・ n.2 ヴェネツィアの館 ・ カ ・ ドーロ 

煌びやかで優雅な館としてヴェネツィアを代表するカ・ドーロ・Ca' d'Oro
のご案内を続けます。

15世紀にマリーノ・コンタリーニによって建設され、世紀を経るうちに
所有者が何代も変わり、内部も住居として分割され変化していたのを、
現在の国の美術館ジョルジョ・フランケッティとその名を冠されている彼が
1894年に買い取り、30年近い年月と情熱と膨大な金額をつぎ込んで
修復したもの、とお話しましたが、

今日は上階の様子、所蔵品のほんの一部、あの美しい2階のロッジャからの
大運河の眺めをご覧頂きますね。

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写真は、運河の斜め向かいの魚市場から河岸沿いに行き、少し西の位置
から見るカ・ドーロとその西隣のパラッツォ・ジュスティ・Palazzo Giusti.
ジュスティ邸に、ジョルジョ・フランケッティ美術館の事務所があるそう。



こちらが現在の美術館の入り口を入った所にある中庭で、
この奥に先回ご覧頂いた運河側からの中庭があります。

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かっての正面玄関であった運河側とは違い、今は店が立ち並び観光客が
行きかう道路側から入って来ますから、緑の中庭の穏やかさは心に沁み入り、
なんとなしに日本の坪庭を思い出しました。



2階に上がり大展示室に足を踏み入れ、まずその右手の先にある美しい
目を瞠るもの、A.マンテーニャ・Andrea Mantegnaの「聖セバスチャン」
マンテーニャの絵も素晴らしいのですが、置かれている場所の見事さ!

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この絵の為に、ジョルジョ・フランケッティが礼拝堂風に設えらえたものだそうで、        
使われている大変貴重な大理石とが醸し出す
なんとも言えぬ素晴らしい調和の佇まいをご覧下さい。



こちら、アップをどうぞ。

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15世紀の画家マンテーニャ(1431~1506)の作品は、生地に近い
パドヴァからヴェローナ、生涯を閉じたマントヴァを始め各地に散らばります。

ミラノのブレラ絵画館にある「死せるキリスト」、逆遠近法をでとらえた足の先
からの描写、をご覧になられた方は多いと思いますし、有名作品は数多いので、
ここでは「聖セバスチャン」に限りまして、

これはほぼ最晩年の作品、多分1506年、画家が亡くなった年に
彼のマントヴァのアトリエに残されていた物で、
キャンバスにテンペラで描かれた(213x95cm)もの。
       
絵はその後16世紀の前半半ばに、枢機卿ぺエトロ・ベンボ・Pietro Bembo
の家にあったのを見た、という記録があり、

1810年、遺産の相続人から、パヴィーアの解剖学外科医のアントニオ・スカルパ・
Antonio Scarpaのコレクションに。
1832年、このスカルパ氏の死去に伴い、作品はヴェネトはモッタ・ディ・リヴェンツァ・
Motta di Livenzaの彼の弟と甥の元に1893年まで。

こうして作品は、カ・ドーロの修復に生涯を捧げたジョルジョ・フランケッティの手元に、
カ・ドーロを購入する1年前にやって来た、という次第。

画家の最晩年の作品(75歳)でもあるのですが、なんとも素晴らしい、
全ての無駄を省いた到達点、ともいえる描写、

絵の右下に、ふっと火が消え薄い煙がなびく蝋燭があり、それに巻き付いた
紙片にあるラテン語の意は、
NIHIL NISI DIVINVM STABILE EST / COETERA FVMVS,
神のみが永遠、他は煙  
晩年の画家の心境が写しだされたかのような作品ですね。

カ・ドーロのこの礼拝堂風展示室の内部には入れず、遠くからしか見れませんが、
パドヴァの展覧会で、目前に見た事がありました。
ピエトロ・ベンボとルネッサンスの創造展 ・ パドヴァ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461921616.html
  


同じモチーフを描いた、同画家の他の2点を下に。
並べて見ると、その差が良くお分かりと思いますので。

ウィーン・Kunsthistorisches Museum 68x30cm
板にテンペラ  1456-1457頃の作品、画家25~6歳

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パリ・ルーヴルの作品 257x142cm
キャンバスにテンペラ 1481年、画家50歳

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こういう素晴らしいマンテーニャの作品を手にし、その翌年カ・ドーロが
売りに出されたと聞いた時の、ジョルジョ・フランケッティの心の内の想いが
想像できる気がしません?!



作品にぴったりの礼拝堂風の天井は、このなんとも素晴らしい格子天井。
この格子天井も、他の古い建物から移したものだそう。

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カ・ドーロの修復に関して、友人の一人であったガブリエーレ・ダヌンツィオ・
Gabriele D'Annunzioが様々に助言したと言いますが、

ダヌンツィオ自身も国に贈り、博物館として今残こる彼の家、ガルダ湖畔の
ガルドーネ・リヴィエーラ・Gardone Rivielaにある、
彼が自分の好みに合わせてコレクションした膨大な品々で埋め尽くされ、
飾られた家を思い出しました。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417856.html



2階の、大運河に面するロッジャの様子をどうぞ。 

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訪問したのが昨年12月の半ば、冬の早い夕暮れ時。
それでも素晴らしい眺めでしたので、もひとつ上の3階からの景色もお楽しみに!

以前、外壁の修復が済んでしばらくの時期に訪問した事があったのですが、
荷物は全て下に預け、ですから勿論写真もダメで、
運河を覗こうと手摺の下の部分にちょっと足をかけましたら、
・・写真では普通の高さに見えますが、天井も手すりも背の高いもので、
監視の人が即やって来て、ダメ!と言われたものです。

今回、学習済みの私めは爪先立って覗きましたが、グループの他の女性は
足を乗せ・・、でも、誰も叱りには来ませんでしたし、写真もフラッシュ無しならOK。
はぁ、少し監視体制が緩和されているのかも、ですね。



こんな可愛い大理石の少年像とか、

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ロッジャ側から奥を眺めた様子で、左手の窪みの部分に、マンテーニャの作品。
正面のこの綴れ織りも素晴らしかったですねぇ。

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多分、これはどこかのお屋敷の天井下の飾りのフレスコ画を剥がしたもので、
大変長く、様々のモチーフが続いたもの。

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こちらは3階への階段の木の手すり。

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細かい彫りの施された素晴らしい物で、ヴェネトのゴシック様式教会から
外されていた物を譲り受けたといい、
表の彫りと、階段内側の普通の格子と2重になっていたと記憶します。



3階の展示室には、ヴァン・ダイク・Anton van Dyckの「紳士の肖像」や、
肉眼では顔と手、襟飾り以外は全て真っ黒に見えたのが、写真の中では・・?!

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これがちゃんとタイトルを見ていないのですが、ジョルジョーネのフレスコ画かも、

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これは、ティツィアーノだったと。 
  
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北方絵画も何枚かあり、1枚、ヤン・ファン・アイク・Jan van Eyckの「磔刑」

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3階のロッジャ、冬の陽が落ちかけ・・、

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お待たせいたしましたぁ、なんとも素晴らしい、大運河の眺めをどうぞ!

まずは東向きに、斜め前の鮮やかなテントが見えるのが魚市場で、
その向こうの低い白い屋根の並びは、野菜市場。

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斜めに続くのは裁判所で、大運河はカーヴし、リアルト橋に出会います。
遠くにサン・マルコの鐘楼も見え・・、



こちらは正面、

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左から2軒目か、一番右端かが正確ではないのですが、済みません、
モロシーニ・ブランドリン邸・Palazzo Morosini Brandolinと。
どなたか、お教え願います!

と書きましたら、有難うございます、「在伊の者」と仰る方から即教えて頂けました!
左から2軒目の、ロッジャの円柱上の飾りがカ・ドーロ、ドゥカーレ宮とも似た建物、
がモロシーニ・ブランドリン邸と。
綴りも間違っていたのを訂正いたしました。今後とも、よろしくお願いいたします!
       


西側、赤い建物が、カ・ファヴレット・Ca’Favretto 現在ホテルで、

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その向こうの白い大きなのが、カ・コルネール・デッラ・レジーナ・
Ca' Corner della Regina と呼ばれる、カテリーナ・コルナーロ・
Caterina Cornaro、キプロス女王となり、後アーゾロの女君主となった、
が生まれた家。

カテリーナ・コルナーロについては、こちらに。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463693935.html

冬の夕暮れ近い写真で、少し寒そうな色で残念ですが、
ヴェネツィアは、夏も冬もそれぞれに美しいという事で・・!



最後は、青空に映えるカ・ドーロをどうぞ! ヴァポレットの中からで、
全景は一枚には到底無理ですが、細部をゆっくりお楽しみ下さいね。

2階、3階部分、

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1階の、かっての正面玄関口、

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最後は、正面の一番上部の飾り部分と、休憩中のカモメ君たち。

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2回に分けて、少し詳しくご紹介したカ・ドーロ。
この館は、私にとってのヴェネツィア大好きが始まった原点の一つでもあり、

修復に情熱を傾けた男性の事も読み、
なおの事、少し頑張ってご案内したかったのですが、お楽しみ頂けたように願います!


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・ n.1 カ ・ ドーロ   ・ ヴェネツィアの館

今日のご案内は、ヴェネツィアの館のシンボル的存在のカ・ドーロ・Ca d'Oroを。

かっては金色に塗られていたので「カ・ドーロ・金の家」と呼ばれる、と
豪奢なヴェネツィア貴族の館の代表でもあり、ヴェネツィア・ゴシック様式と
呼ばれる実に典雅な姿は皆さんも良くご存じでしょう。

国鉄駅前からヴァポレット・水上バスに乗り、リアルト橋に向かって大運河を
ゆるゆる行くと、じきに進行方向左手に見えてくる美しい姿。
       
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2度訪問もし、スケッチもし写真も何度も撮りつつ、でもご案内は準備不足で
まだでしたが、昨年暮の再度の訪問の際に、新しく知った事どもが
気持ちのきっかけとなりました。

ご存知の様に、このカ・ドーロには現在国のジョルジョ・フランケッティ美術館・
La Galleria Giorgio Franchettiが設置されていますが、
名の由来である男爵ジョルジョ・フランケッティが、この館の修復に大変な情熱を
かけたのですね。
で、多少ながらその修復の様子を知ると、是非皆さんにも知って頂きたくなりました。

という事で2回に分けてご覧頂きますので、どうぞ、よろしくお付き合い願います。
上の全景はカナル・グランデの向かい正面からで、サイトから拝借。



こちらは建物のすぐ東脇にあるヴァポレットの停留所からで、
2階部分のロッジャとバルコニー。

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建物、美術館訪問にはヴァポレットでもOKですが、国鉄駅からリアルト橋に
向かうストラーダ・ヌオーヴァ・Strada nuovaを、駅からだと橋を5つ渡り、
右手にあるカッレ・カ・ドーロを入るか、
リアルト橋南方面からだと、橋を3つ渡り、左にカッレ・カ・ドーロです。

開館: 月曜 8時15分~14時  火曜~日曜 8時15分~19時15分
休館: 1月1日 5月1日 12月25日
サイト https://www.venice-museum.com/it/ca-doro-galleria-franchetti.php



入り口を入り、そのまま上に上がれますが、
まずは素晴らしい中庭の様子をどうぞ。

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写真正面、ちょっとエキゾチックな飾りのついた塀の向こうを、ヴァポレット乗り場に
続く小路・カッレ・Calleが通り、今見える扉は通常閉じられていますが、



カッレ側から見る扉の模様は、こんな素晴らしい彫り。

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中庭にある井戸、床のモザイク、2階部分への外階段。

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ヴェネツィアの街は、運河が道路の役を果たし、舟が交通手段ですから、
建物の運河に面した側が正面という訳で、美しく装飾されていて、
その一郭に舟が入り込んで係留できるようになっていますが、

写真の左側の真ん中部分に係留場があり、
客人主人一族は通常、建物に横付けした舟から降りるとこの中庭を通り、
外階段から上階に上がったのですね。

2階部分は、ピアーノ・ノービレ・piano nobileと呼ばれ、主人たちの住居、
客人の接待部屋などがあり、カ・ドーロにも2階3階に素晴らしいロッジャがあり、
一番最初の写真に見える左半分ですが、そこに外階段が連絡している訳です。

という訳で、この中庭はいわば建物のロビー部分、商売用の荷降ろし、
荷積みにも勿論使われたでしょうが、
一家の繁栄ぶりをまず見せつける入念な造りでもあったでしょう。

以前ご案内したカルロ・ゴルドーニの生家博物館の中庭にも、似た様子が。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463330953.html 



この素晴らしい中庭の井戸ですが、ヴェローナ産の赤い色紋入り装飾用
大理石を使い、3面に裁き、力、情けの寓意が彫り込まれた物。

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館の最後の個人所有者で、修復に力を注いだジョルジョ・フランケッティ男爵が
カ・ドーロを1894年に購入した際、この井戸の所有権は建物と分割され、
既に売り払われていたのを、パリの骨董屋にあるのを突き止め買い戻したのだそう。
       

ヴェネツィアの街の広場で良く見かける井戸ですが、単に井戸・ポッツォではなく、
ヴェーラ・ディ・ポッツォ・vera di pozzoと呼ばれる事を今回知りました。
ヴェーラというのは井桁の事で、落ち込んだりせぬ様、使用に便利な様に
石で井桁を作り、囲った井戸の事をそう呼ぶのだと。



ヴェネツィアの井戸は、広場隅に設けられたこの様な穴から雨水を受け、
マンホールを通して中央に流し込み、砂と粘土の層を透した後に
汲みだす仕組みになっています。

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大きな広場には井戸が2つも2つもあったりしますが、乾期が続き水不足に
なる時は、大きな水の運搬船でラグーナ近辺の川から真水を運んだのだそう。
井戸の使用が不便な家用には、水売りの存在もあったそうですが、

1884年に遂にシーレ川・Sile、トゥレヴィーゾを通りヴェネツィア・ラグーナに
注ぐ川水を利用しての水道が通り、
現在はこのヴェネツィアの街の井戸は使用されていません。

が、一体幾つぐらい井戸があると思われます? 確認されているのが600以上! 
個人の家の分を含めると、まだ200以上見つかるだろうとの事。

はは、私が何を考えたか分かります? 今迄撮りためた井戸の写真を
纏めなくっちゃ、とね。 ・・そして勿論、皆さんにご覧を!



はい、また本題の中庭に戻りまして、
色大理石を使ってのモザイクの床模様をどうぞ!

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素晴らしいでしょう?! 上の中庭の写真にも少し見えますが、
これも修復に情熱をかけたジョルジョ・フランケッティの賜物で、
  
彼はとにかく、最初にこの建物が造られた15世紀のイメージに沿った、
当時の豪奢で洗練された建物に修復をする事に心を砕き、

使う大理石も決して新しい物を使わず、モザイク柄も、サン・マルコ聖堂や
ヴェネツィアの古い建物からのイメージ、はたまた12~14世紀に持て囃された
コズマ風から、彼自身が幾何学模様を描いたりしたのだそう。

コズマ風・cosmatescheというのは、コズマ一族・cosmatiという
ローマを中心に12~14世紀に活躍した大理石装飾やモザイク技術に長じた、
彼らの柄なのだそうで、

il porfido rosso antico・斑岩、
il serpentino・蛇紋岩、
il cipollino verde・緑色の縞がある雲母大理石、
il giallo antico・アルジェリア産の濃黄色の大理石、
il pavonazzetto・(paonazzo?、暗い赤紫色の、濃い菫色の)
il verde antico・白い筋目の緑の大理石、
なんぞという使用した大理石の名がぞろぞろ出て来まして、

il marmo luculleoが、何か判明しませんでしたが、
どうぞ、写真と石の名を見比べて下さいませぇ!



中庭から見上げる建物、北側、

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西側、

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西側の3階部分。

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今ここに見える素晴らしいバルコニーも、ジョルジョ・フランケッティが、
最初にあったように再建したもの。

というのも元々この館は1421年から40年にかけ、有力裕福なヴェネツィア貴族の
マリーノ・コンタリーニ・Marino Contariniによって当時の一流建築家が
集められ、彼自身が指揮を取り建設した物で、

大運河に面した正面壁は、ウルトラマリン、黒、白、赤色に塗られ、
しかも多くの部分に金箔が貼られており、
その素晴らしさから、金の家・カ・ドーロ・Ca' d'Oro と呼ばれたと。

多色装飾があった事は知らず、金が塗られていた、と考えていましたので、
金箔が、というこれも新知識。

コンタリーニ家というのはとにかく栄えた家柄で、18の家に分枝し、
8人ものヴェネツィア総督を送りだし・・。

が、読んでいて大笑いしたのは、彼らの家柄が関係している際の投票では、
代理人達が大評議会の部屋から出る都度に大騒ぎをしたというのです。
ご想像下さい、どんな騒ぎだったかを!
厳格な政治制度を持ったヴェネツィア共和国、と言われていても、
昔も今も中身はやはりイタリア人、いや、ヴェネシァンですねぇ。
       
はは、また脱線ですが、
で、このマリーノ・コンタリーニは館建設のすぐ後1441年に死亡、
その一人息子ピエロ・Pieroが継ぎますが、その後はその娘たちの間で所有が
分割され、長い年月のうちに所有者が次々と変わり、
分割された住居としての内部変更が甚だしくなっていた様子。

それを19世紀末にAlessandro Troubeskoy(プリンチぺですと)が
当時有名なバレリーナのマリーア・タリオーニ・Maria Taglioniに
贈り物として購入! 改装します。

が、この時に、はい、お待たせいたしました、上のバルコニーや、
外階段を取り外したというのですね。



この時の改装で、運河側にも手をつけたのかどうか、
サイトから見つけた当時の写真をどうぞ。

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上階の変化は見えませんが、1階の右側、現在は1つの窓が4つ見え、
が、案外これは、こちらがオリジナルの形なのかもですね。



これは、運河側から中庭に入って来た時に見える様子。
なんとも素敵な空間でしょう?!

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奥に彫像が見えますが、
      
  

こんな様子。

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ジョルジョ・フランケッティ自身大変なコレクター、しかも素晴らしい目利きの
コレクターで、この館にも彼のコレクションが展示され、
はたまた1916年に彼から国へ贈呈されたこの館には、現在幾つかの
国のコレクションも含まれているそうです。



中庭脇の天井部分はこの格子天井。
細かい柄が施されているのが見えますか?

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壁の大理石の色、柄も素晴らしいでしょ、
運河側からの入り口脇の壁も、この柄で埋められ、

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これが、中庭を挟んでの南側と外階段。 
階段の下の整然としたアーチが素敵ですねぇ。

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階段の手すり部分の小さな像。
どれほどフランケッティが苦心して集めたものか・・。

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という事で、最後はジョルジョ・フランケッティ男爵を。

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この笑顔の写真は大分前に見つけたのですが、彼の人生について
書かれたのが見つからなかったのですね。

それがつい先日、偶然に短いながら2つ程も見つかり、
カ・ドーロについても書かれたのが別に見つかり、
読んでいて、彼の修復にかけた情熱に、ささやかな敬意を捧げたくなったのです。

ヴェネツィアを27年前に最初に訪問した時、即大好きな街となり、
カ・ドーロの素晴らしさにも魅せられ、いつか絵に描こう、
その時は金箔を下に貼って、と謂れも詳しく知らぬまま、描いたり撮ったりし、
いま改めて知った彼の仕事に、感謝と敬意を表します。

ジョルジョ・ジョアッキーノ・フランケッティ
Giorgio Gioacchino Franchetti
1865年1月18日トリノ生まれ
父 ライモンド・Raimondo 男爵  
母 ルイーザ・サーラ・ロシィフィールド・Luisa Sara Rothschild
       
3人兄弟の末子、長兄アルベルト・Albertoは力量ある作曲家に、
2番目エドアルド・Edoardoは外交官に。

父親とまるで違う性格を持つ彼は母親似、ウィーンの洗練された
知的な環境の中で育ち、音楽や美術品、文学に情熱を持ちます。
トリノの軍のアッカデミアを卒業するものの、ピアニストへの勉強で、
ドレスデン、そしてミュンヘンに。 ここで知り合った男爵令嬢
Maria Horustein Hohenstoffelnと結婚、25歳。

父親との不和が原因で家から離れ、その為経済的には余り良い状態では
ないものの、美術品のコレクションに情熱を持ち始めます。
1890年26歳で、フィレンツェに音楽家としての勉強の為移住。

当時のフィレンツェは、まさにルネッサンス期のトスカーナ美術に世界中が
注目し始めた時期に当たり、妻と一緒に、それまで以上に系統だった
コレクションを、祖父からのそう莫大でもない財産もつぎ込み、始めます。

経済的にはそう自由ではないコレクターではあるものの、とにかく目利きだった様で、
その本質を見極めての掘り出し物が多かったとか。

1891年の長男ルイージ・Luigiの誕生を機に良好となった父親との関係もあり、
ヴェネツィアに戻りますが、一家の所有となったサン・ヴィダールの
パラッツォ・カヴァッリ・Cabvalliの修復に関し、オリジナルと大いに違う修復方法に、
再び家を出て別に住まいを持ちますが、余りの狭さに深い違和感を。
       
この現在のアッカデミア美術館の大運河の向かいにある
カヴァッリ・フランケッティ邸の内部はこちらでご案内を。
      
そうこうするうちに1894年カ・ドーロが売りに出され、
当時としては莫大な金額17万リーレで購入、
そしてその全ての情熱と知識を注ぎ、修復に取り掛かった訳です。

井戸の買い戻しや、床のモザイクについても触れましたが、新しい材料を使わず、
往時の高価な貴重な物を選び、洗練された美的センスが許すものだけを
つぎ込んだのですね。

様々な友人達が助言を与え、その中にガブリエーレ・ダヌンツィオもいたとかで、
最初から、彼はこの館を自分の住居にするつもりはなく、
自分のコレクションを置く、公開の博物館にするつもりだったと言います。
      
余りにもの莫大な修復経費に、遂に1916年に国と契約を結びます。
彼のコレクションとカ・ドーロを、修復が済んだ時点で国に贈る代わりに、
経済面をカヴァーするという同意です。

こうして1927年1月18日、本来ならば彼の62歳の誕生日に当たる日に
ジョルジョ・フランケッティ美術館が開館に至りますが、
その5年前に彼は世を去っています。

29歳で館を購入、それ以降の28年間、まさに人生の半分を
このカ・ドーロの修復に捧げつくした男。

美に魅入られたというか、ある意味なんとも壮絶な彼の人生ですが、
改めて彼の写真を見ると、磊落そうな爽やかな笑顔で、良いなぁ!!       
カ・ドーロの美の女神が、彼を欲したのかもなぁ。
              
少々長くなりましたが、書かずにおれない気持ちがありました。
ヴェネツィアにお出でになり、カ・ドーロを訪問するチャンスがございましたら、
その美しさに大いに見惚れ、愛で、
そして、修復に己の人生を懸けた男性に、暫しの想いをどうぞ!
       
という所で今回は一応お終いにし、
次回は中の博物館の様子、あのテラスからの眺めなどをご覧頂く予定です。

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・ イタリアで一番素晴らしい 植木の迷路・ラビリントを

今日のご案内は、ほら、タイトルと上の写真でもうお分かりですね。
はい、イタリアに現在残る3つ、または4つという声も、の植木の迷路の内でも、
一番大きく素晴らしい、
ブレンタ川沿いのヴィッラ・ピサーニ・Villa Pisaniの庭園にある迷路にご案内を。

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「イタリアで一番XX」というタイトルは好きではないのですけど、
本日の内容で他に言葉が出て来ずで、・・むむ。
上のガイドブックの写真でお分かりのように、九重の輪を形作り、真ん中に塔があり、
頂きにミネルヴァ像があり、円形の4隅に張り出し部があり、全体は少し歪な四角形。
       
植木の迷路なんて、と少々侮っておりましたが、ははは、
なんとなんと、大いに楽しく迷い、行ったり来たり!
ええ、今日は皆さんもどうぞお迷い下さいね。



ヴィッラ・ピサーニ、現在は国の博物館なのですが、
地図のパドヴァ・Padovaの東に見えるストゥラ・Straにあります。

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ピサーニ家は、13世紀頃より既に大変裕福なヴェネツィア貴族の家系で、
幾つかに枝分かれし、ヴェネツィアはもとよりヴェネトのあちこちに屋敷を構えていて、
それぞれがヴィッラ・ピサーニ・XX と呼ばれ、ここはヴィッラ・ピサーニ・ストゥラで、
       
ヴェネツィアのサン・ポーロ地区にも大運河に面したパラッツォ・ピサーニ・モレッタ・
Morettaがあります。
       


先回の予告編でもちらっとお見せしましたが、こちらが正面の真ん中部分、
見事な正面の威容は到底ズームの18mmにも収まらず!

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走っていた車の前方、突然に目の前に現れた時の印象の強さと驚きは、
あ、あ、あれ何?! と子供みたいに訊ねた程で、ははは。

ヴィッラ・ピサーニにつきましては、また改めてご案内をと考えておりますので、
今日は庭園をほんの少しどうぞ。



こちらが入り口。 人間の大きさから、像の高さ、はたまた建物の大きさのご想像を!
入り口にたむろしているのはドイツ人の団体さんで、他にフランス語も聞こえたり・・。

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入り口から真っ直ぐに主館部分を通り抜けると、細長い池があり、
向こうに見えるのが厩舎、はい、お馬小屋!

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まぁ当時のお馬ちゃん達は現在の車と同等ですから、素晴らしいお高い車を
何台も納めるガレージ、ではありますが・・、
サイトであれこれ写真を見ていた頃は、池の奥にあるこれが母屋かと想像したりで!

ちなみにヴィッラの建設は1720年、以前のヴィッラを完全に建て直したものだそうで、
この池は当時はなく、造られたのは1911年、パドヴァ大学の水理学研究の為に。

そうなのですね、ヴェネツィア共和国の崩壊が1797年ですから、
この屋敷はヴェネツィア貴族、栄華の最後のあだ花とでもいうのか、
後にヴェネツィア共和国を倒したナポレオンに購入されたり、
北イタリアを治めたオーストリアのハプスブルゴ家の物にもなり、
1866年イタリア王国にヴェネトが併合されたのを機に、国の持ち物となって残っていて、
が、また改めてご案内を。
      


こちらは、コーヒー・ハウス・Coffee Houseと呼ばれ、かっては旅人たちが休憩
出来る場所で、当時は建物の窓枠がなく、ここの地下にある氷室からの
涼しい空気が床の穴を通って吹き出す、暑い季節に大変心地良い場所だったそう。

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小山の周囲を取り囲む池の、蓮の葉からポチャッと蛙が飛び込み、
まさに、古池や、かわず飛び込む・・、なのでした。



訪れた午後は、初夏を思わせる暑い日でしたが、
広大な緑の庭園内は、爽やかな風が吹き抜ける天国で、

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あちこちに置かれた彫像類も目に愉しく・・。



こちらが敷地内の様子、本当に広いでしょう?!
打たれた番号は、現在開催中の彫刻家の作品展示場所を示しますが、
ついでにこの番号を拝借して言うと、3.が今日ご案内の迷宮・ラビリント・labirinto.

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と言う事で、ここが植木の迷宮の入り口、両脇に右に見える様な彫像があり、

9-942.jpg

その脇にある注意事項には、
禁煙、走らない、動物入園禁止、
植木に潜ったり乗り越えない、
ゴミ捨て禁止、乳母車は禁止、
入園は 9:00~13:45  14:15~19:30



ツゲの植木の高さですが、中程にちょこっと頭の先が覗くのが見えますか?

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これは少し高い場所から写したのでこう見えますが、内に入るとすっぽり隠れる高さ、
密度で、声はすれども姿は見えず、ほんにお前はXの様な・・、あれ?
という様子でございます、はい。



入り口脇に管理の方がいて、子供連れがやって来ると、「手を離さないように、
中はとても難しいですから」と注意し、グループなどは最高30名までが一時に入れ、
代表はメンバーの名前を記したリストを提出しないとなりません。

そうなのですね、元々は貴族のお遊び、気晴らし用に造られた迷路なのですが、
なんと全長5Kほどにもなる長さだそうで、
イザ入り込むと、その高さと密度から見通しが利かず、軽~く方向感覚を失い、
人生の変遷にも例えられる迷路、という言葉が納得できる気がしました。

ここからは、漸くに辿り着いた中央の塔の上からの眺めを。
まず入り口付近、

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その上角部、

12-945.jpg



その左、

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中央の搭の上には、辿り着いた人々が上り、後から来る仲間に、
そこを右、左、とか大声で・・!

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下の段に見える女性はここの管理の人で、とりわけ難しい北側辺りで
迷った人間が顔を上げると、そこを左に、とか教えてくれるのですね。



入り口から塔まで届く正しい道は唯一で、
そう、この辺りから西にかけて難しい位置がありましたね。

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ツゲの木で出来た迷路、と書きましたが、元々はシデの木だったそうで、
1929年の寒波でやられたのを、今のツゲに植え替えたのだそう。

殆どの木がきちんと整えられているのですが、ご覧のようにこの辺り、少しまばらに
崩れているでしょう?
パオロの話によると、乗り越えたり潜ったりする輩のために植木が型崩れし、
整えるために何年か閉鎖された事もあったとか!
で、内側に金網が張られているのが見えました。


この辺りだったか、行ったり戻ったりで、向こうからの人が、行き止まり!と
教えてくれたり、ね。

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一旦は塔に近づき、そしてまた離れる行程で、遂に塔の入り口が見えた時は、
いぇ~い!

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やっと辿り着いた子供達が、嬉しい大声で仲間や親に指図して。

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いやぁ、塔の上に着くとやったぁ~!という気持ちになるのは皆同じの様で、
隣の男ども2人が仲間に教えつつ、両腕を広げ、
ドンネェ~、インフェデーリィ・不信心者の女たちぃ~、と
教えた通りに動かない仲間に叫んだり、ね、ははは。

かってはこの塔に若い女が、迷路を先に通り抜けた者への賞、がいたのだとか・・、
優雅なお遊びですねぇ。


こちらは塔の上にあるミネルヴァ像、理性の女神で、芸術の守護神だそう。

19-949.jpg

イタリアに現在3つ残っている植木の迷路ですが、
他にヴェローナのパラッツォ・ジュスティ・Palazzo Giusti、街の東北部の
テアトロ・ロマーノに近い場所にあるそうですが、ここのは背が低く1m程の高さの
ツゲの植木、つまり隠れ場所にはならない迷路だそう。

そしてトリノ近郊カラヴィーノ・Caravinoという所にあるカステッロ・ディ・マジーノ・
Castello di Masinoの庭園にあり、シデの木で再建された1kの長さの迷路と。

という訳で、このヴィッラ・ピサーニの迷路がイタリアで一番素晴らしいという事で、
ガブリエーレ・ダヌンツィオ・Gabriele D'Annunzioがこの迷路から
インスピレーションを得、「炎・Il Fuoco」を書いたとか。
ミーハーしていると言いつつ、読んだ事が無く、読んでもねぇ、分かるかなぁ・・。

塔の上から、通り抜けた道をしっかり復習したにもかかわらず、帰り道には、
塔の上の女性に一度教えを仰いだり・・。

ひょこっと顔を出した子供がダメだった、と言うので、そこをもひとつ左だよ、と言いつつ
通りすぎると、追いかけて来て、あんたたちは出るの?入るの?って、確かに、ははは。
   


最後におまけ。
迷路の図をサイトで見つけましたので、皆さんもお試しを! 赤点が入り口。

20-ges.jpg



庭園のメルロ・Merlò・クロウタドリが申します。
辿り着けた? 実地に試しに来てねぇ!

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ヴィッラの入場料は、大人8,5エウロ(2011年当時)、庭園の奥にはカフェがあり、
飲み物やパニーノもあり、博物館、庭園を一日楽しめますです。


◆*◆

お天気の良い日が続いていまして、
プールの体操も、どうやら来週からは外のプールになりそうで、
陽射しが少しでも水を温めておいてくれるよう祈るばかり!

はい、こちらの外のプールというのは、何にも覆いのない、まさに屋外プールで、
自慢ではありませんが、一日で真っ黒になりますです!
       
イタリア語では、ブロンズ色になる、と言いますが、
私の場合は青銅色ではなく、赤銅色!
あと何年かしての、シミ、ソバカスの大いなる養殖中で、
今はまだ潜伏期間(・・はかない願望)で、
そろそろ効果が目に見えてくるのではないかと、はい、内心恐れ・・、

まぁ、ここまできたら諦めの心境で・・、
よぉし、今年も真っ黒に、赤銅色に焼けてやるぞぉ!!


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・ ブレンタ川沿いに ・ お休みのご報告と予告を 

今日日曜の夕方、遊びに行った息子の家から元気で戻って来ました。

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今回はブレンタ川・Brenta沿いに連なって立ち並ぶかってのヴェネツィア貴族の
お屋敷をあれこれ眺め、博物館となり広大なお庭も解放されている
ヴィッラ・ピサーニ・Villa Pisaniも訪問しました。

屋敷が物語る富の物凄さに感嘆しつつ、庭の隅にある生け垣の迷路も大いに楽しみ、
美味しい物もお腹いっぱいに頂き、猫のジッボにも遊んで貰い、
夏の先取り休暇を楽しんだ気分です。

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まずはとりあえず予告編と言う事で、説明抜きで、初夏の水辺の心地よさを
お楽しみ下さいますように。 ぼちぼち整理して、ご案内する予定です。

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と言う事で、写真整理に励みますです。


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・ サン・ジョヴァンニ洗礼堂 ・ フィレンツェ

フィレンツェの国鉄駅サンタ・マリーア・ノヴェッラから、斜めに中央に延びる
パンツァーニ通り・via del Panzaniを進むと、やがて見えてくる
花のサンタ・マリーア大聖堂。
いつもちょっと戦慄が走る様な素晴らしい眺めですが、

1-237.jpg

既にご覧頂いたジョットーの鐘楼、そして先回ご案内の花の大聖堂、
と2つ済むと、最後はやはり3点セットの一つ
サン・ジョヴァンニ洗礼堂を取り上げませんと、ね。
ご存知のように手前に見えるのが、今日ご覧頂く洗礼堂です。

フィレンツェ ・ ジョットの鐘楼より
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464151136.html



こちらは4年前の早朝の写真で、足元も良く見え、

2-129.jpg

右端に先回の聖堂ご案内トップの写真の上部が切れた原因の、道を塞いでいた修復の
覆いも、聖堂に向かいあう東の扉、天国の門として名高い扉も、
広場の左向こうに、ビガッロのロッジャも見えますね。

ご覧の様に洗礼堂は八角形をしたロマネスク様式、起源は5世紀に溯る様ですが、
この建物は11世紀に建設された物だそう。

ですから当時はまだ、現在の花の大聖堂はまだ存在せず、向かい合って
小さなレパラータ教会があり、多分こちらの礼拝堂の方が立派、という理由で、
礼拝もこちらが使われていたのだそう。

後に大聖堂が造られると、こちらも改修され、洗礼堂として使われる事になり、
かのダンテもここで洗礼を受けたのだそう。



こちらが東の扉、天国の門とも呼ばれる扉。

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昼間はいつもこの様に大勢の観光客で、傍に寄るのもなかなか大変な程。
上部の「キリストと洗礼者、天使」の像は、アンドレア・サンソヴィーノ・
Andrea Sansovino作で、扉と共に彫像の原作は、大聖堂の東にある
ドゥオーモ博物館にあり、どちらもコピーなのだと。


で、扉全体の様子をガイドブックからですが、やはり細部が良く見えず、
申し訳ないです。

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1425~52年、なんと27年の歳月をかけてロレンツォ・ギベルティ・
Lorenzo Ghibertiによって制作された、青銅金塗りの扉で、

大きな10の場面の逸話は旧約聖書のお話から取られ、左上から「アダムとイヴ」 
その右「カインとアベル」等などと続き、最後の右下は「ソロモンとシバの女王」。

「ルネッサンスの画家彫刻家建築家偉人伝」を現わしたヴァザーリ・
Giorgio Vasariによると、ミケランジェロがその美しさを讃えて
「天国の門だ」と言った、という逸話が伝わりますが、それについては後ほど。



これは扉の右脇から写したもので、上から4段目左が「モゼ」でこちらが「ヨシュア」
の話だそうですが、ぽこっと上に男性2人の頭が突き出していますね。
偶々の位置から興味を持って写したのですが、

5-1-233.jpg
   
向こう側の年配者が、この扉の制作者ギベルティの自彫像(この言葉は正しい?)、
こちらの若い方が息子のヴィットリオ・Vittorio、 一番弟子であり、
協力者だったのでしょう。       

所で、ミケランジェロが「天国の扉・門」と言ったというお話ですが、
彼の作風から考えて、ふっと疑問を持ったshinkai、改めてミケランジェロの
生年月日と、ジョルジョ・ヴァザーリの名著の現わされた年を調べました。

ミケランジェロ・ブオナロッティ・Michelangelo Buonarotti(1475~1564)、
彼が生まれた時には、既にこの扉は出来上がっていた訳。

12歳で当時一番の評判を取っていたギルランダイオ・Domenico Ghirlandaio
の工房に弟子入り、最初の作品とされる「階段の聖母」は、1491年16歳、
現在ヴァティカンにあるあの美しい「ピエタ像」は22歳!

ヴァザーリの「偉人伝」は1550年著ですから、ミケランジェロ25歳。
で、初期の彼の美しい作品群から考え、まぁ、評判の良い大先輩の作品を、
その様に褒めたかも、と。 後年になっての彼なら、別と思いますが・・。
       
細かい事に拘ると思われます? でもね、とりわけ年代、数字に弱い私は
その都度調べないと、時に?と言う事が大いにありますし、
昔教えて貰った事柄が、大いに違う面を持っている、とだんだん知恵が
ついて来ておりまして、・・ははは、遅いのは良く分かっておりま!



では、内部に。
こちらはガイドブックからで、建物の西側、礼拝堂部分。 アーチの部分が
少し外側に張り出しており、右に見える墓所は、ドナテッロ等が制作の
法皇ヨハネ23世の墓碑。

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内部は直径が25.6mで、この広さは聖堂のクーポラの約半分の長さだそう。
それにしても大きな洗礼堂なのですが、当時は年に2回と定められていた
洗礼日に、大勢の洗礼者を受け入れるために必要だったと。

この右に切れている北の扉から入り、この北の扉と、現在出口になっている
南の扉も其々由緒ある有名な物の様ですが、まるで記憶になく・・!

床も一面のモザイク柄、ですって、あれま。
それどころか、中央にあった筈の洗礼盤も覚えが無く・・、あ~あ。



実際は写真よりももっと暗い内部の席に座り、見上げ見惚れるのは
天井部の13世紀黄金モザイク画。

6-063.jpg

余りにも密な凄さに、どこから見たら良いのかいささか茫然!
この大変難しいモザイクの仕事は高価にも付き、多分1270年頃に始まり、
3,40年かかったろうと。



頂上部は天使像が並び、その下に、聖書からの各場面。
そしてキリスト像があり、

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「最後の審判」の場面。

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ご覧の様に図柄が大変密で出来が良く、ヴェネツィアからの職人や、
下図制作にも名のある画家が関わっているだろうとの事。



内部壁面には幾何学模様が描かれますが、大理石の部分と、
フレスコ画で描かれた部分と。

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この窓は、向かい合った聖堂方面に開いている窓で、ここだけ
天井部と同じモザイク画の装飾。

10-059.jpg 


       
窓の向こうに聖堂の正面壁が見えるのに気がつき、
ピントを合わせますが、はい、鳩の進入除けに金網が在り、
玉座の聖母子像の左隣の像で、

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こちらはその右隣。

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洗礼堂内には、たくさんの人が椅子に座ったまま動かず、
聖母子像を上手く見れる位置には、届きませんでした!



遠い天井部のモザイク画もカメラのレンズを通して見るうちに、
あ、洗礼図が見える、 誰か牢に入れられている、

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あれ? あれはサロメが踊っている場面ではないか?
上には、キリストの磔刑図も見える、

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そうだ、やはり洗礼者ヨハネの首切り場面だ、
上は、十字架降下と昇天場面だ、 なんぞと見えて来て楽しみましたが・・、

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階層により、創世紀の話、ヨハネ、聖母とキリスト、洗礼者ヨハネの話が
語られているそう。 ・・次のチャンスには、もっと上手く撮れますように。



夜景写真ですが、洗礼堂の後ろからというか、後陣部分の張り出した様子を。

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張り出した角の上部には、こんな顔とライオン君。

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上は北側角で、下は南側角。
13世紀初頭の改装部分ですから、中世風が楽しい。



本日トップの写真と同じ角度から見るほぼ満月ですが、

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月を撮るには少し時間が遅く、周囲がぼやけましたので、



本日の最後は、この夕暮れ迫る薔薇色で。
ああ、また行きたいなぁ!!

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◆*◆

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はへ、今日もいささか息切れ気味です。
と言うのも、朝のプール体操の教師が若~い男性に変わり、
肌が白くほっぺの赤い! まるで可愛い子なので
おばさま連中には人気が出ていますが・・、
これが結構きつい体操をやらせてくれるのですよ。
良いよ、良いよ、OK! と言いつつ、次々に筋肉に良い体操をね、ははは。
で、45分後に水から出ると、はへぇ、という次第。

でも頑張らないとね。 しっかり遊ぶ為にも、体力が必要!


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・ 花のサンタ・マリーア大聖堂 ・ フィレンツェ

何回かジェノヴァのご案内が続くうち、何となし帰りたくなり・・、どこへ?! 
ジェノヴァに対抗してヴェネツィアに? なんぞと考えつつ、
まだ見て頂いていない写真をひっくり返しながら
漸くに、気分にぴったり来たのがこの写真。
       
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そうで~す、ご存知、泣く子も黙るルネッサンスの花の都はフィレンツェの、
サンタ・マリーア・デル・フィオーレ聖堂・Cattedrale di S.M.del Fiore.
       
ジェノヴァの建物類の素晴らしさに見とれつつも、どこか豪奢過ぎる、
如何にも西洋風デコレーションに少しばかり馴染めなさを感じたのかも。

と言う事で本日は、豪華絢爛なれども豪壮ではない、
花のサンタ・マリーア大聖堂のファッチャータ(ファサード)を、
内部やクーポラはまたの機会にして、正面壁だけに絞り、ご覧下さいね。

この写真は4年前の秋にちょっと寄ったフィレンツェで、こちら手前に
修復の為の覆いが(洗礼堂の修復?)掛かっていて切れたのですが、
いつもと違った眺めになりました。



こちらも4年前ですが、朝7時前の聖堂。
いつもは建物の足元が見えない程の観光客ですが、
ほらね、こんなにすっきり見える時もあるのです。

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ドゥオーモの正面壁の話題の前に、ちょっと寄り道を。
聖堂の正面に向き合って洗礼堂があり、その脇の広場には
観光客用の馬車が客待ちをしていますが、

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広場南側のこんな古い建物の下にあるのが、
ロッジャ・デル・ビガッロ・Loggia del Bigallo.

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少しアップを。
ビガッロ博物館・Museo del Bigallo と読めますね。

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アーチの彫りの素晴らしさ、扉の上の聖母子像、フレスコ画もまだ鮮やか。



馬が見えますが、1445~8年にかけて描かれた「荒れ狂った馬の奇跡」
と言うのだそうで、成程なるほど、・・とはいえ、肝心の話がまるで・・!

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東側からの写真を撮っていないボケというか、残念。
と思っていましたら、1枚見つけましたので追加を! やれやれ。

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初めてのイタリア旅行でフィレンツェを訪れた時、この建物に大変魅かれ、
写真を撮りつつ眺めたものでしたが、
2年前の秋の再訪の後、興味深い事も分かりました。

古い歴史はさて置き、ロッジャは1352年今の場所にアルベルト・アルノルディ・
Alberto Arnoldiの設計により建設、彫りの部分も彼が担当したそうで、

元々がスペダーレ・Spedale、巡礼や旅人の宿、老人ホーム、孤児院、
病院、貧者への食物と衣類の供給の働きをする組織の運営で、
この新設のロッジャの1階には公開の祈祷所、
そして上階は捨て子の収容所に当てられたのだそう。

で15世紀当時、収容された捨て子がロッジャに3日間披露され、
その間に家族が名乗り出ない場合は、養子に出されたという様子。



で本題に戻りまして、花のサンタ・マリーア大聖堂の正面壁に。
      
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正面壁についても知らない事だらけで、ルネッサンスに聖堂が建設された時、
この正面壁の装飾も整えられたのだとばかり思い込んでおりました。
所が何と、最終的にこの正面壁が出来ましたのは19世紀!だったのですね。

聖堂の起工式が行われたのは、1296年9月8日。
その時にサンタ・マリーア・デル・フィオーレ・花のサンタ・マリーアと命名を。
なんとも素晴らしい名前ですねぇ!
       
それ以前この場所にあったサンタ・レパラータ教会・S.Reparataの遺構は、
現在地下博物館として見学できますが、
その何倍もの大きさ、しかも2度に渡る計画変更で拡大され、
途中の中断も経ながら1380年に身廊が完成、1418年にはクーポラを
残すのみにまでに進行します。

で、この当時この大クーポラを如何に架けるかが問題だった訳ですが、
ブルネレスキ・Filippo Brunelleschiが解決、
1438年8月30日に頭頂部が閉じられます。

その後の頭頂部の上の明かり取り部分の完成は1461年、
そして天頂の球、金色ブロンズ製が取り付けられたのは1468年、
レオナルドの師ヴェロッキオ・Verrocchioに依ります。

つまり170年程の年月が掛かった訳ですが、建物はすべて完成、
外側の大理石壁のデコレーションも、鐘楼も全て整いながら、
正面壁だけ石と煉瓦壁のまま残されていた訳なのです。

サイトからの証拠写真をどうぞ。

7-2-ata.jpg

勿論聖堂建設と同時に正面の壁も最初の設計者である
アルノルフォ・ディ・カンビオ・Arnolfo di Cambioのデザインで
進められた訳ですが、堅固でないという報告があり、
1587年にトスカーナ大公フランチェスコ1世の命により撤去され、  
その後様々に討議されつつ、未完のまま19世紀まで!

絵が描かれたり、何かの大きな祭時には飾りつけられたりしつつ、
そのまま残っていたのが、遂に1864年のコンクールで
エミーリオ・デ・ファブリス・Emilio De Fabrisの案が採用、
19876年から建設が始まり1887年に完成、という訳。

白大理石を基に、緑とピンクの素晴らしいゴシック様式風装飾、
明るく晴れやかで、イタリアの青空に良く映えます。
と言う訳で、これよりごゆっくりじっくり細部を眺めて下さいませ、ませ。
       


まずは正面下部の銅製の巨大な扉、これは1903年に作られたものと。

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で、扉の前には、余りの見るべきものの多さに疲れた善男善女が
いつもへたり込んでおりまして・・、

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扉の一番下にある手近な、浮彫の聖人聖女像は、
ご覧の様に撫でられてピカピカ、という次第。

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こちらは扉の左側の聖女。 

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全ての聖人聖女がどなたか、何をされた方か分かるには・・!



正面扉上の部分は、こうなっておりまして、

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半円形のキリストと諸聖人の絵の上の、三角部分のアップ、

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そしてその上、身廊上部、中央の高い部分。

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玉座の聖母子像の左右に並ぶのは、どなたでしょうか、
確かめ得ませんでした、ご容赦を。

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なんとも素晴らしく美しい薔薇窓!

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アッシジの大聖堂の典雅な薔薇窓が大好きですが、
こちらにはまるで違った華麗さに魅かれます。 



そして最上部。 下に並ぶ方は左からどうやらペトラルカ、ダンテ、
その次はどなた? そしてレオナルドかな、

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青空をバックに、本当に美しい!



こちらは正面壁に3つ並ぶ扉の、左側の扉上部。 正面中央よりも小振り。

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南側側面壁の装飾。
たくさん写した様な記憶があったのに、1枚だけ!
到底かなわない思いで、尻尾を巻いて退散したのかも。       

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2年前の秋に行った時には南側面は既に洗われ、ご覧頂いた様に
明るさを取り戻していましたが、北側の壁はご覧の様子。

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周囲から集まって来るどの道の奥にもこんな風に聳えて視界を塞ぎ、
それがまたいかにもフィレンツェ、というイメージで・・。



では夜景で、クーポラと南側面の壁と、

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最後に、もう一度正面を。

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そうですね、次回再訪する時には、またもう少し落ち着いて
対面できることを期待して・・、
お付き合い有難うございました!


◆ おまけ ◆

昨日日曜の朝からかなりの雨降りで、午後半ばには少し小雨になり、
予定通り写真展示や舞台での仲間の発表を見に出かけ、
写真を褒めて貰ったり、うふうふ、仲間のベリーダンスに大笑いしたりで、
夕方戻って来ましたら、

なんと、北の山が白くなっているのに気がつき! 道脇に車を止め
2枚ほど撮りました。 ご覧下さい、5月15日に見る雪を!!

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今朝からは良いお天気で、プールの戻りに見る山は少しとけていましたが、
昨夕は曇って見えなかった奥の山の峰が、真っ白に覗いておりました。

ニュースでも、南は泳ぎ、北は積雪、と。
この夏は少し雨が多く涼しい、との予報ですが、さて、どうなりますか。


*****

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・ n.2 ジェノヴァ観光 ・ 海からの眺めを 

さて先回に引き続き、ジェノヴァの旧港からバス船に乗り込み、西隣の街ペーリ・
Pegliまでの港の眺めを楽しんで頂きますが、
ほんの少し、旧港・ポルト・アンティーコの雰囲気をどうぞ!

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光る海に沿っての広場。 散歩道が広がり、人々が憩い、
こんな帆船の帆をイメージさせるモービルが風に舞います。

国際的な港で受ける感覚はここジェノヴァも、トリエステも、
そして神戸でも同じ、明るく開けた空気。



では、出帆! 航路は先回の記事に。

旧港は上でご覧頂いたモービルを始め、1992年の万博、コロンブスの生誕500年
記念の開催を機に、レンツォ・ピアーノ・Renzo Pianoの設計の元一新されました。
彼は関西空港、パリのシャルル・ドゴール空港などなどお馴染の設計家ですが、
       
このビーゴ・Bigoと呼ばれる、高さ40m 360度回転の観覧エレベーターを始め、
観覧車の中であれこれ説明も聞けるそうですが、
この高さでの360度と言うのは、素晴らしいでしょうねぇ!

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スフェーラ・Sfera・球体、と言う名の熱帯植物園、蝶もいるそう、単に玉・Palla・
パッラとも呼ばれるとか言いますが、 そして左隣に見える長~い水族館の建物、

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これらがかっての古い港のイメージを一新させ、街の人々自身も、かっての歴史を
超える新しい街に誇りを持ち、観光客誘致にも大きな役割を果たすようになったそう。

水族館には、かっての日本での経験から余り期待していませんでしたが、
なんのなんの大変面白く楽しかった!
見せ方が上手いというのか、また写真をご覧頂こうと思いますが、
ジェノヴァご訪問の方、お時間を見つけてご訪問下さいね。
       


水族館の先の突堤は長~く続き、たくさんのヨットが係留、人々が散策を楽しみ・・、
きゃは、左の彼女のパXツ、ピンクだねぇ!

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で、この突堤の下の浮きには、かっての運搬船が使用されていて。

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かなり大きなヨットも小さいのも、種々様々。 背後の山がすぐ街に迫る
景色も美しく、迫力に満ち。

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湾に突出す長い突堤の先を回り込み、南に向かい、

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こんなに古くて可愛い灯台かな、信号かな、

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少し進んで開けた辺りに大きな連絡フェリーが並び、鮮やかな黄色はサルデーニャ島へ。

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地図をご覧頂くとお分かりと思いますが、 港全体の先に、屏風のように長~~い
防波堤が続き、東西に港への出入り口が開きます。
バス船は防波堤の内側をゆっくりと行き、ガイドも乗り込み、あれこれ説明を。

今、向こうから豪華客船がタグボートに引かれて港の入口に、

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そして頭のすぐ上を、空港に向け下降する飛行機が通り過ぎ、
この辺りになると潮風がかなり強く、皆襟を立て・・、

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ジェノヴァのシンボル、一番古い、でも現役の灯台ランテールナ・Lanternaの脇を。
なんとも素敵な風格ですが、高さは117m、30Kの距離からも識別できるそう。

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こちらはガイドブックからの写真で、夜景を街側から。

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見える「白地に赤十字」がジェノヴァの紋章で、ヴェネツィアの有翼のライオン同様
至る所に!
白地に赤十字は、サン・ジョルジョの十字・Croce di S.Giorgioとも呼ばれ、
サン・ジョルジョはご存知ドラゴン退治の英雄ですが、

この十字は元々は聖地礼拝に赴く巡礼達が付けていたのが、武装した巡礼団
の意から十字軍の印ともなります。

かってのイタリアの4大海運国の一つで、ヴェネツィア、ピサ、アマルフィと並び、
地中海から黒海に至るまでを制覇したジェノヴァ共和国。
10世紀以降より8世紀間を越える歴史の変遷を経て、今なおこの白地に赤十字の
旗印の元に集うジェノヴァの人々、なのでしょうね。



西に向かい進むと、こうした重工業の工場地域も。 イタリア統一の後、積極的に
工業国に向けての推進を図ったのだそうで、今もここに鉄鋼工場があり、

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そして、クリストーフォロ・コロンボ・ジェノヴァ国際空港。
大きくはありませんが、かっての第2次大戦中、ここジェノヴァの空港からポルトガルの
リスボンに向けユダヤ人達が脱出。 そしてアメリカに、という行路を取ったそうで、
まさに映画「カサブランカ」のお話が蘇りました。

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さて、目的地ペーリが見えて来ます。
お、意外に良いじゃないの! という印象を受けましたが、ね、そう思われません?

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上の写真がすぐ東隣の町ムルテード・Multedo、下が我々の宿のあったペーリで、
浜続きです。



港はやはり防波堤に囲まれた形になっていて、カヌーの練習やら、

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船着き場に近づいて行くと、たくさんの釣り人!
女性も混じっているのが珍しく、・・今夜のおかず用かな?

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これは翌日の夕方の、浜の釣り人。 

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一番向こう奥に見えるのが、ジェノヴァから続く防波堤。
ジェノヴァからの所要時間は、良く覚えていませんが3~40分位だったでしょうか。
現在もジェノヴァ港はイタリアで一番の貿易港である、が実感でき、楽しめました。



ペーリの宿は、船着き場から歩いて5分もかからない場所。 我が部屋の前に
海が広がり、翌朝窓を開けると、道の向こう遥かにジェノヴァの朝焼けが望め、
  
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大きな貨物船がタグボートに前後を曳かれ、トットットットッとゆっくり入って
来るのが見え、この後ぐるっと大きく向きを変え、防波堤内に。

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朝日に染まる町の西側。 あの海辺の塔も、かっては見張りの砦だったのでしょうね。
       
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ペーリの町には、素晴らしい庭園のお屋敷がある様子。
ジェノヴァから我々の乗って来たバス船で散策に来られるのも、一興かもです。               https://www.amt.genova.it/amt/trasporto-multimodale/navebus/

海の散歩、お疲れ様でしたぁ! 楽しんで頂けました様、願います。

◆*◆
       
今日土曜日は朝8時半から家を出て、成人教室の写真コースの作品展示準備に
正午まで。 我が写真ながら、大きく引き伸ばすと、うふん、馬子にも衣装で!

で、ジャンナからのお昼のお誘いを遠慮なく受け、白アスパラガスの太くて
美味しいのを頂きましたが、圧力鍋で茹でると、根元まで本当に柔らかくなり
全て食べられる事を知りました。

一度レストランで素晴らしく太く美味しく柔らかいのを長い姿で頂いたのですが、
その調理の秘密は、そうなのか!と納得です。
ぽきっと折れる所で折って、上の方を茹でて食べ、下半分の固い所はリゾットにしたり、
スープに入れたりで食べていましたが、新しいお得な調理方法を知った訳です。

ただし、我が家には圧力鍋が無く、・・さて、他の野菜の調理の為にもと求めるか。
ジャンナのスペイン・アンダルシア旅行の写真を見せて貰い、素晴らしいのが
たくさんで、拝借して皆さんにもご覧頂くかもで、その後タータの家にもより、
今度はマルケ州の写真を拝見、パソコンの指導もちょこっとし、きゃはは、

漸くに家に戻りまして、これを書き、これよりブログをアップです。
以上、今夜のブログ更新の遅れた理由で~す。

ではよろしく、お願いいたしま~す!


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・ n.1 ジェノヴァ観光  ・ 山の上から、そして駆け足で

今日は大急ぎのジェノヴァ観光をお楽しみ下さいね。
いいぇ、重要な場所はまた改めてそれぞれご案内したいのですが、
今回で一旦ジェノヴァをお終いにしたいので、
今日は駆け足で、ざっとジェノヴァの街中の見所を一瞥頂き、
明日は船から、大海洋都市の港の眺めをのんびり、という予定!

最初は、港に係留の古い帆船、いかにもジェノヴァに相応しいですよね。

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そして、街の高台にあるカステレット・Castellettoからのパノラマをどうぞ。
広い眺めの上、少し靄っているのが残念ですが、港の西側の様子を少しアップで、

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ランテールナ・Lanterna と呼ばれる灯台、ジェノヴァの港のシンボル、が見え、

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そして少し内側、 鉛筆みたいなビル、大鉛筆・Matitone・マティトーネ、
真ん中あたりに港駅・Staz.Marittima、大型沿岸クルーズ船の発着港。

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ほんの少し場所を移動し、ここから旧市街の中心を。
中程に横並びの、左クーポラと右鐘楼はドゥオーモのサン・ロレンツォ・S.Lorenzo、
手前に重なって見える鐘楼とクーポラは、サンタ・マリーア・デッラ・ヴィーニャ・
S.M.della Vigna.

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こちら半分下に見える建物の並び、この通りが世界遺産指定のガリバルディ通り・
Via Garibaldiで、
右下手前の中庭を持つ大きな建物が、現市役所でもあるドーリア・トゥルシ宮・
Palazzo Doria Tursi

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緑の庭を挟み、左がポデスタ宮・Palazzo Podestà
通りの向かい側、一番右の赤いのがロッソ宮・Palazzo Rosso
このロッソ宮、ドーリア・トゥルシ宮、そして手前右にあるもう一つの建物(見えません)
のビアンコ宮・Palazzo Biancoとが一つの博物館になっていて、ルーベンスや
ヴァン・ダイク、そしてカラヴァッジョなども見ましたので、また改めてご案内を。

通りの向かい側、ドーリア・トゥルシ宮の庭の向こうはカンパネッラ宮・
Palazzo Campanella、その左はカッターネオ宮・Palazzo Cattaneoで、
その左に屋根だけ見えるのが、ドーリア宮・Palazzo Doria、
と言うように、このガリバルディ通りには両側に14の素晴らしいお屋敷が立ち並び、
見物した3つの建物も、ジェノヴァの栄華を物語るもの!
       


朝っぱらからお忙しい鳩のカップルを横目に、ちょっと一息。

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カステレット、小さな城と呼ばれるのは、ここに古い時代から見張りの要塞が
築かれていたからで、ジェノヴァの街を一望にできるこの高台の地区に行くには、
幾つかのケーブルカーやエレベーターがある様子で、

ガリバルディ通りの北のポルテッロ広場・Piazza Portelloからと、
ガリバルディ通りから更に西にカイローリ通り・Via Cairoliを行った所にある
ラルゴ・デッラ・ゼッカ・Largo della Zeccaからも連絡している様子。

カステッロ地区は眺めが良いだけでなく、緑の多い古くからのちょっと高級な住宅街で、
幾つか博物館などもあるようで、散策を楽しめそうです。
       

       
街の地図をどうぞ。 白い線で囲った部分が中心街と言う訳ですが、
緑の線で囲った辺りが、今回歩いて回った地域で、
街のパノラマを見たカステレット・Castellettoは上部に、
右下に付けた緑の印が、エウロフローラ開催のフィエラの会場。

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港の真ん中に突出す部分に、大きな灯台ランテルナ・Lanterna、
ジェノヴァの飛行場の位置もお分かりですね。

今回の宿は左の海沿いに見えるペーリ・Pegliにあり、中心部の旧港・
ポルト・アンティーコの緑の印をつけた所から船に乗り、港を出て外堤防の内側を通り
ペーリまで行ったのですね。
これが港の賑わいや大きさを垣間見れる、大変楽しい行程だったので、明日ご案内を。


では、ジェノヴァの有名見所を駆け足で。 街の中心、旧市街の地図はこちらに。
ジェノヴァの街角 ・ 見下ろす守護神


まずドゥオーモ、サン・ロレンツォ教会。 白と黒の素晴らしい正面のみちょっぴり。
内部の宝物庫も凄かったので、改めてのご案内をお楽しみに!

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ドゥオーモから少し坂道を上ると、このドゥカーレ宮・Palazzo Ducale.
かってのジェノヴァ共和国時代の政治の中心の建物で、中は見ませんでしたが
印象派の展覧会とアフリカ展開催中、左の建物内ではロバート・キャパ展が。
時間があったらねぇ!

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同じマッテオッティ広場の東側には、このジェズ教会・chiesa del Gesù.
なんとここにもルーベンスが2枚も、ね。

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こちらは新世界アメリカ大陸発見のコロンブスの家、ここに生まれ育ったと言われますが、
オリジナルではありませんで、17世紀にフランス軍の砲撃で破壊されたのを、
18世紀に再建した物だそう。

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そして、クリストーフォロ・コロンボ(伊語読み、1451頃~1506)の生誕地も、
このジェノヴァの街ではなく、もっと西の郊外と言う説もあり、

はたまた今回ちょっと読んだだけでも、子供の頃に単純に教えられた
「アメリカ大陸発見の大航海者」とはかなりかけ離れた人物像の、
残虐な掠奪殺戮者や奴隷商人の姿もが重なり、今迄の知識が軽く覆り、
正直いささか困惑気味で、ぼちぼちと真実をインプットして行きたいと思っています。
       
       

大きな素晴らしい噴水のあるフェッラーリ広場・Piazza de Ferrari.
ドゥカーレ宮やジェズ教会のすぐ北側の位置に当たり、広場の半分が車進入禁止に
なっているので、人々がのんびりと憩いを取っている姿が見られます。

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小さめながら美しいサン・マッテオ教会・S.Matteo.
この周辺も車の通らない旧市街で、一帯はかってのジェノヴァの名門ドーリア家の
居住地だったそうで、鄙びた中世風の空気が建物群にも残ります。

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と、大急ぎで街中を見て頂き、ええ、本当はまだまだ有名な場所がたくさんあるものの、
とりわけ、明治の日本にやって来て紙幣や印紙の版作りに貢献した
エドアルド・キオッソーネ・Edoardo Chiossoneが収集した日本と東洋の
美術品博物館・Museo d'Arte Orientaleが、庭園も含め素晴らしいとの事で、

この明治天皇の肖像画も彼のコンテ画とは、

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・・知らなんだ! ええ、それはまぁ知らない事ばかりですが、それにしてもねぇ。
これら色々全て、またのチャンスと言う事で・・、



では港に戻り、出帆!
トップで見て頂いた帆船で、 ガレー船ネプチューン号と言い、ポランスキー監督の
映画「海賊」で使われたそうで、毎日一般公開、5エウロ払うと中も見れるとの事。

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で乗ります船は、ナーヴェ・ブス・NaveBusと言い、つまり船がバスの役割
という訳で、上記した様に、ジェノヴァの旧港とペーリを結ぶもの。

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サイトはこちらに、時刻表もご覧になれます。
https://www.amt.genova.it/amt/trasporto-multimodale/navebus/

お代は、メトロの10時間有効の切符1,5エウロが使えるとの事。 お安いでしょう?!
時間があったらペーリまで行き、ぐるっと海沿いや公園を散歩し、また戻って来るのも
楽しいかもです。 勿論陸を通るバスも15分毎にあるようで、片道づつの見物もね。

乗船・出発地点は、旧港・ポルト・アンティーコの水族館の横、
この写真の左に水族館、からです。



てな事で、では出発いたしま~す、 いや、既に港を離れた所で~す。
     
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と言う所で、また次回に続きをアップさせて頂きますね。


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・ n.3 これでお終い、エウロフローラ 2011

今回のジェノヴァの花の祭典、今回のその3で最後で~す。

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大変大規模な催しで、世界中からたくさんの花が一堂に集められ、
それはそれで美しかったのですが、正直な感想を言いますと、
野に咲く花、戸外で見る花がやはり美しい!
       
写真を撮る時は追っかけで楽しく夢中ですが、さてこうして整理して見ると、
整えられた美しさ、と言う感じも受けますね。
      
とはいえ、写す時はそれなりに無い知恵を絞り、何とか美しく撮りたいと
頑張っているので、その辺りを見て頂けると嬉しいです!

だってね、花は本当に美しいですよね?!
自然から我々への、大きな贈り物に感謝ですね。

上は、街中を行く観光用の汽車ポッポ、エウロフローラの宣伝付き。



向日葵がいっぱいに咲き乱れる一郭。

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前にオーストリアはハプスブルグ家の最後の皇妃シシーの像があり、
記念撮影用のベンチも。
う~ん、皇妃はひまわりのイメージとちょっと違うと思うけどなぁ。



紫陽花と、

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この緑色はサラダ菜ではなく、はは、そっくりでしょう?! カーネーションどすえ。 
この春のイタリア統一150周年記念に向けて作られたか、これに白を混ぜて3色と、
あれこれ飾られたのを見ましたっけ。      

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アネモネの様でもあり、牡丹風にも見え・・、?!

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色さまざま、鮮やかに。       


    
樹齢何千年か、という大オリーヴの木が2本。
土地から離され10日間のご出張とは、おいたわしや。

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南米風にというのか、こんな舞台装置が作られ、

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オウム君がいたのですが、疲れて居眠り中。

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サボテンの花、

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そうそう、こういう大きな丸い、いっぱい刺のあるサボテン、この種をイタリアでは
何と呼ぶか、ご存知ですか?
ははは、姑の椅子、と言うのですよ、素敵な命名でしょ?!

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シャクナゲの種と思うのですが、こちらではやはり派手な色が好まれるようで。

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意外と好きですが、名を知らず、

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高価な蘭もあれこれ、

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砂漠の薔薇。

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最後を〆ますのは、初めて見た、うす緑色の薔薇! 皆さん、ご存知でした?!

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お気に召しましたでしょうか?
長らくのお付き合い、有難うございました!


◆*◆

昨夜は、英会話教室の仲間とピッツァを食べに。
5月で成人教室の各コースが一応お終いになるので、今週末に習い物の展示や、
舞台でのお披露目やらも行われますが、それぞれの仲間との一時のお別れ会も。

で、こういう場合は必ずと言って良い程に「皆でピッツァを食べに」となるのです!
そう、ピッツァは美味しい、・・認めます。
いろいろなトッピングがあるから飽きません、・・OK。
気軽にワイワイお喋りも楽しめ、高価でもなく、・・はい、そう。

でもね、でもね、なんでいつもいつもピッツァなのよぉ?!
安くて美味しいトラットリーアもあるじゃないの?!

と、あれこれ食べたいshinkaiは、なんでいつもピッツァに行こう、となるの?と
我がイタリア語の先生アンナリーザに聞きましたら、う~ん、伝統としてこうなの、と。
普通一般家庭で土曜日にどこかに食べに行こうか、となると、まぁ経済的にも、
子供がいても大丈夫なピッツァ屋に、と。  子供の事でシニョーラ達が
ちょっと集まるにも、では、あそこのピッツァ屋に、と言う事なのだそう。
       
勿論ピッツァ屋でも、ピッツァだけでなくあれこれあり、選択の余地もあるのですが、
やはり皆と同じにピッツァを注文しますしね。
まぁ、熱々のに齧り付く時は、文句を忘れてますけど・・! ははは。

どうやら、日本人が「うどん屋に・・」と言う感じかなぁ。 他にもたくさんの店も
品もあり、うどん屋かぁと思うものの、食べれば美味しいし納得、というあの感じ。
       
てな事で、長々と文句を書きましたが、
昨夜はダ・ジェンナーロの店で、白アスパラガスの乗ったピッツァを、はは、
美味しかった! 
生ビール小1杯、はぁ、車なので、と、バニラのジェラートとイチゴを。

下手すると今週末にもピッツァと言う事になりそうですが、
はい、その時は断固として抵抗するつもりで~す!


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・ n.2 エウロフローラ  ・ ロベルタの撮った花を

4年に一度開催の「ジェノヴァ・エウロフローラ 2011」の会場で、
今回ロベルタとパオロ・Rpberta e Paolo夫婦と待ち合わせを。

彼らはジェノヴァに住んでいるのですが、昨年春エジプト旅行のツァーで知り合い、
その後もメール交換で、今回のチャンスに連絡を取ったのですね。
エジプト旅行でなぜ仲良くなったかといいますと、ロベルタも写真を撮るのが好きで、
見たい場所が2人とも似ている、というのが理由で、

夜の観光はどう? のお誘いも風邪の為遠慮して会場で再会したのですが、
なんとロベルタのお父さんまで来られ、が、彼女はお父さんのNikonの一眼が
目当てと分かり・・、ははは。

その花の写真を何枚か送って来たので、ブログに載せても良いならもっと送って、
と書きましたらば、なんとドカンと50枚以上もね!

という事で、今日のエウロフローラ その2、 前半はロベルタの写真をどうぞ!

こちらは私めがバスの中から写した、Via A.Diaz・A・ディアス通りの階段状花壇で、
いかにも海洋都市ジェノヴァらしい柄と。

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では、これよりロベルタの写したお花をどうぞ! 
Da qui、sono le foto di Roberta.

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このサボテンの花は初日に写したものだそうで、我々が行った時は、既に半分萎れかけ、

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この巨大なフクロウも、彼女の写真の方が会場の様子も良く分かるので、

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たくさんの中から綺麗だと思うのを10枚抜いたのでしたが、

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並べてみると彼女の写真は、濃い色の花で美しいのが多く、
なるほどなぁ、こういう所にも性格が出るのだなぁ、と。

Grazie, Roberta! Ciao di nuovo!!



では、楚々とした魅力のshinkaiの写真に戻り、きゃはは、

ちょっと一息、街の東南にある会場から見える海の写真を。

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はい、清楚な魅力の・・、ははは、馬鹿がまだ言ってる!

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上でロベルタのフクロウを見て頂きましたが、重くて飛べそうもない鴨みたいなのもあり、
ええ、どうやらドイツからの出品の様でしたが、むむ、ドイツの鴨も
ジャガイモとハムを食べるのかいな?

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お終いは、薔薇をどうぞ!

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もう一度引き続き「エウロフローラ・その3」をアップさせて頂き、
それで、フィエラ会場の花々はお終いに致しますね。


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・ 海沿いの散歩道と、リスの走り回る公園 ・ ネルヴィ

皆さ~ん、リスの写真を見てやって下さいねぇ! はい、我が生涯初めて写した
リスの写真、しかも動物園ではなく普通の公園で走り回っているリス君たち!
少しピン甘ですけど、大目に見てやってくらはい!

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あっちにもこっちにもで、木の実を咥えて走りまわり、枝の上でポリポリやる
リス君たちを、初めて写せましたので、
今日はその可愛い可愛い様子をご覧頂きたいと思います。



場所はどこかと言いますと、地図をどうぞ!
ジェノヴァ最後の午前中は、エウロフローラ2011、4年に一度の花の祭典を見て
お昼をすませ、いやshinkaiはもう時間が無く、サルサ・ジェノヴェーゼとチーズと
野菜のグリルを挟んだパニーノを買い込み、 バスに乗り込む前に
駐車場で大急ぎで食べましたが!
   
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帰路に就く前に、ジェノヴァから海岸沿いに30分程でしょうか、東に向かい、
ネルヴィ・Nerviという街、行政的にはジェノヴァの一部に入るようですが、
ここで一旦降りて、海辺の素晴らしい道を散歩、
地図の一番右端のグロパッロ公園・Parco Villa Gropalloで暫しのんびり
したのでしたが、ここでリス君たちに会えたという訳です。



ネルヴィの手前に赤の印をつけたクイント・アル・マーレ・Quinto al Mareという街、
海岸沿いにカーヴの多い道を東に向かい、

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グループの代表がマイクで、「ガリヴァルディが船出をした場所が、右に見えます」と。
どれどれ、と写したのがこれで、右の階段の傍に写る人物との大きさで比較をね、
かなり大きな岩ですよ、これは。

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今年3月17日は、イタリア統一150年の記念日で、イタリア国中が再度かなり
愛国心に目ざめ、今現在も三色旗があちこちに翻っている事でもあり、
イタリア統一に目覚ましい働きをしたガリヴァルディの名がでて、
皆一斉に立ち上がって眺めたという訳です。

「ブラヴォー・ガリバルディ! チェ・ラ・ファライ!!・きっと上手くやれるよ!!」と
一人が未来形で言ったので、ははは、結果を知っている我々はぷっと吹き出し・・。



これがその地点の道脇にある記念像と、

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ご本人、ガリバルディ、54歳の時。

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イタリアのどの街の広場に行っても、必ずお目にかかるのが、
このジュゼッペ・ガリバルディの像・Giuseppe Garibaldi (1807-1882)で、
それほどにイタリアにおける彼は、祖国統一の英雄として有名ですが、

1860年5月5~6日の夜、千人隊(赤シャツ隊)を組織し、ここから
2隻の船に乗り込みシチーリアに遠征。
くすぶり始めていた反乱を援助して両シチーリア王国を滅ぼし、
当時サルデーニャ王であったヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上し、
ここに大きくイタリア統一が進んだという訳。

両シチーリア王国というのは、ラツィオ州南部以南のナポリ王国とシチーリア王国が
合併したもので、ナポレオン一族による一時のナポリ王国の共和制時代もありましたが、
元々はスペインのブルボン家の統治下にありました。

ので単純に言うと、ガリバルディは、領土をイタリア王国の手に戻した、という次第。
これ以上の難しい事は、説明できませんのでご容赦!



さて、ネルヴィの街に到着、緑の多い住宅街の道を下り、海のすぐ上にある
国鉄駅脇のトンネルをくぐって海沿いの道に。

アニータ・ガリバルディの散歩道・Anita Garibaldi の碑。

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アニータはガリバルディの愛妻として有名な女性で、彼がブラジルに行った時、
・・これも話が長くなるので割愛、要するにかなり血の気の多い英雄だった様で、
出会って結婚、彼と共にイタリアでも前線で戦い、1849年ラヴェンナ近くで戦死。

ガリヴァルディに縁のあるロマンチックな散歩道、という事で名を献呈されたのかも。



海岸沿いの素晴らしい散歩道を行きます。 見える塔がグロパッロの塔で、
藁の塔とも呼ばれるのは、非常時に、藁を燃やした煙で急を知らせた事によるそう。

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アマルフィ沿岸に行った時、岬や岩場の先どこにでも、幾つも幾つも中世の塔が
あり、買い込んだガイドブックから、これらの塔が対海賊の見張りの塔だった、
と知りました。 大変面白いので、また様子をお知らせしますね。



沖には、大型クルーズ船、

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近くでは、カヌーの練習も。

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張り出した岩場にはこんなバールやレストランもあり、夏にはさぞや賑わう事と。

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見える海の色は、時にこんな素晴らしい色。

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ですがね、カプリの海の色を見た後ではねぇ。 綺麗な海ですが、少し冷たい色。
             
n.1 カプリ島の散歩道、 見晴らし台に
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465141298.html

n.2 カプリ島の散歩道、 見晴らし台に
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465141440.html



で、入り口があり、グロパッロ公園に。 広々とした、素晴らしい公園。
ヴィッラ・グロパッロと呼ばれるのは、敷地の奥にかっての侯爵のヴィッラ・
お屋敷があり、土地お屋敷共にジェノヴァ市に贈られて一般公開しているのだそうで、
度量の大きい素晴らしい事ですねぇ。

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で、なんとまぁ、あっちにもこっちにもリスが走り回っているのです! チャオォ!
最初見かけた時は驚いて写真を撮り損ない、しもた!と思ったのですが、
次々と姿を見かけ、こんな公園もあるのだなぁ、と感嘆。

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このグレイの色のリスはイタリア産だそうで、茶色のアメリカのとは違うのだとか。
日本で見かけていたリスよりもかなり大きく、尻尾は除け体長20cmはあったと。



タタッと走って来たのが近くのベンチで止まり、胡桃を咥えたまま、
暫く我々のモデルを務め、

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そう、この場面は3枚撮りましたのでアップもね。

他の人の写した公園のリスの写真は何度か拝見していますが、
まぁさか、自分が撮れると思った事もなく・・、
はぁい、世の中幾つになっても初体験はありますねぇ! ははは。



別のが走って来てパパッと木に駆けのぼり、向きを変え、こんな逆落としスタイルで
じっと止まって見せてもくれ、

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胡桃を咥えて、走って行ったり、

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木に登ったり、

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そのまま草はらで食べたり、

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木の上から様子を見たり、

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面白かった? じゃぁね、またお出で!! 

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という、楽しい楽しい公園の一時と、素晴らしい海辺の散歩道でした。



再びバスに乗り込み高速入り口に向かいますが、狭い道で停滞、
で、こんな古い橋を。 ネルヴィ川にかかる、中世の橋の様ですね。

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という事で、遂に高速入り口にかかり、ジェノヴァにさよならを。

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◆*◆
     
今朝は月一恒例のメストレのお墓まで。 既に木々はこんもりと茂り、
高速沿いに赤いポピーの花が揺れ、時に雪の様に白い花粉の塊が飛びます。

いつもメストレの高速接続線を降りるのに「最後の出口」、つまり、接続線は
ここでお終い、このままいくとミラノ行き高速に入るよ、という表示場所で出るのが、
今朝はそれが無く、・・断りもなく、いつ取り外したんだぁ?!
いつもそれが目当てなので、似たような出口の名前を覚えておらず・・、
ん? あれ? と思いつつ進み、 ・・あれま、ミラノ行きに入ってしまったよぉ!

でもまぁ次の出口、ミーラ・オリアーゴがすぐ近くで、助かった! と出て、
ロータリーで回って来て戻りの高速に入るつもりがぁぁ、
ですがぁ、この馬鹿はまたもや、あれ?!と思いつつミラノ行きに入ってしまい、

・・もうお手上げのアホ、再度何キロか走り、次のミーラ・ドーロで出て、
今度は漸くにヴェネツィア方面に。       
はぁ、良い季節なので、15分程の高速散歩を楽しみましたで~す、ははは。


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・ ジェノヴァの街角 ・ 見下ろす守護神

かって日本の道端にもよく見かけた小さな祠や道祖神、土地の人々の信仰の
対象であり、通りがかりの人を見守り保護する、そんな存在だったと思うのですが、
同じ物がこのイタリアにもたくさんあります。

タベルナーコロ・tabernacolo と言い、教会内に設えられたホスティア・聖体拝受で
頂くお煎餅、を入れた器を仕舞っておく場所をこう呼びますが、
一般には、街角の壁の上に作られた守護聖人を祀った壁龕もタベルナーコロと
呼ぶようですので、ここでもそれに従いますね。

素朴な信仰対象の小さなタベルナーコロはイタリアのどの街にも見かけますが、
ウンブリアの古い小さな町角に見かける物は素朴で愛おしい物が多く、
道端の道祖神的祠にも親密感を感じます。
       
所が今回ジェノヴァの街で見かけた物は素晴らしく立派で大きな物が多くて驚き、
辿ったほんの中心地の道筋で撮っただけで14,5枚も!
という事で今日はこのジェノヴァのタベルナーコロをご覧下さいね。

まずは中心のサン・マッテオ広場の教会横にあった小さめながら立派な作りの物。

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こちらは中心の駐車場に向かうバスの窓からで、立派な建物の、大きな窓の間に。

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ジェノヴァ・Genovaの街の地図、そのほんの中心をどうぞ。
白く見える道が車通行OKで、グレイの色の部分は車進入禁止部分、つまり一番の
旧市街部分で、道も狭いのですね。 この部分に車で入るには許可がいる筈で、
我々もここは歩いて回りました。

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港の横の道、白い部分の最後に付けた赤い四角、ここに観光バスが停車し、
我々の降りた後またどこか他所の駐車場に。 例の真っ赤な市内周遊観光バスも、
ここから発着の様子。

緑の点々は観光バスで街の上のカステレット・Casteletto、ここはかって処刑場が
あったとか、まで行った道で、街の大パノラマを見つつ説明を聞き、
再び下って来て、右に付けた緑の四角辺りでバスを降り、
徒歩で街の見物をした部分を赤の点々で記しました。

ですから今日ご覧頂くタベルナーコロは、この徒歩見物の間に見た物、という事で。
ついでにちょっと番号順にご説明しますと、見難い地図をご容赦、
3. ガリバルディ通り・Via Garibardi ここはユネスコの世界遺産指定で、
   博物館にもなっている素晴らしい建物群が建ち並ぶ通り
5. サン・ロレンツォ聖堂・S.Lorenzo  ジェノヴァのドゥオーモ
1. ドゥカーレ宮・Palazzo Ducale
   その右横の数字なしが、ジェズ教会・chiesa del Gesù
9. コロンブスの家・casa di Colombo
   その左手前の門が ソプラーナ門・Porta Soprana
10. サン・マッテオ広場・Piazza S.Matteo  美しいマッテオ教会が
2. 水族館・Acquario   この辺りが古い港・Porto Antico    
  その右に見える数字なしが、サン・ジョルジョ宮・Palazzo S.Giorgioで、
  イタリアでは最初の現代的な銀行サン・ジョルジョが1408年に開かれた建物 

といった様子で、私の見たのはもうほんの少しの部分ですが、
それでもそれでも素晴らしく、やはり凄い街なのでした! 



ここは古い港に接する広い長い広場で、カリカメント広場・Piazza Caricamento
積み荷広場とでも言いましょうか、
かっては船の積み荷と荷降ろしでさぞや賑やかだった事でしょう。

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黄色いメリーゴーランドが見える向こうにバスの発着所があり、ここには原則として
車は入って来ず、左手は港に面してたくさんのベンチが並び、人々がのんびりと憩い、
市内中心を抜ける車は、左手上に見える高架を通る、という訳。

右手手前に切れて見えるのが、サン・ジョルジョ宮で、



こんな正面!

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建物全部にこんな感じにフレスコ画が描かれ、修復が済んだばかりか、まるで
ペンキ塗りたて式鮮やかさですが、1408年創設のサン・ジョルジョ銀行の名を
今回初めて知り、経済にはまるで疎い私ですが、歴史の中で果たした役割に
これまた感嘆。

正確にうまく説明出来ないかもしれませんが、つまり、ヴェネツィア共和国との戦争で
疲弊したジェノヴァで救出策を求め、フィレンツェの銀行組織を参考に、
8人の大商人が、現在と同じ様な銀行の仕組みを考え出して創設。

これがイタリアは勿論イギリスを含むヨーロッパ全土に普及するに至ったもので、
ジェノヴァ共和国の承認の元に、税制と公債、預貯金の運用とまさに現在の
中央銀行と同様の働きをするもので、元金保証、7%の利子と、ヨーロッパ中の
王族貴族の参加も含め17世紀には遂には手形・紙幣という方が正確かも、
の発行まで、という発展を遂げます。
       
ナポレオンが19世紀初頭にジェノヴァを占拠、フランス銀行を作るために、
何度もこの銀行から持ち出した時点まで活動し、
数世紀間に渡り、ジェノヴァが金融業で大繁栄をする元となったと。

現在この建物には、港管理の事務所が置かれ、内部はジェノヴァの歴史に関する
各種展示会場になっていると言い、 歴史あるサン・ジョルジョ銀行の名は
1990年代に復活し、現在はUBI BANCA の一部に、という事。



で、本題のタベルナーコロに戻り、これはサン・ジョルジョ宮の北の壁にある物、
立派でしょう?!

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これより3つのタベルナーコロは、ガリバルディ通りの東から狭い旧市街の道を
たどり、古くからの手仕事の店とか、歴史ある店とかが並ぶ通りを抜けつつ、
5.のドゥオーモに至る道で見かけたもの。
どれもが立派なもので、狭い通りの角から見降ろします。

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最後のは中の像が盗まれていて、不信心者め、罰が当たるぞ!



こちらはパラッツォ・ドゥカーレから南に下った所、小さな広場に面した建物の壁に。

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窓の鎧戸の片方が開けられない程の立派な物。

この下の角のバールで、お昼のサンドウィッチをね。 今回はホテルの食事が"梅”で、
仲間と一緒だと一人美味しい物は食べにくく・・、残念!



次の2つはまさに旧市街の中心部で。 こういうのは大概、夜は明かりが灯ります、

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コロンブスの家に向かう途中で。

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なぜこんなに立派なタベルナーコロが街中に多いのか、と質問しましたら、
ジェノヴァは世界中に出かけて行った船乗りの街ですよね、
きっと航海の途中に危険な嵐に出会ったり、海賊との遭遇やら、様々な命に関わる
出来事があったでしょうし、その時に「無事に戻れましたら、感謝のXXを捧げますから」と
祈ったに違いなく、無事に戻って後に、という事も大いにあったろう、と。
なるほど、と納得した事でした。



コロンブスの家の手前、ソプラーナ門にあったもの。
これは壁に嵌め込みの油絵で、キャンバス地が破れかけで・・。

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大きな立派な噴水のあるフェッラーリ広場・Piazza Ferrariから再び旧市街の
狭い道に戻り、サン・マッテーオ広場に、そしてオレフィチ通り・貴金属品通りから
バンキ広場・Piazza Banchi・両替広場と、
名前だけでかって並んでいた店が分かる様な通りを抜けて行きます。

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素朴な小さい物もありますが、圧倒的に立派で大きなタベルナーコロが目につき、
年代的にも時代がかなり下がってのスタイルで、ジェノヴァが如何に大繁栄を
していたかを物語るよう。

いわゆるイタリア国内での、その地方の人柄を表するのに「ジェノヴァの人間はケチ」
というのがありますが、shinkaiが言ったのではないので責任は取れませんが、
それから考えると、まさに命の恩は大きく高価!



信仰深い敬虔なお話が続きましたので、はは、今日は最後におまけをどうぞ!
なに、ご覧頂くだけで意味が分かります、はい。

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おまわりさ~ん、お務めご苦労さんです!! 風で紙が飛びませんように!



一体どこに停めているんだ、BK! しっかり払えよ!!

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ジェノヴァについては本当に無知のまま来ましたので、実際に行き、話を聞き、
見て、それから改めて読む、という順序で、知らない事ばかりが多すぎて大変、
でもやはり新鮮です。

ずっと早足早口、悪口言い放題のガイドさんでしたが、ははは、
トゥレヴィーゾ出身ジェノヴァ20年という女性で、ヴェネト女性は自分達の
お喋りばかり、つまり、ガイドの説明を聞かずにお喋りすると。 
一方彼女の夫君は、あんたはヴェネトの事ばかり云う、と呆れているそう。 

ははは、イタリアも広いのです! 
地方様々、人も様々、だから面白いのですよねぇ。


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・ コッペデ塔 ・ ジェノヴァへの旅の途中に

そちら日本はゴールデン・ウィークの真っ最中で、ぐだぐだ長いブログを
見て下さる方は少ないかも、と思いつつ、エウロフローラ・その2は次回にまわし、

前からの疑問が少し解けたので、それも兼ね、
春のバス旅行の、車窓からの景色をご覧下さいね。

この塔、この不思議な塔を昨年アップしたのですが、覚えておいででしょうか?

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ええ、昨年初夏に出かけた南仏プロヴァンスへの途中に見かけ、
大体の位置は掴めたものの、村の名前も分からなかったのが
今回再度の出会いで、結果わかった事を後ほどお知らせしますね。

フランスへの道 ・ 689キロの道のり
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461109871.html


我が町コネリアーノからジェノヴァへの道のりは、446K 4時間15分と出ましたが、
途中2度の休憩を挟み、約6時間。

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朝6時に出発、南仏プロヴァンスへと同じ道を通り、お昼ご飯はジェノヴァの街中で、
という行程でした。



こちらはブレーシャ・Brescia近く、街中の教会ではありませんが、立派でしょう?

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春の野原、時に菜の花畑が広がり、トウモロコシ畑かな、芽が出ているのも見えます。

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スプリンクラーが勢いよく働き、

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緑の草はらに目が覚めるよう。

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見えるこのコブコブの木、これは桑の木だというのをこの春知ったばかり!  
かっての養蚕大国イタリアの名残なのですね。
そう、我が隣町に出来た養蚕博物館もご案内したいです!



で、この摩訶不思議な塔。 ご覧の様に、思いつくままにあれこれ付け加え、
結果、年代不詳スタイルまぜこぜ、という様な塔なのですが、
どうやら現在は農家らしき様子でもあり、手前には馬場の様な柵も見えます。

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で、この塔は一体どこにあるのか、と言うと、地図をどうぞ。
高速道路が左下で交差しますが、我々は右側のヴェローナからブレーシャ、
ピアチェンツァからA21号を南下して来て、交差する手前赤い四角をつけた所、
ここにトルトーナ・Tortonaのサーヴィス・ステーションがあり、先回もここで休憩を。
       
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昨年は雨で、おまけに停車ちゅうのバス・トラックが多く、動き始めてやっとこの塔に
気がついたという訳でしたが、今回はお天気で、ちょうど駐車場を掃除中の男性がいて、
なんという場所なのかと訊ねる事が出来ました。

カステルヌオーヴォ・ディ・トルトーナ・Castelnuovo di Tortonaと教えて貰い
写真を撮りましたが、サーヴィスステーションの金網の隙間から北西に、
200mmの望遠でやっとこの大きさに写る距離。



少しアップに。 奥に見える建物から張り出す、または隣接する形で塔があり、
一旦物見の階となり、そこから外階段がついて上階に。

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一番上の角にまた物見の部分があり、右にまたもうひとつ高い部分!
楽しんで造ったとしか思えない、全く奇想天外の摩訶不思議な塔で、
見ているだけで興味疑問が湧いてくるでしょう?!

土地の名が正確に分かったので戻って後検索をかけましたが、私と同じ位置からと
思われる写真は何度も出るものの、他は空振り。

それでもやっと一つの記事をイタリア人のブログに、近くからの写真と共に
載っているのを見つけました。 こちらです。
The Rat Race - all over again
http://www.montag.it/theratrace/archives/2006/03/24/matti-per-il-mattone-2/

この記事によると、塔の名前はコッペデ塔・torre Coppedèといい、
現在この場所は馬場になっているとの事。

確かにこの場所で検索にかかるのは、障害競走馬の練習馬場で、
Centro ippico Torrione Cascina Riccarda
http://www.torrione.org/
       
「コッペデ」の名で出るのは、20世紀初頭の建築家の名前ばかりで、
塔やこの家の歴史に関しては出ません。
それでも馬場の経営者名Camillo Rangoniに関して、とりわけランゴーニ家に関し、
関係があるか確かではありませんが、元はドイツ系、マティルデ・ディ・カノッサに
仕え、モデナの貴族、一族からの人物にはフェッラーラのエステ家と婚姻を結んだり、
ヴェネツィア共和国でも働き、ヴェネトに領土も持ったり、フランスでも有名な
軍隊長と、書ききれない程に出ましたです。

で最初に見つけたブログに、リンクさせて貰う旨を書きましたら
アンジェロ氏・il signor Angeloからお返事を頂き、

正式な塔の名はトッリオーネ・Torrione、コッペデという名は、19世紀末から
20世紀初頭にかけ、中世のスタイルに様々な斬新なアイディアを加え、
新しくリヴァティー様式を生み出した建築家ジーノ・コッペデ・Gino Coppedèによる、
と教えて頂きました。 Grazie, Sig.Angelo !



という訳で、あれこれ回り道の結果分かったのは、この塔は中世からの塔では無く
1世紀程前の物で、摩訶不思議、奇想天外という印象はまさにまさに、と分かり納得、
一件落着という次第です。

この調べ物は旅にも似た感覚で楽しめましたが、お付き合い有難うございましたぁ!



サーヴィス・エリアの外にポピーが咲きだしていて、
この花を見ると、いつもウンブリアに想いが。

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再びバスに乗り高速を南へジェノヴァに向かい、
リグーリアのカーヴの多い山中を抜け、

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新緑に埋もれた渓の道も通り、

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いぇ~い、海が見えたぞぉ!

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は~い、ジェノヴァ到着、お疲れ様でしたぁ!

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それにしてもジェノヴァは大都会!! 車、家の多さ、港の活気にも驚きですが、
明るい海の空気や、港街の開けたイメージはいつも素敵です。

写真の整理が済み次第、見て頂きますね、お楽しみに!


◆*◆

いささかバタバタと過ごした先月、
やはり疲れが溜まっていた様ですが、ゆっくりと復調しつつあります。

バス旅行の戻り道、休憩のサーヴィス・ステーションで「La Papessa・ラ・パペッサ・
女教皇ジョヴァンナ」の安いDVDを見つけ購入。
塩野七生も書いている、実在したかどうか不明の女性法皇のお話ですが、
なんと再び乗り込んだバスの中でこのDVDが映り・・!

私の周囲は大笑いで、shinkai返しておいで!と、ははは。
かなり流血グロテスク描写もあり、うん、家で見る時、どこで目をつぶるか分かった、
で、またまた大笑い。

おかしな話ながら、このDVDを見る前は、ひょっとして、ともノンビリ考えていた
女性教皇の存在ですが、見た後は、まぁ実在しなかったろう、と納得を。ははは。
  

そうそう、広島へ往復の機内でも何本かの映画を見ましたが、
中にヴェネツィアを舞台にした「ツーリスト」も。

あれはひどい、あれほどヴェネツィアの地理をめちゃくちゃ混ぜ、サン・マルコの横
スキアヴォーニ河岸の高級ホテル・ダニエリのお向かいに、サン・ジョルジョ島ならず、
建物がずらっと並んで見えたり、テラスからリアルト橋が見えるなんぞ最高の大嘘!
勿論映画の中の嘘は当たり前の事と思いますが、あの見せ方は全然良くないっす!!
       
皆さん、あの映画は映画館で見るには勿体ないです、
幸運にもまだご覧になっていない方、お金を払わずに見れるチャンスにどうぞ!
と悪口を言えるくらいに、元気になっていま~す!
      
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・ n.1 エウロフローラ 2011 ・ ジェノヴァ 花の祭典

先日行って来たジェノヴァ・Genovaのご案内の最初は、
まず「花の祭典、エウロフローラ・Euroflora 2011」から始めますね。

なにはともあれ写真を整理して、ピンボケを除け、・・余りにもブレ、ズレ、
ピンアマが多く、大泣きshinkaiですが、
何せ4年に一度の花の祭典ですので、みすぼらしいのも除け、その中からなんとか
選び出すと、それでも60枚を越え、エイままよ、ならば3回に分けて見て頂こうと!

だってお花の写真は、撮影者の腕の良し悪しにかかわらず、
いつも素敵でしょう?! ・・ウンと言ってょ、ウンと。

という事で、今日はその1回目ですが、写真は入場券、20エウロ1日限り。
今回は4月21日から5月1日までの開催。

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入り口ゲートを越えると両脇に花壇が広がり、まずは円形の会場に繋がりますが、
奥に四角い広大な会場が続き、歩き疲れた程。

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これが円形会場内ですが、これでも端を切っていて、実際は大変な広さ!



花の名前は詳しく知らずで、その種と思われる花を集め、後はずらずらと・・。
ごゆっくり、花を愛でて下さいね!

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会場内は、花を見るには不便ない程の明るさ、が写真を撮るには暗く、
花の色の彩度、明度お構いなしに並び、時にライトアップで、
写真を撮るには、もうめったやたらに難しい条件で。
が何よりも、自分の腕の未熟さ、いい加減さを痛感しました!あ~あ。

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と、最後は一応 カトレアで〆まして、
お後はまた次回に、よろしくお願いいたします。


◆*◆

今日5月1日はこちらはメーデーでお休みですが、ローマでは前の教皇様
ヨハネ・パオロ2世が副者になられる行事が執り行われ、
世界各国から集まった信者で、ローマ、そしてヴァティカンは埋まりました。

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信者でもない私ですがとても嬉しく、中継もちょっぴり、ニュースもはしごして。
長い教皇在位の間、何度もTVでそのカリスマ振りを拝見し、
カトリックの教義云々よりも、その人柄に敬服し、
そんな教皇様の在位期間に自分も居合わせた事が単純に嬉しい、そんな方でした。


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