・ フリウリ州の山村 ・ チモライス と バルチス

7月上旬にフリウリでの山の子供キャンプに参加したのは既にご紹介しましたが、
翌日近くの2つの町、チモライス・Cimolaisとバルチス・Barcisを訪れました。

いずれもドロミーティ・フリウラーネの麓に位置する美しい山村で、
写真は、朝キャンプ地出発の時に見えた山の姿。 ほんの少し、雪が残っていて。

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子供のキャンプ地はチモライスの町の北はずれでしたから、チャオ、チャオ!の後は、
5分もかからずに町の駐車場に車を止め、河原に。

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チモリアーナ渓流・torrente Cimolianaといい、じきに南でセッティマーナ渓流と
合流し、美しいチェッリーナ渓谷を流れる、チェッリーナ渓流・Cellinaとなります。
薄いエメラルド色の水をご覧下さいね。



傍で見る渓流。 何とも素晴らしい透明度です。
そう深い流れではないのですが、段差のある所ではかなりな水音が。

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広い河原の向こうで、遊ぶ親子。 じりじりと暑くなり始め。

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河原横の空き地には、野草の花。 ヒメジオンでしたっけ? 薄い紫もあり、
塊の白い花は?

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これも名を知らず。 でも、ウンブリアでも見かけた覚えが。

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町外れの河原の駐車場から、町に。 ちょっと予想外の眺め!
広壮な、新しい家が国道筋に並んでいます。

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ウィキペディアで調べましたら、この町は海抜652m、人口は440人ほど!
歴史は古く、先史、ローマの発掘物もあるようですが、15世紀に
ヴェネツィア共和国の元に入り、船建造の木材調達所となったようです。
となると、やはり筏流しがされた事でしょうね。



で、上の写真の道を少し入り込んでいくと、修復されてはいますが、
古い村の面影が見え始め少し安堵。 きっと何年か前に大きな地震があったものと。
広場から、高所に教会が望めます。

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奥に見える高い建物に比べて、ひときわ可愛い家があり、
軒下にティロル・ハウス・Tirol Hausと。
その下の木彫りの花は、エーデルワイス・雪割り草でしょうね。

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エーデルワイスは、こちらのお家の壁にも。 チモライスの町は周囲をドロミーティの
山々に囲まれているので、人々には馴染み深い花なのかもですね。

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上の写真に見えた奥の白い建物は、郵便局で、こちらの壁には日時計が。
時に学べ、と書いてあり、針の影は9時を指し、夏時間で10時でしたから、正確!

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山の町では必ず見かける丸太の植木鉢。 真ん中の紫の穂はラヴェンダー。

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殆どの家が修復され、綺麗過ぎる程ですが、珍しく廃屋を見かけましたが、
庭先には花が変わらずに咲き。

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古いままの石壁を残し、このびっしりの窓! ホテルでもないようなのに?!
かっては大家族で住んでいたのかも・・。

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中心の通りからまず覗き込み、様子を窺い、そろそろと入って行きます。
人畜無害の顔をして。 ははは、実際そうですがね!
考えてみれば可笑しいですが、でも、余りズカズカと入り込みたくはなく・・。
そして、あちこち眺め、失礼でない程度にパシャッと。

洗った椅子が干され。

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道の向こう側には、このホテル。
この1階がバール、レストランで、地元の人のたまり場であるのは、間違いなし!
朝のこの時間から、大声で喋り捲るのが、まる聞こえ!!       
既に、オンブラ(一杯)をやっているのかも。

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町外れの大きなお家の庭先。 古い手押し車が花鉢に。

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冬は寒いのでしょうね、山村は。 どこの家も、薪を積み上げています。

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騒がしい鳴き声が聞こえ、覗くと、日陰にたくさん!
       
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窓の下に並ぶ大小の丸い形が面白く、撮っていると、

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「ボンジョールノ!」とお家の主のシニョーレが出て来て、
既に秋に向け、薪の用意を始めている事、冬は零下10度以下にもなる事、
この冬は雪が多くて、1,5mも積もった事などなど。
ついでに、ほらほらこんなのも全部薪に、と頼みもしないのにお家の中にまで!
      
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うん、余所者に飢えている感じ! 近所の犬まで柵の隙間から覗いていたっけ!
この辺り一帯、近くのエルト、カッソも含めフリウリの言葉とも少し違う言語の一帯で、
消滅を防ぐのに保護されている様子ですが、でも、このシニョーレの話は良く分かり。
年代がもっと上の人だと、やはり分かりにくくなるのかも、ですね。
       


で、上に見えた電動ノコですが、使っている様子は見た事もありますが、
刃を実際に近くで見たのは、初めて!
折れ曲がった刃が、互い違いの向きで付いているのですねぇ! 皆さん、ご存知で? 
まぁ、のこぎりの刃も、逆に付いていますけど!

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この通りには古い家が多く残り、興味深かった。 この大小の扉と窓の並び。
上の大きな両開きの扉の中には、藁、まぐさなどが積み上げてあり、
あの扉から運び出すのですよ。

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壁の粗い材質感。 静物画を描いていた昔に、こんな壁が見れていたらねぇ・・。



扉の木目、小さな鍵穴、間に合わせみたいな、細い引き手。

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ふっと屋根を見あげて、見つけました。
これ、雪の落下防止ですね。 向かいのお家の屋根にも。

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ニューヨーク・ヤンキースの帽子、サンダル、そしてサングラスの粋な
シニョーレを見つけ、写真を撮っても良ろしいか、と。
すると、「どうぞ」と言いながら、サングラスを外されました。
近くで拝見したお顔は、穏やかで、大変ハンサムでありました。

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最後に、町の教会の鐘楼を。

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これより、バルチスに向かいます。
地図をどうぞ。 印の付いているのが、チモライス・Cimolaisで、
南東に下り、バルチス・Barcis。

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この道沿いにずっとチモリーナ渓流、そしてクラウト・Clautの西でセッティマーナ渓流と
合流したチェッリーナ渓流が流れ、素晴らしい眺め。
地図では分かりにくいですが、このチェッリーナ渓流がバルチスで湖になります。

地図の東端の刃物の町マニアーゴ・Maniagoは マニアーゴ ・ 刃物の町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463999407.html



朝は快晴だったのに、バルチスに下る間に、18k程の行程、少し雲行きがおかしくなり、
写真に見える奥辺りが、チェッリーナ渓流が湖になる部分。

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河床が浅い部分は、水の色が淡く白く、深くなるとエメラルド色に!

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町の西外れに湖の対岸に渡る橋があり、そこからの眺め。

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到着した時はまだいくらか陽が射し、湖面全体が鏡の様。 で、欲を出し、
少し高い所から見たら素晴らしかろうと、町の対岸を巡る道を、そろそろと。
所が、道の位置は高いのですが、殆ど樹木で隠れ、湖や町は葉の隙間からのみ!
何箇所かの場所はすべて家か別荘があり進入はできず、とうとう湖を一周し、
小雨が降り出した事もあり、お昼ご飯に。

これは、町を出発する前にもう一度橋まで戻り写したもので、
残念、さざなみが立ち、全面鏡ではありません。
それでも、この小さな山の保養地の感じお分かり頂けると思います。

町の海抜は409m、人口はなんと270人程。
ヴァルチェッリーナ渓流を利用して水力発電所が戦後に造られ、その人工湖だそう。 
この辺り一帯、自然保護地域も広がり、日本のダム湖の様ではないですね。



湖には、こんな風にかなり大きな鱒が。
鱒だけではないのかも知れませんが、お昼に、この湖で獲れたという鱒を、はい。
鱒のムニエルと、茸、ポレンタで16エウロ。 美味しかったぁ。
       
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湖岸から、向こうの山林を眺めて。 7月上旬、まだ町はひっそりでしたが、
暑い時には、泳げるのでしょう。

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湖に沿って町は細長く続き、北側はすぐ山が迫ります。
修復が済んで直ぐの様子の由緒ある建物のようですが、何の標識もまだなく。
右に、門が見えますが・・、

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門柱に、こんな顔。 どうやら、13,4世紀の建物ですね。

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最後に、湖の住人のイタ鴨ご夫婦に登場を願い。

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フリウリ平野に下って来ましたら、暑~い夏日でしたぁ!

再訪したバルチスの様子を。 暑中お見舞いを! フリウリ山中より、バルチスの水の色
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20170724-1.html


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・ アーゾロを彩る女性ふたり ・ アーゾロ市立博物館 n.2

アーゾロ市立博物館n.2として、キプロス女王カテリーナ・コルナーロの
展示室、そして彼女の館、アルティーヴォレのバルコの様子をご覧頂きます。

アーゾロの市立博物館所蔵の彼女の品は少なく、多少でも近しく感じて
頂けるようにと思い、サイトから拝借の絵画の写真なども追加致しますね。
       
ヴェネツィアのコッレール博物館所蔵のメダル、青銅製、直径75mm、作者不詳
はサイトの筆者も書いておられるように大変美しいので、まず最初に。
私はレオナルド・ダ・ヴィンチの描いた、イザベッラ・デステのスケッチを想起しました。

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サイトはこちら。
http://www.roth37.it/COINS/Corner/storiamonete.html
      


博物館3階の右の部屋は、カテリーナ・コルナーロ・Caterina Cornaro
(1454-1510)関係の展示で、
見難い写真で申し訳ないです、油絵でスポットライトが反射し、16世紀作とだけ。
       
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カテリーナが1489年にキプロス王国をヴェネツィア共和国に譲渡し、
ヴェネツィアに戻ったのを描いており、同じ主題のジェンティーレ・ベッリーニの絵が
ヴェネツィア・アッカデミアにある様子。

この絵はたいした出来ではありませんが、面白いと思ったのは、カテリーナと侍女が
画面の右端に追いやられている事。

カテリーナは、ヴェネツィア共和国の養女の身分でキプロス国王に嫁ぎ、
1年もたたずに夫の国王が死亡、生まれた男子も1歳にならぬ内に死亡。
その後の内外の大混乱の中で15年間統治した果て、(勿論ヴェネツィア共和国
の舵取りの下で)、キプロス王国を謙譲したという女性で、
この絵においても、カテリーナの存在がどうであったかが良く分かります。

地中海制覇を目指すヴェネツィア共和国にとり、キプロス島を得るこ事は、
何にましても・・!  彼女は、キプロスを謙譲したのと引き換えに
アーゾロの領土を貰い(但し彼女一代限り)この地に宮廷文化を齎したと。



ベルガモのアッカデミア・カッラーラ絵画館蔵、「カテリーナが女王廃位を
告げられる場」 19世紀 フランチェスコ・ハインツ作

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実は彼女についてMedioevoという歴史雑誌に「キプロスの最後の女王」、
と題する記事が載り、

オリエントとの交易で富を成した家系の事、彼女の叔父はキプロス島に
砂糖畑を持ち、国王にかなりの貸付けをしていた事。 当時15世紀の
ヨーロッパ宮廷において、白砂糖は白い金として持て囃されていた事などなど   
(当時はまだ蜂蜜が主流だった)を知りました。

こうして改めて知ると、今までの知識と少し違う感想も持ちましたが、   
アーゾロ関係で何度か彼女の名を出していますので、自分の勉強を兼ね、
ほんの少し詳しく書かせていただきました。

この写真の絵と次の絵も雑誌にありましたが、大きさが手頃なので上のサイトからで、
赤い衣装はヴェネツィア共和国の寓意と思いますが、執政官の衣装とは
少し違っている様子。
19世紀中頃のドラマティック、ロマンチシズム溢れる絵画で、この手の絵はどうも・・。



ヴェネツィア、コッレール博物館蔵 「カテリーナのヴェネツィア帰還」
17世紀 アントニオ・バッシラッキ作

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17年ぶりのキプロスからの帰還。 左手後方に見える大きな船が、
ヴェネツィア総督・ドージェのお召し船、ブチントーロ・bucintoro.



カテリーナが「王冠をドージェに渡す場面」 石棺の浮き彫り。

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1510年に56歳で亡くなり、ヴェネツィアの家族の墓のあるサンティ・アポストリ教会
・Santi Apostoliにあるものと。

追記:サンティ・アポストリ教会には、カテリーナの父親と弟のお墓のみで、
その後偶然に、どうやらジュウデッカ島のレデントーレ教会にあるらしい、
と分かりましたが、まだ確かめておりません。



博物館所蔵で絵葉書も買いましたが、家のエプソン君が今修理で夏休み中、
サイトから拝借の小さな絵でご勘弁を。 「未亡人の服装」と。

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もう一枚、キプロス衣装の絵がありましたが、スラブ女性の顔の印象で、
写真も撮らず・・。


こちらもサイトからの小さな絵で、でも、一番大きなのをとサイトを探し回りました!
ブダペスト美術館にあるというジェンティーレ・ベッリーニ・Gentile Belliniの作。
       
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少し藪睨みの年のいった彼女ですが、私はこれが好きです。
       
実際のカテリーナは、塩野七生さん好みの、賢い強い女性でなかったにせよ、
少なくともこの絵には、女王と呼ばれた女性の重みが感じられます。



こちらは、カテリーナの署名入りの遺言書。

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キプロス島をヴェネツィアに差し出す際、実弟のジョルジョ・Giorgio Cornaro
が説得に当った様子で、カテリーナは彼に自分の持ち物を贈るとしつつ、
但し用益権は自分が持つ、遺言書との事。



上の遺言書につけられた封印。 赤い蝋で、真ん中にコルナーロ家の紋。
手振れご容赦。

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カテリーナの品。 左は、金属の細い線で編んだケースで、大変素敵な品。
ですが、何を入れたのでしょうか?

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右は手あぶり兼香木燃やし。 キプロスの品の様ですが、大きさは直径が
15センチ程。 中に炭火でも入れて使用したのでしょうか?



こちらは鉄の金庫。 いかにも重そう!

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この手の錠前の仕掛けというのは凄いのですよ!モンセーリチェ・Monselice
のお城で蓋が開いているのを見ましたが、大変に複雑で芸術の粋!


そして、モンセーリチェの猫
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461401355.html



見るだけで痛く感じる様な槍、矛類もありましたが、これは多分アラブ系というか、
鞘が革製で、刀身にびっしり柄入り。

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博物館を出て、少し古本屋をひやかし、かっての路上物売り業の本を
見つけて買い。 ガリバルディ広場の泉には鳩のカップルもいて、
夏のアーゾロは、かなりの賑わい。

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博物館への往きに見た古き良きオステリーア・アル・バーカロが
空いていたので、お昼をここで。

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ポルティチに向いて座リ、のんびりゆっくり、カンパリ・ソーダを飲み、
シーチキンやコーンの入ったサラダを。



駐車場への道を下りつつ。 アーゾロは205mの高台にあり、地平線が。
       
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道の敷石にはめ込まれた、町の歴史を語る4枚の銅版の一つ。

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1489 - 1510  カテリーナ・コルナーロ、キプロス、アルメーニア、
イェルサレムの女王、そしてアーゾロの領主。

彼女はアーゾロの領主として21年間を過ごします。この地に宮廷文化を
持ち込み、華やかな生活、常にヴェネツィア共和国の監視の下の、
まぁ、金の籠の鳥のような生活でしょうが・・。



もう一枚の銅版。 1239年 エッツェリーノ、アーゾロを領有。

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エッツェリーノ3世・ダ・ロマーノ。 この男の肖像画に、イチコロのshinkai.
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461059981.html

エッツェリーノの最期の地、ソンチーノも訪ねて
       


折角ここまで来たのだから、ともう一箇所寄る事にしました。

カテリーナが、愉しみや狩の館としたバルコ・Barcoと呼ばれる建物が、
非公開ながら、近くのアルティーヴォレ・Altivole、地図の右下端にあり、
場所を確かめるだけでも良い、と出かけました。

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サン・ヴィトー・San Vitoには、先日ご紹介のトンバ・ブリオンがあります。



周囲をトウモロコシ畑に取り囲まれ、細い小川の流れる道沿いに見つけました。
「コルナーロ女王のバルコ」の立て札がありますが、鉄柵は閉じられ・・

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覗くとこんな様子で、

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博物館で見た図面によると、左手に広く庭園があり、この建物は一番奥に、
という様子でしたが・・。

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こちらです。 こうしてみると、現在の道は敷地内を抜けているのかも。

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望遠で写すと、こんな風にかすかにフレスコ画が見えます。



アルティーヴォレ一帯の写真のサイトを見つけ、
http://www.giannidesti.com/images/comuni/altivole/altivole.html

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その中にあったのがこれです。 どうやら基礎修復はされている様子で、
最終の修復が済み、公開されるのを楽しみに。


かっては大変華やかな装飾であったでしょう。「バルコ」という名についても、
今回これはかのピエトロ・ベンボ・Pietro Bembo、マントヴァに嫁いでいた
ルクレツィア・ボルジャとも浮名も流し、後には枢機卿になった彼が、
「干し草置き場とか藁小屋」という意味でこの愉悦の館の命名をしたのだそう。

何をかいわんや、この貴族趣味!
彼はカテリーナとは親戚筋とか読みましたし、この宮廷にも滞在したのかも。

ピエトロ・ベンボとルネッサンスの創造展 ・ パドヴァ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461921616.html

という、「アーゾロを彩るふたりの女性」の事どもでした。
お疲れ様でしたぁ!
        
*****

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・ アーゾロを彩る女性ふたり ・ アーゾロ市立博物館 n.1

今日は「アーゾロを彩る女性ふたり」と題して、月初めに行って来た
アーゾロの市立博物館のご案内です。

まずは、南のロレッジャ門から町に入り、

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何度、と覚えていない程来ているアーゾロですが、町の門をくぐり、
このブラウニング通りを行くと、静かに嬉しさが込み上げて来ます。
やはり、とても美しい町!心が落ち着き、寛ぐのを感じます。

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緩やかな坂道が下って上って。古い姿を残したオステリーア・アル・バーカロ。
帰りに、ここでお昼を。

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アーゾロ ・ 中世の要塞と、花嫁と
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456986.html

アーゾロは、春雨にけむり
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456425.html

n.3 アーゾロ ・ ヴェネトの奥 文化の香る小さな町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460978208.html

n.2 アーゾロ ・ 文化人に愛される、典雅な町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460978007.html

n.1 アーゾロ ・ ヴェネツィアの典雅な奥座敷
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460977794.html
     


ブラウニング通りを行くと、町の中心のガリバルディ広場に出て、広場の南に
ドゥオーモがあり、
アーゾロ市立博物館・Museo civicoはその西向かいの建物で、
入り口はロッジャの角にあるインフォメーションのテラスから。
考古発掘物展示、絵画館もあるのですが、今回は全部省略、3階に直行。
       
ご存知の様にこのアーゾロには15世紀に、アーゾロのシニューラと呼ばれた
キプロス女王カテリーナ・コルナーロが、
19世紀後半から20世紀にかけての大女優エレオノーラ・ドゥーゼが住みました。
コルナーロのお城は現在時計塔のみが残りますが、エレオノーラの住んだ家は今も。

で、この博物館には2人に関する展示があり、土曜日曜10~12時 15~19時開館。
何度もアーゾロに来ながら見学した事が無かったので、今回、暑い中を
出かけて来たという訳です。

こちらは、ドゥーゼの部屋の入り口にあった彼女の有名な肖像画(Lenvach作)と、

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右は、彼女の最後の写真。


こちらが奥の展示室で、左手には小物の展示、右手には本棚など。

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エレオノーラ・ドゥーゼ・Eleonora Duse(1858~1924)については、
有名な舞台女優である事、アーゾロに住みお墓もある事、
ガブリエーレ・ダヌンツィオとの関係、位の知識ですから、
今回改めていろいろと読みました。

ロンバルディア州ヴィジェーヴァノ生まれ、は、旅先で生まれたそうで、
祖父両親ともにヴェネツィアの南対岸ともいえるキオッジャ出身で、
旅役者の家系に生まれ、子供の頃から舞台に出演。 20歳の頃には既に
一座の長を務めるほどだったと。

従来の舞台の良さを取り入れながらも大げさな所作をやめ、内面的な追求、
表現をし、批評家連にも良く受け入れられた様子。

映画「雨に歌えば」のイタリア語版では、女優だと言うレイノルズに対し、
ジーン・ケリーが「なに? エレオノーラ・ドゥーゼなの?」と
からかう台詞がある程のイタリアでの彼女の知名度です。



部屋の入り口部分には、舞台の絵見本とかもあったのですが、
じゃ~ん、これっ! あったぁ!!
ガブリエーレ・ダヌンツィオの署名入り写真、そして、左下は贈り物。

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上の写真のアップを。 下の署名の部分、orbo veggenteとあるのは、
両目の悪かった彼が、自身を「目利きの盲人」と称していた、それですね。

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どなたか、確かめてくださいませぇ! これで良いのでしょうか?
Ai gloriosi mutilati asolani che rifecero maschio
il volto di Asolo già simigliante,
nè sogni dè poeti - sua regina di Cipro.

ガブリエーレ・ダヌンツィオのガルダ湖畔の「イル・ヴィットリアーレ・デッリ・イタリアーニ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417856.html



こちらは、贈り物のアップ。 これも、どなたかに読んで頂きたく・・。
お願いいたします!

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イタリアに来て写真や肖像画を見て、一目でガーンとイカレタのが、彼ともう1人。
文学作品も何も読まずの、完全にミーハーで、はい。

が、彼の筆跡を見ながら思うのは、多分大変に顕示欲の強い人だっただろうと。



こちらは、エレオノーラの筆跡。

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ガブリエーレの劇作、エレオノーラの舞台という戯曲が何作かあったようですが、
これはその一つ「フランチェスカ・ダ・リミニ」の一節を書いた小冊子。



こちらがその舞台写真で、一番奥がエレオノーラと。

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2人の関係はヴェネツィアで1894年に始まり、それまでにも何度か会っている様子で、
激しい芸術的な感情に満ちた結びつきは、(と書いてあった!)
8年ほども続き、ここに前述の2人の舞台芸術が生まれた様子。



これは、彼女の名刺。 手漉きの紙に活版印刷、的な。

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展示室は煌々とスポットライトが点き、床や壁の赤色が目に強く。

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このビーズ装飾の衣装が素敵なのですが、ケースに明かりが反射し・・、
まぁ、想像力をプラスしてご覧下さい。
       


左手壁面に並ぶ陳列ケースから。

2は小さなレース編みの財布で、子供の頃、これほど繊細ではありませんが、
ビーズを編みこんだ財布を作ったのを思い出し・・。
左奥は、金属線で作った大変繊細なネックレス。

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ヴェネツィア衣装の人形、ブラジルの青い蝶、手前のガラスは羅針盤。
そして右奥はダヌンツィオからの贈り物、クリスタルの鉢。

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こちらが、鉢のアップ。 柄はコーンフラワー、Lalique だそう。

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肖像画家レンバッハの作品を写真に撮り、それをメダルにしたもの。
子供はレンバッハの娘だそう。

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エレオノーラの父、アレッサンドロ・Alessandro Duse.

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エレオノーラの母、アンジェーリカ・カッペレット・Angelica Cappelletto.
彼女も旅回りの役者だった様で、目が似ているような。

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調度品、衣装、すべて一時代前のたおやかな雰囲気を持っていますが、
これは素敵だ、と思った鞄。 黒い革に小さな鋲が打ってあります。

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その右に見える写真・・、



こちら、です。 フランスの名女優の名を欲しい儘にするサラ・ベルナールと
ライバル関係にあり、ダヌンツィオの事も含めてとか・・!

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ロンドンで、同じ芝居を同時期に打った事もある様子で、
そのどちらをも見たバーナード・ショウはエレオノーラを評価した、とか。
こうして見ると、余り背の高い方ではなく、横顔が一際美しかった様ですね。



本棚と蔵書。 左に見える大きな写真はイプセンで、彼の作品を上演した縁の様で、
その下はシェークスピア。

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2つの銅のカップのついた天秤は、10月生まれの彼女の星座に因み。



胸像の右の上着が、素敵だと思い・・。

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俳優という職業は、自分を語るのは舞台の上の役を通してなのかも知れませんが、
も一つ、語りかけて来ない女性のような気がするのは、こちらのせい?
彼女は、エレオノーラ・ドゥーゼという人物を作り上げ、演じた人なのでしょうか?


入り口の部屋奥に、アーゾロの名を高め、今も通りにその名を残す
ロバート・ブラウニング・Robert Browningの写真がありました。

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ざっと読んだのですが、詳細も作品も知りませんので以下略で、済みません。



これはブラウニングが所蔵していたというスピネッタ・Spinettaという楽器。
15世紀にヴェネツィアで、G・スピネッティが発明したクラヴィチェンバロに似た楽器で、
これは16世紀の物のようですが、木製で鍵盤はツゲの木と。

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博物館展示のもう半分はカテリーナ・コルナーロで、彼女については次回に。

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・ トンバ・ブリオン ・ そして、お盆 

暑中(いや、既に残暑かな)、お見舞い申し上げま~す!
いよいよ夏も8月の半ば、お盆ですねぇ!

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お盆だから、という訳ではないのですが(いや、そうかな?!)
今日は、トンバ・ブリオン・Tomba Brion・ブリオンのお墓のご案内です。

イタリア人建築家カルロ・スカルパ・Carlo Scarpa設計の記念墓地として
有名で、彼自身もここ、同じ墓地に眠っているそうで、 
お墓とはいえ、日本情緒溢れる、美しい場所でした。


地図をどうぞ。 車がないと、ちょっと行き難い場所ですが、
お墓のあるサン・ヴィトー・ダルティーヴォレ・San Vito d'Altivoleは
アーゾロから南に5,6km、お墓はサン・ヴィトーの町の墓地に隣接しています。

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バスの便を探し分かったのは、トゥレヴィーゾからも113番のバスで行けますが、
国鉄でカステルフランコに行き、バスに乗り換えて行く方法ではバス便は204番。

Come arrivare a Tomba Brion a Altivole con busu?
https://moovitapp.com/index/it/mezzi_pubblici-Tomba_Brion-Venezia-site_79977947-2083
というサイトがあり、このタイトル下の欄、Punto di partenza に
出発地点を書き込むと、出発時間に応じての様子が出ます。


アーゾロに住み「アゾランド・Asolando」という詩を書いたロバート・ブラウニング
に従い、この一帯は、アゾランドと通称されていますが、
       
地図のサン・ヴィトーの北西にアルティーヴォレ・Altivole が見えますね。
ここにはアーゾロに城を構えたキプロス女王のカテリーナ・コルナーロの
バルコ・Barcoと呼ばれる居城跡が残ります。
建物の姿が残るだけで公開されていませんが、先日場所を確かめ、
外から覗いて来ましたので、またご案内いたしますね。

アーゾロの北にあるポッサーニョ・Possagnoは、18世紀後半から19世紀に
かけて活躍したネオクラッシックの彫刻家、アントーニオ・カノーヴァ・
Antonio Canovaの生地。

生家がジプソテーカ・Gipsotecaという博物館となっていて、
これは大理石像を彫る前の実物大の石膏模型の博物館で、大迫力!
そして丘の上に、彼の眠る巨大なテンピオ・Tempioがありました。

という事で、この辺り順番にご案内して参りますね。

アーゾロの東マゼール・Maserには、パッラーディオ設計のヴィッラ・バールバロが。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456543.html
       
西に見えるバッサーノ・デル・グラッパ・Bassano del Grappaのご案内は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461664355.html
       


町外れにある墓地の横に通路があり、そこを通り抜けるとこの場所。
すべて打ちっぱなしのコンクリートで、一見四角い無骨な建物、というイメージ。
ですが、どこか違う、ちょっと、懐かしい想いを誘われるのですね。

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このお墓を見に行くアイディアは、リンクしているhttp://tomocone.ciao.jp/
「かたつむりの国だより、イタリア料理留学記」のtomoconeさんがコネリアーノに
来られるので、「行きたい場所は?」と訊ねましたら、ここ!

自分では頭にも浮かばない場所でしたが、そういえば、読んだ事がある、と。
で、行って見たら大変に興味深く、新しい知人から、新鮮な知識を頂いた感じ!
大変、嬉しい事でした。



四角い建物を池が囲みます。 この写真には見えませんが、
蓮の葉が広がり、ピンクと白の蓮の花、その間を鯉が泳ぎます。

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あ、鯉がいる?! と驚く間もなく・・



いわば玄関口が、三角形に開き・・。 
左手にある入り口は、ほらね、障子のイメージでしょう?!

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端正な格子。 そして摺り硝子に入る小紋柄。
中が、こんな風に見えます。

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細長い窓を通し、射し込む光。 照り返しで出来る半日陰。
まさに、陰影礼讃。



実際は、もっと薄暗いのです。 斜めに通る導きに縦縞が入り、
鋲の大小。 粋 !

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そして正面の銅の形は、鎧の胸当てを思わせます。
奥に台があり、芳名録。
前日に、日本人2名の署名があり、「また来たぞ、ブリオン!」と。



風炉屏風、枕屏風 を思い・・。

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窓から覗く奥庭。 やはり池があり、鯉が。

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奥の台の天井部分には、こんな切れ込み。

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コンクリの桟の重なり、木の重なりに、囲炉裏の上の煙抜けを想い、
飛騨の合掌造りを想起します。



上から、射し込む光。 明るすぎず、程よい光。

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部屋の奥から、入口の眺め。 何とも端正で、ゆったりと。
「粋」という言葉の他に何が?!

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この空間にイタリア人は何を感じるのか、訊ねてみたいものです。



紋所。

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はめ込まれた色と、銅の桟。 奥ゆかしくひっそりと、こぼれ出る色。

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障子の硝子窓から覗き見る、外の緑とでも。

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玄関の扉。 無骨に頑丈で、民家風に・・。

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通路を抜けると、奥にブリオンのお墓。

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ここに眠るジュゼッペ・ブリオン・Giuseppe Brion、お金持ちにしろ、
こういうお墓を依頼する人はどんな人?と思いつつ、例によりブログを書く前に、
と引き延ばしていましたら、これもtomoconeさんから情報が届きました!

ブリオンヴェーガ・Brionvegaという、イタリアの可愛いレトロ調デザインの
ラジオやTVの会社の創始者なのだとか。 聞いて大いに納得。
サイトをどうぞ。 http://www.brionvega.it/

一世を風靡した製品の復刻版が出ているそうで、そう云えば、コネリアーノの
店でも見た事ありますね。



奥は一段高くなった広々とした緑地で、周囲はトウモロコシ畑。
奥に、イタリアの普通の教会と鐘楼が見えます。

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設計者カルロ・スカルパ(1906~1978)は、ヴェネツィア生まれの大建築家。
ヴェローナのカステル・ヴェッキオ博物館の改修設計で、かっての古い城の
外観を損なう事なく、内部を現代的な博物館として美しく大改修した事でも
よく知られています。

この知識は20数年前最初のイタリア旅行の際に得ていたのが、
今回やっと結びついたという訳で! はは。

ヴェネツィア・ビエンナーレの中央会場、ヴェネツィア・リドの飛行場、
ヴェネツィア大学カ・フォスカリの講堂、ヴェローナの銀行、オリヴェッティの店舗 
ecc ecc、素材の使い方、細部の設計では最高、と。
       
彼は日本の仙台で亡くなったそうで、ブリオンのお墓は、彼の死亡した
1978年に完成。 彼もここの墓地に埋葬されているとの事ですが、
知らずに行き、この時は見ておりません。
   


トンバ・ブリオンは、サン・ヴィトーの町の墓地に隣接していると書きましたが、
墓地の北側から東にかけて、鍵の手に囲む形で、拡張されたとかで、
東側は広い緑地です。

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大きな池があり、蓮がびっしりと。白い蓮もありましたが、小さな虫が一杯で、
一番綺麗なこれを、ご覧いただきますね。

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東の緑地の南には、池の中に突き出す形で、こんな舞台のようなもの。
木の組み模様、そして小振りの松、能舞台を想い重ねましたが・・。

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背後のコンクリにはめ込まれた細い帯状の色タイルが、何とも素敵で。



こちらの池は広く、鯉も大きく!

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フランス語を話す親子連れがやって来て、子供が鯉に餌をやり、
40センチほどもある大きな鯉が、パッシャっと跳ねたり。



緑地と町の墓地との間に通路があり、そこにはめ込まれた輪2つ。
青と茶の色は、光る素材。

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通路の天井部分。

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突き当たりに柵があり、奥の、島の舞台部分には行けません。



こちらは、町の墓地との接続部。

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こちらの墓地も、由緒ある古い大きなお墓が多く、ご夫婦の写真入りやら、
19世紀の年代やら。町の由来を思った事でした。



輪の外を、舞台上の人物のように、先ほどの子供が通ります。

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ブリオン氏ご夫妻、スカルパ氏のお墓とはいえ、
ゆったりと落ち着く、端正な空間設計なのでした。



お盆のお墓参りもすんだ所で、

一度ご覧頂いた事もありますが、「にゃ~こ」の盆踊りをどうぞ!
はぁい、輪になってぇ・・、 ほれっ

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くの字になってぇ・・、 よいさっ

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みんな一緒に、輪になってぇ、はぁ~ぁ、よよいのよいよい・・、

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め!  めめ! また、sinkaiがふざけているにゃぁ?!

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あ、にゃ~こ、おかあさんには、お許しを得たよぉ!
怒らないでぇ、踊って、踊って!!

**

緑のお目めの「にゃ~こ」も、あの世に旅立ってしまい、寂しくなりました。      
でもママの「ゆんぴょさん」とは今もメールのやり取りを続けていて、       
にゃ~この後輩「ちぃこ」はこちらに登場です。
日々の足あと」 https://kanakana40.at.webry.info/

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・ フリウリ山中の、子供キャンプに参加!

今日は、先月初旬に参加して来た、フリウリ州チモライス・Cimolaisの
子供たちのキャンプのご紹介です。

キャンプなんぞX十年振りですし! ましてイタリアの子供たちのキャンプなんて、
勿論初体験で、フリウリはチモライスの、涼しい山中のキャンプの様子、
そして子供たちの笑顔をどうぞ!

我が家からチモライスまでは60Kほどで、殆どの道程は高速を利用でき、
予定では1時間10分ほど。
まずは、ロンガローネ・Longaroneの眺めを。

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この町は1963年10月9日の夜、私が今見ている場所から少し奥にある
ヴァイヨンのダムからの出水で、町が根こそぎ攫われるという大災害があり、
再建された新しい町なのです。

ロンガローネ、 54年前のダム出水大災害のまとめを
http://www.italiashiho.site/archives/20170727-1.htm

ロンガローネの悲劇 ・ ダムの出水に飲み込まれた町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462861529.html



地図をどうぞ。 ベッルーノの北東ポンテ・ネッレ・アルピ・Ponte nelle Alpi
の先で高速を出てロンガローネ迄。 ここで右に折れピアーヴェ河を渡り、山道に。

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白いクネクネが見えますか? これが何とも凄い急傾斜の九十九折の登り坂!
ロンガローネの町が海抜473m、エルト・Ertoが800mほどで、直線で1K足らずの
距離を登りつめます。
以前通った時は息子の運転で、のんびり風景を楽しんでいたのですが、
今回は運転練習並みで。

ひぇ~!と上り詰めた所に長い細いトンネルがあり、今は信号がつき片方ずつ
通行の7分待ちで、すぐ脇に待避所があり、上の写真はそこから撮ったもの。

エルトの東の緑の四角はサントズヴァルド峠827mですが、エルトの手前の
坂道に比べれば、子供だましみたいなもの!
地図の紫の線の、左はヴェネト州、右がフリウリ・ヴェネツィアジューリア州。



道は古いエルトの村の上側、新しい村を抜け、これは町を通り過ぎての場所から。

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鐘楼が修復中で白く覆われていますが、あの辺りが古いエルトの村で、
急傾斜の山肌の村が、良く分かりますね。
左のがトック山で、未だに白く見える山肌、ここがヴァイヨンのダムに
崩れ落ち、大災害を引き起こしたのでした。



エルトを過ぎ、サントズヴァルドの峠を過ぎると道は下り坂となり、
空気がスカッと澄み、太陽光線がきつくなる感じ。

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ヴィットリオ・ヴェネトからの高速道路で山間を抜ける際、かなりの雨で
心配でしたが、ポンテ・ネッレ・アルピ以降は晴れて、やれやれ!
山のキャンプで、雨は頂けませんものね。

手前右に、白黒黄色の棒が見えますが、これは積雪の際の路肩を示すもので、
道筋にずらっと並んでいるのでした。



「子供たちのキャンプ」と書いたので、ひょっとしてテントを想像されてました?!
いえいえ、この大きなコローニア・coloniaと呼ばれる家が、キャンプ地です。

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場所はチモライスの町の北外れで、子供だけでなく、大人のキャンプもされるとか。
半地下に食堂と台所、1fに男の子たちの寝室、2fに女性ボランティア、
私も2fに1泊。 見ませんでしたが、3fに女の子たち、でしょう。
総勢100人近い、大キャンプ!



台所のガス台。 到着して、まずカフェを頂いて。

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久しぶりに、こんな大きな鍋類を! 4人の女性ボランティアが食事を作り、
配膳などは子供や他のボランティアが交代で。



これは男の子たちの部屋で、左側にもう一列。 2fもこれと同じ作りで、
奥にトイレ、洗面所、シャワー。 四角い小さなタイル張りのレトロ調でした。
シーツ持参の、ちょっとしたユース・ホステルとでも。

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到着した時、大変静かでした。で、皆さん何をしていたかというと、
この「信頼」と名付けられたゲーム。 一人が目をつむり横たわり、次々と
手渡されて、皆の頭の上を通過、というゲームをしていたのでした。
       
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もう一つのゲームは・・、



子供総数70人ほどが2班に分けられていて、立っている2人ずつの先輩たちが、
右、左と誘導する間を、目隠しして通り抜ける、というゲーム。

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参加している子供たちの年は6歳から16歳、既に何年も参加している
もっと年上の子たちは、先輩スタッフとして子供たちの世話係。
イタリアの子供たちの賑やかさを見慣れた私には、この静かさが大変意外でした。



なぜ、私が一日参加したかといいますと、今年のキャンプのテーマが
Samurai、いわば日本がテーマだったのですね。
それで、日本人なるものを見せに!ははは、と同時に、
各自の名前をカタカナで書くのをお手伝いにという訳です。

ですからゲームの部屋の壁には、こんな風に、名誉、勇、誠、仁 などの
文字が見え、その下に説明があります。

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真田十勇士、源平合戦、織田信長、宮本武蔵 eccで育った私ですが、
う~ん、突然こうして見ると、正直いささかの違和感。



空気を吸いに表に! 石壁を覆う蔦と、ノウゼンカツラの花。

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午前中のゲームを終えた子供たちが遊び始め、やっと少し賑やかに。

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広い庭の柵を出ると、少しの草原の向こう、すぐこの景色。
2,3日前に、子供たちはこの中程まで登ったそうです。

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上の写真の、北に続く部分。 何とも凄い岩肌。
この辺りはフリウリ・ドロミーティ山系に含まれ、
翌日見たヴァルチェッリーナ渓谷も素晴らしかった!

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「お昼は手で食べる」とは聞かされていましたが、ピンと来ていませんでした。
が、ホントに、手で直につまんで!

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まぁ、子供たちには、キャンプならではの気晴らしの遊びなのでしょう。



こんな風にも!

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まぁ、私にはプラスティックのフォークを渡して貰えましたが。



1週間毎日お昼は手づかみの食事らしいのですが、この日、はしゃぎ過ぎて
パスタを庭にばら撒いた子がいたとかで、お叱りを。

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この後2列に皆が並び、1歩ずつ進みながらのパスタの回収が行われました。
大人のボランティアは、全部で14,5人でしょうか、しっかりと統率しています。

キャンプ参加費用は、1週間食事保険込みで220エウロとか。
ボランティアで運営されるから、この費用で済むのでしょうね。
既に27年目の今年のキャンプと。


午後は、いよいよカタカナ書きの実践を。
夏のキャンプのテーマは、ボランティアが集まり1年かけて案を練り、準備をして
臨みます。 日本情緒の絵もたくさん描かれ、部屋の飾りつけに。 
朝の体操は、空手の型を取り入れ、一度の食事は、箸を使って食べたそう!

私に話が来たのもこの冬で、全部の子供の名前のリストが届き、
カタカナをPCで打ち届けていました。
やはり2班に分かれ、片方は簡単な折り紙を、片方は、布に各自の名前を
ポスターカラーで書き、その横に好きな言葉などを。

折り紙では、鶴を折って見せ、唯一、折れるのが鶴!で、
好きな子の名前を、カタカナではどう書くのか、この言葉は、漢字ではどう書くの、
と質問攻めで、日本字には書き順があるので、それの説明も。
面白く、忙しく、彼らも楽しんでくれた様子!

その後に、おやつの時間。 この子の髪の毛、可愛いでしょ?!

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最後の夜から2番目の夜に当たり、例年、この夜は一応、きちんとした食事会、
という事で、まずはシャワーをし、皆さんおめかし。
食堂も、飾り付けられ。

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特別、というのは、こんな風に男性群と女性群が分かれ、籤によりこの夜のカップルが
決定。 ボランティアの男性は、きちんとスーツで、男の子もジャケット姿の子が。

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女性群は、籤で名前が呼ばれると前に出て、お相手の決まるのを待ちます。
女の子も、お洒落をしているでしょう?

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上を見ているのは・・



入り口階段の上に籤係がいて順に名前を読み上げるのですね。
期待を持たせ、笑わせながら、名前を!  

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微笑ましいカップルも出来るし・・

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逆の年の差で、男の子が照れたり・・!
でもさすがイタリアの男の子、ちゃんと騎士役を務めます。

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なにせ、6歳からの子供たちですから、可愛い未来の貴婦人も・・。

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年長のスタッフ組ともなると、ボランティアの男性と、余裕のお相手が!

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食事も済む頃合に皆さんの写真を。 カタカナ、折り紙での触れ合いで
かなり打ち解けていて、イタリア人は、大人も子供もしっかり決めて見せます!

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こんなカップルも・・

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ふざけてみせる年長組。

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少しブレたけど、可愛いでしょ?

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夏のキャンプの思い出に

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キャンプのお兄ちゃんと

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この可愛い2人!

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イタリアの男の子はこんな風に育てられるのですぞ!

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美人の子が多い!

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小さな子が1人でキャンプに参加しても物怖じしていませんね。
年上の子がしっかりフォローです。

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こちらも、美人! 右は、ボランティアの方。

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ボランティアのお3人。 1週間仕事を休んで、このキャンプに参加です。

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全部は到底ご紹介できませんが、キャンプの雰囲気、お分かりでしょうか?



この夜、イタリア語では「アルテ・マルツィアーレ・武術」と訳せましょうか、
チャンピオンが来られて、実技をご披露。

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空手、殺陣、体操的な要素も組み入れた物で、場所が狭かったですが、迫力!



夜の外は寒い程ですが、子供たちは輪になり、馬が走る、走る、という音頭にあわせ、
膝をたたきながら、わぁ~っと。 飛ぶ、飛ぶというと、ジャンプ、ジャンプ。
       
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先に寝に行きましたが、(10時半過ぎだよ)、彼らは遅くまで騒いで、遊んだ様子。
    
翌朝も良く晴れ、朝食の後皆と別れ、チモライスの町、バルチスの湖を見に。
いやぁ、子供の時から殆ど一人遊びの私には、大変珍しい体験で興味深く、
多少でも日本に、日本文化に興味を持つ切っ掛けになると良いなぁ、と思った事でした。

◆*◆*◆

毎日、暑いですねぇ!
       
ナポリターノ大統領ご夫妻が夏のヴァカンスにお出かけのTVニュースがあり、
フェリーから出て来られる大統領は、肩から斜めにポシェットをかけ(黒のスーツ)
手には黒の書類かばん。 以前も、このかばん持ち姿を見た事あり!
奥様は、赤い柄のブラウスに白のスカート。 で、手には黒のボストンバック。

お二人ともお若くないのに、奥様のバックくらい、誰かが持って上げれば!
と、如何にもの、イタリア式が気になりました。
まぁ、後から大きな鞄が届くにせよ、率直過ぎるのも、時に気になる日本気質。
       
皆さんも、暑さにお気をつけてどうぞ!

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