・ グラード ・ Grado ・ 歴史持つ干潟の島

アドリア海の奥、トリエステ湾の西端に突き出た島が、グラードの町。

歴史は古く、北にあるアクイレイアの司教領としてローマ期には中心地で、
現在は素晴らしい浜辺を持つ夏のヴァカンス地として栄えていますが、
中心地には狭い路地が入り組み、素晴らしいモザイクのある古い教会も。
今日はそれらをざっとご紹介で、写真は3月上旬です。

グラードに渡る橋からの眺め。 干潟が広がるグラードの海にバルバナ島・
isola di Barbanaが見えます。

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この島には修道院があり、渡し舟で行き、拝観もできる様子で、
この辺り一帯の干潟は保護され、水鳥達のオアシスに。 



歴史が古い町で、歩いていてこんな軒下を見つけました。 

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素晴らしい浜辺が広がります。 まだ観光客のいない時期で、
大いに浜の美しさを楽しみました。

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鳥取の砂丘を思い出し・・。

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こんな海辺にいると、ちょっと凝った写真を試したくなるではありませんかぁ?!

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町中には、桜がほころびかけていて、いつもこちらで見る白い桜と違い、
薄いピンクの儚い花びらで、日本の桜を思い、なんとなしに・・・。

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町の中心に古い地域があり、ここも細い細い路地で、
この窓もまん前からは、引きがなく写せませんでした。 
     
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壁にしみこむ歳月の重み、はげた塗り色・・



エウフェミア聖堂。 オリジナルは6世紀に遡る聖堂で、内部の床には
モザイク模様が残り、エレガントな鐘楼は15世紀の物。
 
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バジリカの南の壁面。 この、典雅な構築美!

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レンガの色、そして組み模様。

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サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ教会。 聖堂近くに、この古い素朴な
教会があり、こちらにもやはり素晴らしいモザイクの床があります。

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教会の内部、夕方になり暗い内部で、かなりブレてしまい。

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グラードの落日。 海に沈む夕陽をどうぞ!

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浜辺を恋人達が散歩していました。 
お手てをつないで・・! 明日も、良い天気になぁれ!


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・ n.3 アーゾロ ・ ヴェネトの奥 文化の香る小さな町

今日は、ヴェネトの奥に位置しながらも文化の香り豊かに、
文化人、著名人たちを惹きつけて来た典雅な町、
アーゾロのご紹介3回目です。  ごゆっくりどうぞ!


古い優雅な建物が多いので、窓もまた優雅。 

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中心のガリバルディ広場の北の通りヴィア・ダンテの建物の窓で、 
建物はかってフレスコ画で一面に飾られていた事が偲べます。 
  


上と同じヴィア・ダンテの窓で、向かい側の建物が写っています。
ヴェネツィアの香りのする、そしてオリエントも香る、大変典雅な窓。  

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ヴィア・カノーヴァ通りの家、多分由緒ある家と思います。 
町の地図には、誰それの家という説明があるので、
歴史に詳しいと、もっと楽しめる筈ですね。

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かなり変わった趣味というか、エキセントリックなイメージ?




この窓は、アーゾロの写真には必ず、というくらい登場する窓!
これを写した時は、窓辺がお花でいっぱいでした。

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上の建物下側の様子。 上の窓だけとかなりイメージが違うでしょ。
入口はかなり古めかしく、左の小さい窓は陰気なほどに・・。

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そしてこれがまた別の季節の、バルコニーのみの写真。  
花がないと、またイメージが違いますね。

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窓枠の下の緑の小さいクッションに、気が付かれました?
私は最初猫ちゃん用かと思って、夫の嫁御に尋ねましたら、
「肘をついて外を眺めるため」と、あっけなく判明。 ははぁ~ん。



サンタ・カテリーナ通りのこの家に、大きな厳しいこの家に、
ナポレオンが一夜を過ごしました。

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壁にある碑には、
 この家に  ナポレオーネ・ブオナパルテ  一夜を休む
 1797・3・10

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彼によって、千年続いたヴェネツィア共和国が倒される、
2ヶ月前の日付です。



サンタ・カテリーナ通りをゆるゆる行くと、大きなお屋敷の
丁寧に手入れされた庭が、あちこち望めます。
南を向く家のお庭はこのように広々と、視界が広がります。

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上と同じお屋敷のお庭で、彫像があり、いかにも優雅。

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これは道を西から眺めていて、奥に見える白い大きなお屋敷にも
中庭があり、お花が素晴らしく咲き乱れていましたっけ。  
鄙びた、いい感じの道でしょ。

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上と同じ場所から、逆に西向きにこの家が見えます。 
そんなに大きくない、やや小さめの家。

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これがカーザ・ロンゴバルド・ロンゴバルドの家と呼ばれる前面。  
家の大きさに比してのこの重々しさ、迫力!

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建築家もさることながら、私はつい石を彫る職人に思いを馳せます。
「創世記」のシーンと言うのですが、この仕事を大いに楽しんだかな? 
        
道が上と下に二股に分かれ、この家は下の道に沿ってあり、 
余り引くと下が見えず、はっきり入れようとすると屋根が切れ、・・言い訳!



2階部分。 この中央の女性像、凄いですねぇ! 16世紀! 
バルコニーの部分にも、いろいろ凄い顔が並んでいます。

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1階部分は残念な事に、片方の窓の彫刻が割れています。
オリエントのターバンを巻いた像の様で、窓の鉄格子も大変凝った物。

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この上の道をもう少し行った先に、女優エレオノーラ・ドゥーゼの眠る、
サンタ・アンナの墓地があります。


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・ パルマからご挨拶 ・ Saluti da Parma 

絵葉書シリーズの第3弾、今日はパルマ・Parma のご紹介です。
ン? なぜ突然にパルマが登場するのか? 
ええ、絵葉書が昨日の「コルティナ」の、すぐ近くにあったので~す!
  
パルマは、生ハムの産地として大変有名ですが、
街の国立絵画館に、レオナルド・ダ・ヴィンチの手になると見られる
小さなスケッチがあります。 それを見に行き、
そして思いもかけなかった素晴らしい体験をした事のご紹介を。

まずは町の俯瞰を。
中心右に見えるのがドゥオモとその鐘楼で、
その斜め前左に見える白い多角形の建物が洗礼堂。

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小さい町に慣れた私めは、街が大きいと最近は怖れを感じる様に!


 
12世紀の、いかにも中世の面影を色濃く残すドゥオモ。

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この絵葉書ではきちんとちゃんと、画面におさまっていますが、
実際はそう広くもない広場の向こう側にあるのですね。  
なので私も写真を撮っていますが、きちんと画面内に収めるのが
難しかった事を良く覚えています。



ドゥオモ前にある、多角形の洗礼堂内部、12~13世紀。

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ご覧のように、中央に洗礼用の浴槽があり、聞く所によると、
かっての洗礼は、全身を水に沈めたようで、宗派によっては
まだこの方法をとっている派もあるとの事。



ご覧のように、内部の壁は天井に至るまで全てフレスコ画で飾られていて、
個々の絵が特別に素晴らしいと言うのではないのですが、
ここまでびっしりと埋まると、大変な迫力です。

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中世の熱中感とでも言うのか、圧倒的に迫り、恍惚感をももたらします。 
こうして仰ぎ見る天井画は、中世の人間にとっての宇宙、
天国の再現だったのかも知れません。



国立絵画館はピロッタ宮にあり、と言っても実は良く覚えていないのです。 
旅行が長くなると、自分にとってより重要な物だけ記憶に刻み付ける様で。

この建物の中にあるファルネーゼ劇場、ここを通って絵画館の入口、
という素晴らしい演出なのですね。
ご覧のように、素晴らしい木製の半円形の劇場です。
       
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奥下に見える入口から劇場に入り、真ん中を通り、
写真に見える緩やかな坂を、舞台の上に上がります。



上の写真右側の眺め。 一階のベンチ席がかなりの傾斜になっています。

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劇場の真ん中、かっては舞台のみならず、ここでも演じられたであろう
場所を通る時、背筋を何かが走り、周囲からの見下ろす視線を痛いほど
感じました。 劇場の精神は、まだ生きているのですね。
考えてもみなかった、素晴らしい体験でした!  



そして絵画館の内部。 そうたくさんの絵画があった様には記憶せず、

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このレオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチのみ、素晴らしかったと
今もそれだけを覚えております。

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・ ドロミテからご挨拶 ・ Saluti da Dolomiti

先日ご紹介の「コルティナ・ダンペッツォ」のある、ドロミテ山系。  
絵葉書はたくさんあるのですが、今日はこれを。

ラヴァレードの3つの峰・Le tre cime di Lavaredo(m.3001)
ドロミテの象徴でもある、レ・トゥレ・チーメ。 

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私は勿論行ってませんが、写真の通りすぐ近くまで行けるようで、
夏のヴァカンスの間は、結構な人出のよう。
説明には、日没の後、北側からの眺め、とあります。
こんな夕陽を見たら、ただ沈黙しそうです。




ミズリーナ湖 ・ Lago di Misurina (m.1755)

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コルティナ・ダンペッツォから北に行った所に、このミズリーナ湖があります。
夏に一度行きましたが、大変涼しく、いや、涼しいというより寒い位。
湖の水はあくまでも碧く、透明で、風景全てが綺麗過ぎる感じ!




双子 ・ I due Gemelli

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しっかり眠った後、2000メートルの静寂の中を走り、飛び跳ねる。
生まれた後の何時間後には、すぐに母親の後に従って、
一日の移動に付いていく事が出来る。
自然の中で生まれ、一冬を雪から守られ家畜小屋の中で過ごし、
来年の春にはここに戻ってくる




高原の放牧場からの帰還 ・ Al rientro dall'Alpeggio

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人類は、無駄に過ごした時間の後、我々が生き残る為に
一番有用な野生の牛を、家畜化することに成功した。 
ヨーロッパでは、野生の乳牛は1600年の中頃に絶滅した。
現在のドロミテに多い種類は、特に、ブルーノ・アルピーナ、
グリージョ・アルピーナ、そしてシーメンタルである。
  
何でこんなに難しい説明をするの?! 
この写真なら、
「お帰り~! 元気でまた逢えて嬉しいよぉ!」で良いじゃないの。




乳牛と、彼の友達 ・ La Mucca ed il suo Amico

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冬中を家畜小屋に閉じこもり、雪の解けるのを待つ 
春を待つのは長いが、幸いなことに友達が時々尋ねてくる 
「外」で何が起こったかを話しにやって来る。
そしてついに草原に出て、一夏を過ごすために上の草原に向かう




コルティナ・ダンペッツォ ・ Cortina D'Ampezzo (m.1224)

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夕陽のモンテ・クリスタッロ Il Monte Cristallo (m.3154)
手前に見える鐘楼は、コルティナ・ダンペッツォの教会の鐘楼。
荘厳。   良い明日でありますように。


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・ サン・ジミニャーノ ・ San Gimignano

イタリアの東北部に関しては、かなりの町の写真がありますが、
時には別のイタリアもご覧に入れたいのと、普通の旅行では撮れない
写真が絵葉書にはあるので、ちょっと纏めてご覧に入れますね。

今日は「トスカーナの中世の町、サン・ジミニャーノ」をご紹介。
確か、世界遺産にも選ばれた町だったと思います。

サン・ジミニャーノ遠望。 単に、古い歴史の中世の町というだけでなく、
この町にはこの様に、何本もの塔が立ち並んでいる事でも有名です。
さぁ、歴史の町、中世の世界へ。

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実際には、中世にはもっとたくさん塔があったとか。  
自分の一族の権勢を示すため、どんどん高い塔を競争で。 
そしてイザ戦いとなった時は上から石を投げたり・・・!!



真ん中の一番高い塔(上に建物が見える塔)は、市の博物館から登れます。
かなり!! ありますよ、階段が。 でも、眺めは素晴らしい!!

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市立博物館・中庭。 左端に見える階段を上がり、渡り廊下式のアーチを
抜けて行くと、手前側上に市立博物館、塔への入り口があります。
アーチを飾るたくさんの紋章。 素朴で、華やかさを偲ばせる中庭、素敵でしょ。

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市立博物館内・フレスコ画。 14世紀のフレスコ画、ニッコロ・ディ・セーニャ作
メンモ・ディ・フィリップッチョ作。

「最初のシーン」 そうなんであります、最初のシーンなんです。 
右から左に、出会って、彼女の乳母に幾らか掴ませ手引きを頼み、
で、真ん中、テント(ご寝所)の中に!!

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このほかに絵葉書は2枚あり、結婚のシーンとして「2人でお風呂に入っている」
そして「お床入り」のシーン。 14世紀!!  イタリアだなぁ!!

ブログが止められると困るので、はは、アップなし。 
次のシーンが見たい方は、サン・ジミニャーノへどうぞ!


◆ 追記 ◆
懐かしい記事を辿って来ましたが、フレスコ画の作者の名も違うし、
制作年も、12世紀とあったのを直しました。

これらの説明は絵ハガキの裏に書いてあったことで、当時1984年に
於ける説明は、「最初のシーン」説明も、こういう感じだったのですね。


                         
近くの見所、カタログから。

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一番下は、サンタンティモ修道院・Abbazia di S.Antimo


私が知っているのは、バスの中から見た、3番目コッレ・ディ・ヴァル・デルザだけ。  
記憶に良く残っているのは、この町の名が映画「ブーヴェの恋人」に出てきた事。
ブーヴェに踵の高いヒールを買ってもらった町です。覚えてる方、おられる?!



ご挨拶。 
io a casa non ci torno piu`!
イオ ア カーザ ノン チ トルノ ピュウ! 
私は もう 家に 帰らないよぉ!       
  
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いっぱい買い込んで、友達に送りまくったっけ! ははは。


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・ 枯れ色の風景、そして蒼 ・ 冬の湖

コネリアーノの北の隣町ヴィットリオ・ヴェネトから、西に伸びる道
に沿って、2つ細長い湖が続きます。
ちょうど1月の末と、季節は少し戻りますが、湖の冬の風景をどうぞ。

枯れ色の山々が連なり、も一つ奥に山が連なり、北国との間の
ちょうど屏風の役をしています。
出かけたのは、冬の良いお天気の日、空気がき~んと張った午後。

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北に連なる山と湖に挟まれて、小さな集落が幾つも次々とあります。
山腹に広がる集落が坂道に沿い、石造りの古い趣のある家々を
見ることが出来ます。

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この家は前側半分だけ屋根が新しい瓦にふき替えられていて、 
こういう家は、壁の厚さが60センチ位もあり、 
しかも石をしっかり積んでいますから、音や熱が完全に遮断されると。 



落葉樹の裸の枝が重なり合い、とてもいい色。

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ここはヴィットリオ・ヴェネトに近い、ラーゴ・ディ・サンタマリアという所。
お天気が良いので空の蒼さが水に映り、一層濃く見えます。
向こう岸に近い辺り、氷が張っているのが見えますか?

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湖の向こう側に少し平地があり、背後に低い山が並びます。
冬の午後の低い陽射しが、光と影の面白い陰影を。

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湖岸は出たり入ったり、葦が茂り、自然のまま。
氷の張っているのが良く見えます。 

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この冷たい色からは想像でき難いですが、
こちら側の岸に、夏はコウホネの素朴な花が咲くのですよ。



空の色が映り蒼く見える所が、氷のまだ張っていない所。

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どうぞ暖かい場所で、これをご覧になっていますように!



こちら側には、ピクニックや子供達が遊べるように、公園が整備され。
       
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この時期、写真を撮る馬鹿以外誰もいませんが、ははは、
春になると賑わい始め、キャンピングカーのキャンプ場も近くにあります。



東隣の村レーヴィネ。 必ず、村々に教会があり、鐘楼が見え・・。
望遠で撮っているので、山が高く見えますね。

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既に剪定された葡萄の枝。  
早い畑では暮の内に、遅くとも2月の中頃までにはきちんと剪定され、
春の到着を待ちます。

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この様に、枝の先は必ず下向きに結わえてあり、
新しく芽吹く枝は、カーヴを描きながら上に伸びます。

春よ、来い!  
早く、来い!


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・ ヴィヴァルディ・A.Vivaldiと、ピエトロ・ロンギ・P.Longhi

昨年のクリスマスのプレゼントに、一冊の本がありました。
私が絵を描き、ヴェネツィアが好きな事を知ってのプレゼントで、
[VENEZIALTROVE]というタイトル、
「他の場所におけるヴェネツィア」とでも言いましょうか。

内容は、ティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ジョルジョーネなど
ヴェネツィア派画家の、作品海外流出の事、
またナポレオンによってヴェネツィア共和国が倒された後の混乱で、
パラッツォ・ドゥカーレの最上階に納められたまま、
2世紀以上も公開されていない、350点に及ぶ作品の事等など。


でその中に一つ、最初は見落としていた絵がありました。 
ヴェヴァルディについての章の、最初のページの絵、これです。

vivaldi010_t_GF.jpg

ピエトゥロ・ロンギ 「小コンサート」細部・
ヴェネツィア・アッカデミア美術館 

なぜ見落としていたか、ご想像できると思います。  
他で見て記憶にあるヴィヴァルディと、余りにも違っていたからで、 
パッと見た時、なぜか中国人を想像し、
       
「ヴァイオリンを抱え、プレーテ(司祭)の帽子をかぶり」
と文中にあるので、ヴィヴァルディなんだ!と。
確かに少しひしゃげてはいますが、司祭の帽子に違いなく、
でも司祭らしからぬ服装、そしてイヤリングを付け、
左右の小指に指輪が光っていて! なんと!



今迄見慣れたヴィヴァルディの肖像画と比べて見ると、

avivaldi_t.jpg

この肖像画が良く見かけるもので、同じ作品から起こしたと
見られる銅版画もあります。
元気はつらつ、そして得意そうな感じが伝わって来ますが。
説明によると、
「1724年、フランス人によって水彩で描かれた戯画」とあり、
ヴィヴァルディが46歳の時、の計算に。



こちらは少し毛色の違う肖像画。
ボローニャの音楽学校にあるという作者不詳の絵で、 
思慮深そうではありますが、生気が余り感じられず、  
左手薬指に指輪が見えます。
 
a.vivaldi_t.jpg



そしてこちらが一番良く知られている戯画。
1723年 ピエール・レオーネ・ゲッツィのペン画 ヴァティカン図書館蔵
ヴィヴァルディ 45歳。
       
WS000094.JPG

2枚目以外は全て「戯画」で、  
最初にあげた絵にも、余り好意的ではないイメージを感じます。

では、ヴィヴァルディの生涯はどうだったのでしょうか?  
良くご存知でしょうから、簡単に。
1678年3月4日、ヴェネツィア生まれ。 
父親は貧しい床屋で、そしてサン・マルコ聖堂で、
ヴァイオリンも弾いていました。  
       
我らがヴィヴァルディは10歳の時には既に、
ヴァイオリンは父親の代理が出来る程、であったといい、  
司祭になる為に神学校に進み、1703年に司祭に。
彼のふさふさした赤い髪の毛から、
「プレーテ・ロッソ・赤毛の司祭」と呼ばれます。

彼の音楽は快活で分りやすく、低俗でなく大人気を得るものの、
匿名の投書に終生悩まされる事になります。  
つまり彼の作品を歌う女性歌手の愛人もおり、
これには、色事には寛容なヴェネツィア市民も眉をひそめたと。

そして1740年ヴェネツィアを後にし、ウィーンに向かい、
翌1741年7月28日に孤独の内に、赤貧状態で、
熱病で亡くなります。 享年63歳。

病院の共同墓地に葬られますが、後年病院も墓地もなくなり、
彼のお墓は残っていません。  
ちょうど50年後に、モーツァルトに起こった様に。

なぜヴェネツィアを後にしたのか、その辺りも謎で、 
彼の音楽は既に飽きられ不人気となり、最後に新しい仕事を
ウィーンの宮廷に求めに行ったというのが推測されるようですが、
詳しく調べるには、私には荷が重過ぎます。



ピエトゥロ・ロンギ  Pietro Longhi(1701~1785)

WS000092.JPG

彼の名は、今回のヴィヴァルディの絵によって始めて知りました。 
       
ヴェネツィア生まれ、成功を収めた画家と言えましょう。
アッカデミアの学長にもなり、ヴェネツィア貴族との関わりも深く、
肖像画もかなり描いている様子。

で、最初にご覧頂いた「小コンサート」の絵は、
1741年作、60x48cm、キャンバスに油絵。


ここで疑問が出ます。  
1741年はヴィヴァルディが亡くなった年ですが、
絵の中の彼はかなり若く見えます。  
       
遠く訃報を聞いて、彼に思いを馳せて描いたのでしょうか。
ヴェネツィア貴族と繋がりが深かったとの事、
自身もかって招かれた貴族の家で聴いた事のある、
彼の生前の小コンサートを思い出したのかもしれません。

かなり風俗画要素が濃く、余り好きなタイプではありませんが、
当時のヴェネツィアを知るのには最適かもしれません。


一番最初のイタリア旅行をした帰り道、シンガポール航空機が
油圧関係の事故で台北空港から飛ばず、パスポートを預け、
一夜田舎のホテルに留められました。  
       
次の日の夕方、ようやくタイ航空の飛行機に搭乗出来、
その時、機内にヴィヴァルディの「四季」が流れ、  
不安と疲れで吹っ飛んでいたイタリアの印象が、
大好きになったヴェネツィアの印象が、一度に蘇りました!

あんなにも明るくて、快活、そして、憂愁に満ち満ちた 
ヴィヴァルディの音楽は「ヴェネツィアそのもの!」と、
その時以来、ずっと以前よりも強く感じます。


最後に「小コンサート」の絵全体をどうぞ。

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・ n.2 アーゾロ ・ 文化人に愛される、典雅な町

 ヴェネツィアの奥座敷とも言われる、歴史と文化の香り溢れる
アーゾロのご紹介2回目、町の中心と、ロッカ・要塞をご覧頂きます。

町の中心、ガリバルディ広場の南にあるドゥオモ。
町全体が坂に沿っているので、ドゥオモの入口は広場の端から
階段を下りた所で、祭壇にはロレンツォ・ロットの作品があるとの事。

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ガリバルディ広場より一つ北上のブルニョーリ広場に面してそびえる
スコッティ・パジーニ邸・Villa Scotti-Pasin。
アーゾロの名を有名にしたロバート・ブラウニングが住んだのだそう。 

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ガリバルディ広場からお城に至るコルナーロ通り・via Cornaro.
フレスコ画で飾られた家が多く、道は丸石舗装で年を経て、
上がすり減っています。

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中央に見える3色旗は、前日のサッカー試合でイタリアが勝った!で、
試合で贔屓のチームが勝つと、このように国旗、チームの旗が翻ります。



コルナーロ通りから北に十字路を突っ切ると、奥に骨董店があり、
骨董店というよりも古道具屋という感じで、開いているのを
見た事がありませんが、店先にあった、農作業の道具と古い鳥籠。

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店の横壁に、もう何年もこの自転車が立てかけられています。

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他の方のブログにも載っているのを見かけ、その意味では有名な
自転車ですが、ハンドルの握りの色が微妙に違うことに気が付きました。 
ひょっとして、先代は売れて次の自転車かもしれません!




ブルニョーリ広場の北側の坂道、ロッカへの道を登っていった所から、
コルナーロのお城が、と言っても今は時計塔しか残ってませんが、
見えます。
 
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その奥に、霞んで青く見える地平線にご注目を! 
アーゾロは海抜190m!



アーゾロに、も一つ神秘的な面影を添えているロッカの外壁。
どこかに高さや大きさが書いてあったのですが、紛れてしまい・・!  

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町からはかなりの急坂ですが、これが最後の坂。
この巨大なロッカには、ここに見える入り口が唯一の物で、
他には窓も何もない、ひしゃげた楕円形の壁のみ。

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天文学的な意味があるのでは、という説もあるそうですが、
いまだ解明されていないとの事。



ロッカ入口は閉まっていて入れませんが、ふと上を見るとこの紋が。
これはパドヴァのカッラーラ家の紋章です。 

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アーゾロは町の位置する戦略的見地から、何度も戦いがあり、
15世紀にヴェネツィア共和国の下に入るまで、次々と領主が変わった  
兵どもの、夢のあと。



ロッカの前からの町の眺めで、位置は先回ご紹介しました町の門、
ロレッジャ門に至る道で、緑に埋もれて、町があります。

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ヴィア・カノーヴァにある、エレオノーラ・ドゥーゼの住んだ家、
左の濃いピンクの大きな家です。

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彼女は20世紀初頭の有名な女優でしたが、最後はこのアーゾロに
住む事を選び、お墓もこの道の先にある、かっては貧者たちの墓地で
あった場所に葬むられる事を望み、今もそこにあります。

このアーゾロに住む事、または別荘を持つことが、
当時のステータス・シンボルであった事もあるそうで。



このヴィア・カノーヴァの片側は、大変美しいポルティコの道で、
骨董店や手織りの布の店が並び、軒下にはツバメが巣を作ります。

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先回ご紹介しましたブラウニング通りよりも短く、店も少ないですが、
大変典雅な通りです。



立葵、でしたっけ?  色が大変綺麗に出たので、
典雅な町アーゾロのご紹介にふさわしいと思い、アップです。

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・ 夏の日のブラーノ島 ・ Burano

ヴェネツィアにお出かけの時はきっと、レース編みで有名な
ブラーノ島にもお行きでしょうね。

でも船着場から中心広場への道は通られても、そして西の方に
回られる事があっても、島の東の内側へはなかなか、ね。

昨日から、こちら北イタリアは雪まじりの冷たい雨で、
熱い夏の太陽が恋しくなり、半ばヤケクソで、
ブラーノ島東側の、少し変わった夏の風景をご案内です。


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ブラーノに行くには、ヴェネツィアの東にある船の発着場、
フォンダメンタ・ヌオヴェから連絡があり、 
運が良く大型観光船の運行時間に当ると、上の席からの眺めが
大変雄大で、ラグーナの中を行く航路が、
ゆっくりカーヴを描いて進むのが良く見えます。
       
上の写真の眺めは、となりの島マッゾルボからの眺め。



「ブラーノ島はレース編み」と有名ですが、も一つ有名なのが
それぞれの家が色鮮やかに塗り分けられている事。
夏の強い光線の下、も一つ鮮やかな色をご覧下さい!

鐘楼が傾いているのはピサの斜塔だけではありませんで、
ここブラーノ島のもかなり傾いています。
かなり際どい気がしますが、まぁ、今の所は警戒警報は無し。

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まずは島の西側の眺めから始めたいと思いますが、
こちらは上の写真の左側の、この強烈な赤! 

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「ロッソ・ヴェネツィアーノ・ヴェネツィアの赤」と言いますが、
実際は、少し茶が入った渋めの赤。
日除けテントの茶の縞の使い方が、横と縦になっているのに、
気が付かれました? ちょっとお洒落にね。



涼しげな水色、窓辺の濃いピンクの花、ブルーの縦縞のテント。
すっきりと洒落た感じでしょ?!

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島の東側の様子は、西とは少し雰囲気が違い、
少し慎ましい感じというイメージを受けるのですが・・。

この運河の突き当りの家(水色の家)の壁2階部分に、
キリスト像が祀られていて、普通ですとマリア像ですが、
ここのはかなり大きなキリスト像。

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上の写真の運河沿いを手前に進むと、確か2本目の橋が
木製の小さい橋で、その左辺りにこの古い修復を待つ家の壁。
剥げ落ちた壁と、日に晒された緑の扉が好きで写したものです。

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木製の橋辺りから島の内側に入り込むと、観光客が余り行かずの
ちょっと不思議な光景が広がります。

家がブラーノ式に鮮やかに塗り分けられているのは同じですが、
運河がなく小広場、または通り道になるので、
ちょっと国籍不明なイメージに、そう思われませんか?

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上の写真の真ん中、水色の家の入口。  
家全体のイメージよりも、だんぜん可愛いですよね?!

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ここにはやはり、敷石の道よりも、運河が欲しいですね!
見ていて、眼が乾きそう。
  
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少し涼しく演出しているお家の入口を。  
大きな日除けの傘が、植木鉢のお花用にね。

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このイメージから、何を最初に想像されます?  
私は一番に「西部劇」を思い浮かべました。
メキシコのマリアッチの音楽でも聞こえて来そうでしょう?
まさに「乾いた土地」を思いますが、皆さんは?

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最後は私の好きな写真を。
このブルーが大好きなのと、敷石がグレイに写り気に入りです。
ドアは赤いようですが、今の目隠し布の方が素敵でしょう?

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・ サン・ラッザロ島  Isola di S.lazzaro di Venezia

今日はヴェネツィアでも余り知られていない、
サン・ラッザロ島にご案内です。

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ヴァポレット・水上バスは、サン・マルコ広場より少し東の停留所
サン・ザッカリアから出発です。
観光客への公開時間に合わせ、ヴァポレットが連絡しますから、
訪問したい方はヴァポレットの時間をお調べ下さい。 
私は、午後少し遅めの時間に行った記憶があります。

島のある位置は、リド島の手前。  
ヴァポレットは、サン・ザッカリアを出発しまっすぐに進み、
サン・ジョルジョ島の前を通り、ジュデッカ島との狭い隙間を通抜けます。 
普通の水上バスはここを通りませんから、なかなか貴重なラインです。



島の教会・内陣と鐘楼   (絵葉書)

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島の正式な名前は、サン・ラッザロ・デッリ・アルメーニで、
つまりこの教会はアルメニアのキリスト教教会で、
ギリシャ正教とも違う、唯一の物だそうで、
島の元々はラグーナ(干潟)ですから、4mもの干拓だったとか。




博物館内   (絵葉書)

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内部の拝観は、グループ毎に(言語によるもの!)
案内係りのパードレ(神父)がしてくれますが、
私の時はイタリア人グループがおらず、フランス人グループと一緒。
パードレは、フランス語もイタリア語も喋ったのですが、
ぺらぺらとフランス語の説明の後にちょこっとイタリア語で、
はぁ、とても良く分かりましたですね、ははは。
       
博物館内部には、下の写真の左窓際に見えるように、ミイラもあり、
しっかり10cmほどの近さから見てしまった!
      
上の写真の説明には、「バイロン卿の書斎」と書いてありますが、
覚えておりまへんです。



帰りの連絡船を待つ間に、どんどん日が落ちてきて、2月中旬、
サン・ザッカリアに帰り着くまでの間に、
熱中してかなりの写真を撮りました。

これは、島の船つき場からで、  
干潮であちこちに岩場が見え、水鳥達が集まっていました。

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まだ太陽が少し高い時。
少しずつ太陽の高さが低くなり、
空の色、水の色が変わる様をどうぞ。 

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上空を飛行機が通りすぎ、 少し出来すぎの観!

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向こうに見える島は、ラ・グラツィアという島。
右は、水道管の標識。

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もう殆ど太陽が沈みかけ、空の色、水の色が柔らかく見え、
左のパラフィッテ・杭の上に、鴎が一羽。
こんな空の色が、本当に綺麗で、遠くへ行きたくなりますね。

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ヴェネツィアが見えてきて、街は既に夕闇の色の中。 
右に見える鐘楼が、サン・ジョルジョので、左がサン・マルコの鐘楼。
写真左の方には、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会も。

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チプリアーニ・ホテルの横を通り、ジュデッカ島との間をすり抜け、
サン・ザッカリアの停留所に戻ります。


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・ カステルモンテ ・ スロヴェニアとの国境に近い、信仰の村

古い歴史を持つ珠玉の町・チヴィダーレから10キロ程の山上に、昔からの
庶民の信仰を集める、聖所カステルモンテ・Castelmonteがあり、
ウーディネ、またはチヴィダーレからバスの連絡があります。
      
カステルモンテ・空からの眺め、絵葉書で。 海抜618mの山の上。 
この写真に見えているのが全部で、全体の感じがこれで良くお分かりと。

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村と同じ位の広い駐車場で、如何に信仰厚い人々が集まるか、ご想像を。



駐車場から、村の中心にある教会の鐘楼を見上げ。

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村の門の中、通りはこのような感じで続きます。 
坂道が突き当たり、そこから、も一つ階段の坂を登ると教会です。

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これは古い絵葉書で、上の写真の道の逆向き、突き当たりの様子。
いつ頃でしょうか、何も書いてないのですが、多分前世紀の初めだろうと。
       
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今は修復されて綺麗になっていますが、まるで同じ風景で、
左に見えるトラットリアも、そのまま営業を続けておりました。

写真中央の奥に見える、井戸と、建物にご注目を。



はい、これが上の古い絵葉書に見えていた建物と井戸で、一つも変わらず!

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古い建物は全て修復され、村全体が小奇麗になっておりましたが、
単に新しくするのではなく、この右の軒下をご覧下さい。



古い様式のように、模様が描かれたレンガが使われ、とても美しいのですね。
これがまた年月を経て風格が出て、信仰の村の趣を増すのでしょう。

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狭い急階段の坂道が曲がりながら、村の一番高所にある教会に続きます。

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教会の中は、信仰厚き善男善女でいっぱいで入れませんでした。



ご本尊のマリア様、絵葉書。
ここのベアータ・ヴェルジネと称えられるマリア様は、お顔の黒い木彫のマリア様で、
昔からの農民信仰の厚さを物語ります。

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南フランスのスペインに近い地方には、顔の黒いマリア様があちこちに居られるとか。
どなたか詳しい方、お教え下さい。



カステルモンテに行ったのは8月でしたが、山の上は風通しも良く、空気が青く、
大変涼しく、階段の坂の途中にあった花鉢の色が大変鮮やかでした。

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村のはずれから、チヴィダーレの町が望めました。 9キロあります。

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バスの通る、舗装された道ではない谷を下る道は、ハイキング用に自然保護が
されており、特殊な植物群も見られるようです。  



古い絵葉書の、笑顔の美しいまだ若い女性。 山羊をおさえ、背中の大きな籠に
ボクの顔が見え、そう、お母さん! なら、右の女の子はボクのお姉ちゃんね。

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・・古い写真の中の人々を見る時、近しくも遠く、不思議な気持ちがします。


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・ コルティナ・ダンペッツォ ・ Cortina D'Ampezzo


開催されているトリノ冬季オリンピックは、ご存知の様に、
イタリアには3回目のオリンピックで、
前の2回は、50年前のコルティナ・ダンペッツォ、
そしてアジス・アべバの大きな記憶の残るローマです。

で、今日は、我らが猪谷選手が銀メダルを獲った、
コルティナ・ダンペッツォに、ご案内いたします。

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コルティナに行くには、我が町コネリアーノからは電車で
カラルツォまで行きますが、ここが電車の終点で、 
カラルツォの駅前からバスが連絡していて、小1時間で到着したと。

カラルツォからすぐ近くの、ピエーヴェ・ディ・カドーレは、
画家ティツィアーノの故郷で、生家もありますので、また、ご紹介を。

この岩山は、日本の緑茂る山を見慣れた眼には、大変新鮮。
突然、ガッと、目の前に岩山です!

お天気に恵まれた日でしたので、岩山の色が大変美しく、
薄いピンクがかった色に見え、
コルティナの町に近づくと、谷の向こうにスキーのジャンプ台が見えます。
    
蛇足ですが、アルプスの山にトンネルを掘りオーストリアまで繋がる、
そのトンネルが貫通した、というニュースが何年か前にあったような
記憶がありますが、さてその後は?




VIPの避暑地、また冬のスキーで有名で、大変お洒落で、高級な街。
何度か行きましたが、一つも調べておりませんで!はは、  
ただ、様子を御紹介です。

フレスコ画で飾られた家が多く、彩を添えていて、 
土地の生活を描いていますが、やはりアルプスの麓の町で、
南ティロルの香りがします。 

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家の角に見える「十字のしるし」は、「薬局」の印。  
今頃は、ネオンサインの十字も時に見かけます。




コルティナの教区教会の鐘楼。 

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この鐘楼は、この写真では薄くベージュがかって見えますが、
白い石で緑の屋根、大変端正な美しいものです。




教会は18世紀の建設で、内部には木製の大変貴重な厨子が
保存されているそう。 教会内に入りましたが全然覚えておらず!
正面のスタイルが、大変可憐で洗練されていますね。

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この紋章の様子からして、この建物は県庁というかお役所と。

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屋根の傾斜が少し見えますが、かなり急な事にご注目を。
写真をアップしませんが、あちこちの建物には「落雪注意」の札が。




余り遠くまで行きませんでしたが、町の家々は大体この右に見える様な、
ティロル風と言うのか、大屋根の造りで木のベランダが多いです。

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個人の家もあるのでしょうが、日本で言うマンション、コンドミニオと
こちらでは呼びますが、それも、こういう造りになっています。
奥にそびえて見える山が素敵でしょう?!




窓辺、ベランダは、大変綺麗にお花で飾られていて、
空気が澄んでいるせいか、花の色が大変鮮やかに感じます。 

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手前の家のお花越しに、ずっと向こうに草原が広がり、家が点在し、
森があり、そして岩山が視界をふさいでいます。  
空気が青い!

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坂道を上がっていくと、すぐに草原が広がります。 
「アルプスのハイジ」とまでは、言いませんが・・。

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小さな可愛い教会が見え、鐘楼はかなり古い感じがしますね。

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そして奥に、また遠くの家々が見えます。  
住んで見たいと思われますか? それとも・・?




たしか、夏水仙という名を持っていたと思います。
我がスコミーゴ村でも見かけますが、薄いピンク色が大変清楚。

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かなり上に登った所からの町の眺め。  
南を望んでいるので、アルプスの岩山ではありませんが、
山懐の町である事が、お分かり頂けると思います。

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町外れの家ですが、たいへん綺麗に演出されていて、  
家の前に古い手押し車が2台、植木鉢代わりに。  
イタリアではありますが、常のイタリアではありません。

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町外れの、小さな大変素朴な、祈祷所と呼びたいような教会が。
屋根の上に小さな鐘が一つ。  
こんな在り方が、心に沁み入るようで好きです。

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草原が続く町外れの、木造のキリスト像。  
素朴な信仰を現す、ちょうど日本の野仏の感じでしょうか。  
そして、屋根の下にはツバメの巣が。

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・ n.1 アーゾロ ・ ヴェネツィアの典雅な奥座敷

今日は、ヴェネト平野の奥にありながら文化人を惹きつける
魅力溢れる典雅な町、そしてヴェネツィア共和国時代には  
キプロス女王であった、カテリーナ・コルナーロの宮廷の町としても
有名な、アーゾロのご紹介 その1です。

町の地図をどうぞ。

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少し見にくいですが、右下に流れる黄色い道路が、右横から
来る道と合流する場所の、少し手前に町の門ポルタ・ロレッジャが。
つまり地図では町の下、南側ですね。
そして少し右に膨らみながら、町の中心ピアッツァ・ガリバルディに
至る通りが、ヴィア・ブラウニングとなります。



こちらが町全体の眺めで、右上の山上に見えるのが
有名なロッカ・要塞。

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ヴィア・ブラウニングが、少しカーヴしながら町の中心広場まで
通っているのが、良くお分かりと思います。       
鐘楼の見える斜め左上、隙間に見える所がピアッツァ・ガリバルディ。




ポルタ・ロレッジャ、町の南の門がこのロレッジャ門。  
門から手前に下った所に駐車場があり、町訪問には歩いて
この門から、という事に。

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ロレッジャ門をくぐってすぐの左側に、この小さい古い泉があり、
フォンターナ・ゼンと呼ばれる16世紀の物。 素敵な可愛い泉でしょう?
泉の上の貼り札には、「四足には、飲ますべからず」と。

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この魅力ある小さな町を愛して滞在した著名人は多いのですが、
中でもイギリスの詩人ロバート・ブラウニングは、
作品の中でこの町を取り上げ、この町に住みました。
彼の名を冠したヴィア・ブラウニングはそれに由来します。
  
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同じくブラウニング通りですが、ガリバルディ広場の方からの眺め。

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ちょっと話が戻りますが、町へ至る坂道は南からの場合2本あり、
最初ご説明した、南の坂下から駐車場を経てロレッジャ門に至る道と、
東の坂下から上ってくる道、門の中すぐ右から合流する道です。

この後者の道が大変面白い道というか、深山の中を行く趣さえする
九十九折の道で、1度この道を通った時に見た山上のロッカ・要塞。

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同じ道から見えた古い小さな教会、か、元教会と。

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これは中心のガリバルディ広場にある泉のライオン像ですが、
広場全体の写真がなく・・!
泉の水は、ローマ期に造られた水道からの水と。

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ガリバルディ広場の西側には、以前のアーゾロの市役所があった
ロッジャがあり、ここは現在市立博物館となっている、
そこの壁画、フレスコ画の名残。

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町の名を有名にしている人物の名は、カテリーナ・コルナーロ。
ヴェネツィア共和国の養女分でキプロス王と結婚、夫の死後
キプロスをヴェネツィア共和国に捧げ、
引き換えにアーゾロの地を受け城を造り、宮廷文化を持ち込み、
それがこの地の発展となったと言います。

今は塔しか残っていませんが、その城跡からの眺めで、
鐘楼からの道の突き当たりを横切るのがブラウニング通り。

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上の写真の南側、 ブラウニング通りを裏側から見た様子。

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ご覧の様に、アーゾロの町は緑の中に埋もれ、丘の起伏に変化のある、
そして大変お洒落な町。



アーゾロの町は海抜が190mあり、夕方、町の北を望んだ様子。
幾重にも山が重なり遠くへ連なり、心を誘います。

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・ n.2 ゴリツィアのお城 ・ 国境の街 

ゴリツィアの街のご案内、今日はお城をご覧頂きますね。
12~16世紀にかけて造られ、街を見下ろす高台にあります。
 
現代的な広い街筋を通り、坂の下の古い一角を抜けてぐるっと回りながら、
坂道を登ります。
中世の雰囲気をよく伝えているお城だと思い、写真を多めに、
なに、私が好きなので、無理にでもお見せしようという魂胆で~す!

これはパンフレットからで、全体の形がよく分ると思いますが、
右手の坂道を上がると、ここに右上の囲い写真に見える門があり、城内に。

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そして城壁の内側をぐるっと歩いて、城館への入口は左上に。



この石の積み重ね。 営々と、築き上げられた石の壁。 
今は窓から青い空に抜けますが、もののふ達の想いがこもっている壁、ですね。

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壁に開けられた窓、銃眼から現代の街を眺め下ろします。 城壁には蔦がびっしりと。
窓の下に、白い丸い小さい石の球が見えますが、昔投げつけたやつ?! 

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城館の壁。 石の色、大きさ、窓の形、硝子の色、形。 
こういうのを眺めていると、見飽きませんね。

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お待たせいたしました。 イザ、お城の中に。



城館入口付近、中庭。 石が敷き詰められた中庭の中央には井戸が。

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奥の壁に見える濃いオレンジ色がお城全体にありますし、街の中にも見ます。
この一帯の独特の色なのかも。



上の写真に見える中庭の奥、右手に台所が。 大きな炉があり、お鍋や
調理道具が壁にかかり、テーブル、椅子が備えられ、

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今にも休憩になった兵士達が、「パッパ、パッパ(飯・飯)」と入って来そうです。



城館内の内装、階段周り。 四角く上がる様になっていて、一番上階の天井の
素敵な模様が見え、階段の囲いの格子もなかなか優雅で、多分公的な部分と。

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大広間の壁、天井。 壁の上部はフレスコ画で飾られ、重々しい紋章が掛かり、
ゴリツィアはコンテ・伯爵領だった様子。 木の天井部分も、細工が凝らされ見事。

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一番隅の小さな部屋で、写真では見えませんが、右手に暖炉が切られています。
壁の厚さをご覧下さいね、赤ちゃんの揺り籠が、優に縦に置かれる厚さ!
暖炉前に置かれた木の椅子の優雅さ。 いかにも女性の部屋らしい設えに。

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で、この後に面白い経験を。 写真左手に3,4段の階段の上に小さな出口があり、
で、上がってみました。 向こうにも、何かあるのかも知れない、と思ったのですね。  
そしたら、ここに出ました。

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あれ? と思いつつ何メーターか進むと、お城の外が見え! 狭い狭い通路。 
そのうちに、なんとなく閃き、通ってはいけない通路ではないだろうか?!と。
でも、もう遅すぎ。 進むしかありません!



ぐるっと回って行くと、お城に入る為に通り抜けてきた、二の丸部分の小さい村が!
きゃ! 見張りの兵士どころか、逆に隠れる様子で、でもしっかり写真はね!!
      
11-02824_t_t_t_GF.jpg 

で、結局お城の外側をぐるっと回って、外からの写真の一番上の窓の部分を通り、
大広間に出て、ふと見ると、立て札があって「進入禁止」と書いてあり! 
つまり逆周りに、兵士の見張りの通路を通ってしまった訳で。

と、いう次第で、このお城はお勧めですが、
皆さん、外の通路には出ないで下さいね。 きゃはは。



中世ボケから頭を現代に戻せるように、ゴリツィアの街中の写真を1枚。
色が気に入っているので、見てやって下さい。

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・ 国境の街 ・ トリエステ ・ 港風景 

イタリアの一番北東部に位置するトリエステ。
トリエステ湾を囲み細く伸びたイタリア領の1番先の位置にあり、
敗戦国となった第2次大戦後は1時国連の預かりとなり、
ユーゴスラヴィアが管理していました。

背後にすぐ山が迫り、坂道の多い、神戸の感じによく似た、
大きな国際港であり、明るい光が煌き、
港町特有のコスモポリタンの雰囲気も漂っています。
今日は港の風景をお楽しみ下さいね。


国鉄トリエステ駅から真っ直ぐ南に向かう大通り、
コルソ・カヴールを行くと、左手にこの運河が見えます。

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18世紀に荷物の上げ下ろしに便利なように造られた物で、
正面突き当りのネオクラシックの建物は、
パラッツォ・カルチォッティといい、現在は銀行の本店との事。




大運河の少し先で道はカーヴし右手一杯に海、広い海が! 
遮るものがなにひとつない海が広がり、広い港をずっと行き、
突き当たりを回り込むとヨット・ハーバーがあります。

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こんなにたくさんの帆柱が並ぶのを見たのは、初めて。 
まさに、林立です!




後ろに見える建物の辺りに税関があり、ヨーロッパを縦断する
トラック群の溜まり場があります。

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オランダ辺りからヨーロッパを一気に下ってきて、
ここトリエステからは中央アジアに行くのでしょう。
中間点のイスタンブールのナンバーをつけた、トラックがいっぱい。




大運河の近くに「勇者の埠頭」呼ばれる大突堤があり、 
ここから振り返ってみる街は、素晴らしい!

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市民の散歩コースとなっていて、夕方いっぱいの人出で埋まりました。
夏など、さぞ気持ちがよい事でしょう。 
       
これは少し手前から大突堤と、ちょうど灯の灯った山腹の灯台を、
灯台の灯がクルリクルリと回るのを見計らって写したのですが、
白い灯台のてっぺんの灯が見えるかな?
左手の山の頂上に見える大きな3角形は、慰霊碑。




中央突堤にある街灯、少しレトロっぽくて、素敵でしょう?  
魚網のようなカバーが付いているのも、気に入りました。 

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中央突堤のかっての舫い杭で、今はこの中央突堤には
小船しか繋がれませんが、
かっては大きな船が停泊した事が偲ばれます。

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すべすべと丸く、いい感じで、  
なにやら、年金生活に入った老水夫、のイメージですね。




海に陽が落ち夕暮れが近づき、でもまだ小さなヨットが遊んでいます。

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ここの海の夕陽は本当に素敵です。 
心が思いっきり叫びたくなるような、そんな色になります。




トリエステの街の心、とも言える統一広場、海に向かって広々と。
ローマ期からの古い歴史のトリエステの、もう一つの近代の顔です。

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この夕暮れの、なんとも言えない素晴らしい空と広場の色、
ご覧下さい!      




駅に向かい歩いていると、街全体が薔薇色に染まり・・!

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少々ブレましたが、ご容赦願い、
その後も素晴らしい夕暮れに出会いましたが、
この様な色には、再会出来ていません。


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・ n.3  ヴィットリオ・ヴェネト ・ セッラヴァッレ 

今日は、ヴィットリオ・ヴェネトご紹介の3回目、
私の好きな北側のセッラヴァッレ・Serravalleをご覧頂きます。  
どうぞ!

先回ご紹介のチェーネダとの境の町の門の内側が広場になっていて、
そこからぐるっと回りこみ、フラミーニオ広場へ戻る細い道があり、
川沿いのこの道が素敵なのです!

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これは曲がってすぐの所から、町の通りの建物の裏側の眺めで、
中央に大きくそびえて見えるのが、パラッツォ・ミヌッチ・デ・カルロという、
現在博物館になっている建物。  



上の写真で見えている塀の手前の道。  
右手の建物との間をメスキオ川が狭められて流れていて、  
写真ではよく見えませんが、流れは2本、上下に分かれています。

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奥に見える鐘楼がドゥオモの鐘楼。
右からも左からも山が迫り、谷の間を細く細く北に向かって抜けていく、
そんな位置の感じがお分かりに成ると思います。  



上の写真から少し引いた場所。 
ドゥオモからの建物群が、この手前の小さい古い家で終わり、
その右に見える建物との間を、川向こうの道が通り、
ドゥオモの鐘楼の所で合流という訳です。

3-d0097427_18594238_GF.jpg

この右側の道がまた素晴らしく、古い建物のアーチが続く通り、
つまりポルティチ・アーケードの道なのですね。

奥にこんもりと見える山が聖所サンタアウグスタで、真ん中にぽつっと
白く見えるのが、一番上にある15世紀の教会。 
町の人々は散歩がてらあそこまで行きます!  



裏通りの、どっしりの古い建物の窓。 ヴェネツィア・ゴシック様式。
このヴェネト平野の一番奥の町まで、
ヴェネツィアを仲介して、オリエントの風が渡って来ています。

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堂々とした風格のある窓に、可憐なゼラニウムの鉢が並びます。



道がドゥオモの前で合流する少し手前を入った所に、
このサンタ・アウグスタへの道が始まります。

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登り始めはこの様に石段ですが、すぐに地の道になり、
毎日散歩がてらに登る人も多く、市民に大変愛されています。 
上からの眺めは、素晴らしいの一言! 



フラミーニオ広場の私の大好きな写真をご覧に。 
先回ご覧頂いた中に、左側に切れていた建物の全面です。
残念ながら私が写した物ではありませんで、
Marca Trevigianaの本からスキャンしたもの。

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影が大変上手く入っていて、写すにも時間の選択が大事と納得です。



広場の西側の建物の1部で、ちょうどお祭りの準備中。
バルコニーに飾り布が下がり、赤い布、牡鹿が金地に浮かび上がる、 
素敵な柄です。

7-d0097427_1931434_GF.jpg

古い建物を修復する時は、なるべく以前のフレスコ画や、石の組摸様など
を残して修復します。

この写真の右端に切れている建物の壁には、
2階のバルコニーの窓の上に、聖母子像が描かれています。
細く上に伸びる建物に、何かしら京都の奥に長~い町家を
思い出しました。



古い要塞でもあった13世紀のセッラヴァッレのお城で、
いかにも中世の面影が漂います。

8-d0097427_194783.jpg

現在は改築されて、落ち着いた少人数のお客を受けるホテルになっていて、
写真は、雑誌のホテルのページからスキャンした物で、
サイトは、www.serravallefestival.it



フラミーニオ広場からお城にも至る坂道は、かなり急な丸石舗装の道。

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ひっそりとした坂道を上っていくと、まさに時が止まっている感じを受けます。
かなり長い間この辺りは寂れるままに、ほって置かれた様子ですが、
今また少しずつ修復が進み、新しい命が蘇ることでしょう。



セッラヴァッレの中心通り「殉教者通り」には、豪華な邸宅があります。
このバルコニーをご覧下さい。 
私は端っこに座っている、この得体の知れない動物を写したつもりでした。
ワン君かな?

10-d0097427_1945781_GF.jpg

そして良く見ると、何とまぁ素晴らしい円柱、豪華なカーテン、
天井の高さ、造りの豪華さ! 驚きました。
こんなバルコニーなら、姫が現れても驚きはしませんね!


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・ ジョルジョ・ペルラスカ ・ 「追悼の日」1月27日に寄せて

◆  ジョルジョ・ペルラスカ Giorgio Perlasca (1910~1992)

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この古いセピア色になった写真の男性は、ジョルジョ・ペルラスカ。
ハンガリアにおいて、ナチの強制収容所に連れ去られる運命にあった、
5218名に及ぶ、ユダヤ人を救いました。

その事は彼が亡くなる2年前の1990年まで、奥さんも、彼の息子も、
誰も知りませんでした。 彼が何も言わなかったからです。
たまたま、彼に助けられたユダヤ人女性が彼を探し回っていて、
この事実が明るみに出ました。

彼は元々ファシスト党員で、スペインでフランコ将軍の下で働き、
ついでハンガリアに行きました。
そこで見たナチの残虐さに、彼は何かをせずに居られなくなったのでしょう。
ハンガリアは、共産党の勢力が台頭して来ていた事もあり、
ナチは大変酷い事をしたと言います。

彼はスペイン語が堪能でした。 自身の名前をスペイン人名にし、
スペイン人だと名乗っていました。
そのスペイン語を生かし、スペイン外交官のふりをして、
外交特権まで利用し、ユダヤ人救出に奔走しました。

戦後長い間彼を探し回っていた人々は、
スペイン人だと思い込んでいたので、見つかりませんでした。
そしてやっと彼が見つかり、TVにも出ましたが、
まだ映画「シンドラーのリスト」の前で、余り注目を集めなかったと。

改めて彼のインタヴューも、部分ながら見る事が出来ました。
質問の「なぜ、黙っていたか?」に
彼は不思議そうに「なぜ?(なぜ話さなければいけなかったのか?」と。

彼にとっては、自慢するほどの話ではない、という事なのか、
他の理由があるのか、それは分りませんが、
戦後の長い時間を、黙って過ごせる所に、
彼の並々でない、意思の強さを見た思いでした。



ヴェネツィアのサンタ・ルチア駅から、左手リスタ・ディ・スパーニャと
呼ばれる通りを行き、最初に出会う橋ポンテ・グーリエを渡り、
左に折れ少し進むと、右手に「カンポ・ゲットー・ヌオヴォ」への
標識が見つかります。
少路の入り口左手には、ユダヤ料理のレストランがあります。

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中程の暗い狭い広場の壁に、この碑文が刻まれています。

1939  ~   1945
200人のヴェネツィアのユダヤ人    
8000人のイタリアのユダヤ人
600万人のヨーロッパのユダヤ人
盲目な  残忍な  憎しみから
遠い地に  追放され  拷問され  抹殺された
人間的文明に対する  残忍な  冒涜の記憶に
神聖なる神の法にかけて
全ての人類の  兄弟愛の感情に呼びかける
全ての民衆の中で 最初にイスラエルが愛を込めて 明言する



道の一番奥にゲットー・ヌオヴォ広場があり、南側にこの建物があり、
広場の左側から奥にかけて、ホロコーストを表現した浮き彫りが並び、
建物の中には美術館があります。

20060205000931_t_t.jpg

寄贈されたたくさんの繊細なユダヤの美術品があり、
学生達のグループや次々と外国からの観光客が訪れます。
この広場に至るすぐ近くの角に、シナゴーグもあり、
そちらも見学できます。



ヴェネツィアのゲットーは周囲を運河に取り囲まれ、島のような造りに
なっていて、広場の建物の下を潜るとこの橋があります。
 
20060201232429_t_t.jpg 

見回してみて、周囲の建物と同じ様でどこか違う、と。  
建物の高さは同じ様ですが、隣は4階で、このゲットーは5階です。  
つまり、部屋の高さが低いのです。
  
狭いゲットーに、たくさんの人が住まねばならずからでしょう。
少し胸が痛くなりました。



1月27日の追悼の日は、1945年の
「アウシュヴィッツの絶滅収容所解放の日」の記念からだそう。

日本では単に「強制収容所」と呼びますが、
こちらでは「絶滅収容所」と呼び、区別しています。
イタリアにもいくつか「強制収容所」があり、
トリエステにはイタリアで唯一の「絶滅収容所」もありました。

20060202000300_t_t.jpg

こちらに来てから知ったたくさんの事柄。  
私の想いを込めて、マニョーリアの花を捧げます。

トリエステの絶滅収容所については
   
    

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・ 北のお客人 ・ 羊の群れ、到着!

この日曜の朝8時半過ぎごろ、近所の犬達が盛大に吠えるのが
聞こえ、いつもの様にミサの鐘に合わせての遠吠えではなく、
警戒警報発令!です。

長引くのでベランダから覗いて見て分りました。 これでした!!
羊の群れが、スコミーゴ村に到着したのです!  
コンドミニオのすぐ向こうに、かなり広い草原が広がっていますが、
そこにやって来たのです。
    
1-063_t_GF.jpg

手前の木が邪魔ですが、コンドミニオの方が高いので
アングルが良いだろうと、まず1枚写し、
それから、わぁーい!とばかり出かけました、勿論ね!
目ざとく見つけた上の奥さんが、何ごと?!  ペーコレ! ペーコレ!   




羊の群れを見るのは初めてではなく、3,4回位見ているでしょうか。
時に犬一匹だけが番犬で、一人だけ羊飼いの小規模のも、
馬も2、3頭引き連れた、結構大きな規模のも、草を食べさせながら
移動して行くのですね。 
車がひっきりなしに通る国道を、粛々と歩くのも見た事があります。

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写真を撮っていたら、まずこの黒い犬2匹がやって来たので、
しゃがみ込んで、チャオ! と、あっけなく尻尾を振り、触らせてくれるので、  
え、こんなに簡単に狎れたらいけんのと違う?!
すると、見ていた羊飼いがやって来たので、良い機会と尋ねました。

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トレント(ヴェネトの北の州、南ティロル)から、全部で360頭の羊!  
水を飲ますのはどうするのか聞くと、朝露の降りている草を食べるから、と。
3月頃まであちこち行き、また北に戻るのだそう。

写真をとっても良いか、と聞くと まぁ、良いだろう と、
でもちゃんとポーズを取ってくれましたが、例によってドジな私は
彼の名を尋ねるのを忘れ!  まだかなり若いでしょ。




草を食べている時は、皆下を向き(当たり前ですが)
草を引きちぎり、噛む音が、パシパシっと聞こえます。
大体何頭か一緒に横並びに並びながら、草を食べつつ前に。 
それが結構速いスピードなのですね。

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前に私がいるのが気になるのか、時々口を動かしながら首を上げ、
私を確認しつつ進みます。
子羊の鳴く声が時々聞こえるだけで、皆黙々と食べ続けます。

やっと1匹子羊を見つけましたが、ちょっと横を向いてしまい・・。 
毛が、柔らかそう!




やはり羊の群れが珍しいのか何人かやって来て、携帯のカメラで写したり、
子供に見せたりしています。

犬のシーズーを連れた奥さんが散歩で通りかかったら、
食べ終えた羊達が逆に珍しそうに集まって来て、

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ぐいぐいと並んで進んでくるので、奥さんは犬を抱き上げてしまい、
これは食べられないの!

結局小1時間ほどで彼らは移動して行きましたが、一見長閑そうですが、
かなり厳しい生活ですね。 毎日、歩いて移動なのです。
前の年に知っていた草原も、家が建って無くなっているかも知れませんし、
お天気の日とばかりは限りません。
やはり、昔はよく見かけたものの、段々見かけなくなってきているそう。


傍にいた、綺麗なシニョーラが話し掛けてきました。 
私には初めての顔なのですが、向こうは私を知っているのですね。  
田舎に住んで、慣れると良い事のひとつです。

昔から日本の文化に興味があり、本も何冊か読んだそう。 
最近は息子さんが、「外人」という江戸時代が舞台の小説をプレゼント
してくれたので、読んだそう。

お友達になれるかもしれません。  
北のお客人が、私にプレゼントを運んでくれたのかも、ですね。


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・ ヴェネツィア ・ サン・マルコ広場 

今日はいつもとはちょっと違う、ヴェネツィアの顔を!

黄昏が近づき、広場に薄闇が広がり始める時、
逆に空は明るさを増すように感じます。

20051108000652_t_t_GF.jpg

そして時に、サン・マルコの聖人達が薔薇色の雲を背に
浮かび上がります。



夕方近くなる頃、カリブ海や、地中海一周の大型観光船が
ヴェネツィアを出港して行きます。
      
20060103004340_t_t_GF.jpg
 
サン・マルコ広場を圧倒するかのように、目の前いっぱいに
船が横切って行きます。

観光船の向こうに、サンジョルジョの鐘楼の先端がほんの少し覗き、
船の一番上のデッキには、蟻粒ほどの人々が
一列に並んでいるのが 見えますか?!



日没時、サンマルコ広場に一日中翻っていた国旗が降ろされます。
水兵の一隊が広場に到着し、一連の儀式の後国旗降納。

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写真を撮るのに、ちょうどあった高潮用の渡し板の上に乗り、
走りましたら、後ろで「日本人だろう」という声が聞こえたので、
振り向いてにっと笑うと、「ホラ、やっぱり!」と大いに受けました!


     
旗の大きさをご覧頂きたく、写真を追加です。 

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サン・マルコ広場に、昼間翻る旗。
中央にイタリア国旗が、その左右にかってのヴェネツィア共和国の旗が。

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冬の太陽は、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の後ろに沈みます。

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赤く、刷毛で掃いたような、雲の色。
明日もまた、良い日でありますように!


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・ ゴリツィア ・ Gorizia ・ 国境の街

スロヴェニアとの国境の街でもあるゴリツィアのご紹介ですが、
まずは、街の建物や様子をご覧に下さいね。

カーザ・デル・コムーネ、平たく言うと市営住宅ですが、
お城に続く坂道の下の古い町が残る一角にあります。 

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で、凄い事に、ここの壁に嵌め込まれた碑文によると、1572とあります。
16世紀に建てられた市営住宅がまだお元気で、このように活用されている!
修復されたとは言え、居住者に愛されている建物である事は、間違いない様で。



サンタントーニオ広場、古い井戸の残る広場をL字型に囲んで、アーチの続く
建物があり、古き良き時代のイメージを伝える、良い雰囲気が漂っていました。

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回楼の右手に椅子とテーブルが見えますが、ここはレストランになっていて、
海の幸のスパゲッッティを。 はぁ、美味しかったですが、かなりのアルデンテで!



ゴリツィアの駅から街の中心までかなりな距離があり、いつも歩くお城への道には
信号がなく、街の中心になって始めて見かけます!

これはまだ駅に近い方の建物で、ご覧のように少し窓の鎧戸が変わっています。
最初のカーザ・コムーネの窓もそうですが、下半分が外に張り出せる仕組みで、
       
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この鎧戸は普通イタリアでは見ませんから、海に近いトリエステの雰囲気なのかも。



ゴリツィアのお城は街を見下ろす高台にあり、お城の庭から見た、これはすぐ下の
広場にあるサン・イニャーツィオ教会。 2つの玉ねぎ型屋根の鐘楼です。

4-35537_t_t_t_GF.jpg

お城のすぐ下の古い一角以外は、道路が広くすっきりと通り、やはり感じが違い、
ご覧の通り木が多く、空気が澄んで青く見えます。



お城に行くには大きく曲がりながら坂を登り、一旦門のうちに入ると、そこにちょうど、
日本のお城の二の丸にあたる感じで、小さな集落があります。

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今ここは美術館などになっていますが、落ち着いて大変よい感じで、
正面奥が素晴らしいお城で、左手手前に見えるのは13世紀の祈祷所。

お城の内部の様子も、またご紹介いたしますね。


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・ カルネヴァーレ・ディ・ヴェネツィア

今年の復活祭・パスクヮは、4月16日ですから、
カーニヴァルは、多分2月の中頃からでしょう。
ヴェネツィアのカーニヴァルは華やかな衣装と仮面で有名ですが、
最初の2枚だけ私の写真で、
後は絵葉書で絵葉書でお楽しみ下さいね!


まずは、カーニヴァル用の帽子などを売っている屋台。
この色鮮やかな、そして様々な形の帽子を1つ買い求め、
少し気分を華やかに、いざ、いざ・・!

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こちらはサン・マルコ広場の様子。 お天気の良い日で
大勢の人々で賑わっているのがお分かりでしょうか。

左奥に見えるピンク色の尖がった屋根は、
カーニヴァル時の臨時のインフォメーション。

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多彩な菱形の衣装の人物は、アルレッキーノ。
コンメーディア・デッラルテの登場人物、道化役です。

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金と銀の仮面。 銀の仮面の、頭の玉虫色のリボンが可愛い!

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霧のサン・ジョルジョをバックに、赤い色が美しい!

テンペラ画では、赤い色の影は緑で描きますが、黄色の影も緑、
そして白い色の影には、時に濃いピンク。
その意味が良く分るような、赤い衣装。

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少し中世の香りのする帽子の形が好き。 
右の黒と銀の輪の形の帽子は、ウッチェッロの絵の中にも見ます。

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建物の下を潜るポルティコの事を、ソットポルテゴと呼びますが、
古いヴェネツィアのイメージが漂うこの写真が好きです。

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運河の水の緑色も含め、すべてで、ペルフェット!!
この言葉、イタリア人は大好きのようで、良く聞きます。

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金と蒼。 アリヴェデルチ ア ヴェネツィア !

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