・ 夏のヴェローナ ・ ランベルティの塔の上から

悪天候続きで、肌寒い、と文句タラタラだった北イタリアも、
遂に先週半ばから暑くなり、寒がりのshinkaiも漸くに半袖!

プール体操も屋外になり、前の駐車場のたくさんのシナの木の花が暫く前から
満開で、奥にあるプールまでにも良い香りが漂っています。       
で、はい、屋外プール3回目をこなした今、既に赤銅色で~す!!


さて今日は夏のヴェローナの、ははは、暑そうでしょう?! 街の一番の
中心であるエルベ広場周辺と、ランベルティの塔の上からの眺めを。

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ランベルティの塔に上ったのは2007年の初夏、漸くに修復が済んだ所でしたが、
ご覧頂くチャンスを逸しており、今回は昨夏にヴェローナに出かけた時の写真と
混ぜて、エルベ広場周辺をもご覧頂きますね、ごゆっくり!



地図をどうぞ。 アディジェ河がぐるっと街を囲むように蛇行し、半島の様に
突き出したこの部分が、ヴェローナのいわば旧市街。
青く囲った中心に、南北に細長くエルベ広場・Piazza delle Erbeが。
       
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この地図の番号で言うと、エルベ広場が2.、1.がパラッツォ・コムーネ・
Palazzo del Comuneで、その北西の角35.に、ランベルティの塔・
Torre dei Lamberti.
   
エルベ広場に面した北側の建物との間に細い通路があり、そこを東に抜けると
もう一つのシニョーリ広場・Piazza dei Signoriがあり、
北東側をロッジャ・デル・コンシ―リオ・Loggia del Consiglio4.と、
パラッツォ・デル・ポデスタ・Palazzo del Podestàの3.が。

南はパラッツォ・ディ・カンシニョーリオ・Palazzo di Cansignorioが囲み、
その間を東に抜けた所にアルケ・スカリージェレ・Arche scaligere・
中世ヴェローナの領主だったスカーラ家の幾人かの記念墓、棺が納められた場所、
教会があり、

その上8.サンタナスターシャ教会・S.Anasutasia、12.ドゥオーモ・Duomoは、
塔の上からの写真でご覧頂きますね。



こちらの地図で、もうちょっとイメージを膨らませて頂けるかな。

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エルベ広場の東側の建物、フレスコ画が描かれた有名な壁。

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で、この先を東に抜けると、

ちょうど良い写真が無く、これはウィキぺディアから拝借したシニョーリ広場で、
広場の真ん中に立つのがダンテ像。

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正面に見えるのがパラッツォ・デル・ポデスタ、またの名をパラッツォ・デル・ゴヴェルノ・
Governoと呼ばれ、13世紀後半、ヴェローナのポデスタ・執政長官となった
スカーラ家のアルベルト1世・Alberto Iにより建設され、
その後ヴェローナの領主となったスカーラ家の住居となった館。



ダンテ像がここにあるのは、このポデスタ宮に滞在した客人の内でも
第一級の著名人だから、という事の様で、他の客人としてはジョット・Giottoや
ヴァザーリ・Vasariも。

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所でよく出会うスカリージェロ、スカリージェリという言葉は、スカーラ家の形容詞で、
この家系が1262~1387年に至る125年間のヴェローナ領主だった訳ですが、
今は勉強不足でして、いずれヴェローナのお城のご紹介も、と思ってますので、
その時にまたご説明致しますね。
     
で、上の写真の右手奥にちらっと見えるのが、アルケ・スカリージェレ・スカラ家の墓所で、



こちらで、右手に見える教会はサンタ・マリーア・アンティーカ・S.M.Antica.

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私は実はこれを書くまで、この手前の素晴らしい記念柩の塔が、スカーラ家の
代々の中でも一番の大物、カングランデの物と思いこんでおりましたが、
カングランデの棺は、この右手手前の教会の壁に納まっているのがそう、
へ、へ、と知りましてございます。

まさに、ブログ書きのお陰であれこれ知る事ができる・・、ブログさま様!
読んで下さる皆様に、感謝です!!



で、この素晴らしいゴシック建築物の主は、マスティーノ2世だそうで、
一番上の騎馬像の本物はお城の方に。
       
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蛇足ながら、カングランデ・Cangrande・大きな犬とか、マスティーノ・Mastino・
マスティフ犬とか、なぜこういう名が一族に多いのか・・。
スカーラ家に付いて読むのも、興味が湧きますです、はい。



シニョーリ広場の方に戻りつつ、
  
これがパラッツォ・デル・ポデスタの脇のロッジャ部分で、素晴らしい装飾でしょう?!
サイトで見ると内部も素晴らしい様で、見学できるのであれば、またのチャンスに。

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シニョーリ広場の北側、ロッジャ・デル・コンシ―リオ。15世紀の建築物、
やはり装飾がとても優雅ですね。

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で、ロッジャの西の端と隣の建物を繋ぐアーチの上の人物像、
以前から目につきながら調べておりませんでしたが、はい、今回はからずも!

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ジローラモ・フラカストロ・Girolamo Fracastro(1478-1553)という
ヴェローナの旧家の出で、パドヴァ大に学んだ科学者。

ええとです、有名な著書には「梅毒 またはフランス病」があり、
接触伝染病を知らしめた方なのだそうで、梅毒、チフスの命名者でもあると。
衣装からローマ期の人物かも、と思っていたのですが、
はぁ、伝染病の大家、そして天文学の研究もされた方なのでした。
       


こちらがティツィアーノ描くジローラモ・フラカストロ像。
1528年頃の作品で、現在はロンドンのナショナル・ギャラリーに。

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さて、いよいよランベルティの塔に近づきまして、

こちらはパラッツォ・デル・コムーネ、12世紀建設の四角い建物の中庭。
今左手角上にちらっと見える部分がランベルティの塔。

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建物の壁は、煉瓦と凝灰石との横縞でかなりの迫力ですが、
これはヴェローナのロマネスクの典型なのだそう。



中庭を囲むロッジャの下には、こんなフレスコ画も残り、

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こちらは西側、15世紀に建設されたスカーラ・デッラ・ラジョーネ・
Scala della Ragione・ラジョーネ階段。 
     
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建物に半円アーチの名残が見えますが、この部分が何度か改装された
建物に残るオリージネの部分と。



西側のエルベ広場から東のパラッツォ・デル・ポデスタ辺り、この一帯が
ローマ期のフォーロがあった場所だそうで、
      
中庭にガラスをはめ込んだ部分があり、覗くと地下の発掘されたローマ期の
モザイクも見えます。

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さて、建物の北西角、階段の脇にエレベーターがあり、いよいよ塔に上ります。
お待たせいたしましたぁ!

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塔には毎日9時半から20時半まで上れ、週末はもっと夜遅くまで上れるそうで、
夜景もまた素晴らしいかも!



塔の高さは84m、83と書いてあるのもありますが、テレコムの近代の鉄塔を除くと、
ヴェローナで一番高い塔で、

これは確かエレベーターが止まる3連窓の所からの、エルベ広場の眺め。

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広場の北に見える白い建物がマッフェイ邸で、その横にある塔がガルデッロ塔・
torre del Gardello. 塔自体は古いのだそうですが、14世紀に
鐘楼として改装され、この鐘は毎時打ち鳴らされ、市民生活に重要な物だったそう。

のちに時計が取りつけられ、公的な時計としてイタリアで一番最初の物だったのが、
どういう理由からか無くなり、
こちらのランベルティの塔に18世紀後半に取りつけられたと。

ランベルティの塔の建設は古く1172年、この町の有力者ボゼーノ・デ・ランベルト・
Bozeno de Lambetoが建設したもの。
ですが塔がランベルト家の物というのはどこにも出てくるのですが、
ボゼーノで検索をかけても他には出ませんので、ひょっとしたらあやふやな記述かも。

最初から84mの高さではなく、15世紀には雷にやられ修復したり、塔の高さも
付けたされ、一番上の部分は、のちにヴェネツィア共和国が大理石を使い、
美しく高くした物で、
この高さに次ぐヴェローナの塔としては、高さでは10mほど低いドゥオーモの鐘楼と。
       


広場の西向かい側、左がドームス・メルカトールムかな・Domus Mercatorum・
商人の家と呼ばれる建物で、中世には商人達の組合などが使っていた物で、
現在は銀行がね。

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北側、ドゥオーモの正面壁の上部と、鐘楼。

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足元東側のシニョーリ広場、ロッジャとポデスタ宮。 右側塔の建物が
カンシニョーリオ宮・Palazzo di Cansignorio、スカーラ家14世紀の建物。

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西の先には、アレーナも見え、

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さて上の階に上りますが、ここからは階段を自力で。

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塔には16世紀鋳造の鐘が2つあり、多分下に見える少し大きな方が
レンゴ・Rengo、これは市民集会を知らせたり、緊急の場合用で、
もひとつはマランゴーナ・Marangonaといい、仕事時間の知らせ用と。

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最上階は窓に全部細かい網が張られていて、写真を撮るとこんな風になりますが、
こちらは東、サンタナスターシャ教会。

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長い修復が済み、昨夏の訪問では大変美しい内部と、ピサネッロの
「サン・ジョルジョと姫」の素晴らしい壁画が元の位置に戻っておりました。
またご案内いたしますね。

背後左にテアトロ・ロマーノも見え、サン・ピエトロの丘も。



余り色がよく出ておりませんが、ポンテ・ピエトラ・Ponte Pietra.

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ヴェローナ ・ 旧地区 探訪
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417582.html



最後にもう一度、足元のエルベ広場と、

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広場から見上げるランベルティの塔をどうぞ!

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ヴェローナのご案内あれこれは、こちらから
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460835170.html

新ブログでのヴェローナのご案内は、総目次から
http://www.italiashiho.site/category/26843760-1.html

ヴェローナ訪問は、ミラノからヴェネツィアに移動する間に、が殆どと思うのですが、
エルベ広場の屋台で聞きましたら、日本人は15分間だけねと、ははは、
笑っておりましたが、見所は多く、そして、この街は都会です!

イタリア紹介で、都会です、というのは変ですけど、洒落た街なんですね。

ヴェネツィアからでも幹線で行きやすいので、是非お出かけ下さいね。
お楽しみ頂ける事、受合いますです!


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・ 古物コレクション、 スコミーゴ村のお隣さん

今日ご覧頂くのは、ちょうど1年前にお邪魔して写真を撮った、
同じスコミーゴ村の2軒先のお隣さんのお家の、
彼女のコレクションのほんの一部をご覧下さいね。

これが彼女のお家で、緑色の鎧戸の家の方にお住まいで、

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こちらの古い方は細い道を挟んで向かい側の納屋。 手前左に伸びている
石壁の中にはイタ鴨や鶏小屋があり、結構賑やかに鳴くのが、時折聞こえます。

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彼女・マリーアの家にお邪魔する切っ掛けは、たまたまコネリアーノの町中で
出会った時、人形を見に来た、集めていると言うので、
古い人形かどうか聞きますと、古いのもある、というのででは見せて下さい、
と頼んだのでした。

ずっと昔油絵を描いていた時に、フランス人形のアンティークを1体持っていたので、
そんな古い人形かと思ったのでした。

が彼女のは古いと言っても、所謂アンティーク人形ではなく、
とにかく可愛らしいのを、お家の中所せましと集めておりまして・・!

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私にはそれよりももっと他の古物類、かっての生活道具類が、
大いに気に入りましたので、今日はそれらをご覧頂きますね。

お家の1階にあったマヨリカ焼きのストーブ。大変暖かいのですよ、これ!

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イタリア語の先生のアンナリーザのお家にも、マヨリカ焼きのストーブがあると。



外から見るお家は、如何にも古い農家風なのですけど、中はしっかり
修復されており、・・はぁ、お金持ちね。

これらは古い秤類等ですが、一番左に見える球はコーヒーの豆煎り。

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これは素晴らしく大きな、直径60cm位だったかな、銅の鍋。

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何に使ったのか、チーズ作りか、はたまた洗濯物を火に掛けるのか・・。
済みません、聞いたのですけど1年経って忘れています!



蹄鉄と、それを打つ釘ですって!
釘が余りにも長いので、見ただけで痛くなったshinkai。

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これは靴直しに使った物。

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所で皆さんお気付きになりましたか? 古い家の床は、この様にいろいろな
大理石の破片を集めて固めて床にしているのですね。
今頃は木の床が流行っている様ですが、我が家の様に庶民用コンドミニオは、
タイル床で~す。



2階への階段の壁には、こんな風に古い写真が、これもまた所せましに・・。

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1900年代の初頭、ちょうど100年前のコネリアーノの町の姿。信じられない程に
建物が少なく、これはどうやら家畜市で、丘の上に見えるのはコネリアーノのお城。

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位置は違いますが、こちらが現在のお城。

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この橋は今もありますが、今は手前に建物が立ち並び、写真に見える
このお屋敷は奥の並びになってしまっています。

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この通りの様子は、馬車等は別として、ははは、余り変わらずに今も存在し、

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手前に見える橋はこちらで、

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左手奥に見える建物の並びは、逆向きですが、ここ。
       
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右手から2軒目は、キプロス王の家でご紹介した建物。 まだ再アップ無しで・・。
     


ご両親とご一家の写真で、抱かれている女の子が彼女、今も目もとが同じ!

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私がスコミーゴ村に来た22年前!には、まだこのお父さんがご健在でしたっけ!



写真の中には、こんなイタリア国王とムッソリーニが写っているのもあり・・、

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屋根裏というのか、3階に上がると、まさに羨ましい感じのアトリエ風で・・!
ここにもたくさんのコレクション。

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この胴の鍋も素敵でしょう?!

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古いバリカン類に、なぜか並んでパスタ切り、ははは。

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古いトランク。 上が厚紙製で、下が木製でお父さんが作ったのだと。

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イタリアも昔は貧しく、日本と同じ様に移民する、出稼ぎに行く人々が多く、
こんな厚紙のトランクに詰め、縄で縛っている写真を見た事があります。



20cm程の籠の中に、いっぱいの大きさのハチの巣!

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部屋の反対側で、右の本棚の上に見える木製の枠は、
真ん中に炭火を入れたアンカを置き、冬のベッドを温めたもの。

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この形の物はウンブリアでもヴェネトでも見かける、かって本当に庶民が
使っていた物なのですね。

民衆伝統博物館 ・ チッタ・ディ・カステッロ ・ Città di Castello
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462901367.html



同じ様なのを日本でも使っていましたっけね。 そう、湯たんぽ。

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糸取り器。

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これ、分かりますか?  かっての脚のギブスで~す。

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古い籠類と鍋と。 静物画が描けそう、ははは。

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古い手回しのミシン、今も動きます!

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古い琺瑯の水差し。 右のブルーと白の斑のが、とても綺麗でしょ?!
モダンに見えますよね?! やはり琺瑯の洗面器と共に、昔は寝室に。

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最後はおまけの1枚を。 漸くにこちらのお天気も収まりそうな気配ですが、
今2週間の休暇でヴェネトの浜辺に行っている、アンナリーザから届いた、
チビちゃん2人の写真。

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漸くに青空の見える浜辺ですが、まだ少し寒そう!

皆さんも良い季節をお楽しみくださ~い!!


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・ オペラに生き、恋に生き ・ プッチーニの家博物館 

TVはいつも、ご飯を食べる時に前に座るだけで殆ど見ない毎日ですが、
先日偶々チャンネルを変える時に見た場面から、このF.ゼッフィレッリの映画
「カラス・フォーエヴァー」の最後の方を見る事が出来ました。

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世界のソプラノの女王とも言えるマリーア・カラスの53歳で亡くなる最後の日々を
描いたもので、背後に流れるカラスの歌声から、
そうそう、「プッチーニの家博物館」のご案内を、と思い付いた次第、はい。

皆さんも、オペラがお好きな方は多いと思いますが、プッチーニのオペラの、
濃厚で甘美な旋律、とりわけ「トスカ」の、歌に生き、恋に生き、の一節は、
プッチーニ、そしてカラスの生様とも重なる感じがしますので、
今日はそんな事も少し含めてご案内いたしますね。 ごゆっくりどうぞ!

今日ご覧頂く写真は、右下にサイト名が入っているのがshinkaiの撮った物、
または手持ちのガイドブックからの物で、あとはサイトから拝借の物です。



プッチーニの家博物館は・・、地図をどうぞ。
左中程のトッレ・デル・ラーゴ・プッチーニ・Torrre del Lago Pucciniという、
右に見えるマサチュッコリ湖・Massaciuccoliの湖畔にあります。

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この春出かけた時は運悪く、湖に着いた頃に雨となり、
本来ならば良い眺めでしょうに残念でした。

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家の前、プッチーニが住んでいた頃は家のすぐ前まで湖が迫っていたそうですが、
現在は埋め立てられて小さな公園となり、彼の像もあり、

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こちらが現在の家博物館で、グループに分かれガイド付きでの見学で、
内部写真はダメの、結構厳しいものでした。

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これが見学の後に買ったガイドブック。

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現在のこの家博物館と、ルッカ市中にある生家博物館は、唯一の残存子孫の
シモネッタ・プッチーニ・Simonettaの持ち物だそうで、

ここの見学時間は
11月~1月 10時~12時40分 14時~17時20分
2月~3月 10時~12時40分 14時半~17時10分
4月~10月 10時~12時40分 15時~18時20分
休館 月曜 12月25日 11月
この他に、閉館前40分が最後の入館、見学は40分とか、
夏のプッチーニ・フェスティヴァル期間の7~8月は、午後16時~20時40分

などといろいろ細かい事を言っておりまして、見学予定の方はお確かめ下さいね。
予約は Tel 0584.341445
http://www.giacomopuccini.it/en



こちらはルッカ市中にある、プッチーニの生家博物館。

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見学は 休館火曜日
11月~3月  11時~17時    4月~10月 10時~18時



所で我々は普通ジャコモ・プッチーニ・Giacomo Pucciniと呼び習わしていますが、
戸籍にある名は、なんとまぁ、驚かれますな、

ジャコモ・アントーニオ・ドメーニコ・ミケーレ2世・マリーア・プッチーニ、
Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini     
という、音楽家5代に渡る祖先の名を全部貰っておりまして!

こちらが父親ミケーレで、ジャコモが5歳の時に亡くなっております。

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全部で9人の子!!の内、ジャコモは6番目(1858年12月22日生)
男子は彼と弟の2人。



母親のアルビーナ・マージ。

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父親の早い死で、一家の生活は大変だった様ですが、ジャコモは14歳で
早くもルッカのドゥオーモのオルガン弾きとなり、経済的に援けたと。

が、逸話によると彼は無軌道な若者で、小銭を稼ぐために、ドゥオーモの
オルガンの管を何本か売り払う、という様な事もしたそうですが、ははは、
1880年から3年間、奨学金を受けミラノの音楽院で学ぶチャンスを。

若く貧しく元気で大望に溢れた学生生活だったのでしょうが、
友にマスカーニ・Mascaniや、師にポンキエッリ・Ponchielli等の名が見えます。


1883年初のオペラ「妖精ビッリ・Le Villi」がコンクールの入賞を逃すものの
翌年上演され好評を得、2作目の「エドガー・Edgar」に取り掛かり、
この作品はかなりの難産だった様子ですが、


       
1884年にプッチーニは、ルッカの食料雑貨商・droghiereの妻、
既に2人の子持ちであったエルヴィーラ・ボントゥーリ・Elvira Bonturiと知り会い、
駆け落ちを!
       
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プッチーニ28歳、エルヴィーラ26歳。 彼女は2人の子のうちフォスカ・Foscaという
娘を連れての事で、プッチーニは大変この子を愛したそうで、

2年後には彼らの唯一の息子アントーニオ・Antonioが生まれますが、
彼らが正式に結婚したのは1904年、エルヴィーラの先夫が死亡して後の事。

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プッチーニにとってのエルヴィーラの存在は大きく、彼女の性格の難しさと無理解は
2人の生活に様々な支障となり、後年に大変な事件の切っ掛けも作る羽目にも。

  君は芸術という言葉を口にする時、冷やかしの種とする。
  これは私をいつも侮辱し、傷つける。
と、後年の手紙にプッチーニは書いておりますが、
とは言え、彼女の存在は彼にとって深い結びつきでもあり、
逆に様々な作品への思いつきも運んで来たようです。

そう、こういう所が結婚生活の難しい所なのでしょうね。
ソクラテス、リンカーンの奥方も、世の定評は悪妻という事になっておりますが、
・・良妻必ずしも夫を育てず、という事もあり、へっへっへっ。
一方、糟糠の妻を見捨てる夫も数知れず・・! ・・うん、蛇足。



トッレ・デル・ラーゴのこの家に移って来たのは1891年。
この地の鄙びた様子が大変気に入り、最初は借家住まいでしたが、
のちに現在の家を買い取り改装し、1900年から住み始めます。

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写真の奥に見えるのは現在展示室になっていますが、かっては台所だったそうで、
左からエルヴィーラ、ジャコモ、そして息子のアントーニオ。



息子のアントーニオ。 彼は音楽家を継がず、技師だったそう。

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こちらが現存する唯一の相続者、アントーニオの娘、プッチーニの孫シモネッタ。
アントーニオは結婚相手との間に子がありませんで、彼女は彼の結婚前の娘で、
法廷が「プッチーニ」の姓を名乗るのを認めたのだそう。

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プッチーニのオペラは大変有名で、それに付いては多くの方が書かれていますので、       
あらすじ等は省略し、古いポスターでご覧頂きますね。

プッチーニの第3作目のオペラ「マノン・レスコー」 1893年2月に初演で、
35歳にして大成功を収め、

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続く「ラ・ボエーム」 1896年2月。

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1900年の「トスカ」

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この3作の大成功で、彼は一躍有名作曲家となり、生活状態も激変したと言います。
下の「トスカ」のポスター、小舟上の姿はこの湖での彼の写真を使った興味深いもの。
「マノン・レスコー」の脚本からルイージ・イッリカ・Luigi Illicaが加わり、

ボエームから参加のジュゼッペ・ジャコーザ・Giuseppe Giacosa、
この3人での作品作りが大成功を収めた訳で、
   
モーツァルトにとって、ロレンツォ・ダ・ポンテ・Lorenzo da Ponteという
素晴らしい脚本作家の存在があった様に、
オペラ作曲家には、優れた台本作家が不可欠なのが良く分かりますね。



1904年「蝶々夫人」、これも三人の共作。

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「蝶々夫人」は初演には評判が良くなかったそうですが、次第に人気を得、
現在はプッチーニの代表作のひとつである事は皆さんも良くご存じの通りで、

この後「西部の娘」「燕」そして最後の作「トゥーランドット」と続きます。

夏の夜の、広場での「蝶々夫人」公演の様子は
      


家博物館、内部の様子をどうぞ。

湖に一番近い部屋、入り口左手の書斎。 ピアノがありその左手に書き物机、
ここでかの名作オペラが次々に作曲されたという場所。

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こちらは書斎右側の部屋で、右手に見えるガラスケースの中に、彼のデスマスク。

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プッチーニはブリュッセルで、喉頭癌の手術後亡くなり、
1924年11月29日、66歳のまだ若い死でした。



上の写真の壁に見える肖像画がこれで、晩年の姿。

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葬儀はブリュッセルとミラノと2度行われ、
この家の礼拝堂と呼ばれる部屋に葬られています。

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家の2階部は見れずで、1階の各部屋に所狭しと様々な品、多くの写真、
果ては狩猟好きの彼が使ったという銃の様々が所狭しと置かれ、
マリーア・カラスの歌声が少し高過ぎる程に流れ・・。



こちらがプッチーニの若い、というか、中年の渋い、魅力ある男性の写真。

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所で勿論ながら、はは、博物館で買ってきたカタログには全然触れられていなかった、
彼の女性関係を少し、はい。

「度し難い女たらし」というのが伝説的な評で、
彼自身「野鳥と台本と美しい女達の、偉大な狩人」と豪語していたそうで、ははは、
ドン・ファン的な女たらし、女好きとは違い、内気で繊細で、
軽く女達との関係は持てなかったと。

ですが、妻となった最初のエルヴィーラとの大きな愛以外、新しいオペラ上演の
度毎にと言えるほど、主役ソプラノとの関係が始まりまして、
そこから次のオペラへのモチーフが生まれてくる、というなんとも芸術的な生き方で、
ははは、私の数えによると7人かな、他に大した事のないと記されたのが2人、はい。


最初の他人の妻だったエルヴィーラとの駆け落ちも、大きなスキャンダルを
引き起こしたのですが、

1909年彼の家の女中のドーリア・マンフレディ・Doria Manfredi 23歳が、
夫との間を疑ったエルヴィーラの執拗な追及に、洗剤を飲み自殺という事件が。

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これは夫婦間に深い亀裂を生じただけでなく、刑事事件となり、大スキャンダルと。
で大変気の毒な事に、遺体解剖の結果、彼女が処女であった事が明白に、
という哀れさで、
この事件は近年映画になり「プッチーニの愛人」として、日本公開もあった様で、
ご存知の方もおありかと。

問題はこのプッチーニの浮気相手が、ドーリアの従姉妹のジューリア・マンフレディ・
Giuliaで、
1923年には、プッチーニの2番目の息子であろう、しかもアントーニオという
同じ名前の子が生まれているのですね。

この件は2007年から調査が進んでいるそうですが、こちらのアントーニオの娘
ナディア・Nadiaから、1914年に撮影された未公開の物とか、手紙類が
明らかにされているのだとか。
       


こういう莫大な遺産問題が絡む様々な問題はさて置き、
このトッレ・デル・ラーゴでは毎年夏にプッチーニ・フェスティヴァルが開かれているそうで、
湖に臨む、この素晴らしい舞台の様子。

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では、マリーア・カラスの歌う「歌に生き、恋に生き」をこの写真とは違いますが、
YouTubeでどうぞ!

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映像は、確かゼッフィレッリが監修のロンドンのコヴェント・ガーデンの舞台の物と。

プッチーニのオペラに登場する主人公達も、こうした素晴らしいソプラノを
得る事により、より深い味を持てるのでしょうね。


マリーア・カラス・Maria Callasというと、ギリシャの大富豪オナシスとの
関係が有名ですが、

彼と出会う前、彼女がまだ若いほんの駆け出しで、美声の持ち主ながら
大デブちゃんだった時、ヴェローナで出会ったイタリアの富豪実業家・
ジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニ・Giovanni Battista Meneghini
と結婚していたのですね。

彼の方が27歳も年上だったのですが、アレーナで歌ったカラスに大変魅かれ、
"半年間の協定"なる物を提案します。 彼女にダイエットをさせ、
こうしてすらりとした美女の、世界的ソプラノ誕生、という訳。

二人は結婚し、彼は自分の仕事を放り出し、世界中どこでも彼女の舞台の
ある所に付いて回り、10年ほど睦まじい関係が続いた後、オナシスの登場。

離婚はしないまま、ガルダ湖畔のシルミオーネの家で彼の失意に沈んだ生活が続き、
カラスが53歳でパリで亡くなると、82歳の彼が、妻の遺産相続を、という事に。
       
85歳で彼が亡くなった後、最後まで誠実に看取った家政婦が遺産相続し、
彼女亡き後はその甥に。

歌に生き、愛に生き、  オペラに生き、恋に生き、

・・みなさ~ん、頑張って生きて参りましょうねぇ!!

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