・ ベリー・ダンス ・ オリエントの香り

今日ご覧頂くのは、参加している我が町の成人教室の、
オリエンタル・ダンス・コースの講師が、この5月の終了展示、公演会で
見せて下さった踊りの写真で、

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はい、こちらの学校などは秋に始まり夏休み前に終わりますので、
我らも5月に年度のコース終了で、10月より今季の講習は既に始まって
という訳ですが、

劇の公演とこのオリエンタル・ダンスの写真を写真の勉強も兼ね撮ったのですが、
数人に見て貰ったのみでそのままだったのを、イスタンブルに行く前に思い出し!
1枚だけご覧頂きました。

で、その後先生に快く了解を頂きましたので、ここにご覧頂きますね。
背景が黒1色で音楽もないのが少し寂しいですが、
まぁ、その分想像をたくましくして、ご覧下さいね。

上は、オリエンタル・ダンス・コースの参加者と一緒に踊られた時の物で、
周囲にたくさん他の女性も写っているのを削り・・、失礼を、



ここからは衣装も変えられ、先生一人の踊りに。
お名前はシルヴィア・ラーヤ・ルッフィン・Silvia Raja Ruffin と仰り、
モロッコとのハーフとお聞きしています。

コネリアーノだけでなく、トゥレヴィーゾでも教えられているそうで、参加している
ルイーザの話では、コネリアーノ教室の生徒達も近くトゥレヴィーゾ・デヴューと!

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写真を見て頂くのに、オリエンタル・ダンス、またはベリー・ダンスについて
何も知らないのでは、とルイーザに、
先生は踊る時に何に一番気を付ける様に言われる? 基本はどこに?
と訊ねましたら、
足を地につけ、指先から、頭から足の先まで、どこもかしこも自由に動くように、
という事だそう。

なので、背筋も伸び、腹筋にも、整体にも大変良いのだそうで、
まぁ、皆さん仰るようにダンス自体がそうですよね、
背中に弱みがあるルイーザも通い始めたのだそうで、
ええ、つまり、我ら俗人が考えるように、
お腹をくるくる回す事が一番、では無いのですねぇ! ははは。

難しい事をお尻に、もとえ、お知りになりたい方は、
ウィキペディアで「ベリー・ダンス」をご検索願います。

音楽と実際の踊りを見たい方はYoutubeのこちらを
https://www.youtube.com/watch?v=sy3DEnGLwzw       
https://www.youtube.com/watch?v=0VwqwbEbAzM
       
エジプト見たまま ・ エジプトの夜 その2
       


シルヴィアの踊りにも熱が入った後半の写真は、

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拍手にこたえる笑顔を、最後に。

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コメントを頂けましたら、お伝えいたしますので、
ご遠慮なく、よろしくお願いいたしま~す!


◆*◆
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この土曜にヴェネツィアに出かけ1泊、日曜のお昼に戻るため、
ヴェネツィア・サンタ・ルチーア駅に。
      
土曜の夜から24時間、つまり日曜の夜9時までストライキとは知ってましたが、
組合の個人ストとの事で、まぁ、間引き運転でなんとかなるだろうと考えてたのが、
なんとまぁ、ああた、
11時半に駅に到着の後3時まで、次々と変更になる時刻表を睨みつつ、
待ちくたびれて、とはいえ、どうしようもなく・・。
       
案内所の返事は、今日のストはまったく予想がつかめないので、
掲示を見て待ってもらうしかないとの事で、仕方なく待ったのですが、

トリエステ方面から到着予定が1本も届かず、全部キャンセルなので、
これは夜のスト明けになると考え、
遂にバス3本を乗り継ぎ、家に戻りました。

はい、夜の7時半に家に到着、つまり8時間掛かった訳で・・!
トゥレヴィーゾからのほぼ満員のバスは、5人程がこのストの為に乗った客で、
切符売り場が閉っていて切符が買えず、バスの運転手がまぁ良いよ、
とタダで乗せてくれたので、漸くに家に戻る事が出来た、という有様でした!

腹の立った掲示板表示なのですが、
5分遅れ、10分遅れ、15分遅れ、と順に出て、そのうちにスパッと消え・・!!
まったく、このKUSO野郎めぇ!と思いましたです。

次回の国鉄のイタ・ストには、十分気を付けないと、と
今更ながらに、ははは、思い至ったというお話でしたぁ。

       
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・ ガラタ橋は、釣り人天国 ・ イスタンブル 

先回「イスタンブルの旨い物」の最後に登場したガラタ橋・Galata、
イスタンブルの街でたくさんの興味深い物を見たうちでも、
純粋に好奇心に満ちて楽しく見たもの、
それはガラタ橋に群がるたくさんの釣り人!

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ちょうど4日間続くという国の祭日に当たり、夜出かけた時も、
多くの釣り人で橋の欄干は埋まっていたのですが、

お天気に恵まれた午前中に、橋を渡りガラタの塔に行く時に見たのは、
呆れる程の大勢の釣り人で、おまけに驚いた事に、
それぞれがかなりの釣果!!

今日はそんなガラタ橋の眺めや、新しく知った橋の逸話なども
取り雑ぜてのご案内です、ごゆっくりどうぞ!

上の写真は、2層のガラタ橋と、高所に見えるガラタの塔。


最初のボスフォロ・クルーズの日に、船をボスフォロ橋の脇で降り、
バスに乗り換えて橋を渡り、旧市街に戻るのにその時初めて
ガラタ橋を渡りました。

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これはその時ので、橋上は大変広く幅が42m、長さは484mと。
手前に見えるのはトラム・市電の線路で、
その横が3車線の車道ですが、1車線は駐車場代わりで・・。

この日は祭日の初日にあたり、家族で過ごすのが常だそうで、
はい、ご覧の様にまだ釣り人もまばらでしたね。



地図をどうぞ。
下側に突き出している部分が街の旧市街で、大きく囲った場所が
トプカピ宮殿や、アヤ・ソフィア博物館、ブルー・モスクのある場所、
中に入り込む天然の港が金角湾と呼ばれる物で、何本か橋が架かり、
一番東のボスフォロ海峡側にかかるのが、ガラタ橋・Galata.

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橋の対岸のちょっと突き出した辺り、ガラタと呼び慣わされるこの地の
高台に、14世紀にジェノヴァ人の造ったガラタの塔があります。

なぜジェノヴァ人がと言いますと、この辺りは旧名ぺ―ラ・Pera と呼ばれ、
1273年から1453年まで、つまり コスタンティノープルが
オスマン・トルコに征服される迄、ジェノヴァ共和国の植民地だったのです。

ぺ―ラと言うとイタリア語では梨の事ですが、
ここの名はギリシャ語のイチジク(畑)に由来するそう。

下側南がマルマラ海で、旧市街をかすめて右側をくの字に流れるのが
ボスフォロ海峡で、右上に見えるのがボスフォロ橋で、このずっと奥に黒海が。

イスタンブル 予告編
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461092343.html      

で、いつこのガラタ橋が架かったのかと思いましたら、
なんと1845年に木製の浮き橋が架けられたのが最初!
当初は、橋の通行料を取っていた様ですが、
それ以前は渡し船だったというので、まぁ、同じ様な物かな?

で、強固な鉄橋が架かったのが1922年の事で、
この橋は現在と同じように2層で、レストランやバールがあったようですが、
1992年に火事で大きな損傷を受け、現在の橋に架け替えられたと。

毎日何千人もの人々が頻繁に往来する重要な橋が、
最初に架かったのが19世紀という遅さに驚きましたが、
湾の奥には船のドックもあるというので、その出入りの問題もからかも。



所で、実は1502年、レオナルド・ダ・ヴィンチ50歳の時に
橋の設計図を描き、時のスルタンに売り込んでおり、こちらです。


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それによると、長さは360m 幅24m、水面からの高さが40m、
唯一のアーチ、この言葉で正しいのかどうか疑問ですが、
を持つ物で、その端が図のように4つに分かれているという物。

近年になって当時のスルタン、バヤズィット2世・Bayezid II、
このスルタンはコスタンティノープル、東ローマ帝国を征服した
マフメット2世の子で次代の皇帝にあたりますが、

その記録庫から発見された、この設計の売り込みにつけられた
レオナルド自身の手紙によると、
彼はこの設計に絶対の自信を持ち、
巨大な橋の実現に、自分の首を賭けても良い、とまで書いているそう!
       
スルタンは、唯一のアーチでこの長さを支えるのは不可能と考え、
レオナルドの提案は実現せず、
彼の首も繋がったままになった訳ですが・・!

はい、マフメット2世スルタンの招きで行ったヴェネツィアの画家
ジェンティーレ・ベッリーニが素晴らしいマフメット2世の肖像画を
残しておりますが、
      
彼の滞在中にスルタンが、彼の斬首の絵に疑問を呈したそう。
つまり斬られた首の状態は、彼の絵の様ではない、とね。
で、実際に獄から罪人を引き出して来て、斬首して見せたそう!

という様な逸話もあります偉大な力を持つスルタンですから、
レオナルド様は、もし橋の架橋がOkとなっていたとしたら、
・・ひょっとして、という事が大いにあり得たかも!



そして時を経ての20世紀後半に再研究され、
彼のプランに似た橋が現実となります。
つまりレオナルドの設計は理論的には可能ながら、
彼の他の様々な発明提案スケッチ同様
もっと複雑な計算、材質問題、動力源が必要であるという事で、

ノルウェーの設計家が、改めてレオナルドの橋の研究に着手、
一つのアーチ、4点の支えで、
2002年にオスロに架けられた橋というのがこれです。

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材質は、薄板鋼板を貼った木製、とでも?(legno laminato)
長さは、レオナルドの設計よりも少し短いそう。
      

先日我が町で、レオナルド・ダ・ヴィンチの機械類、という展示会があり、
彼が残しているたくさんの発明のスケッチを、長年にわたって研究し、
小さいけれども実際に動く模型、を作られた方がおられ、その展示で、

あれこれお馴染のスケッチが形を取って動くのを見るのは楽しく、
実現されて使われた物の模型なども興味深く眺め、
写真もあれこれ撮らせて貰ったので、またご覧頂こうと思っていますが、
ちょうどそんな事と重なり、ガラタ橋のレオナルドの提案売り込み、
を知り驚き、なお興味深かったですが、

レオナルドはご存知のように、各地の実力首領者の様々な要求に
応えつつ、絵画から催事の余興、治水工事、はたまた戦時の機械類まで、
そしてそのまた一方で、自分の発明をも売り込んでいた訳ですね。

それが、コスタンティノープルまでも範囲内かと思うと、まぁジェノヴァも
ヴェネツィアも交易していた土地ながら、
現在のグローバル活動さながらに、かの地の話を聞きながら
むらむらと頭脳が刺激されたに違いなく、

これは行けそう!と抜け目なくスルタンに売り込みをする
万能の天才の、抜け目ない商才も窺われ、少々可笑しく・・!

レオナルド・ダ・ヴィンチの発明した物、考案したもの
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461685811.html

「アンギアーリの戦い」始末記と、その周辺もろもろ

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家と、その周辺
レオナルド・ダ・ヴィンチの母親について



という所で、ガラタ橋の夜の食べ物屋台やレストランの様子は既に
ご覧頂きましたので、今日は
折からの上天気の祭日に集まる、ガラタ橋の釣り人天国の様子を。
この人々の数と釣り竿の並びを、まずどうぞ! 

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橋に近づいた所で、余りの釣り人の多さに驚き、足元に置かれた
バケツや瓶の中の小魚の多さにも驚き写していると、

ほらほら、と竿の手ごたえを確かめてから手渡され、リールを巻け巻けと。
と、なんと、小魚が2尾上がって来ましてね、
俗に言う、「入れ食い」というやつ! ははは。
ほら、これには5つも引っ掛かっているでしょう?!

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釣りに出かけ、坊主の泣きを見ておられる方々、
一度ガラタにお出かけを。ここでは決して坊主にはなりませんです!!


夜渡った時は、暗いので様子が分からなかったのですが、
陽の光の下で見ると、餌として色々様々、海老やミミズや虫かな、
小魚も売っていますね、浮きもあるし・・、

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この竿支えもいっぱい売っていて、前夜の暗がりでは意味が良く
分からなかったのですが、そうか、こうやって使うのか、と。 

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が、良く見ると、これは手作り品を売っているのですよね、
しっかりしています!



では、釣果をお見せいたしますぞ!
しょっちゅう坊主で泣いている方、
悔しさの余り引き付けを起こされませぬようにね!!

最初はこれ、
私めにリールを巻けと渡してくれた人達のいた、橋の脇側。

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何が釣れるのかと覗きに行ったら、ちゃんと見せてくれ、
ほら、小鯵ではないですか?!

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ガラタ橋の端の方は小魚が主で、真ん中に近い方が、大きい感じ!
それにしても、このバケツ一杯の小鯵!! 旨そうだぁ!!

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この写真、如何でしょうかぁ?!
巨大なモスクを背景に、釣りに励む人々。

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とにかく、隙間ない人の並びで、欄干に近寄って、向こうの海の眺めを
写したいと思っても、びっしり隙間なく、
夜一度近寄って足に釣り糸を引っ掛けまして、はい、
切らずに済んで良かったですが、その位に密なのですね。




椅子に座っている人々の椅子なのですけど、
木の椅子は勿論、奥に見える薄いベージュ色の穴のある椅子ね、
あれも半分に折り畳める椅子なのを、しっかり見ましたです。
多分、長時間粘るのでしょうねぇ、趣味と大実益かも!

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漸くに写す、 ボスフォロの海、ボスフォロの橋。

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こちらは橋の北詰め、つまりガラタ地区に近い方からの眺めですが、
こちらもやはり、釣り人がびっしり!

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殆どが、つまり99,9%まで男性諸子ですけど、
中に何人かの女性も見かけましたよ。



ほら、如何、この人々と竿の並び!

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そして、垂れる釣り糸!
下を歩く人々が釣られないのが不思議な程でしょ? ははは。

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橋の終わりから振り返った眺め。 真ん中を今、トラムも渡っています。
写真左端に見える道路標識は、「跳ね橋」注意です。
ちょうどの時間に居合わさず、これは見れずに・・。

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ガラタの塔。

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夜景を何枚かどうぞ。

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ガラタ橋から見るボスフォロの橋、日本企業が架けた橋ですが、
いつもこんなブルーに見えているので、
これが常の色かと思っていたのですがぁ・・、

あ、真ん中を横切るのは釣り糸です、左にも1本ね、
これは夜、下の層のレストランに食べに行った時の写真でして、



そしてほら、こんな色になって、右側の欠けた部分が残念ですねぇ!

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可愛いピンク色にもなり、

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写真は撮りませんでしたが、
アウトラインだけが点いたり、つまり長~いM字になったり、
真ん中から端に向かってツツツツと移動して点いたり、
逆に点いたりで、色々なテクを見る事が出来たのを、

魚を喰いに行かなかった2人にしっかり話をね、勿論!
どういう時間に変化があるのか、見れて幸いでした。



ガラタ橋の南詰にある巨大なイェニ・モスク。
釣り人の背後に聳えていたあのモスクですが、港に近く、
おまけに基礎が高いとの事で、街に入って来ると、
最初に目につくモスクである事は間違いなく、

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少し小高い場所にある、スレイマニエ・モスクと、
こちらも素晴らしく巨大なモスクで、内部はすっきりした装飾。

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左下はルステム・パシャ・モスクという名で良いのかな、
小さなモスクながら、内部の植物柄の多い装飾タイルが素晴らしく、
また纏めて内部をご覧頂きたいと思っています。



最後は、ガラタ橋の北詰め、逆光の中の釣り人をどうぞ!

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あれだけの釣り人に、あんなにもの釣果!!
この大都会にして、こんな自然の豊かさもさることながら、
如何にも庶民的な感じのする街の楽しさ、愉快さ!
・・なんとなしに大阪を思いました、です。


今回マフメット2世の名が出た事で、街の歴史を思い出し、
再度塩野七生さんの「コスタンティノープルの陥落」を読んでいます。

この街のトルコへの陥落の決め手となった、船を山越えさせ、
封鎖された金角湾内に引き落とした様子など、
ヴェネツィア共和国がそれ以前にガルダ湖で試みている事で、
まるで関連のない異国の歴史とはまた違う思いがし、
まだ読まれていない方に、是非、とお勧めです。


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・ n.2 メルの、 リンゴ祭り と 手仕事展

昨日に引き続き、ヴェネト平野の北の端、ドロミーティーの麓に繋がる
小さな町メル・Melの10月恒例のお祭り、
リンゴ祭りと昔ながらの手仕事展の様子を続けてどうぞ!

昨日最後に見て頂いた、老夫婦の中睦まじい素朴な人形の横の石段を
下ると緑の中庭が広がり、ここに様々な手作業が繰り広げられていました。

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くぐって来た建物の下の通路の壁には、かって使われていたらしい
照明器具の片割れ?や、何かの鎖が下がっていたのですが、
壁のごつい素材感と相まって素敵なオブジェ風に。

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中庭の展示は、まずリンゴを使った各種おやつ。 焼きリンゴにチョコレートや 
蜂蜜をかけたもの、そして各種リンゴのトルタ類、一皿1,5エウロ。

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このパン、本当に美味しそうでしょう?! いい色艶に焼きあがっています。

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そしてこの暖かそうな室内履き!

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色も可愛いのですが、柄の入り方がとても良いでしょう? この種の室内履きは
以前も他の手仕事展で見た事がありますが、こういう柄の入り方は初めて。

ここでのお値段は見ませんでしたが、以前見たのは室内履きが70エウロ程で、
・・う~ん、ちょっと手が出ませんでした。



中庭の真ん中に屋根付きの立派な井戸があり、そう、この辺りの積雪は
かなりでしょうからね、その前には毛糸鉤針編のお元気なシニョーラ達。

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この町には、様々な手仕事のグループがある様子で、参加呼びかけの
ポスターもありましたから、冬にはきっと、皆が暖かい部屋でお喋りしながら
手を動かすのでしょうね。



こちらのシニョーレは椅子の座作りで、

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こんな風に交互に細縄をかけ交差させ編んで行きますが、この手の椅子は
こちらでは良く見かけるタイプで、

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どこから来た?という例の質問の後名刺をくれましたが、このシニョーレは
この仕事のプロでした。



納屋の奥では、シニョーラ達が仕事の手順を見せていて、
右のシニョーラは羊毛から糸を紡いでいますが、

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こちらが縮絨と言うのか、フェルト作りの様子を。

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羊の毛を刈って梳いたのを、だったと思いますが、薄く延ばし縦横に交互に重ね、
石鹸を溶かしたお湯をかけてフェルトにするのだそう。



こういった室内履きのフェルトの厚みは1cm程もあり、帽子にするには
もっと薄いものですね。

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色柄はどうするのかと訊ねましたら、途中で乗せるとの事でしたが、
型はどうするのでしょうね、何かに被せて形を作るのでしょうね。

日本のサイトで手作りフェルトを検索しましたら、石鹸とお湯で作るフェルトでなく、
それ用の特殊な針をチクチク刺して作るタイプで、可愛い小物類や作り方の
説明もたくさんあり、日本には何でもあるなぁ!と改めて感心した次第。

上の2人のシニョーラの写真の背後にキルトが写っていますが、
これも実演を見せており、布を張る古い立ち枠でキルティングをしてましたが、
糸は2本取りで、間には、このフェルト同様に羊毛を挟んでおり、
これなら北国の冬も暖かい事だろうと思った事でした。
       
表布には花柄の布を使っていたせいか、キルティングのラインそのものは素朴で、
如何にも実用向け、という感じでした。

チゾン村、夏のサーグラ ・ 手作り職人市
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463847355.html



チーズ製品も勿論かなり店が出ておりましたが、賑やかな店を撮り損ない、
ここは少し品数の少ない屋台ですが、山小屋での自家製のチーズかもですね。

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こちらの右に見える茶色い小さな塊のチーズ、これはリコッタ・チーズの燻製で、
元のままのリコッタはお豆腐みたいなサッパリ味なのが、燻製にするとコクが出て、
パスタにかけても美味しいです。

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中心広場の脇からの道を入り込むとこの中庭で、脇の建物も正面も何やら
曰くありそうですが、グーグルで検索しても分からず、カメラも入り込めず・・、

きっとここも普段は閉められているのでしょうが、屋台店が立ち並び、
野菜果物、土地の品の販売で大賑わい!

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これは店の横にあったポスターを写したのですが、
蜜蜂がこんなにアップになっているのは初めて見たので・・! 毛むくじゃら!!

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先日のルイーザの巴里写真にあった、野生の蜂用のチャーム・ホテルには
やや劣りますが・・、はは、

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ルイーザの巴里だより
      


せっせとお仕事中で、

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素晴らしいお仕事の成果も、ここに! 実際に見たのは、これも初めてでした。

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ここにもリンゴ満載の荷車があり、

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粉の各種。

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ルイーザはポレンタの粉をあれこれ買い込みましたが、トウモロコシ(ポレンタ用)
は勿論、栗の粉などもあります。

ポレンタの作りたては本当に美味しいのですが、ただお水を入れて火にかけ、
かき混ぜるだけとはいうものの、時間と腕力勝負の、かなりきつい仕事と。
shinkai、ポレンタは好き? と聞いてくれたので、しっかり、シー!と
答えておきましたが、 ・・食べるのには呼んでくれるだろうか?!



この細長い小さめのジャガイモ、コルネッタ・小さい角という種類も初めて。

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内庭の片側にレナートがバルケッサ・Barchessaと呼んだ棟があり、
こんな風にリンゴをはじめとする果物や野菜、豆類、蜂蜜、粉類、
とにかく農作物に関連するもの各種販売中。

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バルケッサというのは、もともとヴェネツィア貴族が船遊びの船・バルコを収納した
呼び名に由来するそうですが、
主人たちの居住区から延びる翼の部分、または南側に建てられた
農機具の格納とか農産物の収納、はたまた厩舎等に使用された棟の事だそう。

ヴェネツィア貴族の別荘に見える、列柱半円アーチのロッジャの部分ですね。
きっとこのお屋敷も名のある由緒深いものなのでしょう。

ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼール
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456543.html



こちらは栗ですが、フェルトゥレの栗と書いてあります。
そう言えば、あの辺りの栗は粒が大きかったと。

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栗祭りの村 ・ コンバイ ・ 山村の秋
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461745104.html



次の約束のあるズメッレのお城に行く時間が迫り、急いで道を戻りますが、
あ、生ビールだ! と横目でにらみつつ・・。

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お昼にはまだ少し早い時間でしたが、手ぐすね引いてお客を待ちかまえ、
という印象ですねぇ、ははは。

VINO CALDO・熱いワインというのも見えますね。
香料を入れた熱い冬用の赤ワインも、もうすぐ出番。

ひとり、心にしみる夜は ・ 熱いワインと、DVD!
       


坂道を下って来ると、この辺りは見晴らしが良く太陽がさんさん。
この道脇では、ワイン瓶を中に、既に始まっておりました。

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向かいの谷の斜面を見るのに、まぶしい程の太陽で。

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山の上の電波塔は、我が家の方からはちょうどあの山の向こう、反対側からの
眺めになる位置なのですね。

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で、この山がちょうど屏風代わりで、冬の降雪も温度低下も防いでくれている様子。

スコミーゴ村周辺 ・ 冬だより 第1弾
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465337804.html



最後はこの眺めを。 メルの町の防衛の要でもあったズメッレの城からの眺めで、
町よりかなり高く、少し離れているのですが、この一帯に連なる北の山々の眺め。

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2回に渡ってのリンゴ祭りと手仕事展の様子、そして秋の煌めく陽射し、
お楽しみ頂けましたように! お疲れ様でしたぁ。

    
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・ オリエント・エキスプレス発着駅 ・ イスタンブル

鉄道がお好きな方、アガサ・クリスティのファンの方、映画キチの方、
今日はオリエント・エキスプレスの東の発着駅、
イスタンブル駅のご案内です。

トップの写真は、駅前通りからのボスフォロ海峡の眺めで、
この通りの右側に駅があります。

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地図をどうぞ。
太線で囲った所が駅の位置で、

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右の上から順に、トプカピ宮殿、サンタ・ソフィア聖堂、ブルー・モスク。



こちらが現在の駅の正面、上の写真の通りに面した広場の奥にあり、
左上にちょっと飛び出して見える屋根がかっての正面で、後ほど。

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切符売り場や案内所がL字型にあり、こちらは脇の小さい方、
ほらね、普通の駅と変わりないでしょ。

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上の駅舎を突き抜けるとこんな感じで、
右手側は電車が到着し、人々が降りてくるのも見えましたが、
で、左手の由緒ありげな方はひっそり。

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左手の一番手前側、美しくどっしりとしていて、
扉が開いていたので入って見ましたら、暖房が入っていて、
2,3人の男性が寝場所にしていた様子。

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このステンド・グラスの扉と窓を写し、退参しましたが、
これだけで、かっての時代の香りが漂って来ますよね。



1番線、ここがオリエント・エキスプレスの発着場だったのだと、
通りがかりの小父さんが教えてくれ、
そう言えば、隣との間に垣根の網があるなぁ、と。
ええ、向こうの電車は到着して、人々が降りて行くのが見えました。

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それにしても、この1000万を超す人口を抱える街の駅にしては
本当に規模も小さく、閑散としています。
イスタンブルの街には、勿論駅が他にもあるようですけど、

我が日本の東京駅、大阪駅等など、ちょっと考えただけでも、ね。
上の地図でもご覧の様に、鉄道の線がほんの2本ほどしか見えず、
このトルコの国の人々は余り移動しないのかな?



とまぁ、それはさて置き・・、オリエント・エキスプレス、でございます。
このなんとも素敵な響きは、かっての良き時代の優雅な上流階級の
人びとと、当時の寝台車による旅行の香りを一挙に運んで来ますねぇ。
当時のポスターの絵葉書を何枚か買って戻りましたので、どうぞ。

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お気が付かれました?
ロンドン、パリ、コスタンティノープル、
パリ、ミュンヘン、ウィーン、ブダペスト、ベルグラード、コスタンティノープル、
はい、イスタンブルではないのですね。

そうだった、いつ名前が変わったのだろう?とちょっと調べました。
今回は、はい、オリエント・エキスプレスについては、
日本語版ウィキペディアが大変詳細に! 有難うございます。

オリエント・エキスプレスは1883年に運行が開始されたそうで、
第1次、2次世界大戦の停止時期も挟み、
出発経由地も様々に変更されつつ、
運行会社もあれこれ変更があったりしながらも、
西ヨーロッパからアジアの西の端を結ぶ豪華客室食堂列車として、
6日間かけての行程を、当時は一部船舶運行でしたが毎日運行。
       
街がイスタンブルと正式に変わったのは1930年のトルコ革命後、
という事で、コスタンティノープルとあるのも問題はない様ですが、
・・いや確かに「イスタンブル」という名はエキゾティズム満点ながら、
「コスタンティノープル」の方が、歴史的に由緒ある気がしますよね、
なんぞと、かってにほざいておりまして・・。

でこの列車運行は飛行機に勝てず、遂に1977年に停止され、
それでもパリ・ウィーン間は2007年まで、それも2009年に停止。

逆に後に優雅な観光列車として各地で再運行が行われている様で、
実際つい先日ヴェネツィア・ローマ間を走ったとか。
私は一度ヴェネツィア・メストレの駅でオリエント・エキスプレスの
深いブルーの客車を見た事がありますが、1977年以前と言う事はなく、
1982年からのヴェニス・シンプロン・オリエント・エキスプレス
と呼ばれる物だったようです。

須賀敦子さんの作品に、父君が若き日に乗ったオリエント・エキスプレスの
コーヒー・カップを亡くなる前に欲しがっているのを知り、
彼女がミラノ駅で貰い受けたのは、この列車だったのでしょう。



さて、この1番線の横並びの駅舎にありましたこのレストラン、
その名もオリエント・エキスプレスで、1890年から、と。

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せっせと一人の男性が開店準備中でしたが、ドアも開いており、
何もとがめられることなく中の見物に。



こちらが正面入った部屋で、奥の扉の向こうは現在修復中で、
テーブルは全てセットされておりまして、

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こちらは右奥の部屋、
はぁい、正面にすぐ分かるあの方アガサ・クリスティと、
映画「オリエント急行殺人事件」の場面写真。

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アガサ・クリスティが映画の元となった作品を発表したのは
1934年で、映画は1974年制作。

30年代がオリエント・エキスプレスの最盛期だったそうで、
彼女自身もこれで旅行をして良く知っていた汽車旅と、
裕福な商人や旅行者、果ては王侯貴族や外交官たちのご愛用の
高級な雰囲気と、そして実際にあったリンドバークの幼児誘拐殺人とを
上手く組み合わせた内容だったと思います



トルコ語のポスターをどうぞ!

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映画館では見ておらずTVで見ただけですが、
出演者では、ローレン・バコール、リチャード・ウィドマークなどは
良く覚えておりますが、
ショーン・コネリー、イングリット・バーグマン等覚えておらず、
ショーン・コネリーは好きなのになぁ・・、
荒筋も良く覚えておりますが、謎解きが面白いのでここではパス。



奥の部屋にあったこの方の写真、
今回お札の肖像にもどこにも、至る所に見かけたこの方、
近代トルコの立役者、初代大統領のムスタファ・ケマル・アタトゥルク・
Mustafa Kemal Atatürk。

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イスタンブルの空港もこの方の名前で、
ムスタファが両親の付けた名前で、選ばれし者の意、
幼年兵学校時代、数学が得意な彼に先生がケマル・完全な、を付け、
トルコ近代化に大いに貢献した彼に大国民議会から送られた姓が
アタトゥルク・父なるトルコ人 なのだそう。

仲間が言うには口髭を生やしていたと言い、滞在中に見たのは、
髭なし、眉尻がくっと上を向いた素晴らしい目の持ち主で、
じゃあ、あれ誰?と言っていたのが、
最後空港の売店で写真を売っていて、店主にこれ誰?と訊ね、
髭ありもなしも彼と分かり、晩年は髭を剃っていた様子。

トルコの近代化、と書きましたが、脱イスラム化を推し進め、
イスラム教を国教としない事、アラビア文字を使わない、
太陽暦の採用等など。

現在ヨーロッパ連盟に加わる運動中ですが、
既にアラブ諸国とは30年代に一線を画していたのかと、納得。  
アタトゥルクの肖像あれこれは、こちらに。     
       
     
     
レストランのワゴンが可愛い、というか、ご愛嬌。

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そうそう、イスラムの国ですから飲酒は一応禁止、
ですが、レストランでもホテルでもビールもワインも飲めます。

国民全員がイスラム教徒ではないので、モスクに行くのも強制ではなく、
お祈りも、ミナレットからの呼びかけが聞こえますが、
道端でお祈りをしたりもなく、ラマダン(断食月)もあるものの、
イスラム教徒でない人々は彼らを尊重し、
彼らにとっては断つのが辛い煙草を遠慮するのだそう。

レストランのサイトはこちらに
メニューも言葉だけで写真がでませんが、もの好きなお方、はは、どうぞ。

余談ついでにもひとつ。
今頃飛行機内では、経費削減でヨーロッパ便、アメリカでもお水も出ず。
が、今回のターキッシュ・エァーでは嬉しい事に!!
2時間の旅でもきちんと食事が出て来まして、うふん、

しかもビーフかチキンか選べるという、飲み物も、ビールでもワインでも
欲しい物をリクエストでき、イェイ、
ビールがヨーロッパのよりも日本のに近いピリッとした味で、
ああ、美味しゅうございましたぁ!

これからお出かけの方、ガイドも言っておりましたが、
トルコはワイン産出国ではありませんで、めちゃ高い上に美味しくない
そうですから、ぜひビールを、ね。

そして、イタリアのコーヒーをご存知の舌には、
トルコ・コーヒーは、小さい声で、泥水並み、と仲間がね、ははは。
shinkaiはもっぱらチャイ・紅茶で、熱々のチャイに角砂糖を落とし、
美味しいだけでなく、ガラスのコップの透明の赤色が、本当に綺麗!
       
    

建物の端にあった鐘。
かっては、ご乗車お急ぎ願いま~す!と鳴らされたのでしょうが、
現在は、金色に塗られて引退の身。

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こちらは、駅舎のかっての正面入り口を入った部屋、
切符売り場でもあったでしょうし、待合室でもあったでしょうか。
この部屋は修復が済み、かってに見物できるようになっており、
天井の高い、当時を偲ばせる格調ある大きな部屋。

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まだまだ隣の並びは修復中で覆われており、
プンと、ニス塗りたての匂いが立ち込めておりました。



天井部分、

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脇の扉、飾り、

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ホーム側の扉、窓、

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正面入り口の扉と、窓のステンド・グラス。
扉の飾りは、アール・デコ調ですね。 こちらは閉じられており、

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再び新しい駅の出口から出て、ぐるっと角を回る所に、
この小さい機関車模型、と思うのですが、ありました。
本物にしては小さすぎるような・・。

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こちらが現在修復中の、かっての表玄関。
あと何年かしたら、新装なった全体の姿が見れる事でしょう。

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駅舎が後ろに見えますが、海側に進んだ所で見た線路の一部。
かっては駅から港側に、引き込み線が敷かれていたのかもですね。

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という所で、オリエント・エキスプレス、
コスタンティノープル駅のご案内はお終いですが、
       
最後におまけを。
駅のレストラン内にあった、懐かしいポスターで~す!

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・ n.2 バザールの魅力を ・ イスタンブル 

引き続き、イスタンブールのバザール探訪その2をご覧下さい。
地図は昨日の分にございます。

まずトップは続いての金製品から、冠とネックレス。
余りにも細工が繊細で、これ本当に金なの?!と
言いたくなる程ですねぇ。

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5本の指輪がそれぞれ繋がり、手の甲にまた飾り細工!
何やら手甲みたいですけど、脚絆タイプはある?! きゃは。



こちらはぐっと庶民的に、はは、ブレスレットですね、
同じタイプのネックレスもありましたよ。

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素晴らしく大きなルビーの一連の品々に、エレオノーラが
参考に、と値段を訊ねましたらすらすらと答えてくれましたが、
その手の金額は私の頭には残りませんが、ケタ違いの値で、はい。
それにしても、こういう店主の資産状態は、どんなのかと?!



通りの角で出会った絨毯を運んで行く小父さん。
同じ様な光景を、短い時間に2度ほど見かけましたから、
う~ん、やはり売れるのですねぇ!

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ヘルガと2人、うっとりと絹の絨毯の素晴らしいのに見惚れてましたら、
早速に店の売り手が寄って来て、中のを見せると店に入った途端、
こちらはさっさと逃げまして・・、ははは。



余り繊細ではありませんが、パイプの柄。
蝶に、オウムに・・。

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バザール内に7つあるという泉の1つ。
こういうのにも、ちゃんと飾りが施されていて・・。

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言い伝えによると、かってスルタンは普通人の姿に変装して、
お忍びでバザールを散歩したのだそう。
そうする事によって、民衆が何を好むのかを知る事が出来ると。
       


楽器店が集まっている一郭がありましたが、
どれがトルコ独特の楽器なのか、知りませんで、

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お客に店のお兄ちゃんがタタッっと叩いて見せた縦型のドラム、
緑色の革張りが素晴らしい音!
インドやアラブ系のドラムの音にはいつも心動くshinkaiは、
もっと聞かせてぇ~!とせがみたかった。



ポーチ類。 柄が繊細で、本当に面白く、

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象嵌細工の小箱類。
サンタ・ソフィーア聖堂で見たモザイク作品もそうですが、
まったくその細やかさには驚くばかり!
この職人技の奥深さに、まさに歴史の長さを思います。

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さてここからは、エジプシャン・バザールの脇の通りの店々で、
肝心の市は祭日で閉店でしたが、
2日目の夜にガラタ橋に行った時にこちらの店々は開いており、
あれこれと見物方々小物を買ったり味見をしたり。

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3日目の午前中にも通りましたので、昼の写真も幾枚かありまして、
こんな感じの店並びで、こちらの方が、まさに街の人々用マーケットの印象。

ですが言葉に関してはグラン・バザール同様皆さん達者で、
イタリアーネー!と店の奥からお声がかかり・・。
まったく良く見分けるものです!



布類、クッション・カバー、スカーフ、より取り見取り!
パッチワーク式のをかなり見かけましたが、
古い絨毯の良い部分を剥ぎ合わせて新しい品になったり、
バッグにしたりで、欲しいのが幾つもありましたがぁああ・・。

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ナッツ類、干しイチジク、干したヤシの実。 干しイチジクや
ダッテリ(ヤシの実)はむっちりと、冬のおやつに美味しいもの。

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クルミ、ピーナッツ、ピスタッキ、干し葡萄ecc ecc

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オリーヴ各種、

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チーズ各種。

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一見柔らかそうなリコッタ式の固まりがあり、
リコッタかな?とジュリアーナと見つめていましたら、
グイッと目の前に味見用の小さな塊が幅広い包丁の上に乗って、

ははは、見かけは柔らかそうでもがっしりと塩味の強い物で・・、
チーズ類はねぇ、イタリアの方が品種豊富で美味しいです!



スパイス各種、お茶各種。

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野菜料理でも、どこかピリッと辛みがありましたが、
こんな手前の辛み類各種が隠し味なのでしょうねぇ。
見かけだけだとまさに味噌なのですが、全部辛子調味料。

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こんな風に各種スパイスが山盛りなのですけど、
ガイドの説明では、トルコ料理は余りスパイスを使わないのだそう。

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う~ん、ヨーロッパの人間は、というよりも、
かってのヴェネツィアやジェノヴァの海運国は、
このスパイスを求める為に航海技術もしのぎを削り、
オリエントとの交易を優位にしようと競争したのでしたっけね。



店の途切れた端っこの小テーブルの上、店じまいの支度か、
葡萄の葉に巻いたお米をほぐす最中。

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葡萄の葉に生のお米を巻き、調理するレシピがあるのでしょう。
とても綺麗に巻かれていますから、
きっと、右に見える白いプラスティックがその秘密兵器ですね。

注: リンクさせて頂いている「かくや 日々の写真の貼り雑ぜ貼」の
利根さんに、葡萄の葉だと教えて頂きました。
利根さんは現在もエジプトにお出かけですが、あちらにも葡萄の葉に
お米を巻いて、鍋にぎっしりと詰めて炊くレシピがあるそうです。



これ、濃い色の筒みたいな物、何かお分かりですか?
訊ねましたら、エッグプラント、茄子なんですって。
きっとこれにも何かを詰めて、料理するのですね。

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で、赤いのはピーマンだと分かり、左手前は赤唐辛子ね。

上に書きましたオリエントの香辛料では、まずコショウが最初に出た
と思うのですが、確かにコショウも見かけましたけど、
一般に多く目につくのは、圧倒的に唐辛子類で、
トルコ人の好みは、唐辛子の方なのかも。



懐かしい姿を見かけましたよ、はい、へちま。

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この店は先程の通りとは反対側にあったのですが、
最初の通りでも見かけています。

で、横並びにヘチマや、スポンジなどお風呂用品ですよね、絶対に。
そのすぐ横には茄子やピーマンの調理品が同じ様に下がり、ははは、
ヘチマの下に見える瓶も、食べ物ですよね。

まったくに同等の扱いで店に並び、ぶら下っているのです。
店の並びでも、食料品の横に板一枚の仕切りで衣類があったりで、
お固い神経の方には受け入れがたいかも。

ええ、shinkaiはこれ位はへっちゃらで、喜びますです。
そうそう、右下に見える、白い薄い細長い袋を重ねた様な物、
あれは腸なんですってさ。



2回続きましたバザールご案内の最後は、上の通りにありました泉、
手洗い所と言ってもトイレではなく、純粋な水道口ですが、
上部が素晴らしいのをどうぞ。

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次回は、はい、オリエント急行というのは、如何でしょう?!


◆*◆

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秋晴れの良いお天気の日曜朝、旅行を一緒にした仲間と
もひとりが連れだって歩いて隣のオリアーノ村にやって来たと、
呼び出しがかかりいそいそと。

挨拶を交わすなりの話題は、何よりも何よりも、
昨夜遂に辞任したベルルスコーニの件。

政治については書かない事にしていますが、
あの恥さらしが遂に辞めざるを得なかったのを、
一般のイタリア人がどんなに喜んでホッとしているか、
それだけは、お伝えしたいです!

ジュリアーナは、ナポリターノ大統領に
感謝のメールを連名で出そうと言い、皆賛成、
午後には早速に送っている事でしょう。

次に何がやって来るかは分かりませんが、
今迄以上の恥さらしは、よもやありますまい!
       
次々の天災被害でイタリア人も疲れてはおりますが、
それでもね、久し振りのイタリアの青空なのです!
イタリアの守護聖人サン・フランチェスコ様、グラツィエ!

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・ n.1  バザールの魅力を  ・ イスタンブル

大いに愉しんで来たイスタンブルの街歩き、
写真整理がしやすく、ご案内もしやすい場所という事で、はは
まずはバザール・Bazar などは如何でしょうか?!

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日本にも土地の市場があり朝市もあり、イタリアも同様で、
いや、週一のイタリアの市の方が少し活気があるかもですが、
昨年行きましたエジプトはカイロのバザールにも、
今回のイスタンブルのバザールにも、
混沌さと規模の大きさでは到底及ばない、かけ離れた物なのですね。
このカオスは、昔知っていた大阪の鶴橋辺りに少し似ているかも。
       
写真を選んでいたら、あれもこれもと多くなり、
百聞は一見にしかずという事で、はは、例の如く2度に分け、
目で楽しんで頂こうと思います。
残念なのは、あの独特の香辛料の入り混じった香り、
あれが無い事ですが、まぁね、色だけでもどうぞ!!

写真は、グラン・バザール・Gran Bazar のゲート7の入り口。
ゲートは全部で18あるそうですから、出かけて戻る時用に、また
待ち合わせにも、門の番号を覚えておくように、とのアドヴァイスでした。

イスタンブルに到着の土曜5日の夕方、19時までしか開いておらず、
翌日から4日間だったか国の祭日で閉るというので、
伝統的な市で香辛料が多いというエジプシャン・バザールと
どちらを選ぶかとなったのですが、まぁ大きい方にという事で・・。

エジプト見たまま ・ カイロの街 1
      
エジプト見たまま ・ カイロの街 2
 
      

イスタンブルの中心部の地図をどうぞ。
なにせ世界3番目、ヨーロッパ一の人口1200万人を誇る大都市、
その広さもボスフォロ海峡を挟みヨーロッパとアジアの両大陸に跨る街、
地図もその都度角度を変えご覧頂きますね。
ここではざっとの位置確認をどうぞ。

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下側が、ボスフォロ海峡に突き出した旧市街部分で、
上に見える海がご存知、金角湾。
上側に広がる新市街なのですが、この辺りはまだ旧市街で、
印を付けたのがガラタの塔。
       
2本北に渡る橋の右がガラタ橋・Galata
旧市街の右の大きな一郭がトプカピ宮殿・Topkapi
その南にサンタ・ソフィーア聖堂・S.Sofia
もひとつ南がブルー・モスク・正式にはSultan Afmet Camii
サンタ・ソフィーアの左に、地下の貯水池、
       
そしてほぼ真ん中に見えるのが、グラン・バザール
ガラタ橋近くに見えるL字型がエジプシャン・バザール、
そこから右の海沿いにあるのがイスタンブール駅、
ご存知オリエント・エキスプレスの発着駅ですね。

今回クルーズ船でボスフォロ海峡を少し溯ったのと、
バスでこの地図で見える辺りはぐるっと回りましたが、
地図に赤丸を付けた所に我々のホテルがあり、
一番の観光名所に近く歩きまわったこの一郭を
ぼちぼち皆さんにも見て頂きますね。

最初の夕方、グラン・バザールの閉る時間前に早く行こうと、
往きは市電トルコ・リラで0,5に乗りましたが、
トルコ・リラ・TL はエウロの約半分、両替では2,35位。


さて到着し、中の通路が意外に広くサッパリとしているのに?!

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ゲート7の入り口の上に1461と見えましたが、
オスマン・トルコの時代に地震12回、火事9回、
19世紀末の地震、最後1954年の火事と、その都度の
再建改修で、かなり様子が変わっているのだろうと思いますし、

19世紀の中頃までは、奴隷売買もここでされていたそうですが、       
1970年以降にとりわけ観光客用のバザールに変身、
往年の面影はなくなっているそう。

とはいう物の、屋根のある市としては世界一の大きさ、
20平米(30とも!)の広さに約3500店、15000人の売り手!
・・相手を出し抜いて安く買う事など、到底無理な話ですねぇ!



こんなスーヴェニールの品揃えもたくさん。
一番手前は水煙草のキセル、

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陶器の飾り玉。
綺麗な物はすぐ欲しくなる質ですが・・、待てよ、
モビール代わりにしても、頭をぶつけると痛そうだし・・!

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背後に見えるブルーの丸は、



「目」、魔よけというか、幸運招きというか、
「アラーの目」と最初聞いたのですが、
博物館の売店でジュリアーナが訊ねましたら、上のお答。

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大小さまざまの目があっちにもこっちにも、
ブレスレットにもなっているのを仲間4人が道端で買い込み、
ソレッラ、ソレッレ・シスターと呼び合いまして・・、がはは。



衣類、スカーフ、絨毯 ecc ecc、
仲間の一人がスカーフを探しましたら、即近くの店に案内され、
絹だ、カシミアだと次々と出て来まして・・、
値段もそうお安くはないと思う物の、結局かなりの数を、ね。

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とにかく大変な品数品種で、有無を言わせません。
そのデザイン感覚の鮮やかさ、融通無碍さ、
そして手仕事の濃密さには感嘆するのみ!

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古い絨毯の素晴らしいのを、民族博物館で見ましたので、
またそれもご覧頂きますね。

そして売り手の皆さん、英語もイタリア語も、日本語もね!
きっとフランス語もドイツ語もアラブ語も、難しい事はともかく、
商売を成立させる為の言葉は話すのですね。

このバザールに限らず、レストランでもどこでも、
道端の焼き栗のお兄ちゃんでも英語を話すのですよ、
エジプトでもそうでしたが、まったく凄いものです。
       
イタリアの仲間に混じる私の顔に気がつくと、一瞬じっと見て、
おもむろに KONNITIWA ですものねぇ。
・・ワッチももっと英会話のお勉強をしとけば良かった!



バザール内には、モスクが1つ、小さいモスク・mescid が12
あるのだそうで、これはその小さい方の一つかと。
他には7つの泉、1つの井戸があるそう。

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陶器類も色鮮やか、柄びっしり、

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灯りの鮮やかな傘さまざま。
カイロのバザールでは、銅製の小さな穴がたくさん開いたのを見て
驚いたのでしたが、ここではこんな、色鮮やかなガラスの柄模様。

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右側のは少しエジプトのに似ていますが、
でもちゃんと色ガラスが入っていて、

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通路の天井はこんな風に。

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かっては部分毎に職種分けされていたのだそうで、
今も多少はその面影があるでしょうか、
ここには何軒か香辛料やお茶の葉を売る店が並び、
その香りに、ふぅ~っと気持ちが浮かれます。

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では本日の最後に、
日頃ご愛顧頂いております女性の皆さま方にプレゼント!
はぁ~い、どれでもお好みを、おひとつどうぞぉ!!

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てな所で、ではまた明日
バザールの続きにお出かけくださ~い!


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・ イスタンブル 予告編 

昨夜無事イスタンブルから戻って来ました。 面白かった!! 
見る物、知る物、味わう物、全て新しく珍しく、
興味しんしん、大いに楽しんで参りました。

今朝からざっと写真を仕分けし、ほんの少し抜き出し、
整理したのをここにご覧頂きますね。
ここに挙げたのがその場所の一番の特徴とはとても言えませんが、
まずは予告編という事で見てやって下さい。

最初は、ボスフォラスの海を1時間半程クルーズした時の物で、
これはボスフォラス橋、そうです、日本企業が架けた橋。

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クルーズが済んで後、バスでここを渡りましたし、
ガイドの説明でもきちんと日本の名前が出て、
仲間内では、あんたの橋、という通称になり、
うふ、なぜかとても嬉しく・・!




ボスフォラス海峡にある要塞。

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ガラタ橋、2層になっていて、上は車と人が渡り、
下はずらっとレストランが並び、一夜食べに行きました。
後ろに見える塔は、ジェノヴァ人が造ったガラタの塔。

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ガラタ橋の東詰め北側にあった魚市場。

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ちょうど国の祭日5日間に当たり、
ガラタ橋の上も脇も釣り人で満員御礼! 小鯵に似た小魚が
次々にかかり、一度はリールを回せと手渡され・・!

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ご存知グラン・バザール。
祭日で閉店の為、初日の夕方にやっとグラン・バザールだけ
覗く事が出来ましたが、バザールはいつも楽しい!

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こちらはスパイス・バザールの脇の通りの店が3日目に開いていて、
手前のまさに味噌を思わす固まりに、思わずドキドキ。

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大小さまざま色さまざまのオリーヴ。
こういうのは、どれを食べても美味しい!

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ノラ猫、ノラ犬、いっぱいいるのですけど、みなのびのびとぷっくりと
太っていて、こちらの気持ちも落ち着きました。
市が管理していて餌もやっているのだそうで、
人々が可愛がっている姿もあちこちで見かけました。

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お菓子類、これらは皆ヌガー類のよう。

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水煙草。
今回試飲しましたが、はは、2,3服で頭がくらっと!!

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ブルー・モスクの横で大人数の家族連れに出会い、
この子の写真は許可を貰いまして。
大きな目をした美女予備軍ですねぇ!
そしたら、次には私を家族の間に挟みまして・・。  

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試食した物一覧。
まずは焼き栗。プックリと丸くて美味しそうですけど、
イタリアのに比べて甘み少なく、いささかがっかり。

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これは試飲試食した中でのトップクラス、ザクロのジュース。
季節の物だから是非どうぞ、とのガイドのお勧めでしたが、
ピリッと口の中に酸味が残る素晴らしい美味しさ、甘さでした。 

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ムール貝。
これはshinkai一人が味見を敢行。
レモンを絞っているのを見て生かと思ったのですが、
生ではなく調理済みで、これもどこかピリッとした味付けで旨かった!

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サンタ・ソフィア寺院博物館。
教会だったのをモスクに替えた事で有名ですが、現在は博物館。

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これは上階からの眺めで、広い広い2廊式。

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こんな美しい繊細なモザイクも残っており、

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第4次十字軍をひきいてイスタンブールで亡くなった
ヴェネツィア共和国総督エンリーコ・ダンドロのお墓が
このサンタ・ソフィアの2階にあり、
半分ヴェネト人の心をもつshinkai は、いささか敬虔な気持で。

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トプカピ宮殿、割礼の間のタイル壁と天井。

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ははは、何もトプカピ宮殿で割礼の間だけを選んだ訳ではなく、
世界で3番目に大きいという素晴らしいダイヤも見たのですけど、
絵に描いた餅、猫に小判、豚に真珠でして・・、
これだけのタイル壁はこの部屋だけでしたので。



宮殿の庭から見る、手前ガラタ橋、奥がアタトゥルク橋。
トプカピ宮殿は余りにも大きく、見る物も多く、
それに物凄い観光客で、久し振りに押しつ押されつの見物を!

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そしてガラタの塔。
この塔にも上り、ぐるっと街を眺めましたよ。

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ブルー・モスク。

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名前がブルーというので、中が全部ブルーなのかと思っていましたが、
全部ではなく、所々にね、美しいブルーが。
ですが、やはり美しさは絶品!



唯一6本のミナレットを持つブルー・モスク、写真では4本だけ写り・・。
夜の美しさは流石でしたが、写真は難しいの一言!

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最後は、ブルー・モスクのミナレットに、ほぼ満月、をどうぞ。
  
27-454_GF.jpg
     
今回の5日間のイスタンブル行は、実質4日半の充実した旅で、
ホテルがブルー・モスク、サンタ・ソフィア聖堂に大変近く、
大いに歩きまわり見て回り、歩き疲れるほどで、
写真は約2000枚程撮っておりました。

これからせっせと整理をし、順に見て頂きますので、
よろしくお願いいたします!

旅に出て新しい物を見るのも嬉しく、
こうしてまたPCの前に座れるのも嬉し~い!!

*****

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・ 「アンギアーリの戦い」始末記と、その周辺もろもろ

かのレオナルド・ダ・ヴィンチの手になるという幻のフレスコ画が、
フィレンツェはヴェッキオ宮、500人広間のヴァザーリの絵の下に
見つかるかもしれない、という「アンギアーリの戦い」図、
つい最近調査が始まっている様子ですが、

1-1.JPG
戦いに名を冠されたアンギアーリの町のご案内をしつつ、
この町が戦闘の舞台になり、フィレンツェ側が勝った事は知っていても、
では相手はどこの誰? 何が原因での戦闘だった? かを
考えた事もなく、まるで知らない事に気が付きました。

ならばと、あれこれ読み始めたら、これが嵌りましたぁ!
信州信濃は長野市生まれ、ご幼少のみぎりは、もとえガキの頃は
川中島合戦の上杉謙信、武田信玄、真田幸村、真田十勇士、
木曽の義仲、巴午前、などなどをお友達に育った私、ははは。
       
「アンギアーリの戦い」そのものよりもその周辺事情、
当時のいわゆる傭兵隊長の人となり生き様に、
大いに我が祖国の戦国武者たちを思いだしたりしたのでした。

そんな訳で、「アンギアーリの戦い」について、
こだわりshinkai にちょっぴりお付き合い下さいませませ!

トップは、レオナルドがこの壁画の為に準備したという、
皆さんもよくご存知と思われる習作スケッチの一枚。
この迫力だけで、本当に壁の下にあったら?!とドキドキしますよね。

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家と、その周辺
レオナルド・ダ・ヴィンチの母親について
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463017660.html      


「アンギアーリの戦い」があったのは1440年6月29日、
日本では室町幕府6代将軍足利義教の時代、
1467年に応仁の乱が起こる、という時代で、
       
実際の戦闘よりも彼の絵で歴史に残る、の感が無きにしも非ずの
レオナルド・ダ・ヴィンチは1452年生まれ、

アンギアーリの東に位置するサンセポルクロに1416年か7年に
ピエロ・デッラ・フランチェスカが生まれており、この戦い当時は
生地に住んでいなかったにせよ、1442年には戻り、
コムーネの役員にもなっているので、

すぐ隣の地で起こった2年前の戦闘について、あれこれ聞いたでしょうし、
その戦いへの想像は、アレッツォのサン・フランチェスコ教会に残る
彼の名作「聖十字架伝説」の2つの戦闘場面に反映されているだろう、
と言われます。 後ほどご覧頂きますね。


アンギアーリから見る、サンセポルクロの町。

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で、この戦争はなにが原因で起こったのかと言いますと、
2年前の1438年にフィレンツェ共和国軍に応援された教皇軍が
サンセポルクロの領土を取り戻した事に始まります。

というのも、サンセポルクロを治めていたニッコロ・フォルテブラッチョ・
Niccolò Fortebraccio da Montoneの、自分が死んだら
領土を教皇に戻す、という約束が、1435年つまり3年前に死去。
       
というのも後にミラノ大公となるフランチェスコ・スフォルツァの弟
アレッサンドロとの戦いの際に、怪我をして馬の下敷きになった所を、
クリストフォロ・ダ・トレンティーノに討ち取られたのだそうで。
クリストフォロについてもあれこれ分かったのですが、
傭兵全部については到底書ききれませんので、先を急ぎますね。

当時の法皇はエウジェニオ4世・Eugenio IV.
所領返還の約束が守られなかった理由は、その後釜にちゃっかりと
縁繋がりであるフランチェスコ・ピッチニーノ・Francesco Piccinino
が入り込んだのですね。
彼はニッコロ・ピッチニーノ・Niccolò Piccininoの息子、甥が養子に
入りで、どちらも当時はミラノ大公フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ・
Filippo Maria Visconti の元で働いており、
       
サンセポルクロはトスカーナとはいえ既にウンブリアのお隣ですから、
ウンブリアに狙いを付ける恰好の基地となる訳で、
それを阻む為にも教皇側とフィレンツェが組み、1438年に取り戻し、
という前哨戦の後、
本日の主題、1440年の「アンギアーリの戦い」となります。



では戦場はどこ、となりますが、
勿論アンギアーリの町中で戦いが行われた訳ではなく、
こうしてこの急坂を下った、町の城壁のすぐ下、と記述され、
橋を巡って戦いが繰り広げられた、と。

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ならば橋はどこにあるか、地図をどうぞ。

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アンギアーリとサンセポルクロの距離は9K程で、見える河はローマまで
行くテーヴェレ河で、かってはアンギアーリの町近くを流れていたのを
1259年に渓の一番低いサンセポルクロ寄りに蛇行させたのだそう。

ですがこの流れだと、ミラノ側軍勢が集結したサンセポルクロに近すぎます。
地図上にみえる例のまっすぐな道の名前をご覧下さいね。
アンギアーリに近い部分に、Via della Battaglia・戦い通り とみえ、
途中からその名がVia del Tarlatiと名が変わりますが分からず。

ならばと衛星からの地図に替え、この辺りをじっくり観察し、
蛇行して並木のある細い道、細い流れがありそうなのを見つけ、
ぐっと接近、遂に細い細い小川の流れと道を見つけました。

それが地図に赤い点を付けた辺りで、この小川の先にある村の名、
と言っても何軒かの集落ですが、にもご注目を、
Mulinello・ムリネッロ・小さな水車、です。

ならば、かってはテーヴェレに合流していた流れがここを通っていて、
この集落には水車があったのかも!
はい、ここなら、アンギアーリの城壁の下近く、というのも納得ですね。



この眺めは、真っ直ぐの道の北方面、平野がこんな様子だと、ご覧を。

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サイトから拝借の、平野の下から眺めるアンギアーリの町。

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で、戦いが繰り広げられた様子の模型を、サイトの写真でどうぞ。
奥の高台がアンギアーリの町で、坂を下って来たすぐの平野と分かり、
今は小川でもかってはちゃんとした川で、というか運河だった様で、
ここに橋がかかっていた事がわかります。

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ですが、下に書く戦闘の次第を読んで頂きますと、この様に最初から
綺麗に布陣して戦ったのではなく、
歴史に残る記述とはいささか違う陣構えに思えますので、
それを頭において以下をお読みくださいね。
              
まずは両軍勢の指揮官とその兵力ですが、
ミラノ側 総指揮官ニッコロ・ピッチニーノ
総勢11000(そのうち騎士6000、歩兵3000、サンセポルクロで
徴募した2000が含まれる)

フィレンツェ・教皇軍側+ヴェネツィアからの援軍連合軍
指揮官ミケロット・アッテンドロ・Michelotto Attendoloと
ジャンパオロ・オルシーニ・Giampaolo Orsini
総勢9400(騎士1400、歩兵8000という数字があり、

他に4千の教皇軍指揮官シモネッタ・ダ・カステルペッチョ・
Simonetta da Castelpeccio、
4千のフィレンツェ軍、指揮官はネーリ・カッポーニ・Neri Capponiと
ベルナルデット・デ・メディチ・Bernardetto de'Medici
ヴェネツィアから300の騎士という内訳もありましたが、
あとはアンギアーリからの騎士の参加かな?)



数字については確信が持てませんが、ミラノ勢が数では優勢だった様で、
こちらがミラノ側総指揮官ニッコロ・ピッチニーノの肖像、ピサネッロ作。

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ミラノ側指揮官ピッチニーノは自軍の優勢を信じ、教皇軍がアンギアーリで
馬の整備などで駐屯した事を知るや、
6月29日の午後を合戦日と決め、急襲を掛けます。が、
なにせ一本道、立つ埃に気がついた教皇連合軍はすぐさま迎撃に。

ですが、埃が立つ事をなぜ考えなかったのか?!と、
そのうかつさに少々呆れますね。
奇襲をかけるのであれば夜か朝方、馬が嘶く事のない様に
何かを口に噛ます、なんと言いましたっけ、あれ?
馬の蹄鉄には草鞋を履かす、位な事はshinkaiでも知っとりまんがな!


戦いの図は、ピエロ・デッラ・フランチェスカ描く戦闘図。
アレッツォのサン・フランチェスコ教会の「聖十字架伝説」のフレスコ画で、

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私めの古い小さな画集からで色も悪いですが、同時代のピエロの画で
ご想像下さい。
そして戦いの図の中央に挟まれる、美しい川べりの様子もどうぞ。



こうして始まった戦闘ですが、夕暮れまでには決着がつきます。
教皇軍内のヴェネツィア勢騎士達は、ミラノ勢の先頭部隊を押しとどめ、
この一帯で唯一の橋を渡るのを防ぎ、
という事は、川もかなり幅広だったのかもですね。

他の連合軍は平野での戦闘に備えますが、橋が渡れない為に
ミラノ勢は他の増援部隊を後退させ始め、
先に進んだミラノ勢は戦闘に入ったものの、やはり後退せざるを得なく・・、

こんな様子の4時間の戦闘で、教皇側の包囲作戦が功を奏し、
橋を超えていたミラノ勢の3分の1が断ち切られ、多くが捕虜に。

風の強い日、夕方になりとりわけ強く立つ砂埃で目が開けていられない
という日だったそうで、
取り分け凄絶な闘いという訳でなくとも、マッキャべッリが皮肉をこめて
描いた様に、死者は馬から落ち踏みつけられて死んだ一人だけ、
とはいえず、

イギリスの歴史家 Michael Mallettによると、
信頼できる数は、約900人が戦死したであろう、との事で、
600頭の馬が死んだ、という記述もありました。



さて年を経て1503年、フィレンツェのヴェッキオ宮は500人広間の
向かい合った壁にレオナルド・ダ・ヴィンチと、ミケランジェロがそれぞれに
フィレンツェの勝ち戦を語る壁画を描く事に。

当時のフィレンツェ政府代表が、ピエール・ソデリーニ・Pier Soderini
ミケランジェロが受けたのは、カッシーナの合戦・Càscina
レオナルドは、既にご存知アンギアーリの戦いで、この両作品ともが
未完に終わり、レオナルドの作品の上にヴァザーリが現在に残る壁画を
描いたという事なのですが、


このレオナルドの作品については、1603年にルーベンスが摸写を
したのが現在ルーヴル博物館に残っており、こちらです。

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ですが、この摸写は実物の模写ではありませんで、ルーベンス当時は
既に無く、1558年のロレンツォ・ザッキアの版画を基にしたものだそう。

間に2人の翻訳者を挟んだような物ですが、
それにしても大変な迫力で、現在の再発見調査が大いに待たれますね。



そして散逸してはいるものの、レオナルドがこの作品の為に
習作スケッチを何枚もしており、最初にご覧頂いたのもそうですが、
次をどうぞ。

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まさに様々なたくさんの戦闘が各地で繰り広げられていた訳でして、
そのままだと歴史の記録に1行残ってお終いになりそうな戦い、
だったかもしれない、アンギアーリの戦いですが、

レオナルドが描いた事、またその実験的手法の失敗から放棄され、
レオナルドを尊敬していたヴァザーリがその上に直に描く事を躊躇い、
何センチかの隙間を開けて下地を作っているらしい事から、
尚の事、この幻の名作と相まって名が残る
「アンギアーリの戦い始末記」でした。

フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮 その1
フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮 その2
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461595718.html       

     
ほんの何名か上に傭兵隊長の名も出ましたが、到底ここに全部書く
スペースも無く、
最後に一人だけ、アンギアーリ出身の当時の有名な傭兵隊長、
現在の町の広場にその名を残すバルダッチョ・ブルーニ(ダンギアーリ)
Baldaccio Bruni(d'Anghiari)について、ほんの少し。

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1400年頃にアンギアーリ近郷の生まれで、乱暴な馬鹿騒ぎの
好きな若者、2度も死刑判決を受けながら、その都度逃げおおせ、
傭兵になって戦いの経験を積み、どんどん大物に育ち、
名声が上がるにつれ、それを人々は恐れもするようになります。
当時フィレンツェに於いて頭角を現し始めたコージモ・デ・メディチを
頂く党派もそうだったと。

マッキャべッリの描く所によると、
当時、彼ほどの肉体と魂を超える者はいない、という男。

それが1441年9月6日フィレンツェはヴェッキオ宮に於いて殺害されます。
ゴンファロニエーレ・ディ・ジュスティーツィア・Gonfaloniere di giustizia
という、いわば政府の長であるバルトロメーオ・オルランディーニ・
Baltolomeo Orlandiniから呼び出され、

裏切り者という名の元に殺し屋の手にかかったのですね。
このオルランディーニをバルダッチョは以前に敵前逃亡で訴えた事があり、
それを恨んでの、現在の立場を利用しての殺害。
   
切りつけて、窓から中庭に放り出し、殆ど死んでいたのを斬首、
遺体は広場に何時間か放棄された、という凄惨なもので、
この逸話はフィレンツェの人々の心にも深く触れ、
話を聞いた法皇も哀惜の念を禁じ得なかったと。

1439年2月16日にアンナレーナ・マラテスタ・Annalena Malatesta
と結婚していたのですが、彼の殺害後に幼い息子ガレオット・
Galeottoも死ぬと、彼女は持ち物一切を売り払い、アルノ河向こうの
修道院に引き籠ったと。 はい、マラテスタ家の女ですねぇ!

傭兵という仕事は、報酬次第でどちらにでも付いて働きますが、
それでも中には気に染まない仕事を断る、一国の主程の封土を持つ
等など、様々な人間模様が窺われ、
このバルダッチョの様に、判官贔屓の涙をそそる逸話もあります。
そうそう、彼の幽霊がヴェッキオ宮の物陰に潜み、復讐の機会を
狙っているとか・・。  訪問の際には、どうぞお気を付けて!



最後は町のパンフレットから、時代衣装の行列を。
     
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なんとか上手く纏まり、お楽しみ頂けるように願います!!


*****

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・ n.2 アンギアーリ ・ 中世の宝石箱のような町

「イタリアの一番美しい村々」にも選ばれ、最近話題の
かのレオナルド・ダヴィンチの幻の傑作「アンギアーリの戦い」の
戦闘の舞台となった、
「中世の一つの宝石箱」と称されるトスカーナの小さな町アンギアーリ。

今回はその2回目、町中の様子のご案内を続けますので、
どうぞ、ごゆっくりお楽しみ下さい!
トップは町のパンフレットから、町の古い中心部の眺め。

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もう一度町の地図をどうぞ。

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1.水槽のあった、小広場の泉     
2.ガリバルディ像、そしてバルダッチョ広場
3. コロンネ・ディ・ボルゴ・村の円柱
4.ガッレリーア・マージ(マージのアーケード)
5.ポルタ・ヌオーヴァ(フィオレンティーナ)
6.マメーリ広場・Piazza Mameli
7.タリエスキ邸博物館・Museo di Palazzo Taglieschi
8.マルゾッコ邸博物館・Museo diPalazzo Marzocco
9.鐘楼・Campanone
10.プレトーリオ邸・Palazzo Pretorio
11.バディーア教会・Chiesa della Badia
12.バスティオーネ・Bastione・要塞
緑の点 我らの宿
13.ポルタ・ヴェッキア・Porta Vecchia
14.サンタゴスティーノ教会修道院 
 

   
さて、11.バディーア教会脇のこの石段を上って行くと、

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10.プレトーリオ邸・Palazzo Pretorio 前の広場・
Piazza del Popolo・ポポロ広場で、正面にプレトーリオ邸、
以前はカステッロ・城と呼ばれていた様子。

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広場が例に寄り駐車場と化していまして、正面のみでご勘弁を。
左側にもL字型に建物があり、かってはこの建物が代々の
執政官の住居、行政庁だったのですね。
       
アンギアーリの町には古くからカマドリ派の僧侶たちが住み付いており、
記録に町の名が初めて登場するのは1048年。

1181年からこのプレトーリオ邸のある一郭を取り囲む2層目の城壁が築き始められ、
1224年には聖フランチェスコが立ち寄り、現在フィレンツェのオンニッサンティ教会に保存の、
自身の衣を残したといい、
1385年よりフィレンツェ共和国の元に入り、
1440年に、あの「アンギアーリの戦い」があったという訳ですね。



上の写真でもお分かりのように、壁には代々の執政官、
フィレンツェ共和国から来た代理行政官の紋章がいっぱいで、

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ブルーに6匹の黄色のハリネズミ、想い出にしっかり残る
フェデリーゴ・ディ・ジョヴァンニ・デ・リッチは、
まさにリッチ・ハリネズミ(複)という姓だったんだ、と今改めて!

昔はこのプレトーリオ邸に市役所があり、中にも入れ、
入り口天井アーチの白、黒、赤の柄にも溜息が出たのでしたが、
現在は修復中で閉められ、市役所は広場向かい側の建物に。



こちらは建物正面右側にある壁龕のフレスコ画。
も少し修復が進むと良いですね。

33-1-521_GF.jpg



こんな小さな写真しかサイトで見つけられず残念ですが、
これはプレトーリオ邸の上階にあるというフレスコ画。

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ピエロ・デッラ・フランチェスカの最初の先生だったという
アントニオ・ダンギアーリ・Antonio d'Anghiariの作品だそう。
こんなに小さくては細部も分かりませんが、
全体の雰囲気は素晴らしい印象を受けますね。

顔の部分が上手く残っているようですから、あと何年か先に
建物の修復が済み、お目にかかれるチャンスがありますように!     



プレトーリオ邸の前の広場、そしてバディア教会の塔の眺めで、
あの隙間の石段から上がって来たのでした。 左の綺麗な壁が現在の市役所。       

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さてもう一度石段を下りまして、

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バディア教会の裏の道を辿りますが、ここもかなりな坂道。

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左側はかって修道院の建物だったそうで、
支え壁兼用の渡り廊下だったと見られるものもあり、
で、我らの宿はここにあり、手前から4つめの扉が入り口だったと。

いわゆる貸し部屋で、建物入り口と部屋の鍵2つを貰い、
勝手に出入りするという物で、
こういった宿が結構あり、ここも質素ながらお安く良かったですよ。
宿の中の様子、外からの壁の高さはこちらでご覧いただけます。

アンギアーリで食べた、旨い物!
       


町の高い位置にあり眺めが良かったので、窓からの様子をどうぞ!
下の通りには、猫ちゃん達が集まって日向ぼっこをしており、
出し惜しみをして、ここでは一枚だけね。

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町外れの家並、

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向かい側に見えた、段々のオリーブ畑。

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遠くに見える赤茶土の畑。

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先回見て頂いたマメーリ広場の奥から、石段を上らず右に曲がると
この古い大きな建物。
壁の様子からあちこち改装され、継ぎ足された部分も良く分かり、はは。

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上の写真の右下に見えた、お隣との支えのアーチ、建物類

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右の建物の、重厚な扉。

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アーチの支えをくぐり抜け、建物の裏側はこんな様子。

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この一郭は本当に古い様子が良く残っていて、少し摩訶不思議な印象を
強く受けましたが、どう撮ったら良いのか、いささか消化不良のままで。

で、先程地図を見ていて気がついたのですが、真ん中に狭い幅の扉がありますね。
あの奥はタリエスキ邸で、先回見て頂いた博物館の裏口に当たりますから、
かっては召使たちの出入り口だったのかもですね。

ですから横壁に扉のあった右の建物は右の縦3つの窓が相当し、
真ん中の縦3つはタリエスキ邸、
左はまた別の建物がひっついているという形で、・・ヤヤコシイ!
・・まさに中世の雰囲気がごちゃごちゃと色濃く!



こんな窓が大好きなのですが、皆さんは?

47-579_GF.jpg



今来た道をも少し進むと、この角に。 町中の道が上がったり下がったりの坂道で、
撮った写真の一場面だけ見ると、どこか分からなくなるのですが、
地図と首っ引きで、思い出しつつ再構築を。
まぁ、それが可能な町の大きさ、という事ですね。

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お家の可愛い戸口ですが、この左側の出っ張った壁の部分に
金具の跡が見えますね、



これが町の門のひとつ、ポルタ・ヴェッキア・Porta Vecchiaの
かっての門扉の蝶つがいの跡なのですね。 地図番号13。
門の名前、ヴェッキア・古い門から考えると、
この門が古い町の最初の主要門だったのでしょう。

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先回ガリバルディ像を見て頂いた広場から道を渡り、ガッレリーアを抜け
少し道を上って行くと、古い町並みが谷越しに正面に見える公園に。

但しそう上手く問屋は卸してくれませんで、木々の枝が邪魔だったり、
家並で見えなかったりするのですが、
それでもまぁ、こうして見る古い家並を1枚どうぞ!

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で、中央に見える鐘楼と丸い壁の出っ張りは、先回最初の空からの
写真ご説明で、丸い塔と言いましたが、
14.サンタゴスティーノ教会修道院・Sant'Agostinoの後陣部分。



横からの写真でどうぞ。
アンギアーリを写した写真の中で一際目に付く特徴あるこの丸い張り出し。

52-670_GF.jpg


これが教会の後陣部分だとは思いもよらず、
道の名前も「古い見張りの道・Antica via di Ronda」ですから、
てっきり要塞の塔かと思い込んでいたのでしたぁ! まったくもう!

まぁ、こういう間違いはしょっちゅうでありまして、ははは、
そんな時の便利なイタリア語の言い回し、「遅くとも、無いよりはマシ」
ええ、うちの母親も良く言っておりましたです。
「聞くは一時の恥、知らぬは末代の恥」
それを心の支えに、はは、知らない事だらけの大海を進むshinkai、
溺れぬよう、応援してやってくだしゃんせぇ! ・・脱線、修正。 
 

左に見える濃い柵のある出っ張りは、下の駐車場とを結ぶ
エレベーターの発着場で、

正面下に見えるアーチは、上のマメーリ広場の聖母の壁龕横に
見えたくぐり抜けの道に続き、
その右下の、道が下って行く突き当たりに半分見える暗い口は、



これが「古い見張りの道」と呼ばれる、教会の下をくぐり抜ける、
かっての兵士の監視所、駐屯所なのですね。

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左側の谷に向かっての窓もあり、右にも開口部がありますが、
ご覧の様にかなり暗く、人通りもありませんので・・!
が、夜間は閉められますし、物騒な感じはありません。

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この部分は古い町部分の一番北の城壁に当たり、
1444年以降、つまり「アンギアーリの戦い」後という事になりますが、

何度も改修を重ねられ、高く厚く、砲攻撃にも対処できるように、
研究されて造られているのだそうで、
中世のただ高くして敵の兵士が乗り越えられぬ様にという城壁とは
大いに違い、改修の様子も外側から窺えるそう。



先程見て頂いた、下の駐車場とを繋ぐエレベーターの横に、
城壁に沿って上の駐車場と細長い公園部分があり、
そこからの眺めをどうぞ。

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夜景の美しいのもありますので、ここではほんの少しだけ、と
出し惜しみを致しまして・・、ははは。

これは西の山側、旧市街の外側に当たる部分で、
ほら、建物も町中とちょっと趣が違いクラシックでしょう?



ここが町の東に城壁が突き出す部分で、
下の平野との高低差をご覧下さい!

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城壁の中を道がぐるっと回っていて、家々の壁も草花で覆われ・・。

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東に望むサンセポルクロの町。

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ピエロ・デッラ・フランチェスカが生まれ、亡くなった町。
彼の作品はフィレンツェにも、ウルビーノにもミラノにもあちこちに
散らばっていますが、やはり生家のあるこの一帯が彼の土地と言えますね。 
近年、生家が博物館になっているのを知らず、昨年は通りすぎ、残念。


ピエロ・デッラ・フランチェスカ ・ 出産のマドンナ
イタリア中部紀行 2010年秋 その6
チヴィタ・ディ・バーニョレージョ、ソラーノ、ソヴァーナ
      
イタリア中部紀行 2010年秋 その5
カスティリオン・フィオレンティーノ、チェートナ、ピティリアーノ
イタリア中部紀行 2010年秋 その4
ウルバーニア、サン・タンジェロ・イン・ヴァード、アンギアーリ

イタリア中部紀行 2010年秋 その3
グラダーラ、ウルビーノ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461246922.html     

     
谷を隔てた北側から見る、旧い町並み。
海抜は429m、コムーネ全体の人口は5900人程ですが、
古い町の住民は2000人と。

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60-671_GF.jpg

と、ご案内して参りましたトスカーナの古い町アンギアーリ、
お気に召して頂けましたら、とても嬉しいのですが・・。
チャンスを見て、どうぞお出かけ下さいね!

あともう1回、「アンギアーリの戦い」についてご案内致しますので、
どうぞ、よろしくお付き合いお願いいたします。
     
  
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・ n.1 アンギアーリ ・ 中世の宝石箱のような町

今日から3回に分けて、「中世の宝石箱の一つ」と呼ばれる
トスカーナの古い小さな町、アンギアーリ・Anghiariにご案内を。

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20年ぶりに昨年の秋に再訪、以前と余り変わらない姿ながら、
ほんの少し整備され、観光誘致にも力を入れているのが感じられ・・。

とはいえ、町の中の坂道、古い石壁、素晴らしい城壁などなど、
千年を超す歴史を持つ町の姿は急激には変わる筈もなく、
懐かしく嬉しく見て回り、写真もたくさん撮りました。

最近大きな話題を呼んでいる、フィレンツェのヴェッキオ宮の
大広間のヴァザーリの壁画、その下に見つかるかもしれないという
レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の傑作「アンギアーリの戦い」図、
その戦闘の舞台となったこのアンギアーリの町。

昨年の秋にはその話題もまだ無かったですが、町の中には
あの戦いを主とした土地の歴史博物館が出来ておりました。

今回見て頂く為に纏めようとすると、
あの戦いはなんの為だった?と、まるで知らない事に気が付き、
例によってあれこれと泥縄付け刃で読んでいるうちに、
町の中心広場に名を冠されている傭兵隊長やら、
あの戦闘の指揮を執った両軍の傭兵隊長の事まで芋づる式に、
おまけに我がコネリアーノの町名まで出てくる有様で・・!

当時の人間模様も面白く、そんなのもご紹介しようとすると、
プラス、アンギアーリの戦い、という事で3回分となり、
どうぞ、よろしくお付き合い願いますです!
       
上の写真は、空からの町の眺め、ガイドブックからで、
上の楕円に突き出しているのが旧市街で、
手前側が新しい部分、と言ってもこちらも古いのですが。 
  
左下に駐車場が見えますね、その近くに丸く飛び出している塔
が分かりますか?
今あの駐車場からトンネルに入り込むとエレベーターがあり、
丸い塔の左の方、城壁上の細長い駐車場脇に
上がって出て来れるようになっています。
ウルビーノの駐車場にもやはりエレベーターが付いていましたが、
お金を取り、0.5エウロ、ははは、こちらは無料です。

写真右端中程に広場が見えるのが、町の入り口広場で、
左の町中に辿って見て下さい、
丸く突き出した塔の左上辺りに三角の広場があり、あそこが中心広場で、
両脇に博物館が2つあります。

その左上の方、も一つ広場が見えますが、この辺りがかっての町の
一番古い核の部分で、城壁があったのだそう。

と言われてみると、建物の並びが丸く取り囲む形なのが良く分かり、
その周囲に広がっている現在の町の形も、楕円に順々に取り囲み
広がっていますね。
この辺りが一番高い台地の部分、つまり中世の町の立地条件、
城壁で囲む町の安全、に叶っている部分だった事が良く分かります。


アンギアーリ・Anghiari の町はどこにあるか、地図をどうぞ。

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トスカーナ州の東南、右角のグレイの点線はウンブリアとの境で、
フィレンツェから電車で約1時間の距離にあるアレッツォ・Arezzo
から東に約35キロ、車だと35分の位置。

35kと書きましたが、山越えの位置にあり道は迂回しますので、
直線距離だともっと近く、
アンギアーリと東のサンセポルクロ・Sansepolcroは一直線で
8.5kの近さです。

私が一番最初にこの町を見たのはバスの窓からで、
やはりアレッツォからサンセポルクロの美術館にある
ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品を見に行く途中で驚嘆!

バスは町中を抜けずに一番の高台である西の端から、カーヴを幾つも
行きつ戻りつして坂を下り、町の下に出ますが、
それでも垣間見る町の迫力ある姿に驚き、本当に!
次のチャンスにはサンセポルクロに3泊程して、
バスでアンギアーリの町に2度通ったのでした。

そんな懐かしく大切な思い出のある町を今こうしてご紹介出来るのは
とても嬉しく、しっかりご紹介したいと思いますので、
ごゆっくり、お楽しみ下さいますように!

イタリア中部紀行 2010年秋 その4
ウルバーニア、サン・タンジェロ・イン・ヴァード、アンギアーリ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461247232.html
       
ピエロ・デッラ・フランチェスカ ・ 出産のマドンナ 
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129166.html       



こちらが町の一番の高台部分、正面はクローチェ教会修道院・
Ciesa e Convento della Croce で、
バスはあの前を通りすぎ町の北側のカーヴを下りますが、

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今、見える真っ直ぐの下り坂が、
町の入り口広場横を通り、こんな風に本当に真っ直ぐに東に続き
サンセポルクロに行きます。 素晴らしい道でしょう?!

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町を通り抜ける車やバスは、坂を下った所の信号に出て来ますが、
逆にサンセポルクロから来る時は、
この道が真正面にグンと上に続くのが見え、これも大迫力!

昨秋にウルビーノからアペニン山脈を越えて東から町に来た時、
この道に入って私は嬉しくてドキドキ、
となりの我が友人mkちゃんは、驚いて逆にドキドキした様子、ははは。



ここが町の入り口広場より、上の真っ直ぐの道に沿って少し下って
来た場所にある小広場の泉・Fonte della Piazettaで、
上に見えるテラスが、上の広場の一番角、という訳。

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この写真の中だけでも、3つも見える水槽のある泉というのは、
今こうして見て、ひょっとして共同洗濯場ではなかっただろうか、
と思うのですが、ちゃんと見ていないのです、残念。



こちらが上の泉の広場から少し坂を上り、町の入り口の広場、
バルダッチョ広場・Piazza Baldaccio.

この名前は、このアンギアーリ出身の15世紀の傭兵隊長
バルダッチョ・ブルーニ、またはバルダッチョ・ダンギアーり・
Baldaccio Bruni(d'Anghiari)に由来しますが、
彼についてはまた後の回で。

イタリアの広場には必ずおられる、イタリア統一の父とも言える
ガリバルディの像があり、背中から見ておりますが、

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正面からだとこうなりまして、
大体が騎馬像のガリバルディですが、ここのは少し変わっています。
下に、O ROMA, O MORTE! ローマか、死か!とあり、
この向きだと顔、視線はローマを向き、指は北西を指しており、
言葉からすると指は逆を指している気がするのですが・・?!

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余談を一つ、ナポリのガリバルディ像もこの様に立像ですが、
ガイド曰く「ナポリ人が馬を盗んだ、と言われている」と、ははは。




バルダッチョ広場を旧い町の方に来た所からの眺めで、
ガリバルディ像の道の向こう側に見える大きなアーチは、
ガッレリーア・マージ・Galleria Magi.

像の向かい側に見えるアーチ2つのロッジャは、
コロンネ・ディ・ボルゴ・Le colonne del Borgo・
村の円柱、と呼ばれる、元々は15世紀の物と。

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では、町の古い部分に参りましょうか。
かっての古い町への入り口門は3つあり、このポルタ・ヌオーヴァ、
またはフィオレンティーナ門・Porta Nuova o Fiorentina と、

10-550_GF.jpg



もひとつ中側にあるポルタ・ヴェッキア(サン・マルティーノ)・
Porta Vecchia o San Martino、
そして、町の東南側にあるポルタ・サンタンジェロ・Porta Sant'Angelo.

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今正面に見える店は食料品店で、ここの店主は昔35年程も前に
日本に行ったのだそう。 何か技師の仕事の招待だったようで、
神戸牛は世界で一番旨い肉だったとか、赤坂のミカドに行ったとか・・!

アンギアーリの様な古い小さな町で、店主の口から
アカサカとか、ミカドとか聞くと大変可笑しな感じで、
あんたの奥さんは知っているの?
いいや、彼女は知らないよ。
ああ! 言ってやろ!
ダメ、ダメ!
この店で買った食料品での食事はこちらに。
 
アンギアーリで食べた、旨い物!
       


こうして、古い町の中程に進んで行く訳ですが、
実際に中世の時代に入り込む感じも受けられません?! 

町歩きには地図は必要ないと思いますが、ご説明の為に。

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1.水槽のあった、小広場の泉     
2.ガリバルディ像、そしてバルダッチョ広場
3.コロンネ・ディ・ボルゴ・村の円柱
4.ガッレリーア・マージ(マージのアーケード)
5.ポルタ・ヌオーヴァ(フィオレンティーナ)
6.マメーリ広場・Piazza Mameli
7.タリエスキ邸博物館・Museo di Palazzo Taglieschi
8.マルゾッコ邸博物館・Museo diPalazzo Marzocco
9.鐘楼・Campanone
10.プレトーリオ邸・Palazzo Pretorio
11.バディーア教会・Chiesa della Badia
12.バスティオーネ・Bastione・要塞
緑の点は、我らの宿
           

まずは町一番の中心、現在博物館が2つ向き合っている広場、
マメーリ広場、地図の6にどうぞ。

細長い三角形の広場を挟み、古い建物の壁が取り囲み、
坂道が奥に続きます。

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そしてこの石段が緩やかにカーヴしつつ奥に続き、
建物との間に支え壁が見えますね、
どうやら通路か、テラス式に活用されている様子。
ほら、左手に草花の鉢が並び、猫ちゃんがいます。
    
14-557_GF.jpg

  

お家の前はこんな風に花が咲き乱れ、猫ちゃんはゴロンゴロンと。
誰か近所のシニョーラが通ると、にゃ~んと寄って行き・・、

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先程の坂道をずっと上って行くと、ほら、9の鐘楼に行きつきます。
元々は14世紀初頭に造られたのだそうですが、破壊されて後
現在のは17世紀の物で、時計はもっと後の時代と。

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また今の坂道をゆっくりと戻りますが、
こんな風に手仕事作品の店とか、フィレンツェの出店とか、
かなり店が出来たなぁ、という印象。

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が、この辺りちょっと入り込むと、こんな古い壁やアーチがあり、
如何にも中世、が至る所に。

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アンギアーリの町は「イタリアの一番美しい村々」にも選ばれていますが、
歴史が重みを加え、どちらを向いても絵になる、
まさに「中世の一つの宝石箱」という呼び名がぴったり。

大きな街にありがちの、汚れ、ごみ屑が見当たりませんでしょ。
古い町をしっかり手入れして美しく保つ、という意識ですね。


マメーリ広場を上から眺めていましたら、やって来る若いカップル。
可笑しいでしょう? 2人とも同じ様に腕組みをして、はは、
片側づつ眺めて歩いて来るのでした!

21-574_GF.jpg

右奥に見える赤い敷物の上のライオンのいる建物が、
8.マルゾッコ邸博物館・Museo diPalazzo Marzocco
「アンギアーリの戦い」を主としている博物館、

突き当たりの壁の壁龕にデッラ・ロッビア(風?)の聖母像
が見えますが、20年前にはなかったもので、
ミゼリコルディア・慈悲の聖母というご自身のマントの中に人々を
包み込む形ですが、壁龕の中一杯になる大きさと、派手な色で。 


広場からの様子はこんな感じ。

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右の博物館の入り口ライオン像も布も新しすぎて、
昔は、この壁龕と小さな入り口階段の印象が良く、
スケッチをしたのでしたが・・。

黒く見えるアーチの中はぐっと下りの通り抜け道で、途中で右に曲がり
城壁の脇に出ますが、この道も舗装されておりました。

ええ、20年以上経っての再訪で、いささか
センティメンタル・ジャーニーな思い出も次々出ますが、ご容赦を。



で、広場の左側には
7.タリエスキ邸博物館・Museo di Palazzo Taglieschi
があり、この建物は地図でもお分かりのように大変大きく、

23-762_GF.jpg
      
正面左側にはこんな入り口、扉、そして聖母のフレスコ画があり、



扉の上の盾形の紋章は4等分され、波と笏に巻き付く布・Taglia・
ターリアから成り立ちますが、

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このS字にも見える図柄と波は、リミニの狼と呼ばれた
シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ・Sigismondo Pandolfo Malatesta
の戦勝図の中にも見られるのだそうで、

SにIを加えたイニシャルは、シジスモンドが花押に使っていて、
とりわけ3度目の妻となったイゾッタ・デッリ・アッティ・Isotta degli Atti
との関係が始まった時分から見られるのだそう。

このタリエスキ家出身の傭兵隊長アニョーロ・Agnolo d'Anghiari
またはターリア・Taglia と呼ばれるシニョーレは、
「アンギアーリの戦い」でも300頭の馬を持ち(騎士も?)参加、
目覚ましい働きを見せたそうで、
 
この戦闘の少し後にシジスモンドの元で華々しく働くようになり、
とりわけかのモンテフェルトゥロとの戦いで戦果をあげ、
シジスモンドから領土や家、城も報償に貰ったという逸話があり、
つまり、紋章の相似もそういった関係からだろうと。
      
 

こちらが現在のタリエスキ邸国立博物館入り口で、

25-767_GF.jpg



邸宅内部もかっての古い豪奢を伝える大変素晴らしい物ですが、
この博物館の目玉の一つがこれ、
ヤーコポ・デッラ・クエルチャ・Jacopo della Querciaの聖母子像。

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以前見たのかどうかも記憶になく、ただただ、この金髪と、
この目差しに驚きましてございます。
この女性には shinkai は聖母を感じませんで・・、



今回再会出来ました好きな聖母は、こちら右側、作者不明の作品。

26-3-01.jpg

以前の博物館は、最初に見て頂いた古い紋のある方が入り口で、
中に入ると船底をイメージした木の古い階段がギシギシと上に導き、

暇だった係のシニョーレが屋敷内の様々な仕掛けを案内してくれ、
訪問客が誰かを覗き見る為の穴とか、人の話を隠れて聴く、
という様な物も見せてくれ、展示物もごたごたいっぱいで、

写真はダメだけどスケッチなら良いよ、とこの聖母を描かせてくれたのでした。


これは向かい側の博物館、ライオン像がいたマルゾッコ邸の角にいる
可愛いライオン君で、ライオンはアンギアーリの町のシンボルと。

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11.バディーア教会・Chiesa della Badia
11世紀に溯る、この町で一番古い由緒ある教会だそう。
バディーアというのは修道院を指しますが、地図でご覧の様にかなり大きく、
我々の宿と緑の印を付けた南側の建物も、かっては修道院の物だったと。

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まさに時の経過のみが作りだせるこの質感と重さ!

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このバディーアの手前に石段があり、
今、奥の広場からの光がこうして石段の下まで届いていますが、

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さてこの石段上のプレトーリオ邸は、明日の回に!
よろしくお願いいたします。


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