・ ピエロ・デッラ・フランチェスカ ・ 出産のマドンナ

皆さま、ブォン・ナターレ!
キリスト教者でもないのですが、やはり今日はこのご挨拶を。

でクリスマスに因み、この秋トスカーナの小村モンテルキ・Monterchi
で再会した、ピエロ・デッラ・フランチェスカ・Piero della Francesca
が描いたフレスコ画「出産のマドンナ・Madonna del Parto」と、
この一帯に散らばる彼の作品のご紹介をほんの少し。
気ぜわしい暮の一時でしょうが、ご休憩を兼ねてごゆっくり!

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出産のマドンナ・Madonna del Parto・マドンナ・デル・パルト
と呼ばれるフレスコ画は、15世紀前半の画家ピエロ・デッラ・フランチェスカが
自分の母親の生地の教会に
そっとお腹に手を当て、出産を待つ聖母の姿を描いたもので、
1465年頃の作品と考えられています。

     

まずは地図をご覧頂きながら、彼の作品がある土地のご説明を。
左下に見えるアレッツォ・Arezzo は、フィレンツェとローマを結ぶ
大幹線上にあり、行かれた方も多いと思います。

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ここのサン・フランチェスコ教会に、ピエロの素晴らしい大壁画、
「十字架の黄金伝説」の一連の作品があり、この場面は
シバの女王の礼拝シーンで、ドゥオーモにもフレスコ画が残ります。

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そして東にアンギアーリ・Anghiari、
ここはかのレオナルド・ダ・ヴィンチの幻の作品アンギアーリの戦い、
フィレンツェはヴェッキオ宮の500人広間のヴァザーリの壁画の下に
あるかもしれない、と言われる戦いの図の舞台となった町で、

更に東のサンセポルクロ・Sansepolcro、
ここはピエロが生まれ育った町で、ここに家を持ち、亡くなったのも
この町で、市美術館に彼の素晴らしい祭壇画とフレスコ画が収蔵。

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上はキリストの復活 で、手前の茶色の眠っている兵士、
これが彼の自画像であると言われている様子。

そして南にモンテルキ・Monterchi、
ここに今日ご案内の「出産の聖母」がある訳ですが、

       
東に延びている→ の先、ルネッサンスの宮廷文化が花開いた
ウルビーノUrbinoまで僅か70K。
ウルビーノ公フェデリコ・ダ・モンテ・フェルトゥロの宮廷に招かれ、
ウルビーノ公ご夫妻の有名な肖像を描いており、
これは現在、フィレンツェのウッフィツィ美術館の宝の一つですね。

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また公が右手前に描かれた聖母子と聖人たちの素晴らしい祭壇画は、
現在ミラノのブレラ美術館収蔵。

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ウルビーノの美しく素晴らしい宮殿は現在博物館となっていて、
ピエロの作品3点、下の「キリストの鞭打ち」、

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「聖母子」、遠近法や大変理知的な事で有名な「理想の町」も収蔵です。

所で、地図に印を入た、北に見えるカプレーゼ・ミケランジェロ・
Caprese Michelangelo、
ここがかのミケランジェロの生家のある村で、生家は現在博物館で、
なかなか素敵な雰囲気の家でした。


ちなみにサンセポルクロからの距離を計ってみました。
というのも、彼だけではなく当時の芸術家たち、文化人たち、
一般の旅人も皆徒歩旅行だったわけで・・、
モンテルキまで17k  アレッツォは40k  フィレンツェまでは113k

そしてアドリア海沿岸のリミニまで130k
彼はリミニの領主シジスモンド・マラテスタ・Sigismondo Malatesta
にも招かれ、彼の有名なそして素晴らしい肖像も描き、
現在パリのルーヴル美術館にあるそうで、いつか逢いに行きたい作品。

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上の作品群は全て画集とサイトからですが、今回唯一自分で撮った
のがこれ、リミニのマラテスタ廟のフレスコ画です。

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リミニの街、そして絵画作品群、素晴らしい多量のモザイクについては、
また別に纏めたいのでここではこれ1枚を。

ですが、この絵が好きで昔から画集で何度も眺めていたのに、
今回自分の写真でアップも撮ったりし、初めて
彼の後頭部の線が描き直されているのに気がつきました!
見えますか?  またアップでご覧頂きますね。

そして1458~59年には、ピオ2世に招かれてローマに行き、
ローマまで250k、 後にラファエッロがその上に壁画を描き、
消えてしまった法皇の部屋のフレスコ画も描いています。



ルーヴルのシジスモンドの肖像画も見たい作品ですが、もうひとつ見たい
ピエロの作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリーにある「生誕」です。
彼独特の、冷気に満ちた静謐な明るい空気が満ち溢れ、
背景の北方絵画を偲ばせる風景も魅力です。

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ピエロ・デッラ・フランチェスカという名前は、直訳すると
「フランチェスカのピエロ」という意味で、
ヴァザーリの説による母親フランチェスカの名前から来ている、と言い、
これを私めもずっと信じて来ましたが、
今回これは違う事を知りました。 ヴァザーリめ!
       
父親はベネデット・デ・フランチェスキ・Benedetto de'Franceschi
裕福な布商人であり、母親はウンブリアの貴族の出自で、
モンテルキ生まれのロマーナ・ディ・ペリーノ・Romana di Perino.

彼は長男で1406年~1420年の間に誕生、没年は1492年10月12日。
彼の他に4人の男子、そのうちの2人は幼くして亡くなり、妹がひとり。

亡くなった時、ヴァザーリによると86歳だったというので
1406年誕生となりますが、両親の結婚が1413年らしいので、
ヴァザーリの説があやふやという訳ですが、
サンセポルクロのコムーネの建物が火事で焼け、書類がないのだそう。

母親は1459年、父親は1464年が没年で、
この記録から見ると「出産の聖母」は1465年頃の作と言いますから、
彼にとっては、母親の生地に描いた両親への追慕も含まれているかも。

「フランチェスカのピエロ」という呼び名は、彼が亡くなって暫く後に
始まったそうですから、この辺り何を意味するか、不明ですね。

また彼はルネッサンス初期の画家という位置づけになりますが、
奇しくも亡くなった日が、コロンブスのアメリカ発見の日だそうで、
確かめておりませんが、そうですか?
これよりルネッサンスの最盛期始まる、と書いてあるのも。
       

という事で、ほんの少し彼の有名作品をご覧頂きましたが、
今日の主題「出産の聖母」に戻りまして、
       
モンテルキの町の様子をサイトの写真でどうぞ。
私はアンギアーリから出かけましたので約15kの距離で、

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この写真だと、右斜め奥にアンギアーリの町があり、
ぽっこりの小山の上に見えるのがモンテルキの中世の古い小さな町で、
現在聖母の絵が収められている博物館は、
町の小山を向こう側に下った、ちょうど影の位置辺り。

右手前に見える家並が新しい町で、ここに到着の後駐車、
せっせと山の中程左に見える坂道を上り、
これがまぁあなた、半端でない傾斜の道でして、ハァハァと上り、
町の中心にあると思い込んでいた博物館が、道を下った向こうと聞き、
いい加減にしてぇ! と。

後で分かって見ると、小山の右下に見える道を辿り
ぐるっと山を回り込むと博物館の前まで平地を歩ける訳で!
聖母の博物館→ に釣られて急傾斜の坂道を上ったのが恨めしく・・、
       
・・いや、今日はクリスマスでありました。
不敬な言葉は読まなかった事にお願いいたしますです、はい。




これは古い町の中心を通りすぎ、かっての町の門の向こうに見える建物。
ベネデッティーノ派の修道院・教会だったといい、
入り口の門は後に加えられたものだそうですが、中々趣のある建物。

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門を出て坂道を下って来て振り返った所で、
右手前から2つ目の白い建物が、お目当ての博物館。
かっての小学校の建物というのですが、余りにも素っ気なく拍子抜けし、
写真も撮らず・・。

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で、例により後悔反省し、サイトから拝借の博物館とその入り口。
ね、元小学校というには立派な気もしますが味気ないでしょ?!

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ピエロ・デッラ・フランチェスカが、母親の生地の教会に
「出産の聖母」を描いたと言いましたが、後にこの一帯を襲った地震で、
奇跡的にこの壁画のある壁のみを残し教会は崩壊、
壁画はブロックごと新しい教会に移され、墓地の礼拝堂として使われ、
この絵はそのまま忘れ去られた状態に。

そして1889年になりピエロの絵が再発見され、
この傑作の素晴らしさもあって修復され、1917年の地震もやり過ごし、
墓地脇の新しい礼拝堂にあったのですね。

最初に私が下の村外れの墓地の礼拝堂を訪問したのは21年前で、
薄暗い中での対面でしたが、
他のピエロの作品に見るちょっと固い表情の女性達とは違い、
優しいイメージを受けた事、そして、管理のシニョーラのお腹も
大きかった事が印象に残っていました。

その後1992,93年の修復を受けた後、現在の博物館に移された
のですが、当時これはかなりの反響を呼んだ事を覚えています。




が、入り口の印象はさて置き、博物館内部、薄暗い右手の
部屋の空調されたケースに安置された、
奇跡的に生き残った聖母の絵は素晴らしかった!

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聖母の青い衣装と、左手の天使の緑の衣装には
これ程の色の違いは見取れず、もっと融和し、
右の天使の衣装も目立つ事なく、
 
      

何よりも何よりも、若い聖母の出産を待つ穏やかで柔らかな
表情の顔が素晴らしかった!

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静かに、どこかから届く声に耳を澄ますかのような、
まだ少女の様な、若さが匂う肌のなんとも言えない美しさ。
背景の色も穏やかで、静謐な空気が漂い・・。

ただ一つの難を言えば、
右の天使の頬の修復部分の色が飛んでいた事位。



こちらもサイトから拝借の写真で、部屋の中はこういう感じですが、
ケースの中はもっと柔らかい黄色がかった色、とご想像下さい。

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リンクさせて頂いている「風色明媚」の日本画家の二木(ふたつぎ)さんが、
こちらにこの聖母について書いておられます

二木さんの師匠である野村義照画伯が、ピエロの「出産の聖母」を
かって日本画で模写され、このモンテルキの町でも展示された事があり、
その絵の素晴らしさがイタリアでも高く評価され評判となった事は、
良く覚えております。

当時展示に関わられた二木さんと、今こうしてブログ・リンクを
させて頂いている事にも不思議なご縁を感じます。
 
二木さんから、以前の礼拝堂はどうなっているのかとメールを頂き、
そうそう、と博物館に電話をして訊ねましたら、
現在は礼拝堂は閉じられている、との事でした。

やはり保存管理の問題もあり、昔の雰囲気を知る者にとっては
残念ですが、きちんとした博物館に安置されるのが万全なのかもですね。



博物館の開館時間と料金、

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そして、町の中心部の夜景をパンフレットからどうぞ。

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実は絵を見た後、町の中心に戻ろうかと思っていましたら、
可愛い中年後期のフランス人女性に声をかけられ、彼女は片言の英語、
こちらは幾つかの単語英語でのやり取りとなり、
つまりアンギアーリに行きたいのだけどバス便が不便、
私の車に同乗させて貰えないか、と。

以前アレッツォに戻るのに往生した思い出があり、
OK! と言いましたら、後ろから男性も現れ、夫ではなく友達だと。
へいへい、わっしには関係のない事でござんすよ、と
一緒にそのまま戻りましたので、町は見ずじまいに終わりました。

◆ お知らせ ◆

我が絵の師である二木さんが、ご自分の課題とされていた
ピエロ・デッラ・フランチェスカの「出産のマドンナ」
・・彼は「懐妊の聖母」と呼ばれますが、
についての、様々な考察を4回にわたりブログにアップされています。

絵の謎を、技術的な事も分り易く解説された大変素晴らしい内容。
どうぞご訪問され、ご一緒にピエロの絵の面白さ、
奥深さを愉しまれるよう、ご案内申し上げます。


その夜、アンギアーリの宿の窓から、南の空に幾つもの花火が
打ち上げられるのが見え、条件反射的に何枚も写しましたうちから、
一番綺麗に撮れたのと、少しブレましたが、可愛い赤いハートをどうぞ。

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町に行った時、ちょうどなにかのお祭りで、下町が大勢の人出で
賑わっていましたし、方角から考え、モンテルキの町の花火に間違いなく。


こちらは翌朝、夜明けの霧の風景。
南に向かい、ちょうど2列目の丘の向こうにモンテルキの町があり、
昨夜の花火の位置もここで、標高の高いアンギアーリからだと、
この低い空に打ち上げるのが見えたのでした。

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◆*◆

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今日は少し長いご説明になりましたが、
ピエロの描いたウルビーノ公モンテフェルトゥロや、
リミニの狼シジスモンド・マラテスタの事など
ついでにあれこれ読み始めましたら、例により深入り。

彼らの父親、母親、再婚相手、兄弟姉妹、結婚相手、その縁戚・・、
追いかけだすと止まらなくなり、ついつい夜ふかし。
つまりそれほど??!!が大きい訳で、モンテフェルトゥロと
マラテスタ家の深い確執、スフォルツァ家も、マンフレディ家も絡み、
ああ、まさに現実は奇なり!

なかなか秋の旅行先のご案内が出来ないのも、
この辺りまだしっかり消化できていない理由が大きく・・。
年明けを待ちまして、ぼちぼちと。

で書いた後ヴァザーリの「ルネッサンス画人伝」を取り出し読みましたら、
何の事はない、
ピエロが生まれる前に父親が亡くなり、女手一つで育てられ、
それでピエロ・デッラ・フランチェスカと呼ばれた・・、とかあり、
・・・う~ん、絵画に対する評価以外は
講釈師、見て来たような嘘を言い という部分が多いかも!

皆さま、良いクリスマスをお過ごしください!!

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・ ヴェネツィアの、 クリスマス・イルミネーション

つい先日寒い寒いヴェネツィアに行き、グループでの昼の見物の後、
夕方友人3人とサン・マルコ広場まで足をのばしました。

1人でのつもりが、私の予定を聞いた途端に行く行くと言いだし、
灯の点き始めた街を一緒に、ショーウインドウを覗きながら・・。

クリスマスはもうすぐそこ! 日本の様に派手なイルミネーションはありませんが、
独特の晴れやかさが加わりしっくりと美しく、楽しめました。
サン・マルコ広場の夕暮れ風景は、次の機会に見て頂く事にして、
今日はクリスマス用に飾り付けられた通りやお店をどうぞ!
       
こちらは、お昼を食べたバール近くのお菓子屋さん。
綺麗に盛りつけられたチョコレートのセットがいっぱい!

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リアルト橋に向かいますが、人通りがそろそろ多くなる中央郵便局の手前、
通りの上にイルミネーションが輝き始め・・、

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リアルト橋の南のサン・バルトロメオ広場から建物の下をくぐり、カッレ・ビッサ・
Bissa(蛇だったと) を行き、突き当たって右に曲がり・・、
この辺りの通りの名は覚えておらず、ただ何度も通って覚えている道を、
まったくワンちゃん並みに! ははは。

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美しく輝くショウ・ウインドウのあちこちを覗きつつ、せっせとサン・マルコに向かい。



とはいえ、最後の小路の名メルチェリーエ通り・Mercerie・小間物、はしっかり。
サン・マルコ広場に出る前にいつも見えるこの角度、
これを見ると、ああ! と心の中が蕩けはじめ・・、

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なんと、まぁ! 霧が深く、すぐ向かいのサン・ジョルジョ島もまるで見えず。

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4時半前だったでしょうか、広場の街灯がまだ灯されておらず、
待つ間に少しアーケードを歩こうかと・・。
ここは、通って来た道のイルミネーションよりも少し豪華版。

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つい先日のニュースで、店の売り出しが話題のカフェ・クワードリ・Quadri.
ひょっとして、これが最後のツリーとなるかのかも?!

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追記:その後カフェ・クワードリは、パドヴァの「カフェ・ペドロッキ」が
   経営を受け継ぎ、大丈夫、開店しておりますです。 2019.1.18



広場向かいのアーケードからも灯りが溢れ。
カフェ・フロリアーンは、改装中で閉店しておりました。

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小広場側のアーケードのウインドウには、白クマ君。

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アーケードの突き当たりは、大運河に向かい開けます。

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まだやはり灯りがつかず、霧も深く、寒い空気の中、ゴンドラだけゆらゆらと。

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広場にもまだ灯りがつかず・・。

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ああ、漸くに!!

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小広場のカフェ・キオッジャ・Chioggiaの中から生演奏のピアノ曲が聞こえ、
テントの灯りが、なにかほっとした空気。

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灯りの付いたサン・マルコ広場の様子は次にという事で・・!
霧の中に灯りがにじみ、ヴェネツィアの冬の様子も素敵でしたよ、と、
いやらしく、厚かましく、気を持たせ・・、持って下さいませぇ。 はは。
       

 
サン・マルコ広場の西、コッレール博物館の下を抜けサント・ステーファノ広場迄
あちらこちらとウインドウを覗きつつ。
なにせこの通りには高級店が並んでいますからね。

ヴァレンティーノのウインドウにあった、ベージュ色に重ねた薄いひらひら黒レースの
ひざ丈ドレス、値段は? との声に見ましたら、1250エウロ。
ミッレドゥエチェントチンクワンタァ?!と一人が素っ頓狂な声を出し・・、ははは、

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驚くのはまだ早い、すぐ近くのプラダの白いファーの上着35000だったけ?
ああ、こういう値段は頭に残りまへん!!



素晴らしいレースのクラシックなドレス、クリスマス年末馬鹿騒ぎパーティー用かな、
それともカーニヴァル用?

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ちなみに来年のヴェネツィアのカーニヴァルは、2月26日~3月8日、
そして復活祭は4月24日という遅さ。
はい、イタリア旅行をお考えの皆さまのご参考に!



西の突き当たりになるサント・ステーファノ広場迄行き、バールに入り、
熱いココアで一休み。

ここからだとアッカデミア橋を渡って西側をぐるっと通っても駅に行けますが、
我々はリアルト橋に引き返し東側をぐるっと。 すっかり暗くなった空の下、
一段と輝くイルミネーションを見ながらサンタ・ルチーア駅に。

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コネリアーノに戻ったのは8時でしたが、今年の我が町駅前の飾りつけは、
丸い形に作られた小電球のみ。
予算削減なのか少しみすぼらしく・・、あああ。
             
◆*◆

ブログご訪問、有難うございます!
この辺りはまた雨になっていて、クリスマス・イヴも本番も予想では雨との事。
北の山奥は、きっとまた雪がどっさりの事でしょう!
       
今年の暑い夏にヴェネツィアに来てくれた友人の写真を送るのに、
印刷する紙を探しに今日は3時間近くをあっちにこっちに、3コムーネにまたがり、
スーパー5軒と何でも雑貨店1軒を走り回り、
挙句に見つかったのは余り上等でなく、小さな寸法のみ!

以前パソコンを買い、インキや紙を買いに行っていた店は夏以降閉店していて、
そうなるとまさにお手上げで、こういう所がイタリアの田舎の不便な所。
が、明日朝もう一度再挑戦し、年内になんとかね。 はは。

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・ ヴェッキオ橋 ・ フィレンツェ 

連日の厳しい冷え込みで、少しでも暖かい空気の景色が欲しく、何にしようか・・、

という事で、フィレンツェのヴェッキオ橋・ポンテ・ヴェッキオ・Ponte Vecchio
を探し出しましたのでご覧下さいね。

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昨年9月末のフィレンツェの、まだまだ暑かった日のミケランジェロ広場からですが、
今こうして寒い日に見ると、・・ああ、懐かしい! そして、本当に美しい眺めですね。
そう、ルネッサンスの花の都のシンボルの一つであり、
世界にも有名な橋のうちの1本ですものね。



ヴェッキオ橋は現在、立ち並ぶ金細工や宝石店で有名ですが、もひとつ有名な
ヴァザーリの回廊・Corridoio Vasarianoが、橋の店の上を通っています。
       
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写真に見えるヴェッキオ橋の2階部に等間隔に続く窓がそれで、
アルノ河畔の右(北側)を手前に曲がり、ウッフィツィ美術館のアーチの手前で
建物に入り込んでいますね。 見物を望みながらもまだ未訪問なのですが、
あれこれ読んだ事も含めてのご案内を。 ごゆっくり!

というのも、「ポンテ・ヴェッキオ・古い橋」という名に恥じず、
なかなか興味深い事があれこれ出てきましたのです。

ヴェッキオ橋は既にご存知の通り、ヴェッキオ・vecchio・古い、という言葉通り、
フィレンツェの街のほぼ真ん中、アルノ河にかかる4本の橋の内、
東から2本目の、一番古い橋なのですね。

このヴェッキオ橋のかかる位置は、古代には人々が徒歩で渡っていた場所、
つまりアルノ河が一番細く浅瀬の位置なのだそう。
古くにはローマ期に既に木の橋が架けられた様ですが、何度も洪水で流され、
1170年頃には5つのアーチを持つ石橋が。

これもほぼ100年ごとの洪水で打撃を受け、1333年の大洪水では、遂に壊滅。
アルノ河沿いの道の整備が済んだ後再度着工し、1345年に現在の
3つのアーチの橋が完成という訳です。

タッデオ・ガッディ・Taddeo Gaddiの作とも、ネーリ・ディ・フィオラヴァンテ・
Neri di Fioravanteとも言われますが、

この低い3つのアーチというのが、建築史上でも重要なのだそうで、
ローマ期からの半円アーチのモデルだと、この長さの橋には幾つものアーチが必要、
または傾斜した橋、そして幅の狭い橋となる訳で、

この高さと橋上の広さの関係が1:6というのは、西洋においてローマ期の
モデルを越えた最初の橋なのだそう。

橋からたくさんの小部屋が木の杭をつっかえにして張り出していて、これもこの橋の
特徴ある眺めですが、こちらにも歴史があるのを知りましたので、後ほど。



こちらはアルノ河から街中にちょっと戻りまして、
左がヴェッキオ宮で右がウッフィツィ美術館、間のニンナ通り・Ninnaを渡る廊下、
これがヴェッキオ宮からアルノ河の南にあるピッティ宮を繋ぐ「ヴァザーリの回廊」
の始まり部分です。

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ご存知の様に、ヴェッキオ宮は13世紀末から14世紀初頭に建設され、
フィレンツェの街の政治中枢部として使われ、
最初は先日ご紹介の、現在のメディチ・リッカルディ宮に住んでいたメディチ家が
後にここを改装拡張して住居としたのですね。

そして、1550年頃にはピッティ宮に住まいを移しますが、
居住のピッティ宮からアルノ河を渡り、政治の場のヴェッキオ宮に人目に触れる事なく、
しかも安全に移動できるように考えられて作られたのが、
このジョルジョ・ヴァザーリ・Giorgio Vasari考案の廊下なのです。
       
既にフィレンツェ共和国の政治体制はほぼ1世紀前に終結を迎えた、とはいえ、
まだメディチ家が君主として民衆に圧倒的に支持されていたわけではないらしい、
という事が憶測できます。 

で1565年に僅か5ヶ月で建設されたもので、発注者はトスカーナ大公コジモ1世、
ちょうど息子のフランチェスコがオーストリアのジョヴァンナと結婚するのを機に
建設されたのだそう。

n.1 フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461595223.html

n.2 フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461595718.html

という事で、このヴェッキオ宮からまずウッフィツィ美術館に渡り・・、



最上階を通り抜け、U字型になったウッフィツィ宮の右翼から、最初の写真で見えた
角の廊下部に出ます。

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蛇足ながら、イタリア語のウッフィツィはオフィス、事務所の複数形で、
つまりかってメディチ家の事務所だった訳で、
       
この辺り皆さんも想像力を働かせて、メディチ大公家の一員となり、
実際にヴァザーリの回廊を通るおつもりで、お楽しみ下さいね!

上の写真はウッフィツィ美術館がアルノ河に接するアーチの部分で、
手前のベージュ色、右側の柱廊の上を回廊が通っている事になりますが、



下がその柱廊部分で、つまりこの幅で上に回廊があるという訳。

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橋にかかる部分、貴金属店の脇に、かっての馬やロバの駐車場跡の輪が残っており。

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ではヴェッキオ橋を渡りますが、振り向くとあのドゥオーモの丸天井がドーンと。
右の店の2階部分が、橋の角を曲がった回廊。

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橋のちょうど中央部分は左右共に店が途切れ、見晴らしの良い場所に。

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上が東の上流部分、下が西の下流方面で、西側にはフィレンツェの金銀細工で
歴史に残るベンヴェヌート・チェッリーニ・Benvenuto Cellini(1500ー1571)の像。



橋の上に立ち並ぶ店の建物群にも、やはり歴史が刻まれます。

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橋が出来たのは上記の通り1345年ですが、1442年にこの橋上に屠殺業者の店が
集められ、というのも、屠殺のくずや汚れ、荷車での運搬など各種衛生上の
問題もあったのを、橋の上だと即流せる、という理由からで、

こうして橋の上に屠殺業者が建物を作り所有する、少しでも広くする為に橋から
つっかえを出して張り出す、といった状態が約150年間続きます。

ええ、現在のあの優雅な金銀細工の店々の元は、ああた、肉屋さんだったのでして、
でも今は観光客がひき肉にされている訳で、まぁ似たような物だと言えない事も
ありませんですが、ははは。

で、場所の悪臭と、あまり上品でない業種が遂に1593年、フェルディナンド1世により
立ち退きを命じられ、代わりに現在の貴金属店となったという訳です。



こちらが西に見える1本下流のサンタ・トリニータ橋・S.Trinita、
とても美しいエレガントな橋。

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ヴェッキオ橋から眺めた美しい夕暮れの様子は、今も目に残ります。
アルノ河の様子をまた見て頂きたいと思います。

フィレンツェ ・ 黄昏から夜に
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463018008.html



逆にサンタ・トリニータ橋から眺めたヴェッキオ橋。

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橋の真ん中の3連アーチの上、ヴァザーリの回廊に開けられた3つの大きな窓、
これは当然、ルネッサンス期の小さな丸窓ではなく、

1939年、アドルフ・ヒットラーがムッソリーニとの連盟の為にイタリアに来た際
フィレンツェを訪れ、彼ら一行の眺望の為にムッソリーニが作らせたのだそう。

この回廊からのアルノの眺めは、いたく彼らのお気に召し、これが、ドイツ軍が
フィレンツェからの引き上げの際に、街の他の橋は皆例の如く破壊されたものの、
ヴェッキオ橋だけが橋の南部分に損傷を受けただけで、無事残った遠因かもと、
つまり、軍内部からの通報があったのだそうで。



再度橋上に戻りまして、南に向かいます。
こんな風に塔がにょきっと見え、回廊部分が張り出し膨らんでいますが・・、

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南から見るとこんな有様! これが有名なマンネッリの塔・Torre di Mannelliで、
かっては橋の両側両脇にひとつづつあった4つの監視の塔の、現在唯一残る塔ですが、

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マンネッリ塔の持ち主、マンネッリ家は古い家柄で、代々武器を持つ仕事に携わり、
どうやら大変気も強かった様子で、 ヴァザーリの回廊が当初この塔を打ち壊し
真っ直ぐ進む計画を、当時の当主マッテオが素っ気なく断り訴訟となり、
遂にコジモ1世が折れ、こうして塔をぐるっと回る次第に!

これは事情を知ると大変に可笑しい回り道ですよね。
そして右に切れる大きなアーチは、バルディ通り・via de'Bardiを飛び越えるアーチで、



バルディ通りの野菜、果物店を一枚。

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そしてバルディ通りを飛び越した回廊は、工事中で写真が無いのが残念ですが、
別のもう一つの塔を、今度は突き抜けるのですね。

この塔の名はオブリアーキの塔・Torre degli Obriachi、銀行業でぼろ儲け、
ダンテにも神曲の中に悪口を書かれ、のちヴェネツィアに逃れ象牙細工で有名な
エンブリアーキ家(オブリアーキ・ウブリアーキ)が持ち主だったのですが、
ここはすんなり通りぬけに同意。

オブリアーキ家(エンブリアーキ)については、cucciolaさんがこちらに。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/765054.html



オブリアーキの塔を突き抜け、サンタ・フェリーチタ教会・Chiesa di Santa Felicita
前に出てきた所です。

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回廊はこの教会の真前、というか教会内部に接して通り、2階部分のテラス席には
厳重な格子戸で仕切られた部分があり、ここからミサに参列する事も出来たという・・。

で、この後回廊は通りの裏道を抜け、ボーボリ庭園のグロッタの辺りに出て、
こうしてピッティ宮に無事到着という次第です。
長いお散歩、ご苦労様でした!!

そうそう、肝心な事を書き忘れる所でした。
このヴァザーリの回廊は、現在ウッフィツィ美術館収蔵作品の肖像画、
そして17~18世紀のデッサンの展示がされていて、ガイド付き見学ができるのですが、

定時ではないので、あれこれの詳細はこちらでお調べを。
https://www.florence.net/galleria-degli-uffizi/corridoio-vasariano.asp



で、我々は夕闇せまるヴェッキオ橋に再度戻りましょうか、

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優雅な品が揃う金銀細工の店を覗き・・、

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黄昏迫る上流を眺め・・、

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最後はやはり、サンタ・トリニータ橋からのヴェッキオ橋の夜の眺めをどうぞ!

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いつも橋を眺めてばかりですが、読んで見ると大変興味深い面白い事が色々分かり、
かいつまんでご説明をと思ったものの、歴史の長い街の、古い橋の由来、
楽しんで頂けたように願います。


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・ ドロミーティ ・ 山の村のクリスマス市・シロール 

12月も半ば、店も街も飾りつけられ、クリスマスに向かっていよいよ盛り上がって
来ていますが、13日の聖女ルチーア・Santa Luciaの祭日を期に、
クリスマス用のメルカートがあちこちで開かれます。

この辺りだとヴェローナが大変有名ですが、ヴェネツィアでもパドヴァでも
べッルーノでも、そして小さな町でも屋台店がたくさん立ち並び、
メルカティーノ・ナタリーツィエ・Mercatino Natalizie・クリスマス市で賑わいます。

ちょうど昨年13日、ドロミーティはシロール・Sirorのクリスマス市に出かけたので、
その時の様子をご覧下さいね。
       
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ドロミーティの麓にある小さな村、シロールの夏の様子は既にご覧頂いていますが、
素朴な村の冬のお祭りもなかなかの味わいでした。
息子2人夫婦組と総勢5人、フィエラ・ディ・プリミエーロでお昼を食べ、
ゆっくりとシロールの村に向かい道を辿ります。



4時頃でしたが、冬の冷え込む田舎道には既に夕闇が迫り、道脇にお馬君を見かけ
立ち止まりましたら、人恋しそうに向こうから近寄って来て、

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傍で見ると、体毛がかなり密集しているのが分かり、やはり冬対策なのかも。
後ろに見える村はトルナディーコの村。



村の入り口の畑の脇には羊さん達。 子供が1匹跳ねて遊んでいましたが、
大人たちはじっと固まって。

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村のハム・ソーセージ店。 冬の寒い時は、中の灯りがとても美しく見え。

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市にも屋台を出していて、味見をした息子達が美味しいといい、
帰る前に寄り少し買い込みました。



そろそろ市に人が集まり賑わい始めますが、これはトッローネ・Torroneと呼ぶ、
ヌガー作りの最中。

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アーモンドの粉に蜂蜜や卵白を混ぜて焼いた物で、そう、いささか歯にひっつく、
固いやつで、暗くなってまた通りましたら、こんな大きなのが出来ていて。



夏の村の様子を見て頂くと違いが良く分かると思うのですが、閉っていた倉庫や
納屋も開かれ店となり、家々も飾りつけられ屋台がたち並び、とても賑やか。

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やはり暗くなった方が灯りの効果が増し、美しくなりますね。

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写真左下、道脇に寄せられた雪のかたまり、お気づきですか?
そう、来る途中の道でもたくさん。



屋台店に並ぶクリスマス・ツリー用の飾りも、街の店とは違い素朴な可愛いのが並び。

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大きな馬2頭が引く馬車も登場、お客を乗せ、シャンシャンと鈴の音を響かせ
村内を一周します。

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立ちあがる湯気、そして匂いに釣られ、香りの良い熱い赤ワインのブルレ・Brlèや、
リンゴのフリット・揚げ菓子、別にも揚げ菓子、熱いスープ、などなど、
あちこちでちょっぴりづつ味わいます。

家々も飾りつけられ、村の中心広場の泉にも冬の飾り。
       
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この泉、夏見た時は少し茶色になっていましたが、クリスマスの市に合わせ
せっせと磨いていたそうで、すっかり白くなっておりました。

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色々な手仕事の店開きもあるのですが、やはり木彫が多く、
ずらっと並ぶ彫刻刀を見るだけで嬉しくなり・・、

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この方は、こんな形をあれこれ組んでツリーに仕立てる様子。



こちらは母子像を彫っていましたが、なかなかの彫り師でしたよ。

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村の教会の鐘楼。 そう、まだ午後5時20分。

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子供達向けには、小さな舞台で人形の語り劇があり、
 
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小さなバンドがクリスマスの曲を演奏し、

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ザンポーネ・Zamponeを吹いて歩くシニョーレもいて、

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こんな様子で村の市は更けて行きますが、一回りして楽しんだ後我々は家路に。
駐車していたフィエラ迄の2.5k程、凍える夜道を歩いて戻りますが、
       


殆ど街灯の無い暗い田舎道を、何年もこの村に通っている息子達は間違えることなく、
平気ですが、やはり慣れないと一人歩きは迷いそうで怖いかも。

で、見かけたこのプレゼーピオ・presepio.  お家の前庭にありましたが、
ティロルらしい山の人の衣装をつけ、ウシ君も覗きこまず横に寝そべり・・、
ははは、可愛い!

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ナポリの歳末風景 ・ プレゼーピオ、そして下町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462598189.html

イタリアの、クリスマス・イルミネーションは(グロリオーザさん) 
     

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・ スコミーゴ村 ・ 冬の夕暮れ

夕暮れ時、ふと気がつくと素晴らしい空の色になっていて、
大急ぎでカメラを持ち出す事が時々あります。

枚数が少ないのでついそのままになりがちですが、その内の何枚かをどうぞ!

こんな色が見れるのは大概冬の間で、雲があると、時に素晴らしいドラマにも。
写真は全て、隣のオリアーノ村の丘の稜線が舞台です。

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リンクさせて頂いてる「イタリア・とりわけヴェネツィア」のペーシェクルードさんが、
何年か前の夕陽特集の時に教えて下さったとても素敵な詩を、
次に再掲載させて頂きますね。

夕ぐれの時はよい時。
かぎりなくやさしいひと時。 

それは季節にかかはらぬ、
冬なれば暖炉のかたはら、
夏なれば大樹の木かげ、
それはいつも神秘に満ち、
それはいつも人の心を誘ふ、
それは人の心が、
ときに、しばしば、
静寂を愛することを、
知っているもののやうに、
小声にささやき、
小声にかたる……

夕ぐれの時はよい時。
かぎりなくやさしいひと時。 

若さににほう人々の為めには、
それは愛撫に満ちたひと時、
それはやさしさに溢れたひと時、
それは希望でいっぱいなひと時、
また青春の夢とほく
失ひはてた人々の為めには、
それはやさしい思ひ出のひと時、
それは過ぎ去った夢の酩酊、
それは今日の心には痛いけれど
しかも全く忘れかねた
その上(かみ)の日のなつかしい移り香。

夕ぐれの時はよい時。
かぎりなくやさしいひと時。
  
夕ぐれのこの憂鬱は何所から来るのだらうか?
だれもそれを知らぬ!
(おお! だれが何を知っているものか?)
それは夜とともに密度を増し、
人をより強き夢幻へみちびく……

夕ぐれの時はよい時。
かぎりなくやさしいひと時。 

夕くれ時、
自然は人に安息をすすめるやうだ。
風は落ち、
ものの響きは絶え、
人は花の呼吸をきき得るやうな気がする、
今まで風にゆられていた草の葉も
たちまち静まりかへり、
小鳥は翼の間に頭をうづめる……

夕ぐれの時はよい時。
かぎりなくやさしいひと時。
      ・・ 堀口大学

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イタリアの夕陽 ・ あちこち
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463097646.html


◆*◆
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明日は朝8時過ぎの列車でヴェネツィアにグループで出かけ、
サンタ・マリーア・デル・オルト教会とカ・ドーロが見物予定ですが、
カ・ドーロは残念ながら写真禁止なのです。
でもせっかくなので、出来たら少し居残り、夕暮れのヴェネツィアを写したいと
思っていますが、さてお天気がどうなりますか・・。

所で先回最後に、誕生日なのでしっかり応援クリック願います、と
書きましたら、凄い! いつもの何倍も押して頂きました!
有難うございました!!
  
ですが、・・という事は、まだ余力があるという事かしらん?!
う~む、毎週誕生日があると良いのになぁ!  ははは。

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・ メディチ・リッカルディ宮 ・ フィレンツェ

フィレンツェのメディチ・リッカルディ宮・Palazzo Medici Riccardiに、ご案内を。

フィレンツェに君臨し、ルネッサンスの花の都と呼ばれる程に街を造り上げた
メディチ家の約100年間に渡る住居だった建物で、
内部のベノッツォ・ゴッツオーリ・Benozzo Gozzoliの描いた華麗なフレスコ画の
礼拝堂で有名ですから、訪問された方も多い事でしょう。

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写真は市内周遊観光バスからの眺めで、足元が見えずすみませんです。
1階部分は堅固なイメージを与える切り石積みで、手前のアーチ内部に三角形の
屋根が見えますが(右の通りに面しての側も)
ここは以前通り抜けになっていたのをミケランジェロが窓にしたのだそう。
       
建物角にメディチ家の6つ玉の有名な紋章が見えますが、メディチ・リッカルディ宮
という名が示すように、メディチ家は政変により何度か街からの追放があり、戻り、
という事で、建物自体も何度もの略奪の変遷を経ており、

1532年にアレッサンドロがフィレンツェ公となったのち暗殺されますが、
その後は黒旗のジョヴァンニの息子に、という具合に遂に世襲の君主になり、

後のトスカーナ大公フェルディナンド2世・Ferdinando IIの時代になり、
彼の忠臣でもあり大銀行家でもあったガブリエッロ・リッカルディ・
Gabriello Riccardiが1659年に買ったという由来に寄ります。


 
2階3階と上部に行くにつれ、石組みの様子がすべらかになり、窓も大きくなり、
貴族の住居のイメージも十分に。

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道が狭いのと建物が大きいので、到底1枚の写真には収まりません。



地図をどうぞ。 メディチ家礼拝堂、そしてサン・ロレンツォ聖堂・San Lorenzo前広場、
この辺りたくさんの屋台店が並びますが、その角からすぐに屋敷があり、
入り口は一筋東に行って曲がったヴィア・カヴール・Via Cavourに。

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ちょっと図が分かり難いかもですが、表側の建物が2つの中庭に分かれ繋がっていて、
手前側の大きめの四角の方と奥庭部分が、
1444年から1452年にかけコジモ・ディ・メディチ・Cosimo de'Mediciが
ミケロッツォ・Micherozzoに建設させた部分で、
奥の中庭を抱えた部分は、リッカルディ家が買い取った後の建て増し部分という事です。
       


これはサン・ロレンツォ広場の南東角にあるジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレ・
Giovanni delle Bande Nere・黒旗のジョヴァンニ、トスカーナ大公コジモ1世の
父親の像ですが、

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奥に見える角のいかつい石組みと緑、ここがメディチ・リッカルディ宮の裏庭と建物で、
あの間の通りを抜けると、最初にご覧頂いた表側の角に出ます。

サン・ロレンツォ聖堂とカヴール通りの先にあるサン・マルコ教会は共にメディチ家の
菩提寺扱いであり、この一郭はメディチ区域とでも。



サン・ロレンツォ広場から抜ける道に続く1階部分の重厚な壁。

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右端に座っている人物が見えますが、壁に沿って石のベンチが続いているのですね。
と、それぞれの石に小穴が掘り込まれているのが分かりますか?

これは設計建設のミケロッツォ自身が石の適性を見分け、OKの物に印をつけた名残だそう。
この館は、コジモ・デ・メディチが政敵から専横という事でフィレンツェを追放され
ヴェネツィアに逃れ、10年後民衆の歓呼に迎えられて街に戻り建設をしたもの。

最初は、ドゥオーモのあのクーポラと内部、そして街のあちこちに作品が残るブルネレスキ・
Brunelleschiに依頼したものの余りにも壮麗華美である事から、民衆の妬みを考慮し、
一般的で地味なミケロッツォに依頼したという逸話があり、
確かに、厳しく地味ながらお金はかかっている、という感じですね。

現在の建物は県庁が使っており、入り口には警官がいて、入り口は?と聞く前に、
向こうから先に英語で教えてくれました。



これは入り口の階段を上ってすぐにあるメディチ家の私的礼拝堂・Cappella dei Magi
に1459年に描かれた、華麗なべノッツォ・ゴッツォーリのフレスコ画の一部。

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3面の壁面全体にびっしりと描きこまれた素晴らしい物ですが、写真禁止でサイトから。       
真ん中の白馬の美男貴公子が一応ロレンツォ・イル・マニーフィコ・偉大なロレンツォ、
という事になっていますが、他の肖像画で見るひしゃげた鼻のロレンツォも左2列目に描かれ、
   
左側白馬、赤い帽子がロレンツォの父のピエロ・痛風病みのピエロで、
その左の茶色のロバの、白髪がロレンツォの祖父コジモという・・。



1階にハイテク利用の部屋があり、ここで描かれた人物が誰であるかが分かる様に
なっていて、下段の中央の赤い帽子が画家本人と言う事。
       
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礼拝堂の後は、建物内の見物が出来ます。

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ロレンツォ・イル・マニーフィコの時代には、既に家業の銀行業が傾き始めてはいたものの
ルネッサンスの最盛期、この家にはプラトン派の学者や芸術家たちが集い、
メディチ家がパトロンとなって集めた芸術品をめぐり、ヨーロッパ初の芸術アカデミーの
様相を呈していた様子。

が、上に書きましたように、1492年のロレンツォの死後サボナローラの扇動により、
またロレンツォの子のピエロのフランス王に対する失態により、
怒った民衆より略奪を受け、街からの追放、そして財産没収も。

ロレンツォの次男で、枢機卿から教皇レオーネ10世となったジョヴァンニが盛り返すものの、
それに続く従兄の、クレメンテ7世となったジューリオの引き起こしたローマ略奪の惨事で、
メディチ家一族はまたもや街から追放され、屋敷の略奪、

と言う訳で、後のリッカルディ家による大きな改装で、現在残るのは当初とはまるで
別物と言いますが、こういった部屋が見れます。



こちらは、鏡の間・Galleria degli Specchiと呼ばれる1685年のロココ様式で、
天井画はナポリ出身のルーカ・ジョルダーノ・Luca Giordano.

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鏡の中にも絵が描かれていて、これはちょっと面白い趣向でした。



フィリッポ・リッピ・Filippo Lippiの素晴らしく美しい聖母子像。

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色の美しさは到底写真では! 確か写真禁止で、大急ぎで隙を狙って写し・・。
ゴッツォーリのフレスコ画と、この聖母子を見るだけでも、メディチ・リッカルディ宮
訪問の意味があろうというもの! 



時々の催しが変わるようですが、この時は、メディチ家の劇場というタイトルで、
木製モデルが幾つか展示で、当時の劇場の仕掛けが彷彿とされ、興味深かく。

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これはリッカルディ家の新築部分の中庭、簡素ですっきり。
窓の下に装飾が描かれ。

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下に降り、メディチ家部分の中庭。 この写真はサイトから。

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中央の像を横から見ましたら、犬が双頭になっていて・・、

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そこを通りすぎると、奥庭。

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鉢植えがあり緑もあるのですが、広さの割に周囲の壁が高く、私には少し落ち着けず。     



美人の像がある、と思ってファインダーを覗くと、なんと、向こうもこちらを見ていて・・、
石像と目が合うというのは、初めての経験の様な!

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メディチ家がフィレンツェに及ぼしたその影響の大きさは、計り知れないものがあり、
この屋敷にしても、その歴史にまるで触れずには通れず、かといって詳細を知っている
訳でもありませんで、そんな理由から、フィレンツェのご案内は本当に難しい!
不足部分はご容赦願います。

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・ フィレンツェ ・ ジョットの鐘楼より 

今日はルネッサンスの花の都はフィレンツェの、ジョットの鐘楼からの眺めを
じっくりお楽しみ下さいね。
写真は昨年9月の末ですが、ご一緒にゆっくりと鐘楼に上るおつもりで、

フィレンツェの輝く秋の青空の下、ドゥオーモの丸天井、花の都の俯瞰をどうぞ!

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こちらはもう皆さん良くご存知の三点セット、
左手前から洗礼堂、そしてドゥオーモの正面、右に並んで鐘楼、間にドゥオーモの
丸天井が覗きます。 

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ジョットの鐘楼・Campanile di Giottoと呼ばれる通り、設計はジョット(1266頃-1337)
の晩年の仕事で、1334年にドゥオーモ、即ちサンタ・マリーア・デル・フィオーレ聖堂・
Santa Mria del Fiore・花のサンタ・マリーア聖堂と、鐘楼建設の長になります。

先代の長はアルノルフォ・ディ・カンビオ・Alnolfo di Cambio.
鐘楼の基礎掘り工事は既に1298年に始まっていたそうで、ジョットーは1337年に
亡くなりますから、実際に関わった期間は短いのですが、彼の名が冠され残ります。

彼の設計によると、塔の天辺には約30mの高さの尖った屋根が造られる筈でしたが
実現せずで、現在の高さは84,7m。
彼はこの仕事で年間100フィオッリーニを受けたとの事。 さて現在の金額にして如何ほど?

ジョットーが亡くなった時には鐘楼の一階部が出来上がっており、彼の後を
アンドレア・ピサーノ・Andrea Pisano が引き継ぎ、当時既に問題になっていた
建築上の欠陥部である、下部の部屋、そして階段の問題も巧みに解決。

ペスト災害による中断の後、1359年フランチェスコ・ターレンティ・Francesco Talenti
により完成、ドゥオーモの完成よりも100年早かったという事。

この鐘楼は常の教会の鐘楼の位置とちょっと違って、教会正面横に並ぶ形ですが、
建設当初から、勿論教会内陣部分に大クーポラ設置が決まっており、
その視覚効果を邪魔しないようにこの位置にしたのだろうとの事。 流石!
 
       

こちらは上の写真にも見えますが、塔の1階部分、4面に2段に嵌め込まれている
意匠彫刻で、アンドレア・ピサーノの作と伝えられますが、現在のはコピーで、
本物は大聖堂博物館に。

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職業を現わすのもたくさんあり興味深く、あれこれたくさん写していますが、
これは塔の西面の、左がエヴァの誕生 そして右は祖先の仕事。
エヴァの誕生の左にアダムの誕生があるようですが、写してなかった!



では、上りましょうか。 一番上までは414段! 展望できる窓が3階分あります。
はぁ、はぁ、とまず辿り着いた最初の窓の階。

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この高さで、右からヴェッキオ宮の塔、真ん中がバディア・フィオレンティーノ修道院の塔・
Badia Fiorentino、一番左がバルジェッロ宮・Il Bargelloの塔。

一番手前にもニョキッと背の高い塔の家が見えますが、

中世フィレンツェの有名な塔の家については、こちらに。
n.1 ルネッサンスの都に、中世を探して
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463022763.html

n.2 ルネッサンスの都に、中世を探して
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463022941.html



塔の内部はこんな様子で、

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ドゥオーモがこう見えます。

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ジョットの鐘楼に上がろうか、ドゥオーモのクーポラか、と一瞬考えたのですが、
クーポラに上がるとドゥオーモ自体は見えなくなる訳で・・。
次回のチャンスには、クーポラにね、勿論!



これは鐘楼横のドゥオーモの正面壁の端と、左に洗礼堂上部。
まさに細部の細部まで!
真ん中にぴょこんと見えるクーポラは、メディチ家礼拝堂の丸天井。

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まだまだ上らないといけません!

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真ん中の展望の窓から。 ドゥオーモのクーポラの高さが、少し下に。

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漸くに、これは一番上の3連窓から。 丸天井とほぼ並ぶ高さにまで上って来ました。

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サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会の正面と鐘楼がこんな風に。

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遂に最上階の塔の上に! 低い屋根があり、その周囲を回りながら展望できます。
ドゥオーモに写る鐘楼の影。 はい、既に夕方近い長い影です。
クーポラの上に、見物の人々の姿がまだたくさんに。

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鐘楼の西部からの眺め、左にサンタ・マリーア・ノヴェッラ教会・S.M.Novella、
その右奥にフィレンツェの国鉄駅。

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真ん中に、メディチ家礼拝堂・Cappelle Mediceeと、右手前に延びるのが
サン・ロレンツォ聖堂・San Lorenzoで、回廊も見えますね。



こちらは北部分。 左下手前角の薄茶色の大きな建物はメディチ・リッカルディ宮・
Medici Riccardi、現在は警察署でしたっけ、でも見物はOKで、

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華麗な建物内部とべノッツォ・ゴッツォーリ・Venozzo Gozzoliの描いた、
礼拝堂の煌びやかなフレスコ画が見られます。

同じ通りを辿りますと、右奥に見える教会の正面は・・、



こちら、サン・マルコ教会・San Marco。 15世紀後半のフィレンツェの人々に、
悔い改めるように呼びかけて大波紋を起こしたサヴォナローラ・Savonarolaが
いた教会修道院、

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そしてフラ・アンジェリコ・Fra Angelicoの描いた有名な「受胎告知」をはじめとする
一連の美しいフレスコ画があります。

写真右下に切れる辺りに、ミケランジェロのダヴィデ像のあるアッカデミア美術館。



南に向かい、今日最初の眺めと同じ方向ですが、グンと上から。

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左奥に白く見えるのが、サンタ・クローチェ教会・Santa Croce.

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アルノ河の向こう、街の東南高台に見える、サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂・
San Miniato al Monteと、左下に広がるミケランジェロ広場。

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サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂 ・ フィレンツェ



ヴェッキオ宮・Palazzo Vecchio のアップを。

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奥に繋がって見えるのが、ウッフィーツィ美術館・Gli Uffiziで、
中の細長い広場を挟み建物はU字型になっていて、ヴェッキオ宮の右隣に見える
ロッジャ・Loggiaの上の白いテント、あそこがウッフィツィ美術館のカッフェです。

n.1 フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461595223.html

n.2 フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461595718.html



最後にもう一度、鐘楼の影の映るドゥオーモのクーポラを!

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ルネッサンスの花の都フィレンツェ。 その象徴とも言えるこのドゥオーモのクーポラ。
そして今も、なんと魅惑に満ち満ちている街。
そしてそして、見きれていないもののなんと多い街!

こうして写真を見直すと、またすぐ出かけたくなって・・。
    
フィレンツェ関連の記事はこちらに

高上がり大好き人間ですから、塔があり時間があれば上りますが、
まだヴァティカンの上には上っていないのです。
早く上りに行かないと無理になるかも、と心配です!

ヨーロッパで一番高い鐘楼のあるクレモナの街のご案内は
クレモナ ・ ストラディヴァリの典雅な街
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464088423.html

◆*◆

ブログご訪問、有難うございます!
蟻とキリギリスのお話では、せっせと働いた蟻さんは寒い冬が来てもぬくぬくと丈夫ですが、
夏中遊んでいたキリギリスは、たちまちに困って・・、
というあのお話ですが、

コンドミニオ1階の我が家のテラスのテントには、秋口から毎年バッタ君が幾つも留まり、
冬を越します。 いや、本当の真冬になると見かけませんが、今頃は
色々な大きさのが日光浴をしていて、大きいのは身長が6~7cm、胴体も大変太く。

大小いる、というのは冬を越して何年も生きている訳で、バッタ君が越冬するとは
考えた事もなかったので、これを最初に見た時は驚きでした。

春先には、またテントに停まっているのを見ますから、テントを巻きあげるは要注意で。
少し晴れ間が出たら、写真を撮りお目にかけますね。

*****

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・ スコミーゴ村周辺 ・ 冬だより 第1弾

毎月第1日曜には、ヴェネツィア・メストレまでお墓の花替えに出かけますので、
この5日も例の如くに。

有難い事に前日の天気予報通りに、午前中は晴れ間が覗くお天気で、
ひょっとしてとカメラを持って出かけました。

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家を出るとすぐ葡萄畑の間の道になるのですが、連日の雨と冷え込みで、
北に見える山々はかなり下まで白くなっており、寒そうな色。

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朝の冷え込みに、葡萄畑にも霜と薄氷!

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ヴィットリオ・ヴェネト南から高速に入りますが、ヴェネト平野の北の端から
ヴェネツィアに行くまでの道程、50km程度でしょうか、
お天気が随分違うのをいつも実感します。

トゥレヴィーゾ辺りで雨の帯に出会う事がよくあり、豪雨になったり、
霧も深くなったり・・。 そしてメストレは、冬はいつも大変な冷え込み。
       

花を取り替え、大体はすぐに戻って来ますが、今回はヴィットリオ・ヴェネト南で
高速を降り、スコミーゴ村の東隣のコッレウンベルト村に。

何度かご覧頂いたこの長~い一直線の坂道の並木も、殆ど裸木に。
奥に見えるオリアーノの丘の高さをご覧下さい!

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間にスコミーゴ村がありますが、少し北に位置し、これには見えません。



2,3年前初めて気がついた葡萄畑の奥の牛舎、ここのは小さいですが、
村の中にもっと大きな牛舎が2軒ほどあります。

目いっぱいの望遠で写しましたが、真ん中でウシ君もこちらを見てますねぇ。

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落ち葉も雨に打たれ、つぶれて敷き詰めています。

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今度はスコミーゴ村の端をつっ切り、西のオリアーノ村に。
教会の裏から見える、丘の重なる素敵な場所をどうぞ!

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コネリアーノの町との間に広がる眺めですが、殆どいつも逆光になり、
色が出にくくとても残念。

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オリアーノとスコミーゴの間に広がる葡萄畑、起伏する畝。
       
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お天気が回復すると始まるであろう、年末から年明けにかけての
剪定作業を待ちます。
     


フォルメニーガ・Formenigaの村の教会。 クリスマスも近づきますが、
素敵な雰囲気の場所でしょう?! 見る度に一度行こうと思いつつ。

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◆*◆

ブログご訪問、有難うございます!
この冬はかなり厳しくなる気がしていますが、まぁ元気を出して参りましょう!

デジタルTVへの移行、デコーダー接続のご報告を。
このアナログ人間が、地上デジタル放送に対応OKや否や?

あのですね、・・この3日間試しつつ上手く行かず、はは、
遂に今日のお昼ご飯の後、政府の無料案内に電話しました。
というのも、画面に、何の情報もありません、ヴィデオのサポートがされていません、
と出るので、3日間まだアナログ放送を見ていたのですが、

今日のお昼にはそれもプチっと切れて見れなくなり、遂に電話したという訳です。
この手の人間がわんさか文句を言って来るのに、我慢しながら一つ一つ対応
しているであろう、お気の毒な優しい係の女性が言うには、
     
接続は上手く行っている様ですが、放送局の切り替え自体が段階的であり、
もう1度チューナー調整をして24時間待って、それでもダメならテクニコを
派遣しますから、とにかくもう24時間待ってみて下さい、との事。

ふうむ、そういう事かと電話の後、試しにもう1度チューナー調整をして見ると、
またも番組数が増えていて、所々映ってちゃんと見れる番組もあるではないですかぁ!
おお、おお!!
イタリア国営放送RAIの幾つかも映るし、映らなくとも声は聞こえるのですよ。
ニュースも他の局のはちゃんと見れると分かったし、とにかく待てばなんとかなりそう! 
と分かって、安堵した事をここにご報告致しますです。

火事と人の災難は大きい方が楽しい、とお待ち下さった皆さま、
残念でございましたぁ! なんとか移行できたようでございま~す。

今時は絶対に機械類の方が賢い! と言う事をも再確認した、
アナログ人間shinkaiでした。
今夜はずっと新番組発見に浸りそうな予感。
xxxGAY とか言うのも見つけたものね! ひひ。

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・ n.2 アルボルノス要塞 ・ スポレート

引き続き今日もウンブリアはスポレートのアルボルノス要塞のご案内をご覧下さい。
写真は、先回書いた要塞へのエスカレーターがちょっと写っているのを探しました。

手前左に写る古い壁は、ローマ期の野外闘技場・Anfi Teatroで、
その先の市壁内に見えるグレイのかまぼこ型がそうです。

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実際には乗らなかったのでこれしか書けませんが、このエスカレーターの横に
大駐車場があり、そこから次々と繋がり要塞の下迄行き、要塞内部に上がれる
エレベーターに連絡している様子。

要塞の塔は角々に計6塔ありますが、こちら側真ん中に見える一番太い・
Torre Maestra・主塔と呼ばれる塔の中に、
今日ご案内する素晴らしいフレスコ画があります。 ではどうぞ!



このフレスコ画は、先回ご紹介の広い展示室にあった物で、サンタ・マリーア・
インテル・アンジェロス修道院・S.Maria inter Angelosの13世紀後半の物 
と説明にあり、
なぜご紹介をと言うと、この磔刑図に描かれた人物は、キリストと聖母、
そして聖フランチェスコと聖女キアーラと書いてあるのです。

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嘆く聖母と右に聖フランチェスコ、これは分かりますよね。 で女性2人の内、
どちらが聖キアーラなのか・・? もう1人は?

いずれにしても、様々な聖人が磔刑図に描かれていますが、
聖フランチェスコと聖女キアーラが一緒に、というのが珍しく、ここに。
どなたか、どちらの女性かどうかご存知でしたら、お教え下さい。



ここからの部屋は要塞の南側に繋がる展示室何室かで、テンペラ画や彩色木像
などもあり、部屋の装飾フレスコ画もなかなか興味深かったのですが、

こちらは、ちょっとドキッとして眺めたもので、FINISCE TUTTO, FINISCE.・
フィニーシェ・トゥット、フィニーシェ・全ては終わる、終わる。 と。

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いわば今生世界に於いて最高位に上りつめた教皇様のお部屋の1つに
書き込まれていた文字なので。
とはいえ・・、まぁ、見せる為に、という事も多いにある訳でして。 ははは。
       


中でも大変美しい装飾の1つがこの部屋。 優雅でしょう?!

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中に描かれている紋章はピオ2世・Pio II(1458~1464在位)の出身
ピッコローミニ家の物と思われ、トスカーナの理想の町ピエンツァを造った方で、
十字軍遠征を夢見て、アンコーナで船出前に亡くなった方でした。

同じピッコローミニ家出身、ピオ2世の甥に当たるピオ3世が後1503年9月に
教皇に選出されますが 僅か27日間の在位で潰瘍で亡くなっており、
ええ、毒を盛られた、という見方もある様で、こういうお話は何かワクワクしません?
       
この後に続くのが、かの有名なジューリオ2世・Giulio II、負けず嫌いの毒舌家、
ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の天井画を描かせ、ラファエッロにも
ヴェティカン宮殿の装飾をさせた方で、はは、続けざまに脱線転覆、失礼!

花のピエンツァ点描 ・ 再訪できた喜び!
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461453714.html



テンペラ画の素晴らしいのも幾つかあり、フォリーニョの画家ラッルンノ・
L'Alunno・弟子 というあだ名のNicolò de Liberatoreの1475年頃の作品。

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大変美しい祭壇画で、と共に、この衣装の柄に目が留まりました。
上の写真の天井装飾の花と同じではないでしょうか?
この花には、何か意味があるのでしょうか?
どなたか、花の名前をご存知でしたらお教え下さい。



素朴な彩色木像の聖母で、膝の辺りの感じから、左手には赤ちゃんキリストが
抱かれていたのでしょう。 ちょっと珍しい柄布の被り物で、
この縞柄はユダヤ人の縞だったと。 

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窓から谷を越えて繋がる水道橋が見えました。 

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修復なのか、3年前の春には既に閉じられていて渡れませんでした。
それ以前の1,2年前に行った息子夫婦から渡った際の写真を見せられ、
実際に谷の向こうに行きたかったのに、・・クヤチかった!



厚い壁に切り込まれた窓、青空の下のアーチが映ります。

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この広い部屋は2つの中庭の真ん中にかかる棟の2階で、これは南を向いていて、
こちら手前、つまり北側に主塔に接する入り口、写真に見える窓のある位置で、
そこから入ると・・、

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ピンタの部屋・Camera Pintaと呼ばれる美しいフレスコ画の部屋。
これを見て頂きたかったのです!

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部屋は真ん中に両方からアーチが張り出し2部屋に分けられ、多分入り口部は
城主や領主の個人の書斎として使われ、奥部分が寝室だったろうという事で、
ここが城主の居住部分でした。
そして描かれたフレスコ画のテーマも違うのですね。
      
まず最初の部屋、書斎の全体の様子をどうぞ。 右下が大広間に接する入り口。

正面右寄りに見える細い壁切り込み部分を、覚えておいて下さいね。



大きく2層に分かれて描かれているお話は、まだどの話に根拠するものかは
確定されていないそうですが、ご覧の様に中世の騎士の冒険談です。

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下段の真ん中は、騎士たちの騎乗試合で、桟敷席では貴婦人貴人達が見物、
子供達は走りまわっていますね。



上段部左側から、楽人達が笛を吹き、若い男女が花咲く野で踊り、

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若い騎士が泉の傍で休んでおり、愛馬も水を飲みに近寄り、奥の森には鹿も見え、
右では、どうやら騎士のいなくなったのを一族が心配し、訊ね探している様子。

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この場面が理解しにくいのですが、先と同じ泉の様で、騎士の持つ剣は刃こぼれし、
が、死んでいるのではなさそう。もう一人騎士がやって来ますが、彼も抜き身で、       

39-642_GF.jpg       



こちらは、部屋入り口の上段で、お話はこちらに続く様子。
左から貴婦人が騎乗で通りかかり、先ほどの騎士2人が戦っていて、

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右の場面では、最初の騎士と同じ衣装のが左から2番目と思われ、城に入って行く
最初の人物の頭には王冠が見えます。
      
というと、彼は王の騎士となり、お城に住むようになる、立身出世した、
というお話かと推測を。
    
案外上段左端の花咲く野での舞踏場面がお城の中のお話で、これに続くのかも。



こちらは下段の一番右端で、奥の暗い中には悪魔が身構え、
騎乗の2人は恐ろしさに震え、お馬ちゃんまで進むのを躊躇っている様な目で。
中世の絵に時々見る、こんな馬の目はいつも可愛くて笑えます。 

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こちらは、手前の部屋から奥に入る部分のアーチの片側で、花咲く野に座り、
乙女が花輪を作りつつもの想いに。 奥の部屋への素敵な導入部でしょう?            
       
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窓の覆いを通して光がこぼれる逆光の薄暗い部屋で、正面のフレスコ画は
こんな感じに残っていますが、こちらは宮廷の愛の物語のお部屋。

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仕切りの内側、アーチの左と右。 これがとても綺麗でしょう?!

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左右から若い男女が呼びかわし、玉投げで遊んでいる様な。



正面真ん中はこの様に、真ん中では魚を獲っていますが、
左の夢見心地の恋する若者に天使が何か指図をしているようにも見え、

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右端には、



そう、天使が見事乙女の胸に愛の矢を。

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乙女がすがりつく年長の夫人の手には鷹が留まり、左手には獲物の小鳥。
野には花が咲き、奥の森の描写も美しく、如何にも牧歌的な中世の愛のシーン。



こちらは左手の壁に残る、泉の水浴場面。 若い女性7,8名が肌も露わに水浴し、

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お堅そうな中年男性がお説教している場面かも。

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一番左端の美しい女性。

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これら騎士の冒険談と宮廷の愛の物語のフレスコ画は、当時この要塞の城主であり
スポレートの治世官でもあったマリーノ・トマチェッリ・Marino Tomacelliが
住んでいた期間の1392~1416年に描かれたものだそうで、
テルニの画家ドルミーティオ・Dormitioの工房作で、泉の水浴場面は
1450年代の無名の画家だそう。

当時の城主だったというマリーノ・トマチェッリなる人物ですが、
トマチェッリ家はナポリの古い名門貴族で、1389年に203代の教皇位に就いた
ボニファーチョ9世・Bonifacio IXの俗名はピエトロ・トマチェッリ・Pietro Tomacelli.
つまり一族の間柄で、この土地を預かっていた事になります。

先回ちょっと書いた様に”美しき”ルクレツィア・ボルジャ・Lucrezia Borgiaも
父の教皇アレッサンドロ6世から、執政官の名目でこの要塞に1499年に送り込まれ、
3年間の滞在を。
彼女の2番目の夫アルフォンソ・ダラゴーナ・Alfonso d'Aragonaから遠ざけられ、
兄のチェーザレによる夫の殺害ののち、フェッラーラのアルフォンソ・デステ・
Alfonso d'Esteとの3度目の結婚の間の時期に当たります。

彼女がここに来た時未だ19歳の若さだったと知り、この部屋の愛の場面を見て、
彼女はどの様な切ない想いを抱いたろう、と。  熱い吐息が聞こえそうでしょう?



で、まるでルクレツィアとは違う無粋なshinkaiが、熱い吐息の後に
お見せするのはです、ははは、

最初の部屋に見えた壁の切り込みの奥、これです、トイレ!

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見た途端にピンと来て入り込み、薄暗い中でシャッターを押し、少々ブレましたがご容赦。
ルクレツィアのみならず、何人かの法皇様もお使いになったであろう、
由緒ある、歴史に残るトイレでありますぞ。



中の棟から見下ろす貴人の中庭。

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出てきた所で、結婚式記念の写真を撮るカップルに出会いました。
カメラマン2名にヴィデオ係1名の豪華版でして、アウグーリ!

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見れた物にすっかり満足し、要塞からの坂道をのんびりと街に向かいます。

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堅固な要塞とばかり思っていた内部で見た物は、意外にも優雅な時代絵巻にも
似た中世の愛の物語でしたが、

古い絵が好きなのは、少々描くテクニックが稚拙でも何かを物語り、
ゆっくりとこちらもその絵の中で遊べるからなのです。
物語を辿り、あ、こんな事をしてる、こんな風に遊んでる、と楽しめます。

スポレートにお出かけの際は、是非この要塞にも時間をお割き下さいね!!


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・ n.1 アルボルノス要塞 ・ スポレート

早くも12月! そう聞くだけでも何か心せわしなくなりますが、 ・・と言いつつ、
いつも世間とかけ離れたブログ内容で、ひと時をごゆっくりお寛ぎくださいね。
今日のご案内は、ウンブリアはスポレート・Spoletoの一番高所に位置する
アルボルノス要塞・Rocca Alborzianaを。

要塞というと、何やら中世の暗い遺跡遺物を想像されると思いますが、
この要塞は堅固ながらも、教皇さまや貴人たちの快適な住居空間をも考慮して
造られた物で、優雅なフレスコ画で飾られた部屋もあるという物。

写真は3年前の春に行った時の国鉄駅前からの物で、右中程にドゥオーモと
その鐘楼が見え、この秋は修復中で、一番上に威容を誇るのがこの要塞。

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歩くとかなりの距離になりますが、町内巡回バスもあり、今年からエスカレーターも
動き出したようなので、また後ほどその様子を。



3年前のスポレート訪問では、要塞のこの最初の門はくぐったものの、
時間外で中は見物できず心残りでした。

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その後cucciolaさんの「ルネッサンスのセレブたち」で要塞に名を冠されている
アルボルノス・Albornozなる人物像を知り、尚の事興味が増し、見物のチャンスを
待っていましたが、この秋漸くに内部と充実した博物館を見る事が出来た次第。

cucciolaさんのアルボルノスの記事はこちらに。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/764917.html
       


親切丁寧な説明、良く分かる押しつけがましい程のたくさんの写真、あはは、が
モットーの当ブログでは、やはりしっかりご案内したく、撮った写真を大幅に
省いたものの、それでもかなりの数になったので、モットーに従いつつ、まだ言ってる、
2回に分けてご覧頂こうと思います。 お覚悟願いま~す!
 
写真は2つ目の門。      

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2つ目の門をくぐり、角を曲がると長い坂道に続く塀越しに角ばった要塞が見えます。

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こちらは坂道から振り返った門の辺り。 彼らはドイツからの学生グループらしく、
ドイツ語での丁寧な説明を受けておりました。



一旦建物の中を通りすぎ、要塞の外側に出て、中程に見える入り口から入ります。

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要塞の造りが良く分かる写真がガイドブックにありましたので、ご覧下さい。
最初の門は左下に切れており、右下角の2番目の門を潜り、長い坂道に。

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一番奥上まで上り、塔の下あたりを潜り抜け、上の写真、一旦要塞外に出て
入り口に。 この写真で言うと、一番上辺東側に入り口です。

全体が長方形で、2つの中庭があり、下の広い内庭が、軍中庭・
Cortile delle Armi、上に見える屋根のロッジャに囲まれたのが、貴人用中庭・
Cortile d'Onoreで、 こちらが居住、治世関係部門に。



で現在は要塞の建物訪問と、内部の国立スポレート公国博物館見物との
2種の料金、時間割に仕分けられていて、
要塞の建物だけだと、月曜も11時~17:45迄オープン
博物館も要塞もは、火曜~日曜 9~17:45時まで、
料金も少しお高くなるという、細かく行き届いた配慮。

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14世紀に出来た要塞の歴史については後にし、
国立スポレート公国博物館の「スポレート公国」という言葉ですが、
何度かどこかで行き会いながら今迄疑問に思わず、今回漸くに検索。

6世紀に北からドイツ系民族のロンゴバルド族がイタリアに侵入、東ローマ帝国が
ペルシャとの戦いで手が回らない隙をついてローマ以外殆ど南イタリアに
至るまでを占領、568年にロンゴバルド王国(首都パヴィア)を建国。

その元で570年にスポレートを首都としたスポレート公国・Ducato di Spoleto
が建国されたのだそうで、現在のウンブリア、マルケ、ラツィオ、アブルッツォ州の
一部または全部、が含まれる範囲。
ロンゴバルド王国は最終的に774年にカール大帝により崩壊しますが、
スポレート公国の名は生き残り、教皇領に吸収されつつ1198年まで存続。
       
という由緒ある古い名前なのですが、4世紀から15世紀にかけての
地域コレクションの博物館という事でこの名が冠された様ですが、
やはり土地の人にとっては誇りの名前なのかも。
       


こちらがコルティーレ・ドノーレ、かってに貴人の内庭と名付けますが、
漸くに見れたなぁという感慨と共に、その美しさを愛でます。

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大きな六角形の天水井戸があり、この重層したアーチの柱廊は教皇ニコロ5世・
Nicolo`V(1447~1455在位)がベルナルド・ロッセリーノ・Bernardo Rossellino 
に建設させたものだそう。

法王庁のお抱え建設家であったベルナルド・ロッセリーニは、教皇ピオ2世・Pio IIの、
トスカーナの理想の町ピエンツァ・Pienzaの設計建設で有名ですが、調べましたら、
教皇ピオ2世(1458~1464在位)は、ニコロ5世の次々代、つまり僅か3年後に
即位の教皇様という事で納得です。



1階部のフレスコ画は殆ど無いのですが、この教皇冠の入った紋章が残っており、
調べると、パオロ2世(1464~1471在位)のもので、つまりピオ2世の次の教皇様。

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2つの内庭は、真ん中の棟の下をくぐる半円天井のアーチで繋がり、
この空間も優雅な装飾と法皇冠紋章のフレスコ画で埋まっていますが、
鷲の姿の入ったのは、どうやらグレゴリオ13世のものと。

11-1-528_GF.jpg



何枚かあった当時の町の姿、これがスポレートでしょうか。

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こちらがコルティーレ・デッレ・アルミ・軍兵用とでも。 
貴人用とは趣が違い、如何にも要塞仕立てですが、最初に要塞が造られた時は、
どちらの内庭もこの様子だったろうと。

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ほんの少しこの要塞の成り立ちをご説明すると、11年の歳月をかけて
出来上がったのが1370年で、建設はグッビオ出身の天才建築家ガッタポーネ・
Gattaponeと呼ばれるマッテーオ・ディ・ジョヴァネッロ・Matteo di Giovanello.

当時はフランスのアヴィニョンに1309年から教皇庁があり、教皇位にあったのは
インノチェンツォ6世・Innocenzo VIで、法皇不在のイタリアの教皇領平穏安定の為に
送り込まれたのが、スペイン人枢機卿アルボルノスだったのですね。

アルボルノス枢機卿の名のついた要塞は数多くあり、このスポレートのが大きく、
その美しさでも有名ですが、他にナルニ・Narniにもあり、同じ様な四角い形ですが、
内庭が一つの小さい物で、ここも外からのみの見物を。

オルヴィエート、そしてエミーリア・ロマーニャのフォルリンポーポリ・
Forlimpopoli にも大きなのがあるようです。
ウルビーノにもドゥカーレ宮と向かい合う高台にありますが、
こちらは外壁のみが残る、少し残念な遺跡です。

単に要塞としての存在だけでなく、暫く後にアヴィニョンから教皇庁はローマに
戻って来ましたから、治世の領主、はたまた法皇の滞在にも大いに使われ、
1499年から3年間は公国領主として、かのルクレツィア・ボルジャ・
Lucrezia Borgiaの滞在も。
その使われた筈の部屋には素晴らしい壁画があり、それは次回にと! はは。

が時代が下り17世紀になると、次第に下の街中の邸宅での生活が快適とされ
要塞は放置されるようになり、1860年からはこの要塞も監獄として使用され、
1984年まで!続いたのだそう。
そして漸くに長い修復期間が終わり、2007年から現在の要塞公園、
博物館の発足に至ったという次第。

アヴィニョンの教皇庁宮殿についてはこちらに。
       


1階の中庭左側建物部分と2階が博物館展示室で、1階部には古代ローマ期の
素晴らしい発掘品がたくさん展示ですが、ここではこの美しいトンボ玉のみを。 

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貴人の内庭の端にある階段を上がり、2階の柱廊に。
       
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ご覧の様に2階部の壁にはたくさんのフレスコ画が残り、
描き込まれた紋章から、教皇の出身家が分かります。



全面ほぼ埋まっている壁なので到底全部はご紹介できませんが、
この赤と黄の斜め縞は16世紀のサン・ピオ5世、225代教皇。

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蜂3匹の可愛いのはウルバーノ8世、バルベリーニ家出身235代教皇、
といった追跡が出来ます。

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歴代教皇のリストは、こちらに。
https://it.wikipedia.org/wiki/Lista_dei_papi



紋章抜きのここでは異質な僧の肖像、静かにこちらを見つめますが、
どなたかな、黒い僧服なので聖ドメニコか、頭に傷がある様にも見えるので、
それだと殉教者サン・ピエトロですね。

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息抜きに、要塞からの街の眺めをどうぞ!
実際に撮って来た写真を順に眺めて気が付くのは、びっしりの展示品で見疲れし、
無意識の内に一息入れたくなるのか、時々窓からの風景が混じっていて、ははは。
すぐ下に見えるドゥオーモの鐘楼が修復で覆われているので、その部分は外しまして、

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写真中央に見える鐘楼は、サン・グレゴーリオ・マッジョーレ教会・San Gregorio
Maggioreで、その手前広場はガリバルディ広場・Piazza Garibard.

右下に城壁が膨らんで見える場所、現在は建物が立ち並び、2重の壁が
通路のように見えますが、ここが2世紀頃のローマ期の野外闘技場・Anfi Teatro
の遺跡跡で、野良猫ちゃん達の棲み家になり果てておりました。

現在この手前の写真が切れている辺りから、要塞へのエスカレーターが動いていて、
右側の真ん中に見える橋を渡り、広い並木道を北に真っ直ぐ行くと国鉄駅に。


       
上の写真より東の郊外にあるこの由緒ある姿は、サン・ポンツィアーノ教会修道院・
San Ponziano、12~13世紀の建設で、サン・ポンツィアーノはスポレートの
守護聖人との事で、次回のチャンスには訪問したい場所です。

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因みに脇を通る自動車道は、かってのフラミーニア街道・Flaminia、
ローマ期の3大街道の一つで、ローマからウンブリアを抜けアドリア海沿岸のファーノ・
Fanoに出てリミニ・Riminiに至る道でした。



ドゥオーモよりも西側の街の広がり部分、端正な古い家並が見えます。

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要塞入り口側の2階にある大広間の展示室ではフレスコ画の展示や柱頭、
石碑類の素晴らしいのが見れました。

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7世紀の2頭のライオン像。 説明には protomi di leoniとあるのですが、
protomiで調べると、元はギリシャ語で胸像と。 納得。

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これは惚れ惚れとためつすがめつ眺めた碑。 肝心の説明文の写真が大ボケで、
どこの何か分からないのですが、横並びの大きな碑とご想像下さい。

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多分7~8世紀頃の物と思うのですが、(間違っていたらごめんなさい)
全体のプロポーションより細部に拘った丁寧な彫りで、殉教聖人のお話を伝えます。

ブックショップもあったのですが品揃えが少なく、この博物館自体のカタログもなく
不満でしたし、町でも上手く見つけられずに終わってしまいました。


という所で、アルボルノス要塞 その1 を終わり、
次回に、フレスコ画の素晴らしいお部屋をご案内致しますね。 お楽しみに!


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