・ ヴォルテッラの洗礼堂、ドゥオーモ、エトルスク門

2年前のちょうど9月に出かけたヴォルテッラ・Volterraの町。
今日のご案内は、洗礼堂と町のドゥオーモ、そして町の中心から少し南に
下った所にあるエトルスク門を。

町の入り口の展望台から見た、真ん中のとんがり屋根8角形の建物が洗礼堂で、
その右がドゥオーモの鐘楼、松の木に隠れて見えるのがドゥオーモの正面。

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先回は町の地図だけでしたので、今回はヴォルテッラの位置を。
シエナ・Sienaが右端、ピサ・Pisaが左上にあり、ヴォルテッラの町はちょうど
間に挟まれた中間に。

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この位置だとさぞやかっては両方の町からの所有争いが激しかったろう、と
簡単に想像できますが、現在ヴォルテッラの町はトスカーナ州ピサ県に含まれます。



まず洗礼堂・Battisteroですが、正式にはサン・ジョヴァンニ洗礼堂と呼ばれ、
右手前に角が見えるのがドゥオーモ。

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以前は閉まっていて中に入れなかったのですが、今回は大丈夫でした。



中央にあるのが洗礼盤18世紀の物で、上に見える像がこの洗礼堂に名を
冠された洗礼者ヨハネ・San Giovanni Battista の像。
 
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が、内部ではロッソ・フィオレンティーノ・Rosso Fiorentino(1495-1540)への
献呈として、彩り鮮やかなスライドが映し出されており、
その為1階奥の礼拝堂部分や、8つあるニッキ、天上部などが塞がれており、
素朴で静謐な洗礼堂の雰囲気はなく、おまけにマニエリズムに関心の無いshinkaiは
がっかり、だったのでしたぁ。

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所で今回これを書くためにちょっと調べましたら、ロッソ・フィオレンティーノのこの
「十字架降下」が市絵画館に収蔵されている事を知り、そういう次第かと。

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人物の頭部を小さく、体をひゅう~と長く誇張したマニエリズムは、ダ・ヴィンチや
ラファエッロなどが古典的美を完成させたと見られた位置から、もひとつ発展した
ルネッサンス期の美術ですが、

この先駆者的立場のロッソ・フィオレンティーノは、ダ・ヴィンチの最後を看取ったと
されるフランス王フランソワ1世に招かれフランスに趣き、イタリア美術を
フランスに伝えたとされる画家で、フランスのフォンテーヌブローで亡くなっています。



彼はフィレンツェ生まれで、本名はジョヴァンニ・バッティスタ・ディ・ヤコポ・
Giovanni Battista di Jacopo.

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なぜロッソ・フィオレンティーノ・赤いフィレンツェ人と呼ばれたか疑問が湧きましたが、
このアレッツォにあるヴァザーリ・Vasari、著名な芸術家・彫刻家伝を記した
ヴァザーリの家にあるというロッソの肖像を見つけ、
ああ、彼は赤毛だったんだ、と納得! ・・という脱線記でしたぁ。



さて洗礼堂の正面をもう一度どうぞ。
    
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ドゥオーモに向って建つ洗礼堂は13世紀後半に完成したもので、正面部分は
このように白と濃い緑の大理石で装飾されており、ニコラ・ピサーノ・Nicola Pisano
(1215/20-1278/84)の作と。
       
ニコラ・ピサーノは13世紀の設計、彫刻家で、あの素晴らしいピサの洗礼堂や
ペルージャのフォンターナ・マッジョーレなどなど、息子のジョヴァンニと共に
各地に作品が残ります。
       
ずっと昔になりますが初めてこの洗礼堂を見た時、素朴なそして白黒の縞模様、
当時は濃い緑色とは思いもよらず、周囲が車の駐車場となっていたこの洗礼堂を
スケッチした物でした。

ちょうど上の写真を撮った位置辺りの、建物の出入り口に腰をかけ描いていると、
出て来られたシニョーレがスケッチを見て、抽象的でないのが素晴らしいと言ったのを
覚えていますが、今考えると、他に褒めようが無かったのかなと、ははは。



正面扉の上部、半円アーチの部分もすっきり簡素な物ですが、

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扉上部と、脇柱に続く部分に細かい彫りが見られ、ロマネスクからゴッシクへの
過渡期の趣を感じます。



正面から右脇に回ると、脇の入り口があり、上部に色石を使った装飾模様。

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サイトで見つけた写真ですが、
洗礼堂とドゥオーモの間に広場があり、左に鐘楼がありますが、以前の古い鐘楼に
取り変わり1493年に高くされたものと。
 
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さて洗礼堂と向かい合わせにあるドゥオーモの正面ですが、以前在った
サンタ・マリーアに捧げられた古い教会は、多分1117年の酷い地震によって崩壊し、
それ以降に再建された物だそうで、正式にはサンタ・マリーア・アッスンタ聖堂・
Cattedrale di Santa Maria Assunnta.

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正面扉部分のこの美しい装飾もニコラ・ピサーノの作ですが、使われている円柱等は、
先回ご案内したテアトロ・ロマーノから持って来ているのですと!

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聖堂上部のアーチの重なりのデザインは、如何にものロマネスク様式。

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外の重厚な簡素さと比べ内部はこんな感じですが、12世紀の建設以来

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13世紀に拡張され、翼部分と合唱隊席は14世紀に、16世紀には内部が完全に
改修され、19世紀にも大きな装飾などの改修があったようですので、
正面壁と同様のロマネスク様式はまるで残っておりません。



内部平面図をどうぞ。
1.キエリーチ・Chiericiの聖母
2.聖体用祭壇  後陣には木製の合唱隊席
3.13世紀初めの木製の十字架降下像
4.説教壇 13世紀の像が16世紀末に再設置

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5.6.聖堂の入り口から横に続くこの部分に、アッドロラータ礼拝堂・
    Cappella dell'Addolorataがあり、デッラ・ロッビア工房、
    ベノッツォ・ゴッツォーリの作品。
7.15世紀末のマリオット・アルベルティネッリの「受胎告知」の絵画



説明1の「キエリーチ・Chiericiの聖母」と呼ばれる聖母像は、15世紀の
フランチェスコ・ディ・ヴァルダンブリーノ・Valdambrinoの作といわれるもので、
木製彩色の美しいもの!

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あるのを知らず、5.6の礼拝堂共に見ておりません、残念!



内部でまず目を引いたのがこの格子天井で、16世紀の改修で設置された物で、
模様、天使、聖人たち、花などの木製彩色がぎっしり!

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内部は3廊式で22本の円柱で仕切られ、壁に見える白とグレイの縞模様は
塗り分けられたもので、円柱の薔薇色は漆喰で大理石の柄に見せかけた物、だそう。
いずれも19世紀の改修によるもの。

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7.の15世紀末のマリオット・アルベルティネッリ・Mariotto Albertinelli
の「受胎告知」。

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面白いなと思ったのは、四角い絵の周囲を様々な小さな絵で取り囲んだ飾りつけで、
多分これも何度もの改修のあれこれの謂れがある事でしょう。



4.の説教壇、正面からで、一番上に金(塗り)の鷲像があり、余りにも強い照明で
色が飛んでいますが、その下の彫が面白く、多分これもローマ期などの古い物を、
新しい大理石で囲んでのリサイクルかと・・!

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内陣、後陣部分で、階段の在る古い形ではありますが、後陣のフレスコ画も何もなく、
背後に見える山型はパイプ・オルガン。

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入り口扉上にある薔薇窓。 「聖母戴冠」のステンドグラスが入っていますが、
これもきっと最初にあったロマネスクの大理石の柄を除けて作ったものと。

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床は19世紀改修の物とありますから、壁の柄とお揃いですね。
手前の円柱の左下、ほら、上の色付き漆喰がはげているのが見えるでしょう?

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なんぞと、あれこれ改修結果を並べるような説明になりましたが、はは、
正面のどっしりロマネスクに比し、内部は各年代の修復の歴史でした。
まぁ、バロックの白と金色、ではなくて良かった、ははは。



説明5,6.の聖堂横の礼拝堂部分の外の壁。

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聖堂横角、庇の部分にも細かい柄がありました。

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さてドゥオーモと洗礼堂から一旦中心に戻り、1本東の道を下ります。
 
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角を曲がって見る、建物の壁の趣。 色も良く、古び加減も素敵でしょう?
店の大きな看板も見かけないのが素晴らしい!



だらだら下っていくと、このエトルスク門、またはポルタ・ディ・アルコ・
Porta di Arco
と呼ばれる、紀元前3~4世紀のエトルリア人建設の門が見えて来ます。
       
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残念な事にちょうど左手前の家の工事中で、車が止まっているわ、
家には覆いが架かっているわ、お兄ちゃんが大声で喋っているわ・・!



素晴らしく大きな石が使われているでしょう? ローマ以前のエトルリア人たちの
建設能力に驚きますが、後にローマ人がエトルリアに取って代わり修復しただろうと。

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門の外から見るとこんな様子で、中世になって町の城壁が造られると
それに取り込まれた形になります。

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門に3つ見える頭部像はそれぞれ説がありますが、要は町の守護を司るもので、
現在は表情も何も分かりません。

右の城壁に見える碑ですが、ヴォルテッラの町の人々が、この門を護る為に働いた、
とのみあり、具体的に何をしたのかが良く分かりませんでしたが、



門の近くの家の窓だったか、店のショウウインドウだったかに展示の古い写真を
見つけました。 右から左に続く一連の物で、最初は空襲にでもあって
補修したのかな、などと思ったのでしたが、

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2枚ともに見える、門を塞いでいる石の壁の写真がありますね。そして皆がせっせと
手渡しで石を運んでいる写真、それに足元が地道になっていますよね、
そんな事から爆撃ではないと思ったのでしたが、イタリア版ウィキに答えを。

つまり、この門を通る道は町の南から中心に至る道ですので、1944年6月30日、
町に駐留していたドイツ軍指令部が、連合軍が町を通るのを妨げる為に、
この門を爆破する事を決めたのだそう。

ですが24時間以内に町の人々が門を通れなくするのであれば、爆破しない事に同意。 
町の世話役が頑張ったのですねぇ!

それで写真に写っているように、町の人々は近くの道の敷石を剥がし、
せっせと門に積み上げ、爆破から護った、という事なのだそう。
カメラに向ってにっこりの若い女性達もいて、道の敷石を剥がすのは大変だったでしょうが、
案外皆が共同作業に楽しんで加わったかの様子も見え、shinkaiにも楽しい発見でした。
       


上り坂の道を町の中心に向って戻りますが、この敷石が、あの20世紀前の
古い門を援ける為に役立ったのですね!

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奥に見える塔、プリオーリ宮の上の塔なのですが、あそこにも上がりましたので、
はは、高上がり大好き!  素晴らしい眺めをまたご覧頂きますね。


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・ テアトロ・ロマーノ ・ ヴォルテッラ 

今日のご案内はトスカーナはヴォルテッラ・Volterraのテアトロ・ロマーノ・
Teatro Romanoです。
     
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ヴォルテッラの町は、シエナからポッジボンシを通って西に約54km、
約1時間の距離にあり、

町の地図をどうぞ。 緑の線で囲った中心部、そして町の北側、
中世に建設された市壁の門外に出た傾斜地に位置します。

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テアトロ・ロマーノの隣の門の名はポルタ・フィオレンティーナ・Porta Fiorentina、
町の有名なエトルスクの門・アルカ・エトルスカは町の南側に、
エトルスク博物館は町の東側に。
       


町に到着しホテルにチェックインした後、中心部を通りぬけ、このテアトロ・ロマーノに
来た時は中に入らず、上の道側から覗く形だったのですが、
ちょうど夕暮れ時の陽が射しこみ、素晴らしかった!

上からの眺めはほぼ全体が見れる高さで、真ん中からこちら半分がテアトロ・ロマーノ・
ローマ期の劇場跡で、向こう側はその後に造られた浴場跡。

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現在残るローマ期の劇場跡では、大変に保存の良いもののひとつだと。



翌日改めて見学に出かけました。 23年前に一度来た事があり、その時の印象が
強く残っていたのはやはりこの遺跡で、わぁお、ローマ遺跡がある!と
無知度が大きかったshinkaiはひどく驚いたのでした。
なにせローマ遺跡が残っているのはローマだけ、という程度の認識でしたし・・、ははは。

以前の訪問時はまだ整備されておらず、入場料もなしでしたが、はは、
今回はちゃんと切符売り場もあり、5エウロ、道を辿って入っていくとこの様に。
少し曇り空で、写真の発色が悪いのが残念。

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観客席の傾斜はギリシャ期の劇場のように、自然の土地の傾斜を利用したもので、
その観客席の上側に13世紀町の城壁が建設され、市壁の向こうに町の家並み。



平面図を見つけましたのでどうぞ。
1.いわば天井桟敷に当たる部分。観客席に連絡する11の入り口から行けたそう。
2. 観客席 上等席は下から10列、並席は上の9列で、
  座席の石はいずれもピニャーノ・Pignanoという当地産の凝灰岩。
3. オーケストラ席 が、このヴォルテッラでは町の著名人達がここを占領していたそうで、
  オーケストラと合唱隊は説教壇、と書いてあるので舞台横にでも押込められた様子。

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4.舞台前部
5.La fronte-scenaとあり、どう訳したら良いのか分からず、
  後ほど復元予想図をご覧頂きますね。
6. 柱廊 これは劇場背後の両側に後に建設された物で、後陣部が飛び出した形。
7.浴場部分 
       


遺跡内部には入り込めず、観客席の上側の通路から見渡す感じで、移動します。

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今見える左の建物の壁と円柱の2階建て部分が、上の説明5の部分で、
右側は崩壊していますが、回収した石材で再建可能とか。

その手前に舞台前部4があり、その手前真ん中に白と茶の石の部分が少し見えるのが、
ここがオーケストラ席なのが、ヴォルテッラでは町の権力者達が居座ったという、ははは。



舞台部で残っている上部と、右側の遺跡部、
舞台部の高さは15,5m、前面の長さは35,98mあるそう。
       
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こうして見るだけではピンと来ませんが、復元予想図を見つけましたので、どうぞ。
      
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素晴らしいですねぇ! というか、素晴らしかったのですねぇ!!

観客席の上に見える布製のテントは、座席全部を覆える事が出来る様だったのが、
支え部分の発掘で分かっているそうで、観客席は全部で1800~2000人収容できたそう。
イタ版ウィキには、最高で3500人と書いてありましたが。
この大きさの劇場としては、トリエステにあるのとほぼ同じと。

この劇場が造られたのは、紀元前1世紀から紀元後42年に存在した、この町の
有力なカエチナエ・Caecinae家の2人、いずれも執政官であったアウロ・カエチナエ・
セヴェーロと、ガイオ・カエチナエ・ラルゴの意思による物だそうで、
    
ローマ皇帝で言うと、ちょうどアウグストとティベーリオの時代に当ります。
が、3世紀の終わりになって劇場の方が放棄された後に、後部に浴場施設が
造られたのだそう。
     
  

観客席上部。

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観客席上部の後ろを通る通路。 この上に13世紀に町の市壁が造られた訳で。

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遺跡の草原に咲く野草。

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劇場背後に広がる浴場跡、楕円の部分にはモザイクも見え、そして円柱の並び。
柱廊状に円柱が並んでいるので、浴場は内庭にあったのですね。

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この遺跡が発掘されたのは1950年代、町の考古学者であるエンリコ・フュゥーミ・
Enrico Fiumiが指揮したもので、当時の町の精神病院の入院患者が
幾人か働いたそうで。



市壁の上から覗く観光客。 ただ見だぁ! ははは、shinkaiも昨日しましたけど。

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夜のテアトロのイルミネーションを。

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この遺跡の舞台を使っての国際フェスティヴァルが毎年夏に行われるそうで、
興味深い事でしょうね。

テアトロ・ロマーノの開場は
3月14日から11月1日まで 毎日 10時半から17時半
11月2日から3月13日まで 土曜と日曜、祭日の10時から16時半



ところで、このテアトロに付いて調べていて、関係者達はさぞや小躍りしてるであろう、
昨年7月の新発掘のニュースを見つけました。

場所はテアトロ・ロマーノの横に位置する町の門から下って行った北にある、
町の墓地に近い場所で、なんとローマ期のアンフィテアトロ・円形劇場、闘技場と
見られる楕円形の遺跡の壁が見つかったのだそう!

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歴史に完全に埋没していたこの発見は、偶然にもこの土地で水道工事をしていて
見つかったもので、80mの長さの壁と2つの椅子。
工事の手法はテアトロ・ロマーノと同じもので、剣闘士たちの闘技場と見られ、
この100年間における最重要な再発見と見られると。
       
さて、これからどの様に発掘するか、どの様に資金を見つけるか、
さぞ関係者達は大変でしょうが、ははは、水道工事の方はどうなりますか?!
       


所でテアトロ・ロマーノのすぐ横にある中世の市壁の門ポルタ・フィオレンティーナも
一緒にご案内しますね。
城壁が造られた13世紀に一緒に造られた門で、外からの様子はこんな感じで、

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続く城壁はこういう様子。 背は高いのですが、門の壁をご覧になっても分かるように、
この時代の中世の壁はそんなに厚くありません。

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最後はテアトロの背後の城壁上から見渡す北の平野を。
夕陽を浴びて、谷にうっすらと靄が湧いているのです。

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丘の向こう、平野の端にたつ教会サン・ジュスト・エ・クレメンテ・
San Giusto e Clemente.

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ヴォルテッラに行くのにサン・ジミニャーノからの道を行き、ちょうどこの教会の
裏手を通り、教会に迫って切り立つ崖があり、その年の春の大雨で落ちたのかと
気になったのでしたが、



ウィキのサイトに写真がありましたので、追加を。
これです、凄いでしょう?!

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この一帯はバルツェ(複)・Le balze・崖、絶壁と呼ばれる独特の地形で、
雨が粘土の層まで浸み込みやすく崩れるのだそう。
      
現在の教会はサン・ジュスト・ヌオーヴォ・新サン・ジュスト教会と呼ばれもする
18世紀の物だそうで、それ以前の教会は17世紀のバルツェで飲み込まれたのだそう!
という事なども知りましたが、

いやぁ、こういう土地に再再建するというのも、キリスト教社会というのは凄いなぁ、
と思った事でした。


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・ サン・ジミニャーノから、ヴォルテッラへの道 

2年前の9月中旬、ヴォルテッラ・Volterraに行ったのはサン・ジミニャーノ・
San Gimignanoからでした。

写真を整理してみると、大変素晴らしい景色であったのも思い出し、
今日はこの時の様子をご覧頂きますね。

町の駐車場から出て宿の主人から教えて貰っていた通り、道の標識通り左へ、
西に向う道を辿りましたが、

写真は町を外れて暫くしての、北からのサン・ジミニャーノの町の眺め。
       
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美しき塔の町 サン・ジミニャーノ
      
サン・ジミニャーノの朝  雲海の朝焼け
       


行程図をご覧下さい。 グーグルでは3通り出たのですが、あれこれ考えると、
上から西回りにヴォルテッラに連絡するグレーの道、44分 32,6kmの道でした。

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というのもヴォルテッラの町に西下から近づき、町の北側の崖が落ち込んでいるのを
見ていますし、ヴォルテッラの滞在後モンテリッジョーニ・Monteriggioniに
向かった時は、南を辿るブルーの道を通っており、まるで違う眺めだったのを
よく覚えているからです。



同じ行程図をこちらは衛星地図で。 トスカーナの波打つ丘陵地帯を見つけるのに
衛星地図をよく見るのですが、この一帯はこんな感じ。

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緑色以外のベージュ色の丘が細かく波打っているでしょう? 緑色は樹木で、
ベージュ色が畑、耕作地で、これがなんとも言えない趣の風景なのですね。



写真の前後を弄らず辿った順に見て頂きますので、秋の気配の風景をお楽しみ下さい。
行程の関係でどうしても逆光位置になるのが多く、色の発色がイマイチですがご容赦を。

ここでは農家が何軒か見えますが、後になると殆ど農家も見えません。

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草を刈ったと思われるのですが、こんなに黒い、巻いたもの。
  
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雲間からこぼれる陽と、荒れ土と。

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右に薄く緑が見える地には、麦畑のトラクターの跡。

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ここも多分麦畑。

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多分サン・ジミニャーノの遠望。 他にこの一帯にこれだけの町はありませんもの。

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広い畑の真ん中に一軒屋がぽつんと。

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この辺りは、オルチャの谷の景観ともまた違う、荒い雄大さとでも・・。

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あの三角の山が、道を行く毎に姿を見せます。



刈り取られた草と、影色の土。

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ここのは土の影色の暗さと思うのですが、時に同じ畑でクッキリと土色が違う事があり、
なんとも言えない不思議さに見つめます。



この広さ、このなだらかさ!
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丘の向こうに見える家は、上で見て頂いた農家。
       
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トラクターの跡が見えますね。

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ほらね、また三角の山。 道を進むにつれ、近づいたり離れたり、 
そして光と影が移って行きます。

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農家が見え始め、

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この感じはオルチャの谷にも似ていますが、

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そしてもう、ヴォルテッラの町の下。
崖・バルツェ(複)・Le balzeと呼ばれる特殊な脆い土質の一帯で、

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正面の崖の上、右に見える教会がヴォルテッラの町の西北にある
サン・ジュスト・エ・クレメンテ教会。

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ちょうど訪れた年の春は雨が多く、町の中世の城壁が崩れ落ちたと言うTVニュースを
見ていましたし、この時も、新らしい土の色が見えたので驚いたのでした。

今こうして改めて見ると、左から突き出ている土地の崩れ様は、まさにカランキ・
Calanchiと呼ばれる、シエナ東南部に見られる浸食地と同じですね。

白タルトゥーフォの町と、雨上がりの緑のクレーター風景
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461454649.html


オルチャの谷の風景も雄大で美しいですが、このヴォルテッラ周辺の眺めは
また一寸特異な風景で、何十年前最初にバスで訪れた時にも、感嘆したもの。

フィレンツェやシエナからだと、コッレ・ヴァル・デルザ・Colle Val d'Elsaで
バスの乗り換えで一寸不便かもしれませんが、
ヴォルテッラに行かれる時は、町のみでなく、この周辺の荒々しい雄大な景色も
是非お楽しみくださいね!!
   
    
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・ 大地震の後の、 歴史遺産と町の修復保存に付いて

皆さま、こんにちは! 
8月最後に地震速報のアップをしましたが、
約1ヶ月間のブログ休載のお休みを頂き、再度ここに。
休載中もブログご訪問、そして応援クリック、有難うございました!!!

ブログ復帰の最初に何を、住んでいる村の緑? 葡萄畑?
なんぞと考えておりましたが、

つい先日歴史文化遺産、地震で崩壊した町村の修復に付いて、レンツィ首相の
元の通りに、元の場所に・com'era, dov'era・コメ・エーラ、ドヴェ・エーラ」、
年月はかかっても修復する、という基本方針が明かされたのを受け、
TV画面に一連の町と文化財の修復保存の様子が出ました。
       
「元の通り、元の場所に」、というのはよく言われる言葉なのですが、
今回この言葉がより大きく聞こえたのは、
7年前のラクイラの大地震のその後が皆の頭にあるからなのですね。

ラクイラ・L'Aquilaはお隣のアブルッツォ州ですが、今度の地震被害の
大きかったアマトゥリーチェ・Amatriceから、51kmほど、車で1時間半ほどの
距離にあり、7年前の大地震の後、町の修復がいまだ捗々しくない様子。

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人々は「ニュータウン」と呼ばれる、町の郊外に新しく建設された四角い
コンクリート長屋みたいな!場所で生活するのを余儀なくされています。
この「ニュータウン」の建設は、かのベルルスコーニ首相が強く望んでの建設だった
そうですが、その後すぐにテラスが落ちたりの欠陥建設でもあり、
町の人々の意識から大きく外れたものだったのですね。

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それで尚の事、この度の「元の通りに、元の場所に」が大きな響きを持ったという。
前置きが長くなりましたが、
その話題で出たニュース画面で見た写真にとても驚いたのがあり、
歴史遺産の修復保存に付いて、考えるきっかけとなり、
今回はそれをご覧頂きたいと思います。

まず過去の地震の大きな、写真が残っているものでは、
1908年2月28日に起こったマグニチュード7,2の大地震、引き続く津波とで
10万人もの死者が出たという、シチーリア島の本土側に一番近いメッシーナ・
Messinaと、対岸のレッジョ・カラーブリアの被害。

これはメッシーナの聖堂の地震直後ですが、

6-messina.jpg



現在はこの姿。 崩壊していた美しい鐘楼も元の姿に。

7-messina duomo.jpg



古い写真を探していて、こんなのも見つかりました。
       
8-BELICE 1968.jpg

これは1968年のシチーリアの西、ベリーチェ・Beliceの地震後、
最初の食料救助隊が到着した時の模様。
食料受け取りの茶碗を持った子供を、先に通そうとする救助隊で、       
ちょっと涙が出そうな写真です。



こちらは、クリスさんから、フリウリ地震の時の物と教えて頂いた写真。。

9-d3201.jpg



1980年11月23日のカンパーニア州のイルピーニア・Ilpiniaでの
マグニチュード6,5 死者2914名の大地震後、救出された犬に喜ぶ人々。

10-irpinia 1980.jpg

同じイルピーニアで50年前の1930年7月23日にも、マグニチュード6,7の
大地震が起きていて、死者が1425名という記録がありました。 



今回TVニュースで写真を見て驚いたのがこれ!
1971年のトゥスカーニア・Tuscaniaでの地震で、と聞きつつピンと来ず、
後陣の上部が崩壊した写真で、あっ、サン・ピエトロ聖堂の後陣!!

11-frammenti_tuscania.jpg



内部からはこんな様子。

12-1-frammenti_tuscania.jpg

12-2-hqdefault.jpg


現在はこの姿で、確かに、レンガの色が違うなぁ、と感じたのでしたが・・。

13-Tuscania01.jpg



後陣にあったフレスコ画の破片の写真も見つかりました。

14-fototesto_frammenti.jpg



サン・ピエトロ聖堂の正面には、こんな美しい薔薇窓とその周囲の装飾があり、

15-52_21.jpg

16-340564.jpg



TVニュースでは、この薔薇窓がポコッと落下して残った、丸い穴の開いた
正面壁の様子も見たのですね!!

12-3-san pietro tuscania 2 febb 1971.jpg

この写真をサイトで探し回りましたが、遂に見つけられずで、ひょっとして
自分の思い違いか何かかと心配したのですが
薔薇窓と後陣の崩壊があった、という記事を見つけ、
*下に追記の様に、Youtubeの中の写真を見つけました。

いやぁ、こんなに驚いたのは最近になく、勿論地震に見舞われたというのは
知っておりましたが、後陣崩壊、薔薇窓落下、なんぞとは考えもせず、

正面の扉も鉄柵の扉になっていたのを、色気が無いね、なんぞと・・!
自分が、素晴らしい聖堂だ! なんと美しい!!と惚れ惚れと眺めたのが、
今回、これは長年の修復師の皆さんのお陰なんだと改めて認識し、
あ、その前に政府の方針による財政補充があるわけですが、

今後こんな不敬な事は考えまい! 感謝しなくてはいけないのだ!!
と大いに反省、気持ちを改めるきっかけになったでした、はい。

サン・ピエトロ聖堂ご案内
       


その近くにあるサンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂の方は、
鐘楼の上部が崩れていたのは、多分地震かな、と、すぐに考えており、

17-162416.jpg



聖堂の方はどうだった、と写真を探しましたが、上部の薔薇窓などは大丈夫だった
様子で、正面左側が落ちていた様子。

18-135_002.jpg

サンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂の様子は



町にも被害があったのでしょうが、その名残もなく、サン・ピエトロ教会から見える
丘の並びに、崩壊したという城の名残の廃墟があります。

19-tuscania-rovine_del_rivellino.jpg

追記: 上の薔薇窓崩壊の写真はTVニュースの映像から見つけたものですが、
    ニュースの中で、このトゥスカーニアの地震からの町や聖堂の修復、
    再興に「鉄の技師」と呼ばれた技師がおられた事を知りました。
    で、見事この町は30年で復興したのだと。 2019.2.28
       


そして町の修復保存に付いて、今回も何度も言及されるのが、
フリウリ・ヴェネツィアージューリア州のジェモーナの町。

1976年5月6日の夜9時、マグニチュード6,1の地震がフリウリ一帯を襲い、
1000名の死者が出ましたが、とりわけ中世の面影を残す美しい町のひとつの
ジェモーナ・Gemonaの被害が大きかったのですね。
       
聖堂正面の上部、側壁、そして鐘楼が崩壊し、高台にあったお城も崩壊、
町の被害も大きかったのですが、

21-1976.jpg

20-gemona.jpg

しかもこの時の地震は、皆が漸くに気持ちの整理を付け、復興に取り掛かった
9月になり、11日、15日と再度襲ったのでした。
写真でも、2度目の地震により被害が大きくなったのが分かります。



現在はこの姿で、町も見事に復興し、美しい古い町の面影を伝えています。

22-gemona-del-friuli.jpg

崩壊した石に番号を打ち、元の様に使えるものは使った、といい、
ジェモーナの市長から今回の被災地の皆さんに対し、
我々が出来たのだから、皆さんも頑張って!というエールも。

ジェモーナの町の様子
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462969861.html       



最後は、今回大丈夫だったアッシジの聖堂の上院の天井部の崩壊。
1997年9月26日のウンブリアからマルケ州にかけての地震でしたが、

23-cimabue.jpg



2年後に見事に復興となり、現在はこの美しい姿!

24-Assisi_San_Francesco.jpg


聖堂の修復の様子なども、こちらでご覧頂けます。
       
イタリアも地震国で、今回記載したもの以外にも大きなリストがあり、
ウンブリアの地震後も、2002年には南部モリーゼ州とプーリア州に、
2009年に、お話したラクイラの大地震があり、
2012年には、エミーリア・ロマーニャ州でのモデナ一帯での地震、と続きます。

今回のイタリア中部の地震の様子をTVで見ると、崩壊した建物の中でも
しっかり頑張っている建物も明らかで、
やはり耐震設備は大事なんだ、との思いを強くしましたし、
カステルッチョやノルチャでも、以前の地震災害の後、耐震設備を施した
家屋が残っているのが、良く分かる状態。

今回の山岳部の古い家々は耐震装置が無いので、大きな地震の前には
脆くも崩れており、とても無残!
再建する時には必ず耐震で、と願います!
       

今回の地震のあった一帯で、訪れている町、地域の以前の美しい様子を、
shinkaiの愛しの風景をどうぞ!

プレーチ・Preciと、サンテウティツィオ教会、一帯の村など。
今回プレーチの教会、サンテウティツィオ教会共にかなりのひび割れが起こった様子。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464307658.html         
      
ウンブリア一帯の地震で被害を受け、10年後に訪ねてもまだ復興しておらず
ショックだったのですが、その後再度の訪問では復興していた村、
ロッカノルフィの様子を。 復興には年数がかかります!! 
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464309701.html      
       
こちらも復興に長い年月のかかったカンピの村
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464309959.html
       
ノルチャとカステルッチョ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464307296.html       

カステルッチョの美しさ 1と2
       
今回の地震の断層が見つかったモンテ・シビッリーニ一帯の美しい風景を、
ジョヴァンニの写真で。
       

これを書いている31日お昼のニュースによると、アマトゥリーチェのホテル・ローマから、
また一人遺骸が救出されたそうで、依然として発掘が続いている様子です。

どうぞ、被災地の皆さんが再び立ち上がり、
何年か後には、崩壊した町や村が元通り、美しく蘇りますように!!

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