・ ウンブリア陶器の町・ デルタ、グアルド・タディーノ、グッビオ・・

今日はウンブリア紀行の第2回として、手工業の盛んなウンブリアにあって、
世界に知られた陶器の町々、デルタ、グアルド・タディーノ、グッビオ、
オルヴィエートをご案内です。 
 
先回のアッシジ同様、DeAgostino出版の旅行雑誌
「ウンブリア・緑の魂」からの記事、写真でご紹介です。 ではどうぞ。

ウンブリアはイタリアのどこにあるか、はい、この赤い部分がウンブリア州。

1-1301_sh01_t_t.jpg

こうして見ると、ほぼイタリア半島の中央部にある事が分り、
「ウンブリアはイタリアのハート」とも呼ばれます。

左上隣がトスカーナ州、左下隣がラツィオ州で首都ローマが。



もう一つ、ウンブリア州の地図を。
ほぼ真ん中にペルージャ・Perugiaがあり、今日のデルタ・Derutaはその南、
グッビオ・Gubbioは北北東、グアルド・タディーノ・Gualdo Tadinoは北東に。 

2-3751_t_t.jpg

アッシジ・Assisi、オルヴィエート・Orvieto、スポレート・Spoleto、
ノルチャ・Norcia など、囲いましたので位置を確かめて下さいね。



世界中にその名を知られるデルタの町。 手作り陶器の歴史は古く、
8世紀に遡ります。 

3-0553_t_t.jpg

周辺の丘から良い粘土が採取された事から始まり、中世においては
ヨーロッパ中の貴族の館、テーブルを飾りましたが、当時は、単なる職人の
手工業ではなく、芸術と同じ位置にあったとか。



町には幾つもの、手作り、手描きの陶器工房があるそうですが、
これはマヨリカ焼きの工房。 この雰囲気、素晴らしいでしょう?

4-0450_sh01_t_t.jpg



デルタには陶器博物館があり、16~18世紀にかけての芸術的な作品が
多数収集され、展示されているとの事。 
 
6-0239_t_t.jpg

5-0239_t_sh01_t.jpg      

最初は素朴な形、デザインで始まった物が、イスラムの図柄の影響も受け、
複雑に、動植物の柄も入り込んできたのだそうで。



こういった人物像の入ったもの、名画の中の人物像であったりを見かける事も
多いですが、絵として見ると、納得できる物がなかなかで。
が、これは素晴らしいですね。 

7-0239_sh01_t_t.jpg

8-0239_sh02_t.jpg

縁の柄が同じですから、何かのセット物の一部だったのでしょうか。
  
よく使われた色は、緑青色、オレンジ、コバルト・ブルー、との事。



グアルド・タディーノ。 町を見下ろす中世の要塞は現在市の博物館に。
やはりここも周辺からの豊富な粘土の産出があり、中世において既に評判の
陶器の町でした。 

9-1050_t_t.jpg
 
そして19世紀、忘れられていたマヨリカ焼きの「光を反射する」手法を、
高い技術で復活させ、現在世界中に評判を取っている、との事。



グアルド・タディーノの工房の様子。 手描きで、模様がやはりイスラムの影響
を受けた植物柄。 こういう作品はすべてろくろ製作で、焼きは木を燃やす窯と。

10-0143_t_t.jpg



マヨリカ焼きの陶器製作の様子を現した陶板。 多分、工房・店の表にあるものと。
伝統の一点物、床や壁のタイル、飾り皿、観賞用を兼ねた食器等が評判との事。

11-0342_t_t.jpg



山の中腹にかけて広がるグッビオの、町の感じが良く出ている写真を。

12-4938_t_t.jpg

狭い道の両側にこうして家が立ち並び、道は上がり下がり。
たくさんの店先に陶器が並び、観光客が品定めをしつつ、時に陶板に書かれた
警句を読んで、大笑いしていたのを思い出します。

どんなのか、って? 「家のパパは、トイレの中でのみ王様」とか、
「夜はライオン、朝は兎」とかね。 ホラ、洋の東西一つも変わりませんね。



グッビオの町の壁ですが、こんな風に、ウンブリアのあちこちの町で陶器が店の
表にかけられ売られています。 アッシジでもペルージャでもご覧の方も多いと。

13-0735_t_t.jpg

色も形も良く見るものですが、真ん中の下のテラコッタ風のものは、
「猫注意」「犬注意」の陶板です。 猫、犬の親子で、恐くはありませんね。



金色燦然たるオルヴィエートのドゥオモは余りにも有名ですが、その周辺の、
アーチをくぐりながら広がる小路をたどると、こんな風に店が並んでいます。 
古い印刷物の復刻版、陶器、人形、等など。
       
14-1759_t_sh01_t.jpg

ここもエトルスクの町で、小高い山の上に広がり、地下にもう一つの町があります。 
昔は作業場に使われたり、備蓄場所であった様で、ガイド付きで見学そう。



オルヴィエートのドゥオモは、余りにも正面は金ぴかで、晴れやかで華やかで、
なので、私の好きな側面の縞柄をどうぞ。 ドメニコ会派独特の縞柄だそうで。

15-1701_sh02_t_t.jpg

異端宗教裁判ではドメニコ派が大活躍したそうですが、そんな内の熱狂的な激しさも
秘められている様で、この縞柄、大好きです。


*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。

・ モンタニャーナ ・Montagnana・ 市壁と塔、生ハムとパリオ 

今日はモンタニャーナ・Montagnana、パドヴァから南西に46kの、
周囲を市壁に取り囲まれた中世以前からの町にご案内です。 
 
周囲を囲むこの市壁にはなんと24もの塔が今も聳えていて、 
そして町は、生ハムとパリオ(競馬)でも有名の様子。 ではどうぞ!

まずは地図を。 字が小さいですが、一番右端にヴェネツィアがあり、
そして西にパドヴァ、そこから南に下りモンセーリチェ、(ご案内済み)
そしてモンセーリチェから西に向かう道に、中世のお城が続きます。

1-5251_sh01_t_t_GF.jpg

まずエステ・Este そして今日ご案内のモンタニャーナがあり、
もっと西にベーヴィラックワ・Bevilacqua、ここは行った事がありませんが、
素敵なお城があるようです。 そしてもっと西にマントヴァ・Mantovaが。
ベーヴィラックワから北にソアヴェ・Soaveが見えますが、
ここも白ワインと、お城で有名です。


市壁の雄大さをガイドブックから。 すごいでしょう?!  
この市壁の写真は実際はもっと横長だったのですが、余りにも細長いので
少し切りました。 こんな市壁がぐるっと町を囲んでいるのです。 

2-4730_t_t.jpg

9世紀から10世紀頃のものと言われますが、そんなに高くも厚くもなく、
その事からも建設された時代が分ります。
左奥に見える塔は高さ38メートルある最高のもので、この下にお城が。


サイトにある町の航空写真を見ると、町はちょうど長方形の形で、
その周囲を壁が取り囲んでいるという様子で、大きな門は4つあり、
それぞれの辺に一つずつ、車が通れるのはこの4門のみで、
他は人が通行できるだけの小さな門、と言うか、出入り口があります。

3-3924_t_t_GF.jpg

中世の人々の市壁に護られ、そして規制されていた日常生活が偲ばれます。  
市壁の外はこの様に草原になっていて、今は細くなった堀も。



4つある門の1つ、ポルタ・ヴィチェンツァ。 
町の門には、道が向かう町の名が冠されていて、ここからヴィチェンツァに向かい、、
またヴェチェンツァからの旅人は、この門から町に入った事でしょう。

4-2758_t_t_GF.jpg



上のヴィチェンツァ門を内側から見た様子。  
一番上の階は見張り所、真ん中の階は駐屯所というか、兵士達が寝泊りして
いたのかも知れませんね。  
実際、現在ちゃんと家に修復されているらしい塔も見かけました。

5-2845_t_t_GF.jpg

  

町の中心にあるマッジョーレ広場で、周囲を由緒ありげな建物が囲みます。
写真の真ん中に見える中世風の大きな建物ですが、古い建物が上手く保存され、
修復され、「預貯金銀行」として使われていると。

5-3155_t_t_GF.jpg

所がなんと、これは20世紀初頭に建てられた「中世風建物」である事を、
ガイドブックで知りました! やはり、しっかり読まねばなりませんね!!



こちらは広場の西側に立ち並ぶ建物群、殆どが17~18世紀の建物との事。
広場はグレーの石に白い石の線で、ちょうどヴェネツィアのサン・マルコ広場
を思わせるような、デザインが施されています。 

6-3644_t_t_GF.jpg  

左側建物の煙突に、ご注目を。



エレガントな煙突にちょっと驚きです!  
どうやらかなり有名な煙突のようで、町のスケッチ展のポスターにも、
この煙突のスケッチがありました。
煙突でこれだと、建物の中も大変エレガントなのでしょうね?!

7-3728_t_t_GF.jpg



広場の東側にドゥオモがあり、正面はゴシック様式ですが、
内部はルネッサンス様式との事。  
ジョルジョーネのフレスコ画もあるそうですが、残念、見ておりません。

8-3452_t_t_GF.jpg



これは、元教会の建物。 入口の上にはマントを広げ、信者を庇護する
聖母の姿もちゃんと残っていて、模様からもかなり古い教会の様です。  
年代を経て、今は何の建物になっているか? バールになっていました!

9-3949_t_t_GF.jpg



市壁のどの辺か、確か南だったと思いますが、
大きな門、高い塔があり、堀を渡る橋があり、威圧感のある中世の眺め。

10-4641_t_t_GF.jpg


上の写真の門の内部、2重になっている門の内部です。  
厚い煉瓦の壁、中はヒンヤリとして、まるで時間が止まっているかのよう。

11-4907_t_t_GF.jpg



毎年9月の第1日曜に、モンタニャーナの10のコムーネが集い、
時代衣装の行列を初め、旗振り、競走、競馬が行われます。
大変煌びやかなお祭りのようで、「10のコムーネのパリオ」と呼ばれるそう。

で、これはその中の一つの競技 ゴンファローニの競走。
ゴンファローネというのは、その地区の旗を指し、それを旗持ちが持って走る
競争なんだそうで、  
700Mのコースを、ふくらみ、はためく旗を持って走る、大変過酷な競技と。
       
12-gonfaloni_t.jpg

サイトはこちら。 www.palio10comuni.it  
galleryで写真が見れます。



こちらは、「パリオ」の呼び物、競馬。
ご覧のように市壁の外、かっては堀であったろう草原を走ります。
こういった競馬は、イタリア中世の一番古い催しなんだそう。

13-22_sh01_t_t.jpg


モンターニャナ名物の生ハム、ヴェネト・ベーリコ・ウエガネオ・
Veneto Berico Euganeoは、12~15ヶ月を熟成期間に当てる、
甘くて柔らかく、そして歯ごたえのある美味しい生ハムと、評判なのだそう。 

14-5422_t_t.jpg

他にも、この町には昔からの味が楽しめる食品、料理があり、
5月にはそのお祭りもあるそうです。



生ハム、ヴェネト・ベーリコ・エウガネオの美味しそうな写真!
横にある赤ワインと共に、秋の夜長に如何ですか?
そうそうこの辺り、ワインも有名、チーズも美味しいとか。

15-22_sh02_t_t.jpg

ヴェネツィアからも楽に行く事ができます。  
9月のパリオの時期、または5月下旬にお出でになると、たくさん楽しみが
ある様子。 どうぞ、お出かけを!


*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。

・ チェコ ・ プラハ ・ Praga 

今日は月1度のゲスト、オルゴリオーザさんの素晴らしい写真で、
チェコのプラハにご案内いたします。
  
イタリアを離れての場所で、秋にふさわしい場所、
自分ならどこに行って見たい?と考え、
「プラハの写真は?」と尋ねると「ありますよ」と!!
という事で、私も興味のあるプラハをご案内して頂きます。ではどうぞ!

***
 
チェコへは、ミラノ・マルペンサ空港からアリタリア航空で2時間ほど。
プラハは歴史の嵐に翻弄された街ですが、奇跡的に、街が戦火に
さらされた事はなく、中世以降の様々な建築物が美しい姿を競っています。

1-P7310041_t_GF.jpg

街はヴルタヴァ河(ドイツ語ではモルダウ)が中央を南北に流れ、
その西側に王宮などのあるマラーストラナ地区、
東側は旧市街広場などが点在する旧市街地区、と分かれますが、
両地区を結ぶカレル橋は、チェコ最古の石橋だという事です。

プラハに着いて、夕方にケーブルカーを使って丘の上に登りました。
写真はそこから見たプラハ城の夜景。 
19世紀まではハプスブルグ家の支配下にあったところです。



王宮内にあるヴラジスラフ・ホール。 柱のない巨大な天井を
力学的に支えるリブが、花びらのような美しい模様となって、
シャンデリアの光とともに人を魅了します。
今でもここで、大統領選挙の開票が行われるそうです。

2-P7310091_t_GF.jpg



カレル橋。 橋の上には30体もの聖人の彫像が建ち並び、
野外美術館のような美しさを誇っています。  

3-P7310131_t_GF.jpg

ローマの、サンタンジェロ城前の橋を連想させますね。  
ここにはフランシスコ・ザビエルの像もあります。



橋では音楽の演奏があり、絵を売る人がいたり、終日賑わいます。  
夕方、橋からみたヴルタヴァ川の光景です。

4-P8010214_t_GF.jpg

スメタナの作曲した交響詩「わが祖国」の第2楽章に、
「ヴルタヴァ」という曲がありますね。 あのメロディが聞こえる様でした。



橋を渡って東側の地区に入ると、すぐに旧市街広場があります。
ここは市民の憩いの場所。 時計塔に登って広場を見下ろすと、
こんな感じで、街並が美しい。

5-P7310153_t_GF.jpg



旧市街広場の中央にある「ヤン・フスの像」
プラハ大学総長で、中世の腐敗したキリスト教改革ののろしを上げ、
改革半ばで火刑に処せられた英雄です。
マルチン・ルターの宗教改革より100年も前のことです。 
 
6-P7310144_t_GF.jpg



同広場の夜。 ここも柔らかい光に包まれて幻想的なムード。  

7-P8010238_t_GF.jpg

モーツアルトはプラハに4回も滞在しており、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」は
ここで書き上げたといいます。 映画「アマデウス」は、
実際にはウイーンではなく、プラハでロケが行われました。



同広場にあるティーン教会は重厚な塔を持ち、夜景にも映えていました。  
夜になっても人で一杯です。

8-P8010241_t_GF.jpg



同広場を通り越して行くと、市民会館があります。
市民会館といっても、どこの市にもあるような画一的なものではなく、
この中にはミュシャ(現地ではムハ)の絵や、
プラハの春音楽祭が行われる、スメタナホールなどがあります。

9-P7310139_t_GF.jpg



その北側の通りで、カフカは生まれました。 
今その建物はありませんが、新しい建物がカフカ記念館になっており、
カフカの顔が、壁に貼ってあります。
  
P7310166_t_GF.jpg

この旅の前に街の様子を知ろうと、彼の著作「変身」を読みましたが、
この本は、虫に変身した男が部屋の中をうごめいているだけで、
全く街の描写などは出てきませんでした。 選択の失敗でした。



少し南に下ると、こんなキュビズムの建物もあります。
一瞬、飛行機でも落っこちて壊れたのかと思わせます。

11-P8010191_t_GF.jpg



一方で、こんな優雅なドゥオモのような空間もあり、
これは、プラハ中央駅の3階にあるカフェです。  

12-P7310182_t_GF.jpg

「プラハは百塔の街」と言われますが、建築物の競演の地でもあると。



最後に、近代史の現場ともいうべきヴァーツラフ広場のご紹介を。
広場の中央にある騎馬像は、チェコの守護聖人・ヴァーツラフ。

13-P7310173_t_GF.jpg

1918年、チェコのハプスブルグ家からの独立宣言が
この像の前で読み上げられました。  
その後ナチス軍の占領を経て、旧ソ連の事実上の
支配下に置かれました。

1968年、時のドブチェク大統領らが、ソ連の従属から
民主化路線への脱却を図った「プラハの春」では、
この広場が公開討論の場になりました。
しかし、ソ連軍(ワルシャワ機構軍)がこの広場を戦車で蹂躙します。

20数年の時を経て1989年、共産主義体制崩壊の流れに乗って、
チェコでは非暴力により遂行された「ビロード革命」が達成され、
ハヴェル大統領は、数万人の市民で埋め尽くされたこの広場で、
高らかにチェコの解放を宣言したのです。

歴史の現場は、私の行った日は燦燦と降り注ぐ陽光に照らされて、
華やかな輝きに包まれていました。
解放宣言をした大統領の傍らには、東京五輪の体操で
金メダルを獲得した、あのチャスラフスカも同席していました。
  
彼女は体操を引退後、政治的弾圧に屈せず
反体制運動に参加しており、このあとチェコの医療福祉担当の、
大統領顧問も勤めました。

実は彼女の「今」も知りたいと思い、現地の人に聞いたのですが、
「病気で療養中」とのことでした。
しかしその後、後藤正治のノンフィクションが発刊され、
それによると「息子が元夫を殺す、という殺人事件の影響で
心の病にかかり、療養生活を送っており、
人と会うことを一切拒んでいる」ということです。

激動の歴史と、その渦中で懸命に生きた彼女の半生。
時代の過酷さと、不条理な運命のいたずらに、
胸が熱くなる思いがします。

**
  
如何でしたか、プラハのご案内は?  
こうして、かいつまんで歴史も書いていただくと、
尚の事興味深いですね。
  
ハヴェル氏が大統領になった時、「プラハの春」のドプチェク氏が、
家のベランダから身を乗り出し、集まった人々を抱擁の仕草をした事、
数年前のヨーロッパ中を巻き込んだ大洪水で、
「アマデスス」の撮影に使われたあの素晴らしい劇場が、
すっかり水に浸かり、再起不能かもというニュースが
流れましたが、その後どうなっているのでしょうか?

チェコ・スロヴァキア共和国が2つに、チェコと、スロヴァキアに分離した時も
他の共産圏支配の下にあった国の様な、流血の惨事はなく済みました。
ハヴェル氏も、大統領を2期勤めて引退され、
あの穏やかな顔と姿を、もうTVのニュースで見る事もなくなりました。

長い激動の歴史を経てきたこの美しい国、
1度は是非訪ねて見たいものです。


*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


    s2019誕生日 - Copia.jpg

*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。

・ ロンガローネの悲劇 ・ ダムの出水に飲み込まれた町 

先日43回目の悲しい記念日を迎えたばかりの町、1963年10月9日の夜
山崩れによるダムの出水に飲み込まれた、ロンガローネ・Longarone
をご案内致します。

我が町コネリアーノから、北に約50キロほどの位置にあり、
今は逆に「ヴァイヨンの悲劇」で観光客が集まるロンガローネの町です。 

1963年10月9日  時刻22時39分 
銅板には、悲劇の起こった日付と時刻が刻まれています。

1-3707_t_t_GF.jpg



ロンガローネの町から東を望むと、正面中央に細く山に挟まれたダムが
あるのがお分かりでしょう。
ENEL という、イタリアの電力会社(ほぼ国営)が造ったダムです。

2-0045_t_t_GF.jpg

ヴァイヨン・Vaiontの渓谷を流れ下るヴァイヨン川を利用しての、
世界一高いダム、と呼ばれるものです。
       
このダムからこちら町に向かって下った所に、ピァーヴェ河が流れていますが、       
ダムの溜まった水の中に右側の山が崩れ落ち、その勢いで跳ね上がった水は
谷を下りピァーヴェ河を越え、こちら側のロンガローネの町と、
ダムの左にあった村々を、飲み込んだのです。



これが、ダムに崩れ落ちたモンテ・トックの今の様子で、写真はガイドブック
からですが、実際に私の写した写真も同様で、

3-4507_t_t.jpg

下に見える丘の様なのが、崩れ落ちてダムを埋めた土砂です。
今はこの様に、土砂にはかなりの木が生えて育っています。



これが災害前のロンガローネの村。 一番右下に少し見える白い部分が
ピァーヴェ河の河原で大変広く、村自体はかなりの高台にあります。  
平和な村だった事でしょう。

1_GF.jpg



災害直後の様子で、上の絵葉書とほぼ同じ場所からなので、
壊滅状態が一目で分ります。
      
2_GF.jpg

高い位置にあるダムから溢れた水は一気に谷を下り、ピァーヴェ河を越え、
村を飲み込んだのですね。
  
1963年10月9日、夜10時39分、
家々も、教会も、すべて飲み込まれ、押し流され、死者の数は、約2000人。  
一家全滅した数も少なくありません。



かってはこのロンガローネよりも下流にあるベッルーノからも、筏を組み、
このピァーヴェ川を下り、ヴェネツィアにまで木材を運んだ、というのが嘘のような、
水流が細く河原ばかりが広い、現在のピアーヴェです。

3_GF.jpg

ロンガローネの町からこのピアーヴェを東に渡り、ダム側の村々に行きます。 



ロンガローネの対岸の、ダム足もとの村コディッサーゴ・Codissagoという村。 

4_GF.jpg

製材所があり、修復された綺麗な家もあるのですが、かっての石造りの壁も
残っていて、写真は3月半ばのものですが、少し寂れた村の感じ。



コディッサーゴの村。 正面の家は災害の後、放置されたままなのでしょう。 
この村はまだ生きていますが、奥の村はもっと悲惨です。

5_GF.jpg



同じくコディッサーゴの村。  
「1963年10月9日通り」の標識があるこの家は放置されたままですね。

6_GF.jpg

ダムから溢れた水は対岸のロンガローネを襲っただけでなく、
ダムの足もとの村をも攫って行きましたから、死者も多かったはずです。



村はずれの家の屋根に、立派な風見鶏。 3月半ば、山々にはまだ雪が。

10-0007_t_t_GF.jpg



ダムの建設は1957年に始まり1959年に完成、そして1960年には、
既にかなりの大きさの山崩れが。

工事が始まる前から、一帯の地盤のゆるさが指摘されていたにも拘らず着工、
そして完成後わずか4年、人災ともいえる大災害が起こりました。

この写真は6月頃。 ピァーヴェを渡ってからダムのある場所まで8キロ程あり、
しかもかなりの急坂で、ダムの右側がピァーヴェ河、ロンガローネの方角です。
ダムの上には金網が張られ、見学ができる様になっていました。

11-3800_t_t_GF.jpg



カッソ・Cassoという村。 ダムのすぐ北の山腹、ダムからちょうど200Mの高さに。

12-4048_t_t_GF.jpg

左に路傍のマリア像が見えますが、ダムの水がこの高さまで撥ね上がったそうで、 
山崩れによるダムの水の騒ぎが如何に大きかったかが想像できます。  
       


そしてこのカッソの村は、ダム災害では生き残ったものの、今村の半分は
ゴーストタウン化しています。

13-4250_sh01_t_t.jpg

この辺り一帯の地盤がゆるい事は指摘されていた、と書きましたが、
この村はその後の背後の山の地崩れで、半分以上の村の家々が放置され、
歩いていても気味が悪いほどゴーストタウンなのです。

家々の建物は崩壊もしておらず残っているのですが、人が住んでいない村の
うす気味悪さ。 窓の奥に人気のない気味悪さ。

この気味悪さは、ダムからの道をもう少し奥に辿った、エルト・Ertoという村では
もっともっと、酷かった!! 
 
山崩れによる水流を横から受け、家々は残っているものの、
人が住めない状態になったのか、一家全滅したのか、放置されたまま。
所々の家には住人もいるのですが、夜の薄気味悪さを想像しました。
背後の高台に新しい村が出来、新しい家が並んでいるだけに、一層悲惨で。



ロンガローネの町のかっての18世紀の教会があった場所に、
今新しいモダンな教会があり、

14-2945_t_t_GF.jpg

中には、ピァーヴェを何十キロも流され下流で見つかったマリア像や、
崩れた鐘楼の鐘、等が、亡くなった方々の名が刻まれた壁と共にあります。
町は新しく現代的センスで造りかえられ、観光バスが、たくさんやって来ます。



帰りの汽車を待っている時、奥に見える山が夕陽を受けてバラ色になりました。  
地図で確かめると、どうやらモンテ・チッタという2191mの山のよう。 

15-0500_t_t_GF.jpg

重苦しい気分が、少しゆるぎました。


*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。

・ アッシジ ・ ウンブリア紀行

  
初夏に旅行雑誌「ウンブリア・緑の魂」を買い、大変素敵で
皆さんにも御紹介をと思いつつ、例によって、夏を過ぎた今になり!

「ウンブリア紀行」と題し、これから徐々にウンブリアの素晴らしさを
御紹介して行こうと思いますが、今日はその第1回「アッシジ」を。
有名すぎるほどの町ですが、美しい写真と共にお楽しみ下さい。
写真に断りのないのは、すべてこの「ウンブリア・緑の魂」から。

こちらが雑誌の表紙で、DeAgostini出版。
見えるのはアッシジのロッカ・山上の要塞ですね。 

1-5908_t_t_GF.jpg

左上に「芸術、文化、歴史、そして伝統。忘れられないヴァカンスに」  
左下に「丘と森の間に、美しい環境と唯一の魅惑を発見する旅」。  
では、参りましょう!




13世紀、聖人がなくなってわずか2年後に建設が始まり、
たったの2年間で造り上げられたサン・フランチェスコ大聖堂。 
上下2層の教会が重なる形で、これは上の入口。
ご覧の様に素晴らしいバラ窓があり、
内部にはジォット等の有名な壁画がたくさんあります。

2-4545_sh01_t_t_GF.jpg



こちらが本人に一番近い肖像、と言い伝えられている
チマブエ描く所の肖像画。

3-4757_sh01_t_t_GF.jpg

背も高くなく痩身の様ですが、中に秘めた強い意思がうかがえます。
右胸と右手の掌に、彼が受けたとされる、
十字架上のキリストと同じ傷、聖痕が見えます。




教会の上院には全部で28枚の、ジォットが描いた
「サン・フランチェスコの生涯」の壁画があり、こちらは  
「フランチェスコ、衣服を父親に返す」場面。 

4-5201_sh01_t_t_GF.jpg
     
中世の伝統的絵画から一歩抜け出し、空間概念と、現実的な描写に
新機軸を持ち込んだ、ルネッサンス絵画の先駆けとされます。




上院の美しいバラ窓をご覧下さい。  (絵葉書)

5-5216_t_t_GF.jpg

建設途中で、ロマネスク様式から、上院の正面はゴシック様式に
変更されたといいますが、
素朴で、美しく。  そして実際はもっと白く。




山腹に、東西に長く広がるアッシジの町。
 
6-4658_t_t_GF.jpg

写真は西上からで、一番手前がサン・フランチェスコ聖堂。
聖堂前から前をまっすぐにのびる通りがフランチェスコ通りで、
中程にみえる中心のコムーネ広場まで続き、 
町の一番奥にサンタ・キアーラ教会が。




5月の最初の週に毎年行われる、カレンディマッジョのお祭り。
古い異教徒の争いに結びつけた、宗教的なお祭りとの事ですが、
毎年巡り来る春を、喜びと共に迎えるお祭り、の様子。

7-5004_t_t_GF.jpg

これは「ズバンディエラトーリ」と説明がありますから、
「旗振り」の先駆けの太鼓でしょうか?  
黒ずくめの衣装が、如何にも中世。

◆ 追記 ◆ 
これは町を2分しての太鼓隊の一つで、
衣装の濃いブルーから見て上の町の太鼓隊でしょう。




時代衣装をつけた女性たち。  
薄物の被り物が、如何にも春の訪れを感じさせます。 
煌びやかというより、やはり中世を感じさせますね。

8-5725_t_t_GF.jpg



お祭りで、技を見せる射手。

9-5314_t_t_GF.jpg
  
説明によると、このお祭りの間は町は2つに分かれ、
「パリオ・優勝旗」の獲得をかけて争うそうです。
となると当然町は、人々は盛り上がりますね。
  
歌と踊りと愛のセレナードで、巡り来る春を迎えるのだそう。


       

西のサン・フランチェスコ聖堂と向き合う形に、
町の東端にあるサンタ・キアーラ教会。 (写真はサイトから)

10-11_t_t_GF.jpg

如何にも清楚なイメージの、白とピンクの石の横縞のデザイン。
この教会も大変美しいバラ窓を持ち、前には広い広場が。




サン・フランチェスコ聖堂にある、シモーネ・マルティーニ描く所の
サンタ・キアーラの肖像画。 (絵葉書)
 
11-4210_t_t_GF.jpg

ろうたけた美しさといえましょうか。
ライ患者の世話から彼女自身もライ病になったと、伝えられます。




町の東端の山側にこのドゥオモ・サン・ルフィーノがあります。

12-5618_t_t_GF.jpg

サン・フランチェスコ聖堂は、世界中からの参拝客で溢れていますが、
こちら町のドゥオモはひっそりと静まり、
地下礼拝堂なども、ゆっくりと見学できました。




アッシジの町から4キロほど離れた山の中に、「カルチェリの庵」が。

13-5058_t_t_GF.jpg

フランチェスコが瞑想と、祈りの場として選んだ場所で、
今も当時のままの雰囲気を伝えていると。




田舎の畑の間を、曲がりくねって続くウンブリアの道。
(写真集・フランチェスコとキアーラの土地で)

14-4640_t_t_GF.jpg
 
芥子の花が赤く咲き乱れ、懐かしい想いを誘います。  
      



朝霧の中の山上の要塞 (写真集・フランチェスコとキアーラの土地で)

15-4855_t_t_GF.jpg

アッシジの町は山腹にあり、そこからまたかなり登った所に、
14世紀の要塞の遺跡が残ります。  
       
高い場所から覗くと、暗い奥深い底の床に模様が見え、
驚いた事を覚えています。

◆ 追記 ◆
現在山上の要塞はすっかり修復され、公開されています。


*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。

続きを読む

・ 葡萄摘みがそろそろ ・ スコミーゴ村、コッレウンベルト村

この10日の日曜日、すっきりと快晴になったので、
葡萄摘みが近くの畑でも始まったかと、自転車で出かけました。
  
先日、隣村コッレウンベルトまでマウスを買いに行った時、
石榴が真っ赤に熟れているのやら、刈り取った草の巻かれたのが
並んでいるのも見たので、この日は坂を下ってこちらの方へ。

葡萄摘み・ヴェンデーミアも確かに始まっている様ですが、我が家の
近くはまだ最後の仕上げで、強い秋の陽をいっぱいに浴びて。

1-299_t_GF.jpg

スコミーゴ村の葡萄畑を8月の最初にご覧いただいた時は、
まだ葡萄の粒が小さく、硬かったですが、今はご覧の通り。  
どっしりと重たげに垂れ下がり、陽を浴びて光っています。



イタリアのススキは、ご覧の通り! しっかりと太く頑丈そうで、
風情に欠けます。 箒にでもなりそうではありませんか?!
イタリアの空の蒼さと共に!

2-307_t_GF.jpg



コネリアーノからの国鉄の支線で、坂の下の国道の手前を通る 
ベッルーノに向かう線で、コルティナ・ダンペッツォに行くバスが
出る、最後の駅カラルツォまで続きます。  

3-311_t_GF.jpg

手前に見える低い山の手前にヴィットリオ・ヴェネトの町があり、
高い山との間の谷を抜けて、ベッルーノに向かいます。 
ここは古くからの山岳民族の通り道なのです。

手前の山の中腹に草原があり、高い所に建物があるのが分りますか?
あそこは、きっと牧場ですね。 
牛達が放し飼いで、自家製のバターやチーズも作っている事でしょう。 
見る度に、一度行って見たいと思います。


  
大変な快晴で逆光になり、向こうの農家が良く見えませんが、
この広いコッレウンベルト村のトウモロコシ畑をご覧下さい! 
 
4-318_t_GF.jpg

冬には、霜の降りたこの畑の上に靄が広がり、
春には、芽の出たトウモロコシの畝がはっきり見えた畑です。


 
名前が思い出せませんが、道脇に並木道を作っている樹。
幹がところどころ白くはげ、秋にはこの様に、とげとげの丸い実がつきます。 
葉の色がすでに秋の色でしょう?

4-329_t_GF.jpg



東隣の村コッレウンベルト。名前の通り小高い丘・コッレがあり、
教会とお城と(伯爵家が今も)市役所と図書館と。   
       
5-336_t_GF.jpg 
      
ハァハァと自転車を降りて上りますが、下り坂は爽快この上ありません!



葡萄畑の間を、くねくねと続く細い道を行きます。  
広い庭の農家が幾軒かあり、用水路が通り、犬がいて、果樹がたわわ。
クサギの花もそろそろ終わりかけですが、まだ良い香りを放っています。

6-340_t_GF.jpg



ものすごい石榴でしょ?! 写真はもっとすごいのもあるのですが、
バイト数の関係で、これで最高。  この赤さ! 大きさ!
石榴の甘さに驚きます。 日本の石榴の酸っぱさとは大違い!!

7-345_t_GF.jpg



刈り取られた草は、こんな風に巻かれて畑にしばらく置かれ、
冬には牛達が食べるのでしょう。

8-349_t_GF.jpg

あちこちで、この様に置いてあるのを見るのですが、
一列に並んでいると少し面白く、広い畑の感じと共にご覧頂きたく・・。

そう、牛達はまだこのあたりに結構います。 乳牛です。
夕方など、乳絞りを要求する鳴き声が、よく聞こえてきます。



トウモロコシ畑があり、もう取り入れ寸前。

9-356_t_GF.jpg

この一帯は、トウモロコシ畑と、葡萄畑と、豆も少しありますが、
この頃はどんどん葡萄畑に。
安い安いとは聞くものの、それでも葡萄の方が実入りが良いのでしょうね。



こちらの葡萄畑ももうしっかりと熟れて。  
我がコネリアーノから北西にかけて「白ワインの道」で有名ですが、
葡萄畑を見ると、やはり白葡萄が主流のよう。

11-353_t_GF.jpg



遠くの村、東です。 カンシーリオの山が張り出し、
この張り出した山の向こう側に、フリウリの平野が。

12-365_t_GF.jpg

この様に小さな集落があちらこちらに見え、そこには必ず教会の鐘楼が。  
これはカペッラ・マッジョーレの村。



コネリアーノから、コルティナ・ダンペッツォに続く国道51号線。

13-370_t_GF.jpg

我が家から坂下のこの道まで出てバスでコネリアーノに、トゥレヴィーゾ
にも行けますし(この写真は南向き、コネリアーノ方面)
北に行くと、ヴィットリオ・ヴェネトからベッルーノに。

日曜なので車が少ないですが、平日はもうちょっと交通量が・・。
本当です! この頃はものすごく車が増えたのです、はい!! ははは。
MENARE`・メナレと見えるのが、この道筋一帯の通り名です。



国道からスコミーゴ村に向かうメナレの道脇の葡萄畑は、珍しく黒葡萄。
この葡萄畑は今で10年位ですが、すっかり葡萄の幹が太くなりました。 
そして、このたわわな事!

14-376_t_GF.jpg

奥に続く畑の様子も、写真からご想像を。 ここはかなり広い畑なのです。



見事に実っています! 
やはり葡萄摘みは始まっていて、今年の葡萄は大変出来が良いのだそう。 

15-380_t_GF.jpg

葡萄の出来も、ワインの出来予想も良い! 畑にいたご主人は上機嫌。  
私もまた、楽しみに待つ事に!! 何を? ははは。


*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。

・ サチーレ ・ Sacile ・ ヴェネツィア共和国の庭

今日はブログ・タイトルに相応しい、小さく大変美しい、スケッチにも最適、
写真も良いのが撮れそうな町の御紹介を。

ヴェネツィアから電車で約1時間、我がコネリアーノから東へ約20キロ、
フリウリ州の入口に当るサチーレ・Sacile、
「セレニッシマ(ヴェネツィア共和国)の庭」と呼ばれる、美しい町です。

絵葉書の、手書きの地図が見つかりましたのでこれで。
赤い丸のついているサチーレ・Sacileの南西にヴェネツィアがあり、
サチーレを流れている川はリヴェンツァ川、これを辿るとアドリア海まで出ます。  
       
1-1316_sh01_t_t_GF.jpg

東にポルデノーネ・Pordenone、そしてさらに東に行くとウーディネ・Udineで、  
サチーレとポルデノーネのちょうど3角の頂点の位置に、アヴィアーノ・Avianoが。  
ここにNATOの基地があり、ボスニア、コソボ紛争の際には最前線基地となった所。
北に広がる山々は、アルプスに繋がるカンシーリオ・Cansiglioの山々です。



サチーレの町の中心に入って、すぐ目に映るヴェネツィア風の建物と運河。

2-3905_t_t_GF.jpg

サチーレの町の名の由来はサッコ・袋から来ているそうで、ロンゴバルゴの
主要街道の要所として、運河を張り巡らし、袋のようにした事に由来しているそうで、  
水に寄り添った美しい町です。



水辺のある所、必ずいる家鴨と鴨達。 一見長閑そうですが、見ていると
かなり戦闘的な彼ら。

3-3855_t_t_GF.jpg
 
騒いでいる声を聞き見ると、首根っこを押さえつけ水に突っ込み、馬乗りになって
いたりして、そんなに喧嘩するのなら、あっちに行けば良いと思うのですが、
繰り返しながらも一緒にいます!  夫婦喧嘩みたいな物なのかも。



奥に見える橋の右側に、アーチのあるロッジャが見えますが、 (絵葉書)
サンタ・マリア・デッラ・ピエタ教会の入り口部分で、右側に見えるのが教会。 

4-2729_t_t.jpg

小さな美しい17世紀初頭に立てられた教会が、サチーレの美しさのシンボルとして、
大変愛されているもので、
川の左側の建物は、上でご覧になった様に修復され美しくなっています。
      


町中は道幅が狭く、ゴシック式アーチのポルティコが連なっている部分も多く、
ぼちぼちと古い建物郡が以前の形を保ちつつ修復され、なかなかに良い感じです。

5-2417_t_t_GF.jpg



周囲を川が蛇行して流れる、町の中心広場・ピアッツァ・デル・ポポロ。

6-2957_t_t_GF.jpg

左側、真ん中に張り出している建物が市役所・コムーネで、広場右側が膨らみ、
そこにカフェの椅子が並び、その間を通り抜けると先程の橋に出ます。



中心広場を突っ切り、右に曲がっていくとそこにも水辺が広がります。
これはその辺りのお家で、家のすぐ前に小舟が浮かび、ライオン君が。

7-20060907014415_t_t_GF.jpg



これは中心広場の裏側に当る運河で、奥に見える鐘楼はドゥオモの物。
真ん中に見える新しい橋を渡っても、広場に抜けれます。

8-5310_t_t_GF.jpg



町の東端にある素晴らしい大きな建物、多分由緒ある建物と見ますが、
図書館になっていて、その中庭を抜けるとこの公園。 

9-4733_t_t_GF.jpg

南側にはトラックもありますが、この一帯で13世紀から続いているという、
「小鳥の展示会」も開かれます。 何もないような公園ですが、
素朴な公園が四季折々に季節の顔を見せ、とてもよい感じです。



一番奥に見える白っぽい建物が図書館で、中庭を通り抜け、
太鼓橋を渡リ、振り返るとこの様に見えます。 

10-4153_t_t_GF.jpg



古い建物が修復され、形は古いままに新しい息吹を吹き込まれ、
中はモダンなお店になっていたり、それがとても素敵です。

11-1807_t_t_GF.jpg

この写真は橋の上から写していますが、この橋ポンテ・デル・オスペダーレの
両脇の風景が素晴らしいのです。



水に映る緑の影、 そして小舟。

12-2903_t_t_GF.jpg



逆光に浮かぶ鐘楼。  春にはこの場所に柳の緑も。

13-5401_t_t_GF.jpg



水にしだれる緑も、秋の色。

15-3014_t_t_GF.jpg



サチーレには、よく自転車で出かけ、冬の帰り道の夕陽。

16-4248_t_t_GF.jpg


*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。

・ あんな猫 ・ こんな猫 

朝夕かなり涼しくなってきた今日この頃。
夏の暑い日には暑苦しかっただけ!の、毛皮を着た友がすこし懐かしく、
この秋一番の「猫日」です。

今日は、少し変わっている友の顔、をご覧頂きますね。

★ 常連 シンちゃん、 豪快寝顔、この上なし!!

1-sin_t_GF.jpg

トップバッターは、常連の長野市在住の「シンちゃん」
今まで様々な寝顔を見て来ましたが、こんな豪快な寝顔の猫ちゃんは初めて!  
丈夫そうな、いい歯をしています!!  は歯は。

ナオちゃんのブログはこちら
ごしょらくさん   https://blog.goo.ne.jp/gosyoraku2005



★ 常連 にゃ~こ、 そそる匂い (コメントは、ママのゆんぴょさん) 

2-1_t_GF.jpg

プラスチックの容器に、顔を突っ込んでた先日の様子。
ニンジンを茹でたにおいが残っていて、何だかウットリしているのです。
何やってるの? と思ってしまいましたが。 
そんなにニンジンのにおいが好き?



スイカに寄り目

3-1_t_GF.jpg

今年最初のスイカを購入。 一口食べてみて、結構甘い!と感激。
やはり夏はスイカですね。
 
いつの間にか、横にはにゃ~こがスタンバイ。
食事制限はあるけど、フルーツは少しならO.Kとお許しが出ているので、
早速にゃ~こサイズ のスイカを与えました。 美味しそうに食べましたよ!

丸くて、美人で、青い眼のにゃ~こが、スイカに寄り目の獲物を狙う目・shinkai

ゆんぴょさんのブログはこちら
日々の足あと  https://kanakana40.at.webry.info/



★ 秘蔵写真公開 ★

青い目 ・ そして寄り目
この猫さんとは先日ご紹介したフォッリーナの葡萄畑で出会いました。  
家のすぐ裏の畑にいて、目が合った途端、ワッ!と吹きだしました!  

6-41_t_t_GF.jpg

7-46_sh01_t_t_GF.jpg

如何?! 冗談でやって見せているとは思えませんが・・!
しかも青い目。 この、アンバランスの素晴らしさ。
寄り目だけなら、私もこの猫さんに負けない自信がありますがね!

フォッリーナ ・ 中世の修道院と町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462217673.html



★ エジプトの猫神  「バステット」 大英博物館所蔵品
座った姿もいかにも威厳に満ち素晴らしいですが、
この様に金の耳輪、鼻輪をつけているのは、初めて見ました。  
       
4-53_t.jpg

5-f0097102_1764330_t.jpg


エジプトでは猫が神聖な物として扱われ、ミイラもあるようです。
猫の種としてはアビシニアン、イタリアではソーマロとも呼ばれる種ですが、
我が家のフィニもアビシニアンでした! 
が、自分のお腹が舐められないほど太ってしまい、猫神とは程遠く!



★ 福猫   謎の、アルカイック・スマイル猫

Cattura.JPG

この写真は、「修整なし」と断りつきで、送って頂いた物。
どこが発信元か分りませんが、猫好きの間に、深く静かに。
私は勝手に「福猫」と呼んでいますが、如何、この笑顔?!

季節の変わり目、皆様、お体に十分お気をつけて! とのご挨拶で、
福を運んで回っているかも。


*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


    s2019誕生日 - Copia.jpg

*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。

・ フォッリーナ ・ 中世の修道院と町

ヴィットリオ・ヴェネトから西へ25キロほど行くと、
フォッリーナ・Follinaという小さな町があります。

そのまま西へ向かうとヴァルドビッアーディネに通じる道と、南へ
トゥレヴィーゾに向かう道が分岐している、古くからの交通の要所で、
ここに13世紀からのロマネスク様式の修道院があり 
今日は、その修道院と町のご案内を。

地図をどうぞ。
上中央に見えるLA BELLA というのは、この地図を拝借した
アグリトゥリズモのパンフレットの名前なので、お気になさらずに、ははは。

1-46_t_t_GF.jpg

そのすぐ下にFollinaが、線で囲っている所。
ヴェネツィアからの他の町も含めての位置が分りやすいので拝借ですが、
これは道路地図で、太い線は高速道路。 



サンタ・マリア修道院 (パンフレットより)
これは下側、南からの眺めで、丘に入り込む形で上(奥)に教会が、
そしてちょうど写真の中程に、修道院の美しい回楼があります。

2-41_sh01_t_t_GF.jpg



道から石段を上がり、一度建物を抜けた所にある美しい回楼。

3-59_t_t_GF.jpg

真ん中に井戸が見えますが、一つの岩を掘り抜いたものといい、
この中庭で夏に音楽祭が開かれるそうで、素晴らしい雰囲気です。



教会は内部もゴシック様式で、素晴らしい金色の祭壇画と、古い起源を
思わせる聖母子像、木製の十字架像、F・ミラーノのフレスコ画も。

南側にあるこの修道院は、シトー派の修道士がここに居を定めた
13世紀に遡り、回楼側から見える、教会庇下の壁画。 
古びた赤い色、素朴な模様が素晴らしいでしょう?

4-30_t_t_GF.jpg



回楼を取り巻く円柱がそれぞれの表情を持っていて、ここに見える円柱は
一本ずつの太く柄の入ったものですが、その柄も違っています。  
こういうのを見るのが、大変興味深いです。

5_t_t_GF.jpg



この円柱部分は細いのが2本ずつ組になったもの、また太い1本で、
円柱には柄はありませんが、柱頭部分をご覧下さい。
なんと楽しくなるではありませんか、それぞれが違う柱頭部分です。

6-58_t_t_GF.jpg



この円柱は2枚上でご覧頂いた写真の、真ん中の柱頭部分。
角に当たる部分に素朴な人面があり、真ん中に鳥がいます。

7-09_t_t_GF.jpg

影に当たる真ん中は鷲でしょうか、羽を広げ脚を踏ん張っています。
表側の正面には、椰子の木が葉を広げ実をたわわにつけています。



修道院の入口付近に小さな水飲み場があり、この蛇口が。
鳥の様でもあり、竜の様でもあり・・、
上の真鍮のひねり部も、いい味でしょう?

8-41_t_t_GF.jpg



この教会、修道院の周りにある古い家々は、石造りでどっしりと。
正面も、左手に続く建物も、大きな入口のアーチを持つ古い家々で、
通りに大変良い趣を与えています。 

10-25_t_t_GF.jpg

この道の右上側に教会入り口が。



これは上の家並びの軒下に見えたもので、
1758年4月28日、すでに250年近く経った事になりますね。

11-08_t_t_GF.jpg


教会の北側の道を少し西に行くと、泉が湧き出ている場所があります。
かってはこの水を使っての製糸工場があったようで、今は無人の
大きな建物が残ります。 (再利用のプランはある様子)

その湧き水が、こうして家の下を潜り抜け、町の中を流れていきます。

12-36_t_t_GF.jpg



私はつい書き慣れている様に「フォッリーナの町」と書いていますが、
実際は町というより、十字路になった通りの両側にお店が少し続く、
といった趣なのです。 が、どうやら奥は深そうです。
というのもこの建物の壁をご覧下さい。
 
この様にフレスコ画で飾られた建物もあり、洒落たホテルもあり、
バールではなく「喫茶店」と言いたいような古い店もあり、
周囲には「白ワインの道」に当る、葡萄畑の丘が広がります。

13-19_t_t_GF.jpg



先ほどの湧き水の流れは結構な水量があり、通りの少し先の方では
こんな風に鴨達が遊んでいます。 
写真の中だけでも15,6羽見えますが、この周囲にももっといます!

14-00_t_t_GF.jpg

そしてすぐ横に家々が続き、そこで見かけた大きなデブ猫ちゃん達
すでに「イタ猫」でご紹介したことがあります。 
       
この様に何もかもが混存しているイタリアの小さな田舎町、 
お出かけくださ~い!


*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。