・ フリウーリの土地柄は ・ パンフレットの写真から 

この水曜、グループの一日見学で、お隣のフリウーリ州、正式には
フリウーリ・ヴェネツィア-ジューリア州・Friuli-Venezia Giuliaの2つの町、
イタリアで一番美しい村々に登録のヴァルヴァゾーネ・Valvasoneと、
南に少し下ってのサン・ヴィトー・アル・タリアメント・San Vito al Tagliamento、
どちらも古い中世からの町ですが、その整備された美しい町の姿と、
なんとも懐の豊かそうな奥深さにいささか驚きつつ、訪問して戻りました。

写真はまだ整理出来ていないのですが、貰って帰ったパンフレットに美しいフリウーリの
写真がたくさんあり、私もよく分っていないフリウーリ州の取っ掛かりにとでも思い、
ご紹介致しますね。

そしてまず第一に今迄ずっとフリウリと書いてきましたが、これもフリウーリと
正確に発音、訂正する事に、はい。

写真は、SLOW COUNTRY、持って帰ったパンフレットの1冊。
農家の作業場、碾き臼と思いますが、多分粉類と、普通は大体説明があるのが、
今回は土地の名も何も記されておらずで・・。

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情けない事に中の説明は英語のみで、サイトを調べても英語版のみ!
ですがまぁ、新しい観光スタイルの推奨パンフレットで、協賛のホテルや
アグリトゥリズモに最低2泊する旅行だと、観光ポイントなどもパックの特典旅行が
出来るらしい、というスロー・カントリー・クラブなる旅行クラブのご案内。

様々なレストラン、ホテル、アグリトゥリズモなどの案内もありますが、
まぁこれは切りがありませんのでパスし、美しい写真のみを!
       
イタリアの田舎というとすぐトスカーナとかウンブリアが思い浮かびますが、だけでなく、
フリウーリも美しく美味しい田舎ですよ、という宣伝スタイルのパンフレットですね。



地図をどうぞ。 右に見える、イタリアの一番東北に位置し、
5つある特別自治州の内の1つで、左に州内地図。
     
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州内は4県に別れ、左がポルデノーネ県・Pordenone、真ん中から奥がウーディネ県・
Udine、そして右下がゴリーツィア県・Goriziaと、トリエステ県・Trieste.

今までのフリウーリ一帯のご案内は、こちらから
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834526.html



これはどこのヴィッラか、分らないのがちょっと残念ですが、
きっと土地の領主のお城だったのでしょう。

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◆ 追記です。
  シニョレッリさんがコメントで教えて下さり、 いつも有難うございます!
  この城は、カプリ—ヴァ・デル・フリウーリ・Capriva del Friuliにある
  12世紀に建てられたCastello di Spessaと分りました。

  地図を見るとゴリツィアから西にあり、ワイン醸造も、広い敷地にゴルフ場も、
  レストランもの、お高いホテルになっている様子です。
  サイトはこちらに。 http://www.castellodispessa.it/n/



収穫間近の葡萄畑の風景。 この整然と整った畝の美しさ!

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葡萄摘み風景。 

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実際はもっと多くの人で一斉にやりますから、写真の為のデモンストレーションかな。



ドロミーティの山の里でも良く見かける風景。 木を使った扉、階段、
そして道具類、ミルク缶。  郷愁に満ちているでしょう?!

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これもまだまだ見かける囲炉裏端の光景。 様々な鍋類が下がり、床は石やレンガ。

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これは今回見学したヴァルヴァゾーネのお城。 なんと、中に一族用の
小さな劇場があったのですよ!

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この風景は絵葉書で見た記憶がある、北東の端タルヴィーシオの近く、
オーストリア国境に近い村と。

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この辺りに、イタリア、オーストリア、スロヴェニア3国の国境設置点もあり、
寒く雪の多い土地で、犬ぞりの訓練所もあるとか!



フリウーリはドロミーティの山々が北にあり、広~~い平野が中に広がり、
南は海に接し、イタリアで一番広い干潟もある土地で、
言語もドイツ語、スロヴェニア語、フリウーリ語が共存し、それに様々な
土地の言葉も影響している複雑さだそう。

この風景はきっと南の干潟辺り、魚の養殖場か、漁の囲いと。

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TASTE EXPERIENCE・味覚体験のパンフレット。

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まずは生ハム!!

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生ハムの サン・ダニエレ・デル・フリウリ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462970208.html

生ハムとユダヤ人の足跡 フリウリ・ヴェネツィアジューリア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461013826.html



そして、白ワイン。

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フリウリの、ヴィーノ・ビアンコ(白ワイン)!
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461014254.html



これは多分、お肉を炙り、香り付けをしているのだと。

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チーズのモンタージオ・Montasioと。 右は詰め物パスタですが、中身はなんだろ?
       
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フリウーリのチーズあれこれ! 真ん中がリコッタで、左下手前の茶色いのはその燻製。
右上の3つ重なっている真ん中はモンタージオ・Montasioの刻印が見えますが、
他のもそうかな?
    
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フリウリの チーズ! ガチョウ! ポレンタ!
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461014090.html

見学当日の脱線小話をひとつ。
フリウーリのいわば家庭料理にフリーコ・fricoというのがあり、チーズをベースに、
ジャガイモや玉葱をいれ薄く焼いた物で、今頃はスーパーでも売っているのを見ますが、
見学の最後の時間待ちに、一人があそこに自動販売機があるよ、と。

久し振りに食べたくなり、小銭整理にもとチャリンチャリンと入れ、フリーコの玉葱入り、
を選び、幾らだったっけ?  なんと後ろにいつの間にか何人も集まっていて、
ジャガイモの入った方が美味しいのに、とか、友人のジュリアーナなどは、
そんなの美味しくないに決まっているじゃん、何で買うのんね、から始まり、
家のマンマの作ったフリーコは物凄く美味しかった、なんぞと、てんでんばらばら、
皆好き勝手な事をね、ははは。

お金はワッチが払うんじゃけん、好きなのを買わせてくれぇ、と云いたい程で、好奇心と
姑目線を跳ね返し、ははは、ついでにフリウーリのチーズ、モンタージオも買って戻りました。

フリーコを翌日のお昼に電子レンジでチンとやって食べましたが、まぁ、特別美味しくも
ないものの、悪くはないお味。
それにしても、食べ物には一際の関心を示すイタリア国民だと、改めて感心!ははは。



お肉の調理中、手前は茹で肉で、奥で切ってますね。

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そして、お魚類!! にゃお~~ん。
手前にポレンタ、イワシ、カレイ、切り身と奥の魚はなんと言ったっけぇ・・。

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今回の写真の中で、一番shinkaiの心を掴んだもの、 ああ、美味しそう!と
思ったのが、これ! ね、食欲をそそりません?!

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そして、再び囲炉裏端の写真。 一家団欒の場でもあり、調理の場でもある、
暖かい囲炉裏端。 かっては大変貧しい土地で、でも勤勉で正直で、
営々と生活を築き上げ続けたフリウーリの人々の拠り所なのかも。

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下がっている穴開き鍋は栗を煎るためで、秋から冬の厳しい長い生活のお供ですね。



最後はヴィッラ・マニン・Villa Manin。 ヴェネツィア共和国の最後の総督
ルドヴィーコ・マニンの住まいであった、の広い前庭での食の祭典。
テーブルが並び、皆盛大に飲食している様子を!

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今回の見学のお昼にはこの駐車場横の広場で、ピクニックのお昼らしく、
バス会社が用意してくれていたチーズとハム類、カルチョーフィ・アンティチョーク
のマリネを挟んだパニーノとワイン、デザートのトルタなどを頂きました。

そして私を日本人と見て話しかけてきた初めて会う仲間の一人と、何の話になったと?
なんと彼女は50年前に、日本から養蚕の技術指導に訪れた、それも松本から!
の日本人技術者と働いた事があるのだそう!
日本の囃子歌の掛け声、ヨイショヨイショ、とか、ヨイヨイ、
数字の一、二、三、四、五なぞを、聞かされるとは思いもよらず、
彼女の名前、アンジェラさん、とか、ははは、
日本人は皆、さん(付け)のサント・聖人だと笑いました。

イタリアもかっては養蚕大国で、とりわけヴェネトも、今私の住んでいる隣の町
サン・ジャーコモ・ディ・ヴェーリアには、かっての製糸工場跡が養蚕博物館に
なっていて、そんなこんなの話も出て、そんな事も楽しい一日でした。
     
  
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・ モデナの大聖堂 グランデ広場 市の塔 ・ 世界遺産登録の

1997年に世界遺産に指定された、モデナ・Modenaの
大聖堂・サンタ・マリーア・アッスンタ・イン・チエーロ・エ・サン・ジェミニアーノ・
Santa Maria Assunta in Cielo e San Geminiano、という
長~い名前を持つ聖堂と、グランデ広場・ピアッツァ・グランデ・Piazza Grande、
大聖堂南面の広場、そして市の塔・トッレ・チーヴィカ・Torre Civica、

今回は街の中心にあるこの3つ、中世からのモデナ市民の生活の要、のご案内を。

西上空からの眺めでここでは左が北の位置になりますが、それぞれがどの様に、
どんな大きさか、よくお分かり頂けると思いますが、

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真ん中に見える白い大きな高い塔、これが大聖堂の鐘楼で、ギルランディーナ・
Ghirlandinaの愛称を持ち、その右に大聖堂。
左脇すぐに見える建物群に聖堂博物館があり、大きな広場がグランデ広場。
広場の上辺を囲む形であるのが市庁舎で、見える塔が市の塔。

ついでにご説明すると、グランデ広場の右面を閉める四角い建物は、元裁判所の
あった場所に、1963年ある銀行の本拠事務所の建物が建設された物で、
大聖堂正面横に見えるのが、大司教の住居。
       
写真左上に見える細長い公園の奥、円形の屋根が飛び出しているのが、
モデナの街歩きでご案内したシナゴーガの建物



グランデ広場から見る、左に大聖堂、正面から右に市庁舎と市の塔で、

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市の塔の上部。 下に切れて見えるアーチの中に美しい像があるのですが・・。

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1671年地震の後に崩壊した、と言う説明がありましたが、こうして見ると、
最上階の部分のみの瓦解だった様子ですね。



モデナには今年3月と4年前の夏、それ以前22年前と3回訪問しており、
今回のご案内では4年前の夏の青空の写真でOKなのは使っています。
でないと、余りにも曇り空ばかりの写真では寂しいですものね、
で、ブログ名のある写真はshinkaiの撮った物で、他はサイトから拝借の物。

グランデ広場の北東の隅、写真奥に見える階段が市庁舎への階段ですが、
その前にこんな大きな石舞台があり、リンガドーラの石・Pietra Ringadoraと。
      
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13世紀の記録に既に残っており、その後何度か場所を移されもしたものの、
1936年より元々あったこの場所に。

ヴェローナの赤い大理石の長方形の大きなもので、リンガドーラの石、
つまりアッリンガトーリア・arringatoriaの石、
この上に立ち、市民に演説をするのに用いられたというもの。

ですが、この石は他にもいろいろ用いられており、泥棒や負債者への懲らしめ、
溺死者の身元確認、そしてまた殺人の疑いがある場合などにも、ここに展示されたと。

面白いというか凄いのが返済しない負債者への懲罰でして、広場で市の立つ日、
頭を丸刈りにされ冠を被らされ、太鼓の知らせを先頭に広場を一周し、ははは、
たっぷり松脂を塗ったこの石の上に、お尻を丸出しにして座らされ、
3度、チェード・ボニス・財産をすべて放棄します、と言わされたと。
その言葉を言わされたというよりも、そのように判決され、
多分お尻を叩かれながら自ら宣言した、という事なのでしょう。

中世の判決は大変厳しく、書きながらそういえばと思い出したのは、パドヴァの
パラッツォ・ラジョーネに関係しての記事で、黒い斑石ヴィトゥペーリオの石の事。

n.2 パドヴァ ・ 黄金の世紀 の 1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462330115.html

チェード・ボニス・cedo bonisの意味が最初正確につかめず、
友人のジュリアーナに援けを求め、その内にパドヴァの件を思い出し、
彼女にも知らせると、早速に興味深い!との返事。
ただパドヴァの方は、ちゃんと下着、パンツをつけていた、という点が違い、
その辺りで大いに笑った事でしたぁ、ははは。
       


と言うように市民生活に直結した広場なのですが、

その南東の隅から漸くに鐘楼と聖堂が入る大きさ、高さで、鐘楼の高さ86,12m、
この塔には上がれる様子。

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リンガドーラの石の辺りからの聖堂の後陣部、一番上に立つのは大天使ミケーレ。

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鐘楼、ギルランディーナの頂上部分。 ギルランダ・ghirlandaは花飾り、花冠を
意味し、如何にモデナ市民に愛されてきた鐘楼か、よく分りますね。

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モデナ生まれのルチャーノ・パヴァロッティの歌う「ラ・ギルランディーナ」を。
https://www.youtube.com/watch?v=VMpKuQjDp8g

上のラ・ギルランディーナを探していて偶然見つけた、初めて聞いた彼の歌、
「歌・IL Canto」
  ・・君が行ってしまった日から、夜はもうここには来ない
  時間も思い出も失くし、死なない愛の歌だけが残る

普通の人々の歌う姿も写り、しっとりと歌うパヴァロッティの今は亡き声と姿に、
思わず涙したshinkai・・。
https://www.youtube.com/watch?v=L0afcLgqyt0



聖堂脇の姿、半分。
1099年6月9日、記念すべきこの日、現在に残る新しいモデナ聖堂建設の
最初の石が置かれ、内部の装飾もすべて済んで完成したのが、300年後!

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脇壁右に大きな屋根の形が見える内陣の張り出し部分で、中側左のは15世紀に
設置された説教壇で、大きな扉と入り口はポルタ・レジーア・Porta Regia.

この聖堂の位置には5世紀からの2つの教会があり、聖堂のクリプタ・地下祭室には
6世紀から保管されてきた街の守護聖人サン・ジェミニアーノ・San Geminianoの
遺骸があり、教会側のみでなく市民からの強い要請があっての建設だったそうで、
古い2つの教会を壊しながら、新しい聖堂が造られたと。

1099年5月23日付の後陣外の石碑には、主任建築家ランフランコ・Lanfranco
(11~12世紀)の名が見え、このモデナの聖堂が唯一彼の作として確かな物だそう。

ランフランコはマエストリ・コマチーニ・Maestri Comaciniと呼ばれ、
コマチーニというのはコモ湖周辺出身という意で、今も各地の建築物に名の残る
左官や石工の職人集団も連れて来た様子で、彼らはすぐに仕事に取り掛かりますが、

ランフランコはじきに彫刻家のWilgelmo(11~12世紀)発音がぁ・・、
多分ラテン語のWillelmusからの名で、イタリア語ではグリエルモなので、
ウィルエルモと書かせて頂きますが、ご存知の方、お教え願います!
       
このウィルエルモは、イタリアで初めて作品に名前を記せた作家の一人。
教会の装飾関係のみだけでなく建築もで、彼が正面壁の仕事を手がけ始め、
ランフランコ達は後陣の仕事を、という進捗具合だった様子。

でこういう両面からの仕事の進み具合で、計算違いであったのが良く分る、
真ん中の繋がりなんだそう!

一連の3つの窓を持つアーチの連続が、ほら、ポルタ・レジーアの右横で
半分になっているでしょう?!実際にアーチの広さもかなり違うのだとか、ははは。

こういった寸法の間違いは、ロマネスク建築の前半では頻繁にあった様で、
壁が膨らんだり、アーチの大きさの違い、帯状装飾が踊ったりなど等、ははは
ゴシックになっていくらか緩和されたのだそうですが、

当時は、対称であるとか比率とか均衡性などは、特別な重みを持っていなかった事も
ある様で、はぁ、こう聞くとゆったりとして、長閑で良いですねぇ、ははは。



グランデ広場に面したポルタ・レジーア。 最初の建設には無かった入り口で、
1209~1231年の物。 円柱を背に乗せ獲物を抱え込む2頭のライオン像。
       
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レジーア・Regiaというここでの言葉は、レ・Re・王には関係なく、
中世においてのラテン語regeは建物の中心的扉を意味するのだといい、
確かにグランデ広場に向いての、聖堂第2の正面入口ですね。



この写真は4年前の夏、工事中の覆いの隙間から撮った物で、
ローマ期のライオン像と見られる背に、円柱が乗っている様子。

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そして、入り口脇の柱の並びの装飾の様子。

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ライオン像の背中の円柱は、上のプローティロ・protiroと呼ばれる柱廊式玄関を
支え、多分中に見える聖人はサン・ジェミニアーノと。

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サン・ジェミニアーノ・San Geminiano(312~397)はモデナの司教であり、
この街で亡くなった聖人は、悪魔祓いの力を持っているとの評判だったようで、
トスカーナの世界遺産の小さな町、サン・ジミニャーノも彼が守護聖人で、

ジェミニアーノも、ジミニャーノも同じだそうで、彼を守護聖人に戴く町は他にも幾つも。

美しき塔の町 サン・ジミニャーノ ・ 塔の上から、そして
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467078009.html

サン・ジミニャーノの朝 ・ 雲海の朝焼け
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466797663.html



で、このプローティロの屋根の上には、十字を持つライオン君がいますが、
その斜め上の屋根の脇に見える像にご注目を!
  
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聖堂屋根の上の仕切り壁の脇全8面に見られる、
このいささか複雑怪奇な半人半獣像はメートぺ・metopeと呼ばれ、



現在この屋根の上にあるものはコピーで、年月による損耗が大きく、
1950年よりお隣の聖堂博物館に本物が保管されており、見に行きましたが、
現在の屋根の上のとはかなり印象が違い、博物館サイトからの写真をどうぞ。

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ウィリエルモの弟子と見られるマエストロ・デッレ・メートペ(1130年頃)の作品で、
その意匠の奇抜さのみならず、彫の技術も大変優れていると。
       


も一つ西に続いてある扉で、ポルタ・デイ・プリンチーピ・Porta dei Principiで、
半円の下、梁にある彫り物は、サン・ジェミニアーノの生涯の逸話にちなむ物と。

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正面側・ファッチャータに向う前に1枚、サイトで見つけた写真をどうぞ。
1942年の写真で、グランデ広場。背後に見える聖堂は、ちょっと趣が違いますね。
年代から考えて、対爆撃予防の防護壁でしょうか?

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それにしても、この大泣きの女の子! shinkaiより大分、へへ、言わせてぇ、
年上の年代ですが、大きな泣き声まで聞こえそうで、 ははは。



さて、漸くに大聖堂の正面側に。 やはり青空が良いですねぇ!
写真正面を横切るのはトロリー・バスの電線で、おまけに広場が広くないので、
こちら側の小路からしか狙えず・・!

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ゴシック式の薔薇窓と、正面上に立つ大天使ガブリエル像、

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聖堂上部の、キリスト像の周囲を4福音者のシンボル像が囲み、
左上人物・マッテオ・Matteo  左下有翼のライオン・マルコ・Marco
右上鷲・ジョヴァンニ・Giovanni  右下有翼の雄牛ルーカ・Luca

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こうして見ると、大体左上には人物のマッテオがいつも居るみたいですが、
後は並ぶ順番に決まりは無いのでしょうか? どなたかぁ~・・。

そして石の色もいろいろ違うでしょう? 色の違いは脇の壁でも顕著でしたが、
これは石材確保に近隣のかっての建築物の残りや廃墟の石を運んで来て使ったり、
それも不足すると、ローマ期の墳墓の石を掘りに行ったのだそうで、ははは、
入り口脇の円柱を背中で支えるライオン像等も、そういう訳でローマ期の物なのだと!

同じ様な顔をしたライオン君は、ヴェネトはトゥレヴィーゾのドゥオーモ前にも
座っているし、フェッラーラでも見かけましたし・・! そうだったのかぁ!!

という事で、 モデナの大聖堂正面入り口と、円柱を支えるライオン君。

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背後の壁、両脇に見える浮き彫りの石版と、入り口脇柱の彫はウィリエルモ。

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ライオンがこうして柱を支えるというのは、ギリシャ神殿などの柱に人物が彫られて
いるのがありますね、あれの発想から来ているのだそう。



支えるプローティロの一番上はこんな様子で、ここは司教様が顔を出される場所
(だった)のだそう。

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ウィリエルモの彫り、聖書の絵解き浮き彫りは4面あり、これは正面左の脇扉の上のもの。

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人類創造、アダモからエヴァが生まれ、禁断のリンゴを食べ・・。
アダモがぱくっと大口を開け、リンゴを食べているのが楽しいぃ!

ウィリエルモの彫りが、かなり深めのしっかりした物であるのも良く見えますね。



正面右扉の上の場面は、カインの殺害、ノアの箱舟、右は何かな?

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そしてあちこちに浮き彫りが散らばりますが、如何にもの中世風な、
怪奇で楽しい動物達がいて、

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柱の上の柱頭飾りにも、動物達や人間達がひしめきます。
光りの当っている物は4年前の夏の物で、聖堂の脇だったかもしれませんが・・。

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では、内部に入って頂きましょうか。 先回の夏は修復中で、内部もクリプタ辺り
のみの公開で、今回は暗く人出も多く、グループ行動で自由に動けず、
思うように撮れず、サイトから拝借を。

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大きな街の、また小さな田舎の町でも、教会はよく改装されており、
オリジナルは古くとも、内部は新しく明るい、豪華絢爛というのが良くありますが、
このモデナの聖堂は大きな修復が15世紀に一度。
それまでの木製の桁組み天井だったのが、日本語で言う「交差ヴォールト」に変えられ、

18世紀にクリプタの内部にある、守護聖人サン・ジェミニアーノのお墓の周囲を
高価な大理石に変えたり、窓の材質を変えたり、と言う程度で、
       
お陰で、現在も建設当時のロマネスク様式を保ったままの内部が、立派に存在。
内部は3廊式で、翼部分はなしで、左側の列柱の中ほどに見えるのが説教壇。



脇から天井部分。

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内陣部、下がクリプタで、上部が祭礼用内陣。

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上部の後陣部に見える絵がモザイクかと思ったのですが、これは18世紀末から
19世紀にかけて行われた改修の一つで、
モデナの無名の画家が、ビザンティン式のモザイク画に見せる絵を描いたのだそう!

これは良いアイディアと! 小さな町の主教会に行き、現代風な絵でも素晴らしいと
良いのですが、時に無い方がと、失礼! 思うようなのもありますので・・。
       


クリプタと上の祭壇の間には、このような木製のポンティーレ・pontile・
直訳すると桟橋、があり、大理石の彫りで、

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左の円形の説教壇・読経壇の周囲には4人の福音者たちのシンボルが、
手前直線部には最後の晩餐、ジュダの接吻などの彫り物が。
       
これらはランフランコ、ウィリエルモたちに続く12~13世紀の建築家や彫刻家達に
よって小さな変更や装飾が施されたもので、マエストリ・カンピオネージと呼ばれる、
やはりコモ湖周辺出身の集団の名が残ります。       



こちらは半地下のクリプタの様子で、全面にはやはり動物やうずくまる人間の
背中が円柱を背負い、上部のポンティーレを支えます。

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聖堂内の列柱の根元。

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4年前の修復中の聖堂内の様子も窺える写真を1枚。
これは説教壇に登る階段の様子が見え、絵が描かれているのが見えますね。

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当時この一帯、春の地震のあった後で、どうやら天井ヴォールトにも
ひび割れがあったり、薔薇窓にも破損部分があった様子。



この聖堂内には絵画が少ないのですが、右側廊部にあったフレスコ画と、

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左側廊部の、テラッコッタ像の祭壇。 大変手の込んだ繊細な物!

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正面入り口上の薔薇窓、簡素な美しさ。

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聖堂から出ると、聖堂前広場の西側を占める大司教館。
今は店舗が入っていて、上階はどうなのかな・・。

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聖堂から西に抜ける小路の建物壁。聖堂同様、古いイメージがしっかり残る
部分がたくさん見え。

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聖堂脇すぐの小路から見える、ギルランディーナの美しい姿。

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この小路の横左に聖堂博物館がありますが、今右側にライオン像が見える所には
聖堂入り口があり、

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ポルタ・デッラ・ペスケリーア・Porta della Pescheria・
魚市場、魚屋の門と呼ばれますが、美しい彫りでしょう?!

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1110年~20年の作だそうで、動物の形や逸話、12ヶ月の寓意がモチーフ。
なぜ魚屋の門と呼ばれたかと言うと、すぐ近くに魚屋の屋台があり、
この入り口からは庶民達が出入りしたのだと。
       


最後は、博物館の庭のベンチと、

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小路が抜けるグランデ広場の、ポルティチの下のカフェの席を。
    
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モデナの大聖堂、建設された1000年当時のロマネスク様式を今も伝える
数少ない聖堂のご案内、不足ばかりでしょうが、何とか宿題を済ませホッと。

歴史の教科書式記述ではなく、自分が見て感じた様子を自分の言葉でと思い、
不足は不足のままでと思っておりますが、
・・お付き合い頂き、いつも有難うございます!
       
これを書いている今日は朝は小雨、午後は薄曇ですが、
こうして最後のお天気の良い写真を見ているだけでも、気分が晴れます。
皆さんにも、良いお天気であります様に!
     
  
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・ モデナの街歩きちょっぴり シナゴーガ、市役所、軍士官学校 

先月中旬のモデナ行きの際、グループが2つに別れて回り、
私方はモデナの街中見学が午後になりました。

写真は、朝高速を降りて街中に行く途中見た花々。
コネリアーノよりも早い咲き具合でしたが、       

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街の中心に向う時に、なんとまぁ、こんなに大きな街だったっけ?!という感嘆。 
なにせ日頃田舎住まいですので、大きな街は怖い、ははは。
人口は昨年末で18万5千人程。

突き当りに見えるのが、モデナ駅だったと。

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建物に見かける色が、黄色とサーモン・ピンクが多い気がし、

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ヴィットリオ・エマヌエレ大通りのロータリー、

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正面に街の聖堂の鐘楼、ギルランディーナ・Ghirlandinaが見え、

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街の中心部の地図をどうぞ。 我らは北側から来て、
コルソ・ヴィットーリオ・エマヌエーレの端でバスからおり、歩いて中心に向います。

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この日中心部で見たものは、アッカデーミア・ミリターレ・Accademia Militale・
軍士官学校、シナゴーガ・Sinagoga・ユダヤ教徒の礼拝集会所、
市役所・Palazzo Comunale、聖堂・Duomo di Modena、そして一番左に切れた
エステンセ博物館・Museo Estense. と書くと、どの様に歩いたかお分かりですね。

モデナ駅はコルソ・ヴィットーリオ・エマヌエーレのこちらの端から突き当りまで行き
そこから北西に、7~800mほどの位置と。



アッカデミア・ミリターレ前のローマ広場の端を通り、街中の細い小路の角で。
パン屋サン・ジョルジョとありますが、カフェみたいな洒落たお店。

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皆がわぁ~お、と驚いた立派な大きなシナゴーガ。

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シナゴーガというのは、ユダヤ人の礼拝の為の集会所で、余りにも凄い建物なので、
ならばきっとモデナにはたくさんのユダヤ人がいたのだろうと調べましたら、
確かにモデナには13世紀以来ユダヤ人が多く住み、15世紀にスペインで
ユダヤ人排斥が起こった後移って来た人々も多く、1638年この辺り一帯がゲットーに
なった後、1000人ほどが住んでいた様子。

有数の金貸し業、貴金属業を除き、多くは厳しく報われる事の少ない仕事に
付かざるを得ず、大きな迫害などはこの街では起こらなかったとはいえ、
2回の大戦への出兵、その後の変化等で、現在モデナに住むユダヤ人は100人程。

この素晴らしいシナゴーガは1873年に建設された、イタリアでも有数の
ユダヤ人文化の歴史が残るこの街の記念碑的な物と。
       
かってのゲットーの道は道幅拡張などで取り壊されたそうですが、
このシナゴーガのあるピアッツァ・マッツィーニ・Piazza Mazziniの1、2本東の通り、
ヴィア・スクワッローレ・Via Squalloreは陽が射しこむのを妨げる程狭く、
背の高い建物が立ち並び、かってのゲットーの面影を今に伝えていると。
       
ヴェネツィアのゲットー ・ 追悼の日に寄せて
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463740335.html



シナゴーガからすぐ近くにモデナの聖堂、グランデ広場があり、
今グランデ広場の北東の端に出て来て、

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サイトから拝借写真で、グランデ広場。 左に聖堂、正面が現市役所の
時計塔のある建物。



建物下のポルティチ、アーケード。

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先回ご案内のモデナの伝統バルサミコ酢の醸造元で、試食をさせてもらい、
ワインも1杯飲み特別お腹が減ってもいませんが、ここで昼食休憩となり、
5人で、すぐ隣の大きなカフェ・ビュッフェに入り、



向こう側にはセルフ・サーヴィスのビュッフェがあるのが、我らはこちらのカフェ部分で、

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皆が各自こんなクッキーに、これはカフェに生クリーム、などを取り、
       
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shinkaiはそのつもり無く注文したら、薄焼きパンに野菜グリルの挟んだのが届き、
パンをちょっぴり、野菜だけつまみ出し、ははは。

ここで時々カフェやレストランでお目にかかる、さすがプロ!のウェイトレスさんで、
皆がなんだかんだと質問しながら細かく注文するのをメモもせず聞き取り、
後の支払いもテーブルで、誰がなにを注文したかしっかり記憶しているという・・!
       
この頃まさにところてん式記憶力のshinkaiには、驚異のシニョリーナでしたぁ。
       


昼食後、元気が良すぎるほどのしっかりお喋りのガイドさんと再度待ち合わせ、
まず市役所内の見学に。

グランデ広場の東北の角から、こんな風に階段を上り、

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現在一見唯一の建物に見える市役所ですが、11世紀頃から次々の建て増しを
17~18世紀に改装した物だそうで、グランデ広場の写真で見た時計塔は17世紀の
地震の後に崩壊したそうですから、再建された物と。

コンフィルマーティの間・Camerino dei Confirmatiという画家の家族や、
他の肖像画が並んだ部屋。

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こちら木の嵌めこみ細工のテーブル。

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部屋の名を覚えておらず、説明を撮ってもおらずで・・、
これは天井ですが、すっごい部屋だなぁと、ははは。

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壁が絹の布張りなんですぅ!

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天井の真ん中にモデナ市の紋章があり、正面の絵は16世紀のものですが、
ローマ風の衣装で、背後に左にボローニャ、右にモデナの街が見え、

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上の写真とこの部屋は火の部屋・Sala deo Fuocoと呼ばれ、
常にこの暖炉には火が燃やされ、市民が暖を取れ、また家庭で使う火付けに
燃え炭を持って帰る事が出来たという、市民サーヴィスの一端で、
大変に市民に喜ばれていた物と。

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廊下の様子。

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グランデ広場側から上った階段の、反対側入口。

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聖堂脇、南側に広がるグランデ広場。 まさにグランデ・大きい!

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4年前の夏にモデナに来た事があったのですが、来る前はモデナは初めて!と
思い込んでいたのですね。
所がこの広場に来て聖堂を見た途端、いや、ここは来ている!と思い出し、ははは、
実際その22年前に来ていたのでしたぁ。

4年前の春ちょうどエミーリア・ロマーニャ地方に地震があり、その後だったですが、
この聖堂は世界遺産でもあり、即修復が始まっており、内部も半分しか見れずでした。
今回は内も外も綺麗に修復されており、綺麗過ぎるほどで、ははは、

別にご案内しようと思いますので、今回はこの脇からと、



正面からの1枚、のみをご紹介です。

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聖堂から西に細い小路をずっと抜けていくと、古い小さなカフェに人々が
集まっている姿があり、古い街の、昔からの佇まいが偲ばれ、良い感じ。

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細い道を辿り、エステンセ博物館に行き見学。 ここもなんとも凄いエステ家の
コレクション博物館で、絵画作品よりも、所蔵品類とか、併設の考古学博物館が
凄そうでしたが、ここのご案内も今回はパス。

そろそろ夕暮れが近い道を、街中の賑やかな通りをバスの待ち場所に戻りますが、
       
春色のショウウインドウや、

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ウェディング・ドレスの女性のお供はワン君で、口の悪い我らは、
夫は犬かい?! はは。

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再度ドゥオーモ正面前の広場が見える通りを過ぎ、

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聖堂鐘楼ギルランディーナも横目に見て、

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ヴィア・エミーリア・via Emiliaの店の明かりを撮っていると、

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後ろから、マントを着た一団が来るではないですかぁ!
前真ん中に見えるのは司祭さんで、モデナの軍士官学校・アッカデーミア・
ミリターレ・ディ・モデナの学生達で、カッコいいぃ!!

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我々が聖堂見学に行った時、復活祭前の一連の宗教行事として、
彼らは一人ずつ名前を呼ばれ、「告解」の最中だったのですが、
ちょうど全員済んで帰る途中だったのですね。



追っかけする積もりはなく、ははは、でも同じ道を行くもので、
ついつい揺れるマント姿のかっこよさに惹かれ・・、へへへ。

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歩いていく道の突き当たりに見えて来る凄い建物、あれ何?!

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MODENA-ASOLOと見える垂れ幕は、今年5月18日の自転車競技
「ジーロ・ディターリアがモデナを通り、アーゾロ迄」の行程案内。

2019年 ジーロ・ディターリア、 隣村カルページカ、オリアーノを通過
http://www.italiashiho.site/archives/20190604-1.html

ジーロ・ディターリア、 オリアーノ村を通過!
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467229059.html



彼らは真っ直ぐ入り口に向かい・・。
でここは、かってのエステ家のドゥカーレ宮・Palazzo Ducale、
現在はモデナ軍士官学校の建物となっているのを知りましたぁ!

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入り口のアーチ前で、彼らは記念撮影し、勿論shinkaiも参加、ははは。
司祭左の君ぃ、歯を出してにっこりし過ぎだよぉ!
       
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モデナの軍士官学校・アッカデーミア・ミリターレ・ディ・モデナは、
第2次大戦後の1947年、かっての砲兵、技師?、歩兵、騎兵の士官学校が
統合されて出来た、現在唯一のイタリア軍の士官学校。

男女共に応募でき、学業は2年間、ここで将来イタリア軍と軍警察(カラビニエーリ)の
仕官となる基礎教育を受け、技師、医師、獣医等になるには各教育期間の延長が。
       
載っていた彼らの日課は、朝7時の起床に始まりまさに分刻みで、
食事時間もイタリア人らしからぬ朝20分、昼夕食30分! 一日3回に分けての
学業と、夜23時30分就寝までびっしりで、ガイドさんの話でも、大変に厳しいのだと。



これは毎年6月2日のイタリア共和国記念日に、ローマのコロッセーオから
フォーリ・インペリアーリ通りのパレードで、行進する姿。

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この制服は昔からの伝統の制服姿との事。 最前列に女性の姿も見えますが、
カッコ良いですよねぇ。ここ何年かパレード中継を見ていませんが、今年は見ようっと。

イタリア共和国記念日のお祭り 2019.6.2
http://www.italiashiho.site/archives/20190608-1.html

6月2日 イタリア共和国記念日 ローマ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463096706.html



記念撮影していたアーチの中は、大きな内庭になっていて、
こんな舞踏会も開かれる様子。 多分女性18才の成人デヴュー舞踏会。

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元エステ家のドゥカーレ宮、現軍士官学校の前に立つこの像は、
イタリア統一運動時の英雄、チーロ・モネッティ・Ciro Monetti(1798-1831)

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オーストリアに屈する立場のモデナ公国の独立を願い、モデナでの民衆蜂起を企て
逮捕され、有罪判決で絞首刑にされた方だそうで、詳細は知らないshinkaiですが、
最初はモデナ公国のフランチェスコ4世との知り合いもあったのが、
最後は処刑判決に署名したフランチェスコ4世の部屋を睨む様にも見えるこの像、
という説明もありましたです。
       


最後は、ドゥカーレ宮全体が見えるサイトからの写真を。
       
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建物は1634年から建設された物で、それ以前にあったエステ家の古い城跡に
建てられた物で、当時は街の外れだったのが街の拡張につれ、現在はほぼ中心地に。
バロック様式の荘厳でエレガントなスタイルと。
       
エステ家のドゥカーレ宮・公爵の、総督の宮殿と書いていますが、
元々ヴェネトはパドヴァ南にあるエステの地から隆盛し、フェッラーラの君主
(1208-1598)侯爵となり、文化の香り豊かな宮廷を開いたエステ家・Este。

教皇領の管轄により領土を増やし、1288年にモデナ、続いてレッジョ・エミーリアも。
そして14世紀から1859年に至るまで次々と領土の範囲は広がり、
1471年には公爵位を得、公国領となり、モデナはエステ家の本拠地となったのですね。
街の繁栄振りが分かるような気がします。

エステ家の最初の本拠地フェッラーラのお城に付いて、1と2を
      

フェッラーラは継承者が一時不在の際に教皇から召し上げられ失い、男子の継承が
途絶えたりもあるものの、ヨーロッパ中に広がり、オーストリアのハプスブルグ家や
ベルギー王家との繋がりもあり、
現在もドイツのハノーヴァ家エルネスト・アウグスト公が(1954年生まれ)
直系の御子孫でおられるのだそう! いやぁ、凄いものですねぇ!!

というような、モデナの街歩きでしたぁ。

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・ モデナの 伝統バルサミコ酢 ・ 醸造元見学 

先月モデナに出かけた時、イタリアの伝統食品を代表する一つである
モデナの伝統バルサミコ酢の醸造元を見学しました。

いつも我が家で使っている大量生産のスーパーで買う品とは違い、
風味といい、味といい、お値段といい、ははは、
さすがに違う物だと大いに認識を新たにしましたので、
今日はモデナの伝統バルサミコ酢というのは、
どういう過程を経て作られるのかをご覧頂きますね。

写真は、訪れた醸造元のボンパーナ・Bompanaの品
左がモデナ伝統バルサミコ酢のDOP 12年以上の醸造
右がエクストラ・ヴェッキオといわれる 25年以上の品
       
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ちょっと横道にそれますが、これはイタリアの大幹線道路、太陽の高速道路・
アウトストラーダ・デル・ソーレと呼ばれる、ミラノ~ローマを結ぶ高速A1線。

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片側4車線で、これでミラノからフィレンツェまで行った事がありますが、
ただしボローニャからフィレンツェに抜けるアペニン山脈越えのときは、
片側2車線になります!

この日高速の上を往復し、先回のパヴァロッティの家博物館と、
モデナ伝統バルサミコ酢見学と回りましたので、
どちらも田畑の広がる農村地帯にあった、という事を言いたくて、ははは。
この高速の高架橋はパヴァロッティの家博物館からは東に少しの位置にありました。

アッペンニン越え ・ ボローニャ ~ フィレンツェ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461812720.html


この日のモデナの見学は、見学先が狭いのでと、朝バスの中で右側席30名、
左側30名と半分ずつに分けられ回ったのでしたが、
       
ここバルサミコ酢醸造元ではそれでも多い位で、中の様子が分かりやすいよう、
サイトからの写真も拝借しまして。

ここは2階にある醸造庫の様子で、既に階段を上がる時から、
ぷ~んとあのバルサミコ酢独特の匂いが満ち満ちており、

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こんな感じの部屋で、ここボンパーナの跡継ぎである女性2人が説明を。

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モデナの伝統バルサミコ酢・Aceto Balsamico Tradizionale di Modena・
アチェト・バルサミコ・トラディツィオナーレ・ディ・モデナは、
モデナとレッジョ・エミーリアのみで製造される、というか、
ここでしか出来ないワインから作る酢なのですね。

ローマ期からの歴史があり、折々の記述から珍重された様子が窺えますが、
とりわけルネッサンス期に、フェッラーラからこの一帯に領土を持つエステ家で
事あるごとに重用され、王侯貴族間に評判となった、という歴史を持ちます。

なぜモデナとレッジョ・エミーリアの一帯のみなのかですが、この一帯の特殊な
気候的要素による物と見られ、冬の寒さ厳しく、夏は暑く風通しがよい、という
古い建物の屋根裏に寝かされ、
夏は40度にもなる気温の中で、酵素が勢いよく働き蒸発し、
冬は不純物が樽の底に鎮まり溜まる、という繰り返しで熟成を重ねるのだと。

かっては各農家のそれぞれの伝統、不出の口伝えの醸造法により作られ、
量も少なく、それゆえ高価で、報酬とか税の品払いにも使われた程だそう。

それが1977年にDOCの表示を得て、市況に出回る夜明けとなり、
1983年にモデナの伝統バルサミコ酢・ABTMの名を得て、
2000年にはヨーロッパ議会での承認も得たという事になります。

説明の後、12年醸造、40年醸造、そして中間品の味見をさせて貰いましたぁ。



上と同じ部屋の反対側の眺めですが、奥の小部屋にも醸造樽が見えます。

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これは説明を聞きつつ撮った、shinkaiの後ろに並んでいた樽で、

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1971年と記された札が下がる棚で、

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並ぶ樽に付けられた標識には、樽番号、醸造が始まった年1971年、
樽の材質Rovere・樫、35L 満杯具合83%と。

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反対側の列には1987~1990年からの醸造樽が並び、

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窓は開け放たれているのですが、それでも匂いが充満!

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お気づきになりましたか、樽の上に白い布がかかっていますね。 この下の樽に
長方形の穴が開けられ空気が通り、中の液体が蒸発出来るようになっているのですね。



こちらは奥の部屋で、右横には一番小さな樽が並んでいるのも見えます。

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バルサミコ酢、のバルサモ・Balsamoとは芳香の事で、鎮痛剤とか、シャンプーの
リンスの事もバルサムと呼ばれますが、

ではどの様に醸造され熟成されるかですが、こちらイタリアで酢というとワイン酢で、
白と赤があり、それとの違いは芳香材を加え熟成させたものが、バルサミコ酢とでも。

使われる葡萄の種類は、モデナとレッジョ・エミーリアの地域内で
栽培されたトゥレッビアーニ・trebbiani、ランブルスキ・lambruschi、
アンチェロッタ・ancelotta、サウヴィニョン・sauvignonなど。

まず搾った葡萄の汁・モストを熱します。
この段階もモデナとレッジョ・エミーリアでの基準が違うそうで、モデナの方で言うと、
75度から90度Cの温度で14時間以上、28~30%の濃縮度にし、酵母菌を加えます。

たくさんたくさん科学的な説明があるのですが、こういうのはまるでダメなshinkaiで、
結論のみ要約して、へへ、書いておりますが、
この段階は、後に続く一連の樽を移し変えての熟成期間と別でして、
    


樽の図をどうぞ。 これはボンパーナで貰って戻った説明書にあったもので、
大体似た図が各醸造元の説明で、一連の樽はバッテリーア・batteriaと呼ばれ、
7つ並ぶ醸造元もありますが、ここのは5連で、要はなぜか必ず奇数なのだそう!

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右から順に、葡萄汁・モストが熱せられ酵母が加えられたものが、
一番大きな樫の樽60Lに移され、次に50Lの栗の木の樽に、
40Lの桜の木の樽、30Lのトネリコの木の樽、20Lの桑の木の樽、と
次々と移され熟成を重ね、最後に瓶詰めにされます。

樽に使われる木は現在では75%が樫で、木が変わると加わる芳香も違うそうで、
それが各醸造元が求める味の違いとなるのでしょうね。


     
これは熟成期間中の様々な検査なのでしょうか、
樽の上の穴からの様子を見る写真もサイトで見つかりました。

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寝かせている間に蒸発する分に付いては、次の小樽に移す際に、新しい酵素を
加えたモストを注ぐのだそうで、こういう方法はスペインやポルトガルのシェリーや
マデイラ酒、イタリアのマルサーラ酒とも同じやり方なのだそうですが、

こうすると熟成何年というのがあやふやになるという問題もあり、熟成12年のDOP
というのは、あくまでも本体の液が熟成を始めた年から計算するという事の様子。

とにもかくにもDOP・原産地名称保護を名乗れるには12年の熟成期間が要るわけで、
これはもう高価な品になるわけですね。

ここボンパーナで聞いた説明では、彼らの曽祖父から始め今4代目、
バルサミコ酢の醸造と共にレストランを開き、そこで使える品をと始めたのが、
レストランの仕事は大変で今はバルサミコ酢の製造のみなのだと。



樽の列にあったパンフレット、パリオ・デッラ・ギルランディーナ・
Palio della Ghirlandina.

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ギルランディーナというのはモデナのドゥオーモの鐘楼の名ですが、聖堂のある
グランデ広場で毎年開かれる、伝統バルサミコ酒の競技。
味見をしてその年の出来の良いバルサミコ酢にパリオが、優勝旗が渡される競技が
ある事も知り、2016年の今年が第11回目、4月末から5月にかけて開催されると。


伝統バルサミコ酢に付いての説明が済んだ後、プラスティックのスプーンが
各自に渡され、3種の味見を次々に。
12年もの、確か40年もの、そしてもう一種、名前を覚えていませんが、へへ、
使いやすい品、として味見をさせてくれた物だったと・・。
確かに12年物は美味しく、やはりスーパーでの品とは違うと思ったのでしたが、
40年物はもう一段と円やかで、なるほどなぁと!



その後大きな倉庫風の建物に案内され、そこにもこんな様々な大きさの樽が
寝かされておりましたが、

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中央のテーブルに試食用の食べ物が用意されており、

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それぞれに違うタイプの伝統バルサミコ酢をかけて頂き、なにせねっとりとしていて、
なかなか瓶から出てくれませんで、ははは、shinkaiのお皿はこんな感じに。

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左上の白いのがパンナコッタ、その右がパルミッジャーノ・レッジャーノ、
下の四角いのはパンで、左下は卵焼き。

3種の各食べ物に違う種のバルサミコ酢をかけて下さったのですが、
どれがどうなのか、とは聞かないでやって下さいませませ、ははは。
右のワインは、この一帯の美味しいランブルスコ・ワインで、

これでお腹もかなりくちくなり、ワインでほこほこに! 美味しかったぁ!!



この後醸造元としては一番の目的である、ははは、販売部門に
皆を案内してくれたのですが、

例えば上の段に見える、このインク瓶位の大きさのこの品、
1971年からの熟成品という事ですが、50mmlで19,5エウロ!!

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この左の1L瓶、お勧め品なのでしょうが、170エウロ!!

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チョコレートの真ん中にバルサミコ酢がちょっぴりウィスキーの様に入っているもの、
店で味見させてもらいましたが、美味しかったです、
確かに美味しかったですがぁぁぁ、一箱15エウロ!

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グループの皆さん、あれこれ買い込まれていましたが、う~ん、shinkaiは
正直言って、ちょっと買う気になれませんでした。
確かに年期をこめて作られた美味しい品であるというのは、味見をさせて頂いて
よ~く分りましたが、それで十分です、という感じで、
自分の家で自分が料理する皿には相応しい品では無いなぁと、はい。

日頃スーパーで見かける大量製品のバルサミコ酢は、熟成されていないワイン酢に、
着色料やカラメル、香料を加えた物だそうですが、
う~ん、それでも結構野菜料理には美味しく頂いているもんね、ははは。

というような竜頭蛇尾式見学記でしたが、きゃはは、サイトで検索すると、
様々なバルサミコ酢を使った料理が見つかったので、ちょっとご案内しますね。

これからの季節にピッタリの、アスパラガスに。 付け合わせにも良さそう。

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茄子のグリルに。
       
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カボチャのクリーム・スープに。

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ズッキーニの入ったパスタに。

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これは美味しそう、サーモンに! 海老に!

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そして雄牛肉に、ビフテキに!

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そしてこれはもう定番の、イチゴと、パンナコッタ!!

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バルサミコ酢の美味しさを引き出すには、余り熱を加えない事だそうで、
料理の最後にさっと加えるのがコツだそうです。
うん、家で作る野菜料理にも、今後は仕上げにかける事にしよう!!


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