・ カスティリオーネ・ドルチャ ・ Castiglione d'Orcia 

今日はカスティリオーネ・ドルチャ・Castiglione d'Orciaのご案内を。

町は海抜540mの丘の上にあり、写真右に要塞が見えますが、
要塞側はロッカ・ディ・オルチャ・Rocca di Orciaとなり
違うコムーネなのですが、今回は同じにご案内です。
       
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中ほどの右端に見える、糸杉の並ぶ曲がりくねった道を行きます。



こちらはオルチャの谷訪問の宿とした、ピエンツァの東に位置する
モンティッキエッロ・Monticchielloからの夜景。

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地図上で計算すると、直線距離で55K、ン?! 驚き。

いくら望遠で撮ったにしろ、写真をカットしたとはいえ、
如何に空気が澄んでいるか!
肉眼でも見えたから写したので、ああ、オルチャの谷!!



オルチャの谷の地図をどうぞ。
カスティリオーネ・ドルチャは真ん中下に見え、

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その西の数字1は、次回ご紹介予定の
サンタンティモ修道院・abbazia di Sant'Antimo
北西に、モンタルチーノ・Montalcino
       
カスティリオーネ・ドルチャとの間に見える3は
バーニョ・ヴィニョーニ・Bagno Vignoni
       
サン・クイリコから東に ピエンツァ・Pienza
       
さらに東に モンテプルチャーノ・Montepulciano
       
そのちょうど中間の2は、今回の最後にご案内予定の
モンティッキエッロ・Monticchiello

この地図よりももっと南、オルチャの谷の端に
ラディコーファニ・Radicofani

地図の真ん中をほぼ東西に流れるのがオルチャ川で、南西に行き
オンブローニ川に合流し、さらに西に。
グロッセート・Grossetoの町でティレーニア海に注ぎますが、
残念、こちら側はまだ行った事がありません!



これが55Kの距離からも見えた要塞で、確かにこの一帯を
移動していてもいつも目印になります。

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なぜこんな頑丈な要塞が、というのは地図をご覧になると
すぐお分かりの通り、オルチャの谷を通る中世からのカッシア街道と
ヴィア・フランチージェナと呼ぶローマへの巡礼道が交わり、
西の海岸側への街道との交差要所だったのですね。

で、テンテンナノ・Tentennano要塞と、またはティンティンナノ・
Tintinnano と大変に響きの良い名を持っています。
       
オルチャの谷の南を見張リ続けたラディコーファニの要塞同様、
12~13世紀に造られたようですが、
歴史のさまざまな変遷を経て、町は16世紀にフィレンツェの下に。
と同時に要塞の価値を失います。

写真でご覧のように、上に人影が見える通り公園でもあり、
上れるのですね。
何とかの高上がりのshinkaiですが、さすがこの時は暑さにめげ・・。

ヴィア・フランチージェナについては
       


細く伸びる町の、細長い広場、ピアッツァ・ウニタ・イタリアーナ・
イタリア統一広場。
そうなのです、町の北にテンテンナノ要塞があり、
そして南端に別の古い城跡があるのです!

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美味しく食べれそうなレストランを求め、あの坂道を辿ります。
野良猫ちゃんの気持ちが良く分かる・・shinkai、ははは。
暑かったぁ!!



この広場がお目当てで、この町に来たのですね。
イル・ヴェッキエッタ広場・婆ちゃん広場。

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この町生まれでシエナで活躍した、15世紀の画家、彫刻家、
金細工師、建築家のロレンツォ・ディ・ピエトロ・Lorenzo di Pietro
(1412~1480)勿論男性で、そのニックネームが「婆ちゃん」。
なぜそう呼ばれたのか、探しましたが空振り。

悪口ではなく親しみが感じられますから、多分、彼の容姿から?
まぁ、イタリア人はこの手の事は軽く言いますしね・・、はい。

それにしても周囲の家、広場の舗装、
すべて石、石、石で、おまけに大変な傾斜地!

◆ 追記を ◆
ロレンツォ・ディ・ピエトロがなぜ「婆ちゃん」というニックネームだったか、
が漸くに分かりました。

http://www.italiashiho.site/article/454594533.html
に記載しましたが、彼が描いた絵から注文主の枢機卿が大変喜び、
聖人や枢機卿の顔の頬に入れた深い皺から「まるでお婆さんの様だ」
という事から、その名が付いた様子。

と、もう一点。
このカスティリオーネ・ドルチャが彼の生地であるという点についてですが、
1970年にカルロ・デル・ブラーボ・Carlo del Bravoという歴史家が、
ロレンツォ・ディ・ピエトロが1412年にシエナ生まれという
記録を見つけたそうで、上記した様にこの町が生地ではありません。
   
この発見をされたカルロ・デル・ブラーボという方は、フィレンツェ大の教授、
美術の歴史家で、2017年8月3日に亡くなられたそう。
       
      

広場の中央にある井戸には、1618年の年号が。

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さぞや深い井戸でしょうが、これが出来る迄の水の確保はどのように?
女性たちの苦労が偲ばれますね。



あの洗濯物が気になるのですが、町の高さを見て頂こうと、
家の隙間から平野の見えるのを。

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家が低く、まさにこの一帯は古いままで、
トスカーナというよりもウンブリアの奥のイメージですね。



広場の南を占める現在の市役所。
かっての教会だったそうで小さな鐘楼つき。 それにしても大変な傾斜!

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壁に3枚の石碑が見えますね。
これが大変歴史ある興味深いもので・・、


1881年3月7日 の日付
この町で生まれた、ロレンツォ・ディ・ピエトロ
婆ちゃん と呼ばれた
金細工師、画家、彫刻家、軍の建築家 を記念して
という1枚目。

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シエナの現在は博物館の元病院のサンタ・マリーア・デッラ・スカーラ、
そしてドゥオーモにも一連のフレスコ画が残り、ドナテッロ風の
ドラマティックな彫刻、ドゥオーモの大聖遺物入れも、彼の作品と。

こういったいわば大作家の名も、この町に行く事で知ります。
皆さんにあちこちご紹介していますが、私自身がたくさん知ります。 
まさにブログは、他人のためならず!  ははは。



1860年3月15日 午後11時55分
(詳細は省きますが) フィレンツェの破毀院に於て       
イタリア王国建設に賛成か否かの住民投票の結果
圧倒的多数で賛成を決定した
      
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というもので、翌年、イタリア王国が建国の運びとなります。
 
が、この住民投票もイタリア中部のみで、ローマは未だ教皇領、
北イタリアはオーストリアの下、という状態でしたが、
     
さながら実況中継のような、票数も明示の、
まさにイタリア王国建設にかける熱狂ぶりが伝わる記念碑です。

ちょうど我が国日本も、1868年明治に改元
1860年には、勝海舟が咸臨丸でアメリカに、という年代で、
洋の東西を問わず、時代の大きなうねりは一致すると言いますが、
まさに、熱い熱い年代だったのですねぇ。



こちらが3枚目。
2004年に、オルチャの谷がユネスコの世界遺産に認定された
記念碑ですが、

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一番若い記念碑が、既に読みにくいような薄い彫りで、
古い方がしっかり読める、という
土地の人の熱気の違いかなぁ?!  ははは。



最初の広場の写真で、広場の右奥に見える家の窓の下に
黒い標識がありますが、見えるかな? Trattoria → で
角を曲がった所にこのトラットリア。

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通常レストランのご紹介はしませんが、ここは簡素ながら美味しく、
ご主人のアイディアも素晴らしかったので。

Il Cassero ・イル・カッゼーロ 
Tel 0577-888950 火曜日お休み
あの辺りにお出かけの時は、どうぞ。

奥さんは文化省のお手伝いで日本に行かれたとか。
料理を待つ間に見せてくれた写真集で、
訪ねたかったヴィタレータの礼拝堂の位置も、見当が付き。

ヴィタレータの礼拝堂
      


この一帯の旧い家並みの続く坂道を行ったり来たり。
素朴な石造り、軒が低く、煙突が多く、冬は寒いのでしょうねぇ。

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素敵な一郭でしょう?階段周りも素晴らしいですが、
入り口が2つあり下にも入り口で、家の番号札は3枚、つまり3軒分。 
       
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はい、家が狭いのは何も日本だけではないのです!

ウンブリアの、ヴァッロ・ディ・ネーラもどうぞ!
       


細い小路を抜けて行き、殆ど南端の城跡の下、
可愛い2軒のお家の入り口。

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小さな古い家並みの向こう、オルチャの谷が広がります。

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町の南はずれに、小さな古い聖ステーファノと聖デーニャ教会・
piave dei Santi Stefano e Degna
度重なる修復で、正面入り口の上のみに中世の面影が。
       
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内部にあった、「婆ちゃん」の作品や、ロレンツェッティ、
シモーネ・マルティーニなど、モンタルチーノや近くの美術館に
収蔵との事でしたが、時間が合わず・・。



上でご覧頂いた、イタリア統一広場の端にある泉。
とにかく暑い日で、のそのそと上った道をゆっくりと下り・・。

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町の一番東はずれにある、素朴なロマネスク様式の教会
サンタ マリーア・マッダレーナ・Santa Maria Maddalena
小さい、アーチ式鐘楼があり。

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今こうしてみると教会の扉が開いていますが、中は・・。 ああ!

夏は、もう駄目! この夏はひっそりとプールのみで過ごしますぅ!!


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・ 特報 DOLOMITI ・ ドロミーティ、 世界遺産に

この26日の夜のニュースで、ドロミティ山系が
ユネスコの世界遺産に認定と。 
イェ~~イ!! ヴェネトに住む人間として、とても嬉しい事!!
 
まずはご挨拶に、手持ちの雑誌から。
こういう写真は自分では撮れませんものね。

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ラヴァレードのトゥレ・チーメ・Tre Cime di Lavaredo

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ラヴァレードのトゥレ・チーメ、ジョヴァンニの写真で。


コルティナ・ダンペッツォもどうぞ。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460884463.html
      


セッラ峠・Il passo Sella

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おいでませぇ、ユネスコ世界遺産のドロミテに!!


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・n.2 トゥレヴィーゾ ・ Treviso

トゥレヴィーゾご案内2回目、中心街の様子と、少し東にあるかっての教会、
現在は市の博物館となり、トンマーゾ・ダ・モデナの壁画修復が進む
サンタ・キアーラ博物館 などのご紹介を。 写真は先月中旬。
街の地図は、先回の最後にありますので、ご覧下さいね。 
      
先回の最初のシーレ川の、駅前のサン・マルティーノ橋の手前の道を
今回は川に沿って東に。
       
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こちら側は街中を流れる川の表情で、大きな近代的な建物が並びます。
見える橋は、サン・マルティーノ橋からは2本目のサンタ・マルゲリータ橋で、
大概はここで橋を北に渡り、右上の建物の前を通りこの位置に。

右上の旗が3本見える建物は、元の市民病院を地元の銀行が買い取り、
パドヴァ大学、ヴェネツィア大学の幾つかの学部が置かれているとの事。
       
この辺り水鳥の溜まり場、鴨、白鳥など賑やかで、見えるのはオオバンの親子。



上の写真の東側の続き部分ですが、ダンテ橋・Ponte Dante.
北から街に流れ込み何筋もの運河となり、街をめぐるボッテニーガ川の
カニャン運河・Cagnanが、ここでシーレ川と合流。

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緑色のシーレと、少し濁ったカニャンの水色が、筋をつけるのが見えます。
が、まだ街は東に広がり、ボッテニーガ河の本流、そして運河も東を流れます。

かの大詩人ダンテの名が冠されているのは、神曲の天国編 第9章に、
「シーレとカニャンが出会う所」と詠っているのにちなみ、
19世紀半ば、生誕600年記念に命名との事。

ダンテの足跡、像にはあちこちで出会うのですが、神曲も読んだ事のない私には・・。
ですが十何代めかのご子孫が、ヴェネトはヴェローナ近郊にお住まいであると、
TVニュースで聞きましたし、他にも、かっての王族、貴族のご子孫がヴェローナに
お住まいという事も。

       
      

橋の脇にこのオステリーア(レストラン)「アル・ダンテ」があり、何年か前、
外のテントの下で食べた事があり、お値段も安かった事を覚えています。

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お味は、まぁ、オステリーア(食堂のイメージかな)ですから、そこそこだったと。
この日は閉っていましたが、健在と見えます。 

ダンテ橋の東から、北東に向かいます。
     
  

この一帯、かっては古い建物が半ば放置され暗いイメージがありましたが、
今は修復整備が進んで蘇り、明るくなりました。

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途中一度道を尋ね、無事到着。 古い街の例に倣い、道が細く曲りくねっていて、
地図を頼りにすると逆に迷います。 分かると、迷うのが可笑しい位で。
で、こちら、元のサンタ・カテリーナ教会、現在は市博物館。

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前が細長い広場になっていて、教会に並ぶ建物の、アーチの下が入り口。

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壁は、はげ落ちて寂れているのではなく、古いフレスコ画の残りなどを、ワザと
見せているのですよ。 はい、念のため!



この元教会を見たかったのは、この壁画、先回サン・ニコロ教会でご案内した
14世紀の画家トンマーゾ・ダ・モデナの「聖ウルスラ伝説」がここにあるのですね。
何年も前にこの写真を見て、ずっと憧れていましたが、やっと実現、という次第。

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内部は写真禁止、買って戻った絵葉書が良くなく、ガイドブックからご紹介です。
聖ウルスラ、イタリア語では聖オルソーラ、中世の半ば伝説の人物で、
11000人の処女(!)とともに、アッティラ王の虐殺で殉教した、という・・。
       
まぁ話の真偽はともかく、このトンマーゾの女性像に大いに惹かれ、一度見たく。



こちらは別のガイドブックからで、女性群のアップをどうぞ。
色もこちらの方が実物に近く、実際はもう少し地味な感じでしょうか。

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大変豊かな、優しい女性像でしょう? 背後の女性も潤んだような眼をしていて、
ジオットに次ぐ技量の画家、と言われますが、画面構成は弱くとも、人物描写に
関しては、ジオットよりも優れているのではないかと・・。
先回ご紹介の、サン・ニコロ教会の40人の肖像画もそれを語っている様に。
       
今この壁画群は修復中で、壁にあるまま、足場を組んで修復するのではなく、
「ストラッポ」と言いますが、3m四方ほどかな、の大きさで壁からはがし、
ここで垂直に立て、一画面ずつ修復中なのです。
目の前で修復している様子も見れ、済んだのは、舐める様に見れる、のです!
       
本来なら教会内の高い位置の壁画も、こんな近くで見れる嬉しい経験です。
 
市博物館と言いましたが、近代的な設備に整えられた、考古発掘物の展示、
ローマ期のモザイク、そして絵画館も併設です。
       


これは、博物館を出ての近くで。 古い建物を修復した店が並んでいますが、
その壁の装飾と、アーチの下の天井部分を。

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アーチの下は通行者用で、つまりポルティコで、天井部分が木の小さな格子で、
やはりちょっぴり、装飾されているのです。
壁の装飾も濃いグレイの一色ですが、逆に新鮮で、素敵な雰囲気。

で、ついでにおまけを書きますと、博物館を出て、まっすぐ前の道を行き、
「SUSI」と書いてある店を見つけ買い込み、ご一緒していたランさんの奢り、
近くの運河べりで食べましたが、行けます! 美味しかった!!
中国人の店で、イタリア語で寿司を、という経過ですが、ここは行けます!

と、これを書きつつ思い出しましたが、この店のお兄ちゃん、大変男前でした!
ええと、一昔前の男前、という感じで、分かります?
      
ええと、それとですね、ははは、中心街裏手にある魚市場・ぺスケリーアを
突っ切って東に出ると、道の向こう側の目の前に寿司屋があり、
サンタ・カテリーナに行くにも左にまっすぐ、の位置という大変嬉しい発見で!
また、行くぞぅ!!  食い物の話になると、つい力が・・!


トゥレヴィーゾには、南にシーレが流れ、北からボッテニーガが流れ込み、
何本もの運河に分かれ、と書きましたが、
最初にボッテニーガから、3本の運河に分かれます。
    
その内の1本がカニャンで一番東側で、真ん中が先回もご覧頂いたブラネッリ、
ぐるっと街の西をめぐるのがロッジャ。

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これは、カニャン運河にかかる橋、デッラ カンパーナ・della Campana.
橋の奥、建物の隙間に見えるのが、13世紀に遡るサン・フランチェスコ教会。

岸の建物の下、水面にアーチが見えますね。 一帯の建物は下駄を履いた様な
こういう形が多いのです。建物の下を運河が流れているのですね。



橋からの眺め。 ここも水量が豊かで、水鳥がいろいろ。
左からの建物の下にもやはりアーチがあり、水がくぐって行きます。

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建物群の向こうがぺスケリーア・魚市場で、中之島には屋台の魚屋が毎日店開き、
そして手前の道には、野菜果物の屋台が並びます。
古くからの庶民生活が感じられるのですが、最近は、新しいデザイン小物を
扱う店なども見かけるようになっています。



水辺に寄ると、すぅっと白鳥がやって来るのですが、こちらの白鳥君は、どこのも
ものすごく気が強くて、いつも脅迫されます。

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食う物ないのか? なら、お前を食ってやろうか?!という感じで、この時も既に
ホラ、グゥッ、グゥッと低く脅しながら、羽をもたげかけているの、見えます?



この後ろの古い家は、既にご覧頂いているので。
こちらには、穏やかなオオバンの親子。

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橋の西側に並ぶ家ですが、この左の家には両脇に水車があり、回っています。

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かってヴェネツィア共和国の元では、水車活用の農業、産業が大いに推奨され
栄えたとかで、この界隈だけでも、今も4水車を見かけます。

もちろん今は、利用はされていないのでしょうが、
水音高く溢れ、流れる豊かな水量に、なるほどなぁと思う眺めです。



橋の上から、南西の建物のポルティコ部分を。
ソットポルティコ・ディ・サン・フランチェスコと呼ばれ、レストランの席が並び。

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この辺り一帯、全世紀初頭の古い白黒写真に残る風景とまるで変わっておらず、
いや、もっと言うと、美術館に残る18世紀の絵の風景とまるで同じです。

ルイジ・バイロ市美術館・Museo Civico L.Bailoでは、18世紀の街出身の
画家メドーロ・コゲット・Medoro Coghettoの風景を多く収蔵の様ですが、
今も風景はそのままで、驚きます。



ソットポルティコ・ディ・サン・フランチェスコ、ヴェネツィアでは、
ソットポルティゴと訛る、建物の下をくぐるポルティコですね。

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このレストラン、美味しそうでした。 次回のチャンスを楽しみに!



上の写真のポルティコを抜けてくると、駐車場があり、こんな可愛いのが。

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かと思うと、こんな凄く長~いのが。 どこから、どうやってこの狭い駐車場に?! 
おまけにキャデラックに、こんな絵を描いたりして!!

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アホちゃうか?!と眺めていると、このお二人が通りかかり、やはり車を覗きこみ、
モデルをお願いして。 私らの車と違うのだけど・・、と言いつつもにこやかに!  

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西側の建物は多分市の結婚式場で、昨年春、結婚式参列と思われる人々を
見かけましたが、一人、バシッと決めたスーツの若者がいて、紫のネクタイ!
「ワォ! 紫だぁ!」 「やぁ、日本だったら、やXXですねぇ!」となり、
日本語が分からないのを幸い、大笑い!



駐車場を斜めに抜けると、このブラネッリ運河に。
そうなのです、ここでは建物2棟挟んで運河が2本、通り抜けて行くのですね。

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1920年代の白黒写真には、運河べりで女性達が跪いて洗濯をしているのが。



こちらも運河沿いのソットポルティコで、やはりレストランの席が。
はい、ここは一度。  美味しかった。

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ブラネッリ運河・Branelliの名の由来ですが、ヴェネツィアのブラーノ島の
魚商人たちがここに倉庫を構えたり、住んでいた事に由るそう。

シーレ川はヴェネツィアの干潟に、ヴェネツィアから12K程東に注ぎますから、
かってはこのシーレを利用しての船の運搬も盛んだった様子で、
ぺスケリーア・魚市場では、新鮮な海の魚が、毎日手に入ったといいます。

ブラーノ島のご案内は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461262439.html       



流れの向かいに、可愛いお家。 かって詩人が住んでいた、という碑が壁に。

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この辺りご紹介済みですが、春の、柔らかい光で。
       
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運河沿いで語らうカップル。 男がちとムサイかな? いや、なに、その・・。

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街の一番の中心ともいえるシニョーリ広場・Piazza dei Signoriに出ます。
この建物は、ロマネスク様式を19世紀に改修した、現在は県庁。

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昔1度、何かの申請で行った事があり、廊下の机に秘書が座っているのを見て、
まるで映画のシーンみたい、と思った記憶が。
この前の道を西・左に行くと、ドゥオーモに。



広場の右横に特徴ある三角形の屋根、正面壁のパラッツォ・デイ・トゥレチェント 
がありますが、以前ご覧頂いたので、その東の広場の、イタリア像を。

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イタリアは、イタリア語では女性形という事で、いつも女神像で表されます。
足元には、ヒッピー風髷のお兄さんが。

追記:イタリア像というのは間違いで、「独立の記念塔」が正解。
    お詫び申し上げ、こちらにご説明を。 2018.10.31
    http://www.italiashiho.site/archives/20170505-1.html



やはり横側から。 建物は、普段の一般公開は無いようです。

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壁にジグザグの線が見えますが、かって、爆撃の被害を受けたそうで、修復跡と。
シニョーリ広場の裏側に、15世紀の公営質屋モンテ・ディ・ピエタがあり、
希望すると、素晴らしい装飾内部が見れるとの事。 これも次のチャンスに。



ブラネッリ運河は建物の下をくぐり、シニョーリ広場のすぐ裏手を抜けて行きます。
古い小路の奥に画材店があり、その奥の水辺の古い建物には、現代彫刻も展示。

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コネリアーノの町中を走るバスにもトゥレヴィーゾ県の印が描かれ、
街を見たら、大好きになるよ! と。

そう、ヴェネツィアとはまた少し異なる、水の街の趣き、ぜひお出かけを!
トゥレヴィーゾの街のサイトはこちらに。 英語版もあります。
http://www.trevisoinfo.it/index.htm

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・ n.1 トゥレヴィーゾ ・ Treviso

ヴェネト州は7つの県に分かれ、我がコネリアーノはトゥレヴィーゾ県になり、
人口82000人程のトゥレヴィーゾが県庁所在地で、経済活動盛んで、
運河が縦横に街中を流れる大変美しく、賑やかな活気あふれる街。

ブログを始めた当初にご紹介済みですが、再挑戦!
もうちょっと深く、広く(ホンマかな?)ご案内を。

街の地図は、最後にご覧頂きますね。

トゥレヴィーゾの国鉄駅を北に出て、中心街に向けて通りを渡ると、
まず市壁沿いの堀を渡り、大きな鋼鉄の球形彫刻が右手にあり、
先に進むと、この幅の広い河・橋に出合います。

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この写真で言うと、橋右手奥にバス駅、駅が右手、街中心が左手に。
今回の写真は昨年4月上旬と中旬ですが、曇ったり晴れたりで、
空の色、街の色がずいぶん違うので、ご了解を。

「Treviso」を日本語では「トレヴィーゾ」と書き慣わすのは重々承知ですが、
そう発音するとまるで違うのですね、印象が。

ヴェネツィア・Veneziaを、ヴェネチアと書いたり、はたまたベネチアと言ったり、
ヴェニスというのは、英語ですよって、これはOKとしても、
と、ヴェローナ・Veronaを、ベローナと書けるか、の感覚の違いでしょうが、
Treviso県に住む人間として、トレヴィーゾは・・ムム。

今時Firenzeは、やはりフィレンツェと発音、お書きでしょう、皆さん?
フィレンチェ、はもはや少ないですよね。
という事で是非、ヴェネツィア、ヴェローナ、トゥレヴィーゾ、でお願い致します!



上の橋からの、シーレ川・Sileの川鳥君。 足の水かきをご覧ください!
ずっと川鵜と思い込んでいたのですが、違うのを今回知り、名前を探しました!
   
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「オオバン」という種で、この独特の足は、弁足と言うのだそうで、
目は赤茶色、あちこちで見かけます。



で今回は、この河に沿って西の風景を少し。
先程のサン・マルティーノ橋のすぐ近くに、このカヌー小屋があり、・・

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こんな風に、すぅ~っと滑って行く姿が。

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河の流れのある街の姿はどこも素晴らしいですが、橋から離れると護岸工事を
されていないので、なおの事、目に優しいですね。

このシーレ川の西はカステル・フランコ近くから、トゥレヴィーゾを通り抜け、
南東に下りヴェネツィアの干潟に流れこむ一帯はヴェネト州の自然公園です。
街を出はずれた辺りのシーレ川に沿い、一度歩いた事がありますが、
大変良い趣でした。 サイクリング道路としても、整備が整っている様子。


      

トゥレヴィーゾの街は南側をシーレが流れ、北からボッテニーガ川・Botteniga 
が流れ込み、この2本を利用した運河が街中を流れ、市壁に囲まれた外側の
堀を流れます。

街の形は東西に長い長方形で市壁に囲まれ、それも殆ど完璧に残っていますが、
ここにもその一部が。

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河沿いの道。 まだ春の寒い時期でしたが、乳母車の母子が時々通り。

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雲が切れると、とたんに水鳥たちが賑やかに。
あちこちにいろんな種類を見かけますが、こちらは、ご存知イタ鴨。

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最初の駅から来ての橋を渡り、街中に。近代的な建物に挟まり、
まだ健在な古い建物。 アーチの形から見て15世紀ぐらいでしょうか。

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たまたま車が写っていませんが、かなりの通行量です、いつもは。
そして旧市街中心は、車制限地域で、ゆっくりと歩けます。
       

トゥレヴィーゾのご紹介は既にしていますので、写真が重ならぬように、
今回はドゥオーモの側面を。

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中心のシニョーリ広場・Piazza dei Signoriから、西に続くカルマッジョーレ通り
・via Calmaggioreが、ドゥオーモ広場とを繋ぎます。




ドゥオーモの13世紀の鐘楼。

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上部が急に小さく背が低くなっていますが、ヴェネツィアのサン・マルコの鐘楼
よりも高くならないように、という配慮だったとか!



上の鐘楼の足元、カルマッジョーレ通りですが、確かこの日は日曜で、
歩行者天国の様に。

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ここに来るまでの通りの幅は狭く、両側に並ぶ店も重厚で、それもこの通りが
ローマ期のポストゥーミア街道の一部をなすと聞くと、なんとなしに納得!

ポストゥーミア街道・via Postumiaはジェノヴァから、ピアチェンツァ、ヴェローナ、
トゥレヴィーゾを通り、アクイレイアまで、約470kmの行程。

そして、アルティーノ・Altino(ヴェネツィアの北東)から北に向かう
クラウディア・アウグスタ街道が、このトゥレヴィーゾの街で交差していました。
いやぁ、ローマ人と言うのは、とりわけ大工事において本当に凄かったのですねぇ。
ホンマに、イタリア人のご先祖?!

アクイレイア、アルティーノについては、こちらを。



こちらは、サン・ジョヴァンニ洗礼堂。
右隣に並ぶドゥオーモの正面は、18世紀に改修されたネオクラッシック様式で、
違いが鮮やかです。

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洗礼堂はいつもは閉っているのが、現代彫刻の展示があり開いていたので
内部を拝見。 すっきりと典雅。

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ドゥオーモ前の石段から、広場の南を。
この建物、いつも目が行くのですが、なかなか良いでしょう?
       
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トゥレヴィーゾは中世前期、既に農業の発展、そしてヴェネト平野の中心に位置
する事から商業の繁栄が著しく、街は大いに栄えていたといいます。
後にはヴェネツィア共和国の下で400年の平和を享受した歴史を持ちますから、
その繁栄ぶりが、よく残っています。
       
で、その左隣の壁の上の紋章が、由緒正しいでしょう?
それもその筈、こちらは、・・


僧服専門店、というか、かなりお偉い方の儀式用もウィンドウに見え、
勿論、祭具もあるのでしょうが。

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これを見つつ友人と、「やはり、流行とかあるんだろうか?」
「うん、次はこういう色のこういう形、とかね」 ウム、不謹慎者は罰が当たるぞよ。
左手前には本屋さんもありますが、聖人とか、有難いお話の本がいっぱい!!



中心のシニョーリ広場の裏辺り、古い建物群が残り、ブラネッリ運河・Buranelli
が通り、魚市場の中之島・ペスケリーアがあり、古い食料品店があり・・、
大好きな一郭。

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トゥレヴィーゾの街全体、徐々に古い建物が修復されつつありますが、
古いままの外観を保ちつつ、新しい活気に満ちています。


上の写真で車が見えていた通りの、運河脇の古い建物。
フレスコ画が少し残っているのが見えますか? この街で、たくさん見かけます。

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昔むかしNHKでも放映された、ドキュメンタリーの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の番組
があり、イタリア国営放送RAIの素晴らしい作品でしたが、映像の中で
フィレンツェ、として映っていた風景、あれは、このトゥレヴィーゾだったのですよ。
       
追記:DVDを購入し改めて見ましたら、フィレンツェではなく、ミラノの背景として、
    運河が流れ、しっとりした街、として使われておりました。2018.10.31
     


細い運河の横道を入って行った所、ここの壁にもフレスコ画の装飾が少し残り。
真ん中上の出っ張りは、かっての煙突跡。 使われなくなって切られています。

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ドゥオーモから南の聖ピオ広場・San Pio X、新しい建物に挟まれた古い建物。
トゥレヴィーゾの古い建物はゴシック様式の古さで、面白い趣をかもします。

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ピオ広場からの小路で。
古い建物が洗われ、見事に修復され、素晴らしい煉瓦色。

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一度見たいものと望んでいたサン・ニコロ教会・San Nicolo`. 
余りの大きさにフレームに入りきらず・・! なにせ、ドゥオーモよりも大きいと。

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建設は14世紀初め、トゥレヴィーゾ出身のドメニコ会派の教皇ベネデット11世が
7万フィオリーニの大金を遺しての建設なんだそう。

全体と内部は、以前にご紹介を。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460906156.html
       


トンマーゾ・ダ・モデナ・Tommaso da Modenaという14世紀の、優れた画家の
フレスコ画がこの教会にありますが、当時としては、ジオットに次ぐ何人かの内に入る
技量の持ち主と。

この円柱の「聖アニェーゼ」も彼の作品で、女性像が大変優しく豊満で、好きです。
作品は、ボローニャやモデナにもあるようですが、トゥレヴィーゾに傑作が多く残ります。
彼の描く女性像を、次回ご覧頂きますね。

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こちらは巨大な壁画で、肩に子供を乗せた中世の優しい大男、聖クリストフォロ。

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内陣脇にある、アゴスティーノ・オニーゴの墓碑。

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素晴らしい墓碑でもありますが、有名なのは背後のフレスコ画がロレンツォ・ロット作
というのですが、疑わしいという説も聞きました。



こちらは聖具室にある壁画。 つい近年発見されたそうで、色が大変に鮮やか。

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右の建物は、現在もシニョーリ広場にある14世紀の建物の形を映し、
おまけに、窓に見える女性は糸を紡いでいる、
つまり当時、トゥレヴィーゾで紡織が盛んであった事を語っているのだそう。



教会に隣接して神学校があり、その一室に、カピートロの部屋・
sala dei Capitoloと呼ばれる部屋があり、ここにトンマーゾ・ダ・モデナが
描いた40人のドメニコ会派の僧の肖像画があります。

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これは、大変に密度の高いフレスコ画で、法王冠を戴く者、司教帽の者、
一介の学僧、老いている者、そうでもない者、 40人すべての人物の名が
特定でき、そしてそれぞれが各人の癖を伝えているそうで、
トンマーゾは人物像を描くのに、その伝える所をよくよく聞き、まさに
写真肖像的に描いた様子です。

左側3人並びの一番右、少し分かり難いですが、この方、眼鏡をかけています。
眼鏡の人物が描かれた最初、と言われ、は、ウーゴ・ディ・プロヴェンツァ、
フランス人の様ですね。

昨年夏、ファブリアーノの紙の博物館を見学した時、15,6世紀の眼鏡を
見たことを思い出しました。 こちらに。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029550.html

「カピートロの部屋」というのは、この部屋で集会の前に聖書の1章(カピートロ)を
読み上げたから、に由来との事。
この部屋の見物は教会からでなく、南隣の神学校の入り口から、どうぞ



教会と、お隣の神学校の間にはこの回廊庭園が。
この4月上旬、白い桜でしたっけ、そして木蓮も咲き染め、清々しいお庭でした。

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トゥレヴィーゾの街は商業の中心だけでなく、学校もたくさんあり、若者の姿も
大変多く、その意味でも活気に溢れます。 バス待ちの高校生。

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街の地図をどうぞ。
地図の一番下の中央、赤丸2つの位置に国鉄駅があり、橋を渡り、Via Roma
を行き、Sile川に出ます。
この赤丸が、今回の最初の写真のサン・マルティーノ橋。
   
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横線を付けた部分、左半分ほどが今日ご紹介した部分で、
右に見えるSanta Caterina・サンタ・カテリーナ辺りは次回にご案内を。

ヴェネツィアからは北に約30分、30km程。
観光客向けの街ではない、地元の活気に満ち、そして見所の多いトゥレヴィーゾ。
ヴェネツィアにお出での時はちょっと脚を延ばし、是非どうぞ!! 


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・ べッルーノ再訪 ・ アルプス兵と、古いボルゴと 

先月中旬、久しぶりにべッルーノ・Bellunoに出かけるチャンスがありました。
町の中心は以前ご紹介していますので、写真がダブらぬよう気を付け、

今回はアルプス兵に縁のあるこの町の様子、そしてボルゴ・ピアーヴェ・
Borgo Piaveと呼ばれる歴史ある下町を中心にご覧下さいね。ではどうぞ!

我がコネリアーノから約50k北にあるベッルーノに、ディーゼル・カーは
山の隙間を抜け、峠を越え、ゆるゆると1時間近くかけて到着です。
ヴェネツィアからだと、約1時間半から2時間でしょうか。

山にはまだこんなに雪が、そして、如何にも空気が清澄です!

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往きの列車内、前の席にこのシニョーレを見かけ、撮らせて貰いました。
実はこの前日に、ローマ近くのラティーナ・Latinaで毎年恒例のアルプス兵の
集会があったのをTVで見たので、その戻りの方とすぐ分かったのですね。

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少し見えにくいのですが、黒い羽根が1本帽子に。 イタリアのオーストリアからの
独立に大奮闘したアルプス兵の帽子で、彼は83歳だそうですが、矍鑠たるもの。



帽子の正面に見えたバッチは、ロシアの村との交流を物語り、
(映画、ひまわり のロシアのイタリア兵を思い出しますね)

この2つのバッチの左は彼の連隊の記章で、右は、ドイツで収容所に
入れられていた印だそう。

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それを聞いた時は何も言えず、ただ、彼の手を握りましたが、
「そうですか、日本人ですか」との言葉にも、彼が何を思いだしたのか、
良く分かりました。 ええ、日・独・伊の3国連盟です。



べッルーノの駅前広場。 陽射しは強いのですが、本当に爽やか!
まさに、アルプスの麓の空気です。

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べッルーノの大筋の写真と地図はこちらに。 まず、覗いて見て下さいね。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461664224.html



駅前広場の東側が公園になっていて、
朝食中の鳩君やら、既に一服中の皆さんやら・・。

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公園の一角に、アルプス兵への記念碑が。

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右下には、イタリア砲兵隊の
  祖国のために、静かなる犠牲を一緒に捧げた
  ラバと輜重兵の記憶に。
足元の部分には、
  何も要求することなく、たくさん与えてくれた彼らに。
そして、将軍の名前が。
       
べッルーノの奥、ドロミテ山系には、今なお彼らの戦場だったたくさんの塹壕が。



道の向こう、バス停の一団。 ここにもアルプス兵の帽子が見え、
奥さんともども、集会に参加してのお戻りでしょう。

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この集会は、毎年イタリア各地で場所を変えて開催され、イタリアのみならず
全世界から、退役、現役が何万人も集まり、大行進をするのですね!



駅前から歩いて5分もかからずに、大きな広場、公園にもなっている
マルティリ広場に出ますが、

これは、広場の北側のマッテオッティ通り・via Matteottiの東半分で、
中央の白い3つのアーチは、サン・ロッコ教会。
ヴェローナのブラ広場のイメージに、ちょっと似ています。

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マルティリ広場・dei Martiriの東端に市の劇場があり、
古い建物が両脇に続くローマ通りになります。

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冬は零下の日が続き、雪も多いそうで、古い建物の窓は2重になっています。



ローマ通りの突き当たりにあるサント・ステーファノ教会前。 由緒ある美しい教会
ですが、既にご覧頂いているので、今日はこの微笑ましい母子の姿を。

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市の劇場・テアトロ・コムナーレの脇の市門ポルタ・ドイオーナ・porta Doiona
をくぐり進むと、メルカート広場・piazza Mercato.

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野菜、果物の屋台が並びますが、白と緑のアスパラガスを、春の色と香り!



道なりに行くとドゥオーモ広場に出ますが、これはドゥオーモの鐘楼が見えた所。

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真ん中に見える、クリーム色のアーチの建物が市博物館で、今回見学を。



ドゥオーモ広場の北側を占めるレットーリ宮・Rettori、現在は県庁ですが、
いつも、このテラスの彫り込みの美しさに見惚れます。

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まだご覧頂いていない、広場の泉の真ん中に立つ、べッルーノの2聖人の一人、
聖ジョアタ・Gioatàで、15世紀の中頃からここに!

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もう一人の町の守護聖人は、マントを分け与えた事で有名なサン・マルティーノ。



ドゥオーモ広場の南西角にドゥオーモがあり、東側にはかってのヴェスコヴィ宮、
現在の音楽堂(写真、左側に切れている建物)があり、
壁にMUSEO CIVICOの赤い垂れ幕のあるのが市博物館。
       
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絵画よりも、考古学的な物、木彫作品、装飾品などが多いですが、
建物自体大きくないのが幸いし!、ティントレットの大作等もすぐ目の前に!

追記:サイトを確かめていて、現在かっての市博物館は考古学関係の博物館に
    なっており、新しい博物館はパラッツォ・フルチス・Palazzo Fulcisで、
    市博物館のコレクションがこちらにあるそう。
    住所はVia Rialto 2 で、マルティリ広場から東に行った所。2018.12.30
    サイトは https://mubel.comune.belluno.it/Musei/Palazzo-Fulcis

現在の考古学博物館サイトは こちら。
https://mubel.comune.belluno.it/Musei/Palazzo-dei-Giuristi-Museo-Archeologico



これ、分かりますよね? 町中のマルティリ広場脇の歩道で見つけた
大きなアンモナイト! 他にも見つけ、驚きとちょっとした感動。

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アンモナイトの石が、ヴェローナのアレーナの階段席にも使われていましたっけ。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417582.html
 


お昼を食べたレストランの、テラス席からの眺め。真ん中に見える白い太いのが、
ピアーヴェ河・Piaveで、蛇行している道が、南からの国道が町に入ってくる道。
橋を渡ってすぐの、町の下に広い駐車場があります。
   
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少し霞んで残念ですが、大変素敵な眺めで、お昼も美味しかった!



もう一度メルカート広場まで戻り、町の東側を南に下る道 
サン・ピエトロ通り・via S.Pietroを行きます。
     
べッルーノの町の歴史は古いものの、15世紀にヴェネツィア共和国の下に
入って後の繁栄で、現存の建物は殆どヴェネツィア風で、
はい、ここにもサン・マルコのライオン君が。

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中心の通りに比べ、鄙びてのんびりした通りの脇に、こんな泉が大樹の下に。
吹き抜ける風も、青葉の色。

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写真だけご覧になると、きっとどなたもが、ヴェネツィア!と思われるでしょう?!

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お気付きですか? 街灯の白いガラスカバーも、壁から突き出す鉄の支えも、
ヴェネツィアと同じなのを?!
何年か前に来た時に比べ修復が進み、かっての廃れたイメージが一掃され、
古い建物の素朴な美しさが蘇りました。



細長く南に突出す町の南東の端に、市門ポルタ・ルーゴ・porta Rugoがあり、
2重の門の内側、堅固で素朴な門構え。

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これが外に出ての様子。 ここから下って行くとボルゴ・ピアーヴェ・Borgo Piave、
ピアーヴェ川の港であった、古い一郭に出ます。

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この門はかなり改築されている様子ですが、内側には14世紀末にこの町を一時
支配したヴィスコンティ家の紋章もあるそう・・。



町は南に向かって傾斜し、川の蛇行部に突出した断層の上に位置しますが、
それより一段下河床の高さに、ボルゴ・ピアーヴェがあります。

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真ん中に見える鐘楼の先は、サン・ニコロ教会。



ボルゴ・ピアーヴェは、ピアーヴェ村とでも訳せましょうか。
一帯の建物は古く、小路も細く、如何にも下町のイメージが彷彿と。

この建物も現在はスーパーなのですが、なんともレトロで瀟洒というか・・。

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細い小路も美しく修復され。

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ピアーヴェ川の港は12世紀頃から存在した様で、この一帯のモミの木を切り出し、
筏に組み、ピアーヴェ川を下り、ヴェネツィアにまで運んだのでした。
筏・ザッテレ・zattereという、ヴェネツィアのS.M.デッラ・サルーテ聖堂南に
その名が残ります。



どこと言って変哲がないのですが、懐かしいイメージが沸きません?

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ちょろちょろと、絶え間なく水が溢れ、ブリキのバケツには緑の苔も・・!

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中庭の猫の姿が見えますか? なんと、5匹ほども居たのですが、いずれ・・。

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上の写真の建物ですが、かっては全面フレスコ画で埋められていた様子。
今、軒下部分のみ残り、稚拙で迫力があり、・・でも私めには意味不明!

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川向こうに見える建物。 今は緑に埋もれていますが、
寒い土地の建物特有で、部屋暖房の煙突が多いですね。

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いつの時代にか、落ちた橋の跡。

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ガイドブックを見てもグーグルの地図にも、べッルーノの町に渡る橋は、南には
1本しか出ず!レストランから見えた新しい橋も、この橋も名無しの権兵衛。
サイトで、ボルゴ・ピアーヴェを探しましたが、不動産関係のみで、
全体にべッルーノの情報は不足気味。



修復なったボルゴ・ピアーヴェの眺めを、これは上の落ちた橋の上から。

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隙間の土地は家庭菜園で、これも如何にも下町らしく。



レストランのテラス席から見えた、町の下の駐車場から。
そうなのです、この見上げる高さに町があります。
       
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で、現在はこの駐車場に車を止め、長い長い3度に分かれる急傾斜の
エスカレーターで、ドゥオーモ広場に直接行け、町中は車も少なく、という訳。



ドゥオーモ広場脇から、ピアーヴェ川の流れを。

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この冬の大雪のせいか、いつになく水量が多く、筏でヴェネツィアまで、
というのも素直に頷けます。
       
この写真を見ながら、滔々たるミンチョ河の流れを、美しいボルゲットの村を、
見て頂きたくなりました。こちらを、ぜひどうぞ!
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417373.html

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・ アーゾロ ・ 中世の要塞と、花嫁と

今日のご案内は、ヴェネツィアの奥座敷とも称さ、文化人に愛される典雅な町、
アーゾロ・Asoloです。

既に何度もご案内済ですが、まだご覧頂いてない場所の写真もあるのです!
町の小高い山の上にそびえる中世の要塞内部と、偶然出会った結婚式の、
可愛らしい美人の花嫁さん、です。 ごゆっくりどうぞ!

アーゾロのご紹介は、1年前にも早春の緑を。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456425.html      

大変素敵な小さな町で何度も行き、ブログを始めた当初にも続けてご紹介して
いますので、同じ場所、同じモチーフの写真が重ならぬよう、大いに自重し・・。
ですが、2,3枚はご勘弁くださいね!
      
これは、町の入り口にある昨年の修復から復帰、再度お目見えのゼンの泉・
フォンタニーナ・ゼン。 泉の前にあった石の車除けが、金属に!

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中心のガリバルディ広場に続く、ロバート・ブラウニング通り。
この写真は昨年6月上旬に行った時の物で、骨董市が開かれており、
この町では初めて見る人出で、飾り付けも賑やかでした。

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今回行ったのは4月25日、イタリアは第2次大戦の解放記念日の祭日で、
大変な快晴で暑いほどでした。
手前右はドゥオーモの鐘楼、真ん中の四角い塔が、お城の塔。

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中世からの狭いアーチの道が続き、高級品を扱う店が並びます。
町の雰囲気も華やか。

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深い軒下の影の中、紋章のフレスコ画が覗き、ひっそりと厳めしい窓も見えます。

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ガリバルディ広場には、サイクリング競技に参加の選手たちが集合。
日曜祭日にはよく見かける光景で、少ないながら、女性の参加も!

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もう一つ西側にあるダヌンツィオ広場には、アルプス兵の帽子の人々が。
多分、解放記念の式典があったのでしょう。



ガリバルディ広場の南西角に、インフォメーションがあり、市立博物館もある、
のですが、いつも気になりながら、いまだ。

ロッジャ横の通り道。 お隣の建物の壁に埋められた紋章の数々。
かなりの坂道でしょう?

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市博物館にある筈の、エレオノーラ・ドゥーゼのコレクションの写真。

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彼女については、何度かご紹介しましたので省略ですが、

上に名が出た、彼女との関係でも名高いガブリエーレ・ダヌンツィオ・
Gabriele d'Anunzioの家博物館のご案内は、
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417856.html
素晴らしい家というか、凄いというか・・・、まぁ、ご覧下さい!



ここはダブリを承知で! いかにもアーゾロ、という場所も一枚は!ね。

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上の写真ともども、お城の一角から。

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このお城にはキプロス女王カテリーナ・コルナーロ、彼女の悲劇が刻まれますが、
山の上に見えるのは、要塞・ロッカで、中の様子を、後ほど。

左下ぼ大きな建物が、スコッティ・パジーニ邸・villa Scotti-Pasini.
アーゾロの名を高めた、ロバート・ブラウニングが住んだ家。



このアーチの道も大好きなので。

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この大きな木のベンチは、新装開店の、土地の物産で一杯飲ませる店の物。
この道の少し先左手に、エレオノーラ・ドゥーゼの家が。



上の道の突き当たり角に、見事な藤の花。 白と薄い藤色で、素晴らしかった!

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道の向こう側には、ホテル・チプリアーニ。



そして次の角には小さなサンタ・カテリーナ教会。 何年か前2,3人の若い女性が
内部の壁画修復をしていましたが、今すっかり修復が済み、鮮やかに。

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キリストの処刑前の鞭打ち場面などですが、この左にはユダの接吻も。
下の層の、濃いグレーと白の花柄も素敵でしょう?



高貴な印象のアーゾロの町に相応しく、お高いジャガーが、狭い道脇に!
私めのパンダと比べ、・・むむ!!

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蒸し暑い日でしたが、頑張って要塞に! 要塞・ロッカに行くには、
一度町の門を出て、リッコ山・モンテ・リッコの北側を登ります。

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昨年6月に来た時の、要塞の写真も共にご案内を。



こちらは入り口脇の塀の上。 祭日とあってかなりの人出で、お天気も良く、
カップルが日光浴。
上のジャガーと共に、羨望がこもった写真で・・、ははは。

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これは要塞内の入り口部分で、隅に見える櫓状の階段を、上に上ります。

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中の見学は、土曜、日曜、そして祭日に。 ちなみに入場料は安く、祭日は無料!



入り口、階段部のアップを。 要塞の壁の高さは平均が15mと。

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こちらが要塞・ラ ロッカ・La Rocca全体の形。 ひしゃげた楕円形、とでも。
右下に入口があり、上への階段がある場所。

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近年パドヴァ大学が主体の要塞の研究が済んだ所で、それによると、
建設は11,12世紀から15.16世紀。
ご覧の様に、入り口が南東端1ケ所にあるだけで、窓も銃眼も何もない、壁だけで、
壁の厚みは、一番厚い部分で3,5m、他は2,5mと。
       
今に残る要塞の建設は11世紀が始まりとしても、土地の戦術的位置からみても、
古くからの歴史が見られます。

数字1の部分には7,8世紀の物とされるモザイクも残り、井戸もあります。
そして点々の線の部分、右上にも見えますが、これはネクローポリ・墳墓跡。
 
右下端、左下端に住居跡とみられる部分、竈・フォルノ跡もあり、 数字4。
多分、紀元前からの移殖もあり、祭礼に用いられた場所でもあった様子。



こちらが残存の床のモザイク。 何箇所かに、赤い色も使われています。

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南側の壁の上。 ご覧の様に、ぐるっと歩いて回れます。

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東側から、西側を。

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穴の部分に井戸があった様子で、今写真が切れる部分に移されているモザイクは、
この上奥にあった模様で、木が見えますが、あの下辺りがネクローポリ跡。
現在のアーゾロの町の中心は、この南西の壁辺りから望めます。



要塞の上から見下ろす、アーゾロの町。

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アーゾロの町自体が海抜210ですが、その山の上、要塞の高さは316m。
左側の膨らんだ下から町の門をくぐり、真ん中が丘に挟まれてくびれ、
ちょうどその細く見える部分に、ドゥオーモの鐘楼。

そして右に広がり、お城が見え、広場に樹の塊が見えますね。
あの広場がローマ期の遺跡も残るブルニョーリ広場。
その横に口をあけている道を奥に、町は右端の上奥に細く繋がります。

見遥かす地平線、ヴェネト平野。



こちらは北側。 あの奥に見える高い山の向こうは、ドロミテ山脈に続きます。
まだ、ちらっと白いものが。

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こちらも北側。 アーゾロの柔らかな丘の並びに、こんな糸杉の道。

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西の壁の上、同じような髪をしたカップル。

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要塞から出て来ると、こんなお洒落な女の子! ご両親の許しを得て、ワン君と。

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お父さんの方は私のカメラを見て、ニコンの何?と、興味を。



ドゥオーモの前の人だかり! あ、結婚式! と、こちらも待機を。

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右端のお二人は写真班のプロで、彼女のカメラは、ニコンD300。
上のお父さんには、垂涎ものでしょう!



それにしても、高貴なアーゾロの町の雰囲気に似つかわしい、高級な結婚式、
である事はすぐ分かりましたね。 教会の前で待っていた、参列の方々の服装がね、 
一般庶民の結婚式参列者とは、一味違いました。

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ご覧下さい! こういう方々の写真は、前からは撮りにくい・・。



こちらは少し遠かったので、望遠で失礼を。
ネクタイをちょっと直してあげてたので、後ろの電話中の方がご主人と。

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花嫁が、お父さんと到着。 待ち構えていた、先導の少年少女が位置に。

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少し丸顔の、お父さんに良く似た、大変可愛い、美しい花嫁さんで、
清楚なドレスに、鈴蘭の花束。
待ち構えていた見物人から、「綺麗だねぇ!」と声がかかり、パチパチと拍手。
感激のお父さんが、逆に花嫁に腕を組んでいるのでした!

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列を整え、音楽を待ちます。

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昔、フィエーゾレで結婚式を見ましたが、その時も、大変に美しい花嫁さんでした。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460889647.html

そして、ここでも花嫁を。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462862622.html  

     

結婚行進曲のメロディが流れ始め、ゆっくりと教会の中に。

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末長く、お幸せに!! 花婿さんは見れませんでしたが、まぁ、ね。

アーゾロのサイト、英、独、仏語もあり。
http://www.asolo.it/

      
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