・ ラ・ロトンダ訪問 ・ 春の日 ヴィチェンツァ近郊

さて先回予告編を致しましたヴェネトはヴィチェンツァ近郊、
16世紀アンドレーア・パッラーディオ・Andrea Palladio設計のラ・ロトンダ・
La Rotonndaのご案内を。

長閑なヴェネト平野の中をバスは行き、

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ラ・ロトンダ正面の標識
  ヴィッラ・アルメーリコ・カプラ  通称ラ・ロトンダ
  (16世紀)設計 アンドレーア・パッラーディオ
  右下のマークは、世界遺産指定 1994年

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内部は写真禁止でしたので、サイトから写真をあれこれ拝借ですが、
こちらは上空からで、庭園の広さとの関係もよくお分かりと。

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どこにあるかと言いますと、先回ご紹介したヴィチェンツァの街の南に。 
駅前からバスがある筈で、

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ヴィチェンツァはヴェネツィアから75k西に位置し、ミラノ~ヴェネツィア間の幹線駅。



さて南から近づいた我らのバスの窓からの最初の眺め、建物の東側に当ります。

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バスを降り、細い緩やかな坂道を辿りますが、この辺りは長閑な景色と
温暖な空気で有名な所で、花も咲き始め・・。

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正面入り口からの眺め、

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上の庭園から。

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ラ・ロトンダの訪問は今回初めてだったのですが、今まで写真はあれこれ見ており、
その印象からなんとなくこじんまりとした可愛らしい建物、という感覚があったのが、
なんの、やはりかなり壮大な印象で、パッラーディオ独特の堂々とした大きな物。


正面入り口は北西側にあり、入り口の緩やかな傾斜地の向こう、上って来た道を挟み
見えるのは、ヴァルマラーナ家・Valmaranaのヴィッラの礼拝堂で、

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ヴァルマラーナのヴィッラはあの奥にある様子ですが、奇しくも1912年より
現在のラ・ロトンダの持ち主。

この借景というのか、これも大変見事なものですが、坂道の左側に見えるのが、
いわゆるバルケッサ・農作業用、厩舎で、
これは後世カプラ家に持ち主が変わって後付けられた物と。



入り口から傾斜道を上ってきた所の鳥の彫像、家鴨かな、なんだろ?

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こちらが庭園から見るバルケッサの裏側、というか使用側。
入り口の傾斜道の長さ、高低差が分りますよね。

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前の庭園から。北側にモンテ・ベーリコの聖堂も見え、これはヴィチェンツァの駅から
南に見上げる高さに位置しますが、木立の中に点在する大小のヴィッラも見え、
庭には引率の先生の話を聞く外国からの学生グループも。

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前庭で我らのガイドさんがあれこれ説明中だったのですが、shinkaiは勝手に
あちこち歩き回って写真を撮り、

こちらは南側。 正確にはほんの少しの違いがあるそうですが、四面共に同じ造りで、
真ん中の丸い大きな部屋から張り出した形で、6本のイオニア式円柱に支えられた
神殿様の入り口のロッジャがあり、
階段を上ってどこからも出入りでき、周囲の風景を愛でる事も。

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上はピアーノ・ノービレと呼ばれる主人の居住区域で、
1階部分は召使達の使用部、そして台所や物置部分。



階段の下を通り抜けるアーチ部分。

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現在の正面入り口である北側部分で、ここから中に入ります。

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上の三角部の下にMARIUS CAPRAと見えますが、マリオ・カプラ・Marioと
もう一人兄弟のオドリーコ・Odoricoが、1620年にヴィッラの建設を終了させたと。

後先逆になりますが、最初にこのヴィッラをパッラーディオに注文したのは、
入り口脇の標識に名の見えるパオロ・アルメーリコ・Paolo Almericoで、
この方は教皇ピオ4世、5世に仕えた書記官だったそうですが、
引退するに当たり、生まれ故郷のヴィチェンツァに住む為だったそう。

1565年に発注、翌年から工事で、1569年には住める状態だったそうですが、
パッラーディオが1580年、注文主のアルメーリコも1589年に亡くなり、
工事の完成を見ることはなかったと。

アルメーリコ、司教にして伯爵位を持つ方が亡くなった後、ヴィッラは庶出の息子が
相続しますが、これが経済破綻者で、2年後にカプラ兄弟に売り払い、
漸くに30年後の1620年、外装内装共に完成、という事です。

アルメーリコ司教は聖職者ですから独り者、庶子は居れども姓が違うので
隠し子だったのかもで、ははは、いわゆる貴族一般のヴィッラのように広大な
建物は必要なく、


このラ・ロトンダがこじんまりとした、中心に円形の広間があり、その周囲に同じ形の
部屋が四方に突き出す、いわばギリシャ十字の教会様式にも似た形で、
中心の円形の広間の天井部に丸屋根を持つ、神殿に似た形を
パッラーディオが設計したのも納得できますね。

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小高い、他から孤立した丘の上に立つ聖職者のヴィッラとしては、
如何にも相応しい形で始まったのでしたが、
ヴェネト一帯に30ほどものヴィッラの設計をしたパッラーディオの作品の中でも
最高傑作として名高く、世界各国にその影響を及ぼした神殿式ヴィッラなのでした。



という事でこの内部装飾は、後に買い取ったカプラ兄弟の趣味というか、
当時のヴェネツィア貴族の趣味で、後々にも様々に改装された様子。
中心の円形の広間と、上部のドームの内部装飾。

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パッラーディオが亡くなった後は、ヴィンチェンツォ・スカモッツィ・
Vincenzo Scamozziが、テアトロ・オリンピコを始め、パッラーディオのプロジェクトの
後を引き継いだのみならず、彼自身も素晴らしい建設をヴェネト一帯に残しておりますが、

このドームもパッラーディオは半球体を設計していたのが、スカモッツィは建設上の
問題からももっと低いものに変え、頂上部に丸い天窓をつけたのだそう。

真ん中の縦構図の写真ですが、もし写真Okだったらきっとshinkaiも撮った上部で、
あの赤を背景の彫像に光が当って、本当に美しく見えたのでした。
こういうゴテゴテ装飾は余り好きませんが、まぁ時にはね・・!

パッラーディオ設計の他のヴィッラのご案内
テアトロ・オリンピコ ・ ヴィチェンツァ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467565180.html

ヴィッラ・フォスカリ、 または、 ラ・マルコンテンタ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467561421.html


ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼール
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456543.html
       
       

どこの部屋か覚えておらず、の装飾と、各小部屋の天井装飾、一つ不足ですが。
    
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建築史上に残る、新しい建築様式を開いたと賞賛される、
素晴らしく美しいパッラーディオのヴィッラですが、
そうですね、貧乏人の正直な感想としては、ははは、実際に住むとどうだろうか、
というものでした。 
ははは、こんな感想自体、ヴィッラを観る資格がないのかもですが!

そうなんです、いつもはヴィッラ見学にこういう感想はないのですが、
何ででしょうか、余りにも正確に整いすぎていたせいなのか、
美しいけれども、丘の上にぽつんと孤高の姿というのか・・、
どこかトンチンカンな感想ですが。



東側。 こちら側は庭が広く、ゆったりで、

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この正面に当るこちらの傾斜地には、かっての馬車道と思われる生垣の植わった道が
見えましたが、現在は周囲と同じに石塀で閉じられておりました。

そうそう建物自体の向きですが、どの部屋にも均等に光が当るように、
東西南北の軸に45度の角度を持っているのだそう。



東から南にかけての、本当に気持ちの良い春の畑。 

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ヴィッラの入り口、傾斜道脇の薔薇もお手入れ中でしたし、南西の角の紫陽花も
すでにこんなに葉が育ち、 

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外国からの客人グループもスケッチをしたり。 
いやぁ、それにしても真っ白、ミルク色の肌! 

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前庭ではデンマークからの高校生が記念撮影中で、

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皆が指を突き出しているでしょう?! なんと、ははは、中指を突き出していて、
後で学生を撮っている所にこの先生がやって来て、ジュリアーナがついでに
カメラを向けましたら中指を突き出し、ははは、しっかり写っておりました。



はい、後列にいた緑の髪の子。

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彼の左のレンズに映っている赤いコートは、ジュリアーナ。 彼女が盛んに
この緑の髪を撮りたがっていたので、shinkaiめがきっかけを、とばらし、ははは。

我ら中高熟年グループは、はは、暑いとは言いながら殆どがコートのまま。
ですが、彼らは半袖Tシャツ、中には袖なしもおり!
ヴァイキングの子孫に勝てるわけがないよ、と言い合った事でしたぁ。

ラ・ロトンダの内部見学は
期間は3月16日から、11月23日まで
火曜~日曜 10時~12時 15時~18時  月曜休館

この時間は確かめていますが、2019.7.1 訪問予定前にはお確かめを。
公式サイトは  http://villalarotonda.it
       
という様な、春の日のラ・ロトンダ見学でした。


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・ ヴィチェンツァの街 と ラ・ロトンダ 訪問予告編 

この水曜にグループで、ヴィチェンツァに出かけて来ました。
ヴィチェンツァで開催中の展覧会と、街の南にあるA・パッラーディオ建設の
ラ・ロトンダ見学です。

展覧会のみと思い申し込んでいなかったのが、まだ見ずのラ・ロトンダも見学する、
バスの席がまだあるというので、2日前に急遽決めて出かけたという訳でした。

気乗りせずに出かけた展覧会ですが、失礼、ははは、
作品の幅が広く、思いがけない作家の作品もあったりで面白く、
誠に失礼をば・・、 ラ・ロトンダも十分に楽しめましたのでまた改めてご案内を、
という事で、今日はヴィチェンツァの街中の、のんびり散歩をお楽しみ下さい。

写真はバスがヴィチェンツァの街に南から近づき、モンテ・ベーリコ・
Monte Bericoの聖堂が見えてきた所。

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ラ・ロトンダのある丘のすぐ近くを県道が通っていて、バスの窓から見えた所。

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入り口の柵の隙間から。

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まさに春の素晴らしい一日だったのですが、花も咲き始めており、

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スケッチをしたり、 イギリスからのグループみたいで、

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お花を摘んでネックレスを作ったり、 やはりイギリスからの様、

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こんな緑の髪の、デンマークからの高校生がいたりで、

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ちゃんとアップで撮らせて貰いましたので、ははは、
また次回のご案内をお楽しみに!  と、客引きshinkai。



さて、ヴィチェンツァの街に移動し、修復が終わってすっきりの、
パッラーディオのバジリカがあるシニョーリ広場まえに。

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バジリカの左下のアーチに見える幕が、

今回見に来た展覧会で、タイトルが
「ツタンカーメン・カラヴァッジョ、ヴァン・ゴッホ・エジプトから20世紀までの夜の風景」

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いかが、このタイトルでは惹かれないのがお分かりでしょう?!
まして好き嫌いが激しいshinkaiは、名の並ぶ2人の作品が好みでなく、
へへ、お好きな方ごめんなさい! 最初の申し込みはしなかったのでした。

が上に書いたように、好きな作家の作品が何枚もあり、      
つまり「夜」のテーマに沿っての作品を広く浅くの展示でしたので、逆に楽しめた、
という訳で、という事でこちらもお楽しみに、と再度客引きを、ははは。



バジリカの横、12世紀建設のトッレ・ビッザーラの広場に向いた面の聖母像。

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街で一番高い塔との事ですが、今回始めて西に傾いているのに気がつきました。
それもかなりの傾きで、この写真でもほんのちょっぴり修正済み。



向かい合っての、真ん中にサン・ヴィンチェンツォ教会を挟み、
両横に広がる元公営質店モンテ・ディ・ピエタと、

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細長い広場の西端にあるのがパラッツォ・デル・カピターノ。

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この辺り既に一度ご案内しておりますので、こちらで詳細を。
A.パッラーディオの街  ヴィチェンツァの中心をちょっぴり       



広場には車が入って来ずで、皆のんびりと日向ぼっこ、

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ワンちゃん達の出会いもあり、はは、即、キス・シーンだもんなぁ・・!

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グループでのお出かけは、いつもは割と時間の余裕が無いのですが、
今回はたっぷりお昼の放し飼いがあり、ははは、我ら4人は広場のカフェ席で、
陽射しを浴びながら茸のパスティッチョとビールを。
茸とホワイトソースのラザーニャと言うと分りやすいかな?
たっぷりパルミッジャーノがかかっていて美味しかったのですが、
写真をすっかり忘れ・・!

食後は出会った他の仲間とも一緒にバジリカの周囲を歩き、

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軒下の柄、

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西側の狭い一廓にあったパッラーディオの像。

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バジリカの南側、

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北側のよりも狭いエルベ広場があり、そこからのバジリカの眺め。
       
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北側よりも土地が低いのか、南側はこんな風にかさ上げを。



通りを西に向った位置より。
青銅の屋根の下の大理石の柄、模様はちょっと違いますが、
ヴェネツィアのパラッツォ・ドゥカーレに良く似ています。

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暫く行くと、ドゥオーモの横に。 ここは煉瓦の赤壁と、やはり青銅の丸屋根で、

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正面のみ大理石ですが、シンプルで柄がとても優雅。

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ここもお昼休みで閉まっていて、何度目かの訪問ですが、いまだ中に入った事なし。



斜め横のディオチェザーノ博物館、現在開催中の垂れ幕
「オウム柄の司教様の祭礼用マント・玉座から祭壇」
祭礼用の優雅で豪奢な金銀織りが、さぞやたくさんの事でしょう。

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ドゥオーモ前から西に続く道を辿ると街の西の門で、パッラーディオの建物のある公園、
そして駅前の広大な緑の広場にでます。

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バジリカの1階にある宝石博物館も見て、はぁ、余りに凄いと、見ても感動がなく、
はは、貧乏人でして、

漸くに上階で開催中の目的の展覧会も見て、下に下りて来ると既に6時半近く、
薄闇が始まっておりました。

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3年前まだ修復が済んでいなかったこのバジリカの真ん中は、店も殆ど閉じていて
寂れたようなイメージでしたが、今はこうしてバールも開き、



広場を囲む店々にも灯がともり、

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バジリカにも明かりが。

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そうそう、この上のテラスにカフェがオープンしているそう。 今の展覧会期だけか、
よく分りませんが、上からの眺めも素晴らしいことでしょう!



ヴィチェンツァは金細工のアクセサリー、金の博覧会でも有名な街で、
これはバジリカのすぐ前にあった店。

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バスとの集合場所、街の東に向かいますが、
       
春色のスニーカーの並ぶ店、子供用が本当に可愛らしい!

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テアトロ・オリンピコの前に出て、夕暮れ近い様子を。

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上の写真の鉄門の真ん中下に、白黒の塊が見えるでしょう?
牧羊犬種のワンちゃんでしたが、観光客に慣れていると見え、柵の間から
カメラを突き出しても尻尾ふりふりで、吠えませんでしたよ。

テアトロ・オリンピコ ・ ヴィチェンツァ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467565180.html



テアトロ前の市の美術館、パラッツォ・キエリカーティにも灯がともり、

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さて我らは帰路に。



◆ 個展のお知らせ ◆

我が絵の師 二木一郎さんが、諏訪市のギャラリー橋田さんで
3月30日から4月12日まで、個展を開催されます。

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今回がなんと30回目の個展になられるそうで! なんとも大変なご精進です。

新作についてはこちらでご覧になれますが、

新しい試みの新作をも含め、力のこもった展覧会になる事と存じます。
どうぞお出かけ、ご高覧下さいますよう、私からもご案内申し上げます。


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・ n.2 パルマの城 ソラーニャ、 そして トッレキアーラの城

先回に続きましてパルマの城その2をご覧頂きますが、城の内部は写真禁止、
おまけにとても寒い曇天の日で、町の様子も見ずに皆とバールに引き篭もり!
・・という訳で、はは、

パルマ周辺でshinkaiが一番見たいと思っている城・要塞、
美しくもまた素敵な逸話もあるトッレキアーラの城を一緒にご覧下さいね。
      
当サイト名が無い写真はすべてネットから拝借のもので、

トップは最初にご案内のソラーニャ・Soragnaにある
メリ・ルーピの要塞・Rocca Meli Lupi の上空からのもの。

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ご覧になり良くお分かりと思いますが、まさに城のお膝もとの小さな町、という感じ。
 
先々回にご案内したパルミジャーノ・チーズの博物館は、写真左上にあり、
鍵の手に曲がって来て、町の入り口は城からまっすぐの正面突き当たりになります。
城の背後、そして右手上に見える広大な庭は、依然城の持ち主の物。



こちらが町の入り口、突き当たりに城の入り口が見え、
写真手前の道を左に曲がっていくと、パルミジャーノの博物館。

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町の中心の通りと城の入り口で、城前両脇にライオン像が見えますね。

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こちらが左側のライオン君で、ははは、あちこちで色々なライオンを見ていますが、
こんなに鼻を上に向け顔が見えない、というのは初めて!

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あ、右側のは多少上を向いていますが、まぁ、顔が見えます、はい。       



上から見ると四角い城館なのが良く分かり、正式名のソラーニャの
メリ・ルーピの要塞という名に相応しい塔も何もありません。
正面から堀にかかる石橋を渡って中に入りますが、かっては水堀だったものと。、

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こちらが正面右横の堀の部分で、奥の庭園に繋がるものと・・。

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正面入り口から、中の内庭部分、素敵な雰囲気でしょう?!

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内庭に立つ彫像、これは美術の女神ですね。
季節が良くなり蔦が緑になる頃、そして秋の紅葉時には、さぞ見事な事でしょう!

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入り口から見る、天井の装飾。 そうなんだ、これも蔦の葉ですね!

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内部の階段を上り、

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こんな風に、上階の見学が始まったのでしたが、

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ちょっぴりこの城・要塞についてですが、
1385年、一帯の領主だった侯爵ルーピ家が要塞を建設、
後17世紀の末に、貴族の居城として改修されたのだそう。

名にあるメーリ家というのは16世紀初めに、ルーピ家の当主が跡継ぎが無く、
曾孫に当るクレモーナの著名家、ヴェネツィアの貴族でもあったメーリ家の
ジャンパオロ1世を跡継ぎに指名したのだそうで、
現在もこの一族がこの城の持ち主で、一廓にお住まいです。
     
  
城はかって堀に囲まれていた様子で、四角い城館の四隅に塔もあったと
言いますが、現在見る内部装飾も完全に豪奢なロココ調となっていて、
かなり広く明るく、・・ご覧下さいませませ。

ヘラクレスの間(Sala d'Ercole、または黄色の間)

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上は説明から部屋の名が分ったのですが、へへへ、これは分りません・・。

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こちらは舞踏室。 上部角の像を見て、shinkaiはなぜか五月人形の
鍾馗様を思い出し・・、ははは。
 
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名の付いた廊下があれこれある様子で、
我々が見たのはこれよりも幅の広い廊下だったですが・・、

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究極は、このきんきらきんきんの玉座の間・Sala del trono.

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つまりこのメリ・ルーピの当主は侯爵でもあったのですが、同時に
神聖ローマ帝国皇帝から「プリンス・公、君主」のタイトルも受けており、
それでこういう玉座も設けていたのでしょう。

ですが、各地で見た玉座の間でもこれ程のきんきらきんは珍しく、正直に言いますと
成金趣味的センスを思いましたです、はい。

他にもたくさんのコレクションの部屋、多くの陶器の壷やお皿もあり、ガイドさんは
日本と中国の陶器と説明されたのですが、どう見ても中国製、年代から考えても
中国製と思えるものとか、そして家の礼拝堂など、さまざまがありましたです。



やれやれと見学を終え階下に下って来た時に脇に見えた、これもコレクションの部屋
でしょうが、年代ものの自転車が見え、こんな方が素敵ですよねぇ! 

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城から出ての町の通り道、まだ新しい自転車が止まっており、

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これはついでに。 先に見たフォンタネッラートの城前の眼鏡屋さんのウインドウの
豚ちゃん。 パルマは生ハムでも有名ですから良いのかもですが、
眼鏡屋さんのウインドウに、化粧ばっちりの豚ちゃんというのが、ははは。

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寒い日で、足のつま先が凍えると皆がこぼしまし、お昼の後一目散にバールに行き、
今またお城からすぐ前のバールに皆が溜まりまして、ははは、
「プンチ」とこちらでは呼ぶ、オレンジ風味のラム酒に熱湯を注いだ、寒さよけの
熱い飲み物をすすりつつ、お菓子も食べ・・。

そのバールにあったモカ・家庭用カフェ沸かしのコレクション。

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上から2段目右側に見える、注ぎ口が下を向いているのはナポリ式、
緑色のは新しく出ているものでアルプス兵の羽根の付いた帽子の形で、



その右の方に蓋の青いのが見えるのが、これ。
中がプレゼーピオの、キリスト誕生場面になっていて、
蓋の内側には星空で、ちゃんとレースの飾りも付いた可愛らしさ!

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ここで、ルイーザが半分以上残っていたプンチを、shinkai、全部飲んでいいよ、
お菓子も食べて、というので、はぁ、残すのは勿体ないのでしっかり片付けまして、
体もホカホカとなり、帰りのバスの中でぐっすりとなりましたぁ。



所で、バールの横にあったのがこれ、
Oltre...・オルトゥレ と見えますね。 向こうに~ の意味で、
下にOnoranze Funebri・つまり葬儀社でして、24時間営業とあり、皆で大笑い! 

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葬儀社の場合、XX葬儀社という名が一般ですが、初めて別の名をつけた店をね。



という所で皆さんにも、はるか向こうに想いを馳せて頂きましょう。

もう一度、パルマ一帯の城・要塞の地図をどうぞ。
四角く囲ったソラーニャとフォンタネッラートはご案内した分で、
下線を引いたトッレキアーラ・Torrechiaraがいつかみたい城!

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別に線を引いたもう2つ、ロッカビアンカ・Roccabiancaと
サン・セコンド・San Secondoの地名もご記憶に。
      
と言うのも、今回憧れのトッレキアーラの城に関するロマンチックな男の純情
みたいなお話を、ははは、ゴシップ大好きshinkaiがサイトを読み写真も集め、
ここで薀蓄を傾けて、ははは、ご紹介しようと言う訳で、
よろしくお付き合い願いま~す。


トッレキアーラの城について知ったのは、米映画「レディー・ホーク」が先で、映画には
3つの城が登場、使われておりました。 映画の出来は一流とは言えませんが、ははは、
中世好きなshinkaiには、日本から見る憧れの中世の城でして、こちらに来て後、
偶然に旅行雑誌の写真から、あれは「トッレキアーラの城だった」と知った訳です。
       
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映画に登場するもう一つの城はソンチーノ・Soncinoにあり、こちらでご案内を。 
その1と2で、2にはトッレキアーラの城についても。
そしてもう一つはアブルッツォの山中にある、半ば廃墟の城です。



今回初めてこの写真、上空からの姿も見つけたのですが、
実戦的な城でありながら、素晴らしく美しいでしょう?!

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中心になる右側の四角い城郭から左に飛び出すテラス2つ!
15世紀に建造された実戦用の城に、誰がこんな物をつけたのか?!



この「金の寝室」と呼ばれるのが、特に有名な部屋なのですが、壁を埋める陶板が
真ん中に2つハートを重ねたもので、はぁ、かっては金色に塗られていたのだそう。

上の壁には、それぞれ貴婦人の前に跪く騎士が描かれており、

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この両側に立つお二人がこの城の主人公で、何世紀後のshinkaiにもブログの
話題を提供してくれる、ははは、

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左の騎士がピエール・マリーア2世・デ・ロッシ・Pier Maria II de' Rossi(1413-1482) 
普通ピエール・マリーア・ロッシとも呼ばれ、
右が彼の純愛を受けた愛人ビアンカ・ペッレグリーニ・Bianca Pellegrini(1417-1480頃)

ピエール・マリーア・ロッシは、マニーフィコ・Magnifico・見事な、素晴らしいという
ニックネームを持つほどの男。
ミラノのヴィスコンティ家との繋がりが深い事から、文武の教育に送り込まれ、
文学、音楽、数学、天文学、そしてフランス語、スペイン語、ラテン語、ギリシャ語、
果てはアラブ語、ヘブライ語まで学び、武術に関しては言うまでもなく優秀で、
ヴィスコンティ家の傭兵隊長を勤める程に。
       
14世紀からサン・セコンドの地に頭角を現したデ・ロッシ家ですが、彼の働きで領地が広がり、
15歳で結婚した隣接する家柄のアントーニア・トレッリ・Antonia Torelliとの間に
10人の子を儲け!ますが、(男児7人、女児3人)

1440年頃ミラノの宮廷で、多分ビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ、ヴィスコンティ家最後の
血筋でフランチェスコ・スフォルツァの妻、のお付のビアンカ・ペッレグリーニと知り合い、
我を忘れ熱狂的に愛するように!  はい、そう来ませんとね。

ビアンカは既に既婚女性だったようですが、ピエール・マリーア27歳、ビアンカ23歳、
パルマの地に帰る彼に、彼女は従い・・。

所でピエール・マリーアの妻アントーニアは、出来すぎた妻と言うか、夫が愛人を連れ帰り、
彼女の為に夢中になってロッカビアンカ・Roccabiancaの城建設を始めると、
自分は修道院に身を引きと・・、本当だったんだろうか?! これは少し可哀相・・。
1468年に亡くなりますが、愛人達は結婚せずに終わります。

所でロッカビアンカの要塞のある地名ですが、元々は別の名だったのが、ビアンカに
捧げる城を造った事から、ロッカビアンカと呼ばれる事になったのだそうでして・・!

さてお話はトッレキアーラの城に戻りまして、ロッカビアンカの次に、彼は
少し離れた地に、1448年から1460年の間にトッレキアーラの城の建設を。
こうした2人の愛の巣に相応しい、実戦用の要塞でありながら、
大きなテラスを2つも持った、なんとも美しい城の姿でして、
       

上で見て頂いた「金の寝室」の天井は、こういう装飾のフレスコ画で、

31-Oro2.jpg

ピエール・マリーアは27もの城・要塞を持っていたそうで、それをビアンカが
巡礼して回る、彼女の姓のペッレグリーニは巡礼者の意味ですよってね、はい、
という図柄になっているのだそう。  あ~あ!



城の中は後の時代の、素晴らしいグロテスク装飾の部屋もいくつかあるようで、

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これは古い時代の、彼らの時の物かも知れないと思える、小鳥達が飛び交う
テラスの屋根の図柄。

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お2人は、ビアンカが1480年に63歳で、ピエール・マリーアは1482年に69歳で
共にこの城で亡くなり、城の礼拝堂に埋葬されているという事で、
中世の世に起こった、お互いの愛を全うしたとも言えるお話なのでした。

思うのは、イタリア男の純真さというのか、まっすぐさというのか、自分が愛する女への
愛情を隠しませんね。 それどころか誇示する所もあるようで、

シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ、リミニの狼と呼ばれ、極悪人と呼ばれた男でも、
自分が愛したイゾッタとの2人のイニシャルを重ねた印を至る所に残したり・・。


サン・セコンドのデ・ロッシ家は、その後一時の衰退もあったものの約5世紀間継続し、
19世紀に後継者無く消滅。

このトッレキアーラの城はその後所有者が変わりながらも健在で、
イタリアの城塞建造物の中でも大変よく保存されているものだそうで、
1911年から国の記念建造物となり、一般公開中。

見学時間 
11月から2月 火~金曜 9時から16時半  土、日、祭日10時から17時
3月から10月 火、日、祭日 10時半から19時半  水、土 8時半から19時半
月曜休館


白く雪化粧した美しい城と、

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霧に浮かぶ城に、中世の愛人達を想い・・・。

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お付き合い、有難うございました!
       
 
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・ n.1 パルマの城 フォンタネッラートと、パルミジャニーノの壁画

今日は、先日出かけたパルマで見た2つの城・要塞の一つ、
フォンテネッラート・Fontenellatoの要塞と、
中にあった若きパルミジャニーノの壁画をご案内しますね。

お天気が良くなく写真の発色も悪く、おまけに要塞の中も写真禁止、
というのでどうしようか、と思ったのですが、
ちょうど良いサイトを見つけましたので写真を拝借し、
必死のパッチで纏めましたので、はい、ご覧下さい。


まずトップは、フォンテネッラートの要塞、
素敵でしょう?! これを見て行きたくなったのでした。

1-fo14.jpg



元のパルマ公国にある23の城・要塞、このうちの22が協会・
Associazione dei Castelli del Ducato di Parma e Piacenza
を作っており、こんな地図も見つかりました。

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今回行ったのは四角で囲った、今日ご案内のFontenellatoとも一つ、
先回パルミジャーノの博物館をご案内したSoragna・ソラーニャ。
いつか行って見たいと思っているのは、下に見える
トッレキアーラ・Torrechiaraの城なのですが・・、


       
協会のサイトにはこんなうずうずさせる様な写真もあり、ははは、
親切shinkaiは、下に城・要塞の名を書き出しますね。左から右への順。
       
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1 Antica Corte Pallavicina・アンティーカ・コルテ・パッラヴィチーナ
2. Castello di Compiano・コンピアーノ
3. Castello di Gropparello・グロッパレッロ
4. Castello di Roccabianca・ロッカビアンカ
5. Castello di San Pietro in Cerro・サン・ピエトロ・イン・チェッロ
6. Castello di Sarmato・サルマート
7. Castello Malaspina dal Verme di Bobbio・
  マラスピーナ・ダル・ヴェルメ・ディ・ボッビオ
8. Fortezza di Bardi・バルディの要塞
9. Mastio e Borgo di Vigoleno・ヴィゴレーノの大塔と集落
10. Rocca d'Olgisio・オルジシーオ(オルジーシオ?)の要塞
11. Rocca e Castello di Agazzano・アゴッツァーノ
12. Rocca Meli Lupi di Soragna・次回のソラーニャのメーリ・ルーピ

一般にCastello・カステッロは城(居城)、Rocca・ロッカは要塞を示しますが、
最初は要塞建設でも後に居城として改修される事もあり、
大きさには余り関係ないのが普通です。


       
その2

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1. Castello di Montechiarugolo・モンテキアルーゴロ
2. Castello di Paderna・パデルナ
3. Castello di Rivalta・リヴァルタ
4. Castello di Scipione dei Marchesi Pallavicino・
  シピオーネ・デイ・マルケージ・パッラヴィチーノ
5. Castello di Torrechiara・トッレキアーラ
6. Castello di Varano De'Melegari・ヴァラーノ・デメレガーリ
7. Reggia di Colorno・コロルノの王宮
8. Rocca dei Rossi di San Secondo・ロッシ・ディ・サン・セコンド
9. Rocca di Sala Baganza・サーラ・バガンツァ
10. Rocca Sanvitale di Fontanellato・
  本日の、サン・ヴィターレ・ディ・フォンタネッラート
11. Rocca Viscontea di Castell'Arquato・
  ヴィスコンティの要塞カステルアルクワート

サイトは http://www.castellidelducato.it/castellidelducato/
写真をクリックしますとその城・要塞に飛び、写真が見れますので、
どうぞお楽しみください!
お陰さまで、ははは、行ってみたい場所が増えちゃったぁ!!


という様な前置きが長くなりましたが、さて今日ご案内の
サン・ヴィターレ・ディ・フォンタネッラート・
Rocca Sanvitale di Fontanellato, 正式名称は要塞ですが、

買って戻りました20世紀初頭のデッサンの絵葉書を。
歴史的にこうであったろう、という想像も加味している様子で、

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現在は城の周囲の堀には水が湛えられていますが、
この図では集落の周りをもう一回り、水堀が囲んでいますね。
が、現在は外の堀は空堀で草地になり、たくさん住宅が立て込んで。



左端中程に見える橋を渡り、
門をくぐり、商店の並びを進みますと、

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城の前広場、左側は絵葉書と変わりない家並みが続き、

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城の正面。

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城の左側、堀の水は湧き水利用なのだそうで、
今見える端に突き出した丸いでっばりをご記憶に!

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そして右側。

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正面の主塔、上部の時計、・・止まっています。

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主塔の下を潜る石橋を渡り、かっては木の巻上げ橋だったそう、
城の内庭に。 シンプルな半円アーチが3層に囲みます。

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壁にあるランプ、かなり大きかったのですが・・。

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2階への外階段を上り、

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ガイドさんに連れられて中の見学を。 25人程づつ2つのグループに
別れたのですが、一旦内部に入ると、扉の鍵を閉める程の厳重さで・・!

ちょっぴりこの城について、ですが、
最初に軍事的役割の主塔が、パッラヴィチーノ家・Pallavicinoにより
建設されたのが1124年と見られ、1386年にサンヴィターレ家に
取って代わられ、1404年に伯爵領に。
     
この時代に要塞だったのが、一族の居城となり改修され、
なんと1948年まで約7世紀間、この城に代々一族が住まわれ、
最後は市に城を売ったのだそう。
ガイドさんに何故と聞きましたら、やはり維持が大変なのだそうで・・!


サイトからの写真で、ビリヤードの部屋。 
普通の台よりずっと長く大きく、脇には長~いスティックもありで、 
ほら、普通は台布は緑色ですよね? でもこういうお部屋には、
ちゃんと部屋に合わせての色なんですと、へっへっへ。

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天井の梁に見える様々な紋章は、城を訪れた方々の紋章でして、

架かっている絵には必ず猫が登場しており、どんな故事か忘れましたぁ!
それがですねぇ、全然可愛い猫ちゃんではなく、
shinkaiに描かせろ!と言いたくなり、ははは、冗談で~す。

食事の部屋もありましたが、周囲の壁にずらっと並ぶお皿は
サンヴィターレ家の紋章入り、大きな30cm以上もある大きなお皿!

真ん中が窪んでいてスープをいれ、その周囲の幅広の縁の部分に
あれこれ料理を乗せて食べたのだそうで、つまりワンプレート!
貴族様方とはいえ、優雅なのか、がっついて一度にあれもこれもなのか、
ははは、皿洗いの手間を省く為なのか・・、どう思われます?!



寝室ですが、ベッドが異様に短いでしょう?
なぜかというと、当時の貴族様はたくさん食べるので、消化に良い様、
クッションを当てベッドに半身を起こして寝たのだそう!
       
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ふ~む、でもね、枕がふたつ並んでいるから、ご夫婦ご一緒だったという事? 
・・大丈夫だったんだろうか?!
それに、貴族の方々は寝室がご夫婦別室だったのではないかしらん?

それにしても、どの部屋も薄暗く、保存の為かな?
暖炉も小さく、実際あの日は寒く、住みたいお城では・・、ははは。
たくさんのコレクションもありましたがぁぁ・・。



上階から見た内庭、見える塔が主塔。

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窓と円柱、
柱頭に見える「盾に斜め線」が、サンヴィターレ家の紋章。

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内庭から東側のテラス庭に。 
ここは地表からは2階部分になるいわば植物園的な場所で、

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塀の内側の奥右に、城正面から見た左の丸い塔があり、
現在イタリアに残る唯一という、暗室・カメラ・オブスクーラが。

1グループづつ入って実際に見たのですが、丸い塔の中の2箇所に席が
設けられていて座ると、その頭上の天井部分に小さな穴があり、
そこに四角なクリスタルが嵌め込まれていて、
それを通して堀の外の景色がかなり鮮明に、手元に置かれた少しカーブを
つけた画面に映るのですね。

現在なら何のことは無い、塀の上から覗くとか、
切込みから覗けばもっと鮮明な実際風景が見れるものを、
やんごとなき貴族様の隠れた優雅なお楽しみだったのかどうか・・!



屋敷の壁の角、縁戚になった家の紋章でしょうか。

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城の入り口部分の橋と堀、そして東角の塔方面。

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病める太陽、と文学的表現で、ははは。

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もう一度内庭に戻り、

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南西角の一廓を見学しますが、ここにこの城一番の宝、
16世紀の画家パルミジャニーノ・Parmigianinoのフレスコ画があります。

パルミジャニーノ、本名はジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ
・Girolamo Francesco Maria Mazzola
イタリア・マニエリズモの代名詞的画家ですが、ここパルマの生まれ、   
(1503-1540)僅か37歳で亡くなっていますが、

フィレンツェ・ウッフィツィ美術館所蔵の、「長い首の聖母」と呼ばれる
代表作(33才頃)は、良くご存知と。

25-Madonna.jpg

画家であった父親を幼くして亡くし、やはり画家の叔父の元で最初の
基礎を習い、その他はもっぱら当時の画家の作品を見る事で学んだ様子。
若くから助手として出発し、認められる作品も描き、



1524年21歳のパルミジャーノが描いたフレスコ画が、当時の領主
ガレアッツォ・サンヴィターレ・Galeazzoの妻パオラ・ゴンザーガ・
Paola Gonzagaの個人浴室・ストゥフェッタ・stufettaに描いた
「ディアーナとアクタイオン」のギリシャ神話がここに。

ディアーナの水浴画面を覗いた猟師アクタイオンが鹿に変身させられ・・、
という逸話は、ティツィアーノの画でも有名ですが、

ここではお話に関係なく、まず東側、そして中心のアップ、
既に後のパルミジャーノの画風が見られ、驚きました!

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北側と、中央上場面のアップ、
このアップの部分は、この城の入場券にも使われていましたが、
なんとも凄い子供、というか、女の顔ですよね?!

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西側、水浴場面と鹿も見え、

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南側、

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天井部には12人の天使と子供達、その上に薔薇の生垣と空が広がり、
中心には鏡、という趣向。
       
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確かこの部屋に窓は無かったか、テラス越しの窓だったか、現在は電灯が
ありますがかなりの暗さで、
ガイドさんが電気を消して当時の様子を窺わせてくれましたが、
アーチの切れ込みなどの陰が一層暗く、逆に主題がはっきり見え、
なんとも素晴らしい作品でした!!

昔はマニエリズモなんて、と好きではありませんでしたが、
今回こうして改めて見ると、やはり凄い画家だったのですねぇ!
若くしてマラリアで亡くなったのが、残念でした。
パルミジャニーノの壁画の写真は、ウィキペディーアから拝借を。



内部は写真禁止だったのですが、唯一内緒撮り出来たのが、

この子供の為の小さな芝居小屋、とはいえ大変豪華なもので、
他の暗い冷たい部屋を見た後では、ホッとしましたっけ。

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最後は、城の内庭から入り口、橋に向いて。

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この城の見学時間ですが
4月から10月 平日9:30-11:30 15-18 祭日9.30-12 14:30-17
11月から2月 平日10-11:30 14.30-16.30 祭日10-12 14:30-17
3月 月曜休館 平日9:30-11:30 15-17 祭日9.30-12 14:30-18
とかなり細かいので、行かれる方お時間にご注意を。

長いご案内にお付き合い頂き、有難うございました!       
       
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・ パルミジャーノ・レッジャーノ ・ イタリア・チーズの王 

今日はイタリアの数あるチーズの中でも「チーズの王」と呼ばれる
パルミジャーノ・レッジャーノ・Parmigiano reggianoのお話を。

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手近な所では、削ってスパゲッティやミネストローネに振り掛けたり、
詰め物パスタの中身に混ぜたり、薄く削ってサラダやカルパッチョの上に、
またはそのまま割っておつまみにしたりと、

皆さんも良くご存知の、イタリア料理には欠かせない芳醇な香りと濃厚な味。
まさにチーズの王の名に恥じない美味しいチーズですが、



先日出かけたパルマ・Parmaはこのチーズの生産地。
城を見に行ったソラーニャ・Soragnaにちょうど
パルミジャーノ・レッジャーノ・チーズの博物館があり、

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こんな風に町の脇道を入っていった奥に、
       
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かっての城の領主メーリ・ルーピ・Meli-lupiの所有していた一廓、
農家の横に、

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チーズ製造所・カゼイフィーチョ・caseificioがあり、
1848年に建設された円形の建物で、1977年まで実際に使われていたのを、
現在博物館としているのだそう。

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ちょうどお昼にお腹を空かせて訪問した我々を迎えてくれたのが、
この博物館のこちら手前にある建物、お味見所で、
こんな生ハムとパルミジャーノ・チーズ、パンとワインが供されたのですが・・、

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生ハムもパルマ産は有名で美味しいので有名ですが、
私は生ハムは食べず、皆がお腹を空かせたハイエナみたいに、ははは、
パルミジャーノを割ってくれるのを待ちきれずに大勢が手を出し、
写真は到底撮れず!  

おまけに、生ハムもチーズもワインも、皆冷たい食べ物ですよね?!
チーズをかじり、パンをかじり、寒いのでワインをたっぷり!
とどうなるか、へへへ、お腹の調子がね・・!

まったくねぇ、旅行代理店と博物館のご好意ではあったのですが、
寒い時期には、一皿のスープの方が有難いですよねぇ!



お腹が落ち着き、少し頬っぺがポッとなった所で、漸く博物館の見学に。
      
まずは絞った牛乳を運んでくる容器、いずれも20世紀になっての物。

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これが牛乳をいれ、暖め、チーズを作る銅の鍋、
後の時代の物のようで、ハンドルが付いているのが見えますが、

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こちらが古い、鐘を逆さにした形の鍋で、下から火を焚きつけたのですね。

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当時の働く姿の絵。

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後ほどヴィデオで、現在のチーズ製造を見ていただく事にし、
まずは一連の道具類などをどうぞ。
    
鍋の中をかき回す道具類。 温度計に木製と金属の器具。

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出来上がったチーズを形作る型と重石。

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となりの地下にあった水槽。 ここで塩水に浸け、その後に
長い熟成期間を置く事になります。

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こちらは牛乳の表面に溜まる脂肪分からバターを作る、
ザンゴラ・zangolaと呼ぶ攪拌器。

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バターの形作りの容器。

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大きな秤もあり、

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かってのパルミジャーノ・チーズの販売人。
今と同じような形で売られていたのですねぇ!

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と、ざっとパルミジャーノ・レッジャーノの博物館をご紹介しましたが、

12世紀頃からの長い歴史を持ち、チーズの王とも呼ばれる
パルミジャーノ・レッジャーノはDOP・denominazione di origine protetta・
原産地呼称保護指定を受けており、
エミーリア・ロマーニャ州の特定地域生産のみが、この名を使えます。

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つまり、パルマ県、レッジョ・エミーリア県、モデナ県、そしてボローニャの
レーノ河左地域(北)からマントヴァのポー河の右地域(南)の範囲です。
指定されている土地というのは、どうやら肥沃な牧草地があり、

湧き水が豊富、そして上等な塩・塩田がある事、
パルマの西に現在はテルメ・温泉地で有名なサルソマッジョーレ・テールメ・
Salsomaggiore Termeがありますが、ここに塩田があったのだそう。
       


さてこの名高いパルミジャーノ・チーズの製造法ですが、
公式サイトからの説明で。http://www.parmigiano-reggiano.it/

乳牛は朝と夕方の2回搾乳されますが、夕方搾乳し運ばれてきた
牛乳は大きな容器で一晩寝かされ、
朝方表面に浮かんだ脂肪分を取り除け、これはバター製造に、
そして翌朝の搾乳で運ばれた乳と一緒に、あの独特の形の銅の鍋に
一緒に入れられます。

そしてここに凝乳酵素(子牛の第4胃から抽出されたレンニン)、乳清、
前日の仕事から得られる発酵乳が加えられると、10分ほどの内に
凝結が始まり、ここで古くから使われている「茨・とげ」と呼ばれる道具により、
小さな粒状の凝結物になります。

こうなって釜に火が入れられ、55度を保ちながら混ぜ合わせ、
最後に鍋の底に大きな一塊のチーズ質の物が出来上がり、
       
約50分ほどの後この塊が取り上げられ、布の中に収まり、
2つに分けられ、それぞれの型に入れられます。
この時に一つの型ごとに、身分証明と同様に年月日と製造所の
固有番号が打たれた帯が巻かれます。

そして数日後に塩水の水槽に沈められ、これは約1ヶ月間で、
この後に長い熟成期間を置かれるという訳ですね。
       
という事で、製造法のヴィデオをどうぞ。
長年の経験から来る熟練の職人の手さばきが見事です!
ヴィデオは、一旦途切れてもすぐに次が始まりますので、そのままで。
http://www.parmigianoreggiano.it/come/parmigiano_reggiano/default.aspx

Come si fa il Parmigiano reggiano・どうやって作るか、
というこのヴィデオは、語りがイタリア語で自動的に項目が変わりますので、
どの部分か分かるよう、タイトルの横に日本語訳を付けますので、ご参考に。

IL RE DEI FORMAGGI・チーズの王様の由来
TERRITORIO・生産地
LAVORAZIONE・製造法
STAGIONATURA ED ESPERTIZZAZIONE・熟成期間と熟練者の検査
MARCHIATURA・検印
BOLLINI DI STAGIONATURA・熟成期間の色印
BUONO E SANO・美味と健康食
AMATO E TUTELATO・愛され保護され

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こうして出来上がったパルミッジャーノ・レッジャーノ、
丸い太鼓型というのか、側面一面にPARMIGIANO-REGGIANOと
文字が見え、様々な身分証明の番号があり、焼印が打たれていますが、
   
    

番号はこんな風に。

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1.製造所の登録番号
2.ヨーロッパ議会の登録番号
3.選別は1年後に行われ、OKとなった焼印
4.製造年と月
5.最初に付けられるチーズの名

熟成される年により、付けられる印の色が違いまして、
海老の赤色、18ヶ月以上 銀色 22ヶ月以上 金色 30ヶ月以上 
なんだそうで、
単に美味しいだけでなく、高タンパク質、ビタミン、カルシウム、
鉱物性塩分を含み、溶けやすく砕けやすく消化性も良く、
どの年代にも適したエネルギー源なのだと。



こんな風な丸い太鼓型をしていて、まず横半分に割り、
それを3角形に切り分けて売られています。

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この一つを作る為に約600Lの牛乳が必要で、
一つの重さは平均して38,5kgなんだそう。

外側は自然に乾燥の硬い皮ですが、写真に見える小型ナイフで、
かち割って食べるか、またはおろし金で削ります。

お値段はサイトで見た所では、15~18ヶ月の物で、Kに付き14エウロ
24ヶ月以上 K-15エウロ  30ヶ月以上 K-16エウロ と。

肝心の乳牛ですが、大体は白黒ブチのホルスタイン種ですが、
この地域は伝統的に茶色の乳牛、乳だけでなく、畑仕事もし、
肉牛にもなる赤茶色の牛の乳を使っていたのだそうで、

乳の量はホルスタインの半分とちょっとなのだそうですが、質としては
ずっと良いのだそうで、こちらを使っているという表示の品があり、
やはり少しお高めの様子です。

こちらのサイトは、その赤茶牛の乳を使っているという製造所で、
添加するのは塩と凝固剤のみと。
https://www.youtube.com/watch?v=FD6TC8KOzIk

生存が3000頭という赤茶牛ですが、最近その質が改めて見直されていて、
お乳の出を良くする為か、早足で歩かされているシーンも、ははは。



料理の上からかける、中に混ぜると様々ですが、どの様に使っても
必ず一味引き立てる優れもので、何があるかと並べてみますと、

リゾット、これはサフランのリゾット

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スパゲッティのアマトゥリチャーナ風

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トルテッリーニのスープも美味しいし、
詰め物の中にもパルミジャーノが入り、上からもかけ、

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トマト・ソースでも実に美味しくなりますよねぇ!

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そうそう、カルパッチョの上にも欠かせませんねぇ。

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こんな風に割って、ワインのお供にも、果物と一緒にも!
       
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いつも当たり前みたいに食べているパルミジャーノですが、
今回改めて調べてみるとその奥深い事!
如何に有益に、美味しく食べれるようにという、
古代からの人類の知恵と自然の不思議がしっかりと詰まった食品!!
       
パルマで文句を言いつつ味わった、ははは、でもとても美味しかった
パルミジャーノ・レッジャーノ。
次回からはも少し感謝を込めて頂く事に致しま~す!


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・ 波と帆 ・ レッジョ・エミーリアの新鮮で鮮烈な白

先週の水曜日、久し振りに仲間達とのバス旅行で
エミーリア・ロマーニャ州のパルマ・Parmaに出かけて来ました。

パルマの街ではなく、も少し西にある城を2つ見に行ったのですが、
生憎の曇天で寒く、肝心の城の中は写真禁止、おまけに期待していた程の
素晴らしさはなく! 往復8時間近くのバスで少し草臥れて戻りました。

が、バスの窓から思いがけずに素晴らしい、目に新鮮で鮮烈で
ダイナミックな物を見ましたので、サイトからの写真でご覧頂きますね。

この写真が、バスの中から見た印象に近い構造物、
皆で、おー!!と歓声を上げながら見た角度の物。
分りますか、白い鋼鉄が波打つように並んでいるのです!
左の奥に、放射線が見えますが、これは後ほど。

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この白い鋼鉄の板が、寄せる波を思わせる形で、
長さ483m、高さ約20mで続きます。

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美しいでしょう?!
抜ける様な青空の下では、一層素晴らしいでしょうねぇ!!
   

  
左に見える道路が、太陽の高速道路A1、
ミラノ・ローマを結ぶイタリア一番の幹線道路で、
我らのバスはこの向きで、高速の右車線を走っていたのですね。
       
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この構造物に出会う少し前、イータロ・Italoという赤い車両、
2年ほど前から営業を開始した民間企業による高速鉄道車両が
走っているのが見えたので、おお、駅なんだよ! と納得したのですが、

次に、写真の上に見える真ん中の放射線の橋の下を通り、左右一対の
橋が見えた時、誰かが、レッジョ・エミーリアのカラトゥラーバの橋で
検索しろと言い、これらの正体が、ははは、分ったのでした。



地図をどうぞ。
コネリアーノ・Coneglianoを出発一路南下し、ボローニャでA1に入り
北西に向い、レッジョ・エミーリア・Reggio Emiliaにこの構造物があり、

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青い線が高速のA1で、すぐ北側を高速鉄道が並んで走り、
右に赤線で囲った位置に駅、左のA1で囲った所が橋の位置。
レッジョ・エミーリアの街はかなり南に位置します。

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この街にはまだ行った事がありませんが、長い歴史を持ち、
農業経済の大変豊かな大きな街の様子。



という事で、駅の細部を少し。在来線接続と、高速鉄道・
従来のイタリア国鉄グループと、イータロ(NTV・新旅客輸送)を
統合した駅で、レッジョ・エミーリア・AV・メーディオパダーナと。

北側にある地上入り口部分、

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構造美、

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入り口の円形透明エレベーターと、駅の名。

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実はこの真ん中に挟まる「AV」に最初何だろ?と悩みまして・・、
・・アダルト・ヴィデオ?! まぁさか! きゃはは、
漸くにアルタ・ヴェロチタ・Alta Velocità・高速の略と!

へっへっへ、shinkaiのイタリア語力なんてこの程度でありまして、
最近とみに低下傾向にある、と友人達に非難されており、ええ、ホント。 



ホームへの連絡と、

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ホームの様子。 光線が射し込む美しさですが、
これはどうやら出来上がり想像図のようで、

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実際はこんな風に、線路間の仕切り柵があり、4車線ある様子で、
この赤いのがイータロの車両。 フェッラーリの赤より小豆色という赤!

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こちらもやはり想像図のようですが、駅を覆うこの幅は25,4m。

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2013年6月オープンのこのメーディオパダーナの駅、これからご覧頂く一対の
橋も、スペインの設計家カラトゥラーヴァ・Calatravaである事を知りましたが、
この駅の建設費用は7900万エウロ、
橋の方は3500万エウロなんだそうで、・・計算間違ってませんように!

この位日常金額とかけ離れると、高いのか安いのか訳が分りませんが、はは、
レッジョ・エミーリアの街北部の再開発と、新架設の高速鉄道TAV用の駅、
そしてすぐ傍にある高速A1道路レッジョ・エミーリアのインターチェンジの
為の橋と、一大プロジェクトだった様子。

カラトゥラーヴァ設計のもう一つの駅、ポルトガルはリスボンの
元万博会場のオリエンテ駅は見ており、



さて、2007年に完成した橋の方に参りましょうか。
まず3つの橋がすべて見れる写真で、様子をどうぞ。
真ん中の半円の下を、高速鉄道と高速道路が通り抜けており、

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真ん中の橋はこんな形で、長さ220m、アーチの高さが約50m、

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左右の細長い楕円形は、高さ70m、橋の長さは179m。
色が変わる、おまけにイタリアの3色にねぇ! ははは。

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大河に架かる大きな吊り橋は、惚れ惚れする近代美といつも思いますが、
こうして陸に存在してもやはり美しい!



こちらが設計のサンティアーゴ・カラトゥラーヴァ・Santiago Calatrava
1951年生、如何にもスペインのヴァレンシア生まれというのが納得できる、
青空の下に映える白い力強い建築物の設計。

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今回のも一連の橋は「帆」を表し、駅は「波」と言いますが、
最初に見た時の印象はまさに強烈で美しく、目に飛び込みました。



こちらはやはり彼の設計の、ヴェネツィアの大運河に架かる
第4の橋・ポンテ・デッラ・コスティトゥツィオーネ・Costituzione.

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こちらは美よりも日常使いの人々が歩いて渡る橋ですので、
使った材質が滑りやすい、橋の段差が違って歩きづらい等など、
様々な問題点があり、渡る度に皆が文句を言っている橋でして!!

橋については、こちらの最初に。
n.1 埋もれた島の蘇り ・ ヴェネツィア、チェルトーザ島
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463621428.html
      


とはいえ、やはり今回見た駅のうねるラインは美しく、もう一度どうぞ!

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そして最後は、夕暮れの橋を。

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今回は偶然思いがけずに出会った、このブログでは珍しい、ははは、
近代的な建築美をご紹介しましたが、
お気に入って頂けましたように!
       

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