります。



1088年開学、ヨーロッパ最古の大学とされるボローニャ大学は、今アルキジンナージオ宮殿
として開放されていて、この二階にあるのが、世界初の人体解剖を行ったという解剖室です。

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女子高生らしき団体と一緒でしたが、なぜか先生の解説より日本人に興味があったらしく、
皆じろじろと私を見ていました。



解剖室近くの廊下天井です。 こんな豪華な天井を持つ大学なんて、他には知りません。  
こうした学問の歴史が、Dottaという言葉に繋がるのでしょう。

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サンタ・マリア・デッラ・ヴィータ教会という小さな教会で意外なものに出会いました。  
「死せるキリストへの哀悼」というテラコッタ彫刻群。
  
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キリストの遺体(中央下)を取り囲むように聖母マリア、福音書記者ヨハネ、マグダラの
マリアなど6人が配置され、女性たちの嘆きの身振り、表情は、これまでのどの絵画や
彫刻にもなかったような、激情があふれ出ていました。
  
特に、マグダラのマリア(右端)は、衣を大きく翻して今にもイエスに飛び掛りそう。
嘆きというより、絶叫の声が聞こえてきそうな迫力でした。 ニッコロ・デッラ・ルーカ作。  
ボローニャに行かれたら、是非是非ご覧になってください。



マッジョーレ広場近くの図書館前の壁に、数百人の顔写真がずらりと並んでいます。  
第二次大戦末期、イタリア解放の為に戦ったパルチザンが、ナチス軍によって虐殺された、
悲惨な歴史がありますが、その犠牲者の顔写真です。

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最もにぎやかな広場に、これだけの大きさで写真を掲げているのは、
その歴史を繰り返さないための、強いメッセージなのでしょう。



もう一つ、慰霊碑が駅構内にあります。

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1980年8月2日、駅待合室で右翼の爆弾テロによって多数の死者が出ました。  
その事実を決して忘れまいと、事件現場に犠牲者の名前を刻んだ、慰霊の碑が
建てられたのでした。

この中に「SEKIGUCHI IWAO 20」という名前もあります。  
早稲田大学生の彼が、旅行中にこのテロに巻き込まれたのです。



暗い話が続いたので、最後は明るく終りましょう。
聖ドメニコ教会前で出会った、イタリアの子供たち。 中学生でしょうか、
「写真を撮らせてね」というと、「プレーゴ」と快諾してくれました。

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みんな、体つきも表情も、はちきれんばかりに元気一杯でした。
  


如何でしたか、グロリオーザさんご案内のボローニャは?
私も一度だけですが、ボローニャに行った事があり、少し知っているので、
彼の写真が大変気に入りました。

大きな街、というイメージがあったのですが、調べてみると、人口は43万ほど! 
何せスコミーゴ村の住人ですから、今はどこに行っても、目が回ります!
駅トイレの個室内に、注射器回収用の箱が備え付けてあり、それだけで「ひぇ~!」と、
ひるんだ事を覚えていますし、街に物乞いの多い事にも、かなり驚いたものです。

が、毎年のイタリアの街のランキングでは必ず、ボローニャが登場、
「都市生活を楽しめる街」と、時にはトップになるほどの街です。 
いわゆる、都会らしい街 という事なのでしょう。

古いイタリアの街は、中心部の古い建物の修復が思うに任せぬと、スラム化して、
悪の巣窟と化しかねませんが、このボローニャでは、こうした中心部の古い建物が上手く、
内装のみモダンに修復され、新しく街の中心部として機能しているようです。

文中にもある通り、ヨーロッパ最古の大学が開かれた街でもあり、美食でも有名、
日本でも有名な、「絵本展」も開かれ、静謐な、白い静物画のモランディの街でもあり。

そして、長年の左派による市政から 「真っ赤なボローニャ」と。 最近一期のみ右派に
なリましたが、その後2004年から再度、左派による市政に戻っています。 
現市長はセルジョ・コッフェラーティ、チネーゼ(中国人)というニックネームを持つ
左派組合委員長出身で、現左派政権首相のプローディも、ボローニャに住んでいます。   


ボローニャの街にも、かっては運河が縦横に行きかい、カザノヴァは、この街から船で
ヴェネツィアまで行ったそう。
今日のグロリオーザさんの写真にはありませんが、この中心街に、中世の塔が
2本並んでいて、高い方の塔は97Mで、登れます。

薄暗い電気のついている塔の中、ぎしぎし鳴る梯子のような階段を、つかまりながら
ハァハァと登りましたので、次の機会には、上からの眺めをご覧頂きましょう。

市のサイトは http://www.comune.bologna.it/
     


最後に、私の大好きなボローニャ出身の歌手、ルーチョ・ダッラの「ピアッツァ・グランデ」
という、マッジョーレ広場を想わせる、歌詞とYoutubeのご紹介で終わります。

まずは、彼の写真をご覧頂いて。  ルーチョ・ダッラ ・ Lucio Dalla

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Youtubeのヴィデオをどうぞ。 イタリア各地のピアッツァ・グランデの写真と共に。
https://www.youtube.com/watch?v=flLU4H89-ok&list=RDflLU4H89-ok

ピアッツァ・グランデ

私に昼食をおごってくれる聖人達はいない
ピアッツァ・グランデのベンチの上
私ほど商人みたいに飢えている者は他にいない。
草の上で眠り、周囲にはたくさんの友達がいる
ピアッツァ・グランデの恋人たち
彼らの厄介事、彼らの愛もすべて知っている
間違っていても、いなくても。

私なりに、私だって愛撫されたい。
私なりに、私だって夢を見たい。

私の、本当の家族はいない
そして私の家はピアッツァ・グランデ
私を信じる人からのみ愛され
私ができる範囲で、愛する。
私に寛大な女は、いない
ピアッツァ・グランデで愛を掠め取る
ありがたい事に、私ほど悪いやつは此処にはいない。

私なりに、私だって愛撫されたい。
私なりに、私だって夢を見たい。
 
でも、自分の人生は決して決して変えない
私なりに、今の私は自分が望んだ自分
私を包む白いシーツは持っていない
ピアッツァ・グランデの星空の下
もし人生に夢がないなら、私が持っているのを上げよう。
そしてもう、私のような者がいないなら
ピアッツァ・グランデで死にたい
私の周りにいる、私の様に主人を持たない猫たちの間で


先年亡くなった彼の暖かい声、素敵な歌を再度聴きながら、
ちょっとこみ上げるものが。 やはり彼の歌は素晴らしい!!

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・ 栗祭りの村 ・ コンバイ ・ 山村の秋

今日は、栗祭りで有名なコンバイ・Combaiにご案内です。
春に「コンバイ ・ COMBAI ・ 山村の初夏」としてご紹介しましたが、
春の「白ワインのお祭り」でも有名。 そして「栗祭リ」でもっと有名な村! 

10月いっぱい、栗祭りのいろいろな催しが、土・日曜に開かれます。 
写真は10月下旬。 秋深まる山村の様子をどうぞ。
栗祭り・フェスタ・デイ・マッローニ、これはパンフレットの写真を。

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小さな村に不釣合いな程の大きな駐車場があり、栗祭りの期間中は
観光バスでいっぱいになります。
       
大きなテントが張られ、その中で「焼き栗」やら、栗を使ったお菓子、
また、ワインや土地の蜂蜜、ハム、ソーセージ、チーズ等も食したり、
買える様になっています。  
     
ここの白ワイン、少し酸味のある、爽やかなヴェルドゥッツォが、
今の私のお好みです。



村の教会の、ちょっと珍しいほど先の尖った鐘楼を見上げ。
  
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大きな駐車場は村の下にあり、かなりの急坂を登った所が村の中心で、
北と南の山腹に沿って、村は道の両側に広がります。  
       
写真の下右に「COMBAI」の黄色い標識があるのが、見えますか? 



イタリアでは紅葉する木は少なく、殆どがこの様に黄葉です。
この写真ではまだ緑の部分が多いですが、べージュから黄色、オレンジ、
茶色のヴァリエーションで、それなりにとても美しいものです。

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赤くなるのは蔦の葉と、そして・・、


そして柿の葉。 柿は、イタリア語になっていて「カァーキ」と発音されます。  
で店頭に並ぶのは、熟柿で、スプーンですくい、デザート感覚で食べます。

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コンバイ名物、栗の木。  たわわです!

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3年ほど前に行った時「牧場」の標識に釣られ山道を登りました。  
なんとまぁ、九十九折の山道いっぱいに栗が落ちていて、
本当に久し振りに、栗拾いに夢中になりました。

あちこちに車を止め栗拾いの人、茸とりに下を向きうろつく人。 
今、免許を取るのに習っている教科書では、
カーヴでの停車、駐車はいけない、と書いてあるけれど・・!



コンバイの村は山腹に沿ってせり上がり、登っていくと、イタリアの田舎、
山の農家の感じが、いまだに大変強く残っています。  
 
これは少し入り込んだ場所、農家の庭の端に作られていた炉で、  
炉の左にある、長い柄のついたフライパンのような物、
右の壁にかかっている同じ形の、少し小さめの物にご注目を。 
 
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穴が開いていますが、この中に栗を入れ、炉の上の火にかざして、
焼き栗をするのだそうで、ちょうど出会ったここのお婆ちゃんが、
ハスに構え実演して見せてくれました!!



約1ヶ月間の栗祭りの間にはいろいろな行事が行われ、
かっての手仕事の実演や、展示販売もある様子。

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パンフレットには、木工品製造や手刺繍等の写真、土地の物産品の
写真もあり、これは手作りの籠のよう。 
日本の様な繊細な竹細工はありませんが、それなりに鄙びた、
良い味わいのある籠を時々見かけます。



家は石造りの家をそのまま、時に少し修復しがっしりとした、古い重たい
感じの家が殆ど。 なので、壁の厚みは60センチ以上あります。
暑さ、寒さを防ぎ、防音もし、何百年、の単位で経過するのでしょう。

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珍しく紅葉が見られましたが、やはり蔦。
正面の壁は北向きで、手前のアーチをくぐった中庭は狭く陽が射さず、
壁が苔むした感じになっています。  

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イタリアでは、トンボを見る機会が本当に少なく、いつも疑問です。 
秋の赤蜻蛉、なんて見た事がありません。 
トンボは少し南方の生物なのかな?!  
       
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トンボは、リベッルラ・libellulaと、ちゃんと言葉があるのですが、
「極楽とんぼ」を自認する私としては、寂しい限り!
が、やっとこのコンバイで、一度だけ写真に撮れましたぁ。



ほうずきも、なんとなし中国から伝わった日本の物、という認識でしたが、
このコンバイでお目にかかりました。
特別丸くなく、ずんぐりもせず、適当に角ばり、いい形です。
種を取り、口の中でクチュクチュしてみたくなりました!

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村の奥、山の上の方に登って行きこの一角に。
手前のアーチの上に、修復された家があります。
壁の石積みも修復され、窓枠の木も新しいですが、石を積み上げた
古いままの形をご覧下さい。

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まさに中世からの、田舎の様子が髣髴と想い浮かびませんか?
この土地に根つき、営々と生き続けて来た様子が想像されます。



上の写真の家から、すぐ近くで見た張り出し部分。
屋根瓦も既に苔むし朽ちかけていますが、壁の石はそのまま。
こういうのを見ると、到底太刀打ちできないなぁ、と、ひるみます。
奥に見える新しい家の、なんと薄っぺらく見える事!

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上で、家庭用に焼き栗をつくる穴あきフライパンをご覧に入れましたが、
ここでは、売り物の焼き栗 を作る為の大型のドラム缶式を、
ご覧に入れます。 (写真は、コネリアーノで)

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火を焚きつけ炭を入れ、後ろに見える大きな鍋、というか、
穴あきの蓋用のものをはめ込み、栗を入れ焼きます。
この方法で、街中でも国道筋でも栗を焼き売っています。

熱々の焼き栗は甘く、結構いけます!  
家では栗のお腹にナイフで切り込みを入れ、普通のフライパンでも、
フォルノでも。
秋から冬のオヤツで、夜、白ワインと共にもいけますです!



暫く前、坂下の畑に大きなカボチャが幾つも色づいているのが見え、
写真を撮ろうと思いつつ、チャンスを逸してしまい、
ついでに同じ秋の作物関連で、
これは10月の始めですが、コネリアーノの八百屋の店先の様子。
  
飾り用のいろいろなカボチャが、大小様々色も形もさまざまなカボチャが
飾られています。

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味は、日本の物が遥かにむっちりと美味しいですが、見つけると
やはり季節味のカボチャを、食べたくなりますねぇ。  
煮付け、グラタン風、リゾットも美味しいし、ええとそれから、それから・・!!


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