・ ナポリという街 ・ NAPOLI 

今日はグロリオーザさんご提供の写真で、ナポリ編です。
皆さんは「ナポリ」と聞いて、何を最初に思い出されますか?
ピッツァ、ポンペイ、ヴェスビオ山、下町、洗濯物、夜景、泥棒、
ソフィア・ローレン、ナポリを見て死ね ecc,ecc。

さて今日の写真には、一体なにが?! コメントも彼です。 どうぞ!
***

これが、世界3大夜景といわれる、ナポリの夜景です。
ポジリポの丘という、街の中心部から西側の高台で撮ってみました。
刻々と移り行く光の変化は、雄大なナポリ湾を幾通りにも変身させ、
時間の経つのを忘れるくらいでした。

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お薦めですが、治安の問題があるので、それなりの対策は必要です。



今度はヴォメロの丘という、もっと中心街に近い丘から見たナポリの街の中心です。
       
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遠くにそびえる高層ビル群は官庁街、右側に縦に見える溝のような道のへこみは、
「ナポリを真っ二つに割る」という意味の、スパッカナポリという旧市街の通りです。
      
ここは世界遺産になっています。ナポリはローマ、ミラノに次ぐイタリア第三の都市。 
やはり大きいです。



このサンマルティーノ美術館からの眺めも、ご覧のように、なかなかのものでした。
本来なら正面にベスビオ火山が見えるのですが、この日は、山頂部分が雲隠れ。
私の滞在中は、お目にかかれませんでした。 また来なくちゃあ。

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ナポリといえばピッツァ。 今回の旅行では、殆どまともな食事をしませんでしたが、
これだけはと決めていた「ブランディ」という店のピッツァ・マルゲリータ。
ここが、マルゲリータ発祥の店です。

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厚めの生地で、最後の一切れまで独特のもちもち感が持続して、満足の一品。
私は午後2時過ぎに入りすぐ座れましたが、昼時は予約しないと難しそうです。



スパッカナポリの一角です。 魚屋の掛け声、バイクの騒音、人込み、
それらが一体となって唸るような熱気があふれます。

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あぶなそうな兄ちゃんもいましたし、ひったくりも多いそうです。
でも、カオスの面白さに引き込まれそうです。



街は坂が多く、坂上から見下ろすとその熱気が立ち上って来るようです。
家々のそこかしこに洗濯物がぶら下がり、振り返るとソフィアローレンが出てきそう。

6-P1010292_t_GF.jpg

危険性はあるものの、とても魅力的な街でした。


***
何とまぁ、素敵な夜景ですね!  もの凄く美しい青!       
それにピッツァの美味しそうな事!! このプックリ、トマトソースの色!

そう、日本では結構美味しく真似したイタリア料理が食べられますが、
パスタそのものの味、そしてピッツァは、こちらで食べたら如何に味が違うか・・、
説明は致しません!  お試しを!!

ナポリについては、読むかTVニュースで知るのみですが、1度は行って見たいもの。
危ないニュースもたくさん聞きますし、逆に大変人情に熱い町、とも。
きっと、どちらも本当のナポリなのでしょうね。

今回の写真に遠く見える、高層ビル、近代的なビルに少し驚きました。
なんとなくナポリの印象には、ほど遠いような・・!
こういう感想こそ、遅れているのかもしれませんが、皆さんは如何?


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・ アクイレイア ・ ローマに次いで栄え、そして衰退の町

今日はアクイレイア・Aquireiaのご案内を。

アクイレイアが歴史に登場するのは181年、ローマ軍が3000人の兵を
駐屯させた事に始まりますが、実際の町の起こりはもっと古くからといわれます。
ローマ期に第2のローマと言われるほどに栄え、中世に衰退したこの町、 
アクイレイアの、かっての華やかさをご紹介いたします。

写真は、絵葉書と旅行雑誌Travellerから。

まず、アクイレイアの象徴を。 左上から順に下へ、 鐘楼、 金貨、 
床モザイク、 フォロ、 バジリカ、 バジリカの床モザイク。

20060523223251_sh01_t_t.jpg



アクイレイアの地図をどうぞ。   
1. ムゼオ・パレオクリスティアーノ(初期キリスト文化博物館)
2. ポルト・フルヴィアーレ (川の港遺跡)
3. フォロ・ロマーノ (公共広場・裁判所)
8. ムゼオ・アルケオロジコ・ナツィオナーレ (国立考古博物館)
9. バジリカ 

20060526204937_sh01_t_t.jpg



バジリカの正面。 5世紀から始まった蛮族の襲撃で何度も破壊され、
現在の物は9世紀から11世紀にかけて、修復再建されたもので、
ゴシック・ロマネスク様式。

20060523230150_t_t_GF.jpg



内部は3廊式になっていて、大変素朴で壮大な雰囲気。 
2列に10本の円柱が並び、4世紀始めの素晴らしい床モザイクが残ります。

20060523223337_sh01_t_t.jpg



床モザイクのある場所の地図をどうぞ。 一番右から
・バジリカ内部の南側、ここにBuon Pastore・良き羊飼いのモザイク
・内陣奥の地下、ここにフレスコ画で飾られた地下聖所
・鐘楼内部床面、ここには鳥や、動物のモザイク 
・鐘楼北面側壁、ここに、鶏と亀の戦いのモザイク

20060526204937_sh02_t_t.jpg

◆追記です◆
これを書いた時から随分事情が変わりまして、現在は内部の床モザイクも
アクリルの歩道の上から見れるように、鐘楼下のモザイクも聖堂内から入って
見れるようになりました。



聖堂内部の床モザイクは、キリスト教圏における最大の大きさを誇るとの事で、
700平方Mに及びます!  
       
ただし普段はシートで覆われていて、こんな風にチョッピリと見せて頂けます。

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絵葉書で、床モザイクを。 福音書のモチーフとの事で、「木の上の、イセエビ」!  
美味しそう!! でも、なぜ木の上なの?
    
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★ さちこ&Vaniaさん、と仰る方がコメントで教えてくださいました。
  旧約聖書の中に、Gesue'というのが出てきます。 モーゼの後継者で、
  約束された地、エルサレムに人々を導く人で、日暮れまでに戦に
  勝たなければならなかったことから、”太陽よ止まれ”と、言ったといわれ、
  イセエビではなく、鋏がない海老類が、太陽がひるむ、あるいは、あとづさりする
  と言う意味を表しているそうです。

  木は5本のうちの一本で、それぞれ1000年をあらわし、
  6000年目にイエスキリストが再来し、8000年目には神が創造した
  本来の世界が現れるといわれ、つまりエポカリスとなるとキリスト教徒が信じていた
  ということです。
さちこ&Vaniaさんに感謝です!



「魚釣りのシーン」  何と、躍動感溢れ、魚の多くて、大きな事!  

20060523224311_t_t.jpg



この魚を見てください! 名前が特定できそうな位、描写が優れています。
職人の技とはいえ、4世紀にすごい物ですね。

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「良き羊飼い」のアップ。  実はこの絵葉書に驚きで、今迄何度も見ていて
気がつかなかった事は、羊飼いの右手にある「パンの笛」!

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ギリシャの時代から伝わるパンの笛、イタリア語で「シリンガ」と言いますが、
何度も本等で読みながら、今回始めて、ここに登場しているのに気がつきました!



バジリカ内で、国際的なコンサートも行われるとの事。 
音の響きが、素晴らしいでしょうね。

20060526210327_sh02_t_t.jpg

一度、アッシジのサン・フランチェスコ教会でその夜コンサートがあると知り、
大急ぎでシャワーを浴びて行ったのに、既に扉がしまっていました!
翌日偶然道であった日本人から、素晴らしかった!と聞き、
とても残念だった事、今も忘れません。  
一度、音の響きを、経験してみたいものです。



ちょうど鐘楼が真っ直ぐ奥に見える場所、にバスが止まります。
何世紀も経ているような糸杉の並木道で、荘重な雰囲気がありますが、
       
20060523225448_t_t_GF.jpg

その道の西側一帯、そしてバジリカの北側、最初のアクイレイアの地図で言うと
5,6,7の一帯に、発掘されたローマ期の家の跡が広がっています。

この写真は、道のすぐ西側から鐘楼を眺めたものですが、
次回に、家の跡に残るモザイクなどもお目にかけますね。


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・ ナポリ湾の小島 ・ プロチダ島 ・ Procida

今日は先回のローマ編に続き、グロリオーザさんご提供の写真による、
ナポリ湾の小島、プロチダ島のご紹介です。
コメントも先回同様、グロリオーザさんに書いていただきました。
     
文中にあるように、この島は映画「イル・ポスティーノ」の舞台となった島で、
島の青年と南米から亡命してきた詩人との交流、そして青年の恋を描いた作品で、
病をおして主役を演じたマッシモ・トゥロイージの、最後の作品となりました。
映画とは一味違う、明るい印象のプロチダ島をご覧下さい。
*** 

この島は面積3.7平方キロ、ナポリの西側、地中海に浮かぶ小さな島です。
実は、この風景をあるホームページで見つけ、絶対ここに行きたいと、
1年も前から思っていた所です。

ヴェネツィアのブラーノ島と同様、漁師たちが港に戻る時に自分の家がすぐわかる様に、
色を塗ったという事らしいですが、白を基調にしたブリリアントな色調が、
太陽の光を浴びてまぶしいほどに輝いていました。

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その輝きも、夕方になると哀調を帯びてしっとりと色彩を沈ませ、
人生とは・・、などとメディテーションの世界に引きずり込まれそうになります。
ここが、映画「イル・ポスティーノ」の舞台になったのがわかるような気がします。
      
プロチダ夕景P5073052_t_GF.jpg
 
遠くに見える山は、イスキア島です。



「写真を撮ってもいいかい?」と聞くと、島の子供達はちょっとはにかみますが、
たちまち豊かな表情で写真に納まりました。 みんな愛すべき友達です。

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ホテルのテラスから撮った、朝の風景。 こんな所に住みたいとは思いませんか?

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ここまでの写真は、コリチェッラという漁村地区のものでしたが、
ナポリからの船が着くのは、島の反対側にあるマリーナグランデ地区です。
    
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こちらは島で最も賑やかな地区で、ヨットも沢山係留してありました。
ここのバルで食べたグラニータ(日本のシャーベット)はうまかった。



島の道はどこも狭く、迷路のようです。 

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教会につながる道を、サッカー帰りの少年が
歩いていました。 「ちょっと疲れたけど、とても楽しかった」
後姿はそう言っているように見えました。

P5083210_t_GF.jpg


***
なんとも美しい島の家々ですね! そして蒼い海!! 
写真を送って頂いた時は驚きました。
       
この島に行くには、ナポリから連絡船が出ており、1時間ほど到着するようで、
このプロチダのさらに西に、有名なイスキア島があります。

この辺り太陽が豊富で、大変暖かな場所の様で、写真を写されたのは5月の初め、
この北イタリアではまだ、到底ゼラニウムの花など咲いておりません。
子供達の表情の明るい事! プックリのお腹も、大変愛らしい!
私はまだローマ以南には行った事がありませんが、いつか行って見たいものです。
      
来週にはもう1度、グロリオーザさんのナポリ編の予定です。 お楽しみに! 

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・ ローマ つまみ食い

今日はグロリオーザさんにお願いして送って頂いたローマ編です。
彼の写真は、既に何度かこのブログに登場して貰っていますので、
彼の写真の素晴らしさは良くご存知と思います。
このローマ編は、コメントも彼に書いて頂きました。 どうぞ!
***

5月の連休を利用してイタリア旅行をした時の、写真の一部を紹介します。
ローマは、実質1日だけしかおらず、昼は雨にたたられてしまったので、
夕方から夜、そして室内の写真だけにしました。

ローマ・フィウミチーノ空港着が、午後6時半頃。
ここからダッシュで、テルミニ駅行きの列車に乗り、駅前のホテルにチェックイン、
即カメラを手に、地下鉄B線で2駅目のコロッセオに駆けつけた。
到着時間は午後8時10分。 

この日の日没は午後8時12分なので、ぎりぎり、夕刻から夜の撮影に間に合った。
この写真は、駅側から見たライトアップされたコロッセオ。
       
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光源の違いによって下が青、中間が黄、上方が白と色彩の変化が見られる。
意図的なのかどうかはわからないが、とても幻想的でした。



ヴァチカンの、サン・ピエトロ寺院に入るとすぐの右側廊に、この「ピエタ」像はある。
ミケランジェロ24歳の作品。 唯一、彼のサインの入った作品でもある。
       
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哀しみを全身に湛えながらも、これほどまでに美しさと静けさに満ちた女性像を、
私は他に知らない。
       
以前心無い者によって壊され、以来ガラスで隔てられてしまったので、
クリアな写真はなかなか撮れません。



ジェズ教会は、イエズス会の主教会で、バロック三昧の豪華絢爛な教会です。
この像は何かわかりませんが、バロック風なアングルで抑えてみました。

3-3r1010147_t_GF.jpg

ここには、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの右手の遺骨が
納められているそうです。 ザビエルは中国で死んだのですが、遺体を運ぶのは
大変だったので、法王の命で、右手だけがローマに運ばれたとか。



サンタンジェロ城の黄昏 撮影時間は午後8時半ころ。
テヴェレ川沿いにそびえるこの城は、ローマのさまざまな建物の中でも
特に威圧的な印象で、「聖天使城」という名前がそぐわない感じですが、
黄昏の中でみると、ちょっと優しげに見えました。

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「ダヴィンチ・コード」の作者ダン・ブラウンの前作「天使と悪魔」では、
この城も重要な場面で登場していますね。



夕陽の中のサン・ピエトロ寺院の影。 この日は夕方から晴れて、
サン・ピエトロ寺院とサンタンジェロ城との間に、太陽が沈んで行きました。

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サン・ピエトロのクーポラはミケランジェロの設計、サンタンジェロ城前の橋に
建つのはベルニーニの彫像(今はコピーですが)。
この2人の巨人の作品を、シルエットで入れてみました。



サンピエトロの夜景。 夜9時過ぎになると、さすがに暗くなります。

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あの大きなクーポラも、サンタンジェロ城のもう1つ先のウンベルト1世橋から
眺めると、ほどよい大きさで浮かび上がり、
ああ、ローマにいるんだという実感がこみ上げてきます。


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・ フリウリの、 ヴィーノ・ビアンコ(白ワイン)!

旅行雑誌「Traveller」の特集、フリウリ・ヴェネツィアジューリア州の
ヴィーノ・ビアンコ ・白ワインをご紹介です。
写真は全てこの雑誌からスキャンした物。

桃源郷との国ざかい。 
スロヴェニアとの国境ちかく、グルメの周遊旅を。
小さなホテル、トラットリア、アグリトゥリズモ。
一帯のワインは素晴らしく、ワイン倉は旅行者に解放され。

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ワイン地図をどうぞ。
フリウリには、1つのDOCG(最高級銘柄)と、
9つのDOC(高級銘柄)が揃っている。 
その他、上等のワインは溢れるばかり!
  
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14. Nimis - DOCG
2. Cormons
3. Dolegna dei Collio
8. San Floriano del Collio
8. Oslavia 



白ワインの中では、DOCのTocai ・トカイと、 
Ribolla gialla・リボッラ・ジャッラが抜きん出ている。

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かって葡萄の木のうどんこ病に、硫酸銅を霧吹くのに使われた、
肩に背負うポンプ。  
今は、熟枝の飾り用に植木鉢代わりに。

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葡萄の収穫を、ヴェンデーミア・vendemmiaと言います。
この写真は、スロヴェニアとの国境に近いコッリオで。
女性の顔がイタリア女性とはまたちょっと違う雰囲気です。

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リボッラの葡萄、サンフロリアーノ・コッリオにて。
白ワインのDOC、リボッラになる葡萄。 
乾いた味の、心地よい酸味のあるワインとの事。

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ワイン地図2のコルモンスにあるワイン企業ボルゴ・デル・ティーリオ
の主人、ニコラ・マンフェッラーリ。  
他の企業の主人は皆ピチッと決めて写真に写っている中、
彼のみが働く姿で。

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なだらかな丘が幾つも続く、コッリオの眺め。
中央奥に小さく見える街がゴリツィア、国境の町。

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コルモンスのワイン畑の持ち主が営む7室の宿、「テッラ&ヴィーニ」
(Tel 0481-60028)の、おやつ!!
ワイン、生ハム、チーズ、そしてパン。  美味しそう!!

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フリウリの唯一のDOCG、ニミス(ワイン地図 14)の
「ロマンドーロ」の主人の娘さんステファーニア・ドゥリ。
このワインは、食事のあとチーズかデザートと。または瞑想の友に。

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ワイン蔵の宝石。
サン・ジョヴァンニ・アル・ナティゾーネ(地図17)の 
リヴォンのワイン倉。
それぞれ、年代の違うワインの並び。 瓶の肩にうっすらと埃が。

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元ロサッツォ修道院。 この修道院が出来たのは1068年。 
最初はアゴスティーニ派の修道僧が、そしてオーストリアから移住
してきたベネデッティーニの僧がすぐに葡萄畑を作り、
古い、歴史あるワイン造りを始めた。

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今この修道院は由緒あるロマネスク教会と共に完全に修復され、
海まで見晴るかす眺めのよいテラスで、ワインを味わう事ができる。 



チヴィダーレの、ディアコノ広場のワイン・バーで、
杯に注がれる赤ワイン、スキォペッティーノ・Schiopettino 
お客のうれしそうな横顔!

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・ イニャバウワー、または、I GATTI APERTI 特集 

「イナバウワー」については説明が要りませんね。 
あの荒川静香選手の技を、あちこちの猫達が踏襲しているとのニュース!! 
題して「イニャバウワー!」
またはロッセリーニ監督の名画「無防備都市・La Roma citta` aperta」
にちなみ、「無防備猫・イ・ガッティ・アペルティ」と申します。

我が家の猫のみならず、長野から「シンちゃん」、
そしてゆんぴょさんちの「にゃーこ」も参加です。

シンちゃん、堂々2回目の登場!  
コメントは、シンちゃんの家主のナオちゃんです。

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"秘技"「寝ながらイナバウワー」を決める、「シンちゃん」
つい最近、トリノオリンピックの金メダリスト「荒川静香」女史が、オリンピックからの
引退を表明した。これからは、プロのアイススケーターになるのだという。
その「荒川静香」女史が、引退セレモニーで、オリンピック以来
日本では初めていう、金メダルの華麗な滑りを見せてくれた。
       
どうやらこの滑りを最後に、イナバウワーを封印するらしい。
かの名曲「テゥーランドット」をバックに、世界を魅了したあのイナバウワーが
もう見れなくなるのかと思うと、一抹の寂しさを覚えるのはこのオイラだけであろうか?
そんなことを知ってか知らずか、夜遊びからご帰宅された、
超お気楽「シンちゃん」が、ソファーの上で、寝ながらイナバウワーを決め、
オイラを慰めてくれるのであった。

ナオちゃんのブログ「ごしょらくさん」はこちらです。
https://blog.goo.ne.jp/gosyoraku2005



にゃ~こ、初登場で決めます!
コメントは「にゃ~こ」のママ、
「イニャバウワー」なる言葉の発明者、ゆんぴょさん。

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イニャバウワー ・ めざせ、フィギュアの星!
オリンピック、終わっちゃいました。 賑やかで楽しく、またちょっと寂しさも。
でもまだまだ余韻がありますね。 やはりフィギュアの感動が大きいからかな。
日本にとっては、メダルという点では苦しいオリンピックだったのでしょうけど、
収穫も多かったのでは?  
で、我が家はまだ、ネコリンピックが続いています。
にゃーこの「イニバウワー」。 
もっと反らなきゃダメですね。 修行が足りないよ!



春の光の中、にゃーこはのんびりGW。 ん? 猫は毎日が日曜日ですよね。
うらやましい。 ゴローンと、くつろいでいる所を撮りました。
こんな姿を見ると「側に居てくれるだけでいいよ!」と思ってしまいます。

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フジ子・へミングがよく「人生の苦難から逃れる道は二つある、音楽と猫だ」という 
シュバイツァーの言葉を引用していますが、思わず納得しますね。
ちょっと光の加減が強くて写真失敗?と思いましたが、何となく光の中に
溶け込んでいくような、まどろみも感じられるので、春の光の中の猫という事で・・。

ゆんぴょさんのブログは、こちら「日々の足あと」
https://kanakana40.at.webry.info/



では我がshinkai家の猫を、一挙にご紹介。

はじめまして! シンカイの次男、健です。 開高 健さんにちなんでの名を。
目つきが強く「シンカイ組の健」と言われますが、鼻のほくろが自慢で、
心は大変繊細、お母はんがイタリアに旅行の時は、自閉症になりました。

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では、技をお見せします!
床面支えなし技。 如何?! 支えがあると、もっと凄技もお見せ出来ますが、
余り露出度の高いのは、 と自主規制です。

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シンカイ健の秘蔵写真、「猫と裸婦」です。
ご覧になるのに、首の筋を違えないよう、ご注意願います!

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シンカイ ガボ、 並びに ハク。
左の白い方が、シンカイの長男ガボです。「ガボ」という名はシンカイんちの
猫の世襲で、彼が3代目。 が、彼で永久欠番です。 
余りにもぴったりで、彼以外のガボは考えられません。
右が、彼の妻(本人はそのつもり)のハクです。

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では、ガボの技を!
少し支えあり、でも高等技。
この体の伸びと、反りぐわいをご覧下さい。 並みの猫ではこうも無防備には
なれませんです。 シンカイんちの猫だからできる事!! 

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シンカイ フィニ。
彼がシンカイ家で唯一の、由緒正しいアビシニアン。 11キロの巨体を誇りました!
彼の背中は広く、安定していて、イニャバウワーに最適でした!  

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技をどうぞ!
床面支えなし、高等技そり身つき。
ちょっとあられない姿ですが、彼のこの手の写真は掃いて捨てるほどあり!
猫には珍しく、お臍のありかがはっきり分るお腹、尻尾の長さは28センチ!
いつ触ってもフクフク暖かい、いいお腹をしていました。

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シンカイ ハク。
ハクは、唯一の女の子で、「裸足の伯爵夫人」にちなみ、「ハク・伯」。
かなりのぶりっ子でしたが、イタリアに来てからは良い大和撫子で、
どうやら、イタリア人が好きにはなれなかった様子。 

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まぁ、技をご覧下さい。
大和撫子、背面技。
彼女の写真のうち、ひっくり返っているのはこの1枚のみ!  ね、大和撫子でしょ?!
但し、男達の上にひっくり返っているので・・ムム、という所。

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次にご紹介の写真は「イニャバウワー」に関係ありませんが、私のお気に入り、
思い出の写真です。

上の写真と同じ籠で、大きさは、まぁ長辺が5,60センチと思います。
冬、ストーブの前の籠には全員が入り込み、折り重なって!
そのうちに暑くなると、順番に出て行きましたが。
この写真の中のフィニの小さい事! 我が家に来た最初の冬でした。

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箱の中には確かケンが入っていて、入れさせてくれないので、待っている所。
どの猫も、箱や、袋が大好きだったね。 私の大好きな写真の1枚。

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小さな絵は机の上で描きますが、大きな絵は日本画のように、床の上に寝かせて
描きました。 渡り板、と称する板の上に座り、絵をずらして描きます。
板の上には座布団が2枚、私用とお供用。今はガボですが、時には別の誰かが。

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私の思い出の中にはいつも彼らがいて、たくさんの励ましを今も与えてくれます。
有難うね!  そしてこれからも、よろしく!!  
愛しているよ、心から!!!


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・ アジアーゴ と ヴェネツィア共和国

先週12日から14日にかけてヴィチェンツァの奥、アルプスの麓の町 
アジアーゴ・Asiagoにおいて、
「第79回アルピーニの大会」が開かれ、イタリア国内のみならず
世界各国から20万人が集まり、盛大に行われました。

アルピーニ・Alpiniとは、アルプス山岳兵の事。 
19世紀末からの歴史を持ち、祖国イタリアの独立のために、
勇敢に戦った兵士の集団で、毎年各地に置いて集会が開かれるのですね。

と、5月12日はヴェネツィア共和国がナポレオンによって、
1000年に及ぶその歴史を閉じた、いわば命日で、
ヴェネトの一員として、変わることなき我らが真心を捧げたいと思います!

これはアジアーゴのコムーネ・市役所で、この一帯には、かって1300年代に
ドイツのバヴァリア地方から「チンブリ」という山岳民族が移り住み、
独特の言葉、体格、伝統、習慣等を持ち、暮らしていた所なんだそう。

1-20060515202558_t_t_t.jpg

同じ民族は、ヴェネトのヴィットリオ・ヴェネトの奥にも、やはり山の民族として
暮らしていた、というのを読みました。
今はこの一帯は、夏の避暑地、そして美味しい「アジアーゴ」のチーズで有名です。


      
アルプスの麓からヴェネト平野にかけ、そして東のトリエステ辺りまで、
第1次大戦では大激戦地だった所で、町外れには大慰霊碑がありますが、
全体を撮っておらず、探しましたがガイドブックにも見つからず残念。

これは大慰霊碑から、町を望んだ所。

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上の写真から、ずーっと町の中心をアップした所。
なだらかな草地に囲まれた、小さな町の様子がお分かりと思います。
    
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牧草地が広がっています。 如何にも美味しいチーズがありそうでしょう?!
その眺めの中、あちらこちらと小さい村が見えます。
アジアーゴに行くには、バッサーノ・デル・グラッパからバスで。

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では、ヴェネツィア共和国へいざ!

ヴェネツィアの守護聖人サン・マルコのシンボルである、翼のあるライオンが
描かれた旗は、かっての共和国の領土の下、
何処に行ってもこのライオン君が今も健在です。

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ヴェネツィアの発祥地、ラグーナ。 ラグーナとは干潟の事。 
5世紀に始まる北方の蛮族の襲来におされ、ラグーナに逃げ込んだ住民達は、
やがてトルチェッロ島にヴェネツィア発祥の基礎をおきます。

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この春飛行機の中から写したもので、夕闇とブレで見難いのはお許しを。


  
これはドージェ、ドメニコ・コンタリーニの旗艦に掲げられていた旗で、
コッレール博物館所蔵。
翼を持つライオン君は、前足を地に、後ろ足を海に、
ヴェネツィア共和国の領土の広さを現します。

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「アドリア海の真珠」と讃えられた、ヴェネツィアの表玄関。
かって海から訪れる外国人を迎えるのは、この眺めでした。
煌く日の光と、素晴らしい建物群、どんなにか、訪れる人を魅了した事でしょう!

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アッカデミア美術館のカルパッチョの絵には、木製のリアルト橋が描かれていて、
真ん中が割れ、大きな船が通れるようになっていて、
つまり当時は、帆船がまだ主流だった事を示しています。
       
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全長4キロ、逆S字型に流れるカナル・グランデの真ん中にかかるリアルト橋。
いくつの恋が、この橋の上を、そして下を流れた事でしょうか?!



かってゴンドラは今の様に黒一色でなく、好きな色に塗られ、小部屋がついていたと。  
ご想像あれ、大運河を色とりどりのゴンドラが行く様を。
で、余りにも派手になりすぎ、遂に「黒1色」に統一する旨のお触れが。

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ゆらゆらと進むゴンドラの、舟ベリを叩く密やかな波の音。 
ほら、心が高鳴りません?



サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会前の広場の、コッレオーニ将軍騎馬像。
彼はヴェネツィア共和国の傭兵隊長でした。
この騎馬像はフィレンツェのヴェロッキオ工房、レオナルド・ダ・ヴィンチが
弟子入りした工房の師匠ヴェロッキオの作で、フィレンツェとのひとつの接点。

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ニュースによると今この騎馬像は修復中で、6月には再び雄々しい姿が見れるとの事。



この男、ナポレオンが、1000年に及ぶヴェネツィア共和国を倒しました。
もはや、倒れる状態になっていたにしろ・・。 1797年5月12日、命日。

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ヴェニス共和国の滅亡によせて
かつて華やかな東方を領有し、   
西方の砦たりしヴェニスの価値は   
その生まれを辱めることなかりき、   
ヴェニス、自由の長子よ。   
  
いかなる奸計にも誘惑されず、   
いかなる力にも犯されることなき   
輝かしく自由なる処女の都市。   
  
その夫を選ぶとき、   
永遠の海原をめとるべきかりき。   
栄光が薄れ、称号が消え、   
その力衰え行くを見る時、如何にせん。   
  
されど、その永き命の終わる日、   
愛惜の貢物が捧げられるべし。   
我ら人の子、かつて偉大なりしものの影   
消え去らんとする時、悲しむべきなり。    
・・ウイリアム・ワーズワース

追記:このナポレオンの肖像は、ヴェネツィア共和国崩壊後の取り決めを
   オーストリアとの間で行った、フリウリのマニン邸での会議について、
   「カンポフォルミドの会議」の展覧会が1997年の暮れに、
   ヴェネツィア共和国崩壊200年を記念して行われた時の物。

   ポスターを見て写したのが画質変換で汚れていて、サイトで探しましたら
   運よくカタログの写真が見つかったという次第で、ここに。



サン・マルコ広場の眺めを。 長くのびる影、暮ゆく日、名残の夕陽。

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ヴェネツィアにはやはり、憂愁の想い、微かに香る退廃、肌ざわめく官能
が似合う気がします。

この街にお出での時は、想いに浸り、ゆっくりと、彷徨って下さい。 
異邦人のままで心の紐がほどける、 ・・ヴェネツィアはそんな街。


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・ フリウリ の チーズ! ガチョウ! ポレンタ!! 

今日は旅行雑誌「Traveller」の特集記事から、
フリウリ・ヴェネツィアジューリア州の
フォルマッジョ(チーズ)、ガチョウ、ポレンタについてご紹介を。
写真は、全てこの雑誌からスキャンした物です。


フリウリ・味覚の道
Gribaudo出版 30エウロ  foto・Stefano Scata`  
testi・Walter Filiputti      土地の料理とレストランのご案内 

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白く、味は塩辛い、熟成させるのに2~6ヶ月間塩漬けにしたチーズ。
製造 Tramonti di Sopra(Pn) 

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白いチーズ。 味わった事はまだありませんが、う~~ん!
美味しそうでもあり、すごく塩辛そうでもあり・・。

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モンタージオ・チーズの用意。
標高1625m、Navarzutta・ナヴァルズッタ(Saurisの上)
の山小屋で。

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このチーズは美味しいです! 塩味もちょうど加減。



フリッコ。
モンタージオ・チーズを削り、鉄のフライパンで薄く焼いたお菓子で、
15世紀からのリチェッタには、
仕上げにお砂糖、シナモン、生姜をふる、と。

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とうもろこしのミネストラ。
自家製のパンとチーズ、そして美味しい赤ワイン。
これが今日、農家の伝統を伝える最上の一皿。

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インゲン豆と大麦のミネストラ。
これも農家の味。 貧しいけれど、極上の味。

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ガチョウの胸肉のサラーメ(ハム、ソーセージ)。

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熟成、皮無し、と見えます。 
カルニア(フリウリの北の地方)のi cjalzons の製品。
ガチョウの生ハム燻製は、既に15世紀にヴェネツィアのゲットーで
売られていたそう。
注:ユダヤ人はご存知の様に、豚肉を食べませんので。




水清らかな、ナティゾーネの流れ。
チヴィダーレ・デル・フリウリの町中を、流れている川です。

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「ピエディン水車」の持ち主2人、リーナとリナルド・チェスクッティは
カルニアの奥で水車を使い、トウモロコシや小麦を粉に挽いているそう。
何十年もの一緒の仕事なのでしょうね。

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オリーヴ用の碾き臼。
Rosazzoの修道院にある、17世紀の石の碾き臼。

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チヴィダーレの店で、土地のサラーメ。  
何と太いソーセージ! と思われるでしょ?
でも私は本当に、この倍ぐらいの太さのを見た事がありますよ!

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フリウリ州は、北はアルプスの麓から南はアドリア海にまで
広がる州で、山と海の産物どちらもがあるのです。
この魚のスープは、アドリア海の向こう、ダルマチア風と。
黒鯛(チヌ)と鱸のトマトスープ。 美味しそう!!

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最後は、グバーナ。
これはウーディネからチヴィダーレにかけての、シンボル的なお菓子。
中は、クルミ、アーモンド、干し葡萄、はしばみの実、杏のジャムなど。
形はカタツムリのように、醗酵させたパン生地で作ります。

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オーストリアの皇帝妃シシーの、フリウリへのお出まし記念、
という歴史を持ちます。


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・ モンセーリチェ ・ Monselice 

パドヴァから南へ20kほどにモンセーリチェの町があります。
ここの猫ちゃんワン君は既に御紹介済みなので、今日は町の様子を。

ボローニャ、フェッラーラに行く時戻る時に、電車の窓から西にかなりの
岩山が望めますが、町は東の山の下から山腹にかけて広がり、
中程に中世のお城があります。

駅がイタリアの古い町の例に漏れず、少し中心から離れていて、
暑い程の日で川縁をのそのそと歩きましたが、
これは川向うに見えた建物の軒下の飾りで、由緒ある建物でしょうね。

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ガイドブックによると、町は600年代、つまりローマ期からの交通要所で、
5世紀以降に侵入してきたロンゴバルド族によって要塞化されたとの事。
後1200年代にはエッツェリーノ・ダ・ロマーノの下に入り、
彼については、こちらに少しご説明を
さらに要塞化され、山の上にも要塞があります。

その後パドヴァのカッラレーゼ家が領有、ついでヴェネツィア共和国に、
という歴史を持ちます。



ちょうど町の中心広場では市が開かれていて、大変な賑わい。
町に迫る山の様子、奥に見える城の上部、そして山の上に要塞が少し。 

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広場の横のヴェネツィア・ゴシック様式の窓のある壁。 
古い中世の面影を残す壁の汚れ、修復の跡も歴然ですが、大変優雅。 
中が見たいものですね。

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同じ広場にある時計塔、13世紀のもの。 
周囲の修復済みの比較的新しい建物の中にあり、
むき出しのレンガの肌が重々しい雰囲気で、町の歴史を物語ります。

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写真の一番下にテント風の屋根が並んで見えるのが、市の賑わい。



坂道を登っていくとお城、13世紀があります。 
元々は専制君主エッツェリーノ・ダ・ロマーノの居城だったのを、
後に拡張した物だそうで、

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中は、ガイド付きで見学できますが、写真は撮らせて貰えずで。



前の写真に半分写っている壁の紋章で、サイトを調べましたが
どの一族の紋章か分りませんでした。 

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城に伝わる中世の愛の伝説を、大変哀れなそして少し怖いお話を
知る事が出来ましたので 次の機会にご紹介いたしましょう。



お城の外壁と内部の様子を絵葉書でどうぞ。

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右下の台所は、実際はもう少し狭く、暗い感じを受けましたが、
いかにも中世の面影の残る、そして生活観漂う台所ですね。
お城は現在ヴェネト州の管轄にあり、4月から10月まで見学できますが、
サイトでお確かめを。 http://www.castellodimonselice.it/



ここは最初にガイドが見せてくれた部屋で、並んでいる甲冑の小さい事に
驚かされます!  

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これはこのお城に限らず何処でも感じる事で、廊下の狭い事、
階段の天井の低い事、など等、かってのイタリア人の体格が、
小さかった事が良く分ります。


    
大広間の内部はこの様に紅白の市松模様に塗られていて、
これが素晴らしい効果を出していました。
市松模様もきっちりと四角ではなく適当にで、大変に良い味わい。

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そしてここの大きな暖炉は素晴らしく、飾りをご覧下さいね。

ガイドが語った案内も、今は殆ど良く覚えていないのですが、
その中にあった一節、
 このお城が一番賑やかだったのは、
 隣のエステのお城から、姫君がお輿入れされた時でした。
何とイメージをかき立てる説明ではありませんか?!

一瞬にして、大きな燭台の火が輝き、人々の影が壁に動き写り、
お城が蘇ったかの様にも感じましたです。



お城から上って行くと、7つの小さな礼拝所が上り道に連なる聖所が
ありますが、その手前にかっての古いドゥオモ13世紀があります。 
現在の新しいモダンなドゥオモは下の町の中央に。

で、この王冠を戴いたライオン君は左右一対で、旧ドゥオモの入口に。

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マロニエだと思うのですが、巴里に行った事がないので良く分りません。

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巴里のマロニエは、この白とピンクとがだんだらになっているとか・・。
 ミラボー橋の下をセーヌが流れ、我らの恋も流れる。 
 日も暮れよ、鐘も鳴れ、月日は流れ、私は残る。
ああ、こういうの、何時までも、しっかり覚えてるもんね!
行ってみたいなぁ、巴里!



聖所の高みから町の様子が良く見え、カーヴを切る趣のある道が。 

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右手前の屋根の無い、現在修復中の周囲の壁だけが残っている家。
こんなのを見ると、石造りの家が何世紀も残るのが良く分かりますね。



モンセーリチェの西に、コッリ・エウガネイと呼ばれるなだらかな丘が幾つも続く、
テルメ・温泉保養地でも有名な地があり、
東から南にかけては、エミリア・ロマーニャの平野がボローニャまで続きます。
春霞におぼろな、南の平野の眺め。

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こちらは東の眺め。 蛇行して続く道、点在する農家、
集落に必ずそびえる鐘楼。

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要塞のある背後の山にも春の色が。 
もののふ達の夢の跡にも、春が巡り来ています。

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・ プッブリチタ ・ pubblicità

「プッブリチタ」とは広告宣伝を指します。 
先日郵便局の様子について書きましたら、公営か?という質問を受け、
はい、イタリアは、郵政省も、鉄道も国営で、
 
郵便行政に限っていいますと、先年来いろいろ改革が行われ、
郵便物の届くのも少し速くなりましたし、お店のように各種品物も並び、
勿論銀行業務もしています。
今日は郵便局のパンフレットや、その他のも少しご紹介を。

郵便局パンフレット  配達証明。
受け取った!  新しい、プリオリターリアの受け取り通知で、
時間が稼げます。

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この新しいサーヴィスは、書留郵便、並びに着信保障郵便に付加された物で、
プリオリターリア・Prioritariaという優先便にも、受取人の確認が戻ってくる、
という物のようです。



値段表。
あなたの郵便物を送る、理想的な解決法と、値段表一覧 
  
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郵便物の種類ごとの値段、封筒の大きさ、重さの段階が載っていて、
例えば、イタリアから日本へは、
封筒の大きさ、長さ14~23,5cm 幅9~12cm 厚さ5mm 20gまでが標準で、
普通便 0,65エウロ  優先便 0,80エウロ です。
PS 最近値上がりして、優先便の最低が、今 1エウロ。

追記:これはもうPSで書いた以上に値上がりしているのは確実ですけど、
    ここ最近はメール優先でまるで郵便を出さなくなり! たまの小包位で、
    普通便も、小包も値段知らずで!



カード。
ポストマット・マエストロでお買い物をし、世界旅行をあてよう。
  
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郵便局のマスターカードで買い物をし、その番号を携帯で送ると、
当ったかどうかがわかるとの事。  
一日に5人に素晴らしい賞品が当たり、最終的には2万エウロ相当の
旅行が当たる籤にも参加できるそう。
が良く見ましたら、期限は1月15日まで! 5月なのに、まぁだ置いてある!!

追記:このカードは使っています。 というのも郵便局の当座に口座を
   持っているので、それに年金が振り込まれ、使う現金カードですね。
   と、イタリアも税金対策で、ちょっとした金額以上はカードで払わないと
   いけないので、必需品となっています。 2018.11.30



投資。
善人は常に勝つ。 
18ヶ月でよい利子を生む、100%の投資額保障。

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善人は常に勝つ、西部劇の台詞! 郵便局債権で、政府の保証つき。 
紙の債権で50エウロから、形の無い債権で250エウロから買えます、

と説明してあるのですが、形の無い債権 って、どんな? 
お金に縁の無い私には、読んでも分らず・・!



送金。
郵便局から、あなたのお金をバンコポスタ・マネーグラムで送りましょう。

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イタリア中にある、8800の稼動可の郵便局から、世界中にお金を速く、
安全に送る事ができます、との事。
イタリアも移民問題が大きくなりつつありますが、彼らの本国への送金問題に
関連しています。 パンフレットの写真の母子も、イタリア人母子ではありません。



保険貯金。
ポスタ未来スペチャルで、あなたの元金は戻ります。 
水兵の約束ではありません。

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水兵の約束、は笑わせます! 
毎年、元金の保証と見直し、最低利潤は保障 ecc。



教会への献金を。 
聖職者は皆を助けます。   
聖職者を皆で助けてください。

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郵便局にあった、聖職者への寄付依頼パンフレット。
中は折り返しになっていて、振り込み用紙がつき、

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聖職者はいつでも当てに出来ます。 今、彼らが君を当てにしています。
毎日イタリアの教会では、39000人の聖職者が福音をつげ、施しをしています。
・・今日では、聖職者は政府からの「コングルーア・最低生活手当て」を
受けていません。 
彼らの品位ある生活の為に必要な要求を満たし、
彼らのミッションに向かわせるのは、正しい事です。

ええ、一般の聖職者達のお給料が低いらしい事は、知っています。
でも、結構でっぷりと太ったお腹を抱えた方が多い事も、知っています。
      


夏のヴァカンスの予定はお決まり?
ヴェネツィアのキオッジャ、車で本土側をラヴェンナに向けて1時間程、
そのキオッジャの南にある ソットマリーナ・リド という所の宣伝です。

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家族向け、友人同士用に、4人または6人用のバンガローで、
部屋の間取りもあり、お値段は4人用で、一日48エウロから、
6人用で54エウロで、1週間単位です。

台所、居間、お風呂、シャワー、TV(衛星放送も)エアコン、金庫、駐車場、
テーブルと椅子つきの庭、と書いてあります。
勿論、海、砂浜はすぐそこ!  
ヴェネツィア、ブラーノ、等へのオプションに応じます、と。

これはホテルや、ちゃんとした造りの貸しアパートよりも、かなり安上がりですね。
こちらのヴァカンスは、こうして一箇所でアパートを借りて過ごすのが、主流です。

追記:現在はどの位の値段かと調べましたら、意外と値上がりしておらず、
    アパート・台所付きで50エウロ位からあり、主流は70エウロ位で、
    勿論上は100以上もたくさんあります。
    場所を考えると、もっと安く30~40エウロで見つかりそう。2018.11.30


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・ 生ハムの サン・ダニエレ・デル・フリウリ 

日本はまだゴールデン・ウィークの最後で、皆さん、ごゆっくりなさっておられる
のであろうと思うと、ブログの更新にも力が抜けそうで・・、はへ~。
とはいえ、多少は真面目にしないと怠け癖のみがつきそうで・・、はへ~。

今日は、生ハムで有名な サン・ダニエレのご紹介ですが、
プロシュット・クルード・生ハムの写真は、先回たくさんご覧に入れたので、
今日は町の中の様子をご覧頂きますね。   

ドゥオモ 18世紀、ガイドブックより。

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この町に行ったのは8月の暑い時で、今思い出すにも、暑さのみで・・!
ウーディネからバスで北西に24,5キロ。 豊かなフリウリ平野の小高い丘の上に
位置するので、遠くからもすぐに分ります。
     
古くからケルト人の住みついた地域であり、後ローマ人、ロンゴバルドと続き、
その後ヴェネツィア共和国の下に入る15世紀までは、アクイレイアの司教領に。



こちらがドゥオモの正面。

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町を訪れる前は下調べもせず、暑さにかまけて
大して動き回りもしませんでしたが、このブログの為に少し読んでみると、
素晴らしい図書館がある様子。
図書館は15世紀の建物の中にあり、12世紀末の「聖書」とか、
14世紀末の「神曲」とか、文化遺産の保存でも大変興味ある町の様で。



この壁、塔の名残というか、前の坂に腰を下ろし、プロシュットを食べました。
町には試食させてくれる店が幾つもあるのですが、ついうっかり入り
息が詰まりそうになったのです!  
  
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何列にも、壁全部を埋め尽くす生ハム!! バールにある一つの生ハムと違い、
その量のすごさ、その全体の匂いの強烈さ!! わお~!!
で、少し買って急いで退散。 外の太陽の下で、チョッピリ味見の、ひ弱な私。 
・・誰だぁ~、そこで大笑いしているの?!



町中の道は大変せまく、写真を写すにも引きが出来ず・・、と言い訳。

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で、生ハムの話を続けますと、毎年8月末に生ハムのお祭りがあり、
約6000枚もの試食がされるそうで、
総数としては1,775,000もの、エミーリア地方からの豚の腿肉が、
このサン・ダニエレでプロシュット・クルードとなるそう!!
     
いかが? 旅行されるのは、この時期にされては。



サン・タントーニオ・アバーテ教会。 町の中心にあるフレスコ画で有名な教会で、
15世紀のもの。

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聖アントニオはパドヴァの聖人が有名ですが、名前の後ろにアバーテがつくと、
別の聖人で、動物たちの守護聖人です。



正面の薔薇窓が素敵なので、近寄って。 聖母と幼いキリストが中心にあります。

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ご覧のように教会内の内陣部分、全てフレスコ画で装飾、ガイドブックより。

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フレスコ画はペッレグリーノ・ダ・サン・ダニエレの手になるもので、教会自体が
そんなに大きくありませんので、かなりの迫力で迫ります。
現在は剥落部分もありますが、本来は教会内全て、フレスコ画で
埋められれていたのでしょうね。 ご想像下さい!



絵の一部、本当に優しいイメージの、美しい部分をご覧に入れます。
長い亜麻色の髪をした女性が、鳩をそっと愛撫しています。 
聖女のようですが、さて誰でしょうか?

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窓のステンドグラス。 窓の幅も狭く、聖人の様子も5頭身くらいで稚拙。
窓枠の壁の厚みにもフレスコ画が。

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町の門、ポルトゥナットゥ・Portnat.

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サン・ダニエレは丘の上に位置する古い町で、町の門、要塞をかねた塔の様な
大きな門があり、北東に位置するこの門はポルトゥナットゥと呼ばれます。



フリウリ・ヴェネツィア=ジューリア州は、イタリアの最北東部に当り、
お隣はオーストリア、スロヴェニアという事で、当たり前のようにこの標識。

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指差す手、短い指は、私めであります、はい。



町外れの叢に、桔梗ですっけ? 咲いておりました。

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町中の道は坂道が多く、中心部にこの様なポルティコが続いていて、
下り坂のポルティコの途中、バールの店の外のテーブル。

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居心地が良さそうではありませんか?! 
一杯やり始めると、時間がたつのを忘れそうです。


***

ここからはおまけの、パパーヴェリ・ポピーの原。   1
我がスコミーゴ村から東に行く途中の野原、パパーヴェリがいっぱいに。
時期はちょうど今頃、5月の最初。  

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イタリアにはまだたくさん自然が残っているとはいえ、これ程たくさん咲く野は
おいそれとは見つかりません、とりわけこの北イタリアでは。

偶然遠くに赤く広がるのを見つけ、畑の中の道をくねくねと近づいたのでした。
まだたくさん蕾がありましたから、長く咲き続けた事でしょう。

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パパーヴェリの咲く野を見ると、ウンブリアの野原に想いが行きます。
今もウンブリアの原で、きっと、赤く赤くたくさん咲いている事でしょう。
薄くはかない花びらですが、蕾の生命力は強く、小さくても大きく開きます。
風に揺れても倒れず、その様を見ていると、元気づけられることも確かです。

さて来週から、また夏休みまで、頑張ってまいりましょう!!


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・ スコミーゴ村 春たけなわ

5月1日・イル・プリモ・マッジョは、こちらイタリアは祭日。
前日まで続いていた雨がやみ、やっと5月に相応しいお天気で、
久し振りにスコミーゴ村の春を写しに出かけました。

スコミーゴ村は海抜130mの丘の上で、坂を下っていくと
アウトストラーダ・高速道路の上を越える橋があり、
そこから見た隣のオリアーノ村、海抜151mです。

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西になるのでいつもは逆光になり、夕暮れの風景がとても綺麗に
見える場所で、手前の谷に最近新しく家が建ち始めて、
結構な集落になりつつあります。



小さい、艶のある花びら、 きんぽうげ、ですか?
何度も写すものの上手く行かず、今回も少し光ってしまい。

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これも名前が出ません。 どなたか教えて下さい。
写真の一番下に、犬ふぐリがまだ咲いているのが入りました。
あちゃぁ、イヌフグリにブログ名が重なってしまったぁ!
    
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私の好きな花、これも名前が、サルビアの種ですよね?
今回はわりと色がよく出ました!
ピンク色もありますが、やはりこの青紫が素敵です。

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素朴な、薄いピンクが少しかかった、木の花。  
茶花のイメージもありますが。

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これは、は~い、勿論知っています!  
イタリア語では、デンティ・ディ・レオーネ・ライオンの歯と。
ライオン君がこんな可愛い歯をしているとは思えませんが・・!

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これを見ると、毎回写す誘惑から逃れられません!! 
はたしてディスプレイで、見えるかどうか。  
少し写真を小さくして、変換密度を上げて見たのですが、さて。

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アウトストラーダの橋の手前から、右に曲がる道は「谷の道」という名。
まさに谷道をカーブしながら下り、上り、スコミーゴ村の南に出る
私の大好きな道です。
  
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祭日で車も殆ど通りません。ちょうどバイクが走っている辺りが、
谷の道の、一番低い辺りです。



谷の一番低い辺りから丘を眺めて。 

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北にあるアルプスからの山の流れが、この辺りでは幾つもの丘になり、
起伏のある風景を作っています。



谷の一番低い辺り、2日続いた雨の水溜りかと思ったのですが、
案外小さな湧き水があるのかもしれません。
澄んだ水の流れる道がついていますし、ちゃんと溝がある所も。

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水に影が写って。 柔らかい草の色が、丘の上にまで続いています。

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道を上った所のスコミーゴ村郵便局隣のお家には、藤棚があります。
大きな房が重たく下がり、満開です!  傍を通ると良い香りが。

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再び、オリアーノ村の眺めを。 この道は我が家から郵便局に行く道で、
いつも見るオリアーノの眺めです。

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「谷の道」は、再び谷を下り、カーブを切りながら長い上り坂を経て、
オリアーノの教会前に出ます。
この坂道は雪が降った時、コネリアーノからのタクシーが嫌がったほどの坂道!

今、一番緑色の美しい時。  さまざまな緑色が重なります。




上の写真に続く草原です。  
春先のスコミーゴのご紹介で、モグラ君の活躍が始まった、という写真、
覚えておいでかな? あの、点々と土の小山が盛り上がっていた原っぱです。
今はすっかり草で覆われ、お花畑の様子を呈しています。

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葡萄の木もこの様に葉が茂り始めていて、5月の末には小さな小さな葡萄の
房の形が出来始めるのですよ。 その時、また様子をご覧に入れますね。

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毎年5月1日、ローマのサン・ジョヴァンニ広場で野外大コンサートが開かれます。
労働組合主催のコンサートで、午前中から夜中まで!  
TVでも中継があり、この日を境に野外コンサートがあちこちで始まります。

イタリアは、いよいよ夏に向けての活動が始まりましたよぉ~!


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