・ ヴィッラ・ヴェネタの訪問記予告編  と  お昼ごはん

今日はマルケ州の、小さいながらも大掘り出し物感ある町、の予定で
おりましたが間に合わず・・。
なにせ写真が多く、つまり見て頂きたいものが多すぎまして、はい。
 
で急遽予定変更、先日行って来ましたヴェネツィア貴族のお屋敷2つ、
パドヴァ近くのヴィッラ・コンタリーニ・Contariniと
トゥレヴィーゾの西にあるヴィッラ・エーモ・Emoの予告編と、

お昼に皆で頂いた、shinkaiお得意の、ははは、
安くて美味しいお昼ごはんをご覧下さいね。

この日は予報では雨が来るといい、夜から雪になると脅されており、はい、
少しどんより加減の朝に出発。 コネリアーノから高速に乗り、パドヴァ方面に。

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ヴィッラはどこにあるか、地図をどうぞ。
コネリアーノから高速A27を走り南下し、赤点をつけた地点で西に折れA4に。
パドヴァ西で高速を降り北に、赤線で囲ったピアッツォーラ・スル・ブレンタ・
Piazzola Sul Brentaにヴィッラ・コンタリーニ。

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見学を済ませお昼を食べ、そこから北に向かいチッタデッラを過ぎ東に、
ファンツォーロ・Fanzoloにヴィッラ・エーモが。



ヴェネト平野はまだ早春で、春の気配も薄く・・、


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ヴェネツィアからの高速と合流すると俄然車が増え、隣をタンクローリーが走り、
ふっと後ろを振り返ると、手の届きそうな所にこんなのがぴったり!

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はい、バスで出かける時はいつも一番後ろの席を確保し、戦闘態勢十分、
準備万端OKのshinkai。
振り返ってパチッとやったのは勿論見えた筈で、その後は少し車間距離を
置きましたです、マウリーツィオ君がね、ははは。



さて、パドヴァ西で高速を出て、

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暫く平野を走り、

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ヴィッラ・コンタリーニに到着!

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如何ですか? とにかく、デカイのです、横長というか。
ちゃんとのご案内の時にご覧頂きますが、手前は広々とした広場で、
右側には母屋から連絡する半円の翼が伸びているのですね。



で、この門にある紋は、これはコンタリーニ家の紋ではなく、・・ではどの家か。
はい、カメリーノ家・Camerinoという家の紋で、これがまた面白い
エピソーディオを聞きましたので、お楽しみに!

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さて見学を終えお腹を減らし、待ち兼ねたお昼。 パンをむしりながら先に届いた
赤ワインを飲み、すぐ真っ赤になったのが分かる程のお腹の空き加減! 
      
ね、綺麗な春の緑色のスープでしょう?!
はい、ヴェジェタリアン2人に届いたグリンピースのスープ。

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味見をしたルイーザが、ちょっとホウレンソウも入っているね、と。
そう? 何でもいいよ、いれてぇ、美味しいもん!!



美人で可愛い優しいお姉ちゃまがサーヴィスをしてくれ、

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肉食人には、太い手打ちパスタのアマトリチャーナ風、
ええとパンチェッタの入ったトマトソースね。

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野菜、ヴィエートレの煮物が来て、

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ポテトのオーブン焼き。

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お肉料理は、豚肉のリンゴ煮。 あっさりめとは言え、とても甘いと。

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ジュリアーナにはチーズの盛り合わせ、 其々の端っこを私のお皿にもね。

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shinkaiには、タマネギと茸入りの卵焼きの熱々。

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う~ん、もうちょっと具が多いと、もっと美味しかったかも!
以上にカフェがつき、一人分10エウロだったんですって!!

となると、文句は言えませんね。お代りも勿論回って来ましたし、満腹状態。
この日の見学は参加者が多く52人!でもあったのですが、それにしてもお安い!
       
という事でこの日の参加費は、入場2館、ガイド代、バス、お昼込みでエウロ。



お昼過ぎには少し天候も和らぎ、のんびりとまたバスに戻り、
ヴィッラ・エーモに向かいます。

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入り口柵の手前からのヴィッラの眺め。

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このヴィッラは最近銀行が買い取り、手入れしているそうで、そのせいか、
こじんまりとした取り分け壮麗でもないヴィッラですが、内部の感じが大変良く、
家庭的な雰囲気もあり、はたまたガイドが大変優秀で、
皆の感想も、こちらが良かった、というのが多かったです。

という事で、またのご案内をお楽しみに!


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・ ウルビーノの、パラッツォ・ドゥカーレ・Palazzo Ducale di Urbino

ずいぶん前に買った歴史雑誌Focus Storiaの特集号は
「ルネッサンス・イタリアの天才の源泉」とでも言いましょうか、建築、絵画、
彫刻、人物にいたる、つまりそう深くもなく全般にわたっての特集で、
はい、私めにぴったり、好きな項目はなんとか読む事が出来るという奴で、ははは、

とにかくこの手の雑誌の良い所は写真が多い事!
実際に見ても肉眼では見えない部分まで見る事知る事が出来、
知らない資料写真まで居ながらにして見れる事、なのですね。

という事で、この特集号で見つけた大変興味深いイラストを見て頂きつつ、
マルケ州はウルビーノのパラッツォ・ドゥカーレのご案内です。

ルネッサンスの一大文化の華開いた宮廷としても有名な、かのフェデリーコ・
ダ・モンテフェルトゥロ・Federico da Montefeltro公のお城、
現在は国立のマルケ博物館となっている美しい姿のあれこれですが、

町の北西にある一大駐車場から見上げるドゥカーレ宮。

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手前の半円に飛び出したのは市壁の塔・要塞部分で、その左奥のドゥカーレ宮
に並んで見える鐘楼はドゥオーモのもの。


ウルビーノを最初に訪れたのは27年前!ですが、2010年秋に友人と再訪。 
ぼちぼちご案内します、と言いつつ、ははは、・・今迄のご案内はこちらに。
町中の地図も、下2つの記事の中に。

友人との旅行中、町のちょっぴりのご案内は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461246922.html 

ラファエッロの生家、そして、殺人的坂道のウルビーノ!

ウルビーノの美味しいトラットリーアのご紹介は
       


まずはドゥカーレ宮の特徴ある美しい2つの小塔と、間に挟まれる
白い優雅なテラス部分をどうぞ。

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町には何泊かして行ったり来たりで愉しみ、写しましたので、
写真の光線の具合があれこれ違うのはご容赦願います。
       
後ほどご覧頂く図でお分かりになりますが、この小塔とテラス近くに、
かのフェデリーコ公がお住まいだったのですね。
美しくて特徴あるこの小塔だけでも、このお城の価値があると思うのですが、
フェデリーコ公が住んでいたと知って、・・もっとじっくり見とくのだったぁ!



この向かい合ったご夫婦の肖像画は、このドゥカーレ宮の主フェデリーコ公と
2番目の妻バッティスタ・スフォルツァ・Battista Sforza.

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肖像画はこの宮廷にも招かれたピエロ・デッラ・フランチェスカ・Piero della
Francesca描く所の物で、現在はフィレンツェのウッフィツィ美術館にありますので、
ご覧になった方もたくさんおられると思います。

肖像画が描かれたのは1465~1472年というのですが、
2人が結婚したのは1460年2月の事、彼女は14歳!!フェデリーコ38歳。
バッティスタにとってフェデリーコは継母の兄という関係にあり、

・・今回あれこれ好奇心にそそのかされ読み始めましたら、各家系の複雑な
入れ込み関係に私めの単純な頭はこんがらかり、遂に自分で家系図を
書き始めた程で!

ここではまぁ、余りややこしい事は書かない事に致し、
ええと、このお二人の結婚生活は12年間続き、7人の子供をもうけておりますが、
7番目が男子で跡継ぎとなるグイドバルド・Guidobaldo。

彼女はグッビオで亡くなり、肺炎らしく、ご夫婦向かい合わせの肖像画は
彼女の晩年、と言っても26歳での若き死、の物という・・。

この頃のちょっとした楽しみ、あれこれ歴史上の人物の話を読む時の愉しみは、
一体幾つの時の事?と計算する事で、
すると、ははぁ、なるほどなぁ、という年寄りの納得が大いに満足する部分が
多々ありまして・・、ははは。

ご夫婦の対の肖像の背後に描かれた風景について
http://www.italiashiho.site/article/463142443.html

フェデリコ・ダ・モンテフェルトゥロの特徴ある鼻について
http://italiashinkai.seesaa.net/article/463142651.html

ピエロ・デッラ・フランチェスカについては
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129166.html
 
     

さて、本日の主題ドゥカーレ宮に戻りまして、この素晴らしい写真をどうぞ!

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ドゥカーレ宮、現在の博物館入り口は建物の向こうに見える広場側に。

まず地面の高さをご確認下さいね。 左に中庭が見える部分は2階の高さに
ある事にご留意を。 そして、手前側の2つの小塔がある部分の左側にお目を!
大きなアーチが続き、茶色のかなりの傾斜の坂道が上っているのが見えますね、


この図をどうぞ!
上の写真で切れていた茶色の坂道、低い石段の坂道が手前側に。
下に見えるPiano dei servizi というのは、召使たちが働く部分を指し、
図で見る様、この部分は建物の地下、半地下部分、中庭の下の階に当たります。

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Vivere a palazzo. 宮殿に住む。
ウルビーノのドゥカーレ宮は町の中の真の要塞であり、ルネッサンス期の
住まいの建築としては最高傑作である。

ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロの望みで宮殿建設は1444年に
始まったが、実際は1468年にダルマチアからの建築家ルチャーノ・ラウラーナ・
Luciano Lauranaがやって来ての事で、 1474年頃にシエナから
フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ・Francesco di Giorgio Martini
が来て、最終的に明確な設計図「町の形」が出来上がった。

まさに宮殿は私的な住まいというだけでなく、「生活の家」で、誰もが入る事の
できる場所であった。 完成したのは1536年。

この宮殿が建てられた場所には以前から、つまりフェデリーコの祖父に当たる
アントーニオ2世の時代から住まいがあったようですが、
フェデリーコは庶子で、5歳年下の嫡出子の弟オッダントーニオ・Oddantonio
が17歳で家臣たちの謀反の形で殺害され、勿論その背後にはフェデリーコの
存在がある訳ですが、1444年に公国の実権を握っての夢の実現に。

因みにモンテフェルトゥロ家というのは、12世紀の末に名が歴史にあらわれ、
1234年からウルビーノの領主、現在は単にフェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロで
通っている彼の正式名は、家系の中ではフェデリーコ3世という事になります。

22歳で新しい宮殿の建設を考え始め、1482年に60歳で亡くなっているので、
宮殿全体の完成にはその後半世紀後という事になります。
 
が、当時の芸術家たちのパトロンとして、妻バッティスタと共に素晴らしい
ルネッサンス文化の宮廷を作ったといわれるフェデリーコの事、
彼らの住まい部分が最初の内に出来上がっていた事でしょう。



では見やすいよう部分アップで、番号順にご説明を。

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1. 洗濯場と染色場
   衣類は十分な水の供給された大きな水槽で洗われ、他の水槽では
   布の染色も行われた。
2. 台所
   大きな台所の方では客人用の食事が用意され、小さな台所は
   公爵とその家族用であり、その隣には料理人たちの寝部屋もあった。
3. 貯蔵庫と氷室
   一連の暗い部屋、薪の貯蔵や氷室があり、氷室には夏でも食料が
   新鮮なままで保存できた。
4. 馬具置き場と蹄鉄工場
   直接に5の厩舎と繋がり、馬達はここで馬具を装丁、蹄鉄をつけられた。
   そう、現代における車庫と、その隣に整備工場がある感じですね。
   右奥には厩舎管理人の為のトイレ設備も。
5. 大厩舎
   25もの小屋に分かれ、広くて機能的なもので、床は石に穴が開けられ、
   廃棄物は直接に肥え溜めに。

既に2度もこのドゥカーレ宮を見ているにも関わらず、こういった使用人達の作業場、
台所と言った、生活の基本線については
この図を見るまでまるで考えた事もなかった事に、我ながら驚き呆れましたが、

この手前に見える茶色の坂道については朧な記憶が蘇り、その内側、
半地下の部分にこんな台所や厩舎があったのか、と新鮮な驚きで改めて
じっくりと眺め、写真を探しました。



はい、この道は宮殿下の大きな駐車場からエレベーターで上がり、写真左奥に
ある町の中心のレプッブリカ広場に繋がる道コルソ・ガリバルディで、
右手にはこんな坂道のアーチが繋がっているのですね。

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一度この坂道を辿った事がありました。 この写真はサイトから拝借ですが、
そう、こんな具合に低い石段で煉瓦敷き、つまり馬が通る坂道ですね。

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右手下の一番奥がテアトロ・ラッファエッロ・サンツィオで、その角奥に
下の駐車場に連絡のエレベーター、という場所です。



この坂道の一番上はこんな形で折れ、この奥はドゥオーモの後陣に当たり、

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またもや急な狭い、低い段差の付いた煉瓦道となり、

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ほらね、こうしてお隣のドゥオーモとの間の細い隙間を通りぬけ、ドゥカーレ宮前の
フェデリーコ広場に出て来ます。 広場の右が上の写真、左が下の写真。

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下の写真の左手の一番奥の扉が、現在の博物館の入り口。

蛇足ながら、ちょっとした疑問点、と解決について。
図の中では手前側坂道の上部分に扉があり、お馬君が出てくるように
描かれていますが、自分の写真、サイトの写真にもこの部分には扉がなく、
後に塞がれたのかもですが、
図には扉の無い左横、つまり広場に続く狭い隠れた坂道に扉がある写真を、
サイトで見つけた事を付け加えておきますです。



ドゥカーレ宮南面の壁と、

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優雅な窓。

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壁面に穴が間隔正しく開いていますね。 この穴は材木を差し込み、建築足場
を組むための物で、多分これは将来、全面に化粧岩が張り巡らされる予定
だったのではないかと・・。

ですが、フェデリーコの後を僅か10歳で継いだグイドバルドには遂に子がなく、
難しい当時の局面も切り抜ける運にも恵まれず、
甥にあたるフランチェスコ・マリーア・デッラ・ローヴェレを養子に迎え、
彼自身ウルビーノに戻ることなく痛風で36歳の若さで亡くなり、
モンテフェルトゥロ家はここに絶えます。



こちらはPiano nobile・ピアーノ・ノービレ・貴人の階と呼ばれる上の階。
まず全体図を見て頂き、

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2枚に分け、上の部分を。

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1. 表敬の内庭・Cortire d’Onore 
   ルチャーノ・ラウラーナ設計する所の、ルネッサンス芸術の宝石。
   円柱、縁飾り、色使いは、まさに建築の素晴らしい調和の例である。
2. 大宴会場
   広場に面した広間で、儀式や重要な機会に使われ、
   2つの暖炉が客人を迎える大広間を暖めた。

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3. 公爵夫人の住居部
   5つの部屋から成り立ち、寝室から書斎に、祈りの小部屋、小さなサロン
   に通じ、大きなサロンは芸術家や文学者に会うために使われた。
4. 公爵の住居部(右上)
   5つの部屋が小塔を通じ繋がっていて、2階部にある内庭に向かっていた。
   寝室、書斎、祈りの部屋、仕事部屋、著名人に会うための大きなサロン。
5. 入り口の小塔
   高さは60m、この2つの小塔から宮殿のどこにでも連絡がつき、
   秘密の行程もあり、公爵とその親密な関係者により使われていた。
6. 公爵の私的浴室
   書斎から直接に行けるようになっていて、温められ、脱衣室とお風呂と
   サウナがあった。

楽しいでしょう?!
今は単なる美術博物館で、おまけに写真禁止、27年前は撮れたのがぁ!
かっての生活の匂いなどまるで感じられないのですが、こうして見ると、
フェデリーコ殿ご一家はここで生活していた、というイメージが湧きますものね。



という事で、
宮殿前のフェデリーコ広場から建物内に入る扉、上部の優雅な飾り。

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表敬の内庭、端正で大変美しい内庭。

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内部の写真がありませんので、サイトから少し集めました。
煉瓦床。 いろいろな柄があるようですが、これ可愛いでしょう?

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嵌め木細工が見事な書斎・ストゥディオーロ。

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ウルビーノはラファエッロの生地としても有名ですが、彼の作品が一枚ここに。
ラ・ムータ・La Muta    1507頃の作品。

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彼の好みの女性ではなかったろう、とすぐ分かる程に顔は素っ気なく描かれ、
そのくせ重ねた指が生で、それに昔ひっくり返りそうなほど驚いたshinkai。



ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品を。 鞭打ち。

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理想の町。

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フェデリーコ公登場の、現在はミラノのブレラ博物館所蔵の、ブレラの祭壇画。

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フェデリーコの家族については、cucciolaさんがこちらに詳しく。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/3373411.html       



ウルビーノでの我々の宿は、まさにドゥオーモの前に位置し場所は最高!
ただしぃ、夜食事に出かけて坂道を戻るのが大変、・・小々飲んでますのでね。

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とは言え、この美しい夜景を見ると手振れもなんのその、はは、写さずにおれず、
何度も写した中から、ウルビーノの夜景をどうぞ。



サイトで写真を探していましたら、どか雪に町が埋もれた写真が何枚も。
その中から、美しい雪化粧のドゥカーレ宮をどうぞ!

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で、最後のおまけは、ははは、 今日2月14日はヴァレンタイン・ディ。
チョコレートならず、ウルビーノの名産カショッタ・Casciottaチーズをどうぞ!

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熟成させないので皮が1mmほどの薄さで、新鮮なミルクの香りのする
お口の中でとろけるチーズだそう。
写真を見ながら、白ワインをお二人でどうぞ!!


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・ n.2 ソヴァーナのドゥオーモ   最後に、宝もの探しの話題も

町の様子を見て頂いたソヴァーナ・Sovana、今日は町外れのドゥオーモのご案内を。

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現在の小さな町から考えるとなぜこの町にドゥオーモが、と思う程なのですが、
アルドブランデスキ家の下で栄えた11~14世紀にかけてのこの町の重要さ、
そして町の守護聖人となっている聖マミリアーノ・San Mamilianoが5世紀に
トスカーナ南西部に最初の福音伝道者としてソヴァーナに来た、という事を重く見て
ここにドゥオーモ、司教座を持つ教会が、という事の様で、
ドゥオーモの名もサン・ピエトロ(サン・パオロとの両名となっているのもあり)。

所で今日のタイトルの「宝物探し」にの話題に、上の聖人サン・マミリアーノに
因んだお話が出ますので、この名にご留意を。

上の写真は教会南からの眺め、ガイドブックからですが、



東からやって来た時に見える後陣の丸いでっぱりの上に見える内陣のクーポラが
八角形になっているのが見えます。

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後陣の膨らみの真ん中に細い窓が見え、下側部分に大理石の棚があり、
2つの白い飾りが見えますね。



この部分です。   私の写真よりも良く見えるので、サイトから拝借で、
この地方特有の茶色の凝灰石に白い大理石がアクセントを付けます。

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他にも白い飾りが各所に嵌め込まれていて、ネコ科動物とガイドブックにあり、
自分の尻尾に噛みつく猫ちゃん?

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さてこちらが聖堂の北面、見えるのが入り口。
奥に見えるのがかっての司教館で、これは14世紀に建て増しされた物と。

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後先逆になりましたが、この聖堂は11世紀末から12世紀にかけての建設で、
それ以前に同じ場所にあった8世紀からの教会の上に造られたもの。

ですからクリプタ・地下礼拝堂も以前の物で、建物の飾りなども再利用されていると。
ちょっと特異な印象を与える斜めに張り出した支え壁ですが、建物の構造上の問題で、
屋根の重みによる沈下を防ぐために14世紀に増築された物だそう。



素晴らしい入り口をどうぞ!  全体にロマネスク様式ですが、装飾はロンゴバルド風
の装飾が多く、領主のアルドブランデスキ家がロンゴバルド系という事も影響だろうと。

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人魚、クジャク、そして騎士の姿。

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上の半円部分は、こんな様子。 多分以前の建物の装飾を再利用した物と言いますが、
その当時にはまだ動物や人間の姿が装飾の中に登場しておらず、ゆえに判読は難しいと。

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獲物を爪で捕え、口を開けたライオンの溶岩像が両脇にあり、これは善の護衛を示すと。

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聖堂平面図をどうぞ。 下側真ん中に入り口があり、3廊式で中の円柱は6本ですが、
脇の壁にも半円柱があり、いずれも柱頭飾りが興味深いものでした。

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右側の建物が後に増築された司教館で、間に2つロビーが見えますが、
聖堂寄り部分にブックショップ、司教館寄り部分に素晴らしい煉瓦床があったので、
最後にご覧を。 奥に見える円形風が鐘楼部分。

右の司教館は聖堂より後の14世紀に増築された、と言いましたが、
実は現在脇にある入り口は、最初は鐘楼の手前横部分、内陣に向き合う場所に
あったのが、司教館を建てる為に入り口を現在ある脇に移した、という様子です。



さて、聖堂内にどうぞ。 円柱は2色使いの束ね柱で、

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天井部は初めは木製だったのが13世紀の修復で、この煉瓦製の肋骨入りアーチ形に。

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各円柱の柱頭飾りが大変に興味深く何枚も写したのですが、実際は写真で
見るよりずっと薄暗い照明の聖堂内で、ブレまして・・。

こちらは牛の顔と植物。

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植物摸様が多いのですが、

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中にはこんな旧約聖書のお話部分もあり、

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こちらは北壁側半円柱の鷲。

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これより3枚はガイドブックからの写真で、
内陣前左側にある1434年と入った洗礼盤。 1980年迄は現在の入り口近くに
あったのが移されたのだと。

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1615年の年号が下に見える聖水入れ。 17世紀頃のソヴァーナの町は経済的にも
衰退しており、これは数少ない芸術的な物の一つだそう。
これも左の側廊にあるのだそうですが、・・見てないぃ。

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内陣部と上部のクーポラ、そしてクリプタが見える写真。
私めはなぜかクリプタがあるのにも気が付かずに見ておりませんで・・!

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内陣のクーポラ部分、外からの写真では八角形になっているのが見えましたが、
内部は四角く始まり、そして円形になっているのがご覧頂けますね。
こういう形は中世の物としては大変に珍しいのだそう。

右端の柱部分にフレスコ画の名残が見えますね。 聖体拝受の女性の姿で、
これの写真はあるのですが、なんでクリプタに気が付かなかったんだろ、クヤチ・・。



このフレスコ画の名残は後陣部分の物ですが、判別しにくい程の破片で、多分
「最後の審判」の一部だろうと。 上の写真にも見える様に、かっては内後陣共に
フレスコ画で覆われていた様子。

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ガイドブックからの写真で、ロマネスク初期のクリプタの様子をどうぞ。
がっしりとした太い短い円柱6本で支えられた8~9世紀の物と。

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左奥に見えるガラスの柩の中には、聖マミリアーノの遺骨の幾つかが・・!
この方のお骨は各地に分散しておりまして、ローマ、パレルモ、
そしてトスカーナにはソヴァーナ以外にも3か所という・・!



入り口脇にブックショップがあり、ここには地方出版の本がたくさんあり、
嬉しくて何冊か買い込みました。 これからご訪問の方、ご一瞥を!

で、確かその奥、司教館との間になる部分だったと思うのですが、細長いロビーがあり、
その床部分、素晴らしく美しい煉瓦敷き!!

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確かこの同じロビーだったろうと思うのですが、聖水盤。

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聖堂を出て、町に戻ります。 道の北側に広がるオリーブ畑。  
そう、この町の名産はトスカーナでも有名なオリーブ油と赤ワインと・・。

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来た道とは別の建物の並ぶ道を戻りますが、敷きつめられた煉瓦も
朽ちると良い趣になりますねぇ。

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大きなお家の柵の中、セクシーなワン君に声をかけて楽しみ、ははは。

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ここからはまたサイトから拝借の写真で、見残し部分の補充を。

町中心のプレトーリオ広場でちらとご覧頂いたサンタ・マリーア・マッジョーレ教会に、
トスカーナでも唯一と言われる8世紀に溯る聖体用祭壇・チボーリオ・ciborioがあり、

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・・・見ておりまへん、



これにも素晴らしいロンゴバルドの紋様。

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う~ん、フリウリのチヴィダーレのドゥオーモを思い出しました。
そうです、あそこもロンゴバルドの宝庫なのです!!

n.1 チヴィダーレ・デル・フリウリ再訪 ・ ドゥオーモとその博物館
http://www.italiashiho.site/archives/20171121-1.html



さていよいよ最後の話題「宝探し」です、お待たせいたしましたぁ!
       
町の守護聖人聖マミリアーノの名を冠した町で最古の教会が、やはり町の中心
プレトーリオ広場にあると先回書きましたし、
聖人のお骨の一部がドゥオーモのクリプタにあるのも、ご覧頂きました。

聖マミリアーノ教会は修復中で、いずれ博物館になる予定、という記事を読み、
その後ソヴァーナの町であれこれ検索をかけていましたら、
金貨がどっさり入ったテラコッタの壺の写真とか、それに関しての記事では
モンテクリスト伯の宝物、という様な文字があるのですね。

で、こちらが教会の修復発掘現場の写真。

35-754.jpg

なんだぁ、これは?!と思ううち、ソヴァーナのこの聖マミリアーノ教会の地下から
500枚もの金貨が見つかった、何世紀にも及ぶ執拗な調査が漸くに実った、
モンテクリスト島ではなく、実はこのソヴァーナだった、ecc ecc。

良く分からないままに、聖マミリアーノで調べましたら、
パレルモの聖マミリアーノ・San Mamiliano di Palermoと呼ばれる方がご本人で、
シチーリアのパレルモ生まれ(生年不詳)で司教になられ、後にヴァンダル族の
侵略によりアフリカに追放。 が後に信者たちにより救われ逃れサルデーニャ島に、
最後はトスカーナ州西方ティレーニア海モンテクリスト島に。
はい、モンテクリスト島が登場で、この島で460年に亡くなっています。

ではなぜあの有名なデュマの「モンテクリスト伯」と結びつくのかと言いますと、
古文書に3通(2通というのもあり)、モンテクリスト島に伝わる古い民間伝承に
この聖人が宝物を島の教会に埋めている、と伝えたものがあり、
それを聞き伝えたかのデュマが作品に取り入れたというのですね。

何世紀にもわたり、この宝物探しが続いていたようで、トスカーナ大公コシモ1世が
1549年に「宝物探しは止めたが良い」という海賊相手のお達しも出しているそうで、
ははは、1670年にはコルシカ島で鉢や鍋が見つかった物の、
中身は灰でいっぱいだった、という笑い話も。

所がです、上の聖マミリアーノ教会の修復中の2004年に、何と祭壇の下から
498枚もの紀元後5世紀のローマ金貨が見つかったのだそう!!

鋳造時期は聖人の亡くなった後に当たりますが、10世紀位までは通貨していた
金貨なんだそうで保存状態も良く、まさにキンピカに輝く金貨の写真もサイトで。



という事で、本日の最後を〆ますのは、
2012年7月28日、聖マミリアーノ教会博物館がオープンした際のご招待。

36-001.jpg

ローマ期の金貨を眺めに、・・500枚全部見せてくれるのかな?
宝物はどこの誰の物?!、やはりあったのか!、なんぞと推理しかたがた、
この近くにお出かけの方、どうぞご訪問くださ~い。

この周辺にはエトルスクの謎に満ちたお墓があちこちにあるそうで、
一見田舎の鄙びた町に何世紀にもわたって埋まっていた金貨、
忘れものにしては価値が大きいですが、・・やはり謎に満ちた町なのですねぇ!


と最後にもう一つ。
この町を治めていたアルドブランデスキ家についてあれこれ読んでいましたら、

この家系最後の人物がマルゲリータ・Margherita という女性で、
絶世の美女と書いてあるのは無かったですが、魅力と財力に惑った男性がね、
で、家系の最後を務めつつ、時代の変遷の内に漂う中世の女性らしく、
彼女は4度の結婚!!!!

おまけに最初の夫も最後の夫も、共にダンテの神曲「地獄編」に
語られる程の人物でして・・。

そして彼女が戦ったのは、かの権勢欲強き教皇ボニファーチョ8世で、
その甥とも結婚しているという・・!

そうそう、オルシーニの一人と結婚していると書いたのは、オルソ・オルシーニという
男ですが、同じ名前が何人もおりまして、未だ追及出来ておりません。

まだまだ読みたらず、消化不良なのですけど、中世特有のドロドロした
人間葛藤をまた一つ知り、私の中の好奇心の虫がピッと目覚めました。

ピティリアーノのご案内の記事までに、もうちょっと調べますです。
     
  
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