・ ヴェネツィアのゲットー ・ 追悼の日に寄せ

1月27日は、EC諸国において追悼の日と定められていますが、
アウシュヴィッツの絶滅収容所が解放された日を記念して定められたそうで、
ナチのホロコーストによる犠牲者への追悼の日。

各地で記念式典が行われ、TVでもその関連番組が放映されます。
12月にヴェネツィアに行った時、ゲットーの広場も通り、少し説明も
聞きましたので、その折の写真で様子をご覧下さいね。

ゲットー・ヌオーヴォ広場の、蝋燭立てを摸した、お祭りを現わす8本の灯り。

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追悼の日に関連し、こちらも是非ご覧頂きたいと思います。
ジョルジョ・ペルラスカ ・ 「追悼の日」1月27日に寄せて
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461060318.html

イタリア唯一の絶滅収容所 ・ リジエーラ・ディ・サン・サッバ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461762321.html



ヴェネツィアのゲットーはどこにあったか、地図をどうぞ。

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右下に見える橋が、国鉄駅前から左手に進んで来て渡る最初の橋
ポンテ・デッレ・グーリエ橋・Ponte delle Guglieで、渡って左手に。
お昼頃までは魚屋の屋台が並び、ヴァポレットの乗り場もある道で、
100m程進み右手に抜ける低めのソット・ポルテゴ、建物の下を潜り抜ける道に
標識も出ており、左手角はユダヤ料理のレストランですから、すぐ分かります。
       
この角が地図に打った赤点の所で、右折し、ユダヤのお菓子屋さんなどの店もある
道を抜けて行くと小さな広場で、
ここの壁に、上の「ジョルジョ・ぺルラスカの記事」でご紹介した、
ナチのホロコーストに対する記念碑があり、

4の位置に大きなシナゴーガ、3の位置の博物館と共に、申し込むとガイド付きで
見学でき、博物館では、素晴らしく繊細な手仕事による品々も見れます。

1~5の数字は、かってのゲットー内にあったスコーラ・Schola・学校・教義館。



説明が後先ですが、ゲットー・ヌオーヴォ・Ghetto Nuovo・新ゲットーと
呼ばれる場所、ここが島の様に運河に囲まれているのがお分かりと思いますが、

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1516年3月にここにヴェネツィア共和国政府によるゲットーが設立され、
それまでは比較的緩やかに各地域に居住出来たユダヤ人たちが全て、この島の
中に住む事を強制され、島への2か所の門は、朝開かれ、夕暮れには閉じられました。

ゲットーに当たるイタリア語ヴェネツィア訛りはジェート・Geto、ここに大砲を
作るための鋳物工場があった事に由来するそうで、
これがドイツ系ユダヤ人の G の強い発音で、ゲットーになったと言われます。

最初の地図に見られる様に、隣接地にGhetto Vecchio, 旧ゲットー、
Ghetto Nuovissimo, 最新ゲットー、とあるのは、
鋳物工場が古い、新しいという意味で、

ユダヤ人居住区を指すゲットーは、ゲットー・ヌオーヴォが一番古く、
後の人口増加に従い、隣接したこの地区も居住区になったという事です。



ゲットー・ヌオーヴォの広場。

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島状態になっているこの区画に入って来て、広場南側の建物群、正面に
4つのアーチが見えますが、あの奥から博物館に。

いずれも5~6階建てですが、一番右端には7階建ても見えます。
この7階というのは、ヴェネツィア・ゲットーが唯一の物とか。
       


こちらは上の写真に続く、広場の右端。
こういった背の高い建物は、狭いゲットー内の建物に居住者が溢れ、
中世以来ユダヤ人には不動産所有、また建設も許可されなかったため、
既にある建物を高くする方法しかなかったのだとか。
 
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最盛期にはこのゲットーに5000人もの居住者がおり、どなたかの計算によると、
一度に全ての人々がベッドに横になれない広さ、狭い居住空間だった筈との事。



広場西側にあるレストラン。

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こちらは、広場真ん中の井戸。

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ヴェネツィアにユダヤ人が居住し始めたのは9~10世紀と言われ、
12世紀頃には1300人ほどが数えられたとかで、13世紀には現在の
ジュウデッカ島・Giudeccaに住む許可が与えられ、これはヴェネツィア本島の
南に延びる島で、当時2つのシナゴーガがあったとか。

商貿易に関しては大変に敏い事もあり、ヴェネツィア共和国政府のユダヤ人に
対する政策は、他のヨーロッパの国のそれに比し、勿論高税金が科されたものの、
比較的良かったとされます。

その後に続く時代に於いて政策の変遷もあった訳ですが、1492年に始まる
スペインのユダヤ人追放で、何十万人という人々が他の国に逃れ、ヴェネツィアにも。
こうした様々な政治的思惑も絡んでのゲットーの設立だったのでしょう。

居住空間の条件の悪さ、時間、自由制限もありましたが、昔から東方との
商貿易に励み、異人種との付き合いに慣れ、他宗教の人間を受け入れる素地の
あるヴェネツィアでは、幸いにゲットーへの襲撃事件などは起こらなかったようです。
       
上にゲットー内に5つの学校があったと書きましたが、1~5の番号順に記すと、
1. イタリア人
2. イーディッシュ語を話すドイツ系
3. ドイツ語
4. 東方中近東からのユダヤ人
5. スペインおよび西側から

と、つまり言語が異なる各国からのユダヤ人がここに住みつき、
それぞれの伝統に従った宗教行事も行っていたわけですね。



広場の北側の壁には、

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ナチの収容所へ運ばれた状景の浮彫図が掲げられ、壁の上には
強制収容所と同じ様に、忘れない想いをこめて、鉄条網が再現されています。

写真は撮りませんでしたが、この左手には警官詰め所があり、
右端の建物は、当時からあった老人ホームだそう。



西の建物の屋根越しに見える、教義館の塔、だったと。

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広場の東端からの眺め。
   
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そしてこの橋を渡り、島から出る訳ですが、
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橋を渡った袂には、詰め所が両脇に。 かっての警備人詰め所がそのまま残され。

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これは、フェッラーラ・Ferraraのシナゴーガ博物館展示の、ゲットーの門の鍵。
カタログより。

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フェッラーラにもかって大きなゲットーが街の中心にあり、この鍵で朝夕7つの門が
開閉されていたという、ヨーロッパ中に唯一残るオリジナルとの事。

こうしたゲットーの解放は、1797年のナポレオンによるヴェネツィア共和国崩壊に
因ります。 財産のある者は他所の地に移り住み、またそのまま残った人々も
多かった訳ですが、その後ナチによるユダヤ人強制移送悲劇の歴史があり、
現在このゲットー内に住むユダヤ人は、ほんの数家族とか。

殆ど当時のままの状態で残っているというヴェネツィア・ゲットーですが、
次回にヴェネツィアの街にお出での時は、
出来ましたら、この広場もご訪問下さいね。

***

今回は追悼の日に因み、少し重い話題かと思いましたが、あれこれ読んだ事も
含めて書きました。

TV番組でも、第1次、2次世界大戦の実写フィルム、証人のインタヴューも含め、
あれこれ見、知るチャンスは、日本にいる時よりもずっと多い気がします。
そして、単純に戦争賛歌、非難ではなく、本当の事を伝え残す事、知る事は、
大切な事だと考えるようになりました。
       
そしてここに、知った事をそのままの形で、上手くお伝えできている様にと願います。

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・ スコミーゴ村だより ・ お天気に誘われて

この日曜のお昼前、前日からの良いお天気に誘われて、
村の、葡萄畑の奥の雑木林の視察に!

というのも、ここに野生のクリスマス・ローズが咲くのですが、
もうそろそろかな、と覗きに行ったという訳です。

お天気が良く早春の雰囲気も漂う、北イタリアはヴェネト州、
我がスコミーゴ村の様子をどうぞ!

家を出てすぐの、シナノキの並木に、ほらね、まだまだ小さいけど、芽が!

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葡萄畑の横の道から奥に。
       
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この畑は既に剪定をすませ、待春。  そう、こんな風に昨年の枝を全て下ろし、
下向きに結わえるのですね。 気をつけて見ましたが、まだ芽吹いてはおらず。

奥に見えるのは、いつもの隣村オリアーノの鐘楼で~す。



奥の葡萄畑の脇には、剪定され運び出された枝が束になり。

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ふと気が付くと、枝の小山の陰には霜がまだ白く!

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はい、モグラちゃん達の活躍も始まり・・。

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道から葡萄畑の脇を入って来ると、なだらかな下りとなり、雑木林がこんな風に。
右に見える葡萄畑は新しく、この畑が作られる時に奥の雑木林が
かなり伐採されたのですね。

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真ん中の影が見える部分、ここを小川が流れ、あの奥にも雑木林があります。

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まだまだ落ち葉が敷き詰められていますが、そろそろと小さな緑が覗き始め、

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こんな風に小さな雑木の芽も。

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今はスケスケに見えるこの辺りも、初夏にはあれこれおい茂り、
内側には入り込めない程になるのです。



スコミーゴとオリアーノの村境の、一番の低所を流れる小川。

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透き通っているでしょう?! どこか知りませんが、近くに湧く水なのですね。



向こう側に渡れる場所には、以前ちゃんと都合よく置き石があったのですが、
この場所以外はちょっと流れが深く、飛び越すのも無理な幅なので、
その石が、トラクターが渡れるようにか除けられていて、
石の位置を確かめつつ、上手く渡れるかと躊躇した程。

ええ、往きは大丈夫でしたが、はい、戻りには石の苔でつるっと滑り、ぽしゃっと!
でもまぁ、尻もちはつかずに済みました。

はい、流れを渡り、漸くに見つけた今年のクリスマス・ローズ。

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いつもは流れの手前にも咲くクリスマス・ローズが、今回見つからず、
まだ少し早かったのか、何か良くないのか、と気になったのですが、



奥の林にはまだまだ小さいながら、蕾がかなり出かけていました。
やはり緑の色が素晴らしい! 早春の緑。

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咲きかけていたのは、この場所ではこの2つだけ。 まだまだ花が小さかった。



奥の雑木林。

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なだらかに傾斜した空き地が広がります。

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空き地の角を巡る流れには、こんなツララ! 長さが10cmほども!!

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あっという間に正午となり、オリアーノ、スコミーゴの鐘楼の鐘がどちらも鳴り始め、
ぼちぼちと前の林の方に引き返しましたら、葡萄畑の剪定をしていた人が、
何か探しているのか?と。

やはり多少は不審に思っていたのでしょうね。 身元申請の為にもと、ディスプレイで
花を見せ少しお喋りを。 やはりまだ少し早い、もう1か月ほどしたらね、
という事で、彼は納得してお昼に立ち去り、

こちらはもひとつ心当たりの場所、日当りの良い場所に。
あった! 見つかりました!!

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やはり花がまだ小さく、咲いている数も少ないのですが、
見つかると、春を見つけたようでとても嬉しい!
も少ししたら、今度はマクロ・レンズをつけて行ってみましょう。



枯れて残る可愛い種子と、

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漸くに見つけたイヌフグリ。 これもまだまだ数が少なく、見つけても殆どが蕾。

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ブーツに泥をたくさんつけ、ポケットに手を入れ温めながら、家に。
でも、漸くに早春の先駆けを見つけましたぁ!


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・ A.カノーヴァ塑像博物館 ・ ポッサーニョの夕暮れ 

今日は1週間前に訪問したアントーニオ・カノーヴァ塑像博物館の様子と、
彼の墓所テンピオ・Tempioのご案内ですが、
この日は本当に美しい夕暮れの日でしたので、それも一緒にご覧下さい。

ヴェネト平野の北西に位置するアーゾロ・Asoloにほど近いポッサーニョ・
Possagnoという小さな町、
ここに18~19世紀にかけてのイタリアの偉大な古典派彫刻家である
アントーニオ・カノーヴァ・Antonio Canovaが生まれましたが、
彼の生家博物館に併設して、塑像博物館・ジプソテーカ・Gipsotecaと
丘の上にテンピオがあります。
 
大理石彫刻を実際に彫るには、デッサンから始まり、小さなテラコッタの像、石膏像
という各段階がある訳ですが、最終的に実物大の石膏像が作られ、
彫る為の基準とする小さな釘が打たれますが、これが塑像と呼ばれる物で、
 
世界各地に散らばった、カノーヴァの有名作品の石膏原形が このジプソテーカに。
       
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塑像博物館、生家については既にご案内しておりますので、詳細、地図はこちらを。
アントニオ・カノーヴァ ・ 塑像博物館、テンピオ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463694164.html



この日は午前中に近くの町の活字印刷博物館を訪問、ここが大変興味深く、
整理が出来ましたらご案内を。
で、お昼を食べた後ポッサーニョの町に向かい、

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お天気の悪い日が続く中、この日は嘘の様な快晴となり、穏やかな美しいヴェネト平野を
満腹満足の一団が行きます。

はは、本当に安い、美味しい、量たっぷりのお昼で、写真は次のチャンスに是非!



ほどなく見える、丘の上のテンピオ。
前回行った時はアーゾロからの山越えで、これが見れませんでした。
まさに舞台装置満点!

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生家博物館、そしてジプソテーカ正面。
写真がなるべく前回と重ならぬよう、ご覧頂きますね。

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本当は、生家も博物館も写真禁止の札がしっかり出ており、
監視カメラも備わっているのですが・・、

今回は数枚なら良いだろうとガイドが言ってるとの言葉にすがり、はかない抵抗を試み! 
皆と一緒で怖くない、というやつです、ははは。

この2枚は、内部の奥側。

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この内部空間が大変な緊張感と、素晴らしい迫力に満ちたもので、
先回の1枚の絵葉書では不足不満足で、撮らずにおれないという・・。
       
上の写真の、一番奥の像の大きさをと、手前の人物と比較してご想像下さいね。
それぞれの像がとにかく大きく、それにも圧倒されます。



こちらは入り口側。
右端に見える少年と老人の像、イカロスとXX像(カタログ見つからず・・)
という名が付いているのですが、

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カノーヴァは生後幼くして父を亡くし、母親は再婚し、彼は石工の父方の祖父に
育てられ成長したのですが、その2人を現した姿であろう、との事。

骨折した腕に添木をつけた少年と、いたわる老人、
確かに老人の足もとには、槌が置かれ職業を現わしていて、
少年時代の想い出に繋がる情景なのでしょう。



悔悛のマグダレーナ。

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塑像はほぼ大理石像と同じ形ですが、細部が違っているのも多く、
例えばこの像も、大理石像に見られる足元の頭蓋骨がなく。

塑像に打たれた小さな釘を基準に、かなりの所までは12人いたといわれる助手が彫り、
最終的な仕上げは部屋に運び込み彼自身がしたそうで、その時に違いが生まれていると。



三美神像。 こちらは隣接した、カルロ・スカルパ設計の建物内。

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おおっぴらには写せず、真ん中の顔が見えないのは乞うご容赦。
こちらの館には、ローマ兵士の装束でのジョージ・ワシントンの石膏像があり、
こういう意匠でと依頼があるからなのか、と以前にも疑問に思っていた事を訊ねると、
全てカノーヴァが決めた事だそう。

実際、本館には裸体のナポレオン像もあるのですが、大理石像が届いた時、
裸体である事がナポレオンには気にいらず、布をかけてしまわれていたとか。



生家博物館の2階の窓より。
夕暮れ近い光が斜めに差し込み、大変に美しい光景で。 2本の松はローマから
運ばせたそうで、実際北イタリアではこの種の松は余り見かけません。

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見上げる犬。

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本館横の小さな庭に、かっての納屋かと思われる建物があり、覗いて見ると、
黒く塗られた馬の像と、見上げる犬の像。

建物内が狭く、薄暗くなる時間で馬は撮りませんでしたが、この犬がなんとも愛らしく。
先回ご紹介でも、まどろむ主人をじっと見守る、ひたむきな目の犬の像がありましたが、
カノーヴァは犬が好きだったのかもですね。



テンピオの眺め。

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一段低い位置の生家博物館から前を通る道に上がると、真正面の丘の上に
この様にテンピオが望め、
一斉に皆が声を上げた、冬の夕暮れの素晴らしい眺め!



緩やかな、そしてかなりの坂道を上ると、こんな開けた場所に出てテンピオが。

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坂道を歩くうちに大きな赤い夕日が沈み、尾を引く三筋の飛行機雲。

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東の高い山の尾根を最後に染め上げ、

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麓の村々は、すでに夕暮れの靄に沈み、

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小さく月も。

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テンピオの内部。

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ローマに工房を構えていたカノーヴァですが、自分の墓所にパンテオンのスタイルを
与えたのですね。 多分、最初はこの天井も開いたままだったのでしょう。

母親が再婚しての異父弟は司教となり、彼が死して後も工事を引き継ぎ、
このパンテオンとジプソーテカも完成させたのでした。



アントーニオ・カノーヴァの棺。

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天井が開いていた際の、降り込む雨水の処理用と思われる、
ちょうど真下に開く排水用の穴。

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カノーヴァが亡くなったのは65歳、今回生家のアトリエ内でデスマスクを見ました。

ガイドの説明によると、死因に繋がったと思われるのは、仕事に欠かせないドリルだそう。
というのも当然電気ドリルなど無い時代で、ノミに木製の筒をつけ、それに紐を巻き付け、
両方から交互に助手が引いてノミを回す仕掛けの物で、説明分かります?

左の腰の辺りに当てて使っていたのが、余りにも体に食い込み、肋骨の間に入り込み、
それが内臓にも悪影響を及ぼし、食事が取れない、スープ類の様なものだけ、となり、
結局それが死亡原因にも繋がるほどとなったのだとか。

一時婚約した事もあったそうですが、結局結婚せず、仕事のみに捧げた彼の一生で。



暗いテンピオの内部から出て来ましたら、外はうっすらの夕暮れとなっていて、

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坂の下の真正面が、テンピオと向き合う生家。

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余りにも夕暮れが美しく皆が陶然となり、寒さも忘れ、立ち去りがたい想い。

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この後、坂下のカフェで皆思い思いに温かい飲み物を取り、
朝同様に霧が深くなった道を、家路についたのでした。

◆*◆

これを書いている土曜は大変良いお天気で、村の奥に野生のクリスマス・ローズの
開花状況を見に行きたくなるのを我慢、明日回しにして・・。

所で今仲間内で好評なのが、新しく発売され始めた英会話シリーズ。
ラ・レプッブリカの新聞についていて、イギリス人教師がイタリア人向けに作ったメソド、
が売り物の、SPEAK NOW! と言います。はは。

薄い教則本とDVDで、中の寸劇が笑えます。
いわく、 夜一人暮らしの老婦人にかかる電話。
 「キル・ユー!」
  「ちょっと待って、キル・ユーは現在形だから、アィム・ゴーイング・トゥー・
  キル・ユー、と言わなければ!  オー、ノー! なぜ?」
 「OK! アィム・ゴーイング・トゥー・キル・ユー、ディス・ナイト」
 「ウェン?とは聞いていません、ホワイ?と聞いたのよ。
  それからディス・ナイトとは言わずに、トゥナイトというの」
  とか、レストランで注文する発音をウェイターが正したり!・・てな調子。

ええ、まぁ、この程度で即喋れるようになるとは思いませんが、
とっつきやすい事は確かで、こちらの外人向けのイタリア語教則本にしろ、
とにかく面白く読ませ興味を持たせる、がかなり徹底していて、
その辺りが真面目一方の日本の本とは違うなぁ、という感触。

SPEAK NOW! となりますかどうか、取って置いて貰えるよう注文を!
3ヶ月後が勝負です、ははは。

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・ ウンブリアの寒村 ・ ロッカノルフィ

北イタリアはヴェネト平野、丘の続く田舎に暮らし、ヴェネツィアも勿論、小さな町の
我がコネリアーノのご案内もしていますが、・・このブログではかなりの頻度で
イタリアの田舎の風景をご案内していますよね?!

なのに時に、無性にウンブリアの風景を懐かしむ自分がいて・・。
田舎というよりも、寒村と呼ぶ方がふさわしい様な、そんなウンブリアの奥にある
ロッカノルフィ・Roccanolfiの秋の姿を、今日はご覧下さいね。

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下から見上げる海抜775mの村の姿、車では村に入れず、下の空き地に駐車し
歩いて上ります。
写真右端にもう2,3軒家が続きますが、これで全て!


       
ロッカノルフィなる村はどこにあるか、地図をどうぞ。
左下に、ローマからフィレンツェへの幹線上にあるスポレート・Spoletoがあり、
エッジ・Eggiから一旦右下に下り上り、ヴァッロ・ディ・ネーラ・Vallo di Neraを通り
右上に続く道路、これがヴァルネリーア渓谷を通る道で、アドリア海沿岸まで続く
古代からの重要な通商路。

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ロッカノルフィにはプレーチ・Preciからの道があり、約4K、そしてここより
まだまだ奥の村に連絡します。

プレーチ と サンテウティツィオ修道院 ・ 中世の外科学校を誇る
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464307658.html

ヴァッロ・ディ・ネーラ ・ 中世のまま、不思議な美しさ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464307447.html



今回この村に行ったのは10月初旬で、少し木々に色が付き始めた頃。

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山の下に駐車し、せっせとこの石段を上ります!

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ああ、村の人が住んでいる気配が見て取れます!       

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4年前の春に行った時は、1997年の地震からの復興が10年を経てやっと始まった所、
道も崩れたまま、覗ける家の中もがらんどう、という有様に胸が塞がれ、
頭の内のどこかにいつも残っていたのですが、

今回こうして家もかなり整備され、人の住んでいる気配が感じられ、
これがとても嬉しかったのです。



とはいえ、まだまだあちこち剥き出しの配線、配管が見てとれ、
まだもう少し時間がかかりそう。

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プレーチ方面、北を見渡し。
これだけの高さですから、点在する小村が幾つか望めます。

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小さな村の小さな教会。
とはいえ、村には教会が2つある様なのですが、ここしか分からず、名も分からず。

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村の復興が進み、住民が戻っている様子、と書きましたが、

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さて、実際に出会ったのは、この大きな熊みたいなワン君と、白いプードル風ワンちゃん、
そして工事の人2名のみ! 2001年時の調べで、この村の住人は39人だそう。

それにしても、ふっと振り返ってこのワン君を見た時は、いささかぎょっと。 ははは。
でも吠えずに、じっと見て、引き返して行きました。 うん、人畜無害のshinkaiだもん。



細い坂道が続きます。 両側に家が続く小路を行くのは、ちょっとした圧迫感。

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戸口に、幾つか見かける刻まれた年号、ここは474と見えますが、つまり15世紀
からの建物で、他に見かけるのはJHS、つまりキリストを現わすものが。

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村自体は、13世紀頃のロンゴバルド人の移殖によるものと言われ、最初の写真に
見えた村の一番上の四角い塔、王妃の塔・Torre della Reginaと呼ばれますが、
中世の面影が大変強く残っている村なのですね。

この地の封建領主は、ウンブリアの東南部を治めたアルノルフィ・Alnolfi家で、
14世紀には一種の自治体を作る事を認めた様子。



山腹の急傾斜に沿った村なので、こんな風に道から降りて入り口となる家もあり、
・・ここは修復がまだですね。

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坂道を上ってゆくと、明らかにこの辺りにはかっての支配者層の建物が並んでいる、
と分かり、 くすみ、剥げ、高すぎもして何か分かりませんが、
人物が描かれていたらしいのは、見えますね。

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どっしりとした建物があり、道をまたぎます。 ここの戸口にも刻まれた数字があり、
こういった棟木はやはり15~16世紀の物だそう。

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上の写真の道の突き当たりを塞ぐ、この威圧的な建物。
石の質も、壁の厚さも一般の家と違います。

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上の戸口に年号の入った家もそうですが、とりわけ古く頑丈そうな家、
つまり壁の厚さに驚くほどの家が、村の高所に。



村の高所の道を辿りつつ、

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Via della Regina・王妃通りという名の道が、

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こんな風に村の西外れの門に続き、       

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見上げると、村の一番高所にある王妃の塔。
城壁に囲まれているそうですが、今回もまだなぜか傍まで見に行く勇気なし。

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:前略:
決して消える事のない過去の話  本当のこと 無かったこと
もしお前がホップとイラクサの中で休むなら 聞きなさい 私がその声だ

感じ取った事を語ろう  人々の過去の話を  悲しい姫の話を  
世捨て人のことを  サラセン人のことを  今はもう消えてしまった所の事を

何百年も既に過ぎ去った 何百年もの間決して忘れられた事はなかった
聞いたことを語ろう   かって起こった事を

若い領主 王妃ノルファは 王とは遠く離れて住んでいた
不幸だった  彼と離れたく 決して戻るつもり無く 別れた 
   
二度と彼の元には戻らぬよう 静寂の内に暮らすつもりで
館の内に閉じこもった  テラスからも見られぬように

誰からも二度と見られる事のないように  本当なんだ  不幸な王妃
そして 人々は囁いた  美しいノルファは砦にこもったと

柳とイラクサの間を風が通り 古い囁きを運んでいく
:以下略:


この村に惹かれるきっかけになった伝説、 城を巡る王妃の話、
そう、まだなんとなしに威圧感があるのです、この村は。
かけられた謎に勝手に縛られているのかも、ですが。

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プレーチに戻りつつ、少し深呼吸を。

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・ 夕暮れのヴェネツィア ・ サン・マルコ広場 

先日は夏のむぅ~っと暑い暑いヴェネツィアをご覧頂きましたが、
今日は一転して12月半ばの、寒かった霧の日のヴェネツィア、
サン・マルコ広場の、ブルーに染まる夕暮れ時をご覧下さいね。

ははは、暖めたり冷やしたり、・・サウナみたいなブログですねぇ!
       
広場に到着したものの霧が立ち込め、街灯もまだ灯らず、待ちかねていた時。

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広場脇のゴンドラ溜まりの向こうを行きかう船、舳先には小さな灯が見え、

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ああ、漸くに、桟橋の先にも灯がともりました。

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小広場の方もこんな風に。 寒い冬の日は、明るい灯の色だけでご馳走ですね。

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ドゥカーレ宮の美しさ!

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千年続いた一国の首都の建物。 その美しさと解放感に満ちたこの景観に、
季節に関わらず、訪れる時は心がいつも浮き立ちます。



霧が立ち込め、スキアヴォーニ河岸の方も靄って見え、

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広場の街灯も、一段と輝き始め、

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半分のお月さん。

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ドゥカーレ宮のカルタ門。

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2階テラスの端にスポット・ライトが見えますね、あれがちょうど灯って、ぐる~っと
動きながら鐘楼の先っちょに焦点があうのを、
ジュリアーナと2人、オ~~オ!と目で追いかけ。



現在この門は見学者の出口で警備員が待機、内部を覗くのもこの位置まで。

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昔むかしの初のヴェネツィア訪問の時、なぜカルタ門・紙の門?と不思議でしたが、
そうか、布告門だったんだ、と気が付きました。 調べておりませんが、多分間違いないと。
秋に見学した内部写真が長~く滞っておりますが、はは、
イタリア式、と今しばらくお待ち願いま~す。

追記:カルタ門は、布告門とは違い、ここで代書屋たちが書類作成をしていて、
   その意味からカルタ門なのだと知りました。 2019.1.17



ドゥカーレ宮内部の灯りが、窓の丸いガラスを映しだし、

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霧が深く、スポット・ライトの幅と流れがよく見えるので、広場の先まで戻り、
再度こちら側のを写しに!

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この時間の、大好きなこのブルー。 そろっと魔物が動きだすようなブルーの刻。


時間が遅い訳ではないので、まだ聖堂が開いており、いつもは長蛇の列なのを
すらすらと通り抜け・・、
ですが、ここも昔と違って写真禁止となり、おまけにめったやたらに「静粛に!」の
日本語の札。 何、これ?!  
ジュリアーナがつい喋りましたら、即警備員に「シー!」っと。
イタリア語の大きな札をもっと増やすべきだよ!



出て来ましたら、時計塔の上のムーア人も近くに見え、

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聖堂正面上の、聖マルコの横に月。  ピン甘ご容赦。

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広場を囲む政庁建物にも、ぐるっと小さな灯りがともり、

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窓の中のこんなシャンデリアもうっすらと。

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霧の中に浮かぶ鐘楼と、

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広場の先の2本の円柱。

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いつもは左手向こうに見えるサン・ジョルジョ島の影もなく、
真っ直ぐにアドリア海に船出できそうな、錯覚を楽しみ。

ヴェネツィア ・ 黄昏から夜に
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463331310.html


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・ ラヴェンナの街 ・ 日曜日の広場では

ラヴェンナ・Ravennaはヴィザンティン・モザイク、世界遺産指定の遺跡、街
として有名ですが、中でも素晴らしいのがバジリカ・ディ・サン・ビターレ・
Basilica di San Vitaleとガッラ・プラチーディア廟・Galla Placidia.

が、こちらのご案内は既に済みましたので、今日は街の様子をご覧頂こうと。
秋の快晴の空の下、街の中心の賑わいをどうぞ!

写真は、奥に見えるのがサン・ヴィターレ聖堂で、見物の後この門から、という所。

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n.1 ラヴェンナ ・ モザイク詣で    街の地図もこちらに
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463938572.html



街の中心に向かうべく暫く進み左折すると、このカヴール通り・Via Cavour.
そう、古い街の中心の通りは大概こんな風に狭く、写真右上に通りの標識が
見えますね、普通どの街でもこんな感じですが、

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モザイクで有名なこの街では別の種類もあり、(以下写真3枚mkちゃん)



ほらね、こんな風にモザイクを入れた凝ったのもあるのです。
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ついでに、別の通りの標識も。

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こちらは広場にある大きな植木鉢ですが、なかなか、やるでしょう?!       

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最初は単に印刷の焼き付けかと思ったのですが、本物だと気が付き、
色違いを私めも撮っていますのでどうぞ。

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カヴール通りから左に入った所にインフォメーションがあり、あれこれパンフレットを
貰いに寄って見た、ウィンドウのこの大きな写真!

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サン・ヴィターレ聖堂にあるテオドーラ王妃の顔で、ここまで大きくして見せて貰えると、
顔の陰影にどんな色石が使われているのか、王冠から下がる光る珠には
貝殻が使われている、事などもよく分かります。

いやはや、なんともくっきりはっきりの凄い美人描写!
       
テオドーラ王妃の生い立ちについては、先回ご紹介した通りで、
この美貌なら、と納得できますですね、はい、
それにしても、これが1400年前の作品なのですものね。

建築技術は、中世のマエストロはローマ期に及ばなかった、とよく見聞しますが、
モザイクでの表現技術は現代を越えるのかも!



またカヴール通りに戻り進むと、この元教会の建物。
現在は各種展示会に使われているサン・ドメニコ・S.Domenico.

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昨秋9月末に行った時は、「LA COLPA LA PENA L'ESTASI IN DANTE
ダンテの作品における罪と罰と歓喜」とでもいう展示があり、



これはギュスタヴ・ドレの有名な作品「パオロとフランチェスカ」。

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このダンテの「神曲・地獄篇」に登場する2人の悲恋舞台とされる
グラダーラにも行く予定でしたので、良いチャンス、と予習を兼ね!
様々な画家による作品鑑賞もついでに。

ダンテの作品を感情豊かに朗読するヴィデオもあり、格調高い文体には
到底ついて行けませんが、でも何かしらね、
あの切羽詰まった若い情人達の感情は伝わって来まして・・。

ええ、兄嫁と義理の弟の悲恋、平たく言えば姦通物語ですが、
ダンテの作品から後世の芸術家達が受けたインスピレーションの大きさは驚くばかり!
       
さよう、グラダーラの要塞をご紹介の際には、この不肖shinkaiも腕によりをかけ、
きゃはは、執拗に詳細に、大いに楽しみつつ、ご紹介させて頂きますぞ!
       


こちらは上に名の出たA.コスタ広場で、奥は市場の建物で、日曜で市場はお休み、残念。

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イタリアの広場や通りの名には、有名人偉人の名が冠される事が多く、
このA.コスタ・Costaとは誰?と調べましたら、
アンドレア・コスタ、エミーリア・ロマーニャ州はイーモラ生まれの
19世紀後半のイタリア社会主義の先駆けと。



お昼時でもあり、食事に良さそうな場所を求めつつ、店を覗きながらゆるゆると。
ウインドウの飾りつけセンスが良いというのか、色の美しさにも感心しながら・・。

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街の一番の中心、ポポロ広場・Piazza del Popoloに出ると、
日曜で何か催しが行われている様で、細長い広場の周囲にたくさんの
テントの屋台が出来ています。

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何かと思ったら、各種ボランティア団体が寄付金集めも兼ねての宣伝活動で、



秋空の良いお天気、たくさんの人出で賑わい、広場のカフェの席にもたくさんの人。

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あれこれ覗きこんでいたらシニョーラに話しかけられ、ヴェネトに縁のある方と分かり、
しっかり捉まり、・・ええ、詰まる所は寄付する羽目に!



こんなテントもあり、何か美味しそうなものが出そうな予感も。
ですがまだ開店前で、指を咥えて待っている訳にもいかず・・!

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これは友人mkちゃんの写真で、こんな風に子供相手のお話や遊びのボランティアも。

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ほら、左のシニョーラの手に財布が見えるでしょう?ね、私だけではないのですよ、
カモ、もとえ、心の優しい人はね! ははは。



も一つ奥の広場・ヴェンティ・セッテンブレに繋がり、こちらにはメリー・ゴーランド。

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有機栽培の野菜果物や蜂蜜類などの店も。

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最後は、少しシンプルな飾りつけですが、結婚式用の車を。
同じ場面でも、mkちゃんの方が構図が良いのでこちらを。

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ビザンティン・モザイクに圧倒されたラヴェンナの街で、お昼を食べがてらの
散歩で街の様子も楽しめたのでした。

車は通行止めで、のんびりと家族連れの人々が
秋の素晴らしい陽気とあれこれの屋台を楽しむ姿、
そう、イタリアの街の広場では、ちょいちょい食品市や各種展示市が開かれ、
人々が集まり賑わいます。

お出かけの場所でそんな催しを見かけたら、どうぞ飛び込みでお楽しみ下さいね。


◆*◆

先日ご覧頂いた「カフェ博物館見学」ですが、ブログ掲載した事を知らせましたら、
写真は見れる物の日本字がすべて□□と出るので、何を書いたのか知らせてくれと!!
あああ、・・イタリア語のお勉強と思い、ただ今翻訳中。 時間を下さい、と!

カフェ博物館 ・ Museo del Caffè
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463850517.html

それにしても、私のイタリア製のPCでは日本字も読み書きできるので、
□□と出るのは古いPCかと思ってましたら、
昨夕行ったルイーザの家の彼女のPCでもこう出る、と知りました。
ふぅむ、メーカーにより、システムに違いがあるのですね。

イタリア版、ヨーロッパ言語のPCと、日本語PCとではキーボードが違います。
アルファベットの位置は大体同じですが、アクセントの付く à ì ù è é ò があり、
e はè é と2種あるので、その辺りの配分位置が違うのと、後は記号の位置が少々。

で、こちらで良く見かけるデスクトップ画面の様子は、
無地にショートカットがいっぱいいっぱい、全面に散らばっている、というやつで、
いつもお腹の底に笑いが来ます!! 昨夕見たルイーザのもご主人のもこれで!

デスクトップ写真を季節によって替えたり、ショートカットも整理するとか、
そういう事は余り無い様子、というのが私の知る範囲で~す。

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・ 夏のヴェネツィア ・ ヴェネツィアの館フランケッティと、あれこれ

昨夏は大変な暑さが続きましたが、一番暑かった7月初めの事、
イタリア旅行の最後に友人がヴェネツィアにも寄ってくれたので、
いそいそと会いに行ったのでした。

写真は整理済みでしたが、秋はあちこち出かけそのままになり、
今の寒い時期になると、あんなにも暑くて閉口した夏が懐かしく、ご覧頂こうと!
素晴らしいヴェネツィアの館の内部も少しありますしね。

アッカデミア橋近辺からサン・マルコ広場にかけての散歩のおつもりで、
ご一緒にごゆっくりどうぞ!

アッカデミア橋からの眺め、ご存知サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ教会・
S.M.della Salute.

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ゴンドラが4艘並んでやって来ます。

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これはアコーディオン奏者と歌手が乗り込み、右から2艘目に、分かりますか?
ヴェネツィアの大運河でナポリ民謡なんぞを歌いながら、はは、 
ゆるゆると行く豪華版ですが、
 
橋の上から眺める我々は、きちんと並びすぎよねぇ、と文句。
はい、友人は絵の生徒さん達とのスケッチ旅行で、皆さん構図に煩いの、ははは。



アッカデミア橋の南袂のテラス席で、ここで手軽にサンドウィッチのお昼を。

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朝アッカデミア美術館の前で待ち合わせ、皆さんと一緒に久し振りに
美術館見学もしましたが、中は肝心の大部屋が修復で閉じられており、
おまけに昨年春、生地カステルフランコで開催された「ジョルジョーネ展」に
出品の名作「テンペスタ」がまだ戻っておらず・・。

皆さんとも既に顔見知りなので、お昼のお喋りは弾みました。
絵のグループなのでスケッチを主体にと伝えてあるにもかかわらず、
普通の観光スポットに無理に連れて行かれ、何も描けなかった、
フィレンツェのウフィッツィ美術館も予約をしてくれておらず、何時間も待った、
確かにアッカデミアの切符も買っておらず、等々、
某大旅行代理店の悪口いっぱいで盛り上がり・・、ははは。

カステルフランコの町 ・ ジョルジョーネ展
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462522712.html



この華麗な建物は、アッカデミア橋北詰のフランケッティ邸・
Palazzo Cavalli-Franchetti.

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大運河側の窓の並びをご覧下さいね。 2,3階部分の窓のヴェネツィア・ゴシックと
呼ばれるこの形は、やはり大運河に並ぶ大邸宅のカ・ドーロと同じです。

壁に女性裸体画の垂れ幕が見えますか?
実はこの期間「フェリーチェ・カレーナ」という画家の展覧会が開かれていたのですね。
アッカデミア橋を北に渡りフランケッティ邸の玄関前に来ると、そこにも大きなポスターで、
圧倒的な量感の背中に皆が魅了され、観よう! という事に。
で、いつも外から眺めていただけの建物の中に。



展覧会会場は2階で、建物の中は写真OK、これは2階への階段踊り場の窓。

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こちらは同じ踊り場の天井部分。
なんとも素晴らしく優雅でしょう?! フィレンツェのヴェッキオ宮でも、
フェッラーラのお城でも見かけるグロテスク柄の一種でしょうが、
洗練され、色が渋く、それでいて晴れやかで・・、       
 
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こちらは2階会場入り口のロビー。    
展示を見た後皆で座ってひと時の休憩をしましたが、静かで涼やかで、
なんとも贅沢な空間で。
ここでカフェなど頂けないのが残念ですが、とにかく訪問者が少なく・・。

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ロビーから、上って来た踊り場を。
壁には、こんな風に様々な芸術の寓意女神像の半浮彫像。
窓のアーチがなんとも素敵。

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こちらがロビーの天井部分。

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余りにも優美、華麗な内装に少し度肝を抜かれ、というのも、ヴェネツィア共和国
崩壊後のどさくさで、有名な建物も皆丸裸にされており、修復されたにしても
ここまでは無理で、これを書くのに少し調べました。

ここにあった元々の建物は15世紀ゴシック様式の、ヴェネツィア貴族マルチェッロ家
・Marcello の物で、
マルチェッロ家は15世紀に元首ニコロ・Nicolòを出したほどの家柄で、
17世紀のアレッサンドロ・Alessandroと、ベネデット・Benedettoの音楽家の
兄弟が有名で、とりわけベネデットはアントニオ・ヴィヴァルディ・A.Vivaldiを
批判した「当世流行劇場」の著書でも知られているのだそう。

後に所有者が変わりつつヴェネツィア共和国崩壊後の1847年、
オーストリア大公の物となり古い建物を大改装、更にブルボン家の所有となり
改装されます。
       
つまりこれだけ美しく華麗に残っているのは、ヴェネツィア共和国崩壊後に
当時の権力者の持ち物となり、大事に改装され、オリジナルは残っていないものの
無事生きながらえている、という事になります。

1878年に男爵ライモンド・フランケッティ・Raimond Franchettiが購入、
館にフランケッティの名が残るようになります。
このライモンドは、後にカ・ドーロを購入修復し、カ・ドーロ・フランケッティ博物館に
名が残るジョルジョ・フランケッティ・Gorgioの父親です。

で、1922年に現在の所有者である
Istituto Federale di Credito per il Risorgimento delle Venezie
どの様に訳せばいいのか、正体がよくわかりません、が買い取り、
絵画展などが開かれているという状態。
これ程の建物は維持費だけでも大変なものだろうに、と貧乏人は考えますが・・!

余談ですが、かなり以前のTVのCMで、フラスケッティ邸の大運河側の入り口、
つまり船着き場から建物に入って行く黒いスーツ姿の、少しふくよかな女性の
後ろ姿が映り、これが後姿だけで、美人だ!と確信させるオーラを発散。
で、誰だったとおぼしめす? カトリーヌ・ドヌーヴ様でありました。 納得!
       
       

フェリーチェ・カレーナ・Felice Carena(1879~1966)

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トリノ近郊の生まれで、トリノのアッカデミアを卒業後、ローマ、フィレンツェでも活躍、
晩年はヴェネツィアに居住という、イタリア19世紀を代表する画家。

セザンヌやマチス、ゴーギャン、ピカソの影響も感じられる素晴らしい作品が展示
されていたのですが、とりわけ30歳前後の暗い画面、人物のみで単色の背景など、
古典的な筆致の作品に魅せられました。
その年代で技術的に既に域を超え、その上での模索が後半の作品に見られるようで。
       
作品がたくさんのサイトが見つからず、これは部屋の様子がほんの少し見れますので。
http://www.daringtodo.com/lang/it/2010/04/22/venezia-e-la-mostra-che-ricorda-felice-carena/



フランケッティ邸の中から眺めるアッカデミア橋と、アッカデミア美術館ですが、
ヴェネツィア市役所は近年、公共建物の修復の覆い広告で稼ぎ始め、
それがどんどん過激になり何の建物かわからないほど!
この朝も美術館の入り口を探しまわり・・。

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ロビーの窓から眺める建物の壁。 土地の狭いヴェネツィアで、かなりの庭が。

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スタンリー・キューブリック。

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突然の登場ですが、この次の展示はスタンリー・キューブリックの写真展。
「時計じかけのオレンジ」 「博士の異常な愛情」 「シャイニング」などの
映画監督として有名ですが、映画監督になる前の戦後の5年間を
カメラマンとして過ごしたのだそうで、これも自写像。という言葉があるかな・・。

彼の映画は見てないなぁ、と思っていましたが、「ロリータ」 「スパルタカス」 
「バリー・リンドン」は見ておりました。 はい、怖くない方を。



フランケッティ邸を出て角を曲がると、サント・ステーファノ広場・Santo Stefano.
真っ直ぐ行くとリアルト橋に。 我々は長方形の広場の中程まで行き右に折れ、
サン・マルコ広場に向かいます。

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夏の広場の目がくらむような暑さ、ご覧頂けますか?
ヴェネツィアをゆっくり味わいたい方は、夏をはずしてお出かけ下さいね!!
お若く元気な方は、・・お好きなように!!



美しく飾られたゴンドラが舫い・・。 やはり黒と赤の取り合わせが豪奢ですね。

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お昼を過ぎるとどんどん暑くなり、ジェラート屋を探しやっと一息。 橋を越え、
広場をすぎて、また橋を越え・・、 ああ、本当に本当に暑い日でしたよぉ!!



ヴェネツィアの窓。

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サン・モイゼ教会・San Moisè.

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ヴェネツィアには珍しいバロッコ様式の正面で、ゴテゴテの正面の飾りや彫像が、
永年の汚れで真っ黒でしたが、今はご覧の通り。 ですが、まだ中には。



優雅なウインドウ。

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この辺りからサン・マルコにかけ高級店が続きますが、時に、本当に優雅だなぁ、
と感嘆する品を見かけます。
我が家も自分の程度とも、月とすっぽんの縁の無い品々ですが、
それでも優雅さには見惚れますです。



という所で、漸くにサン・マルコ広場に到着。
じりじりむしむしの暑い中、お付き合いご苦労様でしたぁ!

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この後裏道を通りながら彼女達のホテルまで行き、冷たいオレンジ・ジュースを
飲みつつ友人とお喋り、日本語の気のおけないお喋りが楽しかった、夏の思い出。

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・ n.2 チヴィタ・ディ・バーニョレージョ ・ 天空の町

天空の町、死にゆく町として有名な、陸の孤島にも似た
チヴィタ・ディ・バーニョレージョ・Civita di Bagnoregioのn.2、
ごゆっくりどうぞ!

司教館広場。

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先回の最後の写真、司祭館とドゥオーモの間のアーチを潜り抜けて行く時、
ここも修復の幕で覆われ気が付かなかったのですが、どうやら鐘楼と
ドゥオーモを繋ぐアーチ部分に、かっての牢獄があった様子。



で、この広々とした広場があり、現在は司教館の建物にも、何方かが
住んでいるのでしょう、 石臼がアクセントに置かれていました。
そう、この町はまたオリーヴ油の産地としても有名なのです。

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先の中心広場から西に木陰の道を入りこむと、
左にテラスとなった小レストランがあり、お昼をそこで。

チェーチ・ひよこ豆のスープ。

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パスタも入り、テーヴルにあったパンもちぎって入れ、熱くて美味しいスープ!
他に何を食べたかは、またのお楽しみに!!



再び、町の探訪に。
町の現在は観光地として結構の繁盛をしている様で、あちこちで修復中。
離れていたかっての住人も、少し戻って来ているのかも。
この家は既にしっかり修復されていますね。
       
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いずれは崩壊して消える運命の町なのかもしれませんが、今はまだまだ
人の営みも続いているのです。
そう、2500年間なんとか継続して来た町なのですものね。
実際、生まれて間もない赤ちゃんをあやすお母さんも見かけ、
こちらの気持ちも引き立てられました。



ここは、以前何かの作業場だったのでしょう、家の1階部分。

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町は細長い形で東西に延び、北南の路地に入ると、じきに崖っぷちに出ます。

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同じ建物の上階の家は別の持ち主で、こんな外階段があちらにもこちらにも。
       


で、右の奥の階段の、

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一番下の丸い形。 後でじっくり写真を見ていて、石臼利用ではないかと。

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そして、こういう形もあるのですよ。 こういう高い階段は、中世の町によく見かけ、
一番上の小さい形が可愛いでしょう?

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こちらも素晴らしく修復されたお家。

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町に来る橋の近くでは朝顔を見かけましたが、ここでは蔦の葉が赤くなりかけ。

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奥左側に、以前は古いオリーヴ油の搾油所があったらしいのですが、
どうやら閉められたようで。

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町の奥の小路を北に入って行くと、かっての洞窟住居跡が残され、
民具も並べ博物館風に設えられていました。

すぐ近くの家から年配のシニョーラが出て来て、
入り口の柵は開いているから入れるよ、と教えてくれ、そろそろと。

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というのも中が本当に暗く、ちょっと怖い位で。
食器棚もあり、安い花柄の縁が欠けたお皿なども置かれ、何か少し切なく。

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床も土間のままで、一体この洞窟でどんな生活だったのでしょうか、
そんな古い時代ではないと思うのですが。



石臼も置かれていましたが、何に使われた臼なのかな。

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出て来た小路の端に先ほどのシニョーラが座っていて、施しを求める手を
差し出したので、彼女の様子を見て取り、少し多めに上げましたら
大変喜んでくれました。 こちらも嬉しかった。
       


洞窟住居の先はすぐに町の一番の東の先っちょで、こんなオリーヴの実も見かけ、

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が、小さな畑の先に広がる眺めは、広々とした不毛の浸食された渓谷でした。



絵葉書を2葉。  霧の中に浮かぶ孤島の町と、

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夜のライトアップ。
    
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交通が少し不便ですが、近くに行かれるチャンスがあったら是非どうぞ!
ご覧になるだけの価値は十分に!


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・ n.1 チヴィタ・ディ・バーニョレージョ ・ 天空の町 

今日は天空の町、または死にゆく町として有名なチヴィタ・ディ・バーニョレージョ・
Civita di Bagnoregioにご案内致します。
       
この風景は、きっとどこかでご覧になった事がお有りでしょう、
天空の町として有名な、展望台からの景観です。

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記事を1回分として纏めたかったのですが、珍しい形がたくさんあり
写真を削りきれず、町のご説明はともかくも、
景色を楽しむおつもりで見て頂こうと2回に分けましたので、
退屈せずに見て頂けますように!



地図をどうぞ。 チビタ・Civita というのがこの町の名で、
後ろに付くバーニョレージョはコムーネの名前。

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我々はピティリアーノ・Pitiglianoから車で行きましたが、ご覧の様に
オルヴィエート・Orvietoから近く、バス連絡も少ないとはいえありますから、
ローマから国鉄でオルヴィエート迄、そしてバスで行けますね。



チヴィタ・死ぬゆく村 と形容されますが、(写真は友人mkちゃん)

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こちらをご覧下さい。

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背景に見えるこの浸食された地質の渓谷は、所謂バッドランドと呼ばれる地。
このチヴィタの町、というより村ですが、太古の海底にあった凝灰岩の土地が、
何度かの地震と地崩れにより、すっかり剥き出しとなり、
孤島状態になっているのですね。
       
町がエトルスク人によって作られた紀元前500年前から既にこの兆候があり、
対策が取られた様ですが、現在の町の人口はほんの数家族、
資料によりあれこれ違うのですが、10人から30人程と。



町を訪れた10月の初旬、大変に暑い日でしたが、まだ朝顔の花が咲き。

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バーニョレージョの町の入り口の大きな駐車場に止め、せっせと町を縦断、
町外れの展望台からの写真が最初の物。

そして階段を下り、チヴィタの町に至る橋の元まで行きますが、
この階段が分かり難く、行き会う人に訊ねて漸くに。

で、行くと橋の下にも駐車場があり、チヴィタ訪問の方は皆さんここに止める様。
まぁ、バーニョレージョの町も見れたのですが、こちらは余り変哲のない町で。

バーニョレージョの町を縦断しつつ、友人が笑うので聞くと、
道の交差点で、必ず私が左右の道を見るのですって!
あはは、自分は無意識でしたが、どうやらパトロール犬並みに
写真OKかどうかを確かめているようで!



では橋を渡り、町に向かいましょうか。

この橋は長さが300m余りの鉄筋コンクリート製で、現在はここを渡る道が
唯一の町への入り口。

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渡りながら見渡す景観も凄いもの!
これはチヴィタに向かい左側の様子ですが、やはり隣町の端も、谷の浸食が。

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こちらはチヴィタの奥に見える渓谷の様子。
美しくもあり、自然の恐ろしい威力をも見せつけます。

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橋を渡り始めると、向こうから4輪荷車が降りて来るのが見え、

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こんな感じに、橋いっぱい、というか、狭い橋、というか。
そして、かなりの傾斜!

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実はこの橋が出来たのは1965年で、当初は人間だけが歩いて渡るように
定められていたそうです。
ですが、年間観光客がかなりの数に増えた事もあったのでしょうし、
町の住人達からの生活物資運搬の要望もあり、
数年前から許可を受けたバイクとオート4輪のみが渡れます。



町の入り口門辺りから、逆に橋を眺め。

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これは絵葉書で、1965年と見えますが、
現在の鉄筋コンクリートの橋が造られる前の様子ですね。

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ロバや馬を使い生活物資を運んでいた様で、ガイドブックにあった橋の写真は、
石を敷き詰め、崩れた所を木の板で塞いだと思われる恐ろしい物。



漸くに橋を渡りきると、今度は上り坂の階段!

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町の入り口サンタ・マリーア門が見えますが、上に3つのアーチのロッジャを持ち、
下に窓、そしてその下に門があるこの建物はかってのお城、領主の住まいで、
11世紀の建設だそう。

入り口アーチの両脇と上に何やら像が見えますが、



こちらがそれで、真ん中のは鷲がライオンの頭を爪の間に持ち、
両脇には伏せたライオンが両足の間に何かを持っていて、

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左側のライオンを写していないのがとても残念。 というのも、こちら右のは崩れて
何かが分かりませんが、左側のライオンの足元には女性の顔があるのです。

ガイドブックの写真で確認し、ここでまた好奇心むくむく! 調べて分かったのは、
エトルスク人がこの町を造り、ローマ人が発展させ、はい、例の如く天水を貯める
井戸の設備とかを造り、ロンゴバルド族、カール大帝と次々と領有者が変わり、
自由都市も経験、最後はオルヴィエートの専制君主であった
モナルデスキ家・Monaldeschiの物となります。

このモナルデスキ家というのは、あちこちに分枝もするのですが、
どうも大変に残忍な血を持つ一族で、血族間でも血生臭い争闘を。
そして遂に1494年、バーニョレージョとこのチヴィタの民衆が蜂起、自由を獲得、
その時の記念の石像なのだそう。

で、同年のフランス王シャルル8世の通過にも抵抗した程の町の住民の意思を
知らん顔で踏みにじり、逆にこの自由都市を教皇領に組み込んだのが、
教皇アレッサンドロ6世・ボルジャなのだそう。
政治の世界には、義理も人情も関係ないようで・・!



という事で、門をくぐり小さな町の中に。 小さな広場となっていて、

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くぐってきた町の門は、振り返るとこんな風に。 左の建物が
門内に続くかっての城館ですね。

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門から真っ直ぐに続く道を行くと、町の中心広場に。

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広場の南には大きな建物があり、現在は2,3軒の土地の物産店とバールに。

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土地の物産は、やはりオリーヴ油とか蜂蜜とか、このポスターにもあるように
豆類ですね。 インゲン豆、レンズ豆、チェーチなどなど。

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古くから栄えた町、と書きましたが、ローマからの主要街道にも近く
商業の要所として大いに栄え、かっては町への入り口の門も5つあり、
エトルスク人は深いトンネルを掘り、町中から楽に街道筋に行ける様にしていたと。



広場の東側と北側の様子。
東を占めるサン・ドナート教会・San Donatoはドゥオーモ・司教座の位を
持っているのが、秋には修復中で、正面部全部が覆われておりました。

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町には中世とルネッサンス期の建物が混ざり合って残り、古い町にしては、
ドゥオーモ内は新しい様式。
とにかく暗くて暗くて、余り探検意欲も出ずこの写真だけ。

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このドゥオーモ前の町の中心広場では、毎年6月第1日曜と、9月の第2日曜に、
パーリオ・デッラ・トンナ・Palio della Tonnaと呼ばれる
ロバの背に乗ってのパーリオが行われるのだそう!



広場の北にあるこの建物が大変面白く、司祭館・Canonicaだそうですが、
如何にも中世風で、かっての町の古き時代の繁栄を偲ばせます。
 
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入り口二つに繋がる階段の形が違い、入り口の高さにも興味が湧きますね。

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という所でn.1をお終いとし、 n.2にどうぞ!


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・ 我が町コネリアーノのお城、 ほんのチョッピリ

我がコネリアーノには町の北の小山の上にお城があり、残った一つの塔が
博物館を兼ね、上に登れ、360度の眺望が楽しめます。

昨年3月に上った時の写真がそのままになっていますので、塔の内部は
またのご紹介として、今日はほんの少し、塔の上からの眺めをご覧下さいね。

まずは、お城の塔。

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北東方面の広がりを見て頂こうと。
丘の上真ん中に小さく見える鐘楼が、お隣のオリアーノ村の教会、
我がスコミーゴ村はあの奥になり、海抜が少し低く見えません。

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昨年はこの3月の朝に、雪が降ったのでした。
フリウリ平野方面の、長~い地平線の写真がなく残念! 次のチャンスに。



西の隣町スセガーナ・Suseganaのお城、サン・サルヴァトーレ・
San Salvatoreの塔が遥か丘の上に見えます。

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中世の城跡 ・ サン・サルヴァトーレ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463525627.html

今年元旦の朝散歩に出かけた方面をどうぞ。
初春散歩 ・ 新しい散歩道の探訪を
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463850181.html



コネリアーノというと、いつも殆ど田舎の景色をご覧頂いてますが、

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はい、こちらがコネリアーノの駅前の様子。

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人口3万6000人程の、ヴェネト州はトゥレヴィーゾ県第2の町。

正面3角形の広場の奥に駅舎が見えますね、19世紀の末、オーストリア領の
時代にヴェネツィアから鉄道が敷設され、駅舎もその時の物だそう。
もっとも数年前に漸くにオンライン化されましたが。

ヴェネツィアには1時間弱、オーストリアのウィーンにも繋がる幹線上の駅、
そして町なのですぞ!

我が町 コネリアーノ ・ 再発見
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461745312.html

お出でませ、イタリアへ!
そして、足を延ばして我が町にも!!


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・ カフェ博物館 ・ Museo del Caffè の見学

皆さん、今コーヒーをお飲みになりながら、見て下さってますか?
コーヒーがお好きな方は多いと思うのですが、
今日のご案内は、我が町コネリアーノに最近オープンしたカフェ博物館のご案内を。

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これは写真でお分かりのように、コネリアーノに本拠を置くデルスット・DERSUT 
というメーカーの私設博物館。 
     
製造風景も見れるかと漠然と考えておりましたが、
コーヒーの木からカップまで、コーヒーの歴史の旅 ・ 
dalla pianta alla tazzina, viaggio nelle storia del caffè というコンセプトで、

コーヒーの木、豆の焙煎機、豆挽き器、コーヒー点て器 の展示が主で、
興味深く楽しく見れるものでした。
       
イタリア特有のエスプレッソ・カフェが好き、という方も多いと思いますが、
では、あのコクのある濃い味を思い出しながらご覧下さいね。
       
       
       
カフェ博物館のある場所は、コネリアーノ・Coneglianoの町の中心からほんの少し
北に入り込んだ場所で、建物は多分、以前工場として使われていたのでしょう。

入り口を入ると左手にバール兼売店があり、訪問客に好みのカフェを振舞ってくれ、
私はいつものカフェ・マッキアート、ミルクを少し入れたものを。

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ここへの見物は十数人のグループで行きましたが、
ガイドが説明しながら1階から2階までの展示案内をしてくれます。

これがコーヒーの木。 円筒形の内部温度が22度、湿度が70%に調節された中に。

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パネル展示の一部。
一番左はコーヒー栽培園、ブラジルのエスピリト・サント州の風景で、
ここはイタリア人入植者が一番多く、住民の75%がイタリア系とか。
何か日本からのブラジル移住をも思い出させますね。

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花は白く、ジャスミンの香りに似ているそうで、
果実はこんな風に、花が次々と咲き、実って行くのだそう。
メリル・ストゥリープとロバート・レッド・フォードの映画「私のアフリカ」を思い出し。



目から鱗! のパネル。
コーヒー栽培に適した土地は、北回帰線と南回帰線に挟まれた地域、
サイトにも確かにこう書いてあるのですが、まさにまさに。

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と、地図上の我が国に紀伊半島、四国、九州がないのですが・・!

コーヒーの歴史を書きだすと、到底収まりがつかなくなりそうなので、
エチオピア、またはヨルダンで発見されたコーヒーが、16世紀には既にイタリアで
かなりの評判を持つ飲み物となり、

1720年開店のヴェネツィアはサン・マルコ広場のカフェ・フロリアーンが
イタリアで一番古いカフェテリア、
ローマのカフェ・グレーコは1760年開店、という事のみで、ご容赦を。
       


展示されていたコーヒー豆と、豆の寄り分け機。

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コーヒーの木から採集された豆は、水につけられて種を採り出し、乾燥され、
こういった麻の袋に入れられ輸出される訳です。
水につける期間とか乾燥度とか色々読みましたが、数字はパス、聞いて下さるな!

かっての時代は、輸入先がそれぞれの豆の大きさを選抜し、これは焙煎する温度、
時間に関係する大きな問題で、その為に寄り分け機も使ったのですが、
現在は、生産国で既に豆の大きさを揃えて輸出しているそう。
で、カフェインレス・コーヒーにするには、生の豆の時にカフェインを抜くのだそうで。



焙煎機。 これは1950年代に実際にDERSUTで使われていた物で、
薪と炭が動力源で、一度に120Kの豆を、1時間に3度ロースト出来たのだそう。

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これより博物館展示の、各種の興味深い楽しいコーヒー・グッズですが、
その前に・・、

これは博物館入り口に掲示されたDERSUTのマークですが、
後ろ立ちの馬の姿、そして鷲、王冠とあり、1478年。

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これが興味を引きあれこれ調べましたら、DERSUTという少し変わったメーカー名は、
社主の姓ではなく、最初の共同企業者2人の姓の上の部分を取ったものと。

現社主は、カバリッリーニ・ディ・サッソフェッラート・Caballini di Sassoferrato
これが全部姓で、貴族の家系なのだそう。
サイトでは年号が何を意味するのかわからず、メールで訊ねました。

一番最初の写真の手前に写っている女性、大変背の高い素晴らしい美人ですが、
この方が現在の社主の長女で次代社長になられる方、弁護士の肩書をお持ち。
今回はブログ掲載予定の写真を送って見て貰い、掲載OKを頂くという
手順を踏みましたが、質問に快く答えて頂きました。

それによると、一族は元々マルケ州アンコーナ県出身の伯爵家。
トリエステにお住まいでフィアットにお勤めだった先代のヴィンチェンツォ氏・
il conte Vincenzo Caballiniが1949年に、  
その2年前に代理人2人、工員1人で起業したばかりのdersutを買い取り
そのまま名を残し、コネリアーノに引っ越して来たのが始まりだそう。
   
でこの時の工員は、現在の製造担当部責任者(これは傘下企業かも)の
父親にあたるという、会社創業期は日本の企業でも同じ様なお話。

戦中時の代用コーヒーからの脱皮を目指した、企業精神旺盛な良き目の
付け所だったのでしょう、
現在DERSUTは、イタリアのコーヒー・チェーン店のトップだそうで、直営店が77店、
とりわけこの北イタリア一帯では、デルスットのマークを掲げたバールを
数多く見かけますから、大変な普及率でしょう。

で1487の年号は、伯爵家の先祖がこの年に目覚ましい事をした記念、
との事で、コーヒー企業には関係がありませんでしたが、
あれこれ知る事ができ大変興味深かったです。



これより歴史的コーヒー・グッズの展示なのですが、まずは焙煎機2つ。
薪、いや多分石炭でしょうね、を入れる焚口が分かりますか?

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生の豆と焙煎後の豆の違い。大変にプックリと膨れており、見とれるほど。

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イタリアのカフェ・コーヒー豆は、イタリア人のコーヒー好きを反映してか、
有名メーカーがたくさんあり、各家庭でモカ・Moca と呼ぶエスプレッソ器でコーヒーを
入れますので、既に極細に引いた豆が袋入りでスーパーにたくさん並び、
好みのメーカーの好きな銘柄を選ぶ、という状態で、
つまり既にメーカー独特の味、固有のミックス豆、という訳です。

ですから豆の種類でも、ブルマンとかキリマンジャロと云った日本の様な名で
私はまだ見かけた事がなく、そしてインスタント・コーヒーは少ないのです。
が近年、パック型を入れる家庭用のコーヒー・メーカーが流行ってきており、
またカプチーノとかのインスタントは若い人には流行っているのかも。

念の為に申し上げますと、イタリアでカフェ・Caffèというとエスプレッソを指し、
日本流のコーヒーが欲しい方は、カフェ・ルンゴ、またはカフェ・アメリカーノと
言いませんと、こちらのバールでは通じません。
       

       
楽しいカフェ・グッズ、家庭用、いや、お一人様用の焙煎機!

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でもこの写真を見ながら、何をこの小さな焚口で燃やしたのだろうと?!



2階には、歴代のエスプレッソ・マシーンがずらっと展示。
イタリアに旅行されると、バールで必ず見かけるお馴染のものですが、
年代によりあれこれ工夫されたのが、たくさん並びます。

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「エスプレッソ」という言葉は、エキスプレス、つまり特急の意味で、
実際バールで見ていると、上からのハンドルを手前に引き下ろすと、
カフェが小さなカップに抽出されますね。
で、これはお湯ではなく蒸気を通している訳で、かっての古いマシーンだと、
大変な腕力が必要だったと。
       


これはお馴染のコーヒーの豆挽き。 静物画を描いていた当時のモチーフでもあり、
楽しくて、あれこれ覗きこんで眺めました。

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一連のコーヒー沸かし。 理科の実験用具みたいなのから、
大食堂用の大きなものまで!  このまま、モランディの絵になりそうでしょ。

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これは19世紀末にヨーロッパ全土に広がった、いわば最初のエスプレッソ・マシーン。

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真ん中のタンクに入れられたお湯が、炭かベンゾガス・benzo-gas・ってなに?
で温められて上のタンクに上がり、ハンドル操作により下り、粉の入った両脇の
ガラス容器に入り、混じり、コーヒーを煎じたという物。
これはお茶にも使えたという事で、真鍮製でニッケルメッキ、5Lタンク。  



このエレガントなマシーンは、1920年トリノのコンドル・Condorというメーカー製。
中央の円柱部内の仕組みは同じですが、こちらは電気かガスに対応で、     
コーヒー抽出の仕組みは完全に調節され、美味で香りのよいコーヒーだったそう。

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このメーカーが立ち行かなくなったのは、第2次大戦による経済的困難が原因で、
これもやはり真鍮、ニッケルメッキ。



最後にご覧頂く、この威圧的で馬鹿でかいエスプレッソ・マシーンは、
南米アルゼンチンはブエノスアイレスのオメガ・インドゥストゥリアル製。

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1930年製で、この時代に南アメリカにおいてのエスプレッソ・カフェの大普及を
示すものだそうで、技術も進歩し、電気かガス使用で、4つの抽出口、
上の段にはカップが置かれて暖められる仕組みで、最上の状態でエスプレッソが飲めた、
という次第。


このカフェ博物館のサイトは  http://www.dersut.it
下に出るカテゴリ、Museo からご覧いただけます。
右上に、言語選択がありますのでどうぞ。

住所は Via Tiziano Veccellio 6 Conegliano TV  で、
現在はグループ、団体の申し込みにのみ、ガイド付き無料で開館との事で、
申し込みメールは  museodelcaffe@dersut.it に。

単純な気持ちで博物館見物に行ったのですが、既に日常に欠かせぬ飲み物の
コーヒーの歴史をかいま見、如何に美味しく飲むかという工夫が窺われる
大変興味深いものでした。

昨年春やはりコネリアーノの企業、ワイン樽製造のガルベロットを訪問しましたが、
世界一の大変専門的な企業で興味深かったです。 こちらで是非ご覧下さい。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463849891.html      

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・ 初春散歩 ・ 新しい散歩道の探訪を

元旦は、こちら北イタリア、ヴェネト平野は大快晴で、新しいお友達と
新しい散歩道を探訪して来ました。 お昼前の1時間半ほどの道のりでしたが、
かねて聞いていた通りの、素晴らしい眺め!

今日はコネリアーノの町の北西に広がる丘の風景を、
どうぞ皆様もご一緒に、年明けの快晴の陽射しを浴びながらの散歩を
愉しまれるおつもりで、穏やかで甘美な丘の散歩道の様子をご覧下さいね。

コネリアーノから出発してすぐの、ちょっと急な坂道の脇に広がる葡萄畑。

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地図をどうぞ。
散歩道を赤点で記しましたが、コネリアーノ・Coneglianoの町の中心を外れ
少し北に行き、丘の道・Via del Colliから急傾斜の道を上り始めますが、
右折する辺りからは緩やかな上り下りの坂道となり、
      
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一番上に見える十字路で今回は左折し、緩やかな下り道を。
途中のコッラルブリーゴ・Collalbrigo からはかなりの下り坂で、
それ以降はもうコネリアーノ近郊となり、町に戻ります。

ご一緒した新しいお友達というのは日本女性。 私がコネリアーノに住み始めて
20年近く経ちますが、始めて会ったコネリアーノ在住の方で、私より古くからの住人で、
しかも声をかけて頂いたのが、体操に通っている市のプール!
しかもしかもお喋りしていて分かったのが、同じ長野県出身!

一度お茶会を、と予定していたのが急な雪で延期となっていましたが、
元旦にお電話を頂き、大快晴に誘われて散歩に出かけたという訳です。

Mさんとおっしゃいますが、よくこの道を散歩されるそうで、大体2時間程で
もっと長い行程を、つまり早足で歩かれるのでしょうね、
が今回は初心者同伴、しかもカメラを持ちちょいちょい止まる、コンパクトカメラは
スイッチが入り難い、ピント合わせが遅い、と大いに足を引っ張り・・、ははは。
Mさん、ごめんなさい! 
でも楽しく、本当に美しい道を教えて頂きました。 感謝です!



振り返って眺めるコネリアーノのお城。

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コネリアーノ出身の画家チーマ・ダ・コネリアーノは、自分の絵の中に何度も
この城を描き込みましたが・・。
      
n.1 チーマ・ダ・コネリアーノ展 ・ コネリアーノの町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463847804.html

n.2 チーマ・ダ・コネリアーノ展 ・ コネリアーノの町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463848078.html



最初の坂道を上り北に向かう道になると、右にも左にも素晴らしい眺めが広がります。

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向こうの丘の上に見えるのがコッラルブリーゴの教会。 戻りにこの脇を通ります。

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こちらは右、つまり東側に見えるコスタ・Costaの村。

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この村一帯も美しい事で知られますので、またの訪問を。
奥に覗く真っ白な山は、フリウリの高山。



ポプラの列が畑の中、丘の境目に。

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大快晴のお天気ですが、丘の影になる道脇には、真っ白の霜が解けぬまま。

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奥に見える北の境の山の雪も、南面はかなり解けて。
そして、小さな集落。

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小道の奥の家に続く入り口の柵内には、警備員詰め所があり。

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葡萄畑の間を抜けて行く、農家専用の道。

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ワイン醸造の大きな農家があり、プロセッコ販売所の表示。

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奥の十字路から左折し、今度は南に向かう道を。
この道は、通る車がかなりのスピードで! 素敵なカーヴの道でしょう?!

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待春。

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広がる葡萄畑。
剪定がまだの所、すんだ畑、そして新しい葡萄畑。

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通り道にも何軒かの空家の農家を見かけました。
代が途絶えたのか、子孫は町で他の仕事に従事しているのか・・。

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北への境の山、こちら西側にはかなりの雪が見えますが、
畑の色には、春の気配さえ感じますね。

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農家の前に停まった車の上では猫ちゃんたちが遊び、お隣からも別の子が遊びに。
この2人はこの後睨みあっていましたが、仕切り直しに。

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かと思うと、小川に沿った日当りの良い場所では、ワンちゃんが昼寝をむさぼり。

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こうして町の中心に戻りましたが、午後から曇り空となり、
これを書いている2日の午後にはまたお天気に。

明日から、ああ、平常運転。
春休みを楽しみに、ははは、また頑張りましょうね、皆さん!

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