・ レオナルド・ダ・ヴィンチの母親について

ダ・ヴィンチの生家を訪れて知った事をまず要約しますと、
    
レオナルドの生家を訪れ、今迄ずっと祖父の家と思い込んでいた
アンキアーノの彼の生家と言われるものが、

実は祖父の友達の家であり、レオナルドはその家で生まれたもののすぐに
祖父に引き取られ、実の母親カテリーナ・Caterinaは、出産後じきに
近所の農夫と結婚、何人かの子供も出来た、
というのが、生家の管理の女性の話でした。


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かなり驚き、家に戻って後改めてレオナルドについて調べたのですが、
何の気なしに「レオナルドの母親」で検索をかけましたら、
なんと出るわ、出るわ、・・驚きました!

レオナルド・ダ・ヴィンチの母親については、今迄は近所の農婦、樵の娘、
ロシア系ユダヤ人、スラヴ女性 ecc eccと、
いずれも憶測の域を出なかったのですね。

が今回サイトで知った、2008年春に出版された本の内容は、かなり衝撃的な
ものですが、記録を掘り起こし積み上げての実証のように思われます。
私は研究者ではありませんし、内容についてとやかく言う程の知識も
ありませんので、そのままご紹介いたします。

追記:サイトは La madre di Leonardo era una schiava? で
   検索し、見つけた一番詳細な物でしたが、改めて調べましたが
   見つかりませんでした。
   が、未だにあれこれ別の名も挙がるという様な賑わいで。2018.11.30
        
出版された本の題名は
La madre di Leonarudo era una schiava?・
レオナルドの母親は奴隷だった? で、

筆者はFrancesco Cianchi・フランチェスコ・チャンキ、彼の父親レンツォRenzo
と共にレオナルドの研究者。
既に数年前レンツォの「レオナルドの母親はオリエントの奴隷だったかも」との
推測の発表があり、その研究を継いでの今回の出版だった様子で、
その本の要約をサイトで見つけたのでした。


レオナルドの父親 ピエロ・Pieroはフィレンツェで公証人をしており、
銀行家のヴァンニ・ディ・ニコロ・Vanni di Niccolòの公証人、友人であり、

ヴァンニの遺言は最初、妻アニョーラ・Agnolaは亡くなるまでギベッリーナ通り・
Ghibellinaの家に住むという条件で作られたのが、
後ピエロにこの家を譲る様に変更され、彼は1451年10月24日に死亡。

カテリーナの妊娠は逆算すると、ヴァンニの死の3ヵ月後で、それまでの
ヴァンニ家と公証人ピエロの関係は、それを境に急に途絶えます。

カテリーナがヴァンニ家の奴隷であったのは、資産台帳によると少なくとも
1446年からの事と分かっており、奴隷は家の資産と同様、妻のアニョーラに
渡るはずでした。

奴隷という言葉には、抵抗がありますね。 ですが当時のフィレンツェのみならず、
資産家の家には女性奴隷がおり、14世紀の初期まではイスラム圏からの奴隷
が主流を占め、同世紀末には黒海、ギリシャ、バルカン諸島が増え、
15世紀の中頃からアフリカからの奴隷が現れたのだとか。

1457年のフィレンツェに於ける奴隷の数は、確認されている数だけで544人、
という報告もあり、奴隷の値段は、年齢、身体状態の他に出身地も影響し、
白人、とりわけコーカサス出身が高かったと。

彼女達は新しい名前を与えられ、カテリーナ、マルゲリータ、マリーア、マルタ、
マッダレーナという名が一番多かったそうで、
キリスト教に改宗させられ、洗礼を受けたといいます。


で、本題に戻りますと、
奴隷と関係を持ち子供が生まれる事は、勿論公的なダメージを受けるだけでなく、
おまけにレオナルドが生まれて8ヵ月後には、他人の持ち物である奴隷との関係に関し、
大変厳しい法律が発布されたのだとか。

ヴァンニの未亡人とその親戚筋が騒ぎ出すのを宥める必要もあったのか、
譲られた家にピエロはすぐに移らず、23年後の1479年から移り住んだ様です。

前後しますが、ギベッリーナ通りの家に住み残った未亡人アニョーラの資産台帳の
申請からは、奴隷カテリーナの名は消えており、別の下女になっているそう。

ちなみにヴァンニの未亡人の名はアニョーラ・ディ・バロンチェッリ・
Agnola di Baroncelli という、フィレンツェの著名な家柄出であったそうで、
その家柄に繋がるベルナルド・Bernardoは、後年メディチ家に対するパッツィ家の
叛乱で捕まり、バルジェッロ宮の窓から絞首で吊るされ、それをオナルドが
スケッチした、という不思議な縁もあります。


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こうしてカテリーナはフィレンツェから消えるのですが、
1457年に祖父アントーニオのbocche(台帳?)に父親ピエロの直筆で、
「リオナルド、serピエロの庶子、彼とカテリーナ、現在ヴァッカ・ダ・ヴィンチの
ダカッタブリーガ・d’Achattabrigaアントーニオの妻との間に生まれた、5歳」
という記述に現れます。

カテリーナは、レオナルドを出産後1年も経たないうちに、上記の農夫ピエロに
嫁いだ様で、この5歳になるまで、乳母のような形の母親と会っていたのかも
知れませんね。
奴隷の身分であったとすれば、早々に追う払うような形でカテリーナを他の男に
嫁がせ、レオナルドを祖父が引き取った、というのも飲み込めます。
いずれにしてもこの5歳の時に、祖父の家に引き取られ教育されたのかもしれません。

上記のように、父親のピエロは辣腕の公証人だったようで、嫡子であれば、
父親以上の凄腕の公証人になったかもですが、当時の公証人規定では庶子は
その職を継ぐ事ができず、

このお陰で、我々は彼の素晴らしい作品に接する事ができ、その万能の
天才振りを賞賛できるわけですね。


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と、この本と同時に出版され紹介された他の1冊
エリザベッタ・ウリーヴィ・Elisabetta Ulivi著
レオナルドの系図・ Per la genealogia di Leonardoにこれまた驚く事が。

52枚のレオナルドのスケッチ等に残された200以上の指紋の破片から、
遂に最新技術を持って、レオナルドの左手の指紋が作り上げられたそうです。

そして指紋からは、人類がかなり特定出来るのだそうで、
同じ指紋は約65%のアラブ人が持っているそうで、つまり、レオナルドの母親
カテリーナはアラブ系の女奴隷であったことが推測出来る、というものです。

という事で、現在のレオナルドの研究者達の目標は、
奴隷の売買書、または自由民にする書類の発掘だそうで、
もしそれが見つかれば、出身地、身体的特徴などが分かると。

というのが、今回知った事どもでした。
単純に生家を訪ねたつもりが、思いがけない大きなニュースを運んできて
驚いていますが、上手くお伝えできた様に願っています。


◆ 追記 ◆

リンクしております「イタリア、とりわけヴェネツィア」のペーシェクルード様
大変興味深い記事のアドレス、レオナルドの指紋に関連して、
彼の未発掘の絵が見つかったか、という記事のアドレスを送ってくださいました。

ひょっとして、ミラノ公ルドヴィーコの娘のビアンカの肖像画かも、という
大変美しい絵です。ご覧下さい!
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2652331/4755445

    
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・ レオナルド・ダ・ヴィンチの生家と、その周辺

今日はレオナルド・ダ・ヴィンチの生家と、その周辺風景をご覧頂きます。
「ルネッサンス期の万能の大天才」として有名すぎる人物で、
彼については改めて書く必要もありませんね。
その彼の生家に、フィレンツェから半日出かけて来ました。
      
写真はエンポリの手前、モンテルーポ・Montelupo辺りで、この町も何か
面白そうな予感がしましたっけ。 フィレンツェはうす曇りの朝でしたが、
この辺りから急に霧が深くなり、ご覧の通り。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ・Leonardo da Vinciという名は、ご存知の様に
「ヴィンチ村のレオナルド」という意味ですが、ではどこにあるか、地図をどうぞ。

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フィレンツェから電車で約30分西のエンポリ・Empoliに。 ここはフィレンツェと
ピサの間に位置し、南のシエナへの分岐点ですね。
ヴィンチ・Vinciは、このエンポリから北に11Kほど、そしてレオナルドの生家の
あるのは、そこから更に3Kほど北のアンキアーノ・Anchianoという村です。
     


エンポリの駅に到着し、バスもある筈ですが、アンキアーノの生家に直接行こう、
と思いタクシーに。 15Kほどの行程ですから、この方が楽ですね。

タクシーの運転手に頼むと、今日は生憎の霧で残念、アンキアーノ周辺は
とても美しいのだ、という話を。
       
ヴィンチと生家の間が3k程と調べていたので、戻りはヴィンチまでゆっくり歩き、
バスかタクシーでエンポリ迄と考えていましたが、ヴィンチにはタクシーがないと。
では電話するのでと名刺を貰ううちに、1時間位なら見学するのを待ってもいい、
その方が時間の節約になるし、とのお申し出。
待ってくれるなら、このお天気だしそれが良いか、とお願いする事に。

エンポリの町は余り食欲をそそられず、が、町を出外れてから
美しい景色が広がり始め、残念な霧。 

写真はヴィンチの町の入り口、車の中からで、高台にお城と教会が。

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ヴィンチからかなりの上り坂の道が続き、これはタクシーが正解だったかなと。
という事で、生家に到着。

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道からは、この様に少し上に位置します。

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上がっての角からはこんな風に。見えるのは別の家で、
家の向こうは下り傾斜のオリーヴ畑。

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と、いささか丁寧に見て頂くのも、実は他に写真がないのです!
内部は例により撮影禁止だったもので。



はい、これがルネッサンスの万能の大天才、レオナルド・ダ・ヴィンチの生家。

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入り口に「写真禁止」の札があり、誰の姿も見えず。 内部を覗き込み、
では!とカメラバックに手をかけた所で、後から管理人の女性がお出まし、
一巻の終わり!

入り口位は写しても良かったか、と少々後悔する羽目に。というのも、
サイトを探し回りましたが見つかるのはどこも、上と同じ写真のみで!



これはやっと見つけたIstituto e Museo di Storia della Scienza
のサイトからの写真で、根性悪く透かしまで入れてありますが、
まぁ、これが生家の入り口です。

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で、小さいながら、遂に執念で見つけた内部の一枚!

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入り口を入ると、この居間兼台所ですが、イメージほど広くはありません。
左手に暗く見える部分奥に、もう一部屋、但し1段床が低くなっていて、
管理女性の話では、召使用か家畜用と。 この真ん中の部屋の右手には
寝室があり、つまり計3室の家ですね。

写真が駄目なら、絵葉書か小冊子があるかと訊ねましたが、何もなし!
そこの展示パネルに書いてありますよ、と大変ご親切ご丁寧な説明で・・、
それでも話している内に、驚きの話が!!



これが有名な、レオナルドの出生の記録。

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1452年、私の孫、我が息子セール(敬称)ピエロの息子が生まれた。
4月15日土曜日夜の3時。
名前をリオナルド・Lionardとつけ、ヴィンチのバルトロメーオ教会の
ピエロ神父が洗礼・・。

これはレオナルドの祖父アントニオが伝統に従い、家の聖書の最後のページに
書き込んだ物で、母親・カテリーナの名前はなく、既にご存知の通り
レオナルドは庶出の生まれでした。


で当然、アンキアーノのこの生家は祖父の家と思われるでしょう、皆さんも?!
当然、カテリーナはこの家の召使か、または近くの村から働きに来ていた女性、
と思い込んでいたのです、私は。
 
所がなんとこの管理の女性が言うには、
いいえぇ、この家は祖父アントニオ(公証人)のお友達の、やはり公証人の家で、
カテリーナはこの家で働いていたのよ。
お祖父さんはヴィンチ村に住んでいて、よく行き来し、彼女も小さい時から
レオナルドの父親と知り合いだったのよ。
で、15歳の時にこの家でレオナルドを生んで・・、

えっ?!祖父の家ではなかったのですか? で、15歳で?!
ええそうよ。友達の公証人の家よ、そこに名前が書いてある筈。
でも、この家で生まれた事は確かなのよ。 
そして生まれた子はお祖父さんがすぐに引き取り、
彼女をこの近くの他の男と結婚させ、子供も何人か出来たのよ。

管理の女性は、お祖父さんのカテリーナに対する対応を、550年以上経った今も、
話している内に腹が立つ様子で、
今頃はまだ少しは変わっては来ているけど、
あの当時、女なんてまるで数の内ではなかったんだから!と。

パネルを大急ぎで見て、お友達の公証人の名前がSer Tomme di Tommaso 
らしいと控え、管理の女性の話で、30年ほど後に父親がこの家を買い取った様子、
とも知りましたが、なんと、生家は確かに生家でも、盲点がありました!

で、家に戻って母親について調べている内に、
何ともはや、また別の驚きに出会ったのですが、それについては別の記事で。


家の前には、オリーヴ畑。

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かなり実が膨らんで来てはいますが、オリーヴの収穫は11月頃だったと。
葡萄と違いかなり遅く、寒くなりかけの時期です。         



生家の少し先にかなり広い駐車場があり、タクシーはそこで待ってくれたのですが、
なんと、観光客用の屋台店が何軒か! 流石だなぁ!と、
ミケランジェロの生家の小さな村にも、大きな駐車場があったのを思い出しました。

駐車場の隣に広がるオリーヴ畑の木々はかなり年代を経ていて、
枝の先、色が明るく見えるのが実。

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タクシーに乗り込み、レオナルドのお祖父さんの家ではなく、お友達の家だった、 
と言うとあっさりと、そう! お祖父さんが住んでいたヴィンチの家は分かるか?と
聞きましたが、これはご存じなく。



で別の提案を。ヴィンチのお城の博物館をちょっと見たいのと、良かったら
この一帯ぐるっと回って貰えませんか、写真を撮りたいのだけど、と。

OK!を貰い、ヴィンチに向かいますが、来る時に見た
古い家畜小屋らしい所で、まず停車。

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道を挟み、ワイン醸造所があり、お庭を覗くと大きな素敵な甕が。
これはオリーヴ油保存の甕ですが、呼び名を失念。
映画の中で見たシチリアのは、優に人が入れる大きさの甕も!

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追記:判明。テッラコッタのこの壺はジャーレ・Giareと。2018.11.30

      

ぐるっと道がカーヴし、古いお家を修復した素晴らしい母屋が見え、
奥にワイン醸造の新しい建物が。

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10月初旬と言うのに、日当りが良いのか、まだ朝顔の咲いている庭!

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なだらかな起伏が続き、道の向こうの丘にオリーヴ畑の畝。
葡萄畑の畝はいつも見ますが、オリーヴの畝は初めて。 霧が深い!

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ヴィンチの中心を望み。 町は細長く広がり、お城の位置が一番高く。

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道から見あげる高さにお城とこの教会が並び、下の道に、新しい
レオナルド博物館があります。 最新テクニックを使っての、様々な実験も
見れる様ですが、今回はパスして上のお城に。

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こちらが、お城の博物館。 グイディ伯爵・Conti Guidiのお城と呼ばれ、
オリジナルは中世初期に遡り、持ち主も変遷を辿り、修復の後現在の博物館。
一番上に鐘楼があります。

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坂道を上がるとこんな様子。 かってお城の一部だったと思われる建物は
スーヴェニール店になっていて、狭く急傾斜の石段がお城の入り口に。

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連日の階段上りでいささかお疲れですが、中世のお城となると必死で上り、
が、無常にも修復のため休館! どうやら10日程の休館だった様で残念!



お城の下をぐるっと道が囲みます。この素敵なお家の左には広場が広がり、
右に行くとレオナルド図書館も。

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広場にある木製の、レオナルドの方円の人体像。
う~ん、場所柄あっても良いとは思いますが、やはりデッサンの方がねぇ!

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広場の端から、お城を。

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道の右手には、いかにも中世の小さな集落が見え、

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楚々として可憐な、カッペリ・ケーパーの花。

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この向かいのお家に、艶々の白黒猫ちゃん、次回のイタ猫でお姿を。



車に戻ると、「素晴らしい写真を撮らせてあげる」と、狭い狭い急傾斜の
カーヴだらけの畑の坂道を上り、先ほど広場から見た向かいの丘の上に! 

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おお! このお城は住民達から「船」と呼ばれた様ですが、
まさにその形容が納得できる姿の位置。

こんな道は土地の人しか知らないでしょうし、運転のシニョーレも写真が趣味
なのだと言い、こちらの思いと大体重なるのが、面白かったです。



ヴィンチから東に向かい。 生憎の霧ながら、なだらかな風景は大変美しい!

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ヴィンチ村が、霧にかすみ・・。

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この一帯、オリーヴ畑が断然多いですが、少し高い位置になると葡萄畑も。

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葡萄は霧を嫌うので高い位置に、と聞いた事がありますし、畝の先に薔薇を
植えるのは、葡萄と同じ病気にかかり易いので、その目安になるからと。

      
 
ほんの少しの薄日で、景色がずいぶん違って見えます。 同じトスカーナでも、
オルチャの谷の雄大さとまた違い、なだらかで、やさしい風景が広がります。

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日当りのよい位置なのか、こんなに赤い葡萄の葉っぱ。

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ここどう? と運転のシニョーレ。 シー! シー!

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これは雄大! 耕された土地との対比の面白さ!



同じ場所で視線を移し。 霧が残念!

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広い広い葡萄畑の畝の面白さ! 上段右は、まだ赤ちゃんの葡萄畑。

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上の写真の左上部分。 同じ葡萄畑でも、色の変化が面白く。
我が家の近くでも、こんな様子をよく見かけます。

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という所で、エンポリの駅に。 良かったら1日ハイキングもいいな、と
出かけたヴィンチでしたが、この霧ではね。

ですが、ちょうど良いタクシーに乗り合わせ、ぐるっと一回り楽しみました。
自分の車でまた出かけるチャンスが出来ますように!

***

上記した様に、レオナルドの母親について驚く記事をサイトで見つけましたが、
説明がいささか長くなりましたので、次回にアップいたしますね。

*****

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・ n.2  フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮 

引き続きご覧頂き、有難うございま~す。
ヴェッキオ宮内は軽く見て歩きましたので、こちらn.2は例の如く
独断と偏見で、私の好きな物だけご覧頂きますね。

チンクエチェント広間から階段を上がり、このテラスに。
すっきりと気持ちよく、外を眺めました。

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が、家に戻って博物館の地図で確かめると、チンクエチェント広間の奥に
あるという、コジモ・イル・ヴェッキオの部屋とか、
ロレンツォ・イル・マニーフィコの部屋、レオーネ1世の部屋など見ておらず!
きゃ! 次回の宿題が即できましたぁ。



テラスから身を乗り出し、シニョリーア広場のロッジャを。

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こちらは、サンタ・クローチェ教会。 ここの訪問時は工事現場並みで・・。

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ふと見あげましたら、素敵な軒下が。 なんと、凝っておりますねぇ。

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テラスから内部への入り口脇に見えた扉は鋲を打った頑丈な物でしたが、
一方、上部はこの軽やかな柄。

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元素の広間・sala degli Elementiというそうですが、
こういう豪華絢爛、見たかぁ! これでもかぁ!というお部屋は・・で、
写真OKなのに、全体は1枚も写していない・・!   ガイドブックより

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この暖炉素敵だなぁ、ちゃんと煙は抜けるのかな? と、覗きに行きましたが、
はい、ちゃんと穴が開いておりました。

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色の取り合わせが何とも素敵なお部屋で、正面はボッティチェッリでしょうね。

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サヴォナローラによる影響を受けた後、彼の作品は大変硬くなり、
初期の何ともいえない柔らかさ、優美さが影を潜めます。
これも少し硬いですが、それでもやはり彼ですね。



天井の柄。 これもグロテスク模様の一種なのでしょうが、大変エレガント。

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部屋の名前はまるで確認せずに見て回ります。

隅の小部屋を覗きましたら、こんな椅子とテーブルがあり、ふと上を見上げると、

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この装飾! なんと素敵ですねぇ、
色使い、金の長押(で良いのでしょうか?)といい・・。
小部屋の主を想像します。

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ふと見える青空。
監視の女性が、窓の下の階段に上っても良いと言ってくれましたので。

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これもボッティチェッリと思いますが、特別な出来でなくともやはり素敵!

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下の年代物の箪笥は良いとして、この扇風機が邪魔ですねぇ。
が、フィレンツェも、この夏暑かったのでしょうね!



建物の増築、継ぎ足し部分を見つけました!
部屋の部分の天井の柄と同じに、上の奥部分もちゃんと仕上げてあります!
そしてこの柄、なんとなく矢羽根っぽくて。

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壁の百合の柄にある赤い線は、なに?
秘密の行程コースにも似て、こういうの大好き。


 
窓の向こうに、ドゥオーモの丸屋根!

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部屋の中、出窓の周囲の壁も装飾があります。
「眺めの良い部屋」の主は、どなただったのかな?



こちらは、百合の広間・sala dei Gigli と呼ばれる
素晴らしく大きな広間ですが、
ここも全体を1枚も撮ってない・・!  ガイドブックより

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まじめな顔で、槍持ちをさせられているライオン君。 ははは、ご苦労さん!
ガイドブックの解説を見ましたら、この広間のフレスコ画はギルランダイオ!
好きな画家なのに、ちゃんと見ずにライオン君だけ! ああ。

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地図の間。 たくさん並んでいましたが、まずはイタリアを。
自国だけあって、かなり正確。

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ですがぁ~・・、  これが日本とは、ねぇ~!!

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これもまた何とも素敵な造りで!

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階段の下で監視人が二人、大お喋りに熱中で、やっとあの階段の上には
何があるのか、と聞き出しましたら、小さなテラスがあるのですと。
見たいやんかぁ!



かと思うと、修復されたのか、すっきりと何もない質素な部屋も。
が、壁の戸棚、窓の鎧戸の閉め金具、味がありますねぇ。
木製の物が大好きで。 とりわけ年代を経た物が素敵ですよねぇ。

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シエナ派の天使像。 羽のない、ぷっくりの天使ですが、
胸元の飾り彫りが素朴で可愛い!

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右の聖母子はシエナ派の様ですが、こういう素朴なテンペラ画が大好き。

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高い窓への階段。 椅子が置いてなかったら、即、上りそう!



少し広めの部屋の、壁際のこれ!
少し離れても一つあり、一つがこの様に開いて。

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部屋の真ん中に、何か展示物があった部屋の覚えがありますが、
とにかく即座にこれに目が行き、他の記憶はおぼろ。
は~い、トイレです!



近寄り覗き込み、写しましたが、何せ位置が高く狭いので、こんな感じに。

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壁の厚み利用の出窓形式で、確かに穴の跡が見え、塞いであります。
トイレに間違いはないと思いつつ、近所におられた監視の若い男性に、

これ、・・あのぅ・・トイレですよね?
そう。 ・・以前は床の位置がもっと高かったのです、この辺り。
と、上の写真の位置の高さ半分ほどを、示し。
で、あっちも同じですねぇ?
そうですよ。
あのぅ、・・穴からどの様に?・・下に直接落ちたのですか?
・・・そうでしょうねぇ。 (うっすらとお笑いに)
あのぅ、・・・ 大きい方も直接下に?
・・・、そう、そう思うのですが・・。 (ますます、うっすらと!)

あのぅ、どんな方が使われたのでしょう?普通の召使い用ではないのでしょう?
当時、この一帯はフェルディナンド公の母親のお住まいでしたね。
不思議でしょう? あちらの部屋にもひとつありますよ。

フム、フェルディナンド公の母親というと
あのフランチェスコの母親でもある、エレオノーラ様?!

コジモ1世とエレオノーラは1539年に結婚し、当初はメディチ家の邸宅、
現メディチ・リッカルディ宮に住み、後ヴェッキオ宮を改装拡張して
移ったようですから、監視の方の言われたのは、間違いないですね。
ピッティ宮に移るのは、多分1550年位です。



思いがけない出会いの掘り出し物にぼうっとし、ははは、
一帯どの辺りにこの部屋があるのか、とそのあと少し移動した後、
窓があったので覗きました。
この景色! ウム、ヴェッキオ宮の北側だな?!

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さて、これより後日談。 ヴェッキオ宮の北側の壁の検分に出かけました。
我ながら、物好きなのに呆れますが!

覗いている人が見えるあの窓でしょうね、私が見たのは。
窓枠からはみ出している、鉄具も同じだし。

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で、この左側は・・、
こんな感じの壁で、窓の左のアーチの張り出し部分の真ん中にご注目!

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こんな穴の遺物と見られる物を一つ見つけました!
これかなぁ?!  石の汚れ加減、・・むむ!!
良く分かりませんがぁ。

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フェルディナンド公の母君、エレオノーラ様はナポリのスペイン国宮廷
副王の娘でお輿入れで、住み心地の良くないヴェッキオ宮を改装された、
と書かれているのを読みましたし、あのトイレもそのうちの一つかも。

おフランスのヴェルサイユ宮殿にはトイレがなかった、とは有名な話ですし、
皆さんおマルにされて、町中でも朝早く窓から、
「お水に注意!」と言いながら、ぶちまけたとか・・!



でも現在博物館の地図にある、エレオノーラの区画と呼ばれるのは、
南側で、こちらが、ヴェッキオ宮の南側部分の壁。

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博物館の地図に寄ると、エレオノーラの区画と言うのは、渡り廊下
(これもヴァザーリの回廊)の手前辺りのはずですが、

出っ張りも、穴も見えませんねぇ。という所で、トイレの秘密は持越しに。

どなたかご存知の方、どんな事でも宜しいですから、あの部屋の名前、
位置、当時のトイレ事情などなど、情報を下さいませ、ませぇ!!



これは、ウッフィッツィ美術館バールのテラスから見える、ヴェッキオ宮。

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昔むかし、このテラス席でお昼を食べて感激した事なども思い出しましたが、
今回はこのテラス席がシニョリーア広場のロッジャの上、と
今更ながら気が付きました次第!
       


テラス席から見える、ヴェッキオ宮の矢狭間の紋章は、なかなか素敵です。
とりわけ、窓が開いている所なんぞ、まさにイタリアを感じます! ははは

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ヴェッキオ宮、そしてほぼ満月。

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風雅であるべき筈が、・・ああ、あの壁に目が。



うん、やはり最後は綺麗に決めないと!
こんな感じで、如何でしょうかぁ?!

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***

家に戻って後、色々読んでおりましたら、「秘密の行程」の主人公、
フランチェスコ1世について改めて知る事がありました。

彼は、1585年に天正の4少年使節がピサからフィレンツェを通った際の
トスカーナ大公で、歓迎の舞踏会が催された事、

ヴェネツィア出身有夫のビアンカ・カッペッロを愛人とし、後2番目の妻に
迎えた事は有名ですが、この舞踏会は、彼女が女主人であったのですね。

若桑みどりさんの「クアトロ・ラガッツィ」に面白い記述が。
ビアンカは大変胸の大きな女性だったそうですが、
伊藤マンショが彼女と踊ったそう。 わぉ!

フランチェスコについても、前世紀中程になり文芸、科学を保護奨励した、
大変英明な君主である事が分かり始めた事、
4少年たちを動物園や、庭園の水力学利用の噴水やからくりをも案内して
回った様子が記されていて、4少年達はヴェッキオ宮に滞在したとの事。
       
ビアンカがトスカーナ大公夫人となった事は、宮廷の策謀陰謀を巻き起こし、
ついに二人ともポッジョ・ア・カイアーノの別荘で謎の死を遂げ、
砒素中毒説、マラリア説など色々論争されたようですが、
2004年、ついに砒素中毒死である事が証明された様子。

イタリア版のウィキには、二人の馴れ初めから中毒症状の様子など
かなり詳細で、ちょっとした探偵小説風謎解き解説を楽しみました。
ある意味、覗き趣味に似ているかも! ははは。

歴史は教科書から1歩踏み出し、個人事情が分かれば分かる程嵌りますが、
今回は思いがけずに天正の4少年との繋がりも見つかり、
その広がりにも、無知な私は改めて驚きましたです。

もっともっと、あれもこれも知りた~い、やじうま!!


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・ n.1  フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮 

今回のフィレンツェ巡りでは、温故知新もたくさんありましたが、
新しい興味深い場所もいくつか知りました。

今日はその一つ、ヴェッキオ宮・palazzo Vecchioの
秘密の行程・percorsi segretiなるものをご紹介です。

これは予約をし、ガイドに案内をして貰うものですが、
引きこもって化学実験に没頭したという、フランチェスコ1世の秘密の書斎、
工房や、500年代広間の天井裏が見れ、たいへん興味深かったです。

このコースは始まってまだ新しいので、余りご存じないと思い、
今日はそのご案内とヴェッキオ宮内部のこまごまを。 ごゆっくりどうぞ!
   
写真は、朝10時前、既に賑わうシニョリーア広場。

1-184.jpg

皆さんご存知の通り、ヴェッキオ宮はフィレンツェのど真ん中、
シニョリーア広場・piazza della Signoriaの東南角を占め、
現役のフィレンツェ市役所でもあり、南隣には美術愛好家垂涎の
ウッフィーツィ美術館・gli Uffiziがある位置に。



ダヴィデ像とエルコレ像の間に扉が見えますが、
ここと、建物左角を曲がった所にも入り口があります。

2-288.jpg

どちらからも入れますが、所持物検査が大変厳しかった!
どこの博物・美術館も、金属探知機の間を抜けますが、
ヴェッキオ宮は市役所も兼ね、特に会議開催中のせいか、
バッグの中も全部検査、靴を脱がないだけでした!



入り口脇のダヴィデ像。

3-134.jpg

なかなか良く出来ているコピー像ですが、今回改めてみるとやはり違いますね。
とりわけ眼球の角度、鼻(小鼻、鼻の穴)、口元、そして顔の緊張感がね。

shinkaiは今回アッカデーミア美術館はパスしましたが、
行かれる予定の方は予約をどうぞ! 列が出来ておりました。



入ってすぐのミケロッツォの中庭。 小天使(ヴェロッキオ作のコピー)の
いる噴水があり、周囲の円柱、壁が大変優雅な雰囲気を。

4-279.jpg

この装飾は、フランチェスコ1世が1565年にオーストリア皇帝の姫
ハプスブルゲ家のジョヴァンナと結婚する際に、ヴァザーリが改装したものと。
円柱は漆喰装飾の金塗り、壁のフレスコ画はオーストリア皇帝領の
ウィーンやインスブルック、プラハの景色なのだそう。(見なかったぁ!)



円柱の漆喰装飾が大変美しく、
天井部分の装飾によく釣り合うなぁと思って眺め・・。

5-282.jpg



中庭はこうして吹き抜けになっていますから、
冬、雪がひらひらと、噴水の小天使に舞い落ちる事もありえますねぇ。

6-280.jpg



最初の中庭から奥に行くと、も一つ広い中庭があり、こちらは明るく、
税関の広間・cortire della doganaといい、雰囲気がまるで違います。

7-277.jpg
       
この広間の一角に、よじ登りのライオン君。 ヴェッキオ宮の塔の頂上にあり、
金の球、フィレンツェ象徴の百合の花と一緒に15世紀から頑張り、
現在上にあるのは20世紀のコピーと。


この左手に切符売り場があり、ここで予約した旨を告げ待ちます。

秘密の行程なる予約コースがあるのを知ったのは、フィレンツェに出かける
ほんの少し前で、電話をして申し込みました。
詳細も知らず、逃げ道とか建物の上に上がれるのかも、と!

朝の10時を指定され行きましたら、なんと私一人で、
ヌッチョという、黒髪、黒ずくめ、長い睫の若い男性が案内をしてくれました。



まずは上の写真の中庭の奥、今見える扉から。
鍵持ちの女性が一人先導し、それぞれの扉の鍵を開けて待っていてくれます。

8-273.jpg

上の扉を入った場所には何もなく、ヴェッキオ宮の石壁のみが見え、
今日通るこの秘密の通路は、この強い石壁を利用して造られたものと。

つまりヴェッキオ宮の厚い石壁の中を刳り貫いて、通路が造られているのですね。
強固な石・pietra forteと呼ばれるそうで、本当に強いのか?と
訊ねましたら、そうだ、と。
フィレンツェの近くに産出し、建物や橋の建設に大いに利用されたそう。



こうして人一人がやっとの狭い狭い急傾斜の階段を上り、
(前日夕にジオットの鐘楼に上ったばかり!)へっ、へっと辿り着いたのが、
この図に見える上から2層目の左側、何もない部屋部分。

9-185.jpg

この壁の中の道は、やはり当初秘密の抜け道・逃げ道として造られ、
後に隠れ書斎などが付け加えられた様子。

ここで彼がトスカーナ大公国の継承者について説明してくれ、
殆ど名前のみ知っている私は、それは誰の子? 誰の子?と質問し、
ようやっとあの辺りの系図がすっきりと頭に!
非常事態にならないと、頭に納まらない私。

で、これより右側の部屋に行きます。



通ったのがこの小部屋で、    写真はガイドブックから
写真に見える奥の右、何も絵のない部分が扉で、あそこから入ります。

10-742.jpg

狭い部屋ではありますが、扉から入るに特別に身を屈める程でなく、
天井部分は(我が家の壁を睨みながら考察するに)
2m50~60cmから始まる高さ、と想像。

とにかく凄い部屋!!
これがフランチェスコ1世の書斎・studioloと呼ばれる秘密の部屋。



まさに、宝石箱の中にすっぽり入った形、雰囲気!
入った上にフランチェスコ1世の母親、エレオノーラ・ディ・トレドの肖像画。

11-193.jpg

やはり特徴ある美人ですねぇ、すぐ分かります。
何枚かの肖像画で見る彼女の髪は濃い色に見えますが、
金髪で青い目、完璧な卵型のまぶしい美人、だったと。
      


そして向かい合って、父親の初代トスカーナ大公コジモ1世が。
この部屋にはフランチェスコと父親のみが通り、
他にはほんの特定の人だけが案内されたそう。

12-190.jpg

コジモ1世とエレオノーラご夫妻の結婚生活は、大変上手く行った様子で、
仲の悪い噂は一つも出なかったと。
内向的で激しく、激変する気分の夫を上手く宥める事の出来る唯一の人物で、
庶民に対する慈善にも大変熱心だったとか。

が、決して街を歩かず、馬か緑の繻子とビロードのお輿で庶民に顔を見せず、
スペイン式の宮廷を持ち込んだのが、フィレンツェ市民に余り人気がなかったとか。
難しいものですねぇ!
       


天井部分の真ん中の絵。 絵はすべて寓意画で、
神から力を授けられた母親が授乳していますが、人間の子、一角獣、兎、
蛇共にで、後にたくさんの動物が順番待ちしています。
つまり単なる母親ではなく、生物すべての母親を現しているとの事。

13-189.jpg

母親エレオノーラの肖像の両脇に春と夏の寓意画、父親コジモの側には秋と冬、
そしてそのそれぞれに、人間の4気質をも現す寓意画が展開します。
天井画の作者はポッピと呼ばれる画家で、全体を指揮したヴァザーリの絵も。



中段の絵もやはり寓意画で、これは錬金術師。
右下フランチェスコ自身が絵の中で、一生懸命に火にかけた鍋をかき回し!

14-195.jpg

この絵が一番出来が良い、と思い写したのですが、
ガイドブックに載っているのも大概この絵ですね。

で絵の下、入って来た扉と同じ高さの絵の後側はすべて隠し戸棚になっていて、、
(この部分を開けて見せてくれました)
各絵の寓意に従って、中に収められている品が整理されていたそう。
つまり、この錬金術の絵の後の隠し棚には薬品類という具合。

ローマ大学の教授が戸棚の中の品を整理されたそうで、この部屋すべての
戸棚の中を確認するのに5時間掛かったとか!

現在天井部分に照明があり、部屋の中は薄暗いものの露出を上げると
写真が撮れるほどですが、
当時の明かりは?と訊ねましたら、完全に真っ暗で、フランチェスコ自身が
明かりを持ってこの部屋にやって来たのだそう!
       
かなりのオXXだったろう、と思うのは、私だけではないと、へへ。
  


錬金術の絵の向かい側の下段の絵で、勿論この後にも隠し戸棚があると。  
手振れご容赦。
化学実験の薬品類だけでなく、貨幣や瓶類のコレクションもあった様子で、
一部はピッティ宮に展示されていると。

15-197.jpg



一番端の絵の後には、ご覧のように階段が隠され。

16-196.jpg



こちらは隣に接する四角い部屋で、父親のコジモ1世のテゾレット・
tesorettoと呼ばれる部分と。

17-203.jpg

彼のテゾーロ・お宝を仕舞っていた部屋だそうで、召使も入れなかったとか!
となると、親子ともに・・、なるほど!!
       
格子天井の絵はやはり寓意画で埋められ、これは四隅の内の一枚音楽、
他には美術、建築、彫刻が。
       


こちらは天井中央部ですが、凄い装飾。
一人で楽しむ隠れ部屋にしてはお金が掛かっているなぁ! 
というのが、正直な感想。

18-201.jpg



こちら四角い部屋の、隠し戸棚。
お隣の息子の書斎の絵の後も、こんな感じでした。

19-198.jpg



が、嬉しい事に、この部屋には窓が! ほっ。

20-204.jpg



最初に上った階段もこんな感じで、一人が通るのにやっと。
右下脇にへっこみ部分が見えますが、あの中に釣瓶があり、井戸に繋がり・・。

21-205.jpg



ガイド氏が、馬の森・bosco di cavalloを見た事ある? と訊ねます。
いいえ、何それ?!では、見に行こう、とここに。

なんと500年代・チンクエチェント広間の天井裏です。

23-211.jpg

この太い何本も続く梁が、あの大広間の屋根を支え、格子天井の絵を
吊り上げているのです。
馬の森 とは、なんとも素敵な表現ですね!



梁からの鉄棒が、格子天井を支えます。
これを見て初めて、
そうよね、あの天井格子は吊られているのよね、と納得。

24-210.jpg



奥の木に1の印、手前にA。 これはオリジナルだそうで、
1から向こうは最初に作られた梁で、屋根を支え、天井を吊り、
手前のAは、屋根に届かない高さで、古い梁全体の強化のため
後年作られたものだそう。

25-214.jpg

この天井裏の馬達は、ヴァザーリの作だそうで、
彼はヴェネツィアのドゥカーレ宮、大評議の間を参考に作ったのだそう。



奥行き60のチンクエチェント広間の天井裏、
微かに光が射し込み、奥が望めます。

26-218.jpg



という所で、広間の上に。 この天井裏を見て来たのでした。

27-236.jpg

ヴァザーリの工事以前の天井の高さは、正面のマーチ型の窓の下の高さ、
つまり両脇の絵の上辺よりも低かったわけですね。

右側の壁際の扉横に、ミケランジェロの彫像が見えますが、
ヴェッキオ宮は現市役所でもあり、広間の半分で講演会の真っ最中。



格子天井の絵の部分。
上から吊られている部分を隠す為の、飾りの突起部分は 
雫・goccie・ゴッチェ(複)と呼ばれるそうで、これも素敵な表現。
    
28-219.jpg

こうしてみると、絵が板に描かれているのが良く分かります。
ええ、キャンバスが発明されるのは、もう少し後になりますね。

という所で、ガイド氏と別れ、一人でヴェッキオ宮の見物に。




チンクエチェント広間に降ります。 何とも広い高い空間に驚くばかり。
部屋の向こう角、アーチの下にガラス戸が見えますが、

29-220.jpg



この広間の隅から、フランチェスコの書斎がちょっぴり覗けます。
これは後年開けられた扉で、当時はなかったと。 壁の厚さをご覧下さい!
       
30-208.jpg

大変興味深い「秘密の行程」コースでしたが サイトはこちらに。
http://musefirenze.it/attivita/percorsi-segreti/
ここでフランチェスコの書斎のヴィデオが見られます。

所要時間は1時間15分ほど。
予約が要りますが、金額はガイド氏の案内つき、
ヴェッキオ宮全体の入場料も含め 9,5エウロ、英語のガイドもあり。
時間に余裕のある方、是非! のお勧めです。

追記:上のサイトも新しく探したもので、このページに時間と料金もあり、
   予約もできます。
       
という所で、ヴェッキオ宮のご案内 n.2 にお進み願います。

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・ フィレンツェ ・ バス周遊観光はいかが?  追記と訂正

フィレンツェの街の大きさは、あちこち眺めながら歩いて回るのに程良く、
まさに「人間の大きさに合った街」ですが、

では歩くには少し遠い場所では何を見たい? と考えた時、
ミケランジェロ広場から少し高所に位置するサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂・
San Miniato al Monteには行きたく、バス便、料金を調べつつ、
よっしゃ、では周遊バスに乗ろう! と。

1-657.jpg

という事で、ローマで羨ましげに眺めてきた赤い2階建てのバス・ツァーの
フィレンツェ版バス周遊観光なるものを。 その様子をごろうじろ!



バス周遊 A線  青色

2-1-302.jpg

このフィレンツェ周遊バスは、A線(青色)と B線(緑)に分かれ、
どちらにも乗り降り自由、一日22エウロ、8ヶ国語の説明イヤホーンつき。

私は、駅の東出口を少し北に行った停留所から9時15分発のA線に乗り、
まずはミケランジェロ広場まで。

真っ赤なバスですぐ分かりますし、バス停には大体30分から1時間毎に
巡回してくる様子で、
乗車には、切符(最初に料金を払った受け取りレシート)を見せるとOKです。
では、発車いたしま~す!

◆ 追記と訂正を ◆
この記事はご覧の通り2009年の秋に出かけた時の物で、現在もツァーは
勿論ありますが、コース、停留所が変わっています。

2-2-firenze bus tour.JPG

一番大きなコースの変更は、駅の出発ゴール地点が駅西になった事、
以前はサンタ・マリーア・デル・フィオーレ大聖堂の前から横を通り抜けたのが、
駅からぐるっと北に出て中心は通らず、街の東はかなり外回りになり、
その代わりサンタ・クローチェ教会に近い所を走る、という所でしょうか。

ミケランジェロ広場からぐるっと山手を走りピッティ宮殿に出るのは同じですが、
アルノ川を渡ってからは以前よりも西周りで、駅西の出発点に戻ります。

サイトは https://www.city-sightseeing.it/it/firenze/
日本語版もありますので、どうぞご覧下さいね。

という事で、古いコースの記事写真を、現在とは少し違いますがどうぞ。



バス周遊 A線  
まずは駅横を発車し、ぐるっと迂回して駅前広場に出てきます。
フィレンツェ駅に到着し、まず目に留まるのがこのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会・
S.M.Novella.

3-393_GF.jpg

この姿を見ると、「ああ、フィレンツェ~!」と
ルネッサンスの魔法の粉を振りかけて貰える仕組みですね、ははは。

今回の写真は動いているバスの上からで余り良くはありませんが、
またそろぞれにご案内いたしますので、ご容赦!
   


バス周遊 A線  
駅前から斜めに中心部に通るパンツァーニ通り・via de' Panzani
を抜けて行き、朝の空気の中にすぐにあの大クーポラが見えて来て、

4-394_GF.jpg

勿論2階に座りましたから、目線の高さが何とも言えない心地よさ!



バス周遊 A線  
朝の逆光の中、素晴らしい正面壁も、まだひんやりとした空気の中。

5-395_GF.jpg



バス周遊 A線  
バスの速度はそう速くはありませんが、ゆっくり眺める、写真を撮るには速く、
その目的には、場所に適った停留所での乗り降りをお勧めです。

6-396_GF.jpg

午後もう一度ここを通りましたので、今はこれでお預け!



バス周遊 A線  
A線(青)はドゥオーモの手前で左に曲がり、デ・マルテッリ通り・
via de' Martelliに出て、左の薄茶色の建物が
メディチ・リッカルディ宮・palazzo Medici Riccardi.
     
7-397_GF.jpg
   
メディチ家がピッティ宮に移る迄の100年間の住まいでしたが、
現在は県庁関係のお役所でもあります。

フィレンツェの街の通りは狭く、歩道から上階を見るのは難しいですが、
こうして違った目線で街を見れるのが、2階建てバスの利点。



バス周遊 A線  
デ・マルテッリ通りが、カヴール通り・via Cavourとなり、
サン・マルコ広場・piazza San Marco に。

8-398_GF.jpg

正面が、サン・マルコ教会。 フラ・アンジェリコの壁画で有名ですが、
15世紀にフィレンツェ社会も教会組織をも激震させた、
かのサヴォナローラのいた修道院。 広場の手前角をバスは右折します。



バス周遊 A線  
そしてすぐに建物に囲まれたこの広場の横を通ります。
サンティッシマ・アヌンツィアータ広場・piazza SS.Annunziataで、
元捨て子養育院で現在は美術館・Spedale degli innocenti.

9-401_GF.jpg

ブルネレスキ設計のすっきりとしたアーチが続き、デッラ・ロッビアの
青地に白い赤ちゃんのメダルが鮮やか。
       
その名の通り、15世紀創設の捨て子養育院で、当時の捨て子収容
のための小さな回転ドアが現在も見られる様子。

この養育院、当時の捨て子達については、
高橋友子著 捨児たちのルネッサンス  名古屋大学出版会
に詳細があります。中世から20世紀に至るまで活動があったこの養育院の、
資料の読み解きが大変明解で、一読をお勧めします。



バス周遊 A線  
捨子養育院の向かい側、こちらも古い信者会の建物の様子。
      
10-402_GF.jpg
 
広場の真ん中には、フェルディナンド1世の騎馬像と、
各建物の前にはバロック様式の怪物の噴水が。
    

   
      
バス周遊 A線  
バスはコロンナ通り・via della Colonna を進み、
途中爽やかな公園を見つつユダヤ人居住区を抜け、
グラムシ大通り・viale Gramusciに突き当たり右折。

11-404_GF.jpg

そしてベッカリーア広場・piazza Beccariaのクローチェ門・
porta alla Croce. 13世紀に造られた市壁の門で、
現在生き残りの門の一つと。

この広場で、聖ミニアートが斬首刑にされたものの起き上がり、
自分の頭を抱えアルノ河の向こうサン・ミニアートの丘まで歩かれたと!
ホンマかなぁ?!

ブリジット・バルドーと、ジャンヌ・モロー主演の映画を思い出し!
が、これ分かる方、おられるかなぁ?!

街中の狭い道に比べ、13世紀からの市壁を取り除いて造られた
街を囲む大通り・ヴィアーレは、運転者には格好の鬱憤晴らしの様子で、
皆さんかなりのスピードで突っ走ります!
2年前、運転初心でこの一帯を走った時の緊張感を思い出しましたぁ。



バス周遊 A線  
ジョーヴァネ・イターリア大通り・viale Giovane Italiaを
アルノ河沿いまで出て、ここで右折。

12-408_GF.jpg

2階席からアルノ河の流れが良く見え、右の塔はサン・ニコロ・San Niccolo`.



バス周遊 A線  
国立図書館の前を通り、狭い道に入り込み左折、再度アルノ河沿いに
出て、来た道を戻ります。

13-410_GF.jpg

サン・ニコロ橋を渡り、ミケランジェロ広場に向かいカーヴの坂道を上ります。



バス周遊 A線  
素敵な家も勿論あるのですが、道は並木道で、緑が深く気持ちよく・・。

14-413_GF.jpg



バス周遊 A線  
はい、お疲れ様でしたぁ。 ミケランジェロ広場に到着です。

15-423_GF.jpg

青銅のダヴィデ像があり、この写真を見て初めて、像の足元にあるのが
メディチ家のお墓にある彼の作品である事に気が付いた次第! あ~あ。



バス周遊 A線  
一旦バスを降り、サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂に。

16-415_GF.jpg

戻って広場の端から街の眺めを。
少し霞がかかりイマイチですが、おのぼりさんらしくパシャパシャと。



バス周遊 A線  
アルノ河に架かる橋一番手前から、ヴェッキオ橋・ponte Vecchio.
その奥サンタ・トリニータ橋・Santa Trinita、そしてカッライア橋・
alla Carraia. 奥が A.ヴェスプッチ橋・A.Vespucci.

17-420_GF.jpg

一番奥に白くパイプ状に光るもの、多分水道橋か、電線パイプと。



バス周遊 A線  
う~ん、こうして見るとドゥオーモは本当に大きい!!
そしてあの丸屋根は、もひとつ大きく、独特の美しさ!!

18-419_GF.jpg



バス周遊 A線  
街の眺めの東端を閉めるサンタ・クローチェ教会・Santa Croce.
霞がかからず周囲の緑の丘が見えたら、眺めは一層美しかったでしょうね。

19-418_GF.jpg



バス周遊 A線  
周遊バスがやって来て乗り込み、カーヴの多い下り坂を行きます。
並木道の緑の色が、ちょっぴり秋の色。

21-475_GF.jpg



バス周遊 A線  
丘を下りきった場所にあるローマ門・porta Romana.
名前の通り、シエナからローマに向かう街道に続く14世紀建設の門と。

22-478_GF.jpg

この門も今回初見ですが、地図によると、この右手にはボーボリ公園が。



バス周遊 A線  
ローマ門を通り抜け街中に。
   
24-481_GF.jpg
    
写真を整理していて、門のアーチ内にフレスコ画が見えたので大きく。
微かに、玉座の聖母子と聖人たちが見えます。

市壁の門内には大概フレスコ画が残りますが、
中世の旅人たちはここから遥かに旅立ち、また無事に我が家に戻れる様、
多くの敬虔な願いが捧げられた事でしょう。
       

       
バス周遊 A線  
ローマ門から街に入ってすぐ近くに見えた、小さな古い教会入り口。

25-479_GF.jpg



バス周遊 A線  
バスA線は、ピッティ宮の手前で左に直進、狭い狭い道を抜けて進み、
運転技術に感嘆しながら、手の届きそうな両脇を見あげます!

26-482_GF.jpg


バス周遊 A線  
上の写真共に、ちょっと位置が不明ですが、こんなお屋敷内の東屋風は
2階席だから見れるので・・。

27-483_GF.jpg

バスのA線が、トリニータ橋を渡った所で、私は一旦降りお昼を食べ、
予約を取ってあったウッフィーチ美術館に。

ウッフィーチ美術館は、予約で5分も待たずに入れましたが、
中程一部が修復中で閉鎖、中は満杯で美術鑑賞にはほど遠く、
最初の何部屋かの好きな絵は、「ああ、お久し振り!」と嬉しく眺めましたが、
後は、すらすらと通り抜け・・。



バス周遊  B線  緑色 
ヴェッキオ橋を渡ってアルノ河南に戻り、今度は緑のB線に乗ります。
フィエーゾレの空気を吸いに、と。

28-530.jpg

21番乗り場で、時間は確か17時45分、どうやらB線最後の運行です。
最初の運行地図で見れる様に、B線はピッティ宮の前を通り、
アルノ河南西部をぐるっと回り駅に行き、街中を抜けフィエーゾレに。



バス周遊  B線  
アルノ河南西の道は、物凄いです! いえ、街中も道は狭いのですが、
かなり交通制限がされているのと、バスには乗らなかったので・・。

29-492_GF.jpg

この狭い道で、この交通量を毎日をやり過ごす、
フィレンツェ住人の方々は偉い!! 凄い!!

右の交通標識は、24時間駐車禁止、違反車はレッカーで持ち去る、
という物ですが・・、証拠物件写真で~す。   
   
   

バス周遊  B線  
道の狭さにもめげず、交通道徳の悪さにもめげず
鳩のウンチ爆弾にもめげず、健気な3輪車は今日も行く!

30-494_GF.jpg



バス周遊  B線  
サント・スピリト教会・S.Spiritoの広場を過ぎ、マサッチョ・Masaccio
の美しい壁画で有名なカルミネ教会・Carmineが、すっぽり修復の覆い
の中にあるのも確かめ、

31-496_GF.jpg

ぐるっと回って、サン・フレディアーノ門・porta S.Fredianoに。
14世紀建設、ピサに行く街道口だったそう。



バス周遊  B線  
サンタ・トリニータ橋から見る、ヴェッキオ橋。
アルノ河は、少し水量が少なかったような。

32-502_GF.jpg



バス周遊  B線  
B線の始発はサン・フレディアーノ門とあり、最終バスでフィエーゾレに
行くとどうなるのか訊ねましたら、
最終便は駅まで戻ります、との事で安心して2階席に陣取ります。

33-527_GF.jpg

駅前で朝と同様ぐるっと迂回、ちょうど戻ってくる周遊バスに出会いますが、
駅前の道の狭い事!!



バス周遊  B線  
は~い、再度のドゥオーモで~す。
この高さが、なんとも・・! 3階建てバス、というのは出来ないかしらん?!

34-528_GF.jpg


バス周遊  B線  
B線は、ドゥオーモの横を通り、後をぐるっと回り南下します。
(再度)ああ、この高さが何とも・・!
ピスタァ~!! (のいてぇ~!)

35-530_GF.jpg


バス周遊  B線  
ドゥオーモの内陣後陣の膨らんだ部分をぐるっと回ります。
囲む建物も、ぐるっと環状。
ドゥオーモの壁の威圧感!  やはり凄い! 

36-531_GF.jpg

追記:今のコースでは、このドゥオーモ周辺が無くなったんですよね。
   残念ですが、周囲一帯は一般車両も入れなくなったので・・。



バス周遊  B線  
ドゥオーモを過ぎ南下し、バルジェッロ博物館・museo Bargelloの
手前角から左折しまっすぐ東に。
今朝A線で通ったジョーヴァネ・イターリア大通りに出て南下、
アルノ河まで下りここで左折、フィエーゾレ・Fiesoleに一路です。

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これはアルノ河沿いの分岐点にあるゼッカ塔・torre della Zecca.
13世紀の市壁内にあり、名前の由来は、アルノ河の水力を利用して
フィオリーニ貨幣の鋳造がされた事に。
ゼッカ塔以前はヴェッキオ宮内でも鋳造されたそうですが、
この一帯、アルノ河の水力利用の水車が多かったと。



バス周遊  B線  
お天気が少し崩れ風も強くなり、フィエーゾレの甘い気分は余り味わえず・・。

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これは途中のサン・ドメニコ・S.Domenico、ここの修道院には
フィレンツェに移る前のフィリッポ・リッピがいたとか。
次回には、ここの訪問をしないと。。



バス周遊  B線  
坂道にさしかかるとこの様にフィレンツェの景色が望め、ドゥオーモが見えると
皆一斉にシャッターを。 ですが、なかなか難しいのですね、これが。
 
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今回訪れた小さな村セッティニャーノ・Settignanoが良かったので、
またご紹介いたしますね。



バス周遊  B線  
海抜300mに位置するフィエーゾレの広場。
ローマ期の遺跡、古い教会もありますが、一度訪れた事でもあり、
夕暮れも近く、バスから降りる事なく、そのまま帰りの発車を待ちました。

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戻り道、終に小雨が降り始め暗くなり、1階席に戻って国鉄駅でお終い、
フィレンツェ2階建てバス周遊、お疲れ様でしたぁ!


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・ ヴェネツィア ・ トルチェッロ島へ 

9月初旬にヴェネツィアに行った日、午後は、これも久し振りにトルチェッロ島に。

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上はフォンダメンタ・ヌオーヴェ・Fondamenta Nuoveから出発したヴァポレット・
水上バスからの眺めで、すでに墓地の島サン・ミケーレ島を過ぎ、
サン・マルコの一際太い鐘楼、右側と、左に見える細いのは
サン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャ・S.Francesco della Vignaの鐘楼。



トルチェッロ島・Torcelloに行くのは少し面倒。 と言うのも直行便がなく、
ブラーノ島・Buranoまで行き、乗り換えてトルチェッロに渡らないといけません。

こんな風にブラーノから見えますが、残念、鐘楼の修復中で覆いがかかり。

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ブラーノからは10分も掛からないと思うのですが、この乗り換えの面倒さが
案外時間に響きますから行かれる時は、余裕を見てお出かけ下さいね。
       


フォンダメンタ・ヌオーヴェからブラーノまで約50分、ブラーノ・トルチェッロ間は
1時間に確か2便あったと。 行かれる方、お調べを。

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写真は船着場で、何年か前にすっかり整備され、道も護岸工事が行われ、
建物も修復が進み、
菅敦子さんが描かれたような、以前の寂れた離れ小島のイメージはなくなりました。



運河沿いの道を、ヴァポレットでやって来た人々がぞろぞろと行きます。
今見えるお家も、以前はお年のシニョーレが猫ちゃんと住み、オペラ歌曲の
レコードをかけておられたのを覚えていますが、すっかり修復され、別の住人が。

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悪魔橋と呼ばれていますが、由来があるのか、ないのか、
単に手すりがないだけからかも。

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このお家も大変綺麗に修復されましたが・・、あ~あ、この煙突の色!
なんでこうなるのん、という感じに・・。

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上の家のお向かいも、ご覧の通り修復され、こちらはレストランに。
定食もあります、と客引きのシニョーレ。

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広いお庭の席が気持ち良さそう・・。

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小さな橋が運河を渡り、右手前には・・、

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小さな水飲み場。

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突き当りがこの広場と建物。 左の鐘楼つきの建物、そして正面奥に見える壁の
右にも建物があり、どちらも現在は博物館で、この右手奥に教会が2つ並びます。

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写真の樹の下の陰にある大きな石、見えますか?



「アッティラ王の玉座」と呼ばれていますが、アッティラならぬ可愛い女の子が2人。

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トルチェッロ島はヴェネツィアの起こりと言われますが、それ以前に、本土側メストレの
東15キロ程に位置するアルティーノ・Artinoという町、
ここはアクイレイア・Aquileiaと共に紀元前から交通要所として、河の港として
大いに栄えたのですが、アッティラ王率いる蛮族の侵入で破壊され、
住民がこのトルチェッロ島に避難。

7世紀にアルティーノの司教が聖遺物をこの島に移し、後にヴェネツィアに移った
という歴史があります。

以来、この島はずっとヴェネツィア共和国と共にあり、この「アッティラ王の玉座」と
呼ばれる物も、実際は、ヴェネツィアの行政官の使ったものという事で、
現在博物館になっている建物群も、かっての行政官庁等だったと。
       
アルティーノの河川の統治など、まさにヴェネツィアの前身とも言えるものだそうで、
町は破壊された後放置され、ずっと18世紀後半まで手付かずで、畑の下に眠っていたと。
ですから、ここの国立考古学博物館には素晴らしい物があり、
まるで知らずのまま訪れて、驚いた思い出があります。
      
n.2 アクイレイア と、 アルティーノ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462970554.html

アクイレイア ・ ローマについで栄え、そして衰退の町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462970421.html



この広場をはさんであるのが、サンタ・フォスカ教会・Santa Fosca.

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建造は11~12世紀との事で、中央部分が円形に見えますが、
周囲を囲む回廊部が5辺になり、内陣部も五角形で、初期キリスト教会の形だそう。
内部も木組みの見えるどっしりと素朴な形で大変好きな教会です。



サンタ・フォスカ教会の回廊部分。

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サンタ・フォスカ教会の回廊部の角が、聖堂サンタ・マリーア・アッスンタ・S.M.Assunta
の前面ポルティコに続きます。

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こちらが聖堂正面からの眺めで、前面にかっての円形の洗礼堂の遺跡があります。

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聖堂は7世紀前半に建てられた小さな教会が7世紀後半に司教座となり、拡張され、
9世紀に再度修復拡張。 現在の形は11世紀のヴェネト・ビザンティン様式で、
正面はアクイレイアの大聖堂に良く似ています。
 
イタリアに於けるビザンティンの文化については、政治も含めて殆ど知らず、要勉強。



洗礼堂の跡。 真ん中に円形の、多分浴槽跡でしょう。

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サンタ・マリア・アッスンタ聖堂の前面のポルティコ。
かっての洗礼堂がまさに隣接しており、その部分の壁が中に入り込んでいます。

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ポルティコのほぼ中央右寄りに、アーチ入り口があり、奥左手が聖堂内部に続き、
いわば、教会側廊部から入る形、ですね。

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内部写真は禁止ですので、サイトからの写真でご覧頂きますね。

内部は3廊式で、円柱は11世紀のコリント様式ですが、6世紀に遡るのもあるそうで、
ご覧のように素晴らしいモザイク画があります。
   
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内陣の司教席が7世紀の古い形と言うのですが、ちょっとした玉座で、大変興味深く、
サイトで写真を探し回りましたが見つからず、残念。 お出かけの際は、ご留意を。



上の写真の奥に見えたモザイク画の一部、「最後の審判」。

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この聖堂、教会が、この夏「千年祭」という事でヴェネツィアの大司教様が行かれ、
ミサがあり、そのニュースを見て、久し振りにトルチェッロ島に行きたくなったのでした。
千年祭のサイトには、モザイク画の詳細もあったのですが、消されていて残念。



こちらは聖母像。 以前撮った私の写真で。 ラヴェンナのモザイク画を思い出します。
      
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こちらはサイトの写真で知ったもので、今でもこの様に、窓の覆いが石材だそう!

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古い窓にアラバスターを薄く切り出してガラス代わりに使用しているのは良く見かけますが、
石の鎧戸は初めてです。
正面にはこの並びの窓は見つかりませんから、聖堂側面と思いますが、次回には是非。 



はい、この様に東側の側面にも行き、すぐ脇のラグーナに浮かぶ観光船も見ましたが、
石の鎧戸には、お目にかからなかったような・・。

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聖堂前から見るサンタ・フォスカ教会。 正面と同じ形が、こちらと向こうと3面。

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聖堂の向かいに、洗礼堂の遺跡をはさみこのお家があり、隅がスーヴェニール店に。
いかにもあちこちから集めた様子の石像群があり、収集過程を想像すると、ははは、       
なんとなく笑えて来ます。

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すぐ隣がこの様に葡萄畑なのですが、ここにも、ご覧のように!

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それはともかく、観光客溢れるヴェネツィアと比べいかにものんびりとした空気が漂い、
鄙びていて、大変良かったです。

ご覧のように、宗教と行政関係の中心であったこの小広場には建物が4つと、聖堂と教会、
で、船着場から運河沿いにここに来る道筋には、全部で現在10軒ほどと。(見える数は)

かって、アルティーノから蛮族に追われ避難してきた人々、多分アクイレイアからも、
本土側あちこちから、と思いますが、
ヴェネツィア建国を担った人々の数は一体どれほど? この小さな島にどれほどの人々が
住んだのか、ちょっと興味、疑問が沸いてきました。
      
水上バスはブラーノ島に着く前マッゾルボ・Mazzorboに停まりますが、
ここで降りられ、ちょっと道を引き返し木の小橋等の見える運河沿いを行き、
ヴェネトで一番古い鐘楼のある小教会を見たり、小さな島をぐるっと回ると、
ブラーノ島への橋があり、繋がっています。

お時間が取れるようでしたら、こんな散策も宜しいかと、お勧めです。



最初にご覧いただいた小広場にある円柱上のマリア様。
と書きながら、何かの上に乗っている様子に気がつきましたが、さて何の上に?
いかにも素朴で、可愛い表情ですね。

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博物館に上がる階段の壁には、石碑がたくさん掛けられていて・・、
ええ、次回には余裕を持って出かけ、博物館もゆっくり見たいものです。

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子供たちが平気で上ったりして遊んでいますが・・。
イタリアですねぇ、1000年の歴史遺物ですぞ! 

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写真を撮っていると珍しげに見るので、撮っても良いか、と訊ねると、
しっかりポーズを取ってくれました。 うん、この子は美人になるね!

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という事で、またブラーノ島に戻りヴァポレットを乗り換え、ヴェネツィアに。

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ヴェネツィアからの位置関係、地図をどうぞ。 島の形がいささか曖昧ですが・・。
アルティーノの位置は、トルチェッロの北西、本土側3~4K入り込んだ場所に。

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・ フィレンツェ、そしてちょっぴりその周辺を ・ 予告編 

昨夜、6日間のフィレンツェ歩きから無事戻って参りました。

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ヴィンチ村に出かけた半日が霧、そして一度夕方に
ほんの少しのぱらつきがあっただけで、快晴の毎日!
汗をかきながら、のんびりと見て回りました。

幸いな事に?!、はは、殆どが写真禁止になっていて
6日間の収穫は1200枚ほどでしたので、
少しずつ整理してご覧頂きたいと思っていますが、
今日はほんの少しだけ、フィレンツェ予告編と言う事で・・。

皆さんよくご存知と思いますので、説明なしでごゆっくりどうぞ!

フィレンツェ  

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ヴィンチ 

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セッティニャーノ

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フィレンツェ 

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◆*◆*◆

ブログご訪問、有難うございます!

XX年振りのフィレンツェは、私同様の観光客で
溢れかえっておりました!!

美術館、博物館への入館検査の大変さは空港並で、
とりわけヴェッキオ宮は凄かった。
アメリカ入国とは、靴を脱がないだけの違い!

それでもあれこれ、新しい場所を訪問開拓、再認識し、
また新知識を仕込み、大いに楽しんでまいりました。

来週早々には、落とせない車の免許再試験が迫り、
 *試験に落ちたのではなく、免許取得後1年の1か月半前に
  40㎞オーバーのスピード違反に引っ掛かりまして、
  持ち点がなくなっての再試験なので~す、うぇ~ん。
トコロテン式の上に、いやな事はまるで受け付けなくなってきている
この哀れな頭に、いやでも詰め込まないといけません!
試験が済み次第、またゆっくりと・・!
よろしくお願いいたしま~す!!

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