・ シエナの古い坂道を

写真をご覧頂くと、今日のご案内はシエナ・Siena とすぐお分かりですね、
はい、シエナのパリオの行われるカンポ広場にあるマンジャの塔です。

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ですが、ご覧頂くのはこのカンポ広場と街の北西にあるサン・ドメニコ教会を
結ぶ道というか、途中までは同じ道筋で、かなりの傾斜の細い坂道、
ガルッツァ通り・via della Galluzzaです。

地図上で名前を調べそれを検索するうち通りの名前の由来や、すぐ近くの道に
ついても興味深い事が分かりましたので、それもどうぞ。



で、まずこの場所から。 ヴィーコロ・デッラ・パッラ・デッラ・コルダ・
vicolo della Plla della Cordaという細い小路の坂道からの眺めで、

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ここは昔々スケッチしたままの懐かしい思い出の場所。
この小路の名前が興味深いものの由来が分からず、あれこれ調べていますが、
見つからず、どなたかご存知の方、ヒントでもよろしいのでお教えを!



地図をどうぞ!
このヴィーコロの名前で検索をかけましたら、地図の一番上に少し大きな赤丸を
つけた通りが示されました。
ちなみに街の中心カンポ広場・Piazza del Campo は右下、
ドゥオーモは地図外、カンポ広場の左下になります。

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今日ご案内の道ガルッツァ通りは、赤い点々をつけた道で、
最後の区域がヴィア・ディ・ベッケリーア・via di Beccheriaと
グーグルの地図で出ましたが、ベッケリーアとは肉屋を示し、これについても追々。

序に、印をつけた通りの名前ですが、
左下に西に延びる青の点々の通りは、フォンテ・ブランダ通り・Fonte Branda
赤点のガルッツァ通りから東に2本並んでいる通りの、
上側オレンジの点々が、フォルコーネ小路・Vicolo del Forcone
下の緑の点々は、マーチナ小路・Vicolo della Macina
       
これらはガルッツァ通り、ベッケリーア通りの名の由来に関連した
この近辺の通りなのですね。

四角く囲った上側は、Santuario di Santa Caterina・
シエナ生まれの聖女カテリーナの生家跡、
下のMuseo delle Contrada dell'Ocaは、シエナのパリオにオーカ・
家鴨で出場の地区の博物館、集会所で、
このオーカだけでなく、必ずその地区には博物館があるようで、
つまり、コントラーダの長い歴史における戦歴を誇るもの!



では参りましょうか。 ちょうどシエナのパリオの開催前日で、街のどの通りにも
その地区・コントラーダの旗が翻っていて、これはドラゴーネ・竜の地区。
突き当たりの壁に見える標識に、← の矢印が下向きなのにご注目を。

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はい、この目が覚めるような坂道!
地図では普通の道よりも細く記されていた部分で、車通行禁止区域。
何よりも、一旦奈落の底に下って、そこからまた上り坂の道である事を、
向こう側の家が目の高さにある事をご覧下さい!

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坂はこんな感じで、この道の脇には幾つも小さなレストラン、というより食堂
という感じの店が並び、それが如何にも美味しそうなのですよね!
今、シニョーラが道の向こうからカフェを運んで来ていますね。
店の下に見える鉄柵の中は、後程ご紹介の、聖女カテリーナの生家跡。

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街並みの向こう、一段と高い位置にある、シエナのドゥオーモ。

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この道はサン・ドメニコ教会の方から下って来る小路で、家の下を潜り抜け、
ガルッツァ通りに合流します。

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今この写真をじっくり見ながら、気が付いた事が一つ。このアーチは昔スケッチも
した好きな場所の一つで、何度か通っているのですが、今迄気が付かずで。

正面の窓右横の、あの小さな窓のある三角に渡した場所、
むむ、・・あそこはトイレですね。 で、あの三角に張り出した様子から見て、
昔は床が無かったかも、はは、なるほど!



さて、こちらは聖カテリーナの生家跡。 当時の生家は、勿論と言うべきか
残っておらず、こうしてかっての屋敷跡が整備されていて、眺めの良いテラスと、
左に教会があります。

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聖女カテリーナの肖像を。
1347年3月25日-1380年4月29日 裕福な染物商人の25人の子供の内、
24人目の子供なのだそうで!
現在はイタリアとヨーロッパの守護聖女とされております。
       
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アヴィニョンにあった教皇庁をローマに戻すべく働いたとか、数々の奇跡を
行った事で有名なのですけど、良く知りませんので書けませんです。

彼女も湯治療養をしたという
バーニョ・ヴィニョーニ ・ ローマ期からの温泉保養地 再訪
http://www.italiashiho.site/archives/20180611-1.html



彼女の生家跡のある辺りは、オーカのコントラーダの一帯で、
こんな風に鮮やかな3色の家鴨の旗が翻り、
オーカは首に金の十字架を下げているのも、良く分かりますね。

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聖カテリーナの生家のテラスから覗ける脇の下道にオーカの博物館があり、
衣装をつけた若者たちがひっきりなしに出たり入ったりが見え、
観光客の求めに応じて、にこやかにモデルを務めたり、

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ええ、彼らはまだ小芋ちゃんでしょ、・・ははは、失礼、
ちょっと良いのは、別にしておりますぞ、勿論。



さて、これからがカンポ広場に向かうこのガルッツァ通りの真骨頂、
建物同士に渡されたアーチが続く部分。

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中世の色濃く残るシエナの街の景色の中でもまさに出色で、
この上の部分には全部で7つものアーチがあります。
       
このガルッツァ通りは、かっては鶏、野鳥類などの取引の中心で、というのも
地図の所でもご案内したすぐ南を通るフォンテブランダ通り奥に、
公設の肉屋(多分屠殺も兼ねた)があったそう。

で近くのマーチナ小路には、革屋や染め物屋用に、染色に必要なギンバイカや、
カシ・ナラの木の五倍子を潰す工房や店が並んでいたそうで、
マーチナ・Macinaはひき臼を指しますので、納得ですね、

序にフォルコーネ小路というのは、かっては道が二つに分かれており、
イルデブランディ・Ildebrandi、又はブランディ・Brandiと名乗る家の城・
居住地が1100年に存在したそうで、フォンテブランダ通りの名もこれに由来すると。
       


ガルッツァ通りから見える、狭い急な坂道の出会う先が、フォンテブランダ通り。

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ガルッツァ通りの最後のアーチ、2層となり、美しい連の窓を持ちます。
手前の道の傾斜具合にもご注目を!

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最後のアーチの向こう、カンポ広場を廻る2重の道に繋がるアーチが見えますが、
このガルッツァ通り(ベッケリーア通り)のご案内はここでお終いです。

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同じ道の逆行きは
シエナの朝  カンポ広場からサン・ドメニコ聖堂へ
http://www.italiashiho.site/archives/20180701-1.html


これが谷の向こうに大きく聳えるサン・ドメニコ教会で、
下にカーヴして見えるのが、フォンテブランダ通り。
      
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シエナの街は坂道が続き、中世の面影を深く宿す素敵な街、 
お出かけの時は、どうぞ少しでも歩きまわって見て下さいね。
きっと、街の素晴らしさをもっと楽しめる事を受けあいます!


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