・ n.2 ボローニャ ・ サント・ステーファノ聖堂 

ボローニャのご案内が続いておりますが、今日は街の中心からほんの少し
離れた所にある古い聖堂、「七つの教会・セッテ・キエーゼ」とも呼ばれる
サント・ステーファノ聖堂・Basilica di Santo Stefano、
ボローニャでも最古の教会群、のご案内です。

とはいえ、抹香くさくはありませんで、ははは、中世独特の面白い柱頭、
美しいモザイクの壁なども登場しますので、お気軽にお楽しみ下さいね!

細長い三角形に広がる聖堂前の広場は、こんなにも大都市の真ん中に
近いのに長閑で鄙びたイメージが漂い、暖かい陽射しを楽しむ人々がたくさん。
写真もその中の1カップルで、・・この次のシーンは残念ながらブレ、ははは、素人!

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カップルの後ろの立て札に矢印が見えますね、



こちらが同じポルティコで休んでいる人々で、大きな美しい建物なので
何かある筈と調べましたら、イゾラーニ邸・2つが一緒になっている
Palazzi Isolani と言い、

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コルテ・イゾラーニ・Corte Isolaniと呼ばれるずっと続く内庭、
建物からもう一つ北の道にまで続く内庭・アーケードで有名なのだそう。
店やバール、オフィスなどがずっと続く、古くてモダンなアーケードの様子。



丸石舗装され、車が入ってこないこの広場は、人間だけでなくワンちゃんも
フリスビーで楽しんでおり・・。

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中心部の地図をどうぞ。 左にピアッツァ・マッジョーレのドゥオーモ、
パラッツォ・コムナーレなど固まり、
右下14がサント・ステーファノ・聖ステーファノ聖堂。

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所でサント・ステーファノという聖人はどんな方?
今更ですが、はは、遅くとも無いよりまし、というイタリアの諺あり、

祭事を手助けし、他の言語を話す信者との融和を図る為の助祭・執事として
最初に選ばれた7人の1人。 美しく才識溢れた方で、妬まれ訴えられ、
逆にユダヤ教の非を論したために、西暦35,6年頃石打刑で、
キリスト教徒として最初に殉教された方と。



こちらは広場の右手、15世紀のボローニャの豊かな商人達の館が並び、
広場に張り出すテラス席で、のんびりと楽しむ人々。

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今回のボローニャの写真は、知らぬ間にカメラのどこかを触ったらしく、
途中から室内の電灯下光線設定になっていた様で、・・ドジ!
戻って必死で調整したものの青っぽさが残り、空の色も緑に、という情けない事で、
うぇ~ん、その辺りご容赦下さいませ。



ということで、サント・ステーファノ聖堂正面の写真はサイトから拝借。
ご覧のように、正面の大きな建物と左側にふたつ別の教会が見え、

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7つの教会と呼ばれると書きましたが、かっては実際に7つの教会があったとの事。
が1880年、20世紀初頭の修復により、過度の増改築を取り除き、
現在は4つの教会が纏まった建物群に。

例により、ブログ名入りはshinkaiが撮った物、サインなしはサイトからの拝借。



こちらが正面左手に2つ並ぶ教会で、
右が、サント・セポルクロ教会・Santo Sepolcro、5世紀建設。
左が、サンティ・ヴィターレ・エ・アグリーコラ教会・Santi Vitale e Agricola 
4世紀のもの。

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正面の大きな教会クローチフィッソ・Crocifissoから入ります。
内陣はご覧のように高くなっていて、

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その下、地下にはクリプタ・Cripta.

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クリプタ・地下祭室、には一般に聖人の遺骨とか遺品が収められていますが、
フィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂で、クリプタで司祭さん達が
グレゴーリオ聖歌を歌っている時に居合わせた事があり、
これは音響効果もあり素晴らしかった記憶!

サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂 ・ フィレンツェ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464150189.html



聖堂総体の中で一番大きなこの教会クローチフィッソ、
オリジナルは8世紀建設ですが、その後何度か改装されたと。

内陣手前、左側の壁の上部で、この右下から内庭に抜けます。

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内部の様子が複雑なので、絵図と平面図をどうぞ。

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Mondadori社出版のなかなか良いガイドブックですが、今回何度読んでも見ても
飲み込めず・・、漸くに、絵図の教会説明が2つ逆になっている事に気が付き!
にゃろめぇ、訂正しました。


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平面図の下側の1,2,3,が広場から見える正面で、1のクローチフィッソから入り、
2のサント・セポルクロに行くのですが、この図では見えない狭い空間があり、
一旦4のピラートの内庭・Cortile di Pilatoに出て、

2に入り直し、横に繋がる3のサンティ・ヴィターレ・エ・アグリーコラに。
再び4の内庭に抜け、6のベネデッティーノの回廊・Chiostro benedettinoに、
という見学。



という行程に従い、はは、最初だけshinkaiはチラッと、真面目な皆さんは
ガイドさんの説明をきちんと聞いていた、ピラートの内庭。

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ピラートというのは、ポンツィオ・ピラート・Ponzio Pilato, そうです、キリストに
死刑を宣告したピラートで、ここの大きな教会の名がクローチフィッソ・
十字架刑にされた、という意味ですので、それでお分かりかと。

で、中庭に見える水盤はカティーノ・ディ・ピラート・ピラートの水盤と呼ばれ、
キリストに死刑判決を下した後に手を洗った、という故事にちなむ物!

我々日本人は、ピラートの名前などハリウッド映画の歴史物でしか接しませんが、
ははは、イタリアでは、こんな風にごく日常感覚でね・・!



元々この教会群は、ボローニャの初代司教でもあり街の守護聖人、
ドゥオーモに名を冠されるサン・ペトローニオ・S.Petronio、生年は定かでなく、
431-450司教在位、聖地ジェルサレムの聖墓地を模したものを此処に創りたく、
と伝承されていると。
  
狭く暗く、サイトの全体写真で、2のサント・セポルクロ教会内部をどうぞ。

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外側は隣と接した変形の8角形で、周囲と離れて真ん中煉瓦の円柱12本
による、12角形のクーポラを造り、その中央に説教壇。

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説教壇の下に、明かりの付いた窓が見えますね。 あの下にサン・ペトローニオの
石棺が安置されていたのが1141年に発見されたのだそう。
で2000年にドゥオーモの方に移され、ちょっと凄いのは、それまでドゥオーモには
聖人の頭部のみがあったのだとか!

諸聖人の聖遺物については、あれこれ信じられない様な物、逸話がありますが、
それはさておき・・、

このサント・セポルクロ教会の中は中世の面影を濃く宿し、
素朴で静謐な空気が溢れておりました。
周囲から離れた形で中央の説教壇があるのは、かって巡礼者たちが周囲を
回りながら祈った名残の形ですが、

古くには、這いながら埋葬所の中に入り祈ったり、古い伝統では、ボローニャの
妊娠中の女性達は、この周囲を33回、1回毎に埋葬所の中に入り祈ると、
良い出産を迎えると言い伝えられていた、などとも。
    
サンタンティモ修道院 ・ Abbazia di Sant'Antimo
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461363897.html



これは外側に1本離れて立っていた円柱ですが、ガイドさんの説明を聞いておらず!
ただ円柱の石がアフリカ産であるとか。

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キリストが鞭打ちされた円柱の象徴とされ、ここに参拝する度に200年の贖宥を
保障されたと! これも往時の信仰を物語ますね。
       


ちょっと一息入れて、中庭の様子をどうぞ。
今回まさに、おお!!と嘆息がもれたピラートの中庭。

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レンガの赤い壁に小さい石をはめ込んだモザイク、白~グレイ、時に少し濃い色も、
そのチマチマと細かい模様にしびれました!
こういう素朴で繊細豪華というのは中世装飾のみが持ち、
後世の豪華絢爛さとはまるで違い、心休まる趣を感じます。

以前この教会には来た事があったのにこの中庭の美しさはまるで頭に残っておらず、
漸くに、落ち着いて見れる眼が付いてきたのか、とそれも嬉しく思ったことでした。



真ん中に見えるピラートの水盤は、石灰岩で8世紀のもの、
ロンゴバルドの碑文が刻まれているそう。
       
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脇の入り口から、隣3のサンティ・ヴィターレ・エ・アグリーコラ教会に。
ここはこの教会群の中でも一番古い4世紀のもの。 隣のサント・セポルクロ同様、
元のイシス神信仰の崇拝跡の上に建てられた物だそう。

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イシス・Isisって、エジプトで見たあのイシスかと驚いたのですが、
そうなのです、あのエジプト神話の女神イシスなのですね。
イシス信仰はローマ期にイタリアにも、ローマ帝国全域に広がり、処女のまま
ホルス神を身籠ったという事から、キリスト教普及と共にマリア信仰に変わったと。

教会の名に冠される、ボローニャの最初の殉教者とされる2人ですが、
ヴィターレが召使で、アグリーコラがその主人、男性で、
305年頃の迫害で、ヴィターレが主人の目前で見せしめに、次々に痛め付けの刑で
処刑され、それにもアグリーコラが屈せず十字架刑にされたのだと・・!



3廊式の翼廊なしで、いかにも古いレンガ積みですが、
小さい窓に嵌めこまれているのは、大理石アラバスターの薄板。

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主祭壇の両脇、左にヴィターレの石棺、ライオンと孔雀の浮き彫り、

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右側にアグリーコラの石棺、鹿とライオン、がありますが、これはどちらも空っぽ!
393年にミラノ司教アンブロージョが、ミラノに持ち去っているからでして、はい。

そして大変興味深い逸話も残ります。
15世紀の初め、初期キリスト教徒の石棺「Symon」と刻まれたのが発見され、
大騒ぎになったのだと。

と言うのも、Symon・サイモンという名はよくある名ですが、ヴァティカンに眠る
サン・ピエトロの元の名と同じで、ひょっとして彼のお墓ではないかと、
ローマ巡礼の半分がこちらボローニャに押しかける騒ぎとなり、ははは、
時の教皇エウジェニオ4世・Eugenio IV 在位1431-1447が激怒し、
教会を露出させ、屋根を剥がしたのかな、土をかけて埋め、そのまま70年程も!
後にジュリアーノ・デッレ・ローヴェレ大司教のとりなしで、漸くに蘇ったのだそう。



ここに残る柱頭にはいろいろな形があり、手前も知りませんが、奥に見える形が
ここにはたくさんあり、なんというものか、どなたかご教授願います!

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こちらはイオニア式?

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ピラートの内庭の奥に位置する、平面図5にある世界最古のプレゼーピオと
言われる木彫像「マギの礼拝」。イチイと楡の木で、13世紀末の作品と。
最初は木地のままだったのが、1370年に彩色されたそう。

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さて6のベネデッティーノの回廊に。

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この教会群は、8世紀にロンゴバルド族がやって来た時、彼らの宗教の中心地と
なったもののその後放置され、10世紀の末にベネデット派が修復改修したのだそう。

上は中庭側から見るクロチフィッソ教会と鐘楼で、この鐘楼も10世紀のもの。
回廊の1階部分は10~11世紀のもので、2階部分は13世紀のもの。



回廊の真ん中に井戸があり、

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2階の円柱、柱頭飾りを写していて、 ・・あれ?!!

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そう、これ!! ははは。
shinkaiはてっきり女と思ったのですが、男だそうで、背中に顔が回り、
お尻のanaもね、ははは。

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他にも、こんな面白い様々があり、こういうのが中世美術の楽しいところ!

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中庭の鉢植えの水やりに、如雨露を持った修道僧と共にこの猫ちゃんも来て、
ジュリアーナが、なんと言う名かと訊ねると、

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ははは、クレオパトラちゃん!!
男だけの修道院、しかもこんな柱頭飾りに囲まれた修道院に
唯一の女性クレオパトラ、命名の妙に笑えます! ははは。

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という所で、今回の最後を〆まして、サイトから拝借の写真で、
夜の広場と教会を。

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上のがピンぼけですよって、ははは、借り物に文句を言う、
ファンタスティックな夜のボローニャを!

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・ n.1 ボローニャ・チェントロ ご案内

快晴の水曜、ボローニャにグループで出かけて来ました。
ちょうど開催中のフェルメール展と、街の中心部訪問だったのですが、
大急ぎで写真を整理し、いずれにしても1回では到底無理ということで、はい、
街の中心部のご案内ちょっぴり、その1という事で纏めました。

ご一緒に散歩のおつもりで、古くからの歴史を持つ、
この重厚な大都市の様子をどうぞ!

写真は高速から降り、街に差しかかり、高層アパートの眺めに、
わぁお~!という所、ははは。

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鉄道駅のすぐ近くの高架を渡り、
駅前も通ったのですが、写真撮りそびれ・・!

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街の中心の西にある、サン・フランチェスコ教会の後ろでバスが止まり、
ガイドさんが乗り込み、と同時に若いお兄ちゃん2人が皆にイヤホーンを
配って回る、という手際のよさ!

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そしてお昼過ぎにドゥオーモ見学を終え出て来ると、この2人がちゃんと待っていて
回収するという、大都会だなぁ! こういうレンタルがあるんだなぁ!と
大いに感心した田舎者でしたぁ。

ガイドさんが、もう30分早く到着したら、サン・フランチェスコ教会の中を
見て貰うつもりだったけど、ミサが始まってしまって、と、街の説明をあれこれと。
我らのバスは高速を降りて街に入るところで停滞し、待ち合わせに遅れ、
     
  

そんな説明を聞いている間にも、後ろに到着したバスから小学生の
遠足グループも次々降りて来ます。

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同じ我が町からも、同日に他のグループのボローニャ見物があり、ははは、
帰りのバス待ちでかち合ったりもし!



ボローニャ・Bolognaはイタリアの南北東西を結ぶ重要な交通要所に位置し、
北のパドヴァから、ボローニャ、フィレンツェを通りローマに、
東のリミニからは、ボローニャ、パルマ、ピアチェンツァを通りミラノにという位置。

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我が町コネリアーノからは199k、1時間56分と出ましたが、
行きは途中休憩もあり、まぁ3時間、が戻りはあっという間の2時間少々で。

フィレンツェ方面にはここボローニャからアッペンニン山脈越えで、
今年は5月と9月、2度の予定・・、うむぅ!

アッペンニン越え ・ ボローニャ ~ フィレンツェ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461812720.html       
       


街のほんの中心部の地図をどうぞ。
12.サン・フランチェスコ教会 この前から東に、ポルタ・ノーヴァをくぐり
   まっすぐ進むと街の中心広場ピアッツァ・マッジョーレ・Piazza Maggioreに。
   広場西側を占める大きな建物がパラッツォ・コムナーレ・Palazzo Comunale

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1. ドゥオーモ・サン・ペトローニオ・San Petronio
2. パラッツォ・デイ・ノタイ・Palazzo dei Notai・公証人の建物
3. ネプチューンの泉・Fontana del Nettuno
4. エンツォ王の館・Palazzo di Re Enzo
5. ポデスタ宮・Palazzo del Podestà
       
6. サン・ピエトロ教会・Chiesa di San Pietro
7. 2つの塔、高い方が、アジネッリの塔・Torre degli Asinelli
       
14. この先にサント・ステーファノ・Santo Stefano
    古い教会2つが重なる素晴らしいもの、別にご案内を。
13. この図では分かりませんが、広場の東を占める長い建物、
    8の婦人像の図の下に、サンタ・マリーア・デッラ・ヴィータ教会
15. 今回のフェルメール展の会場パラッツォ・ファーヴァ。

ボローニャの以前のご案内 ボローニャ ・ Bologna ・ 落穂ひろい
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463245801.html

ボローニャ ・ Bologna ・ 美食と意外性の街
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463245560.html



さて街の中心に向かい、12のサン・フランチェスコ教会前から道を渡り、
この威圧感あるポルタ・ノーヴァをくぐります。

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上の地図にはヌオーヴァと書いてありますが、ノーヴァ・Nova、意味は同じ、
新しい門。 新しいとはいえ、ボローニャの街を囲む城壁がそれ以前の
古いのを取り壊して造られたのが10世紀頃。
それ以後も街が大きくなり、12~16世紀にかけても新しい城壁が造られ、
これはその新しい門。



高い門をくぐった所で遊んでいたのは、この白いワンちゃん、門のすぐ内にある
お店の子で、名前はガイア。 が、可愛い美人のお姉さんの方に
ピントが行ってますねぇ、ははは。

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門の内側から。

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ボローニャの街は、37kにも及ぶポルティチ・Portici・アーケードの複、でも
有名なのですが、狭いながらもこの道にもちゃんと続き、

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足元はこんな嵌め込みの石模様。 ずっと以前はきっと道は地道だった筈ですから、
ポルティチが続くと雨の日にも心配ないという、昔からの都会生活だったのですねぇ。

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今回は久しぶりに男性のガイドさんで、歯切れよく、説明の巧い優秀な方でした。

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ですが、脚が長いからか歩くのが早く、我々写真を撮り撮りの数人は
何時も後から必死で追いかける有様で・・!
イヤホーンをつけているので、それを聞きつつどの方向かと追いかけ、ははは、
おかげで今回はかなり疲れましたぁ!



途中から左手に見えるコムナーレ宮の建物ですが、ね、まるで要塞でしょう?

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13~16世紀の3つの建物が一緒になっているそうで、かっての権力の象徴。



左手にずっとコムナーレ宮の壁が続き行く手に見えてくる塔は、コムナーレ宮の
マッジョーレ広場に面しての角にあるアックルシの塔・Torre degli Accursi.

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前方を睨みながら、せっせと歩きます!

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漸くに右手に小さな広場が開け、彫像とベンチがあちこちに置かれ、
ちょっとした市民の憩いの場も。

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そして抜けて出るピアッツァ・マッジョーレ。 写真は様子が分かりやすいかと
反対側からのもので、正面の長い建物コムナーレ宮は、右手にもっと長く続き。
現在はボローニャ市役所が入り、その他に市の美術館、白い静謐な静物画で
有名なジョルジョ・モランディ・Giorgio Morandiの博物館もあり
彼はボローニャ生まれなのですね、

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3階には一連のフレスコ画で装飾のファルネーゼの広間・Sala Farneseの
部屋もあるそうで、・・やはりもう一度しっかり出直さないと見切れません!!

追記: 現在モランディの博物館は、駅近くのMamboという現代美術の
    博物館に移っており、 住所Via Don Giovanni Minzoni, 14,
    Telefono: 051 649 6611



では順繰りに時計回りで、はは、広場を囲む建物のご案内を。
コムナーレ宮角の塔の最上部。

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そしてその下、この塔は1444年公共の時計を設置する為に高くされた部分と。

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こんな感じでコムナーレ宮の正面が続き、

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1478年に設置された聖母子像、テラコッタ製。

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16世紀の中央入り口の上に居られるのは、第226代教皇グレゴーリオ13世・
Gregorio XIII(1502-在位1572-1585)ボローニャのブオンコンパーニ家出身。
グレゴリウス暦の採用でよく知られる教皇ですが、天正の4少年使節が
この教皇の最晩年に謁見を賜った事でも日本人には記憶に残ります。

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それにしてもその下の紋かな、半ば崩れかけ、それを2色のテープで結わえていて、
いっそのこと、赤白緑の3色にすれば良いのにね、ははは。



コムナーレ宮の東にサーラ・ボルサ・Sala Borsaという建物があり、
元の証券取引所と思いますが、2001年から情報収集交換図書館とでもいうのか、
Biblioteca-Mediatecaとして改装発足したのだそう。

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床にはガラスが張られ、下のローマ期、中世、ルネッサンス期と層をなす
考古学発掘が見え、100台を越すPCが備えられたイタリアで一番大きな部屋の一つ、
そして大きな特徴は、子供と身体障害者へのサーヴィス提供なのだと。

38万人を超す市民の街、ヨーロッパ最古の大学が開かれた街、美食でも有名、
そして都市生活を楽しめるイタリア一の街としても時に名が挙がるこの大都市は、
確かに一歩先を行く姿勢を示していますね。

建物の前に掲げられるたくさんの顔写真の碑は、第2次大戦でのレジスタンスに
身を投じ亡くなった若者達に捧げられたもの。



さてコムナーレ宮と、奥の広場の間にあるのがネプチューンの泉で、
サーラ・ボルサの前に向き合って、右手奥に13世紀のエンツォ王の館、
上に飾りがついている建物ですが、館というよりは王の牢だったのですね。
重なって見える塔は奥の教会のもの、ややこしくすみません。

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サルデーニャ王エンツォ(1220-1272)は、神聖ローマ皇帝フェデリコ2世の息子。
グエルフとギベリンのモデナ近くで戦いの際、ボローニャの捕虜となり、
この建物内で23年間を、亡くなるまで過ごしたのだと!

勿論父王は身代金の支払いを申し込むもののボローニャ側は応じず、
昼はかなりの自由が認められたものの夜は吊るされた籠の中とか、
23年間の間に3人の子をもうけたとか、
上に名が出たボローニャの名家ブオンコンパーニの祖は、彼の子とか・・、
何か中世のお伽噺のような、伝説のようなお話があれこれ!
そんなこんなも追々お話いたしますね。

中庭を挟んで、手前角が見えるのがポデスタ宮。



というところで、ネプチューンの泉のアップを。

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今回見ると、下の四隅を囲む女性像の乳房からは水が出ておらず、
あちこちからささやかに泉が流れ・・。
ちょっとした待ち合わせ場所というのか、泉の周囲はいつも人で賑わい、
全体の姿を撮るのは難しく! 



こちらは手前角にあった泉。 

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ポデスタ宮の全景を。
塔は、13世紀建設のアレンゴの塔・Torre dell'Arengo.
ポデスタ宮の建設は13世紀と、街でも一番古い時代のものですが、
       
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正面はルネッサンス期に改装されたのだそうで、優雅。

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が、そばで見るとかなり磨り減っていて、使っている石が少し脆そうな石にも
見えましたが、現在修復中でした。

エンツォ王の館と呼ばれているのも、ポデスタ宮が手狭になり増築をした所で
王の捕虜問題が出来、結局建物完成3年後から「エンツォ王の金の牢」となった、
と読みました。



こちらは広場の南側を占めるバンキ邸・Palazzo dei Banchiと呼ばれるもの。
バンキ(バンコ・銀行の複)から想像できるように、かってこのアーチの下に
両替商が店を持っていたのだそう。

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現在はこういう風に一体の長い建物に見えますが、これは16世紀半ばに
個々の建物の正面を揃えたのだそうで、確かに街の写真を見ていて、
後ろ側は別々な建物なのを不思議に思っていたのでした。

見える後ろの塔は、



左奥の細いのが、街の中心部に2本残る細い塔の1本のアジネッリの塔で、
ここには昔上った事があり!

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右の大きな丸屋根は、すぐ近くの教会サンタ・マリーア・デッラ・ヴィータ・
S.M della Vitaの物。



ということで広場の西を占めるドゥオーモ、サン・ペトローニオ・San Petronio
なのですがぁぁ、はい、ご覧のように正面下部殆どが修復で覆われており・・!

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入り口もこんな感じ!
ローマ、ヴァティカンのサン・ピエトロ聖堂よりも大きなのを! という、かっての
ボローニャ市民の意気を示すこの大聖堂なのですが、現在は内部は写真禁止。

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ですが、大変素晴らしい日時計なども見ましたので、
あちこちから写真をかき集めてでも、ははは、ご案内いたしますね。



ドゥオーモの横、マッジョーレ広場の北西の角を占めるノタイオ宮・
Palazzo dei Notai・公証人の建物、1人ではなく公証人達の組合使用と。

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元の8世紀からのを14世紀に建替え、1908年に修復と、建物の真ん中に
見える紋に。 インキ壷に差し込まれた羽ペンが、公証人を現します。

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朝のうちは見学の小学生の団体が目についた広場も、徐々に人が集まり始め、

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これはネプチューンの噴水前のパフォーマンスですが、
・・嬉しそうに見るのは、はは、一人だけ。

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修復中のポデスタ宮のポルティコの下。 柱の飾りが優雅でしょう?

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サン・ペトローニオ聖堂の正面を。 左角は既に洗われて見えていますが、
この様子ではまだまだ数年かかりそうですねぇ!

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正面修復中の足場の2人はどうやら女性の様。 高い現場でのお仕事、大変!

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南側のポルティコの下を抜け、

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南に抜ける細い小路、古い魚市場通りを。

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この小路に素晴らしい食料品店が並び・・!! ほらね、

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という所で出し惜しみをして、ははは、次回のお楽しみに!!

  
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・ n.2 ベネットン ・ ファブリカ・Fabrica 見学

引き続き、有難うございます!
ベネットンの、ファブリカ・コムニケーション・リサーチ・センターのご案内、n.2を。

図書館から出てきた部分、楕円の広場の北側に当たり、ここは地下2階部分。

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上の階の奥にあったヴィデオ関係が、今この奥に引越しの最中だそうで、
手押し車を引いて行ったり来たり・・!



手前の円柱に立てかかっているポスターは、
ロベルト・サヴィアーノ・Roberto Savianoの新刊 ゼロ・ゼロ・ゼロ。

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ナポリのマフィア、カモッラの内実を暴いた作品、映画にもなった「ゴモッラ」の
作者の7年ぶりの新作だそうで、南米からのコカインの話を扱っているのだと。

彼は「ゴモッラ」以降、ボディ・ガード付きの生活ですが、ファブリカに
話をしに寄ったそうで、他にも、著名人があれこれ寄っている、と名を聞きましたが、
そんなチャンスに近しく接する事が出来るのも、ベネットンの力だなぁ、と思いましたし、
若い柔軟な頭に、どんなに深くしみ込んで行く事でしょうか!



壁際に並ぶ、作品の数々。

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広場に出てくると、日向ぼっこをしている若者の姿。 真ん中の彼女は
すぐに中国から、と分かりますし、向こうの若者は、どこからかな?

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ファブリカでは、世界中からの若者を迎え入れている、と書きましたが、
申し込みは年間を通しいつでも出来、条件は申し込み時点で25歳以下である事。

応募できる部門は、
デザイン、グラフィック、写真、音楽、出版編集、雑誌カラース出版、映像&シネマ


審査を受け、一応OKが出ると、こちらに来て2週間の試用期間、
飛行機の切符代はファブリカ持ちで、OKとなると、1年間の契約を結ぶのだそう。

審査をしたその道のプロフェッショナル達が、各部門で指導し、
奨励金が月々支払われ、アパートはトゥレヴィーゾのあちこちに会社側が用意し、
お昼はベネットンの社員食堂で。

言語は英語の他にイタリア語やフランス語ですが、英語が必ずしもしっかり
話せなくとも、こちらでサポートします、と。
世界中からの若者が来るので、誰しもが最初から話せるわけではないと。

自分が取り組みたいプロジェクトを持ち、それが1年間で済まない時は、
往々にしてもう暫くの契約延長もありうるとの事。
こうして年間をならすと、常時35~40人ほどの若者がいるのだそう。

要は、宣伝デザイン、編集部門で活躍したい若者への実戦に携わる場の提供で、
これだけの場所と提供条件を見逃すのは、本当に勿体無い!
若者達よ、しっかり掴んで、大いに吸収利用すべし!!



広場から、中の壁のポスターを覗きつつ、

右のは、2011年の宣伝キャンペーン「反憎しみ」

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これはローマ教皇とイスラム教指導者で、ローマ教皇庁からは強い抗議が起こった
そうですが、他にオバマ大統領と中国の国家主席、などなどのバージョンが。



右は、カトリック教会内での幼児への性的虐待のキャンペーン。

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かってベネットンの専属カメラマン、オリヴィエロ・トスカーニ・Oliviero Toscani
が繰り広げた様々な宣伝キャンペーン、中には目を剥きぎょっとする程の
インパクトの強いのがベネットンの特徴でしたが、

彼は既に2000年にベネットンから去っているにも関わらず、やはりその線での
キャンペーンを繰り広げている事が良く分かります。
まぁ、少し大人しくなっては来ていますけど・・!



さて我々は、その新鮮さ、まさに贅沢な環境、開放感などに
好奇心も満たされ、満足して引き上げます。

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階段を上に上がってくると、そこは草原となり、

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隣には仕切りも何も無く、ブドウ畑が広がります。

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最後は、見学を一緒にした仲間達、右から、ルイーザ、マリチッラ、
ジュリアーナ・ミラン、ジュリアーナ、ロレダーナ、そしてヘルガ。

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引き上げる途中で、大きな大きなアイスクリームを食べに寄り、
各自2つ玉~4つ玉ほども平らげたのは、写真が無く残念! ははは。

長いお付き合い有難うございました!!

***

若者たちよ、大志を抱け!
ここにある大きな提供を掴み、飛躍されよ!
まずトライする事から、何事も始まります。

中高年熟年たちよ、体調維持を心がけ、元気で、
自分の好奇心に正直に、大いに遊ぼうねぇ~!!


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・ n.1 ベネットン ・ ファブリカ ・ Fabrica 見学

この水曜の午後、仲間と一緒にベネットンのファブリカ、
コムニケーション・リサーチ・センターの見学に行ってきました。

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このチャンスは先回ブログ・アップの、アーゾロ、ポッサーニョ行きを
ご案内した2人の、現在このファブリカで働き学んでいる若者達の内の一人
の日本人、山本龍さんとのご縁によるものでした。

正直言いまして、その内容が良く掴めないままで出かけ、
  建物はかの有名な設計家安藤忠雄氏の手によるもので、
  世界中から若者を集め、働きながら学ばせている・・、
言葉では分かるものの、実態が飲み込めないままに出かけたと言うのが
正直な所だったのですが、

報道係りの方から説明を受けつつ内部を見て歩き、光溢れる素晴らしい
建物の中で若者達に提供されているもの、
ベネットンが持つ財力と、その大きな影響力を惜しみなく使ってのファブリカの活動。

それらを徐々に感じ取りつつ、私の内に浮かび上がってきた言葉は、
日本の若者達よ、大志を抱け!
今ここで提供されているものを、しっかり受け掴み取り、
日本で、世界で、活躍できる下地にせよ!   でした。
       
こんなに幅広く大きく提供される1年間は、他に類を見ないだろう、と思います。
で案内してくれた報道のバールバラさんにも、
安藤さんの建築の素晴らしさもさることながら、
私はこういう見地でブログに書きます、とお伝えしました。
それを上手く、ここでお伝えできますように!!


写真は、上がまず敷地内に入った所からの眺めで、見えるのはこれだけ。
正面に2つの建物と、左の奥に何か平べったいものがちらと。

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広い空が、土地が広がる、この開放感!



ファブリカと呼ばれる建物、施設、ベネットン・グループの会社はどこにあるか、
地図をどうぞ。 トゥレヴィーゾから北に電車だと1駅の距離、
カテーナ・ディ・ヴィッロルバ・Catena di Villorbaという所。

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左の黄色い線が県道、まっすぐ伸びるグレーの線がヴェネツィアに行く鉄道線、
右のオレンジ色が高速。

ですから、電車でヴェネツィアに行く時戻る時にはすぐ横を通るので
何時も生垣の隙間から見える円柱の並びと、プールを見ていたのですが、
漸くに内部見学を、という事でした。

F A B R I C A
Via Ferrarezza
31020 Catena di Villorba TV, Italy
+39 324 6922774
http://www.fabrica.it



当日は我ら総勢7名、車2台に分乗し出かけましたが、
バールバラさんに案内され、正面の建物の間を抜け、見えたこの眺めに、
いっせいに皆の口から歓声が漏れました!

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素晴らしいお天気、青空の下に広がるこの見事さ!
水に映る光と影の鮮やかさ!


そして、何時も電車から眺めてプールかと思っていたのは、10cm程の深さの水で、
下には荒めの砂が敷き詰められ、石庭の様に筋目が付けられているのでした。



敷地の入り口から見えた右の小さい方の建物が、ヴィッラ・パステーガ・
Villa Pastegaと呼ばれる、かっての貴族の住居で、

こちら正面の1階部分がかっての厩舎、2階は使用人達の住居、
右下に見える開口部が、こちら側からの入り口。

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左側の大きなのがバルケッサと呼ばれる納屋で、1階部分は、運河を通り
ここまでやって来た船が停泊出来るようになっていたのだそう。

ファブリカの設立は1994年、当初はこちらの2つの建物を使っていたのが、
徐々に人数も増え手狭になり、97年頃から安藤氏に依頼し増改築を始め、
2000年に新しくオープン。

「ファブリカ」という言葉自体が固有名詞なのですね。 
普通ファッブリカ・Fabbricaというと工場を指しますが、bが一つのファブリカ、に。

ファブリカ・コムニケーションのリサーチ・センター、 何をどういう形で伝えるか、
という事かと、私なりに考えたのですが、これで良いのかな・・?



円柱に沿って歩き、入り口から振り返っての眺め。

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落ち葉の季節もあるでしょうし、これだけ見事に水場を保つのは大変だろうね、
と言うのが我ら主婦経験者の感想でしたが、ははは、
たまに何かのチャンスがあったりすると、学生達が入り込んだりもするんだそう!



入り口を入った所。 木の床が広がり、見える作品は
トルコの女性作家による「運命」

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横長に、右下から左上に赤ちゃんの浮遊が流れ、次第に抽象化した形に。
戦争で亡くなった母親と赤ちゃんを見てインスピレーションを受けた作家の語りは、
こんな世の中から逃げ出し、母親の胎内に戻る赤ちゃん、なのだそう。

ヴェネツィアのビエンナーレでこの作品を見たルチャーノ・ベネットンが
強い印象を受け、ここに、と。



入り口から、池の方を振り返り・・。
写真でご覧頂いた池と、円柱の列を挟んでも一つ池がありますが、
へへへ、まるで気づかずに通りましたshinkai!

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こちらがベネットンを起業した前社長であり、ファブリカを起こした
ルチャーノ・ベネットン・Luciano Benetton.

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そして、日本の建築家(設計家では無く、建築家と自称されているとの事)
というよりも、既に世界で名高い安藤忠雄氏。
皆さんの方が、私なんぞよりずっとお詳しいでしょうから、ただこの写真1枚を。

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上の玄関部の右奥に、下に下る階段が見えましたが、そこを下ってくると、
この開けた楕円形の広場を囲む建物となり、確かに地下1~2階なのですけど、
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明るさと開放感から、地下の重い印象がまるで無い事に、まず皆が驚きました!



天井部のカーヴ。 素材はコンクリート、白とグレーの2色、
そして窓の金属とガラス。

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確かにコンクリートの打ちっぱなしで、入り口前の水場の設定にも、
カルロ・スカルパの設計に通じる物を感じはするのですが、
水場の下に筋をつけた砂が入っている事は既に書きましたが、

安藤氏のこのセメントの打ちっぱなしは、スカルパのセメントよりはもっと
キメが細かいすべらかさを持ち、ローマ期のフォーラムみたいな広場を作る
構築美の大きさと、神経が行き届いた繊細さが、上手く溶け合っている感じが。

何ぞと、素人の単純な感想をとお見逃し頂きたいのですが、
スカルパは色を使っていても、凝った部分的意匠にしても、
どこかに日本への趣味的感覚、といった物を感じるのですけど、

ここでは色が無くとも、無機質な色に光と影が加わり、幅を持ち、
そしてそしてこの開放感!!  きっとその日その日のお天気の変わり具合い、
季節の空の色もすぐ傍らに感じる事でしょうね。



建物の防火設備の図ですが、建物の様子をどうぞ。
左下部分に水場があり、真ん中に楕円の広場、その右の円形は図書館。

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広場を囲む形の、南側の通路兼小会議場とでも。
奥のディスプレイの写真は、ずっと一人でスライド・ショーを。
左壁上が開口部となっていますが、

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こんな感じの仕事場。
ね、こういうのをみると、私はそわそわして来ます、羨ましさで・・。

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近くにあった映画「ノー・マンズ・ランド」のポスター。
ボスニア戦争を描いたものだそうで、2001年にカンヌ映画祭で、最優秀脚本賞、
そしてアカデミーの最優秀外国映画賞をとった作品。

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で、なぜこれがここに、と思いましたら、このファブリカで、
ここの若者達が、編集をしたのだそう!
他にも中国映画のポスターがありましたが、話を聞きながら、
なんと贅沢な学びの環境よ!!と。



こちらはデザイン部門の仕事場。
たまたま全体ミーティングがあったそうで、空っぽですが、
雑然としたこの雰囲気が良いでしょう?!

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ベネットン・カラーと呼ばれる色を使い、各自がそれぞれ
自分のプロジェクトに従いデザインし、
製品化するのは、それ専用の工場でとの事。
ですから、そのままプロト・タイプと言うか、一点物ですむ物もあると。

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勿論各自がやりたい事に取り組むわけですが、地元との結びつきも大変重要に
考えているので、こういったガラス製品も多くデザインする、との事。

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お皿も勿論見かけましたが、今、ダイキン・イタリアからの要請があり、
無機質なエアコンでも、美しい存在になり得る、に取り組んでいるのだそう。



壁にかかるデザイン作品のポスター。 若者達のセンスが並びます。

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このデザイン部門で働いている山本龍さんも言ってましたが、
今は4月のミラノの会場出品で大忙し中なのだそう。

これは山本龍さんのデザインした、大理石と金属で成形した一輪挿しの花瓶。

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龍さん個人のサイトは  http://ryu-yamamoto.com/

彼らがデザインした作品の製品販売は、ボローニャに店があるそうですが、
こちらのウェブ・サイトで購入も出来るそう。
http://store.fabrica.it/collections/all



こちらが円形の図書館で、こういう本が並んだ眺めは、
どこで見ても涎が垂れそうになりませんか?!

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上の写真の向こうから2人目に横顔の見える方が、ご案内のバールバラさん、
そして我が仲間たち。

図書館で、ファブリカが発行している雑誌「COLORS」なども見ましたが、
興味深い本も教えてもらいました。
「イランの居間・Iranian Living Room」という本で、イランの家庭内、
居間に入り込んだ写真集。

外ではスカーフで髪を覆う女性達が、ヘアダイの方法を見たり、
また犬とは一緒に外に散歩には行けない法律があるそうで、
イランの犬はずっと居間にいるのだそう・・、などなど。
http://store.fabrica.it/collections/frontpage/products/iranian-living-room



広くて美しい図書館の眺めをどうぞ。

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サイトから全体が良く分かる写真を拝借。 天井からは、地上の明かりが。

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図書館の中でのこの方は、現ベネットンの社長のアレッサンドロ・Alessandro、
今50歳くらいと。

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彼の奥さんはデーボラ・コンパニョーニ・Deborah Compagnoniと言い、
スキー大回転の選手だった方で、オリンピックで金メダルを3つも取っておられる美人!


という所で、n.1をお終いとし、n.2に続きます。


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・ アーゾロ、 そしてポッサーニョ ・ 春の日 

先週土曜にアーゾロ周辺を、正確にはポッサーニョ・Possagnoとアーゾロ・Asoloに、
お昼ご飯の後マゼール・Maserに寄り道し、
最後はサン・ヴィトー・ダルティーヴォレ・San Vito d'Altivoleに。

ポッサーニョには18~19世紀に活躍したアントーニオ・カノーヴァ・Antonio Canova
の生家跡と塑像博物館、彼の眠るテンピオがあり、
マゼールにはパッラーディオ設計のヴィッラ・バールバロ・Villa Barbaro、
サン・ヴィトーにはカルロ・スカルパ・Carlo Scarpaが設計したトンバ・ブリオン・
Tomba Brionがあり、それらを見に、若い友人2人をご案内したのでした。

どんな友人なのかは追々とご説明する事とし、今日はヴェネト平野の様子を、
美術博物館のご案内というよりは、漸くの春の陽射しを受ける、
山の町アーゾロ周辺の散策をご一緒にどうぞ!

写真はまず、ポッサーニョの塑像博物館隣のバールの猫ちゃん。
奥から鳴きながらお迎えに出て来て、お客様の前の席に、ね。

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アントーニオ・カノーヴァの塑像博物館とテンピオについては、2度ご案内済みですので、
そちらをご覧頂く事にし、写真が重ならぬように見て頂きますね。

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A.カノーヴァ塑像博物館 ・ ポッサーニョの夕暮れ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467387849.html

アントニオ・カノーヴァ ・ 塑像博物館、テンピオ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463694164.html

       

漸くにお天気が続いていると書きましたが、この日は本当に暖かで麗らかな陽気で、
生家を利用した塑像博物館の庭にも、春の花が咲き出し・・。

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実はこの日ご一緒した若い方おふたりは、トゥレヴィーゾに本拠があるベネットン・
Benettonのプロジェクト、ファブリカ・Fabricaで働いている日本人の山本龍さんと、
課は違うそうですが、やはりファブリカの中国人、香港からの石(シェク)さん。

山本さんがブログのコメント欄に書き込んで下さり、ポッサーニョに行くにはどの様に?
ファブリカを見学したかったらご案内しますよ、との事で、
では一日足を務めるので、友人たちとのファブリカの見学をと一計を案じたshinkaiで、
ははは、お出かけの一日に。
       

ポッサーニョの博物館新館の設計はカルロ・スカルパがしており、
それを見たいお二人でしたので、まずはここをゆっくり見学。

ブックショップでスカルパ設計の本を眺めていて、建物の後ろが見れるかな、と
山本さんが呟き、確かめてみるとすんなり、どうぞ、と鉄柵の鍵を開け裏側に。

ただし、裏側を回って庭の方までには出れませんで、角の長い窓を通しての
向こう側の窓や、地下室の外側が見れました。 

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カノーヴァの家は大きく、博物館のみだけでなく、裏の方もきちんと整備され清々しく、
奥の納屋かな、の屋根の下に白い鳩がくつろぎつつ、薄目を開けて我々を眺め・・。

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使われなくなった井戸の覆いも、なにやらデザイン的でしょ?

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博物館前を横切る道の向こう遥か、緩やかな坂道の上に見えるテンピオ・Tempio.
奥の山に残る白い雪が鮮やかでしょう?

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上り坂両脇には、いかにも裕福そうなお家が続き、
こんな風にちょっと芸術している感じの前庭も!

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ゆるゆると坂道を登りテンピオの前に到着すると、その広場の広さと
テンピオの雄大さに、いつも感嘆します。 とにかく、舞台装置満点!

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観光バスでやって来ている見物人、学生もですが、この日は年配者がいっぱいで、
はい、その賑やかなこと!
ええ、日本のみならずイタリアも年配者が大元気ですからね、ははは。



今回、上部の三角タンパンの下に並ぶ浮き彫りが、旧約聖書のお話の場面で
ある事に気が付きました。

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ほら右から、神がアダムを祝福し、カインの弟殺し、イザクの息子の犠牲、でしょう?
きっとこれらも、テンピオ用のカノーヴァの作品なのでしょうね。
       
そうそう、テンピオの内部から、天辺の明り取りドーム、というのか、ガラスの三角に
見える部分の周囲の展望台に上れるのを今回先客たちがいたのを見て知りました。
我らもと行きましたら、ちょうどお昼で閉める所で残念ながら・・!



という事で、テンピオ前でのこの日のお二人。
左が山本龍さん、右が石さん、お二人のコムニケーションは英語。

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ふと気が付くと、裏山の上にいっぱいのパラグライダー!
写真略で、あっち側のもお見せできないのが残念で~す。

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高い位置にテンピオがあるので、平野の風景ものんびりと。
この日は少し靄がかかっており、あれなんだろ?と撮ったのですが、
工場の煙突みたいですね、石灰採取用かも・・。

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ゆっくりと博物館とテンピオを見て、アーゾロまで出てお昼を。
山本さんというより、可愛く撮れた龍さんという感じの、ははは、1枚をどうぞ!

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彼の前にあるお皿は、ポレンタの上に猪肉のラグーがかかり、
その上にラルドの薄切りが乗っているもので、



石さんとshinkaiが食べたのは、ナスのパルミッジャーノ。
茄子の薄切りの間にトマトソースとチーズが挟まり、グラタンしたもので、
これは本当にどこで食べても美味しい!

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お昼をのんびりと済ませ、アーゾロの町の散歩を。
この町は田舎の丘の上にありながら、どことなく典雅な雰囲気が漂い、
並ぶ店も高級品店が多いのですが、

先年行った時はやはり不況の影響か、何軒も店じまいでがっかりしたのが、
今回は前に閉めていたのを見たレストランやバールも、店主が変わり新装開店で、
なにやらほっとする思い!
こういう素敵な小さな町が寂れてはいけませんよね。

骨董店というよりも古物店の店先の自転車も健在!

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なぜか、いつもあそこには自転車があるのです。
自転車自体は代替わりし、今ので何代目かな、ははは。



お城に続く広場の一廓。

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今回の写真整理で、いつもは影の中も明るめにするのをちょっと変えてみると、
いやに影が濃く見えますね。
ドラマチックではありますが、う~ん、何があるのか見えないなぁ・・!



要塞前の見晴らし。城壁の隙間に、コインを入れるオウディオ・ガイドまでが
ちゃっかりと新しく据えられていて、
そこからのお馴染みのアーゾロの景観。

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ただし、左手前の木の枝が茂りすぎて、以前は見えたドゥオーモの鐘楼の足元が
見えなくなってまっせぇ、観光局の方ぁ!



町外れの山頂にある要塞の姿。

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今も残るカテリーナ・コルナーロのお城の塔。

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この城は、15世紀ヴェネツィア共和国の養女としてキプロス王の下に嫁いだ
カテリーナ・コルナーロの城なのですが、
現在建物の一部もほんの少し残るだけで昔の面影はなく、バールがテラス席を設け、
内部は展示会場に。



庭の奥のに「パノラミコ・眺めが良い」と書いた狭いテラスがあり、
はい、ご覧の通り! 細く西に続く通りのお屋敷の裏側が、こんな風にね。

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こちらはもっと先のほうで、手前に屋上式庭園が見えますが、ここも整備されて
いるのを見て来ました。 いつか一般公開されると良いのですが!

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町の中心広場。 夏には今見える大樹がうっそうと茂り、良い日陰を作ります。

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広場から南に続く、ロバート・ブラウニング通り。

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いつもはこの通りの先にある町の門を潜って少し下った所にある駐車場から、
逆に町にやって来るのですが、
この通りはいつも「アーゾロに来た!」の喜びを感じさせる通りなのです。



門の手前にある、小さな「ゼンの泉」もすっかり修復が済み、

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お隣の建物の壁にあるデッラ・ロッビアの聖母子像も安泰!

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中心広場に戻り、手前のバールの柱頭にも始めて目が行き・・。

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アーゾロの町にもローマ遺跡がたくさん残っているので、きっとどこかからの
リサイクル品なんでしょうねぇ!ははは。



広場の北端で、まだ暖かい赤ワイン・ブルレを飲ませていて、土地の物産も並び、
・・う~ん、誘惑の一隅!

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車を止めた場所に戻りつつ、ホテル・ヴィッラ・チプリアーニの前。

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う~ん、ご縁はshinkaiには無さそうですねぇ、ははは。
      
アーゾロの一連のご案内は、カテゴリ欄のヴェネトから、
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460835147.html
     


さてアーゾロを出発、サン・ヴィトーに行く前にちょっとマゼールの
ヴィッラ・バールバロを覗こうかと、カー・ナヴィに打ち込み、坂道を下り、
指示された道の分岐点にMaserと見えるので入り込みました。

アーゾロからだと普通は南に坂を下り、左に折れ、平地の道を東に行けば
簡単に行き着けるマゼール。
ところが今回は町の北端に駐車したので、北の裏道から入りこんだ道は、
おっとどっこい、物凄い曲がりくねりの狭い坂道!
途中でターンして引き返すのも嫌な程で、ははは、
有望な将来を持つ若いお二人を乗せ、責任重大なshinkai!!
はぁ、でも何とか無事に峠を越え、マゼールのヴィッラ前に。


ということで、ヴィッラ・バールバロ・Villa Barbaroの眺め。

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サン・ヴィトーのトンバ・ブリオンをゆっくり見たい、というので、
ここは表からのみパッラーディオの建築を眺め。



所が何と、表の庭にお馬ちゃんが3頭のんびり草を食み・・。
陰になった一番奥の馬は、その前のもかな、脚が太くないですか?
案外荷車用の力の強いお馬の種なのかも。

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ヴィッラの前を通る道は車がびゅんびゅん通るのですが、その脇にある、
こちらもパッラーディオ設計のテンピエット。

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かってはお屋敷前の道も、馬車や荷車がパカパカと通る位だったでしょうが、


お屋敷前にまっすぐ続いてくるこの並木道。 今は柵が閉まり、
ただ過ぎ去った時を偲ばせ、そう、再びめぐり来る春!!
       
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ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼール
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456543.html

サン・ヴィトーの  トンバ・ブリオン ・ そして、お盆
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463693503.html
カルロ・スカルパのお墓も見つけ、新しい写真もあるのですが、またのチャンスに。

n.1 ベネットン ・ ファブリカ ・ Fabrica 見学
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465574954.html

n.2 ベネットン ・ ファブリカ ・ Fabrica 見学
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465575151.html

  
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・ n.3 リミニ ・ シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタとその周辺 の1

リミニのご案内3回目、いよいよ最後の大詰めとなりましたが、はは、
うまく纏まる様に頑張ってまいりたいと思います。

今回のご案内の主たるものはタイトル通り、「リミニの狼・ルーポ・ディ・リミニ」
と呼ばれ恐れられた、15世紀のロマーニャ周辺一帯の領主
シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ・Sigismondo・Pandolfo・Malatesta.
彼の事をもっとよく知りたい、の好奇心はもう何年来もの宿題でした。

ですが何せ相手が大物で、当時の情勢も知らぬままあれこれ読んでも
笊で水をすくうようなもので、 ははは。
それでもあちこちで彼の名に出会うたびに少しずつにじり寄り、
少し前のグラダーラのお城のご案内の時に遂に覚悟を決め、・・大げさなぁ!
       
まずは彼の墓所であるテンピオ・マラテスティアーノ・Tempio Malatestino
のご案内をしつつ、ご紹介したいと思います。

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彼についてはサイトでの日本語情報が余り無く、それも一方的なもので、
武人としては優秀でも残忍冷酷で妻殺し、などという事ばかりですが、
あれこれ読みだんだんに分かってきた事は、詩も書き、芸術家達のパトロンでもあり、
政略結婚の妻を、しかも2人!殺した様ですが、ははは、と笑うと不謹慎ながら、

見初めた3番目の妻にはぞっこんで、当時の武人としては珍しく政治的条件抜きで
結婚し連れ添う、という、大変に純情直情な、可愛い男でもある様な・・!

彼をご贔屓のshinkaiとしては、時代の波にもまれ消えていった、15世紀の
一領主のそんなこんなをご披露したく存じますので、よろしくお付き合いのほどを! 

上の写真はテンピオ・マラテスティアーノの正面、左奥に鐘楼が見えるのをご覧頂こうと。
今回掲載の写真も例により、ブログのサイト名が入っていないのはサイトからの拝借で。



テンピオ・マラテスティアーノに行く前に、やはりリミニに残るシジスモンドの城、
要塞であり居城でもあったカステル・シスモンド・Casrel Sismondoをどうぞ。
この写真は城の裏側のもので、

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正面側はこんな感じ。

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行った時はちょうど印象派絵画の展覧会開催中で、威圧感ある要塞の壁に
大きな印象派のポスターが、しかも女性像なんかが下がり、何となしがっくり、ははは、
おまけに周囲はご覧のように大駐車場となっていて足元も見えず・・!

チャンスを見て出直し、内部も見たいと思っていますので、本来はこれらの周囲を
城壁が取り囲む、大規模な物だったようで、お城のご案内はまたいつかの事に。



街の中心の地図をもう一度。 左下に城があり、先回ご案内の博物絵画館は
真ん中上に。そこからまっすぐ東南に辿ると、テンピオ・マラテスティアーノ。

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この道はそう広くもなく、街外れの感じのある道。 今見えるアーチは15世紀の
お屋敷があったのが、第2次大戦で爆撃されたそうで、内部は何もなしの草地で。

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道の先にテンピオが見えてきた時。 道はまっすぐ行き、テンピオは脇にあるので、
こんな風に半分が先に見えます。

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テンピオ・マラテスティアーノの正面。 通称テンピオと呼ばれていますが、
地元ではドゥオーモで通り、正式にはバジリカ・カッテドラーレ・サンタ・コロンバ・
Santa Colomba.

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検索をかけましたら教会のサイトが出て、にっこり司教様の写真やミサの時間等で
一瞬泡を食いましたが、ははは、まさに現在も教会で博物館ではないのでした。



正面扉の上部と円柱の柱頭、マラテスタ・パンドルフォの名も見えます。

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元々9世紀の教会があり、12世紀にゴシック様式のサン・フランチェスコ教会に、
が建物も小さく、14世紀初頭からマラテスタ家の墓所となっていたのを、
15世紀半ばにシジスモンド・パンドルフォが壮大な霊廟とすべく、当時の著名な
設計建築家レオン・バッティスタ・アルベルティ・Leon Battista Albertiに
設計改築を依頼し、内部の装飾にも当時の一流芸術家を招いたというもの。



内部、入り口から内陣に向かって。

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祭壇奥にかけられた、ジオット・Giotto作と言われる十字架。

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内部はご覧のように一廊式で、両側に4つずつの礼拝堂。 こちらは左側。

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そして右側。

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右側一番奥に、

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はい、こんな形で、シジスモンド・パンドルフォの姿。 フレスコ画は
ピエロ・デッラ・フランチェスカ・Piero della Francescaの作、1451年。

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聖シジスモンドの前に跪く、シジスモンド・パンドルフォ、というタイトル。

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こちらでは毎日のカレンダーにその日の守護聖人の名が書かれていて、別の日に
生まれてもその聖人と同じ名を持つと、オノマスティコ・onomasticoといい、
その聖人の日におめでとうを言ったりするので、同名の聖人に守護を願う姿でしょう。

聖シジスモンドとはどんな人かと調べると、ブルグンド族!フランス東南部に行った
ゲルマン民族の6世紀の王で斬首され殉教、蛮族として聖人となった最初の王らしい、
というのだけ何とか分かったのですが・・!
どういう経過なのかも読んでも何も分からず、ははは、と力なく・・、
左手に持っている球も何を現すのか、まるで分からず・・、
どなたかの、クリスさんあたりかな、ご教授をお待ちいたします!

* 追記 * 
クリスさんより、聖シジスモンドが手にしているのは、王の象徴である杖と宝珠 
と教えて頂きました。 有難うございましたぁ!
       


ルーヴル美術館所蔵の有名なシジスモンド・パンドルフォの肖像画と、
あちらはテンペラ画で後ほどご覧頂きますが、同じ画家の手とはいえ、そっくり!
ですが今回、後頭部の膨らみが直されているのに気が付きました!

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全体図を見ると、当初の背景は濃い色、黒かそれに近い色で埋められていたのが
分かりますから、となると、この手直しは一体誰がぁ? というミステリー!
まぁ、白い背景の中、白に近い衣装となると、この頭の大きさでちょうどバランスが、
とは思いますがぁ・・。



背景の丸窓の中に見えるカステル・シスモンド。

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そしてその手前に交互の向きで座るワン君2頭。 手前の白いワンちゃんの、
本当に美しい姿!これだけしか描いていないのに、しっかり肉が詰まっている!!

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ピエロ・デッラ・フランチェスカはフレスコ画の下描きに、原寸大下図を作り、
線に沿って小穴を開け、タンポンで叩いて下塗りに印をつけた様で、
白い方のワンちゃんの延ばした首から肩、手前の前足、肘、背中の流れ辺りにも
しっかりポツポツが見え、なんとなし、こういうのはちょっと嬉しい発見!



実はこのテンピオには、お昼休みで閉まる直前に飛び込み、ピエロの絵はしみじみと
眺めたのですが、他は写真を殆ど撮る暇が無く、おまけに管理人が話しかけて来て、
コネリアーノ?! あそこはプロセッコが旨いよね、とか・・!
   
という事で、サイトで見つけた写真で細部をご覧ください。
象の姿はマラテスタ家に所縁があるのだそうで、白い大理石に金と青の手の込んだ
素晴らしい装飾。 諸所に散らばって見える、SとIの組み合わせ紋にご注目を。

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建物の設計はルネッサンス期の著名な建築家のレオン・バッティスタ・アルベルティ
によるもので、大変に荘厳ですっきりした正面壁をご覧に入れましたが、
結局このテンピオは未完のままに・・。

アルベルティは美術にも古典にも法学にも数学にも秀でた人文主義者。
レオナルド・ダ・ヴィンチよりも半世紀ほど前に生まれ、その多方面への才能の発揮で
「万能の人」と呼ばれた最初の人で、建築以外の実作品が残っていないのが残念。

内部の装飾はマッテオ・デ・パスティ・Matteo de' Pastiの設計や、大理石の
浮き彫りなどはアゴスティーノ・ディ・ドゥッチョ・Agostino di Duccioの手になると。

このテンピオは1447年シジスモンド・パンドルフォが改築を決め、シジスモンド・Pは
(以下この様に省略を・1417-1468)当時30歳、
2度目の妻ポリッセーナ・スフォルツァ・Polissena Sforzaが1449年に死亡した後、
その2年前から関係のあったイゾッタ・デッリ・アッティ・Isotta degli Attiとの
事実を公にし、ここを2人の墓所とすべく・・。

上の写真に見えたS・シジスモンドと、I・イゾッタの頭文字を組んだ紋が至る所に、
はぁ、至る所に見え、・・この一途さ!



教会はその後も増改築を重ねますあ、これが古い往時の様子。

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第2次大戦の爆撃でこの内後陣部は破壊され、現在はジオットの十字架のみで。

マラテスタ家代々の墓所教会といいますが、買って戻ったガイドブックと、検索して
読んだものとちょっと違い、私もしっかり現場で見ていませんので、
どの礼拝堂が誰のとご説明できませんで、ご容赦を。



さてこちらが、ピエロ・デッラ・フランチェスカ描く所のルーヴル蔵の、
シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ像。

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1451年頃の作といいますから、フレスコ画製作と同時期ですね。      
酷薄そうな鋭い目と薄い唇が特徴の顔ですが、1417年に、先回見て頂いた
濃い赤の胴着・ファルセットの主であるパンドルフォ3世の次男として、
父親の愛人アントーニア・ダ・バリニャーノ・Antonia da Barignanoとの間に誕生。

時に父親47歳、シジスモンド・Pより6歳上の兄と、こちらはまた別の愛人との子
とも言われ、はぁ、一つ下の弟との3人兄弟で、
1427年シジスモンドが10歳の時父親が亡くなります。

こうしてリミニの伯父カルロの元で育ち、伯父は何とか教皇に3人の実子認可を貰い、
1429年の伯父の死後、シジスモンド・Pの兄ガレオット・ロベルト・マラテスタ・
Galeotto Robertoが後を継ぎますが、1432年僅か20歳の若さで亡くなり、
こうして15歳でシジスモンド・Pがリミニの領主に。

早くから軍事に才能を発揮し認められ、1435年には教皇軍の隊長として名が載り、
槍騎兵隊長としてデヴュウを。



彼の肖像としては、上でご覧頂いたピエロの横顔が有名ですが、フィレンツェの
メディチ・リッカルディ宮の有名な礼拝堂にあるベノッツォ・ゴッツォーリ・
Benozzo Gozzoliの壁画にも登場しているのを知りましたので、どうぞ。

有名な「マギの礼拝」のフレスコ画のこの場面の左隅最前列、

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一番左がシジスモンド・P、右の白馬がミラノ公ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ・
Galeazzo Maria Sforza.

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壁画が描かれたのが1459年、シジスモンド・Pが42歳 ガレアッツォ・M.Sが14歳。
それ以前に画家が見た記憶、または聞いた話、想像で描いているのでしょうが、
皆さんどなたもが可愛いお顔で・・!

殊に画中真ん中のにっこり美男貴公子がロレンツォ・イル・マニーフィコと言うので、
まぁ、物凄いヨイショというか、ははは。
     
ガレアッツォ・マリーアは、スフォルツァ家に変わって2代目のミラノ公で、最後の
ヴィスコンティ家のフィリッポ・マリーアの庶出の娘ビアンカ・マリーアと
フランチェスコ・スフォルツァとの子。 大変残忍な性格で、結局暗殺され・・。

メディチ・リッカルディ宮 ・ フィレンツェ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464156876.html

n.1 スフォルツェスコ城 ・ミラノ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464968600.html

n.2 スフォルツェスコ城 ・ミラノ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464968932.html

n.3 スフォルツェスコ城 ・ミラノ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464969065.html

n.4 スフォルツェスコ城 ・ミラノ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464969267.html



さてこちらも有名なピエロ・デッラ・フランチェスカ描く所の
フェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロ・Federico da Montefeltro.

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フェデリーコ・M(1422-1482)はすぐ南隣マルケ州ウルビーノの領主で、
シジスモンド・Pとは積年の宿敵。

フェデリーコ・Mはほぼ一貫して教皇側で、つまり教皇側の傭兵として働きますが、
シジスモンド・Pは国を治め、敵のフェデリーコ・Mと戦う為にも、自領を整備美化
するにも大資金が必要で、傭兵隊長としてより多く払ってくれる側と契約し戦い、
鮮やかに勝ちを収める、それがまた逆に憎しみを買った部分もありそう。

日本で読み知っていたフェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロの姿は、軍事にも優れ、
ルネッサンス文化をウルビーノに持ち込んだ宮廷文化とか、芸術文化のパトロンで、
という様な優れた武人の説明が多く、shinkaiもそれを鵜呑みにしていましたが、

こちらであれこれ読み知ると、なかなかそんな生易しい物、人物ではありませんで、
当時の教皇領の一部である自領を収め収益を図り、傭兵隊長として戦に出かけ
勝つことでまた教皇との関係を図っていく、という中で、
かなりあれこれきわどい事もし、第一にまずウルビーノの領主となる為に腹違いの弟、
彼は庶出の生まれで弟は嫡子が、行い粗暴の嫌われ者であったようですが、
その弟を殺害し領主に、という経緯もありで。 

今日はご説明しようと思う事が大きすぎ、単なる人物伝となっても詰まりませし、
なぜ彼シジスモンドの評判が悪くなったかをご説明したく、奮戦中ですが、はは、
長くなりましたのでここで一応お終いとし、シジスモンドのその2として続けますね。


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・ n.4  リミニ ・ シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタとその周辺 の2 

引き続き有難うございます! リミニの狼、シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタの
その2、彼の妻達についてと、教皇ピオ2世について続けます。

こちらはなんとも優雅なピサネッロ描く所の、ルーヴル所蔵
ジネーヴラ・デステ・Ginevra d'Este (1419-1440)の肖像
シジスモンド・Pの最初の妻。

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デステの姓が示す様に、フェッラーラのエステ家ニコロ3世の娘で、1434年
15歳でお輿入れ。 子供はおらず、6年後に夫に毒殺されたと。

彼女は生まれ育ちも幸薄く、母親パリジーナ・マラテスタ・Palisinaは義理の息子
ウーゴ・Ugoとの姦通により斬首刑になっており・・。
フェッラーラの城内には処刑前の2人が入れられていた、という牢も残りますが、

フェッラーラの城の2記事がバックアップなしで消えてしまい、いつかの再アップを
目指します。 この城には、人物にも、他にも興味深い逸話が幾つもなのです。



シジスモンド・Pの2番目の妻ポリッセーナ・スフォルツァ・Polissena Sforza
(1428-1449)の肖像が無いので、父親フランチェスコの顔を、ははは。

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追記:記事の引っ越しであれこれ調べていて見つけたポリッセーナの肖像を追加。
良い時代になり、ははは、探し物が何とか見つかる様になりましたですね。

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ポリッセーナは父親とその愛人ジョヴァンナ・アックワペンデンテとの子で、ポリッセーナと
いう名は1420年に亡くなったフランチェスコの最初の妻の名なんだそうで! 神経!

フランチェスコ・スフォルツァ、お分かりですね、傭兵隊長から最後のミラノ公の庶子、
唯一の世継ぎであるマリーア・ビアンカ・ヴィスコンティと結婚し、ミラノ公となった人物で、
いずれもシジスモンドの最初の2人の妻は、政略結婚で、しかもそれなりの家柄からの
お輿入れだったのですね。

シジスモンド・Pの最初の妻が亡くなった2年後、1442年に14歳で嫁いで来ますが、
1449年没。 タオルで窒息させられたらしいと。

子が2人、長子のガレオットは何ヶ月かで亡くなり、娘ジョヴァンナは成長し嫁ぎます。
夫シジスモンド・Pは、既にそれ以前からイゾッタ・デッリ・アッティと関係を持っており、
何と彼女が12,3歳の時に見初めたのだそう!

そしてそれ以外にヴァンネッタ・デイ・トスキ・Vannetta dei Toschiという愛人が
ポリッセーナとの結婚生活中におり、彼女との間に生まれたロベルト、イル・マニーフィコ・
偉大な、というニックネームを持つ息子が、シジスモンド・Pの跡を継ぎます。


こちらがシジスモンド・Pがイチコロとなり、深い真実の愛を注ぎ、政情無視の
愛情での結婚をし添い遂げたイゾッタ・デッリ・アッティ・Isotta degli Atti
(1432頃-1474)の横顔が刻まれたメダル。

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彼女は裕福な商人、両替商の娘だったそうで、シジスモンド・Pに見初められ愛人となり、
15歳の時に最初の彼らの子ジョヴァンニを生みますが、何ヶ月かで死亡。
2人が結婚したのは1456年、彼らの10周年記念だったと・・!

私が彼ら2人の話を読み救われる想いを受けるのは、政略結婚が当然の時代にあり、
シジスモンド・Pも最初の2度の結婚において領土も増やし、引き立ても受けるのが、
夫婦の間はしっくりせず幸せな結婚生活ではなかったと。
  
何人もの愛人を持ち婚姻外の子も産まれるわけですが、そんな彼が29歳にして
心から愛する女を見つけ、ずっと年下の彼女も彼を愛し支え、おまけに大変に賢く、
後年彼が苦境に落ちた際も励まし支え、彼が国を留守にしている間も
しっかりと国を守り、自分の宝石も売ってまでも支え続ける、賢明で、
彼の愛にしっかり応えた女であった事に、こちらもホッとするのですね。
       

3人目の妻イゾッタ・デッリ・アッティが賢明で良き妻だった、と書きましたが、

じわじわと彼の運が傾きかけた頃、追い討ちをかける様に彼を追い詰めた権力者は、
こちら時の教皇ピオ2世・Pio II(1405-1464)。

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ピオ2世は本名をエネア・シルヴィオ・ピッコローミニ・Enea Silvio Piccolomini
現在のトスカーナはオルチャの谷に位置するピエンツァ・Pienzaが
彼の生まれ故郷でもあり、現在は世界遺産に登録されてもいますが、
教皇在位たった6年の間に、この田舎町をルネッサンス風にすべく奮闘、

はたまた時代錯誤的なトルコ相手の十字軍派遣をぶち上げ、
遠征艦隊の船待ちのアンコーナの街で、力尽き逝去という方。
       

あ、その前にシジスモンド・Pの街リミニの繁栄について少し。
1450年前後ヴェネツィア共和国に雇われ、ここは支払い報酬が他の雇主と違い
毎月きちんとしていたそうで、はは、
自軍の整備も整え、国の整備もし、カステル・シスモンドの建設、自領内の
道路の整備、田舎と都会の経済流通の改善、職人達の組合の整備、
などなどと順調だった様子。

こうして順調にマルケ州においての力を蓄えていく様子を見、疑念を抱き始める
教皇側ですが、1454年に起こったのがローディの和と呼ばれるもの。

これはコスタンティノープル(現在のイスタンブル)がオスマン・トルコの手に落ち、
東ローマ帝国の崩壊となった事で、トルコの脅威の前にいつまでも国内の戦争のみに
関わっておれない、と、漸くにイタリア国内領土の確認を権力者達がしたもの。

でその時にナポリ王でもあるアルフォンソ5世アラゴン国王が、それ以前に
トスカーナ侵略に乗り出した際にシジスモンド・Pに思いがけない手酷い敗北を
喰らったのを深く根に持ち、息子への遺言にもマラテスタ打倒を託したほどだそうで、
この会議へのシジスモンド・Pの出席を、彼が出席する会議には一切出ないとの
強硬姿勢で拒みます。

ナポリ王国はローマの南に位置するカトリック王国で、北を警戒する教皇側は
常に寄り添っているわけで、そんなこんなで主要会議からはじき出されるマラテスタ家。
       
おまけにシエナ近郷出身、シエナ大学で学んだピオ2世にとっては、かってのシエナの
敗北に一役買ったと誹謗の的ともなったシジスモンド・pは許しがたい相手。
1458年に教皇となった後、3度にわたる召還にも応じない彼を1460年クリスマスの日、
破門に処します。雄弁家として鳴らしたピオ2世の弾劾書はまさに火を噴く激しさで、

  殺人、強姦、姦通、近親相姦(3人兄弟だったはずで?)
  冒涜、偽証 eccecc。 卑劣で残忍冷酷の大罪人、と決めつけ、
  彼の肖像だったか人形を火刑に処すという・・、

傭兵隊長として戦地で戦う、作戦を練り、奇襲もかけ待ち伏せ戦もする、
これは戦が仕事の事で、これ以外に読んでいて、シジスモンド・Pが住民や
家臣相手に残虐さを見せた、というのは見当たりませんし、
徹頭徹尾に大悪党に仕立て上げているのが分かります。

まさに頭に血の上りきった有様で、こういう権力者が相手ではどうあがいても勝てず、
教皇の目を気にし、傭兵隊長に雇う側も少なくなり、
ここぞとばかりモンテフェルトゥロは領域に攻め込み、苦しめます。



当時のイタリアの勢力範囲図をどうぞ。

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薄い黄土色のStato di Pontificioが教皇領で、この中をそれぞれに
委任を受け治める形で、マラテスタ家があり、モンテフェルトゥロ家が存在するわけで、
破門を受ける事は半ば追放に近く、自領土も遂にリミニの街のみに。

こうしてシジスモンド・Pは、きつい事が分かっていて誰も引き受けないヴェネツィア
共和国の仕事、ギリシャに出かけてのトルコとの対戦の仕事を請け、出かけ、
結局消耗し疲れきって戻ります。

漸くに、失礼! 1464年にピオ2世が逝去し、1466年新教皇パオロ2世の元、
ローマに出かけ、トルコとの対戦での褒章に、元の領土の返還を願いますが、
こちらも狐の教皇で、出来るだけ長くローマに引き止める間に、
秘密に兵を動かしリミニまでをも乗っ取りに出るほど!

気が付いて怒り狂うシジスモンド・Pに、1500ドゥカーティの褒章が渡され、
漸くに和平が整うものの、1468年春、教皇側の軍として出かけたノルチャで病を得、
同年10月遂に帰らぬ人に。 未だ51歳の若い死でした。

彼のロマーニャ地方一帯をしっかり自領にする夢も、テンピオ・マラテスティアーノの
建設も、すべて未完のままに終わり、先回絵画館の絵でご案内した様に、
彼の孫の代パンドルフォ4世で、マラテスタ家も絶えます。

彼の愛した妻イゾッタは、その後修道院に引きこもり亡くなったとも、
シジスモンド・Pの跡を継いだ継子ロベルトに毒を盛られたとも・・。
       


SとI、シジスモンド・Pとイゾッタの名前の飾り文字の入ったマラテスタ家の紋、
これがテンピオのどこにあったのか思い出せませんが、こうして今に残る2人の印。

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シジスモンド・Pの生涯の敵であったフェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロも、
彼の死後は息子に跡継ぎが生まれず、家が途絶えますし、

当時の小領主として、いずれは絶える運命の家柄だったのかもですが、
大変鮮やかに生きた男、という感銘をも受けますし、
冷酷非情と評判の男の隠された内面心情が、なかなか良いではありませんか?!

一方的な権力者側の非難のみでなく、最近の研究によってもあれこれ明らかな
領民にとっての良い領主であった事、詩作もし文化芸術のパトロンでもあった
シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタのお話、

長々と書きましたが、どうぞお楽しみ頂けました様、願います。
お付き合い、有難うございました!



最後はサイトから拝借の写真で、リミニの空気を。

夜の灯の中のテンピオ・マラテスティアーノ

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夕暮れのリミニの海

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2千年を生き、未だ現役のティベーリオ橋

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そして、アウグスト門

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夏の夜の賑わい、リミニの浜、ディスコテーカ

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年越しの夜の花火

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・ n.2 リミニ ・ 絵画館、マラテスタ家のあれこれちょっぴり

リミニのご案内2回目は、先回に続き絵画館の内部を少し。
絵画館と言っても博物館と併設されていて、収蔵品はたくさんあるのですが、
例により独断と偏見でほんの少し、私めの好きなものだけ、ははは、
ご覧頂きますが、それに付随しての寄り道も少し。

と言うのも、ミーハー的にご贔屓の、ははは、「リミニの狼」と呼ばれた
シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタについて自分がもっと知りたい、そして
書きたい想いで、じりじりと搦め手からにじり寄っている最中でありまして!
てな事で、ご了承の上、ごゆっくりお願いいたします。

写真は、絵画館の広い壁いっぱいに移された1916年発見のフレスコ画。

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10年後にこの様に保存されたと言う説明は撮っているのですが、どこの教会のかの
説明は写しておらず! 14,5世紀の物と思うのですが、大変に鮮やか。

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ジュリアーノ・ダ・リミニ・Giuliano da Riminiの1320年頃の祭壇画 
「聖母の被戴冠」

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修復された様子で、とても美しく。

イタリアに最初に来た頃は、この様な黄金背景の祭壇画全てに夢中になった物でしたが、
う~ん、今頃は作品によりけりとなり、ははは。



ジョヴァンニ・ベッリーニの「ピエタ・Pietà」・Giovanni Bellini、1470年頃の作。

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4人の小天使が、哀れみを込めて見つめながら抱き起こす、写真では少し色が
暖かく出ましたが、もっともっと透明感の漂う、色も凛と涼しい、素晴らしい作品。

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作品はシジスモンド・パンドルフォがその晩年に注文したものだそうで、
ですが作品の年号から見て、1468年の彼の没後に届いた様子。
彼は美しい物を愛したそうですから、もし実物を見ることができたとしたら、
どんなに喜んだことでしょうか・・。



ジョヴァンニ・ベッリーニは(1433頃–1516)ヴェネツィアの画家、ルネッサンス期の
著名画家の一人でもありますが、その83歳の生涯におき途切れることなく
70年程を描く事に注ぎ、しかも駄作がない、と言われる絵描きの鑑!

その作品中に「ピエタ」の作品が数多くあるので、幾つかを拾い出しご覧頂きますね。
大変有名な、ミラノのブレラ絵画館のもの、1465年頃  

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「メティネンゴ・Metinengoのピエタ」 ヴェネツィアのアッカデミア蔵・油彩

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ベルリンにあると言う「ピエタ像」 リミニのイメージに似ていますね。

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ヴェネツィア・コッレール博物館蔵

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「ペーザロ・Pesaroの祭壇画」と呼ばれる油彩画 ヴァティカン蔵

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ね、こうしてあれこれピエタ像をご覧頂くのも、リミニにあるのがいかに
美しい作品かを分かって頂こうという、shinkaiの謀略なのであります、ははは。



という所で、少し他の収蔵品のご案内も。
これはテラコッタ製と思う、たぶん聖母子像。右腕が欠けていて残念ですが、
和やかなお顔でしょう?

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木製彩色の聖母子像。 少し北方のイメージもあり、
幼いキリストの鼻がお母さんそっくりなのが可愛いというか、ははは。

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陶器の破片を幾つか。

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彫り込みのある木箱、中央下にマラテスタ家の紋。
1450年頃、モンテグリドルフォ・Montegridolfoからと。

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この町はリミニの領域とはいえマルケ州に近い山中に位置し、
モンテフェルトゥロ公との抗争により要塞化され、現在に残るそう。



さて、もうひとつご紹介したい絵を。
ドメニコ・ギルランダイオ・Domenico Ghirlandaio(1449-1494)とその工房
による祭壇画、現在はないサン・ドメニコ聖堂の礼拝堂に在ったものと。

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大きな板にテンペラ画で、光が反射するので正面から撮れませんで。
  
中段真ん中にドメニコ会派のヴィンチェンツォ・フェッレール・Vincenzo Ferrer
この方は、いわゆる病人等に奇跡の回復をさせると評判が高い方だそうで、
左にサン・セヴァスティアーノ、右にサン・ロッコと三聖人が並び、



下段中央右手、赤い衣装の男性が、リミニのマラテスタ家最後の領主である
パンドルフォ4世・PandolfoIV とその横にいるのは弟のカルロ・Carlo.

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左の女性2人、外の黒い衣装がパンドルフォ4世の母親エリザベッタ・
アルドブランディーニ・Elisabetta Aldobrandiniで、中央がパンドルフォの妻
ヴィオランテ・ベンティヴォーリオ・Violante Bentivoglio.

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最初は単純に絵がとても美しいと眺め、それからこの4人は誰?と探し、
聖人と一緒に絵に登場するのは絵の依頼主、と決まっていますのでね、
するとなんと、大変に興味深い事が次々、つまりです、ゴシップね、ははは、
分かりましたので、ここにお裾分けを、はい。

この絵は元々が今はない聖堂にあった、と書きましたが、当時は下部の人物像が
塗り隠されていたのだそうで、1924年の修復で、これら4人が明らかになったと。
ご想像あれ、隠されていた人物を突き止めた時の、修復師の驚き喜びを!

で分かった事は多分、1492年の町を襲ったペストの終焉と、一族内の陰謀謀反から
助かった事を感謝しての絵の奉納であったろうと。

妻のヴィオランテが感謝と祈りの手を合わせるポーズで、希望を表す緑の衣装を着け、
パンドルフォは、私です、と意思表示に掌を広げつつ母親を見つめ、
弟は単純に彼です、と指差し、母親は息子を見ている、と。

結局この絵は、本人達に似ていない、と言う事で了解していた値の半分にも
満たない支払いを受け、依頼した時の感謝の念の奉納宣伝をも取りやめ、
塗り隠されたままに。

上記した様に、1492年のペストの終焉後、そしてギルランダイオ自身の没年
1497年から、彼の最晩年の作品であるのが分かり、工房の助手の手もかなりと。
それにしても、やはり鮮やかな素晴らしい作品と思います。
       

リミニのマラテスタ家最後の領主となった、パンドルフォ4世(1475-1538/39)は、
シジスモンド・パンドルフォの孫にあたり、父親は偉大なるロベルト・
Roberto il Magnificoで、その愛人エリザベッタ・アルドブランディーニ
との間に生まれ、たった7歳の時に父親を亡くします。

でそれからが大変! 母親が大変な陰謀好きというかなんと言うか、一族内の
権力抗争が絶えず、おまけに何が何でも息子を自分の思い通りにさせたがる、
息子の結婚も代理人結婚とはいえ、わずか10歳のとき!
花嫁のリミニへのお輿入れは数年後だったようですが。

政治的センスに欠け戦略的にも余り優れない彼は、何度も戻る試みをしながらも
リミニから追い出され、終にはフェッラーラ大公のアルフォンソ・デステにすがり
極貧の内に暫く過ごし、最後はローマで亡くなるという哀れな生涯。


母親と妻についても調べましたが、いまだ生没年も分からず、
妻の方は夫よりも先に、フェッラーラでかも、亡くなった様子。
それにしても、この女性像は美しい!

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こちらはシジスモンド・パンドルフォのメダル。

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説明文を写した写真の順序が間違っていないなら、最初のメダルは、
カステル・シズモンドの塔の中、3m以上の高さの天井に注意深く3箇所に
穴を開けて詰め、塞いであったものだそう。

下の写真のは、シジスモンドの礼拝堂の円柱を支える象の背中から発見されたもので、
1450年10月の事であろうと。
まだ何かどこかに埋まっているかも、の気がしません?! ははは。



こちらは多分シジスモンド・パンドルフォの衣装の色柄の復元と。
昔の衣装によく見るアザミ柄ではないかと・・。

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上の柄の写真を見て思い出し、探し出したのがこれ! 何年か前に雑誌で見た
覚えがあったのですが、意外に簡単に見つかり、
ファーノ・Fanoの領主パンドルフォ3世のファルセット・Farsetto.

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美しいでしょう?! ファルセットは当時の男性が甲冑の下に着用した胴着。
パンドルフォ3世(1370-1427)はこれを着用した姿で埋葬されていたそうで、
1995年に発掘され復元されたものと。
パンドルフォ3世というのは、シジスモンド・パンドルフォの父親にあたります。

ファルセットの再生というか復元は、長毛の絹のビロード、色は深紅色、
胴の部分は前後4つの部分から成り立ち、2枚の麻布の間に詰め物をし
全体にキルティングが施され、その糸は絹糸!
前部には直径1cmのボタンが2cm間隔で付けられていると。

深紅色と金、そしてこの胸の厚さ! 素敵ですねぇ!
多分世界に一つ、というこの再現された胴着は、2009年にファーノの博物館で
公開されたのだそう。

と、次回に予定しているシジスモンドの墓所見学にちょこっとにじり寄った所で
今回のご案内はお終いですが、



最後はお付き合い下さった皆さんの気晴らしに何か、美味しそうな物をと、
サイトからあれこれ探し、 リミニはやはり海の幸かなぁ・・?!

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そうそうロマーニャ名物に、ピアディーネ・Piadineがあった!
ピアディーネとは、こんな風に薄焼きした物に何でも好きな物を挟んで食べる奴で、
こういうのは世界共通ですがぁ、注文すると熱くしてくれ、チーズがとろっとね。

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ここリミニのは、ピアーダ・Piada といい、どうやら大判のようで、ははは、
生ハムにパルミッジャーノのうす削り、ルーコラ、

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野菜のグリルをはさみ、

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何でも好きな物を入れて、ぐるっと巻いてかぶりついても良し!

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小鰯のから揚げ?! おお、おお、これはシー、シー、Sììììì!!!

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ははは、つい食べ物に取り乱し、はしたない所を・・、

また次回もよろしくお願いいたしますぅ!!


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