・ 有翼の馬 ・ タルクイニアの国立考古博物館 ラツィオ州

ラツィオ州はタルクイニア・Tarquiniaにある国立考古博物館。
ここはエトルスコ文化の一大宝庫なのですが、その中にとびきり素晴らしく
美しい「有翼の馬」があり、それに魅せられました!

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タルクイニアの町の南東一帯に広がる発掘された古墳の数々も見学し、
装飾画の色と線の美しさにも驚き、博物館では発掘品の数々、陶製、テラコッタ、
青銅の薄板、レリーフなどなど、物凄い数の品も見たのですが、
エトルリアの文化について語れるほどに系統だって知りませんで、
あれこれちょびちょびの齧りばかりですので、
     
この考古博物館で一番興味を持ってみた「有翼の馬」周辺について
ご案内を絞ろうと思いますので、宜しくお願いいたします。
  
上の写真は、タルクイニアの町の城壁から中心街に入る所。



タルクイニアの町はどこにあるか、地図をどうぞ。
ラツィオ州の北、ヴィテルボ・Viterboから南西に45kmほど、
ティレーニア海に近く、ローマへは100km足らずに位置します。

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地図を見つつ、 南にあるトルファ・Tolfaは、かっての明礬鉱で有名だった場所で、
ブラッッチャーノ湖・Braccianoは、確かここでトム・クルーズが結婚したのでは、
何番目の結婚だったのか、はたまた既に離婚してしまったかどうか、ははは、
ネーピ・Nepiには、かのルクレツィア・ボルジャが城を持っていたっけ・・、
なんぞと知っている地名を探し出して楽しみました。



最初の写真でも城壁が見えましたが、この町もかってはぐるっと城壁が
取り囲んでいたのが現在もあちこちに残り、

奥に見える門の手前に城壁の門、つまり2重になっていたのが分ります。

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ちょうど横にあった町の地図で、大きな赤丸に今ここ、とあり、
斜めの道を辿り、インフォメーションも向い側にある国立考古博物館に向います。

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も一つ囲った赤枠は市役所のある広場で、タルクイニア訪問はこの2ヶ所を見たのみ!



考古博物館に向う道はこんな感じで、

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中心の広場に近づくと、細い道の隙間から、ほら、威圧的に高い建物が見え始め、

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こんな大きな窓も持つ、ルネッサンスの香りする建物で、

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全体写真が撮れずで、サイトから拝借し、
       
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ヴィテッレスキ邸・Palazzo Vitelleschi、現タルクイニア国立考古博物館・
Museo archeologico nazionale tarquiniense.



横の道に面する壁の高さ!

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ヴィテッレスキ邸の建設が始まったのは1436年頃、完成したのは1480~90年、
枢機卿ジョヴァンニ・マリーア・ヴィテッレスキ・Jovanni Maria Vitelleschi
が建てた物で、彼はかってコルネート・Cornetoと言ったこの地の生まれ。

1435年教皇エウジェニオ4世が教皇領の安定の為、枢機卿ヴィッテレスキへの
賞与としてこの地を司教区としたのを受けての建設だったのでしょう。
ご覧の通りの大きさ豪奢さで、当時のこの町の繁栄振りも伝わりますね。
       
話が前後しますが、この町は紀元前7~6世紀頃にエトルリア人の移殖定住があった、
古く重要な町のひとつだったのですが、紀元前3世紀ローマの元にくだり、
ローマ領の一部となり、その後も次々と領有者が変わり、8世紀には教皇領に。
が蛮族やサラセン人に荒らされ、人口も激減し経済的にも衰退。

そして10世紀頃かっての古い町に近い丘の上に、新しい集落ができ、
コルネート・Cornetoという名で11~12世紀にかけ大きな穀物産地ともなり、
港を利用してのジェノヴァやピサとの交易で発展を遂げ、
13世紀にはフェデリーコ2世の襲撃にも抵抗し、地中海と北の地域との
重要な連絡港ともなり、という変遷だった様です。
       


ちょうど考古博物館の前が広場で道が十字に交差、西側は下り坂なのですが、
そのずっと先に海! 

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反対側、緩やかな上り道の先に見えるこんな建物。
この道の奥には博物館の見学の後にちょっと。      
       
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さて、国立考古博物館に参りましょうか、

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建物は第2次大戦中ドイツ軍の司令官事務所が置かれていた為、
アメリカ軍の爆撃を受けたそうで、戦後に再建設、修復されたそう。



入り口を入るとこんな中庭があり、左は先ほど見て頂いた高い石塀で、
       
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右側はこういう感じで3階建て、色違いの石のアーチが優雅でしょう?

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中庭にはこんな石材の発掘がゴロゴロしており、

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石棺もまたあっちにこっちに!

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階段のレンガ模様。 段差がとても低いので、
ひょっとするとここも、貴人方は騎乗での上り下りだったかもですね。

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2階から見下ろす中庭部分。

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そして西に見える海と、

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テラス越しの眺め、上の眺めの続き方面。

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煉瓦で組んでいる2階のアーチ天井、と上の窓。

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こちらは外に面している大きな窓。

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陽が射し込む窓の内側のベンチ。 いつもながらのこの壁の厚さ!

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たくさんの陳列品もあったのですが、たくさんの見物人もで、はぁ、
今回はそれらすべてを省略し、

これが今回ご案内したかった「有翼の馬・I Cavalli Alati」!!
テラコッタ製 高さ1,15m  幅1,25m        

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これが紀元前4世紀の初め、今から2400年も前の作品と思えます?!
如何にも駿馬らしい若々しい引き締まった体形、
今にも空に駆け上りそうな、出発を待ち、足踏みする姿!
この熟練した描写力の素晴らしさに、まさにまさに感服!!

足元辺りに丸い黒い物が見えるのは、後ほどに。
実はここは確か撮影禁止だったと思うのですが、はは、
ガイドさんの説明を聞きながら、内側の誰かが内緒でパチッとやり始め、
皆と一緒なら怖くないで、ははは、
遂には皆がしっかり撮り始め、ガイドさんも黙認という・・!



この馬たちはどこから発掘されたか、もう一度地図をどうぞ。
左に赤い点を打ったのが、上の町の地図で見て頂いた、私はここ、の位置で、
上に考古博物館と市役所の囲いがあり、

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右下のNecropoli di Monterozzi・モンテロッツィのネクローポリ(墳墓)
とある道の東南一帯、こに古墳群があちこちに広がり、見学できますが、

赤い印のある場所から東北東に3k弱の位置に、レジーナの寺院・
Ara della Reginaと呼ばれるエトルスク神殿の発掘場所があり、

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「レジーナ」というのは、現在ディアーナ・Diana(ダイアナ)と呼ばれる
神だろうと推測されるそうで、
 
ここの発掘現場で、1938年地下3mの深さに埋もれていたのを、
考古学者ピエトロ・ロマネッリ教授・Pietro Romanelliにより発見されたもの。

100以上もの破片になっていたのを修復したのだそうで、
まさにエトルスク芸術の逸品と言えるのではないでしょうか?!
この馬以外は、残念な事に何も救えなかったそう。
       
寺院があったとされる位置は、写真内、長方形の敷地内の奥でもあったでしょうか。



で、かってどこにこの馬達がいたかというのですが、
この様に寺院の正面、屋根の下3角形の部分の左端に、後ろに2輪の馬車を
引いた形で、木の梁部分に打ちつけられていた、と。

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こちらのYoutubeを是非ご覧ください!
https://www.youtube.com/watch?v=GCHEVN6hGiw
最初にロマネッリ教授が発掘し、感激しながら取ったスケッチ、
破損した馬の頭の見事なスケッチなども写りますので。



斜め前からの馬の胸の厚みはこんな様子。
       
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で、上のYoutubeで、1938年当時の修復以来、この有翼の馬は2度目の
修復作業が2000年から行われたのも見ることが出来ます。
これは2007年夏発掘以来初めてタルクイニアを離れ、ローマのヴィッラ・ジューリアの
国立エトルスク博物館・Museo Nazionale Etrusco di Villa Giulia
でのお目見えの前に行われた物。

その内容に付いては、http://www.arsetfuror.com/r4Restauri05Art2.htm
「修復と・・その周辺・Restauri e Dintorni」
で知る事が出来ましたので、興味深い部分をご案内致しますね。
サイトには修復中のの写真も載っており、これも興味あるもので、是非どうぞ!



この修復に当たったのはイングリッド・レインデル女史・Ingrid Reindellで、
テラコッタの表面を綺麗にした所で分った色は、元は黄土色だったのが、
もう少し赤みがかかった色であった事、
そうなんですね、この馬たちは彩色されていて、Youtubeでも部分的に赤色が
残ったのが見えましたし、

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私は昔、以前の古い黄土色の馬の写真を見て以来、照明で光っていたのを、
ずっと黄金の馬かと思い込んでいたのを告白致しますです、へっへっへ。



馬の背後から、テラコッタを焼く際に出るガス抜きの為の小穴も見えるそう。

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馬車を曳く引き綱が後部に少し残っているのですが、
赤と濃い色(青か紫かな)と間の明るい色との3色なのも分りますし、
そう、尻尾の毛が結わえられているのも見え、楽しくなります。

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見える黒い丸は、背後の梁に打ち付けられていた釘で、最初の修復では
ボルトで留められていたのが、その後の発掘調査で似た釘が出てきたので、
それを模したものに変えられたそう。
破片類も新しく接着しなおされた様で、以前より0,5mm低くなったとの事!



こちらは博物館に展示されていた、多分こういう色に彩色されていたのではないか、
という復元想像図で、

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古墳内で見た色鮮やかなフレスコ画などと同じく、
きっと晴れやかに天を駆ける馬達の姿だったのでしょう!!


そうそう、博物館廊下に古墳内のフレスコ画のあれこれを撮った写真パネルの
大きなのが2枚展示されており、
Takashi Okamura タルクイニアの写真家、と日本人名が掲載されていたのも、
嬉しくご報告を。

また博物館内でたくさんの素晴らしい壷絵なども見ましたが、ギリシャの壷絵と
良く似た描写で、古墳内のフレスコ画や像の顔などはギリシャとは違う様式が
はっきり見えるのですが、壷絵は違いが良く分りませんでした。

それにどれも大変素晴らしい線、形で、どうしてこんな風に描ける?
イタリアの焼き物などは下手丸出しのもたくさん見るのにと、失礼、ははは、

長年の疑問だったのですが、ガイドさんに型紙を使っていたのだろうか、と質問し、
多分そうだったろうね、と同意を得て納得の部分もありましたぁ。
       


そんなこんなで大いに満足し博物館を出て来ると、城壁外のバスの
集合時間まで少しあり、ではあの奥に見える建物まで行こう!という事になり、

ゆるゆると坂道を上ってきた広場で、向こう半分は修復され綺麗になっているのが、
市役所の建物で、手前14世紀と17世紀のものと。

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壁に見える大きなアーチはロッジャを兼ねている様子で、階段の上には教会が。

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これは広場にあった、円柱を持つ大きな噴水で、

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土地の段差を利用し、噴水の奥にこの教会。

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市役所の建物の真ん中のアーチは、こんな風に通り抜けとなっていて、
       
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ここを抜けて行くと町のいわば旧市街だそうで、時間がなく行けなかったのが残念。
たくさんの教会と塔と城壁と古い町並み、またいつかゆっくり訪問したい町のひとつ。



ロッジャの上から見通す博物館前の広場、そして遥かに海!
       
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この後はバスの集合場所に急ぎながらも写真を撮り、一人が集合時間お構いなしで
のんびり撮るので、例によりタータがね、最後はバスが見えた時点で走り、ははは、
       
タルクイニアの有翼の馬と、ちょっぴりの町案内でした。


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・ ヴィッラ・ランテ ・ ラツィオ州バニャイア

今回のタイトルをお読みになって即、ああ、あそこか、とお分かりになる方は、
かなりと言うか、大変に通の方! と思うのですが、
ここにはイタリアでも有数の庭園を持つヴィッラがありまして、はい。

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首都ローマのあるラツィオ州ですが、北部に位置するヴィテルボ・Viterbo周辺を
4年前の春に訪問、ヴィテルボはそれ以前にも訪問しているのですが、
余りにも見所の多い土地、街町で、ご紹介できたのはほんの少し!
で、ずっと私めの宿題になっておりました。
が、この春再度ラツィオ訪問のチャンスが訪れそうで、前の分を消化しておかないと!
とお尻に火がつき、ははは、頑張って写真整理、検索に励んでおりま~す。

という事で、今回はヴィテルボのすぐ東にある町バニャイア・Bagnaiaの
ヴィッラ・ランテ・Villa Lanteのご案内を。

上と次の写真2枚は、バニャイアの町の広場で、なんと名前がない!

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というよりも、かっての町の中心は見える塔の、脇にある門をくぐった中にあり、
この前の道をヴィテルボからのヴィア・フィウメ・via Fiumeが通り抜ける、
という場所なのですね。

追記です。 シニョレッリさんが役場で貰った地図に「9月20日広場・
ピアッツァ・ヴェンティ・セッテンブレ」 と書いてあると教えて下さったので、訂正を。
シニョレッリさん、いつも有難うございます!



地図をどうぞ。 バニャイアの町はヴィテルボから東に5Kmほど、緩やかな坂道を
上った所にあり、中世のローマへの巡礼道のヴィア・フランチージェナが通っていた町。

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南にあるカプラローラ・Caprarolaには、素晴らしいファルネーゼ家の城と
庭園があり、ここは既にご案内済み。
ヴィーコ湖・Lago di Vico一帯も含め、ヴィテルボから南西に50kほどの、
ティレーニア海に近いタルクイーニア・Tarquiniaにはエトルスコの一大墓地群があり、
この町の博物館で見た有翼の馬の像も素晴らしかった!ので、
ぼちぼちご案内できると良いなと思っています。
       
今日は皆さんにも良く分って頂ける様、不足の写真をサイトからかなり拝借し、
shinkaiのサイト名のないのが、拝借した写真です。

カプラローラ ・ ファルネーゼ家邸宅のある町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467764132.html



地図だけでは分り難いでしょうから、上空からの写真もどうぞ!
これ素晴らしいでしょう?!

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北上に、谷に突き出す形で見えるのがかっての町で、
左上に見える谷を渡るアーチ型の道を左に行くとヴィテルボの町で、
町に入って四角に見える広場が上の写真で見て頂いた広場。

手前に四角く見えるのが庭園の一番下部分で、山腹に沿い、左側一帯にも
ずっと広く広がります!



町の広場から上り坂の道の奥に見える庭園の門。

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さて、坂道を上り、庭園に入って頂きましょうか。
この庭園の開園時間と値段ですが、月曜休園で、夏は9時から19時半、
冬は9時から16時半。入園料は大人2エウロ、シニアまたは学生1エウロ。
       
ラツィオ州の博物館に付いてのご案内サイトは
http://www.polomusealelazio.beniculturali.it/



上の写真で見えた門は中央の門で、現在の入り口はその右側にあり、

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入ってまず見えるのは、土地の段差を利用したペガサスの泉。
大きな円形の泉の真ん中にペガサス・翼を持つ天馬。



泉の右に見えた階段を上がるとこんな感じで、庭園内にある並んだ建物
2つの内の右側のと、

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右一帯に広がる林と言うか、広大な庭部分。
人々がゆっくりと散策を楽しみ、日向ぼっこをしたり・・。

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上の写真に見えた右の建物の脇にある門を入ると、奥にもう一つ、
良く似た建物があります。

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これは手前建物の窓部分の装飾とフレスコ画で、上に見える四角い網の目は、
殉教した聖ロレンツォが炙られた格子を現しており、教会への忠誠を示すものと。

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2つ並んでよく似た建物があると言いましたが、右はこの庭園を造った枢機卿
ガンバラ・Gambaraの名を冠し、パラッツィーナ・ガンバロと呼び、
30年ほど後に建てられた奥を、パラッツィーナ・モンタルトと。



覗きこんだガンバロ小邸の、内部装飾のフレスコ画。

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で、見れなかった、撮れなかった部分をサイトで見つけると、
なんと真ん中に描かれた風景は、カプラローラにあるファルネーゼ家の城と庭園!!

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ファルネーゼ家の城と庭園建設が改めて再開されたのは1559年で、
こちらヴィッラ・ランテの前身が建設され始めたのは1511年。
で、ガンバラ枢機卿が多分建設途中の物を手に入れ、1566年に一応完成を
させたものの、亡くなった1587年までずっと続いた様子で、

同じ枢機卿同士の行き来もあったでしょうし、近くですし、
素晴らしい庭園や城を見て描かせたのかも、と想像します。
   
そしてなんと、設計建設が同じジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラ・
Giacomo Barozzi da Vignolaである事にも、気がつきました!

ガンバラ卿の没後はヴィテルボの聖職管理職・枢機卿でもあった
アレッサンドロ・ペレッティ・ディ・モンタルト・Alessandro Peretti di Montalto、
シスト5世教皇の甥、14歳で枢機卿に任命され、当時僅か17歳だった
モンタルト枢機卿が後を継ぎ、工事を完成させ、2つ目の小邸にその名を残します。



こちらは小邸のロッジャ部分で、真ん中に上のフレスコ画が見えます。

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これはチラッと修復中の建物内に入らせて貰った時、写真禁止と言われたのを、
厚かましくパッシャッとやりまして、へへへ。
時代が後のが分る繊細な装飾文様でしょう?!

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こちら、庭園全体の様子が分かる写真を探しました。
外の広い林部分は別として、内側庭園はこんな感じ。

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刈り込まれて模様を形作る低い植木もですが、上から水が流れ落ちながら
次々と様々な噴水で遊ぶ、その様子が見所だと思いますので、

今回はshinkaiが見たのとは順序を逆にし、水が流れ落ちる順に上から、
つまりかっての貴族達が楽しんだ様を皆さんにも!!

という事で、こんな椿の咲く小道を一番上まで上って頂きますね。

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上には、こんな東屋があり、

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軒下の壁にはっきり浮き彫りの海老が見え、下にDE GAMBARA・デ・ガンバラと。
       
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反対側には、JO FRAN CAR、つまり左右を繋ぐと、
Francesco Cardinale Gambara・枢機卿フランチェスコ・ガンバラ、と
この庭園造りに情熱をこめた枢機卿の名!



ロッジャというか、東屋と言うか、中の壁にもフレスコ画があり、       
芸術の女神、多分、と鳥と植物、優雅ですねぇ!

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さてこちらが枢機卿フランチェスコ(1533-1587)
ジョヴァンニ・フランチェスコ・ガンバラと言い、ブレーシャの貴族出身。

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バニャイアの土地は13世紀から教皇領で、近くのヴィテルボの司教に恒例的に
管理が任されていたのだそうで、
このヴィッラ・ランテの建設が始まったのは多分1511年で、一応の完成を見たのは、
ガンバラ卿によって1566年と。

普通ヴィッラには建設者の名がついて残るのが一般的で、後に持ち主が変わった
場合は、並んで名がつくのですが、
なぜかここはヴィッラ・ランテと、建設後100年にして持ち主となった
ボーマルツォ公爵のイッポリート・ランテ・モンテフェルトゥロ・デッラ・ローヴェレ・
Ippolito Lante Montefelrto della Rovere, Duca di Bomarzo
の名のみが残ります。

ボーマルツォと言うと怪物公園で有名ですが、
n.1 ボーマルツォの怪物公園
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467762980.html

n.2 ボーマルツォの怪物公園 と 町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467763742.html

ウィキでも余りガンバラ枢機卿の事が分らなかったのですが、ひょんな事から、
ヴィテルボの時代に活躍した異端裁判官であったらしいのが分かりました!

それに、ヴィテルボのドゥオーモ、サン・ロレンツォ聖堂の上にもやはり、
Io Giovanni Francesco Cardinale de Gambara と彫り込んでいる事も!
 
異端裁判官としては、かのミケランジェロがあがめた
ヴィットーリア・コロンナにも矛先を向けた男だった様で。
現在は歴史の中に埋もれた様な枢機卿ですが、そんなこんなで、
案外に皆が記憶から消したかった名前でもあったのかと思った事でした。
       
  
       
さていよいよ一連の水の遊び、水運びの様子ですが、
   
一番上にあるのがこれ、
フォンターナ・デル・ディルーヴィオ・fontana del diluvio.

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町の背後にあるチミーニ山系から、傾斜を利用して運ばれて来た水は、
岩を装ったアーチに隠され、ここから徐々に流れ落ちます。

手前の水槽にちらっと見える岩は、泳ぐイルカたちで、



これはその前にある4面像!

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そして、そのも一つ手前にある噴水。
 
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この海老をかたどった形から、海老の手、ハサミをかたどった細い通路を、
水が流れ落ちて行きます。

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水路の写真は下から眺めているのですが、分りますね?



そしてフォンターナ・デイ・フィウミ・fontana dei fiumi・川の泉。
または巨人の泉とも呼ばれる様に両側に巨人像があり、幾筋もの水が流れ落ち。

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で、この細長いプールを挟んでのテーブル状の物は、
メンサ・デル・カルディナーレ・Mensa del Cardinale・枢機卿のテーブル。

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夏の外での宴会の折には、この水の流れに食物や飲み物を浸し、
水面が反射してクリスタルのようだった、という枢機卿のテーブル!



テーブルの終りは、こんな風に口を開いた男から水が流れ、

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最後の大きな水の遊びは、フォンターナ・デイ・ルミチーニ・
fontana dei lumicini・小さな明かりの泉、
70ある噴水の元が蜀台の形をして、噴水が煌くという訳ですね。

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これらの素晴らしい水の様々な遊び、細い水の流れから滝のように落ちる、様々な
調和の遊びは、全体の設計をしたヴィニョーラが、シエナから水の設計専門家である
トンマーゾ・ギヌッチ・Tommaso Ghinucciを自分で呼んだのだそうで、
彼の天才ぶりは今もここにこうして健在!



この辺りから漸くに下の庭、刈り込まれた植え込みと、真ん中の四角い泉が
良く見え、左側から順に、

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この植え込みは、フランスのフォンテンブローや、サン・ジャン・アレーの城と同じ、
まさに最初の花壇の造り手たちの手になるものなのだそう!!
       


植え込みは背の高いものではなく、中には入れませんが、
ご覧の様に木が傷んでいる部分があり、少し痛々しく・・。

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こちらの写真のように、多分建物の中からでしょうが、これ位高い場所からだと
植え込みの模様もはっきりで素晴らしい!

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ガンバラ・Gambara・海老という枢機卿の姓から、紋章にも海老がありましたが、
水の流れの囲いにも、そしてこの植え込みにも、海老らしい形が見え楽しい!

イタリアで一番素晴らしい植木の迷路 ・ ラビリントを
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467389643.html       



真ん中に見える四角い泉は4つに仕切られ真ん中に丸い噴水があり、
植え込みからそれぞれに道が付き、通れる様になっているのが見えますが、
四角く区切られた泉のそれぞれに小舟が浮かび、中に人型もという芸の細かさ!

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真ん中の丸い泉は2段になっていて、真ん中に4体の人物が腕を差し伸べていて、
shinkaiが見た時はこの修復前の姿だったのですが、

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現在は梨でもあり山の形でもある、モンタルト家のシンボルを支えた姿に修復済み。

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この泉はフォンターナ・デイ・モーリ・Fontana dei Mori・と呼ばれ、
1597年に教皇クレメンテ8世がお越しの時に、当時の持ち主であった
モンタルト枢機卿が取り付けたものの様子。



というイタリアでも有数な庭園のご案内でしたが、お楽しみ頂けたでしょうか?

実はこの下に見える古い町の中もちょっとでしたが見て、その中世が残る
古さの壁や建物にも魅せられました。

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が今回はあれこれ読むのに疲れまして、ははは、町のご案内はまたのチャンスに!


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