・ フェッラーラ を訪ねて ・ 予告編 

今日は先日行って来ましたフェッラーラ・Ferraraのご案内を、
いえ、まだ写真の整理が全部済んでいませんので、その予告編を!

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買い込んできた本やガイドブックもまだ読みかけですので、
今日のご案内は、大きなご紹介だけにさせて頂き、
詳細は追ってぼちぼちという事で、よろしくお願いいたしま~す。

今日アップの写真数は、余り自慢になりませんが50枚ありますので、
どうぞお茶など入れて、お気楽にご覧下さいませませ!

今回はフェッラーラの街のみに絞りましたので、国鉄利用で。
我がコネリアーノからだと、ヴェネツィア・メストゥレでの
乗り換えの待ち時間を入れても2時間半ほど。

10時半には到着し、歩いて中心地に。 現市役所の中庭から見るドゥオーモ、
ああ、フェッラーラにまた来れた! と思う一瞬。

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ドゥオーモの細部を少し。 正面上の聖母子像。

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聖母子像のすぐ横にこんなのが、あはは。 いややぁ、釜茹では嫌やぁ!!

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今回大変素晴らしい位置にあり、値段も安い宿を発見!
是非お勧めしようと、いろいろ尋ねて来ましたので、次回には詳細を。

で、荷物を置きすぐにお城巡りに。 ぐるっと濠を回って、これは北からの入り口跳ね橋。

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渡って出る場所が、お城の中庭。 この左手奥にインフォメーションがあり、
右手に傾斜して見える渡り橋が、お城見学の入り口。

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出かけて来たコネリアーノも小雨、途中のトゥレヴィーゾ、パドヴァは大降りでしたが、
フェッラーラではちょうど止んだ後。まだ地面が濡れ、写真の発色もイマイチですが、
ボクが、ほれっ! と決めてくれ。

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お城見学は、私以外に3人見かけたのみ! 殆ど一人で歩き、この地下牢にも一人。

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こういうものには大変怖れなのですが、この地下牢には謂れのある人物名が絡むので、
頑張って写真も撮って来ましたぁ、はい。
本番をお楽しみに!! ええ、これは廊下部分です。



これも地下牢の、廊下部分の床煉瓦、古いオリジナルのまま残っているそう。

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上階に上がると豪華な部屋が続き、天井のフレスコ画を見るのに、大きな鏡が。
アイディアだなぁ! イタリアのお城では初めてお目にかかったような・・。
下側にshinkaiの頭とレンズと手が。

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こちらは細長い三角の鏡。 古いお城に、モダンアートが入ったイメージ。

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見学最後の、紋章の間。 天井にかかる布が、なんとも優雅な演出で。

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現在は市役所になり、この広場も市役所広場と呼ばれますが、
かってはここもエステ家のドゥカーレ宮で、その階段の中程を。

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お城の東側には、この方が。 フェッラーラ出身で、フィレンツェを、カトリック教会をも
揺り動かしたサボナローラ・Savonarola.

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今回の宿の食堂から。 ほらね、凄い位置でしょう?!
横のテラスに出ると、も少し正面が見えます。

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で、ツインの部屋を一人で使い65エウロでした。 も少し離れた位置にあるホテルでも
100~150ですから、これはもう本当にお勧めの宿!



3日目の朝はお天気だったので、この景色。 こちらはホテルのテラスから。

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ドゥオーモの斜め前にあるエステ家の領主像、
騎馬像がニコロ3世・Nicolò III、座っているのがボルソ・Borso.

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フェッラーラは自転車の街、と言われますが、 まぁ本当に、本当にその通り!!
どの写真にも、自転車の姿!
一人で行くのも・・、

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2人でゆっくり歩くのも・・、

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道いっぱいに行くのも・・。
街中の車は規制されているのか、大変少なく、犬も人もゆっくりと道を横切り、
写真を撮りに動くのも、まるで心配なし。

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ドゥオーモの南側の広場から東に、マッツィーニ通り・via Mazziniは、
かってのユダヤ人のゲットーに含まれ、今もシナゴーガが博物館としてあります。

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今回学生たちと一緒に見学でき、ナチの強制収容所で使われた縞の服も実物を見、
興味深い話も聞けましたのでまたご紹介を。



この自転車、素敵でしょう?!

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スキファノイア宮・Palazzo Schifanoia.
25年ほど前に初めてフェッラーラを訪れ、ここを見学、暦月の間と呼ばれるフレスコ画で
飾られた部屋に驚嘆して以来、今回が4度目の訪問。
内部はすっかり整備され、見学範囲も広くなりましたが、その代わり、写真撮影が禁止に。

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入り口上にいる一角獣かな、 長い角に、今回初めて気がつきました、ははは。
ずっと、馬か犬だと思っていたのですよ!

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スキファノイア宮の近くにある、コルプス・ドミノ教会、修道院。
ここにはエステ家の当主たちのお墓があり、今回訪問。
エルコレ1世も、アルフォンソ1世も、ルクレツィア・ボルジャもここに眠っています。

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ドゥオーモの南側広場のかってのサン・ロマーノ教会が、現在ドゥオーモ博物館に。
ここに、コスメ・トゥーラのサン・ジョルジョが。
今回初めてお目にかかり、その大きさ暗さに驚き、
そしてまた、13世紀の暦月の彫像の素晴らしさに見惚れました。

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これは入口の中庭部分。



この博物館前を南に抜けるサン・ロマーノ通りは、中世時のこの街で、
商取引が一番盛んだった通りとお城の見学の際に知り、通り抜けに。
狭い道の両側にポルティコが続きます。

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アーチを支える円柱の柱頭部分に飾りが施され、当時の賑わい、繁栄を偲ばせます。

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こちらは有名なヴォールテ通り・via Volte. 単に建物の支えではなく、住居になって
上に伸び、その形が全部で10ありますが、今回一部が工事中でした。

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お城の南西部からの眺め。 やはり素晴らしい威容です。

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お城の横に広がる広場の西端に、小さなサン・ジュリアーノ教会があり、 
その入り口上にこの石碑。

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なんだぁ、これ?! 抜き身の剣を持った若い男がご夫婦の寝所に、と見るか、
はたまた、女房の浮気現場に踏み込んだ夫と見るか・・、
おまけに教会の入り口でっせぇ! でも、男の頭に光輪があるから、聖ジュリアーノ?!
う~ん、何をされた方か、調べてみないと・・。

◆ 追記  サン・ジュリアーノについてのご報告を!       
何年という表記もないのですが、フランドルの裕福な商人だったものの、性格が堅く
復讐心に富む男で、ある日狩りから戻って来ると自分のベッドに男女の姿を見つけ、
てっきり自分の女房とその愛人だと思い、ちゅうちょなく殺害。

が、それは自分の両親だったそうで、大いに反省、贖罪の為に貧しい人を助けつつ南に。
イタリアのポテンツァ川で船から落ち、溺れかけるライ病の男もひるむことなく助け、
実はそれが神であり、贖罪を認められ聖人に、と。

サン・ジュリアーノ・ロスピタリエーレ・San Giuliano l'ospitaliere・
もてなしの聖人ジュリアーノというわけで、旅人の守護神だそう。
葬られたマチェラータ・Macerataにはたくさん教会記念碑があるそうですが、
パリのカルチェラタンにもSaint Julien l'Hospitalier教会があるとの事。
       
いやぁ、余りにも詳細に彫り込まれた石碑だったもので、
ついその気になって探しましたが、面白かった!
聖ジュリアーノと呼ばれる方は、何と40人ほどもおられましたぁ!!



お天気の良い道を、せっせと東に行く途中であったワン君。
バールの前、かなり必死の顔でご主人を待っています。

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カーザ・ロメイ・Casa Romei・ロメイの家博物館。
これは掘り出し物という感じの博物館! 大変な豪邸で、何とテルメ式の浴場まであり、
エステ家の公爵様もしていない贅沢を!

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内部は写真禁止でしたが、ほんの3枚程は、はい。
これは通りに開いていた扉の隙間から、泥棒猫ちゃん式に、はい。

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コルソ・ジョヴェッカ・Corso Giovecca の東の突き当たりの、多分市の門、
ジョヴェッカ門と思いますが、上の幕にちらっと見えるように、
手前右にマルフィーザ・デステ宮・Palazzina Marfiza d'Esteがあり、
可愛い小じんまりの博物館に。

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内部は写真禁止ですが、これは庭園からの眺め。 マルフィーザ・デステは、
ルクレツィア・ボルジャの孫娘で、お祖母ちゃま共々、なかなか凄い噂が残ります。

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小じんまりの庭園に東屋風のテラスがあり、天井部分にフレスコ画が描かれていて、
こちらは奥の、肉眼では見えない程の暗い部分を。

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通り道で見かけた扉。 頑丈そうながら、繊細さも。

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この角を2度行きつ戻りつ、その度に良い香り。
ふと見上げると、蝋梅の花。 既に終りかけですね。

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最後に、街をぐるりと取り囲む城壁を見に。これはドゥオーモから南に抜けた位置で、
すっかり修復され、散歩コースにも、ジョギングにも。

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買い込んだ本でどっと重くなった鞄を引きづり、お城の横のタクシー乗り場まで。
駅まで行きたいのだけど、その前に城壁の周囲をぐるっと回って貰えませんか?
       
で、運転手さんお勧めのまわり順、まずお城から北の突き当たりまで真っ直ぐに。
突き辺りに見える門の建物、運転手さんによると、ボイアの家・
死刑執行人が住んでいたのだとか!

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ボイアの家の前で一旦曲がり、城壁の外に。 家の横の壁土手の上には、
騎馬警官が遊んで、いや、大事なお馬さんを遊ばせ、休ませていました。
うん、普通のシニョーレだった。

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城壁の外は散歩道がめぐり、ワン君も多く。

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この部分は街の東になりますが、街の北側、そしてこの東、広々として、素晴らしい眺め!
全長9kもあるそうで、運転手さんが「昔の人間は偉かったねぇ!」と。 あはは。
この写真を大きくして見ると、ワン君もこちらを見つめていましたね。



東側の中程に出っ張る要塞部分。 ここにもたくさんの人々・・、

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こんな風に、皆さん思い思いに・・。

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2日目の午後からすっかり雲が晴れ、晩御飯の前に少し撮りに。

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お城の照明はオレンジ色、少し濃いめかな。

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お城前広場の本の屋台。
私が撮ろうとしているのを知り、シニョーラが前を横切るのを待っていて、恐縮。

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ドゥオーモの南側の広場、広々と、殆ど車も通らず。
気がついてみたら、この街には上れる鐘楼も塔も無く、これも珍しい事。

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すっかり暗くなった空の月。 広場やお城側に、何人かの大道音楽家たちが出て
音楽を奏で、この若者はそれを聞いているのです。

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エステ家がこの街に遺した物は大きく、生活風習も気風も、かってのままに続いている
部分があるのかも。 大学の街でもあるのに、のんびり感があり、
お菓子屋さんの、大きなカフェ・テラスが多いのにも少し驚きました。

という事で、写真整理(790枚)に励み、資料を読み、
ボチボチとご紹介して参ります。 お楽しみに!

追記:実はこの次に「フェッラーラのお城」についての2回分があるのですが、
   引っ越しのどさくさにどこかに紛れたか、バックアップし忘れたか、
   見つからず、泣いています。
   写真はあり、何を書いたかも大きな趣旨は覚えていますが、いかんせん、
   元の原稿がないので・・。 最悪の場合は春を待ち、一日再訪問にとも
   思っていますので、お待ちくださいませませ。

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・ スコミーゴ村 ・ 春の気配 

先週、雨続きの間に太陽が顔を出した我がスコミーゴ村の午後、
新しいカメラで試し撮りに出かけた様子をご覧頂きますね。 ごゆっくり!

久々の太陽の陽射しに、日向ぼっこの猫ちゃん。 もう2人いたのに、
カメラを向けるとさっと逃げ、うむ、スキャンダル発覚を恐れている奴らだな?!

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いつもとは逆の方向、北に向かい。
緩やかな坂道が続き、脇に葡萄畑が広がります。

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葡萄畑の丘の上、一本の大樹。 散歩のワン君と男性の姿、見えるかな?

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丘に続く道に並木があり、この白い小屋が二つあり、
この風景に、なぜか未だ見た事のないフランスを想像するshinkai・・。

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スコミーゴ村の教会。 こうして眺める通り、スコミーゴ村も結構広いのですよ。
住人は850人ほどとか。

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丘の傾斜に広がる葡萄畑で、剪定作業が進んでいますが、どうやらこの一帯は、
昨年春にカンティーナを見学したビゾール・Bisolの畑だと気がつきました。
本社は西のヴァルドッビアーデネですが、スコミーゴにも葡萄畑がと聞いたのを思い出し。
       
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今辿るこの坂道を上りつめ、少し先に進むとべッレンダ・Bellendaのワイナリーもあり、
有名なコネリアーノ・ヴァルドッビアーデネのプロセッコの葡萄畑が広がり、
あちこちにワイナリーが点在。

いやぁ、本当にプロセッコ、白の辛口発泡性ワインは美味しいのですよぉ!!
日本に入るとかなりお高いようですが、是非一度お試しを!
       
ビゾールのワイナリー訪問はこちらに。
      


こちらは道脇に見えた剪定済みの葡萄の木。 この木肌、太さから見るとかなり古く、
既に4,50年は経っていると思いますね。

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余分な枝はすべて取り払い、枝を下向きに結わえます。



農家の納屋部分がこうして残されたままで、手前の住居2棟は綺麗に修復。
金網が邪魔で、かといって内庭には入れず・・。

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手前がスコミーゴ村で、木の向こう、真ん中部分が西隣のオリアーノ村、
も一つ西の小高い丘がフォルメニーガ・Formenigaの丘。 左端にはその奥の丘も。
ええ、こんな風に幾筋も、丘の流れが波打ちます。

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北に見える境の山。 この冬、山の雪は増えたり減ったりが何度も。
 
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坂道を折り返し、家に戻ります。 雨続きで、畑の脇の水溜りに映る青空。

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村はずれの、子供用サッカー場で活躍するモグラ君。

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この畑でも剪定作業中で、お供しているワン君が吠えながら走り寄ります。
逆光に毛が光り輝き・・。

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立ち止まり、声をかけつつカメラを向けると、ご主人の方をチラチラと見ながら
そろっと尻尾を振り始め、ははは、もう吠えません。



枯れ葉も色あせ、白くなり。

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山の雪は多くても、確実に春がやって来ています。 トウダイ草でしたっけ?

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お天気を幸いに、孫の散歩に出かけるシニョーラと家の近くで出会い、
シニョーラとは知り合いですが、彼とは初顔合わせ。
で、この疑いのまなざし! チャオチャオ、と一応手を振ってはくれるのですがぁ。

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ああ、ワンちゃんなら初見で落とせるのになぁ!


◆*◆*◆
ブログご訪問、有難うございます!       
     
23日からフェッラーラ・Ferrara に3日間行く予定ですが、
お天気で村一周をしましたのでアップを。

新しいカメラの使い心地、確実に良いです!!
ピントが自分の思う場所に移せる、これがまず何とも気持ちよく、ISOを上げても
大変にキメ細かく、グレイのフィルター、昔買って持っているのも忘れていた、が使え、
空の色などの発色が自然な鮮やかさに。

撮影モードが、風景とか人物とかのみでなく、スタンダード、ニュートラル、
ヴィヴィッド、モノクロという色の好みでのとらえ方も出来、これも良いです。
今回の写真が以前に比べ、色が柔らかいとお感じでしょう?!

現像スタンプ代無料のデジタル写真の利点を活用し、この3年間は大いに
撮りまくったので、カメラについてもあれこれ自分なりに幾らか分かって来たのかも、
と考えた事でした。
       
芸術作品を狙う柄ではないので、旅先で思うように動いてくれ、
おまけに期待以上の反応を示してくれるのが一番嬉しい訳ですね。

という事で明日より、エステ家のお膝元フェッラーラに行って来ま~す。
この街は久し振りなので大変楽しみでもあり、
探訪しつつ多いに撮りまくり、使い方にも慣れて来ま~す。

では、また。  お元気で!
       
*****

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・ セッティニャーノ村 探訪 

引き続き、有難うございます! セッティニャーノ村のご案内を続けます。

デジデーリオの像を見て、さて次は?と言うので、ガンべライア荘・Villa Gamberaia
にと頼み、車を回すために入り込んだ、村の外れの細~い道の標識。

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フィレンツェから出かける時に、ガンべライア荘と言いましたら、あそこは道が狭いから
この車では無理、と言うので、では近くで待っていてくれ、という事で出かけたのですが、
道中あれこれ喋るうちにその気になってくれたかして、
本当に車幅いっぱいの狭い道を、両側を見ながらズッ、ズッと進んで!       

これを書きつつ、森下さんの本の地図を確かめましたら、どうも上の写真の向きの
反対側に見えた家辺りが、デジデーリオの生家とされている場所ではないかと・・。
が、行った時は彼の生家を探す事は失念していました。

やはり上の場所からの谷越しの風景。 奥に見えるのがフィエーゾレに近い部分だろうと。

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ガンべライア荘に向かう道。 オリーヴ畑が広がります。

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ガンべライア荘の入り口。

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森下さんの本によると、これがベルナルドとアントーニオ・ロッセリーノ兄弟の家と。
しかし見るからにちょっと凄い別荘で、??と。



柵越しに覗きます。
      
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本にも屋敷とありましたが、いくら建築、彫刻で売れっ子の兄弟でも、これは無かろう、
単にその様に称しているのではなかろうか、と。
       
ガンべライア荘を見ようと思ったのには、ガイドブックに、週末にここでお茶をするのが、
フィレンツェの若きスノッブたち、というのがあり・・、ええまぁ、いつもの好奇心で・・。



屋敷は道の突き当たりにあり、門の前がちょっとした駐車場兼車回しになっていて、
それより奥はトンネルで細い道に。

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塀や生け垣の途切れた所から、もう一度覗きを。
う~ん、何やら動物の像などもお庭に見え、貴族のお屋敷風!

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で、今回これを書く為にガンべライア荘を調べましたら、そう、やはり貴族の手が加わり、
名は残っているもののまるで別物になっている事が分かりました。

が、まずロッセリーノ兄弟についても少しご説明を。 兄弟は5人ほどいた様ですが、
中でも有名なのがベルナルド・Bernardo(1409-1464)と、アントーニオ・Antonio
(1427-1479)の2人、

ベルナルドは教皇庁の建築顧問となり、数々の建築改修を手掛けており、
とりわけレオン・バッティスタ・アルベルティ・Leon Battista Albertiが法王庁の
書記官となってからは実務担当で腕をふるい、
ピオ2世の理想の町ピエンツァ・Pienzaの町づくりにおいてはドゥオーモやピッコローミニ宮を
造った事で有名ですが、建設費をごまかした、とピオ2世からの譴責もあったとか。

どうもこのピオ2世という方は、人文学者としての誉も高かったようですが、
自分の道を進むとなると他が見えなくなる、激しい方だったようで、
皆が乗り気でない十字軍派遣に突き進み、遂には船出前にお亡くなりに。

アントーニオの方は、同じセッティニャーノ村出身で年も近く、デジデーリオとは終生の友
だったようですし、サン・ミニアート聖堂の礼拝堂の彫刻を見てもお分かりのように
デジデーリオの作風と良く似た、優雅な優しい彫刻を作ったようです。


で、このガンべライア荘ですが、14世紀よりベネデット派の尼僧たちの物だったのが
15世紀にロッセリーノ兄弟の手に。
当時は田舎の素朴な家だったのが、もう一度所有者が変わった後、
18世紀の初めにカッポーニ家・Capponiの物となります。

このカッポーニ家が大改装を行い、現在の優雅な別荘に模様替え、庭園も、裏の美しい
トキワガシの林やオレンジ畑も造ったのだそう。

19世紀以降は次々とヨーロッパ貴族間での所有変遷があり、
第2次大戦で大被害を受けたものの漸くに修復し、現在の姿との事。


ガンべライア荘横より、緩やかに広がるオリーヴ畑。

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最近新しい事柄、名前に出会うと、これは何? 何者?と、まるで知恵がつき始めた
子供みたいに、遅すぎるのはよう分かっておりま!、ははは、
芋づる式に次々と調べる癖がつき、これがなかなか楽しいのですが、

ガンべライア荘を買い大改装を行ったというカッポーニ家、
これがお金持ちのフィレンツェの名門旧家で、興味深い事がいろいろと。

元はシエナ近郷からフィレンツェにやって来た家柄の様で、記録への登場は11世紀。
13世紀初頭に絹の組合・Arte della Setaに加入し、羊毛と絹の商売で
社会的にも上昇、と同時に他のフィレンツェの有力家と同様に銀行業も。
分家同士が固く団結して商売に励み、支店も各地に。

対メディチ家の旗色を15,6世紀にはかなりはっきりと表明して動いた様子で、
現在フィレンツェの街にカッポーニ家の個人の名を冠した通りを2本持つ、
メディチ家は別として、唯一の家柄だそう。

何の気なしに日本のサイトにカッポーニ家で検索をかけましたら、殆どが映画「ハンニバル」
に関してで、レクターがカッポーニ家司書のダンテ研究者のフェル博士になりすまし、
という物で、アンソニー・ホプキンスは好きな俳優なれど、あの手の映画はどうもで、

別に見つけた可愛いお話を一つご披露です。
カッポーニ邸と名のつくのはフィレンツェのあちこちにあるようですが、アルノ河沿いの
サンタ・トゥリニタ橋の近くにも一つ。

16世紀にカッポーニ家のロドヴィーコ・Lodovicoが購入したもので、
これには当時の世情を沸かせた有名な恋のお話が絡みます。

ロドヴィーコはマッダレーナ・ヴェットーリ・Maddalena Vettoriという女性に夢中になり
結婚を申し込みますが、彼女の継父が、自分自身の息子の許嫁である事を理由に許さず、
おまけに余りにも若い年の許婚で、未だ結婚する以前に未来の夫は戦死、
マッダレーナは修道院に籠ってしまいます。

が暫く後、当時のトスカーナ大公夫人エレオノーラ・ディ・トレードのピッティ宮の
宮廷侍女をする形で修道院を出ますが、決して一人での外出は許されず、
で彼はここに家を買い、大公夫人のお出ましに従う彼女と、熱い眼ざしを交わしたとか。
 
当時の年代記は伝えます、
その2人の様子を眺めるため、大勢のやじ馬が集まったのですと! ははは。
で、遂に大公夫人が継父の許しを得に乗り出し、めでたく2人は結婚に。

当時の年代記は伝えます、
コンフェッティ(結婚式にまかれる砂糖菓子)は春の霰のように降り注ぎ、
ワインは川のように流れた、と。 めでたし、めでたし。



ガンベライア荘はいわば村外れに当たりますから、村の中心はこんな風な眺めに。

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で左端の方に目を移すと・・

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この様に、村の家並の向こうにドゥオーモが見えるのでした。



もう一度、先にご覧頂いた村の目抜き通りの写真をどうぞ。
左側奥斜めに古げな建物が見え、その手前のクリーム色に緑の鎧戸ですが・・

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こういう入り口が見え、あのガラス戸には・・

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LA CAPPONCINA di Settignano ・ラ・カッポンチーナ・ディ・セッティニャーノ
と書かれていますね。

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実はこれ、勝手にミーハーしている、今時こんな言葉ももう無いかな?
ガブリエーレ・ダヌンツィオ・Gabriele d'Annunzioが1898年から1910年まで住み、
当時彼の愛人であったエレオノーラ・ドゥーゼ・Eleonola Duseが、隣の小別荘に
住んでいたのだそう。

フィレンツェでドゥーゼの別荘の隣に住んだというのは知っていたので、ガイドブックで
セッティニャーノ村に別荘がある、と知り、これはもう、見に行かにゃ!と。

で運転手さんが、ほら、これがカッポンチーナよ、と車を停めてくれ、見て驚き! 唖然!

あぁた、別荘と読んだのが、実はこんな道端のガラス扉だったと想像しますぅ?!
ましてあの、ダヌンツィオ様ですもの。 ははは。

レストランになっている事も知らずに訪れたこの馬鹿は、それでも扉から覗きに行きましたが、
閉店中で中は暗く、田舎のバール式に、いささかがっかり!!

運転手さんは1度行った事があるとかで、私の失望を見てとり、表はああだけど、
中はとても可愛くて素敵なレストランなのよ、眺めは素晴らしいし、と慰めを。
サッカーのフィオレンティーナのファンがよく行くのだそうですが、サッカー場から近いし、
なかなか良い場所だから、との事。

ダヌンツィオとドゥーゼについては、こちらに。
アーゾロを彩る女性ふたり ・ アーゾロ市立博物館 n.1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463693720.html

ガルダ湖畔 ・ G・ダヌンツィオの家、 そして サロ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417856.html



サイトは新しくなっていて、http://www.capponcina.com/
この写真は既にありませんが、あれこれ写真が見れますのでどうぞ。 冬季は閉店とか。

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レトロ風でもあり、モダンでもあり、なかなか可愛いお店の様子です。



ダヌンツィオが住んでいた当時の別荘の写真も見つけましたが、

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広々と面影がまるで違い、内部も彼の趣味を反映し高級な家具類で飾られていたそう。
写真は彼の書斎で、ガルダ湖畔の家の雰囲気に良く似ていますね。



という事で、セッティニャーノ村を去りましたが、これは来る際にも見た道端の城館。

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上り坂のカーヴの位置にあり、戻りに車を止めてくれましたが、今は個人の所有だそうで、
中は見れません。



まさに中世の城ですが、13,4世紀でしょうか? どんな方の持ち物なのでしょうねぇ。

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中を見たいとは思いますが、まぁ住みたいとは。 暖房費も大変でしょうし・・! はは。
うろうろ見ていると、上から石でも降って来そうですね、あはは。



運転手さんが眺めの良い場所にと、フィエーゾレとの分かれ道まで走ってくれました。
周遊バスで見憶えていた小さな礼拝堂のある場所。

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生憎高めの石垣と金網でフィレンツェの方角は無理でしたが、フィエーゾレの丘を望み。



緩やかな丘の流れの向こうに、大きなヴィッラ。

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遥かにフィレンツェの街を望み。
  
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長い記事、おまけにごちゃ混ぜの内容にお付き合い下さり、お疲れさまでしたぁ!


◆* おまけ *◆

私のイタリア語の先生、アンナリーザの長女、ジョールジャ・Giorgiaの
ブログ・デヴュー、日本向け初お披露目です。

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昨年5月20日生まれで、この秋にはお姉ちゃんになる予定で~す!
(ばらした事は、内緒です、ははは)
パパのお目めとそっくりですが、でも青いのですよ!


◆*◆*◆
 
ブログご訪問、有難うございます!

カーニヴァルが済み、昨夜からサン・レモ音楽祭が始まり、バンクーバーの冬季
オリンピックも始まっているのに、TVニュースだけで済ませています。
このブログの下調べもあったのですが、へへへ、実は別の新しい興味ができまして・・。

ええと、新しい玩具を買ったのです、はい、新しいカメラを。

今迄使っていたのはニコンのD80ですが、デジタル以前はF5を。
3年前の購入時には、D80以上は格段にお高い品になるので選んだのですが、
どこがどうとは分からないままにどことなく不満だったのですね。 
それが今回噴出したという訳で、友人のご意見や、店の人の進言にも従いつつ、
今後買い替えずに済みそうな品をと考え、思い切ってD300sを。

ええ、とても満足で、自然に顔が綻びます。 
ずしっとした持ち応えに、バシャッと響くシャッター音、痺れます!
久し振りにF5を使っていた時の快感が蘇りました。 うふん。

おまけになんとも素晴らしい技術で、マニュアルブック(イタリア語)と日本語の
サイトを見比べつつ、使い方に慣れようと、毎晩あれこれお勉強、お遊び中なのです。
来週はフェッラーラに行く予定ですから、様子を見て頂きますね。


*****

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・ デジデーリオ・ダ・セッティニャーノ、という彫刻家をご存知ですか? 

先回ご案内の、フィレンツェはアルノ河の向こうにある
サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂を、ヴェッキオ宮の後ろの広場から、
現在ウッフィツィ美術館の出口になっている、あの辺りからの眺めですが、

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この古い13世紀建設の聖堂に少し雰囲気の違う、15世紀半ばの、ルネッサンスの
優雅さに満ちた礼拝堂があるのを先回ご覧頂きましたが、
      
まず最初にお断りを。 今日は少し神秘的な世界から果ては世俗の話までごちゃまぜで、
おまけに長くなりますが、どうぞお付き合いくださいませ!
       


サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂にある「ポルトガルの枢機卿の礼拝堂」・
Cappella del Cardinale di Portogalloは、アントニオ・ロッセリーノ・
Antonio Rossellinoと、その兄ベルナルド・Bernardoの作と伝わります。

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ポルトガルの枢機卿と呼ばれる方の名前は、ヤコポ(ジャコモ)・ディ・ルジターニア・
Jacopo(Giacomo)di Lusitania、ポルトガル語読みの名はジャイメ・
Jaime(1433-1459)で、当時のポルトガル王アフォンソ5世・Afonso Vの従兄、
2歳上のイザベッラ・Isabellaが王と結婚しているので、義理の兄弟にもあたります。

ルジターニアというのは、イベリア半島の西南部の古代ローマ領を示し、現在の
ポルトガル中央部に当たり、イタリア語で彼の名はジャコモ・ディ・コインブラ・
Giacomo di Coimbraとも。

ジャコモの父親ペードロはアフォンソ5世の叔父に当たり、わずか6歳で即位した甥の
摂政となりますが、王位簒奪を狙う噂が立ち、とどのつまりは内戦となり死亡。

16歳のジャコモも反逆者とされ1年間獄に繋がれますが、多感な年代に受けた精神的
影響が大きかったのか自由の身となるとすぐに宗門に入り、20歳でリスボンの大司教、
そして許される最年少の22歳で枢機卿に。
       
1459年に法皇ピオ2世が招集したマントヴァの公会議、はたまたコスタンティノープルを
占領したトルコ討伐の十字軍に参加の為にローマからの旅の途中健康状態が悪化、
7月はシエナに留まり、8月にフィレンツェに。
そして8月27日にこのフィレンツェで25歳の若すぎる死を迎えます。



既に死を予見していた枢機卿自身の希望でここに葬られ、ロッセリーノ兄弟、
ルーカ・デッラ・ロッビア等当時の一流芸術家を集め、ポルトガル王家一族の
莫大な財力により作られた素晴らしい礼拝堂で、

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頭上に天使が王冠を捧げ持ち、布の柄も彫り込まれているのが見えますが、
かっては、金で彩られていたとか。 天使の顔も素晴らしく、なんとも優雅です。

先回ちょっと触れましたが、
森下典子著 前世への冒険-ルネッサンスの天才彫刻家を追って 光文社知恵の森文庫

には、ポルトガルの枢機卿と呼ばれる王族の一人と、フィレンツェ郊外セッティニャーノ村
出身とされる彫刻家、デジデーリオ・ダ・セッティニャーノ・Desiderio da Setignanoが
実の兄弟、デシデーリオが庶出の兄で、この枢機卿が嫡出の弟である事を、
様々な調査の末に突きとめた事が書かれているのですね。
       
以下の文中で、少しずつそれらの事柄についてもご紹介を。



デジデーリオ・ダ・セッティニャーノという、ルネッサンス期の彫刻家とは一体どんな人? 
なのですが、
       
これは、フィレンツェのバルジェッロ博物館にある彼の作品「聖ジョバンニ・聖ヨハネ」で、
見るからに繊細な作風が伝わって来ます。

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バルジェッロ博物館は今回初めて訪れましたが、ミケランジェロ、ドナテッロ等など、
とにかく大作力作がこれでもかぁ! と揃っていますから、
優雅で洗練され、線が少し細いデジデーリオの作品は、そのつもりでないと皆さんの
記憶にも残り難いのではないかと。 他に、薄い浮彫の作品もあります。



メディチ家の菩提寺とも言えるサン・ロレンツォ聖堂・Basilica di San Lorenzoにある
タベルナーコロ・デル・サクラメント・Tabernacolo del Sacramento「秘跡の壁龕」。

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ご覧の様に、薄い大理石の中央部に遠近感を用いた凄い作品で、
一番上の幼児のキリストが、なんともあどけない可愛らしさ。

最初、森下さんの本で見た時に、真ん中のいわば廊下の奥部分に少し違和感を
感じていたのが、サン・ロレンツォで実物を見ると、周囲に何か小さな穴の様な物を認め、
傍の管理の男性に何かと尋ねましたら、学芸員の女性を呼んでくれ、説明が聞けました。
尋ねると説明してくれる学芸員の女性が2名ほど常駐し、こういう態勢はさすが凄いなぁ、
と感心した事でした。

穴とみたのは当然で、元は小さな扉がついた聖餅・ホスティア入れで、
かってはこの聖堂の旧聖具室・Sagrestia Vecchiaにあったのだそう。

ですから、サン・ミニアート聖堂の聖具室の壁にあった聖餅入れのように、
壁のくり抜き穴の前にこれが据えられていたのでしょう。

下の聖母と聖ヨハネの台座部分の浮彫も、上の部分の洗練さに比べ少し見劣りがする、
もしくは少し違う作風も感じ、それも尋ねましたら、
やはり、後の時代に集められ、この形でここに移されたので、
いつの時代に、どういう意図だったのかは分からない、との事でした。



これは、フィレンツェのパンテオンとも言える、有名著名人のお墓がずらりと揃っている
サンタ・クローチェ教会・Santa Croceにある、デジデーリオを一躍有名にしたという
マズルッピーニの記念墓碑・il monumento Marsuppiniの
左脇のなんともあどけない少年天使像。

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少年の品の良い可愛らしさが評判をとったのでしょう、調べると、たくさんの少年像が
見つかりました。

デジデーリオの生年は多分1430年、亡くなったのはわずか34歳の1464年。
生年が曖昧というのは、後に有名になった人に有り勝ちですが、森下さんの調査によると、
彼の場合は少し意味が違うのですね。

税金額の査定の元になる土地台帳・Catastoというのがあります。
それには彼が17歳になっている筈の年にも記入がなく、
21歳になった1453年に突然に、セッティニャーノ村の石工の息子として出現し、

サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会の説教壇の仕事を、同じセッティニャーノ村出身の
アントーニオ・ロッセリーノと共同で請け負う、
石工と木材の師匠組合・Arte dei Maesrti di Pietra e Legnameに入会、
同年にこのマズルッピーニの記念墓碑の仕事も。

1457年には兄のジェリ・Geriと共同でサンタ・トゥリニタ橋の脇に工房も持ち、
仕事は順調に発展したようで、納める税金の額も多く、土地台帳にしっかりと記載あり。



サイトで見つけた、しっかり見える作品をご紹介しますね。
なんとも優美で上品な聖母子ですが、これはアメリカ・カリフォルニア州のパサデナにある
ノートン・サイモン美術館蔵。

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マリア・ストロッツィ・Maria Strozzi像。 ベルリンのStaatliche Museum所蔵。

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今回このデジデーリオ・ダ・セッティニャーノのご紹介と、森下さんの著作ご紹介の
折り合いをどうしたら良いのか、かなり考えました。

森下さんの本は謎解き風に書かれている部分が多く、結論的な事を私が書くのは
いけないのではないか、と。
ですが、調査の過程が大変興味深く、しっかりしているので詳細を辿るのが実著書で
十分に楽しんで頂けると思い、彼女が調べ上げた一部分をここに。

このポルトガルの枢機卿の礼拝堂は、どの美術書にも歴史書にも彫刻は
アントーニオ・ロッセリーニの作、彼の兄ベルナルドが礼拝堂建設の総指揮を執ったとあり、
それに間違いはないのですが、

この若くして亡くなった枢機卿の顔のみは、遺言執行者から個別に依頼され、
デジデーリオが彫っているのだそう。
それを調べあげた森下さんは、枢機卿とデジデーリオは異母兄弟であったからであろう、
と推察します。

この調査に彼女を駆り立てた根源には、取材で出会った過去を読む女性から、
あなたの前世はデジデーリオ・ダ・セッティニャーノという彫刻家だった、と言われた事に
始まりますが、次々と不思議な巡り合わせがあり、時に戦慄しながらも突き進みます。

前世への冒険-ルネッサンスの天才彫刻家を追って 光文社知恵の森文庫

には、ルネッサンスの揺籃期の世相、文化等なども詳細され、登場人物の人間関係、
ロッセリーノ兄弟、レオン・バッティスタ・アルベルティも大変興味深い芸術家の繋がりで、
途中の謎も私はたくさん省いてご紹介していますから、
後は 是非! と一読をお勧めします。



という事で、フィレンツェ滞在最終日の午後、セッティニャーノ村に出かけました。
位置関係を地図でどうぞ。
マークの付いている場所が国鉄駅で、斜め横の赤丸がドゥオーモ辺りですね。

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セッティニャーノ村は、フィレンツェから大体東に約8K程、北東に位置するフィエーゾレ・
Fiesoleと国鉄駅からだとほぼ同距離で、私はヴェッキオ橋を南に渡リ、
東に少し行ったタクシー乗り場から。

最初のタクシーの運ちゃんは、セッティニャーノ村に行き、セッティニャーノの像と、
ガンべライア荘、カッポンチーナ荘を見て写真を撮りたいのだけどと言うと、
良く知らんからと去り、次に来た女性の運転手はOKで出発。



フィエーゾレがフィレンツェのパノラマが見える場所として有名ですが、実際に行ってみると
かなり遠いのに比べ、セッティニャーノ村の方が、格段にドゥオーモが近いですね。

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これはほぼ村に近づいた位置から。



森下さんの本で、広場にデジデーリオの像があると読んでいて、広場は一つと思いこみ、
村の中心広場にあるものと。

12-446_GF.jpg

で、この広場に連れて来てくれたのですが、この教会前広場に像はありましたが、
デジデーリオではなく、白い綺麗な像なので、デジデーリオ像と取り換えられたか?!
と一瞬大いに焦りました!

因みにこの教会は、サンタ・マリーア・アッスンタ教会・Santa Maria Assuntaといい、
現在の形は16世紀の物ですが、元は12世紀からとの事。
聖母子像が正面上に見えますが、テラコッタの白塗りとの事。

時々このテラコッタ焼の白塗り、という言葉に出会うのですが、
やはり大理石よりも安上がりだったのかも、ですね。       



いわば村の目抜き通りのヴィア・サン・ロメーオ・Via San Romeoで、上の広場から
東への通りですが、とにかく道が狭く、タクシーが結構横幅の広い車で、
通り抜けがやっとの場所も。
       
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左側の並びに、斜めに少し古い建物が見えますが、その手前のクリーム色の壁、
緑の鎧戸の建物にご注目を! 後ほどご紹介いたしますね。



女性運転手は大変テキパキとした対応で、運転も素晴らしく上手く!
私がデジデーリオの像ではない、と言うと考えつつ、そう言えばもう一つ広場があったと、
どこまでも狭い道を抜け、折り返して狭い道を下りこの広場に。
あったぁ! 

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森下さんが訪れた1993年の10月から既に16年を経ている訳で、本の中の写真より
汚れていますが、すぐ分かりました。
この像は、先日ご案内のカステルフランコの町のジョルジョーネ像よりも
作品として格が上ですねぇ、ははは。 足元に見える作品も美しく。



こちらにアップを。
左手に鑿を、右手には金槌を(アップして確認)握り、眉をしかめて見ている先には・・、

15-458_GF.jpg

ほら、フィレンツェのパノラマが広がるのです!



広場は樹に囲まれ、ちょうどこの位置、デジデーリオの目の先の部分が開け、
この景色が。素晴らしい場所!
フィエーゾレよりも近く低く、ドゥオーモが見えます。

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上の右側部分で、のんびりとした田園風景が広がり、運転手さんが言っていた通り
サッカーの試合日で、マイクを通しての声に連れ、わぁ~わぁ~という歓声が
風に乗って聞こえて来ます。

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と、ここまで長々とご案内致しましたが、実はまだ続くのです! 呆れないで!!
その2の、セッティニャーノ村探訪に、お進み願います。


*****

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・ サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂 ・ フィレンツェ

今日はフィレンツェのアルノ河を渡った向こうの高台、街を一望するミケランジェロ広場
からも少し高台に位置するサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂・
Basilica di San Miniato al Monteのご案内です。

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写真はジョットの鐘楼の上りの中程からで、中央丘の上に見えるのが聖堂、
2つの塔(左がバルジェッロ宮、右がラ・バディア・フィオレンティーナ・
La Badia Fiorentina の塔に挟まり、丘の中腹に見えるのがミケランジェロ広場。
左に写る黒い筋は鐘楼の窓の金網、ご容赦。

聖堂には、フィレンツェの街周遊バスの途中で一旦下りて拝観に行きました。

フィレンツェ ・ バス周遊観光はいかが? 追記と訂正
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461594577.html



ミケランジェロ広場から南に少し行き、左手の階段を上りますが、大きな長い階段が
3段階に分かれ、上るにつれ聖堂正面がこんな風に見えて来ます。

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階段を上りきり、真正面の馬鹿みたいな写真ですが、はは、まぁご案内の一助に・・。

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聖堂の由来は古く、250年に殉教の聖ミニアートを祀った祭礼場所がここにあったそうで、
それも聖人は斬首刑の後、ご自分の頭を抱いてこの丘にまで来られたとか!
       
11世紀に建設が始まり、13世紀に出来上がったもので、白と緑の大理石で
幾何学模様が描かれたフィレンツェ・ロマネスク様式のすっきりと美しい正面。
上の中央には壁龕があり、13世紀のモザイク画も。
       
一番上に見える鷲の姿は、13世紀よりこの聖堂の建設に出費し、維持責任を負った
カリマーラ組合・Arte di Calimala・羊毛商人の組合のシンボルだそうで、
当時のこの組合の繁栄ぶりが偲ばれます。
今見える右端の扉から中に。



内部はご覧の通り常の教会と少し違い高低差があり、しかも初期キリスト教の聖堂は
5廊だそうですが、ここは3廊式。       

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古い建設様式の荘厳な、が洗練された造りで大変気に入りました。
下の階の正面中央に見えるのは、



15世紀の 磔刑の礼拝堂・cappella del Crocifisso.

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ピエロ・デ・メディチの依頼によりミケロッツォ・Michelozzoの設計で、
サン・ジョヴァンニ・グアルベルト教会、リボルノ近くの山頂にあり、建設が
停止していた様で、その磔刑の十字架が納められた様ですが、
17世紀になりサンタ・トゥリニタ教会・Santa Trinitaに移されたそう。

ご覧の様に美しい物で、天井はルーカ・デッラ・ロッビアの彩色陶板で覆われ、
現在はキリスト、聖ジョヴァンニ・グアルベルトと聖ミニアートの逸話、
14世紀のテンペラ画アニョーロ・ガッディ・Agnolo Gaddi作が納まります。



彩色の組天井と、すっきり柄の大理石のアーチが見事。

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アップでご覧を。 柄模様だけでなく、動物の姿も見えますね。

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色が鮮やかですが、19世紀に再彩色されたそうで、という事は図柄はオリジナルと。
てな事で美しい天井に目を取られ、今これを書きつつ、床に占星の黄道十二宮の
大理石の柄があった事を知り・・、きゃいん!



上でご覧の様に、内陣奥部分が高くなっていますが、下奥はクリプタ・Criputa
と呼ばれる地下聖堂で、ここは大変広く、細めの38本の円柱が林のイメージを。

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幸運にもちょうどお勤めのミサの最中で、グレゴリオ聖歌を歌うのが聞こえました。

写真ではかなり明るく見えますが、暗~い奥の奥、小さな明かりの下でお勤めをする姿が
かいま見え、こういう場所でグレゴリオ聖歌の有難いおこぼれに与り、感動を覚えました。
      
     

聖堂の一階部分の右側の壁には、かなりのフレスコ画が残ります。
これなど良く残り、作家の力量もかなりの物。

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これお分かりですか? シノーピア・sinopiaと言い、フレスコ画の下絵で、
線を見ると、かなり時代が下ってからの様ですね。

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作家、時代、壁画の大きさ等などに寄り違うのだと思いますが、これなどは直描きですね。
一般には実物大の下描きを作り、要所要所に穴をあけ、上からタンポで色を叩き込み、
その点を繋いで下描きにします。

昔一度試みましたが、下描きに開けた穴からタンポで色を打ち、次にその紙を取り除くと、
まるでもう、ただの色の点が散らばり!! 線に直すまでに、消耗しきりました!

と、ご存知の通りフレスコ画というのは、下地の壁塗りが乾かない内に、粉絵の具を
水で溶き描きますが、下塗りが乾いてくると、もう絵具の水を吸い込みません。
これは実際に描いてみて本当に良く分かりました。

壁に絵具が吸い込まれ壁と同じ成分になるので、フレスコ画が長持ちする理由だそうで、
と理論に弱い私が簡単な言葉でご説明を。 ははは。
       
ですから、大体1日の出来具合を図って下塗りをし描き、翌日その続きを描き繋ぎ、
広げていく訳で、古いフレスコ画だとその境目がはっきり見えたりしますが、
時代が下ると、そういった壁塗りの技術も上がり、まるで繋ぎが分からなくなります。

映画「華麗なる激情」でミケランジェロが、システィーナ礼拝堂の天井画に取り組む場面で、
夜一人で蝋燭をともし、足場組みの上に仰向けで描くシーン、絵の具が目に落ちる場面が
ありましたが、あれは少し粉飾臭いですね。

というのも、確かに彼は「上を向いて描くので絵の具が目に落ちる」とこぼしている様ですが、
彼は絵具溶きの少年を一人使うのみで一人で描いた様子で、
下塗りの乾く時間の事を考えると、油絵とは違い長時間描き続ける事は出来ないからです。
       
と、昔あの修復を手掛けた日本のテレビ局のドキュメンタリーの中で、彼は下描きの
型を使わず直描きで、それもかなりの大きさを1日でこなした様子、と
言っていたようにも覚えています。

一方、ピエロ・デッラ・フランチェスカは型紙を使ったようで、似たような顔、同じ顔の
逆向きがあちこちに見られます。

ピサのドゥオーモ、有名な斜塔のある広場の横に、シノーピアだけを集めた美術館が
ありましたが、現存でしょうか? 機会の折、覗かれてみるのも一興かと。

ピエロ・デッラ・フランチェスカ ・ 出産のマドンナ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129166.html

「真の十字架伝説」 ・ アレッツォのサン・フレンチェスコ教会
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463164668.html



後陣部分の、美しく保存の良い黄金背景のモザイクの天井画と、大理石のこれも
幾何学模様の祭壇。 どことなく東洋風の趣も感じますね。

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後陣の窓の部分、濃い茶と黒の斑に見えるのは、ガラス以前に使われた、光を通す
アラバスター(雪花石膏)の薄板で、ヴォルテッラ・Volterra の産だそう。 



今回あれこれ読んでいて面白い記述に出合いました。
この円柱の柱頭部分は素晴らしいですが、聖堂内の何ヵ所かの古い柱頭は、
ローマ期の建物からのリサイクルだと言うのですね。

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柱頭に限らず、当時残っていたローマ期の建物やら建設物から必要な物は運び出し、
リサイクルで使用したらしいのです。

床に残る黄道十二宮のモザイクなどもローマ期のもので、キリスト教の立場からだと
未だ異教徒の文化だった訳ですが、利用し、新しいシンボルの意味を与えたのだそう。
う~ん、ものは言いようですねぇ!

柱頭は、後年にはテラコッタに白い上塗りを施したのもあるとか。 



内陣上の真ん中部分から脇部分の眺め、四角い箱式は説教壇で、

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これです。 如何にも中世風というか、少しオリエントの空気も感じるこの説教壇は
12~13世紀の物と。

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上に羊毛商人の組合のシンボルという鷲がいて、男と狛犬みたいなライオン君の目が、
いずれも青い石のはめ込み。



内陣部の脇はかなり広いスペースで、扉の脇にこの小さい鐘があり、赤い引き綱。
お勤めの時間を知らせるための物でしょうね。

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上の写真の奥部分に聖具室があり、扉が開いていたのでゆっくりと拝見。
見える扉が入り口部分、下側は木製の壁兼物入れで上はこの華やかなフレスコ画。

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保存が良いのに驚きましたが、14世紀末の物で、16面の題材は聖ベネデットの生涯で、
上部には4人の福音者を。

作家はスピネッロ・アレティーノ・Spinello Aretino(約1346-1410)
アレッツォの生まれで、かのヴァザーリも画人伝に取り上げており、(日本語版には含まれず)
当時にあり、ジオットの流れをくむ著名な画家であった様子。

ピサのカンポ・サントの壁画、シエナのパラッツォ・プッブリコにも作品があるとの事で、
今迄名前を知らずのままお目にかかっている公算大です!
 


これは入り口から見る正面部分。

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なんとも素晴らしい青色ですが、当時この青は、高価なラピスラズリを砕いて使っていた筈で、
これだけ見事な物になると、払いも相当だっただろう、等と想像し、
依頼者はベネデット・デッリ・アルベルティ・Benedetto degli Albertiと知り、
何者?と調べ始め興味深い事を。

アルベルティ家はフィレンツェの銀行業の大資産家、当人のベネデットはどうやら聖地巡礼に
出かける前に危惧し、港のジェノヴァまで自分の公証人を呼び寄せ遺言状を残したのだそう。
サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂とアンテッラ・Antella(フィレンツェ南東)の教会に
自分の払いで、フレスコ画を描かせるようにと。

という事で、この素晴らしいフレスコ画が見れるという訳で、この功徳のお陰か、多分ご本人は
無事お戻りになった様で、サンタ・クローチェ教会の自家の礼拝堂に埋葬されているとの事。

当時のフィレンツェの銀行業、高利貸しと同等の大資産家について、アルベルティ家についても
ほんの何行かをこちらに。

n.2 ルネッサンスの都に、中世を探して
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463022941.html



聖具室の片隅にこんな女性の木像が。 いずれかの聖女を表すのでしょうが、
場所がらに似合わぬ艶っぽさを感じるのは私だけでしょうか?
故に、大事にされ今に残るのかもですが・・!

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背景に見える木のはめ込み柄、フレスコ画の青色にもご注目を。



この壁の柄はフレスコ画で大理石模様を描いていて、くり抜きの部分に納まる器は、
ホスティア・聖体を表す煎餅、入れでしょうね。

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後陣の脇と後側を埋めるフレスコ画群で、色鮮やかで、ここも保存が大変良いですね。

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聖堂下側左廊に唯一の埋葬礼拝堂があり、全体の雰囲気とかけ離れて存在。
ポルトガルの枢機卿の礼拝堂・Cappella del Cardinale di Portogallo 
と呼ばれる、アントニオ・ロッセリーノ・Antonio Rossellinoと、その兄ベルナルド・
Bernardoの作と伝えられます。

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ポルトガルの枢機卿と呼ばれる方の名前は、ヤコポ(ジャコモ)・ディ・ルジターニア・
Jacopo(Giacomo)di Lusitania、当時のポルトガル王アルフォンソ5世の
従兄に当たり、ピオ2世が招集したマントヴァの公会議、はたまた十字軍に参加の為
ローマからの旅の途中、フィレンツェで25歳の若すぎる死を迎えました。

この礼拝堂は、枢機卿自身の希望により実現したもので、ロッセリーノ兄弟、
ルーカ・デッラ・ロッビア等当時の錚々たる芸術家の集まりで作られた素晴らしい物。
      


なんとも豪華で洗練された優雅な墓碑。

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実は2008年の夏、1冊の本のプレゼントがありました。

森下典子著 前世への冒険-ルネッサンスの天才彫刻家を追って 光文社知恵の森文庫 

著者の森下さんが取材で出会った過去を見るという女性に、
デジデーリオ・ダ・セッティニャーノ・Desiderio da Settignanoの生まれ変わりであると
言われ調査をする、という内容。

著者は実際にフィレンツェまで、果てはポルトガルまで出かけ、調べ上げるその過程に
大変興味をひかれました。

サン・ミニアートの聖堂に出かけたのも、この墓碑を見たかった為でもあり、
セッティニャーノの村にも行ってみました。

という事で、その様子を次回にご覧頂きたいと思いますが、今回は枢機卿の墓碑の様子を。

デジデーリオ・ダ・セッティニャーノという彫刻家をご存知ですか?
セッティニャーノ村 探訪
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464150811.html       



礼拝堂の天井部分、ルーカ・デッラ・ロッビアの素晴らしい青と白のメダルが5つ。

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他で見る彼の陶板作品よりも格段に美しく、ポルトガル王家に繋がる枢機卿一族の
財力を偲ばせます。



こちらはまた中世に戻り、右側の壁の聖クリストフォロ。 力持ちの大男として、
いつでもどこでも大きな画面で表現されます。

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聖堂の外に出ての左側には13世紀からの厳めしい建物が並び、こちらはオリージネが
ベネデット派の修道院。
 
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高台にあるので、こんな風にフィレンツェの街の市壁も見えますが、生憎の曇り空で残念。

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ヴェッキオ橋とウッフィツィ美術館の辺りをアップで。

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ミケランジェロ広場まで戻り、ドゥオーモの大クーポラとジョットの鐘楼を。
いちばん左の丸屋根は、メディチ家礼拝堂。

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う~ん、青空が欲しかったなぁ!


◆*◆*◆

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今日2月12日、このヴェネトは大変お天気が良く青空で暖かでしたが、
お昼を食べながら見たTVニュースでは、なんとローマが雪景色!! サルデーニャも!!
1985年以来の雪景色のローマだったそうで、一時はかなりの降りで、交通麻痺も。

午後一番に我が家に来たイタリア語の先生アンナリーザにローマが雪だよ! 
と伝えると、きゃあ! と大喜びでした。

今日はかなりの文字数なので、これで。  お元気で、ではまた!
       
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・ またもや、雪景色! ・ コッレ・ウンベルト村 

先週土曜の朝、雨戸を開けましたら、なんと真っ白!
わぉ! 天気予報では雪とは言ってなかったよ・・、が暮の雪ほど積ってはおらず、
降ってもいないので、車にカメラを積み、郵便局、ワインの買い出し、文具店にと
出かけ、ついでに隣のコッレ・ウンベルト・Colle Umbertoの村を一回り。

写真は文具店の前からですが、この右手は・・、

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文具店の前を通る道の向こうにこの畑景色が広がります。
手前はトウモロコシ畑、奥は葡萄畑が既に選定済みで、大好きな風景ですが、

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この左手は・・、


トウモロコシ畑が広がる奥、少し高台に大きな農家があり、2本の大きなポプラの
樹の前には、廃屋も。

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手前の畑の上に、霧が帯になって流れるのを見た事があり、あの何とも言えない
雰囲気がちょっと凄く、忘れられずにいます。
右端に人影が見えるのは、



親子と黒いワンちゃんの雪遊び。

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寒すぎて他に人影は見えず、遠くからのハシャギ声が聞こえます。
それにしても、マンマの着込んだ丸い姿!



積った雪の量はそう多くないのですが、とにかく冷え込みがきつく、
隣の畑との境の木々の色、如何にも「冬」でしょう?
はい、寒さお届け! です。 ははは。

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文具店前からの道は、平坦に見えましたよね? でも少し先から、この上り坂!
長~~~い上り坂で、並木のトンネルで一番上が見えない程!

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車だと問題なしですが、かっての自転車時代、夏など途中で生き倒れになるかと・・!



半分以上のぼった所から左手に葡萄畑が開け、北の晴れた山並が望めます。
飛行機雲2本、いや、3本かな。

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いつもご覧頂いている、北の山の重なり。 あの山間を、北国への道が続きます。

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上り坂の右手にはお城が。 勝手に、コッレ・ウンベルト村と呼んでいますが、
本当はコッレ・ウンベルト市なのですね。 ですが中心に何軒か店があるだけで、
他にはな~んにもなく、少し離れた道路筋にスーパーなどが何軒か・・。
       
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かっての伯爵家のお城で今もお住まい、というのは聞きもし書いたけど、調べた事が
なかったなぁ、と19年めにしてウィキペディアを。ははは。

ところがかなりの量があり驚き、おまけに日本語版もあるものの、こちらは例によって、
  コッレ・ウンベルト(Colle Umberto)は、人口4,572人のイタリア共和国
  ヴェネト州トレヴィーゾ県のコムーネの一つである。 
  出身著名人   オッタビオ・ボテッキア(自転車ロードレース選手)
という3行のみで、いやいや、項目があったぁ! と喜ぶべきなのかも・・。
       
天候温暖のこの丘の上には先史時代からの移住があり、考古学の発掘品も多いと。
ローマ期には、2つの大拠点地であった南のオデルツォ・Oderzoと、
ヴィットリオ・ヴェネトのチェーネダ・Cenedaを結ぶ街道上に位置する。

この快適な丘の上に目をつけ11世紀に修道院を造ったのが、ベネデット派
ポンポーザ・Pomposaの修道院の僧たちで、今見えるお城の前身にあたり、
半分は教会が残る、と。

この当時、中世からこのコムーネは単にコッレ・Colle ・丘の意、と呼ばれ、
後ろにウンベルトとがついたのは19世紀に当時のイタリア国王ウンベルトが、
この地を訪問された記念と。

ヴェネトからエミーリア・ロマーニャ州に入ってすぐのポンポーザの修道院は
訪れた事があり、その素晴らしさに驚いた事を良く覚えていますが、
お隣の村に関連して名前が出たのに、少しびっくり。

肝心のこのお城の名前は、ルケスキ・Lucheschi城(家)と言うそうで、
ロンゴバルド系なのかもですね。
コッレのコムーネは14世紀までは、ヴィットリオ・ヴェネトのセッラヴァッレの
カミネージ家の下にあり、後にヴェネツィア共和国に。

ヴェネト一帯の歴史は大変シンプルで、どこもかしこも14,5世紀には
ヴェネツィア共和国の下に入り、18世紀末まで平和を享受、で済みますから、
shinkai向きなのです、はは。
       
オデルツォのご案内は


ポンポーザの修道院と、エステ家のお狩り場だったメーゾラの森は

ついでに、イタリア最長のポー河がアドリア海に注ぐ場所も
エステ家のかっての城、干拓のための水門もご覧になれます。
 


お城の下側は、やはりこんなトウモロコシ畑と農家。

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以前はもっとトウモロコシ畑が多く、ひまわり畑もあったのですが、どんどん葡萄畑に
変わっています。 世界の中でイタリア・ワインの評判が高まり、売れ行きも良く、
今年はフランス・シャンパンの売り上げを、我らのプロセッコが抜いて、
ついに1位になったとか! イェイ!

と、喜ばしい話ですが、あの黄色い絨毯を広げたような広いひまわり畑の思い出、
スコミーゴ村近辺のみならず、コネリアーノの町のすぐ入り口にもあちこちにあったのが、
葡萄畑になり、工場地、宅地になりと、イタリアのこの田舎も少しずつ変わって行きます。
       
昨年春のプロセッコのワイナリー訪問をどうぞ。



上って来た坂道を振り返り。 ライトを点けこちらに向かう車、あの辺りが坂の中程、
さて、2kmほど続く坂道でしょうか?

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下り坂の途中に、生意気にもピード表示の出る盤があり、50km制限で、それ以上は
-5点とか出るのですが、最近、無意味な事が漸く分かったかして、表示が出なくなり、
ひひ、ざまあみろ! 



数える程の店が並ぶ中心街を過ぎると、ははは、またすぐに両脇に葡萄畑が。
雑木林がいい色!

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この場所は以前もご覧頂いてますが、大好きな道で、好きな景色が広がります。

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葡萄畑の眺めが好きなのは、この杭の並び。 きちんと測られ、打たれた杭が
等間隔に土地の起伏に沿って続きます。

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平地では放射線状にも見え、丘の土地では列が向こうに消えて行きます。



この葡萄畑は、まだ剪定が済んでいませんね。 早い畑は暮の内に、
遅くとも2月迄にはで、スコミーゴ村でもこの寒い日に剪定作業の姿が見えました。

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市役所やお城のある丘を北に下った所から。 いつも見ているヴィゼンティン・
Visentinの山ですが、平野から見る標高1763mはやはり高い。

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我が家辺りは雨だった昨日、奥は雪だったようで、今朝見る山はもっと白く、
夏の姿をご覧頂いたアルト・アディジェ州のシロール近くの山間で、零下47度を記録!
    


畑の奥の家に続く小道との分岐点にあるベンチ、バスの待合に利用されるのかも。

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青空が少しでも覗くと、雪景色は一層美しく。

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小さな枯れた花の一つ一つにも、積った雪。

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葡萄畑脇の運搬用のタンクにも雪、消毒薬用かな?

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葡萄畑の遥か向こう、いつものオリアーノ村の鐘楼が見えます。

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少しずつ青空が広がり、北国との境の山に落ちる雲の影がゆっくりと動いて行きます。
さて、凍えぬうちにお家に帰ろ!

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ほぼ同じ場所でも、色のある景色はこちらに。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461295708.html       
      
 
◆*◆*◆
ブログご訪問、有難うございます!

昨年、給湯と暖房設備を重油ボイラーから都市ガスに切り替え、工事申請から
実際の工事終了まで半年以上かかり、おまけに予想以上の出費となりましたが、
結果は大正解でした。
ちょいちょい問題を起こした重油ボイラーに比べ順調に働いてくれ、ガス代も安いです。
       
とはいえ、スチーム暖房と言うやつは部屋が寒くない、という話で、暖炉やストーブや
コタツの温かさとはまるで違いますから、この寒さでは時々スチームに貼りつきに!

バッタ君が1匹窓の桟にしがみつき越冬中ですが、奥の奥に引っ込んでいたのが、
春の陽射しに誘われ表の桟に。 所がこの再びの雪で、また奥の桟に!

ははは、彼らも気温をしっかり感じ取っていますね。
が、飲まず食わずでよく何ヶ月も居れるもの!と感心します。

春が待ち遠しいのは、みな同じですね。
皆さんも、お元気で!

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