・ カステッロ・ディ・アーヴィオ ・ 中世からの軍事拠点、居城

最初に、イタリア中部地震の速報をお伝えします。

今朝7時40分に、震源地ノルチャ・Norciaのすぐ近く、地下10kmの
強い揺れ、8月24日の地震よりも強いマグニチュード6,5が一帯を襲い、
ノルチャのサン・ベネデット聖堂は正面壁を残し崩壊しました。
http://www.rainews.it/dl/rainews/media/Crollata-la-cattedrale-di-Norcia-tutte-le-foto-del-nuovo-terremoto-6d7f7b3a-44b1-43b0-ae5d-72e742bc1c73.html#foto-1

お昼のニュースを見た所では、幸い今回も死者は無く、怪我人、危険信号の
重症者も含め20人程で済んだ様子です。

ノルチャの北にあるプレーチ近くのサン・テウティツィオ教会は、
先日教会正面壁の一部が落下したのでしたが、今回は遂に全体が崩壊。

プレーチと北のヴィッソからの連絡道である道脇をネーラ川が流れますが、
大きな山崩れがあり、川も道路も埋まり、プレーチとの連絡は途絶えているとの事で、
大きな被害が予想され、各町の中心地は進入禁止になっている所が多い模様。

今回の地震はローマでもかなり揺れた様子で、地下鉄が止まったり、
各地で点検の為の一時的な観光施設の閉鎖もあった様子。

余震が続いていたものの、他にも大きな災害ニュースがあったりで、
ニュースも小さくなりかけていた矢先の、再度の大きな地震でした。

被災者の皆さんの心理的な疲れも想像でき、寒さに向かい本当にお気の毒です!
救助にずっと当られている消防団、救急隊員たちの方々の疲労の大きさにも
想いが行き、頭が下がります、本当にご苦労様です!! 
宜しくお願い致します!!


*****

イタリアのヴェローナから北の国オーストリアのインスブルックとを繋ぐ、
ローマ期からの街道筋の要所であり、
高い山を背後に平野を睥睨、アディジェ河の渡河地点の見張りでもあった
カステッロ・ディ・アーヴィオ・Castello di Avioのご案内を。

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見学日が曇り空でしたので、トップの写真はせめて青空の一枚をと、
現在の城の持ち主であるFAI・Fondazione Ambiente Italia・
イタリア環境財団とでも、のサイトから拝借で、記事中の我がサイト名無しも。

こちらでアーヴィオのお城の修復前、修復後のヴィデオが見れます。
https://www.youtube.com/watch?v=VH-xCD3U_iI



今回は写真が多いですので、お覚悟を決め、ゆっくりご覧くださいね!!

城入り口前からの城壁の眺め。

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城の図をどうぞ。 左下Ingresso・入り口から入り、常に坂道で上り、
赤丸の付いているのが現地点という事で、
その道から下の右下部分は現在私有地になっているそうで、
その中に含まれるTorre Picadora・ピカドーラの塔。

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赤丸地点の左にCasa delle Guardie・警備人の家で、
矢印にそって坂道を行き、左に見えるグレイの位置に最初の門。
ここから右部分は城の下と呼ばれ、兵舎部分でもあったでしょうか。

グレイの部分の先に2番目の門があり、我々はそこを抜け、左回りに行き、
一番上に3番目の門、そして角を曲がって4番目の門、

赤い四角が主塔・Mastio、その右にGrande Cucina・大台所。
そして次の門をくぐると居住地部分で、左に抜けると内庭というか、
Pozzo・井戸があり、
長い大きな城館がPaazzo Baronale・男爵館とも領主館とも。

左外れの白い部分はResti della Capella・礼拝堂の遺跡。

ぐるりと城壁に囲まれ、5つの塔、領主館、そしてフレスコ画で装飾された
警備人の家、主塔の上という、約千年の歴史を持つ城です。
       


これが現在私有地内に含まれるピカドーラの塔。
ここで絞首刑が行われ、下の村から見えるように吊るされたのだそう!

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名前と由来を聞いて皆がフフと笑い、というのも、吊るすがインピッカーレ・
impiccareなんですね。



警備人の家に入り、2階に。

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そして、おお!となったのが、まずこの壁画。
現在のパッチワークの柄にもありますよね、これ?!

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真ん中にアルファベットが見えますが、何の関係もない文字が入っているそう。
下に見えるのは、カーテンを吊った感じのものですが、
後ほどご覧頂くフレスコ画のカーテン部はすべて同じ柄。

shinkaiは一番後ろで写真を撮っていて、殆どガイドさんの説明を聞いておらず、
ははは、すると中ほどに居たルイーザがすっと寄ってきて、
ガイドが、本当は写真禁止ですが、撮られているのを見ても
見ない振りをしますが、フラッシュは焚かないように、と言ったそう。
ははは、親切で良く出来たガイドさんですねぇ!!



そして隣の部屋の、これが圧巻でした!

部屋一面に戦闘場面のフレスコ画があり、それが整理された線と色で、
そしてどこかニヒルな目を持って見つめている、というのか・・。
こちらが入って正面の壁。

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右の壁上側。 戦闘場面なのに、一番右の男はこちらを見ていて・・。
   
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部屋の入り口背後の壁、上の右にアーヴィオのお城が。

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窓にもこんな柄模様。 画家は14世紀中頃のトレンティーノの画家であろうと。

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警備人の家・見張り人の部屋と現在は呼ばれていて、確かに位置的にも
そうなのですが、多分長たる人の住まいであったろうと。



上の道から見た警備人の家。 1階部分はこの傾斜地に寄っていて、
我々は1階の戸口から入り、今見える2階の左の戸口から外に。

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坂道を上り、

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最初の門。

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中から見た最初の門。 城壁に穴が順序良く開いていて、
かっては中を見張りの兵士が辿った廊下部があったものと。

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右に開いているアーチの中が城の下部分で、上に伸びている壁の内側が
かっての礼拝堂の壁、というのを後ほどに知りました。

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この左に2番目の門があり、



2番目の門を振り返った所。 ずっと上り坂!

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城壁は城をぐるっと囲んでいる一部ですが、下にも上にもM字が見えますね?

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これは城壁の上に付いているメルレット・レース飾りと呼ばれるもので、
つまり下のMは最初の城壁の上にあったものが、防御の問題から埋められて
城壁が高くされ、その上にまたM字が付けられ、そしてそれがまた埋められ・・。

M字型は王冠の飾りを意味し、M字が付いている城は皇帝側である事を示し、
教皇側の城には、教皇冠を示す尖がりが1つ、残ります。


このアーヴィオの城の建設が記録に残るのは1053年で、12世紀に
トレントの司教の臣であるカステルバルコ・Castelbarco一族の領有と。
       
カステルバルコ一族で最初に記録に名がでるのは1177年に、アルドリゲット・
Aldrighettoがトレントの司教アデルプレート・Adelpretoを殺害した
というもの。 封建領主間の争いが激しく、それが原因だった様ですが、解放され、
その息子ブリーノ・Brinoは政治的軍事的にも勢力を伸ばし、後を継いだ
アッツォーネ・Azzoneは、アーヴィオの城も整え、フェデリコ2世皇帝の意思にもより、
皇帝の副王でもあったエッツェリーノ3世ダ・ロマーノとも連帯、
この一帯での重要な立場を持つ事に。

1265年に亡くなったアッツォーネの後継がグリエルモ・Guglielmoで、
ますます政治的軍事的に威力を持ち、ヴェローナのスカリージェリ家にも近づくものの、
1320年後継者を残さず亡くなり、彼の財産は甥達の間で分割、という事に。

ですが、その後も様々な困難を切り抜け、数世紀をカステルバルコ一族は
存続し続け、ミラノ方面にも進出、
カステルバルコ・ヴィスコンティ・シモネッタ・アルバーニという姓に!

このアーヴィオの城は1977年、エマヌエーラ・カステルバルコ・Emanuela、
指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニの姪にあたるそうですが、FAIに贈ったものと。
       
ええと、つまりです、何が本当に言いたかったかと言いますと、ははは、
       
中世の強大な力領主の城の防御の仕組みが本当に良く残った城であるという事、
そして経済的にも豊かで、城館内の装飾も優雅であるという事、で~す。
       


3つ目の門をくぐり、

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銃眼というより、弓を射る窓の様から、外を。

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城館部分に近づき、両側の壁が高まり、最後4つ目の門。

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門を潜って目の前に広がる、周囲の威圧する壁!  右は床と境の壁が
落ちているのですが、暖炉部分や、壁の祭壇部も見え、

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左下にフレスコ画が見えますが、後ほど。



上の写真の右側はこんな様子で、主塔に接し。

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上でチラッと見えたフレスコ画ですが、これです。 色が見え難いので
少し濃い目にしましたが、白馬に乗った騎士と貴婦人ですね。優雅!

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このフレスコ画の下のアーチ越しに見えた、植物のフレスコ画、わぁ~お!

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遂に一番奥の城館部に入った訳で、この建物は領主館の一番東、
城の図の右側の、外壁ということになりますが、
植物状のフレスコ画は1階部分で、2階には布の柄が一面に。

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上の写真の向かい側に当る、2階の布の柄。
左に斜めになって延びる壁にもフレスコ画の名残が。

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潜ってきたアーチの内側にも、植物の柄。 ここのは色が良く残っていて、
この柄は本当に優雅ですよね。 女性達の部屋ででもあったのでしょうか?!

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城壁側との境にアーチの境があり、1階部分はこれで仕切られていたものと。

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アーチ壁の向こうには地下へ下りる石段があり、最初は真っ暗で降りる気も
しなかったのですが、ははは、

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城館見学が済み出て来ると、案内の人が、下は倉庫で降りれますよ、
との事で、その時は明かりも見えたので降りてみました。
大きな倉庫が次々とあり、右側は閉まっていて見えませんでしたが、
氷室があった、との事。



横から低めのアーチを潜っていくと台所で、この大きなフードに驚き!!

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一帯何人位住んでいたのか、とガイドさんに尋ねると、
お城や要塞をたくさん持っていたから、そんなにたくさんでないと思う、との事ですが、
それでもねぇ、この大きさだと、何頭もの豚ちゃんもグリル出来そうですよね?!



中庭から見える主塔。

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ご覧頂く様に、主塔は4角形ではなく、東側は角があるのですが、他の2角は
角を削った様に丸みを持っているのですね。

これは防御のため、と聞きましたが、城内側の少し広めの広場に向いた方面で、
多分多少でも砲攻撃を受けそうな面に対しての防御のためと。



さて、領主館の中に。 この左の壁の外側に、植物柄と布柄のフレスコ画が
残っていた部分で、中から見上げる壁の高さが異様に高く感じ、
おまけに薄暗いので、大変な威圧感も!

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真ん中に見えるのは暖炉の跡、上階部で、つまりこの部屋の天井、
上階の床が抜けている、という事ですね。 
この部の煙突が残っているのを後ほど。



遠くの壁に残っていた、祭壇画の窪み。

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反対側の壁。 この先は天井が低くなり、その高さの違う部分に
黒い板壁で覆いがあるのが見えますね。 時代毎の改装修復の
蓄積がここにも見れます。

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領主館の一番西端の大きな部屋。 ここにも柄のフレスコ画が2階部と、
窓にも同じカーテン柄。
四角い穴が続くのは、2階の部屋の床部分の梁があった場所。

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そしてその外側に、かっての礼拝堂の壁画が残る壁の一部が。
 
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下は、最初の門をくぐって上って来た所の、城の下の部分。

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細長い中庭はこんな様子で、右が領主館部分。 幾つもの壁、アーチで
仕切られ、左は主塔に至る石段部分。 手前に見える中庭の井戸。

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この下に、地下倉庫の氷室があるのですって。
       
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主塔に上りますが、ここが塔の入り口。 とはいえ、塔は11世紀に出来たものの、
この入り口がついたのは後年の事で、最初は塔の入り口の左の壁に見える窓、
あそこから梯子で出入りし、梯子は使用後は中に仕舞っていた、と。

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こんな階段で上に上ります、確か3回梯子を上ったと!

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最初の階には窓がひとつあり、これはそれよりも上階の窓。
窓の厚みにご注目!

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そして辿り着いた上階、愛の部屋と呼ばれるフレスコ画装飾の部屋!
塔のこんな上に、こんな優雅なフレスコ画があるのなんて初めて!!
       
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暗いのと、仲間が多く全体が撮れず、サイトの写真で見て頂きますが、
窓を挟み、右に半分欠けて分かり難いのですが、

馬に(犬ではおまへん)乗り弓を持った人(騎士だったっけ?)が描かれ、
窓の左の貴婦人は矢を払いのけ、掌にはワンちゃん。

つまり意味する所は、男の愛は変わりやすく、そうそう、ははは、
犬は忠実のシンボルなんですって。

天井部には、膝まづく人の下半身と、右は誰だったっけ、聞いとりません、へへ。

shinkaiが面白いなぁと思ったのは、天井の肋骨部分の描き様が、
ちゃんと一番のデッパリ部を白く、膨らんでいる様に描いている所で。



左に続く場面には、愛の矢で射られた、幸か不幸か分からぬ貴婦人がいて、

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向かいの壁には、馬上の騎士と接吻する貴婦人の姿。

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14世紀中頃のヴェネトかエミーリアの画家だろうというのですが、
洗練され、愛の寓話に満ちた宮廷画で、
むむ、一体誰がこんな部屋を、何の理由で、こんな場所に作ったんだぁ?!



「愛の部屋」の隅にまさに梯子階段があり、上の物見の部屋に。
ここが塔の最上部で、一段と高い見回りの段に上れ、ぐるりとほぼ一周出来ます。

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見張り窓から見る北の山。

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塔から見下ろす領主館の屋根と、城の入り口、ピカドーラの塔。

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上の写真の左に切れたのが、領主館の屋根からの煙突。 館の2階部に
暖炉の上部のみ残っていた物で、煙突の先の形が古めかしく趣があるでしょ。

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城の一番の高所から見下ろす、麓の村サッビオナーラ。

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アーヴィオの中世からのお城のご案内、お付き合い、有難うございました!

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・ トレントの古城2つの前奏曲 と、 カステッロ・ディ・アーヴィオ 

先週水曜にグループで出かけて来たトレントの古城2つ、
カステッロ・ディ・アーヴィオ・Castello di Avioと
カステル・ベゼーノ・Castel Beseno.

写真は、サイトから拝借のアーヴィオのお城を遠方から。

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生憎の曇り空で靄のかかったお天気でしたが、何とか雨はのがれ、
千年近い歴史を持つ古城2つの内部と、規模の大きさに満足し戻りました。

写真整理も資料を読むのも済んでおらず、さてどうしようか・・。
が、以前アーヴィオのお城を訪ねた時は、月曜休館で外からのみで、
その時の写真は何枚か、ガルダ湖北の訪問で見て頂いただけでしたし、
 
ガルダ湖 北端 ・ トルボレ、 リーヴァ・デル・ガルダ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463416779.html 
  
先日とは打って変わった青空の美しい写真なので、シメシメ、これを!と。
いやぁ、先日来こちらは雨と曇り空が続いており、
青空と太陽さんが恋しく、時間稼ぎにもちょうど良いと、ははは。

という事で、今日はアーヴィオのお城の前奏曲、ならびに麓のサッビオナーラ・
Sabbionaraの村の様子をどうぞ!

このお城に惹かれるのは、如何にも中世の絵に描いたような姿で、
これはヴェローナからボルツァーノに向う鉄道からも、高速からも見え、   
やはり一度は内部も見たかったのでした。



アーヴィオのお城はどこにあるか、地図をどうぞ。 我が町コネリアーノから行くには
ちょうど北周りと南周りの行程があり、

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この日は往きにヴェローナ経由の青の線南回りで、午後にロヴェレートの北西にある
ベセーノの城を見物後、 戻りは北回りのグレイの線で。
     

  
ここから暫くは、以前、はぁ、2007年5月下旬の、ははは、
緑濃い写真をご覧頂きますが、
高速を降り、サッビオナーラの村に向かい、

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お城の手前の駐車場から、見上げる姿。 現存するのは上の城館部分と
主塔で、城壁が取り囲みます。
       
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城の下から見下ろすサッビオナーラの村。
こちらも、如何にも昔からのお城の膝元の村、という感じでしょう?!

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村を囲んでいるのは葡萄畑ですが、いつもご覧頂いている畝の畑とは違い、
この辺り北の一帯は葡萄の枝をパラソルのように広げた棚作りで、
太陽の恵みを最大に取り入れる仕様なのですね。



南、ヴェローナ方面を望んで。
両側から高い険しい山々が迫る狭い谷の中をアディジェ河・Adigeが流れ、
それに沿って道、高速と鉄道線が南北を結びます。

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村の外れの教会。

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再び見上げる城。

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こちらは北に向っての眺め。

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山が迫る谷の括れごとに、かっては見張りの城、要塞があったものと見え、
このアーヴィオの城の城主一族カステルバルコ・Castelbarcoは
この谷一帯に15位も城を持っていたのではないか、とはガイドさんの言葉。



村の中の道は狭く、当時免許取立てのshinkaiはやっと角を曲がりつつ、
急傾斜の道をお城の駐車場まで辿り着いたのでした、ははは。

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5月下旬の暑いほどの陽射しの日で、ラヴェンダーも良い香りを放ち、

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サクランボも美味しく熟れ、勿論ちょっぴり味見をさせて頂きましたっけ!

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これは葡萄の房。 花が咲き終わり、実になりかけの所。

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そして、オリーヴの花。

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というような、初夏の快晴のアーヴィオでしたが、
今回はまだ真っ暗な朝6時に出発で、濃い霧の中のヴェネト平野を行き、

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ヴェローナから北に向うと、漸くに薄日が差し始め・・。

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高速を降りる所で見えたアーヴィオの城。

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城の手前から見えたのよりも、ずっと主塔が高いのが分かりますが、
今回あの上にも上りましたぁ!


村の通りでバスを降り、城まで運んでくれる小型バスに分乗し、
まさに城の入り口まで運んでもらいましたが、傾斜の小路は恐ろしいほどで、
慣れた運転手さんもゆるゆると。
       


お城入り口から見下ろす、サッビオネータの村。

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雲間から射す光の筋。 一日雨の予報でしたので、こんな光でも嬉しい事!

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見上げる上の城館と主塔の先。

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入り口脇の建物、見張りの塔。

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最初は盛んに吠えていたワン君も、鼻先を柵から突き出し、
その後は、庭に寝そべって・・。

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南、ヴェローナ方面。 アディジェ河は蛇行して下り、ヴェローナの街中を流れます。

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一瞬、輝く太陽の光に、まるで違った風景のよう。

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奥の険しい山の黄葉にも陽が射し。

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高速の停滞を恐れ早く出発、早く着き過ぎた我々がガイドさんを待つ間が
ありましたが、
城の中には、こんなフレスコ画が残っていて、これはもう、全然期待して
いなかったので感激!

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という次回の予告編で、



午後訪問したベゼーノのお城の威容はこの通り!

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これは駐車場にあった写真ですが、左下から辿り、右の一番奥までで、 
訪問の価値あり! でしたぁ。

アーヴィオの  お城での昼食の騒ぎを
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20161025-1.html


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・ エトルスク博物館 ・ ヴォルテッラ 

ヴォルテッラの有名な見所をあれこれご覧頂いて来ましたが、今回が最終回、
この町の名を世界に広めているエトルスク博物館・Museo Etrusco Guarnacci
のご案内です。
      
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博物館名の最後にあるGuarunacci・グアルナッチというのは、この博物館収蔵品の
大きな、そして主要な部分を占める作品を寄贈したマーリオ・グアルナッチ氏(1701-1785)
の名が冠されたもの。

18世紀後半にこの博物館が出来たのですが、それまでは町の貴人著名人達の
個人コレクションとして分散していたのが、1776年地下墳墓からたくさんの発掘が
あった際に市に寄贈され、それがこの博物館発足になったのだそう。
       
とにかく物凄い数と質の高い収蔵品でして、到底すべてをご覧頂けず、ご説明も
ままなりませんが、shinkaiの目で見た好きな物、良いと思ったもの優先で、はは、
あまり学術的では無いご案内ですが、ごゆっくりどうぞ。

上の写真は、町の中心からヴィア・マッテオッティ・Via Matteottiを行き、そして
右にヴィア・グラムシ・Via Gramusciを南に。
左からの道が合流する位置のヴェンティ・セッテンブレ広場・Piazza XXSettembre.
       
この辺りレストランもたくさんあり、



目指す博物館は、そこからのドン・ミンツィオーニ通り・Via Don Minzoniを
少し先に行った所。

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エトルスコ・Etruscoと言っておりますが、これはエトルリア人、国の形容詞にあたり、
エトルリア文明・文化と同じ事で、イタリアで馴染みの言葉ですので、
これを使わせて貰いますね。

エトルスコ文化が栄えたのは紀元前8世紀から1世紀ごろと言われ、とりわけ
イタリア中部に広がり、独特の原語文化を持ちますが、紀元前4世紀頃から
ローマ人が勢力を持つ様になり、徐々に併合、吸収されていった民族です。

この博物館の38室には、それぞれの時代、部門にわたる展示があるのですが、
ここでは大まかに区切り、ご覧頂くことに。 専門家の皆様、ごめんなさい!


まずは石棺類ですが、素晴らしい彫りのものを。 船の到着を迎える女性の楽人たち、
そして戦闘場面、狩猟かな、

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これは上下が別々のを一緒に展示しているらしい石棺。

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こちらはテラコッタのお棺。

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ご覧になって分かるよう、大きな石棺と、このテラコッタ製の小さなのがありますが、
この小さいのには、火葬しての遺骨を入れたものと。

エトルリア人達の間ではかなり火葬が多かった様子で、棺の上に横たわるのは、
生前の人々の在りし日の姿を偲ぶ物。
そして棺の他に骨壷や、小さな家の形をしたものとか、様々な埋葬の品があります。



上の様に一人で横たわるのも多いのですが、ご夫婦で、というのもあり、
この博物館の目玉の一つが、テラコッタ製のこれ!

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棺の蓋部のお2人のみが残っていて、紀元前1世紀頃の作、大きさを探しましたが
見つからずで、見た記憶からいうと、1mより小さかったような・・。
       


仲良く寝椅子に寄り添い、妻の方はじっと夫の顔を見つめているのですがぁ・・、

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こうして見ると、妻の凝視がちょっときつく見え、ははは、
大阪弁で「アンさん、若い女を作ったら承知しまへんでぇ」とでも・・、失礼。

所で夫の左手に持っているのは何かと思いましたら、これは角笛なんだそう!
動物の強い力を借り、黄泉の世界に旅立つ為の魔よけなんだそうで、
必ず男性の左手に持たれていると。



背後から見るとこんな形。

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妻の頭に見える穴は、テラコッタを変形させる事なく焼く為に、中の厚みを調整する、
その土を掻き出すための穴と。
夫が右手にも何か持っていて、これは何も指摘が無く、花の様にも見えませんか? 
とすると、可愛い夫ですねぇ!!



所でちょっと脱線を。
「夫婦像の寝棺」として有名なのが、ローマのヴィッラ・ジューリア博物館にある、
同じくエトルスクのテラコッタのこれ!

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これはラツィオ州の北の海辺に近いチェルベーテリ・Cerveteriで、
19世紀に発掘された物で、高さは1,14m 長さは1,9m、

アルカイック・スマイルと呼ばれる謎に満ちた微笑を浮かべた、これはあの世でも
ずっと一緒に寄り添う事を確信しているのだそう。
なんともエレガントな作品で、紀元前6世紀の作というので驚くばかり!!



背後からの姿、この髪型も良いですねぇ!

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そして、この女性の手の優雅な事!!

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足先は夫は裸足、妻は靴を履いていて、妻の靴の裏底の形が綺麗に揃っているでしょう?
当時のテラコッタ職人の技術の高さと、その美的センスの高さにも大いに驚かされますね。

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ローマの街自体も殆ど知りませんが、この博物館はまだ行った事がなく、
チャンスを待つ事に!



さて、ヴォルテッラのエトルスコ博物館に戻りまして、
今回あれこれ見ていて、石棺の中にもご当地名産のアラバスター・石膏雪花の石で
造られたものと、他の石で造られたものとがある事に気がつき、そうなんだ!と
一人で納得のshinkai。
       
この豊満美女はアラバスターの石の中で、今も微笑み続け・・。

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ですがね、これは美女ですし、周囲が緑色の枠内なので載せましたが、
黒枠の中に、顔にだけライトが当っているのもあり、
パッと見た時、ぎゃぉぇ~!と叫びそうな位で、本当に怖かった!!
胸部が黒枠の向こうにあり、顔にだけライトが当り、それも下からで、ご想像を!!

ずっと昔に訪問した時に比べ、大変整備された今回の再訪だったですが、
誰が設置方法を考えたのか、誠に良いご趣味で、はぁ・・。



こちらは副葬品の、なんとも薄い金の花びらの王冠。
お金持ちにしても、大変に愛情のこもった美しい高価な物ですねぇ!

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金のイヤリング。  素敵ぃ!

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博物館の床に移された、床モザイク。  渋い色合いの幾何学模様、素敵でしょう?!

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ギリシャの影響が大きく感じられる壷絵。

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そして、取っ手と台のついた大皿。 シックですねぇ。

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表の図柄が何か意味がある気がするのですが・・。



これは当博物館像ではなく、フィレンツェの考古学博物館所蔵の品ですが、
発掘はヴォルテッラ、とあるので、ついでにご覧を。

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多分、ワイン入れでしょうね。 それにしても、形と文様の見事さ! 
こんなのを実用していたのですね、エトルリアの民は!



そして当博物館の一番有名な所蔵品と言っても良いかと思う、
「夕暮れの影・オンブラ・デッラ・セーラ」と名づけられた男性像。

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フィレンツェの骨董市で少なくとも1737年まで売られていたのを、紛れも無く
ヴォルテッラからの出土品と、当博物館創設のグワルナッチ氏が1750年に買い取ったと。

ブロンズ製、高さは57cm、頭の高さは3,2cm、直径2cm、首の長さ1,5cm、
肩から性器まで22cm、そこから足まで30,3cm、重さは1322グラム。



紀元前3世紀始めの作と見られるそうですが、
こうして見ると、髪もきちんとセットされているのが分かります。

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この小像に「夕暮れの影」とロマンティックな名を与えたのは、
ガブリエーレ・ダヌンツィオ・Gabriele D'Annunzio(1863-1938)
詩人、作家、政治家、愛国者と幾つもの顔を持つ人。

shinkaiはイタリアに来て後、彼の写真を見て即いかれたミーハーですが、ははは、
彼はまたヴォルテッラを舞台にした映画「熊座の淡き星影」の原作者でもあり、
良く知られているのは、やはり映画「イノセンス」で、
どちらも監督はルキーノ・ヴィスコンティ・Luchino Visconti.
      
ガルダ湖畔 ・ G・ダヌンツィオの家、 そして サロ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417856.html


アーゾロを彩る女性ふたり ・ アーゾロ市立博物館 n.1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463693720.html



昔最初に博物館でこの小像を見た時のshinkaiの第一印象は、
わっ、ジャコメッティだ!! でしたが、

アルベルト・ジャコメッティ・Alberto Giacometti(1901-1966)はスイスの彫刻家、画家で、
このヴォルテッラの小像から強いインスピレーションを受けたであろう事が
彼の作品をご覧頂くとすぐ分かります、これです。

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下の写真は、1955年のアンリ・カルティエ・ブレッソンの写真と。



という様子ですが、上の細長い小像はやはりちょっと特殊で、
小さなブロンズ製の人物像や動物達の作品がたくさんあります。

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強いギリシャの影響を感じる頭部像。 美しいですねぇ!

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そしてガラス製品。 練りこみガラス、と言うのか、大変美しい物と、
  
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小さな実用品の美しさ、楽しさ!

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こちらはガラス製の骨壷。

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ヴェネトの本土側、ちょうどヴェネツィアのトルチェッロ島の北に当りますが、
アルティーノ・Altinoという村に国立の考古学博物館があり、ずっと昔に偶然に
寄って見た事があります。

いまだヴェネツィアの歴史も、アクイレイアの遺跡の凄さも良く知らずでしたが、
それでもその収蔵品の内容の凄さに驚いた事があります。

ほんの少しだけ記述しておりますが、こちらでどうぞ。
n.2 アクイレイア と、 アルティーノ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462970554.html
       
アルティーノもその後の発掘が進んでいる様子ですので、また訪問してみたいと。



これは灯火器。

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そして闘士の兜と頬宛。 兜には細かい浮き彫りが。

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日常用品の鍋釜類と、下は家具に取り付ける物でしょうか?

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なにせ夥しい数の展示で、ここでも2枚のみに。



美しいオレンジ色の指輪、メノウでしょうか?

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金のブローチと、下は何でしょうか?

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真ん中はイヤリングで、右はピンの付いたブローチかな? 緑色は何だろ、ガラスかな?
金の細工も細やかで、技術の高さが偲ばれます。

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ざっとのご案内でしたが、それでもたくさんの品で、お付き合い、有難うございました!
ヴォルテッラのご案内、最後は近くの広場からの谷の眺めをどうぞ!
城壁に囲まれているのも見えます。

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フィレンツェ、ピサ方面に行かれた時は、是非ヴォルテッラまで足を延ばして!

周囲の風景も他とは違い、荒々しく雄大、
そしてエトルスクの息吹が今も残る、素晴らしい博物館も是非どうぞ!!
       
   
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・ ヴォルテッラの中心ちょっぴり と プリオーリ宮 

さて漸くに写真の整理を済ませまして、へへ、2年越し、
今日のご案内はヴォルテッラの町の中心のプリオーリ広場・Piazza dei Prioriの
様子と、広場に面して立つ13世紀のプリオーリ宮・Palazzo dei Priori、
現市役所の内部見物を。

写真はプリオーリ広場の東側と南側。東の建物に見える塔の名はちょっと面白く後程。

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こうして眺めると表面は古い建物の面影を残しているのですが、外側にはたくさん
雑草も生えていて、ははは、内部は近代になって住居に改装されたり、
たくさんの事務所が入ったりしている様子で、ちょっと調べても建物の名前も出ません!

プリオーリ広場一帯の詳しいサイトを見つけましたが、建物の歴史と名前と共に、
町の歴史に関わる一族、人物の名がずらずらで、手に負えませんのでパスです!



東側の大きな建物と、その装飾。 内部はあれこれ公共の事務所に使われた事も
あるそうですが、こういう外はそのまま、というのも古い建物保存には素敵ですよね?!

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こちらは広場の西を占めるプリオーリ宮、現市役所。 1208年に建設が始まり、
13世紀中頃に完成したもので、リッカルド・ダ・コモ・Riccardo da Comoの作と。

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こうして見ると、フィレンツェのヴェッキオ宮に似ていると思われません?
が逆にヴェッキオ宮がこれをモデルにしたと言われ、確かにヴェッキオ宮が建設に
かかったのは1299年、完成は1314年とヴォルテッラのよりも遅く、
トスカーナ全体で、政庁としての建設物ではこれが一番古いのだそう。
       
13世紀にはこのプリオーリ宮のみならず、町にたくさんの家々、塔を持つ家や貴族の
要塞風の住まいも作られた様子で、町の経済の発展もあったのと同時に、
13~14世紀にかけてはこの町も他と同様、皇帝派(ギベッリーニ)と
教皇派(グエルフィ)との抗争も激しかったと。
     
そして1472年ヴォルテッラが自由都市からフィレンツェに下り、このプリオーリ宮も
大きな改修がされたそうで、どうやら手前にロッジャ、集会所があったのも打ち壊され、
右側にあった2つの入口も潰されたそう。

上に見える塔は最初は木製だったそうですが、15世紀に今の形に、
そして建物上階のレース飾りも同時に。

右に切れてチラッと見える白黒の縞模様は、この背後にある聖堂への入り口がここに。



正面の壁にたくさん架かる碑、紋章は、この町の行政長官の物。

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プリオーリ宮と呼んでいますが、プリオーリとは行政長官たちの事で、建物のまたの名は
カピターノ・デル・ポーポロ宮・Capitano del Popolo・民衆の長官といい、
やはりフィレンツェから派遣された行政長官を指します。



建物の左右に位置するライオン像、右側は古く、左は新しいですね。

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が、いずれもライオンはフィレンツェ領有のシンボル。
      


広場の北側はこの建物ですが、現在はヴォルテッラの銀行の建物に。

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プリオーリ宮の前で演奏していたカップル。 お2人ともカッコ良いでしょう?! 
でもね、演奏は下手だったんすよ。
       
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広場の南にある建物には、この町特産のアラバスター・雪花石膏の展示会場があり、
その看板がかかります。

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アラバスターは大理石に透明度を加えた、という感じの石で、白さが輝く大変美しい物。
町の小路を歩いていてふっと見ると、窓の中に小さな工房があり、作品作りをしている
職人さんも見かけましたっけ。



さて、ではプリオーリ宮の見学にどうぞ!

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入り口を入ると交差ヴォルト・穹窿の天井にフレスコ画装飾で、
周囲の壁には所狭しとかっての行政長官たちの紋、碑が。

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奥の隅には井戸も見えます。

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この天井装飾の柄はshinkaiが大好きな物で、他の建物でも何ヶ所か見た記憶が
ありますから、案外当時のお決まりの文様だったのかも。

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上階への階段を辿ります。

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壁にある聖母像。

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ここが大会議室・Sala dei Maggior Consiglio.
大変美しい装飾ですが、19世紀に改修されたものの様子。
       
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これは部屋の後ろ側半分で、実は写真禁止と出ていたような気がしますが、
部屋の入り口にいた切符売り場の男性が、私の前にいたカップルとなんだかんだと
話しているのを良い事に、ははは、パシャパシャとやった次第。



こちらが前半分で、きっと現在も何かの会議には使用されるのでしょう。

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正面の「受胎告知」は14世紀のイヤーコポ・ディ・チョーネ・オルカーニャ・
Iacopo di Cione Orcagnaの作と言いますが、
積年の変遷で傷みが激しく、これは剥がされてキャンバスに移された物だそう。

右に見えるのは「カナの結婚」16~17世紀の僧侶・画家ドナート・マスカーニ・
Donato Mascagniの油彩と。



部屋から見下ろす広場の様子、東南の隅。

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確か隣の部屋も見れた気がしますが、記憶に残る物は無く、上の塔に上りに行きます。
が、階段の手前に赤いロープ、通行禁止のロープが張ってあり、どう行くのかと
切符売り場の男性に聞きに行くと、まださっきのカップルと喋っていてね、まったくぅ!
紐を外して通ってくれ、って!

そうそう、それで思い出しましたが、さっきのカップルは、確か入場料をまけろ!
というのがお喋りの発端だったと、ははは。
あの会議室は下から上ってきて覗いてみるのは無料で、入って見て上の塔に上がるのは
5エウロなんですね。 それで階段の手前に、そのまま無料で上がらぬ様にと
赤いロープがね!



上に上がると広い部屋で、見張りの若い男性が一人いて、
塔の上は狭いのでと、先の見物人が降りるのを待って、どうぞと。

さて塔の上から、先ほどの広場の東南角の建物と、塔。
屋根が見えると、建物の厚みも分かりイメージが違いますね。

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ほら、塔の上部に何か見えるでしょう?



何だろ?!と撮ったのがこれ! 子豚ちゃん!

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もっとも「子豚」と分かったのは下の部屋の男性に訊ねてで、なぜ子豚が
ここにいるのかは、未だに疑問です。

今回これを書くのに、覚えていたのが確かなのか探し回りました!
上記した様に物凄く詳細なサイトが見つかり、確かにこの塔は男性が言った通り
「子豚の塔・Torre del Porcellino」と呼ばれているのも間違いなく、

しかも持ち主だった一族の名はトーピ・Topi・ネズミ(複)と判明!!
ですが1224年9月14日に、コムーネ(市)に売っている事も分かり、
売主はジュゼッペ・ディ・エンリーコの妻ゲラルデスカ・Gherardescaで、
続きのあれこれは省略し、トーピ・ネズミたち、という姓はエンリーコの妻の姓で、
この塔の家はきっと結婚の持参金だったのだろうと推察。

ネズミの家に子豚?! 豚はネズミを食べちゃうから?!
歴史の片隅を突き、今回出てきましたのは、ネズミと子豚ちゃん!
ははは、中世は何が出てくるのか分からずで楽しいのですね。

mitsuさんからコメントを頂き、改めて「豚」に付いて調べましたら、捨てる所が無い、
と言われるほど有用な豚は、多産、肥沃、豊かさのシンボルである事が分かり、
なので、ネズミ家としても、一族子孫繁栄を願って子豚ちゃんの像を塔になのかも。



広場南の建物の角とその奥の古い家並み。

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南側。

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奥の林の向こうに見える丸い塔は、



これ、メディチ家の要塞。

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プリオーリ宮が改装されたのは、ヴォルテッラがフィレンツェに下った1472年と
書きましたが、それまでもヴォルテッラの町はフィレンツェに付くか、それとも
シエナやルッカと連携するかと、様々に揺れていた様子で、

それに最終的な断を下したのは、ロレンツォ・イル・マニーフィコ、
偉大なロレンツォ・デ・メディチ・Lorenzo de' Medici,
彼は当時まだ23歳のフィレンツェのシニョーレ・領主。

その2年前にヴォルテッラ近郊で明礬鉱が発見されましたが、当時のフィレンツェで
盛んだった高級羊毛染色の色止めに必要な明礬は、国外からの高価な輸入品のみ
だったのが、近郊で採掘できるとなるとほって置く筈がなく、
当初ヴォルテッラ貴族間で争いの種となったのに、ロレンツォは一貴族インギラーミ・
Inghiramiの肩を持つ風を装い、割り込みます。
       
その命を持ち町にやって来たのが、フェデリコ・ダ・モンテフェルトゥロ・
Federico da Montefeltro、そう、ウルビーノにルネッサンス風宮廷を作り、
文化保護の代名詞みたいに伝えられるお方ですが、ははは、

報酬次第でどこででも働く傭兵隊長である彼は7000の兵を率いており、
町を鉄と火で破壊、残酷きわまる略奪をし、殆どの塔の家(貴族、金持ちの家)を
打ち壊し、町を完全に統御する為に、メディチ家は大きな要塞を造ったという訳。

この後ヴォルテッラの町はフィレンツェの元に下り、フランス軍の下に入ったり、
またフィレンツェ大公国の元に。16~17世紀にかけ経済の落ち込みやペ
ストの2度の襲来、旱魃と続き、人口がぐんと落ち込みますが、

19世紀になって岩塩の工業化、そしてアラバスターの仕事と漸くに繁栄を見て
19世紀半ばには、人口が1万1千人に。
現在も1万人ちょっとの人口の様ですから、あまりね・・!
       
塩田・サリーネ という名の町 ・ ヴォルテッラ近郊
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465893835.html


再度塔の上からの眺めに戻り、 北から北西への眺め。

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先日見て頂いたサン・ジミニャーノからの行程は、この眺めになるわけですね。

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西に。 すぐ背後の聖堂と鐘楼、洗礼堂、そして西の眺め。

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下の写真の中ほどに見える小さな町が、塩田・サリーネの町。



塔の天井には鐘が下がっていまして、

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一人が通れるほどの狭い階段の上り口の周囲も、ご覧のように狭く、

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それでも高上がり大好き人間は、上ってしまったらこっちの物よ!とばかりに、ははは、
あっちにこっちに喜んで撮っていましたら、

下から「プリーズ! プリーズ!」と声がするのです。 でもまさか英語で呼ばれるのが
自分とは思わず、ははは、 暫くしてハッと時計を見て12時なのに気がつき、
そうか!!と階段を下りようとした途端、頭のすぐ上で「ガーン! ガーン!」と鐘の音!
正午の鐘が鳴るのを知らせてくれていたのでしたぁ。 ははは。



さてプリオーリ宮を出て、広場の東南角からの通り、プリジョーニ通り・
Via delle Prigioniを少し辿ります。

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プリジョーニというのは監獄の意ですから、何かあるかと探しましたが、見つからず、
でもどこかこの通りに監獄があったはずですね。
       


通りの名に相応しくない、はは、優雅で可憐な街灯と、

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お高そうなワンちゃんの写真で、今回はお終いです。

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ヴォルテッラの町は、鉄器時代には既に移殖が始まったといわれ、優に3千年を超す
歴史を持つ町で、取り分け名高いのはエトルスク文化の宝庫の町として。

ここのエトルスクの博物館は今回も訪問しましたが、収容品の素晴らしさもあり、
撮り過ぎ、いまだ写真整理が・・。

ご説明できるほどエトルリア文明に詳しくありませんが、
折角ですので何とか頑張って、ご案内したいと思っています。
次々回くらいにはなんとか・・、お時間を下さいませませ。

       
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