・ レガータ・ストーリカ ・ ヴェネツィア 

毎年9月の第1日曜には、ヴェネツィアでレガータ・ストーリカ・
Regata storicaが行われます。
歴史的競艇とでもいうか、それぞれのクラスの小舟の競艇が主ですが、
それが始まる前に、飾り立てた小舟、大船、そして時代衣装の人々が
船で大運河を行きます。
  
サン・マルコ広場前から少し東に行った辺りから出発し、大運河をゆるゆると
国鉄駅前まで行き、リアルト橋の先のカ・フォスカリ迄戻ります。 
その後に小舟の各クラスの競艇が始まりますが、
観光客の目的はやはり最初にある煌びやかな船の行列ですので、
 
古い写真も混ざりますが、絵葉書と共に、ヴェネツィアにご案内!

ヴェネツィアの元首ドージェの御座船、ブチントーロ。
手前にラッパ手達が乗りこみ、時々吹き鳴らしますつつ進みます。

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御座船といっても、かっての本当のブチントーロはもっとずっと大きく煌びやか、
だったそうで、復元の話があると聞きましたが、さてその後は?!



ブチントーロの後部には大きなヴェネツィア共和国の旗、ヴェネツィアの守護神
サン・マルコのシンボルである、翼を持つライオン君が真ん中にいる旗が掲げられ、
大きな赤い布が、船の後にかかっています。
ちょうど貴婦人が裳裾を引く様に布が水に垂れ、曳かれて揺れる様は大変優雅。

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長いガウンの男性が見えますが、他のイタリアの各都市国家の男性達が
短い上着で、脚を出していたのに対し、
ヴェネツィアの男性達は長いガウン着用で、若くても年長者の趣があったと。  
さて、あなたのお好みは?



この絵葉書は、リアルト橋の近くの高所から大運河の西を写していますが、
運河をゆく舟、ふね、舟、とにかく大変な数の、いろいろな種類の船が、
飾り立てて参加します。

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運河の両脇の舟は見物人達が満載、ゴンドラを雇う人もたくさんいますが、
近年はこれ程までに、多くの見物の船は見かけない様ですね。
一番奥に屋根が白く見える張り出した物が見えますが、
あそこが競艇の舟のゴール地点であり、市長はじめ来賓用席がある場所。



この写真は数年前の様子ですが、手前の見物客達は雇ったゴンドラですが、 
上の絵葉書ほどの見物の舟が無い事が、お分かりと思います。

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観光客自体は物凄い数で、道を歩けない程ですが、経済事情から渋く・・。 
そして、こちらの船はご覧の様に、皆、立ち漕ぎです。



かなり以前になりますが、リアルト橋の東側北の席に座った事があり、
お値段はそんなに高くなかったと、覚えていますが。
あちこちにこんな席が設けられるので、写真を撮るおつもりの方は
場所を吟味して選んで下さいね。 逆光にならぬよう、前に人が来ぬ様に。

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この女の子は、前の席にいた子で、喜んで撮らせてくれましたっけ。 



ヴェネツィア元首・ドージェは御座船のブチントーロには乗っておらず、
こうしてキプロス女王のカテリーナ・コルナーロと。
      
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彼女は、ヴェネツィア共和国養女の身分で、キプロス王と結婚し、夫亡き後、
キプロスをヴェネツィアに譲り、自分はアーゾロの領主となった女性です。
 
       

一般の人々のたくさんの舟、漁師風に飾り立てた舟なども参加しますが、
やはりこうした時代衣装の人々の舟が、興味を引きますね。
 
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かっての地中海を制覇したヴェネツィア共和国らしく、ターバンの人、
はては中国風のドラゴンを舳先に、衣装も中国風、というのも。



これは何を模しているのか分りませんが、それにしても見事な飾りの船です。
先日ご覧頂いたシエナの方は、武具に凝っていましたが、
こちらヴェネツィアはやはり船、発想の豊かさ、彩の鮮やかさに驚かされます。

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これは実物の色をご覧頂けないのが誠に残念な、大変美しい藤色なのです。 
上着は少し濃い目の藤色で、船体は薄い藤色。 結構長い船で、
舳先の上には子供(天使?)が、艫にはネプチューンが銛を構えています。

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ゴンドラのグループの一団ももちろん参加で、日頃よりも美々しく、長い赤い
スカーフを巻いて格好よく。 
       
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手前も真ん中を行くゴンドラも、どちらも結婚式用の金と黒の煌びやかなもので、 
これは結婚式専用で、普通は運航していません!



観光客は煌びやかな衣装、船が目的ですが、地元の人にとっては、この後に
行われる競艇が主目的で、応援の布も掲げられます。
  ルイゼッラ、ラファエッラ、
  あんた達の船が一番綺麗 
  頑張れ、ピンク       
選手達の小舟の色がそれぞれ違うので、これは女性2人組みのクラス、
ピンク組の応援です。 

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それはそれとして、布の左端下を見て!
小舟の上、応援などそっちのけ、2人の世界に浸っているのが、見えます?



これは警察、ポリツィーアのモーターボート。
右のグレイの格子の背広は如何?

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男性の、これはサンダロという舟のクラスで、余り大きな舟のクラスではありません。
競艇の一番最後を飾るのは、もっと大きな舟の2人組みで、
ここ数年、同じチャンピオン達が連勝しています。

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一番奥に見える桟敷が貴賓席・ゴール地点で、既に最後の競艇も終った所。
       
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例年TV中継があり、録画を挟み大体最後のレースが主で、見慣れると、
そして解説を聞きながら見ると、結構面白いものです。 
 
近年連続チャンピオンになっている従兄弟同士の組の父親同士も、
かってはチャンピオンだったのだそうで、息のあったコンビです。

TVで見ていると、最後のレースが終った後、集まっている物凄い数の舟が、
いつの間にかぶつかりもせずに、すう~っと引きあげて行きます。
初秋の夕暮れも迫り、建物の中にはすでに明かりが。




サン・マルコ前の運河に、たくさんの彩り豊かな帆の舟が集まっていました。
こういった彩の柄の帆は、キオッジャに行くと良く見かけますから、
あちらから来ているのかも。船の舳先にも、様々な模様が描かれています。

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とんでもない絵葉書! ですが、何がとんでもないか、お分かりですか?!

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レガータ・ストーリカの絵葉書で、奥に見えるのはデッラ・サルーテ聖堂
ですが、なんと裏焼きの絵葉書で、
つまり聖堂が大運河の逆、西にあるようになっているのです!

厚かましくも、よくこれで売っているものですね。 さすが、ヴェニスの商人!
間違っても、皆さん買われない様に。 
記念に?!  では、お好きなように。



最後は、  逝く夏を惜しんで!!  ああ、夏も終わりです!

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・ フジーネ湖と山の道 ・ 逝く夏を惜しんで 

そろそろ夏も終わりを告げていますが、今日はイタリアの最東北部に位置する、
オーストリア、スロヴェニア国境に一番近い、タルヴィシオ・Tarvisioの町、
そして少し奥にあるフジーネ湖・Lago di fusineをご紹介いたしますね。

エメラルドの湖が上の奥と少し下にの2つあるもので、と、タルヴィシオの町から
山沿いの道を歩いた様子、ちょうど8月中旬の写真でどうぞ。

タルヴィシオ駅から眺める、ドゥオーモと土地で呼ばれる町の主たる教会で、
玉ねぎ型の鐘楼のてっぺんと、雪深い土地を表す、傾斜のきつい屋根、
左には、いかにも中世を偲ばせる倉が見えます。

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タルヴィシオには他の季節にも行っていますので、またの機会にも。



道路標識。 スロヴェニア →11キロ    フジーネ →8キロ
tre confini・3つの国境 ・・イタリア・オーストリア・スロヴェニアの国境が
接します →あっち ?! 
  
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laghi・湖 (川みたいですが)→あっち   ここには見えませんが、
オーストリアまで、ここから →7キロ  あっち です!  



フジーネ湖には、バスで。 町のちょうど南東の方角、約12,3キロにあり、
バスは、スロヴェニアとの国境、チェックポイントのすぐ傍を通ります。
こちらは下の湖。 上の湖にも行きましたが、水位が下がり、余り美しくなく、割愛。

下の湖は水量も豊富、透明で、エメラルド色!
夏でも氷のように冷たい水で、避暑客は結構居ましたが、
湖の周りで寝そべって本を読んだりで、水には誰も入っていません。

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向こうに見えるのは、バール・レストランでしたが、多分宿も兼ねているものと。 
山小屋風建物は、上の写真の左手前にも一軒。

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この辺り一帯、高山植物の宝庫でもあり、素晴らしい形の岩山が左手に聳えます。
写真を撮られる方は、朝早く行かれるか、宿に泊まっての、逆光にならない時間を
お勧めです。 これは、北向きに。



貸しボートも何艘かあるようで、漕いではいましたが、ご覧の様に殆ど。
余りにも、神秘的で、静かで、夜は怖いくらいでしょうね。

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湖の西側を撮りましたが、これが精一杯。  
後は皆、逆光になり、木々の色が出ませんでした。

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タルヴィシオに戻り、町の山側に上り、東に向かう道を辿りました。  
殆ど人もおらず、車も通らず、家も無く、秋の訪れを感じさせる道。  

この蝶はこちらで良く見ますが、名前を知りません。  
日本にも同じ蝶がいますか?

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何軒かあった家の庭で少女が遊んでいましたが、
ふと見ると、柵の向こうに馬が顔を覗かせていました。

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なんと言う名前? ジャーダ・翡翠、よ。  怖くない? ちっとも!
で、こうして記念撮影。 
 
が、私は例によって、少女の名を聞いてないのでした!!



リンドウですよね?  違っていたら、お教えを。
いかにも日本的な植物のイメージですが、あちこちで見かけ、
植物の繁殖力に驚かされます。

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家々の屋根をご覧下さい。 この辺りは瓦葺ではなく、雪が深いので、
傾斜のきつい、金属の屋根。

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家の雰囲気も、イタリアの普通見かける家とは違いますね。
スロヴェニアにも近く、この一帯は第1次大戦終了まではオーストリア領でした。



8月の半ばでしたが、山の空気は涼しく、既にコスモスが満開。
コスモス、イタリア語では、コズメーア・cosmeaと濁ります。

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イタリア最後の駅タルヴィシオ・ボスコヴェルデ・緑の森・Tarvisio Bosco Verde.
次の駅はオーストリア側になり、ウィーンにまで続く幹線駅!

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最初の写真でご覧頂いたのは、タルヴィシオ・町駅で、無人駅.

緑の森駅はかっては中央駅と言い、写真も当時の物ですが、
町駅の東1キロのがらんとした大きな駅で、駅前にいくつか建物があるだけの、
何も無い場所で、一層、旅情がかき立てられます。
この写真は、以前にもご覧頂きましたが、もう一度歩いた想い出に。 

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・ シエナのパリオ ・ TV実況編

先週8月16日に、シエナのパリオが行われました。
毎年7月2日と8月と2回行われますが、やはり8月のパリオが盛り上がります。
先回は絵葉書で様子をお伝えしましたが、今日はTV中継の写真でご案内を。

男達のお祭りにふさわしく、大いにイタリア男性をご覧頂く事に致しましょう!  

男性の順番は、男前かどうかは関係なしに、はは、広場への登場順です!
これは「モントーネ・山羊」の地区の男性。

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こちらも山羊地区の、少し身分ある男性に扮して。
白馬の男性のみの写真もありすが、行列の雰囲気を見て頂こうとこれを。  
後にいる茶色のお馬君が、パリオに出場です。

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どこの地区か忘れましたぁ。  まぁ、ご覧下さい!

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このカンポ広場の最大の難所、サン・マルティーノのカーヴ。
ほぼ90度に曲がるカーヴ、おまけに、かなり急な下り坂。
向こう側に白く見えるのは、張り詰められたクッション・マット。
 
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右側の広場は、すでにほぼ満員。 これすべて、人、人、人、です!!



どの地区か大変探しあぐねましたが、どうやら「トッレ・塔」ではないかと。

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地区のマーク、旗などのデザインは何度も変わり、衣装も変わります。



こちらも同様、「塔」と思います。
武具甲冑に凝リ、美々しく飾る男性のセンスは、洋の東西を問わない様で。
この男性が、長い抜き身の剣をかざす場面もありましたぁ。

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馬と騎手は各地区のものではなく、籤で決まります。
馬も騎手もベテランとなると、それぞれの評価がありますから、
どの馬、どの騎手が当るかはもう大変です。

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写真は、馬のくじ引きの日の様子です。 この人波をご覧下さい!
皆の大歓声に、馬がたじたじとなり、しり込みを。



パリオの当日、時代衣装の行列は広場に登場する前に、街を一周しますが、
その前に、各地区の教会に馬も入り、大変異例と言えますが、
騎手と共に祝福を受けます。

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これは今年の写真ではありませんが、「パンテーラ・豹」の地区の様子で、
面白いのは、司祭も「パンテーラ」のスカーフを、肩に巻いているのでした!
勝ちて帰れ!と祝福を受け、出発。



シエナのパリオに出場した馬達は、引退後その生命を全うするまで、
街から40キロ程にある放牧場で、ゆったりと過ごします。

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ここにいる一番の年長は、25歳のお馬君だそうで、繁殖も行われ、
生まれてきたチビ君もお母さんと一緒に走っています。

出た話で面白かったのは、1番にならなければ、2番はドンケツより悪い!
との事で、ここで「不運な馬」と呼ばれているのは、
2回パリオに出場し、2回とも2位になったお馬君なのでした!



それぞれの地区のパリオ出場の馬は、背中に地区のシンボルの布をつけて、
広場を一周します。
これは「オーカ・家鴨」ですが、馬に家鴨が乗っているようで、可笑しい!

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それにイタリア語で「オーカ」と言うと、「馬鹿」の代名詞ですから、
こんな名を選ぶ地区のセンスが、なお可笑しい。



白い、素晴らしく見事な4頭の雄牛に曳かれた牛車が、行列の最後に登場。
その上に、勝者に与えられる「パリオ・聖母の描かれた旗」が。 
       
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この牛車が広場を一周すると、ようやく大詰めの競馬の始まり。



シエナに行かれた方、カンポ広場は、勿論良くご存知でしょうが、
あの広場が、こんな風に、人で満員になるのです!

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右側真ん中に水色に見えるのが、ガイアの泉で、ここが一番高く、
左側真ん中の牛車が通っている場所が一番低く、貝殻状に広場が広がります。  
左側の建物は、市役所・博物館。

左上の角から行列は広場に入り、時計回りに一周。
右上のカーヴの少し手前が、競馬のスタート地点で、終点。
今この時点で、広場への人々の入退場口はすべて閉ざされます。



牛車で運ばれて来たパリオは、広場の右上角の壁に、この様に掲げられます。 
上の写真に見える建物の隙間の、左の建物の2階と3階のちょうど真ん中辺です。

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牛車が広場を一周した後、各地区の旗振りが、市役所側の前に一列になり、
いっせいに納めの旗振りを。 17地区のそれぞれの旗が翻り、見事です。

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最後に高く放り上げますが、どの地区が一番最初に、そして、一番高く放り投げる
地区は何処、と、これもいろいろジンクスが有る様子で。



市役所前の桟敷席には、行列に出場した人々が次々と座っていきます。  
老いも若きも一緒に、シエナの男達。

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この男性は、ダニエレ・マザーラ氏。 長年スターターを勤めている方。
      
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いつも彼の声は聞いて知っていますが、今年初めてこうして拝顔の栄に。
インターヴューもあり、なかなか渋い中年男性でありました!!

その後の追跡調査により、はは、このダニエレ・マザーラ氏は、近代五種の
イタリアチャンピオン、世界チャンピオンであり、オリンピックでも金メダルの、
凄~い方である事を知りました! 脱帽、敬礼!!



これも市役所前の桟敷席。 時代衣装の若者達がいっぱい。
暑い夏の日、半日街を行進してきて、今いよいよの、始まりを待ちます。

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広場を行進した馬達は、一旦市役所脇の暗い中庭に入って、待ちます。
中は「大変な静寂」と、かっての騎手がインタヴューで。
そして、いよいよの出場。 一頭ずつ、広場の大歓声の中に!
両側からは、ムチ代わりに使う「乾燥させた牛の神経」を差し出しています。

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2人の先達に導かれて、スタート地点に。 馬は鞍なし、裸馬。 
騎手達の駆け引きが始まります。

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一旦スタート地点に着くと、手前でぐるぐると輪を描きながら回り、
時の来るのを待ちます。 

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途中でもスタートがもつれて来ると、スターターの指示によりロープの外に出て、
こうして歩きながら馬の気を鎮め、時には騎手が降りて、馬の汗を拭きます。 
裸馬ですから、汗をかくと騎手が滑りやすくなる為です。
       
右側手前から、亀、青虫、竜、そして左に、林。



スタートは、2本張られたロープの間に、籤順に馬が入り、
最後の籤を引いた地区の馬が、駆け込むのがスタート。

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このスタート位置の順番も、最後の籤で決まりますが、
今、この籤の結果が、スターターのマザーラ氏に届きました!



籤の結果はマザーラ氏が呼び上げる度に、広場中から溜息と歓声で迎えられ、 
今、呼び上げられた一頭ずつが、順にロープ内に入ります。

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今年8月のスタート位置は、内側から、ドラーゴ・竜、 アクイラ・鷲
タルトゥーカ・亀、 パンテーラ・豹、ブルーコ・青虫、ニッキオ・貝、 オーカ・家鴨、 
モントーネ・山羊、そして、スタートの鍵を握る最後の籤は、セルヴァ・林。
写真では、今3頭めの「タルトゥーカ・亀」が。



スターターが順に名前を呼び上げ、それに従い入りますが、
なかなか、おいそれとは位置が決まりません!!

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この写真は、7頭ロープ内に入り、8頭めの「山羊」を待っていますが、
皆てんでんばらばらの方を向いています!  
特に「貝」が、いつもまるで反対方向を向いていて、なかなか進行せず、 
「貝」の馬がグレイのまだらで、なお目立ちました。

場内には、大型スクリーンなんぞは無く、皆、スターターの声に聞き入り、
大きく歓声が上がり、熱狂はどんどんいや増します!
地区の、ユニフォームの色にご注目を。 
「緑」が今年は4地区もで、緑が4つ並ぶと・・、と言うジンクスもあるそうで・・!



スタート位置に入り始めてから、30分以上、あれこれとあり、
ロープの間に入ったり、出たり、スタート取り消しも、一度。

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そしていよいよ気分が盛り上がり、と言う時に、スタートを焦った亀が、ロープに
引っかかり騎手が転落。 騎手はしばらく起き上がれず、担架も運ばれましたが、
大丈夫、無事に起き上がり、再開。

いつもは予選の後、10頭(地区)の参加ですが、大会直前に事故が有ったとかで、
今年は9頭の参加でした。



いよいよスタート!今、ロープの隙間から「セルヴァ・林」が走り込み!
手前のロープはすでに、落とされ。

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ロープの中の馬達は、どどっと内側に詰め寄り、すでに竜と豹が出遅れ、
外側の林が、うまく回り込んで。

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今先頭は山羊が行きそうですが、一番外に林が。 この勢いで、最初の難所
サン・マルティーノのカーヴでは、すでに林が先頭に立ち、そのまま逃げ切り!

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サン・マルティーノのカーヴ。 この迫力あるシーンをどうぞ!
このカーヴ、この傾斜の下り坂。 そして、馬の美しさ。

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広場を3周します! 3周の最後まで林がトップで、2位には、あのスタートを
焦った亀が続いていたのですが、最後の難所のカーヴで落馬。 
馬だけが走りました!

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最後には、こんな風に、熱狂した人々が、飛び込んで来ます!!



いつもは一着が決まった時点で、パリオが所定の位置からはずされ、
下に降ろされるのですが、今年はなんとした事か、なかなか。

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すると、林の騎手が待ちかねて、よじ登りだしました!
後ろからお尻を押すもの、引き上げようとするたくさんの手!!
私はこんな場面が大好き! 誰もが、その熱中する気持ちに従い、
止めるどころか、押し上げ、引き上げる。 パンツが見えます!



遂によじ登り、パリオの旗ざおをつかみ、彼は叫びました!
この迸る、熱い思い!  いいなぁ~!! 

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勝った林の馬の名は、サラッソ。 手前の、緑のシニョーレが馬にキスをし、
世話係が泣いています。 なんと、いい場面ではありませんか?!

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こうして、今年8月のパリオも終わり、シエナの暑い夏も過ぎました。
広場のたくさんの旗の中で、パリオも揺れて。

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遊びをせんとや生まれけむ
たわむれせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば
わが身さえこそゆるがるれ

如何でしたか、シエナのパリオは?!
シエナの男達の暑い夏、熱い血の燃える時、
TVで見ていても、心が揺れます!  また来年!!


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・ フィレンツェ ・ ルネッサンスの都

月一ゲストでご登場願っているグロリオーザさんの
素晴らしい写真による、フィレンツェのご案内。  
コメントも書いて頂きましたので、ごゆっくりどうぞ!
***

フィレンツェは15世紀から16世紀にかけ、
絢爛たるルネサンス文化が花開いた街です。
ミケランジェロ、ダヴィンチ、ラファエロの3大巨匠が
ほぼ同時期にこの街で創作活動に励み、
相前後してマザッチョ、ボッティチェリ、フラ・アンジェリコ、
フィリッポ・リッピなどが才能を開花させました。

街自体も「天井のない美術館」と称されるように、
あの丸屋根のサンタマリア・デル・フィオーレ(花の聖母)教会を始め、
素晴らしい建築物が林立しています。

この街を1回で紹介するなどという大それたことは不可能ですし、
ウフツィ美術館などは写真撮影禁止になってしまったので、
手元の写真フォルダの中にある
“ちょい、きれいかな”レベルの光景を何枚か御覧いただきます。

まずは、フィレンツェに行けば必ず案内される
「ミケランジェロ広場」からの、街全体の風景。

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これは5月の午後9時頃でしたか。少し前まで雨が降っていて、
あきらめて帰ろうかと思ったところで雨が止み、
束の間の夕焼けを見る事が出来ました。
ポンテ・ヴェッキオのシルエットが見えます。




昼の青空がのぞいた時間に撮った、ジョットの鐘楼。
鐘楼の階段は424段。 ドゥオモより少ないと思って昇りましたが、
イタリア到着翌日の朝で睡眠不足だったせいか、最後はバテバテ。
空の青さが印象的でした。

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ミケランジェロの、ローマ・サンピエトロ教会の「ピエタ」は有名ですが、
ここの「ピエタ」は彼が4製作したもののうち、3作目です。

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キリストを後ろから支える、バリサイ人ニコデモの苦しみに満ちた表情は、
ミケランジェロ自身といわれます。
「美」そのものとさえ言えるサン・ピエトロの像に比べて、
こちらはまさに「悲哀」をしみじみと感じさせます。
       
なお4作目の「ピエタ」はミラノにありますが、こちらは聖母マリア
イエスが溶け合うかのような姿で心を打ちます。


 

「ダ・ヴィンチ・コード」ですっかり有名になった、ドナテッロの
「マグダラのマリア」が十字架のイエスの前で祈っている像です。

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彼女は聖と俗を併せ持つ存在として、実に多くの作品に描かれて
いますが、このドナテッロの作品ほど、鬼気迫る姿のものは
見たことがありません。
      
「ピエタ」(前の写真)の向かって左側にいるマグダラのマリアと
比べてみて下さい。
この2作品は、いずれもドゥオモ付属美術館にあります。

なおドナテッロの作品では、バルジェッロ国立博物館にある
「ダビデ像」が大好きです。 ダビデのヒップラインが面白いですよ。




ウフツィ美術館前には、よく大道芸の芸人が出ています。 
これは白ずくめの2人の芸人が、中央の椅子に観光客を座らせて、
ポーズを取っているところ。
娘さんの表情がとてもチャーミングだったので、思わず1枚。

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この場所の柱には、ミケランジェロ、ダンテ、ダ・ヴィンチなどの
彫像がずらりと並んでいます。




ドゥオモ、鐘楼、サンジョヴァンニ洗礼堂 が写った写真も掲載します。

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怪しい空模様の日、カフェで一休みして外に出たら
夕焼けが見えました。 
あわててダッシュしてポンテ・ヴェッキオに行き、アルノ河の夕焼けに
間に合いました。 シルエットはサンタ・トリニタ橋です。

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その帰り道、ドゥオモ、洗礼堂の上に、またまた月が昇ってくれました。

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イタリアに行く時は、出来るだけ満月に出会えるように日程を組みます。
イタリアの深い藍色の空に浮かぶ月が、とても美しいんです。
ただ調整がなかなか難しいんですが。


       

ミケランジェロ広場で雨が降り出すちょっと前、夕景を待っている
時間に撮った、広場の街灯。 意外にきれいだったので。

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すっかり日が沈み、ドゥオモとジョットの鐘楼が夕闇に浮かび上がりました。

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ライティングはとても控え目で、うっすらと見える姿に
メディチ家の盛衰を思いやる気持ちが湧き上がりました。




サンタ・クローチェ教会のライトアップは、ドゥオモよりもちょっと強めです。

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この教会には、ジョットの傑作壁画「聖フランチェスコ伝」があるほか、
フィレンツェのパンテオンといわれるほど、有名人の墓が沢山あります。
ミケランジェロ、ガリレオ・ガリレイ、マキアヴェッリなど。

ダンテは、亡命先のラヴェンナが遺骨の返還を拒絶したため、
記念碑だけが造られています。
       
サン・ロレンツォ教会、メディチ家礼拝堂の「昼」と「夜」、
「曙」と「夕暮れ」の像が個人的には大好きですし、

サンマルコ教会の回廊を右に曲がると階段の上に忽然と現れる、
フラ・アンジェリコの「受胎告知」との出会いも忘れがたいものです。

また、サンタ・マリア・デル・カルミネ教会、ブランカッチ礼拝堂の
「楽園追放」に描かれたイヴの表情は、
世界で最も悲しい顔ではないかと思います。

それに何といっても、ウフィツィ美術館、ピッティ美術館の美術作品群など、
じっくり味わおうと思ったら、1か月はかかってしまうでしょう。

ぜひぜひ、フィレンツェにどうぞ!


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・ 夏のヴェネツィア ・ ヴェネツィアの窓 

暦の上では立秋を過ぎましたが、陽射しはまだまだ強く肌を焼く、
今日はまだそんな暑いヴェネツィアへ、ご案内を。 
映画「旅情」を想いだされるもよし、
かって訪れたヴェネツィアを想いだされるもよし、
ヴェネツィアの夏の窓の写真で、小路をたどって下さいね。

まずは、サンマルコ小広場から。
暑いイタリアの、なおまた暑いヴェネツィアですが、
いつの夏もいっぱいで、日影のカフェの椅子にでも座りましょうか?

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この白いテント、場所は少しうろ覚え・・。
強い陽射しを、お感じ下さい!!

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白と緑の縞のテントが、いかにも夏のヴェネツィアのイメージで。  

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手前の橋の上に立ったとき、すぐ目の前に2階の窓が見えて、
こちらが少しうろたえました!



小路の突き当たりに細い運河が流れ、その向こうにこの窓が。
暑い夏の日が、窓一杯に射しこんでいます。

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広場に面して同じ形の窓ですが、それぞれに表情を持って。

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これは、国鉄駅からカナル・グランデをリアルト橋のほうに、
大きくカーヴする辺りの建物。
 
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白に緑の縞のテント、テラスいっぱいの花、ヴェネツィアの夏。



国鉄駅から東にたどる道、ストラーダ・ヌオーヴァの建物の窓。
通りの両側はすべてお店で埋まっていますが、ふと上を見ると、
見事な花いっぱいの窓辺。 住む人が偲ばれます。

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運河に沿い、建物の壁は古いですが由緒ありげ。
白いテントと、花いっぱいの窓辺。 中はきっと涼しいでしょうね。

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表側は大運河に面し、ペギー・グッゲンハイム美術館に近い
ダリオ邸の裏の窓。 
やはり、白と緑の縞のテント、そして鉢の緑。

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まだ食事には早い、お客のいないレストランの窓。
ゴンドラも客待ちの時間。 

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・ イタリア唯一の絶滅収容所 ・ リジエーラ・ディ・サン・サッバ

今日は、死者を想い悼むお盆にちなみ、このイタリアに唯一存在した
「ナチスの絶滅収容所」のご紹介です。
  
日本では単に「強制収容所」と表現されますが、
こちらでは明確に区別されており、「絶滅収容所」と呼ばれるものは、
その収容所が、ユダヤ人等の殺害を目的とし、死体焼却炉があった
収容所を指し、アウシュヴィッツ・ビルケナウ・ダッハウ等がそれです。

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イタリアには、強制収容所が3箇所ありましたが、
トリエステの、リジエーラ・ディ・サン・サッバ・Risiera di San Sabba 
が唯一の絶滅収容所として存在し、他はボルツァーノと、フォッソリに。

この春実際に行かれた方から、パンフレットを送って頂きましたので、
写真と、記事でご案内いたします。
      
上は、マルチェッロ・マスケリーニ作のアウシュヴィッツの記念碑で、
パンフレットの表紙。



かってのリジエーラ・ディ・サン・サッバの様子。
リジエーラというのは、お米の脱穀をする工場の事で、

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サン・サッバにあったこの大きな工場の建物がナチスによって、
強制収容所、そして絶滅収容所に変えられたのですね。




現在の博物・記念館の図面。
右下が入口(ingresso)  A・死の部屋   B・小部屋
C・十字架の部屋   D・死体焼却窯のあった場所
E・現市立博物館(記録・遺品)  G・祈念の部屋(歴史展示)

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これが現在の博物館入口。

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ナチスが退却する前に、他の収容所と同様の手順で、ダイナマイトで
破壊されたリジエーラは、戦後避難民達の収容所となり、
その後1975年に修復の後博物館としてオープンされました。

これをプロジェクトしたロマーノ・ボイコ氏は、余計に付け加えるのではなく、
余分を取り除き、記念碑として残したいと、高さ11Mのセメントの塀を入口に。  
不安な気持ちを感じさせる入口、を意図したのだそう。



最初の図面 C「十字架の部屋」からの眺め。

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図面 A の部屋、地下通路の最初の左側の大部屋は、収容者達から 
「チェッラ・デッラ・モルテ・死の部屋」と呼ばれたそうで、
ここには監獄から連れて来られた収監者たち、または警察の徹底捜査で
逮捕された人々が詰め込まれ、数時間の内に殺害され、焼却される運命に。

証言によると、しばしば焼却される死体と一緒であったといいます。



図面 B の小部屋。  
修復の際、構造上必要な物以外はすべて取り払い、但し17の部屋と
死の部屋はそのまま残したとの事。

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リジエーラは、ドイツ、またはポーランドへ送るための人々の選別、財産略奪、
そしてパルティジャーニ(パルティザン・ゲリラ兵)、政治犯、ユダヤ人の拘留、
殲滅所で、
広い部屋のユダヤ人、一般市民の収容者、兵隊達は、全年齢層の男達、
女達、そして生後何ヶ月かの赤ん坊達も、ドイツに運ばれる運命にありました。 
 
ここから、ダッハウ・Dachau、アウシュヴィッツ・Auschwits、マウハウゼン・
Mauthausenへ送られ、ほんの少数のみが逃れられた悲劇的な運命に。



これは、セレーナ家の一人が壁に書き残した物で、 
上の線で囲った中に、家族の名前と生年月日が見えます。

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「死の部屋」の隣の部屋の扉と壁は、引っ掻き絵と書き込みで埋められて
いたのが、連合軍による占領で、
リジエーラは、避難者達(イタリア人、外国人)の収容所となり、
湿気と埃、そして無関心から、最終的に、この引っ掻きや書き込みは、 
殆どが消え去ったそう。



リジエーラの統率者達。

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トリエステ、フューメ、ウーディネは、1943年9月以降ナチス統治下に置かれ、
リジエーラは1944年の4月から、死体焼却炉が稼動を始めました。  
ですから、絶滅収容所としての活動は約1年間続いたのです。

イタリアの北東部は、ナチスにとって最後の占領地であり、砦で、
ポーランドでの殲滅作戦を終えたプロフェッショナル達が送り込まれ、
その仕事に取り組みました。

約3000~5000人の人々がここで抹消され、そしてもっと多数の人々が
逮捕収容された後、リジエーラから強制収容所へ、または強制労働へと
連行されました。

リジエーラの特異性は、抹殺への選別場所、出発場所であった事で、
123本の列車がイタリア全土から、ナチの絶滅収容所へは69の列車が、
そして30の強制労働の収容所へ直接に、ここトリエステから出発したのでした。



死体焼却炉跡での式典 1945年。

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内庭の、今日金属板で示されている場所に、殲滅の為の焼却炉の施設
がありました。 
設備は、階段を下りた場所に内蔵の形であり、地下の通路(筒)が、
焼却炉と煙突を繋いでいたそうです。
焼却炉の施設と繋がった煙突は、1945年4月29日から30日にかけての夜、
逃亡するナチのダイナマイトにより破壊。
 
これは犯罪行為の隠匿の為、他の幾つかの収容所と同様、
逃亡する際の手順に従って行われたという事。



現在のリジエーラ。

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トリエステで1976年4月、30年の経過を経てサン・サッバの占領下における
犯罪行為の責任についての裁判が終了しましたが、
サン・サッバのリジエーラの被告席は空のままでした。

彼らのうち何人かは、すでにパルティジャーニによって処刑され、他は自然死を
遂げており、裁判は、リジエーラの所長であったオーベルハウザー・Oberhauser 
に終身刑を課す事で終了しました。
 
その全生涯を、ナチスの犯罪を暴き、犯罪者を探すことに捧げた
Simon Wiesenthalの言葉で締めくくります。
  単に処刑の必要さだけではなく、教育の問題でもある。
  このような犯罪が記憶の奥に落ち込み、
  消滅する事の無いように、すべての人々が知らなければならない。
  誰もが考え、ネオナチスタは知らねばならない。
  例え、正義の歯車はゆっくり回るにせよ、
  最後には正義が勝つ事を 



白い、開いた蓮の花を、朝の光の中でレンズを通して覗き込んだ時の、
そのなんともいえない静寂さ、神々しいとさえ言える美しさに
息を呑んだ瞬間が、忘れられません。  
薄いピンクの蕾を一輪、死者たちと想いを交わすお盆に捧げます。

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ハンガリーのブタペストにおいて外交官を装い、5000人ものユダヤ人を救った
ジョルジョ・ぺルラスカについては、こちらに。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461060318.html       


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・ スコミーゴ村 ・ 夏 

8月に入り急に秋のような冷たい雨になったり、朝は寒い位に
涼しい日が続く、こちら北イタリアです。
スコミーゴ村の風景も、秋に向けほんの少し様変わりしつつあります。  
いつもの道ですが、どうぞ、ご覧下さい。

トウモロコシがかなり大きく育ち、膨らんできています。

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ホラ、こんな風に!! 
高さは2m足らず、下の方はまだまだ実が育ちつつあります。

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上から見ると、ちょうど白い雪の結晶のような花と、うすいピンクの花びら。  
野原の花火のよう。

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この可憐な花の名前、マツムシソウでしたっけ?!

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葡萄の房も、かなり大きく目立ち始めました。
このスコミーゴ村の葡萄畑は、坂の下よりもかなり育ちが良いです。

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ホラ、これなど、かなり「たわわ」という感じに。
あと1ヶ月もすると、葡萄摘みが始まります!!

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写真では谷の深い感じが出ませんが、一旦ぐっと下り、
オリアーノ村に向けて上ります。
この道も15年前は地道で、もっと狭かったのですが。

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まだ通った事がない小道を、そろそろと行ってみました!
はじめてみる農家の庭に、まだ若い黒猫君が。
彼の方から近寄ってきたので、写真を数枚。涼しくなら、ご紹介を。

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「売り家」の札が立った農家があり、谷の方には果樹がたくさん。
先月が大変暑かったので、既にこんなに色づいています。

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これ、分ります? プラムです。  
こちらでは、スジーニ(複)と呼びますが、紫の実がたわわです。

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起伏する谷の、広い面積が葡萄畑。
上に見える家々が、オリアーノの村の道筋に当ります。

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売り家の札の立った農家の庭先に、主がいなくても、今を盛りと
ノウゼンカズラが咲き乱れていました。

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サルスベリと共に、夏の色、夏の花が満開です。


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・ アウロンツォ・ディ・カドーレ ・ Auronzo di Cadore 

夏いよいよ本番! 今日は夏のヴァカンス地としても有名な、
アウロンツォ・ディ・カドーレのご紹介を。

前にご紹介した、ティツィアーノの生地ピエーヴェ・ディ・カドーレ
同様、カドーレの地名がつく一帯で、写真はちょうど8月初旬。

まずは地図からどうぞ。
下右にアウロンツォが見え、反対左にはコルティナ・ダンペッツォが。

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真ん中にLago di Misurina・ミズリーナ湖があり、
アウロンツォを通る川、殆ど湖かと思う川は、
ミズリーナ湖から流れ出すAnsiei・アンシエイ川です。  

行くには、ヴェネツィアからカラルツォの終点まで電車、そしてバスが連絡、 
コルティナ・ダンペッツォ行きとは反対に、東から谷を回ります。



これが、「アウロンツォ」として、良く紹介される構図。
奥に見える山々はすべて3000Mに近い山々で、
ドロミテ山系への山登り、の出発点の町の一つ、です。

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いかにもアルプスの麓、というイメージでしょう?  
長い冬の間、暖炉で燃やす薪の山で、山の暮らしが偲ばれますね。

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山の人々の素朴な信仰が感じられる、
道脇の、野の花の供えられたキリスト像。

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ドロミテ山系の、突然ガッと岩山が聳え立ち、木のない山、
というのが、日本人にはいつも新鮮な驚きの眺めです。

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家の前に装飾で置いてあったのですが、穀物を挽く臼と重石?  

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山の家らしく木のベランダ。 飾りのついた柵と、
軒下にいる角の持ち主にも、ご注目を!

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町の位置で太く、まるで湖に見えるアンシエイ川。  
そして、この色! 本当に、エメラルド色なのですよ!!  
白い石の河原には、水着で寝そべる人も大勢。
 
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この川、細長い湖では、夏にモーターボートの競技も行われますが、
双胴というのか、細い胴が2つ繋がっているタイプのモーターボートです。  

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が、我々はこの足こぎ貸しボートでゆらゆらと。
川ですから下りは良いのですが、帰りの遡りには結構な運動量で!



町外れの小さな教会。雪深い山里らしく、屋根の傾斜がきつく、
そして屋根瓦が、丸いタイルを繋いだものでした。

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こういうタイプの屋根瓦は、多分ティロルの伝統なのでしょうか、
北の南ティロルのトレントや、ボルツァーノでも良く見かけます。



教会の屋根の天辺に小さな風見鶏。
屋根の丸いタイルの色も、一色でないのが美しいでしょ。

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お家の花壇に清楚な花が、ひっそりと。  

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谷を川が流れ、それに沿って町も細く続き、時々通りの隙間から見える
エメラルド色。 忘れられない色。
小さく区切った野菜畑も見えました。

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・ シエナのパリオ ・ Il Palio di Siena

フィレンツェの南、急行バスで1時間の距離にあるシエナの街。
ここはフィレンツェを京都に例えると、奈良に当る感じの古都ですが、
今日は、毎夏行われる「パリオ」と呼ばれる競馬のご紹介です。

パリオ
毎年7月2日と8月16日に、シエナで「パリオの競馬」が行われる。
この日、街は熱狂と情熱のなか、中世の色彩と精神におおわれる。
パリオはカンポ広場で行われ、まず時代衣装の行進から始まるが、
街の17の地区の、民衆の地区長、指揮者、侍者、旗手、など、
これは、まさに言葉で表現出来ないほどの色の幻覚でもある。
そして競馬が始まるが、これは鞍なしの馬である。
籤で決められた騎手たちは、10の地区のそれぞれの「色」をつけ、
マリアの描かれた絹の旗「パリオ」を得るために、争う。

シエナのカンポ広場

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シエナの街の中心にこの広場があり、塔は「マンジャの塔」で、その足元にある
建物が市役所で、市の博物・美術館でもあるコムーネ宮。
広場はちょうど貝殻の形で広がり、この周囲で競馬が行われ、
内側は人で埋まります。
       
この競馬が難しいのは、広場は平坦でなく、広場に放射線状に広がる線が
見えますが、ちょうど扇の要に当たる部分が一番低く、反対側の高い部分に
向かって、左右とも傾斜しているからなのです。
  
特にマンジャの塔の下の小さな礼拝堂にちなみ、「サン・マルティーノのカーヴ」
と呼ばれる、写真の一番左側に当るカーヴ、ここと、反対側右上のカーヴが
一番の難所で、騎手の落馬、馬の転倒が頻繁です。



街の17地区の紋章
現在シエナの街に残る「コントラーダ・地区」と呼ばれるのは17ですが、
かっては23あったようです。
で、この17地区が予選をし、10地区が決戦に出場します。

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上の左から右へ、
1・アクイラ・鷲  2・キオッチョラ・カタツムリ 3・チヴェッタ・梟  4・オンダ・波  
5・パンテーラ・豹  6・セルヴァ・(犀)・林  7・レオコルノ・一角獣 
8・タルトゥーカ・亀  9・ニッキオ・貝  10・トッレ・塔  11・ルーパ・雌狼 

12・ブルーコ・青虫  13・ドゥラーゴ・龍  14・ジラッファ・キリン  
15・イストゥリチェ・針鼠  16・オーカ・家鴨  17・ヴァルディモントーネ・カモシカ

殆どが動物の名を名乗っているのが面白く、そして名前が速さを現すわけではなく、
ブルーコ・青虫 も、オーカ・家鴨 も優勝した事があります!



ズバンディエラータ。
まず時代衣装の行進から始まりますが、これは街を一周した後、カンポ広場に。  

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「旗振り競技・ズバンディエラータ」は、各地区の色と、紋章の柄とを
デザインした、衣装と旗で行われます。
地区ごとにゆるゆると行進しながら、旗を振り、それが17地区分!!  
中世のスピードで、何事も進みます!!



パリオの入場 
これが時代衣装の行進の最後に進む、白い雄牛に惹かれた牛車の上に掲げられた
「パリオ」です。 毎回、図柄は違う画家が描きます。

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この白い雄牛は本当に美しく見事で、日本でも平安の昔にあった牛車とは、
このような物だったかと、想像させられます。



スタート。
競馬の馬、そして騎手は籤で決められ、その地区の馬、騎手ではありません。
そしてスタート位置の場所順も籤で、
こちらは、いよいよ馬と騎手が登場してから決まり、場内に放送されます。  
これで、半ば運が決まるようなものですから、一番内側のコースから、どこそこ、と
放送される毎に、喜びと、嘆きの声があがります!

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ロープ(カーナパと呼ばれます)が2本張られ、その内側に順に馬が入ります。
そして最後の馬が駆け込むと同時に、前のロープが落とされ、走り出します!
馬は鞍無しの裸馬で、ムチに替わる雄牛の神経を干した物、が使われます。



スタート直後の転倒落馬。
9頭の馬が順に名を呼ばれてロープの内に入りますが、この時すでに様々な
駆け引きが始まり、馬が苛立ち、コースの順番が守られなくなり、一旦外に出て
再度スタート地点に入りなおす、等は何時も、何度も繰り返されます!

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10番目の馬が走り込まないとスタートできませんから、何度も繰り返される内、
騎手同士の言い争い、また馬が汗をかきすぎると、拭き取るのに騎手が
降りなくてはならずで、こうしてスタートも、中世のスピードで!!



広場の上側、長辺部分。
この辺りが一番高い場所で、もう2つ先に一番の難所サン・マルティーノのカーヴ。

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広場内も人で埋まり、周囲を囲んでの桟敷もいっぱいの人、人、人!
建物の窓にはお祭りの飾り布がかかり、人々の大熱狂の中でパリオが行われます。



サン・マルティーノのカーヴ。
このカーヴは、下り坂で走って来たうえに、ほぼ90度のカーヴ!
白いクッションマットが一面に張られているのが見えますが、曲がりきれずに
激突し、騎手の落馬が一番多い地点です。

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馬は、それぞれの地区の色のリボンを額につけていますから、騎手が落ちても
走って行き、着順はそのまま認められます。
私は実際に広場内で2度見た事がありますが、
'89の夏7月2日は、1位2位とも無騎手の馬でした!!



競馬はこのカンポ広場を3周します。
この地点は、マンジャの塔から見て広場の左下の角で、このすぐ上が
スタート地点であり、終着地点です。

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広場は煉瓦と石敷きですが、この競馬の為に土が入れられています。



勝った!!  うれし泣き!
パリオの行われる前夜は、各地区で長いテーブルが用意され、
人々が一杯やりながら、騎手を囲み景気づけをします!
そして当日は、特別にヴァティカンの許可で、教会の中に馬が連れられて入リ、
勝ちて帰れ! と祝福を受け送られるのですね。

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で、勝った地区の人々は、その興奮と熱狂のままドゥオモに向かい、
感謝の祈りを捧げるのです!!
パリオの夜は、カンポ広場のあちこちに篝火がたかれ、
遅くまで、パリオの熱狂と、シエナの中世の夜が続きます。

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イタリアのお祭りはたくさんあり、そのどれもがその土地の歴史と熱狂、郷土愛に
溢れていますが、シエナのパリオは、まさにその熱狂度において、
そしてそのスピード感と、盛り上がりにおいて群を抜いています!
  
RAIのTV中継が毎年必ず行われるのは、シエナのパリオと、ヴェネツィアの
レガータ・ストリカのみで、盛り上がりにおいて、このパリオに勝る物はありません!!

こうして書いても、果たしてその面白さがお伝え出来たかどうか、
チャンスがありましたら、是非ご覧頂きたいと思います。
桟敷席は、日本からでも予約出来ると思いますし、カンポ広場内は、無料です!!

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