今日はイタリア人作家 マーリオ・リゴーニ・ステルンのご紹介を。
私はつい先日まで彼の作品を読んだ事がありませんで、そういう名の作家が、
このヴェネトの北、アジアーゴ・Asiagoに住んでいるという事は、
私はつい先日まで彼の作品を読んだ事がありませんで、そういう名の作家が、
このヴェネトの北、アジアーゴ・Asiagoに住んでいるという事は、
この初夏にアルプス兵の全国集会がアジアーゴで開かれた時に書き、
読者のお一人からメールを頂き知りました。
それがこの11月に彼の本を贈って頂き、読むチャンスを得、そしてTVのニュースで
何度か出会うチャンスが、突然にやって来ました!
今日の写真は全てTVのニュースからで、ピンアマはご勘弁を。
読者のお一人からメールを頂き知りました。
それがこの11月に彼の本を贈って頂き、読むチャンスを得、そしてTVのニュースで
何度か出会うチャンスが、突然にやって来ました!
今日の写真は全てTVのニュースからで、ピンアマはご勘弁を。

夜のヴェネト州のニュースを見ていた時、「マーリオ・リゴーニ・ステルンが
アジアーゴを下り、マロスティカで自作を朗読する」というニュースがあり、
なんとなくボ~ッと見ていて途中で!!と気がつき、写真を撮りました。
そして以前彼のニュースを教えてくれ、彼の作品に大変感動した、
と書いて下さった方に送りました。
その時は、単に「彼を見ましたよ」という位の軽い気持ちだったのです。
作品を読んだ事がありませんでしたので。

「アジアーゴを下る」というニュースの表現は、アジアーゴがアルプスの麓の、
しかもオーストリアとの国境に近い事を示しているのですが、
マロスティカ市の要請で、彼の「レッテレ・ダモーレ・愛の手紙」という、
自然への賛歌を書いた作品を子供達に読んで聞かせた、というニュースでした。
しかもオーストリアとの国境に近い事を示しているのですが、
マロスティカ市の要請で、彼の「レッテレ・ダモーレ・愛の手紙」という、
自然への賛歌を書いた作品を子供達に読んで聞かせた、というニュースでした。
マロスティカは、バッサーノ・デル・グラッパの西にあり、2年毎に生きた人間が
駒になる、チェスの試合でも有名な、市壁で囲まれた古い歴史ある町です。
駒になる、チェスの試合でも有名な、市壁で囲まれた古い歴史ある町です。
上の2枚ともう1枚、彼の写真を送った所、大変に喜んで下さった様で、
なんと、ステルンの最新作の本を送ってくださいました!!
まさに海老で鯛を釣った感じで、恐縮しましたが、これが素晴らしい作品でした。

既に彼の作品は日本では「雪の中の軍曹」「テンレの物語」などが出版され、
お読みの方もたくさんおいでと思います。
お読みの方もたくさんおいでと思います。
この「雷鳥の森」は日本での出版は最新ですが、作品自体は40年前と
解説にあります。
解説にあります。
「戦争の記憶、森の静寂、野生の動物。 簡潔で力強い文体によるこの物語は、
今日の世界から失われつつある人生の深さと豊かさを描く。」
と帯にあり、読んで、まさに胸の奥を突かれる感覚を持ちました。
彼の住むアジアーゴの町はヴェネトの北奥、ヴェネツィアから北西に直線距離で
85キロほどで、ヴィチェンツァ県になります。
美味しい「アジアーゴ」というチーズも有名ですが、ここはまたアルプス兵(山岳兵)が
最初に結成された場所でもあるのです。
黒い羽が一本チロルハットについたアルプス兵は、第1次大戦ではオーストリアからの
独立を果たす原動力となり、また今現在もイラクに派遣され、働いています。
85キロほどで、ヴィチェンツァ県になります。
美味しい「アジアーゴ」というチーズも有名ですが、ここはまたアルプス兵(山岳兵)が
最初に結成された場所でもあるのです。
黒い羽が一本チロルハットについたアルプス兵は、第1次大戦ではオーストリアからの
独立を果たす原動力となり、また今現在もイラクに派遣され、働いています。
ここからの写真は、また別の日に放送された、彼のインターヴューの様子と共に
映ったアジアーゴの町の様子で、これは、町のドゥオモ。

こちらは、町の中心広場にドゥオモの横にある市役所で、
建物群が比較的新しいのは、戦争で大変な破壊を受けたからだそう。
建物群が比較的新しいのは、戦争で大変な破壊を受けたからだそう。

2度の大戦を経験し、この一帯アジアーゴの奥の山の中には、現在でも
当時の塹壕が残り、その写真を見せてもらった事もあります。
これはまた別の日のニュースから。 カステルフランコの町で開かれた
児童向け文学の授賞式に、審査員長としてステルンが出席していたのです。
児童向け文学の授賞式に、審査員長としてステルンが出席していたのです。

これは町の劇場ですが、小さいながらも大変美しいのでご覧下さい。
横一列に椅子が10ほど並ぶ、小さいけれど素敵な劇場がイタリアのあちこちに
あるようで、この町はまた、画家ジョルジョーネの生まれた町でもあります。
横一列に椅子が10ほど並ぶ、小さいけれど素敵な劇場がイタリアのあちこちに
あるようで、この町はまた、画家ジョルジョーネの生まれた町でもあります。
この日、審査員長で出席のステルン。 今年85歳。
出席していた子供達にせがまれサインをしている様子。

これは彼の家の壁にかかる、アルプス兵の帽子。
既にあちこち破れていますが、この帽子をかぶって彼は戦争に行き、ロシアから敗走、
そしてオーストリアの捕虜収容所からの脱出と共にあった帽子なのでしょう。

「あの年、1945年に、生き残った者たちが帰ってきた。
あたかも秋の夕暮れに羊が、牛が、山羊が、家畜小屋へと群れをなして、
あるいは一頭で帰ってくるように、
ドイツから、ロシアから、フランスから、バルカン諸国から、
戦争が連れ去り、生かしておいた者たちが帰ってきた。
・・・わたしはオーストリアから徒歩でたどり着いた。
おりしも山は春だった。」
『オーストラリアからの手紙』より
アルプスの麓に広がるアジアーゴの平野の様子。
奥にひときわ大きく白い四角に見えるものは、戦没者の慰霊碑。

ヴェネト一帯からフリウリ州にかけては第1次大戦中は大激戦地で、
アジアーゴからアルプスにかけても大変な戦死者が出ました。
そして、日本での戦没者への対応と、かなりの違いを感じます。
アジアーゴの風景。

「いくつもの季節が過ぎた。渡り鳥たちは去ってはまた戻ってきた。
山ではモミがゆっくりと育っていった。
・・・世界ではさまざまな事が起こった。
・・・だが大地の上では、同じことが変わることなくくりかえされている。
日が昇り、日が沈み、穀物が実り、雪が降る。
森のそばの小さな家の中も相変わらずだ。
冬は木の桶を作り、夏は大地を耕し、木を伐リ、秋は猟に出る。
ずっとずっと昔と同じように。
これから先もずっとずっと変わることなく。」
『アルバとフランコ』より
彼のインタヴューがあったようで、ヴェネトの夜のニュース特集でその要約編を。
85歳とはいえ大変お元気そうで、今世紀になって既に3冊の本が出版されたと。

インターヴューの様子。

「犬に泣くことができるとしたら、なおも食い下がりながら
フランコは泣いていた、と私は思う。
彼が立ち止まった場所には脚の傷の赤い血の跡が残り、
草の葉や森の低い枝は、涎で濡れていた。
・・・ピエーロはウサギを切り開いた。 心臓と肝臓を取り出した。
フランコの傍らに膝をつき、まだ生暖かい心臓と肝臓を切って、
切れ端を少しずつ口に入れてやった。
頭を撫でてから、黙ってハンカチで犬の目を拭き、脚の血を拭った。
胸の奥底から何かが、口では言えない何かが、
人間に対してさえめったに抱くことのない想いが、こみ上げてくるのを感じた。」
『アルバとフランコ』より
朝から日暮れまで、大ウサギを追いかけ、遂にしとめる猟犬を描いた一節。
衒いの無い、すっと心にしみ込んでくる・・。
動物との関わりに、胸が痛くなり涙がこぼれました。
衒いの無い、すっと心にしみ込んでくる・・。
動物との関わりに、胸が痛くなり涙がこぼれました。
如何にも、雪深い土地の山小屋風のお家。

「ある晴れた冬の午後のことだった。
暖炉の中でブナが赤々と燃え、冷気がガラスの表面に幻想的な模様を描き、
そのアラベスクを透かして、
すっぽりと雪をかぶった森と、岩場に降り注ぐ陽の光が見えた。」
『星月夜のキツネたち』より
暖炉の中でブナが赤々と燃え、冷気がガラスの表面に幻想的な模様を描き、
そのアラベスクを透かして、
すっぽりと雪をかぶった森と、岩場に降り注ぐ陽の光が見えた。」
『星月夜のキツネたち』より
書斎の様子。

「わが友はビールの入った桶を手に戻って来た。
その後、世界のあちこちを巡ってビールを飲んだけれど、
これにまさるものは誓ってなかったし、残念ながらこれからもないだろう。
・・・ 列車が止まっているあいだ、彼もとどまった。
わたしは桶に口をつけて彼のビールをあおり、
彼はわたしの煙草を吸いつづけた。
ポーランドのこと、ドイツ兵のこと、自分の家族のこと、
どのようにしてビール作りに成功したか、
食料不足と飢えについて、
鞭打たれながら働くユダヤ人たちの存在について、
彼は語って聞かせた。」
『ポーランドでの出会い』より
書斎で。

「だがこの夜、ひとり眠らぬ者がいた。
・・・生まれて初めて、貧しい者たちの運命に、
貧しい者たちに殺し合う事を強いる戦争というものに、
想いをめぐらせ、自問した。
『この汽車に乗っているおれたちのなかで、帰れるのはだれだろう。
何人の同郷の人をおれたちは殺す事になるのだろう。 そして、なんのために』
同じ世界に生きているわれわれは、だれもがみな同郷の人なのに。」
『ポーランドでの出会い』より
多分これが、彼の世界の出発点なのでしょう。
追記:マーリオ・リゴーニ・ステルンは、この2年後の2008年6月16日87歳で
亡くなりましたが、そのニュースは、近親者によるお葬式が済んだ後に
報道されるという、如何にも人柄を語る有様だったのを記憶しています。
本を送って頂き、彼の作品に触れるチャンスを得た事、そして同じヴェネト州
という事で、彼の晩年の姿、様子を近しく知るチャンスがあった事は、
私にとって大変嬉しい事でした。
彼の真摯で、衒いのない率直な語り口は、こうしてほんの少し読み返すだけで、
胸の中に熱い思いを呼び起こします。
作品のみでなく、素晴らしい方だったろうと確信しています。 2018.12.5
胸の中に熱い思いを呼び起こします。
作品のみでなく、素晴らしい方だったろうと確信しています。 2018.12.5
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