・ モンテプルチャーノ ・ 歴史と文化と上等なワインと 

今日はオルチャの谷からだと東外れに位置し、エトルスク期
からの歴史をもち、ヴィーノ・ノービレD.O.C.Gでも有名な
モンテプルチャーノ・Montepulcianoをご案内です。

昨年夏の訪門では余り時間がとれず、少し中途半端でしたが、
今回ブログでご案内するためにガイドブック、サイトで調べ、
大変に古い歴史を持ち、文化的にも豊かな事を知りました。 
      
モンテプルチャーノの町の中心、グランデ広場・Piazza Grande 
の西を占めるパラッツオ・コムナーレ・市役所で、
夏季には上のテラスに上れます。 後ほど。

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ちょっと見に、フィレンツェのヴェッキオ宮に良く似ているでしょう?
15世紀に上に塔が造られた、ゴシック様式の正面。
       
広場が、緩やかに傾斜しているのがお分かりでしょうか?
向かって左手にドゥオーモがあり、
右手には・・、


広場の北側に2つの建物があり、右手前側の白い建物が
ノービリ・タルージ邸・Palazzo Nobili Tarugi.

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最初はノービリ家、ついでタルージ家の住居として、
16世紀初頭に建築家、アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオ
によって建設されたそう。

この建築家アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオは、
町の他の有名建築、そして他の地にも名を残していて、後ほど。

写真でご覧のように、私の行った7月の初旬。 お祭り準備があるようで、
はいはい、あっちに行って!と追い払われ、傍にも近づけず。
建物の表面は修復されていますが、一般公開なしと。      
       


こちらが16世紀末から17世紀にかけて建設のドゥオーモで、
未完の正面壁が逆にインパクトを。

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以前にあった古い教会を壊し、新しく建設されたそうで、鐘楼のみ古い時代のまま。
内部の装飾などは、古い教会のものや近くの教会からもと。


    
これが前の教会から移されたという、1401年作の美しい
「聖母被昇天」の祭壇画で画家はタッデオ・ディ・バルトロ。
     
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外の未完の粗い石組みに比べ、中部はクラシック。 薄暗い教会の中で、
黄金背景の祭壇画や、金泥塗りの聖女像がひっそりと輝きます。

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ドゥオーモ前広場左手角に、このレストランのテント。 小さな建物でアーチの下の
石像がなかなか良く、メニューを覗きに行きたくなりましたが、時間が早すぎ・・!
   
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で、隣の市役所のテラスに上りに。 市役所は一番最初にご覧頂いた建物ですが、
これは正面入り口左上にいた、ライオン君。
    
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建物の内部、中庭。 広場に向かっている面も修復され大変美しく、内部もスッキリ。

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入り口に、塔に登れます、という案内があったので入ったのですが、中には表示も無く、
その辺りにいた制服のお巡りさんに尋ねると、丁寧にエレベーターに乗せてくれ。

エレベーターを降りた所に、机を前にシニョリーナが居て、
これは安い!と思った上り料を払い、彼女の後脇の木の階段を。

で、こちらが市役所テラスからの眺め。
安い筈で、上の塔には上れず、テラスの前側だけ、行ったり来たり出来ます!!

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それでも眺めはやはり良いですねぇ!!

モンテプルチャーノの町は海抜605m、人口1万4千人ほど。
町は南北に細長く、くの字型に丘の上に広がり、この市役所のあるグランデ広場が
一番高い場所。 ここは北の眺めですが、歴史あるだけに瓦が古いでしょう?



右角の建物が広場の写真に見えたノービリ・タルージ邸の左奥に見えた物で、
カピターノ・デル・ポポロ宮・Capitano del Popolo.
現在は裁判所のようす。

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が1階の一部が展示室になっていて、ちょうど興味深い絵の個展が開催中でした。 
がこの絵描きさんとは知らずに下の駐車場で出会った時に料金について尋ねており、
会場でお互いに気が付いたのでしたが、

なんとイギリス人がウンブリアに住み着き、絵を描いているのです。
世界は広く、狭く・・!

隙間の通りが、ヴィア・リッチ・via Ricci。
      


上の写真でも見えた塔、鐘楼のようですが、さてどこの?
   
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ええ、モンテプルチャーノは、再訪の要あり! です。



テラスが狭いので撮りにくく、斜め写真で失礼を。
右の白い建物がタルージ邸で、前に由緒ありげな井戸。

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広場の敷石と、準備されたバールの席。



広場の南に見える小路。  ここを辿って広場に来ましたが、

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今回町の地図を調べながら、テアトロ・ポリツィアーノとか、ポリツィアーノの
生家等を見つけ、 ん?! なんとまぁ、
ルネッサンス期の有名な詩人、古典学者、メディチ家の家庭教師でもあった、
アンジェロ・ポリツィアーノの生地なのを知りました。

モンテプルチャーノの住人、物を、ポリツィアーニと呼びますが、
(モンテプルチャネージ の方が稀と)これは彼の名前に由来しているとか。


町を訪門前に一応読んでいくにも拘らず、頭には何も入っていない様で・・!
       
写真の右端に切れているのが、ドゥオーモの鐘楼、
そして小路の左に少し写っている建物、つまりグランデ広場の東側のこの建物は、
コントゥッチ邸・Contucciといい、

かの有名なヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチャーノ、
D.O.C.G の、ワインの有名醸造所の一つ。

モンテプルチャーノの小さなワイン醸造所訪問。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460854939.html       
       

最初に、この町をオルチャの谷の東はずれ、と書きましたが、
実際はヴァル・ドルチャ・Val d'Orciaと、ヴァル・ディ・キアーナ・Val di Chiana
との境に辺り、オルチャの谷の地図には含まれていない事もあります。

ヴァル・ディ・キアーナと言うと、北にアレッツォ・Arezzo,コルトーナ・Cortona, 
南に下りキウージ・Chiusi、そしてウンブリアにまで届きます。
       

これは遠くに麦刈りをしているのが見え、雲の動きが面白く。

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テラスから見たドゥオーモ。
この写真でも鐘楼が切れてますがぁ・・!

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ドゥオーモの石段にこの子。
この金髪はドイツの女の子かも。 細い脚に、大きなサンダル!

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テラスからの、塔の眺め。

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うむ、あの上まで上れるのかと思ったのに!そりゃ、安い筈だわ。
階段も、短かったよなぁ。と、何とかの高上がりは、ぼやきます。



これが下の事務所からテラスに上った階段ですが、狭い、狭い。
イタリア人も、かっては本当に小さかったのだ!

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戻りはエレベーターに乗らずに階段を。
建物内部が素晴らしかった! 天井の梁や明かりを、ご覧下さい。

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タルージ邸の横にある、グリーフィとライオンの井戸。
   
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真ん中にメディチ家の紋を支えたライオン(フィレンツェの印)がいて、
その両脇にグリーフィ・Grifi、鷲の頭とライオンの胴を持つ
伝説の怪獣(モンテプルチャーノの印)がいる素晴らしいもので、
この井戸も、タルージ邸を建設したサンガッロの作。

モンテプルチャーノはエトルスクからの歴史を持ち、記録にも8世紀には登場し、
すでに大変豊かで文化的な、自由都市であった事が記されているとの事。

シエナからも、フィレンツェからも狙われ、ペルージャや、オルヴィエートと
組んだり、専制君主の下での戦争の時代を経て、14世紀末にフィレンツェの下に。
そういった町の歴史を、良く現している井戸ですね。



中心のグランデ広場からリッチ通りを下ります。
ご多分にもれずこの古い町の通りも狭く、びっしりと車が並び、なお一層狭く・・。

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お祭りの準備を広場でしていましたが、通りの家々にも旗が。
何のお祭りだったのでしょうか?

映画「トスカーナの太陽の下」で、アメリカ女性がコルトーナに家を買い、
このモンテプルチャーノに旗振りのお祭り・ズバンディエラータを見に来るシーンが。
旗振り男性のタイツ姿に、大喜びしてましたっけ。

町のガイドによると、樽を転がす競争や(この坂の道で?!)ドゥオーモ前を舞台に、
劇があったり、また歌曲の国際的なガーラも行われる様子。



由緒正しげな建物の中庭に入り込んだ所、かの有名な教会サン・ビアージョが見え。

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隣の建物から、盛んに歌曲の練習をしている歌声が聞こえ、実はグランデ広場に
近い裏道でも聞こえ、ふ~む、でしたが、歌曲のコンクールが、
夏にこの町であると知った次第。
       
生の歌声は、CDやTVで聴く歌曲とはまた違う趣で柔らかく、なかなか良いのですが、
練習ですから時に同じ箇所を繰り返しで、聞く方としては、生殺しの感じも、はい。
昔アッシジで、まさに半殺しにされた思い出がありますです。


自分の辿った道を今回地図上で確かめ、町の半分ほどで引き返しているのを、
改めて確認し! クヤチイ! まぁ、再度挑戦いたしましょう。


これは、パラッツォ・ベニンカーザ・Benincasaという建物のようで、
奥に見えるのが、サン・フランチェスコ教会。
市役所のテラスから見えた鐘楼は、この修道院のらしいですが、確認できず。

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辿ってきたリッチ通りは細長い町の上側を通り、町の中程から低い側の
グラッチャーノ通り・via di Graccianoが町の北奥に。
そして町の北半分に、一見に値する建物群がいろいろある様ですが、残念ながら見ておらず。
       


高い方から見下ろす、町の家並み。

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旗の柄と同じ紋が入り口上にあり、地区のいわば集会所の感じ。
が、それにしても立派な建物。

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かなり凄い坂道でしょう?!

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こんな風に町の奥に続いているのを見て、こりゃ駄目だ、
と引き返したのですが、少し急いでいたので、残念!



町の南外れにメディチ家の要塞があり、近くで見つけた通りの名。
ジョルダーノ・ブルーノ通り・via Giordano Bruno.

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そして、なんとも素敵な古い壁!



駐車場の脇から見えたサン・ビアージョ教会・San Biagio。
この姿からテンピオ・神殿とも呼ばれますが、

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建築は15~16世紀に活躍した、広場のタルージ邸と同じ
アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオ・Antonio da Sangallo il Vecchio.

調べた彼の経歴は大変興味深いもので、
父親はコシモ・デ・メディチの建築家で、彼は兄と一緒に木彫の仕事からはじめ、
そして大砲の発達に伴う要塞の近代化の仕事に手をつけ、ローマのカステル・サンタンジェロ、
リボルノの旧要塞、アレッツォのメディチ家の要塞、ecc と次々。

フィレンツェのドゥオーモ建築の長もし、ローマのサンピエトロ教会建築の
ブラマンテの後任も。 こういった経歴ですが、このブラマンテ、ブルネレスキの特徴も残す、
サン・ビアージョ教会が彼の名を後世に伝えます。
       


少し小さくて見難いですが、町の地図をどうぞ。
ドゥオーモは、お分かりですね。 その前がグランデ広場、
左にコムーネ・市役所、北にタルージ邸。
 
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インフォメーションは、この地図ではリッチ通を辿っていくとあるのですが、
別の地図では広場のタルージ邸の位置にあります。
行かれる前にお調を。

町の北半分、グラッチャーノ通りの見所にピンク丸をつけましたので、
大体位置がお分かりと思いますので、ご探訪を。

町への行き方ですが、ローマ方面、またはフィレンツェから出かける場合、
国鉄のキウジ・キアンチャーノ・chiusi-chiancianoで降りられ、バスで45分程と。 

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