・ n.4 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア 

セレニッシマ・いとも高貴な、ヴェネツィア共和国政府の中枢、ドゥカーレ宮の
最後のご案内。 どうぞ、よろしくお付き合い下さいませ!

写真はドゥカーレ宮の南西の角部分で、1階部分にはアダムとイヴの像があり、
2階の角には裁きの女神がいて、

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この2階のロッジャを内側からという事で、先回途中で切れた話の後半ですが、
ヴェネツィア65代ドージェ、34年に渡る最長在任のフランチェスコ・フォスカリ、
今回はその一人息子の話をどうぞ。

こちら、やはりアイエスの絵で。 息子ヤーコポが、父に別れを告げる場面で、
ドージェは既に80歳を超える老齢、息子は遠島投獄に。

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ヤーコポ・フォスカリ・Jacopoは、父親が再婚しての息子で1416年頃、
父親43歳の時の生まれ。

6歳の時に父はドージェの位に、22歳の時に兄がペストで死亡と一人息子になり、
他人には大変厳しい事で有名なドージェは、逆にその息子には溢れるほどの
愛情を注ぎ、立派な教育も。

1441年のヤーコポの結婚式には、私的な事に関わらず、ドージェのお召し船
ブチントーロを花嫁の迎えに出したり、2週間以上に渡るサン・マルコ広場での
祝いのお祭り騒ぎは、ヴェネツィアの市民に強い印象を。

ヤーコポの名は22~28歳にかけ議員名簿に載るものの、いつも取り消しの線付き、
つまり長続きしなかったのですね。
頭が良く快活で豪奢な生活を愛し、ただ政治的センスと、自分の立場を認知する
意識が欠けた、慎重さが不足の若者とでも。

こうして1445年、外国の君子との共謀の疑いで10人委員会は彼の投獄を決議、
その気配を察するやトリエステに逃亡。
どうやらこれには一家が噛んでいた様で、ここ迄はまぁ息子の不祥事程であったのが、

ドージェ選出時の対抗者であったピエトロ・ロレダン、彼は選挙に敗れた後、
毒を盛られて死亡しているのですが、その甥のフランチェスコが、政敵を蹴落とす
良きチャンスとばかりに乗りだして来ます。

この辺りの成り行きは、「ふたりのフォスカリ」としてバイロンが描き、後に
ヴェルディがオペラにしており、後の研究者の見方も、ロレダン家のフランチェスコと
ロレダン一家の政敵に対する冷たい計算が働いていたもの、で一致する様子。

但し、まるでない物をでっち上げた訳ではなく、つけ込まれる軽率さを持っていた
ヤーコポの悲劇とでも言えましょうか。

こうして始まったフォスカリ家の苦痛、ヤーコポの追放劇は、終わると思うとまた
別件で逮捕遠島と、10年以上に渡って都合3回も起こったのですね。
最後は拷問にかけられつつも無実を主張、決定的な証拠がないと、
1456年7月にクレタ島への遠島収監の判決に。

アイエスの絵は、最後の父子の別れでしょうか。 こうして、ヤコポはクレタ島で
1457年1月に死亡、その知らせが遅れてヴェネツィアに届きますが、
84歳になる父親には、さぞや残酷な知らせだったでしょう。
    
晩年はドージェとしての公務にも関心が薄れ、会議も欠席する事が多くなっており、
遂に、高齢により公務に支障をきたすを理由に、1457年10月19日
10人委員会は彼の罷免を決定し、通達。

それまでに何度か彼自身が辞職願を出し、その都度却下されていたにも関わらず、
この時彼は拒否します。
大評議会の認可が欠けているという理由ですが、尚も10人委員会はごり押しを。
この時の通達者には、かってドージェ選抜選挙で争い、負けて後毒殺された
ピエトロ・ロレダンの息子ヤーコポが。

10月22日に再度罷免通告、8日以内に官邸を退去する事、
財産は没収する旨を告げられますが、
翌朝まだ寝ている所を起こされ、ドージェの角型の冠コルノを取り上げられ、
ドージェの指輪もへし折られ、なすすべもなく、自分の家の修復が済む間、
ドゥカーレ宮に居残るのみ、こうして遂に24日、立ち去ります。

6日後の10月30日 ヴェネツィアは新しいドージェ、パスクワーレ・マリピエーロ・
Pasquale Malipieroを選出。

フランチェスコ・フォスカリ84歳が息を引き取ったのは11月1日の明け方。 
この知らせは新総督を、議員をも困惑させますが、国葬で送る事が決定、
未亡人が遺骸の引き渡しを拒むという場面もありましたが、結局ドージェの
衣服を纏った国葬に。

1人息子であったヤーコポには2人の息子と2人の娘がいたそうですから、
以前ご案内したブレンタ川沿いのあの美しいヴィッラ、ラ・マルコンテンタを造った
フォスカリ家の兄弟は彼の子孫という事になりますね。
       
フォスカリ家のこの2人の悲劇的な逸話の後、一家は政治的に一線に出る事は
無かったそうですが、財政的には大変裕福なヴェネツィアの貴族で継続した様子。

ヴィッラ・フォスカリ、または、ラ・マルコンテンタ
       



では「ドゥカーレ宮秘密の行程」にご案内を。 が写真厳禁、しかも7~8人の
少人数で隠れ様もなく、写真はガイド・ブックとサイトからでどうぞ。

中庭から「金の階段」を上った3階の四角いロビー、ご案内n.1で見て頂いた扉
ですが、あそこから「秘密の行程」が始まります。では、いざ!

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扉の内には狭い通路があり、これまた狭くて大変急な階段を上ると、
中庭から見える4階の窓の内に、薄い木の壁の小部屋、小さな机の置かれた
本当に質素な部屋が幾つかあり、
これらの部屋にドージェの公証人、司法官たちの助手、そして膨大な記録庫の
管理人達が働いていたのですね。

少し脱線しますが、ヴェネツィア共和国の記録庫の量の凄さというのは、
確かヴァティカンの記録庫、ウィーンのハプスブルグ宮廷に次いで3番目を誇る
膨大な記録量で、これを齧るネズミ達が最大の敵。
で、その為に猫達を増やしたのだとか!

ヴェネツィアで今もたくさん見かける猫ちゃん達は、単に港町特有の存在ではなく、
かってはお国の機密保持に貢献した、エゲレスとかいう国の首相官邸の猫の様に、
働かずにただ飯を喰らうのとは違う、ははは、お偉い猫ちゃん達の末裔なのですぞ。

つまり、ドゥカーレ宮のこの隠れた部分に、ヴェネツィア共和国の行政管理人たちが
控えていたのですね。
彼らは貴族ではなく、市民・チッタディーノと呼ばれる階級出身者で、任官されると
終身で、お給料も大変良く、貴族と同じ特権にあずかり、
但し評議会での投票権は持たず、その死去に際しては国葬、またはドージェと
大司教出席で送られたのだそう。



ここは最高書記官・Cancelleria superioreの部屋、ちょっと船室を
思わせる部屋でしたが、この手前の一段高い所に長テーブルが置かれ、
こちらで助手たちが仕事をしていたのだと。

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両脇にずらっと並ぶ箪笥様の物にそれぞれ紋が見えますが、代々の書記官の物。
ガイドの説明通り、彼らは元々市民階級の出で、ここに至って初めて紋を持つ訳で、
その図柄は至って単純、姓名からの直訳的な柄が多く・・、はは。

ご覧の通り天井が大変低く、既にドゥカーレ宮の屋根、鉛の天井の下とあり、
夏は暑く冬は寒く、仕事環境は良くなかった様ですね。
    

          
写真はサイトからの拝借で、4階ではなく、その半分下の階の部屋だったと思いますが、
・・上がって下がって記憶も揺れ、済みまへん、

つまり部屋の内部の人間には、箪笥、壁と見せかけた隠し部屋というか、
隠された出入り口というか、写真では結構広く明るく見えますが、狭く暗い物。

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これ以降の写真3枚はガイドブックから。
4階の行程のここは監獄部分。カザノヴァが最初に入れられた、という部屋内部も
見ましたが、頭を打ちつける程の天井の低い狭い細長い部屋だったと。

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ちょっと見え難いですが、写真左端に見える扉のカンヌキ、このL字型に
ご注目願っておきまして・・、



お待たせいたしました、こちらが拷問室! はい、これだけ!

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ヴェネツィア共和国政府は代々、緩やかな穏やかな拷問、拷問にそう言う言葉が
通るのであればですが、柔らかい拷問を使い、映画で見る様な凄惨流血はありませんで、
3階からの写真で見て頂いた、
屋根に飛び出た天窓から吊るされた長~~いロープに、後ろ手に縛った
容疑者を吊るし上げたのですね。

まぁ殆どはこのロープを見た時点で容疑を認める、白状する、という有様だったそうで、
それでも上記した様に、フォスカリの息子ヤコポもこの拷問に。
そして使用も徐々に減り、16世紀以降は無くなったとの事。



こちらは、屋根に飛び出している天窓を中から。

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17世紀になってドゥカーレ宮の東に、運河を挟んで新しい監獄の建物が造られ、
その内部の様子は、n.2のご案内で見て頂きましたが、
ドゥカーレ宮内部にも牢獄が2種類ありました。

一つはポッツォ・井戸と呼ばれる地下の湿った牢、これは最悪!
も一つは鉛の天井下のピオンビ、まさに鉛と呼ばれる部分で、ここには6つか7つの
部屋があり、異端審議会、または10人委員会の審議を待つ者が入れられたのだそう。

ドゥカーレ宮の鉛の板で葺かれた大屋根、それにカラマツの板の層を釘で打った
屋根裏の下の牢、脱獄不可能と言われたこの牢は、夏の暑さは耐えられない程で、
実際この秘密の行程も、夏季のお昼には無いのだそう!

1755年7月26日の夜一人の男が逮捕され、このピオンビ・Piombiに。
はい、稀代の女誑しで名が残るジャコモ・カザノーヴァ・Giacomo Casanova
30歳の時。

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彼はパドヴァ大学で勉学した、単なる女誑しではない深い教養を持ち、哲学科学
にも通じ作家としても優秀な男。
彼については、ウィキぺディア・イタリア版に模範とされる詳細記事もあるのですが、
ここではグンと絞り、このピオンビからの脱獄の逸話についてのみ記しますね。



ピオンビに収監され脱獄した模様を、彼は簡潔な文体、深い観察に満ちた
記述で残しており、

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Fondazione Musei Civici Venezia というサイトに記述があったのですが、
調べると現在は消されて、ヴェネツィアの博物館群のサイトに纏められ・・。
    
ですが、そこからの図版、資料も含めて簡略にご案内を。

       

図をどうぞ。 ドゥカーレ宮の5階部分で、数字10の部屋に彼は最初収監されます。
スパイ容疑と幾人かの貴族を籠絡したという容疑で、最初はピオンビと知って仰天
した彼もすぐに自分を取り戻し、脱獄計画を練り始めます。

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自分の監房を出て、11の部分で散歩する許可を貰い、そこで上でご注目を願った
鉄のカンヌキ、大きさはあれほど大きく無かったと思いますが、を見つけ、
内緒で自分の牢に。

で、翌年8月の末、床に穴を開け、翌日脱獄実行という所で、突然に部屋替えが
行われ12の部屋に。

穴は発見されますが、多分獄吏に金銭も使い、上部への通告は免れるものの
監視は厳しくなり、再び同じ手は使えない事に。

ここで運が良いというのか、同じ監獄仲間の司祭と知り合い、彼の部屋は13で、
9月29日獄吏を通してカンヌキを彼に渡す事に成功、司祭は8日間で天井に
穴を開け、昼間はそこに聖画を貼りごま化したとか、

2重になっていた天井によじ登り天井裏を歩き、10月16日カザノヴァの牢との
境の壁を破ります。
10月31日カザノヴァの部屋の天井に穴を開ける事に成功、カザノヴァも天井裏に。



こうして2人でドゥカーレ宮の鉛の屋根覆いを破り、数字15、
屋根を伝い、今度は天窓を破り中に入り込み16、狭い階段を下り17、もひとつ
階段を下り、18の上で、写真を見て頂いた最高書記官の部屋にまで。
部屋に鍵は掛かっていた物の、またもやカンヌキを活用してなんとか穴を開け、
階段を2つ下り19に、そして20の秘密の行程入り口ロビーに。

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ここからは、どこに行くにもたくさんの扉、しかも鍵で閉められているのですね。
明け方になり、カザノヴァは窓から顔を出し警護人に見せ、警護の男は、昨夜
知らせないままに閉じ込められた人間と思い込み、次々に鍵を開けてやって来ます。

待ち構えていた2人は物も言わず大急ぎで金の階段を下り21、
右に曲がりロッジャに22、次いで左に巨人の階段に23。
こうして24のカルタ門から逃げ出し、ゴンドラに乗り逃亡に成功したのが
1756年10月31日夜から11月1日朝にかけての事。

彼以外にこのピオンビから脱獄に成功した者はおらず、
脱獄記に、大きな幸運があったとはいえ、出来ると思って取り組んだ
自分の勇気に誇りを持つ、と書いているそう。
確かに!



天井裏の部屋から僅かに外を覗いて写せた2枚、どうぞ!
この眺めも収監者は見れなかったでしょうが。

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こちらもサイトから見つけた写真で、釣り天井の上の様子です。 以前の見学の時は
この上も歩けたそうなのですが、一度事故があり、見学者が落ちたとかで、現在は見るだけ。

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最後に、夜のドゥカーレ宮の眺めをお楽しみくださいね。

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千年を超えるセレニッシマが最後を迎えたのが1797年5月12日。

ヴェニス共和国の滅亡によせて

かつて華やかな東方を領有し、   
西方の砦たりしヴェニスの価値は   
その生まれを辱めることなかりき、   
ヴェニス、自由の長子よ。   
  
いかなる奸計にも誘惑されず、   
いかなる力にも犯されることなき   
輝かしく自由なる処女の都市。   
  
その夫を選ぶとき、   
永遠の海原をめとるべきかりき。   
栄光が薄れ、称号が消え、   
その力衰え行くを見る時、如何にせん。   
  
されど、その永き命の終わる日、   
愛惜の貢物が捧げられるべし。   
我ら人の子、かつて偉大なりしものの影   
消え去らんとする時、悲しむべきなり。    
     ・・ウイリアム・ワーズワース

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という所で、長らくのお付き合い、本当に有難うございました!  感謝です!!

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・ n.3 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア

パラッツォ・ドゥカーレのご案内3回目となりました。

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イタリアでドゥカーレ宮と呼ばれる有名な建物はヴェネツィアの他に、
かのウルビーノのフェデリコ・ダ・モンテフェルトゥレ公のが即頭に浮かびますし、
グッビオにも素晴らしいのがありますね。
そして北イタリアではマントヴァのゴンザーガ家のドゥカーレ宮、
そしてジェノヴァにもと、各地にありますが、

このヴェネツィアのドゥカーレ宮は、えへん、かっての総督官邸、行政庁というには
外観の色からして、白とピンクの石という優雅な趣の上に、
下の階はロッジャが取り囲んだ如何にも風通しの良い建物で、
海からの襲撃などは有り得ない、との確固たる自信も垣間見えます。
       
セレニッシマ・Serenissima、いとも高貴な、と呼ばれ1000年に渡って続いた
ヴェネツィア共和国の、こうした美しいドゥカーレ宮のご案内は、裏に隠された
ちょっと暗い部分などもご覧頂く予定で、説明が少し長くなるかもですが、
どうぞごゆっくり、お付き合い下さいませ!

上の写真は、最初に中庭からも見て頂いた「巨人の階段」で、
上に据えられた2体の彫像は右がネプチューン・海神、左がマルス・軍神で、
ヴェネツィア共和国の海と陸の統治を意味すると。



現在階段は通行禁止ですので、2階のロッジャからの様子を。
こちらはマルスの方で、左下に中庭の最初でご覧頂いたアルコ・フォスカリが見えます。

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単にフォスカリのアーチ、というよりは凱旋門とも言うべき物で、見える通路・
フォスカリのロビー、通路と呼ばれるのが、現在出口になっているカルタ門に続きます。

右上隅に見える煉瓦色の部分は、お隣のサン・マルコ聖堂で、
フォスカリのアーチもサン・マルコ聖堂の壁に寄り掛かった形。

この2体の巨大な像はサンソヴィーノ・Jacopo Sansovinoの作で、
彼はこれを12年かけて作り上げ、ここに据えられたのは1567年、
階段は1483年から91年にかけて造られたものだそう。

マルス像のお尻だけご覧頂いたのにはちょっと訳がありまして、 ・・つまりです、
ネプチューン像は腰に布を巻いているのですが、後ろからだとちょうどお相撲さんの
まわしの格好になっていて、撮るのに少し抵抗があり・・、
いや、大相撲は大好きでしたが・・、はは。
       


アルコ・フォスカリの上部はこんな様子で、彫像は福音者たち。
この眺めだと、サン・マルコ聖堂との関係も良く分かりますね。

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階段の上から見下ろすアルコ・フォスカリの通路部分。

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こちらが下から見上げる様子。 階段の上に有翼のライオン、聖マルコのシンボル
であると共にヴェネツィア共和国のシンボルのライオンが見えますが、

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新しいドージェが誕生した時は、このライオン像の下でドージェのシンボルである
角型の冠き、宣誓する儀式が繰り広げられたのだと。

このライオン像は1797年にナポレオン軍が破壊し、後に復刻されたものだそうで、
横に見える紋は81代のフランチェスコ・ヴェニエーロ・Francesco Venieroの物で、
読むのには面白いドージェでしたが・・。

大変背の低いよぼよぼで、6日5歳ながら歩くのに両脇から抱えられる程で
その癖大喰らいで、もう食べられないという程に食べ、金持ちをひけらかし、
民衆からは好かれず、飢饉に見舞われた時にあいつのせいだと言われても
本人は屁とも思わず、自分の奥方が結婚指輪をはずした時になって
初めて、それは大変だ、と思ったとか・・! ははは。



所でちょっとこの階段に関して問題提起を。 こちらの絵をどうぞ。       

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1355年に国家転覆を企て斬首刑になった55代ドージェ、マリーノ・ファリエーロの
処刑前を描いた場面。 18世紀末のヴェネツィア生まれの画家アイエス・Hayezの
作品で、彼は浪漫的な有名な絵をたくさん残しておりますが、
これはヴェネツィアの歴史主題を取り上げたうちの1枚。

ご覧の様に、後ろに巨人像は見えない物の立派な石段が見えますね。
が、上記しました様に、2体の巨人像は1567年、階段は1483~91年の作で、
ファリエーロの処刑は1355年。
ね、少し絵画背景の時代公証があやふやでしょ? ドラマチックではありますが。

多分石段になる前は、「金の階段」がそうであった様に木造階段だったろうと思いますが、
処刑場面の描写については
参考にしている本 Claudio Rendinaの I DOGI に
・・黄昏時に石の階段の平坦な部分の上で・・とあり、

一方塩野七生さんの記述には、
・・内庭から二階の柱廊に通ずる広い階段の上で・・。

この処刑場面は、ドラクロアがもっと劇的に、まさに斬首場面を描いたのもあり、
それにも石の階段。  ・・愚考しますに、この劇的な場面背景には、
堅固な石の階段が似合う筈と画家のイメージを刺激し、
その上に、アイエスは実際の欄干とは違う柵の形を描く、という技も見せており、
両方を見比べて下さいね、
そんなこんなにして、これらの絵画の印象が定着しているのかもですね。
       
ドラクロアの絵の方は大勢の登場人物の賑やかさに負けぬよう、
柵の無い、もっと重い石段となっています。

絵をクリックすると大きくなるので見比べをどうぞ。 重い絵ですのでご注意。
http://www.executedtoday.com/2009/04/17/1355-marino-faliero-doge-of-venice/
       
バイロンが戯曲「マリーノ・ファリエーロ」を書き、それを題材にドニゼッティが同名の
オペラを作曲しているとの事。



こうして一国の象徴とでもいう建物の出口、かっての入り口のカルタ門に向かいますが、
まだ未練がましく写し、ははは、

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悔しい事に、まるで気がつかなかった階段の細部をガイド・ブックの写真でどうぞ。

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そうなのですね、この石段の一段毎にこの様な細やかな青銅の象嵌だそうですが、
嵌め込まれているのですね。
段の面と横の手すりにも少し濃い色で見えるのが細かい細工部分です。
ならばまぁ、この階段を現在一般観光客に使わせないというのも、納得!

ですが、この階段の写真を見た時には、一瞬本気で、撮り直しに行こうかしら、と
思ったほどでしたよ、はは。 ・・ええねん、次の時にはどアップにするもん!



こちらがドゥカーレ宮の正面玄関であるカルタ門・Porta della Carta.

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この門、そして今通り抜けて来た、中庭から見て頂いたアルコ・フォスカリ、

はたまたヴェネツィア有数の美しく優雅な館カ・ドーロの内庭の井戸の、
赤い大理石の井桁、マドンナ・デル・オルト教会の正面扉の周囲の飾り、
これらすべてが当時15世紀の設計彫刻家のバルトゥローメオ・ボン・
Bartolomeo Bonの作品との事で、

両脇に見える壁龕の並びの赤い大理石部分、ここはかっては金色に塗られていたそう。

n.1 カ・ドーロ ・ ヴェネツィアの館
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463740863.html
       
        
 
門の中段にある有翼のライオン像とその前に膝まづくドージェは、写真はサイトから拝借、
ドージェは34年間という最長不倒の在位期間のフランチェスコ・フォスカリ・
Francesco Foscariで、この像もナポレオン軍に破壊されたのを、
19世紀に摸刻、据えられたのだそう。

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こちらが、フランチェスコ・フォスカリの肖像画ですが、

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これは現在日本で開催中の「世界遺産ヴェネツィア展」に参加し日本に出張中
だそうですから、実際にご覧になられる方も多い事でしょう。
展覧会のサイトは、既に消されていますが、
東京の後は、名古屋、仙台、愛媛、京都、広島と約1年かけて巡回する予定で、
日本初公開というカルパッチョの「二人の貴婦人」も展示との事で、
皆さん、ヴェネツィアの空気を吸いにどうぞお出かけ下さいね。


ヴェネツィア政府の1000年に及ぶ長い歴史の中、697年と記録される初代の
パオロ・ルーチョ・アナフェスト・Paolo Lucio Anafestoの選出から、
1797年のヴェネツィア共和国崩壊時の最後のドージェ、ルドヴィーコ・マニン・
Ludovico Maninまで、120人のドージェが在任しました。

記録に残る英雄的な働きをしたドージェから、上書した様に、くたばり損ないの様な、
失礼! 惨めなドージェ迄様々。

1100年間に120代というと、計算では平均9年の在となりますが、
ちょっと計算して見た所、20年以上在というのが僅か8人。 選出がかなりの年に
なってという事もあるのでしょうが、3年未満というのがかなりの数に上ります。

65代のこのフランチェスコ・フォスカリ・Francesco Foscari、
ドージェ在任34年(1423-1457)の最長記録を誇るだけでなく、その生涯の最後が
悲劇的というか哀れで、全盛期が華やかだっただけに、少し心に残りますので、
暫くお付き合い下さいませませ。

彼はヴェネツィア貴族の古い裕福な家柄の生まれで、元々の家業は商取引と、
エーゲ海方面に持つ領土からの上りでしたが、
1373年生まれの彼は政治の世界に27歳の時に飛び込み、めきめき頭角を現し、
1423年若干49歳にしてドージェに選出。

人の話も良く聴き、雄弁、説得力にたけ、体格も良く見栄えもするという人物。
34年間の彼の在任中、ヴェネツィアの領土はかってない程の広範囲に及んだものの、
つかの間の平和以外は対外的に戦争に明け暮れる年月で、フェッラーラ、
ミラノのヴィスコンティ、ついでトルコと絶え間なく、
ますます勢いを増すトルコの前に、1453年5月、遂に東ローマ帝国の崩壊も。
         
大貴族間の確執、干ばつ、大潮、干潟の凍結、地震、ペストと引きも切らず、
このペストでは彼の11人の子供の内、(2度の結婚)4人が死亡、男子は1人
ヤコポが生き残ります。

長い戦争に続くこうした災害により国の財布も薄くなり、ナイフで切りつけられそうに
なった事もある程。

ですが一方、この時期に一応のドゥカーレ宮の完成も見、1434年には当時
フィレンツェからヴェネツィアに逃亡中のコジモ・デ・メディチのお陰で、
サン・ジョルジョ・マッジョーレ修道院の図書館の充実、
ドナテッロ、フィリッポ・リッピ、マンテーニャ、そしてベッリーニ一家が競い、
素晴らしい作品を生み出すパドヴァと並んで2大文化の繁栄地と。

その間、1428年にはポルトガル王の弟ペードロ公、フィレンツェのサン・ミニアート・
アル・モンテ聖堂に眠るポルトガル枢機卿と呼ばれるジャイメ王子の父親、
フィレンツェ・ルネッサンスの天才彫刻家、デジデーリオ・ダ・セッティニャーノの
実の父親と見られるコインブラ公ペードロのヴェネツィア訪問、

1442年、フランチェスコ・スフォルツァとその妻ヴィアンカ・マリーア・
ヴィスコンティの訪問、
1452年には、15歳のポルトガル王妃エレオノーラの訪問があり、
       
その際の豪華な歓迎式典には、金の衣装の120人と、130人の深紅色の衣装、
勿論宝石を輝かせた貴族女性の出席とか、200人の金色衣装の貴族の行列とか、
250人の金色衣装、宝石の貴族の子女の列席とか・・、
・・なぜか宴会の御馳走の記述がないのが、まことに残念!!

サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂 ・ フィレンツェ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464150189.html

デジデーリオ・ダ・セッティニャーノという彫刻家をご存知ですか?
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464150494.html

オビドス その1 ・ ポルトガル 
       
ヴェネツィア ・ ドゥカーレ宮 ・ Palazzo Ducale

という、少々長いお話になりましたが、お楽しみ頂けました様に!
本当はこの後ドージェ・フランチェスコと息子ヤコポを襲った悲劇と、
ドゥカーレ宮の「秘密の行程」を続ける予定でしたが、字数制限で・・!

という事で今回はフォスカリ家の中途で一旦終了し、
次回に最終回を、という事でよろしくお願いいたします!

    
最後のお口直しに、この1枚を!
  
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・ n.2 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア

ヴェネツィア観光で欠くべからざる見所の一つ、かってのヴェネツィア共和国の
行政司法の最高権力が集まっていたパラッツォ・ドゥカーレ。

その素晴らしく大きく美しい建物内部のご案内を、よちよちながらも続けさせて
頂きますので、今回もどうぞよろしくお願いいたします。

これは3階の、大評議会室からの眺めだったと思いますが・・。
手前はご存知サン・ジョルジョ島で、奥に一直線をひくのがリド島・Lido。

26-710_GF.jpg

この高さだと、打たれた杭がラグーナ・干潟の中の航路を示しているのも良く見えます。
       


という様に、時に開いた窓から外の明るい陽光を眺め、海風を吸いたくなり・・、
そうなのです、平面図では何階の何の部屋、と見えますが、
大きな階段以外の内部の連絡通路はこんな感じでして、まるで暗い迷路的。

27-712_GF.jpg

つまり大きな広間の天井の高い部屋は、その階の高さなのですが、それ以外に、
いわゆる中の階が結構あるのですね。 
古いお城などにもよくあるのですが、今回もそんなこんなで、同じガイド・ブックでも
平面図と説明に違いがあり、それも漸くになんとか克服して、
・・いるとは思うのですがぁ、ははは。



この辺りもどこの部分か、・・記憶にございません。はは。

28-713_GF.jpg



ふっと気がつくと、窓の外で修復作業の女性がお仕事中。
コツコツと窓ガラスをたたいて、写真OKの許可を貰い、

29-1-702_GF.jpg

29-2-703_GF.jpg

ガラス窓の古い接着パテの様な物、石の間の汚れの堆積、そんな汚れを清掃中の
様子でしたが、暑い日に覆いの中、しかもこの高さでご苦労さまです。



ここで一応の平面図をどうぞ。
下に書いてあるPrimo Piano・2階、Second Piano・3階は大嘘で、
これは3階と4階の平面図になります。

30-504.jpg

3階の南棟にあるのが、大評議会室・Sala del Maggior Consiglio、
パラッツォ・ドゥカーレの中でも一番有名な大広間ですね。
東棟の先にドージェの住居・Stanza del Doge、いわば元首官邸があり、

で、右に東棟だけがありますがこれが4階部分、ここの真ん中に、
泣く子も黙る10人委員会・Consiglio dei X の部屋が見えます。
       
秘密の行程で見物した書記官の部屋とか、拷問室とかはここには出ておらず、
勿論ね、3階ロビーの横の扉から入り、一挙に狭い階段を上り、
3階と4階の中間にあたる階、と思うのですが・・。

と、例のピオンビ・鉛と呼ばれる屋根裏の牢屋、カザノーヴァで有名ですが、
これは通常の平面図には出ない屋根裏ですね、なども見ましたので、
またこれも最後にご案内を。



これは3階の窓からの中庭の眺め。
白い線が見えますが、この右の直線が、司法官たちの儀式の際の、ええと、
定めの線とでも。

31-715_GF.jpg

言葉と意味が曖昧ですんまへんです、本人も良く分からず、はは、ですが今こうして
見ていると、つまりは身分階級の領域を示した線とも納得でき・・。



東棟の素晴らしい眺めをどうぞ!

32-717_GF.jpg

33-716_GF.jpg

ですが、あの、真ん中に3つ飛び出た窓が見えますね、実はですね、あの下に
拷問室があるのですぞ。最後の回の「秘密の行程」をお楽しみに!



ガイド・ブックからの写真でご覧頂く、3階にある、パラッツォ・ドゥカーレの中でも
一番有名な大広間、そしてヨーロッパでも有数の広さを誇る、大評議会室・
Sala del Maggior Consiglio、
評議会と呼んでおりますが、実質的にヴェネツィア国国会に当たる物。

34-1-395.jpg

ご覧の様に柱が中に1本もありませんが、長さ53m、幅25m、高さは12mという
素晴らしい広さで、天井の各絵画は、屋根の桁組みによって上から吊られていて、
フィレンツェのヴェッキオ宮の、あの広い500人広間の天井も、このヴェネツィアの
屋根裏を見てヴァザーリが研究したと言います。

この大広間は平面図をご覧頂くと分かるように、採光に南面に5つ、西面に2つの
大きな窓を持っていて、
ここにヴェネツィア共和国の最盛期には、国政参事の貴族からなる1200名から
2000名にも及ぶ議員が集い国政に関する討議を行ったのですね。

大評議会の様子を描いた絵画をご覧になった方もおいでと思いますが、
この議員たちの座り方がちょっと変わっていまして、
2人が座れるベンチ式の椅子が、正面のドージェ達の座る壇から縦に、
我々日本人の意識では、正面の壇に向かって水平に座ると思うのですが、
部屋の長さに従ってか、縦列に座っていた様子。

どういう風に議事が進行したのか、ちょっと興味深いですね。
隣とお向かいと、大いにお喋り出来る環境ではありませんか?! ははは。

またこの部屋は、外国からの賓客を迎えての煌びやかな歓迎儀式の場、
そして大宴会場となった場所でもあります。
ドージェの在位期間の一番長いフランチェスコ・フォスカリ、彼の在任中の素晴らしく
豪奢な大宴会の様子の記述もありましたので、また最後の回にご紹介しましょう。

天井の下の部分に横長の枠が見えますが、ここにヴェネツィアの代々のドージェの
肖像が2人づつ並べて描かれており、唯一黒幕で覆われた一人は、
55代マリーノ・ファリエール・Marino Farlier、
1355年に国家転覆を企て、中庭で斬首刑になった人物。
     

              
現在のここの装飾は1577年の大火の後のもので、正面には、布に描かれた絵画では
世界一の大きさを誇るティントレット・Tintoretto、本名ヤコポ・ロブスティ・
Jacopo Robustiの描く「天国」、7,45mx24,65m
と、絵の大きさから書き出すと、なにやら香具師の売り込みみたいですが、はは、

34-2-588.jpg

彼の絵は、ミケランジェロのデッサンと師であるティツィアーノの色、と評されるそうで、
絵の暗さがイマイチ好みでなく、すんません、余りまともに鑑賞した事もなく・・、
今回読みました事をここに受け売りで。

現在のこの部屋は1577年の大火の後の装飾と書きましたが、この下にはパドヴァで
活躍していたグアリエント・Guarientoのフレスコ画があったそうで、
他にはジェンティーレ・ファブリアーノ、ピサネッロなどもあったのが消失で残念ですね。

でその後の作品について決めるのに1580年にコンクールが行われ、ヴェロネーゼと、
ヤコポ・バッサーノの息子のフランチェスコに決まったものの、1588年にヴェロネーゼの
死亡により、ティントレットが受けたのだそう。

現在ではこの作品にティントレットの名前しか出ませんが、「天国」は1588年から
92年にかけての制作と言いますから、改めて一人で注文を受けたのかもですね。

なにせこの大きさですから、彼の工房で弟子たちも総動員し、各部分に分けて、
実際に各片にして描きあげ、彼の息子ドメニコが現場での接続にも大活躍したそう。

各片にして、という部分を最初読んだ時はえ?!と思ったのですが、
例えば大作の中に肖像画を入れ込む場合など、仮枠に張りつけたキャンバスに描き、
つまりこの部分はマエストロ自身が腕をふるい、それを大作の中に直接に
縫い付けさせるのが常だった、というので、納得しましたが、

売れっ子作家の工房の仕事模様、またキャンバスに油を使って描く様になった
技法の自由さを大いに感じた事でした。

バッサーノ・デル・グラッパ ・ ヤコポ展を見かたがた
     
       

この大評議会室にある絵画は勿論ティントレットだけではありませんで、
全部で53枚の絵画があるそうですが、
こちらは天井画の一枚、ヴェロネーゼ・Paolo Veroneseのもの。

34-3-403.jpg
 
吊り天井の様子はこちらでどうぞ。
n.1 フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461595223.html   
     
グアリエントについては、
n.2 パドヴァ ・ 黄金の世紀 の 1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462330115.html
      


これは大評議会室の正面に向かって左にある、細い通路。 平面図にもあり。
ちょうど人一人が通れるくらいの幅で、ドージェたち要人は、大勢の議員と一緒に
同じドアからは出入りしなかったのでしょうね。
一同待つ議場に、すっと横から姿を現す、と舞台効果も満点ですね。       
 
34-3-719_GF.jpg      



有名な部屋のご案内を続けますが、ここからは4階です。

四扉の間・Sala delle Quattro Porte、ここもティントレット、ティエポロ、
ティツィアーノの絵画のある部屋ですが、奥に続くサーラ・デル・セナート・
元老員の間や、サーラ・デル・コッレージョ・各省とでも、の聴聞会に出席する
議員たちの待合室だった様子。

34-4-393.jpg



この部屋にある絵画の内、ティエポロ・Gianbattita.Tiepoloをどうぞ。

34-5-404.jpg

この絵には思い出がありまして、ドゥカーレ宮の修復が始まった最初の頃は
覆い幕が現在の様にあの破廉恥きわまる広告ではありませんで、
覆われる部分のドゥカーレ宮の写真でした。

その時の覆い幕の角がちょっとめくられた形になって、中にこの絵が見える、という
アイディアの仕掛けがあり、その時の印象が強く残っています。
どこかにあの時の写真があった筈、また見つかったらご覧にいれましょう。



こちらが泣く子も黙る10人委員会の部屋・Sale del Consiglio dei Dieci.
つまり、国家の安全に対する危機、謀反等に迅速に対処する為の特別委員会
とでも言いますか、独自の強い権力を握っていた議員たちの部屋です。

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塩野七生さんの「海の都の物語」に、ヴェネツィア政府の「政治の技術」という記述に、
権力が唯一の人物に集まらない様に、複雑で重複する仕組みが描かれておりますが、
それでもなお長い世紀の間には様々な問題が起こっています。



こちらはその10人委員会の部屋の天井画、ヴェロネーゼ作。 上の四扉の部屋の
ティエポロの絵共々、主題はそれぞれに貢物を受け取るヴェネツィアの寓意画で、

34-7-405.jpg

・・幸あれと願うより、こんなに儲かっている、という意味?!ははは。



さて、ヴェネツィアの豪華絢爛な部屋はまだまだたくさんあるのですが、
下の階に下って頂き、

35-1-720_GF.jpg



こちらは2階の武器庫にあるという、・・記憶にありませんが、ガッタメラータ・
Gattamelata・と呼ばれる有名な傭兵隊長の鎧兜をガイド・ブックから。

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ガッタメラータというニックネームの由来については、その狡猾さが隠された
彼の優しいやり方、からとか、彼の母親の姓のガッテッリ・Gattelliからだとか、
はたまた最近明らかにされた研究では、彼が戦いで被った兜の頂きにある飾りが、
蜜色の猫の形をしていたからとか。

いずれにしても、ガッタが雌猫ちゃん、メラータは蜜とか蜜の甘さを言いますから、
昔聞かされた「化け猫」ではなさそうですね。

ウンブリアのナルニ・Narni出身、エラーズモ・ダ・ナルニ・Erasmo da Narniが本名、
フィレンツェ、教皇の元で働き、そしてヴェネツィアに。
対ミラノのヴィスコンティ家との戦いで目覚ましい働きを見せ、ヴェネツィアの総司令官
にまで上りました。

パードヴァのサンタントニオ聖堂前にあるドナテッロ作のガッタメラータ将軍騎馬像は、
教科書にも載っており、皆さんも良くご存じと。

ナルニの町も大変素敵なウンブリアの町で、あそこのパラッツォ・コムーネにある
ギルランダイオの祭壇画、あの素晴らしく美しく見事な祭壇画は忘れられませんが、
・・町のご紹介もまだ残っておりました。



という訳で、お待たせいたしました、
4階の素晴らしい天国の部屋をご覧頂いた後は、牢獄にご案内いたします、はは。

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初期のドゥカーレ宮1階にも牢獄があったのが、収監者が増えたか、17世紀になり
運河の向こう側に新しい牢獄の建物が出来、有名な溜息橋で繋がるようになります。



今回見た牢獄は如何にも小綺麗に修復済みで、ひんやりした空気、薄暗い石牢、
分厚い頑丈そうな扉はともかくも、大部屋などはちょっとした寄宿舎並み、とでも。

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一番最初、昔に見た牢獄はこんなちょろい物ではなく、暗い暗い怖気立つ程の
石の穴倉だったのをよく覚えています。
今頃は様々な思惑を恐れ、見物の子供たちへの影響も考え、
適当な所を見せているのでしょうね、きっと。

追記:牢獄についての感想、昔見た監獄は、という件ですが、確かに
   「ポッツォ・井戸」と呼ばれたもので、大変酷い物だったと記憶しますが、
   あれはドゥカーレ宮の下にあり、現在は見学域に入っていないのではないかと
   気が付きました。 
   というのも、牢獄見学は溜息橋を渡り、ドゥカーレ宮の東の新しい監獄の建物
   だけなのですね。
  「秘密の行程」で見る事の出来る天井下の牢獄「ピオンビ」は貴族も入れられて
   いたもので、「ポッツォ」よりはましの部屋で。2019.3.11


これは、溜息橋の上の窓。 ガラスが嵌っていて、手を振るなんぞは出来ません。

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小さな隙間から覗く世間、花のヴェネツィア。
この窓を見る為の、今日もまたいっぱいの観光客様さま。

41-729_GF.jpg

という所で、ドゥカーレ宮のその2をお終いにして、
また次回をよろしくお願いいたします!
     
このドゥカーレ宮を始める前は、長い説明ばかりで見て下さる人も少ないかも、
と心配しましたが、変わらずの訪問者数で本当に励まされています。
有難うございます!  よたよたながらも、頑張りますです。 
      
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・ n.1 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア

皆さま、ヴェネツィアにようこそ!

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空から眺めて頂くと、ヴェネツィア本島の中心にサン・マルコ聖堂の鐘楼が聳え、
その右にドゥカーレ宮が大きく少しピンク色にどっしりと、 
左少し手前にはサンタ・マリーア・デッラ・サルーテ教会があり、
ジュウデッカ運河を挟んで、レデントーレ教会が茶色に大きく、
右に目を移すと、サン・マルコ広場の向かい側になる、サン・ジョルジョ島の教会と
鐘楼が見えますね。

サン・マルコ小広場からだとすぐ向かい側に見えるサン・ジョルジョ島ですが、
こうして見ると、意外に間の運河が広い事も良く分かります。

ヴェネツィア本島の上には、お墓の島サン・ミケーレが四角く、そのすぐ向こうに、
ガラスで有名なムラーノ島、そしてラグーナ・干潟があちこちにあるのも良く見えます。

ヴェネツィアにようこそ! ・ 空からのヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463623119.html



という事で、今日から4回に渡って、ヴェネツィアのシンボルであるドゥカーレ宮・
Palazzo Ducale、かってのヴェネツィア共和国、1000年に渡って続いた
セレニッシマ・Serenissimaと呼ばれた国の、行政司法の中心であった
建物内部をご覧頂こうと思います。

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とはいえ、内部のご案内に付随するこの国の政治形態については、
塩野七生さんの「海の都の物語」に素晴らしく詳細に書かれておりますし、
私が言及するには到底力不足なので、パスです。
       
内部は、殆どの有名な広間などは写真禁止で、それに、余りの広さと見事さ、
建物の大きさで見疲れた挙句に軽~く方向感覚も失い、正直言って撮る気力も失う程
でして、・・という事で、ガイド・ブックからの写真もお借りする事に。

が、修復が進み、建物は大変美しくなっていますし、博物館としての整備も進み、
徐々に見物できる部分も増えています。 が、また逆に観光客の多さからでしょう、
見れる部分が昔よりも限定される部分もあります。
なにせ、2010年度の訪問者は136万人程というのですから、
・・入場料 X ・・と試算したくなりません?! ははは。

イタリア全体の観光についての一般向けガイドブックの中で、ヴェネツィアに割かれた
ページが何枚かで、またその中のパラッツォ・ドゥカーレとなると、半ページ程。
ですからそれより少し詳しく、写真も多く見れる、という事にしたいと思っています。
       
・・というご挨拶を申し上げ、よろしくお付き合いの程を、
ごゆっくりお楽しみ下さいますように!
写真の殆どは昨年秋9月の物ですが、何枚かは以前のものもあります。


こちらがドゥカーレ宮見物の入り口、建物南側、スキアヴォーニ河岸に面した場所。

1-3-341.jpg



まず中庭の素晴らしい眺めをどうぞ!
現在の入り口から入って来た向きでの中庭の眺めです。

2-664.jpg

とお断りするのは、今正面に見えるアルコ・フォスカリ・Arco Foscariと呼ばれる
白い一連の突き出した部分、この下のアーチの通路を通って現在は出口ですが、
これがかっては建物の正面玄関であったカルタ門・Porta della Cartaに。

カルタ門のカルタは紙の事で、すぐ近くに記録書館があり、代書屋がたむろしていた
そうなのですね。 カルタ門は、一連のご案内の最後にご覧頂きますね。

で、現在の訪問者用の門はなんと言うかと思われました? はい、shinkaiめも探し、
ポルタ・デル・フルメント・Porta del Frumento・穀物門、と分かりました。
荷の積み下ろしのあったであろうスキアヴォーニ河岸に向かい、かっては建物内部に
大切な兵糧、穀類倉庫もあったでしょうから、納得です。

写真右の影の中に見える階段は、階段上部に2体の大きな彫像があり、
巨人の階段・Scala dei Giganti・スカーラ・デイ・ジガンティと呼ばれます。



アルコ・フォスカリのアップをどうぞ。
ご覧になって、アルコ・フォスカリの上に丸屋根がある、と思いになるかもしれませんが、
これは私めの責任で、この丸屋根はすぐ向こう側お隣にあるサン・マルコ聖堂の
丸屋根なので~す、すんまへん。

3-678.jpg


時計部分のアップですが、文字盤をどうぞ。

4-675.jpg

始めて気が付きましたが、数字が5,10,15と進み、60で最後ですが、この表現は
初めてで、まさか、1時間で一回りとも考えられませんし、何か意味があるのかな? 
また調べてみましょう。

時計の一番上に見える2人の天使に挟まれた紋章ですが、アルコ・フォスカリの
一部ならば、フォスカリという名のドージェ・総督、フランチェスコ・フォスカリ・
Francesco Foscari、ヴェネツィアの最盛期に、最長不倒の総督期間を
過ごした彼の物かと思ったのですが違いました。

という事からまたあれこれ探し、この紋を持つドージェが120代迄続いた内に
誰もいない事、このあるこの上に突き出した四角な部分全部が、
65代フランチェスコ・フォスカリの在任中(1423-1457)に建設されたものではなく、

後の67代クリストフォロ・モーロ・Cristoforo Moro(1462-1471在)と
72代ジョヴァンニ・モチェニーゴ・Giovanni Mocenigo (1478-1486在)にも
持ちこされて完成された事が分かりました。

上部の時計も、1615年にという記述があるので、もっと後の時代の設置かも。

追記ですが、上の天使に挟まれた紋は、ドージェの冠が上に見えるのであれこれ探し、
92代のジョヴァンニ・ベンボ・Giovanni Bembo(1615-1618任)の、
花が山形の下に1つ、上に2つと分かりました。

最初に出来たアルコの上になぜこんなに次々と重ねて行ったのかをあれこれ考え、
中庭から、1階の回廊から見た時のアルコの上に、お隣の聖堂の壁が直に見えるのを
隠そう、ドゥカーレ宮の独立感を強めようと継ぎ足して行ったのかも、という推測で。



という所で、こちらをどうぞ。
ヴェネツィアのドージェについての記述が詳しく、参考にするClaudio Rendina著
「I DOGI」にあった図版、分かり易いように空と右側部分を切っていますが、

5-1-401.jpg

アルコ・フォスカリも全部が完成していない時の様子で、手前に屋根のある下り階段、
多分木製が見え、徐々に徐々に様子が整えられていったのが分かります。
この図版の年代はありませんが・・、


皆さん良くご存じの様に、ヴェネツィアはラグーナ・干潟に杭を打ち、地盤を固めて
造り上げた街、蛮族に追われて本土から逃げ、干潟のこの地に新天地を求め、
営々と造りあげた街で、小さな破片の様な土地を400以上もの橋で
繋ぎ合せている訳ですね。

ですからパラッツォ・ドゥカーレが最初に造られたのは、完全に要塞の形であったという
9世紀に溯りますが、今我々が見る形は14~15世紀に整えられ、
美しく再建され始めた以降の物と言えます。
何度もの大火による大波壊も乗り越え、その後も留まる事無く、4世紀間に渡り
次々と改装美化され続けた、まさに一国を象徴する建物なのですね。
       
アルコに名を残すドージェ、フランチェスコ・フォスカリについても、かなり今回
あれこれと分かりましたので、最後のカルタ門の時に一緒にご案内致します。



巨人の階段部分。 このご案内も最後にで、ここでは中庭からの素晴らしい雰囲気を。
昔々イタリアに初めて来た時、見物にもカルタ門から入り、この階段も上がれた
ものでしたが・・! 昔話。 

5-2-677.jpg

一番上左のテラスにちらっと緑が見えますが、あの右手奥がドージェの居住区だった所で、
テラスではドージェ夫人が植物を育てたのだと。



中庭から見上げる東の棟、ルネッサンス風部分と呼ばれる細やかな優美な装飾が
施された壁面ですが、
右端にほんの少し見える、南棟と西棟の中庭に面した壁面は、ゴシック様式の
古いレンガ積みのままの壁で、 

6-668.jpg



こんな感じ。 この壁は西棟のサン・マルコ小広場に面した方で、写真も上階から。   

7-1-684.jpg



中庭には美しくて大きな青銅鋳物の井戸が2つあり、こちらは南側にある物ですが、
いずれも井桁が1554、59年に作られた物と。

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西棟のポルティチにある大きな客室付きのゴンドラ。

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ドージェのお召しであったのかどうか、何も説明がありませんでしたが、
彫りの見事さをどうぞ。

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かってのゴンドラはこんな風に覆いの小部屋付きで、は~い、4畳半程広くはないと
思うのですが、うふ、ははは、色も黒ではなく、様々に塗られていたのだとか。

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で余りにも放埓すぎると、16世紀になって禁止されたのだそうで、
一説にある、ペストに因る多数の死者への追悼の為である、というのは当て嵌らず、
というのも、ヴェネツィア共和国時代の追悼の色は赤だったのだそう。 



中庭から、では上階の見物に。
東棟の中程にある金の階段・Scala d'Oroからどうぞ!

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ご覧の様に重厚華麗、化粧漆喰に本物の金を貼った物だそうで、82代ドージェ、
ロレンツォ・プリウリ・Lorenzo Priuli(1556-59任)の時に作られた物だそう。

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で、この階段を上まで上がって来ると3階のロビーにでます。
中央に見える扉、ここがドゥカーレ宮「秘密の行程」の始まる扉。

14-707.jpg

「秘密の行程」は一切写真が撮れず、ガイド・ブックからの数枚になりますが、
またこちらも最後にご案内いたしますね。

今回の見物は、この秘密の行程に参加して後、一般の見学同様自由に行ったり
来たりしたので、頭の中の地図がわやくちゃとなり、おまけに良い平面図が見つからず、
まぁ階層の複雑さもあるのでしょうが、頭の再構築に大変時間がかかったのでしたぁ。
       


この3階の四角いロビーの天井画はティントレット描く物で、右端に見えるドージェは
金の階段を作ったロレンツォの兄ジローラモ・Girolamo、珍しい事に兄弟続けて
ドージェになった、それも弟が先、という例。

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この時のドージェの選挙に対抗馬として出ていた者が背中に大きな瘤を持ち、猫背、
民衆が嫌って、もしグリマーニがドージェになるなら、犬に喰わせてやる!と
何度か叫んだのだそうで、・・凄いなぁ!
で、本人はかなり粘ったものの、遂に辞退したのだそう。

厳格さで鳴る、いや、そう言われているヴェネツィア共和国政府ですが、代々の選挙の
様子などを読んでいると、結構ハチャメチャで、ははは、民衆感情、ドージェの
生活態度も、人間の面白さがにじみ出て来るのが丸見えで、時に大いに笑えます。



これが有名な、ボッカ・ディ・レオーネ・Bocca di Leoneと呼ばれる、
秘密の告訴の投書口。

16-697.jpg

これは人間の顔をしていますが、ライオンの顔の物もあり、ドゥカーレ宮内に関わらず、
各地区に一つはあったようで、現在でもヴェネトのあちこちで見かけますが、
下に高利貸しに関する事、衛生問題等などと書かれていた記憶があります。

秘密の告訴と言っても、決して無記名ではならず、必ず自分の名と連名者が2名?
必要で、告訴によって呼び出しを受けると、司法官の前で説明する事になり、
後に10人評議会にまで届いたのだそう。



東棟3階の奥にドージェの居住部分・アッパルタメントがあり、その部分の様子を、
これはガイド・ブックの写真で。

17-392.jpg



こちらは中庭から見上げた時、奥に緑のテラスが見えた、あのテラスへの出口部で、
入れませんでしたがこんな様子を覗き見。 テラスが見える筈の窓にはヨシズが張られ。

18-698.jpg

「ガーデニングを愛したヴェネツィア元首夫人」についてcucciolaさんがこちらに。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/765095.html



では、ちょっと気分を変え、2階部分の柱廊をどうぞ。 どっしりとした柱が続く
奥にちらっと見えるのが、

19-685.jpg



サン・マルコ小広場なのですが、残念ながらテラスには出れません!
まぁ、妥当な処置ですよね、でないと、あのテラスが観光客で溢れかえるでしょうしね。

20-687.jpg



柱頭部分、かなり修復された様子が見えますが、ヴェネツィア共和国を倒した
かのナポレオン君の軍は、結構この地でも乱暴狼藉を働いているのでございますぞ。

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こちらも負けずに、べぇ~!とでも、ね。



こちらは南側に開ける部分ですが、こちら側もここまでで、
お馴染のサン・ジョルジョ島を今日の最後に。

23-694.jpg

古い記事ですが、よろしかったらこちらも。
ヴェネツィア ・ ドゥカーレ宮 ・ Palazzo Ducale
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461429395.html
      
 
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・ ヴェネツィア ・ 土砂降りのサン・マルコ広場 

今日は、土砂降りのヴェネツィアの、サン・マルコ広場をご覧下さいね。

写真はこの初夏に行った時のものですが、この日は朝から降ったりやんだりのお天気。
ザッテレ方面からの帰り道、S.M.デル・ジーリオの対岸から大型ゴンドラで渡り、
サン・マルコ方面に戻る途中、サン・モイゼ教会辺りで急に大降りとなり、
一旦軒先で雨宿り。

で、少し小降りになったのでサン・マルコの西回廊まで、コッレール博物館の下までは
なんとか来たものの、またまた土砂降りとなり、広場の端で雨宿りを。

その時に、いつもいっぱいの人で広場の端が見えない程のサン・マルコ広場が、
がらんどうなのを、初めて見ました!

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ヴェネツィアで雨に会われた方も勿論おいででしょうが、なかなかこれ程空っぽの
サン・マルコ広場も珍しいと思い、ははは、ちょっとご覧下さいね。

で、芸術の秋をちょっと気どりまして、はは、冗談で~す、モノクロにもしてみました。
      

 
こちらはヴェネツィアのみならず、イタリアで最初のカフェ、カフェ・フロリアーンの席。
強い雨足が見えるでしょうか?!

2-831.jpg



向かい側のカフェ・クワードリと時計塔の並び、そして見事に空っぽのサン・マルコ広場。
こうして見ると、広いですねぇ!

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鐘楼。

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雨宿りをしている上から、ダダダダッと滝の様に落ちる雨水!

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店の明かりだけが輝き、

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ほんのちょっと、ほんの気分だけ小降りになるやいなや、歩き始める親子連れ。
あんな小さい子が3人もいるのにねぇ!  ・・ドイツ人の親子かな?

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漸くに、仕方なく諦めて宿に向かいます。 先程のカフェ・フロリアーンの広場の席。

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横を通りましたら、なんと広場に張り出しのテント内では、カルテットが演奏を
続けておりまして、それを聞きに立ち止まる厚かましい観光客で通路は満杯。
店の前の席に座っているお客さま方は、お気の毒に、はは、
隙間のない雑踏に埋まっておりました。



スキアヴォーニ河岸から見るサン・ジョルジョ島。今、ほんのちょっぴり覗く青空。

10-846.jpg       

ヴェネツィア ・サン・マルコ広場の夜明け
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461786255.html

◆*◆

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パラッツォ・ドゥカーレについてあれこれ読む物が多すぎ、予定していたのが、
ちょっとダッシュせんと間に合わないと思う所に、・・あの、ちょうどそこにですね、
他の方のブログで見たのが「オグリキャップ」のお墓の写真。

懐かしい名前と記憶が蘇り、Youtubeに飛んで行き、最後の有馬記念の、
劇的な走りを繰り返し見ては落涙。 ・・ついでにあれも見、これも見で大幅遅れ、
時間不足。 で今朝遂に、パラッツォ・ドゥカーレは延期決定に! へへ。

競馬狂ではなくとも、馬が走る美しい姿には魅せられますし、オグリキャップは、
やはり凄い馬でしたものね。 真っ白になった晩年の姿も見て、感慨にふけりました。

オグリキャップ、最後の走りはこちらに。
https://www.youtube.com/watch?v=Txhm3tEtZ6Q

てな事で、次回に向け気合を入れて、はは、頑張りますです!
       
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・ n.1 メルの、 リンゴ祭り と 手仕事展 

この9日の日曜、大快晴の日でしたが、ルイーザとレナート夫妻・
Luisa e Renatoと一緒に、メル・Melというヴェネト平野の奥、
べッルーノ県の町のリンゴ祭りに出かけて来ました。
こちらがそのお祭りのポスターで、

1-285_GF.jpg

Mele a Mel とゴロ合わせになっていますが、
Meleはリンゴ・mela・メーラの複数形なのですね。
毎年10月の第一週末に催され、毎年出かけているという彼らと、
レナートの大きな素晴らしい車に乗せて貰って楽チンに。



地図をどうぞ。
我が村スコミーゴ・Scomigoから4kほどで高速に入り、A27を北に、
この高速はこの地図の上辺りまでしか通っておらず、
ピアーヴェ河の南側を一路南西に。

2-mel_GF.jpg

ついでに距離を調べましたら54,5kmで、54分と見積もりが出ましたが、
いやぁ、あのレナートの走りでは絶対に、40分かそこらで到着しただろうと・・!
ルイーザは既に慣れているんでしょうけど、まったくの所、
あの追い越しはちと凄かった! ははは。

メルにはこの行程か、またはサン・ボルド峠を抜けるしかなく、
実はこの日ズメッレの城・Castello di Zumelleの見学も出来るというので、
行こうとは決めたものの、一人だとちょっと面倒だなぁと内心恐れていたのですが、
・・という事で、安心して出かけたという次第です。

戻りには、私がまだサン・ボルドを通った事がない、と知ると通ってくれ、
まさにもの凄い九十九折りのトンネルを体験しましたです! 感激!
信号がついていて、片側づつの通行なので途中止まれず、
写真は対面の山しか撮れませんでしたが、ははは、またお目にかけますぅ。

サン・ボルド峠 ・ 難所の峠越えは
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467388089.html

ベッルーノ再訪 ・ アルプス兵と、古いボルゴと
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463457241.html

山の小さなヴェネツィア ・ ベッルーノ ・ Belluno
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461664224.html



という様子で、メルに到着。
私はこの町は初めてで、尚のこと訪問が嬉しかったのですが、
快晴のお天気の下、ヴェネト州の北の端、ドロミーティーに近い
この山の町の空気は澄み明るく、お祭り気分に溢れておりました。

どうぞ皆さんもご一緒に、秋の美しい日のお祭り、今のこの時期の、
豊穣の秋の気分をお楽しみ下さいね!
       
これは、町の下の臨時の駐車場から見上げる町の家並ですが、
写真では余り高く見えませんね。

3-411_GF.jpg

下には既に車がずらっと駐車していて、それらを切り除けるとこんな感じで、
実際は見上げる高さにこの家並があります。

今一番右端に見える大きな屋敷が、



これですが、こんな田舎の山の中に?!という感じの町に、立派なお屋敷が
あれこれあり、お祭りの為に中庭や屋敷の一部が解放され、
各展示や販売が行われているのですね。

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広い中庭の隅では、これから肉を焼くのでしょう、
盛大に火が燃やされ、上の鉄格子の掃除が始まっていて、

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この日が3日間のお祭りの最終日でお天気に恵まれ、さぁ!という意気込みが
感じられますが、こちらには、こんな大きなオーブンが据えられ、

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せっせとリンゴの皮をむき、小さく切って、リンゴのトルタの準備に余念がなく。
参加の皆さんは、如何にもかっての山の女性らしい服装で。

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あれこれ何種も見本のトルタが並んでいたのですけど、セロファンが光り、
これ1枚無事でしたが、奥の茶色っぽいのが、とても美味しそうでした!

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こちらでは、男性方がせっせとキャベツを刻み・・、煮込みでも出来るのかな?

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気がつくと、ルイーザがパンにハムを乗せたのを食べており、はは、
その辺のシニョーレがくれたのですって!



また隣のお屋敷の中庭で、手作り品の展示販売、食品、各種何でも!

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真ん中に写っている中年シニョーレ、別の場所でも見かけたのですが、ほら、
短めのズボンに赤い毛糸ソックス、首に鮮やかな緑のスカーフ、
ええ、かなり目立つ顔立ちではありましたね、ははは。



両方一緒にと欲張り、籠の大きさが良く分からない結果の写真に。

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何か物を運ぶのに使ったのか、大きな楕円の籠と、
奥もまた直径1m以上ある大きな丸籠。


メルの町は東西に細長く、東から来る県道が町の手前で左に分かれる形で
町の下側を通り抜け、県道の延長の真っ直ぐな道が、町の中心まで上って行き、
この上り坂が、最初に見て頂いた写真の町の南端を通る道で、

並ぶ古い大きなお屋敷が幾つも中庭を公開し、展示会場に充てられているので、
入ったり出たりで楽しみます。

どのリンゴも、一般に店で売られているよりも小粒ですが、
如何にも実りの秋という感じがして、嬉しくなりますねぇ!

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右の草の束の上にポルチーニが見えるでしょう? あれがですねぇ、
       


ほら、これ! 素晴らしく大きく、左手前の傘が直径10cm以上ありましたよ、
奥のはもひとつ大きく! ステーキにして食べたら、さぞや旨かろうと・・。

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脇に置かれた大きなカボチャ! 如何にも秋の到来を感じさせます。

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このお家のお庭も公開で、奥に紅葉の赤い色。 が、ここはひとまず通り過ぎ、
帰り道にね。

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道草を食い喰い、漸くに到着したこちらが中心広場で、正面が市役所。

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市役所の並び側の建物ですが、煙突の形が面白いでしょう?

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今迄通って来た道にも、他の建物にも、町の小路にも大変興味深い場所が
たくさんあったのですが、

今回は、リンゴ祭りと手仕事の様子に絞ってご覧頂きますね。
ぼちぼちと人出も多く、賑やかになり始めていますが、



広場の正面に大きな教会があり、奥にも細長い広場が続いていて、
ご覧の様にお天気は最高でしたが、
空気はキンと張って冷たく、山の町である事を感じさせます。

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こちらが市役所の建物で、

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1階のロッジャに、リンゴと梨の各品種が並びます。
凄い数でしょう? これが2列あり、

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何枚か撮りましたが切りがない程の多種で、この様に其々の名前が記され、

形から見ると一見梨の様に見えますね、ですが、上にPom・ポム・リンゴとあり、
コトーニョ種と。 というとジャムに最適の種ですね。

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ヴェネトではリンゴをポムと普通に言いますが、辞書には見つかりませんから、
ヴェネト訛りなのかも。



こちらが奥の列。

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今回販売している各種品々を見ると、その土地固有の種類が数多くあり、
それらを保護し伝え残す為の努力も払われているのが感じられました。

祭りに集まる人々も、そんな独特の品々が目当てで、ルイーザ達もそれが目的で
毎年来るようで、蜂蜜やポレンタの粉やリンゴも、ここで売っているのが
とても美味しいのだとあれこれ買い込んでおりました。



建物の3連の窓を見ておりましたら、

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下の緑のテントの女性が、こちらを見ているのに気がつき・・、



レナートが、ほら、サンタ・べッルネーゼのカボチャだよ、と言うので近寄ると、
私めが何も言わない内に、ほらほら来たよ、とずらっと皆さん並んでくれて・・!

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という事で、サンタ・べッルネーゼのカボチャ類でございます、はい。

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興味を持ちちょっと調べると、この種は古くからの伝統種で皮がとても固く、
リゾットに良し、お菓子ではなく食事に食べるトルタ、パンに向いているとか。
そう、カボチャの入った黄色いパンは甘みがあって美味しく、
詰め物パスタも大変美味しく頂けます。

面白い記述もあり、かって農家ではカボチャ類を農園ではなく畑の脇に
植えていたのだそうで、これは農園にはもっと上等であるとみなされていた
作物栽培にスペースをさく為であり・・、
つまりカボチャはかって、豚ちゃん達の食べ物だったのだそう! ははは。
南イタリアでは、イチジクを豚ちゃんに、と聞いた事がありますが・・。

所でヴェネトの農業関係の伝統種、この中には家畜類や酒類もチーズや
肉製品も含まれるのですが、
農業省に伝統種であると認められたという物が、なんと365種もあり、
そのうち農作物が110種! 凄い数ですねぇ。

この中に、勿論サンタ・べッルネーゼ・Santa Belluneseのカボチャ、
通称サンタも含まれておりました。



こちらは別の広場で見た大きなカボチャなのですが、余りに見事に大きく・・!
隣に見える札に3エウロとあり、え?!と思ってよく見ましたら、
ははは、巨大カボチャの種が3エウロという事でありましたぁ!

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まぁさか、一粒、という事は無いでしょうねぇ。 いや、あり得るかな?



農作物の展示に混じり、手仕事の屋台もたくさんあり、これはちょっと珍しいので。

手前に見えるCAMERA D'ARIA・カメラ・ダーリアというのは、タイヤのチューブの事。
大小のチューブを利用して、ネックレスのお花や、通し紐に、

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ベルトの飾りに、ベルトは車の安全ベルトを利用、とか、はたまたこんなバッグとか、
面白いアイディア商品があり、ルイーザはお花のついたベルトを購入、20エウロ。
貰った名刺にあったサイトは、無くなっておりました、残念。
      
チゾン村、夏のサーグラ ・ 手作り職人市
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463847355.html



これ、可愛いお二人でしょう?!
そしてどこか懐かしく、心にジンと来るものを感じません?

30-322_GF.jpg

後ろに、左下石段の奥庭を指さす立看板があり、
お兄ちゃんがにこやかに、奥にどうぞ!と誘っておりますが、
写真満載の今回もまた、n.1をここでお終いとして、明日n.2をご覧頂きますね。
       
お天気は明日もきっと良い筈! どうぞ皆さま、お揃いでお出かけ下さ~い!!
       
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・ ヴィッラ・フォスカリ、または、ラ・マルコンテンタ 

ヴェネツィアとパドヴァを結ぶ、ブレンタ川水路の両脇に点在する
かってのヴェネツィア貴族の別荘・ヴィッラは、70以上あるそうで、
初夏のブルキエッロでの周遊では3つ訪れましたが、

最初に訪問したヴィッラ・フォスカリ・Villa Foscari、
通称ラ・マルコンテンタ・La Malcontentaと呼ばれる美しい館が
大きく印象に残りました。

という事で、世界遺産に指定の、アントーニオ・パッラーディオ設計になる
洗練され美しいヴェネツィア貴族の館にご案内致しますね。

本当は内部写真禁止だったのですが、・・何枚か、はは、
そしてサイトで壁画も見つけましたので、それをどうぞ。

写真は先回最後にもご覧頂いた、ヴィッラの入り口部分。

1-038.jpg     



位置の確認に。

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入り口の写真に見えた標札。
5月1日から10月30日までの火曜と土曜に開館、 
9時から12時まで。 入場料10エウロと別の札に。

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水路からの入り口柵を抜けますと、広大な庭園が広がり、
大樹が庭を囲む様子が見え、

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右手にこんな風に四角い館が見え始め、

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大樹が続く馬車道、散歩道が、左手に広がる庭の奥に、

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入り口は建物脇を通って水路側の正面に。
下から眺める入り口前廊部分は、石段が続く高い場所にあり、
円柱の列を下から眺めると、かなり威圧的というか厳めしく。 

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正面全体はこんな様子で、両側に入り口に続く階段があります。

8-059.jpg       

つまり客人が到着した場合、迎える主人は上部入り口前で待ち、
訪問客は下から上がっていく訳で、これは客人と主人との力関係にも因り
異なる物と思われますが、この時点で、演出効果満点という感じですね。

このヴィッラは1559年、ヴェネツィア貴族の家系でも有数のフォスカリ家・
Foscariのアルヴィーゼ・Alviseとニコロ・Nicolò兄弟により、
パッラーディオ設計で建設。
      
当時大人気だったというアントーニオ・パッラーディオ・Antonio Palladioですが、
このブレンタ川流域に於けるヴィッラでは唯一彼の設計になる物だそうで、
しかもこの高い基盤を持つ前部、古代神殿をも想像させる荘厳さは、
彼の作品中でもやはり少し特異なものと。

ですがこの水路に面した、とりわけマルコンテンタと呼ばれる地名の由来、
上手く治められていない、でもある、何度ものブレンタ川の氾濫に遭っている
土地柄の、湿気を避けるためにも有用で、
自然の中に美しくとけこみつつも存在を主張する、とでも。

おまけにこの館の素材は、全館煉瓦作りというお手軽なお安い素材で、
その上に漆喰を塗り、色を付け石組みに見せかけているのだそうで、
前部に並ぶ円柱も煉瓦製、ただし柱頭などは細工がしやすい事から石を使用と。
       
パッラーディオの作品としてもひとつ有名なヴェネツィア貴族の館、
ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼール
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456543.html

入り口階段が高い事の、客人へのちょっとした儀式感覚について上記しましたが、
この手の演出で、これは凄かったろう、と思ったお城の階段は
2000年の歴史 ・ カステル・ブランド・Castel Brando
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462784366.html



という事で、我々は嬉々として階段を上がりますが、
なに、皆で上がれば気遅れもせず怖くない、というやつで、ははは。
       
こちらは入り口の扉を入った所からの内部の眺め。 写真はサイトから。

9-ala.jpg

写真での正面が裏の広大な庭に面し、1階からの3連の窓の上部が、
中央のこの部屋の天井のアーチに続きます。

全館の壁はこの様にフレスコ画で装飾されていて、モチーフは神話からで、
パリのフォンテンブローのお城のモチーフによく似ているのだそう。
というのも、フランス宮廷に長く出入りしていたフォスカリ家の友人がヒントをね。



こちらも同じくサイトからですが、脇にある部屋のどこかのフレスコ画と。
というのも、すみまへん、これは覚えていないので・・。

10-anz.jpg



館の平面図をどうぞ。
ヴェネツィアの館の伝統に従い、大運河側が正面玄関なのと同様、
このヴィッラ・フォスカリも、ブレンタの水路に向いてが正面で、

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上の写真で見て頂いた様に中央に大広間、両脇に部屋がある形で、
寝室は4つだったと。



中央大広間の奥の部分、裏庭に面して。特別に豪奢というのではないですが、
なんとも洒落た落ち着いた佇まいを醸しだし・・。

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この館も、ヴェネツィア共和国崩壊の歴史に伴い、1800年頃が一番の
衰退の憂き目にあい、一旦フォスカリ家の手を離れますが、
ブラジル人の所有者が壁画の修復をしたり、水路に面してあった壁を
除けたり等などの改修をし、つまり上手く保存してくれた様子。

1973年にふたたび現フォスカリ家の手に戻り、
1994年にユネスコの世界遺産登録という次第だそう。

ご覧の様に窓際に燭台が見えますが、現在も、一切の電気照明を使わずに
保持との事で、当時の、窓からと蝋燭による柔らかい光のみで、
かってのままの館の美しい姿を偲べる、という訳ですね。


ヴェネツィアのカ・ドーロの修復に情熱をかけたジョルジョ・フランケッティと
その成果については
n.1 カ・ドーロ ・ ヴェネツィアの館
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463740863.html

n.2 ヴェネツィアの館 ・ カ・ドーロ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463741340.html



その東隣の小部屋。 小卓や収納箱など、虫食いや傷みも見えますが・・、

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窓から眺めおろす広い庭園。 奥の空間を邪魔する何物もないこの広い庭。
これだけで現在でも充分に心が休まりますが、

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ヴェネツィアの夏の狭い暑苦しさから逃れてきた者には、素晴らしい空間の
贈り物であった事でしょう。

ブレンタ川の流域に関わらず、ヴェネトの各地には様々なヴェネツィア貴族の
ヴィッラが点在している訳ですが、
元々はアドリア海から地中海を交易範囲とし、オリエントとヨーロッパを結ぶ
貿易収益から発展したヴェネツィア共和国、
       
1345年4月ヴェネツィア政府の大評議会委員が、ヴェネツィア市民が本土の
土地購入を禁止する法律を廃止し、これによって貴族が農地を買い
内陸に進入し始め、大きな利益を上げると共に、その管理、夏の避暑用にと
ブレンタ川流域、そしてヴェネト平野一帯にヴィッラの建設が行われるように。

このヴィッラ・フォスカリはまさにラグーナを越えた所、ブレンタ川を溯り始めた
すぐの場所で大変便利、という訳なのでした。

フォスカリ家は古くからのヴェネツィアの貴族の家系で、エーゲ海辺りの植民地と
優秀な交易商人として富をなし、
1423~1457年に第65代ヴェネツィア総督を務めたフランチェスコが大変有名ですが、
息子の失態とが重なった悲劇的な最後を迎え、

その後このフォスカリ家は政治的に一線に出る事はなく、このヴィッラの建設により
名前が挙がる、という様子です。
       
フォスカリ家の悲劇 n.4 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464579305.html
     


もひとつ東の部屋に行くと、このフレスコ画装飾。

15-052.jpg



天井部と、

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こちらの細部は、サイトから。

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続く部屋、つまり平面図の左側を辿っている事になりますが、
暖炉があり、壁の騙し絵の柱と空間がちょっと見えますが、

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こんな様子。 小卓に置かれたこれは芍薬? 
薄暗い部屋の中のピンクの生花というのは、萎れ加減ながら艶めかしく。

19-055.jpg



寝室。 ベッドを見たのは、確かこの部屋だけだったと思うのですが、
刺繍布で覆われたヘッド・ボードというのは初めて見ましたが、素敵ですねぇ。

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ストゥラのヴィッラ・ピサーニは、部屋数が100を超え、ナポレオンの寝室なども
ありましたが、豪華ではあってもシックさは感じられず、
このこじんまりとしたヴィッラが如何にも粋な気配がし・・。

トリエステの手前のドゥイーノのお城も見て頂きましたが、
たくさんのコレクションもあり、装飾されてはいるものの、いかにもドイツ的な
気配が濃厚で、素朴でその癖少し重く、
それに引き換えこちらは如何にも洒落たシックさというか、違いを大いに感じました。

ドゥイーノのお城 ・ トリエステの海に臨み 



そしてこの女性の壁画が、様々な伝説的なと思える、かといってまったく嘘とも
言い切れない様な、ヴィッラの通称ラ・マルコンテンタ・不満足な女性、
の姿と言われる壁画。

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つまりこの女性はヴェネツィアで不義を働き、夫にこの屋敷に謹慎させられた、
という女性で、放埓な自由が欲しいのに屋敷に閉じ込められた不満足な女性、
という訳で、

当てはまる女性としては、この館を建設したフォスカリ家のニコロの妻である
エリザべッタ・ドルフィン・Elisabetta Dolfin、
ピサーニ家のXXの未亡人であり、1555年にニコロと結婚したという、
このエリザべッタの名はあちこちに見つかるのですが、

も一人、今どこかに紛れて見つかりませんが、アルヴィーゼの妻だったという
エリザべッタ・ロレダン(だったと)という、2人の妻の名が挙げられ・・!

伝説としては、だれも食物を運ばないのに何十年も生きたとか、
何度も逃げ出そうと試みたものの上手く行かず自殺も図るとか、様々な説があり、
が、もし本当であれば、こんな客人の部屋の壁に描かれる訳がなく、
たとえ不義を働き監禁されたとしても、短い期間だったのではないか、

たまたまの貴族女性像のだまし絵に、土地の名が上手く重なり、嬉しい伝説と
なったのではないかと、shinkaiは愚考致しますです。



という所で館の中はお終いで、入り口階段の上から見る水路の様子、

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庭に下り、許される時間内をあちこち見て回り、咲いていた時計草、

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屋敷から離れてある棟と、その前に咲く、フランチェスコの百合と呼んだと・・。

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庭を通るもう1本の馬車、散歩道。

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鉢植えのミカンの花だったと・・。

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館の煙突、

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窓辺に置かれた壺、ですが、

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建物は煉瓦作りで漆喰を塗り、大理石風に色を付けている、という説明の、
窓の下の、石の辺りを気を付けてご覧になると、煉瓦が重なっているのが見え。



という様子で見物を終え、ブルキエッロに戻ります。

30-071.jpg



再びゆっくりと動き出す船。 水路に咲いていたコウホネが揺れ・・。

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ブルキエッロの2階の高さから見るヴィッラ・フォスカリ、
通称ラ・マルコンテンタが、木の間隠れに遠ざかって行きます。

32-072.jpg


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・ n.2 ブルキエッロ ・ ブレンタ川を船でゆるゆると

昨日に続き、皆さんにもご一緒にブレンタ川を溯るブルキエッロに乗って頂き、
川沿いに立ち並ぶかってのヴェネツィア貴族の別荘の内でもとりわけ美しい、
世界遺産指定のヴィッラ・フォスカリ、別名ラ・マルコンテンタという別荘まで、

・・こう書いて来ると、では今日、別荘の中も?と思われたでしょう?!
残念でしたぁ! 今日はその美しさで有名なヴィッラの前まで、ははは、
ゆるゆると船旅を愉しんで下さいませ!

ヴィッラの中は、次回にご覧頂きますです。

写真は、昨日の最後に閉っているのが見えたモランザーニの水門・
conca di Moranzaniが開き始めた所。

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で、向こうの水路に停泊の船が、奥の扉の上側と同じ高さにある事に
ご注目しておいて下さいね。

ガイドの説明では確か、パドヴァと、ブレンタ川が注ぎ込むヴェネツィア・ラグーナとの
水位高低差が10m、と聞いた覚えがあるのですが、確認の為にあれこれ読み、
確かに約10mの高低差があり、5つの水門と9つの回転橋がある事も知りました。

が、今回ご案内のブレンタ川の行程では、ヴェネツィア側からの最初の水門と
回転橋をご覧頂きますね。



で、迎えてくれた水門番がこのお兄ちゃま! ミラーのサングラスをかけ、

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うっすらのお髭と巻き毛と、可愛いトレーナー! 良いですねぇ、ははは。

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この水門の上空写真をgoogleで見つけましたので、どうぞ。
右がヴェネツィア側で、左がパドヴァ方向。

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こんな風にすっぽりと入り込み、今、後ろ側の扉が閉まる所。

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この様に水が注ぎこみ、じっくりと2m程、船の位置を上げ、

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先の水路が楽に見渡せるようになり、

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水門脇にある門番小屋兼事務所。 手前張り出し窓の横に見える札には、

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リクエストにより通過でき、
少なくとも通過予定の2時間前までに連絡する事、
8時~13時 14時から17時
火曜から土曜日が通過可能、電話番号  などが記されています。

料金は書いてありませんが、必要でしょうね、勿論。
と、このブレンタのブルキエッロの運行は、毎年3月半ばから10月末までで、
冬はお休み。



水門番のお兄ちゃまは行ったり来たりして様子を見守り、
黄色い可愛いリモート・コントロールで、扉を開閉。

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リモート・コントロールが黄色、というのがいたく気に入ったshinkai、ははは。
だって日本なら、絶対グレイにすると思いません?



こうして前の扉が開き、ゆっくりと水門を出て、

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水門通過の経験は既に2度ありまして、こちらに。
エジプト紀行 ・ ナイル下り その2
      
ミンチョ河下り ・ 新緑のみどり、緑の中を
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464090098.html



蛇行する水路をゆるゆると進みます。

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この右に見える2隻は右がサンダロ、左がゴンドラの形と思うのですが、
長さをしっかり見ておらず確かでは・・。

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今回、ブルキエッロに乗って、というタイトルで書いておりますが、
ブルキエッロと呼ばれる船の定義は、平底の屋根のある快適な船で、ラグーナや
川を航行するもので、ブレンタを航行する以前よりあり、

ブルキエッロ・Burchielloと名付けたのは、「狂乱のオルランド」の作者アリオスト・
Ariostoだそうで、とは言え、彼についてはこれ以上は知りませんで。
と書きつつ、フェッラーラで彼の家を見た事を思い出しました、
あわわ、あれもそのままになっている・・。

ブルキエッロはヴェネツィアの裕福な貴族がラグーナを渡るのに利用した様子で、
現代は我々の利用したようなモダンな物もあり、
木造のブルチ・burci・ブルチ、またはブルキ・burchiと呼ぶ伝統の物があると。

他にゴンドラも勿論利用され、もひとつポエタ・poeta(複ポエテ・poete)
という名も出て焦りましたが、なぜなら詩人をポエタというので、
これもやはり船の種類で大型漕ぎ船、荷物や人間の運搬に使われたのだそう。
とすると、これが一般に使われた船の形かもしれませんね。

このブレンタ川の船行きを経験した有名人といいますと、
カザノーヴァ・Casanova ガリレーオ・Galileo バイロン・Byron
ダヌンツィオ・d'Annunzioなどの名があり、
ダンテ・Danteもゴルドーニ・Goldoniも賞賛したこの眺めは、
ティエポロ・Tiepoloもカナレット・Canalettoも描いているそう。

大物の名としては、フランス王アンリ3世とロシア皇帝、こちらはまだどなたか
分かりませんが、アンリ3世については、芋づる式に面白い事が色々と!
なんと我が町コネリアーノにも来られている事が分かりましたので、
また改めてご案内したいと思っています、乞うご期待!

フェッラーラ を訪ねて ・ 予告編
       
アンリ3世について ちょっぴり歴史に名が残る、 我が町コネリアーノの様子を
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467229891.html

ダヌンツィオ関係で アーゾロを彩る女性ふたり ・ アーゾロ市立博物館 n.1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463693720.html

n.1 チーマ・ダ・コネリアーノ展 ・ コネリアーノの町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463847804.html

n.2 チーマ・ダ・コネリアーノ展 ・ コネリアーノの町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463848078.html

バイロンについては、リンクして頂いてます「イタリア、とりわけヴェネツィア」の
pescecrudoさんが
文学に表れたヴェネツィア - バイロン として、1~3まで詳細に。
http://pescecrudo.blog122.fc2.com/blog-entry-130.html



ご覧下さい、素敵でしょう?!
こんな自然なカーヴが幾つもあり、眺めが次々変化するので目が離せません。

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曲りくねった道をジョギングする人、なんとも長閑で平和な風景ですねぇ!

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水門でコントロールされているせいか、水の流れが本当にゆったり。

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流れの脇に見える草原も、畑もいかにも自然で心地よく。

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ブレンタ川を航行するのに、かってはヴェネツィアからフジーナまで手漕ぎで
やって来て、ここからパドヴァには、馬に船を曳かせてゆっくりと進んだのだそう。

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そう知ると、尚の事ゆったり感が納得できますね。
海から平野へのかっての運搬は河川も多く使われ、河の港が設けられ、
そして船を馬に曳かせていた、という記述によく出会います。



時にこんな家畜小屋だったか、倉庫も見え、

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キジバトも休憩中、

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またまたジョギング中。 こういう道を走るのは、さぞ気持ちが良いでしょうねぇ。

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何の畑でしょうか? 船の進む速さで、放射線状に列が動いて行きます。

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水路脇に近い道路に出ている標識、マルコンテンタ・Malcontenta.
そろそろ、ヴィッラ・フォスカリが近いのですね。

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またカーヴを曲がり、

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イタ鴨が水から上がるのが見えたと思ったら、

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何のこたぁない、女2人を引き連れてからにぃ・・、ははは。

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柳がいい風情に岸から重く垂れ、ちょっと人家の固まりに近づいた様子で、

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はい、マルコンテンタの回転橋。

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少し手前で待っているうちに、じわ~っと橋が動き始め、

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端っこがこすれたりしないのかなぁ? なんぞと素朴な質問が頭に浮かびましたが、

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写真をアップして見て、設計のお偉い方は既にきちんと計算、くるっと丸くカーヴを
つけている事を確認。 足らない人間が焦る事は無いのでしたぁ!



こうして道路を横切って行きますが、ね、丸くなっているでしょう?!
道のどちら側にも、かなりの車が待っているのが見え、

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もひとつ余計な事ですが、このシニョーレ、・・鬘でした。



橋が回るのを待っている間の写真の奥に見えたこの車、お分かりですか? 
巡回の魚屋さんです。 我がスコミーゴ村にも週一で、
魚屋も八百屋も、こんなトラックで回って来ます。

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通りすぎて振り返ると、橋が今再び回って閉る所。 

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そして、はい、ここがヴィッラ・フォスカリの入り口。

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フォスカリ家はヴェネツィア貴族の内でも有数の富裕な家系で、
大運河にあるカ・フォスカリは、現ヴェネツィア大学を示します。

ここのヴィッラはアントニオ・パッラーディオの設計、内部の装飾も素晴らしく、
おまけに伝説的逸話も持つ、というヴィッラ・フォスカリ、
通称ラ・マルコンテンタですが、次回にご案内致しますね。

ブルキエッロの船旅、ご苦労様でした!

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・ n.1 ブルキエッロ ・ ブレンタ川を船でゆるゆると

今日のご案内は、ご覧の様にブルキエッロ・Burchielloと呼ぶ船に乗り、
ヴェネツィアからブレンタ川を溯り、水路の両脇に点在する
かってのヴェネツィア貴族のヴィッラ・別荘を見物するというもの。

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6月初旬友人が来た折にかねてよりの念願かない参加しましたので、
今日明日とブルキエッロでの遊覧をご覧下さいね。

途中の大変眺めの良いミーラ・Miraからドーロ・Dolo辺りは、道がすぐ水路脇を
通るので、居並ぶヴィッラも眺められますし、
5月にパオロが車であちこちの別荘を見に車で回ってくれた際に、
現在のブルキエッロの一応の終点ストゥラ・Straにある、
素晴らしい植木の迷路をもつヴィッラ・ピサーニ・Villa Pisaniをゆっくりと観覧し、

こちらで既にご案内を。

イタリアで一番素晴らしい植木の迷路 ・ ラビリントを
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467389643.html
      
美味しく食べる・・より良く生きるために 
       
ブレンタ川沿いに ・ お休みのご報告と予告を
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467389459.html 
       
今回大変残念だったのは、生憎のお天気で小雨がぱらついていたのが、
お昼を食べる頃から本格的な降りとなり、おまけにミーラだったと思うのですが、
水門が故障で通れず代替えのバス運行となり、
一番肝心の良い眺めを船から眺められなかった事。

とはいえ、ヴェネツィアから西、パドヴァ側の本土に船で渡り、かっての大通商路で
あった水路をゆるゆると、緑滴る水路の眺めは、大変に素晴らしかった!

という事で、ブルキエッロからの眺めをたっぷりと、
写真が絞り切れずに多くなりましたが、どうぞお楽しみ下さい!

この水路の観光船の運航をしているのはたくさんありますが、
今回利用したのはこちらのもの。 http://www.ilburchiello.it/
       

朝の9時にヴェネツィアのスキアヴォーニ河岸、アントニオ・ヴィヴァルディに
所縁のあるデッラ・ピエタ教会前の船着き場で待っていますと、
こんな洒落た船が寄って来まして、 

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内部はこんな風で、余り客もおらず、20人足らずだったと、ゆったりと。

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上の席に上がると、こんな風にデッラ・ピエタ教会が見え、

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この時の我らの宿は、教会の右の小路を奥に入った所、ピエタ教会が運営の
宿でしたので、大変便利でした。
住んでいるのがヴェネツィアから1時間の町とはいえ、朝の9時にここに来るには
かなり早起きしませんとね。
そうそう、あの宿のご案内もまだだったと宿題を思い出しました。

男性ソプラノ歌手による、・ ピエタ教会のコンサート
http://italiashinkaishi.seesaa.net/archives/20110611-1.html

ヴェネツィア ・ センサのお祭りの日
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463741436.html



サン・マルコの鐘楼、そしてドゥカーレ宮はこういう角度。

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対岸サン・ジョルジョ・San Giorgioの教会と鐘楼。

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サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ聖堂・S.M della Salute.

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こちらはガイドのパオラ。 この時はイタリア語でのガイドしたが、
フランス人観光客とはフランス語で、アメリカ人とは英語で喋っておりました。
世の中には、こういう人が結構おられるのですよねぇ!

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さて、ゆっくりと船着き場を離れ、こうしてサン・マルコの前を通りぬけ、
       
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観光客も傘をさしているのが見えますが、

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デッラ・サルーテ・聖堂の先、ドガーナの前をジュウデッカ・Giudecca運河の
方に入り込み・・、

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この夏何度もCMを見たジェラートのメーカー、♪サン、サン、サン、モンターナ♪
の運搬船が行きます。



ドガーナ・Doganaの上の風見の女神の角度が、珍しくちょうどこちら向きで、
皆さんにも、アップでどうぞ!

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この辺りで振り返ると、サン・ジョルジョが真正面に。 お天気が残念。

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ヴェネツィア ・ サン・ジョルジョ・マッジョーレ島
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461429525.html
       


こうして、デッラ・サルーテ聖堂の後ろ側を通り、

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ジェズアーティ(イエズス)教会・Gesuatiが右に見え、

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デッラ・サルーテ聖堂のティツィアーノの祭壇画は有名ですが、
ジェズアーティ教会のティエポロ・G.Tiepoloの天井画と祭壇右にある
作品も素晴らしい物。



進行方向に向かい運河の左にはジュウデッカ島が続きますが、
既にこの位置からだと、夏のレデントーレのお祭りにデッラ・サルーテ聖堂裏から
架かる長い平橋で有名な、レデントーレ教会・Redentoreも通り過ぎ。

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レデントーレのお祭り ・ ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461640965.html
       


右手のザッテレ河岸・Zattere、サン・トゥロヴァーゾ教会・S.Trovasoと鐘楼。
そして橋に隠れ手前に見える古い平屋が、現在残る数少ないゴンドラ製造所・
Squeroの一つ。

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ザッテレ河岸は文字通りザッテレ・筏の意味で、かってはヴェネトの奥で刈った木を
筏に組み川を流し、ここまで運んできた事に由来しますが、
このゴンドラ製作、修理所についても興味深い事を知りましたので、
また改めてご案内致しますね。



ザッテレ河岸は長く1kほどもあり、幅広く、陽の光を浴びながらの冬から春、
そして秋の散歩が心地良い場所。

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今回はこのお天気で、色が少し寂しいですが、このピンクと水色の地に金文字の
ADRIATICA・船の運航会社かな、が光るのを見るのは、なかなか楽しい物。

すぐ近くに16世紀からの元病院インクラービレ・Incrabileがあり、
長い修復を経て現在はヴェネツィアの美術アッカデミーとして展示会場に
充てられているとの事ですが、
    
このインクラービレ・不治の病という言葉から、ずっと肺病患者の姿を思い浮かべて
いたのですが、今回なんとなしに調べ、
なんと17世紀当時に不治の病という言葉が指すのは、梅毒だった事を知りました。
ヴェネツィアの様に洋の東西が交流する港町では、幾ら外国人との接触を禁じても、
多かったのかも!ですねぇ。



左手の、ムリーノ・ストゥッキ改装の大ヒルトン・ホテル、

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その先は、ジュウデッカ島の最後の部分とを繋ぐ橋があり、
ええ、ジュウデッカ島と一口に言ってますが、8つの小さな島が繋がっているそうで。

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こうしてヴェネツィア本島から離れ、

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西に向かい、フジーナ運河・Canale di Fusinaと呼ばれる部分を進みます。

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右手に大型クルーズ船の発着場辺りも見え、左手に低く細く、本土への橋が
延びているのですが、写真で見えるかな?

ええ、運河というか、干潟の中の深い部分を辿ります。
見える杭がその航路を示し、本島を外れると、かなりジグザグの航行に。
      


杭の上から何かを狙うカモメ君がいたり、

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こんな風に、我々の船の後をたくさんのカモメたちが飛び交ったり、
・・漁船じゃないんだってばぁ!

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こんな近くまで飛んでくるのですよ。 陸で歩くのを見るとよちよちですが、
飛ぶ姿を見ると、きれいに脚を揃えていますねぇ!

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マルコ・ポーロ空港への着陸態勢に入った飛行機、
アリタリアの飛行機って、こんなに長かったっけ?!

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こうしてヴェネツィア本島から、西の本土側フジーナに到着。

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ここにはヴァポレットの船着き場があり、そうか、ここからもヴェネツィアに
渡って行くのよね、と当たり前の事ながら、ちょっと目から鱗の感。
職場に学校に、日常的に往き来の人々の利用が多い事でしょう。



ここからがブレンタ川の水路を行く航路の始まり。

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地図をどうぞ。
ヴェネツィア本土の赤点をつけた辺りから出発し、南に細長く続くジュウデッカ島
との間を抜け、南西のFusina・フジーナまで来た所。

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ここから水路を辿り、まずVilla Foscari - Malcontenta・
ヴィッラ・フォスカリ・マルコンテンタを見物、
その前に水路に印のあるのが水門の位置で、ヴィッラ・フォスカリに行く前に通過。

で、お昼を食べ、降り出した雨の中、次に見たのがVilla Widmann・
ヴィッラ・ウィッドマンだったと思うのですがぁ、
ここも写真を撮らせませんし、サイトでも上手く見つけられず・・。

お昼に少し飲んだワインのせいもあったのか、はたまた大嫌いな雨の日の行動
という事もあり、この日の私めの記憶はお昼ご飯で止まっております、はい。

この記事を書く為に、別のブレンタ運行船のサイトを見ていて、
普通はヴェネツィア~ストゥラ間の運行が、朝パドヴァの古い船着き場を出発、
見物しながら夕方ヴェネツィア着というコース、
又はヴィッラ・フォスカリ前で集合しパドヴァまで、というコースもあるのを発見。
http://www.burchiello.org/it/burchiellidelbrenta.htm#

元々パドヴァ・ヴェネツィア間の、人間と物流交流の為に開かれ利用されてきた
水路運河なのですから、パドヴァまで行くのが伝統に従ってという訳で・・、
よっしゃ、次は良い季節に、再度の長旅挑戦を!

例の如く変な結末の展開になり、すんまへん、フジーナからストゥラ迄は27,4k程、
ブレンタ川の自然の小さな枝分かれした流れで、大きな流れの方は、
何世紀間にも渡る治水工事で運河が造られ、キオッジャの南で直接に
アドリア海に注ぎこむ様に。

この治水工事の為に、ヴェネツィア共和国は何度かこの種の技師、専門家の
レオナルド・ダ・ヴィンチに意見を求めた、という記述に出会い、
ポー河の干拓地の水門で出会った「ヴィンチ式水門」という言葉も思い出し。

デルタ・デル・ポー ・ ポー河が海に出会う所
       


       
ゆっくりと水路の中を進み始め、船の修理工場があったりもし、

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じきにこんな長閑な水路となり、停泊するボートが並ぶ様に。

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これは青鷺? かなり大きく、

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そして、最初のモランザーニの水門・conca di Moranzaniが見えて来ます。

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という所で、また明日の続きに。 よろしくお願いいたしま~す!

昔むかし子供の頃紙芝居を見に行くと、続きはまた明日ね、という言葉が
お決まりでしたが、
あの紙芝居の小父ちゃんの売っていたお煎餅、何かを塗って、ぺチャッと2枚
ひっ付けてくれるお煎餅、一度食べたかったのに、うちのお母ちゃんはお金を・・、

・・何で、ブレンタの船遊びから、紙芝居の恨みのお煎餅に繋がるんだろ?!

◆*◆

先回、ウィキペディア・イタリア語版が消えた事を書きましたが、
幸い、昨夕からまた見れるようになりました、バンザ~イ!!
まだ正式に決まった訳ではないようですが、3日間消えた事で、改めて
その存在の大きさをアピールした結果となった様子。
       
いつも無料で使わせて貰っているので、次回のチャンスには、少しでも献金を、
と思った事でした。
お騒がせ致しましたが、ホッとしています、 有難うございました!
            
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・ スコミーゴ村、 ほんの少し秋の色 

予定していた記事の準備が遅れ、無理にバタバタして中途半端な物をアップ
するよりはと、ええ、言いわけはいつも都合の良い方に働きまして、ははは、

先月9月半ばに撮っていたスコミーゴ村の様子をどうぞ!

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確か18日日曜のもので、この頃はかなり涼しくなっていて、朝に雨と雷が来て、
午後にちょっと陽が射した合間に近くの葡萄畑を見に行ったのですが、
1時間ほどの散歩の後、また空が曇ってゴロゴロと聞こえ、
家に戻ってすぐに、かなりの雨となったのを覚えています。

その後、すっかり夏が戻ったかのようなお天気が続き、例年なら9月の末には
既にセーター、コートとなるのが、未だに半袖のポロシャツで過ごしており・・!

そんなわけで、写真よりは少しだけ季節が過ぎましたが、
秋の色にはなりきらない、夏の名残りの村の色をどうぞ。

写真は、家を出てすぐ前の畑に残っていた葡萄。

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ですがここのは多分自家用の葡萄で、数本だけ植えられているもので、
畑の方のは既にこの時期、葡萄摘みが済んでおりました。


トウモロコシ畑。 ここもつい3日ほど前、刈り入れが行われ。

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トウモロコシ畑脇の空き地は、猫じゃらしですっかり埋まり・・、

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小さな薄紫の、・・これなんという名でしたっけ? この頃、花の名も出ない・・。

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はい、コメントを頂き、ノコンギクと教えて頂きました。 有難うございます! 



葡萄畑はすっかり摘み取りが終わり、葉が刈れ始め、

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小さな摘み残しのみ。

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春にはこの雑木林の一帯に、緑色の野生のクリスマス・ローズが咲きます。

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シジミチョウでしたっけ? 翅にあちこち切れた跡が見えるのが愛おしい・・。 

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猫じゃらし、遊んでくれる猫おらず  ・・遅保 

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咲き遅れ? それとも、咲き残り?       

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葡萄畑脇のリンゴの木、小さな実がいっぱい、いっぱい色づき始め! 

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柿も色づき。 イタリアでも Kaki と呼びます。

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あ、ドングリ!  と喜んで写し、

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直後すぐ向こうにたくさん落ちているのを見つけ勇んで写したものの、ピンボケ!
あああ、一体何年カメラで遊んでいるんだろ、と思う時。



いつもの眺めながら、オリアーノ村の鐘楼を。 空が、もうすっかり雨襲来の色。

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秋の味覚、 トリフ と ポルチーニ について 
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461474928.html

隣のオリアーノ村から、 秋の色を
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465337708.html

オリアーノ村から、コネリアーノに ・ 秋の道、 秋の色
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462252917.html

イタリアの秋 ・ スコミーゴ村晩秋
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461295837.html

◆*◆

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昨夜ウィキペディアのイタリア語版が急にお知らせページとなり、
http://it.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:Comunicato_4_ottobre_2011
現在問題になっている法律が可決されると、ウィキペディアのサイトが
掲載不可になる、というもので、

夕方まであれこれ引いては読んでいたのが急に出なくなり、はたまた今後
掲載不可になるかもと言われ、かなり焦り、もし実際そうなったらどうしようか、と。

イタリアの事項については、やはり全般に詳しく、他の辞書のサイトに行っても、
そこからウィキペディアにリンクするようになっているのでお手上げです。


我が友ジュリアーナは大のベルルスコーニ嫌いで、晒し台の事で話した時、

晒し柱、晒し台についてはこちらに  オビドス その1 ・ ポルトガル 

あれに括りつけて、卵をぶっつけてやれたらねぇ、ははは。
うんにゃ、あの時代に卵は貴重だったから、投げたりはしないよ。
そう、その通りね。 じゃあ、石にしよう!
というやり取りがあったのですけど、ははは、

大馬鹿な恥さらしの数々の逸話はともかく・・、報道の自由を妨げる様な
法律をごり押しするのなら、ワッチだって、大きな石を投げてやる! と
昨夜以来考えています。 もぉう!!

ウィキペディアのイタリア語版サイトが消える事のないよう、
どうぞ、願ってやって下さいませませ!!
       
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・ 山から、動物たちが戻って来るお祭り ・ フェスタ・デル・デズモンテガル

昨日は月の第一日曜でメストレのお墓に行き、ついでにセルジョの家に寄ると、
夏の終わる9月末にドロミーティーの各地で行われるお祭り、
大変愉快な、山からの動物たちの帰還を祝うお祭り、の写真があり、
持参のUSBキーに入れて持って帰りました。

こちらはパンフレットからですが、
Gran Festa del Desmontegar・グラン・フェスタ・デル・デズモンテガルと。
       
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Smontare・ズモンターレという標準語があり、はは、(鞍から)おりるとか、
解体するの意で、それがドロミーティーのこの地の訛りでデズモンテガルとなり、
夏の間中、山で放牧されていた家畜達が村に戻って来るのを祝ってのお祭り。

山の村の各地で観光も兼ねて行われている様子で、9月上旬に一旦山の家から
戻って来たセルジョと奥方が、最終の日曜に再度出かけて行った時の写真だそう。

ドロミテからご挨拶 ・ Saluti da Dolomiti
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460884868.html

「デズモンテガル」を変換したら、「出ず門手軽」と出て、ははは、
いつもの様にマイクロソフトのこのユニークさ!

今日は楽しんで頂こうと思い少し写真が多くなりましたが、
動物たちがたくさん登場しますので、ごゆっくりどうぞ!

シロールの村の真ん中にある泉も、飾りつけされ、

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草で作ったこんな動物も泉の傍に、

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店の前、家の角にも、如何にも秋らしい飾りつけが。

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シロールの村でのお祭りでもこの近辺の各村が参加し、それぞれに楽団があり、
村の名前の旗の後から、こうして行進が始まります。
少女たちも、地方色豊かな衣装で参加し、

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馬の曳く荷車の上には聖人像も。
どなたかな? 確か動物たちの守護聖人もおられましたが・・。

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小さな子もしっかり参加で、可愛いですねぇ! 

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かと思うと、こんな年配組も土地の正装で。 このチロル風が素敵ですねぇ。 

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女性の髪形と髪飾り、素晴らしいでしょ? 男性のズボンのポンポンも可愛い。

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幼い少女から、こんな年配組までの参加、良いですねぇ!

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幾つぐらいの村の参加があったのか、それぞれの村の楽団がまず先頭を行き、

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その後から各村が趣向を凝らした行列が続きますが、

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3頭の美々しく飾られた馬に曳かれた荷車には、

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刈った草、鳥小屋、キリスト像の十字架、熊手、糸車、バターを作る桶、篩、甕・・、
かっての家財道具一切があるようで、笑えます。



この夏7月15日生まれ、生後2カ月のソリアーナちゃんも参加、
まだまだ哺乳瓶が恋しい欲しい!

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かと思うとこんな参加者もいて、ははは、引き綱をぐいぐいと引っ張って!

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そしてこちらは、角がなんとも貫禄の山羊君。

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セントバーナードの曳く小さな荷車もあったのですが、
       


村の男達、とまだ控え組の少年。 後ろから牛たちが続いて来ますが、

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この村の牛さんの飾りは、なんとなし、もうじきクリスマス風、な感じで、ははは。

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これも素朴で、可愛いでしょう?!

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ロバの親子に曳かれた荷車には・・、

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ね、背後の観光客の姿、かなりな数でしょう?! 狭い村の道にずっと並んで見物、
カメラを向けています。
素朴なお祭りですけど、村中参加の熱気が活性化にも繋がるのでしょう。



多人数の楽団だけでなく、こんな音楽グループの村も、

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ロバの子と、スカートをちょっと広げて歩く可愛い子と。

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羊の子を抱えている女性もいます。

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この少女、なかなかの美人でしょ?!

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セルジョの写真には、如何にもの乗馬姿の女性とかありましたが、そう言う臭いのは、
ははは、あっさり削除。 その癖、彼の写真には良い男さんのが見つからないのですよ。
やはり、来年は出来たらお祭りに参加して、shinkai好み、
いや女性側からの好みも探さないとね! ははは。 



この村の牛の飾りは、なかなか素敵ですねぇ!

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美人シニョーラの服装も素敵ですが、荷車の上にも可愛い生きたのがね! ははは。

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額の上の素朴な花。

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1年前にセルジョに、マイクロソフトに入っている写真ソフトの使い方を教え、
余分な所を切る事を伝授。 依頼彼は写真整理を楽しむ様になったそうで、
ええまぁ、それはお目出度い事なのですがぁぁ、
・・今度は、めったやたらに頭も足も切れる写真が増えた様に思うのですけどぉ、
どしたらよかんべ?!



怪傑ゾロの愛馬みたいな、頑丈そうな黒馬一団の登場ですが、
後ろに曳いた荷車の上に子供たちが満載!

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たくさんあった写真の半分ほどをより分け、見て頂きましたが、
最後、行進が済むとこうして村はずれの草原に慰労の放牧。

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大快晴のお天気の元での行進が済み、祭りも済んだ事とて飾りを取ろうと近づくと、
動物たちは捕まるのが嫌さに逃げ回り、やっと捕まえ何人もで抑え込み、
飾りを取るのに大騒動、というのが繰り返され、大笑いになったとか。

n.1 夏の夜祭り ・ 橇のパリオと、かっての山村の暮らし
http://www.italiashiho.site/article/461610043.html

n.2 夏の夜祭り ・ 山村のかっての暮らし回顧の催し
http://www.italiashiho.site/article/461695227.html

ドロミーティ ・ 山の村のクリスマス市・シロール
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/468200074.html



チャ~オ、皆さん、楽しんで頂けましたぁ?
空気と食べ物の美味しい素朴な山の生活、覗きに来て下さいねぇ!!

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それもご了承下さいませ。

・ ウンブリアの古い小さな村 ・ カンピ・ヴェッキオ 

今日のご案内は、街のご案内が続くとなぜか恋しくなるウンブリアの奥深く
マルケ州に近い小さな古い村、写真でご覧の様に山腹にこびりつく一握りの村、
カンピ・ヴェッキオ・Campi Vecchioに。

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特別な何かがある訳でも、深い歴史の謂れがある訳でもなく、
ただ傍らを通り抜ける道から見上げ、感嘆する、という村なのですが、



まず、一体どこにあるのか、地図をどうぞ。
左下にスポレート・Spoletoがあり、一旦北に行き東に入り込み、
ヴァッロ・ディ・ネーラ・Vallo di Neraを通りずっと続くのが、ネーラ川の流れる
ヴァルネリーナ渓谷の道。

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ネーラ川・Nera は澄んだ豊かな流れで、ウンブリアを縦断し、遂にはオルテの近くで
テーヴェレ河に合流し、ローマに。

途中のチェレット・ディ・スポレート・Cerreto di Spoletoからノルチャ・Norciaに
行く道が分かれますが、
そのままマルケ州に向かって進み、途中で入り込むとプレーチ・Preciから、
今日ご案内のカンピ・ヴェッキオを通り、ノルチャに行く道があります。

地図に印をつけたそれぞれの土地は歴史も深く、趣ある町、こちらにご案内を。
スポレート ・ アルボルノス要塞 その1
       
スポレート ・ アルボルノス要塞 その2 
       
ヴァッロ・ディ・ネーラ ・ 中世のまま、不思議な美しさ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464307447.html
     
プレーチ と サンテウティツィオ修道院 ・ 中世の外科学校を誇る
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464307658.html
      
ウンブリアの寒村 ・ ロッカノルフィ
ノルチャ ・ そして、カステルッチョ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464307296.html
       
世に評判の、ノルチャの旨いもの店は、
      

で、少々余計な事なのですが・・、
歴史は苦手だし町の説明にはどうでも良い、とは、どうぞ、仰られぬ様お願い致します。
ほんの少しでも知っている町、村ならぐっと身近に感じられ、見ても興味が湧きますよね?

というのも、これはもう私めの経験からも申し上げる事でして、
10分もあれば通りすぎてしまう小さな町でも、あれこれ眺め、ああこれか、と味わいつつ
通れば、半日でも、気持ち豊かに過ごせるイタリアの小さな町、村。

多分このブログを見て下さる方々は、大人の皆さん方で、
行った! 見た! 買った! 喰った!では飽き足らない方が多いのいのではないかと。
はたまた行きにくい場所だけど、このブログで見てやろう、とか。

となりますと、
ほんの少し私が知った事を付け加え、なんだかんだのお喋りから、どこかで何かしら
興味が喚起され、名前も聞いた事のない田舎の村でも、親近感を持って頂けるかもと、
場所のイメージも掴みやすいようにと写真も多く、ご紹介していますので、
今後とも、どうぞよろしく。 そして、ごゆっくり楽しんで頂けますように!


このカンピ・ヴェッキオには2度行っておりまして、最初は4年前の春で、
そして昨秋ノルチャに行く時に通りました。

宿を取っているプレーチから、山の迫った道を抜けて来ると、このカンピの手前で
急に細長い平野が広がり、山腹にへばりつく小さな村が目に飛び込んでくるのですね。
それが今日最初に見て頂いた光景です。
       
昨秋、この道を行った時、目の前で羊たちが道を横断するのに出会い、
かなりの大群だったらしく、前の車が既に止まって待っており、
大慌てで車を止めカメラを手に走って行った時は、こんな風に行列の最後のお尻だけ!

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そして、この道の脇に古い特徴ある教会があり、この写真だと、最初に左半分の
教会が造られ、後の時代に右部分が拡張されたのが良く分かりますね。

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右の道脇の標識に「CAMPI」と見えますが、この左手奥に新しい平地の村が広がっていて、
その村がカンピで、奥に見える山の村が古いカンピ、カンピ・ヴェッキオという訳です。
今日ご覧頂くのは、4年前の春と昨秋のを突き合わせ、良い方で見て頂きますので、
背景の季節の色、写り具合様々を、どうぞご了承願います。



教会脇からの眺め。 なぜかこのドジは鐘楼をきちんと撮っておりませんで・・、
教会の扉も閉っており、中は見れず残念。
内部は2廊式で、15世紀のフレスコ画がある様子。

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この教会の名はサン・サルヴァトーレ・San Salvatore、隣にある墓地付属の教会で、
元の名はサンタ・マリーア教会という14世紀建設の物。
右半分は15世紀後半の増設、鐘楼もその時の物でしょうね。



こちらが正面、古い建設の左側で、

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これが右の新しい部分。

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右側の薔薇窓。 彫りの装飾も素朴で、左右ほぼ同じ薔薇窓なのですが、
外側の装飾模様が手の込んだものに。

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正面中程の円柱部分、張り出した屋根はご覧の様に浅く、カパンナ式・Capanna
の正面とあり、カパンナとは倉庫とか小屋をも指す言葉で、笑いました。


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最初に羊を見て頂きましたが、実は4年前にもこの場所で羊の群れに出会っており、
はは、羊たちのちょうどの通り道なのかもですが・・、
教会手前の草原で草をはむ羊たち、

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ガードマンの働くワン君。 写真を撮ろうとちょっと近づきましたら、
この目つきで、ウウウ、と威嚇され・・、

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羊飼いの彼が一声かけましたら、もう唸りませんでしたが、いやぁ羊飼いを見る度に、
大変な仕事だなぁ、と思います。 この臨月の彼も、ははは、まだかなり若い筈。

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羊の群れ、羊飼いの写真はこちらに。
サン・ボルド峠 ・ 難所の峠越えは、
      
      
北のお客人 ・羊の群れ、到着!
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460927524.html

北のお客人 ・ そして、春の訪れ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462252694.html



村の下の外れ、緑の草原にポツンとある小屋。

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下から見上げた村の様子、海抜は870mと。下の村カンピの海抜は717mと地図にあり、
150m程の高低差があるのですね。

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右下に村への坂道がちょっと見え、村の一番右端にアーチの続きと鐘楼があり、
右下手前の大きなアーチは村の門で、下に城壁が繋がるのが分かりますか?



4年前の春に行った時に村まで上りましたので、その時の写真をちょっとご覧下さい。
       
駐車場は、上の写真に見える村の門からもっと右にあり、村に向かうと、こんな風に
14世紀の物という門と鐘楼が見えて来て、

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門をくぐると、見上げる位置にアーチがあり、

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石段が行きつ戻りつ上に繋がりますが、石組の家の壁を見るだけで、
如何に古い村か分かりますね。

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石段を上った所にあった教会の脇の扉、アーチの真ん中に羊がいて、アーチの両脇の
一番下に人の顔。

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同じ様な顔が、下のサン・サルヴァトーレ教会の右の薔薇窓の縁取りの下中央にも。



4年前の2007年は、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂の天井の一部が落下したほどの
ウンブリア大地震から10年目。
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂はイタリア国の守護聖人の聖堂でありますから、       
国の威信をかけて即修復に取り掛かり、2年かそこらの短期間で見事に蘇りましたが、

ウンブリアの奥の村は漸くに修復が始まった所で、この14世紀の教会サンタンドレア・
Sant'Andreaのロッジャも、ご覧の様に修復中で入れませんでした。

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と書きつつ、改めてこちらロッジャの写真を眺めていて、真ん中から壁が継ぎ足されている
様子に気がつきましたが、確かに16世紀に拡張され、ロッジャも付け加えられたそうで、
 
下の教会同様に扉が二つ並ぶ形で、内部には16世紀末に設置された、
木製多色金塗りの祭壇と木彫の説教壇があるそう。



ロッジャのこちら手前に見えたフレスコ画。 サンタンドレア(教会)Sant'Andreaと
いう名は、キリストの12使徒の内の一人、背中に見える斜めの十字架で磔刑に処され、
これが彼のシンボル。

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イタリアの交通標識にもこの斜め十字が使われ、名の通りサンタンドレア十字と呼ばれ、
遮断機なし、1本線路の踏切の標識で、2本以上の線路の場合は、この十字が2つ並び、
ついでのおまけに、はは、
イタリアでは、踏切前の一旦停車の義務はありません、です。
       


教会の背後にある立派な鐘楼。 どうやら上部は修復されたばかりの様子。

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村の中も少し歩きましたが、4年前はまだまだ修復途中で、閉鎖されたり、
がらんどうだったりが目立ち、写真も1枚ほどしか撮っておらずで、パスし、

高所にある村からの眺望をどうぞ!

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まず、プレーチのある北方面、山を抜け平野が広がる辺り、右の道が蛇行しているのが
良く見えるでしょう?! で突然前方に現れる山腹の村に、!! となる場所。



村の向かい側の山、そして点在する小さな村々。

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こちらはすぐ村の足元辺り、曲りくねって入って来る道がが村に続き、
まっすぐ左に延びる道がノルチャに。

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最後にもう一度、下の道からの村の眺めをどうぞ!

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村の資料は、僅か16行ほどがTouring Club Italianoの本に。
サイトで見つかるのは全てこの村の絶景写真、というウンブリアの古い小さな村。

昨秋の写真を見ると、村の修復は済んだようですから、次回またあの辺りに行ける
チャンスがありましたら、様子を見に行ってみたいものです。
 
追記: 2016年の夏と秋に続けて起った中部地震に因り、このカンピの村の、
    古い下の平野にあった教会は全崩壊し、山腹にあった村もほぼ全滅と!
    やっと以前の地震から10年経ち、復興されたばかりの村がまた再度の地震に!
    村の人々の気持ちを考えると、こちらも辛くなります。
    何とか再びの復興を!と祈るばかりです。 2019.2.24

◆*◆
ブログご訪問、有難うございます!

そろそろ秋の成人教室の各コースも始まる事とて、昨夜は久し振りの
写真クラスの夕食会がありました。
講師のルチャーノの紹介で、彼の行きつけお好みというアグリトゥリズムに集合し、

ハム類、ポレンタに茸の煮物、チーズにイチジクジャム添えというアンティパスト、
そして各種肉のグリル、私はもっぱら付け合わせの野菜類、茹でカリフラワー、
ポテトのオーブン焼き、インゲン豆の煮物、ズッキーニの炒め煮、トマトのグラタン焼き。
  
アンティパストのハム類も美味しく、肉類も大変柔らかく焼けている、との仲間の話で、
作りたてのポレンタに茸の美味しさ!!
そしてどれもが食べきれない程に出て、もうお腹いっぱい!と言いつつ、
デザートに各人が好みをチョイス、私はパンナコッタにブルーベリージャム乗せを。

最後に、食後酒として、コーヒーにブランディ、各種アロマを加えて煮立て火をつけ、
アルコール分を飛ばす、土地訛りの名前を聞いても到底覚えられないのが出て、
       
次、お得意さんにのみサーヴィスらしき嗅ぎ煙草、これがまた得も言われぬ
極上の香り満点で、皆さん、拳手の親指の上に乗せクンクンとやっては、
クシャンクシャンと、まるで薬中患者並み!

きゃぁきゃぁわぁわぁ、8時過ぎから始まった食事が漸くに済む11時半頃からは、
他のテーブルのかたずけを済ませた女将が出て来て、落ちる小話を次々に聞かせ、
またまたの盛り上がり!!
物凄い土地訛りですけど、この手のオチは分かりますよね、

私が一緒に笑うと、あ、日本人も笑っている! おお! しっかりブログに書く!
で、またまた大爆笑。
最後に「姑のミルク」アルコール度80度以上とかいう白くて甘くて美味しい食後酒が
出てお開きに。 家に戻ったのが1時でしたぁ。
       
これで一人頭23エウロ。 写真コース終了時に、いや中途にもまた来よう!と
いう事になりましたです、ははは。
てな調子で、冬に備え、英気を養っております!

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