・ 花のピエンツァ点描 ・ 再訪できた喜び!

6年振りのトスカーナはヴァル・ドルチャの町と風景紀行を、
先回まず「恒例の旨いもの!」から始めましたら、
友人から「高齢の食べ物ね」とメールで・・、ははは。

ええまぁ、間違いではないですがぁ、 ・・インプットしたからねぇ!
世間の冷たい目にめげぬよう懸命に、はは、
今回は再発見の想いのあったピエンツァ・Pienzaのご案内を。

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世界遺産指定、ピオ2世の理想の町、と余りにも有名ですが、
タイトルを「花のピエンツァ点描」としたのは、
ちょうど「ピエンツァと花」という催しの最中に行き合わせ、
ドゥオーモ前に花壇が作られていた事からもですが、

イタリアの他の町同様に、各家、建物の前の花鉢が美しく、
古い石壁の前の緑の美しさに改めて魅かれましたので。

トップの写真は、町の南側の市壁内の道とドゥオーモの鐘楼。

お天気、時間帯の違う時に訪れた写真を混ぜてご覧頂きますが、
写真や内容はなるべく先回とダブらないようにしますので、

宜しかったら前のご案内もご覧下さいね。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461278750.html      

     
  
こちらは町の西のムレッロ門・Porta al Murello.
(プラート門・Porta al Pratoと書いてあるのもあり)
ちょっとシンプルに見えるのは、現在のこの門は第2次大戦時に
爆撃され、後に修復したものと。

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町の門と書きましたが、我々が訪問する古くからの一廓は、現在の町の
広がりのほぼ5分の一程でしょうか、今の市の東南の隅に当たります。



門を抜けると広場で、スーヴェニール店や土地の物産店があり、

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鉢植えの、これはツツジかな。

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門から続く町の中通りがコルソ・ロッセリーノ・Corso Rossellinno.
右手に13世紀末のサン・フランチェスコ教会があり、
こんな店先を眺めながら先に進むと、

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町の中心ピオ2世広場・Piazza Pio II.

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自分の生まれたコルシニャーノ・Corsignanoと呼ばれていた
この村を、15世紀にルネッサンス期の都会風にすべく奮闘した、
教皇ピオ2世の名が冠された広場。

町外れに古い教会があり、彼が洗礼を受けた盤があったので、
教会ご案内の時に見て頂きますね。

左手が現市役所のある1階がロッジャになった建物で、
正面がディオチェザーノ博物館・Museo diocesanoの
ヴェスコヴィーレ邸・司教館・Palazzo Vescovile、
       


こちらが、サンタ・マリーア・アッスンタ聖堂・
Cattedrale di Santa Maria Assunta.

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聖堂からの、コムーネの建物と時計塔の眺め。

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これは別の日に、よいしょ!と建物の壁のベンチに上って撮った
広場の花壇。
  
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こちらが「ピエンツァと花」のポスターで、
5月1日から11日まで開催、10・11日にはお花の市も。

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ヴェスコヴィーレ邸の壁のベンチ。shinkaiが上った場所で、はは、
向かい側のピッコローミニ邸・Palazzo Piccolominiにも
こんな石のベンチが壁に沿って作られていて、観光客が良く利用を。

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こちらは広場の西側を占めるピッコローミニ邸の壁ですが、
今回町中の壁のあちこちで目に付いた角の形の花篭。
花はペチュニアの赤紫と白で、古い町の壁に趣を添え。

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市役所の建物の2階に、ほら、カメラを構えた人物が見えますか?

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これはヴィデオ用のカメラですね。
花のお祭りの始まった2日目の朝でしたので、取材でしょうね。



おお、美人ではないですかぁ!

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1階のロッジャには、この町の名を高める元となったピオ2世、
本名エネーア・シルヴィオ・ピッコローミニ・Enea Silvio Piccolomini
(1405-1464)の生誕500年記念の碑と、

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・・あんたぁ、あたいのシジスモンドを苛めてからにぃ!! きゃは。

リミニの狼、シジスモンドとの確執は


歴史に名の残る教皇はたくさんおられ、その個性の豊かさに
ちょっと読むだけでも大いに愉しめる方も多いのですが、
・・いや、余りにも真面目一方では、教皇職というのは
なかなか勤まらない様でして・・、ははは。
       
それにしてもこの有名なピオ2世について今回ざっと読んでみると、
真に稀有な幸運な人生を送られた方の様子。
教皇になられるほどだから、ずっと宗教界で活躍したと
思い込んでおりましたが、そうではないのですね。

シエナとフィレンツェの大学で学び、シエナで教職に就いていたのが
26歳の時にマルケ州フェルモ・Fermoの大司教の秘書に。
後あちこち職を変えつつ、神聖ローマ皇帝とローマ教皇との仲介役、
優秀な外交官として手腕を発揮、遂に51歳で司教に任命。

その2年後教皇カッリスト3世・Callisto IIIが亡くなり、
有力候補と見られていた司教がフランス人である事、
性格にちょっと問題がある事、他に有力な候補が居なかった事等々から、
ひそかに運動を展開していた、雄弁術に長け活力に満ちた彼が
第210代の教皇に選出。
       
つまりずっと世俗で活躍した後、司教になって僅か3年、
53歳でカトリック教会の最頂点に上った、という事に!

人生を、自然に導かれるままに進みつつ、
一歩進む毎に常に新しいより良い仕事に就き、
それを見事に果たしつつまたより高く、という、
その才能実力があったとはいえ、まさに稀有な人生ですよね。

53歳で教皇にというのは大変若い、と言えるほどですが、
僅か6年の在位で、自分が創ったこの町を愉しむ余裕も少しのみ、
対トルコの十字軍派遣を夢見つつ、
船出予定地であった港町アンコーナで亡くなっています。

この時代に十字軍派遣に熱狂し、各国からかなり皮肉な
冷たい反応を受けたにも関わらず、
アンコーナで到着する筈の船を2ヶ月間も待ち続け、
遂にヴェネツィア共和国艦隊の到着を窓から見届けた2日後、
息を引き取ったと・・!
       
自分が就いた位に相応しく己を律し、優秀な教会の長であるべく、
それも多分、歴代の長でも最優秀であるべくと考えたに違いなく、
その為にはかなり熱狂的に自分の地位権力を利用して
職務遂行に励んだ人柄だったのかも・・。

宗教観念に凝り固まり、シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタに対する
激しい追い討ちも、その立場から、許せない!と熱狂的に憎んだのかも。

まだ俗界の39歳の時に書いた情熱的な愛情と悲劇と
エロチックな物語という「エウリアーロとルクレツィア」とか、
他にもいくつもの著作もある人文主義者の教皇という評ですが、
今回初めてという感じで彼の生涯を知り、
ちょっと意外な感じを受けた事は否めません。
    

このピオ2世の跡をパオロ2世が継ぎ、ピオ2世の下で大の協力者で
あったロドリーゴ・ボルジャが、教皇アレッサンドロ6世・Alessandro VI
として、その後に続きます。
      
ドゥオーモ前広場のヴェスコヴィーレ邸はボルジャ邸とも呼び、
あのボルジャかなと調べたのですが、まさにそうなのでした。
ピオ2世からロドリーゴ・ボルジャ司教に贈られたのだそうで、
この2人は同い年であった事も知りました。 
       


さて再び現市役所の1階のロッジャに戻りまして、こちらはピオ2世に
町の設計建設を任されたベルナルド・ロッセリーノ・
Bernardo Rossellino.
 本名は碑に見えるよう、ベルナルド・ガンバレッリ・ダ・セッティニャーノ・
Bernardo Gambarelli da Settignanoで、

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フィレンツェ近郊のセッティニャーノ村生まれ。 同じ村出身の
デジデーリオ・ダ・セッティニャーノというベルナルドとも近しい関係に
あった彫刻家の事、

そしてその実の弟かも知れないポルトガルの司教は、
ピオ2世の十字軍に従軍すべくフィレンツェまで来て亡くなり、
サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂に埋葬、とまたまた話は広がりますが・・、

お暇な方はこちらを    
       
       
も一つお暇な方は、いや、向学心に満ちた方は、ははは、こちらも。
       


町中、通り、花鉢の様子などをあれこれ・・。

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町の南にある市壁の道に出ますと、遠くまでの見晴らしが良く、
広がる緑の野の素晴らしさ!!

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緑の野はいずれまた、これでもか!というほどお見せしますので、
ははは、今回はこの2枚のみで。
      
上の写真の一番奥、小高い山の上に塔が見えますね。
あの特徴ある山と塔は、ラディコーファニ・Radicofaniですが、
同じヴァル・ドルチャにあるとはいえ、今回何処からも
この山と塔の姿が見えるのに、改めて感嘆しましたっけ。

ラディコーファニのご案内は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461280756.html       


小さな町の中を往ったり来たり、コルソ・ロッセリーノの北側に
広がる裏通り一帯を、気持ちよくさまよいます。

ここはカーゼ・ヌオーヴェと呼ばれる15世紀の市営住宅で、
現在は修復され小奇麗な住宅に。

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脇の庭に入り込むと、赤い可愛い三輪車。

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お、ピエンツァに狸! ・・いや、茶の猫ちゃんがそろっと登場。


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そろっと前に座り・・。 あんた、そんな厳しい目つきをしてからにぃ・・、
あぁ、耳にパンチを入れられてるやんか! やり返したかぁ?!

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・・うんにゃぁ、でも、ごろんごろんできるよん。
じゃぁね、撫でてあげるけんね。

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同じ宿に泊まり、朝食の時顔を知った人が、
小さな水溜りの前で傑作を狙うのに行き会い、ははは。
1つ手前の角からは、もう1人が笑いながら手を振り・・。

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朝の光線はドラマチックな影を創って見せますが、
あっという間に形が変わって行きます。

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裏通りから見る中央通り。
早くも観光客が押しかけ始めているのが見え、

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・・では私めは退散を。


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いつもブログご訪問、有難うございます!

暫く前から写真をL版サイズで撮っておりますが、ブログ掲載の為に
縮小したり、サインを入れると、ここ最近のブログの写真がどうも
以前に比べて、逆にすっきりしない印象と結果という感じで、
もやもや・・!

今日やっとあれこれ縮小の仕方を試し、結局2段階で縮小、
サイン入れにして見たのですが、
これで漸くそう酷くはないと思うのですが、どんなでしょう?

そして、写真集出すわけでもないしという横着さから、JPEG保存で
簡単にパシャパシャやっておりますが、これも今回のトスカーナの緑色の
出方で少々反省し、ジョヴァンニや先生のミケーレからも言われてた通り、
やはりRAWにした方が良さそう・・、なんぞとも。

あれこれ問題が出て、懲りないと分らない無知馬鹿は、
漸くに写真の基礎も学ばないと、と考え始めておりましてぇ、
・・何年カメラに触っているんだよぉ、お前はぁ、
昨夜もカメラの使用説明書を広げておりましたが、

日本語で説明されても飲み込めないのが、なにせイタリア語、
ははは、さて、どの程度頭に入りますものやら・・!
が、遅くとも無いよりはまし、
のイタリアの格言に従い頑張りま~す。

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