・ スピリンベルゴ ・ フリウリ州の珠玉の町

今日はフリウリ・ヴェネツィア-ジューリア州州のほぼ真ん中に位置する、
まさに珠玉の町と呼ぶに相応しい、スピリンベルゴ・Spilimbergoのご案内を。

いかにもドイツ語的な「スピリンベルゴ」という町の名に魅かれ、かって一度
訪れて以来の再訪ですが、期待以上の素晴らしさでした。 では、どうぞ!

スピリンベルゴはどこにあるか、地図をどうぞ。
東にウーディネ・Udine、西にポルデノーネ・Pordenoneのほぼ中間の北にあり、

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どちらの町からもバスで行けますが、50分程、ウーディネからだと31k、
ポルデノーネから33kの距離で、カザルサ・Casarsaからも便があり30分と。
蛇足ながら、カザルサは、映画監督のピエロパオロ・パゾリーニ・
Pieropaolo Pasoliniが育った町。

この地図には名の表示がありませんが、町の東に見える濃い緑の筋、
これはタリアメント川・Tagliamentoの広い河筋で、この辺り一帯に幾本もの川、
または枯れた川床が広がります。
スピリンベルゴの北東10kほどには、生ハムで有名なサン ダニエレ・デル・フリウリが。
       


町の中心はほぼ丸く、その真ん中を東西にローマ通り・Corso Romaが通り、
その中程、まさに町のど真ん中にガリバルディ広場・Piazza Garibardi。
で広場から右手を見ると、この眺め。
       
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上の写真に見える細いローマ通りの東半分が旧市街部・Borgo Vecchioで、
見所がこの様に。

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Torre Orientale・トッレ・オリエンターレ・古い市壁の門
Casa del Capitano・カーザ・デル・カピターノ・町の守備隊長の館
Duomo・ドゥオーモ
Castello・カステッロ・城  など。
コムーネのサイトに、町の地図が。
http://www.comune.spilimbergo.pn.it/index.php?id=19

では、参りましょうか。



石器時代の発掘品、ローマ期の北への街道筋などなど古い歴史を持ちますが、
11世紀頃にオーストリアのカリンツィア地方(イタリア東北部に接する)の伯爵 
スペンベンベルグ・Spengenbergがこの地を治めた事に町の名は由来と。

街道筋の要所として商業交易の中心地となり、13世紀頃には大変な繁栄振りとなり、
アクイレイアの司教領とのせめぎあいの後、15世紀の半ばヴェネツィア共和国の元に。

この館は、16世紀のモナコ邸・Monacoですが、ヴェネツィアのイメージが大変強く。
       
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ご覧の様に、正面はフレスコ画装飾で見事に覆われ、窓の形もヴェネツィア・ゴシック。
神話から題材を得ているようですが、通りが狭いので見難く、残念。

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こちらの旧市街側の通りはご覧の様に狭いものの、歩行者と自転車のみで、のんびり!

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テントが見えますが・・



そう、バールの席。

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今回このスピリンベルゴの町で痛感した事は、町の大きさと、人々の暮らしの
程よさ加減。 こちらでよく言われる「人の丈に合った町の大きさ」、これです。

モナコ邸の前にかなり大きな本屋があり、地方独特ののんびりした雰囲気で、
なかなか良かったです。



ローマ通りは、こんな風に少しカーヴして・・

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フリウリ州のモザイクの学校が町の北通りにあり、「モザイクの町スピリンベルゴ」とも
称していて、ローマのオリンピック・スタジアムのモザイクもこの学校の製作だそう。

ラヴェンナのモザイク学校の有名さは知っていましたが、どうやら同一人物によって
開かれた様子。

通りに1軒店があり、表の素晴らしい犬の顔のモザイクに引かれて入りました。
とにかく、色のトーンがもの凄い数! 丸い形の色ガラスをゆっくりと冷やす事により、
割った時に飛沫に飛ばないのだそう。 小さなイヤリングを1つ、ね。

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学校のサイトは  http://www.scuolamosaicistifriuli.it



勿論、こちらにもバールの席。  うん、少し暑そうな布の色!

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町はちょうど夏の音楽祭開催で、あちこちに舞台が作られ、飾り付けられ、
夜の賑わいを控えています。

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手前にもテント席が見えますが、こちらはどうやらワインかビールの様子。

角に、装飾された建物が見え・・



カピターノの館、またフレスコ装飾の題材から、エルコレ・ヘラキュレスの館とも。

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15世紀の物ですが、16世紀にかけては町が一番に繁栄し、たくさんの芸術家、
職人が呼ばれ、建物内外の装飾にも力を注いだ時代と。



カピターノの館の左手奥に、「東の塔」と呼ばれる町の門があり、
これは門を出た所からの眺め。

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町は12世紀の城の建設に始まり、繁栄するに従い、市壁が3度にわたり拡張。
この東の塔は13世紀初めの市壁の門で、ここを出てもローマ通りは暫く続き、
突き当たりは、ドゥオーモ広場。
普通だと市壁の外は近代的な町並みですが、この町では中世の町並み。

14年ほど前に一度来た事があり、当時は上の写真の門を出た辺りには
寂れた面影がありましたが、現在修復が殆どすみ、新しい発展を待ちます。



軒下のポルティコも、梁も古い木のまましっかり整備され。
これと同じ柄は他のポルティコにも。

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外の修復は済み、内部を整備中の建物。 窓を挟んでの、何とも可愛い
カップルの装飾画。

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ドゥオーモ広場の北西の建物、ダツィアーリオ邸・Daziarioの扉。
13世紀の物で、商業取引の管理と税の徴収に当った建物と。

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ダツィアーリオ邸の扉の金具。 公営質店かと思う程の頑丈さ。

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この斜め前に1階がロッジャの建物があり、これはロッジャ邸の天井の装飾。
勿論修復されたものですが、ポルティコで見る柄とは違い、紋章ですね。

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後で調べて知ったのは、マーチャ・Maciaという、中世にスピリンベルゴの町でのみの
長さの単位、布の商人たちが使った、約70cm、を示す彫りこみが柱にあった様子。 
気が付かず残念。

で、現在8月の最初に行われる時代祭りが、「マーチャの祭り」と呼ばれ、賑わう様子。
コムーネのサイトの8月・Agostoに。
http://www.comune.spilimbergo.pn.it/manifestazioni-ed-eventi/agosto/index.html       



ドゥオーモの位置も常の町とは違い、古い中心街の外れ、町の門を出ての
当時の市壁近くに建設の、13世紀後半のロマネスク・ゴシックの素晴らしいもの!
現在の鐘楼も、市壁の塔を組み込んだものと。

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今見える、広場に向かった北側面の扉は、上流階級層の入り口だったそうで、


左脇にうっすらと見える大壁画は、聖クリストフォロ。

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奥横にドゥオーモの案内板があり、なんとフリウリ語での説明部分が。
フリウリ語というのは、ケルト系のラテン語に、ロンゴバルド、ドイツ、セルヴォ、
ヴェネト、イタリア語が混ざったものなんだそうで!!



こちらが西になる正面壁。 現在は2つ塞がれていますが、全部で7つの薔薇窓。
フリウリでも唯一との事。

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薄い黄色地に、白の長方形で杉綾模様が描かれ、見えるかな?
穏やかで典雅な美しさです。



内部は3廊式で、中廊の後陣全体が14世紀の、旧約、新約聖書が題材の
フレスコ画で埋められ、

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これがその一部ですが、はは、遠くからキリストの蘇生かと思いきや、
お風呂の覗きでござったよ! ははは。

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中廊部上には、16世紀の物という素晴らしいパイプオルガンも。



ドゥオーモの正面から西への通りに、いかにも古い造りの家並みが続きます。
この残されたテラスの石が語る長い年月。

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お馴染みの、サン マルコのライオン君。 出かけた場所でお目にかかると、
なにやらホッと親しみが。 ははは。

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特別な作りでもないのですが、美しく心落ち着く眺めの窓。

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ドゥオーモ広場の東側は空堀で、向かいに素晴らしい印象の建物が見え、
広場の北東に橋があり、お城 → とあり、
     
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橋を渡り、建物の下のアーチをくぐるとこの中庭に。
何とも素晴らしい眺めに、ああ!と嘆息。

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あちこちに出かけ、たくさんの素敵さに出会いますが、まさにこれには驚き!
皆さんに、実物大でご覧頂けないのが残念!!



せめて、アップで!  

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色のハーモニーが素晴らしく、人物像と柄と、窓、テラスが一体となり、
これだけの大きさの、ほぼ完全なのも珍しい!



お城の建設は11世紀に、すぐ東を流れるタリアメント川に張り出す崖を
利用して造られた様子ですが、
長い変遷の内に、地震、戦火にも出会い、が、この東側の絵画邸とも呼ばれる
部分が無傷で残ったとの事。

現在ここにはレストランが入り、お値段はまぁそこそこで、次回のチャンスにでも。
レストランの入り口は、上の写真に見える階上の大きなアーチの部分です。

このお馬さんの鞍の形、そしてイメージ、何とも優雅でしょ?

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中庭を丸く囲む形で建物群があり、この様に角度がついています。
馬やライオン、隼など、動物の姿も多く、それもやさしい印象を与えるのでしょう。

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かってのお城の部分の南側は、16世紀の戦火で焼け落ちたまま再建されず、
川に続く林が、下に見えます。
建物群の端に、ひっそりの入り口も。

ドゥオーモ側から見えた西側の建物も、どっしりと重く、不思議な感じのする地下への
傾斜した入り口がありましたが、近年監獄として使用されていた、と読み納得!

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ローマ通りを中心まで戻り、今度は西に。
こちら側は同じローマ通りですが道幅が広く、やはり、ご覧の様にいくつもバールの席!

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奥に見えるのは、西の塔・Torre Occidentale.



1階が薬局で、1650年創業。 Alla Carità・アッラ・カリタ、という店名は、
なにか奉仕的な事も兼ねていたのでしょうか?

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2階の右端は窓拭きの最中で、なかなか雰囲気が良く。



中心のローマ通りから、小路が何本も脇に通っているのですが、いかにも中世の、
古い建物のアーチの下を覗きこみましたら、どうやらワイン飲み屋ですね。

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綺麗に修復され、すっきりと美しく、逆にモダンなイメージに。



アーチ、が大好きですが、道の向こうに、少し懐かしい緑の鎧戸。
左上にワン君の姿の碑も見えます。

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西の塔の外側には現代風の町が広がり、塔の内側から、通ってきた東の眺め。

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西の塔から東の塔、そしてお城までの距離は、1kほどでしょうか?
小さくても奥が深くゆったりとした町。そんな印象を強く受けました。

たくさん写真を撮り、サイト、ガイドブックからもあれこれ知った
ご案内をたくさんしたい、そんな町でした。
ウーディネ辺りにお出での時は、是非お出かけ下さいね。 お勧めです!!

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・ n.2 フリウリのラグーナ、 ミニ・クルーズ

先回に引き続き、フリウリ州のラグーナ・干潟のミニ・クルーズ、その2をどうぞ!
位置については、先回の地図をどうぞ
      
水路をそろそろと進みます。
    
こちらは7つもチビ君を引き連れたマンマで、首にはネックレスならぬ番号札。

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WWFの野生動物保護地域、狩猟禁止地域になるので、住民登録済み、 
という事ですね?!
      


他のクルーズ船と出会い、オ~イ! オ~イ!
同じ位の大きさの船でしたが、あちらは総勢10名ほど。

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カゾーネの集落のある辺りは、まさに浅瀬。 ゆっくり、ゆっくり進みつつ、
水路の曲がりでカーヴを切る度に水底の泥が巻き返され、ご覧の通り!

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この一帯14,5軒のカゾーネでしょうか。 殆どの物は、手入れが行き届き
活用されている様子ですが、この様に、屋根が朽ちかけているのも1軒。

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カゾーネ・Casone は元々漁師の避難小屋というか、待機小屋から発生した
様子ですが、干潟の上に建てられているのが、この左の部分で良く分かりますね。

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それぞれの持ち主の好み、経済状態により、手入れのされ方、施設など様々。
煙突のあるのと無いのと、これも2通り。
奥に見えるのが、リニャーノ・サッビアドーロの大きなホテルの建物群で、
なんとなし、この対比が面白いでしょ?

でもねぇ皆さん、このカゾーネの写真をご覧になって、何を連想されます?
縄文、弥生の竪穴住居とか、ね、もう、まさにそれでしょ?!
洋の東西、人間の知恵は皆同じ、といつも思う所以です!



一通りぐるっと一帯を回り見物した後、再度細い水路に入り込み
立ち寄るカゾーネに近ずきます。

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はい、これが目的地でした。 美しいでしょ?
でもやはり、この写真だけ見ると国籍不明になりそう!

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船が寄せられ係留される間に、フト見ると猫ちゃんが杭の上に。

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最初にぐるっと一回りした時に、あ、猫がいる!と見た
そのカゾーネに来たのでした。
彼の名前は、サッビアドーロ・金の砂。 ここに住んでいて(住まされていて)
船が来る、お客が来るとやはり嬉しい様子で、今、杭の上でおやつを貰い。



見かけよりも意外に中が広いですが、完全に観光客用に設えられて。
実際は写真よりずっと薄暗く、壁や天井が透けて見えます。

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クルーズ船、そしてこのカゾーネのオーナーでもあるアドリアーノは、若い頃
サッカー選手でもあったようで、壁をぐるっと囲む旗はサッカー関係。
  
彼のサイトには有名人の顔がずらりと並び、カンナヴァーロ君の顔もありま~す。
ええ、なかなかの商売人と見えますが、子供たちの遠足兼、自然保護の学習にも
一役買っている様子。
サイトはこちら  http://www.saturnodageremia.it



天井の様子。 ここは煙突がなかったですが、まぁ、これだけ透けていると、ね。

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電灯が見えますが、集落に電気は来ていないとの事で、自家発電でしょう。  
     


真ん中に据えられた炉。 冬だと、ここで魚を焼いてくれるのでしょう。
    
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他のカゾーネには入りませんでしたが、本来の漁師小屋として利用されているのは、
今はどれほどあるのでしょうか? 別荘並みの扱いに成りつつあるのかも、です。



このカゾーネのある砂州が結構奥に広く、ちょっとした林もあり、小さな小屋もあり、
小屋の中にはこんな古い写真類が。

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一番下の右端、197X年の冬、ラグーナに氷が張りつめ、
リニャーノ・サッビアドーロまで歩いて行けたと。
その左はラグーナでのゴ・Goという白身の小魚捕り。 から揚げにして、美味しく。
ヴェネツィア・ラグーナでも、お腹辺りまで水に浸かって漁をしているのを
見かけますが、ラグーナならではですね。



屋根の葺き具合。 方法は日本と同じで、もっと簡単そう。
そして、やはり何年か毎に葺き替える様子。

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これ、何の木でしょうか? よく育って太く、涼しい影を提供。

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その下の細長い、いくつものテーブルに座り込み、アドリアーノのお喋りと歌、
魚介類のスパゲッティ・spaghetti allo scoglio、白ワイン、
干しブドウ入りの菓子パン、カフェ、グラッパ酒 と頂き、お喋りが弾みました。

誰だぁ、年寄り連中が騒いでいる、と言うのは?! ええ、まぁ、当ってはいますがね、
こちらの中年以降も、大変元気なのですって!!
我々のテーヴルで何の話が出たかというと、家畜にアレコレと名をつけて可愛がり、
次には、アレを食べよう、コレを食べよう、という例の話!
ご存じない方 こちらの最後を。
      
とか、豚ちゃんを屠り、その血を入れたトルタを作るのに、匂い消しにカカオの粉を
入れるとかで。 ああ、アレは旨い! と隣の席のシニョーレ。
ヴェネツィアでは、このトルタをボルドンと言うそうで。
ええ、皆さんよく食べ、お元気ですぅ!!



こうして再び船に戻り、猫ちゃんの見送りを受け、マラーノの港に戻る事に。

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写真クラブで一緒しているジャンナが、秋にもう一度来て夕暮れを見よう、
彼女がお膳立てする、というので楽しみに。



潮が引いて行きます。 冬のヴェネツィアの高潮のようにどんどん引いていて、
新しい水草が顔を出します。

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進入して来た水路を戻りますが、これは先回ご覧頂いた魚網の底の部分で、
こちらは、絞ったまま干していて、

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下のは開放して干しているので、2重になっているのがよく見えます。

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水路を抜け、ラグーナの広い部分に。 カモメたちが、また傍らを低く高く。

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陽射しが強くなり、海の色が濃く、出会うヨットが美しく。

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帆が、精悍で美しい!

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我々の航路がよく見えます。 夏だよぉ~!

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朝10時、曇り空の下に出航した港に、午後4時過ぎに戻りました。
1時間半ほど放し飼い、いや自由行動に。

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このマラーノ・ラグナーレ・Marano Lagunareの町は、フリウリ州でも
指折りの漁港との事ですが、
90%がラグーナ・干潟で、10%が本土 という立地状態だそう。

道の奥に開けて見える所が港で、道の左奥に見える最初の石造りの建物は
現在オステリーアですが、その壁には・・

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これは、1583年の年号で、もう一つは、1620年。

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この町の起源は、アクイレイアと密接な繋がりを持ちます。
アクイレイア自体、紀元前181年にローマからの駐屯兵300名が入植し
出来ましたが、紀元前169年に、そこからこの地に約1300人の家族が、
北の蛮族の侵入を防ぐ為に入植させられたのが、町の起こりだそう。
アメリカの西部開拓史のようですねぇ!

完全に市壁に囲まれた要塞の町だったといい、その後15世紀に
ヴェネツィア共和国の元に入り、という変遷を辿りました。
       


可愛い窓があり・・

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ぐるっと角を回るとこの建物。 町の一番の広場に面した15世紀の執政官の館。

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現在は、こんな風に可愛らしく飾られ、骨董兼スーヴェニール店に。
写真左端に、頭の欠けた角柱が見えますね。 あの上に、ヴェネツィア共和国の
シンボルの、翼を持つライオン君がいたのではないかと・・。



こちらが建物正面の上の飾り。 17世紀の執政官の胸像と書いてありますが、
円形の飾りの女性像と様式が違いますから、据え変えられた様子ですね。

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広場の北西角にあるこの塔は「千年祭の塔」とも、「大司教の塔」とも呼ばる
15世紀のもので、

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16世紀には監獄としても使われた様子ですが、アクイレイア大司教領の
海の要塞の町でしたから、物見の塔ですね。 上部の色が違いますが、再建部分。
      
下部にいろいろ胸像が見えますが・・



17世紀の優秀な彫刻家たちが製作した、この町の執政官たちの胸像との事で、
執政官の館の正面の胸像も、同じ時代のものだそう。

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17世紀という時代の影響かかなり優雅な胸像群で、現在のこんな漁港(失礼!)
で見ると、正直な所??!!。 でも17世紀当時はもっと格差があったろうにね。



こちらは広場の北側。  修復されていますが、ちょっと入り込む部分に井戸が。
奥の細高い建物にもかっての面影が残り・・

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同じ広場の右側面ですが、真ん中のアーチを持つ建物も由緒ありげ。

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この彩り、ブラーノ島によく似て、町には、ヴェネツィア共和国の影響が濃く残ります。
が、大変興味深い事にこの地では独特の土地言葉が使われている様子。
      
マラーノ・ラグナーレの町のサイトをどうぞ。 イタリア語・英語版の国旗があり、
真ん中にサン・マルコのライオン君がいて、ここをクリックすると、マラネーゼ語・
Maranese、つまり、この土地の言葉に変わります!
ヴェネト訛りの様でもあり、フリウリ言葉とのミックスなのでしょう。

追記: 残念! リンク先を確かめましたら、サイト内容が変わっていて、
    マラネーゼ語翻訳は無くなっていました。 が、写真を見れますのでどうぞ。
http://www.comune.maranolagunare.ud.it/
 


この家なんぞ、まるでブラーノ島ですが、戸口の上のあの装飾碑!  むむ!

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こちらは漁港の小路のイメージ。 落差が興味深い!

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中心広場から続く中央通りにはかなり重厚な建物が並び、修復済み。

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中央の通りから中心広場への眺め。 右手に、何とも凄いピンク!

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短い時間なので、中央通りの往復のみ。
横道に入り込むと色々面白そうですが、またのチャンスに。



再び木の橋を渡り、家路に。

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一日しっかり船で遊び、食べ、バス往復のハイキング参加が、50エウロ。
お安いでしょう?!
一人で好きに動く自由さは無い代わりに、かなりしっかりと説明が聞け、
バスに座っていれば連れて行ってくれる、気楽な良さもあります。
で、次回のチャンスにも勿論ね!

はぁ~い、お疲れ様でしたぁ!
  

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・ n.1 フリウリのラグーナ、 ミニ・クルーズ 

今日はラグーナ(干潟)のミニ・クルーズと称し、6月4日に行って来た、
フリウリ州のラグーナ巡り、マラーノ・ラグナーレ・Marano Lagunareのご案内を。

2回に分けてのご案内になりますが、それでも言葉の説明よりも、百聞は
一見にしかず、と、写真が多くなりましたぁ! 干潟のミニ・クルーズ、ごゆっくり! 

まずは、どこにあるか、地図からどうぞ!
右上、印のついている位置にマラーノ・ラグナーレがあり、

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その右に、ローマ期の遺跡で有名なアクイレイア・Aquileia、すみません、
図の中の綴りがまちがってます! と、グラード・Gradoがあります。

地図の左端にヴェネツィア・Veneziaで、ヴェネツィア~マラーノ・ラグナーレ間は
約103K、我がコネリアーノからは94K。
ヴェネツィア空港の北東の赤い印はアルティーノ・Artinoで、ヴェネツィア発祥の
元ともなった地。
アクイレイアと共にご紹介していますので、後ほどサイトのご案内を。



この日の朝は厚い曇り空で肌寒く、到着した港町もこんな感じで少し陰鬱。

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バスの駐車場から、この木の橋を渡り町の中心へ、観光船の発着場に。

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マラーノ・ラグナーレはフリウリでも屈指の大きな漁港とかで、漁船がぎっしり停泊。
そして朝帰ってきた漁船の上では、網の手入れを。

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そうそう、橋の手前に屋台のバールがあり、仕事を終えた漁師たちが一杯!
日本の港町と、まったく同じですねぇ。



漁船の並ぶ奥に見える白い観光船、あれが我々の本日のお召し船の
サトゥルノ・Saturno号。
  
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地中海やカリブ海まで行く、豪華客船のクルーズではありませんで、ははは。



いざ、出航! ゆるゆると港を出て行きますが、干潟がすぐに始まり、
たくさんのカモメたち。 巣の群れがあると見えます。

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ヴェネツィアに来られて、ムラーノ島とかブラーノに行かれた方々は、
大概の杭の上にカモメたちが停まっているのをご覧になられたでしょう?
そうなのですね、総ての杭に、と言えるほど!
 
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いよいよ海に出る位置に、この聖母像。
天候に左右される漁師の仕事ですから、信仰心は篤いものと見えます。

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毎年6月15日には、漁師の守護聖人である聖ヴィート、聖モデスト、そして
聖女クレシェンツァに捧げる、伝統恒例の船の行進が行われるそう。



今回ミニ・クルーズをしたマラーノのラグーナ・干潟の位置を拡大図でどうぞ。
マラーノ・ラグナーレの町の南には島が続き、左からは見事な砂浜の海水浴場で
有名なリニャーノ・サッビアドーロ・Lignano Sabbiadoroが突き出します。
 
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この囲まれた部分がマラーノのラグーナで、ヴェネツィアのラグーナに次ぐ広さで、
現在はWWFの自然保護地域となっているそう。
楕円で囲まれた部分に、カゾーネ・Casoneと呼ばれる漁師の避難小屋があり、
今回はそこに寄る予定で、興味があったので嬉しいです。



遠くにリニャーノ・サッビアドーロが。 サッビアドーロとは金の砂という意味で、
その砂浜の美しさを称えているのですが、残念、行った事がありません。

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ヴェネツィアから東に、イェーゾロ・Jesolo、カオルレ・Caorleと、素晴らしい
海水浴場がいくつも続き、夏はドイツ人の天国とか!



ラグーナ・干潟の水深は、浅い所で50cm! 大体が1~2mと。
       
ゆっくりと進むうち、まず見えたカゾーネ。 ガイドブックでお目にかかるのみが、
今漸くに・・。

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海の高速道路だよ! と説明がありました。

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ヴェネツィアのラグーナでご存知のように、水深の深い場所に杭を打ち、
そこを大きな船は航路としますが、大概が曲がりくねっています。
所がここは珍しくまっすぐ、グラードに。



海の交通標識。 ヴェネツィアはあっち、リニャーノはこっち、
一番上は、波を立てるな、ゆっくり行け! かな? 

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この日一緒したのは、コネリアーノの成人学校の希望者で、いつもバス1台分
50人程の参加ですが、今回は希望者が多く、バス2台の100人!
ゆるゆる進むうちに、なにやらサーヴィスが始まり。

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多分日本なら、こういう場合には若い綺麗なお姉さんが出て来るのでしょうが、
そうでないのが、イタリア式!



バゲット式のパンの上に、アッチューゲ・アンチョビーを載せただけの物ですが、
これが美味しかった!  ビールのおつまみにもいける筈、お試しを。

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欲しい人は2つでも3つでも。 そして白ワイン。 これはもう、当然の成り行き!
皆さん、段々陽気に。 勿論ね!
もう一人、別のおじちゃんもサーヴィスしてくれたのですが、写真略。



あの奥に見える建物群が、グラード。

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グラードも海に突き出した町で、ここの干潟も有名な野鳥のサンクチュアリーです。

グラード ・ Grado ・ 歴史持つ干潟の島
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462969077.html



船は湾内をぐるっと回っている様子で、あそこに見えるのがアクイレイアの鐘楼と、
暫くして説明が。

18._GF.jpg

手前にカゾーネがあり、右から2つ目の塊の奥にぼんやりと白い塔が見えるのが、
あれが、素晴らしいアクイレイアの鐘楼。

アクイレイア・Aquileia と グラード・Grado
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463998126.html

アクイレイア ・ ローマについで栄え、そして衰退の町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462970421.html

n.2 アクイレイア と、 アルティーノ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462970554.html



ゆっくりと、リニャーノに近づき。 まだまだ厚い雲の空ですが、
「海の嵐」にはほど遠く、カモメたちが飛び交います。

19._GF.jpg



突堤の先端に可愛い見張り所。 海の色が違うのが、お分かりですか?

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嘴のように突き出した先端にある停泊所。 千隻ものボートが停泊しているそうで、
小さいのから、ここに見えるかなり大きなのまで!

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水深が浅い事は申し上げましたが、こんな風に、海草が揺れるのが見え。

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船の台所辺りから、良い匂いが漂い始め、その内に1口分ほどのパンが
投げられるのが見え、あっという間にカモメたちの襲来。
パンを求めてまっすぐに降下、すいっと攫って行きます。

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奥に見えるのがリニャーノ・サッビアーノ。 ここの黄金の砂浜は9kも続くそう!



はい、カモメの ミナサン。 古かったぁ? ははは。

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ステッラ川・Stellaが海に流れ込む、その河口の砂州地帯、と言いますか、
この一帯を背景に、ヘミングウェイが「河を渡って木立の中に」を書いたとか。
これは読んでいませんが、猟の話だそう。
       
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近年はWWFの野生動物保護地域となり、狩猟は出来ません。
ここから水路に入っていきます。


「武器よさらば」 若きヘミングウェイの戦場体験 n.1 
http://www.italiashiho.site/archives/20170409-1.html

「武器よさらば」 若きヘミングウェイの戦場体験 n.2
http://www.italiashiho.site/archives/20170410-1.html



狭い流れの中を、そろそろと。 まず白鳥、そしてオオバン。

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テブレ申し訳ないです、ちょっと珍しい顔をした親子なので!
名前は聞いたのですが。

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小舟が並んでいて、出かける用意を。 マイ・カーですね。

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他にも小屋があったのですが、これは大きく、しっかりした造り。
水路に張り渡して魚網を掛けるのですが、その見張り小屋というか、漁師小屋。

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小屋の前に出された椅子。 この光景には参りました!
なんとなし熱帯地方のイメージでしょ?
これだけで話の筋が思い浮かび、想像が膨らみ、遊べそうです。

31._GF.jpg



これが魚網。 両岸に2本ずつの鉄柱を立てて支え、上げ下げ出来るように。

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船が通れる水路に、ご覧の通り2つあり、ひっかけないよう、ひと際ゆるゆると
脇を通り抜けます。



海に注ぐ河の砂州地帯、淡水と海水の見分けはどこで?

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茂る葦の、丈の高さだそう。 ご覧の通り、ここはまぁ1m程ですが、
淡水が濃いと、3mほどにもなるそう。



こんな風に、びっしりと。

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これは2番目のアンティ・パスト。
海老と、蛸のサラダと、上に魚が一切れ。 ゴマ入りのパン、既に齧った後で!
と、白ワイン。

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この後、鰯のオーヴン焼きが来ましたが、すっかり写すのを忘れ、ははは。
熱くて香ばしくて、美味しかった!

この蛸に加えられていたセロリが大変香リ高く美味しく。
イタリアのセロリ、パセリの香りの良いのはよく知ってはいるものの、
生のセロリの美味しさを暫く忘れていました。
       
    

船をぐっと葦の中に突っ込んで停泊、のんびりと潮風に吹かれながらの食事。

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「トイレに行く、って、船を下りないでね!」との、ご注意が。 ははは。
カモメ君も、ご相伴を。



遠くで一斉に。 かなり大きいけど、カモメかな?

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こちらも、名を聞いたのですがぁ・・、 猛禽類のような。

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鰯のお代わりが回って来たりしつつ、またゆるゆると進みます。
お天気が回復し、陽も射して。

白鳥の雄が、雌が抱卵中なので見張り番を。
       
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ね、白いのがチラッと。

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ぐるっと回って、いよいよカゾーネの集落に。

41._GF.jpg



こちらは白鳥の親子。 お母さんの後ろに小さいのが3つ。

42._GF.jpg

船のすぐ上を、別の白鳥が2羽飛び越えて行き、その大きさに見とれました!
ワイン効果か、カメラを構える気もなく、ははは。
       
という所で、次回に。 こういう場所にはなかなか行けませんから、
どうぞ皆さんも、ごゆっくりラグーナ巡りを楽しんで下さいませ、ませ!
  
最後に寄ったマラーノ・ラグナーレの町が、意外に素敵で!
次回をお楽しみに!!

◆*◆*◆

こちらイタリアは今週ぐんぐん暑くなり、大都市など36度~38度と報道され、
我が家もテントを下ろし、雨戸を殆ど閉め、窓はしっかり閉め・・。
       
こうすると、イタリアの夏は湿気がないのでひんやりと涼しく過ごせるのですね。
まだ扇風機もつけずに、大丈夫。

が、薄暗い中でのゴキブリ生活 という言葉が頭にちらと・・! ははは。
でもこの辺り、ゴキブリ君には出会いませんねぇ。
ゴキブリほいほい とも縁がなく、過ごしています。
皆さん、ゴキブリ達に負けぬよう、夏を乗り越えましょうねぇ!!


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・ 我が町 コネリアーノ ・ ダーマ・カステッラーナのお祭り

我が町コネリアーノ・Coneglianoで、毎年6月にダーマ・カステッラーナ・
Dama Castellanaというお祭りが行われます。
生きた駒での、簡単なオスロの競技様ですが、今日は少し気分を変えて、
昨年の写真でご覧いただきますね。

我がコネリアーノはヴェネツィアから北に56Km、先日ご紹介のトゥレヴィーゾ県。
駅のホームから北に向かっての眺めで、2番目の丸屋根の鐘楼がドゥオーモで、
一番奥、山の上にお城の塔が。

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我が町 コネリアーノ ・ 再発見
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461745312.html


我が町コネリアーノ・Conegliano 1 と ブログ開設のご挨拶
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460841080.html


国鉄駅前からまっすぐに100mほど行くと、広い石段・アルピーニの階段があり、
そこを上がるとチーマ広場があり、横切る通りは中世の雰囲気になります。

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これは、毎週金曜日に開かれる市の様子で、アルピーニの階段の上から駅方面を。
突き当りが駅の建物で、この道が金曜の市の日は交通止めとなり、ご覧の通り、
屋台が並び大変な人出です。



市の日はこの階段にも花屋さんが並び、ご覧の通り。
駅周辺の通りは平行して3本通っていますが、その通りすべてに屋台が並ぶのですよ。

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市は、ちょっとした町毎に毎週決まった曜日にたち、北隣のヴィットリオ・ヴェネトは月曜で、
近郷の町村から人々が集まり大変な賑わいとなります。
       
我がスコミーゴ村を通るバスにも市の日は大勢のシニョーラが乗り込み、出かけていきます。
品物が特別安いわけでもないですが、庶民向けの品が数多くそろい、生鮮食品は
店売りよりも新鮮ですし、生きた鶏なんぞもね!

とにかく屋台店の数が多いので、衣料、食料、家庭用品、室内装飾、庭用品、ecc、
市に行くと何でもOK!という訳。

という様子で、市のある金曜に出かけると、仲間、知り合いの誰かに出会う、という・・!



ダーマの競技と、お祭りが行われるチーマ広場・Cimaの西側の建物にも
お祭りらしく、飾り布がかかります。
チーマという名は、この町生まれの15世紀の画家コネリアーノ・ダ・チーマから来ていて、
実際すぐこの近くに生家が残り博物館に。


チーマ広場の北側には映画館があり、建物がネオクラッシク調なのですが、
その正面左右に、今見える彫像があります。
       
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ちょっとスフィンクス風ですが、これはかって北イタリア一帯がオーストリアのハプスブルグ家の
支配下にあった名残でしょう。
同じ彫像は、ウィーンの美術館の庭、トリエステの、ミラマーレの城にもあります。



ここからの写真が、昨年のダーマ・カステッラーナの様子。
こちらがチーマ広場の北を占める映画館で、元々は劇場だったものと思いますが、
住んで19年まだ中に入ったことなし! 夜遊びしない良い子というか、馬鹿というか・・。

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広場と西の建物との間に出演者たちが集まっていて、静かな興奮に満ちた雰囲気が。

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「ダーマ・dama」という遊びは、白黒チェックの盤の上で白黒の駒を動かすゲームですが、
また貴婦人をも指し、「ダーマ・カステッラーナ」というとお城の貴婦人の事ですが、
まぁ、ゲームの名に掛けてもいるのでしょう。

催しは2晩続けてあり、知らない私めは切符を2晩分買い、出かけたのでしたが、
初日の夜は総合演習みたいな感じで・・!
       
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奥に見える建物は、広場の東を占める市役所本部で、2階の明かりの灯っている所は
結婚式場で、左側の低い建物の奥に古文書館が。

この結婚式場で、かって歴史に残る名指揮者アルトゥーロ・トスカニーニが結婚式を、
というのは知っていましたが、なぜに?が漸くに。その顛末はこちらで。

アルトゥーロ・トスカニーニの生家 ・ 20世紀の偉大なる指揮者
http://www.italiashiho.site/archives/201810-1.html



こちらは広場の南側で、真ん中の引っ込んだ部分の下のアーチを抜けると、
アルピーニの階段に。

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そろそろ夕暮れが迫り、トーチに明かりがともされ、始まり間近か。

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細長く東西に伸びるコネリアーノの町の、西はずれに近くかっての兵舎があり、
そこから時代衣装の行進がやって来ます。

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この通りにもかなり古い建物群があり、装飾もアーチの下も優雅です。



太鼓部隊に続いて、時代衣装の方たちも。

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たくさんお見せしたいのは山々なのですが、この所、下手に目が肥えたというか、ははは、
なかなかお眼鏡にかなうカップルが少なく・・!



行進には欠かせない、兵士の姿。

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ダーマ・カステッラーナのお祭りは、元々はコネリアーノの町が1231年にトゥレヴィーゾ
との戦いに勝った、ただ一度ね! 記念に由来するとか。



知ったのは、コネリアーノの旗振りたち、スバンディエラトーリ・sbandieratoriが
かなり優秀な事! 行進しながら、時々止まっては妙技を披露。

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アスコリ・ピチェーノで見た競技の素晴らしさは忘れられませんが、
シエナ、アッシジの競技者よりずっと優秀な事は確か!!



少女と子供たち。 これはとても可愛くて良かった。

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コネリアーノの領主ご夫妻に扮して。

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衣装も、筋書きも時代考証があやふやで、この辺が大いに不満でしたぁ!



初日のみの登場人物。 お客のおもてなしに、と自己推薦役のお二人で、
寒い夜でしたが、この衣装で大サーヴィス!

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この肉体美の男性も初日のみ。 出たがり、見せたがりを実演。

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トーチに浮かび上がると、この衣装で、なかなか良い男さんに見えますね。
うん、夜目遠目の内かなぁ?!

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この馬の模型がなかなか素晴らしいと思ったのですが、いかんせん、この場面のみでしたぁ。

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旗振り競技をご覧になった事、おありですか? これがとても素晴らしいのですよ。
絹の旗が翻り、飛び交い、シュルシュルとはためき、その緩急のスピードに魅せられます。

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こちらでのお祭りの時は大概付き物ですし、機会がありましたら、お勧めです!
サン・クイリコ・ドルチャで見た催しの看板に、町対抗のコンクールがある事を知りました。
見れたら素晴らしいだろう、と想像します。



コネリアーノの旗振りは大変優秀と思いますが、残念なのは、全体の人数が少ない事、
と、衣装が渋すぎる事ですね。
イタリア男にすると渋すぎますが、が、脚の線は、皆さんなかなか!!

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閃き、動くものの美に魅せられ撮りすぎ、整理に苦労するのは、いつもの事!

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コネリアーノの各地域の紹介で、今左に見えるのが我がスコミーゴ村、の旗なんですと!
知らなんだぁ、ホントかなぁ。

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ダーマのゲーム自体は簡単で、こうして生きた駒が並び、ゲームを指揮するのは子供たち。

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と、本題が余りにあっけなく、最後の旗振りにまた熱が入ります。
そうですねぇ、バトン・トワラーの感じに近いですが、風にひらめく分、力が要るかも。

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旗を飛ばすには、竿にくるくると巻きつけ、腕を逆手に振り、後ろ手に飛ばします。
かなりのスピードで飛び交い、落ちてくる時ほどけつつひゅるひゅると。美しい!!

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最後の、出演者全員のお披露目。

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正直言って、いささか不完全燃焼気味のお祭りでした。

というのも昨年の春は、アッシジでカレンディ・マッジョの素晴らしいお祭りを堪能して戻り、
我が町のこれを見ましたので、旗振りの素晴らしいのがあったとはいえ、う、う~ん・・で。

お祭りなら、弾けたいですよねぇ?!こちらをどうぞ!
      
アッシジ 春のお祭り、カレンディマッジョ ・ その前夜
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461552319.html

n.1 アッシジ ・ 春のお祭り カレンディマッジョ 2008
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462444730.html

n.2 アッシジ ・ 春のお祭り カレンディマッジョ 2008
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462444914.html

n.3 アッシジ ・ 春のお祭り カレンディマッジョ 2008
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462445362.html

n.4 アッシジ ・ 春のお祭り カレンディマッジョ 2008
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462445553.html

アスコリ・ピチェーノ ・ 夏の祭り
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029151.html

アスコリ・ピチェーノ ・ クインターナのお祭り
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029323.html

***

ブログご訪問、いつも有難うございます!
子供たちの山のキャンプに参加して、各自の名前をカタカナで書いたり、
漢字を書いたりするのを、手伝って来ました。

Samuraiの忠義 とか、仁 とか、誠 とか大書してあり、そのイタリア語の説明を
読みながら、うん、うんと納得したり、そうだっけ?とか。
自分の国の事ながら、異文化の国での説明は大変難しいと、いつもながら思いました。

少し寒くて冷えたのか、戻ってから腰痛に苦しみましたが、何とかクリア。
薬屋のドクターが、いつもながら冗談で空手に来い! と誘ってくれますが、
冗談じゃないよぉ。 昨日は、痛みで悶絶していたのだぁ。

皆さんも、体調にご注意を!!

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・ モンティッキエッロ ・ Monticchiello

今日のご案内は、オルチャの谷訪問の基地とした、ピエンツァの
東にある小さな町モンティッキエッロ・Monticchiello を。

こちらが、唯一の町の入り口!
唯一というのは、ぐるっと市壁に囲まれ他に門がないのですね。
       
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今ワン君が、新着のよそ者を見つめていて。



上の町の門をくぐると、中世のまま時が止まったかのような町。
海抜546mに位置し、坂道が続きます。
       
2-698_GF.jpg

モンティッキエッロは、教皇ピオ2世の夢の町ピエンツァから東にあり、
地図上の直線距離にすると4kmですが、実際は一旦南に向かい坂を下り、
次に北東に向けて坂道を上る、約12kほどの距離に。

ピエンツァのご案内、オルチャの谷の地図もこちらに。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461278750.html       



町はピエンツァのコムーネに含まれ、イタリア語版ウィキにもホンの数行
しかありませんが、この教会については、ちゃんと1ページあり、
聖レオナルドと聖クリストフォロ教会・
pieve dei Santi Leonardo e Cristoforo.

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13世紀のゴシック建築で、中には一連のフレスコ画と
ロレンツェッティの聖母子の絵なども。

聖クリストフォロは、中世の優しい力持ちの大男と表現され、
巨大な壁画があちこちにありますが、ここにも高さ5mのフレスコ画があると!
訪問しましたがちょうどミサの最中で引き返し、そのままになりましたが、
それがなんと黒人の神父さんだったので、正直、いささか驚きました。

近くの布の店のシニョーラが、お出で!と手招き。
店の中であれこれ見ながらお喋りしましたが、アフリカ黒人の神父も
良い人でとか、別のお客が入ってきて、親戚の誰それが
日本人と結婚している、とか・・、
中世そのものの町の中でも、やはり現代が流れているのでした。

聖クリストフォロの大壁画
       
       
こちらは、教会正面の大彫像
       
     

教会前の階段を上るシニョーラ。

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この町もやはりエトルスク起源との事で、変遷はあるもののシエナの元に長く、
フィレンツェとの戦いに於ける町の守備隊の篭城戦、惨劇、英雄伝とか、
いろいろサイトに・・。 日本の戦国時代と同じですね!

ルネッサンス風の町造りに励んだピエンツァのすぐ傍にあっても、
この町は頑固に中世のままで、
16世紀オルチャの谷の町全てがフィレンツェの元に落ちて後、
最後に、という根性を示したようです。
  


教会の横に広場があり、周囲を古い家が取り囲み、
長い歴史を語る壁が、とても良い雰囲気。

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細長い広場には井戸が2つあり、こちらは手前側。
古い石のベンチがあちこちに。
でも本当に人影がまばらで、時が停まったまま、のような。

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あちこち路地を辿るうち、教会の鐘の音が聞こえ始め、
見ると、鐘楼から鐘がはみ出して振れながら鳴っていて・・。

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町の一番高い場所に要塞が。
市壁、要塞ができ、町の形をとったのが13世紀との事。
現在は私有とかで、柵があり・・。
   
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これは要塞のある広場の前部分、市壁が終わる場所というか、
又は、近年に取り壊されたのか・・。
市壁には少し先に見える様に、物見の塔が間隔を置いて幾つか。
      
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教会前の広場に戻りますが、地面の敷石にご注目を。
家の床部分が上がったり下がったり、土地の高低に従っています。

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石壁の色も、町によって微妙に少し違う様子で、
こうして何百年も続く家に、まだしっかり人々が住んでいます。



教会前の広場から、だらだらと町の門に下る道に、
タヴェルナ・ディ・モランダ・Taverna di Moranda が。

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町の門に並んで右手にバールがあり、門を入ってすぐの左手に
バール兼トラットリア、そしてこのタヴェルナと、町には3軒の店。
バールにもトラットリアにも行き、でもここは美味しく2晩通い。

奥さんがフランス人でデザート係、いつもは食べないデザートも
しっかり頂き、美味しかった! 金曜日がお休み。

一夜隣リのテーブルでイタリア人の老夫婦、中国人の女性と
4,5歳の女の子が食事を。
この大変美しい中国人女性のイタリア人の夫君は香港出張中とかで、
老夫婦の息子夫婦か、はたまた彼女自身が養女なのか・・?

というのも、彼女のイタリア語はネイティヴで、英語とイタリア語で
チビちゃんに話しかけ、自身は中国語は出来ない言いましたが、
ハチャメチャのチビちゃんは、習いはじめとか。

老ご夫婦もゆったりと寛ぎ、話し、皆さん幸せそうで、
世の中いろいろな人間模様があるなぁ、と。
幸運を! とお互いに言い合った事でした。
     

 
この一帯あちこちにアグリトゥリズモの宿がたくさんあるようで、
夜は結構、外人客が車でこの町に食べに。
一杯(以上)飲んで、曲がりくねる坂の夜道をね・・、怖いなぁ!

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町の門を出た所に小さな駐車場があり、
その脇下は崖で、テラス式展望台が張り出していましたが、
町に滞在中、毎朝ゆるゆると坂道を下りこの農家の横を通り、
曲がりながら続く道を下って行きましたっけ。



オルチャの谷一帯の麦秋風景は既にご覧頂いたので、これを1枚だけど、。

13-750_GF.jpg

麦畑風景は、こちらで。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460855556.html  



早めに晩御飯を済ますと日没時間にちょうど良く、2晩続けて
夕暮れ時の写真に挑戦。 雲のある日と無かった日と。

向こうに見えるシルエットは、ピエンツァ。
雲の隙間から零れ落ちる光には、いつも見とれます。

14-737_GF.jpg      



低く波打つ丘を巡り、道がゆっくりと遠ざかり。
いい色に暮れていき、空の色が少しピンクに。

15-736_GF.jpg


シルエットで浮かぶピエンツァ。
今、町の光がポツポツと点りはじめ・・。

16-861_GF.jpg



落日。  緩やかな傾斜が続く丘の先端にピエンツァの町があり、
陽はもう一つ奥の丘の向こうに。

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雲のあった最初の夜の赤い夕暮れ。 細い細い三日月。

18-880_GF.jpg

この月が、2週間の旅行中に徐々に太って行きましたっけ。

ウンブリアの奥、カステルッチョで見る月は
       


オルチャの谷に点在する、あちこちの町、村に
今、灯がともり始め・・、

19-870_GF.jpg



先日ご紹介したカスティリオーネ・ドルチャ、ご案内も既に
ご覧頂きましたが、直線距離で55k!

20-877_GF.jpg

既に夜の10時を過ぎ、風もあり、崖に張り出すテラスでは
鳥肌が立つ寒さとなり。



教会脇の広場に。 上でご紹介した四角い井戸の向こう、
も一つ丸い井戸。 こんな明かり、本当に綺麗でしょう?!

21-887_GF.jpg


     
教会前の広場に集まっているシニョーラ達。
私があちこち動き写真を撮っていても、お喋りは途切れず・・。

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う~ん、教会もこちらの方が美しく見えるかなぁ?

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モンティッキエッロは、テアトロ・ポーヴェロ・貧しい劇場 と呼ぶ
自分達の歴史、かっての農民文化などからモチーフを取り上げ、
それを自分たち自身で語る、夏の演劇公演で有名なのですね。

実際に始まったのは1967年ですが、それ以前からの下地は
十分あったようで、閉塞した生活を自分達で笑い飛ばしたかった、
というのを、読んだ気がします。

で、先ほどのシニョーラ達はその稽古に集まっていた様子で、
監督?が来られて、ではと、教会の中に。

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私がこの町に来た時には、舞台作りが始まったばかりで、
トントンカンカンとやっていましたが、殆ど出来上がり、
来週から公演が始まる、という所でした。

面白いだろうとは思いますが、到底、土地の言葉には
ついていけませんからねぇ。



実際にはもう少し暗かったと。が、都会の怖い暗さとは違います。

25-896_GF.jpg

市壁の中はかなりの広さがある、と見るのですが、
中の人口は100人ちょっととか。
観光地としてはまだ成り立たず、若い人の仕事がないのかも。
  
ウンブリアのアッシジの夕暮れ、夜景はいかが?
 


今、朝日が広場に射し込み、古い車でゆっくりとお勤めに。

26-739_GF.jpg

教会前から西のこの広場のこの窓の、
素晴らしい古いお屋敷改装の宿に泊まっていました。
       
ここを基地にオルチャの谷探訪に回り、その後ウンブリアの
ヴァルネリーア渓谷に行き、カステルッチョ、
そしてマルケ州と回った旅でした。
       


最後に、朝の光の中のピエンツァを。      

27-751_GF.jpg

旅に出かけるのは嬉しく、素晴らしい風景、あれこれ新しい物に
出会えるのも嬉しく楽しいですが、
予定が済んで、家に帰れるのも嬉しい! ははは。
       
は~い、お疲れ様でしたぁ!!


◆*◆*◆
  
ブログ訪問、いつも有難うございます!

あちこちのご紹介をしながら、ここの関連記事は・・、と
自分の古い記事を探し、見直します。
写真も特別に良くはなく、ご案内も不満足の時もありますが、
それでも、ああそうだった、と懐かしく思い出します。
ご質問などありましたら、ご遠慮なく!
       
この週末、フリウリ・ドロミーティでの子供たちのキャンプに、
日本人なるものを見せに(!)参加してきます。
キャンプのテーマが、Samurai なのですと!
様子はまたご報告を。

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・ サンタンティモ修道院 ・ Abbazia di Sant'Antimo 

今日のご案内は、中世初期からの由緒ある大修道院、
サンタンティモ修道院・Abazia di Sant'Antimoです。
      
1200年ほどの歴史を持ち、修復復興を経た現在、
単なる観光史跡ではなく、精神的な安らぎを求める人々や
若い人達も多く訪れる、素晴らしい修道院となっています。
       
サンタンティモ修道院に行くには、まずこの町
カステルヌオーヴォ・デル・アバーテ・Castelnuovo dell'Abate 
まで行きますが、

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町はモンタルチーノの南約9kの位置にあり、バス便が一日数回。
そして町から修道院までは、1kほど。

これは修道院側から写したもので、今回調べましたら、
この小さな町はローマ期からの移殖があり、
修道院の発展とともに町も繁栄した歴史を持つようです。

カステルヌオーヴォ・デル・アバーテは、海抜385m。
町の入り口でサンタンティモ修道院への道が分かれます。



やはり大変に美しい姿! ああ、来て良かったぁ!という感慨は、
中世の巡礼たちと大差が無いのではないかと・・。

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駐車場の脇にあった、内部の様子も見える俯瞰図とでも。

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現在残っているのは、この教会部分と翼部分、
真ん中部分は、かっての中庭回廊部分で井戸があります。

中庭を取り囲むように、以前は建物群、巡礼のための病院、
宿泊所、倉庫などがあり、その基石部分が残っていて、
現在は中庭をはさんだ位置に、かっての食堂の建物が残ります。



これは教会正面の、つまり西側にある庭園のオリーヴの樹。
凄いでしょう?! 千年ほどを経ているとか!

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正面入り口。 肉眼では奥まで見通せ、ピッと心が引き締まる
それは素晴らしい第一印象!

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が、カメラではこの位置からこの明暗の差では、無理。(腕?)
おまけに正面全部が修復のため覆われ、内部撮影も禁止。
買って戻った絵葉書と、ガイドブックの写真でご案内を。



入り口左脇の上部。
真ん中の可愛いお尻は兎ちゃんで、その右は、ライオンかな?

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右脇部分にはいかにも中世の怪奇的な顔があり、嬉しく!
同じ顔をサン・クイリコ・ドルチャのサンタ・マリーア・アッスンタ教会の
入り口でも見ましたっけ。

サン・クイリコ・ドルチャのご案内は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461279240.html       


こちらは、入り口の左脇円柱の上。
覆われてはいるのですが、訪れる人々へのサーヴィスで
こうして透けて見えます!

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ガイドブックからの写真でご覧頂くとこんな様子で、
皆さん、何の動物と思われますか? 犬でしょうかね?
手というか足というか、かなり頑丈そう。に、この融通無碍なる発想!!

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この扉は教会の中庭に面した部分にある10世紀のものと。
見てない! 修復が済んだ頃に出直しだぁ!
ロンゴバルドの柄ですね。

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教会内で売っていた、当修道院発行のガイドブックを買って
戻りましたが、通常の解説とは少し違う、修道院設立の由来が。

一般には、シャルル・マーニュ(カール大帝)が創設した、との説明
ですが、彼は確かに修道院発展の元とはなった様子ですが、

それ以前にロンゴバルドの王が、770年頃べネデット派の修道僧に、
以前からあった聖アンティモの礼拝堂の場所に
修道院建設を許し、この近辺の領土管理も任せた様子。

実際ロンゴバルドの王たちは、修道院をローマへの巡礼、
また自身の使者用の休憩、食事、宿として利用し、
約30k毎に、新しく建設もした様子。
という事で、このロンゴバルドの柄が残っているのも納得。

ロンゴバルド・Longobardoについても、カール大帝についても
わずかな知識のみで、ご案内に泥縄で必死にお勉強を! ははは。
で、要約して 修道院の成り立ちと変遷を。

ロンゴバルド族はカール大帝に滅ぼされますが、
自分の舅だったとか! 日本の講談みたい!!

彼は781年ローマからの戻りに、この近くで連隊もろともペストに
襲われたのを、この修道院で平癒を願い、叶ったのを感謝し
このサンタンティモ修道院を建設、と言うのが通説です。

逸話の真偽はともかく、建設中であった修道院に立ち寄り、
印形を与えた様子。

    

この写真のサインは、カール大帝の後継息子
ルドヴィーコ・イル・ピオ・Ludvico il Pioが、814年12月29日、
修道院に、特権と恩恵を与えた公文書のサインだそう。

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これで皇帝の修道院というお墨付きとなり
修道院は繁栄の道をたどったと。



内部は細身の一廊式、高さ20m。  入り口から最初に
一瞥した時、引き締まる思いに打たれた、射し込む光。

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木彫彩色の十字架像も、無名作家とはいえ荘厳なイメージで、
傑作と思います。
       
修道院の繁栄は12世紀に頂点に達し、所有し管理するものが
96の城、土地、85の修道院、教会に及んだと。
       


そしてやはり12世紀に、一伯爵の莫大な遺産寄贈により
現在のこの大きさの教会に改修されます。
後陣部分が、2重になっているのですが、

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上記の後陣部分については、12世紀の大改修以前は
現在の内陣の幅で、長さも短かった様子。
つまりこの写真でご覧頂くように、最初の教会の外側に
一回り大きな教会が出来上がった事になります。

そしてこの後陣部分の膨らんだ部分は、巡礼達の拝礼のための
巡回通路とされたのですね。
この形は当時のスペインのサンティアーゴ・デ・コンポステーラへの
巡礼道等に見られる独特な形で、トスカーナでは唯一の、
イタリア内でも、大変珍しい形だそう。

この写真でもお分かりの様に、光の入り方が独特で、
素直に、神秘的感情に打たれます。
当時の教会建築の棟梁たちの技術に感嘆!

イギリスのカンタベリーから、ローマへの大巡礼道、また
一大通商街道でもあったヴィア・フランチージェナから
この修道院は少し外れてはいますが、

それでも巡礼達にとって大目標の、大修道院であった事でしょう。
内部のすべての円柱の柱頭には、中世を髣髴とさせる
神話的な動物像や植物柄が密に彫り込まれた素晴らしいもの。

ヴィア・フランチージェナについては
           


多分、ここは地下のクリプタと思いますが、身廊の階上にある
婦人用の参拝回廊(かっての!)と共に、一般公開はないとの事。

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目を引いたのはこの頭巾で、ウンブリアのノルチャに行った時、
べネデット派の黒頭巾姿を始めて見て、ギョッとした思い出が
ありますが、それを思い出しました。

ガイドブックには、白だけでなく黒頭巾の写真もあり、
現在の修道院が何派に属するのか、調べまわりました。
キリスト教の素養もないので、確言できませんが、
べネデット派の流れも汲む、聖アゴスティーノの教えを基礎として
守る会派の様子。

聖べネデットの生地でもあるノルチャは
       


グレゴリオ聖歌は既に5~7世紀にミサの音楽として歌われていて、
8世紀には、ほぼヨーロッパ中の教会で!

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この修道院でも常にラテン語で歌われ、実際に聞くと鳥肌が
立つほど素晴らしいそうで、何度も録音収録され、
CDが売店で買えるそうですが、気が付かなかった!



中庭をはさみ、教会に向かい合う建物。 かっての食堂ですが、
現在は修道士たちの住居、食堂の様子。

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12世紀に繁栄の頂点を迎えた修道院ですが、
13世紀にモンタルチーノ、シエナの権力に屈し、かっての5分の1程の
所有領となり、15世紀にはピエンツァの司教領下に。

寂れたまま放置され、19世紀の半ばの修道院には小作人が住み着き、
中庭には家畜が、地下のクリプタはカンティーナ・ワイン倉、
教会内には農具が収納されていたとか!

この時期に至り漸くに修復が始まり、1970年代には
F.ゼッフィレッリの映画、聖フランチェスコを描いた
「ブラザー・サン・シスター・ムーン」の幾つかのシーンもここで撮影。
      
修復が始まって100年後の1989年、フランス人神父3人が
新しい共同体の下、ここでの生活、活動を始め、現在に至ると。

朝の5時15分の起床に始まり、一日に何回ものミサという
完璧な修道士の生活が営まれ、今は8人の修道士がおられると。

修道院生活については、ルネッサンスのセレブたちの
「サン・べネデット修道院」に cucciolaさんが詳細に。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/764907.html
かってのべネデット派の修道院が如何に大きく、勢力を持っていたか、
   
    

4世紀に、最初にここに聖人の礼拝所が出来た時、
近くにローマ期のヴィッラがあり、このコルヌコピア・豊穣の角の彫刻は
そこから移された物だろうとの事で、現在教会の外壁に。
つまりかっぱらって来ての再利用ですね、ははは。

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教会の外壁には、いろいろな動物が。 これは馬かな?

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鐘楼も最初は教会から離れていたのが、大増設の際に
教会外壁に食い込む形になっていますが、

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鐘楼の壁にある、これは何でしょう? 人間の顔、角、翼、
そして尻尾が割れていて、ご存知の方、お教えを!



後陣から放射線状に3つの礼拝堂が、半球状に突出する形で、
その外壁には、軒下にこうしていろいろな柄と動物たちが。
これは雄牛ですねぇ。

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こういうのに出会うと、もう嬉しくて!
長~い舌を出して、あっかんべぇ。 ははは。
中世に於いては、動物と人間の距離が大変近かったような!

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鐘楼の壁の聖母子。
玉座に座り、聖人も天使もいますが、なんとも素朴。

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修道院では青年のスカウト活動も援助し、子供や家族への
精神的な支え、手引きにも積極的に活動との事。

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教会は朝の6時から21時まで開き、拝観は無料。



教会の正面を。

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サンタンティモ修道院のサイトは、http://www.antimo.it
  
モンタルチーノからのバスの時間は大変不規則の様で、
最近調べた時も良く分からなかった事をここにお知らせを。

◆追記
ブオンコンヴェントからモンタルチーノにバスがあり、
モンタルチーノからカステルヌオーヴォ・アバーテ迄も連絡がある様子。
詳しくは、moovit というサイトで、出発場所を打ち込むと、
その都度の詳しい時間が分かります。
moovit

       

上の写真に見える背後の葡萄畑を、緑色の季節でどうぞ!

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サンタンティモ修道院のご紹介は、実は少しためらって居りました。
地味すぎて、皆さん退屈されないかなぁと。

ただ、歴史ある素晴らしい修道院ですので
単に美しさのご紹介だけでなく、頑張って、きちっとした物を、と。

更に、修復に長い年月をかけながらも生かし、保存維持する
イタリアの、人、国の姿勢も示していると思ったのです。
上手くお伝えできましたように願います。

      
まぁ難しい事はともかく、お近くに行かれたら
実際に、中世からの空気を感じに、是非お寄りになって下さいね。
素晴らしい事、請け合います!!


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