・ 聖女フィーナと、収穫のお祭り ・ サン・ジミニャーノ

中世の塔の町、世界遺産にも指定のサン・ジミニャーノですが、

サイトで、「サンタ・フィーナの騎士団・I Cavalieri di Santa Fina」
という協会がある事を知り、それに関連し中世風お祭りの写真もたくさん
見つかりましたので、今日はそれを皆さんにお楽しみ頂こうと・・!

まずはこの町の聖女、サンタ・フィーナのご紹介を。

彼女の生家はチステルナ広場から東にじきの小路を右に。 小路の入り口に
標識も出ていますし、写真のように、建物の間を抜けるアーチの道。

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突き当りを左に折れるとこんな感じで、この家がサンタ・フィーナの生家と。

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入り口扉の横に陶板が見えますが、



サンタ・フィーナの家
1238年生まれ  1253年3月12日没
そうなのです、僅か15歳の人生でした。

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彼女の足元に、何か板のような物を抱えた天使がいるのにご留意を。



こちらが町の北端にあるサン・タゴスティーノ教会・Sant'Agostinoにある、
見てませんが、サンタ・フィーナの肖像と。
作者はベノッツォ・ゴッツォーリ・Benozzo Gozzori.

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聖女、サンタ・フィーナとご紹介しておりますが、本当は聖女に叙されておらず、
福者「サン・ジミニャーノのフィーナ」が正しい様ですが、
この町では町の守護聖人サン・ジミニャーノに並ぶ扱いでして・・。

彼女の短い人生がなぜこんなに語られるかと言いますと、
貧しい貴族の家に生まれた彼女は、10歳の時に骨髄炎かの重病にかかり、
大変な痛みに耐える闘病生活に。
それを彼女は粗末なベッドさえも拒否し、樫の木の硬い板に横たわり、
腐敗した肉は木にこびりつき、鼠と蛆虫に食われる有様!

父親についで母親もなくなり、唯一その苦しみを和らげるのは
神への信仰と感謝と天国に迎えられる希望のみ。
はい、聖人、聖女のお考えは我ら凡人とは違いますよって・・!

なぜこんな厳しい道を彼女が選んだかと言いますと、
まだ病気にかかる前、一人の兵士に出会い、彼が愛の印にオレンジを贈り、
彼女が受け取ったのを親が咎めたからで、
その贖罪の為に硬い木の板に横たわったのかも、とか・・、
この辺りはよう分りませんですね、まだほんの少女の心理は・・。



こちらも聖フィーナの逸話を語るもので、苦しい闘病5年後、彼女の元に
大聖グレゴーリオ・San Gregorio Magnoが現れ、8日後の死を予言し、
その通り1253年3月12日に。

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大聖グレゴーリオという方は、第64代のローマ教皇(在位590-604)
グレゴーリオ1世の事で、教会改革を進めた中世初期を代表する教皇様だそうで、
彼の亡くなった日も3月12日なのだそう。


現在の我々にも大変親しい「グレゴリオ聖歌」に名を残す方として知られますが、
この歌詞を彼が書いたかどうかは確かではないと。

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聖フィーナが亡くなった後、その遺骸を樫の板から外すと、紫の花で覆われ、
部屋の中は新鮮な花の香りで満ち、町の城壁にも紫の花が咲き、
これは現在もで、町の人々は「サンタ・フィーナのヴィオラ」と呼ぶのだそう。

そして彼女の墓や名の下に寄進されたお金や財産を使い、彼女の名を冠した
病院が運営され、貧しい人、老いた人、病める人、巡礼者達の救護に当たり、
つい近年までずっと続いていたのだそうで、これは素晴らしい事ですよね。



という様な、本日の前置きが長くなりましたが、
彼女の名に敬意を表した騎士団協会から芋ずる式に、ははは、
イタリアの中世回顧祭りともいう
サン・ジミニャーノの収穫のお祭り・Ferie delle Messiをどうぞ!

まずはこんなお祭りには付き物の、時代衣装の行進。
ここのは何と500人程も参加するそう!

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白い大きな牛、シエナのパリオでもお馴染みのキアニーナ種と思われますが、
それに引かせた牛車もね。

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牛車には「花の女神・フローラ」が乗ったのもあるそうですが、
ここでは可愛い少女達が乗り込み、麦わらを投げつける様子を、はは。

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お祭りはフェーリエ・デッレ・メッシ・Ferie delle Messiといい、
(小麦の)収穫後のお休み、という様な意味になりますが、
毎年6月の第3週末3日間に渡り繰り広げられ、今年でどうやら20回め。



プログラムを見て分ったのは、すべての行事に町の人々が参加して、というのは、
人口7600人ほどの町では無理ですし、

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他の町から、中世の様々な仕事を実演したり、広場で市を開くグループ、
鷹狩りの実演、中世風ダンス・これはドイツの姉妹提携している町から、
旗振り競技はラクイラ・L'Aquila、アブルッツォ州の町からの参加、
多分中世音楽のグループと、夜の町で火を噴いたりする公演のグループが招かれ、

町の人々が実際に参加して競技が行われるのは、
4区域に分けられての、男性の綱引き、ははは、これが面白いのですよ!
女性達は、布の三つ編み競争、そして一番の呼び物、騎馬による棒の競技!!



ゆるゆると様子を見ていただきますが、

こんなロバを連れた男性の写真もあり、チュキーノ・ciuchinoとタイトル。
小さなロバ、という意味のようですが、まぁ、その通り受け止めて・・。

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太鼓隊の隊長は、かっこいい女性ですねぇ!
       
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指を4本立てているでしょう? あれはですね、こちらの音楽始めの合図は
1、2、3、4、で始まり。 日本だと、いち、にぃ~の、さん、で始まりますよね、
まぁ、結果同じ間隔になるとはいえ、
初めて聞いた時は、へぇ!とささやかながら大きな驚きでしたぁ!



兵士に扮した、若き美男もサーヴィス、ははは。

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ドゥオーモ広場の石段前に勢ぞろいの、ダンスのメンバー。

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こんな風に踊りをご披露。

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迫力あるドラム隊が、合図の太鼓を打ち鳴らし、

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手に唾つけて、準備万端整え、

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始まりますは、そう、昔ながらの綱引き競技!
イタリア語では綱がフーネ・funeで、ティーロ・アッラ・フーネと。

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これが大変面白いのです、見ていると! 単純な競技ほど熱中しますよね、
熱中するとつい舌が出るのは、洋の東西変わらずかな・・。ははは。

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アッシジの坂の広場での綱引きは、回転する鉄の筒に綱を回し、
同じ向きから並んで引くのを見ましたっけ!

アッシジ 春のお祭り、カレンディマッジョ ・ その前夜
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461552319.html

n.1 アッシジ ・ 春のお祭り カレンディマッジョ 2008
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462444730.html

n.2 アッシジ ・ 春のお祭り カレンディマッジョ 2008
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462444914.html

n.3 アッシジ ・ 春のお祭り カレンディマッジョ 2008
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462445362.html

n.4 アッシジ ・ 春のお祭り カレンディマッジョ 2008
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462445553.html



こちらは町の女子勢の競技、布の三つ編み!
必死になって、潜って走り回るのでしょうねぇ、ははは。

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旗振り競技、 どの写真のがラクイラからのチームか分りませんが、
全国大会もある様子なので、毎年参加チームが変わるのでしょう。

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我が町 コネリアーノ ・ ダーマ・カステッラーナのお祭り
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463527210.html

古い写真ですが、 アスコリ・ピチェーノ ・ 夏の祭り
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029151.html

みんな、広場へ ・ ウンブリア紀行 3
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462901061.html
     


この弓競技も面白そうですが、修練が必要でしょうね。

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そして、男性陣が大好きなチャンバラごっこ!
手前のシニョーレ、腰が引けてるよぉ!

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ははは、やられて、死んどる!



剣。 これが重いのです! 
ウィキで見ましたら、両手持ちの剣で平均1,5k程とかですが、
昔お祭りに出かけて持たせて貰ったら、ずっしり・・!

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さてお祭りの最後を締める、騎馬による棒の競技の始まり!
ドゥオーモ前で、町の4つの区域の騎士と馬が紹介され、お清めがあり、

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競技の行われる要塞に向いますが、町の通りをずっと行進する様。

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棒の競技・Giostra dei Bastoniとはどんなかと思いましたら、
ははは、本当に棒を持っているでしょう?

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で、真ん中に見える棒の上に乗った兜をね、



走ってきた勢いを持って、叩くのですね。

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で、どうやって勝負が決まるかというと、あちらこちらの写真を見てのshinkaiの
推察結論はです、兜が乗っている棒のすぐ下が折れる様になっていますね。
で、強く叩き、相手側に兜を落とした方が勝ち、つまり腕力勝負! ははは。

追記: いや、下のヴィデオを見て分かったのは、腕力勝負ではなく、はは、
    兜の横から騎馬で2人が逆回りに出発し、折り返しの早い方が
    兜を打って、という勝負でした。
    どちらも空振り、というのもあり、はは、この時はもう半周回って、ね。



勝者の騎士とお馬ちゃんの名も、勿論勝者の地区の名も、ドゥオーモ広場で
表彰され、夜は皆での大食事会!
たてがみが、可愛く編まれているでしょう? ははは。

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屋台の食べ物屋の主人も、中世風に装っていて、

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楽しいお祭りの様子ですね。 食べ物の写真が見つからずで残念ですが、
また次回のお祭りの時にでも!

こちらにお祭りのヴィデオ、音が聞こえますので、お暇な方どうぞ!
https://youtu.be/xEmCXXgeCWU?t=523



さて最後は、サン・ジミニャーノの有名なサフランを。

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中世には染料、薬、香辛料としても大変貴重なサフランで、町はその栽培で
大いに儲けたので有名したが、この軽い軽い雌蕊を手作業で抜きとり、
乾燥させる、その貴重で高価な事から「赤い金」とも呼ばれたそう。

という、そんなこんなの歴史あるサン・ジミニャーノのご紹介でした。


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・ アレッツォ生まれの著名人の家、とその周辺 

今日はアレッツォ生まれの著名人、それも歴史に名を留める程の大有名人、
・・中には知らなかった方も含まれますが、へへ、
アレッツォに生家または家が残る、お一人は家もないのですが、偶然に標識を
見つけ・・、 その4名の家や周辺、そして例によりもろもろの話題を。
上手く纏まりますか・・、お付き合いを願います!

この街のドゥオーモ、カッテドラーレ・デイ・サンティ・ピエトロ・エ・ドナート・
Cattedrale dei Santi Pietro e Donatoで、街の北東の高台にあり、

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ゴシックの素晴らしく大きな聖堂で、古いロマネスク教会・ラ・ピエーヴェをご案内
の時にでも、中の写真を少しご覧頂きますね。



街の地図をどうぞ。
ドゥオーモが右上に、緑色の線で囲った部分が今日のご案内ですが、

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左上、XX Settembre・ヴェンティ・セッテンブレの通りにあるのが、
緑の印をつけたのがジョルジョ・ヴァザーリの家。
       
ドゥオーモの左端から下るVia Ceesalpino・ヴィア・チェザルピーノの番号5が、
グイド・モナコ・ダレッツォ の生家。

同じ通りの斜め下に緑点を打った場所に見つけたのが、ピエトロ・アレティーノの標識、
その斜め下に見える仮面の印の場所に、彼の名を冠したテアトロ。

この通りをずっと下った番号14が、先回ご案内のピエロ・デッラ・フランチェスカの
壁画のフランチェスコ教会で、その下の教会で見た展覧会の様子を少しご紹介を。

で、ドゥオーモから右下に下った番号6に、フランチェスコ・ペトラルカの生家で、

右下のグランデ広場の上辺のヴァザーリのロッジェの左の緑点に、彼の浮き彫り像が。

という事で、ジョルジョ・ヴァザーリの家博物館からご案内ですが、
今回訪問しておらず、写真もサイトから拝借で、こちらが彼の自画像。

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正直な感想は、えっ、こんな顔をしていたの?!なんですが、どう思われます?
画家、建築家、美術史家としての活躍を思うと、何歳の自画像かは分りませんが、
少し覇気が無い様な・・、ははは、失礼!

ジョルジョ・ヴァザーリ・Giorgio Vasari(1511–1574) 近年フィレンツェは
ヴェッキオ宮の彼の壁画の下に、幻のレオナルド・ダ・ヴィンチの壁画が残っているや否やで
大いに話題になった画家であり、ウフィッツィ宮、ヴァザーリの回廊などの建築家でもあり、

そして何よりも我々にとって近しい存在なのは、1550年に出版された
「画家・彫刻家・建築家列伝・Le Vite de' più eccellenti pittori,
scultori e architettori italiani」

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チマブーエから彼の時代に至る約160名を取り上げ、その生い立ちや逸話、時に
彼の創作も含め、はは、様々な技術についても言及した大変に貴重な作品で、
当時の画家の生き生きとした様子を今に伝えます。

ヴァザーリが取り上げている逸話、レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯・DVDから1と2



こちらがヴェンティ・セッテンブレ通り55番にある、ヴァザーリの家博物館・
Museo di Casa Vasari.

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1541年に購入し、彼自身が
アレッツォの家の(準備が?)始まっている。
町の一番良い地区サン・ヴィートで、広い菜園が付いている、
と記している、3階建ての素晴らしい物。



彼自身が建物の装飾をする事を決め、芸術、芸術家、そして自分を称える為の
正確な計画を広げ始めた意図が良く分かるそう。

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彼がフィレンツェで没後、最後の子孫となった人が687年に「世俗の信心会」とでも
言う会に不動産を遺します。この会の建物がグランデ広場の西を占める
パラッツォ・デッラ・フラテルニタ・デイ・ライチ・Palazzo della Fraternita dei Laici
で、後に持ち主も変わりますが、1911年生誕400年に国が購入、現在の博物館に。

この博物館入場も30分毎の予約が必要で、
http://www.giorgiovasari-ticketoffice.it/

今回の写真も、サイト名が入っているのはshinkaiの撮った物、
他はサイトから拝借のものです。



グランデ広場に抜ける長~い、ヴァザーリのロッジャ。

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ロッジャと書いてますが、この上の建物全体を含めヴァザーリが1573年に設計し、
グランデ広場の1辺を、すっきりとルネッサンス様式で占めます。



ロッジャの西の端の壁に、こんな彼の像が。 自画像よりずっと良い印象!ははは。
左手に筆、右肘の下に本、背後に薄く見えるのはウフィッツィかな、

ジョルジョ・ヴァザーリに、 愛と尊厳を、 故郷  1911年 
 
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ついでにグランデ広場の逸話をひとつ。アレッツォ近郊出身の俳優ロベルト・ベニーニ・
Roberto Benigniがアカデミー賞を取った映画「人生は美しい」に登場の場面。

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さてもう一度ドゥオーモ近辺の様子を。

番号2がドゥオーモで、1がプリオーリ宮・Palazzo Priori・現在は市役所で、
インフォメーションもありますが、この建物に続いて左にコの字型の建物があります。

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朝早くの写真でご覧頂くと、左に見える像はドゥオーモの高い前広場の角の物で、
右の2番目の石造りの古い建物がプリオーリ宮で、現市役所、塔のある建物も含まれ、
その脇から道が下りますが、通りの名はヴィア・チェザルピーノ・Via Cesalpino.

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道を少し下った位置から逆に見るとこんな感じで、左側の建物の角近くに
石碑が埋められているのが見えます。

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この建物は位置から考えても、由緒あるものと思われますが、道を下りつつ見えた
建物入り口の扉の木彫り。

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まず最初にこの木彫りに気がつき、



次にこの石碑が目に入り、音符が書いてあるので写真を。
「ここにグイド・モナコが生まれ、住んだ」

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この時点では何者かまるで知らなかったのですが、アレッツォの予告編の時に、
MUSICAさんがコメントを下さり、音符、ドレミの創始者と判明!



そう言われてみると、アレッツォの鉄道駅から少し来た所に大きなロータリーがあり、
グイド・モナコ広場と名が冠され、真ん中に彫像もある事が分かり、

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改めてお知り合いになるべく、ははは、少し調べました。
壁の石碑にはMonacoと大文字なので、姓かと思ったのですが、僧侶グイドの意で、
アレッツォ出身のグイド、グイド・ダレッツォ・Guido d'Arezzo(992頃-1050)
ベネデッティーノ派の僧侶。

ヴェネトからポー河を渡ってすぐのエミーリア・ロマーニャ州はポンポーザの修道院・
Abbazia di Pomposaで、音楽を教えていたと言います。

で、ミサの際に歌われるグレゴーリオ聖歌のリズムを、僧侶達が覚えるのに
苦労している事から、従来とはまったく違う教授のメソドを考え出したのだそうで、
北イタリアで大変有名になり、敵対嫉妬心の攻撃で、修道院は無かったものの
歌曲が盛んだったアレッツォに移ったと。
この地でそれまでの研究を集大成した、新しい音楽の標記法を纏め上げたのだそう。



で音楽標記に関する記事を、聴くのは好きでも無知なshinkaiがあっちこっち何度も
行ったり来たりで読み返し、こういう事ではないかと纏めますので、
もし違っていましたら、ご教授を先に願いおきまして・・!

初期の音楽標記は言葉の上に、斜め線やら、その横に点を打ったり、延ばした線で
書いていたのが、中世になりメロディがどんどん長く、そして区切られるようになると
歌う為に記憶するのが難しくなり、
9世紀から中世全般にわたり使われ始めたのがネウマ譜というもの。

■、そしてそれに棒を付け加えたりの標記で基本形が8種、それに特別な形の
複雑なものが何種もあり!
つまりネウマ譜というのは、メロディとリズムを与えたひとつの記号ですが、
これに画期的な標記を与えたのがグイド・ダレッツォで、4本線を加えたわけです。

そしてもう一つ、グイドの歌手を助ける為の教授法は、グイドの手と呼ばれるもので、

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聖ヨハネの歌から、Ut Re Mi Fa Sol La のイニシャルを取り、
6音音階を現した事なのだそう。
後に Ut は Do となり Si が加わるわけですが、現在我々に親しい
ドレミファソラシの原形は彼にあると。 という事で、お許しを! 

ポンポーザの修道院
      

さらに、こんな坂道を下って行き、

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ふと目に留まった、標記のある建物。

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ピエトロ・アレティーノ・Pietro Aretino  Arezzo 1492-Venezia 1556

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並外れた天才、鋭い偏見にとらわれない文学者、当時の君主、著名人の中において、
一番の高い名声を得る。 カルロ5世、フランスのフランソワ1世の友達であった。
この町で生まれるが、早くにペルージャに移る・・・。



到底shinkaiの手には負えない大人物でして、はい、
アレッツォの町の遊女と貧しい靴職人との間に生まれたというこの人物が、
時の君主や法王と交わるだけの才気に富み、文筆家として世を渡り、大財産を持ち、

画料がめちゃくちゃ高かったらしいティツィアーノに、53歳の頃に描かせた肖像画がこれ!

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恐ろしいほどの傲岸不遜さが、逆に小気味よくもありますが・・、
男を描くティツィアーノの素晴らしさ!!



てな事でちょっと毒気を抜いて頂くため、ははは、ずっとチェザルピーノ通りを下ると、
先回ご案内のサン・フランチェスコ教会があり、
その東の脇道に入り口のある同教会の下層の教会は、近年修復され現在は展示会場に。

その修復資金を援助したのが、エトルリア銀行・Banca Etruriaで、
この写真の金庫室は、はい、エトルリア銀行の。

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このポスターの前で、これ、インゴットよね? 本当にこんなに金庫室にあるの?!
と係りの女性に聞きましたら、にっこりと、まぁ大体これ位は、って!

で銀行のサイトを調べましたら、ははは、物好きshinkai、
実体の金を持っているのでは、イタリアで一番、 なんですってさ!



この下の教会の展示会場で見たのが、「世紀の金展」で、ははは、素晴らしくピッタリ!
カステッラーニ家のコレクション展といい、19世紀のイタリアにあって、考古学的な品や
宝石に金細工を施したりの、金細工師のコレクション展で、上の教会の入場料と共で
お安く見れましたので・・、たまにはネ、へへ。

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で、この金展開催中に、実際に金細工師の仕事ぶりをすぐ斜め向かいで公開中で、
こんな拵えで、この若き美人がお仕事を。

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ランプに炎が上がっているのが見えますが、この炎で手に持つヘラを温め、
赤い蝋をすくい、ならし、原型を作ります。

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こんな感じで、とにかく細かい細かい仕事!

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左の棚の一番下段の真ん中、見え難いですが、中に原型を収めた円筒形がありますが、

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この円筒形に納め、周囲に石膏を流し込み型を取り、後はこの型に金を流し込む訳。
こういう金細工師になる為にはどの位の年月が必要なのか、そういう質問はし忘れ。
      


さてもう一度街の一番高所にあるドゥオーモに戻って頂き、
南東側に下るコルソ・イターリア・Corso Italiaを斜めに角を曲がって来ると、
一番の通りコルソ・イターリアに続く道で、素晴らしく大きなラ・ピアーヴェ教会の
鐘楼も見えますが、

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右手前に凸凹に見える壁が、



この建物で、現在は図書館になっているプレトーリオ宮・Palazzo Pretorio、
(元は名前から見て執政官邸だったと)壁のたくさんの紋章が素敵で、

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陽射しを浴びると、もひとつ素晴らしい威容を見せ、

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その左横に見える塀から覗く内庭。見える鐘楼はドゥオーモのなのですが、
横に小さな標記があって、ペトラルカの家と。

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サイトから拝借の写真をどうぞ。 上でご覧頂いた内庭は、写真の一番左端に
切れて見える部分で、どうやら現図書館に含まれ、
右奥に大きく見える扉が、ペトラルカの生家博物館入り口。

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脱線ですが、shinkaiが勝手にミーハーしている、ははは、ガルダ湖畔の
ガブリエーレ・ダヌンツィオの家博物館・イル・ヴィットリアーレ・Il Vittorialeの
建物正面にはたくさんの紋章が掛けられていて、アレッツォのペトラルカの家を模した、
と聞いた記憶。

追記:ペトラルカの家、とはshinkaiの記憶違いで、行政官庁でした。2018.12.27

ダヌンツィオのガルダ湖畔の家
      

この横道はヴィア・デルオルト・Via dell'Ortoと言い、ノスタルジアを感じる
古い絵葉書も見つかりまして・・。

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で、現在のペトラルカの生家博物館の入り口。

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小さな中庭があり、奥に入り口ですが、中は写真禁止になっておりまして・・。

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入り口には若者達が4人程でお喋りに夢中!写真はNoと聞いて自粛しましたが、
あんなにお喋りで盛り上がっていたなら、撮っても気がつかなかったろうと、・・残念!



中はかなり小さな部屋が並びますが、こんな風に蔵書たくさんの図書館風でして、
小さな衣類や骨の破片などの展示物もちょっぴり。

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フランチェスコ・ペトラルカ・Francesco Petrarca 
アレッツォ生まれ1304年7月20日ーアルカ1374年18/19日
ダンテと並ぶ詩人、作家で、ダンテが当時俗語と見なされていたイタリア語で
書いたのに対し、ペトラルカはラテン語で。

彼の両親はフィレンツェ人で、ダンテの友人だったといい、彼同様フィレンツェを
追放され、フランチェスコはアレッツォのこの家で生まれますが、僅か7歳の時、
父親が職を求める為フランスはアヴィニョンの近くに引越しを。

ボローニャ大学で法学を学び、父親の亡き後再びアヴィニョンに戻ったり、
作家活動を続けながらイタリア各地を。そして最後はパドヴァの南、
アルカ・Arquàの里に家を貰い、晩年を過ごし亡くなった・・。

アルカ・ペトラルカの彼の家はこちらにご案内ですが、
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461499745.html
      
アルカ・ペトラルカ再訪・中世詩人の穏やかな地、家、骨董市 1 と 2
http://www.italiashiho.site/archives/20171022-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20171027-1.html



今回ほんの少し複雑な彼の足跡を辿り、晩年をあの穏やかな里で過ごし、
気に入りの家で亡くなったのを、他人事ながら、良かった!と思ったことでした。

彼は大変に猫ちゃんを愛したそうで、とりわけお気に入りの雌猫ちゃん、
彼が書き物をする足元にいつも居たそうで、なんとラテン語の詩を残していて!
で及ばずながらshinkaiが、はは、拙訳を。

私が彼の最大の情熱だったの、ラウラは2番目よ。
なぜ笑うの? もし彼女が女王の美しさの魅力なら、
私は賞賛に値する忠誠の愛人よ。
もし彼女が聖なる紙にリズムとインスピレーションを
えたのなら、私はそれらを邪悪な鼠どもから守ったわ。
まだ私が生きていた時は、鼠どもを神聖なる戸口から遠ざけたの、
私の主人が書いた物を破壊する事のないようにね。
そして今は死んでしまったけど、彼らをいまだに怖がらせるの、
命の無い私の胸の中には、昔のままの忠誠が生き続けているのよ。

ラウラと言うのは彼の作品に登場する、愛を捧げたと言う女性ですが・・、

今回この詩を見つけた事で、遠かったフランチェスコが
とても近しく、親しく感じることを、今回の最後に!

長いお付き合い、有難うございました!

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・ 美しき塔の町 サン・ジミニャーノ ・ 塔の上から、そして

世界遺産指定、中世の塔が残っているサン・ジミニャーノ・San Gimignano.
先回は雲海の朝焼けを見て頂いたので、今日は塔の上からの眺めを。

例により塔の名を確かめつつ、あれこれ興味深い事も知りましたので、
そんなもろもろも。 ごゆっくりどうぞ!

写真は町の外からの景観、4ヶ所程の遠方から見れたのですが、
これはコッレ・ヴァル・デルザ行き方面からのもの。

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上に上がれる塔は、ドゥオーモ横にある現市役所のパラッツォ・デル・ポーポロ・
Palazzo del Popoloの右にあるトッレ・グロッサ・Torre Grossaですが、
ここでは上が切れて・・!

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塔に上がるには、写真中央に開いて見える入り口から、



中庭に入り、

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正面の上り階段を行きますが、

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階段からは、トッレ・グロッサがこんな風に!
高さ54m、現在町で一番高い塔で1300~1311年に建設。

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塔の下の入り口を入ったところに切符売り場があり、大変親切な係りが笑顔で、
各国語で対応。塔だけで良いからまけろ!なんぞというお客にも丁寧に、ははは。
いやぁ、一体にこの町の人は観光客に親切でしたねぇ!



塔内の階段。 段数は書いてあるのが見つからず、
ええ、まぁ、大丈夫、心配なく上がれますです、はは。

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途中の窓から見える、ドゥオーモとその東の広場、
そして双子の塔と呼ばれるサルヴッチ・Salvucciの塔。

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塔の最上階を北にある要塞から眺めると、こんな風に登っている人が見えますが、

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こんな感じ、かなり広いでしょう? 真ん中に大きな鐘が二つ下がり、
その下を通り抜けたり、あちこちから展望が楽しめます。

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が、壁の高さが私の胸の位置で、かなり幅も広いので一生懸命に爪先立って
下を覗くのですが、背の高い男性の方が、こういう場合は有利ですねぇ!



さて、町の南側。 
左に切れて見える塔はクニャネージの塔・Cugnanesiで、
見える通りはサン・ジョヴァンニ・Via San GIovanni、
突き当たりに町のサン・ジョヴァンニ門・Porta San Giovanni.

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ついでに右のベリニャーノ通り・Via Berignanoの、古い家並みの感じを。

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真ん中辺り、右に突き出す丸い形は、町の城壁にいくつかある見張りの塔。



左に戻り、右の塔が上の写真で切れて見えたクニャネージの塔で、13世紀建設、
足元に大きなクニャネージ邸がありますが、後ほど。

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左が、先回の朝の写真でベッチのアルコの横に見えていたベッチの塔・Becci.
塔の名前、また町のどの位置にあるかなどは、改めて後程地図でご説明しますが、
今は塔の上からの眺めをお楽しみくださいね!



ドゥオーモ広場のドゥオーモの向かい、パラッツォ・(ベッキオ)・デル・ポデスタ・
Palazzo Vecchio del Podestàの、つまり古い政庁の塔で、
町で一番古い1200年に建設のロニョーザの塔・Rognosaと、
左に切れて低いのはキージの塔・Chigi.

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高さは約52mあり、トッレ・グロッサに継ぐ高さで、名前のロニョーザはローニェ・
Rogneに由来し、なんと疥癬病の事!

というのも、この古い政庁から新しい建物の現在の市役所に移った後、
この古い建物が監獄として使われ、その収監者に疥癬病者がいたのですと!
ははは、これは伝染病だそうですから、いっぱいうつったんだろうねぇ!!
頃は14世紀、中世ですものねぇ、ははは、読んだだけで痒くなりそう!
       
所で当時の高さ52m、町で一番高い塔だった、というのをご記憶に。



ロニョーザの塔はドゥオーモ広場にあるのですが、その足元、少し南側は
チステルナ広場・Piazza della Cisternaで、
見える塔はディアーボロ・Diavolo・悪魔の塔。

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いやなに、名の由来は、上階にある建て増しが素晴らしく大きいでしょう?
それも持ち主が旅行中に出来ていた!という伝説的な由来なのだそう。
     
  

チステルナ広場の様子をどうぞ。
手前真ん中に見える塔が、2本あるうちの1本のアルディンゲッリの塔・
Ardinghelliで、もう1本は見え難いので、後ほど広場側から。

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朝の雨が嘘みたいな午後の暑い日で、ワンちゃんものびてますねぇ!

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遠くに望む平野の眺め。
オリーヴ畑、葡萄畑、雲が動いて行きます・・。

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ドゥオーモ広場から繋がるドゥオーモの東側の広場、エルベ広場・
Piazza delle Erbeに面する塔2本、双子の塔・Torri Gemelleとも
建設者の名でサルヴッチの塔とも。

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サン・ジミニャーノに到着の最初の午後、雨上がりの広場に出かけて即
目の前に立ち塞がったこの2本の塔。
素晴らしい白グレーの石の迫力で、威圧感を受けた印象が鮮明です。

その左斜め上に見える低めですが太い塔は、ノーミ・ペショリーニ・
Palazzo Nomi Pescioliniと言い、その手前に見える低い赤い屋根部分も含まれ、
そこが現在アパート式の宿になっていて4泊しましたので、またご案内致しますね。



ノーミ・ぺショリーニ邸の正面で、ここは確か大きなレストランだったと。

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真ん中の壁に石碑が見えますが、



こんな様子で、ラテン語は読めないものの、はは、RONGOBARDO REX なんぞと
彫られたのを見て調べましたら、13世紀の物で、
当時ロンゴバルドの王デジデーリオの宮殿だったとか、フェデリーコ・バルバロッサも
滞在した事があるとか!

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・・当時の事情に無知なshinkai、読んだままに記し、どなたかのご説明を
当てにしてお待ちしておりま~す!

追記: クリスさんがコメントを下さり、やはり13世紀ロンゴバルド王の宮殿、
    というのはおかしいとの事。
    で、続くコメント欄の方は無くなってしまい・・、残念。
      


さて、復讐の、いや、復習のお時間で~す! ははは。
町の中心部にある塔の位置と名前ですが、主なものを。

1. ノーミ・ぺショリーニ、塔の家
8.9. 双子の塔、またはサルヴッチの塔
12. キージの塔・Chigi 
14. ドゥオーモの鐘楼
16. トッレ・グロッサ

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17. ロニョーザの塔
18.19. アルディンゲッリの塔
23. ディアーヴォロの塔
24. ベッチの塔
36. クニャネージの塔
       


コムーネのサイトから拝借の写真に、しつこく、ははは、上と同じ番号を
入れてみました。 これで位置関係がお分かりでしょうかぁ?

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で、しつこく、今度は下からの眺めでどうぞ! ははは。
ドゥオーモ前から、向かい正面の古い政庁の17.ロニョーザの塔、殆ど切れてますが、
も一つ左に切れているのが、キージの塔。

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このロニョーザの塔が1200年建設の、町で一番古く当時一番高い塔の約52m
だったと書きましたが、1255年この塔より高い塔を造るべからずという御触れが。

所で町の歴史を簡単にご説明しますと、中世の塔がたくさん見事に残る町として
世界遺産にも指定されているこの町ですが、
イギリス・フランスからローマへの巡礼通商道路であるヴィア・フランチージェナ・
Via Francesinaが南北を、とシエナからピサの東西を結ぶ道が交差するこの町。

エトルスクの時代からの住民移植がありローマ期と徐々に栄え、1199年に
自由都市を宣言、公平である目的から、執政官を「外国人・この町以外の人間」
から、半年毎に選ぶと言う方法で、

法王支持派のグエルフィ・guelfiと、皇帝支持派のギベッリーニ・ghibellini
の町内抗争が熾烈な時期も乗り越え、農業、とりわけサフランの栽培・染料、
薬用、料理にも使われる高価なもの、そしてワイン用葡萄、羊毛の取引、
金融・高利業で栄え、1300年代前半には13000人の人口に。

こうして町が一番の繁栄を迎えたのが14世紀だったのですが、1348年のペストで
町の人口の3分の2を失い、これ以降フィレンツェの元に下り、遂に衰亡のまま、
再繁栄することは無かったと言います。
       
17世紀のペストの後は人口が3000人と言う、トスカーナ大公国内で
一番貧しい町だったそうで、

そのお陰と言うとおかしいのですが、町に新しい建築モードが押し寄せることなく、   
中世のまま殆ど無傷で、この町が今に残っている訳ですね。



これはドゥオーモ東側のエルベ広場からの眺めで、一番右にロニョーザの塔、
次いでキージの塔、そして手前2本が双子のサルヴッチの塔。

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塔の形は大体四角形、ご覧の様に余り窓や開口部がないのが古い塔の
特徴で、時に見える横一列の小さな穴は、外部にテラス、通路を造る為の
支えの持ち出し材用なのですね。

このサルヴッチ家は町のギベリン派一番の大物で、商売は高利貸し業だったそう、
その優勢を見せ付ける為、1255年公布の52mのロニョーザの塔を
越える事なかれを無視し、もっと高い塔を建てたのを、後に切り取られたのだと!



チステルナ広場に出てきた所。
  
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広場の北側にあるのがディアーヴォロの塔。 最上階の建て増し部分が
はっきり見えますが、ここが所有者が旅行から戻ってきたら出来ていた!
というのが、このディアーボロ・悪魔の名の付いた所以と。 ホンマかいな。

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元の塔の上部に張り出しの腕木が明らかに見えますが、
これを利用して屋上バルコニーとか、ちょっとした部屋を造ったとか。

ちょっと見え難いですが、この塔の下は通路になっていて、その名も「金の小路
・vicolo dell'Oro」と言い、金箔師達が店を持っていたと。
彼らはフローリン金貨を叩き薄く薄く延ばし、その板金は黄金背景の絵を
描くのに使われたのだそう・・! なんと、金貨を叩き伸ばして使っていたのかぁ!



こちらはチステルナ広場の西側、中央の建物の隙間にドゥオーモ広場とを
繋ぐ道が通りますが、
左奥にトッレ・グロッサ、そして右にロニョーザの塔が見え、
手前2つの塔が、アルディンゲッリ・Torri degli Ardinghelli.

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右の塔はまさにドゥオーモ広場との境にありますが、このアルディンゲッリ家は
町の有力なギベリン党派で、ドゥオーモ広場に双子の塔を造ったサルヴッチ家に
対抗して、この2つの塔を造ったと言われます。

勿論13世紀に造られた塔で、お触れに従わず、ぐんと高い塔を建てたものの、
その後に当初の半分程にも削られたと!
最初の塔が右で、2番目が左、左右かなり形が違いますね。
       

こうした力の優勢を見せびらかす為の塔は、当時一体幾本あったか?!
334mの海抜の丘の上の塔の町の姿は最初にご覧頂きましたが、
現在残るのは16本!で、最盛期には多分72本あったろうと!
町の裕福な家柄は、それを誇る為に殆どが塔の家だったと!!

では塔の内部の生活はどうだったか?
普通の塔の場合、内部はとても狭く大体が1X2m、ただし壁の厚さは約2mあり、
夏は涼しく冬は暖かく・・。

1階部分は店、2階に住居、寝室、台所は一番上の階にというのも、
これは火を使う事からの用心ですね。
階段に使う梯子は、上に上がった後引き上げ、とりわけギベリン対
グエルフィ抗争時には襲撃対策で。
       
と言うような塔の建設も12世紀後半から13世紀を境に、その後は造られなくなり、
というのも上記した様に町の経済状態が衰退に向ったからですが、
こうした古い状態の塔が今も残る要因とも。

n.1 ルネッサンスの都に、中世を探して
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463022763.html

n.2 ルネッサンスの都に、中世を探して
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463022941.html



チステルナ広場からサン・ジョヴァンニ通りに出て振り返るべッチの門と、
ベッチの塔。 この塔は13世紀の物で、ベッチ家は商人ながら町の有力者で、
重要な政治的位置を占めていたそう。

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この門前の左手にあるのがクニャネージの塔と、左手に邸宅。

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ベッチの塔、そしてこのクニャネージの塔の位置は、町の最初の城壁を双方から
固める位置にあるのですね。 ベッチの塔と同じく13世紀のものと。



脇通りの奥にトッレ・グロッサが見えますが、その手前に見える蔦の絡んだ建物、

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ここに小さな博物館があり、その名も「サン・ジミニャーノ1300年」と言い、

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一番栄えた黄金時代のこの町の様子を再現し、往時を偲ばせて見せます。

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博物館のサイトは   http://www.sangimignano1300.com



この部分は、ベッチのアルコ・門が真ん中下に見える町の中心部の様子で、
塔の林立もよく想像でき、当時の資料を集め、忠実に再現したという事からも、
張り出しの腕木に乗っかるテラスや通路も良く分かりますね。

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こんな塔の内部の様子もありましたが、狭く、プライバシーなんぞはまるで・・、
でしたでしょうねぇ・・!

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という塔の町のもろもろでしたが、お楽しみ頂けました様に!



最後は、夜の空に浮かぶロニョーザの塔を。
       
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お付き合い、有難うございました!


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・ サン・ジミニャーノの朝 ・ 雲海の朝焼け 

9月中旬のトスカーナはサン・ジミニャーノ・San Gimignanoの朝の風景。
       
街灯が灯り、まだ暗い道。 そしてうっすらの朝焼け、
雲海の朝焼けが始まり、徐々に町が目覚めてゆく・・。
そんな1時間ほどの町と空の色、ごゆっくりお楽しみください。
これは、ドゥオーモ前広場で、そう、6時半前だったと。

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ドロミーティの山の朝とティツィアーノの生家博物館      
夏のヴェネツィアの朝       
アッシジの朝風景
      


少し引くと、ほら、月が見えます。  見える塔が、この町で唯一上れる
トッレ・グロッサ・太い塔、そして一番高い塔でもあります。

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薄暗いドゥオーモ広場ですが、ついでに建物のご案内を。

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左側、塔の隣がパラッツォ・デル・ポーポロ・Palazzo del Popolo、
13世紀末から14世紀の始めの建設で、現在は市役所。



広場の東側を占める、真ん中がパラッツォ・デル・ポデスタ・
Palazzo del Podesà、13世紀前半建設で、上に切れて見える塔が
多分この町で一番古い塔だろうと。
  
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写真の右端に見えるロッジャとの間を抜けると、ピアッツァ・デッラ・チステルナ・
町の中心の有名な井戸のある広場ですが、広場の写真は後で見て頂くことにし、
チステルナ広場から町の門、何という名前なのか見つからず、を出た所。

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何という門か分らない、と上に書きましたら、早速シニョレッリさんから
コメントで教えて頂きました。 いつも有難うございます!
アルコ・デイ・ベッチ・Arco dei Becciと言うそうで、見える塔はベッチの塔。



そこからまっすぐ南にある町の門サン・ジョヴァンニに下る通り。
街灯が灯り、通りは薄暗く殆どまだ人通りはなく・・、

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通りから東の空が明るんでいるのが見え・・、

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先ほどのサン・ジョヴァンニ通り・Via San Giovannniも少し明るくなり、
人の姿もちらほらと。

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厳しいイメージのベッチの町の門も少し明るく見え、6時45分、街灯が消え、

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ではと、町の南側城壁沿いの眺めの良い通り、ヴィア・デッリ・インノチェンティ・
Via degli Innocentiに。

わっ、雲海だ! 嬉しいぃ!!

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少し待つ内に、空がも少しバラ色となり、畑の中の家や教会が見え始め、

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家並みの端の庭にいた、可哀想な位のブス猫ちゃん!
・・うん、まぁね、人のことは言えんけど・・、ははは。

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7時、ご来光!!

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本当はもっと手前側を撮りたいのはやまやまですが、この手前は家並みが高く、
おまけに中華鍋やアンテナがたくさん屋根の上で・・!



空のピンクが美しくなり、

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町の家にも朝日があたり始め、

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太陽が強くしっかり上がり、

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そして、雲海にもピンク色が射し始め・・!

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いやぁ、これは素晴らしかった!!
こうなるのは想像すらしておらずで、本当に美しかったですよぉ!!



町も濃いオレンジ色に染まり、空も青みが徐々に広がり、

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平野の向こうにはまだ雲海が広がりますが、近くの家はしっかり目覚め、

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葡萄畑やオリーヴ畑にも陽が射し始め、なんともいえない素敵な色に!

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殆ど濃いピンク色になった所で見納めとし!

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町の通りに引き返します。



通りの家並みの高い部分にも陽が射し込み、

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門の周囲も明るい色に。

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古い塔も目覚め、鳩が飛び交い、

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でもチステルナ広場の東側はまだ暗く、

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清掃の車が通り、近くのホテルからアメリカ人旅行団体が、きゃぁきゃぁと
井戸の周りで記念撮影をして立ち去り、・・どこの国も中高年がお元気です!



広場の西に、陽が射し込み、こちらの塔も目覚めます。

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チステルナ広場に東から射し込む陽。

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北隣のドゥオーモ広場に行くと、ドゥオーモ・Collegiataの半分にも陽が当り、


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ドゥオーモ横の中庭に続くアーチの上の聖人は、町の名の聖ジミニャーノと。

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と言う所で宿に戻りましたが、宿の窓から見た平野の方はまだ雲海が広がっており、
実際は薄いグレーに写ったのでしたが、少し色を変え、

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今回はこれでお終いに!


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