・ n.2 イタリア中部紀行 2010年秋

元気で旅を続けています!
28日現在、マルケ州のグラダーラ・Gradara という
「イタリアの一番美しい村々」にも選ばれている、小さな中世の城壁に
囲まれた町に2日目ですが、

まずは先回最後にご紹介したサン・レオ・San Leoの断崖の上の
要塞とそこからの村の景色、
海の遠望、そして小さな広場の夜景をどうぞ。


◆サン・レオ
ご案内した様に、この村の海抜は589m、要塞は639mの高さにあり
内部も見物できます。
 
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堅固さが必須だった要塞も勢力範囲の拡大に飲み込まれると、
その特異性が薄れ、近代には監獄として使われたとの事。

18世紀にこの城塞監獄に、カリオスト伯爵・Conte Cagliosto
と名乗る稀代のペテン師が収監された事で有名なのですが、
このお話はまたのご紹介で。




海を遠望する写真の右端、山上に広がる街がサン・マリーノ。
夜になると風が強く、窓の鎧戸がギシギシと、
高所にある村の冬の寒さを思いました!

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◆サン・マリーノ
グーグルのマップではこの近道の地図が出たのですが、実際の車の
トムトムは、一旦リミニへの広い道に出てそこから山道を登り、
1時間弱で到着。

2-2.san leo - san marino.JPG



町のとっつきの駐車場に入れ、歩いて中心広場に。

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結婚式の写真を撮るカップルを写していましたら、
カメラマンが一緒に入れ、と私のカメラで記念撮影を。
はぁ、まぁ、お目にかけない方が宜しいかと・・、ははは。

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サン・マリーノの海抜は700mを越し、3つある内の一番高い要塞は
739mとか。せっせと高上がりして、素晴らしい眺望を楽しみました。

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◆グラダーラ
遅い昼食の後、一旦高速に入りグラダーラ・Gradaraに。
 
3.san marino - gradara.JPG      



宿に荷を置き、夕暮れ近い町の中心をあちこちと。
考えていたよりもずっと小さく、整備され過ぎている感じですが、
今日はお城の中も見て来ました。

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修復されたとはいえ興味深い部分がたくさんあるのに、
やはり写真禁止で、いささかがっくり。
ガイドブックをあれこれ買いましたので、またご案内を。
       
という事で、明日はいよいよウルビーノ・Urbino に!
ではまた、御機嫌よう!!


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・ n.1  イタリア中部紀行 2010年秋

今日から暫くの間、イタリア中部紀行 2010年秋 として
この24日から出かけている旅の宿からお届けを。

と、恰好は良いのですが、用意してインターネット接続キーの
なんとなんと遅い事!!
カタツムリの歩みにも似て、途中で停まる事も大ありで・・、

なので写真はその町につき1枚だけに絞り、
また戻ってから詳しく、とさせて頂きますが、
その一枚も上手く行くだろうか、とこれをサン・レオ・San Leo の
宿で書きつつ気にかかりますが、まずはやってみましょう!


◆地図  1
今回行く予定の各町に印をつけました。
四角く囲った所が宿泊予定の町で、これを書いている26日現在
サン・レオに昨夕到着、2日目。

0.2010 autunno - コピー.JPG

家から24日の朝出発、イーモラ・Imola 経由でラヴェンナに。
ラヴェンナ・Ravennaで1泊し、サン・レオに、という経過です。



◆イーモラまで
我が家から近いヴィットリオ・ヴェネト南から高速に乗り、
イーモラまで243K 2時間20分の行程。
この数字は全てグーグルの地図の計算で、まぁ大体これ位と。

1.vittorioveneto - Imola.JPG



イーモラではスフォルツア家の要塞を眺めつつ、土・日のみの開館で
内部は見れず、要塞の威容を愛でながら、

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友人が日本から運んできてくれた新米で、その朝炊いて握って持参した
むっちりのおにぎりを!
こんなにむっちりの新米の美味しさ、何年ぶりの事!!

町の中心部はフェッラーラやファエンツァを思わせる、エミーリア・ロマーニャ
の趣が強く、かってのここの領主であったカテリーナ・スフォルツァ、
その息子のジョヴァンニ・ダッレ・バンデ・ネーレの名前を冠した通りや
広場があり、彼らの生きた往時を偲びました。



◆ラヴェンナまで  
地図のAとB、出発と到着が逆になってますが、
イーモラからラヴェンナまでは44k 37分。
トムトムで大変正確にホテル前に到着でき、大いに満足。

1-2 imola - ravenna.JPG


この夜はまだ残っていたおにぎりや、家から持参のイモサラや果物、
大雨になった夕方に出かけて買い込んだワインで賑やかに!

翌日私にとっては25年ぶり、友人には初めての聖堂モザイク巡りを
午後半ばまで堪能!やはりやはり素晴らしく美しく、

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初めてのサン・アポリナーレ・イン・クラッセのモザイクも見て、
予てよりの念願だったサン・レオに向かいました。
      


◆サン・レオまで
地図上では、ラヴェンナ・サン・レオ間 80k 1時間半、
所がなんのなんの、E45と呼ばれる準高速を出た途端に
物凄い九十九折りの上り下りの連続で・・!

2-1.ravenna - san leo.JPG



サン・マリーノを目にしつつ、またひとしきりの山道を往き、
遠くにピッと飛び出した岩山の上に何か城館らしき物が見えた途端、
あっ、あれではないか! と武者震い。

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写真は、いよいよ最後の行程にかかる橋の手前からですがぁ、
この後も皆さん、凄~い上り坂でした!!

でもまぁ、今これを書いているという事は無事に到着している証拠で、
昨夜はホテルというよりオステリーアの美味いレストランで、
土地のチーズのあれこれの盛り合わせを賞味、大満足。

フォッサ・fossa というどぶ付けのチーズや、胡桃の葉に包んで
熟成させたチーズなどなど、
海抜589m(要塞は693m)の岩山の上の古い小村を愉しんでいます。


今夜もう1泊して、明日はサン・マリーノを経由して少し南に
グラダーラ・Gradara というこれも中世からの古い城壁の町に。
ダンテも神曲に書いている「パオロとフランチェスカ」の
悲恋物語のあった有名な城があり、楽しみです。


という所で、今回はまずこれで!
コメントを頂いてもお返事が遅くなるかもしれませんが、
ご容赦お願いいたします。   

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・ 時計塔探訪 ・ ヴェネツィア、サンマルコ広場 

ヴェネツィアのご案内が続きますが、今日はサン・マルコ広場にある時計塔を。

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塔の内部から機械の仕掛けを見つつ一番上のテラスに上がり、時を打つムーア人2人、
そして塔の上から広場を眺める、というコースに参加したので、ご覧頂きますね。

上は古い写真ですが、サン・マルコ広場の海からの眺め、
正面一番奥に時計塔が見えますが、あれに上ります!



時計塔は、かってのヴェネツィア共和国の政治の中心であったサン・マルコ広場から、
商業の中心であったリアルト橋界隈を結ぶメルチェリーア通り・Mercerieの
入り口に位置し、

塔の一番下がメルチェリーア通りのアーチで、その上に青地に金の美しい星座表と
ローマ数字の大時計があり、

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その上に前面に半円張り出しテラスを持った聖母子像、そしてヴェネツィア共和国と
その守護神聖マルコのシンボルの有翼のライオン、
一番上に大きな鐘とそれを打つ2人のムーア人像、という構成。

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お気づきでしょうか、ヴェネツィア共和国シンボルのライオン像が、
聖母子像よりも上にあるのですね。

ヴェネツィア共和国は自国の政治に教会権力の介入を嫌い、以前はヴェネツィアの
ドゥオーモであったサン・ピエトロ教会は本島の一番東の端っこに置かれ、
サン・マルコ聖堂はドージェの私的礼拝堂という格付けで、
現在の様にヴェネツィアのドゥオーモとなったのは、共和国崩壊後の事なのですね。

時計塔の建設は1493年に始まり3年後に完成、当時のドージェは
アゴスティーノ・バルバリーゴ・Agostino Barbarigo、74代目ドージェ・Doge
・総督に当たり1486~1501年の任。

白い美しい髭で有名な彼の肖像は、ムラーノ島の教会サン・ピエトロ・マールティレの
ジョヴァンニ・ベッリーニの絵の中に聖マルコや聖母子と共に描かれていて、
こちらでご紹介を。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463330379.html
       
大変裕福な家の生まれで、この時計塔や幾つもの教会の建設、サン・マルコ聖堂の床の
大理石モザイクへの張替、キプロス島併合、そう、キプロス女王であった
カテリーナ・コルナーロのヴェネツィアへの帰還を迎えたドージェだったのですね。

対トルコ、フランス戦略等など大奮闘の働きが知られていますが、今回、以前購入の
ドージェ・I DOGI Claudio Rendina 著 を読んで意外な事を。

彼の前ドージュはマルコ・バルバリーゴ・Marco Barbarigo、
アゴスティーノの兄に当たり、こちらはドージェになり僅か1年で死亡。余りに短い任で
死亡因についても憶測がある様ですが、記録にも余り残っていない人物との事。

アゴスティーノはドージェになった当初、その振る舞い、見栄え、働き振りから称賛を
受けたものの、次第に栄華を誇り退廃を囁かれるようになり、遂に没後に
査問会が開かれるとでるわでるわ、
権力を利用しての金銭受け取り、親類縁者への良き計らい、密輸等、
凄いのは近隣国マントヴァやリミニの君主との機密漏洩の談合も。

ですが結果は証拠が無い、という事で今に至るもドゥカーレ宮のドージェの肖像群より
外される事なく、と。
       
ヴェネツィアのドージェは一種のシンボルで、彼に実権が渡る事はない、等と
今迄知らされておりましたが、政治的な決定権は持たないにしろ
一国の君主の立場にあれば、美味しい話も裏も色々なのだ、
と改めて世間を知った想いです、ははは。

カテリーナ・コルナーロについては
       
       

この時計塔への入場見物、そしてドゥカーレ宮の秘密の行程は一般公開は無く、
予約での申し込みです。

こちらがドゥカーレ宮の秘密の行程
http://www.museiciviciveneziani.it/frame.asp?pid=595&z=2&tit=_EN_biglietti 

どちらもガイド付きの見物で、イタリア語、英語、フランス語のコースのみで、
オンライン申し込みOKですが、時間詳細などサイトでお確かめ下さいね。      
私は電話で申し込み、クレジット・カードの支払い、コード番号を教えて貰いますが、
確認メールも届きます。

料金は現在、時計塔が12エウロ、ドゥカーレ宮が18エウロですが、
両方一緒に申し込むと、時計塔の方が7エウロの子供料金に!

ドゥカーレ宮は一般コースが13エウロで、秘密の行程見物の後、一般コースも
自由に回れますから割安という計算です。

確認メールを印刷して持参、ドゥカーレ宮は切符売り場の予約窓口に、
時計塔の方は、サン・マルコ広場の西にあるコッレール美術館の切符売り場に行くと、
切符と共にこの様な直径3,5cm程の紙ワッペンをくれますから、見える所に貼り付け、

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ドゥカーレ宮の方は中庭西の集合ポイントに、
時計塔は、塔の下の扉の前に定刻に。

所でこのワッペン、左上が時計塔、右下がドゥカーレ宮の参加用と思われるでしょう?
当然ながらね。 でも実はこれがイタリアの不思議で面白い所でして、事実は逆!
なぜそうなのかなんぞは、イタリアに長いと考えませんです、ははは。



時計塔見物の集合場所。 リアルトからの道がサン・マルコ広場に出る右角に
ある、この扉前。

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はい、そう。 道のお向かいにはジェラートの売り場がある所で~す。



ガイドの女性が管理人と共に降りて来て扉を開け、我々10名程の見物人は
狭い階段を上り、荷物を階段脇に、そしてまた狭い階段を上がりこの部分に。
       
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写真は自由に撮れますが、これより上は尚の事狭い螺旋階段で、リュックや鞄など
少し大きい物は置いて上がります。



この部分は外からだと時計のある階ですが、中は2層に分かれていて、
現在のこの部分にかっては時計の技術管理者が住んでいたのだそう。

日本でも昔は、時刻の定めは日の出と日没に従い、つまり夏と冬では時の長さが
違っていたと言いますが、やはり西洋でもその通りで、その差は手で調節されたのだと。

複雑な作りで、長い世紀の間に改修も2度ほど行われましたが、
それでも手仕事の調整で、最後の技術者も年金生活に入り、     
長期にわたる時計の停止、そして修復期間が続き、漸く2006年春に、
新たに時計塔がお披露目になりましたが、スイスのピアジェが請け負ったこの修復で、
遂にオール・オートマティックに変えられました。

で、かっての技術者の部屋に大きな分銅が下がります。 部屋の隅には
昔の銅製の分銅が見えますが、時計の文字盤を動かすだけでなく、
一番上のテラスの時の鐘を打つムーア人にも繋がっている仕掛けです。

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ガイドの女性が早口のイタリア語で説明してくれるのですが、見る撮るで忙しく、
日本語で説明して貰ったとしてもこういうのには弱いので、まぁ、・・眺めます。



部屋の隅の丸窓から広場を一枚。 この窓は上の時計の文字盤写真の右下に
見える窓ですが、機械部分の見える上階に当ります。

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高さは優に2mを超えると思いますが、古い機械の写真に比べ、現在のは
スリムに背が高く、コッ、コッと歯車が秒を刻む部分、次々と連動して動く歯車、
機械がお好きな方には、堪らないでしょうね。

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で、も一つ上階に、聖母子像のある階に出ます。

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聖母子像の部分はなぜかいつも写真を撮っておらず、最初の全体のをご覧頂くとして、
聖母子像の両脇に、向かって左に「ローマ数字で時刻」が、
右に「アラビア数字で分」が出る窓が見えますが、

あの中の仕掛けはこうなっているという訳で、紺に白の数字部分は光を通し
大変美しかった。



聖母子像の前に半円形に突出すテラスには、かっては毎時に、現在は年に2日、
この仕掛け人形が登場し、

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左のローマ数字の窓から出て、聖母子の前で天使はラッパを口に、
東方の三博士は腰をかがめつつ手をターバンに当て、ターバンが少し頭から浮いて
聖母子にご挨拶をし、右の窓に消えるという訳です。

上の写真の文字盤の下に円形の鉄輪が見る、この窪みに所定の人形が置かれる仕掛けで、
    
現在この仕掛けが見れるのは1月6日と、キリスト昇天の日・Ascensione、
復活祭から40日後、の2回で、この日は毎時、仕掛け人形がお出ましだそう。
来年早々、見に行こうかな?


聖母の口から Maria, Chi xei sti qua`? と出るのは
ヴェネト訛りで、そこにいるのは誰? という意味と・・。



ちょうどこの辺りで、街の屋根の高さほど、そして狭い螺旋階段をぐるぐると上り・・、
ライオン像の階の裏側を抜ける訳ですね、

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かってはライオン像の横に、時計塔建設のドージェ、アゴスティーノ・バルバリーゴの
像があったそうですが、ナポレオン占領当時に打ち壊されたと。
そう言われてみると、確かにライオン像は少しばかり左側に寄っていますね。



遂に上階テラスに。

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ムーア人の居るテラスは一段高くなっていて、後ろからのみ見上げる事ができ、
前側には行けません。 これは塔の最初の建設から50年後に嵩上げされたそうで、
ムーア人が良く見えないと、文句が重なったのでしょう。
近くで見ると、さすがに大きかった!

念の為付け加えますと・・、どちらも肩からの毛皮のみで、大小しっかり見えましたぞ。



広場側から見て右、鐘の後ろにあるハンマーを持つ方が髭を生やしていて、
ヴェッキオ・年寄り、反対側の鐘前ハンマーの男は、髭がなくジョーヴァネ・若者、
と呼ばれているそうで、
     
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鐘つきは、年寄りの方が正刻の5分前から打ち始め、それがすんで4秒後に
(この数字少し自信なし)若者が再度打ちます。

かっては腕時計がなく、時を知らせる事が重要でしたから、
途中から聞いても間違いのないよう、繰り返したのだそう。



鐘の後ろから見えるサン・ジョルジョ島の高さ、
円柱上のライオン君が海を背景に見える事にご注目を!

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街の写真、これは街の西側で、

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こちらは北東側のSS.ジョヴァンニ・エ・パオロ教会がこの高さに、
手前の白い鐘楼はS.M.フォルモーザで、背後の海もちらっと。
       
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塔見物は午後4時から始まり、ムーア人のテラスに上った時に5時前で、
ガイドがここには留まれないけど、下のテラスから5時を打つの待ちましょうかと。
勿論賛成、皆がひとしきり写真を写して下に。
       
下のテラス、というのは全体写真に見えるライオン像の階の背後にあり、
旧政庁の建物上に東西に張り出す細長いテラスの事で、
行ったり来たりしながら5時を待ちます。

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サン・マルコ聖堂の北側部分、修復の済んだ尖塔の像、井戸の傍らで
ジェラートを舐め休憩の人々・・、

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サン・マルコ広場西側のコッレール博物館方面、デッラ・サルーテ聖堂の丸屋根が
覗き、そして広場のカフェ・フローリアン。

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一纏めにサン・マルコ広場と書いておりますが、聖堂前の広い方が正確には
サン・マルコ広場で、海に開ける狭い方は、ピアツェッタ・小広場と呼びますが、
       
ピアツェッタの正面が、ヴェネツィアの海からの玄関口。

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サン・マルコ聖堂のトルコから分捕ってきた馬4頭。 本物は、聖堂上の博物館に。

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時計塔からの高い眺めとはいえ、サン・マルコの鐘楼はそれよりもまだ高く、
上の展望台から眺望を楽しむ人々の姿。

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鐘楼からの夜の眺めは
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463331310.html       



遂に正刻5分前、ヴェッキオが鐘を打ち始めます。

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ちょうどの位置に太陽が来て、露出不足で申し訳ないす、
でも、ハンマーが離れているのは見えますよね?!

見物した2日ほど前から、若者が何か文句があるのか、ショーぺロ・ストライキを始め、
鐘つきを止めているそうで・・、
この日は一度だけ、年寄りの鐘の音が響き、翌々日から修理が始まるとの事。

YouTubeで鐘つきの様子を。 ただしヴェッキオが打ち始めるのが見つからずで。



最後は、ガイドの女性を。

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通常では見れない行程はまだまだありそうで、ボチボチ探訪してご案内を。
       
◆*◆*◆

ブログご訪問、有難うございます!

こちら北イタリアヴェネトの田舎は秋の色に染まり出し、トウモロコシ畑も黄土色、
落ち葉も始まり、葡萄を満載し、組合の醸造所に運ぶ荷車トラクターや
トラックに道で出会います。

この秋は収穫量も質も良さそうと言われながら、お天気が続いた後の雨の繰り返しで、
なかなか一斉の葡萄摘みになりません。
       
夕方のラッシュ時に葡萄満載のトラクターが町中を走り、ゆるゆる走る後ろから
ぞろぞろと車が続く様子は、イタリアの秋の風物詩です。

先日ご紹介したヴェネツィア・マッゾルボ島の葡萄摘みの様子は、
その夕方の地方ニュースで大きく放送されましたが、RAIの全国版でも
遅ればせながら一昨日「ヴェネツィア・ラグーナの葡萄、再び輝く」と。

自分の目で見ただけに何か嬉しく・・、n.1 と n.2 の記事はこちらに。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463331661.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463332411.html
       
我がスコミーゴ村の葡萄の色は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461295708.html      
   
季節の変わり目、お体に十分お気をつけて!
       
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・ n.2 ヴェネツィア散歩  ・ サン・マルコ広場 ~ 国鉄駅 

引き続き、有難うございます! n.2 ヴェネツィア散歩、を続けます。

「溜息橋」ですがぁ、最近ずっと修復の覆い、でかでかとCMの入ったので覆われ、
まさに、溜息がでる橋、になり果てています!

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これは昨年秋ですが、この夏コカコーラのポップ調のCMが入り、
さすがにこれは問題となりました。



溜息橋の奥に見える橋と、

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溜息橋のライオン君。

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広場の奥に見える時計塔、上で二人のムーア人が鐘を打ち時を知らせます。

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この時計塔の上にも予約すると上がれるのを知り、高上がり大好きshinkaiは
即行って来ましたので、お楽しみに!!



デッラ・サルーテ聖堂の先、ドガーナ・Dogana・税関の上の、金の球の上の
女神像も、風向きにより回ります。

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サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ聖堂の眺め。

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サン・マルコ大聖堂。 全景写真は昨年秋で、今は修復の覆いが正面左側に。
 
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何度も写しながら、今回初めてつくづくと聖マルコを眺めました!

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夕方再度前を通りましたが、まだ入場を待つ長蛇の列!
長い事拝観していませんが、この列の長さではねぇ。

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余りの人の多さに頭越しに写しましたら、サン・ジョルジョ島の鐘楼の先、
クーポラの上の聖ジョルジョ、そしてサン・マルコのライオン君が。

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ゆっくりと、リアルト橋に向かい、 いつもの眺めながら写さずにおれずで、
デジタル・カメラになり、気軽に何枚も撮れ、本当に良かった!! 

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リアルト橋の上から、大運河を見晴らし。

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最後の写真、左の一番手前の切れた白いのがイタリア銀行で、
3番目のピンク家の2階部分、ここにアントニオ・ヴィヴァルディが家族と共に住み、
ここはヴェネツィアで住んだ最後の家で、ここからウィーンに旅立ち、かの地で
1741年に亡くなったのでした。

ヴィヴァルディが洗礼を受けた教会、住んだ家々、司祭としてミサを行った教会など、
訪ね回って写真は撮っているのですが、いずれのチャンスに。



モーター・ボート、ヴァポレットと交通ラッシュの間を縫い、たくさんのゴンドラが
往き来しますが、ゴンドラ漕ぎの良い姿というのは、なかなか撮れませんねぇ。

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今度は同じ橋の反対側、カーヴする東側から。

これらはこの9月2日の写真で、3日後にはヴェネツィアのお祭りレガータ・ストーリカ・
Regata storica・競艇が行われるとあり、出場する選手達の練習風景が。

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男子、女子、そして舟の大きさによりクラス分けされ、それぞれの色に塗り分けられた
小舟が、夕方の混雑する中を漕いで行きます。



ここに見える黄色と緑の舟が、毎年の競艇最後を飾る大型舟のクラスで、
黄色の2人は従兄組で、既に11年めかの優勝を今年も飾りました。

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国鉄駅に近いホテルに宿を取り、シャワーを浴び一休みした後
夕暮れを写しに駅前のスカルツィ橋・Ponte degli Scalzi の上に。

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灯がともり始め、最後の交通ラッシュ。 ゴンドラも掃除をすませ、レストランにも
お客が入り始め・・、私も夕ご飯を食べに。

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駅近くに宿を取ったのは、近くにある日本人経営というお寿司屋に予てより
行きたかったからなのですが、残念ながら、よほど日本食に飢えている方以外には
お勧めできません。

イタリア人に聞くと、あそこは物凄く高いという評判で、まさにお高かった。
美味しければ少々お高くとも納得ですが、ガッカリしたのは魚の種類の少ない事、
お醤油がお水で薄めてある事、これには驚き!!

味噌汁も薄い薄い味噌汁で、ワカメばかりがたっぷり、
天麩羅の魚がコロッケみたいに巻いてあり、春雨をたっぷり揚げて添えてありました。
春雨の揚げ物を箸でつまむとどうなるかご想像下さい、
パラパラになり、食べられた物ではありません。しかも、天つゆまでが薄かった!

ああいう店はイタリア人にお任せしておき、いくら食いしん坊のshinkaiとはいえ、
もう行かん!
我が隣町の、イタリア人のお持ち帰り寿司屋の方がよっぽどマシ、と思った事でした。
食い物の恨みは、怖いんだぞう!


サッポロビールだけが納得、の寿司屋を出て、ははは、まだ言ってる!

夜の道を東にカンナレージョ・Cannaregioのグーリエ橋・Ponte delle Guglieまで。
既に9時半を過ぎていたろうと思うのですが、まだ開いている屋台もあり、
レストランもまだまだ賑わっています。

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暗い夜の運河を、少ないお客を乗せたヴァポレットが往き、高い窓に一つの灯り。

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では、お休みなさい。

◆*◆*◆

ブログご訪問、有難うございます!

先日月曜午後、大型スーパーにPCの外付けメモリーを買いに行くと、
驚くほどの人混みで、それも新学期の買い物の親子連れが多く、
そうなのですね、秋が新学期の始まりなので、

で、学校が始まってから買い物に来るのか、と驚きアンナリーザに訊ねましたら、
ノートの種類など、そのクラスの担任がそれぞれに、行罫はこういうタイプ、
学科ごとのノートにするか、それともバインダー式にするようにとか、全て担任の考えで
指定するので、学校が始まってから買い物に来るのが普通なのだそう!
早とちりのshinkaiが考えた様な横着さからではなく、ちゃんとした理由がね。

で、新入生以外は、初日から授業だそう! 1週間前に時間割が学校に
張り出されるそうで、ああ、これは少しきついですよねぇ、気分的に。
まぁまぁ、しっかり頑張っておくれやす、イタリアの未来はあなた方の双肩に
かかっております、・・なぞというと、いやらしいなぁ! ははは。

私めは、これからヴェネツィア共和国政府の仕組みについて再度お勉強しないと、
ドゥカーレ宮の内部が説明できないので~す。
昔読んだのに、すっかり忘れてしまっています、あ~あ。

そちら日本は、少しは涼しくなりましたでしょうか?  お元気でどうぞ!

*****

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・ n.1 ヴェネツィア散歩 ・ 国鉄駅 ~ サン・マルコ広場

今日は気軽に秋のヴェネツィアの空気を楽しんで頂こうと、撮り貯めている
中からご覧頂きますね。
先日来のヴェネツィアの写真、そして昨年10月末のと同じ場所のを混ぜ、
ヴェネツィアの風景そのものは変わりがないのですが、少し新しい物も増え、 
では、ごゆっくりどうぞ!

上は、サン・マルコ広場を正面から。 かってのヴェネツィア共和国を訪れる
旅人が魅せられ、今もやはり虜になる、海側からの素晴らしい眺め。

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国鉄駅前から41番のヴァポレットに乗ると、本島の外側をぐるっと回りますが、
一番西外にトロンケット・Tronchettoと呼ばれる大駐車場があります。

こことピアッツァーレ・ローマとを3分で結ぶ無人運転のモノレールが建設され、
この春から運転開始。

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片道1エウロとの事で、ちょうど姿が見えましたがまだ利用者は多くないようで。

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南に向かうこの辺りは、大型クルーズ船がひしめき停泊中で、余りに大きく、
近くすぎて、どこをどう写したら良いものやら・・、馬鹿みたいな写真で! はは。

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大きな丸いアンテナ(ですよね?)を見て頂こうと。

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南に出はずれると、ラグーナ・干潟とはいえ海が広がり、
 
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左に大きくカーヴを切り、ジュウデッカ運河に入ります。
       
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かっての製粉所の大きな建物が修復され、モリーノ・ストゥッキー・ヒルトン・
Molino stucky Hiltonとなり、近年来営業中。

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ヒルトンと聞くだけで怖れをなす小者ですが、美しい写真のサイトはこちらに。
http://www.molinostuckyhilton.it/



観光客でいっぱいの観光船が行きます。

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ジュウデッカ運河・canale della Giudecca は幅も広く水深も深く、
大型クルーズ船も悠々とここを通り、アドリア海に出て行きます。



波も高いですが、41番ヴァポレットはジュウデッカ島と本島の南側ザッテレ
・zattereの停留所を行ったり来たり繋ぎながら、サン・マルコ広場に向かいます。
そう、まさにヴェネツィア市民の足、の趣あるこの線。

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ザッテレ河岸の辺り、南向きの日当りの良い長い河岸には、運河に張り出す
テラスのレストランやバール等もあり、散歩する人々の姿が多く見られます。

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見える教会はジェズアーティ・Gesuatiで、天井にティエポロの美しい絵がありますが、
フレスコ画ではなく、キャンバスに油絵です。
       
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というのもヴェネツィアは湿気が高く、これはフレスコ画には大敵ですから、
油画が発明されて以降はこの種の天井画があちこちに。



右手ジュウデッカ島のレデントーレ教会・Redentore. 夏のお祭りには、
対岸サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ・S.M.della Saluteとの間に、
参拝の為の仮の渡り橋がかかり、花火大会で盛り上がります。

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左手進行方向には、いよいよドゥカーレ宮、鐘楼が見えてきますが、

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まずはサン・ジョルジョ・マッジョーレ島・S.Giorgio Maggioreに寄ります。
教会前の広場がそう広くないので、正面全体を写すにはこうしてヴァポレットからか、
または正面向かいのドガーナの方からでないと、少し無理ですね。

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サン・ジョルジョ・マッジョーレにお出でかけの時は、是非教会内部左手奥から
エレベーターで鐘楼に上がって下さいね。サン・マルコ広場が眼下に一望です。



ヴェネツィアの運河沿いの建物には必ずある、いわば車寄せ兼駐車場。
広場脇の建物の下に口を開けています。

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ここからまっすぐ北に大運河を横切り本島側に。

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サン・ジョルジョ・マッジョーレ島
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461429525.html       



ここで運河の呼び名が、サン・マルコ運河・Canale di S.Marco と変わり、
サン・マルコ広場の前を少し通り過ぎ、サン・ザッカリーアの停留所に。

広場の右にドゥカーレ宮、そしてサン・マルコ聖堂が張り出し、正面奥に時計塔、
左に鐘楼という、ヴェネツィアの大玄関口。

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広場入り口に立つ2本の円柱上の片方には聖マルコの、そしてヴェネツィア共和国の
シンボルでもある有翼のライオン君。
       
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鐘楼の上の天使像は百合の花を持ち・・、と書きつつ、もうご覧にいれたっけ?
と古いブログ記事を確かめ、写真はどこに、と探し出しましたぁ。

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98年の写真ですが論より証拠、ご覧下さいね。 百合を手に持つのは、
大天使ガブリエルですよね? この天使像は、風向きにより方向を変えます。       

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広場の前から、並ぶゴンドラ越しにサンタ・マリーア・デッラ・サルーテ聖堂を。

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広場で鳩と遊ぶ子供たち。豆売りの屋台が禁止され、大分鳩の数が減りました。

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広場のカフェの生演奏。

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先日ドゥカーレ宮を見た際、写真OKの所は撮ったので、またご覧頂きますね。

スキアヴォーニ河岸・Riva degli Schiavoni側からの眺めと、

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小広場側のロッジャ、そして柱頭飾りを。

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この柱頭装飾は全て違い、物語風のもありますのでいずれ。



ロッジャのアーチからの光。

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最後は、南面の壁の、裁きの女神像を。

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ドゥカーレ宮の以前のご案内
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461429395.html
      
グロリオーザさんの、素晴らしいサン・マルコ広場の夜明け
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461786255.html       
     
 
という所で、ヴェネツィア散歩 n.2にどうぞ。


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・ n.2 埋もれた島の蘇みがえり・ヴェネツィア、チェルトーザ島 

引き続き有難うございます! 「埋もれた島の蘇みがえり、チェルトーザ」を続けます。

ほら、見て! 山羊・caprettoがいるよ、と聞き、木の間越しに確認しながら
ぐるっと道を辿って行くと、いるわいるわ、あっちにもこっちにも!
いつの時か島に連れて来られた山羊たちが野生化し、しっかり生き残っているのです。

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まだ若いと見えるのは、伐採された木を積み上げた上をぴょんぴょんと飛び跳ね
移動する様子を見せ、



長老連中と見てとれるのは、大樹の下に座り込み・・。
      
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50頭位だろう、というのですが、色、大小様々なのがこちらを見つめ、立ち止まると、
そろそろと近寄ってきて取り囲みます。

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工事に来ている人たちから、時々パンを貰ったりするのだろう、と、イヴァン氏。
捕まえて食べるのか、といささか失礼な質問をしましたら、決して!とのお返事。

近くに家畜小屋の廃墟があり覗きましたが、繋ぐ鉄輪もなく、牛さん用ではない様子で、
ひょっとして彼らのご先祖たちの小屋だったのかもですね。 



壁の切れ目から浜に。 奥に見えるのはリド島の東端に近く、真ん中はお隣の
ヴィニョーレ島・Le Vignole、野菜作りで有名な島の先端にある要塞の名残だそう。

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アドリア海からヴェネツィアに来る大型船が、リド島の東端を回って入って来る位置なので、
かってはやはり重要な位置だったのでしょう。



島を取り囲む壁の外からの眺めですが、プロジェクトは壮大な計画を持っています。
島の中程に大きなプールやバンガローを造りますが、
この位置には、浮いたプールを設置するのだそう!

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そう、リド島をず~っと西に行くとその先に繋がる細い砂洲の島ペッレストリーナ・
Pellestrinaが細長く延び、その先にキオッジャ・Chioggiaがあり、
ヴェネツィア干潟の南の終点であるキオッジャまで行くと海水浴のできる浜辺がありますが、
ヴェネツィアには浜辺は無いのですね。
考えて見ると、公共のプールも無いのではないかしらん?
      
となると、大変なアイディアですよね。 いつ出来るのかと聞くと、3年から5年後にはと。
そう、その時には再訪したいものです!

ヴェネツィアらしからぬ緑に囲まれたプールや、リド島を眺めながらのプール遊びがね!
この島を単なる会員制クラブの人達用にするのではなく、一般の人達が自由に
利用出来るようにするというプランで、
自転車にも乗れないヴェネツィアの子供たちにとっても、大きなプレゼントですよね。



島の北側の道を辿って戻り、ヨットの係留場所に出て、大きな木製帆船を見に。

ブラゴッツォ・Bragozzoと呼ばれるタイプの平底船で、かってはラグーナで数多くみられた
漁船なんだそうで、本来の三角帆が17~18世紀にかけて梯形に変えられ、
この改造が平底船にとって大変良い状態なのだそう。

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この素晴らしい、長さ16mの帆船はエーオロ・Eoloという名で、これで1日クルーズから、
3日間、果ては10日間に渡るヴェネツィア・ラグーナのクルーズが出来るそうで、
船の上で獲った魚の料理も味わえ、最高10人まで乗船できると。
値段の詳しい事は直接訪ねないと確かではありませんが、
7~8人と考え、一日一人120エウロ位の様ですね。 (2010年当時)
 
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船の製造年が1946年と見えますが、少し知った歴史は、第2次大戦当時
キオッジャの大型の良い漁船をドイツ軍が使えないようにと海に沈めたのだそうで、
後に引き上げ改修して使ったのだそう。
で、このエーオロもその内の一隻で、新進水年が1946年という訳だそうです。



ちょうど海に出て行く間際で、ラグーナに引っ掛からぬよう小さくぐるっと向きを変え、
進んで行きました。

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サイトには英語版もあり、ヴィデオもご覧になれます。
http://www.cruisingvenice.com/



真っ直ぐ続く2本の線はかってトロッコか何かで、爆薬庫から運び出す為の線路だったそう。
既に鉄のラインはなく、島の通路に。

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島の北側にはヨットの係留が並ぶので人通りもあり、ボランティアで片づけに来ている
若者のキャンプもあり、ええ、こうして見る花も野生ではありませんね。

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島の周囲を巡る散歩道は、30分程で歩けるのでしょうが、あちこち眺め説明を聞き
写真を撮りながら1時間半以上かけ、ゆっくりホテル・レストランにまで戻って来ました。

奥にも広い草原が広がるテント下のテーブル、そしてモダンに設えられた屋内の席。
で、こちらでお昼をご馳走になりました。

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振り返ってみて、大変楽しい散歩だったと。 ご一緒したイヴァン氏があれこれ良くご存じで、
説明も上手く、シェフと聞いてイメージしていたタイプと少し違い、
時々出会うイタリア男性の如才の無さというのか、

フィレンツェのヴェッキオ宮で、秘密コースのガイドの若い男性もこのタイプでしたが、
こちらに気まずさを感じさせない、女の扱いを良くご存知というか・・、
まして見て楽しいハンサムとなると・・、あはは、なのでしたぁ!
       


頂いたのは、アンティパストに、メルルッツォのマンテカート・Baccalà mantecatoと、
海老のサオール・saor.

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どちらもヴェネトの料理で、マンテカートというのは、タラの干物を水で戻し茹で、
オリーヴ油と牛乳を加えながらクリーム状に煉った物で、上に乗っている黒い粒は
鱒の卵だそうで、プチっとやはりキャビア風。 パンはカリッと焼いて、ちょっぴりニンニク風味。
サオールというのは普通小鰯を使いますが、空揚げして、玉ねぎと干し葡萄、松の実等を

酢味に仕上げた物に漬け込みますが、
これは少しお洒落に海老を使い、細切りにした茄子も加えて彩りにも心を配っていますね。



プリモ・ピアットには、ニョッキ・gnocchiを。

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ニョッキというのは、茹でたジャガイモをつぶし小麦粉を混ぜたいわゆるお団子ですが、
オルティーカ・ortica・イラクサを入れ小さく纏め、ソースはムール貝とプティ・トマト。

イラクサというのは、昔は紡いで織ったとか読みましたが、食べるのは初めてで、
少しピリッと味に変化がつき美味しく、いつもニョッキを食べると最後少し飽きるのですが、
これは飽きずに食べられました。



まだ何か食べるか?と言われても、もうお腹いっぱいで、カフェを頼みましたら、
ついでにチョコレートのムース。 コーヒーの豆をカリッと炒って乗せてありました。

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大変モダンに設えられたレストランで、ちょっとお洒落なヴェネトの郷土料理を頂くのも、
なかなかですね。 値段をお聞きしましたら、飲み物別で普通で35エウロ程とか。

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特別な物を注文するとまた別でしょうが、これだとそうお高くはないお値段だと思います。
というのも、先日サン・マルコ広場の近くで、時間に急かれてつい近くの店に入り、
海の幸のアンティパストと、余りのまずさに半分残したイカスミ・スパゲッティとお水で、
確か37エウロ払ったと!
 
旅行中はそんなに店を選ぶ事なく食べ、今迄こんな目にあった事がありませんが、
有名観光地では店選びも多少は考えないと、と思った所だったのでした。

他のサイトの、料理の写真もどうぞ。
http://blog.sandralonginotti.it/ristoranti_locali/ristorante-il-certosino/
       



お部屋も見せて頂きました。
全部で30室あるそうですが、現在はまだ18室のみ稼働中で、ヴェネツィア本島に近く、
かなり満杯の日が多い様子。

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ホテルの特徴はというと、現代美術の方で有名なルクレツィア・デ・ドミーツィオ・ドゥリーニ・
Lucrezia De Domizio Durini、お名前が長いですが、バロネッサ・男爵夫人で、
この方が指揮を取り、各部屋毎を現代美術の一人一人がデザインしたという事で、
各部屋の前にデザイナーの名前があります。

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ドアに部屋番号が大きく示され、ドアが並んでいるとそれだけでデコレーションで、



内部もシンプルで、空間を生かした素敵なもの。
部屋のお値段は、シングルが55~90エウロ、トゥインかダブルだと70~130と。

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ヴァポレット3分で本島に繋がり、サン・マルコ広場まで歩いて15分程でしょうか、
美味しいお昼や夕ご飯を食べにちょっと出かけるのも、緑の多い常のヴェネツィアとは違う
ホテルに泊まったりも、変わった楽しみになるかも、と思った事でした。

サロンに中国人数人が座っているのを見かけ、訊ねましたら、既に1週間滞在で、
ビエンナーレ展の建築の方を見に来ているとの事で、確かに会場に近いなぁ、と納得。
日本人は?と聞きましたら、やはり少し居られるそうで安心。はは。

チェルトーザ・ホテルのサイト
http://www.venicecertosahotel.com

レストラン、チェルトジーナは
http://www.ristoranteilcertosino.com

電話・FAXは、
ホテル Tel +39 041 2778632 F +39 0412778868
info@venicecertosahotel.com

レストラン Tel +39 041 5200035 F +39 041 2778868
お休みは、月曜夜と火曜日。



では最後に、お待たせいたしましたぁ、シェフの写真を。
イヴァン・ガルラッシ氏・Ivan Garlassi, シェフ兼エグゼクティヴ・マネージャーと。

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こちらのyoutubeもみつけました。
http://www.youtube.com/watch?v=TfNeITcilTw



挨拶の後、桟橋に戻る途中でガーガーという音に惹かれて覗くと、若い背の高い女性が
モーターボートの修理中で、OKを貰い写しましたが楽しくなりました。

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そうなのですね、緑に埋もれていた島を取り戻し、古い建物を修復しつつ、
新しい仕事も増える大きなプロジェクトが進行中なのです。

ヴェネツィアの玄関口に新しい橋がかかるのと同じように、緩やかでも、やはり新しい
ヴェネツィアも進んで行くのですね。
5年ほどしたら、やはり再訪しないといけませんね。


◆*◆*◆

ブログご訪問、有難うございます!
すっかり涼しくなり、朝夕には上着が必要な程ですが、
日本はまだまだ暑そうで・・、体調にお気をつけて!

7月初めに、カニカマの薄切りにしたのを食べ蕁麻疹がでて、単純に食品添加物に
当たったのかと思っていましたが、1週間過ぎても痒みが酷くなる一方で、
アレルギーの痒みどめの薬を飲みつつ、それ以上の検診を受けるにはホームドクターの
診察が必要で、遂に3年ぶりにホーム・ドクターの診療所に!

ここまでで既に1ヵ月半以上経過。医者通い、病院通いは大の苦手で・・。
3年ぶりに会ったドクターは大歓迎をしてくれ、デスクを回って来て、
ぎゅっと抱きしめ両頬にぶちゅっとキッスを。

で、血液検査を受け、その結果意外にもコレステロール値が高い事が発覚。
ただ有難い事に善玉のコレステロールも高いので、まぁ大丈夫。
で、その他はまるで異常なし!

改めて皮膚科の検診を予約して受け、出ました結果は蕁麻疹!
やはり薬を飲み、石鹸、クリームは処方箋で買った高いのを使用、
2ヶ月後11月初旬に再検査を、という事に。

ですが、来週は首の血管の詰まり具合を調べる検査が予約済みで、
これで、血管が詰まっていて脳に血液が上手く回っていません、
なんぞと言われたら、どうしようかぁ?!
      
てな事で、最初の痒み以来既に2ヵ月半近く経過中で・・、
はぁ、でも薬を飲んでいると痒みはまるでないので、大元気で~す!!
魚介類、特に海老やイカは少し避けようかと考慮中ですが、食い物にはいやしく・・。

皆さんも、食生活には十分お気をつけて!  お元気でどうぞ!

*****

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・ n.1 埋もれた島の蘇みがえり・ヴェネツィア、チェルトーザ島

先回はヴェネツィア共和国時代のワインの蘇りを目ざすプロジェクトについてお伝え
しましたが、今日はやはりヴェネツィア市が取り組んでいる埋もれた島を取り戻す計画、
こちらのプロジェクトも現在進行中で、
その島というのがヴェネツィア本島のすぐ傍なのですね。

先日お邪魔し、半分野生のジャングルのままの島を楽しんで来ましたので
それをご覧頂きます。 が、まずは新しい橋からの眺めをどうぞ!

向こうに見えるのが国鉄駅前にかかるスカルツィ橋で、そう、これはヴェネツィアの
大運河にかかる第4の橋、カラトゥラーヴァ橋改め、憲法橋の上からです。

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追記:この記事を書きました時に橋の名前を間違えないようにと検索をかけ、
   Ponte di Calatrava と出ましたので、カラトゥラーヴァ橋と書きました所、
   ヴェネツィア事情に大変詳しいお友達からメールを頂き、
   設計者のカラトゥラーバ氏はスペイン人で、スペイン語ではvとbは同じ発音なので、
   日本語表記ではカラトゥラーバとなっている事などを教えて下さいました。   
      


既に竣工開通から2年も過ぎているのですが、今回初めて渡り!
駅からピアッツァーレ・ローマに渡りました。

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ピアッツァーレ・ローマは本土と車での接続場所で、バス発着所もあり、この橋が出来て
大変便利になった事は間違いありませんが、
ヴェネツィアの街にしては斬新で現代的な姿と、莫大な費用がかかった事で
大きな批判の的となり、開通してからも滑って転んだ等のニュース続出。



確かに、ガラスが嵌め込まれているので少し滑る感じですが、まぁ、この位置での
高い眺めを楽しめるという事で・・。
このガラスが夜、下からの光で照らされるのでライトが無いのですが、写真が見つからず・・。

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ピアッツァーレ・ローマから41番のヴァポレットで、目指す島チェルトーザに。



地図をどうぞ。 チェルトーザ島・Certosa はどこに?
はい、魚に例えられるヴェネツィア本島の尻尾の先に。
       
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サン・マルコ広場からだと、ホテル・ダニエリ前のサン・ザッカリーア・San Zaccaria
の停留所からやはり41番で。

この線は国鉄駅前にも寄りピアッツァーレ・ローマに来ますが、本島の西外をぐるっと回り
ジュウデッカ島・Giudeccaの西から本島の南側とジュウデッカを繋ぎつつ、
サン・ジョルジョ・マッジョーレ島・San Giorgio Maggioreに寄り、
サン・マルコ広場の東サン・ザッカリーアの停留所に出るので、
大運河をゆるゆると進むよりも早くサン・マルコ広場に着きます。
但し、大運河沿いの邸宅を愛でたい観光客向きでない事は確か。

それ以降は一般のヴァポレットと同じに進みますが、ビエンナーレ会場のあるジャルディーノ・
Giardinoか、その次のサンテーレナ・S.Elenaあたりで船の係か船長に、
「チェルトーザで降りる」事を伝えます。 チェルトーザ停船はリクエストに寄るからです。
       
ではチェルトーザから乗りたい時はどうするか。 桟橋の先に← →の付いたボタンがあり、
それを押すと停まってくれるという訳で、この41番は日中は1時間に3本あります。

地図の島に、赤丸を付けた場所に停留所があり、向かいの赤丸が次のサン・ピエトロ・
S.Pietroの停留所で、ここは本島と繋がっていて、ここからだと3分の距離。



チェルトーザ島の長い桟橋の先に降り、ゆらゆらと揺れる木の桟橋を島の入り口方面に。

チェルトーザ島という名前は聞いた事もなく、どこにあるのかも勿論知らず、
地図を見て確かめたほどでしたが、なぜ行ったかと言いますと、
マッゾルボ島に最初に行った時、先にこの島に寄り、ここにあるホテルとレストランを見て、
というのが、葡萄摘みの行事手配をしてくれたミケーラからの言葉だったのでした。
     
まったく何があるのかも、どんな島なのかも知らずに・・、ははは。
そう、関係者一同はよく知りすぎていて、部外者が何も知らない事にも
気がつかないのは良くあるでしょう?
で、このshinkaiは、いつもどうにかなるさタイプでして、まぁ、どうにもならずに、
きゃいんという事もよくあるのですが・・、ははは、のこのこ言われた通りに来た次第。
まぁ、話を聞いてもピンと来なかったでしょうけどね、全くの所。

で、島の桟橋からはサン・マルコの鐘楼がこんな風に西に見え、

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右手にはヨットの係留が続き、南のリド島も近くに見えます。

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桟橋の最後に島の入り口風門柱があり、ここを入ると、あれこれ矢印表示が出ていて、
バール・ホテルを目指し長い建物の間を辿り奥に。

で、この建物が目ざして来たチェルトーザ・ホテル・Certosa Hotelと
レストラン・チェルトジーノ・Ristorante Il Certosino.

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ホテルの前には、色鮮やかな椅子の並ぶバールのテラス席。
       
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シェフのイヴァン・ガルラッシ氏・Ivan Garlassiと面会の約束があるのですが、
とレセプションに告げ、待つ間もなくにこやかに迎えて頂いた中年の男性、
わっ、なに、このハンサム?! と内心の衝撃!!
ははは、本当なんですよぉ。 背も高く物腰柔らかで・・、最後に写真をご覧頂きますね。

という事で、イヴァン氏に連れられての島巡りの始まり。

まずは隣の建物の壁に掲げられた大きな写真で、これで島の位置、上空からの様子が
よく分かり、島全体の広さは、約22ヘクタール。

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サン・マルコ広場等の街の中心部が西に、そして島の殆どが緑に覆われている様子。



島の入り口部分に長い建物が固まっていて、これらはヨット製造と修繕関係で、
その奥に見える四角い2階建てが、このホテル。

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島の真ん中あたりに細長い建物と草原が見えますが、ここも建物が修復された部分。

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島の上に右から張りだすのはリド島の一番東端で、左の上に見えるのが本土側から
ず~っと伸びるプンタ・サッビオーニ・Punta Sabbioniの先っぽで、
リド島からもずっと堤防が延びているのが見えますが、あの先にヴェネツィアを
高潮から守る筈のモゼ・Mosèの防波堤が。

航空写真だと、ラグーナ・干潟の位置、様子がよく見えますね。       
左手前にも大きな干潟が見えますが、ここは膝までの水深だとか。
リド島のこちら側の水の色が濃く見えますが、サン・マルコ広場の前を通り、背後の
サン・ジョルジョ島を隠す程の巨大なクルーズ船がアドリア海に出航して行きますが、
リド島に沿って東に行き、そして右に回り深い海域に、というのが良く分かる水の色。




島の外周はやはり壁に囲まれていますが、その内側に遊歩道の部分が切り開かれ、
散歩道になっていて、とりわけヨット係留に使われている島の北側はきちんと整備され。

写真の左側に金網が張ってあるのが見えますが、あの中はジャングル同然で、
イヴァン氏はホテルの庭奥の金網の柵を外し、内側のジャングル部分の案内を。

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まったくサン・マルコ広場から15分程の場所に、こんな緑に埋もれた島があるなんて
想像できませんよね。
       

この島の名前チェルトーザが示す通り、島には7世紀頃アゴスティーノ派の教会と
修道院が造られ、15世紀初頭にチェルトーザ会(カルトゥジオ)の僧達が集い、
ヴェネツィア・ラグーナにおける重要な位置を占めていた様子。
       
が、ナポレオン占領による修道院の閉鎖の後、この島は軍の使用する所となり、
それも1960年代に完全に放棄、島は植物の天下となり、軍が使用していた建物も
屋根が落ち、木々に埋もれ、どこに何があるのかも見えない程!

それがヴェネツィア市に無償で委託され、漸くに2000年頃より島を蘇らすプロジェクトが
進み始め、かっての建物の幾つかを修復し、造船所、ホテルなども開かれたという次第。
70程の兵舎、家畜小屋等跡などが島に散らばっている様子ですが、
その内の40程を徐々に修復していく計画だとか。
       


細く通る道は伐採や工事用の道で、一般の人は通れず、至る所に野生の実が熟し。

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上空からの写真で見えた、島中央の修復された建物。

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カーザ・デッロルトラーノ・Casa dell'Ortolanoと名札がついていましたが、
どうやら講義室などに使われる様子。
近くに修道院の遺跡があり、窓の形から見ても、修道院関係の建物だったと。
このジャングルの中にあってこの草地を保つには、常の手入れが欠かせないそう。



この古い古い壁が修道院の跡で、応急処置を施され、新しい植物の浸食が無い様に
周囲は刈り込まれています。 

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これが修道院の中庭に当たる場所で、ぐるりと2重の壁、つまりこの中庭を囲み
僧院の部屋があった事を示します。

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大きな木のこちら側の盛り上がった場所に井戸の跡が見られ、この木は中庭の真ん中から
少し外れた位置にありますが、
それについてイヴァン氏は、建築美学的に見て均衡が取れた位置であると。
僧院の様子も地面に木の枝で図を描いたりの説明で、大変良く分かりました。



中庭への入り口も木で補強されていて、いずれは修復されるのを待機中なのですね。
まだ何に使うかは決まっていないが、やはり公共的な建物になるだろうとの事。 

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見える建物跡の壁にも、最初の建物を変えた跡が残り、木の階段があったとみられる
場所や、多分その下の小さなアーチはパン焼き窯の跡だろうとか、
かっての人間の営みの痕跡を偲ばせます。

     
        
至る所に見られるこんな木の形、何か分かります?
宿り木が巻きつき繁殖し元の木は既に枯れ果て、今は宿り木が独り立ちを。
なんとも凄い生命力と繁殖力で、悪魔的な美、とでも言えますね。

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という所で、n.2にお進みを!


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・ n.2 ヴェネツィア共和国時代のワイン復活を目ざし

引き続き、有難うございます!
「ヴェネツィア共和国時代のワイン復活」を続けます。

マッゾルボとブラーノは木の橋で繋がっている、と書きましたが、橋を今回撮り忘れ。
何度も行って撮っていると、こうなります!
  
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が、上は橋の上からのブラーノ島の漁船の並び、と、トルチェッロ島の眺めです。
こちらは鐘楼が修復の為覆いの中ですが、TVニュースでは、崩壊の危険もとか!

トルチェッロ島については、こちらに。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463330033.html       



TVカメラを担いだ報道陣のタクシー、と言ってもモータ・ボートが到着し、
そしてまたもう一台、報道陣達が。

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改めて眺めると、ラグーナに打ち込まれている杭が、本当に太く長いのに驚き。



大勢が待ち、報道陣が多いのに気がついた地元の人や、観光客も集まり始め・・、

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桟橋の先でお待ちかねのヴェネツィア市長。この春の前のカッチャーリ氏の引退に伴い、
このオルソーニ氏・Orsoniが新市長に。

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弁護士と聞きましたが、穏やかそうな方。助役のヴェッティン氏・Vettinもお出ででしたが、
出しゃばらない方で、顔半分を写しただけ!



いよいよ州知事のご到着、睨みを利かすボディガードの顔ですぐ分かりますねぇ。
       
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この春、農業大臣からヴェネト州知事になられたルーカ・ザイア氏・Luca Zaiaと、

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後ろに続くのは、ヴェネツィア・ビエンナーレの長パオロ・バラッタ氏・Paolo Baratta.
本当は、今回のヴェネツィア映画祭のホステス役の女優さん(名前忘れましたぁ!)も
来られる筈が、風邪引きで欠席。 美人女優の写真が撮れずに残念で~す。



ぞろぞろと橋を渡り、皆で取り巻き移動、

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知事殿がトマトを味見に齧ったなどを1枚。

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が、本職の報道陣というのは、命がけですねぇ! とにかく良い場面を撮ろうと、走り、
押しのけ、前に出る者には凄い文句を言うのも聞きました。
      
いつもはカメラ・ベルトのニコンの文字部分を、ささやかな盗難ひったくり防止の
おまじないに、ははは、裏返しにして首にかけているのですが、
この日はしっかり見えるように!

というのも、プロのカメラマンというのはどうやら相手のカメラに即注目、値定めをする、
と言うのを聞き、腕はともかく、カメラは良いんだぞ!と見栄を張ったのです。はは。

それもあったかどうか、標的にはならずにすみましたが、コンパクトカメラの取材女性が
前に出て、槍玉に。 が、彼女も負けておりませんで・・!
プロの世界の凄い内幕を覗きましたぁ。



主役一同が並んで、お披露目の記念撮影。 葡萄摘みの役に、ダウン症の子供達も
招待されていて、結局彼らが働いた様子!

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ヴェニッサのレストランの女性シェフ、パオラ・ブーデル・Paola Budel.

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様々な資料を読んで知ったのは、かなり有名な方のようで、ミラノのプリンチぺ・サボイアの
シェフ長もしたり、ロンドン、モナコ、東京、香港でも働いた経験を持つとか。

1週間前にここに行った時、食べるか、と尋ねられましたが、取材と称し、払わずに
頂く程の舌は持っていないので遠慮したのですね。 
その時は、彼女についての知識もなくこちらの準備不足でしたし。

家に戻りあれこれ読んだり、写真もこれからご覧頂きますが、行事の後のビュッフェの
一皿一皿のお味が、今まで味わったのと違うのを実感し、
これは自分のお金で食べに行こう!と決めました。

美味しい物はあれこれ頂いていますが、いわゆる有名シェフの手になる料理は
未だ頂いた事が無く、ここのレストランのお値段は、そう高くないのです。
これも後ほどご紹介を。



にっこり待ち構えているソムリエの皆さん。

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葡萄の畝のあちこちに籠が置かれ、いよいよ葡萄摘みが始まります。

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畝の後ろに入りこんだのが功を奏し、こうして最前列で何枚か撮れました!

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賑やかな行事や、報道合戦にも我関せずで、葡萄摘みを楽しむ少女達。

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この日摘まれたブドウは、ヴァルドッビアーデネ・Vardobbiadeneの、
ビゾールのカンティーナに運ばれ、ワインになるそうで、
2112年には、白の「ヴェニッサ・ワイン」として予約販売の運びだそうです。
ええ、その時には味見に与りたいものですねぇ!!



記念のボトルに、ルーカ・ザイア州知事、パオロ・バラッタ氏、ジョルジョ・オルソーニ市長、
そしてジャンルーカ・ビゾール氏が記念のサインを。

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この時のテーブルに、このシニョーレの持っているガラスの葡萄の房が置かれていたのですね。
黄金色の葡萄の呼称に相応しく、多分金箔を吹きこんだ素晴らしい物で、
ミケーラが素晴らしいと褒めるのに、うんうん、と頷いていたら、
私にも名刺をくれ、このカメラ目線! ははは。

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こういう目つきのサーヴィスがイタリア男の楽しい点で、お返しに私めもサーヴィスで、
彼の店の住所をね、ははは。
Vetri d'Arte snc  Giorgio Rossetti
via terranova 89 Burano

追記:サイト・アドレスの確認をすると無く、あれこれ素晴らしい作品は見れるので
   探しあてたこのサイト、吹きガラスで、金を貼った亀を作る工程を見せてくれます。
 
   いやぁ、かなり太ってはいますが、この彼で、ははは、
   10分の1mm程のガラスに丸く吹き込み、1200~1300度の高熱でちょいちょいと
   色ガラスをつけ、金箔を張り付け、足や頭をつけ、工房の印も押し、の仕事ぶり、
   上から2つ目から3コマに分かれての仕事ぶりをどうぞ。 2018.12.21



葡萄畑の方から見たレストランと、奥の200人収容可能の大きな部屋の様子ですが、
ここで招待客にワインとビュッフェのサーヴィスが始まりました。

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既に皆さんはどしどし食べ始めているのでしたが、まずは写真を撮りに。



隣の部屋のテーヴルに、たくさん並べられているのが見え、

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赤と黄色のぺぺローネ(パプリカ)を焼いて皮をむき、間に小鰯のマリネを挟んだ物
さっと引いた緑のソース、何のソースが聞きそびれましたが、
これがぺぺローネに大変美味しく、黄色と赤と2皿頂きました。
  
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パンをカリッと焼いて、トマトを乗せたカナッペ。 これは賞味する暇がなく残念。

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籠のパン。 このフォカッチャ式パンが大変美味しかった。

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手前の茶色く見えるのが、茄子とパルミッジャーノを重ねてグリルしたもの。

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パルミッジャーノには少しトマトソースが入っている様で、これも大変美味しかった。
小さい緑色の四角は、野草を卵に混ぜて焼いたもので、上の薄いのはズッキーニ。
 
近隣一帯の野菜、この頃の流行りの言葉で言うと、  産地からokmを使い、
色も美しく味も濃くなく上品で、そうか、上等な料理というのはこういう物か、
と納得させられる味で、やはり本格的な物を遠慮せずに一度は。

隣にいたカメラマン氏がしきりに「うん、レストランの味、レストラン」と。



うん、これは一杯頂こう、と外に出てプロセッコを頂き、美味しくそろそろ飲んでいると、

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向こうの調理場から、パオラと助手が大きなお鍋を下げてくるのが見え、
あ、リゾットだ! とまた部屋に戻りお皿が来るのを待ちます。

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何やら、給食待ちみたいな感じなのですけど、はは、皆待ちかねているので、
なかなかありつけず。 漸くに一皿頂き写したのですが、少しブレて!


       
入っている野草が何やらほんのりピリッとし、色も綺麗で味もよく、何か聞きましたら、
ポルトゥラーカ・portulaca・スベリヒユだそうで、初物。

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これ以降の写真は、前の週に写した物をご覧頂きますね。

レストランはテラス席もあるのですが、内部がこんな大変モダンでシンプルな造りで、
調理場との間の壁はワイン・クーラー。 

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魚は毎日出入りの漁師が運んで来て、野菜も近くの物を、という事で、
従って、基本的にメニューは毎日変わるのだそう。

ランチのメニューを見ましたら、シェフのお勧めで3品で70エウロ、
5品に、其々合ったワインがつき120エウロ。
レストランは月曜がお休みで、11月からカーニヴァルの時期までは閉めるそう。
            
まだこの春に、宿ともどもオープンしたばかりで、しかもまだ表に目立つ看板もなく、
今の所、お客さんも少ない様子。
でも、こうして知ってみるとチャンスを捕まえ、食べに行こうという思いが募りました。

トルチェッロ島の由緒ある古く美しい教会を見に行く時、こんなレストランで葡萄畑を眺め、
美味しい物を頂く、そういうのが似合いそうな雰囲気です。
お出かけの時のご参考にどうぞ! 
   
追記:サイトを調べました。 https://www.venissa.it/
    レストラン・ristorante、オステリーア・osteria、宿・camere、と上に出て、
    それぞれで選び、お値段も出ます。
    シェフも変わっている様子で、お値段もレストランの方はそれなりのお値段になって
    いる様ですが、オステリーアの方は一般の町のレストランと変わりない値段で、
    選べ、食べることが出来そうですので、お試しを。 2018.12.21



こちらは宿、オステッロ・ヴェニッサ。 全部で6室で、2階に4室110エウロ
3階のスイートは2部屋あり、130エウロ。 朝食は別料金で、一人15エウロ。
写真はいずれもスィートの方で、  (新料金はサイトでお確かめを)

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2階から見下ろす、運河の眺めを。
       
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レストラン、宿共に住所は
Ristorante Ostello Venissa
Fondamenta di Santa Caterina 3
Isola di Mazzorbo - Venezia
Tel 041-5272281
info@venissa.it


ビュッフェを頂いている時に、大粒の雨が遂に降り出しましたが、ヴァポレットで
ラグーナを戻る時には晴れ間が見え始め、後ろの席から海の眺めを楽しみました。

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最後の写真は、海から見えるマルコ・ポーロ・ヴェネツィア国際空港。

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飛行機でヴェネツィアにお出での時は、皆さんここに到着なので、一つお知恵を。

ヴェネツィア空港へは、どの飛行機も西から東に入り着陸、東に向け離陸します。
ですから着陸の前に、進行方向右手下にヴェネツィアが見えるので、
席の予約は、進行方向に向かい右手の窓際をどうぞ! 素晴らしい眺めです!!


今回は運よくもお陰様で、1年半前から関心のあったヴェネツィア共和国時代の
ワインの実物に、少し近寄る事ができました。

時事ニュースを単に追い掛けるのではなく、一般では入れない場所に入れたり、
写真が撮れる許可が貰えると良いなぁ、と願うのは、少し厚かましいかもしれませんが・・、
夢はいつも少し先を! そして願い続ける事! ですよね?!

次回はもう一つのヴェネツィア市のプロジェクト「埋もれたままになっていた島の復活」 
をお伝えしますね。
これも大変興味深いものでしたので、お楽しみに!


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・ n.1 ヴェネツィア共和国時代のワイン復活を目ざし 

これはつい先日3日に行われた葡萄摘みの場面で、真ん中に写っている方は、
ヴェネト州知事のルーカ・ザイア氏・Luca Zaiaで、その右に葡萄を持った手の方は、
(後ほどお顔も)ヴェネツィア市長ジョルジョ・オルソーニ氏・Giorgio Orsoni.
で、この葡萄はドローナ・Dronaというヴェネツィア一帯の土着の品種です。

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かってヴェネツィアのラグーナ・干潟で育てられ、白ワインとして普及していた品種で、
殆ど消滅していたのを探し出し、8年前からブラーノ島のお隣のマッゾルボ島・
Mazzorboで改めて栽培、遂にこの3日、初のワイン製造の為の葡萄摘みが行われた、
というその場面なのです。

このブログには珍しい時事ニュースなのですが、ヴェネツィア共和国時代のワインを
蘇らせる、というロマンに満ちた話題を昨年聞いて以来興味を持ち、
葡萄畑の写真を撮らせてと頼んでいたのが、この嬉しい場面に行き合わせるチャンスを
頂いたのですね。 という事で、今日もまたごゆっくりご覧下さい!



マッゾルボ島・Mazzorboはどこにあるか、ヴェネツィア本島の北東、レース編みで
有名なブラーノ島・Branoの隣にあり、木の橋で繋がっている島。

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ブラーノ島や、素晴らしい中世の教会がある、ヴェネツィア発祥の島とも言われる
トルチェッロ島・Torcelloに行かれた事のある皆さんはご存知と思いますが、

ヴェネツィア本島のフォンダメンタ・ノーヴェ・Fondamenta No'veからヴァポレットで
出発すると、かなりの距離を行って最初に停まるので、ブラーノ島到着かと
勘違いされやすい停留所がマッゾルボで、
ここまではちょうど30分で着きましたから、ブラーノまでだと35分程でしょうか。

地図の航路は普通と違うので、青い点線を入れました。

国鉄のサンタ・ルチーア駅からは42番のヴァポレットで、サン・マルコ広場からだと
サン・ザッカリーア停留所から41番でフォンダメンタ・ノーヴェまで行き、
ここでLN ・ラグーナ・ノルド線に乗り換えます。
       
が、41.42番でムラーノ島まで行くと、乗り換え場所が離れているので、
フォンダメンタ・ノーヴェからの方が気持ち的に楽、でしょうか。

但しこちら行きは1時間に2本しかありませんので、(この記事当時の時刻表で)
時間の余裕を十分考慮の上お出かけ下さいね。


フォンダメンタ・ノーヴェを出発しての眺めで、左側に停留所が3つ、こちらは
ヴェネツィア本島巡り用、橋を渡って右にあるのが、ラグーナの島巡りのLNライン発着用。

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前日は涼しいながらも快晴だったのですが、この日は雨が来るという予想通りに、
朝から曇り空です。
    
   

が、いつもながら、サン・マルコの鐘楼の見事さに嘆息!

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魚取りの小舟も見かけつつ、

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ぐるっとラグーナの航路を進み、ブラーノ島の鐘楼が見えて来ます。
イタリアの斜塔は、何もピサだけではありませんで、あっちにもこっちにもありますぞ!

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運河の中に入り込み、ここはもうマッゾルボ島。 家々の色はブラーノ同様色とりどり。
停留所で降りた後少し引き返し、この運河沿いをぐるっと一回り、古い小教会や、
由緒ある鐘楼を見るのも一興の散歩です。

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停留所から船の進行方向を見て、4軒目のピンク色の建物が目ざす場所で、
     
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正面の様子。 右の煉瓦塀にComune di Venezia ・Ristorante Venissaと。
レストラン・ヴェニッサは、ここが入り口で、

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ピンクの建物の入り口は、オステッロ・Ostello Venissaで、2,3階には全部で
6室のホテル設備が整います。



中に入っての様子。 この右手に葡萄畑が広がり、こちら側にレストランで、
いずれもかっての持ち主の建物を修復したもの。

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実はここに1週間前にもお邪魔し、撮らせて貰らったのですね。
宿の部屋も見せて頂き、熟れて黄金色になった葡萄や、建物の様子も。

その前に2日は?というので、自由です、というと、では2日にアぺリティーヴォにここに、
というのでOKと言っていたのが、数日前に正式の知らせが来て、
州知事や市長も来られての記念行事と分かった次第!

ヴェネツィア共和国時代のワインの蘇り、と言うのは1年半前にプロセッコのメーカー、
ビゾール・Bisol訪問の時に聞いて以来、見たいもの!と思っていましたから、
8月初旬にビゾールの宣伝担当のミケーラから、日本のジャーナリストにコンタクトを
取りたいのだけど、と言ってきた時、
       
私のブログに載せるのに写真を撮らせてくれないか、とチャンスと頼んだのですね。
毎月これ位の訪問者がいるの、と、こんないささか強気の売り込みができるのも、
たくさん見て下さる皆様のお陰で、本当に感謝です!!

月にどれだけの訪問者か、以前の記事は、ブログのタイトルは、なぞと何度かの
やり取りがあり、州の報道関係にも送る、と次第に本格化し、
内心きゃいん、となりつつも我を励まし・・、ははは、
この葡萄摘みの行事に参加出来たという訳なのでした。

プロセッコのワイナリー訪問は、
  
      
入り口に「ヴェネツィア市」とあると書いた通り、ここは現在ヴェネツィア市の持ち物で、
土地の利用法についての案を公募した模様で、
スロー・フード協会、ヴェネツィア大学等などから寄せられた12の案の中から、
ビゾールの、古くからのラグーナの葡萄、野菜類を再度ここで栽培し再評価させる、
が採用されたという訳。

ラグーナ・干潟の、salmastro・サルマストゥロ・塩を含んだ土地に葡萄畑があり、
そのワインが広く普及していた、という事自体が初耳の感がしますが、
記録には、現在のサン・マルコ聖堂の辺り、大運沿いにも葡萄畑の記録があるそうで、
       
実際、サン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャ教会のヴィーニャ・vignaは葡萄畑を指し、
地図でご覧頂ける、ヴェネツィア本島の東にある島ヴィニョーレ・Vignoleの名もそう。
家庭菜園でも、教会や修道院でも、健康の為、行事の為にも
ワイン作りは欠かせなかったに違いありません。

こうした土着の、多分塩分の土地に強いと思われる葡萄の品種、15世紀頃までは
この葡萄がラグーナ一帯に普及していたのが、消滅したと思われるほどに衰退したのには、
ヴェネツィア共和国が本土側に領土を広げていった年代に重なります。
苦労して栽培せずとも、美味しいワインの産地を確保した年代でしょうか。

この土着の葡萄の品種ドラーナ・Dranaを探しだすのに、ミケーラの言葉では、
インディアナ・ジョーンズみたいな冒険をした、との事で、野菜作りで有名な
サンテラズモ島・Sant'Erasumoのお年寄りの畑に細々と残っていたのだそう。

で、今こうして古い12世紀からの壁に囲まれた1ヘクタールの土地に、
新たに植え付けられたまだ若い葡萄畑が広がります。

背も高くなく、まだ細い幹に、たわわに実る黄金色の葡萄の大きな房を見た時、
植物って本当に偉いなぁ!! と。 



前日2日はヴェネツィアの、パラッツォ・ドゥカーレの秘密のコース(カサノヴァの
入っていた牢とか、拷問室とか!)時計塔に上がるコースを見て泊まり、

3日の朝11時半から葡萄摘み、というので10時過ぎに到着しましたら、もうすっかり
準備が整い、既に招待客や報道陣がかなりの数。 小心者の上に知り合いのいない
唯一の東洋人は時間つぶしに、再度あれこれ写真を撮ってまわります。

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レストランの前には、ヴェネトのラグーナ一帯の特産野菜が並べられています。
カヴァッリーノ・Cavallino、キオッジャ・Chioggia、サンテラズモ・Sant'Erasmo
はこの一帯の土地の名前。

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1週間前にお邪魔した時はひっそりしていた葡萄畑が今日は取材陣に占領され、
あちこちでインタヴューが行われており、

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3,4枚目の女性は、国営放送RAIヴェネトのジャーナリスト、エリーザさんで、
この後写真を撮らせて貰いましたが、ブログOKを貰わなかったので残念。

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5枚目のインタヴュー中の男性が、今回のこの大きなプロジェクトを背負っている
ビゾールのジャンルーカ氏・Gianlucaで、さすがに今日は嬉しさを隠しきれない顔。

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最後は、ヴェネツィア市長のジョルジョ・オルソーニ・Giorgio Orsoni氏、
お隣は、ビゾールの宣伝担当ミケーラ・Michela. 彼女のお陰で、今回のチャンスを。

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今回のプロジェクトが始まり、この土地も、できるワインも、レストランも、
新しい名前を命名され、ヴェニッサ・Venissaです。

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ドローナ、または金色の葡萄・Uva d'Oroと呼ばれるに相応しい素晴らしい色に熟し、
まだまだ細い幹なのに、見事な房で、なんと凄いなぁと感嘆します。

ワインだけでなく、食用にも供される葡萄との事で、コネリアーノ周辺で見かける葡萄より
粒が少し小さいかな、という感じですが、先週ちょっと味見をしたら、なんとその甘い事!



土地の一角は野菜畑に充てられ、地元のお年寄りが管理をしていて、

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ローズマリー、ジュッジョレ(ナツメ) ズッキーニ、茄子、カルチョッフィ
(この一帯の小さい紫のカルチョッフィは有名)、メロン、フィノッキ(ウイキョウ) 
奥にはクオーレ・ディ・ブーエ・牛の心臓と呼ばれる大きなトマトも。



今水遣りをしているこの方、畑の傍らの覆いの下からやおら瓶を取り出し、
コップに赤をなみなみと注いでぐぃっと!
ずっと繰り返しているのでしょう、既に赤い顔でしたもの。はは。

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そしてまた一郭には、海水の入り込む細い運河を利用し、養魚場もあり、
今日はお披露目用に網の中で泳いでいるのが見えました。

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ボラとかスズキとか、他にもあれこれ教えて貰ったのですがぁ・・。



空模様があやしくなる一方で、陽が射したり陰ったり。 
畑北側の一郭にかっての鐘楼と小礼拝堂がありますが、今は公園に整備されており、
運河の向こうの家がすぐ地続きのように見えます。

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そろそろ州知事のご到着です、という声で、皆さんぞろぞろと桟橋の方にお迎えに。


という事で、n.2に続きま~す。

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・ 山の家の夏休み ・ ドロミーティの山 ・ ハイキング

1ヶ月の夏休みもあっという間に過ぎ、はやもう9月の声!
夏休みの間にもたくさん訪問して下さった皆さまに感謝しつつ、
怠け癖のついた心に鞭打ち、ブログを再開させて頂きます。
よろしくお願いいたしま~す!
     
という事で、まずは夏休みの話題から。 
8月の20日過ぎ、息子の山の家に4日ほど行って来ました。
昨夏に約束した小さな壁画、アーチ型の窪みの上に花の絵を描くのが目的で、
1週間ほど行くよと言っていたのが予定が変わり短くなり、
村の風景は既に昨年撮った事だし、とカメラを持たずに出かけましたが、
しまったぁ! という羽目に。

というのも、お絵描きはそこそこに山の上の小さな教会にハイキングしたり、
夜は夜で近くの村の催しに出かけたりで・・。
で、今回の写真は、セルジョが撮って来たドロミーティの山の風景と、
彼のコンパクト・カメラを借りて写した物でご覧頂きますね。
      
まずはセルジョが、彼の娘の彼と出かけたドロミーティの山を。

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地図をどうぞ。 ちょっと見難く申し訳ないですが、下半分がヴェネト州、
点線で記された左上半分がアルト・アディジェ州で、赤線で囲ったシロール・Sirorに
息子の山の家があります。 地図の右下外の我がコネリアーノから約1時間45分。

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シロールの下の赤■に、この一帯の中心観光地であるフィエラ・ディ・プリミエーロ・
Fiera di Primieroがあり、その南のトランザックワ・Tranzaquaには
夜のお祭りに出かけましたが、かっての民衆生活の実演を見せたりで大変興味深く、
写真をまたご覧頂こうと思っています。

ご覧頂く前半は、赤い■の位置にある山小屋トゥレヴィーゾ・Rifugio Treviso
にセルジョとジュゼッペの男2人が出かけ、更に小屋から奥に2時間ほどのフォルチェッラ
という場所まで行ったと言い、夕方疲れながらも満足して意気揚々と戻って来た、
ドロミーティの山の写真を。

後半は、地図中に囲ったゴッベーラ・Gobberaという村からハイキングがてら行った
山の小さな教会の様子を。

n.1 夏の思い出 ・ 山の家、庶民の避暑地
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461527165.html

n.2 夏の思い出 ・ 山の家、庶民の避暑地
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461527243.html

山の家に行く途中に通るフェルトゥレは
フェルトゥレ ・ ドロミテの麓、小さな高貴な町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462862246.html
      


「山小屋」と書いてますが、リフージョ・rifugio・避難所と呼びます。
私は行かなかったので、駐車して後この山小屋までどの程度の行程か良く分からず。
が、写真に見える背後の山、そして小屋の位置を考えると、
かなり歩いたに違いありませんね、既にこの小屋の位置で、海抜1630m。

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前日には、一緒に行こうか? という話だったのですが、1時間程歩くという話が
だんだん時間が長くなるのと!岩のゴロゴロ道で、運動靴では無理かもという話になり、
ではお家でお絵描きを、という事に。 そう、皆さんあの重たい登山靴着用。
       
朝の6時過ぎにはごそごそ出かける音が聞こえ、戻って来たのは
夕方でしたからね、のこのこついて行ったら、半殺しの目に遭う所でしたぁ!



山小屋トゥレヴィーゾ内部、そして本日のメニュー。

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セルジョはもう20年以上も前に一度行った事があるそうで、でもすっかり改装
されていたと言い、小奇麗なバールが見えます。
勿論宿泊もでき、普通この海抜程度の山小屋は背後の山に上り下りする際の
休憩場所。

リフージョ・トゥレヴィーゾの位置を検索していましたら、
ここまでは容易に行ける。 食べ物には余り満足できないにしろ、居心地は良いし、
1600mの高さにしては、風景も素晴らしい。 ecc ecc
というコメントを見つけましたが、しっかり歩いた後なら何でも美味しいですよね?!



多分、山小屋の背後辺りからの写真と思いますが、徐々にアップして行くと、
ロッククライミングする人々の姿が遥かに。

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山小屋トゥレヴィーゾから更に奥のフォルチェッラ・Forcellaに。

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私が聞かされていたのは山小屋まででしたから、山小屋に軽く到達した男2人が、
欲を出したに違いありませんね。

こうして見ただけで、ここで待ってるから行って来て! という風景ですねぇ。
多分、ジグザグのあの岩道を登ったのでしょう!



フォルチェッラ・Forcella という言葉自体が、フォーク形とか、鞍の鞍部、ヘアピンを
指しますが、写真を見るとまさに納得。

山の切れ込み部分真ん中に、ちょこっと飛び出た形が見えますね、
あそこがいわば頂上に当たる場所で、そこを目指したものの・・、

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白く鱗のように見えるのは、雪が残っている場所で、

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あの先っちょがすぐそこに見えるのに、辿り着くのは・・!! だったそう。 ははは。

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で、辿り着いた証拠の標識、標高2094m.  山小屋に1時間半、と見えますが、
2時間はかかったと。

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ここから下りさらに奥を目指すとか、色々道がありそうですが、この高さからの風景は
やはり格別だった様子。
皆さんにも、ドロミーティーの山の空気を!

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湖の様に見えるのは、山の影が落ちた草原で、
緑の谷が見えるのは、べッルーノのドロミーティ国立自然公園の方角とか。

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さてここから後半の話題、山の上の小教会へのハイキングを。

最初ご覧頂いた地図のゴッベーラ・Gobberaという村、ここが既に海抜989m、
かってのゴッベーラ峠の現人口は50名程の小さな村。 写真2枚セルジョ。

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シロールに行くのに、フェルトゥレの盆地を抜けチスモン川・Cismonを西に渡った後は、
川に沿っての山間の細いカーヴする道をクネクネと北上しますが、
川は時に大きな湖の様に堰止められ、発電所もあり、
山の間を抜けきると一転して、イメール・Imer メッザーノ・Mezzanoといった
谷間の小村が続く平野に出ます。

その中心にフィエラ・ディ・プリミエーロがあり、シロールから奥はまた山間の道で、
ドロミーティの各スキー場へ。

で、平野に出るすぐ手前から、左手の山上に小さな教会が望めますが、
サン・シルヴェストゥロ・San Silvestro小教会で、ゴッベーラの村から小道が続き、
家族向けの格好のハイキング道なのですね。で、セルジョと奥方のドナテッラと
3人で出かけたという次第。

かっては村の西と東の谷を繋ぐ峠道の頂上にあった村ですが、現在はトンネルが
ついて静かな村で、教会の隣にバール兼一つ星のホテルがあり、
戻りの休憩に寄った所、面白い物を見つけましたので最後に。

上の写真にも見える谷の向こうに立ち聳える山で、平野に出る前の最後の山。

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小教会への小道は最初はぐぐっと下り次に上り坂。 つまり、村から隣の山並に
行く訳で、最初の急な下り坂で、ああ、戻りにはこれを登るのか、と覚悟を・・。

途中で見かけた標識によると、小教会には片道1.2kと書いてあり、
え、そんなに短かった?!

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林の中で樵が働いているのが見え、

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野生のシクラメンがあちこちに咲き、山の恵みの実もいっぱい!
セルジョが摘んでは、ほら、ほら!と。  茸もあちこちに!

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今年の晴れのち雨という天候が、茸の当たり年にしているとかで、
茸大好き人間ではあるものの、見分け方を知らないので自重。

ですが、セルジョの下の家のシニョーラが茸採りの名人で、既に冷凍された
大きな塊が届いており、この日の夕方にも、ポルチーニの混じった大袋が届き、
しっかり頂きましたぁ!



サラダ菜もトマトも、ここではまるで味が違う美味しさ! 土地のチーズのトゼッラ
・tosellaという白い生チーズも薄切りにしてグリルしたのを美味しく賞味。
       
トゼッラをグリルしたのをサイトで見つけたので、どうぞ。

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大変美味しかったのは土地のクロワッサン。 山のクロワッサン と呼んでいますが、
あれこれ雑穀が入ったのや、黒い粉のクロワッサンがなんとも美味しく、
月曜の朝に出かけた市で買って家に持って帰りました。
が写真を、と気がついた時には既に口の中に! は~い、また来年。 ははは。
     


小教会の手前から、山の家に来る時に抜けてくる山間の道と川が見え。
傾斜はそうきつくない道ですが、カーヴが多く狭いので走る時はやはり少し緊張する道。

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サン・シルヴェストゥロ小教会。 古い起源伝説も絡みますが、13世紀に溯るそうで、
古いフレスコ画も内部に残っているのが、普段は閉じられており覗くだけ。

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高さ300mの突き出した絶壁の上にあり、背後にプリミエーラの谷が広がる絶景が!

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山を回り込んだ奥に見えるのが、フィエラとトランザックワ。



戻り道。  

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セルジョのコンパクトカメラの使い方が良く飲み込めず、あれこれ写した山の植物は
全滅状態! ISOの変更が出来ず、何でもかんでもフラッシュをたいてくれるのがねぇ・・。
携帯を上手く使えない同じ弱みを披露した次第で~す。



戻ったゴッべーラ村の道に「石灰用の窯」という矢印が出ており、
「5分」という言葉に釣られ、またゆっくりと山道を。 これからまたセルジョの写真で。

説明書きをドナテッラが読んでくれ、漸くに、建築資材に用いられた石灰の取り出しに、
石灰岩をこの窯に入れ、焼いて石灰を作っていたらしい、と納得。

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とはいえ、石灰窯や石灰の作り方についてはまるで無知で、セルジョが説明書きも
撮ってくれていたのを読み、検索もかけ漸くに飲み込めた次第、なので、
ちょうどの機会という事で少しご説明を。

この窯は1903年にここに造られたのですが、当時1000クローネを費やし
建設されたというウィーン製で、いわゆる竪窯式という様式。
元々あちこちに小さな窯があったこの一帯に、ゴッベーラ村生まれの技師が導入。

かっては窯の周囲に張り出しの屋根がついていて、上から石灰岩を入れ、
ブナなどの上質の木材や、製材所の切りくずを燃やし、
1回の窯焼きに8日間かけ、石灰岩を掘る事も含め11人から12人が交替で、
窯の火を消さぬよう働いていたと。

窯を使うのは1年のうち春の3,4カ月間で、6月になると草刈り仕事が始まるので、
窯は閉じられたそうで、一日に2000~3500kgの石灰が作られ、
燃やすブナの木質が良いとか、お天気次第によっては3000~3500Kgに達したとか。

1931年まで活動を続け、その後砂岩抗道が開かれたとか様々な要素が重なり、
石灰窯の活動が衰退。

第2次大戦中には、窯内部の溶解しない鉄材を(窯の中心部?)
家庭用のストーブを作るために取り除いたりで遂に終焉、
現在はコムーネの持ち物で、修復され村の歴史を示します。

石灰を作る製造過程など考えた事もなく、勿論窯の存在も知らず、
まず実物に出会いあれこれ知る、という経過はいつもの事ながら、
山の奥の小さい村の、かっての生活にも触れた様で興味深かったです。



で、アイスクリームのコーンとカフェを飲みに入った、村1軒のバール兼一つ★の
ホテルですが、奥の棚に年代物の瓶がずらっと並び!

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写真3枚分あった瓶の数を省略、ラベルにある顔でどの時代の物かがね?!



最後は、カウンターの横の壁にあった1932年の宣伝。
ご丁寧に琺瑯びき板に印刷してあり、
「歓びの家 SORA GEMMA」は、シニョーラ・ジェンマ、の意とセルジョの解説。

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で引き続きshinkaiが訳しますと、ひひ、
上から、1回、2回、30分、1時間 のお値段で、
水とタオル代込み、 普通の石鹸 5セント、 コロン水 25セント
で最後に大文字で、 若者の初体験は割引あり! 
    
むむ、日本でも昔は「筆おろし」なる言葉がありましたっけね。
何やら時が止まったままの、山の村のバールなのでした! ははは。
       

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