・ イタリアの夕陽 ・ あちこち 

今日は「イタリアの夕陽」と題し、他の方にもご協力いただき、
素晴らしい、イタリア各地の夕陽をお届けです。

★ miccionさんの、ローマの夕陽
ローマの町をウロウロしていると「オヤ?」とか、「へぇ~、あんなのもやってるんだ」
とか、「行ってみたいけど何処なんだろうなぁ?」と思わせられる物体が
見えることがあります。
特に晴れている日には、ハタから見ていて本当に気持ちよさそう…。
その物体の正体は、気球・mongolfieraです!

ローマの夕陽・気球からの眺め。
サンピエトロ大聖堂が…夕日に染まって、そしてローマ全体が…

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ああ…ローマが夕日に溶けて行きます。

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miccionさんの気球体験、夕日に向かって吼えろ!(@ローマで気球体験)
http://sorelle-f.jugem.jp/?eid=203



★ jamartetruscoさん トスカーナの黄昏 
イタリア語で黄昏のことを、Crepuscolo・クレプスコロと言う。
大好きな言葉である。  この時期の黄昏時の美しさ。
 
夕食をテラスで食べる時、まだ日の光の残る大気の中で夕焼けにそまる空。

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ロンドーネ・Rondone(アマツバメ)が空から急降下でとびかう瞬間。

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jamarteさんのブログ、トスカーナ「進行中」 In Corso d'Opera
はこちらに。  http://jamarte.exblog.jp/



★ グロリオーザさん  夕景・ローマ、そしてプロチダ島
毎月素晴らしい写真を見せて下さっている、グロリオーザさんの3点。

ローマ・サンタンジェロ橋・ベルニーニ像のシルエット。

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プローチダ島で教会のお祭りに出会い、万国旗がたなびいているシーン。

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トンネルから見た地中海の黄昏。

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★ shinkai  スコミーゴ村の冬の夕陽 
皆さんの今日の写真は、かなり静寂なイタリアの夕陽なので、
私は思い切って、胸の騒ぐような夕陽をごらん頂きますね。

オリアーノの丘に陽が沈む。 雲が騒ぎ、赤く染まる刻。

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スコミーゴ村の教会が、影になる刻。

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陽は遥か彼方に・・ 沈静に向かう刻。

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我が胸のもゆる想いにくらぶれば 煙は薄し さくらじまやま ・・吉井勇

・*・*・*・

夕ぐれの時はよい時。
かぎりなくやさしいひと時。

それは季節にかかはらぬ、
冬なれば暖炉のかたはら、
夏なれば大樹の木かげ、
それはいつも神秘に満ち、
それはいつも人の心を誘ふ、
それは人の心が、
ときに、しばしば、
静寂を愛することを、
知っているもののやうに、
小声にささやき、
小声にかたる……

夕ぐれの時はよい時。
かぎりなくやさしいひと時。

若さににほう人々の為めには、
それは愛撫に満ちたひと時、
それはやさしさに溢れたひと時、
それは希望でいっぱいなひと時、
また青春の夢とほく
失ひはてた人々の為めには、
それはやさしい思ひ出のひと時、
それは過ぎ去った夢の酩酊、
それは今日の心には痛いけれど
しかも全く忘れかねた
その上(かみ)の日のなつかしい移り香。

夕ぐれの時はよい時。
かぎりなくやさしいひと時。

夕ぐれのこの憂鬱は何所から来るのだらうか?
だれもそれを知らぬ!
(おお! だれが何を知っているものか?)
それは夜とともに密度を増し、
人をより強き夢幻へみちびく……

夕ぐれの時はよい時。
かぎりなくやさしいひと時。

夕くれ時、
自然は人に安息をすすめるやうだ。
風は落ち、
ものの響きは絶え、
人は花の呼吸をきき得るやうな気がする、
今まで風にゆられていた草の葉も
たちまち静まりかへり、
小鳥は翼の間に頭をうづめる……

夕ぐれの時はよい時。
かぎりなくやさしいひと時。
      
・・ 堀口大学

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・ ドナウの真珠 ・ ブダペスト・Budapest 

今日は月1登場のグロリオーザさんに、「ドナウの真珠」と呼ばれる、
ハンガリーの美しい首都ブダペストをご案内して頂きます。

ご存知の通り、ハンガリーは東欧圏になりますが、大変な多民族国家で、
オスマン帝国統治下に、オーストリアのハプスブルグ家の統治下にも置かれ、
なかなかのみ込めない程の、変遷の歴史を重ねた国のようです。 
「ドナウの真珠」の呼び名に恥じない、美しい街並みの様子を、
素敵な写真と、コメントでどうぞ。
***

今回はハンガリーの首都・ブダペストの紹介です。
ハンガリーの国旗は上3分の1が赤、真ん中が白、下3分の1が緑と、
イタリアの国旗を90度左に回した色分けになっています。
ちなみに赤は尊い血の犠牲、白は清らかな国民の心、
緑は希望を象徴しているのだそうです。
 
イタリアとどう関連しているのでしょうか。 イタリアは、もちろん赤がトマト、
白がモッツァレッラ、緑はバジルの色ですよね?! 
(皆さん、ご存知でした?!・・shinkai)

ブダペストの街は中央にドナウ川が流れ、西側が王宮等があるブダ地区、
東が商業の中心ペスト地区と分かれています。

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両地区を結ぶ鎖橋は、1849年に国民的英雄のイシュトバーンによって
建設されたもので、優雅な姿を誇っています。
この写真は、ブダ側からペスト側を俯瞰したものです。



街の両側を繋ぐ鎖橋です。 橋の両端に2頭ずつのライオンが、
にらみを効かせています。 

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ヴェネツィア・サンマルコのライオンと、どちらがよりカッコいいでしょうかね。
この橋も、第2次世界大戦時にはナチスドイツに破壊され、
1949年に再建されましたが、1956年のハンガリー動乱では、
ソ連軍の戦車に蹂躙されました。 
1989年、社会主義との決別の時は、市民が赤白緑の三色旗を掲げ、
この橋に集結した歴史的な場所でもあります。



ドナウ川を挟んでペスト側にある、ネオゴシック様式の国会議事堂です。

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夜見ると見事にライトアップされ、ドナウに光が反射して幻想的です。

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ブダ側には、漁夫の砦といわれる変わった砦があります。
古そうに見えますが、出来たのは1905年。
中世に市民軍が外敵から王宮を守った時に、ドナウの漁夫たちが
ここで敵の侵入を防いだことに由来する名前だそうです。

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王宮付近の広場。 バックの塔は、マーチャーシュ教会です。
この教会はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフが、妃のエリザベートと共に、
ハンガリー王としての戴冠式を行った場所です。

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この時演奏された「戴冠ミサ曲」は、リストが作曲し自ら指揮をしたそうです。
エリザベートは、ハンガリーの民族衣装を着て式に臨みました。

その後もしばしばブダペストに滞在した彼女は、その絶世の美貌と共に
市民に愛され、今でもエルジェーベト橋、エルジェーベト広場など、
地名としても残されています。 
ちなみにエリザベートは身長173cm 体重48kg ウエスト50cmだったとか。



ペスト側にある中央市場の風景。 奥に山積みになっている
黄色いのはパプリカです。ハンガリー料理には、代表的なグヤーシュを
始めとして、いろんな形でこのパプリカが使われます。

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国会議事堂近くに戻った所にこんな像があり、この人はナジ・イムレ。 
ハンガリー動乱の際の首相で、ソ連軍に逮捕され、秘かに処刑されたと
いわれています。

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戦後復権し、議事堂を望む場所にこの像が建てられました。
ちょっと哀愁を帯びた表情をしていました。



ブダペスト西駅。 ここから国際列車が発着しています。  
モダンな建物は、エッフェル塔を設計した会社によって建てられたそうです。

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右側の棟にはマクドナルドが入っていて、「世界で1番美しいマクドナルドの店」
といわれますが、生意気に、室内の写真撮影が禁止になっていました。



ロバート・キャパの家。 実はキャパは、ここペストの生まれです。 
彼の伝記で「ヴァーロシュハーズ通り10番地とビルヴァックス小路の角」
という住所をみつけ、尋ねていきました。 

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が、その付近で何人に聞いても「ロバート・キャパ」という名前を知らないので、
よくよく調べたら、彼は本名が「フリードスン・エンドレ」で、
パリなどで活躍していた時代は、ハンガリーは共産圏になっており、
別世界の人だったようです。 
今でも生家には、何の表示もなされていませんでした。 
キャパはこのアパートの3階に住んでいたようです。



最後は美しい光景で終わりましょう。
夜のライトアップは、王宮と鎖橋を優雅に照らし出し、ドナウの悠久の
流れに光が揺れます。 「ドナウの真珠」と称される典型的な風景です。

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ハプスブルグ皇帝妃 エリザベス(シシー)

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***

如何でしたか、グロリオーザさんの「ブダペスト」のご案内は?
広い、雄大な空の下に広がる美しい街、というイメージですね。

遠く離れた街という感じでしたが、改めて地図をみましたら、
なんと、ウィーンからわずか東南東へ250キロ足らず!
距離的に意外と近いのにおどろきました。

グロリオーザさんは、プラハからJALのユーロバスで行かれたとの事。
バスには日本人のガイドが添乗、途中スロヴァキアで2時間程の
自由時間があり、都合7,8時間で到着。1日の内に3カ国の経験!

ウィーンからブダペストを抜けたドナウ川は、一路南下し、
セルビア・モンテネグロの国から東へ、そして遥か黒海に注ぎます。

「シシー」と呼ばれて愛された、美しいエリザベス皇后。 
実の叔母でもある姑との確執は有名ですし、ハプスブルグ家の
ラスト・エンペラーでもある夫フランツ・ヨーゼフ。 
彼は、従妹でもある彼女に我を忘れるほどの恋をし結婚。 が、
跡取りになる筈の唯一の息子は、男爵令嬢とウィーンの森で心中。
 
甥が皇太子となったものの、サラエボで殺害。 これが、
第1次大戦の引き金となり、イタリアはオーストリア統治から独立。
  
皇帝の弟のマクシミリアンは、イタリア・トリエステにある
ミラ・マーレのお城からメキシコに行き、皇帝となるものの、
かの地でわずか3年後に革命の為、銃殺刑。 
シシーも、スイスで暗殺されるという運命で、「呪われた王家」とも。
  
そしてこのブダペストでは、ナチの占領下で、
以前ご紹介したイタリア人ジョルジョ・ペルラスカが、5000人を超す
ユダヤ人を救助したのでした。 
ユダヤ人がこの街で受けた扱いについては、映画「ミュージック・ボックス」
にも描かれていましたが、このドナウ河が血で赤く染まった、程と。

ロバート・キャパ。 スペイン市民戦争時のすさまじい迫力の写真、
そして、ノルマンディの連合軍の上陸写真で一躍有名になりました。
彼の自伝「ちょっとピンボケ」にも描かれた生き様に憧れ、
死と背中合わせの戦争写真に魅せられ、その後何人の若いカメラマンが
戦場に散った事でしょうか。  
彼自身も、インドシナで行方不明となりました。 

ヨーロッパの古い街には、幾つもの歴史がまつわり、重なり、
そして必ず、それを知らぬげに滔々と流れる大河の姿がありますね。
今の時代に生まれ、生きれる幸せ、 そして
こうして遠い街を楽しめる幸せ、  感謝!!

ドナウ河が注ぐ黒海の南西には、イスタンブールが位置します。
今、ここの写真もお願いしている方がありますので、近々にご案内を!   
お楽しみにどうぞ。

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・ ヴェネツィア ・ 水に揺れて 

今日は、久し振りにヴェネツィアの写真をご覧頂きます。
「橋のある風景」にしようかと一瞬考え、少し纏め始めましたら、
ワァ、ものすごい量になりそうです。  ならば路線変更。

橋も写ってはいますが、「水に揺れる風景」に絞りました。
場所の特定は、お許しを。 
ヴェネツィアには400以上もの橋があるそうですからね。
季節、住所共に不定で、お楽しみ下さい!!


フォンダメンタ・ヌオーヴェ近くの余り観光客も通らず、地元の人が多い一角。
陽が傾き、光と影がくっきりとする午後遅めの刻。

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アッカデミア美術館から、ヴェネツィアの街を西回りに駅に向かう道筋の、
サン・バルナバ教会の手前辺り。
この場所の写真は、あちこちでよく見かけます。

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リアルト橋の近くのような記憶があり、サンタ・マリア・デイ・フラーリの近くの気も。
記憶も揺れます・・!

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国鉄のサンタ・ルチーア駅から、東回りにリアルトに向かいすぐ近くの場所。  
水に映る真ん中の建物にある橋が、リアルト方面に続いていたと。

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この細い運河が南に行くと有名な溜息橋に。

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この裏辺りで一度偶然に、大変鄙びて寂れた一角に出会い、辿っていくと
サン・マルコに出たのですが、その後どうしても、同じ場所に行きつけません。  
ヴェネツィアは、懐が深く・・。



サン・ポーロ近く。
ここも裏通りの運河で、少し不思議なイメージの漂う場所。

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運河の奥に、高い位置の橋があり、その場所にも興味が惹かれたのでした。 
プロが写したその橋の写真も見ましたから、
どうやらここの不思議さは、私だけが感じたのではないようです。



カンポ・サンタ・マルゲリータから西に行くと、少し下町の感じが漂い、
庶民的なイメージが濃くなりますが、これは、その辺りだった様な。

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ムラーノ島、ブラーノ島への連絡が出ているフォンダメンタ・ヌオヴェから、
アルセナーレ・造船場に辿ってくると、この運河の横を通ります。

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アルセナーレは海軍が使っていて見学できませんが、正面にはたくさんの大小様々、
いろいろな表情のライオンの石像が並んでいて、笑える顔もあり楽しめます! 
     


これは完全に住所不定!  
リアルトを北に渡り、少し北に進み東に入った辺り、という気もしますが・・。

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こんな風な小さな橋が次々と運河を越え、細い小路が建物の間を辿り、
迷路の様に続きます。 観光客はめったに通らず、地元の人だけがすぅっと、
両手を広げると届きそうな小路を行きます。



フォンダメンタ・ヌオヴェ近く、最初の写真の横側。 

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何度も、すぐ近くを通っても、時に驚くような場所に出会えるのが、
ヴェネツィアの面白さ、奥深い所。 光と影が繰り広げる、面白さも手伝い。


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・ ポルトブッフォレ ・ Portobuffolè 中世に栄え、今は眠る

今日は中世からリヴェンツァ川の港を利用し一大商業中心地として栄え、
が今は川の流れもなく、静かな畑の中の小さな町として、
一見何も特別な事のないような、ポルトブッフォレのご案内です。

ですが町は、ダンテの「神曲」にも登場する中世の著名な人物の歴史ある町
でもあり、中心のすぐ外には、有名な素晴らしいホテルもあります。

写真は町の北の、フリウリ門。

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写真にサイト名のあるのがshinkaiの撮ったもので、そうでないのは
I Borghi piu` belli d'Italia と、Marca Trevigianaから。



ポルトブッフォレはどこにあるか、地図をどうぞ。
下左にトゥレヴィーゾ・Trevisoが見え、ここから北東にオデルツォ・Oderzo
そしてポルトブッフォレ・Portobuffolèです。

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ヴェネトとフリウリの平野の境に位置し、ポルト・港と町の名に付くのはなぜか?
それは町の東に見えるリヴェンツァ川がかっては町を通り、川の港として海に続き、
ヴェネト各地からの穀類、塩の一大商業地で、税関もあった歴史に因ります。



上でもご覧頂いた町の北にある、フリウリ門。

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ヴェネツィア共和国崩壊後フランス領、オールトリア領となり、第1次大戦で
オーストリア軍が引き上げる際に、もう一つあった大きなトゥレヴィザーナ門は
破壊され、今町の大きな門はこれ一つ。

この橋の下をかってリヴェンツァ川が流れ、海に、ヴェネツィアに続いていたのですね。
度重なる洪水で、遂に20世紀の始めに川の流れが町から遠ざけられ、
今は草原に。



門から入った所、ここがヴィットリオ・エマヌエル・セコンド広場。 この周囲に
かっての公的機関の建物、ドゥオモ、市の塔のあるカーザ・コムナーレがあり、

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そして写真の左手に、最初はユダヤ人のシナゴーガで、後にドゥオモに変った、
珍しい例の教会があります。  後ほど写真を。



カーザ・コムナーレ・Casa Comunale.市役所と、市の塔。
写真の左下に少し見えますが、大きなアーチの広いロッジャが一階にあり、
フォンダコと呼ばれる大きなサロンは穀類や、塩の貯蔵所として使われていたそう。
    
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後に見える塔が市の塔で高さ28m。 かっては7本あった町の塔の最後の塔。



カーザ・コムナーレの壁。
上の写真にも見える壁ですが、これは2006年版からで、壁は最近修復され、
美しく蘇ったようですね。  

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説明には、正面に見えるのは16世紀の行政長官の紋章と碑文とのこと。



モンテ・ディ・ピエタ(公設質屋)のドアの上に、よく見るヴェネツィアのライオン君
ですが、これは珍しく、怖ろしげな様子をしています。

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「レオン・イン・モエーカ・Leon in Moeca」と言うのだそうですが、調べても意味が
分りませんでした。 どうやら戦争の時代を現しているとか

追記:分かりましたです。 「有翼のライオン」はサン・マルコのシンボル、そして
   ヴェネツィア共和国のシンボルとして用いられていますが、
   この「レオーネ・イン・モエカ」のモエーカは丸の事で、ヴェネツィアの
        美味しいカニの事をモエーカと言いますが、まだ食べた事なし、残念、
   要は丸い蟹の様子から、この絵柄の事も言うのだそうで、
   これは公共建物などに使われた物なのだそう。2018.11.20



正面が元ユダヤ人のシナゴーグで、16世紀にカトリック教会に変えられたもの。  

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この元になったエピソードは、町の年少の少年が行方不明となり、その罪を
負わされてユダヤ人3人が火刑になった事件で、
それ以前はこの町で広く商業に携わり、高利貸し等を営んでいたユダヤ人達が、
これを機にゲットーに押し込まれ、財産没収、シナゴーグも閉鎖となったと。



ガイアの家。 ダンテの「神曲」第16章に詠われたガイア・ダ・カミーノ・
Gaia da Camino(1270-1311)が、従兄弟のトルベルト・
Tolberto da Caminoと結婚、ポルトブッフォレの領主となった夫と共に住んだ家、
ちょうど真ん中に見える、赤い碑文の出ている家と。

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14世紀の素晴らしい邸宅で、この町に文化と芸術を運び小さな宮廷を作り、
最初の女性詩人の一人でもあったそうで。  残念ながら、彼女の持ち込んだ
太陽の光は長く続かず、1311年41歳の短い生涯を閉じたと言う事で。

ガイアの家は、壁全体が素晴らしいフレスコ画で飾られ、いかにも宮廷風な
優しい雰囲気に包まれていて、TVで一度見た事がありますが、美しかった。



そしてガイアの家から正面に見える市の塔。 時計の右上に窓が見えますが、
かってはここに穴が開いていて、死の宣告を受けた罪人は、鐘の鳴るのを合図に
この穴から下の監獄に突き落とされたのだそうです。 
美しさとは裏腹な、真実の歴史。

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この建物がなんという建物か、特定できませんでしたが、かっては町中を運河が
通っていたようで、それに面していた建物だそう。

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運河は現在すべて道に埋め立てられていて、かってはちょうどヴェネツィアの様に
運河脇にフレスコ画装飾の家々が並んでいたのでしょうね。



かってリヴェンツァ川の流れていたフリウリ門の外側、草原になっている場所で、 
写真はどうやら、毎年6月最初の土曜日曜にある「13世紀のポルトブッフォレ」
というお祭りのようですね。  

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競馬や、中世の夕食会、時代衣装の行進なども行われる様子で、  
町広場でのコンサートや、骨董市でも有名な町です。

**
  
一度も旅をした事がなかった。  
ただ一度自転車に乗って、明け方に、
名前を「ポルトブッフォレ」という村に着いた。
名前を住民から聞き、海の近くかと驚いて、走り去った。

少し後、大きく曲がった水の無い橋の上で止まり、周囲を見渡した。
港も、海もなく、いろんな種類の草の生えた広い草原があり、
刈り取るほどの草で、地平線が、嵐の緑がかった色で光っていた。

多分草原は、遠い本当の海に続くのだろう。
傾いて先の尖った鐘楼が、雨の帯の中に浮いていた。

どこに港があったのだろう?  海はどこに?
この質問が、答えがないままに、しばしば記憶の中に浮かんだ。

畑の土の上に座り、タバコをすいながら、
ポルトブッフォレについて考えた。
 G. Parise - Sillabarrio-Einaudi



町の外れにある、ジュスティニアン邸・Palazzo Giustinian、
17世紀のヴェネツィア貴族の館で、今は修復され、素晴らしいホテルに。  
サイトはこちら。 http://www.villagiustinian.it
       
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ジュスティニアン邸、内部。
もとは田舎での滞在目的に作られたヴェネツィア貴族の館で、

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如何? 本館でのお泊り、少しお安い別館と両方あるようです。


かっては大いに栄え、今は半分眠っているような、ヴェネト田舎の小さな町。
そんな小さな町が殆ど知られずに、あちこちにあります。  
その辿った歴史を少し知ると愛おしくさえ感じ、とても好きになります。
皆さんにほんの少しでも知って頂きたい、そう願っています。  


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