・ エッツェリーノ・ダ・ロマーノ  ・ Ezzelino da Romano Ⅲ

エッツェリーノ・ダ・ロマーノ・テルツォ
なぜ急にこの様な肖像画が?! と思われるでしょう。
なぜって理由は簡単。  好きなのです!!

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彼の名は、エッツェリーノ3世。  (1194~1259)
政治面では秀でた男と評されながらも、残忍な圧制者として、
歴史に名を残しています。

皇帝フェデリコ2世の娘セルヴァッジャと結婚、圧倒的な勢力を
行使したそうで、
ダンテの「神曲」地獄変 第7章にも登場しているとの事。

ヴェネトを支配下に収め、ミラノへの侵攻途中に捕虜となり、
出血で死ぬままに放置されたと言います。

この面構え、そしてこの絵の素晴らしさ! どちらもがお気に入り。
列車内に中吊り広告になっていたのを盗んで来たほど、
惚れ込みました!

4年前に盗み、時々秘かに眺めつつ、まだ心をときめかせています。
バックの茶色と、朱の上着。 中国の古画にも通ずる色でもあり、
そしてまた、見る者の心を静かに騒がせます。


◆追記です。      
上の記事を書いたのは、2005年12月10日。
で、この絵がポスターだった「エッツェリーニ一族」に関する
トゥレヴィーゾでの展覧会は、
2001年9月から2002年の1月だったのですね。
その時期に電車の中吊り広告を盗み、懐かしさもあり
思い出してブログに書いたのでした。

が、昨日2005年12月16日、何年ぶりかで買い物に
トゥレヴィーゾに行き、帰りに駅のホームの階段を上がり、
振り返って驚きました。
何と、彼のポスターがあったのです! 

たった1枚、4年間もの間残されていたのです。
ホームに上がる階段の、一番貼り替えにくい場所とは言え、
1枚だけホームに、しかも、私が上る階段の上に。
 
長い4年間、陽にさらされて色が少し変わっていましたが、
でも面構えはそのまま。
何となしに因縁を感じ、「チャオ!」を言いに行きました。


◆追記 2
その後、この絵がフィレンツェの「パラティーナ美術館」所蔵である事、
そして作者不詳の事を知りました。
いつか一度、逢いに行きたいものです。


◆追記 3  2018.8.12
パラティーナ美術館にその後行った時、肖像画を探しましたが
見つからず、管理の方にも尋ねましたが分からず、
その内に管理の方たち3,4人ほどが寄って来て、あれこれ見解を
述べてくれたのですけど・・、見つかりませんでした。

「エッツェリーノ・ダ・ロマーノ」という名前を、ああ、と分かったのが
1人の男性のみで、この北イタリアでは当然の様に有名に思っていたので、
あれ、彼はローカル・ヒーローかいな、と思ったほどで、ははは。


所でウッフィッツィ美術館の廊下にかかっている肖像画の中で、
エッツェリーノとされている人物の顔はこれでして、

s15-519.jpg

それはもう、断然絵としても、人物への思い入れがある顔としても、
上の方が素晴らしい事がお分かりでしょう?

・・なんぞと書いていて、またむくむくと好奇心が湧いてきて、
再度あれこれ読んでみようかな、という気になっています。
あぁぁ、誘惑の甘き誘いが、この忙しい時にぃぃぃ・・。

エッツェリーノについてはちゃんと調べて纏めていませんので、
また何かありましたら、皆さんにもご紹介を。


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