・ サロ ・ Salò ・ ガルダ湖西岸のヴァカンス地

今日のご案内は、ガルダ湖西岸に位置するサロ・Salòの町、
・サロのロにアクセント、の発音でお願いいたします、はい。

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なぜ急にサロの町か、という複雑な理由はありませんで、 ははは、
単純に、いまだ寒い日が続く日常から逃れたく、夏らしい写真を探し見つけた、
という単純な理由で~す。
       
と、以前「ガブリエーレ・ダヌンツィオの家とサロ」というタイトルで取り上げた時は、
彼の家のご案内だけになってしまい、はぁ、時に思い出しては悔恨の情に・・、へへ、
てな事はないのですが、宿題になっておりました。
漸くに今回チャンスが巡って来ましたので、出かけた2回分、
2007年と11年の写真を混ぜてご覧頂きますね。

トップの写真は町の西からの眺めですが、結構細長く続き、
おまけに夏の紫外線が強く、逆光で色が出にくく、



では、とウィキペディアのサイトから拝借がこちらです。

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ガルダ湖畔のどの町も、湖畔に沿って細長く広がり、すぐ背後に迫る山との間を
国道が走りますので、運転も、狭い道カーヴ続きで少し緊張しますし、
駐車場の確保がいつも大変!なのですね。



ガルダ湖全体の地図をどうぞ。
ガルダ湖はイタリアで一番大きな湖で、真ん中と上部にグレイの線が通っているのが
見えますが、東岸がヴェネト州、西岸がロンバルディア、北がアルト・アディジェと
3州に跨る、ローマ期から開けた温暖の地なのですね。

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この北の地にあり、レモン栽培もオリーヴ畑もあり、温泉地としても有名で、
夏のヴァカンス期にはどこもいっぱい!

今日ご案内のサロは、西岸の湾の奥にあり、古くから大いに栄えた裕福な町だそう。
ガルダ湖の東南端のペスキエーラ・Peschiera del Gardaからミンチョ河・
Mincioが流れ出しており、この河は南下して、マントヴァを通りポー河に合流し、
アドリア海に注ぎます。
    
という流れを利用し、海側からの船による物資運搬がガルダ湖まで楽に到着し、
このサロにはその物資の貯蔵庫、とりわけ塩が貯蔵され、繁栄していた町なのだそう。
       
そして町の名サロがイタリアの歴史にしっかり残るのは、1943年9月~45年4月の、
イタリア社会共和国・Repubblica Sociale Italiana、通称サロ共和国、
ドイツのヒットラー政権の下、ムッソリーニによる傀儡政府の幾つかの省がここと、
お隣のガルドーネに置かれたからなのですね。
公的にはローマがイタリアの首都のままでしたが、混乱の時期、ムッソリーニが
パルチザン兵に逮捕され処刑されるまでの最後を過ごした地でもあります。
     
ガルダ湖各地のご案内はこちらから。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460835170.html   
       
       

サロに到着し町の西に駐車、中心部に向かいますが、湖岸のすぐ脇を通りつつ、

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夏の早朝、こんな子供達のヨット教室も既に準備中で、

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小さなイタ鴨の子も、一人泳ぎ。

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町の中心広場の円柱上には、ヴェネツィアはサン・マルコのライオン君。       
湖に向かって開けたこの広場、何度も通りながら、なぜか一枚も全体写真が無く!

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湖岸沿いの道脇には、こんなに太い、古いオリーヴの木も並んでいて・・。
ですがこういうのも、やはり並木道というのかな?

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北隣のガルドーネ・リヴィエーラにある、詩人ガブリエーレ・ダヌンツィオ家博物館、
イル・ヴィットリアーレ・Il Vittorialeに辿り着いたのは、
このガスパーロ・ダ・サロの銅像を見つけたのが切っ掛けで、

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ガルダ湖畔 ・ G・ダヌンツィオの家、 そして サロ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417856.html


像の美しさもさることながら、この碑に彫られたダヌンツィオの言葉に
魅かれたからなのでした。
  ヴァイオリンを引き出すために胸を開いているのか、
  心を入れる為にヴァイオリンを開いているのか分からない。

碑にも、ヴァイオリンの発明者、ガスパーロ・ダ・サロとありますが、
サロ出身のガスパ―ロの本名(姓)はベルトロッティ・Bertolottiと言い、
ヴァイオリン制作者であり、コントラバスの奏者でもあった様子。

多分彼の祖父は羊の腸から弦楽器の弦を作っていたであろう事、
そして一家一族が楽器製造、または奏者として有名な中で育った様子で、
彼の叔父はサロの礼拝堂のマエストロであり、その息子、ガスパ―ロの従兄弟
ベルナルディーノはフェッラーラのエステ家宮廷、そしてマントヴァに、
遂にはローマのカステル・サンタンジェロの教皇付き音楽家だったと。

彼ガスパーロ自身も奏者としても活躍し、父親が亡くなった20代前半に
ブレーシャに出て工房も持ち、町の音楽奏者たちとも付き合いが深くなり、
楽器製造名手としてヨーロッパ中に名を知られたと言います。

私は楽器に詳しい訳ではなく、良く分からずに読んだままで書きますが、
ヴァイオリンの発明者というよりも、以前からあった素朴な初期の形の
ヴァイオリンを、現代的で標準的なモデルに定めた人とでも。
       
39~44,5cmに及ぶ、サイズの小さい物から大きな物、コントラルトからテノ―レに
及ぶ物、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオローニ、ヴィオロンチェッロ、コントラバス、
リーラ、そして大きなリーラまでを作り、
       
その作の内でも最上はヴィオラとコントラバスで、響きの柔軟性と強さは
後世に出てくるストラディヴァり同様、世界中の名奏者に好まれているのだそうで、
100年後にストラディヴァリによっても、製造法を研究されたのだとか。

初期の競争相手として名を知られるアンドレア・アマーティですが、
当時の評判もまるで相手にならずであった様子で、アマーティがガスパ―ロよりも
長く生きたものの、記録に残る弔辞も素っ気ないものであったとか出まして、

単純にヴァイオリンの発明家と思い込んでいたのとは一味違い、
ちょっと興味を引かれましたので、ここに。

クレモナ ・ ストラディヴァリの典雅な街
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464088423.html

ヴァイオリン博物館・クレモーナと、ヴァイオリン、ストラディヴァリのあれこれ n.1
http://www.italiashiho.site/archives/20170316-1.html

ヴァイオリン博物館・クレモーナと、ヴァイオリン、ストラディヴァリのあれこれ n.2
http://www.italiashiho.site/archives/20170317-1.html

    
   
ガスパ―ロはブレーシャで亡くなっていますが、ガスパ―ロ・ダ・サロが通称の様に、
生まれた町のここサロで、毎年彼の名を冠した国際ヴァイオリン奏者の
コンクールが開かれているそうで、2007年度のポスターをどうぞ。

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湖畔沿いにはホテル、レストラン、店が立ち並び、ヴァカンス地特有の
明るい雰囲気に満ちており、

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時にこんなリバティー風の建物装飾も見かけますが、

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この地一帯は地震発生地なのだそうで、とりわけ大きなのに1900年、
そして2004年にも被害を受けたと知りましたので、
新しく見えるのも、案外以前通りに修復されているからかも、ですね。



町の中心地には、こんな風に古い建物の形も残り、中世の面影が宿ります。

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湖畔に面し、かってのこの地の歴史を残す名、マニ―フィカ・パートリア・
Magnifica Patriaのロッジャ。 かっての政庁の建物は、現市役所に。

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14世紀前半からこの周辺34のコムーネが一体となり、様々な変遷を経ながら、
ヴェネツィア共和国政府の元に入り、大きな自治権を得、一つの国の扱いを
得ながら忠誠をつくし、
       
それにヴェネツィア共和国が与えた名が、マニ―フィカ・パートリア・素晴らしい祖国。
セレニッシマ(ヴェネツィア共和国)の長女、というタイトルも。

16世紀のヴェネツィアとトルコとのレパントの戦いには、この地から武装した船に
男達が乗り込みミンチョ河を下り、ヴェネツィアの艦隊と合流、大いに戦ったという、
はい、勇壮な男達の忠誠に満ちたお話も残り、
両者の関係は、かのナポレオンがヴェネツィア共和国を倒すまで続いたのでした。



このロッジャも地震災害によるのか、殆ど何も残っていませんが、
夏もひんやりと涼しい風の通る、ここのベンチは町の人々の憩いの場所。

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狭い町中の通りの両脇に並ぶ建物の壁には、古い壁画の名残もあり、

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かと思うと、円柱上の司教像のお向かいには、リバティ風のなまめかしい女性像も
描かれていたりで、ははは、

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張り出したテラス風のカフェでも、お喋りが広がり、

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狭い通りはかなりの人で賑わい、

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こちらは中心の古い地区の西の門。

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逆に中心から東に向かうと、狭い道の正面に見えてくるのがサロのドゥオーモ。

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後期ゴシック様式で建設が始まった物の、未完のままで現在も。
が、正面入り口の大理石の装飾は1506年の物と。

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ピン甘ブレ写真で失礼して、こちらが内部の様子と、薔薇窓を内側から。

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ドゥオーモ脇の狭い道を横に抜け、

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湖岸通りをさらに東に、ドゥオーモ後ろからの眺め。
ドゥオーモの丸屋根上が少し変わった形ですね。

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東の方は住宅地区となり、お家の庭に見える驚くほど色鮮やかな赤い花!

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湖岸沿いも少しのんびりとした感じとなり、ゆらゆらのイタ鴨一家とか、

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ちゃっかりとボート上で憩うカップルとか、ね。

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という様子の、ガルダ湖西岸のサロ、お気に入って下さったでしょうか?

ガルダ湖というと、ヴェローナから行きやすいシルミオーネが有名ですが、
東岸も、奥も、そしてこの西岸も、それぞれに趣ある町が続きますので、
チャンスを見つけてお出かけ下さ~い!


◆ 追記 ◆

このサロの記事を見て下さったcucciolaさんから、
ラツィオ州はブラッチャーノ湖畔のお城城主であったパオロ・ジョルダーノ・オルシーニと、
彼は妻殺しで、愛人の夫も殺し、素晴らしい美人ヴィットーリア・アッコランボーニと
遥々このサロの地に逃げて来て結婚したものの、二人とも報復のため殺された、
という16世紀のニュースを!

ブラッチャーノのお城というのは、かのトム・クルーズが結婚した城ですが、
歴史上の2人の当時の大スキャンダルの詳しいお話は、こちらに。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/3261454.html
    
   
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・ ヴィッラ・エモ ・ ヴェネトのヴィッラ訪問

先日のルッカのアンフィテアトロ広場でご覧頂いた、ホモ君ならぬエモ君に
拘った訳ではないのですが、ははは、
この早春に訪問したヴェネトのヴィッラの一つヴィッラ・エモ・Villa Emoのご案内を。
       
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ヴェネト州に点在するヴェネツィア貴族の館・ヴィッラ・ヴェネタと呼ばれるのが
一体幾つあるか、ご存知ですか?
ヴェネト州の公表では4000以上という事になっていまして!!

現在一般公開されている物、非公開、またホテルなどに改装されている、
それぞれ様々たくさんのヴィッラですが、
    
アントーニオ・パッラーディオ・Antonio Palladioが設計建築のヴィッラは、
ユネスコの世界遺産に指定されており、このヴィッラ・エモもその一つなのですね。



地図をどうぞ。 真ん中に見えるファンツォーロ・Fanzoloにヴィッラ・エモが。

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ヴェネツィア貴族の館と書きましたが、ヴェネツィア以外に
なぜこんなにヴィッラが存在するか、という事ですが、
       
最初は地中海貿易から始まったヴェネツィアの繁栄が、15世紀半ばから始まる
大航海時代になると、東洋のみならず、アメリカ大陸にまで商業交易が広がり、
ヴェネツィアの独占は衰え、航海による繁栄は斜陽を迎えます。

で本土側に広い領土を持ち、農業収益を求めるようになり、この管理、作業所、
そして蒸し暑いヴェネツィアの夏を逃れる為にも、本土の領土に館を持つ様に
なったという訳ですね。

この日は地図の左下に見えるヴィッラ・コンタリーニ・Contariniを先に訪問、
お昼ご飯の後こちらにという事で、まだ早春の午後の半ば、
早くも陽がかげり加減という様子でしたが、



かっては全てこの館の領土だったろうと思われる広い駐車場の向こう、
ポプラ並木の向こうに見える建物は駅舎で、トゥレヴィーゾからカステルフランコ、
ヴィチェンツァを結ぶ鉄道線の、ファンツォーロ駅なのですね。

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という訳で、こんな平野のど真ん中にあるヴィッラなのですが、鉄道が通っているので
ヴェネツィアからも割と楽に訪問できると。

ついでに開館時間などを。
4月~9月  月~金曜 10時~18時
        土日曜祭日 10時~18時
10月~3月  月~金曜 10時~17時半 
         日曜祭日 10時~17時半 
閉館 元旦 12月25日 12月31日

15名以上のグループは、上記以外の時間でも予約可能
fax 0423.487043   又は e-mail info@villaemo.tv.it
サイトは  http://www.villaemo.org/

以前とは開館時間の変更がありましたので、お出かけの時は事前にサイト
https://www.villaemo.org/visita でお確かめを。 2019.6.29



お屋敷の鉄柵の前からは、こんな感じで、

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柵の中、こんな様子に石像のある前庭が広がります。

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玄関前はこんな様子で、敷き石が敷き詰められ、パッラーディオ特有の高い本邸、
そして円柱の並ぶ前のテラスですが、あとは至って簡素な印象。

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正面のテラスに至る緩やかな石段の横に見える生垣は藤だそうで、
花の時期には大変見事なのだそう!

この写真では向かって左側だけですが、本邸の両脇には細長いバルケッサ・
barchessaが翼の様に連なり、一番端に見える塔はコロンバイア・
colombaia・鳩小屋。



本邸左のバルケッサに見えた小さな鐘。
十字が付いているので、この下に礼拝堂でもあったのかも・・。

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本邸建物上部の装飾。 真ん中の縞の紋章が、この館の持ち主エモ家の物。

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エモ家というのはオリージネはギリシャで、そしてダルマチアに。
ヴェネツィアには10世紀に、そして貴族に1304年から、といういわば名門ですが、
このヴィッラの建設は1558年からで、建築設計のパッラーディオは既にこの様式の
ヴィッラを手掛けて20年もの事で、
      
建築史に取っては初めての、バルケッサが両翼に広がる形で、
ほぼ同時期に建設のアーゾロ近くのヴィッラ・バールバロ・Barbaroも翼を広げた形。

ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼール
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456543.html



現在の我々の見学には、勿論正面階段は使わせて頂けませんで、ははは、
階段脇の入り口から入り、向かって右のバルケッサに。

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バルケッサというのは、元々はバルカ・小舟に由来すると思うのですが、
小舟の収容場所、ちょっとした倉庫的意味合いから、こうして農作業や事業が
主となってもそのまま使われた様子で、いわば作業場、倉庫ですね。

15世紀頃のヴィッラでは、周囲を建物が取り囲む内庭が所謂作業場だった訳ですが、
この時代、既にヴェネツィア共和国が安定していた事も大いに関係し、
広い土地のこの形、に移行したのではないでしょうか。



バルケッサにちょっとした展示物があり、館の上空からの写真をどうぞ。

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こちらはウィキぺディアから拝借の平面図で、真ん中の本館はこの様に四角く、
上でご覧頂いたバルケッサと言いましたのは、角柱が並ぶ前部の廊下部分で、
後ろに各部屋があります。

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我々が見学したのは、まず本館の狭い階段を上がり、赤い点をつけたテラスに出て、
そこから右に抜け、そして奥の部屋に。 
そしてテラスの奥に当たる北側の大きな部屋から左側に。



では、前面のテラスの様子からどうぞ。

建物は装飾が殆ど無く、派手な装飾のヴィッラを見慣れた目には質素な感じさえ
するのですが、内部は大変細やかな素晴らしい装飾、フレスコ画で埋められており、
上の天井も深い格天井で、

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その下部分と床。
右奥にトウモロコシが見えますね。 これはエモ家がここの領土で、アメリカから
齎されたトウモロコシを、ヴェネトで始めて栽培し始めた由来に拠る物と。

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床には大理石のモザイク装飾が施されているのですが、真ん中にはクジャクが。

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上部。 脇に見える花模様が可愛いでしょう?

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この館のフレスコ画装飾を手掛けたのは、ヴィッラ・マルコンテンタの装飾と同一の
ジョヴァンニ・バッティスタ・ゼロッティ・Giovanni Battista Zelottiという画家と。

ヴィッラ・フォスカリ、 または、 ラ・マルコンテンタ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467561421.html



多分本来の名士客人達は、このテラスから直接に奥の部屋に通ったのでしょうが、
今は硝子戸が閉じられておりまして・・、

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テラスから見はらす前景。 現在は上記した様に鉄道線も横切り、
この前庭の柵の向こうは道路も通っておりまして・・。

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こちらはテラスの右脇の部屋で、暖炉もあり、

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フレスコ画の装飾、ムラーノ製のランプもあり、小さな部屋ですが、
なかなか居心地の良さそうな可愛い雰囲気。

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フレスコ画のモチーフは、扉上部のキリスト像は別とし、
ヴィッラ全体が神話に題材を取っている様子。



こんな風に奥の部屋が見渡せ・・、

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脇の窓からは、下のバルケッサも見えます。
かっては開いた廊下だったのでしょうが、現在は硝子戸で覆われた場所となり、
各種催しもここで行われているとか。

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中央部分にはこんな風に上階への階段があり、我々は上れませんでしたが、
きっと寝室があるのでしょうね。

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真ん中部分の通り抜ける小部屋。
ここはかなり暗い部分だったのですが、こんな風にグロテスク模様があり、

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天井の梁や板にも可愛らしい模様。

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右側奥の部屋の壁。 壁の装飾はトウモロコシやキャベツといった野菜類で、

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この素敵な小箪笥の上の黒い箱、これに何が入っていると思われます?
開けては見れなかったのですが、ナイフ入れなんだそう。

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こちらが奥の大部屋の装飾。 テラスの円柱ともども、こちらも騙し絵になっていて、
テラスとをつなぐ間のアーチの下には、東屋風の植物の絡んだ格子と空。

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そしてこの部屋から見渡す、北側のお庭! なんとも広大で・・。

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左脇の部屋、ここの部屋の装飾がなんとも居心地が良さげなゆったりさで、

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同屋の西向きの壁の暖炉。 渋い色と柄で素晴らしいでしょう?
       
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所でヴェネト州にある無数のヴィッラですが、最初の建設所有者が現在も、は、
なんとこのヴィッラ・エモと、ヴィッラ・マルコンテンタのフォスカリ家だけと!!
蛇足ながらフォスカリ家の当代は、建築家だそう。

ですが残念な事に、ヴィッラ・エモは2004年までエモ家の所有だったのが、
現在は銀行が買い取り、お値段も聞きましたが・・! 法人名義に。

寒い早春に訪れた我々は、暖房の効いた温かい空気に和み、
館内の装飾の、優しい居心地の良さ、細やかさが大変気に入りました。

今の時代、ご先祖様からの大き過ぎる遺産は逆に大変なのかもしれず、
銀行の持ち物となっても、上手く残ってくれるのが有難いですね。

フォスカリ家の悲劇について n.4 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464579305.html



さて館内の見学が済み、裏のお庭に出て、

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建物の裏側も拝見。 ほらね、裏は北側という事もありますが、
修復が済んでおらず、印象がまるで違いますね。
そしてお気づきですか、表には一つも見えなかった煙突類が裏側にたくさん!

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本館真ん中の下に入り口が見えますが、ここに台所があったのだそう。

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表に回って来て、見学もお終いに。
もうかなりの薄暗さで、テラスに灯が灯っておりました。
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という様子で、 ヴィッラ・エモの見学、ご苦労様でしたぁ!  
     

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・ ピエトロ・ベンボとルネッサンスの創造展 ・ パドヴァ 

先週の木曜にパドヴァで開催中のピエトロ・ベンボ展に仲間と出かけました。

展覧会の正式名はタイトルの様に「ピエトロ・ベンボとルネッサンスの創造展・
Pietro Bembo e l'invenzione del Rinascimento」と言い、

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詩人であり、近代イタリア語の父として知られるベンボを(1470.5.20ー1547.1.18)
その幅広い交友関係、関係した宮廷、宮廷文化等を通し、彼自身は
意図していなかったにせよ、ルネッサンス文化を創り上げた人物の一人と捉え、

彼の芸術コレクション、関係した作品、手稿本などを一同にした
絵画作品などの規模は小さいものの、大変に内容密度の濃い展覧会だったと。

とは言え、私は彼の名前、作品等の名は知っているだけで詳しくはなく、
到底それらについては語れませんが、嬉しい事に、
ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ラファエッロ、ミケランジェロのデッサンも、
そして今回舐めるようにして見る事の出来たマンテーニャがあり、
そんなこんなをご覧頂こうと思います。

ベンボは日本ではまだ余り知られていない人物の様ですが、
展覧会の難しい事などよりも、いつものshinkai流に、あちこち脱線しつつの
ご案内となると思いますので、お気軽に、お楽しみ頂けると嬉しいです。

今回の写真は全て会場で求めたカタログとパンフレット、サイトから拝借した物。
       
この展覧会については「ヴェネツィアそしてイタリア」のfumieveさんも
書いておられますので、人物像などはこちらでどうぞ。
http://fumiemve.exblog.jp/17473542/

サイトは既に削除してあり、残念。


上は、会場で配布していたパンフレットの表紙で、ジョルジョーネの「2人の肖像」
で、上の作品の全体像がこちら。

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同じくジョルジョーネの作として展示されていた「緑色の本を持つ若者」

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ベンボは、当時のヴェネツィアで画期的な出版を続けていたアルド・マヌーツィオ
との交流も深く、何冊か出版もしているのですが、絵に見える小型本が
ベンボのアイディア、という様子。
       
絵もジョルジョーネかという疑問もある様ですが、絵の美しさにほれぼれと・・。

今回は平日の朝一番に会場に行ったのですが、それでもかなりな入場者数で、
おまけにこの時期は学校の見学期と重なり、小学生から高校生まで。
が、それでも日本の展覧会を思うと少なく、傍に寄ってじっくりと矯めつ眇めつ
眺める事も出来、

このジョルジョーネの若者の、向かって左目がちょっと気になる感じもあり、
良く見ましたら、一旦削って描き直した跡がありました。



ジョルジョーネの「若者の肖像」 

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ジョルジョーネ「フランチェスコ・マリーア・デッラ・ローヴェレの肖像・
Francesco Maria della Rovere」
勿論子供時代の肖像画。

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以前見たジョルジョーネ展で、初めて彼の絵の素晴らしさに感嘆したのでしたが、
今回は4点も素晴らしいのが並び、それはもう圧巻でした!!

ジョルジョーネの生まれた町ヴェネトのカステル・フランコと、
ジョルジョーネ展についてはこちらを。
       

こちらはサイトから拝借の、青年期のフランチェスコ像、ラファエッロ作。

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すっきりとしたお顔に成長されておりますが、はい、彼はウルビーノ公
フェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロの娘ジョヴァンナを母にデッラ・ローヴェレ家に
生まれ、母の弟グイドバルド、つまり叔父が継承者なしで亡くなり、
ウルビーノ公国を継承した、という人物。

ですが、なかなか複雑困難な人生を送った方の様子で、大人になっての肖像は
ティツィアーノ作がありますが、大変厳しい顔になっておりまして・・。



ルネッサンス期の文化で名高い宮廷、ウルビーノ公国の名が出ましたので、
このベンボ展に出品のラファエッロ作の「エリザべッタ・ゴンザーガの肖像・
Elisabetta Gonzaga」(1471年ー1526年)を。

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と書いたのですが、実は私はこの作品をどうしてか見逃しまして・・、

彼女はマントヴァのゴンザーガ家から、ウルビーノ公国のグイドバルド・Guidobaldo
に嫁いだ、教養と美徳を謳われた女性で、ベンボは彼女と彼女の夫から、
ウルビーノの宮廷に1506年から数年間招かれた、と言う事情です。

ただしエリザべッタは上記した様に、継承者なしの結婚生活、はたまた時代変遷の
狭間にあってウルビーノに定住できず、最後はフェッラーラで亡くなっております。
マントヴァ侯爵夫人として名高い、イザベッラ・デステ・Isabella d'Esteは、
彼女の兄嫁に当たる、という関係。

◆ お断り ◆
私はこの作品を見逃した、と思っていたのが、どうやら東京にお出まし中という事で、
なんともイタリアらしいチョンボで、納得致しました。



ではおまけに、エリザべッタの夫グイドバルドの肖像、これもラファエッロ作と、

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グイドバルドの子供の頃、父のフェデリーコ公との姿を。

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ウルビーノのパラッツォ・ドゥカーレについては、こちらに。
       


清楚で優しさに満ちたジョヴァンニ・ベッリーニ・Giovanni Belliniの聖母子像。
ベンボは大変彼の絵を好み評価していた様子ですが、
    
8-1-777_GF.jpg  



こちらは会場にあった、ガブリエーレ・ダッラ・ヴォルタ・Gabriele dalla Volta
描く所のジョバンニ・ベッリーニ像。
この髪形と僧服に驚いたのですが、理由は探しかね、見つめるかなり厳しい目、
それにも少し驚きました。
       
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彼の絵は一見優しそうに見えますが、大変な勉強家で、姉のニコロシーア・
Nicolosiaが結婚したマンテーニャからは勿論、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、
アントネッロ・ダ・メッシーナ、ジョルジョーネ、果てはデューラーからも学んでいる
様子が分かるそうですが、決して自分を失くさずの、ヴェネツィア派絵画の大家でした。



ちょっと息抜きに、はい、会場にあったこの絵を。
ロレンツォ・コスタ・Lorenzo Costaの「若い女性の肖像」

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こちらはティツィアーノの作品で、たぶん40歳頃のベンボ像と。
目も鼻も後の彼の枢機卿の姿、ティツィアーノ作にそっくりですものね。
 
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そしてこちらが好奇心満々のshinkaiが、見たかった物、
はい、ルクレツィア・ボルジャの金髪の一房!

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ええと大きさは、上の金髪が入っている部分、両面からガラスで挟んだ薄い物が、
10x5cm位、髪の毛の長さは、まぁ15cmちょっと位でしょうか。

金髪、キラキラ輝く鮮やかな金髪、というイメージはなく、
ベージュ色、藁色という様な髪の毛でござった。

ルクレツィア・ボルジャとベンボの出会いは1502年、ベンボ32歳、ルクレツィアが
10歳年下の22歳、彼女が3度目の結婚でフェッラーラにお輿入れして後の事。
3度目の結婚というので、なんとなしも少し歳が行ってた様な気がしていましたが、
なんとまぁ、いまだ22歳だったのですねぇ。

抗しがたい危険な情熱に陥った2人、ですが、プラトニックな関係と書いてあるのも
幾つかあり、まぁつまりです、彼女は自分の髪の一房を彼に贈った、のですとさ。
彼が我に帰り、危険な関係から逃れた得たのは、翌年の12月に彼の弟が
ヴェネツィアで亡くなった時の事で、家に帰らざるを得なかったからなのですと。



ここからちょっと寄り道を致しまして、ははは、
ルクレツィア・ボルジャ・Lucrezia Borgiaの肖像を何点かどうぞ。

これはもう大変有名なバルトロメーオ・ヴェネト・Bartolomeo Venetoの肖像で、
美人でちょっとばかり勝気で、男を蕩かすタイプに見えますね。

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一方こちらは、もうまるで楚々たる美人像、ピントゥリッキオ作・Pinturicchio。
ヴァティカンのボルジャのアパートに描かれた物で、全体と、

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少し色が違いますが、細部を。
私の偏見かもしれませんが、こちらの方が実物のイメージに近いのではないかと。

14-lucretiaborgia.jpg


ベンボなる人物も知りませんが、こういう楚々とした一見か弱げな女性像の方が
男はんを、密かに情熱的な恋に引きずり込む、ははは、と思うのですけど、
皆さんはどの様に?

法皇アレッサンドロ6世・ボルジャの娘として生まれ、兄にチェーザレ・ボルジャ、
いまわしい噂もあれこれ囁かれ、生涯3度の結婚を、父と兄の政略でさせられた女性。
が父も兄も亡くなった後もフェッラーラで39歳まで。 それにしても短い人生ですね。
      
今時の研究では、かっての淫乱女性のイメージどころか、慈善や福祉にも熱心
とかいう説があるそうですが、
う~ん、こういう女性は常に、愛されている、という確信を、男はんの目の中に
認めたいのでしょうねぇ。 ・・うん、まぁ、これはどの女もそうかもしれんっちゃ!



再び展覧会会場に戻りまして、ラファエッロ・Raffaelloの作品2点を。
こちらは「聖家族」まだ若い頃の作品と。

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ナヴァジェーロとべアッツァーノの肖像・
Andrea Navagero e Agostino Beazzano.

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2人はベンボの親友で、同じくウルビーノで知り合い親友となったラファエッロ
と共に、彼がレオーネ10世教皇の秘書となりローマにいた時、
バルダッサーレ・カスティリオーニ・Baldassarre Castiglioni
「宮廷人」の作者も連れだって、ティヴォリに出かけたりも、と。

カタログには、話していた友人がふとこちらを見た様子と説明があるのですが、
会場で見た時には大変難しい絵だと・・。
つまり、絵を見る方は視線が割れ、どちらを見たら良いのかが、正直な感想。



こちらは金糸も織り込んだ大変豪華なつづれ織り、デザインはラファエッロで、
これは一部分で、大変大きな物でした。
ヴァティカンでレオーネ10世が貴賓を迎える場で使っていた物だそうで、
後にベンボはこれを買う為、パドヴァの土地を売ったとか。

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ラファエッロの生家、ウルビーノの町は
       


ラファエッロの師のぺルジーノ・Peruginoの作品「サンタ・マッダレーナ」も会場に。

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私は意外とぺルジーノが好きでして、多分初めて実物を見たのだと思いますが、
しげしげとその美しさを堪能致しました。
肌の色は、後世のニスのせいかも知れませんが、もっと黄土色という感じで、
はぁ、美しい絵でございましたぁ。



これはミケランジェロのデッサンで、なんとまぁ、やはり凄いなぁという単純な感想のみ!
ベンボはミケランジェロを賛美、感嘆していたのだそうで・・。

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そして今回のこの展覧会で、私めが本当に感嘆し、何度も戻っては矯めつ眇めつ、
舐める程の距離に顔を寄せ、また離れて見、そして見上げてしげしげと・・、
しましたのは、 

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このマンテーニャの「サン・セバスティアーノ」A.Mantegna - San Sebastiano
絵はヴェネツィアのカ・ドーロ、フランケッティ美術館からお出ましだったのです。



カ・ドーロのこの絵が置かれている場所は、この館の修復に生涯を捧げた様な
ジョルジョ・フランケッティの本当に心の籠った素晴らしい場所、
この作品の為に設えた礼拝堂の様な奥まった場所で、

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全体の素晴らしい調和の中にあり、が傍には寄れず、遠くから眺めるだけなのですね。

所がこの会場には絵のみが来ておりまして、最初は味気ないなぁ、と感じた物の、
次の瞬間にはその魅力に引き寄せられました。

上のカタログからの写真は全体がありませんが、213x95cmの細長い高い作品で、
一瞬私はフレスコ画かと思い、いや、それにしたらなんとも柔らかい、なんだろ?! 
と傍にいた管理の女性に訊ねに行き、キャンバス地にテンペラ、と教えて貰いました。
それをも訊ねる程の、肌合いが柔らかい作品だったのですね。



これは同じマンテーニャの、ミラノのポルディ・ペッツォーリ博物館にある
美しい「聖母子」ですが、キャンバス地に描かれたのはすぐ分かりますよね。

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所がこのサン・セバスティアーノの作品は、もわっと柔らかい質感を持ち、
マンテーニャ独特の固い線も、雰囲気も無いのです。

何度も何度も顔を近づけて見て、布端の糸も縫い目もしっかり描かれているのも、
白い布の白い所は何度ものハッチングの重ねによる物で、下から見上げると、
本当に白く描かれた部分は、テンペラで描く際に使う、卵の艶が光る程なのも認め、

そして布の陰は、バックのグレイとも渋い緑ともつかぬ色に溶け込むばかりに描かれ、
肌の色は本当に美しく、ほんのりと朱が入った感じ。

75歳で亡くなったマンテーニャの最晩年の作品だった様で、
その凄さに、圧倒されました!

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こんなにしげしげと絵を見たのは、以前あったっけ?!
10cmも離れていない所まで顔を近づけ、また下から見上げ、舐める程に何度も!
こんな絵の見方をさせて貰える有難さ!!

絵の凄さ、それはもう即自分に跳ね返り、文句を言わず、謙虚に描け!!
そんな風にぶちのめされ、見れた事、出会えたことに感謝しつつ、
大いに気分高揚して戻って来たのでした。
      
この絵は、画家が1506年に亡くなった時にアトリエにあり、その後暫く後には
パドヴァのベンボの家にあった、という記録があるのだそうですが、
       
ベンボ展のお陰でこんな近くで見るチャンスを得、有難い事でした。

カ・ドーロのマンテーニャの絵についてはこちらに。
       


という事で、最後はティツィアーノ描く所の枢機卿姿のベンボ像をどうぞ。

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ピエトロ・ベンボというと、枢機卿の赤い衣装姿にサイトでお目にかかりますから、
かなり若い時期に枢機卿になったのかと、思っていました。
所がファルネーゼ家出身のパオロ3世によって枢機卿に任命が1539年の69歳、
亡くなる7年前の事で、この絵は枢機卿任命の同年の作。

これも傍でしげしげ眺め、向かって左の襟の部分の描き増しはすぐ見えますが、
肩から腕の部分、そして帽子の形がかなり小さく削られている事にも
目が止まりました。

もう一枚亡くなる前年か、ベンボ最晩年の枢機卿の姿もティツィアーノは描いており、
これも先年見ましたが、
ここではまだゴマ塩の髭が見事に美しく白くなっており、
いつもながら、ティツィアーノが男を描く時は本当に素晴らしい、と!

ファルネ―ゼ家のパオロ3世について、こちらに。
       

という様な事で、絵画作品を主にご案内いたしましたベンボ展、
作品出展は他にもあり、コレクション品も他にたくさんあったのですが、
正直、好きな絵を見るのに気を取られ、殆ど見ておりませんで・・。
お楽しみ頂けました様に!
お付き合い、有難うございました!


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・ アンフィテアトロ広場 ・ ルッカ 

漸くにゴールデン・ウィークも済み、さて次は、・・夏休みですねぇ! ははは。
しっかり頑張って参りましょう!!

今日のご案内は、ルッカのアンフィテアトロ広場・Piazza dell'Anfiteatro.

ここは今回3度目のルッカ訪問で初めて見る事ができたもので、とても嬉しく
まずはこの広場をどうぞ!
       
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写真はガイドブックからで、真ん中が光って済みません。上空からの写真で
ご覧頂くとよく分かるのですが、ルッカのアンフィテアトロ広場、
実はローマ期の野外劇場、闘技場の廃墟を利用した広場で、
写真の、楕円形の広場右下側が東になります。

蛇足ながら、実はルッカでまだ見ていない、見たい物が2つあったのですが、
一つはこのアンフィテアトロ広場、もう一つがサン・フレディアーノ教会ですがぁ・・、
悔しい事に、写真右上に見える白い教会がそれなのですよぉ!! 
そうなのです、すぐお隣に。  
       
が、下調べをまるでせずに出かけ、地図も見ずにいて、一人うろうろと、
置いて行かれない様には注意しつつ、はは、写真を撮って歩きまわっていたので、
自業自得ながら、ミレーナが教会前まで行って写して来たのを見せられた時は、
あ~ん、なんでや~!と悶絶しそうでしたぁ。 ・・ええねん、また行くのだ!!



さて、この広場には入り口が東西南北と4つあり、その真ん中に当たる点には
十字が刻まれているのだそうですが、それは見ておりません。

我々は南側から入り、建物の形に一番特徴があり、高い西側の眺めがこれ。
ちょうど大きなすぼめられたテントが見える高いアーチ、あそこが西の入り口アーチ。

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小さくなりますが、ウィキペディアから拝借の、広場の建物360度の写真をどうぞ。

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左から2番目に高い建物群が上で見て頂いた西側で、そこから右に、
ちょうど写真の真ん中に見えるアーチが北の入り口、
そして一番低い建物にちょっと見えるアーチの入り口が東で、このアーチが唯一の
オリジナルで残っている物だそうで、写真の右に切れているアーチが南側。



低い2階建て建物のアーチ、これが東の入り口で、ローマ期のオリジナルの残りと。

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分かり易い図をどうぞ。 赤丸のついた部分が、東側の入り口を外側から見た所。

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この図で見ると、明らかにかってのローマ期の野外劇場の遺跡構造が
使われ、残っているのが良く見てとれますね。

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下の白い部分、これは当時は地面が下の線の位置だったものが、
現在は約3m程上がっているのだそう。

ヴェローナに残る野外競技場、現アレーナの地面もかってよりも4mほど上、
になっているのだそうで、20世紀間における地の積りなんだそうで。



そしてこちらがshikaiの写真で、
アーチの左側の、かっての様子がよく残っている壁と、

7-d0097427_118293.jpg



入り口の足元、左側。 なにせ後ろが迫り下がれず、1枚に収まらずで・・。

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こちらがアーチの右側と、足元。

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そして、ここからこう撮りますと、はは、絵葉書やサイトでお馴染の、
アンフィテアトロ広場の姿という事に。

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n.1 ルッカ の街 中心部を一巡り
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462750845.html

n.2 ルッカ の街 中心部を一巡り
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462751028.html


この広場はローマ期のアンフィテアトロ・野外劇場、闘技場の遺跡を改修した物、
とご説明しておりますが、

未だに、本当に?!と思われる方もおいででしょうから、ははは、
もう少し詳しく、この図をどうぞ。
          
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先回のルッカのご案内で現在のルッカの地図をご覧頂きましたが、
長方形の街の周囲を長さ4kmに渡る16世紀建設の城壁が取り囲んでおりました。

が、古いローマ期の町の姿はほぼ正方形で、その北東の外れに紀元後1~2世紀
建設のこの野外劇場があったのですね。今では完全に街を囲む城壁内になりますが。

で上の図の様に、このアンフィテアトロは外側が2層になった建物で、
各階のアーチが54、観客席は24階段席、という規模だったそう。

所が北方蛮族の侵入により破壊放棄され、ここの石材は教会建設に切り出され、
円柱や装飾に使われていた大理石も教会建設に!

中世にはここは「洞窟」と呼ばれたそうで、この廃墟跡には残った石材を使った
素朴な家とか店とか、塩の倉庫、または監獄に使われて来たのだそう。
当時からの残っている店と宿(食堂)が各1軒あると。

そして1830年ルッカ出身の建築家ロレンツォ・ノットリーニ・Lorenzo Nottoliniの
天才的なアイディアにより、この廃墟跡が生まれ変わったのですね。
つまり、真ん中の広場部のごちゃごちゃを取り除き、いろいろ建て込んでいた建物の
広場に接するラインを、アンフィテアトロのオリジナルの楕円形に正し、
但し建物の高さには手をつけず、という素晴らしいアイディアで、広場として蘇った訳。

そうだったのか、と知った時は驚き、またそのアイディアの秀逸さに感嘆しました!
こうして広場は食料品市場に20世紀初頭まで利用され、時にメルカート広場と
呼ばれるのはこの為ですが、後に市は引っ越して、現在のゆったりの広場となった訳。



では少し細部も見て頂きますね。
こちらは東のオリジナルのアーチ入り口の脇、広場内側の壁にある聖人像で、
サン・フレディアーノ・San Frediano.

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フレディアーノという聖人は、ルッカにとってまるで旧約聖書のモゼの様な方で・・。
現在は街の北側をおとなしく流れているセルキオ川・Serchioですが、
16世紀にこの方が町の司教様だった頃は氾濫を繰り返し、
ルッカの人々は流れを変える事ができなかったのだそう。

で、この方が熊手を持って川に行き願いを込め祈ると、以後、この川は
流れを変えたという、町の恩人なのだと。



広場南側の建物の並びと、あれこれあるスーヴェニール店。

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で、こちらも広場南側ですが、写真を整理していて眼が止まった、
一番左端に写っている方!

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こういう事にはマメなshinkai、ちょっと大きくしてみました。
如何、明らかに男性、若者ですよね?!

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こちらが後ろ姿! じゃ~ん!!

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で、ですね、我が家にアンナリーザが来た時にこれを見せ、
ねぇねぇ、これホモちゃんと思うのだけど・・!
彼女は慌てず騒がず、はい、事情通は落ち着いたものでして、
いや、これはホモではなくエモ・emoと言い、流行なんだ、と。

つまりです、ユニセックスというのか、女性とも男性ともつかない服装
持ち物をするエモという流行なんだそう。 皆さん、ご存知でしたぁ?

単純にホモちゃんと決めつけてはいけない、とは知りましたけんど、
なんだぁ、この脚の線! そうか、見せたいのか!
・・でもまさか、スカートでは? ホット・パンツかなぁ?



さて、本筋に戻りまして・・、ははは、

こちらが西側にある、一番高い建物の、そのまた上にある屋上階。
う~ん、眺めは良さそうですけど、買い物の戻りなど大変だろうなぁ!
それに、風の強い夜などちょっと怖いかも!

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西側の建物に見えた窓。

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今ご夫婦が座っているベンチですが、その足元に低くめに一列、
横並びに並ぶ石があります。

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この真ん中に見える一列並びですが、多分この石を境に、左がかっての
観覧席で高くなり、右が広場、劇場、闘技場の境だった石だろうと。

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広場の西側から東側の眺め。

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西のアーチから外に出ると、外側はちょっとした古い建物の感じがあるだけで・・。

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その一番角は、こんな風に建て増しされた四角い角になっていて、
大体がほぼ楕円を保つ中で、ここだけが建て増しの角。

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このすぐ近くで見かけた、動物繋ぎの輪。 これはどの町でも大概そのまま
残されていて、いろいろな形がありますね。

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アンナリーザに写真を見せながら、「かっての駐車場」と言いますと、
彼女が、昔も今みたいに駐車場を探したりしたのかしらね、と。
途端に私の頭の中には、お馬ちゃんの口輪をとった2人が俺が先、いや俺だ、と
争っている姿が思い浮かび・・、きゃはは、能天気shinkai!



では、最後は綺麗に〆るべく、これをどうぞ!

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・ ピノッキオの公園 ・ コッローディ

日本はゴールデン・ウィークの真っ最中ですねぇ!
いつも日曜日の、はは、私メですが、今の青葉若葉の爽やかな季節、
柏餅、筍、初鰹なんぞを思いますと、あ~あ、羨ましいよぉおお!!

ですがぐっとこらえ・・、偶然にも子供の日を狙った訳ではないのですが、
今日は「ピノッキオの公園」として親しまれている
トスカーナはコッローディにある公園のご案内です。

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地図をどうぞ。 コッローディ・Collodi は、ルッカとピストイアの中間、
山沿いにあり、上に見えるぺーシャ・Pesciaのコムーネに含まれます。

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「ピノッキオの冒険」の作者はカルロ・コッローディ・Carlo Collodiですが、
これはペンネームで、本名はカルロ・ロレンツィーニ・Lorenzini.
(1826.11.24 - 1890.10.26)

彼の母親がこのコッローディの村出身で、フィレンツェで生まれた様ですが、
子供の頃をここで過ごし、大人になってからもここに戻り、この土地を大変愛し、
ペンネームをコッローディとしたと言います。

さて入り口を入りますと、こんな風に様々な展示や、博物館などもあり、
青い馬にまたがる大きなピノッキオ像も。

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こちらがピノッキオ公園の地図。
色が大変薄い地図で、見難くて済みません。 ケチるなよなぁ!

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左真ん中の入り口を入り、オレンジ色の建物内に博物館など。
で、緑部分が屋外でまず大きな白い四角の部分は、周囲の壁にモザイクで、
ピノッキオの冒険の各場面が描かれており、
右半分は土地の高低を利用した、上がり下がりの細い道を辿りながら、
各場面の彫像を楽しむという・・。

ええとですねぇ、最初にひとつ告白して置きますと、私は「ピノッキオの冒険」を
読んでおらず、おまけに、あのピノッキオの顔と姿は、子供の頃から大嫌いで・・。
なので、あまり大きな声では言えませんが、はは、
この春の旅行で、この公園にも寄ると知った時は、・・・!

で、最初の大きなピノッキオ像のお迎えにはアレでしたが、ははは、
公園内を辿る内に、随所に置かれた彫像群がとても気に入りました!

つまりです、この公園は子供に媚びていないのです。
十分大人の鑑賞眼に堪えられる彫像群で、ちょっとした現代美術館訪問感覚で、
大いに楽しみました。 良かった!

最後にはエミーリオ・グレコ作の大きな像もご覧頂きますが、
ピノッキオのお話を皆さんはよくご存知と思いますので、それぞれのエピソードを
思い出しながら、どうぞお気楽に、お楽しみ下さいませませ!
ピノッキオ公園のサイトは、こちらに。 http://www.pinocchio.it

公園内には、こんな古い素敵な水道口もありまして、

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そうなのです、この公園の開設は1956年!
世界各国から700万人以上もの訪問者数だそう。



さて、モザイクの壁に囲まれた四角い広場から始まり、

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緑の細道の行程にかかりますと、両手を広げ、とうせんぼうをする
大きなカラビニエーリ像。 両足の間をくぐり抜け、進みます。

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コオロギ、ですよね、それともバッタかな? がいて、

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猫とキツネ。

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可笑しいのは、ほら、猫君が腰に下げているのは、コカコーラの瓶!

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そして、猫君と書きましたが、ふっと気が付くと、この猫ちゃんは、高いヒールを
履いてる! 他の動物たちも、靴を履いているのと、履いていないのと・・。
       
この辺りから、断然楽しく愉快になって来まして・・!



2人の人殺しがいるのですけど、

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後ろのは、コートの胸元と腰から、はは、銃口が飛び出し・・、

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行程はこんな感じで、ぐるぐるとあっちにこっちに。

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白い椿の花も咲きだしていて、

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カタツムリ君が塀の上に。

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妖精の家があり、ほらね、皆が窓から覗き込んでいるでしょう?
そう、馬車が見え、寝室があり、妖精もいましたよ。
ご覧の様に、特別に広い公園ではないのですけど、土地の高低を上手く利用し、
こんな風にエピソードが随所に。

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妖精の家の屋根はガラス瓶利用で、はい、イタリアらしくワインの瓶で、
一番上には紫の壺。

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これ、素敵でしょう?! こんな花がありますねぇ。 サンブーコだったっけ?

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蛇は大の苦手なのですけど・・、

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ここのは、尻尾の先が塩入れになっていて、ははは、

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お棺運びですが、うん? ・・どちらに向いて進むんだろ?!

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カニが間を置いては、シュッと水を吹きだし、

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緑の漁師の網と鍋、って書いてあったっけ・・。

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このロバ君、可愛いでしょう? 耳があっちこっちに向いて、
この足のつま先ね、ははは。

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大きなクジラがいて、中に入れます。

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クジラに向きあう位置、池の端にヤギ君かな?

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公園内はかなりの人出で賑わっていて、
我らの後には、こんな小学生たちが待っており・・、

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クジラの口の内奥には、こんな螺旋階段があって上に上れ、

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後ろ側に下りますが、これはクジラの背中のモザイク。

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別の池があり、出島が帆船を模していて、
       
こちらはその横にあった、海賊たちの洞窟。

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入り口の方に戻って来ると、脇には子供たち用の遊園地も設えられていて、

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長い鎖にぶら下がり、遊んでおりました。
そう、子供たちには、こちらの方が嬉しいかもね。

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入り口脇の建物内部には売店があり、様々なグッズ販売があり、
その横には、こんなピノッキオ誕生の工房風も。

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内部にはレストランもあり、

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さて、こちらが公園の端にあったエミーリオ・グレコの作品。
常のピノッキオ像と違って、これは良いなぁ!

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公園内から見えた、山の傾斜地に貼りつくコッローディの村。
ここはやはり一度は実際に上まで行って見たい村!

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ピノッキオ公園、楽しんで頂けましたように!
読んだ事もなく、最初は偏見に満ちた目でいても、ははは、
楽しめる公園である事を、保証致しますです、はい。
       
ピノッキオが嫌い、は人前では余り言いませんが、はは、とりわけイタリアではね、
・・隠すのではなく、言って回る必要が無いと思うだけでして、
ですが偶然に、ジョヴァンニの奥さんが「嫌い」と言うのを聞き、私もぉ!
ははは、やっぱりいるのよね、安心しましたぁ!!

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