ヴェネツィアのサン・マルコ聖堂の正面上に4頭の馬がいて、
これはその内の一頭。
これはその内の一頭。

ヴェネツィアの冬の青空をバックに、
好きな写真の一枚。
好きな写真の一枚。
こちらが本物

聖堂内部の博物館にある、こちらが本物の馬4頭。
かってヴェネツィア共和国がトルコとの戦争に勝ち
分捕ってきた物で、「金色燦然の馬」だった様ですが、
かなり削り取られています。
かってヴェネツィア共和国がトルコとの戦争に勝ち
分捕ってきた物で、「金色燦然の馬」だった様ですが、
かなり削り取られています。
そしてヴェネツィア共和国がナポレオンによって倒された後、
この馬はフランスに持っていかれ、後ナポレオンも滅び、
「この馬のあるところ、国が滅びる」との言い伝えが。
この馬はフランスに持っていかれ、後ナポレオンも滅び、
「この馬のあるところ、国が滅びる」との言い伝えが。
フランスから戻り、今ここにいますが、
どうぞ伝説が復活しないよう、穏やかでいて欲しいもの。
どうぞ伝説が復活しないよう、穏やかでいて欲しいもの。
サン・ジョルジョ・マッジョーレ

サン・マルコの鐘楼から見た、サン・ジョルジョ・マッジョーレ。
冬日を浴びて、ひときわ鮮やかに見えます。
後ろに細長く見えるのは、
秋に「ヴェネツィア映画祭」のある、リド島。
冬日を浴びて、ひときわ鮮やかに見えます。
後ろに細長く見えるのは、
秋に「ヴェネツィア映画祭」のある、リド島。
ヴェネツィアの家並み

ぎっしりと詰まった朱色の屋根、屋根。
サン・マルコ鐘楼からの眺めで、落ちているのは鐘楼の影、
左下に、時計塔のライオンがちょっと。
サン・マルコ鐘楼からの眺めで、落ちているのは鐘楼の影、
左下に、時計塔のライオンがちょっと。
最近この時計塔修復の覆いに、ピサの斜塔の写真が使われ
大いに問題になっているとか。 当たり前!
ましてピサなら、海運国としてのヴェネツィアの
沽券にも関わるではありませんか!
大いに問題になっているとか。 当たり前!
ましてピサなら、海運国としてのヴェネツィアの
沽券にも関わるではありませんか!
アックワ・アルタの夜のサン・マルコ そして時計塔の覆い

アックワ・アルタの夜のサン・マルコ、
素晴らしい、グロリオーザさんの写真をどうぞ。
素晴らしい、グロリオーザさんの写真をどうぞ。
◆ 追記 ◆
昨日、メルマガの読者グロリオーザさんから写真とお便りが届き、
この時計等の覆いの写真は、5月に旅行された時は
「エッフェル塔」であったとの証拠写真です。
素晴らしい写真なので、ブログで紹介させて欲しいとメールを送り、
それと共に、ひょっとして私の聞き間違いであったのかと、
今日こちらで、つてを辿って尋ねました。
すると、どうやら間違いなく「エッフェル塔」の前は
「ピサの斜塔」であった事を確かめましたし、
グロリオーザさんからも、3,4ヶ月ごとに写真を変える
旨が書いてあった、とのメール。
どうやらこの物議をかもしている張本人は、
以前ベネトンの、写真を受け持っていた人である事も知りました。
う~~ん、人騒がせな!
まぁ、彼としてはこれが狙いでありましょう。
以前ベネトンの、写真を受け持っていた人である事も知りました。
う~~ん、人騒がせな!
まぁ、彼としてはこれが狙いでありましょう。
スキアヴォーニ通り

サン・マルコの広場から東に続く海岸通り。
蒼い海、そして朱の家並み。
蒼い海、そして朱の家並み。
一番くぼんだ辺り、教会の半円形の窓が分りますか?
この教会がピエタ教会で、「赤毛の司祭」と呼ばれた
アントニオ・ヴィヴァルディがいた教会です。
この教会がピエタ教会で、「赤毛の司祭」と呼ばれた
アントニオ・ヴィヴァルディがいた教会です。
そう、ヴェネツィアには、やはりヴィヴァルディが似合いです!
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