・ オルチャの谷の春 ・ 糸杉の林 あれこれ

今日ご覧頂くのは、トスカーナはオルチャの谷。
なんとも雄大な風景が広がり、世界遺産にも指定の土地ですが、
その中でもシンボル的存在で一際愛される糸杉の林、
それをあちらこちらから、じっくりご覧頂こうと、はい。

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春が待ち遠しい今日この頃ですね、という事で一足早く、5月初旬の緑溢れる
トスカーナをご覧下さいね。 写真が少し多くなりましたが、難しいご説明なし、
はは、どっぷりとトスカーナの春に浸って下さいませませ!

上の写真は、昨年5月に出かけた時の最後の宿がオルチャの谷の西の端
モンタルチーノ・Montalcinoで、朝7時前にオルチャの谷に別れを告げるべく、
町の門を出てきた所。

モンタルチーノの以前のご案内
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461362974.html 
      
オルチャの谷のもう一つのシンボル、ヴィタレータの礼拝堂
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461834190.html 
      
サン・クイリコ・ドルチャのご案内
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461279240.html 
      
ヴァル・ドルチャ、シエナのクレーター全体は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834418.html      



少し靄がかかり逆光で余り色が良く出ませんが、雄大な眺めの一端を。

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道はカーヴの多い坂道下り坂、こちらは左右を眺めつつゆっくり下りたいのが、
平日の朝となるとそうも行かず、後ろから追っかけられる感じで、・・ん、もう!



まぁ、でもね、路肩に止まれそうな場所を見つけては、じっくりと愉しみつつ、

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さて、お目当ての糸杉の林、道脇に車を止め・・。

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道脇両側に車寄せが造られていて、安心して停められますが、この朝は
一つ計画が。 上の写真の様に、傾斜地の少し奥に林が見えますが、
土地の起伏は余り見えません。
ところがガイドブックなどで見る写真は、この林の手前に小さな丘の起伏が
幾つも重なり、林からの裾野が長いのです。
  
春に8日間オルチャの谷に目的を絞って出かけた時は、東のピエンツァから
西のモンタルチーノの手前までを何度も行ったり来たりしたのですが、
この林の見える車寄せから西側すぐに橋があります。水のない谷に架かる橋で、
その橋を渡った位置から、糸杉の林の前に丘の起伏が広がるのを運転しつつ
横目で発見し、そうか、ここからか、なら最後の朝に寄ろう、と。



という事で、橋の端をそろそろと渡り、ここは州道、車専用で歩いてはいけない
のかも知れませんが、この際そういう事にはかまっておれませんで、
お巡りさん、来んといてや、ははは。

で、こんな感じ!  やっと見れたぞ!
そう、やはり裾野が広い!!  丘の起伏が見事!
       
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いつ誰によって植えられたものか、ほぼ丸い林を形作り、道行く人々を、
トスカーナの風景を愛する人々を魅了する糸杉の林。
一見なんの目的も無さそうなこの糸杉の林が、多くの人々を引き付けるのが、
カッコ良いと思われません?!



裾野の広がり、

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そうなんです、奥にもう一つ、糸杉の林があるのですが、それは後ほどご覧にね。

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道の北側の広がりはこんな感じで、

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既にカメラで狙う人の姿。

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車に戻り、これが5月の糸杉の見納め。

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はい、9月にも出かけましたが、この時は土砂降で、余りにも降りが酷く
ここの車寄せでしばし休憩するほどだったのですね。

その時には友人共々、ほらっ、と窓を開けては各自一枚ずつ撮り、
その間にも左脚がぐっしょりとなりましたっけ!
まさに人生は一瞬先が闇、というが如く、ははは、9月には暗い林の写真が
一枚だけに終わったのでした。
人生の春は短し、恋せよ乙女、 ・・ん?! あれ?!



所でこの糸杉の林はどこにあるか、地図をどうぞ。
東に囲った所がサン・クイリコ・ドルチャ・San Quirico d'Orciaで、
西に半分名が見えるのがモンタルチーノ。 林は真ん中の赤線で囲った所に。

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サン・クイリコ・ドルチャからモンタルチーノまでは14,3km、車で17分と出ますから、
サン・クイリコから4~5kmの位置になりましょうか。
      
2つの町を連絡するバスも日に5回あるそうですが、ここは停留所もないので、
車か観光バスでの途中下車のみ、という事になりますね。



部分をアップすると、こんな感じ。
そうなのね、人工衛星からもちゃんと見えるんですねぇ! ははは。

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グーグルのストリート・ヴューだと、南北に見える道も車で通れそうなのですが、
実際は歩きのみ。 道を塞ぐ鎖もありましたから、関係者の車のみOKと。

地図の道を南に辿り、手前の林の奥に道を両側から丸く挟む形で見えるのが、
ほぼ点線の様に見えるのが奥の林。



実は帰る日の2日前にこの周辺をウロウロしましたので、次にそれらをどうぞ。

車を止め、林のある南側に下りてきて、それから上り道を辿りますが、
見えるカップルはフランス人、彼の方は体を傾け、花を入れての傑作を狙い中!

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上り道は林からかなり離れており、いま林より少し高い位置。
まぁ、傍によっても柵があり、近寄れない様子。

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州道の北側もこんな高さで見えますが、

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上り道をも少し上に行った所からの、北の眺め。

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こちらの西側、遠くに見える農家、 手振れご容赦。
 
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モンタルチーノの町。 美味しいワイン、ブルネッロの郷!

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谷の北側。  右の土色の丘が切れる辺り、あの辺りまでこの後上りました。

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北側の谷にもこのカメラマン。 この人は何を狙っているのか、ずっと定位置で、
後でshinkaiが行った時もここにいましたっけ・・。

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こちら、丘を上りきった所に、この奥の糸杉。
ここのは円を描くように植えられており、資材置き場様に石がごろごろで、
少しがっかり・・。

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丘の南向こうには、こんな風景が広がり・・。

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こちら側、林越しに見える北の丘。 橋もちょっぴり見え、

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上って来た丘を下までゆっくり下り、

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州道の両側をきょろきょろと見渡し、はは、走って横切り、

今度は北側の丘の道を辿ります。 丘の稜線、ずっ~と遠くに農家。

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道はこんな風に上ったり下ったりしながら奥に、奥に。
あの奥の畑が見える辺りまで行きましたっけ。

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さっき見えた家が今また左奥に姿を。 丘は3色で、手前は乾いたままの
荒れ土で、奥に見える茶色は、麦が植えられていなくとも、筋が見え、
昨年の麦刈りの後、株根を一旦耕した時の物かも。

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大分上ってきたでしょう?!
黄色は麦畑の中に咲く小さな花で、広がると色違いの絨毯を広げたよう!

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見晴らす辿ってきた道。 橋も、糸杉の林も、奥に辿った道も、奥の糸杉も。

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橋の東袂にある車寄せの位置も分りますね。
行かれる方、カーヴが続きますのでご注意を。



ここの麦は大分背が高くなっていて、

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ほらね、こんな風にもう穂が膨らみかけている!

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丘越しに見るモンタルチーノの町。

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最後にもう一度。 ではね、元気でね、またいつかね!!

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青空の下に広がる雄大な丘の起伏の眺め。
気持ちの良い散歩をしっかり楽しんで下さいましたように!
      

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・ マルケ州の町をちょっぴり ・ ジョヴァンニの写真で 

今日は予定を変更し、ちょうど届きましたジョヴァンニの写真で、
マルケ州の町のいくつかちょっぴり、ご覧頂きますね。
彼の奥さんは昨年9月に仕事を引退、めでたく年金生活者となり、2人でマルケに
出かけてくる、との事で写真を頼んでいたのです。

が、なかなか届かず、ヴェネツィアに出かけた時も念を押し、はは、彼としては
普通の町案内風景は苦手の様子で渋ったのですが、shinkai得意の押し技で
半ば無理やり、ははは、やっと届いたマルケの幾つかの町のご案内です。

苦手とはいえ美しい写真で、それも私の知らない町ばかり!で、ざっと書いてくれた
説明以外にあれこれ読み、それなりに面白い話も見つかりましたので、そのあれこれも。
ごゆっくりどうぞ!

トップの写真は、懐かしいグラダーラ・Gradaraの町!
マルケ州に入ってすぐの町ですが、行きがけに寄った様子で、町の門の上、
兵士の見回りの道から撮ったと。

1-1 Gradara_GF.jpg

そう、この見回りの道を通りたかったのが、shinkaiの行った時は何かあって
停止されていた時でしたが、その後やはり見学再開されているのですね。



小さな町をぐるりと取り囲む町の城壁があり、

1-2 Mura di Gradara_GF.jpg



城見物に入ってくる道と、右側にマラテスタ家の城。

1-3 Mura della Rocca_GF.jpg

1-4 Rocca di Gradara_GF.jpg

既に一度ご案内済みですので、ここでは簡単に。
素晴らしい城、要塞であり、またダンテが「神曲」に書いたことから多くの芸術家達の
インスピレーションを煽り、数々の作品が書かれ、描かれた「パオロとフランチェスカ」の
お話の舞台となったお城。

こちらから詳細をどうぞ。
n.1 グラダーラ ・ Gradara ・ 町とお城

n.2  グラダーラ  城  と パオロとフランチェスカ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/470815220.html 
  
私が行った2010年には城の中は写真禁止で、「違反者は厳しく罰せられます」と
言う可愛い張り紙で! 管理者が見張っているし残念ながら撮らなかったのですが、
今回ジョヴァンニが撮っているではないですかぁ!!
で訊ねましたら、全然問題なかったと! 写真OKになった様で、うんもう、く・や・ち!

という事で、ジョヴァンニの写真で、フランチェスカの寝室

1-6 Stanza di Francesca da Rimini_GF.jpg

1-7 Costume di scena Francesca_GF.jpg

この衣装は、19~20世紀にかけてのイタリアの大女優エレオノーラ・ドゥーゼ・
Eleonora Duseが「フランチェスコ・ダ・リミニ」を演じた時の衣装なのだそう。

エレオノーラ・ドゥーゼについては
アーゾロを彩る女性ふたり ・ アーゾロ市立博物館 n.1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463693720.html



城の礼拝堂にある、素晴らしいテラコッタの祭壇浮き彫り
アンドレア・デッラ・ロッビア・Andrea della Robbia作。

1-8 Della Robbia_GF.jpg



マルケの地図をどうぞ。 エミーリア・ロマーニャ州からマルケ州に入ってすぐ、
カットーリカ・Cattoricaの南にグラダーラがあり、

9-2_GF.jpg

今回ジョヴァンニ達が行ったのは、アンコーナ・Anconaの南にあるロレート・Loreto、 
レカナーティ・Recanati方面。

地図に見える各町のご案内は
ウルビーノの、パラッツォ・ドゥカーレ・Palazzo Ducale di Urbino
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463304758.html

ファブリアーノ ・ イタリアの紙の郷
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029550.html

トスカーナ州の  n.1 アンギアーリ ・ 中世の宝石箱の様な町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129676.html
 
n.2 アンギアーリ ・ 中世の宝石箱の様な町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129968.html

「アンギアーリの戦い」始末記と、その周辺もろもろ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461130197.html

ウンブリアの  グッビオ ・ インジーノ山の麓、ローマ期からの町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462901650.html

ペルージャ ・Perugiaのご案内
       


上の地図のアップを。 彼らが宿泊したのは海岸沿いに見えるマルチェッリ・Marcelliで、
ヌマーナ・Numana、シローロ・Sirolo辺りはバカンス地で、その北になるコネーロ・
Conero山一帯には自然公園が。

10-g_GF.jpg

参拝地として有名なロレート・Loreto、19世紀イタリアの詩人ジャコモ・レオパルディ・
Giacomo Leopardiの生家のあるレカナーティ・Recanati、
少し北に離れたオッファーニャ・Offagnaは古くからの村落。

という感じで、我がコネリアーノからどの位の距離かと確かめると、ずっと高速で行け、
コネリアーノ~ボローニャ、そしてアドリア海側に向けて下り、441km 4時間20分と。
       


こちらがコネーロ山の麓にある海岸、エミーリア・ロマーニャのリミニ辺りに比べると
狭く小さめですが、夏はやはりかなりの海水浴客が押し寄せるのだそう!

11-1 Conero_GF.jpg

12-3 Riviera del Conero_GF.jpg

これら2枚はどちらも、彼らが宿にしたB&Bからの眺めだそうで、
宿の名はヴェント・デル・マーレ・Vento del Mare・海の風
サイトは http://www.ventodelmare.it/ventodelmare/index.php?lang=it
お値段はシングル60エウロまで、ダブル95エウロまで、朝食付き、そうお高くないですね。

上のコネーロ山の麓の海水浴場の写真ですが、shinkaiが持っているMondadori社の
マルケのガイドブックの表紙写真でお馴染みのもので、そうか、ここだったのか!

トスカーナやウンブリアに比べ、マルケはまだまだ観光後発組。
余り有名地のアピールも無く、その分お安く済む様子です。



コネーロ山に向っての眺め。

13-2 Sirolo Numana Conero_GF.jpg



ヌマーナの町

14-6 Numana_GF.jpg



そしてシローロ。 この2つの町は古くからの漁村だったのが、現在はヴァカンス地に。 

15-4 Sirolo_GF.jpg



シローロにある、漁師の像。

16-5 Sirolo monumento al pescatore_GF.jpg



こんな海沿いなので、魚料理がとても美味しく、これは唯一写真のあった魚介のパスタ。

17-7 Tagliolini ai frutti di mare_GF.jpg

食べ物の写真をもっと送って、と書いたら、お腹が減っているから食べる方が先で、
いつも忘れると。 ふむ、ブログ修行が無いからなぁ、ジョヴァンニは、ははは。
土地のワインも素晴らしいのがあるそうで、中でも有名なのが、ロッソ・コネーロ・
Rosso Coneroというそう。
       


さてカトリック教徒にとっての大参拝地の一つととして有名なロレート。

大クーポラが見え、一番手前右に見えるのが町の城壁。
聖堂と町をぐるりと取り囲んでおり、

18-1 Loreto_GF.jpg



大聖堂とその前の広い広いバジリカ広場(聖母広場)。 15世紀建設の
ルネッサンス様式で、鐘楼は18世紀のもの。
行事のある時は、この広場が参拝客でぎっしりと埋まる様子!

19-2 Loreto Piazza della Basilica_GF.jpg

20-3 Basilica_GF.jpg


所で普通聖堂は、なに聖人に捧げられたものと、その聖人の名が冠されていますね。 
ところがこのロレートの聖堂はちょっと違っていて、その名を「聖なる家の聖堂・
Basilica della Santa Casa」 または「聖なる家の聖地・Santuario」と。
       
つまりキリストの聖母のマドンナの家、ナザレに在った、ヨセフもキリストも
住んでいた家と! それがなぜここ、イタリアのロレートに?! 
で、ここから伝承が始まるのですが、

1291年にパレスティーナにイスラム教徒の侵入が始まった際に、この聖なる家は
天使達によって運ばれ、現在のアルバニアのフィウメ・Fiumeに。 その後何ヶ所か
天使によって運ばれた後、1294年にレカナーティに近い月桂樹の森の中に!!

こうして神秘な「ロレートの聖なる家」となったのだそうで、
この大聖堂の大クーポラの下に安置されているのが、この「聖なる家」で、
上を覆うのは、ブラマンテ設計による16世紀初頭の建設。

21-1- Interno della Basilica_GF.jpg



ですが大理石のこういう重々しいのを見せられてもピンと来ませんよね?
で、こちらを。

21-2-068_GF.jpg

重厚荘厳な大理石の中はこんな風になっていて、3方の壁は、まさにナザレ・
Nazarethに今も残る聖母の家の跡と呼ばれる壁に、壁の寸法、材質のレンガ、
切石、印付けがピッタリ合うのだそう!!

祭壇部分の聖母子像は、1922年の火災の後に再製されたもので、オリジナルは赤樅の
木材だったのが、現在はシトロンの木で、祭壇部分も火災の後に再製されたものと。
内部にあるフレスコ画は14~15世紀のもので、火災を免れたと。
       
天使によって空を運ばれ、ここロレートにやって来た、という有り難い伝承が
ずっと続いていたわけですが、近年の研究によって、信心深い信者達の想いを
崩す様々な事が明らかになっておりまして・・、はい。

多分十字軍の兵士達により解体され、ビザンチンの「アンジェリ家・Angeli=天使」の
援けにより、船で運ばれて来たものと。 最初はフィウメに、
そして伝承と違い、ロレートに。

ではなぜロレートにという事ですが、1294年当時の教皇はチェレスティーノ5世で、
大変有徳な方ではあったようですが、教皇職に留まるのを嫌い殆どローマに居られず、
教皇職代理のレカナーティの司教サルヴォ・Salvoが多分、ロレートからすぐ近い
レカナーティの港、当時の教皇領の港としては一番大きな港の一つだったそうで、
彼の教区内に聖母の家が最建築されるのを望んだのだろうと。
現在の我らにとっては、こういう筋書きの方が納得できますよね。



聖堂内には4つの聖具室があるそうで、その1つであるサン・マルコの聖具室を手がけた
メロッツォ・ダ・フォルリ・Melozzo da Forlìの天井画、15世紀末。

22-5 Cupola_GF.jpg

騙し絵の手法を使った最初の作品例になるそうで、飛んでいる天使達も、
丸天井の建築装飾もすべて描いたもの。

彼はアンドレア・マンテーニャが描いたマントヴァの城の「結婚の間」に
強く影響されたそうで。

n.1 マントヴァ・Mantovaと、サン・ベネデット・ポー・San Benedetto Po
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464089512.html

もう一つの聖具室のルーカ・シニョレッリを初め、聖堂内のそれぞれの装飾には
たくさんの芸術家達が参画しており、一大文化聖域となっている様子。



ロレートの聖堂の周囲を城壁が取り囲みますが、どうやら上がれる様子で、
上からの眺めの写真もあり、

向こうに海が見えるのが分りますか?

23-A_GF.jpg



これは聖堂の右側、広場の回廊との隙間の様。 聖堂の端の鐘の上にあるのは
雄鶏ですね、珍しい! きっと何か謂れがあるのでしょうね。

24-B_GF.jpg

25-C_GF.jpg

シニョレッリさんのコメントで思い出しましたので、追記を。

ここロレートは、16世紀の画家、特異な作品で知られるロレンツォ・ロットの
終焉の地でもありました。

彼の生涯については、cucciolaさんがこちらに。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/3290315.html



こちらは、地図北部の山中にあった、アンコーナから15kに位置するオッファーニャの町、
中世15世紀からの素晴らしい要塞。

26-1 Rocca di Offagna_GF.jpg



それぞれの丘の上に小さな町、村の姿があり、時に要塞も姿を見せるマルケ州。

27-2 Paesaggio da Offagna_GF.jpg



そしてレカナーティの中心、レオパルディ広場。 この町に生まれ、現在も生家が残る
ジャコモ・レオパルディに因みますが、

28-3 Recanati_GF.jpg



泉の上に見える像は、
 
29-4 Giacomo Leopardi_GF.jpg      

そう、ジャコモ・レオパルディ・Giacomo Leopardi(1798-1837)
19世紀イタリアの大詩人、文学者、哲学者。

土地の由緒正しい貴族、伯爵家の長子として生まれるものの、父親の無謀な投機
により経済破綻、強く、宗教心に固まる母親の愛情を受けずに育った、
大変早熟な天才頭脳の持ち主だった様。

青年期となり、猛烈な勉強で長時間座ったままに原因すると見られる脊柱側湾を発病、
その影響で脊柱が曲がる、つまり2重の背中の瘤となり、痛みと引き続く心臓の問題に
悩まされる、と言う、読むのも辛くなるような生い立ちの方で、ナポリで若くして
亡くなられているものの、凄い方なのでした。

・・と如何にものボキャブラリー不足で、すみません。
       
彼の草稿がある  ヴィッソ ・ ヴァルネリーナ渓谷の珠玉の町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463304165.html



レカナーティの夕暮れ。

30-6 Tramonto a Recanati_GF.jpg

31-C_GF.jpg



この要塞がどこにあるのか必死で探し、レカナーティから西のモンテフィオーレにある
カステッロ・ディ・モンテフィオーレ・Castello di Montefioreと!

32-B_GF.jpg

アンコーナの周囲には20ほどもの要塞があるそうで、これもその内の一つでしょうが、
住んでいる様子もあるようで、また訊ねて見ましょう。



最後は、ロレートを見晴らして。

33-5 Tramonto da Recanati.jpg

ジョヴァンニの写真によるマルケ州、如何でしたか? コメントをお伝えいたしますので、
どうぞお願いいたします! はい、それを出汁に、また次を頼みますので、ははは。
 

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・ 塩田・サリーネ という名の町 ・ ヴォルテッラ近郊 

旅の下調べ段階はとても楽しく、色々知る事も多いですが、
そんなこんなで発見トスカーナはヴォルテッラ近くの町、
サリーネ・Salineのご案内です。

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ヴォルテッラの周辺風景は雄大で素晴らしかった、というずっと以前の記憶があり、
どう回ろうかと地図を調べていて目に付いたのが、
ヴォルテッラの南西8k程に位置するサリーネの地名。

サリーネ・塩田?! こんな平野に?!
勿論北ヨーロッパの岩塩採掘など知識としてはあっても、塩田と聞くとやはり
海辺の塩田を思いますよね?

調べましたら、やはり古代より塩の採取で有名だった事が分り、も一つ、かって
ヴォルテッラまでの鉄道線があった事も知り、あれこれ纏めての今日のご案内を。

上の写真は、ヴォルテッラの町から西方の眺めで、中程に細長く広がるのが
サリーネの町、手前から蛇行しつつ行く道が、州道68号線。



地図をどうぞ。 中程にヴォルテッラ・Volterraの町があり、南西の赤点が
サリーネ・Saline、ティレニア海に出た所がチェチーナ・Cecina、ここは今回後ほど。

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そして東には、北からチェルタルド・Certaldo・ボッカッチョの町、
ポッジボンシ・Poggibonsi、ここはシエナからサン・ジミニャーノやヴォルテッラへの
バスの連絡駅。



海抜が530mもあるヴォルテッラの町から坂道を下り、やっと路肩に止まれる
場所から仰ぎ見る町。

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右端に並木が途切れ、人の姿がチラッと見える辺り、あの辺りから、
明け行く平野を眺めたのでした。

ヴォルテッラの朝 ・ 目覚めてゆく町と平野 
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465893083.html
       


州道68号線といっても、やっと2車線のカーヴの多い道で、上手く止まれる場所を
探しつつ、次々と変化する風景を睨みつつ・・!

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西に進んでの右手、つまり北側の風景よりも、左側南の風景の方が雄大で
変化に富むのですが、逆光になり、少し靄で色が余り冴えませんが・・。

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振り返ってのヴォルテッラの町。 上でもご覧頂いた旧市街の中心の洗礼堂や
プリオーリ宮のでっぱり、そして右端の傾斜に沿って大きく見えるのがメディチ家要塞。

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北側の風景で、写真整理中に気が付きちょっと感嘆したのは、

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見え難いのをご容赦願い、部分を半分切り取ったのがこれ。
お分かりですか、電線が平野を3本走っているのに、びっしりと黒い鳥で、中には
少し灰色も見えるのですが、大きさから考え多分カラスの種と思うのが、
こんなにもびっしりと止まっているのでした!

10-462.jpg



茶のなだらかなハーモニーもあり、

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濃い茶と、緑の縞々の段だらと、

12-469_GF.jpg



大きくカーヴする道、白い丸いのは、どうやら現代彫刻らしいのですがぁぁ、
大きな廃墟も見え、

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・・で、なんだろ、これ? 要塞とか居城跡かな?

14-473_01_GF.jpg



もうそろそろサリーネの町に近い位置。
shinkaiのパンダちゃんと、車の陰でスケッチするmkちゃん。

15-484_GF.jpg



この頃はグーグル・マップの地図、衛星地図、ストリート・ヴューがとても便利で
活用していて、町の様子も先に大体探る事が出来ますよね。

でやはり、サリーネの町自体は先の偵察通り、街道筋に家や店が立ち並ぶ
変哲もない町でして、失礼、見かけた道路標識だけ撮っており・・。
東ヴォルテッラまで8k、西チェチーナまで30k.
      
16-487_GF.jpg



最初に書いた様に、サリーネの町の由来を読んでいて、かってヴォルテッラまでの
鉄道が通っていたのが、現在は廃線となっている事を知りましたが、
こちらがその駅、鉄路はここで途切れます。

17-488_GF.jpg

18-486_GF.jpg

上の写真で奥に見える駅舎で、写真に見える右のガードレールのすぐ横を州道が通り、
かなりの車の往き来で、駅舎の前までは行かなかったのですが、



こちらがサイトから拝借の駅舎正面からの様子。
サリーネ・ポマランチェ・Pomaranceのポマランチェは、サリーネから南に行った町。

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で、こちらがかっての鉄道線の行程。

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どこの国にも鉄道ファン、それもかっての蒸気機関車ファン、廃線になった鉄道線の
ファンなるものが居られる様子で、今回調べているうちに、かなりの情熱をこめた記事も
写真も見つかり、あれこれ知ることが出来ました。

まず、ヴォルテッラに向ってはかなりの傾斜となるのはお分かりですよね。
なのでこの区間3箇所にクレマリエーラ・cremagliera・日本語でラック式と呼ばれる
歯車を噛み合わせ傾斜を上る方法が採用され、西海岸のチェチーナ(リヴォルノ県)まで、
乗客、ヴォルテッラのアラバスターやサリーネの塩を運んだのだと。



古い写真が見つかりました!
まずラック式という、歯車を噛み合わせて傾斜地を克服する方法ですが、

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線路をご覧下さいね。 二本の通常の線路の他に、真ん中に太い線が見えますね?
この部分がぎざぎざの長い歯車になっているのですね。

背景の風景から見て、ヴォルテッラの町から坂を下り西に向う位置と見えますが、
見物人も出ているのが、楽しい!! ははは。



もう一枚、どうぞ。 こちらではっきり真ん中の歯車式が分りますね。
そして小さめの機関車の車体自体が傾斜し、可愛い!
前についている輪が歯車を噛む式になっているのが見えます。             

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あの急坂のヴォルテッラの町のどこに鉄道駅があったのかと考えましたが、
どうやらメディチ家要塞の下の平地部分に駅があった様で、
現在はバス駅に利用されているとの事。



所でサリーネ駅を傍まで見に行かなかったのは、廃線になったと読み、
てっきり駅も使われていないと思ったからなのでしたが、
なんと、サリーネから西に向う部分は復活していたのですね。

後先逆になりますが、ここの鉄道線について書きますと、西のティレーニア海側の
チェチーナからサリーネの30km間が開通したのが1863年10月20日、
更にヴォルテッラまでの開通は1912年だったとの事。

第二次大戦中に破壊されたりもあったのが、戦後直ちに復活、貨物列車がせっせと
活躍していた様子ですが、次第に貨物での運搬物資が減り、様々な新しい試みも
された物のヴォルテッラ・サリーネ間が閉じられたのが1958年11月12日。
つまりこの区間は大変短い運転期間だったのですね。

そして車での運搬が増え、サリーネ・チェチーナ間も遂に1990年代に貨物の運行が
止まり、乗客輸送のみになっていたのも、1999年の川の大氾濫による被害があったりで
止まり加減だった様子。


それが漸くに何ヶ月間の保線修理も終え、2013年12月4日に西海岸側とを結ぶ
鉄道線が再開されたといい、
 
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現在は日に4往復、日曜日はお休みで、学校が閉まるクリスマス休暇と
夏休みの6月最初から9月の最初まではお休み、という運行。

そうなんです、我がスコミーゴ村を通過するバスもちょうどこんな運行本数で、
日曜と学校のお休み期間は無しで、
イタリアの田舎の場合はこういうのが多いのではないかしらん・・。
       


所でヴォルテッラ・サリーネ間の元の線路跡が通行出来そうとグーグル・マップで知り、
あの狭いカーヴの道で停車できる場所を探すよりも、こちらの方がゆっくり風景を
楽しめるかもと行って見る事に! へい、好奇心いっぱいのshinkaiですよってね。

衛星地図をどうぞ。
赤点がサリーネの町、左下の電車の印が駅の位置で、小さい赤点ポツポツが
元の鉄道線路跡、上を黄色の州道が通ります。

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細長めの池に見えるのが、町の名サリーネ・塩田の由来となるもので、
大きな赤点を打った辺りに我々は間違えて入り込んだのでした。



駅の近くで丁寧に教えてくれる人に出会い、確かに入り込んだ道は
正しかったのですが、行き過ぎてしまい、ははは、こんな道!!

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出会った高年シニョーレにヴォルテッラまで行けるかと訊ねると、途中の橋が
落ちているから、そこまでは行けるけど、あとは車では無理だというので、
では、そこまで行こうかと。

春からずっと大雨が続いていましたし、4輪駆動の大型車でも通ったのか酷い道に
なっており、直に、止めておいた方が良いね、と車を回そうとしてガタンと落ち込み、
友人が右だ左だと指示を出してくれて脱出成功!



その道脇に車を置いて、暫く先まで歩いて行きましたが、

普通車は寄せ付けない凸凹道も、蟻は大丈夫なのね、ふむ。

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道を間違えた事は、今回ブログ・アップの為にもう一度グーグルマップを確かめて
気がついたのですが、
       
間違えずに元の鉄道線路跡に入り込んでいたら、この塩田は見れませんでした! 
ならば幸運だったのかな? へへ。 はい、ここがサリーネの塩田です。

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塩田といっても、海水を平たい畑に通し、太陽の陽で乾燥させるのではなく、
ここのは塩水の湧き水利用で、こうしてご覧になる様に、いわば岩塩状態ですね。
で、まさにこの一帯にはイタリアにおける大きな埋蔵量が埋まっているのだそう!

エトルスクの時代からここの塩辛い湧き水は利用されていた様子で、
ローマ期には既に記したものがあリ、中世を通しこの湧き水はモイエ・moieと呼ばれ、
この地方の経済を潤し、当時はヴォルテッラの司教領主の持ち物だったのが、
コムーネに渡り、そしてフィレンツェ共和国に。

塩田の最初の記録が残るのは980年頃、当時ドイツのザクセン地方で岩塩鉱が
見つかり、神聖ローマ帝国皇帝オットーネ2世が、技術を学ぶようにと、
この地方の塩製法の親方達を招いたものだそう。

フィレンツェ共和国、トスカーナ大公国に渡っても、大きな税金はかけられた物の
この地のものとされ、どんどん大掛かりな製造法になって行った様子。


モイエ・塩水の湧き水から塩を取り出す方法がちょっと面白くダイナミックなので
書いてみますね。

5つの井戸(6つと書いてあるのも)から巻き上げ機によって、24時間に500杯もの
塩水が大バケツで汲み上げられ、幾筋かに分けられた道を通り槽に溜められ、
そこから再度幾筋かの道を通り8基の燃焼器に。

燃焼器の下は鉛製の格納庫とでも言うのかになっていて、
3時間毎に木製の熊手で出来上がった塩を掻き出す仕組み。

昼も夜も焚き続けるために、一つの燃焼器に付き3人の男が働き、燃やす薪は
一日にしてロバの積荷にして100荷もの薪が必要。
パスクワの休暇以外は休むことが無いので、周囲5マイル一帯は薪の山で埋まり!

3ヶ月ごとに石の燃焼器が新しく作られ、その上に鉛の塊が置かれ、その鉛が溶け
石の燃焼器の形となり、塩が燃焼器から出る時に乾燥するのに調度良い形に
なるそうで、ご想像を! 出来た塩は即袋に詰められ、ヴォルテッラの倉庫に送られ。

トスカーナ大公国からイタリア王国に、そしてイタリア共和国にと持ち主が移り、
塩も国家専売品に。



塩田脇より眺める現在の精製工場で、アティサーレ・Atisale.

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サイトを見ましたら、所有の3つの塩田の説明があり、ここサリーネのは
地下100~200mにある1700平米の岩塩で、大変純粋度の高い細かい塩だそう。
       
イタリア内の、所有する3つの塩田の様子も知れるサイトは
https://www.atisale.eu/



道をもっと進むと、こんな廃屋もあり、

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小池もあり、・・うん、ここも塩味かな? ははは。

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草や細かい枝に絡みつくようなカタツムリがあちこちに。

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そして、塩辛トンボ風、かなり大きめ。
ね、塩田脇に塩辛トンボなんて出来すぎですよね、ははは。

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道はまだまだこんな風に延びて行き、

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振り返ると、遠くにサリーネの町並み。
小さな小屋の先に、小さく見えるshinkaiのパンダちゃん。

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も少し先の小高い所から眺める、ヴォルテッラの町。

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さて、引き返す事にしましょうか・・。
     
少し長い説明もありましたが、どうぞ、お楽しみ頂けました様に!

    
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