・ n.1 トゥスカーニア 古寺巡礼 ・ サンタ・マリーア・マッジョーレ教会

暑い日が続いております! TVニュースで連日イタリアの各都市で40度近く、
との報道があり、聞くだけで汗疹が出そうですが、

それでも漸くに「古寺巡礼 その3」として、ラツィオ州ヴィテルボ県は
トゥスカーニア・Tuscaniaの素晴らしく美しいロマネスク教会、
サンタ・マリーア・マッジョーレ・Santa Maria Maggioreを纏めましたので
ご覧下さいね。

1-1-035.jpg

この春グループ旅行で出かけた際の訪問ですが、とても気に入り写真を撮りまくり、
数が多すぎどれを省いたら良いものか!
例により、まず何がどうなのかを読んで知り、分からない所をアンナリーザや
ジュリアーナに聞く、という手間がありますが、まぁこれもボケ防止の楽しみと、はい。

勿論ガイドさんがいて、詳細に説明してくれたのですが、説明をその場で聞くと、
自分で見て回れず、ガイドさんが説明したい場所のみを見る事になり・・。
という見極めがついた今頃は、勝手に動きまわって撮る事になり、

まぁ、似た様な勝手者がたくさんいますから、ははは、で、写真OKとなると、
いぇ、本当は禁止だった様ですが、大勢がパチパチと、存分に撮りまくった次第!

上の写真はバスの窓からで、ヴィテルボから緩やかに広がる平野を行き、
段差のある丘の上に教会が見えて来た所。



地図をどうぞ。 ヴィテルボ・Viterboから西に約30k、半時間程でしょうか。

1-2-nia.jpg

ローマ、そしてエトルスク文化で名高いタルクイニア・Tarquinia、
天空の町チヴィタのあるバーニョレージョ・Bagnoregio
オルヴィエート、スポレートの位置関係もどうぞ。

トゥスカーニア周辺に最初に人類が住み着いたのは、紀元前2500~3000年頃
と言う事で、エトルリア人の定植地となり、紀元前3世紀頃にローマの下に。

クラウディア街道が通り通商業の、また西のティレニア海岸から東のボルセーナ湖
への家畜の季節移住の交差点として、ローマ帝国以降の一時の衰退は
経験した物の、中世には自由都市となり大いに栄えた様子。

町にはエトルスクの博物館もあり、周辺にはネクロポリスなどもあちこちに
見る事が出来る様ですが、行っておりません。
が、タルクイニアで見た素晴らしい、というより凄い様子をまたご案内致しますね。



教会はこんな風に道の曲がり角に背を向け位置し、真ん中に飛び出している
部分が後陣部分。 多分最初はこの高さでの教会建設だったろうと。
       
2-041.jpg



教会の前すぐに鐘楼があり、おまけに狭い所に皆が入りこみ足元が見えず、
全体の写真が無く、こちらはサイトから拝借。

真ん中に大きな薔薇窓、小円柱で区切られた小アーチのロッジャ、
その下に大理石の正面扉と周囲の飾り、

3-ore.jpg

両脇に脇の扉が其々に、向かって右が大きく左は小さい、があり、
全体にこの一帯の特徴である凝灰石が用いられ、茶色に白の大理石がアクセント。
       


正面真ん中部分をどうぞ。
上部に大きな薔薇窓、周囲に4福音者のシンボル、その下部が少し張り出して
あれこれ顔のついた庇があり、
その下、9本の小円柱で仕切られた小アーチ、中央入り口、という様子。

4-044.jpg      



薔薇窓と小アーチ部分。 そして薔薇窓のアップ。

5-046.jpg

6-064.jpg

全体が茶色と白のツートンですが、薔薇窓とアーチには壁の茶色よりも
濃い色の石が使われ、はっきりくっきり、モダンなイメージさえします。

ご案内では中世特有の怪物彫像や、素朴な表現をたくさんご覧頂きますが、
土地の味わいがあると言われる一帯のロマネスク様式をどうぞお楽しみ下さいね。
       
このサンタ・マリーア・マッジョーレ教会が最初に言及されるのは9世紀、
法皇レオーネ4世の勅書によるそうですが、
建設されたのは11世紀の末、12世紀の半ばと2度に渡り、
建設年代も歴史家により多少の違いがありますが、ほぼこの年代。

最初はまず身廊と翼廊、離れて鐘楼が建設され、次に翼廊に接続する形で
3廊式となり、それが全て長く増設され、鐘楼との間が狭くなる結果に。

建設時期が分断された事による様式の混合となり、度重なる地震被害の
修復からも複数様式になった物と。 教会の聖別式は1206年10月6日。

現在のトゥスカーニアの町は、このサンタ・マリーア・マッジョーレ教会よりも
もっと小高い北に移り、城壁が町を囲む形になっているのですが、
建設された当時は、この一帯が町の中心だったと。
       
       
   
薔薇窓の周囲4か所に配置された4福音者を現わす
左側の有翼のライオン、聖マルコ像があり、

7-063.jpg



上には鷲の姿の聖ジョヴァンニがいて、右側はこの、天使の姿の聖マッテオ。

8-062.jpg

下には雄牛の姿の聖ルーカがいるのが、庇が少し飛び出しており、
後ろに下がれず見えません。

この鐘楼との間の狭さも、後の時代の増築による結果だろうと言うのですが、
教会のこの場所は丘の中腹という感じなので、土地確保の問題もあったのかも。



これは薔薇窓の下の、少し飛び出した庇の下、
・・庇部分を支える形の、さまざまな顔も3つ程見えますが、

白い短い9本の円柱と10の小アーチで装飾されたロッジャ部分で、
両脇にいるグリフォン・鷲の頭と翼、ライオンまたは蛇の胴を持つ伝説の怪獣が、
左側は牛を抑え込み、

9-057.jpg



右側は人間の男を襲っている姿。

10-048.jpg



正面中央の素晴らしい5層の入り口。 両脇外にライオンが支える太い円柱と、
中央に聖母子のいる半円の周囲の装飾を4本づつの円柱が支え、
扉の両脇には聖人。

11-065.jpg



以下に追々とアップで見て頂きますね。

扉上の半円、素朴な聖母子のいる半円部分。
右に神の子羊、左側はイザクの犠牲と、ロバに跨る邪神の姿。

12-049.jpg

本来だと聖母子像というのは中央にある筈ですよね。それが少しずれている事、
上の部分には濃い茶の石が1ブロックあり、 こういうのは多分2つの建設時代に
渡るのと、地震被害後の修復状況も示すのだろうとの事。

で、この稚拙とも言える聖母子がとても気に入りました。
素朴で稚拙な顔立ちも良いですが、衣類の流れる線の表現がゆったりと優雅。



これは入り口右の一番外の螺旋状の溝が刻まれた円柱上の、アルピア・
arpiaという女の顔と、欠けてますが、鳥の体を持つ飢えた怪物が
人間を襲っている様子と言い、

13-131.jpg

左にはライオンがやはり人間を抑え込んでいるのが、欠けている部分が多く、
良く見えないので省略を。
      


扉脇の2聖人、左には聖パオロで、各円柱上にも旧約聖書のお話が
刻まれている様子ですが、

14-050.jpg



こちらは右の聖ピエトロ。

15-132.jpg
    
気が付かれましたか? どちらの聖人も顔の部分が後世の物で、
どちらも顔を盗まれ、追加したのだろうと・・!

この聖人像も上の聖母像に似たゆったりの衣類の表現で、肩と前幅に
単純な小穴で付けた柄が意外に効果を上げていますが、

こういうのを見るのが大好きで、中世の職人が「こんなんでどう?」と
ポチポチと穴を打ったのではないかと、想像して楽しみます、ははは。



右側の、脇入り口上部の様子。 大きさは大体中央入り口と同じで、
左側の脇入り口よりは大きく、半円を描く装飾も手が込み美しいのですが、
中の半円部の像は少し雰囲気が違い、稚拙なイメージで。

16-061.jpg



鐘楼。 写真左側の陰になっている面が、教会に向かい合う部分で、
上部は地震で落ちたか、切り取られた様子ですね。

17-055.jpg
       


こちら側が、教会正面から見る鐘楼の壁。

18-129.jpg



では教会内部にどうぞ! 我々が行った時は修復の足場がいっぱいに組まれ、
見通しの効く写真がありませんので、こちらもサイトから拝借。

19-nia.jpg

最初の教会背後の写真2枚目で見て頂いた、後陣部分のアーチの高さ、
お分かりですね。 高くなった天井部は小屋式・capanna と呼ばれる物で、
内陣上部、後陣、そして身廊のアーチにも、円柱にもフレスコ画が描かれた
素晴らしい物!



こちらが正面中央部、

20-068.jpg



そして14世紀のフレスコ画上部、キリストを挟み12使徒が並び、
その下左側には聖人や寄進者の姿、そして「最後の審判図」。

21-077.jpg



後陣のアーチ左側には、とてもユーモラスに見える、
棺の蓋を開け、土の中からも出てくる、ははは、死者たちが描かれ、

22-111.jpg



右側は大きな画面で、地獄の様子がしっかりと!

23-hed.jpg

この写真もshinkaiのより良く見えるサイトのを拝借で、
中世の善人達はこんな画面を毎度眺めさせられ、怖かったでしょうねぇ!!

保存状態がかなり良いこのフレスコ画はグレゴーリオとドナート・ダレッツォ・
Gregorio e Donato D'Arezzoの作と名が残っておりますが、
画家の記録は殆ど見つからず、1315年とサインしたのがブラッチャーノの教会に、
彼らの出身地であろうアレッツォにも作品があるそう。
       


こちらは数段高くなった内陣部にある祭壇。 天蓋風に設えられ、天蓋内部にも
フレスコ画が施されていますが、内側はまさに当時の色のまま、と思える鮮やかさ。 

24-087.jpg

後陣の奥に玉座が見えますが、



こんな石作りの物。

25-093.jpg

ヴェネツィアはトルチェッロ島にあるサンタ・マリーア・アッスンタ聖堂、
素晴らしい黄金モザイクのある聖堂ですが、ここにも同じ様な位置、
形の玉座がありましたっけ。



こちらは身廊と左側廊との間にある、見事な彫りの施された説教壇。

26-082.jpg



身廊側に突出している角にはこんな彫像も見え、
この柄はロンゴバルド様式と思いますが、着色されていますね。

27-100.jpg



説教壇に上る素朴な石段。
転げ落ちたりしないのか、と心配と共に嬉しくなりますが、ははは。

28-090.jpg



身廊と側廊の間の円柱は片側4本づつで、柱頭には其々装飾が施され、

29-072.jpg



柱頭装飾は如何にも中世風で、大好きな物。

30-104.jpg

31-124.jpg

サンタンティモ修道院 ・ Abbazia di Sant'Antimo
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461363897.html

サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.1 
http://www.italiashiho.site/archives/20170414-1.html

サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.2
http://www.italiashiho.site/archives/20170415-1.html



円柱にもそれぞれにフレスコ画が施され、往時の素晴らしさ、美しさを想像させ、

32-083.jpg



こちらは左側廊の一番奥の様子で、この部分の奥行きのアーチは、壁の厚みを
利用してくり抜いた形だそうで、見えるフレスコ画は後代の物。

33-256 (2).jpg

ここにも祭壇が見えますね。この祭壇の下部に隙間があり、塞がれた様子も
撮っていますが、この地下には殉教者たちが埋葬されていたのだそう。
右手前に、説教壇への螺旋階段が見えます。



こちらは右の側廊半ばにある洗礼用の泉で、丘の上のサン・ピエトロ聖堂が
ドゥオーモであっても、洗礼はここで行われたのだそう。
で現在のトゥスカーニアのドゥオーモは、町中にあるサン・ジャコモ聖堂。

34-256 (3).jpg



さて、こちらが丘の上に見えるサン・ピエトロ聖堂。 かっての要塞を
兼ねた塔も3本残り、こちらは次回にご案内を。

35-256 (4).jpg



町の地図で位置をどうぞ。 現在の町は北側の高所に、こんな風に城壁に囲まれ、
城壁外にある右2つの下に見えるのが、今日のサンタ・マリーア・マッジョーレ教会、
それよりももっと外れた上に見えるのが、サン・ピエトロ聖堂。

36-256 (5).jpg

かっての低い位置から町が北の高所に移ったのは、やはり中世の町の防御から、
と思われますが、となると、この大きな素晴らしい大聖堂も栄華を誇ったのは
比較的短い期間と言う事になりますね。
サン・ピエトロ聖堂のご案内前に、もうちょっとあれこれ読まないといけません。




最後にご覧頂くのは、現在の町の南端にある展望台状広場からの眺めで、
上の地図と重ねてどうぞ。
一番奥に見えるのがサン・ピエトロ聖堂、
その斜め右下に今日ご案内したサンタ・マリーア・マッジョーレ教会、

37-256.jpg

サン・ピエトロ聖堂と同じ高さの延長に見えるのが、リヴェッリーノ城の廃墟で、
町の城壁がここから始まるのが見えます。


トゥスカーニアの町を訪問した時は、まさに春たけなわの良いお天気で、
長閑な平野が広がり、まだ中世のままのような感じがしたのを良く覚えています。
皆さん、最後までお付き合い頂き有難うございました!

ロマネスク教会をお好きな方はたくさんおいででしょうし、エトルスクに興味を
お持ちでトゥスカーニアに行かれた方も、町に関心をお持ちの方も多いと思うのですが、
紹介されておられる方が多くなく、イメージを掴んで頂こうと思うと、
つい写真も多く説明も長くなりましたが、退屈せずに見て頂けた様に願います。
       
次回はまたちょっと息抜きを兼ね、美味しい物でも。
その後、サン・ピエトロ聖堂に参りますね。
ここは映画撮影でも有名な聖堂ですので、お楽しみに!
     
 
*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。

・ n.2 トリエステ ・ 突堤アウダーチェ、ウニタ広場、サバ書店

暑い日が続きますが、皆さまにもお変わりありませんか?
夏も終わりに近づき、お仕事再開の方も多い事でしょう。

こちらイタリアは最後の熱波襲来とかで、あと1週間酷暑が続く様ですが、
お陰さまで我がスコミーゴ村は、薄暗いゴキブリ生活でしのげる程ですので
文句は言えません。
そんなこんなで、本格的にエンジンがかかるにはまだ馬力不足で、今回もう一度
緩やか発進で、と言うと、いつも緩やかだろうが、という声が聞こえそうですが、
ははは、聞こえないよぉ~だ、

もう一度トリエステの爽やかな陽射しを。 そして思いがけない発見もあり、追々と。
街の地図は先回載せておりますので、そちらをどうぞ。
という事で、今日は三題話で写真が多くなりましたが、ごゆっくり!

写真は、鉄道駅から港への道を行く途中、港の反対側、街に入り込む大運河。
奥に見えるのは、サンタントーニオ・タウマトゥルゴ教会・S.Antonio Taumaturgo.

1-980.jpg

教会前広場に、トリエステに住んだジェームス・ジョイスの像がある様ですが、
まだ見ておりません。



すぐ右手にトリエステ湾の眺めが広がり、かっての大きな頑丈そうな船舫いが
並びますが、現在はヨットが何隻か。

2-979.jpg

3-986.jpg



海の眺めにはつきもののカモメたちも勿論!

4-989.jpg



そして見えてくる突堤アウダ―チェ・Molo Audace. 

5-987.jpg



岸からの眺め。

6-992.jpg
       
突堤アウダーチェ。 アウダーチェという言葉は、大胆な、勇敢な、という意味なので、
単純に、戦争中の何か逸話を意味するのだろうと考えていましたが、
船、それも駆逐艦の名に由来する事を知りました。

元々のこの突堤の名はサン・カルロ・San Carloで、1740年に岸に近い位置で、
この名の船が沈没したのだそうで、残骸を新しい突堤の基礎として、建設。
ただし当初の突堤は95mと短く、岸とは木製の小さな橋で連絡していたのが、
その後1778年、1860年と長くされ、現在の長さ246mとなり、岸とも接続。

当時のこの突堤は乗客用、商船共に大いに使用され、大賑わいだった様子の
スケッチが残っておりますが、現在はご覧の通り、市民の散策、観光客、
そして不定期の観光船発着となり、
大型貨物、大型クルーズ船、フェリーなどは他の突堤に。



突堤にもあるトリエステの街灯の電球デザインは、こんな風に漁網をかぶせた様な
感じで、ガラスに鉄線が入っているのかも、街のレトロな雰囲気に良く似合い、

7-993.jpg



突堤から、ウニタ広場・イタリア統一広場の方を。

8-994.jpg
    

   
爽やかな風の吹きぬける突堤の上を、嬉しく走り回るワン君、

10-996.jpg



皆思い思いのスタイルで、遥かに海を眺め・・、

11-998.jpg



ガイドブックかな、を広げる観光客、釣り糸を垂らす地元の人もいて・・。

12-001.jpg



こちらは文字が見やすいように写真の向きを変えましたが、2枚上の写真で
若者たちが寄りかかっている盤で、
風向きを示すローザ・デイ・ヴェンティ・Rosa dei venti と呼ばれる物。

13-1-024.jpg

北西風がマエストロ・Maestro  北東風・グレーコ・Greco
アフリカからの東南風・シロッコ・Scirocco  ここでは見えませんが、
南西風が・リべッチョ・Libeccio
そして、グレーコの下に見えるのがトリエステ名物のボーラ・Bora.
とりわけ冬に北東から吹き下ろす台風並みの冷たい強風。

で、この青銅盤に刻まれている文字ですが、
  APPRODÒ
  A QUESTO MOLO
  LA R.NAVE
  AUDACE
  PRIMA
  COL VESSILLO D'ITALIA
  III NOVEMBRE
  MCMXVIII
この突堤に、イタリア海軍アウダ―チェ号が
最初にイタリアの軍旗を掲げて接岸した
1918年11月3日

つまり当時北イタリアはオーストリア治世下にあったのが、第一次大戦終戦直後、
この戦争はイタリアにとってはオーストリアからの独立戦争でもあったのですが、
終戦直後にこの港に、イタリア海軍として初めてアウダ―チェ号が着岸した、
という記念碑なのですね。
で、この出来事を記念して、1922年に名前も「突堤アウダ―チェ」となったのだそう。

私は気がつかなかったのですが、横にご丁寧に、
この碑は、敵の青銅を鋳造して作った、と説明があるそう!

そうなのでした、単なる戦争の勇者を讃えての「勇者の突堤」という名では
ないのを知ったという訳ですが、実はもひとつ驚きの発見を!



こちらが駆逐艦アウダ―チェ号で、日本語版ウィキにも説明がありまして、

13-2-ace.jpg

なんと本来は、大日本帝国海軍が駆逐艦江風(かわかぜ)として、イギリスに
発注したものなのだそう! 当時としては新型機関のディーゼルエンジンを
搭載する予定が、第一次大戦の影響でドイツからの減速装置が入手出来なくなり
タービン・エンジンのみの搭載となり、日本海軍は欲しがらず、
1916年進水直前にイタリアに譲渡されたのだと。

ここではshinkaiが付いて行ける範囲のご説明で、
詳しくお知りになりたい方はウィキぺディアにどうぞ!
トリエステの突堤の名から、遥々「大日本帝国海軍」に行きついた時は、
驚いて笑いました。 なんと世界は狭い事!



こちらは、現代の大クルーズ船。 この角度だと、道の上にぐっと舳先が
飛び出してる様に見えますが、いえぇ、舳先はきっちり海の上にありましたです。

14-036.jpg



ウニタ広場、正式にはイタリア統一広場・Piazza Unita d'Italia.
広い広い、海に向かって開けた広場で、正面は市役所。

15-034.jpg

イタリア統一広場という名は、第2次大戦後敗戦国となったイタリアで、
トリエステ一帯は国連の統治下に置かれ、2分割もされていたのが、
漸くに1954年にイタリアに返還された事を記念しての広場。

ローマ期以前よりの古い歴史を持つ土地ですが、国境の町にありがちな何度も
統治者が変わる複雑な土地で、東欧側に残ったままの以前のイタリア領もあります。

トリエステの夏の写真は、紫外線が強い為か、
この広い広場を写すと、気をつけていても暗く写り、と言い訳。



正面市役所の塔の部分のアップで、
 
16-041.jpg
      
写真を見ていて、鐘付き男が2人いるのに初めて気が付きましたが!
実はこの後高台にあるお城に行った時に、オリジナルの大きな像があり、
きちんと衣類をつけたこの鐘付き男はどこの?と、
・・ヴェネツィアの鐘付き男は、短い毛皮だけですものね、
一瞬湧いたままだった疑問が、ここで解決したのでした。
はい、shinkaiも歩けば棒に当たる、ですねぇ、ははは。



トリエステの大きな建物類はバロック様式が多いのですが、こんなアール・デコ調の
柄モザイクも施されたりで、こちらは広場の北側を占める県庁の壁。

17-039.jpg



向かいにあるこれも大きな建物、上部には・・、

18-035.jpg



こんな群像があり、ロイド・トリエスティーノと読めますが、それ以前は
オーストリア船舶会社だったそうで、現在は州庁が置かれていると。

19-040.jpg



広場の中途から脇道に入り、曲がってボルサ広場・Piazza della Borsa
に出る途中の眺め。
正面の建物の壁、窓、色が、なんともレトロで良いでしょう?

20-042.jpg



この辺り一帯、車の出入り禁止ですので、こんな素敵なカフェが道に次々と。

21-044.jpg



こちらがボルサ広場・かっての証券取引所・ボルサがあった事の名の由来ですが、
こちらは広場の東側で、ここも広々と、人々がのんびりと歩ける広場。
左奥にネプチューンの泉が見えますが、

22-045.jpg



その奥に立つ円柱上のこの人物は、神聖ローマ帝国王にして、ボヘミア、
ハンガリー王でもあるレオポルド1世(1658~1705在位)だそうで、

23-051.jpg

なぜにこににお出でかと言いますと、跡を継いだ息子ヨーゼフ1世がトリエステを
自由港にし、これがこの街の繁栄の元となったのだそうで、はい。

そうそう、このレオポルド1世の最初の妃が、ベラスケスの描いた有名な皇女
マルゲリーテ・テレジアで、彼女は母方の従妹でもあり、姪でもあるのだそうで!
夫婦仲も良かったのが、お気の毒に22歳の若さで没。



広場の西側部分、ネプチューンの泉が見え、写真左にちらと見える円柱の建物が
かっての証券取引所・ボルサで、

24-046.jpg     



現在は商工会議所となっており、こちらは上部の飾り。

25-048.jpg



広場の北西角、ここにもBORSAと入った建物が見えますが、この優雅で
豪壮な建物も素敵ですねぇ。

26-050.jpg



広場は歩行者のみなので、あちこちにお喋りの輪が固まり、カフェのテラス席もあり、
皆のんびり気分ですが、中に彼のみ、ご主人のお喋りに断固背を向け、
半ば無念無想で広場の彼方を見つめ・・!

27-053.jpg



さて漸くに三題の内二つが済みまして、
我ながら、少し詰め過ぎかと反省しつつ書いておりますが・・、
まぁ、もうちょっとのご辛抱でございます、皆さま、ははは。

ボルサ広場から北に通りを一つ抜けた、サン・ニコロ通りの30番、
南北に横切るダンテ通りに近く、古書店ウンベルト・サバがあります。

28-055.jpg



小さい扉を開けた正面に見えるのが、このサバの写真。
ウンベルト・サバについては須賀敦子さんが書かれ、サバの詩も訳しておられるので、
そちらでご覧頂くとして、ここでは割愛しますね。

29-061.jpg



上の写真の右下部分、本棚の前にはあれこれサバを描いた絵があり、

30-062.jpg



間口の狭い店ですが、天井は高く、奥にも高い本棚が並び、

31-058.jpg



こちらは左手の書棚。

32-059.jpg



現店主のマリオ・チェルネ氏・ Mario Cerne.

33-068.jpg

2か月前にも一度店にお邪魔しましたが、その時も今回も、こちらが日本人と見ると
さっと奥の本棚からこの書店の載った各雑誌、そして須賀さんの「トリエステの坂道」を
取り出して来て見せてくれます。
須賀さんの本に書かれているご自分の名前のマリオ氏の部分に、鉛筆でくるっと
丸が書かれ、それを指さしながら、ちょっと自惚れで、と自己紹介されるのですが、
店には次々と見物客が入れ替わり立ち替わり。
       
そつなく応対しながら、あれこれとお喋りをし、訊ねられた事に応えていく、
須賀さんが描かれた彼の様子、「観光コースの一環のような応対ぶり」、
まさにその通りで、これで一体店が成り立つのか、と他人事ながら気になる程。
観光客はマリオ氏を見て喋り、店の写真を撮り、彼を撮り、
そして何も買わずに出て行く。
私にはその辺りが見ていて少し腹立たしく、せめてにもと、



先回行った時に買ったのが、この、サバと書店について書かれた本。

34-684.jpg

全部は読めておりませんが、今回このブログ書きで拾い読みし、
サバの書店にその人生を捧げたカルロ・チェルネ氏・Carlo Cerne、
サバが「カルレット」と親しく呼んだマリオ氏の父親の事も少し知りました。

サバが鬱状態に落ち込んだり、ユダヤ人排斥運動のあおりを受け、パリやローマ、
フィレンツェ、ミラノで逃亡生活を送る間、書店主となり店を、サバを支え続けた
カルロ氏は、サバが亡くなった後書店の所有者に。
日本のどなたかが、書店についてか、サバについてかな、本を出される準備中と
お聞きしましたが、

無料の観光地の様に出入りする方用にも、店に日本語で書かれた物を
是非置いて欲しい、と余計な事も考えました。
そしてたとえイタリア語は読めずとも、日本の方には、薄い小冊子でも良いので、
店を訪れた記念の想い出としてでも、何か買って欲しいもの、
というのが、部外者shinkaiの思いです。



サン・ニコロ通りのすぐの突き当たり、交差するダンテ通りに、このサバ像が。

35-070.jpg



足元の碑には、「岩だらけの山と煌めく海に挟まれた美しい街を持っていた」
1944年、亡命中の望郷の想い。

36-072.jpg



ダンテ通りの突き当たりには、詩の通りに山が立ちはだかり、
夏はどこまでも明るく爽やかなトリエステの街。

37-073.jpg

須賀さんが訪れ描かれたトリエステには、いや、トリエステのみではなく
ヴェネツィアにもミラノにもですが、今のイタリアとは少し違う空気が漂い、
実際の姿よりも、心に沁み込む美しさで迫ります。
それは文学の、そして須賀さんの大きな魔法かも!

最後に、サバの詩「トリエステ」の一節を須賀さんの訳でどうぞ。
   トリエステには 乱暴な
   優しさがある   たとえば
   硬い実のようで  欲ふかい無骨な少年に
   似ている   眼が碧くて
   花束を捧げるには  大きすぎる
   手をした-------
   嫉妬まじりの
   愛にも似ている       
    
  
*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。

・ n.1 トリエステ ・ 陽光さんさん、 そして旨いお昼を

皆さま、お久し振りです! オリンピックもお盆も済み、
私めのお休みも済み、元気はつらつ、という事にして置きましょうねぇ、ははは、
ブログを再開させて頂きます。 またよろしくお願いいたします!

まずは、このお盆休みを利用してやってきた広島の若い友人と出かけた
トリエステ、イタリア最北東部に位置する国境の街、光溢れ解放感溢れる
この街を、のんびり、そしてしっかり歩きまわった様子をご覧頂きたいと思います。

今回は休み明けでもありますし、街と港の雰囲気、そして美味しいお昼を
頂いた店のご案内をまずどうぞ!

トップはトリエステに向かう電車の窓から海が見えてきた辺り。
潮目が見え、手前ではムール貝養殖の杭も見え、

1-962.jpg



もっとトリエステに近づくと、こんな風に湾の外に停泊する大型タンカーが見え始め、
見えにくいですが、奥に広がるのがトリエステの街。
そうなのです、トリエステに行く時はいつも海が見え始めると、
気持ちが、期待が高まります。

2-965.jpg



駅構内。 これは駅の案内所の中から撮った物。

3-969.jpg

トリエステの駅構内は、この部分はともかく、だだっ広かった内部が改装され、
ホームからここに至る部分がたくさんの店に分割され、スーパーもバールも
開店していますが、まだ空いたままの店もたくさん。

インフォには我らの前に2人先客がいたのですが、なんとまぁ、列車の時間比較、
割引比較に粘りに粘り、2人が済んで街の地図を貰うまでに優に30分!

トリエステご訪問をお考えの皆さま、駅構内のインフォメーションは、
トゥレーニターリア・Trenitaliaの案内が主業務で、街の情報は不案内なので、
地図以外の他の情報は、街の中心にあるウニタ・ディターリア広場・
Piazza dell'Unita d'Italiaのインフォでどうぞ!!



駅を出た所にある観光案内板。
はい、全て矢印が東、あっち、あっちに行け、と出ておりまして、

4-1-970.jpg



駅のインフォで貰った地図でご案内を。
1. 駅  駅前にはリベルタ広場・Piazza Liberta

4-2-683.jpg

2. モーロ・アウダ―チャ・突堤アウダ―チャ
3. ウニタ・ディターリア広場
6. カフェ・トマゼーオ・Caffè Tommaseo
7. ウンベルト・サバの書店・Libreria Antiquaria Umberto Saba
4. サン・ジュスト聖堂・Cattedrale di S.Giusto
5. サン・ジュストの城・Castello di S.Giusto

トリエステの見所としては他に、駅近くのオーベルダン広場・Piazza Oberdan
からケーブル電車で街を一望に見下ろせるオピチ―ナ・Opiciinaへ、
ここには巨大な洞窟・Grotta Giganteがあり、
駅から西に行くとミラマーレの城・Castello di Miramare、

駅前、オーベルダン広場、ゴルドーニ広場・Piazza Gordoni等を通る
バス10番が、リジエーラ・ディ・サン・サッバ・Lisiera di San Sabba、
イタリアに唯一在ったナチの絶滅収容所に、

バス20番が、トリエステ湾の向かい側小さな漁港、海水浴場のある
ムッジャ・Muggiaに行きます。

ムッジャには、魚を食べるには本当に美味しくて安い組合経営のレストラン、
小さな安いホテルも幾つもありますし、バスで30分程。
港の水族館脇から出る水中翼船だと15分ほどですので、お時間のある方、
ゆっくり泊まり美味しい魚を、の方にお勧めです。
フランスはブルゴーニュにお住まいのotiumさんがムッジャの美味しい
レストランを紹介して下さり、shinkaiも行き、旨さ保証!
小さな港の、突き出した突堤にあります。       

トリエステ ・ ミラマーレ Miramare
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460993347.html

ムッジャ ・Muggia ・ トリエステ湾の、小さな港町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/469254561.html

イタリア唯一の絶滅収容所 ・ リジエーラ・ディ・サン・サッバ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461762321.html

トリエステとその周辺のご案内
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834526.html



重厚な駅の眺め。

5-971.jpg



駅前のリベルタ広場にあるオーストリア最後の皇帝妃、愛称シシー、
素晴らしい美貌でフランツ・ヨーゼフ皇帝をイチコロにしたエリザべッタの像。

6-238.jpg



ここは広場というよりも公園の感じで大きな木が茂っているのですが、
こんな風にカモメが何羽も鳩に混じって餌の確保を。

7-242.jpg



こうして駅を後にし、右手の道を辿ると、

8-972.jpg

    

じきに港、海が見えてきます! 素晴らしく陽が煌めく朝で、爽やかな風、

9-973.jpg



傍らの海を覗きこむと、こんな小魚がいっぱい!

10-975.jpg
       
朝食を家で軽く済ませ出かけ、到着後にもう一度朝食をしたにもかかわらず、
こういうのを見ると、網でざっとすくって、ジュッと空揚げにしたら・・!
と言いあう我ら!! ははは。



突堤アウダ―チャで港の空気を吸い爽やかな風に吹かれ、開放感を味わいつ、

ここはサン・ニコロ通り・Via San Nicolò.  横切る通りは車が通るのですが、
この道は歩行者専用で幾つもカフェが道に張り出し、素敵な通りなのですね。

11-069.jpg

この写真の右側に、地図7番のウンベルト・サバの書店があり、
2か月前にもお客様と一度来たのですが、今回の友人も須賀敦子さんのファンで
やって来た次第で、書店の様子はまたご案内いたしますね。



通りで、どこでお昼をしようかと話していると老ご夫婦から英語が話せるかと
話しかけられ、向こうが何か聞きたいのかと思いましたら、
逆にどこに行きたいのか、とご親切に。

シニョーラの方は20年ほどクルーズ船に勤務していたそうで、地中海内は
あちこち行ったけど、日本には行ったことが無い、いつか行けると良いなぁ、と。
良いですねぇ! 
トリエステはイタリアで一番年金生活者層が多いのですが、
それでもこの気分の若さ、明るさ! お手本ですねぇ。

魚が食べたい、と言いましたら、ではこの道を真っ直ぐ海に向かい、サン・ニコロ教会の
横のカフェ・トマゼーオに行きなさい。 カフェという名でもちゃんと食事ができ、美味しく、
外でも食べられるし、リストも値段がちゃんと出ているから、と教えて貰い、

では、と感謝の握手をして別れ、やって来たのがこの店、年季の入ったメニュー。

12-076.jpg

13-075.jpg

実は駅前に夏のシーズン用か、テントの案内所が出ていて、そこで再度地図を
貰いつつ、有名なカフェ・サン・マルコの位置を訊ねましたら、今は夏で閉っている、
と、カフェ・トマゼーオはここ、と印をつけてくれたのですね。
という事で、名前が重なリ、ここにしようと決めたのでした。



外のテラスはこんな感じで、写真では他のお客が見えませんが、徐々に詰まり。

14-078.jpg



サン・ニコロ通りと駅から来る海岸大通りの角に接し、西横にサン・ニコロ教会。

15-091.jpg



まずは生ビールが来て、・・ああ、美味しいねぇ!!

16-081.jpg

左に見える容器にパンが入っており、フィノッキオ・ウイキョウの種入りパンもあり、
プンと香りのする、ビールにぴったりのパンでしたぁ。

生ビールはビッラ・アッラ・スピーナ・Birra alla spinaと言い 大概の店にあり、
ビオンダ・ブロンドか、モ―ラ・黒髪か、と聞かれます。

ビッラ・ビールが女性名詞なので、ブロンド女か黒髪女かという事になり、
好みの女性を聞かれているのではありませんので、
男性方、慌てしゃんすなよ、ははは。
お味は、ブロンドが軽め、モ―ラは濃い目です、色の通りね。



さて、まずは海の幸のアンティパスト。 右下手前が、蛸のマリネ、メルルーサの
ヴィチェンツァ風パテにカリッと焼いた薄いパン、海老のマリネ、鰯のサオール・
イワシの唐揚げと玉ねぎ炒めのマリネ。

17-082.jpg



半分づつ取り分け、自分のお皿に盛り、ルーコラと一緒に頂きます、旨かった!
      
18-083.jpg



お次は、shinkaiが魚のスープ、

19-085.jpg



友人は貝類と海老のスパゲッティ・スパゲッティ・アッロ・スコーリオ・Spagetti
allo scoglio.

20-086.jpg

ボンゴレ・アサリだけのスパゲッティも美味しいですが、こちらはムール貝も海老も
入る豪華版で、お値段も少し張りますが、美味しさは各段で、まだの方は
次回のチャンスには是非どうぞ!



食べている間に、横を小さなブーケを持った白いドレスの女性と数人が行き、
あ、結婚式だ、と思っていたのが、
我々が食べ終わった頃、無事市役所での式が終わったか、再び通り、アッ、と
思ってカメラを手にしたものの、あああ、美しいブロンドの花嫁の横顔が隠れ・・、

21-088.jpg



こんな友人同士の挨拶のキス場面がね。
男性はイマイチですが、ははは、失礼、女性が美しいので、良しとしてやって下さぁい。

22-089.jpg



で、最後をカフェで〆まして、トリエステに本社のあるイッリ・illyの
カフェ・マッキアートと横に生クリームが付いて来ました。

23-093.jpg

ウィンナ・コーヒーの面影がこんな所に顔を出し、さすがオーストリア治下にあった
土地柄ですねぇ、奥に小さく丸く見えるのは、チョコレット・クッキー。
ええと、これで全部で56エウロ足らずだったと。



こちらが店の正面で、奥に見えるのがサン・ニコロ教会、
海岸通りですから、すぐ分かります。

24-095.jpg

店内も素晴らしく、写真を撮りませんでしたので、サイトの方でどうぞ。
メニューもあります。 https://www.caffetommaseo.it/


この後港を一望に出来る高台のお城とサン・ジュスト教会に行き見物、
駅とを結ぶバスに乗って戻り、

駅の掲示板に、国境駅に相応しく、というにはまだ夕方なので1便だけですが、
ドュッセルドルフ行きの文字が見えたので、

26-246.jpg

時間が少し早いのですが、コネリアーノまで2時間少々掛かり、この夕には再度
我が友人達との会食があり、早めに戻ったという訳でした。

トリエステのお城や聖堂、サバ書店については、ご案内をお楽しみに!


*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!

*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
スポンサーリンク