・ セザンヌのアトリエ ・ エクサン・プロヴァンス

今日は、エクサン・プロヴァンス・Aix en Provence
の街の高台にある、フランス印象派の巨匠として名高い
ポール・セザンヌ・Paul Cézanneのアトリエのご案内です。

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エクサン・プロヴァンスはどこにあるか、もう一度地図でどうぞ。

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かってのプロヴァンスの首都で、文化芸術も庇護され大いに繁栄した街、
15世紀末にフランス王国に併合され、大学・法院で名高いのだとか。
大変に爽やかな、緑の多い洒落た大きな街の印象が残りますが、

まずは写真が少なく! 整理しやすかった、ははは、
セザンヌのアトリエからご紹介を。 街のご紹介は、少々お待ちを!


街の地図は最後にご覧頂きますが、アトリエは街の北高台にあり、
せっせと緩やかな坂道を上ります。

現在の木々に囲まれたアトリエの様子と、
古い写真に残る、オリーヴと無花果畑の中の姿を。
 
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道も現在はもっと広く舗装されていて、
ずっと街の中心に向かい家が立ち並び、ちょっとした住宅街。

アトリエの売店には、日本語版のガイドブックと、ガイドが確かある筈、
と貰ってくれたパンフレットもありましたが、
アトリエ内は写真禁止でしたので、それらの写真でご覧頂きますね。



古い写真にも様子が伺える門。 門扉に貼ってある案内には、

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ほら、これが私のアトリエ。
私以外はだれも入れませんが、でも君は友達だから
一緒に入りましょう。

下の小さな写真はちょっとしたユーモアで、
犬は入れません、の標識をワン君が咥えているのです。



が、入ってすぐの位置に猫ちゃんが寝ており、
皆ぞろぞろ入って行くのにも、頭をもたげただけ・・!

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1階の入り口辺りと、庭のテラスに置かれたテーブル席と。

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傾斜地の為、アトリエの前庭部分は細長く奥に続き、段差がついて
下の庭に繋がります。  大きく育った木々がうっそうと枝を広げ、
木漏れ日が落ち、美しいゆったりとした空間を。



入り口部分と、右に見える画架上の写真のセザンヌ。

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彼はこの7000平方mの土地を、2000フランで1901年11月に購入。
1886年に父親が死去し、その遺産金で、と聞きましたが、
10ヶ月間をかけアトリエを建設し、
ここに彼の絵のモチーフを全部運びこみます。

63歳になる画家がこうして自分の想いをこめたアトリエを持ち、
住居から、季節も天候も意に介さずに毎朝ここに通い
朝の6時から10時半まで仕事、11時にお昼を食べに街に下り、
午後またここに戻るか、外に描きに出かけたのだそう。

夏の酷暑の時などは食事をここに運ばせ、
来客の時などは2人前を頼み、・・と。

いかにも堅実頑固で、自分の絵とのみ取り組む
既に若くない画家の姿が見える様です。
              


アトリエ1階の窓、 左の窓の内は事務所、右は売店に。

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木漏れ日の下のベンチ。

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かっては葡萄や無花果畑だったという土地も、今はこんな風に
気持ちの良い、ゆったりと思索に耽り、気持ちの休まる庭に。

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アトリエの西の角から軒下の様子を。
破風が東に向かってと、この南向きと2つあり、

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傾斜地の下側から見た1階部分、
       
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建物の右横、上の傾斜地に続く石段横の井戸。

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この石段を上ると(写真は上から)

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アトリエ北側の、建物の中間の高さに出て、大きな窓が見えます。
北側の窓からは日の光が一定して入りますから、
画家のアトリエは常に北窓が大きいのですね。
 
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左奥に見える細長い切れ込みの窓は、
「大水浴」の大作が窓から搬出できず、開けたのだそう。



と、その絵の前のセザンヌ。

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写真は1904年撮影だそうで、後ろに見える絵の構図が
ロンドンのナショナル・ギャラリーのとも、フィラデルフィア美術館とも
違っていて、どこのか特定できませんが、
年代と下部の空きから見て、フィラデルフィアの作品中途かも。



で、いよいよアトリエ内部に。
入り口を入ってすぐの狭い階段をあがると、そこ、2階全部がアトリエ。

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ほぼ正方形の形に近いでしょうか、
天井も高く、広いアトリエですが、高名な画家のアトリエとしては、
意外に小さい印象を受けました。
写真撮影禁止の表示に気がつかず、(想像はしていましたが)
1枚撮った所ですかさず、ダメですよ、の声がかかりこの1枚だけ。



こちら側が東向きで、天井の高さなどもご想像できるかと。

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イーゼルの後ろの細い切れ込み部分が、大作搬出用窓で、
上の写真にも写っているストーヴが、何とも素敵でした。



こちらは西側。
カラー写真はガイドブックにある現在の姿で、
白黒のは、セザンヌの没後15年にここを買い取った
マルセル・プロヴァンスという人の時代の写真とか。

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同じ場所ですが、少し違いますね。
私が見たのもカラーの写真とはほぼ同じでも、角のイーゼルの
下辺りが少し違いました。

管理の方の話では、セザンヌ当時の雰囲気を残すように努めている、
との事で、果物などもプラスティックながら静物画のモデルと
そっくりに置かれていました。

アトリエを買い取ったマルセル・プロヴァンスという人は詩人で、
セザンヌの仕事を高く評価しており、保存の為にアトリエには手をつけず
1階部分のみで生活したそう。

が、1951年のこの彼の没後、近辺に土地業者の動きが出始めたので
保存運動が起こり買い取り、現在も市の博物館の一環として
管理されていると。

カラー写真の右端に切れて見える引き出し式の小箪笥を
ガイドが開けて見せてくれ、絵に使われた白いパイプなど、
意外に小さいパイプ、を見る事が出来ました。



真ん中にアモールの石膏像がある写真、上の棚に青いガラス瓶が
見えますね。

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写真のアトリエ内に写っているモチーフ類は全てあるそうですが、
唯一、この青いガラス瓶が現在無いのです。
何年か前の建物の修復時に紛失したのだとか。 やりますねぇ!

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セザンヌが晩年にこのアトリエを建て、実際にここで仕事をしたのは
わずか4年間ですが、お気に入りのモチーフを全部運び込んだ事からも、
いかにも彼の絵に掛ける気迫が伝わってくる場所で、
作品の展示もなく、常の美術館とは違いますが、
仕事場、そして場の持つ空気が十二分に感じられました。



自筆の書簡は1902年9月1日付け、姪のポール・コニル宛てで、

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ちっちゃい(可愛い)マリーが
出来上がったアトリエの掃除をしてくれたので、
少しづつ引っ越しをしています。 
私にはまるで読めませんが、達筆ですよね。      
       


カタログにあった「庭師ヴァリエ」 1906年 65X54cm

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私には正直言ってセザンヌの絵は分からず、実物を見た事もなく、
画集の中の作品も美しいとも思えませんが、これは好きです。

そして画集で見るセザンヌの有名作品よりも
ずっとこのアトリエが気にいりました。
自分の思う形を求め続けた格闘そのものの作品よりも、
一直線に追う姿勢を映し出すアトリエが好き、
というのは生意気なのでしょうが・・。



壁に写る2階の鎧戸の影。

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エクサン・プロヴァンスの街の地図をどうぞ。
ちょっとチリチリして見難く申し訳ないです。
左下にインフォメーションがあって、そこからセザンヌの足跡を辿れる様に、
>>> の印がついているのですが、まぁ、省略してご案内を。

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数字の横に緑の四角をつけた場所、
1.生家ですが、1839年1月19日にポール・セザンヌは
  慈善病院で生まれ、妹はこの家で1841年に誕生
  両親が結婚したのは1844年1月29日
34.サン・ピエール墓地 1906年10月24日ここに埋葬
2.セザンヌの父親がしていた帽子店
  街のご紹介の時にこの辺りもご覧頂きますが、
  父親はその後 地図26で銀行業を
3.芸術家たちの集った キャフェ・デ・ドゥ・ギャルソン
15.ミニュ中学校 エミール・ゾラ等と知り合う。
28.セザンヌの最後のアパート 1899年から1906年10月22日夜
  に亡くなるまでここに。

10月15日にアトリエの近くで描いている時に嵐になったものの描き続け、
ずぶ濡れになって意識を失い、洗濯屋の荷車で家に運ばれる。
が、また翌朝アトリエに出かけ、死にかけて帰宅。
絵を描き続けながら死ぬ事を望んでいた彼は、
22日から23日にかけての夜に亡くなりました。

31.大変美しいサン・ソヴァール大聖堂。
     毎日曜にミサに通い、彼の葬儀もここで。

グレーの丸の付いたあの道を約800m上ると、彼のアトリエに。



売店の隅に、なぜかピカソの絵葉書が何種かあり、
男臭いこの手の顔に弱い私は、はは、買って戻りましたので、
おまけとして2枚程ご覧頂きますね。

1954~55年にかけてのピカソの顔。 既に73歳、信じられん!!

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売店の若いお兄ちゃんは片言の日本語をしゃべり、
お金を払うと、「アリガトゴザ~マス」
こちらも負けずに「どういたしましてぇ~」

こんな様子のアトリエ訪問でしたが、戻って来てこれを書く際になり、
漸くに、サン・ヴィクトワール山を確かめずに戻った事に気付きました。
あ~あ、ダメだなぁ!!


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・ ヴィッソ ・ ヴァルネリーナ渓谷の珠玉の町

今日のご案内は、ウンブリア州からほんの少しマルケ州に入った所の、
ヴィッソ・Visso という小さな町を。

殆どの方がご存じないと思いますので、まずは地図をどうぞ!

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タイトルに書きましたヴァルネリーナ・Valnerina というのは、
マルケ州シビッリーニ山に源を発するネーラ川・Nera が流れる渓谷で、
ヴィッソ・Visso から左下ヴァッロ・ディ・ネーラ・Vallo di Nera
に続く道がこの渓谷を通り抜けます。

ネーラ川はテルニ・Terniから オルテ・Orte辺りで、ローマに流れる
テーヴェレ河・Tevereに注ぎます。

ヴィッソはローマ期以前からの歴史を持ち、ローマからアドリア海に抜ける
街道、商交易の要所に位置し、「イタリアの一番美しい村々」にも選ばれ、
シビッリーニの珠玉とも呼ばれ、シビッリーニ国立公園の事務所も。
       
ヴァルネリーナの歴史ある小さな村をあれこれ訪ねながら、
中世の外科学校があった事で有名なプレーチ・Preciや
サン・ベネデットの生地であり豚肉製品で有名なノルチャ・Norcia、
大平原の花畑、レンズ豆産地のカステルッチョ・Castelluccio に
行くのに2007年春、2008年夏と2度この町を訪れつつ、
ご案内を逸しておりました。
       
この所お天気が少し好転して地図を眺めるようになると、
宿題提出をサボっていた事に気がつき、やっと今回ご案内を。

スポレート・Spoleto からヴァルネリーナ渓谷の道に入り、
細い曲りくねった道を上り下りし、町の直前はまさに両脇に渓谷が迫り、
そして一転ぱっと開け町の入り口に。
並木が続く美しい道を辿り、町の西門サンタ・マリーア・S.Mariaに。

写真は町入り口の並木ではなく、町横を流れるネーラ川沿いで、大変美しい趣。

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門を通る道が細く、いいのかな?と思いつつ抜けると・・、

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細長く繋がる2つの広場、マルティリ・ヴィッサーニ・Martiri Vissani が手前側、
奥がピエトゥロ・カプーツィ・Pietro Capuzi.

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ご覧の様に、この山の中の小さな町に14~16世紀にかけての、
ゴシックからルネッサンス様式の建物が立ち並ぶのですね。
       


写真真ん中部分ベージュ色の出っ張っている建物は、
ゴヴェルナトーリ邸・Palazzo Governatori.
   
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広場の反対側からはこんな感じに。
      

ゴヴェルナトーリ・執政官邸という呼び名は、この町が自由都市から
スポレートの教皇領の下に入った歴史を語りますが、1583年には
ウンブリア教皇領の本拠となったそうで、由来については後ほど。
       
実際19世紀のイタリア王国建設まではウンブリア州に属しており、
現在はマルケ州のマチェラータ・Macerata県で、
海抜608mの町の住民は現在1200人程。
1522年に南のノルチャ、プレーチ辺りをも巻き込んだ有名な戦争
ピアン・ぺルドゥートの戦い・battaglia del Pian Perdutoに
ヴィッソが勝ち、漸くこの周辺の力関係に決着がついたのだそうで、
ヴァルネリーナ東部の商業、文化の中心地となったのも頷けます。
そうそう、プレーチに3泊した時には15K走ってヴィッソまでガソリンを入れに
来ましたし、それ以外は西のチェレット・Ceretto辺りまで無かったと!
             
      
  
マルティリ・ヴィッサーニ広場・ヴィッソの犠牲者に捧げる広場、には、
尖った美しい鐘楼のサンタ・マリーア教会・Collegiata di S.Maria.

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教会とはいえドゥオーモに次ぐ格にあり、奥の三角の正面壁の教会は
サンタゴスティーノ・S.Agostinoで現在は市の博物館。



広場に向いているサンタ・マリーア教会の正面扉の、上部の半円に
描かれた受胎告知、土地の画家パオロ・ダ・ヴィッソの作、

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扉両脇にいるライオン像、彫刻された木製扉、

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中世の面影を宿す彫り。

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いずれも暗くて手振れし申し訳ないですが、内部を。
12世紀の木製着色の聖母像、北の影響を受けたウンブリアの作品で、

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フレスコ画はいずれも14世紀のもの。

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巨大なサン・クリストフォロ像・S.Cristoforoは、高さ10,68m
横幅が4mもある見事な物で、中世の大男伝説により常に巨大な姿。

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町の地図をどうぞ。
左半分は上でご案内の通りですが、赤い印をつけたPorta S.Maria から町の中心に。

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町の上半分は山沿いに広がる坂道の家並で、南側に川が2本、
ウッシータ川・Ussitaとネーラ・Neraが流れます。

地図左下に見える美しい薔薇窓の三角形のサンタゴスティーノ教会、
ここは現在市の博物館。



町のパンフレットによると200点を超す絵画作品も収納の様ですが、
いかんせん、開館時間が土・日曜の短時間のみ。

で、ここの目玉とも言えるのが、イタリア19世紀最大の詩人と言われる
ジャコモ・レオパルディ・Giacomo Leopardi(1798-1837)
伯爵の家に生まれた文学者、哲学者、言語学者の手稿、
とりわけ有名な6篇の田園詩、インフィニート・L'Infinitoを含む、が
あるのだそう。
       
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マルケ州海沿いの町レカナーティ・Recanati生まれのこの詩人の
作品で唯一知っているのは「孤独の雀・Il passero solitario」.
イタリア語を最初に習った坂本教授の本の巻頭にあり(ご存知の方も多いと)
格調高い詩の朗読テープを何度か聞かされた遠い記憶が。



中心広場の南側に立ち並ぶ建物の壁に見つけた「灯り燈し」と。

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ライオン君はともかく、この女性像はなかなか凄いでしょ?!
もひとつは、明らかに当たり前の男性像で・・。

中程の建物に小さな本屋があり、土地の出版物なども揃っていて、
2度の訪問で買い込んだものの、う~~む、まだ積読のままだぁ!



細長く続く2つの広場を東に辿ると、プリオーリ宮・Palazzo Priori.
現在は市役所で、町のカタログはここで貰いましたが、

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一階のロビー横に、こんな農耕具の物らしきがあれこれ展示で、
これは葡萄絞りの汁受けだと。

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町の山側の細道を辿ると、教会の鐘楼が見え、坂道がくねって続きます。

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この家は地図真ん中上に見える、バルコンチーノ・メディオエヴァーレ・
Balconcino Medioevaleで、如何にも武骨な中世の面影を宿します。
修復されているので、今もお住まいなのでしょう。

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教会・修道院サン・ジャコモ・Chiesa del Monastero di S.Giacomo
花で埋まったこの一角が素晴らしかったですが、

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大きな古い建物は、ボンコンパーニ邸・Palazzo Boncompagniと。
訪れた2007-2008年、町は大修復の真っ最中で、道はあちこち掘り返され、
建物が修復中だったりで、観光用標示もなく、今回地図を睨みながら・・。

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ですが、あれこれ読むうちに面白い発見が、というのも
グレゴリオ暦を採用した事で有名な法皇グレゴリオ13世・Gregorio XIII
(1502-1585)の俗名がウーゴ・ボンコンパーニ・Ugo Boncompagni.
ボローニャ生まれですが、そのご先祖がこのヴィッソの出身で、
14世紀の初めにボローニャに移ったとの事。

で広場の写真にあるゴヴェルナトーリ邸には、この町にウンブリア教皇領の
本拠を置いたグレゴリオ13世の紋章も掲げられていると。
     
  
グレゴリオ13世という方はボローニャ大学で教えていたのを、その優秀さから
40歳でローマに招かれ司祭となり、法王庁で働くうちにぐんぐん頭角を現し、
トレント公会議で大活躍、外交の働きでもスペインのフェリペ2世の
信頼を受けたりで、法皇になったのが1572年、なんと70歳の時!

この時の法皇選出は、スペインの支援の下24時間内に決定で、
カトリックの改革の取り組み、発禁書の見直し、グレゴリオ暦の
採用等など、84歳で亡くなるまで大車輪の働きぶりを。

トレント公会議に赴く途中滞在した生地ボローニャで、従妹の下で
働いていた女性との間にジャコモ・Giacomoが生まれたり、
(46歳の時、正式に認知を)
亡くなる直前には、日本からの天正の4少年が拝謁を賜わったり・・。

フェリペ2世の信頼が厚いとなると、先日ご案内の、理想の町造りを目指した
サッビオネータのヴェスパジアーノ・ゴンザーガとの出会いもあったろう、
などと想像しつつ、つい読み耽ってしまい・・。

       
       
町の狭い道の両脇に古い3-4階の建物が立ち並び、見事に修復が。

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一番東端に抜けた場所に広場が開け、背後の山上に要塞。

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広場の南をウッシータ川が流れ、橋の上からの眺め。
川床が高く、こちらからだと入り口が半分しか見えない教会は、14世紀の
サン・フランチェスコ・San Francescoで、修道院もある様子。

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この正面壁の様式はアブルッツェーゼ様式と言うそうですが、
ペンペン草がいっぱいで、大丈夫かいな、と。

北に住む人間にはアブルッツォ・Abruzzo州は「地の果て」の
イメージですが(失礼!)マルケ州の南、お隣なのでした。

       

サン・フランチェスコ教会周辺は少し鄙びたイメージが漂い、
古い大きな建物が残り、中世の面影が残ります。

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地図に見えるオデスカルキ邸・Odescarchiは撮っていませんが、
修復されクリーム色に塗られた瀟洒な建物だった記憶が。



ヴィッソの町の門は全部で4つで、ポルタ・サンタンジェロ・Porta S.Angelo。
町のパンフレットには、この門にグレゴリオ13世の紋章があるといい、
必死にサイトで確かめましたら、どうやら門の内側にあるらしく、やれやれ。

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この門はポンテラート門・Porta Pontelato.
前年は修復の真っ最中ごった返しの通行禁止でしたが、翌年はこの美しい姿。
飽くまでも、元の姿を保つ姿勢がやはり凄いなぁと。

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こちらはネーラ川で、川沿いも整備され、少し上流には小さな公園もあり、

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近くの家の軒下にはたくさんのツバメの巣。

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ネーラ川沿いの緑濃い中を散歩しつつ、町を振りかえり。

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これは春に行った時の物で、緑が芽吹き花が咲き、麗らかな、
まさにイタリアの一番美しい村々の名に相応しい、
素敵な歴史ある小さな町、ヴィッソなのでした。

追記:2016年の8月、そして10月に起こった中部地震で、このヴィッソの町も
   壊滅状態となりました。 そしてその後の状態がまるで報道されず、
   サイトにも写真アップがなく、未だに多分そのままなのであろうと、
   気にかかっています。

   やっとそれ以前の地震被害から立ち上がり、町が元の面影を取りもどした、
   という状態の時に訪れて喜んでいたのでしたが、
   また元の崩壊状態が続いているのだろうと想像すると、私までも辛くなります。

   一日も早い修復、立ち直りを祈るばかりです。 2018.12.17
       
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・ フランスへの道 ・ 689キロの道のり

先週5日間出かけた、フランスのプロヴァンス地方ですが、
朝5時出発、途中休憩や昼食時間を挟みつつ、国境を越え、
午後の2時頃でしたかモナコに到着しました。

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今日ようやっとその道中の写真を纏めましたので、
フランスへの道 という事で、説明抜きでご覧下さい。
はは、何せ初めての道で、教えて貰っても覚えていませんで・・!

      

地図をご覧頂くとお分かりのように、ブレーシャ・Brescia から
南に下り、ジェノヴァ・Genova の西で海岸線に出て、
紺碧海岸をモナコまで、689Kの道中でした。

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モナコでガイドと落ち合い、街中を見たり見学もありましたが、
朝からぐずついていた天気がモナコで雨となり、
土砂降りの雨の中、再度バスで283Kの道をホテルまで!
片道計900kの走行距離という訳で、

戻りもまた同じ様に、ニース・Niceで一旦見学の後帰路という、
土地続きのヨーロッパの旅行形態を身を持って経験した訳で・・、
う~ん、便利でもあり、逆にしんどくもあり、を実感しました。

写真は、ヴェネトから ~ ポー河

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ロンバルディーア ~ エミーリア・ロマーニャ
麦秋の色が大変美しい土地でした!

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リグーリア
もう一度辿ってみたい気もする道ですが、
物凄いカーヴとトンネルの連続する道で・・!

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国境
高速道路の料金支払い所みたいでしょ?! 何にもなしに
すんなりと通貨で、逆に物足りない気も無きにしも非ず・・、ははは。

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フランス・紺碧海岸

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モナコ到着
モナコが見えた時は、皆一斉に声を上げました。
やはりね、大変美しいのです!

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プロヴァンスの地図を。

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今回プロヴァンス地方で訪れた街・村は
エクサン・プロヴァンス・Aix en Provance
マルティーグア・Martigues
サント・マリー・ド・ラ・メール・Saintes Maries de la Mer
アルル・Arles
ニーム・Nimes
ポン・ドュ・ガール・Pont du Gard
アヴィニョン・Avignone
ゴルド・Gordes 
ゴルドの近くのセナンク修道院・Abbazia de Senanque
  
マルセイユを始め、たくさん見残しの土地もあるうえ、
駆け足の見て回りで、まさにフランスの広大さを思いました。
ボチボチ写真を整理して、順に見て頂きますね。

エジプトの2000枚には及ばないものの、
1500枚程は撮った筈で、これからの整理が・・!


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・ バッサーノ・デル・グラッパ ・ ヤコポ展を見かたがた 

今日はつい先日出かけたバッサーノ・デル・グラッパ・Bassano del Grappaを。

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以前にご紹介済みですが、建物の色が修復で変わったり追加場所があったり、
今回初めて訪問した市の博物館が大変素晴らしかったので、
そのご案内も含めてのバッサーノ・デル・グラッパ改訂版をどうぞ!



バッサーノデル・グラッパはどのあたりか、地図をどうぞ!
ヴェネツィアからだと、国鉄でカステル・フランコ・Castelfranco経由の
トレント・Trento行きで約1時間半、
車だとパドヴァ経由で73K程、やはり1時間半の位置に。

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今回急に出かけたのは、現在開催中のヤコポ・バッサーノ展・Jacopo Bassano
がこの13日までとcucciolaさんのブログで知り、余り彼の絵には魅かれないものの、
一枚見たい絵があり、それで出かけて行ったという訳です。

後ほど町の地図もご覧頂きますが、この市博物館は町の中心にある
元サン・フランチェスコ教会修道院を使っていて、ここは知ってはいたものの
入り口が即分からず・・??

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と、訊ねたシニョーラが同じ方向に歩いていた事もあり、広場の向こうから、
親切に大きな声で指さしてくれ・・。



で、辿り着いたガリバルディ広場・Piazza Garibaldi横の
元サン・フランチェスコ教会の修道院、現在は市の博物館入り口。
       
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教会は12世紀後半に、当時この町を領有していたエッツェリーノ家のバルド・
Baldoによって建てられたロマネスク・ゴシック様式。

当時はこの周囲を堀と城壁が取り囲んだ町の入り口に当たり、
修道院は巡礼者や旅人を迎えた宿でもあったそう。



見たかった絵はこれ、ピエトロ・ベンボ・Pietro Bemboの肖像。

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一般には「枢機卿の肖像」と書かれ、今回の展覧会のサイトには
Ritratto di cardinale, calvo e con la barba bianca
「枢機卿の肖像、禿頭白髭」と。(57,5x45,5) 可哀そうに!
でも会場にはしっかり「Pietro Bembo」とありました。
      
枢機卿の赤い衣の色はもっと渋く茶色がかり、頭の色、特に肌の色はもっと明るく、
そして頬や鼻筋がほんのり赤く。
目もきりっと、眉に交じる白い毛がしっかり描かれ、耳の中にも!
肌の艶もよく、老いた男ではありながら見とれるほどで、
何とも迫力のこもった、他の作品とはダンチの作品で驚きました。
       
ピエトロ・ベンボ(1470-1547)についてはヴェネツィアの貴族の生まれ、
キプロス女王であったカテリーナ・コルナーロの親戚筋でもあり、人文学者であり作家
という以外には、大変な美男で、フェッラーラ滞在中にルクレツィア・ボルジャと
愛人関係にあった、という程度しか知りませんで・・。

ティツィアーノも彼の肖像画を描いておりますが、こちらはより後年の作で、
多分亡くなる2,3年前と思われるこの絵のベンボは、

衰えても、まだまだ精神が研ぎ澄まされているかのような人物に見え、
それに立ち向かい、こう描きあげた画家の真骨頂にも感嘆しました。
以前からこの作品には魅かれていましたが、やはり見に行って良かった! 
と大いに満足、納得です。

ピエトロ・ベンボとルネッサンスの創造展 ・ パドヴァ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461921616.html



最終日迄あと10日、というので混んでいるかと心配し、日曜を外し急遽出かけたのが
拍子抜けするほどガラガラで・・。
ジョルジョーネ展は最後は2時間並び、チーマ展も順延と言うのに、
やはり知名度が低いのでしょうか。

博物館と言うだけあり、館内にはアントニオ・カノーヴァの作品、絵画作品も
数多く展示、考古学部門も併設。
   
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が、何よりも気に入ったのは、元修道院の中庭の素晴らしさ!
大きく伸びたジャスミンがまさに花盛りで、辺り一面が馥郁たる香りに包まれ、
薔薇もたくさん咲き、古い回廊に花を添え、
お天気の良さと共に素晴らしい一時を味わいました。

       

博物館の回廊の壁にあった、上が、17世紀のバッサーノの町の盾の紋章で、
下の可愛いフクロウは、ロカテッリ家・Locatelli の紋章と。

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中庭の四隅にあった井戸ですが、これはかなり古そう。

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写真では見えにくいですが、写真の向こうの生け垣に囲まれた部分に、
ヤコポの絵のポインター犬の写真が置かれていて、芸の細かさがちょっと笑え。

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町の地図をどうぞ。 今日ご案内の場所に赤い点です。
右端中のP の道を行くと国鉄駅
15. サン・フランチェスコ教会
4. 市博物館

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7. プレトーリオ邸・Palazzo Pretorio
10. モンテ・ヴェッキオ広場・Piazzotto Monte Vecchio
24. グラッパ酒醸造博物館ポーリ・Grapperia Poli
11. ポンテ・ヴェッキオ・Ponte Vecchio
5. アルピーニ兵博物館・Museo degli Alpini
17. ドゥオーモ・Duomo di S.M in Colle
8. ストゥルム邸・Palazzo Strum 陶器博物館

以前のご案内 バッサーノ・デル・グラッパ ・ グラッパ酒、アルピーニの橋
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461664355.html



ヤコポ展を見た後、私は更に西に17K程にある、サクランボで有名な町、
マロスティカ・Marostica迄お城を見に行ったので、またご案内を、
博物館以外の写真は2007年の初夏に2度訪れた時のものです。

ポンテ・ヴェッキオから、ブレンタ川の流れを。

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南ティロルのアルト・アディジェ州の山から流れ出すブレンタ川は平野に出て、
ヴェネト州の最初の大きな町がこのバッサーノで、
海抜129m、人口が43000人程の豊かな町。



橋からの眺め、東側上流の家並と、高台にあるお城とドゥオーモ。
お城のある位置が町で一番高く、町の最初の起こりの場所でもあり、ここを取り囲み
城壁が出来、古い集落があったそうで、ドゥオーモもお城の中庭に位置します。

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橋からの眺め。

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橋脚。

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川床に打ち込まれ橋脚の張り出し部分は、やはり太い! 水が透明でしょう?!

ポンテ・ヴェッキオは、ヴェネトの各地にその名を残すアンドレア・パッラディオ・
Andrea Palladio(1508-1580)が設計し1569年に完成したもので、
ポンテ・デッリ・アルピーニ・アルプス兵の橋 とも呼ばれる、この町の象徴。
       
かってブレンタ川が西のヴィチェンツァとの国境であり、橋の存在が記録にある
最初は1209年で、12世紀頃には既に収税人が交通税を取り立てていた様子。

たび重なる川の氾濫で流されるにも拘らず、その都度パッラーディオの設計通り
再建されるのも、木製の橋の柔軟さが水の勢いに耐性を持つからで、
一度架けられた石の橋は7年も持たなかったとか。

先日ご紹介したドーロを流れるブレンタ川は、平野を往くゆったりの表情でしたが、
ここの流れはまだまだ激しいのですね。
   


水に張りだす橋脚の木の桟の重なり、石が敷き詰められた橋の上はかなり広く、
車は禁止ですがバイクは通れたと。

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パッラーディオ設計の ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼール
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456543.html

以前のご案内で  マロスティカ ・ 中世のお城・ 人間チェス・さくらんぼ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462861927.html



こちらは緑滴る東岸、橋の南の眺めと、橋脇の建物に残る銃痕。
1809年5月4日の日付があり、フランス軍の物と。

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文中の人名も知らずあれこれ検索し漸くに、1797年のヴェネツィア共和国崩壊後
ヴェネト各地でオーストリア軍とナポレオン軍との戦闘が起こった様子を知りましたが、
この後1815年にオーストリアの下に入ります。

そして、バッサーノ・デル・グラッパも含め北ヴェネト一帯は、第一次大戦では
大激戦地となり、オーストリアからの独立の為に勇敢に戦ったアルプス兵と
土地の誇りは今も高らかで、この橋の西詰にはその博物館も。
             


こちらが橋西詰めのバール兼タベルナで、写真に見える川に張りだしたテラスで、
パニーノなども食べることが出来、地下部にアルプス兵の博物館があり、無料公開。

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1948年に爆撃された橋が再建され、同時に博物館も設置され、
様々な当時の兵器や、兵士の装備など、
また第二次大戦のロシア戦役における兵士の写真等も。

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イタリアに住むと、過去の戦争や現役の兵士に対する感覚が、日本と大変違うのに
気が付きます。
過去の記憶をきちんと保ち、続け伝える事と、
兵士は国を護るために戦った、戦うのだ、という認識。
戦争を賛美するのではなく、しかし防衛に対する基本線の意識が日本と違うと。
     
       

橋の西岸、南の建物も、東側同様綺麗に修復され、

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こちらは、お城近くの高台からの眺めを。

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橋の東岸のたもとに、グラッパ酒醸造所の一つポーリ・Poliの店と博物館があり、
中には大きな銅の蒸留用具がたくさん。

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グラッパ酒は40度もある強い食後酒で、町の名前に付く程の産地で、
かってはワインの搾りかすから作られたというグラッパ酒も、現在ではグラッパ用に
栽培される葡萄もあるそうで、各種果物、各種香り付け、と
実に様々なグラッパが存在し、食後のコーヒーに垂らす、また小さなグラスで
ちょびっと舐める、美味しくて強い食後酒です。



小瓶から大きな化粧瓶まで、様々なグラッパ酒のお土産を売っている店のウインドウ。
 
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見るからに美味しそうな食品を並べたお店。 この町は豊かだなぁ、と感じる一瞬。

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陶器でも有名なバッサーノの町、たくさんの店が。

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モンテ・ヴェッキオ広場(地図写真10)と、

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広場に面するモンテ・ディ・ピエタ・Monte di Pieta.

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この広場は町でも大変古い広場で、壁にフレスコ画の装飾も残り、かってはもっと
広く井戸があり、井戸の広場とも呼ばれ、そして塩の広場、ゾッコリの広場・Zoccoliとも。
ゾッコリと言うのは、木靴、木のサンダルを指しますが、実際20世紀の半ばまでは、
ここで大きなゾッコリの市が開かれていたのだそう。

モンテ・ディ・ピエタと言うのは公営質店の事ですが、15世紀末にフランチェスコ会派の
ベルナルディーノ僧がここバッサーノにも創設しました。

で、それ以前は13世紀半ばからユダヤ人がこの近辺に住み高利貸しをし、
その最後の記録がモンテ・ディ・ピエタ開設の1492年という歴史の流れです。

中世に於いて例外はあるものの、ユダヤ人が不動産を持つ事は禁止されており、
町に住むにも年数制限があったり、税金が高かったり、突然に法律が変わり
追放されたりの迫害が絶えませんでした。
職業の選定もままならず、キリスト教徒には禁止の金貸しをせざるを得ずの状態で、
それもまた迫害の対象になったという、
時に読むのが辛くなる程の深い歴史の一端がこの町にもあったのですね。

イタリアのたいていの町にはモンテ・ディ・ピエタの建物があり、
窓に厳重に鉄格子が嵌っているのが特徴で、すぐ分かりますし、
「モンテ・ディ・パスキ・ディ・シエナ」という中世創設の大銀行もあります。



お城の近く、古い一郭に残るフレスコ画装飾が残る建物。
 
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町の地図1~12の通りは、ヴィア・デイ・マルティリといい、通りの北側は谷で、
素晴らしい眺望が開けます。

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通りに並木が続き、木の1本毎に名前と写真、または身元不明と書かれた札が
打たれていて、
これは1944年9月、この近辺のパルティザン31名がナチスに処刑され、
朽ちるまでこの木に吊るされのだそう。

清々しく広がる眺めを愛でつつ、月並みな言葉ながら、
平和な時代に生きれる幸せを思い、戦って亡くなった人々に感謝の追悼を。


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