・ ウンブリアの春 n.3 ・ アッシジに再会の日

今回の「ウンブリア旅行」と言うより「アッシジ再訪」は、かなり唐突に、
1ヶ月ちょっと前に決めたのでしたが、
いざ決めると、ほんわりと心の底から嬉しさが湧いてきて、
くしゃくしゃになっていた車のクッションも洗い、古くなって糸の綻びていた
いつも使っている財布もつくろい、ははは。
 
車の免許を取ってすぐに、初めて一人で運転して出かけたアッシジを想いだし、
7年ぶり6度目のアッシジ訪問は、あの道を通って!と決めたのでした。

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7年ぶり6度目の訪問、と書きましたが、初めての訪問は日本からの旅行の
1984年ですから、なんと31年前の事で、3度訪れていて、
その後の2度がイタリアに住むようになっての事。
なんとも静謐な町の良さにとても惹かれているのですね。

上の写真は、そうして土地の道を通って行き、
初めてアッシジの姿、サン・フランチェスコ聖堂が見えた時!

やはりこの町の姿は美しい!!



レンズの向こう、山に迫る形でサンタ・キアーラ聖堂も!

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緩やかな坂道を下り、アッシジに向う県道との合流点に出ると、
同じサン・フランチェスコ聖堂がこんな威容を!

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8年前に初めてこの道から見たアッシジの町、そしてこの道から見る
サン・フランチェスコ聖堂のこの威容、要塞とも見まがう程のこの威容に
ただ驚いたのでしたが、

今回はちょっと道が違っていたのもあって、聖堂の威容より先に、
山腹の緑の中にゆったりと広がる町の姿が見えたのでした。



旗の立っているのが見えるのはサン・フランチェスコ門。
門の脇に信号があって、今、赤になっているのが見えますか?

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この写真の右下広場に地下駐車場があり、一般車は町の中に入れませんが、
ホテルへの鞄の乗せ下ろしはOKで、この理由で後ほどshinkaiめも、
あの信号の門を通り、すぐ左に折れての坂道を行き、
サン・フランチェスコ聖堂前の広場に出て、ジャ~ン、
そこから右に坂道を上りサン・フランチェスコ通りのホテルにね。

狭い道の多いアッシジの町は殆どが一方通行で、サン・フランチェスコ通りも
東行きのみですから、ホテルへ荷を降ろした後は、町の中心のコムーネ広場
まで行き、この広場は通り抜けできず、西からも東からもここで筋違いの
一方通行の道で折り返す事に。

で、西からの道はコムーネ広場から山の手の細い道をず~っと行き、
サン・ジャコモ門の前から曲がって下り、再びサン・フランチェスコ聖堂前広場
に出て、ジャ~ン! ゆるゆると下って下の駐車場に、という事に。

ですから、この度もshinkaiは、サン・フランチェスコ聖堂前広場を2往復、
4回も車で通っちゃったんでありますぅ、うひひ。

てなことで、まずはホテルに鞄を下ろしチェック・インし、駐車場に戻り
5日間のカードを作ってもらいましたが、
7年前より一日に付き確か2エウロの値上げで、一日12エウロに!
     
  

こうしてゆるゆると再度、今度は歩いて坂道を辿り、
見えてくるサン・フランチェスコ聖堂の正面側。
この道の右に曲がった奥に、下から見えたサン・フランチェスコ門。

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最初に目に入るポスター、
右、アッシジのカレンディマッジョ 2015年5月 6.7.8.9
左、カレンディマッジョの期間限定タベルナ・簡易食堂オープン

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そうなんです、この春アッシジに行こうかと考えた時、
即、ではもう一度カレンディマッジョのお祭りを見よう!と。
あんなに楽しんだお祭りの切符も予約し、いそいそと出かけてきた、という訳です。

アッシジ 春のお祭り、カレンディマッジョ 2008年その前夜
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461552319.html




サン・フランチェスコ聖堂前広場。
青空の下、聖堂の変わらぬ簡素で典雅な美しさ、集まる参拝の人々。 

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ここに来る団体の多くは、僧侶、尼僧に導かれていたり、
広場でも出会う僧侶達に説明を受けていたり。

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まずはコムーネ広場の観光案内所で、予約した切符を受け取り、
席を確かめておこうと行きますが、

これがまたコムーネ広場直前のヴィア・ポルティカが凄い坂道で!
おまけに春の修学旅行の子供、学生達で溢れかえっているのです。

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コムーネ広場の西の端にある、市の観光局、インフォメーション。

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1ヶ月前に予約し、写真を撮りたいので一番上の列の一番端の席を、
と頼んでいたのが思う様に取ってくれておらず、それを言うと、
もう売り切れなので、ダメなら返金します、という強気の姿勢。

上の方の席ですよ、と自分で上がって座って見せたりで、
よし、通路の一番上の席に座れば良いのだ、と了解。

翌日からのお祭り開催で、はは~ん、と分ったのは、中央の良い席は
まず全部町の人々が占め、圏外、観光客の飛び入り用に、
脇の区画が取ってあるんだという事。
       
まぁ、町の人々が主催、参加し楽しむお祭りではあるので、分からない事では
ないですが、せめて4日間通しの切符を買った者には配慮しても良さそうなもの、
と思ったのは確か。



コムーネ広場の塔とミネルバ教会。

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塔には、お祭りの主役の旗、下の区域の赤と、上の区域の青の旗が下がり、

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桟敷席も既にこんな風に準備万端ですが、

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ミネルバ教会前の舞台ごしらえの方は、トントンカンカン。
  
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コムーネ広場の東側にあるこの泉、周囲のバールやカフェにもたくさんの
人々が群がり、お祭り前日のなんともざわついた雰囲気。

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町の東の端にあるサンタ・キアーラ教会に向いつつ、
あちこちの小路を覗きながら、変わっていないのを確かめつつ・・。

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サンタ・キアーラ教会前。 ここも変わらず清楚で可憐な正面。

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ちょうど小学生達が、聖堂から出て来て記念撮影中。

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教会前広場からの眺めも変わらず。

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いや、この下にやはり大きな地下の大駐車場が出来、そこからのエスカレーター
がこの広場に連絡していて、その屋根が右端に見えるので、
写らないように気をつけて。



そうそう広場の端には、こんなメリーゴーランドもね。

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変わっていないと思うのは、広場から見晴らす平野の眺め。

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コムーネ広場からまたまたこんな急坂の道を上り、

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サン・ルフィーノ聖堂前に。 こちらがアッシジの町のドゥオーモ。

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で、サン・フランチェスコ聖堂はバジリケ・パパーリ・Basiliche papaliと
呼ばれる6つの聖堂の一つで、

そのうち4つがローマにあり、その一つにサン・ピエトロ聖堂も含まれるほどの
ローマ・カトリック教会での最上の格付けで、
ローマ以外の二つの一つがサン・フランチェスコ聖堂で、
もう一つがアッシジの下の町サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリの聖堂で、
前教皇ベネデット16世の時より加わりました。



正面扉の前で何か作業中なので、寄ってみると、

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こんなお祭り用の輪を製作中。 使われている枝はローリエ、月桂樹の枝。

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聖堂前の店前、黒い子犬が籠の中に入っていたのを、観光の子供が大喜びで
撫で回し、草臥れて外に出て来たワンちゃん。
見ましたら、この上地区のスカーフを首に巻いており、ははは。

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山の上の要塞にはさすが上りませんでしたが、一応西から東までの町の
偵察をし、ははは、再度町の西の端下サン・ピエトロ教会前まで戻ってくると、
太鼓の音がするので、もしやと・・!
そう、やはり下の地区の太鼓隊のメンバー達。

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ですが、盛んに太鼓を叩いているのは、こちらのチビ君2人!
結構ちゃんとリズムを取リ、小さい方も負けていないのですね。

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後ろに見えるのが、この2人のお父さん、ほら、お兄ちゃんの眉と目、鼻が
そっくりでしょう? お父さんも太鼓を下げる皮具をつけているので、
きっと彼らも揃って、太鼓隊のメンバーに育っていくのでしょう。



夕暮れ迫るサン・フランチェスコ聖堂前に再度。
平野の手前、大きな糸杉の足元の祠が見え、

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暮れかけた聖堂のライト・アップが始まります。
右手前の銅像は、フランチェスコの帰還と。 若き日、ペルージャとの戦争に
出かけ負傷し、意気消沈しアッシジに戻ってきた姿。

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この後ライト・アップされ、変化してゆく聖堂の姿を追ったのでしたが、
この上の道では、下の地区のお祭りの準備が進み、今夜は大予行演習と
聞きましたが、

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長い一日に疲れ果てたshinkaiは、漸く宿に戻る事に。

はい、7年ぶりのアッシジに再会の日は、こんな風に暮れたのでした。

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・ ウンブリアの春  n.2 ・ 要塞化された小さな村とワン君

ウンブリアから戻って以来、ずっと気持ちに小さな引っ掛かりが残っているので、
今日はそれを含めてみてやって下さいね。

旅行最終日アッシジから家に戻るのに、久し振りのグッビオにも寄ろうと思い、
それも自動車道ではない土地の道を辿りました。

で、突然出合ったこんな要塞化された小さな村!
ずっと丘や山道を行く道中、パッと目の前に現れたので、驚いて車を止め、
偵察を、ははは、する事に。

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上の写真だけではちょっと印象が伝わりにくいかと、サイトから拝借してきた
写真がこちらです。

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お分かりでしょう? 単なる廃墟ではないのは車がたくさん、といっても
城壁の前に10台もあったかですが、並んでいますし、
私のすぐ後からやってきた車も止まったのですね。

写真右手前に見えるのは、第1次、第2次大戦で戦った
この村の戦没者慰霊碑だそう。



サン・グレゴーリオ・San Gregorioという村であるのは、門の前に書いてあり
すぐ分りましたから、家に戻ってから検索をかけました。
アッシジから14kほど、車で20分ほどの距離。

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村の入り口の門、跳ね橋があった事が分る切れ込みと、
塔の上からは矢や石を投げた事が分る造り!

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この塔に続く左の壁、家の扉が2,3あったその一つの扉の前に
ワンチャンが座っていたので、いつものように、チャオチャオ!と挨拶し・・。



後から来たシニョーレが門の中に入っていくのを見、その後もう一人の
シニョーラも入って行きましたし、門の右奥からは、賑やかな子供達の声も
聞こえるので、shinkaiもね。

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細い上り道の小路が奥に続くのが見え、ゆっくりと辿ります。

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ふと振り返ると、さっきのワンちゃんが門の所から私を見ているのが見えるのです。

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写真はすぐ傍からではなく、かなり遠くから撮り、切り取ったのでピン甘ですが、
警戒監視中ではなく、なんとも寂しそうな顔に見えません?

今までの人生で、いや、犬生で、一度も楽しい事がなかった様な、
一度も笑った事がないと言うような顔の雰囲気が最初からして、
気にかかったのでした。



住んでいる人のいることが分る、かなり立派なお家とか、

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横の小路を覗くと、城壁らしきもの!
左手前の家の扉丈夫、庇代わりに布が掛けられていて・・!  

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小路を辿ると 、こんな感じの壁が2方に。 

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きっとかっては単なる壁ではなく、家並みが連なる窓で、
現在は内庭みたいに見える場所も狭く塞がっていたのでしょう。


どんな村だったのか調べましたら、海抜279mにあり、アッシジとペルージャ・
Perugiaとの境界線に近く、現在の住人は10人前後!

村の最初の記録は、1114年にアッシジのサン・ルフィーノ教会
・現在のアッシジのドゥオーモの、レトゥオーネ・Letoneという多分教会の長に、
この村が贈られた、と言うもので、
きっとこれは教会に保護を求めたものだったのでしょう。

1232年には約150名がこの村に住んでいたそうで、村は要塞化されます。
ペルージャとの国境近くで常に抗争が絶えず、かのアッシジの聖フランチェスコ
(1182頃-1226)もペルージャとの戦争で負傷し戻っている時代。

村の周囲を壁で囲み堀を巡らし、入り口の門には跳ね橋ですね。
それでも1320年、1382年にはペルージャの支配下に落ち、とはいえ
ずっとアッシジ側であったそうで、1479年には更に厳重に要塞化され、
現在もよく残っていると。 まさに!
       


元の真ん中の小路に戻って振り返ってみると、あのワンちゃんが道の真ん中に
座ってこちらを見ていて、写真では、ちょっと首筋を掻いていますが・・、

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この後シニョーラが通りかかると、パッと飛び退くのですね。
何もされず、言われもしないのに、です。
こんな仕草を遠くから見て、ちょっと哀しくなったshinkai。



小路の突き当たりまで行って見ると、奥にも壁が見え、

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まさに中世がそのまま残っているような小さな村!
奥の小路からゆっくりと町の門に戻ります。

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サイトによると、この村では村の人々による、参加者もあるのか、
プレゼーピオ・presepio・キリスト降誕のシーンを人形等で現す、のを
生きた人間で表現する、のが行われているそうで、
さぞ雰囲気が良いだろうなと思った事でした。

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門の所まで戻ると、最初の扉の脇にあのワンちゃんが座っていて、
旅行中のクラッカーや干し果物があったのを思い出し、隣のお家の扉前にそっと。
それでも逃げ腰になるワンちゃん!

私が戻るのを見て傍により、匂いを嗅ぎましたが食べず・・。
お腹が減っていないとか、菜食はしないぜ、というのなら結構、
と思い出発しましたが・・。

家に戻っても、ずっとあのワンちゃんの事が、あの目、あの顔が浮かびます。 
幸あれかし!



最後の写真は、村からもっと先の行程ですが、グッビオへの山越えでの、
ウンブリアの緑の山々。 まさに、目に眩しいほどの緑、緑でした!

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・ ヴィッラ・カルロッタ ・ コモ湖の別荘、庭園を

そちら日本はゴールデン・ウィークが始まっていますね。
爽やかな新緑の候、あちこちお出かけの計画がおありの事と思い、
こちらも負けずに、ははは、

先日のコモ湖旅行で訪問したヴィッラ・カルロッタ・Villa Carlottaの
素晴らしい庭園をご覧頂こうと思います。

写真は、午後素晴らしく晴れ上がった中、べッラージョから対岸に渡るおり、
見えてきたヴィッラ・カルロッタ。

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ヴィッラ・カルロッタはどこにあるか、地図をどうぞ。

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コモ・Comoから遊覧船に乗り、途中右、左と各停留所に停まりつつ、
べッラージョ・Bellagioまで2時間。
ここで船をおりてお昼解散となり、午後再度集合し乗船、
対岸のVilla Carlotta(Tremezzo・トゥレメッゾと同じ停留所)に渡り、
船着場のすぐ横に、このヴィッラ・カルロッタがあります。



上の写真左に見えるお屋敷がそれですが、
見えてくる庭園の様々な色!傾斜地に沿っての様々な新緑、花の色が見事。

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そして、お屋敷の正面を通りすぎ、

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停留所から入場口に。 見上げる像とお屋敷。

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さて、ヴィッラ・カルロッタにその名を残すカルロッタ・Carlottaなる方ですが、
プロイセン貴族の美しい方。

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やはりちょっとは、どんな方だったか知りたくなりません?

正式名は、Friederike Luise Wilhelmine Marianne Charlotte
von Preußen はい、読める方はどうぞ、ははは、
1831-1855年、1850年ゲオルグ2世公爵と結婚したものの24歳の短い生涯、
音楽の才があり、幾つかの作品も残しているそう。
恋仲で結婚した夫との間に4人の子を出産後に亡くなりましたが、 
この別荘は、彼女の母親からの結婚の贈り物だったのだそう。

ところでこのカルロッタの母なる方、オランダの王族出身で
マリアンネ・フォン・オラニエ=ナッサウと言い、プロイセン王の第4王子と
1830年に結婚、カルロッタを長女として1男3女が生まれますが、
1845年に浮気者の夫から逃げ、元御者の愛人と暮らし始め、
やったぁ! ははは、歴史ゴシップ大好きshinkai! 

1849年には正式に離婚が成立したと言うのですが、先進的夢想的な女性だったとはいえ、
不義はお家のご法度、その後宮廷生活からは完全に閉め出され、
イタリアとドイツで暮らしたそうで、それでこの別荘との関係が分りますね。 
       


広い広い庭園とはいえ、植木を刈り込み幾何学模様を描き出した庭園ではなく、
世界各国の植物を集めた庭園でして、

こんなオレンジとシトロンのトンネルもあり、下を通り抜けつつ、
オレンジの爽やかな良い香りを吸い込み、

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木立ちの隙間から、コモ湖の美しい湖面が見え、

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後にしてきたべッラージョの町も!

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ちょうどツツジの花が咲き始めた所!!

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傾斜地に広がる庭園の間を小道が縫い、

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小花たちが、それぞれ色を競います。
これらの花は毎週一番良い状態のものに取り替えられるのだそう!

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きっと南の国から来たのであろう植物も見え、

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こちらはシダの谷と呼ばれる、自然の地形を生かし何十種類ものシダが生息して
いるそうで、湿気を保つ為、定められた時間ごとに各所から噴霧されるのだと。

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庭園全体でと思うのですが、12人だったかな、の庭師が常に働いているそうで、
やはりそれだけの手間をかけてこれだけの植物庭園が保たれているのですね。



これはメタセコイアの樹、初めて見ましたが、顔が見えているのがコモのガイドさん。

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メタセコイアの樹の葉は樟脳と同じで、拾った枯葉を揉むと
ツンと樟脳の匂いがし、箪笥にいれると虫除けになるそう。

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足元、小路に出ているポコポコゴツゴツの木の根。

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もともとのこのヴィッラは17世紀の終りに侯爵ジョルジョ・クラリーチ・Giorgio
Clariciが建設したもので、大きくとも他のこの地の別荘に比べ地味なものだったそう。
それを次の持ち主ジャン・バッティスタ・ソンマリーヴァ・Gian Battista Sommariva、
彼は企業家で政治家、ナポレオンの友人、美術の収集家だったそうで、
19世紀の初めにここを買取り、庭園の改修をし、屋敷内にコレクションを。

そして結婚の贈り物としてカルロッタの母親が買ったわけですが、
カルロッタの夫のサッソーニア・マイニンゲン公爵が植物学に大変情熱を持った方で、
現在の形に仕上げたのだそう。
7万平米を越す敷地に、ツツジや石楠花だけでも150種を越す種があるという、
素晴らしい植物庭園なのですね。



庭園の小路を辿りながら高い位置に行くと、こんな感じ。
長い年月を経て、様々な樹が大きく育っているのが良く分かります。

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こんな可愛い細工も、まぁ、許せますね。 中に見える青い小花は忘れな草。

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忘れな草が上手く撮れなかったので、これはつい先日撮った、我がコンドミニオの
庭に咲くものを。 お隣のシニョーラ、ヴェネリタはお花育てがとても上手で・・。

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忘れな草のイタリア語名はNontiscordardimé・ノンティスコルダルディメ、
同じ題名の有名なカンツォーネがありますので、古き良きイタリアを偲び、どうぞ!

リフレインで歌われる歌詞は
  non ti scordar di me   私を忘れないで
  la vita mia legata di te   私の人生は君に結ばれている
  c'è sempre un nido nel mio cuore per te
  私の心にはずっと君の為の巣がある
  non ti scordar di me    私を忘れないで
ああ、イタ男!



所々に置かれたベンチに座り、

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コモ湖の素晴らしい風景を。

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赤い椿の長い生垣もあったのですが、まだ蕾が多かったので、
ひっそりと咲いていた椿2種を。

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庭園地図を見ても、我らが歩いた何倍もの広さがあり、植物好き、お花が好きな
方には見飽きないと思いますが、我らはお屋敷内の見物に。

これは優雅で上品な1階の部屋の天井、

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こちらは居住区だったと言う2階の、素晴らしい天井画で、吊るされたランプも
素晴らしかった!

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と、ひとまずお部屋のイメージをご覧頂きまして、はは、



ここのコレクションに、アントーニオ・カノーヴァの作品があり、
この男性像は全身の大きなものでしたが、バランスが少し危ういかもと、
この部屋に運び込まれたままなのだと。
       
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いかが、素敵なお尻でしょ?! 



マグダラのマリーア。 暗い部屋、後ろに鏡という舞台装置。 

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プシケの愛。 プラトニック・ラヴで、近寄るだけで接吻できないのだとかなんとか、
ガイドさんが熱を込め説明を。
本物(第一作?)の他に、3つほどコピーがあるとか。

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これは可愛い作品でした。

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他にもアイエツ・Hayezの「最後の接吻・ロミオとジュリエッタ」等もありましたが、
あのアイエツの描く女性の横顔、のぺーっとした横顔がどうも好きでなく・・、
済みません、省略です。
      
A.カノーヴァ塑像博物館 ・ ポッサーニョの夕暮れ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467387849.html

アントニオ・カノーヴァ ・ 塑像博物館、テンピオ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463694164.html



屋敷の上から見る、正面入り口。
あの可愛い噴水のある小池には、オタマジャクシがうようよ!

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礼拝堂の向こう、プラタナスの樹が2本見えますね。
あれはスタンダールの「パルムの僧院」に登場するプラタナスの並木、
本をちゃんと読んだかどうかも記憶にあやふやですが、へへ、
それの現在残っている2本なのだそう。

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「パルムの僧院」に、パドヴァのカフェ・ペドロッキが登場するのは覚えており、
きっとどこかに指摘があったので読んだのでしょうが、
確かザバイオーネをご馳走になったとかなんとか・・。
うん? 誰がご馳走になったん? ・・ちゃんと読んでない事判明!



ヴィッラ・カルロッタの見物を終え、屋敷前から見るべッラージョの
ヴィッラ・メルツィ・Melzi.  ここもお庭が公開されておりましたっけ。

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背後に聳える高山は、あれはコモ湖のレッコ側の背後に辺り、
ドロミーティに含まれる山々、雪が見えます。



屋敷前の細い道を行く、真っ赤なアルファロメーオ!
そう、ガルダ湖と同じで、湖畔沿いの道は細くカーヴ続き。

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さて、コモ湖訪問を終えた我らは、レッコの宿に。

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素晴らしい景色もあれこれ見れ、もう一度と思う場所もたくさんありましたが、
う~む、あの細い道と車の多さを考えると、さて・・!


*****

ええとです、日本はゴールデン・ウィークですよね?! という訳でもないのですが、
3日から10日まで、ウンブリアに出かけて来ます。

ちょうどアッシジで「カレンディマッジョ」のお祭りもあるので、それを見かてがら
アッシジに5泊しますが、
往きにミケランジェロ・カプリオーラでミケランジェロの生家により、
まだ行った事のないチッタ・ディ・カステッロに2泊。

アッシジからは、近くのスペッロとペルージャに半日ずつ、とにかく今回は7年ぶりの
春のアッシジに浸るつもりで、戻りにグッビオに寄ろうかな、という程度の計画です。

という事で、ブログは16日までお休みを頂きます!
これが済みましたら、もう秋の日本行きまでお休みしませんので、
はい、良い収穫があるよう、願ってやって下さいませませ!

では、行ってまいりま~す!
皆さんにも、良い春の休暇でありますように!!

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